札幌の都市構造の歴史的形成
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第57巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.57,No.2. 平成19年2月 February,2007. 札幌の都市構造の歴史的形成. 横 尾. 実. 北海道教育大学旭川校地理学研究室. TheGrowthandUrbanStructureofSapporo YOKOO Minoru. DepartmentofGeography,AsahikawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation. ABSTRACT. Sapporodatesbackinorigintoaplannedcityonaslopingalluvial−fandrysite.Itwasfoundedin. 1871toserveasthesiteoftheadministrativeheadquarterforresourcesdevelopmentofHokkaido,and latergrewtobecomethedominantprimatecityofHokkaido.Itspopulationwasaboutl,800,000in2005.. Thepurposeofthispaperistoindicatethewayinwhichthepresenturbanstructurehasbeenfixedby itsfirstplan.Thepointsthatneedtobestressedfromtheevidenceexaminedareasfollows.. ThecenterofearlySapporoexhibitedspecialfeatureofthemostprominentgovernmentaledifice andthecitywasstrictlydividedintoanadministrative,educationalandservicedistrict,andamerchant. artisandistrict.Toagreatextentitmustbeunderstoodasanexpressionoftheideaofacastletown formduringtheEdoperiod. Urban growth of modern Sapporo has also occurred in the manner that may be compared with that of the cities dating back to old castle towns.Because the development of Sapporo today has formed a set of concentric rings of different function surrounding theinitialprincipalcommercial district which was situated on the periphery of early Sapporo.. Ⅰ.序. 現在の札幌の都市地域構造は創建時のそれとどのような形で関係しているか.これが本稿が明らかにしよ うとする課題である.明治の創建時,札幌はその内部に計画的な機能配置を付与されていた(渡辺,1958; 山下,1990).北海道の都市の多くが初めから計画的な街路や土地区画を持っていたことはよく知られてい る(谷口,1940;渡辺,1958;山田,1978).しかし,札幌のように都市計画が機能配置にまで貫かれた例 はほかにない(桑原,1982).本稿はこのような札幌の歴史的前提を重視し.それと関連づけることによっ て現在の都市地域の構造を理解する.. 15.
(3) 横 尾. 実. 都市内部の機能の分布と変化を知るための資料は,公的機関などが発行した各種の地図や産業名鑑,およ び郷土史誌文献に求めた.とくに郷土文献に関しては,資料の信頼性を確かめるために多数の資料を読み比 べる必要があった.. Ⅰ.都市地域の形成過程 1.都市の創造期(1871年∼1887年) 1871年,石狩川下流の未開の平野で札幌の建設が本格化した.明治政府はここに太政官直属の機関,開拓 使を置いて北海道開拓の拠点としたのである.開拓使は1882年に廃止されるまで「北海道開拓10年計画」を 基に短期間で札幌を建設した.札幌区役所(1911,p.13)によると,1887年の人口は約14,000人に達して いる.ここでは第1図により開拓使が創建した札幌について述べる.第1図の時点である1882年は創建直後 で,1871および72年に市街区画された東西1.3kmと南北1.8kmの範囲は家屋で満たされている. 市街区画は石狩川の支流豊平川の扇状地でなされ,すでに幕末に開かれた水陸の交通路をも含んでいる. 近郊開墾時に豊平川の分流を改修した創成川,およびそれと交差して港町の小樽と室蘭に通じる街道である. 両交通路の交差部は船着場となって,鉄道開通まで小樽に通じる玄関口として賑わった(高岡ほか,1897,p.45 など).また,区画市街地の中央部は東西に貫く幅員約100mの大通りによって区切られ,北側は官宅地,南 側は町地とされた.この区別は本期間中続く(札幌市,1991a,p.525).まず,官宅地から見ていこう. 開拓使本庁は27haという広い敷地をもって区画市街地北西緑の扇端に設匿された.背後は低湿地である. しかし,第1図ではここに本庁は存在しない.焼失により大通り南側に仮移転していたからである.焼跡の 敷地は開拓使の殖産試験場となって,りんご園やぶどう園などに利用された(札幌区役所,1911,p.510). 本来の本庁敷地の前面の区画市街地には公共建築物が配置された.農学校,師範学校,裁判所,測候所そ して官舎などである.さらにこれらと混在しながら官営の農作物試験栽培地も用意された.ぶどう園,ホッ プ園,桑苗試験園と花井園である(札幌市,19錮,p.92など).また,創成川沿いには味噌,醤油,座繰製 糸などの小工場が開拓使によって建設された(札幌区役所,1911,p.737). 区画市街地と続いて設置されたものに官営の穀物倉庫,病院や監獄がある.しかし,区画市街地の外側を 特徴づけたものはこれらでなく,官営勧農施設群である.それらは農牧場「官園」,外来作物栽培施設「博. 物場」,桑園そして牧羊場から成っており1),扇端から沖積低地にかけて広がった.さらに市街東側の扇端 に集団配置されたのが官営の中小工場である.製材と鋳物工場は建設用資材を生産し,麦酒およびぶどう酒. 工場や製糸紡績工場は試験的な農産物加工を目指した2)(札幌市史編集委員会,1958,p.425など). 1880年には札幌と小樽間に鉄道が開通した.石炭を石狩炭田から小樽港へ輸送するためである.鉄道は区 画市街地のすぐ北側に,また駅は本庁敷地端に設けられた.しかし,本期間中,鉄道開通による変化は小さ い.札幌市(1968,p.14)などが記すように,駅前通りに少数の旅館,運送店,商店が進出しただけで, 通りの西側には依然,官舎群が存続した. 大通りの南側は町地で,商工業者やその他の就労者の居住地に指定された.機能上,商工住混合地区であ る.その面積は本庁敷地とその前面の官用区画市街地の約1.4倍である.札幌市(1982,p.184)などによ れば,町地の指定に先立って,創成川の船着場付近には開拓使の意図とは無関係に商業および土木建築業者. の一団が自然発生的に定住した.彼らは1869年末に試行された札幌建設工事3)に誘われて移住してきたので ある.船着場付近は商業の原初核となり,札幌開府後も開拓使御用達商人は創成川両岸を占めて活動した(札 幌区役所,1911,p.730).東岸では市街が区画範囲から溢れ糾し,初期的な商店街は室蘭街道沿いに伸び て豊平川対岸に達した(札幌市,1977,p.141).. 16.
(4) 札幌の都市構造の歴史的形成. −1871・72年の区画市街地範囲 国家屋密集地区巨∃農地一勧農施設. =開拓使本庁敷地. ○開拓使本庁国学校 巨∃果樹園 Eヨホップ園. 臣∃公的施設. 匡∃工場集団地. 団商業中心. =狸小路商店街臣ヨ薄野遊郭 巴∃荒蕪地. 一・亡鉄道と駅. 団集落 第1図1882年の札幌. 「札幌市街図」(縮尺14,500分の1,1882年),「札幌市街概図」(縮尺不詳,1881年),および「北海道札幌之図」(縮. 尺2,500分の1,1878年)による.. しかし,札幌の本格的な都市建設は商業地区の発達に決定的な影響を与えることになる.まず,商業中心 は創成川西岸の街道筋で,約130mにわたって成立した(札幌市,19錮,p.75).南一条通り商店街である. それは本庁前面に開発された官宅地を指向した結果である(札幌市史編集委員会,1953,p.82).商業中心 の南西には狸小路商店街も台頭した(札幌市史編集委員会,1958,p.299).一方,創成川東岸は都市開発 の背面となって,大塚(1931,p.213)や札幌市(1991b,p.207)などが指摘するように,商店街は沈滞に 転じ,次期になっても近郊農村相手の商店街にとどまった.. 町地内にも少数の官営施設が存在する.小官街,官舎,小工場そして薄野遊郭である.遊郭は先住者を移 動させて開設された(北海道庁,1937,p.131).. 17.
(5) 横 尾. 実. 札幌市街の外側では,南方約5kmの扇頂から段丘面にかけて260haの官営牧場が設けられた(札幌市, 1991a,p.227).また,札幌市街を取り巻くように,沖積低地から台地端に15の農村が誕生した.それらは 札幌から放射状に伸びる主要道路沿いに位置し,幕末の開墾地を除けば,開拓使の計画によって開かれたも のである(札幌市,19錮,p.46).. 2.計画的都市の修正期(1888年∼1954年) 1886年設置された北海道庁は札幌にあった官業を払下げ,官宅地の多くを解放した(札幌市史編集委員会, 1953,p.84など).この政策転換の影響は札幌市(1991a,p.185)によると,1888年ごろから現われる4). その後1954年ごろまで前代に創建された計画的都市の修正と新たな市街拡大が序々に進行する.その間,第 2次世界大戦による大きな被害はない.札幌の機能について見れば,行政部門の充実とは反対に商工業の成 長は遅れた.近代的工業の定着は麻織物,ビール,鉄道車輌に限られる.札幌が経済的にも北海道の中心と なる時期は戦時経済統制下,東京などから資本が進出した1930年代である(札幌市史編集委員会,1958,p.377. ;蝦名,1975,p.133;蝦名,2000,p.43).人口は1940年に20万人を越えて全道一となり,1954年には約37 万人に達した.以下,本期の都市内変化を見よう.. 1888年,北海道庁が焼失前の本来の開拓使敷地に開設された.道庁付近には札幌市史編集委員会 (1953,p.227∼229)が示すように,各種官公署と団体事務所が集積し,創建期の行政中心が再現された. しかし,それは初期計画の修正を伴っていた.旧聞拓便敷地は中央部分を残して民間に払下げられ,5分の. 1に縮小したのである.払下げ地では,札幌市(1994a,p.35)と札幌市(1997,p.572)などによれば, 商工業者の営業が始まり,果樹園は消滅した. 道庁前面でも官宅地は解放された結果,商工住の混在する地区が出現した(札幌市史編集委員会, 1953,p.84).ここへの商業成分の進出過程を実証するのが第2図である.商工住成分の侵入はさまざまな. 第2図1895年と1937年の商店分布 小川(1895)および札幌商工会議所(1937)により,卸小売商店,飲食店,娯楽およびサービス業者の数を条丁 別に集計した.各条丁は格子状に並んでおり,条丁界は省略した.第4図と第5図においても同様である.. 18.
(6) 札幌の都市構造の歴史的形成. 公的施設の外方移転を引き起こした.農学校,師範学校,裁判所,測候所と官舎群がそうであり,また,ホッ プ園やぶどう園は消滅してしまった(札幌区役所,1911,p.450など).. 鉄道開通の影響もようやく顕現化する.駅前通りでは大通りの北側も新興の商店街となり,南側の既存商 店街と連結した(第2図).この新興街は銀行,保険会社のほか市内初のデパートやホテルをも含み,その 繁華は商業中心に次ぐほどになった(札幌市,1979a,p.61;札幌市,1991b,p.130).ただ大通り北側で は道庁との間に払下げ対象外の官舎群が残り,それらは本期を通して駅前通りの商業地区化に抵抗した(札 幌市,1982,p.147など).. 大通りの南側では商業中心の拡大があった.南一条通り商店街は駅前通りを指向し,その南側にあった2 つの繁華街も発達して商業中心として合体した(第2および3図).1つは狸小路商店街であり,もう1つ は遊郭移転後歓楽街化した薄野である.商業中心の拡大は交通変化と関係している.札幌市史編集委員会 (1953,p.488)などが示すように,鉄道開通により,創成川水運は衰退する一方,駅前通りは通行量を増 して商業中心を引きつけることになったのである.. 国家屋密集地区皿商業中心 匿悼公署 匿糎育文化施設 巨ヨ工場. 国軍事施設. 田公園■運動場. 一旧区画市街地の範囲. 園医療福祉施設 ▲▲丘陵と台地の境界. 第3図1935年の札幌 「札幌市街図」(縮尺14,000分の1,富貴堂,札幌市,1935)による.商業中心の範囲は札幌商工会議所(1937) により,員回品・専門品販売卸小売店,および金融・保険会社の分布から設定した.. 19.
(7) 横 尾. 実. さらに1930年代になると,商業中心に新しい動きが加わる.すなわち,駅前通りと大通りの交差部付近に は銀行や商社の出先事業所が進出し,業務中心の萌芽が起こった(札幌市史編集委員会,1958,p.408;札 幌市,1977,p.16).第4図は業務街が大通り南側の伝統的な商業中心に続いて駅方向に広がりつつある状 況を示しており,次章の立論に重要な根拠を提供する.. 商業中心の外周では大通りの南北両側に卸小売店やサービス施設などが増加した(第2図).札幌商工会 議所(1937)によれば,中小工場群も同様である.官有地払下げを機に明治初期の区画市街地は道庁付近を 除き商工住混合地区となり,大通りを境とする計画的な機能分担は崩壊した.他方,大通り自体は緑地公園 化して今日まで続く.. 第3図から明らかなように,旧区画市街地の外側では都市拡大が目立つ.ここでも官営勧業施設の払下げ が都市拡大の一助となった.. まず,住宅地区の拡大は桑園,試験農牧場,ぶどう園そして工場の払下げ地で始まった(札幌区役所,. 1911,p.913;札幌市史編集委員会,1953,p.206).さらに1904年の屯田兵制度の廃止も拡大要因となる. 屯田給与地の売却が可能となったからである(札幌区役所,1911,p.1010).それによる変化は札幌市街の. 南に続く旧屯田集落の山鼻(第1および4図)で起こっが).全体として見れば,住宅地区は扇状地から溢 れ出し,その前面の沖積低地や豊平川対岸の台地端まで及んで,周辺集落とも連結する.住宅地区内には学 校など公共施設が点在し,また,札幌市史編集委員会(1958,p.315),札幌市(1977,p.291)や札幌市 (1991b,p.208)によれば,主要交通路に沿って商店街が都心から放射状に発達する.. 官営施設払下げは新たな公共施設の立地をも誘導した.払下げ地には上述の旧市街から押し出された農学. ●10件. .... ●5. ヂ. ・1 ●●● ●. ● ■● ●● ・・●・ ●◆. ●.●::●・. .■●・●・・ ‥・‥●・●‥::●‥.‥. ‥●●・‥●‥・・. いル.仙 ‖.1日lJ l ●. ● ●::●・●●象●::●‥. ● ■●. …●:●::. ● ●‥●:・●t●‥●. ●‥::●‥ ‥. ‥ ●‥●.●‥●‥. ●‥ ・. ‥●:●・・. 第4図 商業的業務施設の分布(1956年) 札幌商工会議所(1956)により,卸売業と金 融・保険業の事業所を条丁別に集計した.. 第5図 出先事業所の分布(1991年) 札幌商工会議所(1991)により,卸売業と金 融・保険業の事業所のうち支社,支店および営 業所などを条丁別に集計した.. 20.
(8) 札幌の都市構造の歴史的形成. 校6),師範学校7)ぉよび裁判所が占めることになった.桑園のうち大通り西端に面する部分では,軍用地化 を介して,その跡地に裁判所などが設けられた(札幌市,1994a,p.94).また,西郊丘陵端では開拓使開 設の養樹園や御料地を受継いで公園が整備された(札幌市史編集委員会,1958,p.635).. 近代的工場の創設も官営施設の払下げを機とする.1891年製麻工場が駅真の官営倉庫跡に,また1909年鉄 道車輌工場が市街北東緑の扇端から沖積地にまたがる官営ぶどう園跡などを利用して創設された(札幌市,. 1979b,p.92).両工場とも従業員数は1,000人を越え,敷地内には従業員住宅が備えられた(札幌市, 1997,p.583).一方,旧官営の集団工場は停滞し,民営化後,試験操業的な工場は消滅して跡地は住宅地 となった(高岡ほか,1897,p.146).札幌市(19錮,p.60)などによれば,少数の食品,木工と農具工場 が存続しただけである.それらの残存工場と新設の鉄道車輌工場の間では,札幌市史編集委員会 (1958,p.467)と札幌市(1994a,p.98)などがあげるように,製材木工や鉄工などの小工場群が建設さ れた.. しかし,市街周辺における工業地区の形成は全体として貧弱なものにとどまった.大工場が孤立的に立地 し,小工場が主要交通路沿いに点在するだけである.工業地区の形成が未発達であることは今日まで変らな い.. 本期にも農業と工業の公的試験場が創設された.しかし,明治期と違い,それらは都市周辺を占める.軍 事施設も同様である.それらのうち南東郊の連隊施設は戦後,住宅や学校に転用された.. 3.現在の都市地域の成立期(1955年∼2003年) 東京をはじめとする大都市から商社,金融および保険会社などの出先事業所の進出が加速して,札幌はわ が国の典型的な広域中心都市となった(北川,1962).このような経済機能の集中が基礎となって現在の都 市地域が成立する.人口も急増し2000年には180万人を上回る.第6図により現在の札幌を述べよう. 第一の変化は都心の拡大である.言い換えれば,業務地区が拡大したのである.業務地区は大通り北側で は明治初めの区画市街地から溢れ出すと同時に,大通り南側にも及んでいる.この地区の成長が主に上述の 外来的要因によることは蝦名(1975,p.86)および札幌市(2002,p.393)が指摘しており,第5図からも 裏付けられる.. 大通り南側の既存商業中心の拡大は乏しい.1971年地下鉄開通時に地下商店街が誕生した反面,南一条通 り商店街は駅前通りの拡幅によって分断され,成長力を失った(札幌市,1991b,p.95;札幌市,1996,p.35). むしろ近年の商業中心は都市再開発事業を契機に大通り北側へ飛火した.駅前と創成川東岸へである.前者 では鉄道施設の整備後,デパートや地下街が出現し,後者では旧官営工場のビール工場移転跡を大型複合商 業施設が占居した. 都心で最も停滞的な成分は道庁を核とする行政中心である.それは業務街に取り囲まれ拡大の余地がない.. 中央郵便局のようにここから移転するものもある.新しい中心は飛地となって大通り西端,旧桑園内の軍用 地跡に成立した.そこには国の出先機関や裁判所などがあり,各種文化施設も隣接する.. 都心外周では,商工住混合地区が広い範囲で成立した.それは既存の住宅地区,学校などの公共施設や周 辺集落を呑み込んで広がる.ただ,南西部の山麓は住宅地区として存続する.この混合地区内では札幌商工 会議所(1991)によれば,工場は商業・サービス施設より少なく,食料品,木製品製造や印刷・出版などの 中小工場が主である.先述の駅真の製麻工場は閉鎖され,従業員住宅跡は繊維問屋の団地となった.. 商工住混合地区内では副次的中心が鉄道と地下鉄の駅付近に見られる.最大のものが琴似と麻生(新琴似 を改称)で,それぞれ混合地区の北西端と北端に位置する.両者とも交通ターミナルの開設を発達の契機と している.ここで注目したいのは両者の成立経過である.. 21.
(9) 横 尾. Ⅷ商業中心. 実. m業務中心. 町歓楽街. Eヨ住宅地区. 団商工住密集地区図南工住混合地区∈ヨ工業地区 園官公署 匿司教育文化施設 囲保健福祉施設 旺ヨ公園・運動場国自衛隊駐 屯地 一明治の区画市街地範圃 ▼▼丘陵と台地の境界. 第6図 2003年の札幌主要部 「札幌市建物用途別現況図」(縮尺2,500分の1,札幌市,2003)による.. 琴似の商店街は,旧屯田集落の中央通りに沿うもので,札幌市(1977,p.258)によれば,すでに明治末 から商店が増加し始めた.札幌市西区役所は屯田兵中隊本部跡を占める.このように副次的中心琴似の形成 も創建期と無縁でない. 麻生の成立経緯も琴似と類似する.商店街は市電から代った地下鉄駅を中心に大型住宅団地と接している.. この住宅団地は1957年に閉鎖した工場とその付属施設の跡につくられた先駆的団地で,それにより市電もこ こまで延長された(札幌市,1996,p.127).団地造成を導いたこの閉鎖工場は先述の1909年の製麻工場創 業時に建設された関連工場である(札幌市史編集委員会,1958,p.37).. 1955年以降,都市周辺では住宅地区がこれまでにない規模で拡大し,明治初めの衛星集落を呑み込んだだ 22.
(10) 札幌の都市構造の歴史的形成. けでなく近隣諸都市(第6国外)とも連結した.この新しい住宅地区内には学校など公共施設も散在する. 地形との関係を見るなら,住宅地区は北部の沖積低地と東部の台地で目立って拡大した.一方,南西部では 山地がせまるため,宅地開発は山麓横斜面や崖錐に限られる.. 住宅地区拡大においても,先行時期との関連がみられる.とくに先駆的な大規模住宅団地の場合である.. たとえば,1959年から南郊では明治初めの官営牧場起源の放牧地8)を転換して団地が造成された.また,同 年,東郊の千歳線新札幌駅付近では,1916年閉鎖した繊維工場跡に団地が開かれ,付近の宅地開発の端緒と なった(札幌市,1994b,p.120). 都市周辺部では主要交通路に沿って家屋密度の低い商工住混合地区が伸び,流通団地や工業団地も加わる.. 鉄道や地下鉄の駅付近には,多くの場合,小中心地が成立する.さらに旧軍施設跡の開発が加わると,中心 地の機能は増強される(札幌市,1982,p.264).その代表例が東郊の台地端で副次的中心として急成長し た新札幌である.これは千歳線の新駅と地下鉄東西線のターミナル駅付近に位置しており,住宅地区拡大に より移転した旧軍弾薬庫跡地が市の都市計画事業の対象となって機能集積が促進された(札幌市, 1994b,p.127).. Ⅱ.現在の都市構造と創建期の都市構造との関係 前章で見た具体的事実をもとに,本章で取り上げる課題は次の3つである.すなわち,①創建期の札幌は どのような地域構造を持つか,②現在の札幌はそれとどのような形で関係するか,③創建期の札幌は歴史的 母胎としてどのような意義を持つか,である.第7図は創建期および現在の札幌をモデル化したものである.. それらのモデルはWilhelmyundBorsdorf(1984,p.183)のような形態重視派からは札幌の碁盤目状街路 を度外視していると批判されるかもしれない.しかし,ここでは本論の目的に合わせ,モデルは機能配置に 基づく多くの都市構造論と同様,都心からの圏構造として表した.. 1.創建期の札幌の地域構造. 以下では創建期の札幌とは開拓使が設けた3つの成分を合わせた範囲とする.区画市街地,その外側に付 着する勧業施設群,そして主要道路沿いに放射状に連なる開拓諸集落である.3つの成分のうち都市の地域 構造を論じる対象は区画市街地である.. 本来の開拓使本庁は1つの施設としては抜きんでた敷地面積を持っている.それに隣接する官有地には開 拓を進めるために必要なさまざまな公的施設が建設された.開拓推進基地と言える地区の成立である.この 地区は地形的制約から本庁前面に限られる.他方,商工業者らの地区はこの基地とは厳格に区別され,その 外側に割り出された.最初に水運と結びついて自然発生した商業核は,前述したように,市街地発達のなか で沈滞に転じ,都市全体の形成核とならなかった.. 区画市街地全体を見るなら,そこでの機能配置は広い敷地を持つ開拓使本庁を中心に決定されている.換 言すれば,本庁は都市を構成する他の地区の立地に対し支配的な地位にあった.Quinn(1950,p.271)の 都市構造論に照らすなら,開拓使本庁が都JLりこほかならない.この時期の都心は行政中心だったのである.. 経済部分は行政中心とその前面の開拓推進基地の付属物のように市街周辺に位置することになった.ただ, 当時の札幌市街は小さいうえ,地形的制約も加わって十分な圏構造として把握することはできない.. このように開拓使が計画的に創建した都市の構造は現代都市とは異なっている.それはSjoberg(1960) やBraudel(1976)の都市発達系列に従えば,前産業都市あるいは前近代都市に属する.この開拓使本庁を 中心とした編成は創建期の札幌全域,すなわち市街地外の勧業施設や集落群の分布パターンにあてはめても. 23.
(11) 横 尾. 実. 第7図 創建期と現在の札幌の構造 不合理ではない.. 2.現在の札幌と創建期の札幌との関係. 現在の札幌は機能と家屋密度を異にする3つの地帯,すなわち都心,中間地帯および周縁地帯から構成さ れる.第7図の現在の札幌の都市構造モデルにおいて,創建期と関係する地区とは,かつての機能を継承す るか,あるいはそれを契機として成立した地区をいう.たとえば,前者には開拓使本庁を引継ぐ北海道庁, そして町地を起源とする商業中心や商工住混合地区がある.後者には旧官営施設の払下げを機に出現した公 共施設や住宅団地などがある.ただし,そのような地区が小面積の場合には当然ながら図示されない.以下, 今日の3つの地帯における機能配置を創建期と関連づけて言及する. 1)都心. 都心の範囲は南端部を除き創建期の区画市街地を越えている.地域分化が明瞭で,北海道庁を主とする行 政中心,商社や金融機関などが集積する業務中心,そして主要商店街や飲食娯楽街から成る商業中心に分か れる.それらのうち行政中心と商業中心は創建期から継続している.しかし,両者の現在までの成長過程は 対照的である.商業中心は旧町地内で拡大したのとは反対に,行政中心は縮小し,そこから移動する官庁も みられる.. 一方,業務中心は道庁前の旧官宅地を被って広がるが,その成立は創建期の⊥地利用から導かれたもので. 24.
(12) 札幌の都市構造の歴史的形成. ない.前章で述べたように,官宅地の解放後,商工住混合地区化が漸進し,業務地区はその後再度変化して 成立したからである.この新興の業務中心のなかでは創建期と関係する部分は点状に見られるにすぎない. 鉄道駅,商業中心と行政中心の飛地,そして旧小学校の地に建設された市役所である. 2)中間地帯. 中間地帯は都心外周の家屋密集地帯である.主に前述の計画的都市の修正期に市街化した.機能的には商 工住混合地区が大部分を占め,住宅地区が縁辺部に加わる.地帯を通して学校など各種の公共施設も点在す る.主要道路沿いにあった開拓時代の集落群は商工住混合地区となって,旧態をとどめない.地帯形成の過 程を反映して,ここでは創建期と関係する地区は次の諸例に限られる.. ① 都心に接する商工住混合地区.都心のすぐ南側の小領域で,中間地帯のなかでは唯一,創建期の市街 地を引継ぐ部分である.この地区は札幌の都心拡大方向と反対側に位置するため,成長から取り残され, 旧来の機能を保持することになった.. ② 都心に接する公共施設群.都心の北から西に並ぶ北海道大学,植物園と札幌医科大学である.前章で 述べたように,それらは広い敷地を持つ官営歓農施設の転用を契機に成立した.. ③ 中間地帯縁辺の工業地区.中間地帯の東緑には鉄道車輌工場があり,その付近に中小工場が集積する. 先述のとおり,この鉄道工場は旧官営ぶどう園を用地の一部として創業し,その後の工業地区形成の発 端となった.. ④ 中間地帯縁辺の副次的中心地.中間地帯西緑の琴似である.その商店街と公共施設が旧屯田集落の街 路や施設と結びついていることはすでに述べた.もう1つの副次中心麻生の場合は,前述のように,創 建期終了直後の工場建設と関係している. 3)周縁地帯. この地帯は1955年以降中間地帯の外側に急成長し,近隣の諸都市とも連結する.しかし,本稿では近隣都 市は調査対象外とした.本地帯の形状は地形的制約から完全な円環をなさない.. 周縁地帯の家屋密度は一般に中間地帯よりも低い.住宅地区が広がり,主要交通路沿いには商工住混合地 区が伸びて旧集落群に代った.地帯内には各種公共施設や工業および流通団地も点在し,副次的中心も台頭 した.当然ながら,創建期と関係した機能配置は例外的に認められるだけである.南部の住宅団地と自衛隊 駐屯地,そして西部丘陵端の公園である.また,北部の旧屯田集落における公共施設のいくつかは屯田本部 や練兵所の跡に設けられている(札幌地理サークル,19銅,p.72).. 3.創建期の札幌の意義. 札幌の現在と創建期との間に以上のような関係が認められたとき,次に検討すべき問題がある.それは創 建期の札幌を構成した諸成分は今日の都市構造の形成に対しどのような役割を果たしたかという点である. 開拓使本庁は現在では北海道庁になり,行政中心として残る.しかし,この行政中心は創建期とは異なり, 都市全体の機能配置を決定するような支配的な力を失った.. 本庁前面の各種官営施設から成る開拓推進地区は解体し,今日の地区形成とは結びつかない.それは上述 した業務中心の成立過程から明らかである.この推進地区を構成した施設と関係あるものは鉄道駅と市役所 だけである.. 区画市街地外に置かれた試験農牧場や工場などの勧業施設は,ほとんどの場合,今日の都心縁辺から中間 地帯にかけての位置に相当する.それらの勧業施設も消滅してしまった.しかし,現在の都市構造との関係 を全く断たれたのではない.都心境界付近では,勧業施設の一角が特定の機能地区の成立を導き,都心形成 に対して相反する2つの役割を果たしている.まず,前述したように,桑園と官営工場群はそれぞれ行政中. 25.
(13) 横 尾. 実. 心と商業中心の飛地を生み出す契機となって,都心拡大に貢献した.反対に,官園と博物場はそれぞれ大学 と植物園に転換されたままで,今日では都心拡大の障壁となっている.勧業施設のうちその他の部分は今日 の都市構造の形成に対し注目するほどの意義を持たない.小規模な工業地区の成立に端緒を問いただけであ る.なるほど勧業施設は開放後,住宅地区拡大と近代工場立地に用地を提供した.それらも近年では商工住 混合地区拡大の波に飲み込まれ,土地利用上,創建期との関係は認められない.周縁地帯に位置する官営放 牧場も住宅団地などに転換されたが,それは同地帯のなかでとくに目立つものでない.. 上掲の諸成分と対照的に重要な役割を果たしたのが町地である.この地区は開拓使によって付与された性 格を維持しながら,南端部を除き商業地区として機能専門化した.とくに伝統的商業中心は今日の都心形成 の源泉となった.前述のとおり,ここから新しい商業中心と業務中心が拡大分化すると同時に,行政中心と も連結した.その際,官営遊郭も歓楽街化して商業中心の拡大に貢献した. 開拓使が設置した衛星集落の位置は今日の中間地帯と周縁地帯に当たる.これらの集落は屯田集落以外,. 今日の機能配置に影響しない.現在,周縁地帯における商工住混合地区の細長い突出部は旧衛星集落群と形 状の点で一敦している.しかし,これは単なる見掛け上の一敦で,両者が時期を違え,主要道路沿いを占め た結果にすぎない.. Ⅳ.結 び 本稿では,誕生新しい札幌にも地域構造の点で前近代的な段階があることを確認し,それとの連続関係か ら現代札幌の都市構造を解き明かすことを試みた.. 桑原(1982),高橋ほか(1993,p.28)およびSorensen(2002,p.79)は創建期の札幌市街を近世城下 町にたとえた.その厳格な土地利用区分に着目してのことである.Vance(1977,p.106)やHoIzner(1985) のような都市の形態発生系列を重視する立場から見れば,城下町が北海道に移植されたことになる.本稿で 強調したい点は,地域構造に注目した場合でも,初期札幌は城下町に類似していることである.. なぜなら,本来の開拓使本庁は都心であり,その都市全体に果たす役割は城下町の城と変らない.本庁の 開拓使命を支える諸施設から成る地区は本庁前面を占めて,城に続く陣営地のように配置された.そして商 工業者らの地区は郭外に追いやられ,陣営地を迂回する街道を軸に発達した町人地区に相当する.ただ,創 建時の札幌市街は前述のような理由から多くの城下町と違い,十分な圏構造(Tanabe,1959;横尾,2000) として捉えることはできない.. 開拓計画終了とともに初期の都市を形づくった強力な行政要因はなくなり,城下町にもたとえられる本庁 を中心とする独特の地域構造は後退した.今日ではもはや初期の機能配置と関係する部分は断片的にしか 残っていない.しかし,そのことは決して創建期の都市の歴史的母胎としての意義を否定することにならな い.本稿では創建期と現在の間の連続関係を地域構造の面から把握した.. 新旧都市間の関係は両者が重なり合う現在の都心に限定される.創建時の都市が今日の都市と比べあまり にも小さかったためである.それゆえ,新旧両都市構造モデル上での中心のずれは旧城下町都市のそれより も小さい(横尾,2002).最も重要なことは,都市全体構造のなかで商業中心の意義が転換したことである.. 商業中心は初期の都市のなかでは周辺に位置した.それと反対に,今日では行政中心に代って都心形成の根 源となった.今日の商業中心と業務中心は創建期の商業中心から拡大して都心の主要成分となり,かつての 意義を失った行政中心を包含していった.現代札幌の都心がこのような形で成立し,その外側に2つの地帯 が圏状に加わった過程は,基本的には旧城下町都市の場合(横尾,2002)と同じである.札幌の都市地域の 形成様式は日本都市のなかで特別ではない.. 26.
(14) 札幌の都市構造の歴史的形成. 注 1)それらのうち「官園」の大部分と「博物場」はそれぞれ1876年と1884年農学校に移管され,付属農場と植物園となった. 2)工場従業員数は製材工場の222人を除けば,7∼87人である(札幌市史編集委員会,1958,p.416など).. 3)創成川沿いに仮の役所や家屋が建設され,札幌創建の足場が築かれた.この工事は3か月で中断する(高岡ほか, 1897,p.31).. 4)官舎とその宅地の払下げは1876年に始まった.しかし,札幌市(1991a,p.180)によれば,多くの場合,入居者自身が 払下げを受けてそのまま居住した.そのため,官舎払下げは地区別機能の変化を起こさなかった.. 5)他の3兵村は札幌市街から離れているため,制度廃止による変化とは無縁であった(札幌市,1997,p.158).西郊の琴 似ではようやく第2次世界大戦前後に住宅地区化が始まる(札幌市,1997,p.158). 6)北海道大学の前身である.模範農牧場を引き継いだ付属農場へ移転した. 7)北海道教育大学札幌校の前身である.1894年,旧牧羊場の一角へ移転した.それは現在の札幌医科大学の地である.師範 学校は1929年に再度市街南端へ移転した. 8)これは戦後米軍基地となった.その返還後,北半部は自衛隊駐屯地となり,南半部は道営住宅団地として開発された.. 文 献 蝦名賢造編著(1975):新版札幌市の経済と社会.東洋経済新報社. 蝦名賢造(2000):札幌市の都市形成と一極集中.西田書店. 大塚高俊(1931):大札幌案内.近世社,札幌市. 小川正治(1895):札幌実業家便覧. 北川建次(1962):日本における広域中心都市の発達とその意義.人文地理,14,242−262. 桑原真人(1982):近代北海道における「町」の形成−「市街地」をめぐる諸問題−.地方史研究協議会編:日本の都市と 町−その歴史と現状.碓山閣.218−262. 札幌区役所(1911):札幌区史.札幌区. 札幌市(1968). :さっぽろ物語札幌市創建100年.札幌市.. 札幌市(1977). :さっぽろ文庫2.札幌の街並.北海道新聞社,札幌.. 札幌市(1979a). :さっぽろ文庫11.札幌の駅.北海道新聞社,札幌.. 札幌市(1979b). :東区今昔.札幌市.. 札幌市(1982). :さっぼろ文庫23.札幌の建物.北海道新聞社,札幌.. 札幌市(1989). :さっぼろ文庫50.開拓使時代.北海道新聞社,札幌.. 札幌市(1991a). :新札幌市史2.通史2.札幌市.. 札幌市(1991b). :さっぽろ文庫58.札幌の通り.北海道新聞社,札幌.. 札幌市(1994a). :新札幌市史3.通史3.札幌市.. 札幌市(1994b). :あつべつ区再考.札幌市.. 札幌市(1996). :さっぼろ文庫78.老舗と界隈.北海道新聞社,札幌.. 札幌市(1997). :新札幌市史4.通史4.札幌市.. 札幌市(2002). :新札幌市史5.通史5(上).札幌市.. 札幌市史編集委員会(1953):札幌市史政治行政篇.札幌市役所. 札幌市史編集委員会(1958):札幌市史産業経済篇.札幌市役所. 札幌商⊥会議所(1937):札幌商⊥人名録. 札幌商工会議所(1956):札幌商工名鑑. 札幌商工会議所(1991):札幌商工名鑑. 札幌地理サークル(1980):北緯43度札幌というまち.清水書院. 高岡熊雄ほか(1897):札幌沿革史.札幌史学会,札幌区. 高橋康夫・吉田仲之・宮本雅明・伊藤毅(1993):図集日本都市史.東京大学出版会. 谷口成之(1940):北海道都市発達の特異性と其の問題.全国都市間超会議編:本邦都市発達の動向と其の諸問題上.185− 216.. 27.
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