「菱垣廻船を通してみる、なにわの昨日・今日・明日」シンポジウムテキストより 2000 年 7 月 18 日
浪華丸の帆走実験と性能
大阪大学名誉教授 野本謙作 金沢工業大学工学部 増山 豊 九州大学大学院工学研究院 桜井 晃 1.緒論 菱垣廻船は江戸時代の大坂江戸航路に就航した帆船である。江戸は政治の中心として新しく建 設された都市だったから周辺地域には十分の生産力がなく、その大きな需要を満たすためには全国 的な物資の集散地だった大坂からの物流が必要であった。当時の大量輸送手段はもっぱら船である から、ここで多数の廻船群がこの輸送に携わることになった。 詰め開き帆走中の浪華丸添付資料 5
中でも有力だったのは後に菱垣廻船仲間と呼ばれるようになるグループで、1620 年代にはそ のトレードマークの菱垣をつけた船を走らせていた。もっともこのころは船も 200~300 石(30 ~45 トン積み)と小型であり、昼間だけ岸沿いに運航し、風向きが悪いと大ぜいで櫓を押すなど、 本格的な商業帆船にはなっていなかった。 しかし年とともに発展する江戸期経済はもっと大規模 で効率の高い物流を必要としており、江戸中期、1700 年代に入るころには積みトンも倍増し、さ らに大切なことは帆走の技術が進歩してもはや人力に頼らず帆だけで航海するようになった。そう なるとさらなる大型化が可能となって、江戸後期、1800 年に近づくころには千石(150 トン積み) の菱垣廻船や樽廻船が年間何百隻も「天下の台所」大坂から江戸へと莫大な貨物輸送に従事した。 これはわが国の歴史上かつて無かった大海運活動であり、そしてこれらの廻船はこれまた日本史上 初の本物の商業帆船であった。こうしてみると大阪市がその江戸期の繁栄の象徴である菱垣廻船を 往時のままに復元建造し、大阪湾を帆走させたことはまことに快挙というべきであろう。 これら江戸期の廻船を帆走専用にすることができた技術基盤は「開き走り」である(図1)。開 き走りとは追い風と限らず横風でも、さらには少しくらい船首寄りの横風でもそれを使って船を走 らせることであり、江戸中期以降の廻船の船型や帆の綱取りには明らかにそのための工夫が見られ る。これらの工夫によって風がどちらから吹いても船を目的地へ進めることが可能になり、帆走専 用化、またその結果として大型化が実現したのであった。 図1 追い風帆走 と 開き走り ここまでは実は石井謙治氏らが文献資料等にもとづいて論証しているところであり[1]、 [2]、また多田納氏らによる模型実験からの性能推定計算[3]もそれを支持している。 しかし これら江戸期の廻船が現実の海面でどれくらいの速力で「開き走り」ができたか、そしてどれくら いの角度まで風上に切りあがることができたか、そのような定量的な資料となるとほとんど無きに 等しい。 上記の復元菱垣廻船 「浪華丸」は大阪市立海洋博物館「なにわの海の時空館」の中心展示と して保存されることになるが、それに先立ち1999 年夏に行われた海上帆走実験はこの意味で絶好 の機会であった。 本稿はこの実験とそれにもとづいて、この伝統的帆船の性能を述べるものであ る。
2. 浪華丸帆走実験実施の概要 、附加した艤装 等
浪華丸主要寸法 : 全長 29.9m 肩幅 7.4m 肩深 2.4m 帆面積 380m2
船体の概要と船体線図は、本シンポジウムテキストの復元工事の章の図1および2に、また帆 装図は本章の図2に示す。
試運転状態は次のとおりである。 試運転排水量 147 t 軽荷排水量 (船体、帆装、舵) 88t バラスト等重量 59t (標準的積載量の 75%程度) 喫水線長さ 23.0 m 船首喫水 2.00 m (二番梁下、平板竜骨下面より) 船尾喫水 2.20 m (雇梁下、同上) トリム 0.20 m 船尾ヘ 1999 年夏の海上運転の経過は次のとおりである。 7月12日 日立造船(株)堺工場岸壁において起重機船を使い着水 7月13日 バラスト、艤装品積込み、排水量及び重心計測、船舶検査 7月14日 大阪市港湾局船艇により大阪南港オズ岸壁ヘ曳航、係船 7月15~18日 関係者、一般市民に開放 7月19日 堺工場岸壁へ曳航、係船 7月20~25日 帆走練習、予備実験、同時に市民観覧船に帆走を披露 7月26~28日 台風接近のため基地在泊 7月29日~8月1日 大阪湾内で帆走実験、本計測を実施 8月2日 堺工場へ起重機船で陸上げ、清掃、保管準備作業に入る。 以上の運用においてまず大きな問題は曳航であった。現在の港湾は 100%動力船を前提に造ら れているから、江戸時代の無動力の帆船が自力で出入港することは論外である。市港湾局の曳船は 十分な馬力はもっているが浪華丸の構造を考え、また一方では毎日の運転スケジュールも考慮する と、曳航速力7ノット、曳航力2トン程度が妥当な曳航の限度と判断した。ところが和船型荷船に はこの曳航力に耐えそうな係船柱の類が見当たらない。結局、舳赤間梁の胴ノ間の内の舷側端に 40mm のナイロン索を止め、ブルワークにあたる「矧ぎ付け」と「垣立」を越えて舷外を舳の水線 付近まで回し、同じ経路で反対舷を通って、その舷の舳赤間梁の胴ノ間舷側端に止めた。この索が 舳と交わるところに同じ径の短いストロップ〈輪に編んだロープ〉を固定し、これに同径、長さ15m の引き綱をつけ、その端を曳船の曳航索につなぐ。舷側や舳に当たる部分には厚肉ビニールホース と毛布の擦れ止めを巻き、毎日補修の必要があった。 船舶の輻輳する港湾域では、船首のみならず船尾にも曳船が必要である。またこの船尾曳船は 岸壁係留時にもほとんど必要不可欠であった。船尾曳索は船尾外舷両舷側に「蹴上げ梁」が露出し ているので、これから左右一対の引き綱を取り、船尾後方15m ばかりのところでひとつにして、曳 船につなぐ。この「蹴上げ梁」外舷露出部は「屋形」(船尾楼)内の覆い箱を外すと船内から手が届 くような構造になっているので都合がよい。 毎日の行動の基地は日立造船(株)堺工場の岸壁であったが、ここは堺港埋め立て地の奥で通常 の荒天までは安全な泊地である。しかし本船は海上帆走実験後は陸揚げ、展示物になる予定であり、 しかも舷側はその名の由来である菱垣をはじめ精巧な木造工作物と飾り銅板で覆われているから、 一般船舶のような岸壁横付けはできない。そのため大阪市港湾局の船艇、器材を投入して岸壁の沖 に2トンの係留用錨を2本打ち、岸壁の係船柱2本とあわせて4点係留で岸壁に平行に、10m 余の
問題は浪華丸は排水量 150 トンにおよぶ船にもかかわらず、動力係船設備を持たず、また推 進動力もない。これに加えてすでに述べたように係留索や錨綱を止めるための係船柱の類が見当た らない。 結局、船首側の strong point としては合羽甲板の前端にある「横山」と称する太い梁の 内舷側を用いた(図復元工事の章の1参照)。この梁のすぐ前にある非水密甲板はその板子を外せば 「横山」梁に係留索等を巻き付けて止めることができる。 船尾側は初めのうちは船尾曳航索と同じく船尾端近くの「蹴上げ梁」を使ったが、係留作業に 不便なので、後には船尾甲板上の「艫の車立」(船体に強固に取り付けられ、舵の頭部を支える一対 の柱)を利用している(復元工事の章の図1参照)。 これらの strong point に係留索や錨索を引き付けるには索の途中に2重滑車2個よりなる4 倍力テークルの動滑車側を仮止めし、テークルのテールロープを数名の直か引きか、それで不足な ら大型ヨット用の手回しシートウィンチを併用して引きこんだ。これで風力7くらいまでの横風に 逆らって船を引き寄せることができた。それ以上の風力は経験してないが、そうなればおそらく何 らかの補助動力を必要としたであろう。 本船は本来は全くの無動力であるが、以下に述べる用途の小電力は必須と判断されたので 100V,60Hz,2KVA のディーゼル発電機を装備した。このディーゼルは初期の農業発動機の転用 で手回しクランクで始動し、シリンダを囲む鉄の箱では冷却水が沸騰しているという時代物であり、 大阪大学試験水槽で40 年間眠っていたが期待に応えて活躍した。 木造船は特に進水直後はなにがしかの水漏れは避け難いものである。船底に溜まる水を汲み出 すためにAC 100V 駆動、毎分約 70 lt.の水中ポンプを帆柱の根もと付近に設置、一日数回、一回数 分程度運転して排水していた。予備として同容量のもの一台、また緊急用としてガソリン発動機直 結の毎分750 lt.の揚水ポンプも準備したが幸いにして使用していない。 帆桁と帆を合わせると約 1.7 トンの重量となる。往時は左右2基の轆轤に6人づつ掛って人力 で巻き上げたものであるが、経験、力量もまちまちの志願船員に頼る本船では補助動力が必要であ った。プレジャーボートをトレーラーに巻き上げるためのバッテリー駆動の電動ウィンチ2台を胴 の間前端左右舷に固定し、そのワイヤーを水縄(ハリヤード)に仮止めして人力を補った。帆を巻 く水縄は左右2本づつあるから、一本を轆轤で、もう一本をウィンチで引くことになる。80AH の 12V バッテリーを2個用意し、上記発電機で充電しながらいわゆるフローティングの回路形式で運 転した。 もうひとつ発電機の大切な出番は昼飯の準備である。盛夏のことで衛生面を考えるとレトルト 食品を電子レンジで加熱調理して即時供給するのがよい。これは志願船員諸氏の受けも良く、食中 毒などの事故も皆無であった。時代物ディーゼル発電機の電力消費の最大はこの用途であったと思 う。食品はこの他、缶、瓶詰めの茶やソフトドリンク、それに生の柑橘類でいずれも携帯クーラー で氷蔵して置き、随時自由に喉を潤すことができるようにした。
3.実船計測システム ある船の帆走性能の基本は、与えられた風向、風速のもとでどの方向へどれだけの速力で走る ことができるか、である。それを知るためには船に吹き込んでくる風の方向と強さ、船の運動方向 と船速を測ればよい。 本実験の「浪華丸」のような弁才型帆船は大きな面積の、しかも頂部まで幅の広い四角帆をも っているので船上で観測される風は帆の影響が大きく、実際に船に吹き込んでくる風とは方向、強 さとも大差がある。この誤差を避けるために本実験では「浪華丸」風上側、船尾斜め後方20~30 m (浪華丸の約 0.7~1.0 船長)を随伴して機走する補助計測艇のマストトップ(水面上高さは浪華 丸の帆のほぼ中央)で風向、風速を測り、これを浪華丸の位置に換算して船に吹き込む風のデータ とした。この換算には両船にそれぞれ装備する超精密GPS計器(位置精度2 cm、方位角 0.1°) の記録を事後解析(オフライン)して使用した。 また、浪華丸の運動方向と船速も、補助計測艇の進行方向と対水船速から同様の手順で換算し て求めた。 この補助計測艇を使用する方法で得られるデータは風向風速、船の運動方向と船速すべて対水 のものであって潮流の影響は消去されている。これは大阪湾のように常時多少とも潮流のある海域 での計測には大変都合のよいことである。しかもこの手順で得られる本船(浪華丸)の運動方向は 帆走による横流れをも含んだものだから、帆走性能の基本的諸量の計測に関するかぎり横流れ角を 直接測る必要がない。横流れの計測は実際面で問題の多いものだから、これまた本船の巨大な帆の 影響を避けて風のデータが取れることとともにこの計測手順の大きな長所である。以下にこの計測 システムについて詳述する。 3.1 計測システムに要求されること すでに述べたとおり、船の帆走性能を知るためには、 水に相対的な風速ベクトル(真の風) または船に相対的な風速ベクトル(見かけの風) 水に相対的な船の速度ベクトル(船速と対水進行方向) を測定しなければならない。ここで特に重要なことは、風速および船速のいずれもが水に相対的な ものであり、潮流の影響が入ってはならないことである。 船の船首方位と対水進行方向の差βを横流れ角と呼ぶ。帆船が風に対して追風以外の針路で進 むときには、横流れ角により船体、特にキールに発生する横抵抗が風による横押し力とつり合う。 したがって帆船の性能を知るためには、横流れ角が二つの測定値の差として適切に求められるかど うかが重要である。 横流れ角は通常のセールボートが風上に切り上がるときに数度程度であり、浪華丸のような浅 いキールの船では10°程度になると推定される。たとえば 5 ノットで航行しているときに、潮流が 進行方向に垂直に 0.5 ノットあっても、対水進行方向と対地進行方向の差は約 6°となり、無視す ることはできない。潮流影響を含む対地速度と対地進行方向は GPS で十分な精度で求めることが できるが、帆走性能の測定のためにはそれでは不十分であり、何らかの方法で潮流影響を排除した
するという乱暴な方法を採ることはできなかったので、より間接的な方法を考える必要が生じた。 セールボートなどでは、風のデータはマストトップで測定する。しかし浪華丸のマストトップ 位置では、横帆の上端を越える流れが自由流を大きく乱しており、また帆の風上に位置することが 多い船尾においても、巨大な船尾構造を越える流れが自由流を大きく乱す。このため、風のデータ も、やはり間接的に測定しなければならなかった。 3.2 補助計測艇と精密 GPS システムの採用 対気データと対水データは、浪華丸上で直接に測定するかわりに、補助計測艇として採用した セーリングクルーザー(ヤマハ Y-33 Ⅱ、全長 10.1m、全高 14.2m)において測定した。補助計測艇 は通常、浪華丸の風上側後方 20~30m 程度に位置して航行する。このため、補助計測艇のマスト トップで測定した風は、浪華丸が受けているものとほとんど同じ風を捉えていると考えてよく、潮 流に関しても同じ流れの中にあると考えてよい。さらに、セーリングクルーザーは翼断面の大きな フィンキールを持つため、機走時にはほとんど横流れ角を発生せず、船首方位が対水進行方向と一 致すると考えてよく、単に船速と船首方位を計測することにより、対水速度ベクトルを知ることが できる。 今回の計測に当たっては、㈱トリンブル・ジャパンより次節に述べる各種精密 GPS システム が貸与され、広島大学小瀬研究室、大阪大学長谷川研究室、日立造船㈱技術研究所、㈱日立造船情 報システムなど多くの方々のご協力により、浪華丸および補助計測艇において、位置と船首方位を 精密に測定することができた。 GPS で測定される対地位置を微分すれば、両船の対地速度が求められ、その差を求めれば、補 助計測艇に対する浪華丸の相対速度を得ることができる。補助計測艇の対水速度ベクトルに、この 相対速度ベクトルを加えれば浪華丸の対水速度ベクトルを知ることができる。 3.3 計測の実際 浪華丸と補助計測艇において、次のような項目について計測を行った: 浪華丸 船位 HDGPS(精密 DGPS 測位システム)、Trimble 製 誤差 約1m 以下 Kinematic GPS、Trimble 製 誤差約2cm 以下。ただし後処理が必要でオフライン使用のみ 船首方位角
MRTK(Moving-Base Realtime Kinematic GPS) 、Trimble 製
2 個のアンテナを用い船首方位角とヒール角を測定。精度 1°以下 フラックスゲートコンパス、KVH 製
三軸加速度・角速度、姿勢角 ジャイロユニット、多摩川精機製 角速度、加速度、およびそれらから算出される姿勢角を測定 舵角 舵軸に巻いたベルトによりロータリーエンコーダを駆動 風向・風速 ベーン型風向センサーおよびカップ型風速センサー、KVH 製 船尾の6m のポール上端で測定。参考データ 補助計測艇 風向・風速 ベーン型風向センサーとカップ型風速センサー、Raytheon 製 船速 パドルホイール型船速センサー、Raytheon 製 船位 HDGPS(精密 DGPS 測位システム)、Trimble 製 Kinematic GPS、Trimble 製 船首方位角 TANS-Vector 、Trimble 製 4 個のアンテナを用い姿勢角を測定。精度 1°以下 フラックスゲートコンパス、Raytheon 製 磁方位を測定。TANS-Vector の補助として使用 浪華丸で計測したデータは、PC-104 ボードコンピュータによって 1/8 秒周期で収集し、さら にシリアル回線を通じて Windows コンピュータに送られて、モニタリングと格納が行われた。補 助計測艇で測定したデータは、特定小電力無線モデムにより浪華丸に送られ、浪華丸でのデータと 同期して格納された。 浪華丸および補助計測艇で用いた風速センサーは、九州大学応用力学研究所の低速風洞におい て超音波風速計を基準として較正し、得られた較正データをスプライン近似して、リアルタイムに 補正を行った。補助計測艇の船速測定に使用したパドルホイールセンサーは、キール直前の首尾線 上に設置し、平水海域を一定方向に種々の速度で一往復半航行して、HDGPS による船位から求め られた平均対地速度の重み付き平均を求める方法により、潮流影響を相殺して較正した。得られた 較正データを折れ線近似してリアルタイム補正を行った。補助計測艇の対水進行方向は原理的には 船 首 方 位 角 に 等 し い が 、 キ ー ル の 流 体 力 学 的 オ フ セ ッ ト や 船 首 付 近 の デ ッ キ に 設 置 し た TANS-Vector の設置オフセットがあるため、潮流影響が少ないと考えられる入江の奥で、潮止まり 前後の時間を利用して東西南北に直線航行し、HDGPS による船位から求めた対地進行方向と船首 方位が一致するようにオフセットを定めた。MRTK による浪華丸の船首方位測定は、船首近傍のビ ーム方向の構造材にアンテナを設置したため、較正の必要はなかった。
図3 にはデータ処理の流れの概念図を示す。 補助計測艇で測定した見かけの風のベクトルに 対水速度ベクトルを加えれば、真の(対水の) 風ベクトルが得られる。一方、補助計測艇の対 水速度ベクトルに、浪華丸の相対速度を足せば、 浪華丸の対水速度ベクトル、すなわち対水進行 方向と対水速度が得られる。浪華丸の横流れ角 は対水進行方向と船首方位との差として得られ る。必要であれば、真の風ベクトルから浪華丸 の対水速度ベクトルを差し引くことにより、浪 華丸での見かけの風を求めることができる。 3.4 測れたことと測れなかったこと 今回の実船帆走試験のための計測システム の開発においては、極めて短期間に総合的な計 測システムを試行錯誤で構築しなければならな かったことや、関係各研究室の手持ち資材や安 価なセールボート用センサーを用いざるを得な かったことなどのため、いくらか計測精度が限 定された面もある。また、実験海域の波浪が予想以上に激しかったことも、計測を困難にした。 補助計測艇のマストトップに搭載した風向風速センサーは波浪による動揺の影響を受ける。風 向の変動は平均化によって相殺されるが、風向に垂直方向の動揺による風速変動は、常に計測値を 増す方向であり、平均処理により相殺できない。たとえば、10m/s の風速に垂直方向に、マストが 片振幅15 度、周期 4 秒で揺れるときには、測定値は平均約 6%過大となる。残念ながら補助計測艇 では角速度の計測を行わなかったため、この効果を補正することはできなかった。船速センサーも、 動揺や波浪による水の運動の影響を受けている可能性があるが、補正することはできなかった。 このほか船位や船首方位なども、波浪や風の息の影響を受けて変動するので、性能解析を行う ためには適切なフィルタリング処理が不可欠である。しかし、多くのセンサーは内蔵 CPU で独自 のフィルタリング処理を行った結果を出力しており、またデータ出力間隔も1 秒以下から 2 秒まで 各種混在しているため、整合したフィルタリング処理を行うことは不可能であった。 今回の計測システムの最も大きな特徴は、機走時に横流れ角の発生しないセーリングクルーザ ーを補助計測艇として用いて、基準となる風と対水速度のデータを計測したことと、浪華丸と補助 計測艇に高精度の GPS システムを搭載して両船の相対速度を求め、補助計測艇における基準デー タから浪華丸データを算出する方法を採用したことである。 浪華丸の帆走性能データは図3 に示すような基本的な流れに加えて、各種の補正やフィルタリ ング処理を行って総合的に得られるものであるため、一概に測定精度を論じることは困難である。 しかし、後記の図11に示されているように、典型的な下手回し(ウェアリング)の前後において、 横流れ角がほぼ左右対称であり、また左右舷での詰め開き状態において、舵操作による変位を除け 補助計測艇 浪華丸 精密GPS による 位置・船首方位 精密GPS による 位置 船首方位(=対水進行方向) 対水速度 みかけの 風向・風速 相対速度 浪華丸 対水速度 浪華丸 みかけの風 真の風 浪華丸 横流れ角 図3 データ処理の流れ
ば、1~2°の範囲で整合性のある横流れ角の値が得られていることは、総合的な測定精度が妥当な ものであり、補助計測艇と高精度GPS の採用が成功であったことを物語っている。 4.実船計測の結果 すでに述べたように7 月12日の進水後、7 月25日まで一般公開や予備帆走などを行った が、この時同時に搭載したセンサの最終較正や計測システム調整を行った。最終的な帆走実験は 7 月29日から8月1 日の 4 日間に行い、計測時の風速は 4m/s から 10m/s、最大速度は 6.2 ノット であったが、予備帆走中に7ノット以上を記録している。帆走実験中の写真を図4~6 に示す。各々、 図4は横風を受けた開き走りの状態、図5は詰め開き、図6は真追手の状態である。 図4 横風の中、開き走りによって快走する浪華丸
図5 (左)左舷詰め開き帆走、 風速4m 毎秒、帆の船尾側下隅に 付くテークルの一本はシートに なって右舷船尾へ引かれ、もう一 本は舷外に垂れて右舷船首へ延 びている 図6 (下)真追手の帆走、風速 7m 毎秒、帆の両下隅にはそれぞ れ2本のテークルが付いていて、 それぞれ一本は船尾端へ、もう一 本はゆるく船首へ、帆の下縁の多 数の帆足は帆柱の後ろの大渡し に引き付けてある
4.1 帆走速度ポーラー線図 自然の風には多少の変動があるのが常で、船の運動もそれに応じて非定常な性質をもってい る。このために、ある風向風速のもとでの定常的な帆走性能を求めるにあたっては、風向風速と 艇速が安定してから50 秒間計測を行い平均値を求めた。このようにして求めた帆走速度のデータ を、ポーラー線図の形にまとめたものを図7に示す。この線図は極座標形式で、角度目盛りは真 風向から測った船の進行方向(γT+β)を示し、半径方向目盛りは船速と真風速の比(V/UT)を 表わしている。図中の実験点は真風速UTが 5 m/s~10m/s の範囲で得られた結果を示している。 実験結果より、風上へ向かってのぼっていく限界の角度はほぼ 70°であり、風速の約 25% の速度が得られていることがわかる。また、100°から 120°の間で最も速く走り、風速の 35% に達していることがわかる。180°は真追手であり、この状態では案外にスピードが出ない。こ れらの帆走性能に関しては第5章において詳しく考察する。 図7 実測された帆走速度のポーラー線図
γ
T+β
V/U
T[deg]
0°
30°
0.0
0.1
0.2
0.3
0.3
0.4
0.4
60°
90°
120°
150°
180°
右舷開き(
S tarb oa rd T ac k
)
U
T:真風速
U
A:相対風速
γ
T:真風向角
γ
A:相対風向角
γ
T+β:真風向に対する
船の進行方向
V :船速
β :横流れ角
○
①
②
③
④
◎
左舷開き(
P ort T a ck
)
0.1
0.2
4.2 帆走状態変数 定常帆走時の船体姿勢等を表わす状態変数の変化の様子を図8に示す。これは右舷側から風を 受けて帆走している時の、真風向から測った船の運動方向(γT+β)に対する船速V、ヒール角φ、 横流れ角β、舵角δの変化を表わしている。図中の実線は第6章に示す速度予測プログラム(VP P)によって得られた真風速 8m/s 時の予測値である。実測値との比較については6章で述べる。 また符号の定義は後述の図21に示す。 本計測中の最大速度は、真風速10.1m/s 時にγT+β= 99.5°の方向で 3.20m/s(6.21 ノット)で あった。また最大ヒール角は約8°である。横流れ角βは風上へ向かうとともに大きくなり、(γ T +β) が 70°を切ると 10°以上の大きさになって、これ以上風上へ向かって走ることが困難に なることを示している。舵角δは常に風下側に切って船の風上側への回頭をおさえており、近代的 なセーリングヨットと同様に軽いウエザーヘルムとなっていることがわかる。 図8 定常帆走時の船体姿勢等を表す状態変数の進行方向に対する変化 0 30 60 90 120 150 180 -15 -10 -5 0 5 10 15 0 30 60 90 120 150 180 -15 -10 -5 0 5 10 15 2 4 6 γT+β [deg] φ [deg] [m/s] V φ V γT+β [deg] β, δ [deg] β δ Estimated (UT= 8[m/s]) 0
4.3 下手回し操縦運動性能 浪華丸のような弁才船が風上方向へ方向転換しようとする時、近代的なヨットのように上手ま わし(タッキング)をすることは困難であり、現実には一度風下におとしてから、風上に向かう下 手まわし(ウエアリング)と呼ばれる操船を常用していたようである。下手まわしは風上方向の距 離を一部損失してしまうので、できるだけ小回りし損失を最小限にすることが望まれる。操縦運動 の例として下手回しの際の航跡と、操船状態変数の時系列変化を次に示す。 図9は、7月30日の13:07:00 から 13:30:00 の 23 分間にわたって測定された下手回し 時の航跡図を示している。図中の1マスは200m を表わしており、○点は HDGPS による 20 秒毎 の船体重心の対地航跡を示している。また、船の印は対地位置から潮流成分を差し引いて求めた20 秒毎の船体重心の対水航跡を示している。潮流成分は補助計測艇の対水速度ベクトル(方向と速力) と、GPS で得られた 対地速度ベクトルの 差から求めた。またこ の 船 の 印 の 向 き は MRTK から得られた 船首方位角を示して いる。最初は進行方向 に対して左舷側から 風を受けて航走して おり、13:16:00 頃 から舵をきりはじめ て風下へ向かい、13: 22:00 頃から右舷側 から風を受けて再び 風上方向へ航走して いる様子を表してい る。 下 手 図9 下手回し操縦運動時の航跡図 -50.000000-44.444444 -38.888889 -33.333333 -27.777778-22.222222 -16.666667 -11.111111 -5.555556 0.000000 00000 45455 90909 36364 81818 27273 72727 18182 63636 09091 54545 00000 200m γT T U 8.0m/s 216°
Direction of ti dal stream 55.3°
13: 07: 00 13:12:00 13: 22: 00 13:27:00 13:30:00 13: 17: 00
図10 下手回し操縦運動時の航跡図(図9)の拡大図(舵角は3倍に誇張) この下手回しの後半はあまりスムーズ ではなく良い下手回しの例とはいえないが、 左舷詰め開きと右舷詰め開きの航跡のなす 角は 20°から 30°の間であることを示し ている。このことは、詰め開きのぼり角度 が 75°から 80°であることを意味してお り、定常帆走性能の測定結果を裏づけてい るものといえる。 図10はこの時の、下手回し回頭時の 航跡の拡大図である。舵角は3 倍に誇張し て描いている。また、図11はこの時の 13:10:00 から 13:28:00 の 18 分間の、 真風向に対する船首方位角ψと、舵角δ、 ならびにヒール角φ、横流れ角βの変化を 表わしている。13:15:50 頃から最大舵角 9°をとって下手まわしを開始しており、約 5分間で回頭を完了している。この間にψ は約70°から 300°に変化し、φは約7° から -7°に、βは約-8°から 7°に変化し ていることがわかる。舵が非常に大きいた め、わずかな舵角で十分な回頭を行っている ことが明らかとなった。 10 13 16 19 22 25 28 -15 -10 -5 0 5 10 15 10 13 16 19 22 25 28 -15 -10 -5 0 5 10 15 β [ d e g ] , φ [ d e g ]
elapsed time [min]
β φ δ [ d e g ] ψ [ d e g ] 180 240 300 360 120 60 0
elapsed time [min]
δ ψ 図11 下手回し操縦運動時の船体姿勢 を表す状態変数の時系列変化 50m γT
U
T 8.0m/s 216°Direction of tidal stream 55.3° 13:13:00
13:22:00 13:19:00
Velocity of tidal stream 0.61m/s 13:16:00
5.浪華丸の帆走性能の考察 5.1 定常帆走性能 (1)最も注目されるのは本稿冒頭に述べた「開き走り」性能であろう。弁才型帆船が我が国の船 舶史に一時期を画し、本邦初の本格的商船として江戸時代の物流を担うことができたについてはこ の性能が大きくものを言っているからである。この視点から今回の実験においても主体を開き走り においている。 「詰め開き」は開き走りの極限であって、風上に向かって一番能率よくのぼって行く状態である (図5)。 図7に①および②と記入した2群がそれに当たる。①群の右開き(右舷から風を受ける) と②群の左開きに差がある理由はよくわからないが、帆の調節にはかなり自由度があるのでその影 響ではないかと思われる。それなら上手に帆を張れば左開きでも①群と同じになると期待される。 一歩控えて両群の平均を取ることにしても浪華丸の詰開き性能は横流れも考慮した上で風に対 して75゜近くまでさかのぼることができると言ってよいであろう。①群の線まで行けばもう少し良 くなるけれども。 一杯にのぼっているとき(詰開き)の横流れ角は 10゜強と計測されているので、船 首は風に対して60゜余りの方向を向いていることになる。 ここで気をつけなければならないのは、風に対する船首の向き60゜というのは真の風に対して であって船に吹き込んでくる「見かけの風」は船が走っているためにもっと前に回り、いまの場合 その角度は50゜程度になる。さらに船上では帆の影響で風が回り、場所によって大きな違いがある。 今考えているのぼり帆走では船首の向きが真の風に 60゜余、見かけの風に 50゜なのに、船尾に立 てた柱の上の風向計は40゜くらいの値を示していた。 昔の船頭の記録に風を船首から 45゜に受け てのぼり帆走した例[4]が見られるが、船頭の定位置が船尾甲板上であったことを考えあわせる と、この船も浪華丸と同程度ののぼり角で詰め開き帆走をしていたのであろう。 また別の記録[5]に「10里走っても風上へは2里ばかりしか進んでいなかった」というの もあるが、これは真の風と船の運動方向の角度が 78゜に当たり、浪華丸の 75゜程度と話が合って いる。 速力の方は今度の実験の風力4(7~8m/s)で風速の 25%程度であった。ただし今回の実験帆 走時の船底汚損は著しく、厚さ10mm 弱のフジツボが水面下全面を覆っていた。6章に述べる水槽 試験から本船の前進抵抗を推定するにあたり、2次元外挿法の△CF= 0.002、0.004、0.007 の3 種類を仮定してみると図12が得られる。一方、同じく6章の風洞試験結果と数個の追い風実船計 測例の風速、船速を使って帆の推力を推定し、同じ図に入れて比べると○点のようになるので、△ CF=0.007 程度が妥当と見られる。 追い風に限ったのは力の平衡が最も単純で横流れ、操舵、横 傾斜などの影響が無視できるし、また帆の推力も安定していると考えたからである。大型船とちが って小型船では進水直後でも△C =0.002 は普通であり、汚損が進んだ状態では
0 2 4 6 8 0 5000 10000 15000 20000
V [kt]
X [N] X [kgf] ΔCF= 0.007 ΔCF= 0.004 ΔCF= 0.002 2040 1530 1020 510 0 0.007 も驚くに当たらない。今の場合、全抵抗増加は 60%に達する見込みで、速度損失は 20%を超 えるであろう。これを考慮すると、汚損の少ない状態では風速の30%くらいの詰開き帆走速力が期 待できることになり、上の例では約5ノットとなり、一昔前の焼玉機関付き機帆船の航海速力に匹 敵する。 (2)弁才型帆船ののぼり性能に関して、今回の実験結果から若干の側面的検討を加えてみる。ポ ーラー線図では詰開き角度は75゜程度とみられるが、一方本船の対水航跡記録から右舷詰開きと左 舷詰開きの航跡のなす角度を測ってみると20゜から 30゜の間にある(例えば図 9 参照)。これよ り詰開きのぼり角度は(180゜- 20゜~ 30゜)/ 2= 80゜~ 75゜となり、ほぼ話が合う。 もうひとつのヒントは、詰開きから下手回しをして反対舷の詰開きに替えた時のコンパスコー スの差が 130゜から 135゜と記録されていることである(例えば図11参照)。これを使うと詰開 きでは真の風を(130゜~135゜)/ 2= 65゜~67.5゜に受けることになり、別に測られている横 流れ角10゜強を加えるとこれまた詰開き角度 75゜から 80゜で大体話が合うことになる。 (3)以上の考察を総合するに、浪華丸のような弁才型帆船の詰開き帆走性能は本実験で得られた ポーラー線図の示すところがおおむね正しいと考えてよいであろう。すなわち真風向から測って 75゜くらいの方向に進み、その速力は普通の帆走日和では風速の 25~30%ということになる。 (4)一番速く走るのは横風で、風速の1/3を越える船速が計測されている。 横風では船が走っ 図12 浪華丸の実船抵抗推定値ても帆に当たる風の勢いが落ちないからである。図4の写真の状態では船速は7ノットを上回って いた。すでに述 べた船底汚損のことを考えればきれいな船底ならばこの数字はさらに上がるであろ う。 (5)真追手の帆走(図6)では(γT+β)=180゜に当たるが、この状態では案外にスピードが 出ない。逆風帆走よりはいくらか速い程度である。これは追い風では船が走るにつれて帆に当たる 風が弱くなることで説明できる。 ただ同じ追い手でも帆の張りかたでかなりの相違が出てくる。図7中、③と記入した1群は帆 柱のすぐ後ろで舷から舷まで渡してある「大渡し」と称する綱に、帆の下縁から延ばした多数のロー プ(帆足という)を止めている。こうすると大きな帆一杯に風を受け止めることができて十分な推進 力を発揮できる(図2の帆装図および図6参照)。一方、④は後述のタック、シート方式のまま真 追手帆走した場合であるが、帆がU字型に丸まって有効な帆面積が減り、③よりも劣っていること がわかる。 ところが風が横に回ってくるに従って、こんどは帆足を大渡しに引き付けていては帆の形が不 自然にねじれて、特に帆の下半分が有効に働かない。こうなってくると大渡しに止めた帆足を舷側 に近いほど伸ばしてやり、同時に帆の縦縁を前後に引く「両方綱」や「脇取り綱」を調節して「帆 なり」を整えてやらねばならない。こうして弁才型帆船の開き走り(横風帆走)における帆の操作(Sail Trimming)は自由度が大きく、その如何によって前進推力、したがって船速にも相当な差が出る。 浪華丸の帆走ではなるべくスピードが出るように帆を調節したが、いわゆる「そらがけ」、斜め後 ろの風ではまだ最大推力に少し足りなかったかも知れない。 この辺の事情を探るべく行われた浪華丸の帆の風洞試験では、帆足の伸縮、両方綱や脇取り綱 の調節、また洋式帆船のタックやシートに当たる索具の附加などによって前進推力や横押し力が大 きな影響を受けることが示され、各風向に対する最適の綱取りなどもほぼ明らかになった。風洞実 験については6章に述べるが、ここではその結果を引用して、帆走性能に及ぼす帆の綱取りの影響 を述べる。 5.2 風洞実験による操帆用綱取りの検討 見かけ風向角 γA= 50゜、70゜、90゜においてヤード角や綱取りをいろいろに変えて帆の前 進推力 X を測り、図示すると図13になる。ヤード角は帆桁(ヤード)と船体中心線のなす角度 である。見かけ風向角 50゜、70゜、90゜は真の風向を船首から測った角度に換算すると各々 64゜、 89゜、108゜となり、ほぼ「詰め開き」、真横の風、少し後ろ寄りの横風となる。 まずヤード角の影響ははっきりしており、ヤードを見かけ風向と船体中心線の二等分線よりも 少し風に近い方向に流した位置で最大推力が得られている。これは帆の調節の基本に沿うもので、 帆を引き込めば風を受ける迎角が大きくなって帆に大きな力が働くが一方ではその力の前進推力成 分は小さくなり、反対に帆をゆるめれば帆の風圧は減るけれども一方ではその推力成分が増加する から、中間に最大推力を与える最適の引き方がある。
の横帆船は帆の左右両下隅にそれぞれ強いロープを取り付け、開き走りになるとその一方を風上側 舷側の船首寄りに引き付け、もう一方のロープは風下側舷側の船尾方向に導く(図14の写真)。前 者をタックと言い後者をシートと呼ぶ。帆の開き具合は主にヤード(帆桁)の回転とシートの出し入 れで調整する。 ところが弁才帆船はこのシートとタックがない。もっとも、ないというのはいささか言い過ぎ で、左右両端の帆足はそれぞれシートやタックとして使うことはできるかと思うがそれが常用され たかどうか、またそれに耐える強度、とくに帆の下縁の強度があるかどうかが疑わしい。 当時の索具配置から考えてむしろ普通だったのは、帆の下縁から延びる多数の帆足を、帆柱の 後ろあたりを舷から舷まで甲板を横断して延びる太いロープ「大渡し」に結び付けることだったの ではないか。そして風が横に回るにつれて、両端に近い帆足ほど長く伸ばし、一方では帆の縦縁下 部に取り付けた脇取り綱を風上舷では船首方向へ、風下舷では船尾方向へ強く引いて帆足と張り合 わせると、十分ではないにしてもタック、シートを使うのに似た帆の張り方ができるであろう(図1 5の写真)。 図13 帆桁の角度など、帆の設定が前進推力に及ぼす影響 (風洞試験結果)
図14 詰開き帆走――帆足は放しているがタック、シートが 効いて詰開き向きのフラットな帆の形状になっている
図15 図14と同じ詰開き――タックの代わりに脇取り綱と帆足で 張り合わせるが帆の下の方が遊びがちで、その分性能が落ちる
もっともこのとき帆足を追い風帆走と同じに「大渡し」に一様に引き付けていたのでは帆がひ どく捩じれてしまって風をはらまないのは明らかであり、両端に近い帆足を十分に伸ばすことが肝 要である。上り帆走ともなれば伸ばした帆足の長さは船の全幅に近いくらいにもなる。 この形式の綱取りを試みた結果を図13中の▲ (和式と注記)、タックとシートだけを○ (洋式と注記)、タック、シートと帆足を併用したものを△ で示す。 なお帆の縦縁の中ほど及び上部から引く「両方綱」、洋型帆船でいうボーリン(bowline)だが、 これの風上側は上記いずれの場合にも船首方向へ強く引いてあり、また風下側は▲では船尾方向へ 引き、他の場合にはゆるめてある。シートがあれば風下ボーリンはゆるめて風をきれいに流す方が よい。 この結果によると、見かけ風向 90゜では上の3者にほとんど差は見られない。写真を比べてみ ても、タックが無いと帆の風上側の下隅が少しめくれて遊んでいるが帆全体としては取るに足らな い程度なのであろう。 しかし見かけ風向 70゜の横風、50゜の「詰め開き」となるに従ってこの差は目立つようになり (図13)、タック、シートの方が横風で8%、詰め開きで13%ばかり大きい推力を出している。こ の差はスピードにするとそれぞれ4%、6%くらいになるであろう。 図14および15の写真は、見かけ風向 50゜の詰開きでヤード角も同じ 25゜の例であるが、 測った推力には上記程度の差がある。図15の方では帆の風上側下部が全体に風下に流され、とく に下隅のあたりが遊んでいるのが分かる。 開き走りの帆の性能と綱取りについてはなおいくつか注目すべき点がある。 まず、すでに述べた「両方綱」の風上側は開き走りではいつも船首方向に強く引いておかねば ならない。これを緩めただけで推力が 40%も落ちた例がある (図13、γA:90゜のデータ中、左 下の▲)。 このことはきわめて大切で、横帆船の風上航を英語では sail on a taut bowline (両方 綱を一杯に締めて走る)というくらいである。この操作の効果は帆の風上縁に張りを与えて、よど みのない風の吹き込みを促すものと考えられている。 これに劣らず重要なのは、帆の風下側の引き込み具合である。帆の上部が風を受ける角度は帆 桁で規制されており、その最適角度についてはすでに述べた。しかし帆の中ほどから下ではシート の引き込みの程度で何とでもなると言ってよい。それはシートを使わず、風下側の帆足と脇取り綱 の張り合わせで調節しても同じである。この調節は当然ながら引き込み過ぎても伸ばし過ぎても悪 く、図13、γA: 90゜のデータ中に注記したようにその影響はきわめて大きい。 最後に、今回の浪華丸で使った綱取りにも触れておかねばならない。この船は経験もまちまち なボランティア水主に依存しなければならなかったので、安全が一番の関心事であった。そのため に往時は使っていなかったことを承知の上で帆の下縁を太いフットロープで補強し、帆足はいった ん束ねてこのロープに括り付けた。フットロープの両端に船の全長の1/2余まで伸ばせる2重滑 車のテークルを2組取り付け、その固定側滑車はそれぞれ「胴の間」前端の舷側(船首側)および「隅 の立」(船尾端)に固定した。このテークルの一方を伸ばしもう一方を縮めれば帆の両下隅は舷側に 沿って移動するから下手回しで帆が暴れるおそれはなくなり、また脇取り、両方綱は下手回しの前
に束ねてテークルの付近に止めておくから、これらのかさ高い索具を手で持って船首、船尾甲板の 間を行き来する作業もなくなる。 上り帆走では風上船首側のテークルを一杯に締めてタックとし、風下船尾側のテークルをシー トに使う(図5の写真)。必要に応じて帆足をほどき、大渡しや舷側に結び付ける。こうして出来上 がった帆の形に関するかぎり、本来の綱取りで得られるものと余り変わらないはずである。しかし この綱取りは上記のタック、シート方式だから、詰め開きでは伝統的な綱取りよりいくらか高性能 になっているであろう。 ついでながら、この綱取りは特に新しいものではなくて例えば10~12世紀のバイキングの クナール、13~14世紀のハンザ同盟のコグ、どちらも一本マストに正方形に近い横帆一枚の弁 才によく似た帆船だが、これらの船ではすでに使っている。 5.3 下手回し操船操帆について 下手回し操船の実測例が4.3節に示されているが、この例では下手回しによる風上距離損失 は約350mで 10 船長以上になる。今回の海上実験での下手回しはおおよそこの程度で、それは予想 をはるかに越える大きい損失であった。これが往時の弁才船の下手回しを代表しているかどうかは 検討の余地があろう。 まず使用された舵角をみると 10゜に足らず、それも常時一杯には取っていない。言いかえれば 船体運動に関する限り、もっと小回りすることは十分可能である。舵の強度や船の横傾斜にも問題 がありそうには思えない。 そうなると問題は操帆をもっと速やかにできないものか、昔の熟練した水主たちはもっと手際 のよい操帆を知っていたのではないかと疑われる。事後の想像で余り確かなことは言えないが、帆 桁の振り回しをもっと急いで、風が船尾にまわったころには次の開きの帆桁を船体中心線一杯に引 き込むくらいにすればよかったのではないか。 実はそれを心つもりしていたのだが、思うように動 かなかったのが実情である。それに加えて、それまでの開きの風下クルー、シートが付いている方 のクルーだが、それを早々と流してしまって風を抜き、新しい開きの船首舷側へ引き付けるべきだ ったと思う。このような手早い操帆にあわせて大舵を使えば下手回しの風上距離損失はずっと小さ くできたであろう。今後の参考にしたい。 なおこれは下手回しではないが、浪華丸の帆走操船性能について今ひとつ注記すべき事例があ る。7月31日午後、6~7 m/s の風を受けて左舷詰開きで帆走中、取材のヘリコプターが指定範囲 を越えて過接近し、そのダウンウォッシュ(吹き下ろし風)が突風となって船首を襲った。帆は完 全に裏帆を打たれ船速は急に落ちていわゆる ”in irons” の状態(miss stay、ミッシングステイと も言い、風を船首に受けたまま立ち往生すること)におちいってしまった。その後 20 分ばかりも 帆をいろいろ操作したり、後退りの水流を利用すべく逆舵を試みたりしたが、船首を風下に落とす ことも再び走り出すこともできなかった。 帆が揺れ動きを繰り返したため、帆を帆桁に止めている 綱がゆるんで来て一部は切断するにいたり、危険を感じてその日の実験を打ち切らざるを得なかっ た。
る。それと風の振れや波の衝撃などで詰開き帆走からこの立ち往生におちいることもあるはずで、 それから脱出する手段はあったに違いないが今のところ分からない。あるいは「弥帆」の出番だっ たのかも知れない。弥帆は船首端に少し前傾して立てるごく小さい補助横帆で、明治以降のジブと は違ってずっと昔から使われているのだが、今回の実験帆走では省略していた。最終の展示では装 備されることになっている。 6.帆走性能の推定計算との比較 浪華丸の帆走性能を推定するために模型試験を行い、この結果をもとに速度予測プログラム(V PP)を作成した。帆に作用する流体力は風洞試験を実施して求めた。また、独特の船型である弁 才船の直立直進時の抵抗や横流れ時の船体性能を明らかにするために、船体模型を製作して曳航試 験を行った。これらの実験結果をもとにVPPによって求めた帆走性能推定結果と、実測値の比較 について次に述べる。なお、菱垣廻船に関する同様の解析が多田納ら[3]によって行われている ので、本論文の結果と併せて示すことにする。 6.1 帆に作用する流体力 風洞実験は大阪大学風洞で行い、測定部は1.8mx1.8m の角型断面、風速は 7 m/s である。模 型は1/30スケールで25mm 幅の薄いリボンを6枚並べ、 隣りどうしの縁を重ねずに突き合わ せ、その上を緩いジグザグスティッチで縫い下したものを1「はかい」とする。「はかい」の左右両 端の縦縁は0.8mm のタコ糸を縫いつけて補強し、4「はかい」で 24 反帆ができる。 船体は実船 実験時の喫水で浮かぶ水面上の概略模型を作り、検力計を介して風洞測定部の床面に取り付け、そ の上に帆を張ることになる。床が水面に相当し、検力計は床下に隠れている。実験の様子を図14、 15に示す。測定にあたってはまず船体だけで各風向ごとに風圧力を測っておき、本番で帆を張っ て風圧力を測り、それから船体の分を差し引いて帆に働く力を求めた。帆柱や索具は帆の一部とみ なしている。 なおこの風洞の測定部は固体壁で囲まれた形式なので、帆のような大きな断面積の被測定物を 入れると閉塞効果で流速に相当な影響が出る。これを開いた空間の中の値に修正するために、閉塞 率修正[6]を行っている。 このようにして得られた帆に作用する流体力は、前章に述べたように帆桁の角度や索具の取り 方で大きく変るが、その中で前進推力を最大にするデータだけを取り出して、前進力係数 X’ 、横 押し力係数 Y’、回頭モーメント係数 N’ を、見かけ風向に対してグラフにしたものを図16に示 す。ここで無次元化は(1)式によって行っている。なお、回頭モーメント係数 N’ は船体重心回りの 値であり、わずかに風上側へ回頭しようとするモーメントを生じていることが分かった。
図16 帆の前進推力係数、横押し力係数、回頭モーメント係数(風洞試験より) 0 20 40 60 80 100 120 140 160 180 0.0 0.2 0.4 0.6 0.8 1.0 1.2 1.4
γ
A [deg] X ', Y ', N ' X' Y' N'一方、横傾斜モーメント係数 K’ に関しては実験機器の関係で測定できなかった。このため後述の 帆走性能の計算(VPP)においては、横押し力 Y が帆の風圧中心高さに集中して作用するもの として計算している。 但し、X:帆の前進推力[N] Y:帆の横押し力[N] N:帆の回頭モーメント[N m] ρa:空気密度[kg/m3] UA:見かけ風速(相対風速)[m/s] SA:帆面積[m2] 図16において、見かけ風向が 40゜では真風向はほぼ 49゜となるが、それでもある程度の前 進力を発生しており、見かけ 50゜(真風向 64゜)ともなれば結構な前進推力が得られていること がわかる。ここで前進力の大小は実はこの図の係数X′そのものではなくて、それに見かけ風速の 自乗を掛けたもので示されることに注意しなければならない。海面を吹く風速は同じでも見かけ風 速はのぼり帆走で一番大きく、風が後ろへ回ると小さくなるので、帆に作用する前進力と見かけ風 向の関係はこの図よりも上りの前進力はずっと大きく、追手では小さくなる。 横押し力も同じことだから、上り帆走における横押し力がいかに大きいかが分かる。弁才船は 垂直に近い根棚を全長にわたって持っており、また舵も非常に大きいが、これはどちらも大きい横 押し力に抗して船が横へ押し流されるのを防ぐためである。この工夫がなければ弁才船の風上帆走 性能はとてもこれだけのものにはならず、従って帆だけで実用航海をすることも出来なければ、千 石、二千石というような大型化もなかったであろう。 図17は、図16の結果を帆の空気力学的性質を示す「揚力抗力ポーラー線図」にまとめたも のである。石井謙治氏の著書[1]に弁才船の帆の縦横比に関連してこのグラフの概念図が挙げら れているが、本図はその定量的肉付けとも言えるであろう。ここにはMarchaj[7]によって示さ れた現代のセーリングヨットの背の高い帆や、大型商業帆船に常用された幅広で背の低い帆も比較 のために入れてある。弁才の帆は大型帆船の帆よりも縦横比が大きいので上り帆走に有利であるこ とが分かる。ちょうどヨットと大型帆船の中間に位置している。一般の通念に反して弁才船が結構 優れた風上帆走能力をもっていた理由も理解されるであろう。 6.2 船体に作用する流体力 模型船の曳航試験は、1/20 スケールの船体模型を製作し、大阪大学船舶試験水槽において実施 した。実験内容は直立直進時の抵抗試験と舵角試験、ならびにヒール状態を含めた斜航試験である。 模型船の喫水線長さが 1.15m(舵を含めても 1.29m)と小さいため、乱流スタッドを3列にするな どして、層流影響が出ないように注意した。また実船は風上帆走でかなり横流れすることがわかっ ているので、斜航試験は横流れ角 15°まで行った。一方、舵は構造的に±15°程度までしか切るこ とができないため、舵角試験もこの範囲で行った。 2 3 2 2 2
2
1
2
1
2
1
A A a A A a A A aU
S
N
N
S
U
Y
Y
S
U
X
X
(1)図18 模型船直立直進抵抗(曳航水槽試験より) 直立直進時の抵抗試験結果を図18に示す。ここで抵抗値は(2)式により無次元化している。 但し、RT:全抵抗値[N] ρW:水密度[kg/m3] V:速度[m/s] S:浸水表面積[m2] 和船独特のナックルの多い船型であるため、3次元外挿法で用いられるフォームファクターに 相当する部分がかなり大きくなっていることがわかる。しかし定量的に3次元外挿を行なうにはデ -タが不十分で、実船抵抗値の算定には2次元外挿法を用いた。いわゆる粗度修正、△CF を 0.002、 0.004、0.007 と3通り仮定し、実船計測データと照合した結果 0.007 を採った経緯は、5.1節の (1)に述べたところである。 次に舵角試験の結果と斜航試験結果の例を図19、20に 示 す。ここで流体力は(3)式のように 無次元化するとともに、(4)式のように微係数表示した。模型試験によって得られた流体力微係数 の値を表1に示す。ここで横傾斜モーメント係数 KH’ と、回頭モーメント係数 NH’ は重心回りで 表している。なおこれらの力とモーメントの向きに関しては次節の図21の定義に従うものとする。
N
N
K
K
LD
V
Y
Y
LD
V
X
X
H H w H H w H H 2 21
1
2
1
2
1
(3) 0.0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.000 0.005 0.010 0.015 0.020C
T,
C
F,
C
RFn
C
TC
FC
RS
V
R
C
w T T 22
1
(2))
(
log
242
.
0
10 n F FC
R
C
図19 舵角δによる船体流体力係数の変化(曳航水槽試験による) 図20 横流れ角βによる船体流体力係数の変化(曳航水槽試験による) 表1 船体に作用する流体力の流体力微係数(曳航水槽試験による) -20 -10 0 10 20 -0.2 -0.1 0.0 0.1 0.2 -0.010 -0.005 0.0 0.005 0.010 Y H ', K H ' X H ' ,N H ' β [deg] XH' YH' KH' NH' -20 -10 0 10 20 -0.10 -0.05 0.00 0.05 0.10 X H' ,Y H', K H ' ,N H ' δ [deg] XH' YH' K H' NH' Xδ δ' -5.76E-05 Yδ' -5.01E-03 Xβ β' -5.79E-06 Yβ' 8.68E-03 Xφ φ' -3.75E-06 Yβ β β' 1.14E-05 --- --- Yφ' 2.61E-04 Kδ' 4.45E-03 Nδ' 2.35E-03 Kβ' -6.15E-03 Nβ' 1.76E-04 Kβ β β' -3.17E-06 Nβ β β' 2.27E-07 Kφ' -2.99E-04 Nφ' -3.39E-04
但し、XH:船体抵抗[N] YH:船体横抵抗[N] NH:回頭モーメント[N m] KH:横傾斜モーメント[N m] L:喫水線長さ[m] D:喫水深さ[m] δ:舵角[deg] β:横流れ角[deg] φ:ヒール角[deg]
なお、ここで X0’ は直立直進時の全抵抗係数を表している。また各係数の符号は図21に示 す方向を正として表記している。 6.3 速度予測プログラム(VPP) 帆に作用する流体力は図 16 に示すように、前進力Xだけでなく横押し力Yも大きいため、帆走 船はあるヒール角で横流れしながらある舵角を保って航走するのが定常状態となる。この定常状態 を求めることは帆走船の場合、図21に示すようなX、Y力と、K、Nモーメントの釣り合い点を 求めることに帰着する。すなわち(5)式のような4元連立方程式を解くことになる。 ここで第 3 式のKモーメントの釣り合い式において、左辺第 3 項目は船体自身の復原モーメン トを表しており、GM は実船計測値で 1.34mであった。上式の内、XH’、YH’、KH’、MH’ は船 体に作用する流体力係数で(4)式によって求められる。なお直立直進時の実船抵抗値を求める上 で、船体摩擦抵抗の粗度修正は上述のようにΔCF=0.007 としている。また X’、Y’、K’、M’ は 帆に作用する流体力係数で、相対風向γAの関数として図16より求められる。なお相対風速UAと 相対風向γAは、図21に示す風速三角形より(6)式によって求めることができる。
N
N
N
N
N
K
K
K
K
K
Y
Y
Y
Y
Y
X
X
X
X
X
H H H H 3 3 3 2 2 2 0
{
sin(
)}
sin
)
cos(
2
1 2 2 T T T T AU
V
U
V
U
U
(6) (5)0
2
1
2
1
0
sin
2
1
2
1
0
2
1
2
1
0
2
1
2
1
2 3 2 2 2 2 3 2 2 2 2 2 2 2
A A a w H A A a w H A A a w H A A a w HS
U
N
D
L
V
N
GM
S
U
K
LD
V
K
S
U
Y
LD
V
Y
S
U
X
LD
V
X
(4)図21 座標系の定義と風速三角形 以上より、(5)式は速度V、横流れ角β、ヒール角φ、舵角δの4つを未知数とする4元連 立方程式となり、ある真風速UT、真風向γTに対して帆走状態が1つに定まることになる。これを 解くために用いられるのが速度予測プログラム(VPP)である。 VPPの解法には上述の水槽試験や風洞試験結果を用いるが、これらの計算式は非線形になるた めニュートン・ラプソン法を用いることにする。なお、帆の横傾斜モーメントKに関しては前節で述 べたように測定していないため、帆の図心高さに横押し力Yが集中して作用するものとして計算す ることにした。また、船体に作用する空気力に関しては、風洞試験結果を用いて別途風速三角形を 計算して求め、帆の空気力と合計している。ここで海面上の高さ方向の風速分布は 1/7 乗法則に従 うものとしている。 このようにして真風速UT=8m/s の場合について求められた予測値を、図22のポーラー線図 に実線で示す。図中の実験点は図7のものに等しい。また図中の破線は、多田納ら[3]が浪華丸 よりも一回り大きい菱垣廻船である「歓晃丸」について、同様の模型試験を行って性能予測した結 果である。 本解析においては、追い風時の帆走性能をもとにしてΔCFを決めているので、追い風時の実測 値と予測値が一致するのは当然として、詰め開きの性能もよく表していることがわかる。 一方、 横風時のVPP性能予測値は真風速の40%以上の船速となることが示されている。これはVPPの 計算に用いた風洞実験データが、推進力X が最大となるように調整して得られた結果を用いたため と言える。本計測に入るまでの浪華丸の帆走経験は1週間程度であり、この程度の期間では第5章
y
z
φ
U
V
x
y
Aγ
Tγ
A TU
δ
β
WINDY
K
Y
X
N
に示したような、開き走りの帆の最適な調整を行えるようになるまでには至らなかったものと考え られる。 多田納らによる「歓晃丸」の予測値は、本解析結果と比べると詰め開きの性能が良く、120°近 くの開き走りではやや劣っている。これは「歓晃丸」が相対的に重い排水量で計算されていること と、風洞試験時の帆調整の違いによるものと考えられる。しかしながら、このようなある程度の船 型の違いや帆調整の違いがあるにもかかわらず、両者の予測値がかなり近い値を示していることは、 菱垣廻船に代表される当時の弁才船の帆走性能がほぼこのようなものであったことの証左といえよ う。 一方、船体姿勢を示す緒量に関する予測結果はすでに図8に示しているが、予測値は実測値の 傾向を非常によく表しているものといえる。従って、本研究で示した模型試験データから実船性能 を予測するVPPの手法は適切であったものと考えられる。このことは、このような過去の船の性 能を、模型試験データを用いて推定することが十分可能であることを示しているものといえよう。 図22 実測された帆走速度とVPP予測値との比較
γ
T+β
V/U
T[deg]
0°
30°
0.0
0.1
0.2
0.3
0.3
0.4
0.4
60°
90°
V
120°
150°
180°
右 舷 開 き (
S tar b oar d T ack)
○
◎
左 舷 開 き (
P or t T a ck)
Estimated (U
T=8m/s)
(Kankoh-Maru) [3]
0.1
0.2
Do.
7.結論 得られた主な結論は次の通りである。 (1) 弁才型帆船の風上帆走性能は、横流れも考慮した上で風に対して75°くらいまでさかの ぼることができ、その速力は普通の帆走日和ならば風速の25~30%くらいであろう。一番速く 走れるのは真横から少し後ろ寄りの風で、その速力は風速の35~40%に達する。 (2) 弁才の帆の調節は多様であり、その如何によって前進推力や横押し力に大差が出る。 風 洞試験によって最適の帆桁の位置、風上側両方綱の大きな効果、タック、シートや帆足の作用など が明らかになった。これらについては5.2節に詳述するところである。 (3) 風洞試験で得られた弁才船の帆の空気力学的性能を、図16および17に示す。それは現 代のセーリングヨットの背の高い帆と、大型商業帆船に常用された上下に狭い帆の中間にあると言 うことができる。 (4) 船型試験水槽や実験風洞の模型試験の資料にもとづいて行なう実船帆走性能の推定計算(V PP)は実情をよく表わしているようであり、歴史上の船の性能を知ることに役立つであろう。 謝辞 浪華丸の帆走実験は大阪市港湾局、大阪港振興協会が日本財団の補助のもとに行なったもので ある。また関西造船協会はじめ、多くの法人や個人の有志の方々からも支援をいただいた。運航や 計測の実務については本船を建造した日立造船(株)、奥田忠道船長以下志願乗組員諸氏をはじめ多 くの方々に負う所が大きい。ここに記して関係各位に深甚なる謝意を表する。 引用文献 [1]石井謙治: 和船 I 、法政大学出版局、東京、1995. [2]堀内雅文: 大和型船-航海技術編- 、成山堂書店、東京、1982 [3]多田納久義、田村尚久: 弁財型帆船の帆走性能について、海事史研究41 号、1984 日本海事史学会. [4]長者丸船頭 松本金蔵「日記」、文献[1]に抄録 [5]桃節山「西遊日記」、文献[2]に抄録 [6]増山豊、多田納久義:帆走の船舶流体力学的研究(第4報)、関西造船協会誌、No.185, 1982, pp.107-115.