東
歌
の
感
情
渡
部
和
雄
一︑
感情を形容詞で表わすというのはそれほど本質的ではない︒感
情は文体によって表わされる︒その方が本質的である︒例えば鉤
︵かぎ︶にかかる一の馬鹿︑留処︵ほど︶ほるこの馬鹿という
云い方がある︒これは始終炉の二つるしを上下させたり︑動かし
たりする落着のない対象や︑ひっきりなしに炉の火を掘ったり︑
灰を移動させたりしている対象を客観的に批判するいらだちの表現である︒だから当然余裕ある生活者はそんなことはしないとい
う認識が出来ている段階での言語表現ということになる︒落着の
ない︑いわば貧乏ゆすりの如きものに対する︿いらだち﹀の感情
を示している︒そしてこれはくいらだたしい﹀という形容詞では
決してない︒馬鹿とは対象への表現であるが︑総体的には表出者も対象も馬鹿の集団にすぎない︒自らの性質である馬鹿を対象に付与しているわけである︒かかる形容は社会の凹所としての感情であるというよりは︑実は歴史の総重量に匹敵するほどの感情で
あって︑人間の全一性を含むものである︒ ﹁すべなきものか世間
の道﹂という感情に似ているが︑ ﹁すべなし﹂という断片の形容
詞をはるかに越える感情なのである︒
対して文体が慣習的に作り上げられて︑既に固定してしまって
東歌の感情︵渡部︶ いる短歌などにおいては︑形容詞は感情の部分を示すしかなく︑かつ共通の慣れ︑感情の馴化を示す方が多い︒こうした形容詞というのは有ることと無いことがそう違わない感情である︒
一一〇二 大君の御笠の山の帯にせる細谷川の音の︿さやけさ﹀
では﹁大君の御笠の山﹂という発想と﹁さやけさ﹂は底で連続し
ている︒こうした形容詞は律令官人に関わるものであって︑東歌
の世界には一例もない︒階級成立に伴って混沌から選び取られた︑
従ってある共同体に限定される好情の言語表現である︒視覚的︑
聴覚的に汚濁︑不透明︑曇りを去った表現︑あるいはそれらを否
定的に媒介した表現であり︑そうした視覚や聴覚の成立を基礎に
している︒こうして歌における形容詞というのは︑歌に関わる階
級別共同体の感情に限定されるのであるが︑また同時に形容詞は
短歌形式という文体にも限定されるのである︒
例えば長歌形式に於ては人間の感情はもっと広がりを持つことができる︒貧窮問答歌などにその可能性を見ることができよう︒
これは形式が制限されている故に︑形容詞に感情を託さなければ
ならないものと違って︑歌の中に感情そのものを広げてゆくこと
ができるからである︒しかし長歌といえども階級共同体の感情に
制限されるしかないから︑人間の全一的感情は疎外される︒例え
九
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二四号
ば﹁直土に藁解き敷きて﹂生活しているというと︑一つの限界的
な貧窮状態を固定的に印象づけるわけであるが︑これは感情を洞
らした虚偽の証言なのである︒これはく貧窮の一般性﹀でしかな
い︒実際はその土にしても房戸毎に色が違うのである︒藁にして
も同様である︒炉の灰にしてもそうである︒汚れ︑黒ずんで臭う
灰と︑灰白色でさらさらと軽い灰がある︒形容というのは︑階級
別土ハ同体が︑相互否定的媒介を経た感情に基づいてあること右にのべた通りであるが︑そうした段階︑あるいは矛盾を全一的に表現することは︑いずれにしても歌などという文学形式の下では不
可能であった︒そうした中の形容詞というものは右の貧窮問答歌
の一句の様に︑貧窮の実態を文学表現という正義のために否定してしまうわけであり︑いわば全一的感情からの形容の欠落として
あったわけである︒こういう人間が持った︿魂の歴史﹀に対して
いらだちがありうるのであるが⁝⁝︒
しかしまた人間は形容詞を復活し︑生産しつづける限り︑歴史
というものの上で︑ ︿全一性﹀ ︿本源性﹀を求めているのだとい
うことにもなるのだろう︒例えば歌という文学形式が︿欠落とし
ての感情﹀でありつつも歴史の流れの上で人間を求める振りをし
ているように︒東国という農耕生産地域の︑いわば全一的人格の
所有者達が︑歌という固定文体の中で︑欠落の虚構感情である形
容詞を使用してきたのも︑⁝⁝そう︑それも悲しき人生ではあっ
た︒
二︑
東歌の形容詞は東国に似て割合貧困である︒それも数量的︑状
態的なものを示すものが多い︒広狭︑遠近︑高低︑繁簡︑有無︑ 一〇多少など生活的なものが基礎になっている︒そうした生活的︑体的なものを一まとまりに挙げてみる︒①いや遠長き②国をさ富み 国の遠かば 遠かども 遠き吾妹が ま遠くの ︵遠くして 遠しとふ ま遠く思ほゆ③間近くて④つら若み⑤音高しもな 高き嶺に⑥あるき凋み 人目を多み⑦寒き夕し⑧繁かくに 人言繁し 繁き木の間よ 繁きによりて 繁くとも⑨谷狭み⑩野を広み
⑪時無かりけり 三三五六三四二六三三八三三四七三三四五三三四四一︑三四六三三四四一︶三四七八三五二二三五二四三五七四三五五五三五一四三三六七三四九〇三五七〇三四八九三五五六三三九六三四六四三四五六三五〇七三四三四
三四二二
具
時無きものを
さぬる夜ぞ無き
うらも無く
故は置けども
逢ふとは無しに
︵見る人無しに
時無しに
宿は無しに
惜しげくも無し
⑫足がきを速み
⑬同じ枕は
⑭着きよらしもよ
⑮夜解けやすけ
⑯まぎらはしもな
⑰風を疾み
る︒右の⑱心痛み
⑲︵言痛かりつも
も少し違っている︒
⑳心なく⑳心もとなくも
⑳ともしき君は
の﹁ともし﹂
東歌の感情 三三七九三五〇四三四四三三四二一三三九〇三四〇五︶三四三〇三四四;三五三三三五四〇三四六四三四三五三四八三三四〇七三三入○
この辺りまでくると客観的︑具体的な形容をだんだん越えてく
﹁いたみ﹂をここに置いたにしても
三五四二
は少し違ってくるだろう︒また
三四八二︶
﹁無し﹂.にしても 三四六三 三四九五
などそれぞ違っている︒
三五二三
は乏しから羨しになっている︒
︵渡部︶ ㊧手離れ惜しみ 三五六九 行かば惜しげむ 三五五八 惜しげくもなし 三五三三となってくると︑対象的というよりは心情的なものになってくる︒⑳まぐはしまどに 三四〇七も対象の性質でもあり︑・い情でもある形容である︒ まぐはし児ろ 三四二四とあるのはそうである︒この辺で第一の種類は切り上げて︑次に心的状態︑心情不決定の形容詞を並べてみる︒ 三︑⑳逢はなくもあやし三三六四⑳あな息づかし⑳いたぶらしも⑱得難きかげを 逢ふこと難し⑳おほほしく⑳異しき心を⑳思ひ苦しも 恋ひば苦しも⑫後引かしもよ⑳さ寝て悔しも 今し悔しも⑭悩ましげ⑮危はとも 危ほかど 三五四七三五五〇三五七三三四〇一三五七一三四入二三四八一三五六八三四ゴ=三五四四三五七七三五五七三五四一三五三九
=
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二四号
などが近いものとして考えられる︒これらは対象の状態をいうよ
りは︑自己側に停滞する感情である︒自己の気持を決定しなにか
を主張するほどの形容ではない︒
四︑
対して︑心が一つの決定をしてしまって︑その概念を言挙げす
る様な形容詞がある︒これは社会的秩序に対して︑心的秩序をな
す︒⑯悪しと人言 三四四六
悪しかる答も 三三九一 ビ⑰心うつくし 三四九六
⑳うらがなしけを 三五〇〇
この﹁かなし﹂は東歌に非常に多い︒内容に多少の差はあると
思われるが︑とにかく﹁かなし﹂の全部を歌番号のみで挙げてみ
ると︑ かなし 三四〇入︑三四六六︑三四七九︑三五三七︑ ︵三五三
七︶︑三四八○︑三四入六︑三五七七︑三四〇三︑三
四〇三︑三五五六︑三三五一︑三三七三︑三三八六︑
三四五一︑三四六五︑三五四九︑三三七二︑三四一二︑
三五一七︑三五三三︑三五四入︑三五五一︑三五六四︑ 三五七六 まかなし 三五六七
まかなしみ︵三三五八︶︑三三六六︑三四六六
⑲有ろこそえしも 三五〇九
行かくしえしも 三五三〇
まさかしょかば 三四一〇 その顔よきに
﹁つきよらし﹂
⑩おもしろき
⑪御坂畏み
命畏み⑫恋しがるなも
恋しげば
﹁恋し﹂
に見えるが︑
⑬着欲しも 三四=は第一項で挙げた︒ 三四五二 三三七一 三四八〇 三四七六 三三七六︑三四五五 ︸二
という形容詞は右の三例しかない︒東歌は全体が相聞様 東歌は決して所謂︿恋﹀の歌ではないであろう︒
三三五〇︑ ︵三三五〇︶
以上が全部であるが︑ここまでくると︑第一項では対象を捉え
た心が︑第三項では︑その心を形容詞で捉える様になっている︒
みられる様に︑中でも﹁かなし﹂という形容詞は目立っている︒
それだけではなく︑他の︑心を決定してくる形容詞は都の好情詩
にも同じ様な意味や役割で存在しているのであるが︑ ﹁かなし﹂
は都の好情に比して鮮かにその特異性を示している︒とにかく量
の面から見ただけでも﹁かなし﹂は東歌の感情であったと端的に
いうことができよう︒
都の形容詞に似た感情が人生の余興のように︑有と無が同程度
のように存在しているに対し︑貧窮共同体における︑この東歌の﹁かなし﹂が相対性の拒否として歴史の全重量に向き合うもので
あろうことはその特異性から窺われよう︒歴史が相互性の記述とし
てのみ存在している時︑かかる形容詞は早々に歴史の裏側に姿を
消そうとする︒その有様は決して文化に姿を見せない貧に似てい
る︒
五︑
みてきた様に︑東国にはある種の形容詞が万葉集に対しても不
足している︒そしてこの解除と︑東歌が﹁かなし﹂をその感情と
することは案外同じことなのであろう︒ ︿うれし﹀ ︿たのし﹀と
いった形容詞はない︒うれし︑たのしというのは人生における上
昇気分の形容詞である︒それらを上昇型形容詞といってみ︑ ︿か
なし﹀ <くるし﹀などを下降型形容詞といってみると︑この上昇
型形容詞が東歌には不足している︒
︿うれし﹀ ︿たのし﹀は当然感情に似ている︒その感情が上昇
型形容詞で表現されるとは一体どういうことなのか︒二五二六 待つらむに至らば妹が嬉しみと笑まむ姿を行きてはや
澱む二五四六 思はぬに到らば妹が嬉しみと笑まむ眉引思ほゆるかも
という︑男女の︿逢い﹀の感情が上昇型形容詞をとるのは︑︿恋﹀
が支配への肉体的意志であるのに似て︑ ︿嬉しい﹀も支配の性質
に似ているからである︒入一五 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へ
め入三二 梅の花折りてかざせる諸人は今日の間は楽しくあるべし
というく楽しい﹀も支配の秩序に拠ってそうなのであろう︒かか
る感情が形容詞として表出され︑それが意味を含むのは唯一︑支
配の秩序において可能なのである︒
峰入四二 うるはしと我が思ふ妹を人皆の行くごと窪めや手に巻
かずして二九一四 うるはしと思ふ我妹を夢にみて起きて探るになきがさ
ぶしき
東歌の感情︵渡部︶ の﹁うるはし﹂にしても︑かく形容される感情というものは支配に似ていなければならない︒そして﹁うるはし﹂が上昇型形容詞である地位を一度も墜落したことがないのは︑これは形容詞というものが何時の時代でも恢復された支配の秩序水準にしがみついてあることを示している︒一度支配が成立すればその属性として働く以外に生きようがないのであろう︒そのことからいえば︑律令制の成立とは疑いなく人間の感情における原罪であった︒三〇〇七 ぬばたまの夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が 姿を三二〇八 久にあらむ君を思ふにひさかたのきよき月夜も闇の夜 に見ゆのくさやけし﹀ ︿きよし﹀にしても︑その対象である月光や川の音や山やの実態が変化し︑下落してしまった後にも言葉は残されている︒そして支配の秩序を引きずっている︒まさか支配の基準がかかる形容を支えているのだとは思わないから︑人は︿さやけし﹀やくきよし﹀の独立的存在を信じている︒対応するものを持たず︑それ自体独立した言葉は︑いわば支配を自らの肉体としてしまったのであり︑それはそうあることにおいて社会的には︿文化﹀︑人間的には︿本能﹀のように思われている︒うるわしかったり︑きよかったり︑人がそう形容するのは人間の先天性でもあるかのように思い込んでいる︒ならば人間の感情はいうまでもなく︑本能というものも支配の性質なのである︒支配の秩序に似てしか人間には本能も存在しない︒かかる形容詞の感情というのは生存の保養に似ている︒生存からの休暇における余興のようなものである︒故にこれらの形容はいつも生活の水準を上廻るのである︒
一三
長崎大学教育学部入文科学研究報告 第二四号
即ち人間は支配への自らの位置づけなしにはくうれしく﹀も
くたのしく﹀もくうるわしく﹀もあることができないのであろう︒
情緒性や厚みという人間の性質は必ず物質性を媒介にしている︒
形容詞が一元的に支配性に関わるのは︑例えば農業生産︑工業︑
商業に到る歴史的発展の中に含まれるべき意識の分裂︑利益の対
立︑価値感の分化︑分業間の矛盾を経過しても︑これらの形容詞
が変質してくることがないことからも推測できる︒土地所有や資
本の蓄積や生活様式の変化の下でも︿うれしさ﹀やくたのしさ﹀
やくうるわしさVがあるのはこの形容が分業的人間を超越してい
るからで︑遂に人間はかかる形容に支配された分業体であるとい
うことなのだろう︒それだけ人間はこの支配性と等号の形容詞に侵略されてしまったのであり︑これらの形容詞が人間性を証明・表出するものであるというほどまで錯覚されてきたのであろう︒
このように形容詞を独立させてしまった時︑農業生産はもとより︑
科学的構成の社会においてさえ︑人間は支配に向かってしかその
在り様も感情も本能もなくしてしまったのである︒こうして形容詞という感情は支配の原理からの︑あらずもがなの破片にすぎな
い︒
六︑
勿論︑下降型形容詞にしても︑それは上昇型形容詞に相対する
支配の性質である︒東国の感情とてほとんど都の感情の破片であり︑即ち心というのはいずれにしても都の形容詞のようにしか働
かないのである︒その中で鮮かに東国の感情をみせるのは﹁かな
し﹂という形容詞である︒
﹁かなし﹂は例えば古事記などでは︑ 一四
加那志祁久許許爾賢母比伝
の﹁かなし﹂を︿悲﹀に表わすか︑ ︿愛﹀と現わすかについてい
うと︑ ︿愛﹀の方が近い感情であろう︒意字では﹁哀情﹂ ﹁悲﹂が用いられて︑これらはく悲﹀の様相を持つであろう︒歴史はこ
の︿悲﹀の方に流れるのである︒
万葉集においても︑
=五九 佐伯山号の花持ちし哀帆手をし取りてば花は散るともでは歌の内容からいってもく愛﹀である︒まだ︿かなし﹀は下降
型になっていない︒この用法を持つ世界が東歌である︒
三四〇八 新田山嶺にはつかなな吾によそり端なる児らしあやに
かなしも
の歌で﹁かなし﹂が下降型を示さないことは勿論である︒歴史的
には一路下降型に流れ下る中で︑東国ではそれを後進的生活性で
せきとめている様子である︒こうして東歌の﹁かなし﹂はく歴史
﹀の上に逆立する︒しかもそれは東国の人々の歴史への逆立ちとしてそうなのである︒故にこの形容詞は彼らの生存を証明する︒
いわばこれがく言葉﹀になったのである︒
かかる形容が人類史上︑抵抗の感情として存在する︒歴史にと
っては偶然でしかない︐様な︑その様な在り方においてしか人間は
真実抵抗ができないのである︒以後﹁かなし﹂は日本文化史上︑
一度も上昇型形容詞とはならなかった︒ ﹁かなし﹂が敗北から敗北への系譜を生きたのは︑それが唯一新しかった故である︒ ﹁か
なし﹂は支配の性質の中で上昇しようとはしなかった︒ ︿生存の
確実さ﹀でもって︿生存の不確実さ﹀に拮抗することは本質上顎
可能なのである︒
あるいは近頃︑この﹁かなし﹂を︿せつない﹀とのように訳し
てみることが行われている︒ ︿せつない﹀とはいうまでもなく自
己の内部に凝固する感情であるが︑東歌の﹁かなし﹂は対者の性
質としてある︒だから右様の訳は相応しくないのである︒という
より折角作り上げられた東歌の感情をまた︑都の仔情の系譜とい
う次元に押し戻してしまう如き努力である︒こうした努力はある
いは文化というものが持つ策略なのであろう︒ 東国の人々は︿私ぱ罰﹀の感情をいっているのではなく︑
ホ くり返し﹁児うしかなしも﹂という風にいっているのであるが︑
何故これほど︿いとしい﹀という言挙げをしなければならないの
か︒校注や大系の﹁愛﹂字を借りていえば︑何故これほど︿愛﹀
の言挙げをしなければならないのか︒それを︑歴史の上に共同体
が崩壊する故に︑その崩壊のエネルギーが愛を呼ばせるのである︑
というよりは︑かく﹁愛﹂を呼びつづけることが紛れもなく︑歴
史の上において共同体が崩壊する将にその季節であったといった
方がよい︒
大宝元年六月﹁又︑国宰郡司︑貯二置大言一︑必須レ如レ法︑
如有二闘怠一︑随レ事科断﹂︵続日本紀︶とあるのを宮原武夫氏は﹁七〇一︵大宝元︶年にいたって国司に財政権が与えられた已と
解される︵﹁日本古代の国家と農民﹂︶︒即ちそれ以前は田租は
在地首長に関わっていたということである︒ここでは共同体の祭
祀や田植に準備された貯蔵米の伝統が残されていたはずである︒
それが律令制の下に正倉徴集が行われ︑出挙は口分田経営の国家
事業となる︒東国農民の︿人生﹀は律令制に分解し︑生存が政治
の内臓と等しくなり︑かくして七〇一年︑貧窮共同体が律令制へ
崩壊して行く時期︑そこにく愛﹀の言挙げがあった︒貧窮共同体
崩壊のエネルギーが罪なのである︒
東歌の感情︵渡部︶ 三四三八 都武賀野に鈴が音聞ゆ上志太の殿の仲子し鷹狩すらし も三四五九 稲溶けば輝る吾が手を今宵もか殿の若子が取りて嘆か むなどにみられる﹁殿の仲子﹂ ﹁殿の若子﹂という発想は在地首長の系譜を残している共同体からの好情に含まれよう︒そして三四入○ 大君の命畏みかなし妹が手枕離れ夜立ち来のかもという歌い方には︑ともかくも︑大君の秩序に含まれる好情からの発想がみられる︒この辺りに共同体が律令制に向かって崩壊して行く過程がみられよう︒そして︑そこに﹁かなし﹂の表出があったのである︒かかる﹁かなし﹂は当然︑階級分化と分業社会における︿恋﹀の性質に対立する位置から表出されている︒階級と分業とは律令社会では主として家長の性質なのであるが︑惨酷なことに律令社会の故に家長の性質は同時に家族の感情も形成する︒階級生活の様式︑支配の性質が感情である故である︒女ですら男に似てしかその感情の形容が不可能になってくる︒
六︑
﹁かなし﹂が貴族文学としての短歌の性質を生きる様になる時︑
具体的には防人歌の中に姿を見せようとする時︑それはく恋﹀に変貌する︒恋は失われた愛なのである︒それにしても﹁かなし﹂を
︿愛し﹀と訓み試みることは一つの努力なのであるが︑実はく愛V
はキリスト以来︑西洋という文明において︑というよりは人類の
名において成長しきってしまった︒故に東歌などにく愛﹀がある
べくもないのである︒ ︿愛﹀はすぐれた人間たちの生命の代償に
よって作り上げられた価値でありすぎる︒ただ﹁かなし﹂をく愛
一五
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二四号
しVと書きうることは構図の相似によって可能なのである︒︿愛﹀の
原型が共同体崩壊のエネルギーであるとすれば﹁かなし﹂もく愛﹀も共にそうなのである︒唯︿愛﹀がマイナスの歴史であり
すぎるに対して︑ ﹁かなし﹂はマイナスの歴史であるだけであ
る︒ 共同体崩壊のエネルギーが︿愛﹀という鮮明な主張となるため
には︑それは個人として生きなければならない︒即ち個人が共同
体崩壊のエネルギーでなければならない︑土ハ同体崩壊の本質とし
てく愛Vが存在するのだとすればその愛の働きがく知﹀なのであ
る︒この知というのは本質的に意識の別名である︒ここからだけ意識
とは意識的存在であるということができる︒即ち︿愛﹀は共同体の崩
壊を意識的に生きるわけであって︑別にいってみれば古めかしさ
への執着と憧憬でもあり︑あるいは律令的なものへの不適応︑反
撰でもある︒
﹁かなし﹂が右様の愛の性質であるよりは集団の感情であるこ
と既にみた通りである︒この﹁かなししの世界を個人として生き
る時愛の可能性がある︒しかし短歌形式というのは既に個人以前
なのである︒だから逆にいうと短歌形式に収まる︿愛﹀は﹁かな
し﹂なのであろう︒
五音︑七音の律調が人間における本質的リズムではなかったか︑
との様に万葉歌成立などを考察することもあるが︑そうしたこと
は決してない︒リズムは精神の在り様に似てくるから︑本来の精
神がリズムに似るというようなことは人間においては存在しない
のである︒いわば五音︑七音が人間の感情を規制しているのであ
り︑かかる本末が個我の意識としてのく愛﹀とその表出を不可能
にしてきた日本的原因である︒ 一六
貧窮土ハ同体の崩壊が短歌形式にのっかった時に﹁かなし﹂が生
まれたのであり︑同時に︿愛﹀の表出は失われつづけたのである︒
いうならば︿愛﹀が短歌を許容する支配性の中に生きる時﹁かな
し﹂の表現をとったのである︒
一方︑万葉集に︿恋﹀が頻出するのは︑階級化され︑分業化さ
れた人々が共同体にこだわるからであろう︒不可能としての愛を
︿恋﹀に求める故である︒恋は無償の様に男女が結婚して︑家族
という最小共同体を作るある肉体的意志なのである︒この肉体的
意志はひたすら階級と分業に似ている︒そこに恋の持つ不可能と
しての愛の宿命があるのだろう︒
不可能性としての愛というのは︑実は不可能性としての知であ
り︑不可能性としての意識であり︑不可能性としての感情なので
ある︒従って︑それは不可能性としてのく言語﹀でもあろう︒
例えば歴史などという学問も
︿入学試験の答案用紙に似ている﹀
それ以上でもないし︑あるいは
︿観光案内のパンフレットに似ている﹀
それ以下でもない︒歴史の学問というのも多分不可能性としての
歴史なのであろう︒
さてそれにしても︑文法が法律に似てしか文法ではありえない
という様なことに比して﹁かなし﹂が法律に似ようとしなかった
のは法律が遠く存在した︑法律というものに比較的疎外されてい
たという地域的偶然によろう︒ ﹁かなし﹂もそのま・の形で法律
に似た性格を持ち支配の性質となることもできるのであった︒沖縄では村落︑家族間でも﹁かなし﹂の形容があり︑宮廷︑貴族の
歌にも﹁かなし﹂という表現がある︒
東国では東歌という貴族の好情様式に︑しかも背→←妹という
相互性にのみこれがみられるのは︑これも日常的生活共同体からの離脱を示すものだろうか︒男女の性的媒介としてのみ﹁かなし﹂
があるのはやはり﹁かなし﹂の一面的利用には違いあるまい︒し
かし﹁かなし﹂が歴史への逆立としてある所からみると︑これは
宮廷や貴族好情の形容とはならなかったのであり︑東国人たちの
日常語︑村落︑家族間における感情形容であったのだろうと思わ
れる︒だから﹁かなし﹂が東歌の感情であるという云い方は勿論︑
共に東国の感情でもあったといっても間違いではないにしても︑
実は︑その東国の感情であるほどのものがく歌﹀の感情になって
くると︑そこに東国の感情の危機も存在するだろう︒それは﹁かなし﹂が男女の性の諦習に限定されるように用いられていること
からも推測される︒ 人間にとって歴史というのは
①共同体崩壊以前
②共同体崩壊
③共同体崩壊以後
という三段階に含まれてあるのではなかろうか︒これは叙上の如
き奈良時代や東国農民といった設定とは別に︑人類文化の相貌とは
そういうものであるといっていいのかも知れない︒そして人類は
この時間︑空間の何処かに存在するわけで︑キリスト教風には①パラダイス︑②パラダイスロスト︑③紀元以後の文明社会︵これ
はキリストによって開かられた人間倫理の世界︶のどの様相かに
位置するわけである︒②の共同体の崩壊から③の法治国家への移
行に関わって︿愛﹀が成立するわけで︑ ︿愛﹀は共同体崩壊のエ
ネルギー︑その本質である︒そして多分︑ ︿知﹀というのはその
東歌の感情︵渡部︶ 愛の働き︑うごめきなのである︒ ︿判る﹀ということもこのような状況に関わることなのであろう︒いうならばこれは意識という 毒ものでもあり︑矛盾の構図でもあるく魂﹀というものでもあろう︒形容詞という断片の感情の原因もそこにあり︑性欲や本能もかかる原型からの派生でしかないだろう︒ ②から③へ移行し終るとく愛﹀は消滅し︑ ︿恋﹀という支配と被支配に関わる肉体的意志︑即ち不可能性としての愛が成立し︑
︿知﹀は支配と被支配の構造に関わる肯定と均衡への努力となっ
て現われる︒ ︿美﹀が成立し︑意識も感情も性欲も同じ渦中に存
在しはじめる︒これら一切の概念はその高低・深浅の度合を人が
②から③にかけてのどの時間︑空間に位置するかによって決定す
る︒だから︿愛﹀にしてもく知﹀にしても人間が何処の場所にいたかということでしかない︒キリストの愛というのはキリストが
貧窮共同体崩壊の真只中にいたということであろうし︑キリスト
以後愛が失われたという云い方が可能であるのは人間が法治国家
の住人に安定したということなのであろう︒即ち愛の人と愛でな
い人︵恋の人︶との関係というのはそういう関係であるというこ
となのであろう︒
そして大よそは︑人間というのは右様な時間の流れの上に生きているのだから︑入間について︿判る﹀ということは︑人間それ
ぞれがどんな形でか共同体崩壊のエネルギーとして働く時︑即ち
そういう︿愛﹀に基づくものであろう︒
そしてこの共同体崩壊以後の︿知﹀というのは支配の破片︑不
可能性としての知なのであろう︒感情という形容詞も︑恋という
性欲もすべては支配の性質である︒人間は悲しいことにこの︿愛
﹀からく支配の性質﹀の系譜のいずれかに存在する︒だからく知
一七
長崎大三教育学部人文科学研究報告 第二四号 性﹀とは人間の存在する場所の別名であるだけらしい︒ 一八