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目次 1. クラウドソーシングを先取りした青空文庫の軌跡 1 2. パブリックドメインと電子テキストの 20 年 パブリックドメイン レジスタンスと文化共有の未来 四方を満たす水 と 泡一つ 青空文庫と翻訳とわたし 71

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青空の本棚から

(青空文庫の20年)

[試作版]

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1. クラウドソーシングを先取りした青空文庫の軌跡 1 2. パブリックドメインと電子テキストの 20 年 17 3. パブリックドメイン・レジスタンスと文化共有の未来 33 4.「四方を満たす水」と「泡一つ」 53 5. 青空文庫と翻訳とわたし 71

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1)http://www.aozora.gr.jp/ 1. クラウドソーシングを先取りした青空文庫の軌跡 クラウドソーシングによるボランティア活動 2013 年の夏、『ガッチャマン クラウズ』というテレビアニメが放映された。 その題名の示す通り、往年のアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』のシリーズ新 作であるが、筆者が惹かれたのは劇中、クラウドソーシングによるボランティ ア活動が描かれていた点だ。作品に登場するソーシャルネットワーキングサー ビス(SNS)の「GALAX」は、社会に大小の問題が生じたとき、登録された 群集のなかから最適な人材をマッチングさせ、個々人の自発的慈善によって解 決に当たらせる。 私が初期から参加しているインターネット上のボランティア活動「青空文 庫」1)も、個々人の自発的行為に支えられた運動である。「インターネット図書 館」と呼ばれることもあるが、それはあくまでも利用者の側面から見たイメー ジであり、実状としては一面しか伝えていない。活動としては、インターネッ トさえあれば誰にでもアクセスできる〈青空〉をひとつの公開書架とし,(著 作権保護期間が満了した書籍などの)自由な電子本を共有可能なものとして図 書館のようにインターネット上に、個々人の自発的努力と参加によって集めて いる、という説明の方が妥当だろう。 不特定の群集(クラウド)によるボランティア活動は、電子ネットワークに よって促進される一方、群集ゆえの弱点ももちろん否定できない。『ガッチャ マン クラウズ』では、クラウド活動の脆さ・危うさもともに描写されるが、 青空文庫も 1997 年に開設されて以来、その種の問題と無縁ではない。 本稿では、青空文庫をクラウドソーシングによるボランティア活動の先駆と

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2)ジェフ・ハウ/中島由華訳(2009)『クラウドソーシング みんなのパワーが世界を動かす』早川 書房、pp.22-23 3)前掲書、pp.15-16 捉え、その形態を解説するだけでなく、ネットワークや情報技術の発展と変遷 とともに、どのように変化し、どのような問題が生じてきたか、どう受容され てきたかを、その将来性も見据えながら論じていきたい。 協働作業の変遷 クラウドソーシングは、その名付け親であるジェフ・ハウによれば、「何千、 何万という人びとが、ほかの人びとと交流するなかで、誰かに命じられたわけ でもなく、自分たちの好きなことをした結果」2)、「かつては企業の正社員だけ が手がけていた仕事を、たいていは低賃金で、あるいは無償で、集団として完 成させる」3)活動だとされる。 青空文庫の場合は、本を集め、パブリッシュして市民の利用に供すること、 つまりかつては図書館や出版社が担っていた仕事を、自発的な群集の意志が電 脳空間で実現させたということになる。しかしその方法は、必ずしも開設から 今に至るまで一様なものではない。 ■初期 開設当初の青空文庫は、自然発生的でもある。草分け的なクラウドソーシン グの例に漏れず、まず少数の人物が活動を始め、その周囲に人が集まり、クラ ウド化した。 はじめは、「呼びかけ人」とされる 4 名の人物が共有可能な作品のデータフ ァイルを 5 冊サイト上で公開したのみで、「青空文庫の提案」として、同様の 本を集めたいという方針は示されていたが、実際の作業は 4 名だけが手分けし て行うことが想定されていた。ところがほどなく提案に共鳴した人々が次々と

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現れ、協働活動の形 を取ることになる。 その経緯からか、 クラウドとしては、 少数の人間に複数の 人間がぶら下がると い う 形 に な っ て い た。具体的には、個 々のボランティアの 入力したものを、「世 話人」(ほぼ呼びかけ人と重複)が取りまとめ、そして校正を希望する人に差 配し、作業の完了したファイルを整形してサーバにアップロードする。そして 意見の交換・表明には、パソコン通信時代から普及していた「掲示板(BBS)」 システムと、世話人へのメールが主に用いられた。(図1) この形態の場合、クラウドソーシングをうまく起動・駆動させるのは、カリ スマと中心的運営の存在である。『ガッチャマン クラウズ』の GALAX にシン ボルとしての「LORD GALAX」と運営中枢としての「総裁 X」がいるように、 青空文庫にも富田倫生氏や野口英司氏がおり、富田氏のカリスマ性と野口氏を 始めとする呼びかけ人の運営によって、「インターネット図書館」としての青 空文庫が形成されていった。 しかしこの形は、「世話人」への負担がかなり高くなることは否めない。ク ラウドが大きくなればなるほど、濃密なコミュニケーションと作業の負荷が世 話人へかかるようになる。そして青空文庫が軌道に乗るとほぼ同時に、2001 年にはこの形式 でのクラウドソーシングが破綻を迎えるのである。 ■中期 2001 年末、それまでクラウドソーシングを機能させていた専従者としての 「世話人」体制を、青空文庫は解消することになり、運営のほぼすべてをボラ

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ンティアで担う形へ と移行する。 これまで世話人が 担っていたファイル の確認や整形・アッ プロードを「点検グ ループ」と呼ばれる ボランティアチーム が自主的な立候補に よって務めるようになり(ただし移行後しばらくの名称は「世話人」のまま)、 また開設以来、世話人によって手動で管理されていたデータファイルも、2002 年には専用のデータベースが構築され、そこで管理保守されるようになる。こ れら一連の移行や日々の作業のための議論は、2000 年に青空文庫のクラウド ソーシングに導入された「メーリングリスト(ML)」で主に交わされた。(図2) 参加者内でメール送受信が共有される ML の登場は、呼びかけ人を含めた参 加ボランティア(クラウド)を、ぶら下がる形ではなく、横一列もしくはゆる やかな輪でくくるような形態へと変えた。議論はボランティア内で共有され、 活溌な意見交換されるようにもなった。ボランティア同士で独自のグループや プロジェクトを作って作業するなど、クラウド作業の発展も数多く見られた。 ところがこの形にもまた、やがて亀裂が走るようになる。 ボランティアというのは自発的な「意志」であるがゆえに、個々人の「意思」 は強固である。そ れまで「世話人」を軸に「青空文庫」という「作業」だけ でつながっていた群集が、ML で「思想」を晒し、付き合わせるようになると、 やはりそこで差違が露わになり、さらに互いの齟齬も生まれる。作業方針だけ でなく個々の文学趣味や態度まで意見が食い違い、クラウド内部に決定的な断 絶までもが生じる。またこの形態では、カリスマ性さえも裏返り、「発言力」 と「代表的」という性質が、クラウドソーシングの成果・功績を独り占めする ものとして非難されることもあった。

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『 ガ ッ チ ャ マ ン クラウズ』でも物 語中盤、クラウド 活動の中心メンバ ー が L O R D GALAX に 不 満 を 抱いたことで、(敵 役の介入もあって の こ と だ が ) GALAX 自体が不安定になっていく。GALAX での活動には、慈善行為を行う たびに「世界がアップデートされました」という通知で活動した個々人へのゲ ーミフィケーションが行われる等、射幸心を煽る側面もあるのだが、青空文庫 の活動が、公共図書館への DVD 寄贈計画や著作権保護期間延長問題、パブリ ックドメインの産業支援効果などでの注目から、次第に文化貢献と見なされて ゆくにつれ、この中期の混乱も同様の問題を孕むことになった。 ■後期 2000 年代の後半に入ると、作業や意見交換のための掲示板の閉鎖や、ML の 機能不全も目立つようになった。議論に疲れて作業から離れるメンバーや、ク ラウド内の亀裂から活動そのものに失望してしまうボランティアも少なくなか った。クラウド自体の浄化を求め続ける人もあったが、結果としては、クラウ ドソーシングの継続を目指すため に、形態はやむをえず初期に近いものへと 戻ることになる。(図3) 初期の「世話人」ほどではないが、ファイルの管理を担う点検ボランティア と入力・校正ボランティアのあいだには、ゆるやかな壁が生まれ、そして一部 の呼びかけ人を含む点検グループが、青空文庫のファイルと方針を守るある種 のゲートキーパーとなった。この形態では、黙々と作業に励むことがある程度 可能なため、活動としては安定するものの、中期に比べて恣意的な議論と判断

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と流れがちであり、クラウド全体の総意を汲みづらくなるという問題点が残る。 そして集団としての硬直化や、活動の敷居が高くなる点、いかにモチベーショ ンを維持していくかなど、多年の運動による課題も山積しつつあった。 また、青空文庫の「インターネット図書館」というイメージも、2000 年代 中盤からの Web 2.0 の潮流においては、送り手から受け手への一方的なコンテ ンツ提供という側面から旧来の Web のあり方に留まるものと見なさざるを得 ない。 さらにクラウドの閉鎖性・不透明性は、ある意味では「悪の秘密結社」然と した様相も帯びさせることになる。初期から、市民による書籍の勝手な電子化 は、法律に裏付けられたものであるとはいえ、出版業界の一部から敵視・海賊 視されることもあった。「世界の変革」は「既存の社会の破壊」と裏腹であり、 青空文庫の存在感が大きくなれば、その分だけ脅威と受け取られることもある ということである。「著作権保護期間の死後 70 年への延長に反対する署名活動」 を行う政治的主体としての青空文庫が 2007 年の日本社会に現れたならば、な おさらである。『ガッチャマン クラウズ』の終盤、GALAX は物語の要請から か一種チープな「暴徒」の集まりへと転ずるが、いくらクラウド内部で理念が あろうとも、外部からの見ようによっては「悪」にもなるのであり、青空文庫 に参加する自分としても、他人事では済まされない話であった。 ■クラウドからクラウズへ しかし、クラウドはもう一度、大きく変容する。いや正確に言えば、クラウ ズとして生まれ変わる、だろうか。つまり単数から複数への変化だ。 転機は、大きなものを挙げるならば、2008 年末の iPhone 3G の日本上陸に 端を発する、携帯情報端末の進化・発展・普及である。青空文庫とはそれまで、 多かれ少なかれ PC 上で読むものであった。むろん PDA や電子書籍専用端末 での読書も既にあったが、一般に通用したとは言い難い。ところがスマートフ ォン・タブレット端末の登場が、長く試行錯誤されてきた青空文庫を読むため のソフトウェアの発展と相まって、青空文庫の本棚をアクセスされるものから、

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4)http://tatsu-zine.com/aozora/ 5)http://bookwalker.jp/ex/sp/aozora/ 文字通り携帯されるものへと変えたのである。 それら端末とソフトウェアの組み合わせが画期であったのは、「本棚」ある いは「開架」をコピーしたからだ。もし青空文庫の実体がその自由な「棚」で あるとすれば、青空文庫のサーバ(データベース)そのものが青空文庫である と言える。手を伸ばせば誰でも届く本棚に、自由な本を集めることこそ活動の 本体でもある。従来のソフトウェアは、青空文庫から個々人がダウンロードし たファイルを個別に読み込ませるのが大多数であった。しかし「i 文庫」や「豊 平文庫」といった iPhone アプリケーションは、アプリ内で青空文庫の開架を 再現しているために、端末上にあたかも青空文庫があるかのような感覚を抱か せる。先んじて 2007 年にニンテンドー DS 用ソフトウェアが数種登場し、そ のほか 2008 年から 2010 年に数多くの青空文庫ビューワが各端末向けに生まれ ている。 こういった本棚のコピー・再現を保障するのは、2003 年の年始から提供さ れた「公開全作品 CSV」だ。また継続的に行っていた CD・DVD での青空文 庫全ファイルの配布に代わる github での提供も、本棚の複写を支援する。携 帯情報端末や電子読書端末・EPUB の普及によって、「達人出版会」4)や「book ☆ walker」5)などでの青空文庫収録作品ファイルの再配布も盛んになり、青空 文庫はハイパーリンクの宛先から、コピーの源泉へと変化してゆく。 ライブラリの観点から見るなら、当初インターネット上の家庭文庫めいたも のとして始まったものが、電子的な巡回文庫のような役割で、蔵書が各電子書 籍ストアやアプリに活用されている、ということなのだろう。 しかし何よりも不思議なのは、こうしてコピーされた本棚もまた「青空文庫」 と呼ばれることである。実際は青空文庫の本棚(データベース)とは別物であ るにもかかわらず、再配布サイトでもアプリケーションでもまた、書架は「青 空文庫」と称され、アプリやサービスそのものが「青空文庫」を名乗ることさ

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えあり、それぞれで 独立して活動が試み られている。(図4) 「青空文庫」という 単一のクラウドであ ったはずのものが、 いつの間にかコピー によって増殖し、個 別の複数の活動とし て「クラウズ」へと変容していったのである。 クラウズの周辺 こうして複数化した青空文庫の周辺では、個々人が様々な行動を取り始める ようになる。『ガッチャマン クラウズ』でも、クラウドソーシングをしてい た(その恩恵を受けていた)はずの人々は、ある大事件をきっかけとして、自 身の活動の多義化を経て次第にそのなかで独自に楽しみを抱き始める。そして 「青空文庫」でも、そもそもは主にパブリックドメイン(PD)をクラウドソ ーシングで生成するだけ、受け手はそれを読むだけの活動であったものが、そ れぞれのクラウズ周辺の人々を巻き込んだ自由な文化活動となっていったの だ。 ■ PD を電子化する意義 ここでPDの「生成」と記したのには理由がある。コンピュータ(あるいは 電子ネットワーク)の登場以前は、「青空文庫の提案」でもあらためて意義を 強調しなければならなかったように、PDというのは理念こそ法的に保証され てはいたが、一般の人々からは縁遠いものであった。多くは「版権切れ」の言 葉が示すように、出版社が著作権料なしに復刊・販売ができるといった程度の

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6)たとえば国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで公開されたことで話題となり、復刊にまで 至った「エロエロ草紙」の例を思い出してもよい。以下の記事も参照のこと。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1403/18/news035.html 状態であり、PDと いう概念の認知度は 今と比べて著しく低 かったと言わざるを 得ない。また、当該 作家の研究者のよう に誰しもが著作権保 護期間の満了を意識 しているわけではな いため、ある作品が すでにPDとなって いることを、実際に PDとしてデータ共有されて初めて気づく人も少なくない。つまり、ある意味 では、PDとは、PDとして電子化されて初めて、利用者の 市民にPDとし て発見・認識されるということでもある 6)。利便性・可視性を向上させる電子 化を経て、PDはコミュニケーションの場で共有可能なものとして社会的に顕 現される――このことを比喩的に「生成」と呼んだのである。青空文庫が毎年 元旦に「パブリック・ドメイン・デイ」として、その年始に保護期間が満了す る作家の作品をことさらに掲げるのは、こうしたPDの生成に付随する広報効 果や、それを伝える青空文庫の社会的機能を意識してのことだ。(表1) ■ PD の生成で可能になること 一例として、「不思議の国のアリス」のミュージカルがある。今では様々な 形で翻案される児童文学の傑作だが、作者ルイス・キャロルが存命中に、作者 表1 年始に青空文庫で公開されてきた作家一覧

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7)Lovett, Charles C. (1990) Alice on Stage: A History of the Early Theatrical Productions of Alice in

Wonderland, Together with A Checklist of Dramatic Adaptations of Charles Dodgson's Works, London:

Meckler. 8)楠本君恵(2007)『出会いの国の「アリス」』未知谷,第一部第二章「『アリス』の舞台化」pp.147-212 自身が密接に関わる 形でミュージカル化 されていたことは、 キャロル研究者やコ アなファンに知られ てはいた。しかし、 その台本や楽譜が入 手困難であることも あり、一般にはほと んど知られないまま であった。そして初 演の 1886 年のあと すぐ一度再演されたのみで百年以上にわたって上演もされず、埋もれた作品と なっていたが、その作品にまず光を当てたのは、あるアリス愛好家の出した Alice on Stage (1990) という書物だった7)。その書籍は、ミュージカル制作の 詳細な経緯を論じ、台本を載録したものであったが、これを受けて国内のアリ ス研究者である楠本君恵氏が、その著書『出会いの国の「アリス」』(2007) で、当該書を引用しつつミュージカル作品の概要を日本へ紹介するに至る 8) さらにその本を通じてミュージカルの存在を知ることになった筆者が、Alice on Stage を海外古書店からインターネット経由で取り寄せ、2009 年に台本を 本邦初訳して青空文庫にて公開。そこからあとは展開が早く、翌年にPDの公 開に気づいたさる少年少女合唱団からの上演の相談を受け、筆者が大学院生の 身分を活用してミュージカルの楽譜を海外図書館から入手、いったんは 2011 図5 四街道少年少女合唱団によるミュージカル風景 (2012 年 3 月 18 日)

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9)東京新聞千葉版 3 月 14 日付朝刊、「英国初演「アリス」舞台化 四街道少年少女合唱団」でも、こ うした経緯が説明されている。 またこの翻訳台本は 2011 年、デザイナーの今垣知沙子によって「Alice on Stage」というタイポグ ラフィを駆使した書籍として手製本され、パブリックドメインとしての幸福を享受している。 年初春の上演を目標としていたが東日本大震災の影響から延期ののち、翌年の 2012 年3月、ようやく初演から 126 年越しの異国での再演にこぎつけること となった9)(図5) ■様々な事例 こうした事例は、電子化されたPDの特性を象徴的に伝えるものでもあるだ ろう。ある埋もれた作品の存在や情報を伝える研究者の書物に対して、PDを 扱う者が応答して当該作品を利用可能なものとして電子化し、また一般の人々 がそれを見つけることでPDに初めて気づいて実際に活用するという、まさに デジタル公有材の理想形を描いている。そしてまたPDアーカイヴが、コレク ションとして生成したPDを公に示すことによって、同様に安心した利用や創 作を促進させる一面があることも教えてくれる。 たとえば、青空文庫はネット上での朗読の底本として人気があるし(「青空 文庫 朗読」と検索するだけで何百というサイトやブログ、何千という朗読コ ンテンツが見つかる上、そもそも私のプロ翻訳家デビューはネット上で行った 声優との朗読のコラボレーションがきっかけであった)、またネット読書会で も気軽に用いられているようである。最近では、読書人狼という、ある作家の 複数の引用文のなかに、別の作家の引用文を混ぜ、どれが仲間外れであるかを 当てるゲームにも、電子書籍としての簡便性から活用されていると聞く。個々 の活用がつながりあって、新たな活用を生むこともあり、筆者個人も、別にそ れぞれ試みられた「青空文庫のQRコードカード」と「青空文庫コンテンツの 表紙作成」を融合させて、「青空文庫トレーディングカード」なるものを制作

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10)http://www.aozora.gr.jp/aozorablog/?p=2431 11)アドレスは http://p.booklog.jp/contest/02、このコンテストでは平山千代子、そのほか会津八一や北 大路魯山人のエッセイがマンガ化されるなど、他では見かけられない翻案が多数あり、興味深い。 12)http://www.roudokukentei.jp/aozora/ 13)フロンティアニセンの開発した耐水性本では、当初青空文庫のPDデータが活用され、その後様 々な製品化に発展している(http://www.f2000.co.jp/water_proof/index.html)。また,オーディオブック についても,「でじじ」(http://www.digigi.jp/)、「ことのは出版」(http://www.kotonoha.co.jp/)など新規 参入企業の商品では、青空文庫のPD作品が多数活用されている。 したことがあった 10)(図6)そのほか創作発表に 特化したWEBサービスであるパプーが「青 空文庫 漫画コンテスト」を開催したことや11) 日本朗読検定協会が「青空文庫朗読コンテス ト」を行ったこと 12)を見ても、「そのなかから 自由に選んで」活用・創作してよいと指示で きるだけの、一定の安心感が"Open Air Shelf"と しての青空文庫のコンテンツにあるというこ となのだろう。それでいて、コンテンツ内に あるいわゆる「名作」の吸引力にも頼ること ができ、新しい技術を開発した際のとりあえ ずの「中身」として使っても、安定した希求 力が持ち得る。電子化されたPD作品は、「耐 水性の本」や「オーディオブック」、「電子書 籍ビューワ」といった先進的技術・ベンチャービジネス13)の商品普及にも一役 買っている。 ■共有の発展形 こうしたPD作品の自由かつ公正な活用は、ほとんどがそれに対する感想と ともにネット上で共有され、その作品自体を盛り立ててゆく。大学入試センタ 図6 青空文庫トレー ディングカードの一例

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14)水島精二監督・會川昇脚本『UN-GO』(ボンズ制作)、安吾の原作を近未来に置き換えた大胆な翻 案で、原作のストーリーの裏を掻く展開もあり、フジテレビ系列にて 2011 年 10 月から 12 月まで全 11 話で放送され、劇場版も製作された。 15)朝霧カフカ原作・春河35作画『文豪ストレイドッグス』(KADOKAWA)、既刊 13 巻。2014 年 4 月~ 5 月には、神奈川近代文学館の特別展示「生誕 105 年 太宰治展―語りかける言葉―」とのコラ ボレーションが行われ、来場者の約 2 割が若い女性であるなど、普段以上に若者が多く訪れたという (「「文豪女子」増加中!漫画「文豪ストレイドッグス」がきっかけ」スポニチ Suponichi Annex、2014 年 5 月 19 日 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/05/19/kiji/K20140519008189000.html)。後も各 地の文学館とのコラボが行われ、2016 年には『UN-GO』と同じボンズ制作で TV アニメ化された。 16)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170606/k10011008731000.html ー試験の現代文で、2013 年に出題された牧野 信一「地球儀」、2014 年の岡本かの子「快走」 がそれぞれ試験直後から青空文庫でも多くのア クセスがあり、twitter などでも老若男女様々 の感想があふれたことは、読書環境の変化を示 す事象としても興味深い。PD作品やPD作家 がある創作作品の題材に取り上げられた際、関 連して青空文庫で読まれることを意識されるこ とも少なくなく、2011 年冬に坂口安吾『文明 開化 安吾捕物』シリーズを原作に放送された アニメ作品『UN-GO』14)や、2012 年冬から月 刊ヤングエース誌で連載中の文豪たち(および その作品)をモデルにした特殊能力者たちのバ トルを描く漫画『文豪ストレイドッグス』15) どの例もあり(図 7)、若年層における作品と元ネタの往還が頻繁に行われている (さらに 2016 年末にサービス開始されたオンラインゲーム『文豪とアルケミ スト』では、読者層の増加のみならず青空文庫ボランティアの参加が増える事 態にもなっている16))。また 2013 年、宮崎駿監督のアニメ映画『風立ちぬ』が 図 7『文豪ストレイドッグス』 (C)朝霧カフカ・春河 35 / KADOKAWA

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17) twitter, Keisuke KATSUKI ( @kskktk) に よ る 2013 年 10 月 1 日 の ツ イ ー ト よ り (https://twitter.com/kskktk/status/384834400665358336)。なお青空文庫ではアクセスログの解析など による利用者の特定等は行っていない。 18)http://www2.ninjal.ac.jp/lrc/index.php 19)http://aozorawing.sourceforge.jp/ 20)http://artflsrv02.uchicago.edu/philologic4/aozora/ 21)https://www.facebook.com/NCCJapanInfo/posts/510805152333050 公開された際にも、青空文庫に収録された原作へのアクセスが増えたが、その なかには東日本大震災の被災地・気仙沼の高校生もおり17)、青空文庫は、日本 語書籍に何らかの物理的障壁がありアクセスのできない人々(たとえば書店・ 図書館が近隣にない人々・可処分所得の少ない青少年・海外の在外邦人など) にとっての拠り所にもなっている。 またニュース等で「言葉の正しさ」などが話題にされるたび、ネット上で呼 応して青空文庫で簡便な用例検索がよくなされるように、言語的ソースとして の青空文庫は、再び学術的・調査的利用にも還元されつつある。底本としての 青空文庫は、「文庫」という言葉に示されるように、文学研究に耐えうるもの とは言いがたいが、分量としてようやく(あるいはぎりぎり)コーパスとして 活用できるところにまで達していることは、国立国語研究所の全文検索システ ム「ひまわり」用にデータがインポートされたことや18)、青空文庫を EPWING 形式で全文検索可能にした「青空 WING」19)、そのほかシカゴ大学によって日 本語・日本文学研究者向けに構築された「Aozora Search」という用例検索シ ステム20)が現れたことからも察することができよう。さらに、先年の青空文庫 呼びかけ人である富田倫生氏の逝去に際しては、北米日本研究資料調整協議会 (North American Coordinating Council on Japanese Library Resources)がいち 早く追悼を表明して、「オープンアクセスの資料や電子書籍が普及するずいぶ ん前から、すでに青空文庫は北米の日本文学課程のほとんどで、なくてはなら ない当然のものになっている」と述べるなど21)、PDの存在や法的裏付けが海

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る。 「青空文庫」の普通名詞化 さらに興味深い事象としては、青空文庫の作品ファイルに用いられているマ ークアップが「青空文庫形式」と呼び習わされている点である。そのマークア ップが、インターネット上で交換されるテキストファイルに対して、(青空文 庫の書架を通さない)個人的な利用であっても採用され、それ自体が知らず知 らずにオープンソース化してしまってもいた。2010 年の「注記一覧」と「組 版案内」の公開は、この流れのあとを追ったものだ。 かつてならばクラウドの外にあったものにまで「青空文庫」(あるいは「青 空~」)という名称が通用している事実は、青空文庫という概念自体がオープ ンソース化していることを示唆する。青空文庫の書架をコピーしたり再現した り、あるいは「青空 WING」のように蔵書や書架の形を組み替えて何らかの形 でその成果を利用したりする行為、そしてパブリックドメインとその共有を育 む活動そのものもみな、「青空文庫」というわけだ。電子書籍サイト内で配布 されるパブリックドメイン作品には、PD ではなく「青空文庫」と記されてい るように、著作権保護期間が満了している印としても「青空文庫」は用いられ ることがある。青空文庫内にない PD のテキストも「青空文庫」と呼ばれ、twitter ではある作家の著作権が切れていることに対して、「××はもう青空文庫か」 とも呟かれる。 『ガッチャマン クラウズ』の最終話では、「ガッチャ」というフレーズが慈 善行為の合い言葉としてオープンソース化する。そしてまた「青空文庫の提案」 に描かれた理念も、17 年の時を経て、「青空文庫」という言葉の普通名詞化へ と近づきつつある。たとえもし、明日にでも旧来の「青空文庫」の本体サイト とデータベースが失われたとしても、コピーされ増殖された「クラウズ」とし ての「青空文庫」の書架と活動が消滅することは当分ないだろう。

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2. パブリックドメインと電子テキストの20年 はじめに 民間のボランティアによって運営されているインターネット上のテキストア ーカイヴたる青空文庫は、1997 年 7 月 7 日の開設から早くも 20 年近くが経と うとしているが、今ではおよそ 1 万 4000 点の電子テキストを収める国内有数 のウェブサイトにまで発展している。 本稿では、その青空文庫が取り扱っている電子テキストに焦点を当て、フォ ーマットやツールあるいはビューワなどの実作業にまつわる点から、JIS 漢字 コードをめぐる諸問題やファイルの変換や活用に至るまでを、青空文庫に長く 携わってきた立場から解説してみたい。 青空文庫とテキストファイル 現在、青空文庫で作業する際の拠り所としているのは、テキストファイル(拡 張子.txt)、いわゆるプレーンテキストである。どのボランティアもまずはこの ファイル形式で書籍を電子化し、そのあとで XHTML ファイルを自動作成し て、両ファイルを公開するという手順が踏まれ、ウェブ上で簡易閲覧する際に は XHTML ファイル、各種ビューワアプリで閲覧するときには、ZIP 圧縮され たテキストファイルが多く参照されている。 しかし初めからテキストファイルが中心にあったのではない。かつて「電子 本」「電子出版」と言えば、「ハイパーテキスト」や「マルチメディア」とい った言葉と結びつき、既存の書籍にない性質を夢見るものでもあった。あるい は、紙の本の「美しさ」を再現することを求めて、専用のソフトウェアとビュ ーワを用いて制作・閲覧する代物だった。

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1)青空文庫編「青空文庫の提案」『青空文庫へようこそ インターネット公共図書館の試み』トランス アート、1999、p. 22 青空文庫のウェブサイトが当初、電子書籍の開発・制作会社のサーバスペー スに置かれ、エキスパンドブックというソフトウェア専用の独自形式のファイ ルを収録していたのも、その「かつての夢」の現れであり、あくまでもテキス トファイルは電子書籍を作るための元データに過ぎなかった。 だがそれでもテキストファイルをともに公開していたのは、文庫創設の意思 を示した「青空文庫の提案」1)にもあるように、「できる限り手の加わっていな い、シンプルな形で受け取りたいと考える人もいるはず」で、「もし他の基盤 に切り替えることになった際も、それまでの成果をたやすく引き継いでいける」 と考えたからだった。 ■テキストファイルの注記形式 とはいえ、テキストファイルは文字データだけであるため、そのままでは紙 の本や電子書籍で表現される書籍の体裁や組版の情報は保持し得ない。のちの 電子書籍作成にも、また複数人での作業の効率化のためにも、そうした情報を 残すための共通ルールが必要だった。 青空文庫で作業用マニュアルが初めて公開されたのは、1997 年 12 月 4 日の ことだが、その共通ルールの記法には、以下のようなふたつの特徴がある。 ルビ(ふりがな)について 青空文庫《あおぞらぶんこ》 組版情報に関する注記について 青空文庫[#「青空文庫」に傍点] 漢字等に対するルビは、人間が見て理解できるように(あるいはあくまで読書

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2)野口英司編著『インターネット図書館 青空文庫』はる書房、2005、pp. 38-39 3)開発の最終段階でプログラマがこの機能を組み入れた経緯は、富田倫生『インターネット快適読書 術』(ひつじ書房、1998)の第五章でも詳しく説明されている。 4)T-Time は、そのあと画像エクスポートにも対応し、各種端末で読めるようになった。 詳しくは:http://www.voyager.co.jp/T-Time/ ・作業の補助として妨げとならないように)、二重山括弧《》を用いての前方 参照、また組版情報については主として同じく前方参照で[#…]という記述 で注記を付すというものだった。 この記法は、もともと視覚障碍者読書支援協会(BBA)が用いていたものだ。 青空文庫以前から書籍の電子化に取り組み、そのデータを用いて大活字本や点 字本・録音図書の制作を行っていた団体である。この団体の「原文入力ルール」 に合わせることで、「青空文庫のテキストを協会でも使える」2)ようになるわけ だが、この発見は電子テキストの「共有」と「汎用性」に意識が向かった端緒 とも言えるだろう。 その後、作業を重ねるにつれてマニュアルにも改訂が加えられ、記法が整理 されるとともに、開始・終了型の注記も増えてゆくが、この点には読書ビュー ワ等の発展とも、大きな関わりがある。 ■ファイルを読む 当初の青空文庫で採用されていたボイジャー社のエキスパンドブックの無料 閲覧ソフトウェアには、テキストをコピー&ペーストで流し込めるビューワ機 能が内緒で組み込まれ 3)、気づきさえすればユーザが自由に利用することがで きた。固定された版面で作り込まれた電子書籍を提供するはずの道具に残され たこの余地は、あらゆるテキストを自由な文字サイズや書字方向で読むことの 可能性を感じさせるものだった。 汎用の読書支援ツールとして、ボイジャー社から T-Time4)が発表されたのは、 1998 年 2 月のことだった。青空文庫のマニュアル整備と前後していたため、

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5)2000 年 5 月 1 日時点では、829 点のファイルがダウンロード可能だったが、現在は閉鎖。 6)初期の青空文庫ビューワとしては、「窓の中の物語」「PageOne」などがある。 形式対応こそはしておらず、多くの機 能は拡張された HTML タグに依存して いたものの、青空文庫呼びかけ人の富 田倫生をはじめ多くのボランティアが、 早速作業にこのソフトウェアを活用し 始める。 1999 年 8 月以降は、青空文庫収録フ ァイルの自由活用を保証したこともあ って、各種端末への利用も促進され、 すぐに Palm/Pilot や WorkPad で読める よう変換したファイルを再配布する「青 空文庫パーム本の部屋」5)が登場し(図1) また雑誌の付録 CD-ROM にも収録され 始めるようになる。 2001 年までには、個人制作のソフト ウェアも含めていくつものビューワが 現れ 6)、なかには青空文庫がテキストファイルに付した注記形式に対応して組 版を再現させたものもあった。そうしたテキストファイルの汎用性・可能性を はじめて目の当たりにして、評価すればするほど当然、ソフトウェアにうまく 解釈されるような記法や、適切に統一された注記の徹底を意識せざるを得なく なる。すなわち、「そのまま読めるもの」ないし「本を模したもの」から「構 造化されたテキスト」への転換であって、その注力のためにも 2002 年にはエ キスパンドブック形式の採用をやめることになる。またそれは、それまで青空 文庫が HTML 版と電子書籍版、さらにはウェブサイトの更新を手作業で用意 していたことから、自動作成による省力化を模索していた時期とも重なってい 図1 Palm による表示例

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た。 ■開発と発展 perl スクリプトによる XHTML ファイルへの自動変換と、そのためのテキス トファイルの形式点検の実行、そしてデータベースを活用したオンライン書架 管理・更新アプリケーションが青空文庫で採用されたのは、2002 年のことだ った。こうした開発作業は、主にメーリングリストを介して共同で行われ、ま た誤植や注記ミスなどの訂正も専用掲示板「むしとりあみ」を用いて情報が集 められた。 2003 年には、自動読み上げを活用した音声ファイルがボランティアによっ て準備され、また外部利用の利便性を上げるための CSV ファイルによる作品 一覧もデータベースから提供されるようになった(図2)。2004 年には、同じくボ 図2 全作品一覧 CSV

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7)新着情報のほか、ファイルの更新情報などにも対応した RSS フィードが複数あった。 8)窓の杜「"青空文庫"を利用しやすく「1 クリック Aozora」v1.6」: http://forest.watch.impress.co.jp/article/2004/08/10/okiniiri.html 9)azur:http://www.voyager.co.jp/azur/ 10)青空文庫 10 歳記念版「蔵書 6300」:http://www.voyager.co.jp/azur/zousho2007.html 11)「DS 文学全集」の開発には、青空文庫呼びかけ人の富田倫生も協力し、その経緯はインタビュー としても公開されている。詳しくは:https://www.nintendo.co.jp/nom/0710/p2/index.html 12)iPhone 登場初期からの代表的ビューワに、「i 文庫」「豊平文庫」などがあり、そのあと現れた有力 なアプリとしては「i 読書」「neo 文庫」、また Android 向けに「読書尚友」がある。

ランティアから新着情報の RSS フィード7)が配信されるようになり、また作品 を収めた ZIP ファイルのダウンロードと解凍を 1 クリックで行えるフリーソフ ト 8)が公開され、さらにはボイジャー社による青空文庫専用ビューワ azur9) 満を持して登場している。 2005 年から 2006 年にかけては、青空文庫のテキストを活用したノベルゲー ムや、ポッドキャスティングによる朗読配信が盛んになり、これらの一部は 2007 年の青空文庫の 10 周年記念 DVD-ROM10)にも収録され、そして同年には 携帯ゲーム機 NintendoDS 向けに「DS 文学全集」11)など、青空文庫を収めた各

種ソフトウェアが発売されたばかりか、iPod touch / iPhone がついに現れ12)、10

年をかけて青空文庫の豊かな活用が着実に実りつつあった。 しかし、こうした活用に伴って生じた作業の厳密化は、青空文庫のボランテ ィア作業員のなかでも大きな議論を生むことともなり、その中心となったのが JIS 漢字コードの問題であった。 JIS漢字コードと解釈の問題 青空文庫のテキストファイルは、Shift_JIS でエンコーディングされた JIS X 0201 および JIS X 0208 の範囲内の文字を用いて電子化されている。この点は、 開設当初から現在に至るまで変わっていない。

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13)青空文庫登録作品に現れた外字:http://sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/gaiji/gaiji/gaiji.html 14)文学作品に現れた JIS X 0208 にない文字: http://sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/gaiji/gaiji0208/mokuji.html 15)新 JIS 漢字時代の扉を開こう!:http://www.aozora.gr.jp/newJIS-Kanji/newJIS1.html しかし JIS X 0208 に収められた第一水準・第二水準の漢字では、文芸作品 に登場する文字をカバーできない事例も、当初から頻発していた。こうしたい わゆる「外字」を、青空文庫では先述の支援協会から受け継いだ注記のかたち でファイル内に情報として残していったが、ちょうど青空文庫開設当時、JIS 漢字コードの拡張計画も進められていた。 そこで 1998 年 5 月、JIS 文字コード原案作成委員会より収録漢字選定のため の資料提供を打診されたことを受けて、まずは誰のどの作品のどの個所に外字 が現れたかをまとめた「青空文庫登録作品に現れた外字」13)をウェブサイト上 で公表、さらにトヨタ財団から助成を受けてアーカイヴ活動を進めながら外字 情報収集にまつわる研究を行うことにもなった。 その成果は翌年 1999 年 2 月公表の資料「文学作品に現れた JIS X 0208 にな い文字」14)に結実し、提出されたデータは 2000 年 1 月に出た新 JIS 漢字コード (JIS X 0213)にも反映された。 ただし、青空文庫の作成ファイルがすぐさまこの新しい JIS 漢字コードに置 き換わったわけではない。新コードを使用するには、対応するソフトウェアや フォントなどが必要であり、その登場と普及を待つ必要があった。 青空文庫では、その策定に大きく携わった立場からむろん採用には積極的で あり、2000 年 8 月には「新 JIS 漢字時代の扉を開こう!」15)というページを公 開して、協力の経緯や理念、そのほか新 JIS 漢字対応フォントとして個人制作 された Kandata や Habian と、早くも JIS X 0213 をサポートした T-Time を紹 介しつつ(図3・次頁)、新 JIS 漢字コードによる第三水準・第四水準を含めての電子

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16)青空文庫「明日の本棚」:http://sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/jisx0213/ 17)http://www.aozora.gr.jp/soramoyou/soramoyou2000.html 18)青空文庫「明日の硯箱」:http://sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/jisx0213/0213tools/ 19)「文字チェッカー」「相違点チェッカー」「校閲君」はいずれも、青空文庫応援ページ: http://www.hyuki.com/aozora/ 公開の「青空文庫~明日の本棚~」16) も、従来外字処理していた文字を新たな JIS コードで符号化したファイルを数十 点用意している。 しかしその「明日」は、2017 年現在、 いまだに来ていない。自らが深く関わっ たにもかかわらず、なぜ青空文庫は今も、 JIS X 0208: 1997 で電子化をし続けている のか。 ■作業の厳密化と問題点 2000 年大晦日付けの告知欄「そらもよ う」には、新 JIS コードによる符号化を 「いずれ、この形こそを青空文庫の基本 形にできる」17)と記しているが、そのこと同時に 4 月に運用開始されたメーリ ングリストにも触れられている。 このメーリングリストは、その交流のなかでさまざまな作業支援ツールを生 むなど 00 年代初頭の青空文庫に大きく貢献しており、たとえば第 1 ~ 4 水準 までの漢字を部首・画数と読みの双方から引ける「新 JIS 漢字総合索引」18) ファイル内の機種依存文字をチェックする「文字チェッカー」、校正の作業履 歴の確認を簡便にする「相違点チェッカー」、旧字中の新字検出を支援する「校 閲君」など 19)が 2001 年には共同開発され、いずれもオンライン上で利用可能 図3 新 JIS 漢字に対応した T-Time による表示例:左が対応後

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20)YukiWiki も、上記 3 つと同じくプログラマの結城浩によるもので、詳しくは: http://www.hyuki.com/yukiwiki/ 21)区点番号 5-17 と 5-86 の使い分け指針: http://www.aozora.gr.jp/KOSAKU/small_or_large/guide_line.html となっていた(図4)。また 2002 年に はグループワークの情報共有用に wiki クローンの YukiWiki20)が採用 され、作業における技術の応用が 大幅に進んでいた。 とりわけ「文字チェッカー」や 「校閲君」は、いずれも青空文庫 の作業目的に特化したものであ り、機種依存文字や JIS 漢字コー ド内における新字・旧字の収録状 況に対応したものでもあった。JIS 漢字コードでいかに諸作品を符号 化してファイルを交換可能なもの にしてゆくかを、厳密に推し進め るために必要だったものだ。 ところがこうしたツールにも支援された作業の厳密化が、メーリングリスト という場において、ひとつの壁にぶつかることとなる。それが、「区点番号 5-17 と 5-86 の使い分け」という問題だった。 コンピュータ以前の紙の本を符号化する上で、書籍に表された文字にどのコ ードを当てて電子化するかという解釈の問題は、避けては通れない。この場合 の対象は、たとえば泉鏡花「夜叉ヶ池」の「ヶ」である。青空文庫では、2003 年 5 月に「区点番号 5-17 と 5-86 の使い分け指針」21)を取り決め、「こ」「か」「が」 と読みうる「ヶ」の文字は、大きさに関わらずすべて区点番号 5-86 の「ヶ」 図4 校閲君のチェック結果 あやしい文字と代替候補を「▼▲」 で挟んで示してある

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22)芝野耕司編著『JIS 漢字字典』日本規格協会、1997 23)外字注記コレクション:https://www28.atwiki.jp/poorbook99/pages/1.html で入力すると決めたが、この解釈がメーリングリスト内で紛糾することとなっ た。 簡単に言えば、JIS 漢字コードの「一意の符号化」をめぐる問題で、「見た目」 の大小の通りに入力するのか、カタカナの読みから外れる「ヶ」は漢字の一部 と考えて区点番号 5-86 で符号化するのか、という対立である。 この問題は、JIS 規格票および『JIS 漢字字典』22)をどう読むかの解釈問題に も発展して、符号化文字集合調査研究委員会の当事者が発言したり、それを受 けて 4 年後の 2007 年に呼びかけ人である富田倫生が一定の見解を記したりす るも収まらず、さらには 2009 年には JIS 漢字コードの原案委員会委員長であ り『JIS 漢字字典』の編纂にあたった芝野耕司が、講演「電子翻刻における「読 み」と「見たまま」」にて自らの意図と考えを明らかにしたが、やはり対立が 解消されることはなかった。 ■できる範囲での解決策 この問題は 2012 年頃まで続き、その論争のなかで疲弊するボランティア作 業員も少なくなかった。ある者は幻滅と失望とともに場を離れ、ある者は罵倒 を浴びせて他者を傷つけ、なかには排除された者もあったし、その場に残って 作業を続けた者にしても対話を続ける余力はなかった。 不幸だったのは、JIS X 0213 の採用・不採用の件もこの議論に巻き込まれた ことで、JIS X 0213 に移行するとこれまでの作業基準との整合性がとれない問 題や、移行に伴うこれまでのファイルの確認修正作業が膨大にのぼる点なども あって、採用の目処がまったく立たないこととなった。 一方で、JIS X 0208: 1997 の枠内で可能な限りの電子化を行う方向へと作業 は深化していき、外字注記の書き方を整理する流れが生まれている。2002 年 3 月にボランティアの手で作られた「外字注記コレクション」23)を基盤にして、

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24)外字注記編纂プロジェクトの紹介:http://www.aozora.gr.jp/gaiji_chuki/syokai/gaiji_manual.html 25)青空文庫・外字注記辞書【第八版】:http://www.aozora.gr.jp/gaiji_chuki/ 26)ただし青空文庫のサイトの一部と作品一覧 CSV は、UTF-8 でのエンコーディングに変更・対応さ れている。 2007 年には青空文庫として「外字注記辞書編纂プロジェクト」24)に取り組むこ とになり、2011 年の「外字注記辞書第八版」25)では JIS 漢字第三水準・第四水 準のほか補助漢字を網羅されただけでなく、Unicode 収録文字や収録外の文字 も多く登録することとなった(図5) こうした作業を続けるうちに、JIS X 0213 の普及を待つよりも先に、各種 OS の基本エンコーディングに Unicode が採用されて一般化していき、Shift_JIS X 0213 や Shift_JIS-2004 での電子化を推し進めることは現実的ではなくなってい った。今では青空文庫が世界で読まれていることや、世界各国のコンピュータ での Shift_JIS ないし日本語環境のサポート状況を考えて、符号化の規準は作 業に支障が出ないよう現行の JIS X 0208: 1997 に沿ったルールに留めたまま で、エンコーディングのみを Unicode の符号化に用いる UTF-8 や UTF-16 に してはどうかという意見も根強くあるが、結論は出ていない26)

青空文庫の注記一覧と利用の拡大

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27)青空文庫・注記一覧:http://www.aozora.gr.jp/annotation/ 28)青空文庫の注記に対応した主なテキストエディタとして、「WZ EDITOR」および「WZ Writing Editor」や、「O's Editor」「TATEditor」「VerticalEditor」などがあり,そのほか「Mery」や「mi」な どもモードやマクロなどで対応していて、青空文庫のボランティア作業でもそれぞれ活用されている。 29)自動変換スクリプトと注記一覧は、「青空文庫 組版案内」というページでも公開され、オンライ ン上からも変換可能となっている。詳しくは:http://kumihan.aozora.gr.jp/ 青空文庫の作業を続けるにつれて、当初のマニュアルに記載されていた注記 を越えたものが続々と現れ、そのたびごとに新しい記法が提案されて、作業メ モとして蓄積されていった。また長年の利用のなかで、読書ビューワなどの開 発者からもさまざまな要望が寄せられるようになった。 2010 年 1 月 1 日に公開された「注記一覧」27)の草案は、テキストファイルに 施す注記をさらなる活用へ向けてまとめ、注記という青空文庫の財産を外部へ と正式に提供する試みだった。また個人が電子書籍用のテキストファイルを用 意することも意識して、拡張記法として準備されたものもあった。 今では青空文庫の閲覧アプリが各種登場しているが、この「注記一覧」の登 場を境に開発に拍車がかかり、そしてビューワから参照されるファイルも、か つての HTML ファイルからテキストファイルへと移り変わっていった。また ネット小説の執筆支援等のために、この注記一覧に対応したテキストエディタ なども複数現れてきている28) そして「注記一覧」の整備と同時に、テキストファイルを XHTML ファイ ルへと自動変換するスクリプト29)の改修も行われることになるが、実装された 同年 4 月 1 日以降は、それまでの XHTML では反映されてこなかった見出し ・目次や傍線・傍点などに、明確なタグとクラスを定義して、CSS によって 画面上にも表示されるようにしている。 さらにそのクラス定義の過程で念頭に置かれたのが、組版情報における名前 空間の定義である。2010 年は折しも、国際電子出版フォーラム(IDPF)の策 定した汎用電子書籍フォーマットである EPUB の日本語組版対応をにらんで、

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30)青空文庫収録ファイルの取り扱い規準:http://www.aozora.gr.jp/guide/kijyunn.html 31)BOOK ☆ WALKER では、青空文庫への寄付も受け付けている: https://bookwalker.jp/ex/sp/aozora-point/coin_donation.php 32)amazon kindle 向けファイルは、ストア配布される前にも、初期ユーザによって対応 PDF に変換す るサービスを作られている。詳しくは、青空キンドル:http://a2k.aill.org/ 業界各所が動いていた時期に当たる。 日本電子出版協会(JEPA)が 2010 年 4 月に日本語組版に関する要望を出し ているが、その一方で当初から青空文庫と深い繋がりがあり、日本の電子書籍 制作の草分けともなっていたボイジャー社も、IDPF のメンバーとして働きか けていた。 青空文庫が「注記」として蓄積してきた日本語組版の情報は、こうした局面 にあって貴重なもので、ボイジャー側からの水面下からの打診もあって、 XHTML ファイル向けのタグ注記一覧のクラス定義をまとめ直し、資料として 提供している。 ■未来へ向けて とはいえ、青空文庫はやはり自ら EPUB ファイルを提供することはしてい ない。ただし「ファイルの取り扱い規準」30)を定めて、自由な活用に供してい るのだから、そこから先の利用や変換は随意として、幅広く社会に委ねるとい うスタンスを長らく取ってきた。その方が、すべてを自分たちで囲い込むより も活用の可能性が開き、発展性も高くなると見込んでのことだ。

EPUB ファイルについても、KADOKAWA 運営の電子書籍販売サイト BOOK ☆ WALKER31)が 2013 年末から青空文庫ファイルの変換提供を積極的に行って

おり、また Amazon.co.jp の kindle ストア32)でも、2012 年に日本向けに開店し

て以来、青空文庫のファイルを独自形式に変換したものを提供し、今でも随時 更新が行われている上、それぞれの内部エンコーディングは当然のように UTF となっている。

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33)ブクログ:http://booklog.jp/ 34)青空 in Browsers:http://aozora.binb.jp/ 35)えあ草紙・青空図書館:http://www.satokazzz.com/books/ 「ブクログ」「青空 in Browsers」「えあ草紙・青空図書館」ともに、青空文庫の作品 ID をキーとし て、リンク転送させている。 36)修正履歴作成ツール:http://eunheui.sakura.ne.jp/aozora/rireki.html さらには、青空文庫はユーザや 外部企業の作ったサービスなどを たびたび正式に採用したり連携し たりを繰り返してもきている。近 年では、2012 年にインターネット 上に本棚を作って感想などをメモ できるブックレビューサービスの ブクログ 33)にも対応し、各作品の 図書カードから感想ページに直接 移動できるようになっている。 ほかにも、ボイジャー社の提供 する「青空 in Browsers」34)や個人 制作の「えあ草紙・青空図書館」35)といったウェブ上で青空文庫の収録作品を 縦書きなどカスタマイズした読書を可能にするサービスにも、2014 年 9 月以 降、図書カードからのアクセスが可能になっている(図6) 2013 年、長らく青空文庫に携わってきた中核的なメンバーが数人、作業か ら抜けることとなり、その穴を個人に大きな負担をかけることなく埋めて持続 可能な体制を構築・維持することが喫緊の課題とされた。そのためその前後か ら、作業の効率化・省力化を大きく意識するようになり、これまで蓄積してき たチェック項目や細かな判断がツールや資料としてまとめられていった。 とりわけ 2012 年にオンラインで利用可能になった「修正履歴作成ツール」36) 図6 えあ草紙・青空図書館の表示例

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37)校正支援ツール:http://eunheui.sakura.ne.jp/aozora/proofreader.html 38)青空文庫 FAQ:http://www.aozora.gr.jp/guide/aozora_bunko_faq.html 39)aozorahack:https://github.com/aozorahack およびこれまでの各種ツールを集約した 2013 年の「校正支援ツール」37)は、 ボランティア全体のチェック効率を上げ、ファイル受領時の再点検にも各種正 規表現による専用の形式チェックツールが導入された。さらにはファイルの正 確さを高めるためのツール類のありかを「青空文庫 FAQ」38)などのページに、 知識として集約させていく取り組みがなされている。 2015 年には、技術面でのサポートを活発にしようと、青空文庫の支援団体 である本の未来基金が中心となって、aozorahack39)という運動体が生まれ、2016 年 7 月には第 1 回目のハッカソンが開催されているが、その成果もまた青空文 庫本体での実装に向けて検討が進められている。 2016 年度中には、老朽化したデータベース管理アプリケーション用サーバ の改修・置換が済む予定であり、以後は技術面でのアイデアの採用・導入もス ムーズになると思われる。 青空文庫の知名度の向上やその利用の拡大もあって、ボランティア作業には 以前より多くの人々が関わるようになり、スキャナと OCR の普及からテキス ト生産量も加速的に伸びたが、機械可読性のために複雑化した注記形式を正し く記述するのは、難易度の高い作業で、品質や均質性の担保には熟練度も必要 とされる。ファイル公開までには、各ステップでの確認作業が必須だが、それ を担えて自発的に作業を申し出る人材は限られており、その増員が求められて いる。 おわりに 青空文庫は、20 年の活動のなかから、その主たる使用フォーマットをテキ ストファイルに定め、非常に限られた要件のなかで可能な限り日本語の組版と

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文字の情報を電子化し、公共の用に供してきた。 パブリックドメインないし自由利用可能なものとして、社会に委ねられた電 子テキストとその記法は、自在な発想と開発からさまざまなツールやサービス を生み、当初の予想を超えた活用にも及んでいる。 テキストファイルであるがゆえに、加工や変換がしやすく、発展への道がつ けやすかったという点もあるだろう。それは逆に、作業する側にも特定のコン ピュータ環境に依存せずに済むという利点があった。ある意味では、基礎的な ものを徹底しながら、それぞれの時代へ適応してその厳密性・交換性を高めて いったとも言えるだろう。

日本のボイジャー社の母体となった米 Voyager 社は、「Text: the next frontier」というスローガンを掲げていたという。結果として振り返れば、ど のようなリッチな電子書籍フォーマットよりも、テキストファイルこそが時代 を切り開いていった。このレガシーなファイルフォーマットには、青空文庫が そのたびごとに驚いてきたように、まだまだ誰も気づいていない未来があるの かもしれない。そして最終的に残るものは、たとえば「書籍」といった嵩張る ものでも、「電子書籍」という一種のパッケージでもなく、まさに「電子本」 という電子化された本質的な何かそのものであるのだろう。

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3. パブリックドメイン・レジスタンスと文化共有の未来 青空文庫という理念 インターネットを通じて、著作権保護期間の満了した本を電子化して、それ を社会的に共有するためにボランティア活動を行っている〈青空文庫〉という プロジェクトがある。読書がお好きな人であれば、すでにスマートフォンや電 子書籍端末、またはPCやタブレット上のビューワから、その〈青空文庫〉で 作られたファイルに触れたことがあるかと思う。 こうした電子ファイルは、ほとんどの場合フリーで流通している。この〈フ リー〉とは、単に無料というだけではなく、そのファイルを別の形式に変換し たり、あるいは朗読したり、さらに新しく作品を作ったりするのが自由という ことでもある。このように、社会のなかで自由に用いることができる著作物を、 パブリックドメイン(公有財)という。 その青空文庫では毎年元旦、新たにパブリック・ドメイン入りした著者作品 を公開している。著作権の取り扱い方を定めた法律に則ると、パブリック・ド メインは著作者の死後 50 年経ったあとの翌年始から現れる。つまり毎 1 月 1 日から、昨日まで自由に共有できなかったものが、今日からは文化の宝として、 共に分かち合うことが法的に保障されるというわけだ。(そのため 1 月 1 日を パブリックドメイン・デイとも呼ぶ) ただ極東の島国におけるこの変化は、大きな政治や経済で見れば、あるいは 大きな歴史や世界のなかでは、小さいことなのかもしれない。いや、この小さ な国の固定化された〈文学〉というカノンのなかでは、忘れられた作家たちの 作品群など、大きな枠組みを見るまでもなく小さいと、〈本物〉ではないと捨 て置かれてしまうのだろう。 しかし、年始のパブリックドメイン・デイを言祝ぐのは、その〈忘却〉に対

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1)青空文庫の提案:http://www.aozora.gr.jp/cards/001790/card56572.html 2)本の未来:http://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card56499.html して、今を生きる個々人が抵抗できるようになるからでもある。青空文庫は 1997 年、その活動を始めるに当たって、次のような文章を掲げた。 先人たちが積み上げてきたたくさんの作品のうち、著作権の保護期間を 過ぎたものは、自由に複製を作れます。私たち自身が本にして、断りなく 配れます。 一定の年限を過ぎた作品は、心の糧として分かち合えるのです。 私たちはすでに、自分のコンピューターを持っています。電子本作りの ソフトウエアも用意されました。自分の手を動かせば、目の前のマシンで 電子本が作れます。できた本はどんどんコピーできる。ネットワークにの せれば、一瞬にどこにでも届きます。 願いを現実に変える用意は、すでに整いました。1) ここで〈願い〉を〈現実〉に、と述べられているのは、インターネットやコ ンピュータの普及以前の世界では、パブリックドメインがある種の理念に過ぎ なかったということだ。青空文庫創立者のひとりである富田倫生氏は、文庫設 立直前に上梓した『本の未来』2)という本のなかで、「私たちは、たいていの人 が自分のコンピューターを持って、そのすべてがネットワークされる新しい世 界に向かいつつある」として、その新世界では本が新しい姿を取ると期待した。 そこで持ち出されたのが〈青空の本〉という考え方だ。 たとえば私が胸に描くのは、青空の本だ。 高く澄んだ空に虹色の熱気球で舞い上がった魂が、雲のチョークで大き く書き記す。 「私はここにいます」

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控えめにそうささやく声が耳に届いたら、その場でただ見上げればよい。 本はいつも空にいて、誰かが読み始めるのを待っている。 後年の富田氏によれば、「文化の発展に寄与する」ために「その表現をまず 保護して作者を支え」る一方で、「作者が死んでもはや権利保護が創作の励ま しとならなくなった時点では、縛りを外して利用を促そう」とする著作権法の 理念は、それまでとりわけその後者が長く空念仏に終わってきたという。しか し「ファイルの複製と移動のコストを激減させるコンピュータ技術と結びつい て、手応えのある現実に変わった」と氏は振り返る。 その縛りの外れた自由な本こそ、パブリックドメイン――つまり〈青空の本〉 と呼ばれるものだった。『本の未来』の記述を背景として、前掲の「青空文庫 の提案」ではこうも書かれている。 青空の本は、読む人にお金や資格を求めません。いつも空にいて、そこで あなたの視線を待っています。誰も拒まない、穏やかでそれでいて豊かな 本の数々を、私たちは青空文庫に集めたいと思うのです。 こうして社会で分かち合う本のことは〈青空の本〉と呼ばれ、その本を集め る場所については〈青空文庫〉と名付けられることとなった。今でこそ〈青空 文庫〉は特定のボランティア活動を指しているが、〈青空の本〉を集める場所 をひとつに限定する必要はない。青空の本のための本棚は、いや〈青空文庫〉 は、理想を言えばいくつあってもいいのだ。特定の活動や団体にとらわれるこ となく、社会全体がパブリックドメインを適切に共有し、うまく活用していこ うとして初めて、本当にパブリックドメイン・デイを言祝ぐことができるよう になるのだと思う。 現在、検索サイトで〈青空文庫〉というフレーズを入力してみると、固有名 詞とは違う用法が見つかることがある。広い意味での〈共有本棚〉という用例 もあれば、パブリックドメイン作品の〈集成〉というニュアンスに用いられる

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こともあるようだ。また昨今の電子出版の流れに目をやれば、パブリック・ド メインを活用した商品やソフトウェアにその名が冠されることもあり、青空文 庫の書庫がそのまま別のサイトにコピーされて再配布される場合でも、同じく 〈青空文庫〉と称されていることに気づかされる。 今から先の引用を振り返ると、その一節は、固有名詞を超えた普通名詞とし ての青空文庫を宣言しているようにも読める。 パブリック・ドメインの共有を、普遍的に―― 〈青空文庫〉という言葉が特定の活動を離れていくのであれば、この宣言もま た、いずれ社会へと還っていくのだろう。〈青空文庫〉という言葉の意味が広 がっていくとすれば、そういったパブリックドメインの共有を育んでいく活動 も、〈青空文庫〉と呼んでもいい未来がそのうちに来るのだろうし、今からそ ういう未来を作っていくことは、きっと難しいことではない。 ユニヴァーサル・テキストと市民運動としてのライブラリー インターネット上でパブリックドメインを共有することで、いったい何が変 わったのか。電子書籍の利点として様々語られているが、青空文庫の経験に引 き寄せて述べるならば、〈読める〉という言葉の幅が広がったということがひ とつあるだろう。 従来〈読める〉というのは、所有しているから読める、活字になっているか ら読める、図書館に足を運べるから読める、といったニュアンスだった。とこ ろがそれが、音声にできるから読める、海を飛び越えられるから読める、自由 に公開されているから読める、というような意味に変わってきたのだ。 つまりはそこで、テキストに(ユニヴァーサル・デザインと同等の意味での) 〈ユニヴァーサル〉性が付与されたということでもある。本当に〈誰でも・ど こでも・すぐに〉読めることの効用は、青空文庫を始めた人々からしても想定 以上のことで、電子化とインターネットによって、本が元々持っていた可能性 に気づかされたのだ。そして〈読みたい〉という気持ちから〈読める〉までの

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