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最大限利潤の法則に関する若干の問題点

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Academic year: 2021

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(1)Title. 最大限利潤の法則に関する若干の問題点. Author(s). 八町, 憲一. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 7(1): 148-164. Issue Date. 1956-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3587. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第7 巻 第1号. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 昭和31年7月. 最大限利潤の法則にかんする若 干の問題 点 八. 町. 憲. 北海道学芸大学釧路分校. i YAMAr Keni t rl: SeveraI Problems on the Law of the M[axi tnu]m Pro行t. l952年、 スターリンの最後の労作となった 「ソ同盟における社会主義の経済的諸問題」 が発表さ れて、 その中で最大限利潤の法則が定式化されて以来、 この法則をめぐって種々の議論が展開され てきた。 それらの論争の中からは幾多のみのり豊かな結果が生みだされっ あるけれども、 また反 面諸学者の見解は必ず しも全面的な一致を見ず、 いまなお決定的な結論に達していない。 本稿は若 の問題を拾いだ して、 今までの論争を回顧 し、 整理することによって、 この法則についてのわた く しの今後の考え方の発展に資せんとするいわば覚え書きにすぎない。 この法則にかんする以下の 問題提起の仕方ならびにその理解の仕方に未熟な点や誤りがあれば、 御指摘を頂いて、 より正しい 理解に一歩でも近づきたいと切に念願する次第である。 ま ず、 わ たく しが 本稿 で 問 題 と して 坂 上 げ る 点 を 列 挙 して みる と、 次 の よ う に な る。. 第一点は最大限利潤の法則が作用する時代的範 囲、 すなわち、 この法則はいつから作用しはじめ たかという問題である。 それは独占資本主義の段階に移行する と同時に作用しは じめたのか、 ある いはまた、 一般的危機の第二段階(第二次世界大戦以後)になってからであるかということである。 第二点はこの法則の作用する場所的範囲、 すなわち、 この法則は植民地および従属国においては どの よ う に 作 用 す る の で あ る か と い う 問 題、 と り わ け 日 本 やイ ン ドに お い て は 国 際 独 占 資 本に よ る. 最大限利潤の搾取をうけるのみであるか、 あるいは同時に、 国内の独占資本による最大限利潤の搾 取をも受けて、 二重にこの法則が作用するものであるかという問題である。 第三点は最大限利潤の法則が現代資本主義の、 すなわち独占資本主義の基本的経済法則であると すれば、 独占資本主義以前から作用 していたところの平均利潤率の法則は、 最大限利潤の法則が作 用 しは じめた こと に よ り、 と っ て 代 られ て、 その 作 用 を 停 止 して しま っ た の か、 そ れ と も 同 時 に 両. 法則が相ならんで現在も作用しつづけているのかという問題 である。 第四点は最大限利潤の法則というのは、 そもそも単一の法則であるのか、 あるいは種々の法則の 重複統合 したものと見なさなければならないものであるかという問題である。 以上の各点について以下に検討を試みる。. 第一点にかんして高橋清氏は 「いわゆる 『最大限利潤法則』 は、 資本主義の全般的危機の第二段 1 ) といわれる。 これは誤りである。 階における基本的経済法則である。 」 ウェラ ン ドによれば 「この法則の作用は現代資本主義の支配的な特徴である独占の発生とその発 -148-.

(3) . 最大限利潤の法則にかんする若干の問題点. 展に固有なものである。 ……独占が資本主義世界において経済的にヨ リ支配的となるにつれて と 、 りわけ帝国主義の諸矛盾がいっそう尖鋭化するにともなって、 最大限利潤の法則はますます大きな 力 でみずからの存在を意識させるようになった。 だがそれは 最初から独占資本主義に固有であっ 、 たも の が、 独 占の 発 展 と とも に さ らに 顕 著 と な り 効 力 を も つ よ う に な っ た の で あ る 」 2 、 。 ) これが正 しい。. 現代資本主義の基本的経済法則である最大限利潤の法則の基礎は独占の発生と発展であり、 その 他の条件、 たとえば第二次大戦後=資本主義の全般的危機の第二段階になって生じた単一世界市場 の崩壊と平行した二つの世界市場の出現にあるのではない。 第二次大戦後にこの法則の基礎である 独占がはじめて発生したのではないから、 この法則の作用開始を第二次大戦以後=全般的危機の第 二 段 階 とす る こと は で き な い。. 高橋氏は 「 『最大限利潤法則』 は全般的危機の第二段階にのみ適用される」 との観点から、 宇佐 3 ) これら 美誠次郎氏と堀江正規氏の見解を誤りであるとし、 豊田四郎氏を正しいとされているが、 は逆になる。 宇佐美氏と堀江氏 への批判にさいして、 高橋氏は 「このような誤りから出発すれば、 戦前と戦後の日本資本主義の質的変化、 とく に平和・独立斗争の指導力としての労働者階級の地位 ) と い わ れ て い る が、 こ の 「質 的 変 化」 と の 質 的変 化 が あいま い に さ れ て し ま う のも 無 理 は な い 」4 。. いうのは何をさしているのであろうか。 戦前と戦後の日本資本主義の質的な変化の最も重要なもの は、 日本全体とくに日本独占資本が国際独占資本に強く 従属させられているという点であろう だ 。 がこのことは、 最大限利潤の法則がいつから作用 しているかという問題とは関係がない。 同様に、 戦後日本の労働者階級の地位の変化も、 この法則の作用の時代的範囲の問題とは関係がない。 それ らと関係があるのは、 第二点の最大限利潤の法則の場所的作用範囲の問題である。 高橋氏のような 「全般的危機の第二段階にのみ適用される」 という誤った見解を生む根拠は た 、 しかに最大限利潤の法則そのものの性格の中にあるように思われる。 (この法則の性格にかんして はの ち に 再 び ふれ る。)こ の 法 則 が ス タ ー リ ンに よ っ て 定 式 化 さ れ るむまあ い、 高 橋 氏 の 指 摘 す る よ う に、 スタ ー リ ン論 文 の 第 五 章 と 第 六 章 が 前 提 と さ れ て い る の で あ る が、 し か しそ れ は、 こ の 法 則 の. 適用範囲が全般的危機の第二段階にのみ限られることの論拠にはならない。 それは第一に、 この法 則が、 全般的危機の第二段階に入り、 資本主義の死滅 性の現実的転化につれて、 ますます全面的に その作用を強めてきたことと、 第二に、 そのような現代資本主義の基本的経済法則としてのこの法 則が、 社会主義の基本的経済法則との対比とにおいて発見され、 定式化されたことを示す も の で あ る。 第五章と第六章はスタ←リンのこれまでの幾多の分析の総括であって、 その内容はこの法則の 発見と定式化のための前提ではあるが、 この法則の作用開始の前提ではない。 だが全般的 危機の第二段階における種々の根本的・質的変化、 即ち第一に、 単一のすべてを包括 する世界市場が崩壊したこと、 第二に、 市場の相対的安定が失われたこと、 第三に、 資本主義の腐 朽化が全面的となって、 全体として 急速に発展することができなくなったこと、 は重視されなけれ ばならない。 このような 「せばめられた土台」 の上で周期的にくり返される恐慌から逃 れるための 経済軍事化と戦争によって、 この法則が露骨にその作用をあらわしてきたことを重視するとき 「最 大限利潤の法貝 1 iが帝国主義=独占資本主義一般の法則として理解」 されつ も 「何よりもまず、 全 、 されている藤塚知義氏の見解は正しいであ 5 般的危機の第二段階に焦点をおいた法則として理解」 ろ う。. しかし藤塚氏は、 その論文の最後の註において 「最大限利潤の法則は、 もし純形式的に解するな ら (部 分 的 ではある に しても) 資 本 主 義一 般 に す ら あ て は ま る の で あ っ て … …」6 ) といって お ら 、. れる。 このような見解によれば、 この法則は遠く資本主義の成立のは じめから作用 してきたこ 割こ 49『 ー1.

(4) . 八. 町. 憲. なる が、 これ は高 橋 氏 と は 逆 の 誤 り で あ る。 こ の よ う な 見 解 は、 ウ ェラ ソ ドや ス ウィ フ トや ミ ー ク 7 ) な ぜ な ら ば、 こ の よ う な 見 解 に は 「資 本 家 の 主 観 的 な な どに よ っ て、 きび しく 否 定 さ れ て い る。. 8 ) からで 」 欲求と資本主義体制の運動を支配している客観的な経済法則との混乱がしめされている0 ある。 最大限利潤というものを経済学的節時として把握し、 資本家の主観的意図ときりはなして理 解すれば、 この法則を独占以前から作用しているような資本主義一般の経済法則としては理解しえ な い こと が 明 らか に な る。. 註 1) 高橋清 「『最大限利潤法則』の適用をめぐって」 経済評論、1954年8月号. p . .108. 2 ) キ ャサリン・ウェラソド 「最大限利潤の法則について」 内田穣吉編 「最大限利潤の法則」 大月書店 版 所 収、 p .30~31 .. 高橋前掲論文 p. 108.. 3). 4) 高橋前掲論文 p.108. 0月号、 54年1 5) 藤塚知義 「いわゆる 『資本主義の基本的矛盾』 と 『最大限利潤の法則』」経済評論、 19 p .31 .. 6) 藤塚前掲論文 p.31. 7) ウエランド前掲論文 p .8 . J・ ス ウィ フ ト 「ス タ ー リ ンの 方 法 に つい て」 ポリテイ カル・アフェア ズ誌編 「スタ←リ ン論文学. 習指針」 邦訳大月書店版所収、p .74 . 59 54年1月 号、 p R・ミドク 「スターリ ン論文の若干の論点」 経済評論、 19 . .1 8) ウェラソド前掲論文 p.31 .. 第二点、 最大限利潤法則の場所的作用範囲の問題は二つに分れる。 一つはこの法則の作用 が世界 のどれ だけの部分に作用しているのかという問題であり、 他の一つは日本のような従属国において は国際独占資本による最大限利潤の収奪をうけるのみであるか、 あるいはそれと同時に、 土着の独 占資本による最大 限利潤の搾取をうけて、 二重にこの法則が作用するものであるかという問題であ る。. 第一の問題については、 この法則の定式そのも のからみても明らかである。 すなわち 「国内」 で あろうと、 「他の国々とく に後進国」 であろうと、 資本主義的世界市場に編入されているところは どこでも、 この法則が 「たとえ不均等にではあり、 異った結果をもたらしているとはいえ、 資本主 1 ) だから、 この法則の作用範囲外にあるところは、 義世界全体にわたって作用しているのである。」 地球上において、 社会主義および人民民主主義の諸国だけである。 これらの国々は、 第二次大戦後 資本主義的世界市場から離脱して、 広い地域にわたって社会主義的世界市場を形成しており、 最大 限利潤の法則の作用から完全にまぬがれている。 第二の問題について高橋清氏は豊田四郎氏の 「日本国民の上には 『二重の最大限利潤法則』 が作 『二重の最大限利潤法則』という規定をもちいることは『法 用しはじめた」 という見解を批判して、 「 則』 を正しく適用 したものとはいえない。 すなわち、 そのような規定は 『日本帝国主義の復活』 が 現実にはじまっていることを示すものであり、 米・日独占資本のあいだの対立を不当に大きく評価 2 ) といわれている。 だがこれは豊田氏の方が正しく高橋氏の方が誤っ することになるからである。 」 て い る。. 「英、 仏、 独、 日の独占資本家たちもまた最大限利潤追求の衝動によって動かされており、 それ が、 かれ らを ア メ リ カ独 占 資 本 と、 か れ らを 従 属 化 せ しめ よ う と す る アメ リ カ 独 占 資 本 の 努 力 に た 3 ) こ の こ と は ま た、 カ ー ンに よ っ て も 自 明 の こ と い して、 い っ そう 尖 鋭 な 対 立 へ み ち び い て い る。」. のように確認されており、 彼の一論文は ドイツ独占資本の最大限利潤追求のありさまを具体的に実 証している。 カーンはいう、 「資本の有機的構成の高度化と、 それに規定される利潤率低下の傾向 -150一.

(5) . 最大限利潤の法則にかんする若干の問題点 にもとづいて、 現代資本主義全般とおなじく西 ドイツの独占体も最大 限利潤によってのみ拡大再生 産が可能となるにすぎない。 ……最大限利潤という自分の目的を達成するために ドイツの独占体 、 も、 イ・ヴェ・スターリンが発見 した現代資本主義の経済的基本法則のなかで定式化したような手 4 ) こ の西 ドイ ツ の 独 占 体 に つ い て い わ れ た こ と は 段 で、 とく に つ ぎの よ う な も の を 利用 して い る。」 その ま 日本の独占体についもあてはまると思う したがって日本の独占資本は国際独占資本に従 。 属するだけではなくて、 自らも最大限利潤の搾取をおこなっており、 日本国民の上には 「二重の最 大限利潤法貝脱 が作用している。. 高橋氏の見解 からすれば、 日本独占資本とアメリカ独占資本の関係を全く の協力関係とみる逆の 誤りに導かれはしないだろうか。 もちろん、 現在のわが国における主要な矛盾は 「アメ リカ帝国主 義および日本の買弁的独占資本」 と 「全国民」 とのあいだの矛盾であり 米・日独占資本のあいだ 、 の対 立 を 不 当 に 大 きく 評 価 して は な らな い が、 しか し ス タ ー リ ンの 指 摘 す る よ う に 「アメ リ カ に 、 お さ え られ た ドイ ツ(西)、 イ ギ リス、 フ ラ ンス、 イ タ リ ア 日 本」 は 「い つ ま でも アメ リ カ合 衆 国 、. の支配と圧制をがまんし、 その束樽をふりきって自立的発展の道を進もうとしないだろう と考え 、 ることはあやまりであろう。 」 「昨 日まではま だ大帝国主義強国」 であった ドイツ(西)と日本が 「ふ たたび自分の足で立ちあがり、 アメリカの 『制度』 を粉砕して自立的な発展の道 を切り開こうとは しないだろう、 と考えるのは奇蹟を信ずるようなものである。 5 )現に、 ドイツ(西)や日本はますま 」 す帝国主義的復活 のテンポを速めてきている。 たとえそれが一面では極めて対米依存的・従属的な 形であっても、 他面では資本主義国と して常に互に対立しあっていることを見逃してはならない 。 現代資本主義における種々の矛盾の中、 最も主要な矛盾を強調するのあまり その他の矛盾を無 、 視することは許されない。 アメリカにおける主要な矛盾は独占資本と労ィ動者階級との矛盾であって この矛盾が日本における主要な矛盾-- 「アメ リ力帝国主義および日本の買弁的独占資本」 と 「日 本 国民」 と の あ い だ の 矛 盾 -- を 規 制 して い る と い う こ と は アメ リ カの 国 内 的 矛 盾 の外 国 へ の 輸 、. 出であり、 自国の矛盾を植民地・従属国の搾取によって解決 しようとするものである だがそれは 。 日本国民の窮乏化と国内市場の狭睦化を通じて、 日本国民のみならず 日本独占資本の利害とも衝 、 突す る も の で あっ て、 こ にアメ リカ帝国主義と日本独占資本との対立を認めなければならない 。. こ の 点に かん して は、 内 田 穣 吉氏 等 が 最 近 の 論 文 に お いて「丁ス タ ー リ ン論 文」の ヨ ー ゴ の た め に」. 注意を喚起しておられる。 「スターリン論文のなかで、 日本の理論家にたい してとく に重要な具体 的テ←マと してあたえられたものは、 敗戦諸国の自主的発展の道に関する問題であろう 。 だがわが 国 で はま ず、 これ は 『ス タ ト リ ン は 単な る 可能 性 を 指 摘 した も の に す ぎ な い』 と 受 取 ら れ、 現 在 に 至っ ても な お、 スタ ー リ ンの こ の 教 え を ゆ が め て い る 人 が あ る 」 6 ) こ の 注 意 は 正 しく 。 、 かつ 時 宜 に 適 した も の であ る。. しかし、 日本帝国主義の復活は、 ただ単に、 日本独占資本が力を得てアメリカ独占資 本との対 立 をふかめて行く ことにあるのではなく て、 日本国内における労働者階級が独占資本との 斗争におい て敗退することがあれば、 それによって日本独占資本が国際独占資本との対抗力を獲得することが 促進されるということにある。 だから日本帝国主義の復活を阻止するためには 日本の労 働者階級 、 がアメ リカ帝国主義と斗うとともに、 日本独占資 本とも斗い 決定的な主導権をかち とるまでに成 、 長す る こ と が、 さ しあ た っ て 必 要 で ある 。. ところで高橋氏は、 日本帝国主義の復活については 「日本の独占資本は 最大限利 潤を確保す 、 、 るためにかくことのできない植民地や従属国にたいする搾坂から現実に遠ざけられているという こ 7 ) から否定的であり 日本の独占資本による最大限利潤の と」 、 搾版は行われてはおらず、 したがっ て日本には 「二重の最大限利潤法則」 は作用していないとするのであるが この点は正 しいであろ 、 -1 51-.

(6) . 八. 町. 憲. う か。. 植民地や従属国を支配していなければ最大限利潤の法則を適用することができないとするのは、 2 }他国とくに後 1 }国内の住民の搾取、{ この法則のスターリンの定式にある三つの部分、 すなわち、{ 1経済の軍事化、 のすべてを最大限利潤の法則の欠くべからざる条件とする考え 3 進国よりの強奪、{ . 方からでてきたのであろうが、 これは正しくないように 思う。 定式の三つの部分は最大限利潤の源 1 2 }またはず 3 泉と獲得方法とを示すものであって、 そのうちの{ 、 あるいはそれら両方ともが欠けても 1 }のみによって最大限利潤の搾取を行うことができるのである。 日本や西 ドイ その国の独占資本は( ツの独占資本は植民地を失っても、 また敗戦直後の経済軍事化がまだ今日ほど進展していなかった 時にも、 最大限利潤を収奪してきた、 と解するのが正しいであろう。 (この点にかんしてものちに ま た ふれ る。)最 近、 ドイ ツ は 公 然 た る 植 民 地 ・ 従 属 国 を も た な い に も か ふ わ らず、 ヨ ーロ ッ パ の 資. 本主義諸国やモロッコ、 アルゼリア、 中近東、 極東、 南アメ リカへの 「多数の分工場」 や 「支店」 の開設、 「企業参加」 「特殊条件 (商品ク レジット) による外国貿易」 という形での資本輸出を通じ 8 ) 日本も同様であり、「部分的に て、 自国内のみならず他国からも最大限利潤の搾取を行っている。 9 ) 」 は、 賠償問題と関連をもちながら、 独占資本による資本輸出もしだいに積極的となっている。 独占資本による最大限利潤の収奪はますます明らかで ,こ において、 従属国日本および西 ドイツの あ る。 註1 ) 2) 3) 4 ). ウェラソド前掲論文 p.32. 高橋前掲論文 p.111 . ウェラソ ド前掲論文 p.32. . ジー グベルト・力←ソ 「西 ドイツにおける現代資本主義の基本的経済法則」 内田編前掲書所収、 p 80 .. 5) 6) 7) 8) 9 ). スターリ ン論文、 青木文庫版 p.48~49 . 55年12月号 p.77 . 内田穣吉 他二名 「国民経済の軍事化と恐慌」 経済評論19 1 高橋前掲論文 p. 11. カー ン前掲諭文 p.87. 56年1月号 p.24. 木下‘ 悦二 「最近における日本独占資本の対外市場政策」 経済評論19. 四 この場所的作用範囲の問題は、 昨日まで帝国主義 国であった日本や ドイツとは別の、 かつて植民 地であり、 現在もなお植民地的支配から脱することのできないイ ン ドにおいて、 イ ンドの理論家た ちにより 「最大限利潤率の法則がイン ド独占グループに適用 されるか、 どうか」 という形で提起さ れている。 イン 働こおけるこの論争を 検討することは、 それと日本の場合 とを比較してなおいっそ う日本の独占資本の性格を明らかにするために意義 あると思う。 イン ドに対するイ ギリス・アメリ カの帝国主義的独占体の最大限利潤の収奪を重視するのあまり イ ン ド独 占体 に 最 大 限 利 潤 の 法 則 は 適 用 さ れ な い と 主 張 して い る の は、. B・ M ・S・ ナ ム ブ デ イ リ. パトト (この論争の問題提起者) とヴアスデ ヴアソである。 これに対してイ ンド独占体にも最大限 利 潤 の 法 則は 適 用 さ れ る と す る の が、 ポ ー ス とイ ー エ ン ガー ル で あ る。 ポー ス に よ れ ば、 ナ ム ブ デイ リ パ ー トは「(あ ま り は っ き り と 断 定 的 に で は な い が) イ ン ド独 占 体 1 は 実 際上 ま っ たく 独 占体 で は な い と ほ の め か して い る。」) こ れ に 対 し て ボ ー ス は 「私 の み る と ころ でも、 イ ン ド独 占 体 が、 世 界 的 な 規 模 でも、 ま た、 イ ン ド国 内 で も 活 動 して い る ア メ リカ、 イ ギリ で ス、 フ ラ ンス、 西 ドイ ツ な どの 巨 大 な 帝 国 主 義 的 独 占 体 と 同 一 に み な さ れ え な い こ と は あ き ら か. ある。 だがそれはイ ン ド独占体が言葉のいかなる意 味においても、 まったく独占体ではなく、 また 2 ) といっている。 そして彼 」 かれらの独占的性格がなんらの重要性ももたないという意味ではない。 52ム -1.

(7) . 最大限利潤の法則にかんする若干の問題点. は 「独占体とはなにか」 と自問して、 それを規定する。 彼によれば 「単独で あるいは他の大資本 、 家た ち と協 力 して、 か る支配力 (国内市場または世界市場の単一支配をめざすカー引用者 挿入) をふるうことができ、 また価格の決定や生産の割当によって いくつかの産業部門や 金融 貿易 、 、 、. な ど を支配 す るこ と の で き る 資 本 家 たち は 通 常 独 占 体 の 名 で よ ばれ て い る 3 、 、 。」) そ こ で 「イ ン ド. 独占グループも程度の差はあるが、 か る独占的性格をおびており イ ンドの中小企業とは その 、 、 独占的性格によっ てたしかに区別されるのである。 しかしながらまた かれらが弱体であり 倭小 、 、 である--外国の巨人のまえではまさに一寸法 師である---というかぎりにおいて 外国の帝国主 、 義 的 独 占体 とも 区別 さ れ る の で あ る 」 ) した が っ て 彼 は ナ ム ブ デ イ リ パ 。4 ー ト の 見 解 を 否 定 して、 イ .. ンド独占体に最大限利潤の法則が適用されると している この見解はイン ド独占体と 。 、 一方におい てイ ンド中小企業との区別、 他方において外 国独占体との区別をした上で 最大限利 潤の法則のイ 、 ン ドにお け る作用 を 正 しく と ら え て いる も の で あ る 。。 と ころ が、 ヴァ ス デ ヴ ア ンは、 ポ ース の 論 文 が 発 表 さ れ た 後 さ ら に レー ニ ンの 「帝 国 主 義 論」 の. 資本の輸出と国際カ ルテルについての一節を引用 しつ. 、 「インドの資本家たらが他の 諸 国 へ 資 本を輸出するような立場にはないという事実そのものが イ ンド資本主義を独占資本主 義と特徴づ 、 ,. 5 け るこ と の誤 りを しめ し て い る 」 。 ) と い 、 ま た 国 際 カ ル テ ル に か ん して は 「タ タ 財 閥 は二 ・ 三 千 万ル ピー の 石 鹸売 上 高 を も つ、 イ ン ド国 内 で し か 活 動 し て い な い 資 本 家 にす ぎ な い 6 。」) と い っ て、. 「第二次大戦後におけるイ ンドの資本家たちの利潤を 他の諸国の人民を債務奴隷化し 系統的に 、 、 強奪することによって、 また戦争と国民経済の軍事化とによって 独占資本家たちが得ている最大 、 限の資本主義的利潤と同一に考えることは 最大限利潤率の法則の重大な歪曲である 7 」) と断定し 、 。 ている。 だから彼によれば 「イ ン ドの資本家たちの利潤を平均利潤 あるいはせいぜいのところ超 、 8 過利潤と名づけ ざるをえない 」 ) のである さらに彼は 「 イ ンドがあら ゆる必要な生産手段を生産 。 。 9 しうるような 重工業をもっていない」 )という 「基本的な事実」(彼は基本的事 実であるとするが 、 私はこれを基本的とみなすことができないと思う )をあげて 「独占資本主義は その欠くべからざ 。 、 る条件と して、 化学工業ならびに石油工業をふく めた 高度に発達した基礎・重工業を必要と す 」 、 る が 「イ ン ド資 本 主 義 は こ の よ う な 節 噂 に 入 ら な い 」l o )と の べて い る 。 。 ナム プ デイ リパ ー トと ヴ ア ス デ ヴ ア ソの見 解 は 「最 大 限 利 潤 法 則 がイ ン ド独 占 資 本 に 適 用 され る か どう か」 とい う 問題 の 前 提 す な わち イ ン ドに 独 占体 が あ る か な い か あ る い は、 イ ン ドは 独 、 、 、. 占資 本主義であるかないかを問題にしている これは日本における論争と非 常に異る。 日本では独 。 占資本の存在を疑うものはなく、 また日本資本主義が独占資本主義段階 にあることも全く 明らかで ある。 にも か わらず その上尚 国内の独占資本に最大 、 限利潤の法則が適用できるかどうかが問 、 題 と され たの であ る。 こ の よ う な ち が いに す な わ ち イ ン ドの 理 論 家 た ち が、 イ ン ドに 独 占体 が 、 、. あること、 ならびにイン ド資本主義が独占資本主義であることの論証に多くの力 を注いだことに、 イ ンド資本主義の後進性が反映 していると思う 。. さて、 ヴァ ス デ ヴ ア ンの 議 論 に は 問 題 が 二 つ ある 第 一 は 上 、 述 のイ ン ド独 占 資 本 主 義 と い う 。 、. ものがあるかないかという問題、 第二は イ ンド資本家の獲得している利 、 潤をたんに平均利潤、 あ る い は超 過 利 潤 と 名 づ け る こ と が正 しいか どう か と い う 問 題. で あ る。 ま ず第 一 の 問題。 ヴァ ス デ ヴ ァ ンが 諭 拠 と して い る 「資 本 の 輸 出」 は レー ニ ンに よ っ て 指 摘 さ れ. た帝国主 義の 「五つの特徴」 の中の一つであるが しかし 前節 において考察したところの、 最大 、 、. 限利 潤 法 則 の スタ ー リ ンの 定 式 の{ 2 )お よ びr 3 }の 部 分 が こ の 法 則 の不 可 欠 の 条 件 で は な い こ と と 同 じ ,. ように、 これを独占資本主義の必要不可欠の特 徴とすることはできない 一般 的にいえば、 先進資 。 本主義国が独占段階に入ったと きに、 これら 「五つの特徴」 をそなえてくるのであるが 、 しかし、 -15}→.

(8) . 八. 町. 憲. ない。 国際カルテル、 これらの中の一つを欠けば、独占資 本主義たること ができないというものでは 日本やドイツなどは 重工業の存在についても同様のことがい えるであろう。 前にものべたように、 民地を失い 敗戦後は植 、 資本の 第二次大戦前から帝国主義=独占資 本主義の段 階に入っているが、 ドイツが独占資本主義 輸出も以前ほ ど活溌でない。 しか し、 それ だからといって敗戦後の日本と西 と西 ドイ ツ は 生 産 と 国 でな い と い う こ と は で き な い。 も ち ろ ん、 イ ン ドと は 比 較 に な ら ぬ 程、 日 本. 独占資本主 資本の集中が進み、 銀行と産業資本との融合も強く、 重工業も発達している。 しかし、 る この特徴 義段階のもっとも基本的な特徴は、 独占の支配が自由競争にとってかわったことであ 。 と思う 。 がイ ンドにあれば、 イン ド資本主義は独占資本主義の段 階にあると考えてよい 1 1 ) は ある が、 そ の 後 進 的 「イ ン ド資 本 主 義 が 後 進 的 で あ り、 従 属 的 で あ る こ と は、 一 目瞭 然 で」. 独占資本主義の段階に ・従属的な資本主義の中に独占体が発 生し、 後進性・従属性をもつたま 、 それ 入ったとみることができないであろうか。 後進性・従属性をもつ たま の独占体であるから、 めら は、 先進的な帝国主義国の独占体と比較する と、 「正常な成長がいち じるしく制約され、 ゆが 1 2 )だがそれにも拘ゎらず、 それは独占体である。 イーエンガ 」 れて」 いて 「まさに一寸法師である。 ており、 経済の副次的な ←ルは 「イ ン ドにおいても、 独占体の力 が価格に決定的な影響をおよぼ し 獲得がわが国 最大限利潤の ない以上 、 分野ではないこ とを否定できようか? このことを否定しえ なか の独占体にとってもまた推進力となっている--そしてそれはたしかに現代資本主義の節時の 3 )と い っ て い る。 イ ← エ ン ガー ル の論 拠 は ボ ー ス と 同 様 で に ふく ま れ る こ と は当 然 の 帰 結 で あ る。」1. 正 から彼等二人は、 イ ン ド独占 ブルジョア ジーに最大限利潤 の法則を適用しうるという 最 かれらの 方法によって 、 しい結 論 を 引 き だ して い る。 「ずソド独占体は、 かれら自身の限られた な産業の 大限利潤を獲得しているのである。 もしかれらがもっと強力であったな らば、 また自主的 ちがい 用 してきたに 基盤をもっていたならば、 かれらはスターリンののべた他の二つの方法をも採 あ る。 こ. 4 ) な い。」1. 国の人民から つぎに第二の問題。 ヴアスデヴアンは、 イン ドの独占資本家の利潤の源泉が他の諸 独占資本家の利潤 しぼりとられたものでないという第一の問題に ついてと同じ論拠 から、 イ ンドの を最大限利潤ではなくて、 平 均利潤 あるいは超過利潤という範噂に入れているが、 これらの論拠が ば 論拠にならぬことは、 すでに第一の問題のところでのべた。 さらにつけ加えるなら 、 彼はこれら くであ の節噂と最大限利潤という節噂 との質的な差異を理解 しないで、 量的にのみ見ているかの如 とがちがう 率の水準 る。 すなわち、 外国の帝 国主義的独占体の利潤率の水準とイン ド独占体の利潤 だ という ことから、 イ ンド独占体の利潤を平均利潤あるいは超過利潤 となずけているようである。 独占 独占体とわが国土着の が単なる水準のちがいから、 そうな づけることはできない。 「ィギリス とっ 体との利潤率のちがいを対比して、 そこから後者、 すなわちインド土着の独占体が、 かれらに 5 1 ) 」 とイーエソガト て可能な最大限の利潤を手に入れていないと結論 づけることは無意 味であろう。 資 本とのち ル は いっ て い る。 の み な ら ず、 ヴ ア ス デ ヴァ ソの 規 定 は 逆 に ィ ン ド独 占体 とイ ン ド中 小. がいを不明確にする。 もし量的なちがいを問題にするのであれを 、 ヴアスデ ヴアンは、 他の反面の事実、 すなわち、 イ とに注意す ン ド独占体の利潤率とイ ン ド中小資本の 利潤率とが等しい水準であるか どうかというこ べ き で あ っ た。 そ れ に よ っ て、 イ ン ド中 小 資 本 とイ ン ド独 占 資 本 と の 質 的 な ち が い を 発 見す る こ と. ができ、 したがって彼はイ ンド独占体の利潤を平均利潤あるいは超過利潤となづける誤りに陥らな かったにち がいない。 なお、 イ ン ドの理論家たちは、 イ ン ド独占資本が、 一面では他の植民地・従属国の独占資本と同 じように 「その独占的性格の故に、 しば しばみずからの問題を労働者、 農民ばかりでなく、 一切の -154-.

(9) . 最大限利潤の法則にかんする若干の問題点 消費者大衆ならびにイン ド中小商工業者らの犠性において、 帝国主義や封建主義と手をにぎること 1 6 ) に も か わらず 他面では 「国内・国外市場と原料資源 のいっそう によ っ て解 決 しよ う とす る」 、 大きな分前をめぐって、 また外国独占体による新しい諸産業の独占や、 インド独占体の手になお残 されている確立された諸産業の浸透をめぐって、 かれらは、 帝国主義との 斗争を公然と表明 してい 1 7 )という事実をとりあげ、 将来、 労働者階級の指導のもとに イ ンド人民が自分自身の運命を る。 」 、 きりひらくことができるようになった場合において、 イ ンド土着の独占体が建設的な新 しい役割を 担う よ う に な る 可能 性 が あ る と 評 価 して い る。 ポ ← ス は つ ぎのよ う に い っ て いる 。 「も し、 労 働 者. 階級が一切の反帝国主義的・民主主義的諸階級を人民民主主義の樹立をめざす強固な戦線に統一 で きるならば、 イ ン ド独占グループの大部分は、 今日かれらのもっている独 占的性格の残津も少から ずとどめていようとも、 帝国主義と封建主義の足かせから完全に解放された経済において その一 、 部分 を 担う こ とに 同 意 す る こ と は、 き わ め て 可能 性 の あ る こ と で ある 」1 8 。 ). これが正 しいとすれば、 このことを日本の独占資本の性格と比較するとき きわめて大きなちが 、 いを認めることができる。 日本の独占資本もイ ンド独占資本と同様に従属国の独占資本と しての国 際独占資本への従属とそれとの対立という二 面性をもってはいるが 後者の面が弱く 国際独占資 、 、 本とむすび、 それに従属することによって受ける数々の損失をも 中小資本 農民 労働者大衆に 、 、 、 転稼しつ 、 最大限利潤を収奪するという買弁的・反動的性格を強めている。 だからイ ン ド独占資 本についてボースがいっているような、 人民民主主義の段階で独占資本が建設の→端を担うことは 日本ではできない。 日本の独占資本は最後まで民族解放・民主革命勢力に敵対的な役割を果す であ ろ う。 註 1~4) A・ポ ース 「最大限利潤率の法則はイ ンドに適用されるか」 内田編前掲書所収 p.51~65. 5~11 ) B・ ヴアスデヴァソ 「最大限利潤率の法則はイ ンドに適用されるか」 内田編前掲書 p.66~70. 12) ポ ース前掲論文 p.57. 13~1 5) M・イ ーエソガール 「最大限利潤率の法則はイ ン ドに適用されるか」 内田編前掲書 p.70~76 . 16~18) ボース前掲論文 p .62~65 .. 五 つぎに第三点に移ろう。 この問題について大木啓次氏は次のよ 列この べられる。 「平均利潤の法 1 則は、 自由競争時代の資本主義 -- 前独占資本主義の基本的経済法則である。 ) これは誤りであ 」. る。. 一般 に基本的法則というのは、 ある一つの過程あるいはある一つの段階のそれであるから、 一過 2 ) だが一過程中に二つ以上の段階があ 程あるいは一段階に基本的法則が二つ以上もある筈はない。 るときは、 一過程の基本的法則とその中の各段階の基本的諸法則とがあり、 それらの関係は抽象と 具体、 一般と特殊の関係にあると考えられる。 つまり後者は前者の発展であり、 具体化である。 た とえば、 資本主義という過程の基本的経済法則は剰余価値の法則であり、 現代資本主義=資本主義 の独占段階の基本的経済法則は最大限利潤の法則であって、 後者は前者の具体化であり、 発展であ る。. ・. 大木氏が上に引用したようにいわれるとき、 「平均利潤の法則」 を資本主義一般の基本的経済法 則であると主張されているのではないであろう。 なぜなら、 それは剰余価値の法則がすでに一つあ るからである。 そこで 「平均利潤の法則」 がもし独占以前の資本主義の段階でのみ効力をもち、 独 占段階 でその作用をやめてしまうような法則であるならば、 前独占段階の基本的経済法則であると い って も よ い わ け で あ る が、 果 して こ の 法 則 は そ の よ う な も の で あ ろ う か。 ま た そ の よ う な 法 則 は. 果して存在するのであろうか。 5- -15.

(10) . 八. 町. 憲. 大 く氏の所説によれ ば 「最大限利潤の法則と平均 利潤の法則は、 異つた段階のものであるにして も、 剰余価値法則の具体的発展であり、 ……基本的経済法則としては共に同じ性格をもつものであ る。 そして資本制が独占段階に入るとともに、 平均利潤の法則は最大限利潤の法則にとってかわら ) こ れ も 誤 り で あ る。 れ る の で あ る。」3. 平均利潤率の法則と最大限利潤の法則との関連については、 斎藤博氏と吉信粛氏の共同労作の見 解は決定的に正しい。 これはそのま 大木氏に対する批判となる。 両氏は 「経済学教科書」 の一節 「資本主義の独占段階にも、 資本主義一般の経済法則は完全に効力をたもっているが、 それらの経 済法則の作用は、 現代資本主義の基本的経済法則◆--最大限の資本主義的利潤を確保するという法 ) を引用 4 則によって規定される。 そのため、 これらの法則は、 ますます破壊力をまして作用する。 」 した 上 で、 次 のよ う に い っ て い る。. 「問題は、 平均利潤の法則と最大限利潤の法 則の関連において 生じてくる。 そのばあい、 特徴的 な二つの意見が提出される。 その一つは、 独占資本主義の段階においては、 平均利潤法則と最大限 利潤法 則とが並行的に存在しているという意見である。 この意見は、 独占段階においても平均 利潤 法則は廃棄されることなく作用 している、 ということを認める点において正しい一 面をもっている が、 平均利潤法則という資本主義の一般的法則の作用が独占段階においては、 現代資本主義の基本 的経済法則の作用によ って規定され、 より一層鋭い矛盾を発生させるという点を見逃す点で誤って いるといわな ければならない。 他の一つは、 独占資本主 義の段階においては、 平均利潤 法則はその 最大限利潤法則のみが全面的に支配する、 あるいは、 最大限利潤法則が平均利潤法 作用を廃棄し、 . - 則にとってかわる という意見である。 この意見は、 もう一歩進んで、 平均利潤法則を前独占段階に おける基本的経済法 則と規定し、 最大限利潤法則を商品の価値によって与えられる限界内では説明 5 ) だが 「平均利潤の法則を独占以前の資本主義の基本的経済法則とするこ しきれないものとする。 」 とはできない。 それは、 資本主義の一般的な法則ではあっても、 基本的法則ではありえない。 それ だけではなく、 もともと、 独占以前の資本主義の基本的経済法則という問題提起そのものが誤って J 「この誤った理解は、 自由競争と独占とを何とかして二者選一的なものにおこう い る の で あ る。」6 7 ) と 努力 して いる の で あ る。」 以上 の よ う に 「併 行 的 存 在」 説 と 「と っ て か わ る」 説 と は、 両 方 と も 正 しく な い こ と が 示 さ れ て. いる。平均利潤率の法則は資本主義の全過程にたいして効力をもつ。それは最大限利潤の法則によっ て代位されるような法則ではない。 だから平均利潤率の法則と最大限利潤の法則とは、 資本主義と いう一過程中の相継起する二つの段階のそれぞれの基本的経済法則として互に同格であるのではな い。 最大 限利潤の法則は独占段階の基本的経済 法則であるが、 平均利潤率の法則は前独占段階の基 本的経済法則でもなく、 資本主義一般の基本的経済法則でもない。 それは資本主義の基本的経済法 則である剰余価値の法則によって規定されるところの、 かつ資本主義の全過程において作用すると ころの非基本的経済法則である。 資本主義の基本的経済法則というのは 「資本主義的生産の本質、 8 ) 資本主義生産の本質は生産が資本家と労働者という一定 その本体を規定するような法則である。 」 の生産関係を通して行われるということであるから、そのような法則は剰余価値の法則だけであり、 スターリンの指摘したように価値法則はそうではなく、 平均利潤率の法則もまたそうでない。 大木氏は、 オストロヴイ チヤーノフの 「経済の諸法則は生産諸関係の機構すなわち経済的諸条件 の内部に変化がおこることによってのみ効力を失ったり、 あれこれの変化を受けたりする。 たとえ ば資本主 義が帝国主義段階に入ったことによって、 資本主義の生産諸関係の内部 に変化がおこり、 その結果独占以前の時代に平均利潤率のかたちをとった資本主義の基本的経済法則すなわち剰余価 9 ) という言葉を引用 して、 彼が 「独占以前の資本 値の法則は変形 し、 最大限利潤の法則となった。 」 -156-.

(11) . 最大限利潤の法則にかんする若干の問題点. 主義の時代において平均利潤の法則がしめる位置は 独占資本主義の段階において最大限利潤の法 、 則 が しめ る 位 置 に 同 じで あ る と いう 意 見 … … を 正 当 に 主 張 しか つ 支 持 して い る l ) か のよ う に 理 解 」o され て いる が、 オ ス トロ ヴイ チ ヤ ← ノ フ の こ と ば を よ く 読 ん でみ る と そ う で は な い。 彼 は 剰 余 価 、. 値の法則が基本的経済法則だといってはいるが 平均利潤率の法則をいずれの段階の基本的経済法 、 則だともいっていない。 彼の言葉は不正確ではあるが 大木氏のあやまりを支持するような誤 りを 、 してむまいな い。. 大体、 「とってかわる」 説をとる人々は、 「資本主義的自由競争が 資本主義的独占に取ってか 、. 1 ) と い う レー ニ ン の こと ば を機 械 的 に 理 解 し 自 由 競 争 わ られ た」1 と独 占とを 二者 択一的に お きか 、. えるから、 平均利潤率の法則が独占段階でその作用をやめるかのごとく解 してしまうのであるが 、. そ れ では レーニ ンが す ぐ引 き つ づ い て の べ てし・る 次 の言 葉 「しか も 同 時 に ま た 独 占 は 自 由 競 争 、 、. のなかから発生してきたが、 自由競争を駆逐しないで、 自由競争の上に そして自由競争と相並ん 、 2 ) と いう の は 何 を 意 味す る の か わ か らな く な っ て しま う で あ ろ う で実 存 し……」1 、 。. で自由競争と いわれているものには、 二つの内容があるように思われる 「自由競争が独占 。 にとってかわられた」 というさいの 「自由競争」 は、 独占が成立する以前の自由競争 つまり 「完 、 全競争ということであり、 「独占と相並 んで実存」 するところの 「自由競争」 とは 弱肉強食とい 、 う資本主義生産のルール、 つまりレーニ ンによれば 「形式的に容認された自由競争という一般 的外 1 3 ) としての自由競争である 後者の意味 での自由競争 (たんに競争といった方がよい 枠」 と思う) 。 は、 独占資本主義段階に入ってもなくならない。 だから完全競争ではなくとも 競争がある限り 、 、 利潤率が均等化する傾向があるという意味での平均利潤率の法則の作用はなくならない 。 大木氏のような 「とってかわる」 説は誤っており かえって大木氏によって批判されてい る岡稔 、 こ. 氏 の 「総 じて、 ス タ ー リ ンの 最 大 限利 潤 の 法 則 に よ っ て マ ルク ス の 平 均 利 潤 の 法 則 が お きか えら 、. れると考えるのは、 正しくないよ 封こ思われる。 両者はその性格を異にしており 一方によって他 、 方がおきかえられるという関係にはないからである 利潤率均等化の法則は たとえを 価値法則な 。 、 どとおなじく、 きわめて基礎的な法則であって 資本主義が存在するかぎり 単純 に廃止されうる 、 、 ものではなく、 新しい状況のもとにおいてもたえず形態をかえて作用する だが それはまた競争 。 、 が比較的完全に行われた自由競争の時代にも、 資本主義の 『基本的経済法則』 ではなかった」 1 4 )と , いう見解の方が正L .い。 た しかに両者はその性格を異にしており、 平均利潤率の法則は-段階の基 本的経済法則たりえないものであるとともに、 資本主義一般の基本的経済法則でもありえない (こ 。 に岡氏が 「利潤率均等化の法則」 といっておられる 点はのちにふれるが われわれはこれに注意 、 しなければならない。 また 「基礎的な法則」 と 「基本的法則」 とをわけておられるが この点も 重 、 5 1 )大木氏のように 「独占資 本主義段階での自由競争が利潤率均等化 要 である。 ) 、 或いは平均利潤の 法 則の 貫 徹をも た ら す と い うよ う に 把 握 す る こ と は で き な い 」1 6 と い っ て 平均 利 潤 の 法 則 と 一 緒 。 、. に利潤率均等化をも否定 してしまうことは誤りも甚だしいも のである 。 平瀬巳之吉氏も独 占資本主義の段階で平均利潤法則が作用しなく なることを主張して 次のよう 、 にいわれる。 「完全競争と完全雇傭と、 これ平均利潤法則の二大与件 であった …本来的独占 -- 。 帝国主義--最大限利潤の論理段階では平均利潤の論理的与件が失われ理論的擬制が消える 。 それ だからこの段階で平均利潤法則の作用を云々することは非論理なのである 1 7 ) 「 いまや 」 過剰生産 。 、 と独占との歴史的段階で最大限利潤法則が平均利潤法則に代位する 利潤率 二つ に の法則はありえ 。 1 ない。 平均利潤法則は崩壊する。 8 )そして更にいわれる 「独占資本の間には最大 」 限利潤、 非独占 。 体の間には平均利潤、 などという二つの法則の併立を認めることが非論理であるとすれば (たしか に非論理である) 1 9 ) 、最大限利潤法則下にどうして平均利潤 法則が作用 しうるのか?」 -157一.

(12) . 八. 町. 憲. こ の よ うな 見解 に 正 面 か ら答 え る も の と して、 ヴイ ゴ ドス キ ー は い う。 「独 占 資 本 主 義 のも と で. も、 利潤の平準化過程はなくなるわけではなくて、 複雑になり、 変形されるのである。 このような 条件のもとでは、 独占化した部門にも独占化しない部門にも一様な、 単一の、 すべてを包含する利 潤率はない。 ……もろもろの事実のしめすところによれば、 独占化した部門のあいだでも利潤率平 準化の過程、 多少なりともひとしい、 多少なりとも同等な利潤率形成の過程が生じている。 もっと 0%) で変動して 6 7%~4 も独占化した三つの産業部門における利潤率 がそれほどせまい範囲内 (3 . いるという事情は、 利潤率平準化の過程が各部門の独占体のあいだにも存在していることを、 意味 2 0 ) せ ざるを え な い。」. ことばの厳密な意味での平均利潤率、 つまり全産業部門を包括する単一の平均利潤 率はなくなり 独占資本には最大限利潤、 非独占資本には平均利潤以下の僅少な利潤というような変形をうけるの であるが、 しかし利潤率の平準化の運動はなく ならない。 多くの非独占体のあいだでの利潤率の平 準化、 および 「もろもろの独占体のあいだでの最高利潤の平均化は、 独占と競争との共存の結果で 1 2 ) あ る。」. で、 今まで平均利潤率の法則、 平均利潤の法則、 利潤率均等化 (平準化) の法則と三通りに いわれているものについて考えてみよう。 1955年号) の同一趣旨の論女抜薬のなかでは、 平均利潤法則は平 大木氏は 「東北経済学会誌」 ( 均利潤率法則と異つたものであるといっておられるが、 「経済評論」 誌上の前掲論文で飯田貫一氏 2 と山本二三丸氏の言葉を引用 して 「完全に正しい」 とされている箇所 2) で は、 両 氏 は は っ き り と 「平均利潤率の法則」 といっている。 そうすると区別しているのか、 区別していないのか、 はっき こ. り と しなく な る。 わ た く しは こ の 二 つ を 区 別 す る 必 要 は な い と 思う。. さて、 多くの論者は、 上記の三法則が全く 同一のものの別名にすぎないとの前提の上に立って、 論理を進めているようである。 たしかに、 独占以前の資 本主義においては、 これらの三つは同一と 考えてもよかった。 い かえれば、 完全競争の意味での自由競争により、 利潤率均等化の法則が作 用し、 それがゆきわたると、 平均利潤率と平均利潤の形 成となった。 そのばあい、 いわば三法則は 一体となって作用 していたと考えられる。 ところが、 独占資本主義の段階に 入り、 独占の発生と発展により競争が完全でなくなると これら の間に不一致が生じてくる。 いまや、 利潤率均等化の法則は全資本に等 しい利潤率で利潤を獲得さ せるように作用する ことが阻害 され、 一方における最大限利潤、 他方における平均 利潤以下の利潤 という異る利潤率の成立を許すことになる。 もちろん利潤率均等化の法則は、 それらの各々におい て作用すると同 時に、 また競争がある限り、 独占体の最大限利潤も安定なものでなく、 独占力がそ れをさまたげるとはいえ、 独占体と非独占体との間にさえも作用する。 だが、 いずれにしても独占 用を 段階では利潤率均等化の法則は、 全産業を包含する平均利潤率を成立させるほ どの支配的な作 均 法則とは およぼさない。 こうして利潤率均等化の法 則と字義通りの平均利潤率 あるいは平 利潤の てのみ存続する 均 法則とし 。 分離する。 あるいは、 平均利潤率の法則は変形をうけて利潤率 等化の こ の 点 を はっ き りさ せ な い と、 多 く の 混 乱 と 誤 りが 生 れ る の で あ る。. だから、 平瀬氏や大木氏のように、 平均利潤の法則の作用を否定する見解 (最大限利潤の法則に 体 よって代位されるとす る説) は、 二つの平均利潤とか、 二つの平均利潤率というような、 それ自 「 代位 な だが このよう 、 が形容矛盾であるような言葉の使い方に対 しては妥当な批判とも見える。 う。 叉 できないであろ 否定 動がなくなってはいないことを ) の運 均 平準化 論者」 も利潤率の 等化 ( あるい 逆に、 両法則が主従の関係において作用するという論者も、 全産業を包括する 「平均利潤」 均 は 「平均利潤率」 そのものが成立するな どとは主張していないだろう。 私がさきに 「利潤率が 等 8- -15.

(13) . 最大限利潤の法則にかんする若干の問題点. 化する傾向があるという意味での平均利潤率の法則」 といってきたことと、 岡氏の引用女に注意を 喚起 し た こ と と は、 こ の問 題 に か. ゎ るも の で ある。. 斎藤・吉信両氏は、 前掲論文の註で 「代位論」 を批判するにあたり、 「平均利潤率の法則が作用 しなくなったというかわりに、 平均利潤率の傾向的低落の法則が作用しなくなったと問題を提出し. 2) 」と い っ て い る が、 利 潤 率 の 傾 向 的 低 落 の 法 則 た ら、 こ の 意 見 をも つ 人 は どう 答 える で あ ろ う か。3. と平均利潤率の法則とをなぜ同じものの如く見ているのであろうか。 これらの両法則は、 資本主義 一般の非基本的経済法則であるという点において共通であるが、 それぞれ全く別のものである。 も し、 なんらかの理由で、 資本の有機的構成の高度化が進まなくなり、 利潤率の傾向的低落の法 則の 作用が停止したとしても、 その基礎が競争にあるところの、 利潤率の均等化という意 味での平均利 潤率の法則は作用しつづけるであろう。 資本の有機的構成の高度化が進まなくなるということは、 長期に亘ってはありえないが、 わたくしの今いわんとすることは、 両法則の基礎が全く別だという ことである。 平均利潤率の法 則の作用が独占段 階にも停止 しないということを論ずるにあたって、 平均利潤率の傾向的低落の法則の存在を持ちだすことは、 当を得ないのではないだろうか。 なお、 最大限利潤法則と平均利潤率法則との関係について、 非常に異色ある論拠から、 これら二 つの法則が同時に作用 している ことを主張されているのは山城雄吉氏である。 山城氏はいう。 「現 代資本主義社会の基本的経済法則は一つ、 ただ一つ、 スターリンがあたらしく発見した最大限利潤 の法則である。 しかし独占資本主義セクターのも とに従属する自由 主義資本主義セクターのあいだ では自由競争が支配的生産諸関係であり、 そこでは平均利潤率の法則が存在し、 さらに古い小商品 経済セクターのも とでは価値法則 (一部、 剰余価値法則) が存在している。 最大限利潤の法則はこ. 2) れら従属的経済諸法則の 作用 を 制 限す る こ と は で きて も、 『抹 殺』 す る こ と は で き な い。」4 最大限利潤の法則と平均利潤率の法則とを主従の関係でとらえたのは正しいと しても、 更に剰余. 価値字 去則と価値法則を従属的経済法則にしてしまい、 四つの法則を、 たんに作用範囲を平面的に分 煩 している同格の法則のようにいうのは誤りである。 これでは極端にいえば、 最大限利潤の法則が 強く作用 しているところでは、 利潤率均等化の法則も剰余価値法則も価値法則も殆んど作用してい ないかのように受取れるのである。 また独占資本主義になってから 「自由主義資本主義セクター」 なるものが存在するであろうか。 それは 「非独占資本」 と呼ばるべきであり、 決して 「自由主義」 的に競争してはいない。 反対に、 独占体に圧迫され、 従属させられ、 収奪されている。 だから、 現 代 の 社 会を こ のよう な 「セ ク タ ー」 に 分 け て、 そ の 各 々 に そ れ ぞ れ の 法 則 が あて は ま る と い う よ う. な理解のしかたは全く誤っている。 33 55年1月号、 p 註 1) 大木啓次 「資本主義の基本的経済法則とその歴史的発展」 経済評論19 . .1 2 9 2) スターリン論文、 青木文庫版 p . . 3) 大木前掲論文 p.135 . 4) 経済学教科書 p.428. 55年6月号、 p 3~55 5~7) 斎藤博、 吉信粛 「ソ同盟『経済学教科書』によせて」 経済評論19 . .5 8) スタ←リン論文 p .53. こ で過程といわれているのは 「資本主義という過程の独占段階」 というばあいの 過程とや 異る意味をもつ。 後者は資本主義の発展全体を一過程とみ、 前者は資本主義の中にいろいろの変 化・発展の過程があることを指 して過程といっている。 過程という言葉の 「資本主義という過程 の独占段階」 とし・うような使い方は毛沢東 「矛盾論」 のなかに例がある。 4年1 0月号 p.7, 9) オストロヴイ チャーノ フ 「経済学の対象について」 経済評論195 1 4 3 3~1 3 l o) 大木前掲論文 p, . 11) レーニ ン 「帝国主義論」 彰考書院版 p . .164 12) レーニン前掲書 p .165 . 1 3) レーニン前掲書 p,28, -159-.

(14) . 八. 町. 憲. 5 1 4) 岡稔 「基本的経済法則」 思想19 3年4月号、 p .30 . 1 5) 「基礎的」と「基本的」 とを混同 して価値法則 iも資本主義の基本的経済法則だと している例に鈴木 5 3年4月号、 シンポジウム 「最大限利潤の理論的展開」p 鴻一郎氏がある。 (経済評論19 .15) 16) 大木前掲論文 p.137 . 17) 平瀬巳之吉 「本来的独占・帝国主義・最大限利潤」 経済評論1 954年1 0月号、p .63 . 18 ) 平瀬巳之青 「経済学の古典と近代」 p 54年刊 . 時潮社19 .405 19 ) 平瀬前掲論文 p.63. 20~21) ヴイ ゴドスキ← 「平均利潤と生産価格」 ソヴエト研究者協会編 「社会科学の諸問題」 第三集 、 大月書店版所収、 p .48~49 . 22) 大木前掲論文 p.134. 2 3) 斎藤・吉信前掲論文 p.56 . 24) 山城雄吉 「生産諸関係の内部構成と社会経済構成体」 経済評論1 954年10月 号、 p .66~67 .. 六 最後に、 最大限利潤の法則そのものの性格にかんして、 今まで問題と してきたことよりもさらに 根本的なことについて考察しなけれ ばならない。 それは最大限利潤というものが新しい経済学的範 噂であるということ、 したがって最大限利潤の法則が新 しい経済法則であるということにかんして であり、 特にこの法則が単一の法則なのか、 重複統合している法則なのかという問題についてであ る。 そ して それ は、 こ の 法 則 と 帝 国 主 義 に つ い て の し← ニ ソ の 「五 つ の特 徴」 と ス タ ー リ ンの 「コ. つの矛盾」 との関連はどうであるかという問題 につながる。 まず 「最大限利潤」 が新しい経済学的範噂であるということについて、 プレーゲリは次のように いう。 「最大限利潤は平均利潤とは本質的に, ことなる、 特別な経済的カテ ゴリr ‐である。 両者は、 つ ぎの 点 でこ と な っ て い る。 す な わ ち、{ 1 }そ れ を 坂 得 す る 者 に よ っ て、{ 2 1 }そ の 大 き さ に よ っ て、 ( 3 ) こ れ らの 各 々 に つ い て プ レー ゲリ の の べ て い る と こ ろ を 要 約 すれ ば 最 大 限 そ の源 泉 によ っ て。」1 、. 利潤は、,第一に独占的な諸団体だけが取得するものであり、 第二にその大きさの点で平均利潤をい ちじるしく上まわっている。 第三に平均利潤は賃金労働者の労働によってつくりだされる剰余価値 をその源泉としていたが、 最大限利潤は賃金労イ動者の搾取によるばかりでなく、 資本主義諸国自体 および植民地や従属国の中小資本家や小商品生産者の搾取によっても、販得されるのである。 彼は、 これらの点から 「最大限利潤」 という範時は 「平均利潤」 とことなる新しい節噂だとしている。 ま た、 ミ ー ク に よ れ ば、 「ス タ ー リ ンが 提 起 して い る の は、 一 つ の 新 しい 概 念 - -『最 大 限 利 潤』. の概念一一であって、 これを提起 したのは、 第一に、 独占資本主義の発生以前の時代における 『資 本主義的発展にとって充分』 なものであった利潤率と、 今日において充分な利潤率とを区別するた めであり、 第二には、 この二つの時代の資本家たちが、 資本主義的発展に必要な利潤を獲得するた 2 ) めに通常用いられた方法を区別するためである。 」 こ でミ ← ク が 「方 法」 と い っ て い る の は、 プ レー ゲ リ の い う 「源 泉」 を 他 の 側 面 か ら 見 た も の であ り、 そ の 他 の 点 に つ い て も、 プ レー ゲ リ とミ ー ク と は 一 致 して い る。. と こ ろ で、 最 大 限 利 潤 と い う 新 しい 範 時 に よ っ て と ら え な け れ ば な ら ぬ も の が、 ど う して 出 現 し た の か、 最 大 限 利 潤 の 必 然 性 は ど う い う と こ ろ に あ る の か、 と い う こ と に つ いて、 プ レー ゲ リ や エ ル ス ナ ー の の べて いる こ と は不 充 分 で あ る と 思 う。. エルスナーはいう。 「ますます悪化する資本の増殖条件 (利潤率の傾向的低落) とますます拡大 する蓄積要求とのあいだの矛盾の増大をつうじて、 以上の制約はいっそう目につくようになる。 平 均利潤が収益性の最低限となり、 独占にとっては、 もはや多かれ少なかれ規則的に蓄積を実現して ゆくのに十分なものではなくなるところまで、この矛盾は進行する。 それゆえ、独占資本主義は平均 利潤を求めるかわりに、 最高利潤を追求する。 最高利潤の確保は独占資本主義にとって、 客観的経 一160『.

(15) . 最大限利潤の法則にかんする若干の問題点. 3 ) この最後の一句は飛躍していると思う。 最高利潤を追求するだけで 必ずそ 済的必然性となる。 」 、 れを獲得できるとは限らない。 だから客観的必然性となることをのべるためには不充分である 。 またプレーゲリは 「こう して一方では、 生産の巨大な集積、 高度な技術水準、 および急速な道徳 的磨滅をこうむった固定資本の大きな比 重が、 その結果として拡大再生産のためには企業に莫大な 追加資本を投下することを必要とするようにさせるが、 他方では 資本主義の寄生性と腐朽化とが 、. す む結果、 剰余価値と国民所得全体の不生産的利用も増大する。 このような諸条件のために 独 、. 占資本主義の時代に多少とも規則的な拡大再生産を確保するためには もはや平均利潤ではなくて 、 4 ) といっている。 彼はこの節のはじめに 「問題は 現代の独占資 最大限利潤が必要なのである。 」 、 、 本主義の巨頃連が最大限利潤を志向するということにあるのではなくて 最大限利潤の占版が客観 、 的必然 であ り、 拡 大再 生 産 の 必 須 条 件 で あ る、 と い う こ と に ある 5 。)」 と い っ て いる に も か わらず 「客観的必然」 までをのべていない。. プレ←ゲリもエ ルスナーも、 独占資本が最大 限利潤を必要とするという主体的な欲求の必然 性を 強調しているが、 最大限利潤が現実に収奪されるようになった客観的な必然 性に論及していない 。 最大限利潤収奪の客観的必然性は、 何よりもまず独 占体が独占力を行使して 最大限利潤を収奪す 、 る こ と が 現 実 に 可能 と な った こ と に ある。 こ の 点 に つ い て 正 しく の べ て い る の は ソ 同 盟 に お け る 、. 「スターリン論文についての学術討論会」 を概括した無署名の論文である。 それにはつぎのように のべられている。 「独占資本主義のもとでは、 資本主義の歴史的発展のすべての段階において資本 主義に内在する最高利潤追求欲の上に、 独占体が最大限利潤を獲得しうる可能性がつけくわわり 、 拡大再生産を達成するには最大限利潤を獲得しなけれを ならないという必然性、 つま り独占資本主 6 ) 義発展の必要条件に転化される。 」 最大限利潤収奪の客観的必然性についてのべるばあいには、 独占資本にとっての最大限利潤の必 要性と同時に、 その獲得を可能にする独占力が現実に行使されるようになったことを重視しなけれ ばならない。 この独占力が最大限利潤を種々の源泉から種々の方法 (手段) をもって獲得させるの である。 すなわち、 資本主義の独占以前の段階では 「資本家たちは、利潤をえるのに「異常な』 ある 7 ) のに、 独占段階では最大限利潤を いは 『経済外的な』 なんらかの手段を用いる必要はなかった」 確保するために 「従来、 『異常な』 あるいは 『経済外的な』 手段とかんがえられていたものを …… 8 ) そ れ が 不 等 価 交 換 独 占 価 格 増 税 イ ンフ レー シ ョ ン 軍 需 品 の 政 用 い は じめ るの であ る。」 、 、 、 、 、. 府買上げ、 補助金・補給金、 特別融資などのあらゆる方法であって、 大衆の貧困化をますますはげ しい も のにす る。 (こ れ ら 種 々の 方 法 は、 プ レト ーゲ リ と エ ル ス ナ ー に よ っ て 網 羅 的 に 列 挙さ れ て い ) る。)9. 生産と資本の集積・集中がす み、 資本がこのような独占力を得たこと つまり独 占が成長した 、 ことが独占資本主義の根本的な特徴である。 このような独占段階において、 それ以前の法則と異る 最大限利潤の法則という新しい法則が作用 しはじめるのである。 このように最大 限利潤という新し い概念をもちいて定式化された最大限利潤の法則は新 しい法則である。 ところがエルスナーは最大 限利潤法則を新しい法則ではないという。 「独占資本主義の基本的経済法則はなんら新 しい法則で はなくて、 それは剰余価値の法則を帝国主義の時期にーそう発展させ具体化 したものである ) 1)そ 。0 こ でな ぜ エ ル ス ナー が こ の よ う に 云 う の か、 エ ルス ナ トは 間 違 っ て い る の か と い う こ と が 問 題 と な. る。 それは結局、 次の問題、 この最大限利潤の法 則が単一の法則なのか、 複雑な、 種々の法則を統 合 し た法 則 な のか と い う こ と を 明 ら か に す る こ と に よ っ て 解 決 さ れ る。. 一般的にいって法則とは 「諸現象のあい だの、 内的な、 必然的な、 普遍的な、 反復的な 相対的 、 に恒常的な関連と依存性を表現 し、 本質から、 一定の現象と過程の本性からでてく る関連や関 係を -1 61「.

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