• 検索結果がありません。

中国にお け る東亜 同文書 院研 究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中国にお け る東亜 同文書 院研 究"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

武 井 義 和

は じめ に

本 論 は,中 国 に お け る東 亜 同 文 書 院 研 究 の 動 向 を 取 り上 げ る(以 下,東 亜 同文 書 院 を 「 同 文 書 院 」 ま た は 「 書 院 」 と略 記 す る場 合 が あ る)。 そ の 際,中 国 の 研 究 者 が 東 亜 同文 書 院 を ど の よ うな 観 点 か ら捉 え て い る か を概 観 し,あ わ せ て 日本 の研 究 と比 較 して そ の特 徴 を 明 らか に す る。 と と も に, 東 亜 同文 書 院 を め ぐる 日 中双 方 の 認 識 の違 い な ど に つ い て も考 え る こ とを 試 み る。

まず は じめ に,東 亜 同 文 書 院 の 性 格 に つ い て 述 べ て お き た い 。 東 亜 同文 書 院 は 「 支 那 を保 全 す 」,「支 那 お よび 朝 鮮 の 改 善 を 助 成 す 」,「支 那 お よび 朝 鮮 の 時 事 を 討 究 し実 行 を 期 す 」,「国 論 を 喚 起 す 」 な ど の 綱 領 を掲 げ て 1898年 に 誕 生 した 東 亜 同 文 会 を経 営 母 体 と し,近 衛 篤 麿 東 亜 同 文 会 初 代 会 長 の構 想 の も と,後 に 同 文 書 院 初 代 ・第3代 院 長 とな る 根 津 一 の 協 力 で, 1900年 南 京 に 開 設 され た 南 京 同 文 書 院 に 始 ま る(1)。南 京 同文 書 院 の 方 針 は 根 津 が 作 成 した,設 立 趣 意 書 に 該 当す る 「 興 学 要 旨」 「 立 教 綱 領 」(原 文 は 漢 文)に 示 され るが,特 に 「 興 学 要 旨」 で は 「 中外 ノ 実 学 ヲ講 ジ,日 清 ノ 英 才 ヲ育 ツ,一 ニ ハ 以 テ 清 国富 強 ノ 基 ヲ樹 テ,一 ニ ハ 日清 輯 協 ノ根 ヲ 固 ム 。 期 スル 所 ハ 清 国 ヲ 保 全 シテ 東 亜 久 安 ノ 策 ヲ定 メ,宇 内永 和 ノ 計 ヲ立 ツル ニ 在 リ(以 下 略)」(2)と謳 い,日 中 の 人 材 育 成 を 通 じ て 日 中友 好 を確 立 す る こ

と を表 明 して い る。

(1)大 学 史 編 纂 委 員会 編 『東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』76,77頁(湛 友 会,1982年)。 な お,東 亜 同文 会 綱 領 に つ い て は東 亜 文 化 研 究 所 編 『 東 亜 同文 会 史 』33頁(霞 山 会,1988年)。

(2)東 亜 同 文 会 『 東 亜 同文 会 第 十 八 回 報 告 』5頁(1901年)。

(2)

南 京 同 文 書 院 は設 立 後 ほ ど な く して 発 生 した 義 和 団 事 件 で 治 安 が 悪 化 し た た め,上 海 に 移 転 し,翌1901年 に 東 亜 同 文 書 院 と して 再 出発 した 。 こ の 「 興 学 要 旨」 「 立教 綱 領 」 は,東 亜 同 文 書 院 で も設 立 趣 意 書 とな っ た(3)。

そ の後,1939年 に は 大 学 に昇 格 した が,1945年 日本 の敗 戦 に と もな い 閉 校 と な っ た(4)。

教 学 は 商 務 科 が 中 心 的 存 在 で,中 国 の経 済 を は じめ 経 済 全 般 に 関 す る科 目が 主 体 で あ った 。 あ わ せ て 中 国 の 政 治 ・法 律 を 学 ぶ カ リキ ュ ラム も設 定 され た。 そ の よ うな 中で,日 中 間 の 貿 易 取 引 実 務 の 必 要 か ら,特 に 中 国語 の カ リキ ュ ラム は 充 実 して い た ⑤。 また,最 終 年 次 生 は 「 大 旅 行 」 とい わ れ る調 査 旅 行 を毎 年 行 い(1907〜1943年),調 査 成 果 は 帰 校 後 『調 査 報 告 書 』 と して ま とめ られ た(6>。

東 亜 同 文 書 院 の概 略 的 特 徴 は 以 上 の よ うな も のだ が,書 院 が 中 国 を対 象 と し て い た た め,そ の 歴 史 は 単 に 学 校 の歴 史 に と どま らな い。 そ こ に は近 代 日 中 関 係 史 が 必 然 的 に 関わ っ て く る の で あ り,近 代 日 中 関係 史 の 流 れ を 度 外 視 す る こ とは で き な い 。 例 え ば 南 京 同 文 書 院 は,近 衛 篤 麿 が1899年 南 京 で 両 江 総 督 の劉 坤 一 と会 見 した 際 に劉 か ら協 力 した い とい う表 明 が あ

り,ま た根 津 一 が 「 創 立 金 陵(南 京)同 文 書 院 興 学 要 旨」 を劉 総 督 に提 出 す る こ とで 共 感 を得 た こ とに よ り,開 設 され た(7)。そ の 後,1920年 代 の 中 国 ナ シ ョナ リズ ム が 興 隆 した 時 期 に お い て は,中 華 学 生 部(1920〜1934

(3)た だ し,南 京 同文 書 院 の も の と比 較 す る と,語 句 が 異 な っ て い る 部 分 が あ る。同 上5〜12頁, お よび 東 亜 同文 書 院編 『東 亜 同 文 書 院 紀 要 』10〜15頁(1923年)な どを 参 照 。

(4)東 亜 同 文 書 院 の大 学 昇格,お よび 敗 戦 に よる 閉 校 につ い て は,そ れ ぞ れ 前 掲 『東 亜 同文 書 院 大 学 史 』154〜158頁,166〜167頁 を 参 照 。

(5)東 亜 同 文 書 院 は商 務 科 ・ 政 治 科 の2学 科 で 出発 した が,政 治 科 は1921年 廃 止 され,ま た 農 工 科 が1914年 に設 置 され る も1922年 に は 廃 止 とな っ て い る 。ま た,中 国人 子 弟 を 対 象 と した 中 華 学 生 部 が1920年 に設 置 さ れ る が,1934年 に は 廃 止 とな った た め,開 設 当 初 か ら存 在 した の は 商 務 科 だ けで あ っ た(前 掲 『東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』91,107,109,120,176,182頁)。 カリ キュ ラ ムに つ い て は 前 掲 『東 亜 同文 書 院 大 学 史 』103〜104,119,132〜133頁 を 参 照 。ま た,東 亜 同 文 書 院 の 中 国語 研 究 ・ 教 育 につ い て は,松 田か の 子 「 『華 語 月 刊 』と東 亜 同文 書 院 の 中 国 語 教 育 」 (『 芸 文 研 究 』88,2005年),今 泉 潤 太 郎 「 東 亜 同 文 書 院 に お け る 中国 語 教 学 一 「 華 語 葦 編 」 を 中 心 に 一 」(『 愛 知 大 学 国 際 問 題 研 究 所 紀 要 』103,1995年9月),同 「「 華 語 葦 編 」 か ら見 た 同文 書 院 の 中 国語 教 学 」(『オー プ ン・ リ サー チ・ セ ンター 年 報 』 創 刊 号,愛 知 大 学 東 亜 同 文 書 院 大 学 記 念 センタ ー 発 行, 2007年)な どが 先 行 研 究 と して 挙 げ られ る。

(6)前 掲 『東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』183〜198頁 を 参 照 。

(7)同 上,76,77頁 。

(3)

年 の 間,書 院 内 に設 置 され た 中 国 人 子 弟 を 対 象 とす る 学 部)で 学 ぶ 中 国人 の 殆 どが 民 族 運 動 に参 加 す る現 象 もみ られ た が,一 方 で 日 中 両 国 が 戦 争 状 態 に突 入 す る 前 の 時 代 で あ り,隣 接 す る交 通 大 学 との 合 同運 動 会 や テ ニ ス 試 合 な どの ス ポ ー ツ 交 流 もみ られ た し,創 立20周 年 を記 念 し て 梁 啓 超 や 黎 元 洪 な どの 政 治 家 が 書 を揮 毫 す る とい った,日 中 間 の 交 流 も存 在 した(8)。

しか し,1930年 代 以 降 の 日 中 関係 の 悪 化 と と もに,書 院 は 従 軍 通 訳,学 徒 出 陣 とい う形 で 日中 戦 争 に協 力 せ ざ る を 得 な い状 況 に な り(9),日 本 敗 戦 に

と も な い 閉 校 とい う形 で 幕 を 閉 じ る こ と とな っ た。

こ う して み て くる と,東 亜 同 文 書 院 史 は 近 代 日中 関 係 史 か ら全 くか ら離 れ て 理 解 す る こ とが で きな い 。 書 院 史 は近 代 日 中 関 係 史 の 動 向 が 大 き く影 響 し て お り,近 代 日 中関 係 史 の 一 側 面 を表 して い る とい え よ う。

で は,東 亜 同文 書 院 は戦 後 日本 で どの よ うに 認 識 され て き た の か 。栗 田 尚 弥氏 は,「 日本 帝 国 主 義 の尖 兵 」と して 否 定 的 に 捉 え られ て い た と述 べ る('°)。

ま た,筆 者 が 先 行 研 究 の 整 理 を 行 った と こ ろで は,最 初 に研 究 が 登 場 した 1960年 代 よ り90年 代 に至 る ま で は研 究 数 が 少 な く,ま た そ の大 方 は 「 中 国 侵 略 に加 担 した 」 「 中 国侵 略 の た め の 文 化 機 関」な どの 見 方 で 同 文 書 院 を 捉 え る傾 向 が 強 か っ た 。1990年 代 以 後 は 研 究 者 が 増 加 し,ま た 資 料 に基 づ い て 実 体 を解 明 し よ う とす る 研 究 が 中心 とな っ て き て い る 。 そ れ は90年 代 以 降 の 状 況 は 同文 書 院 へ の 関 心 が 高 ま る と 同時 に,個 人 の 問 題 関 心 に基 づ き,研 究 内 容 が 個 別 ・多 様 化 した 状 態 で あ る とい え る(11)。

一 方 で ,中 国 に お け る 同文 書 院 研 究 に つ い て は,栗 田氏 が 行 った 先 行 研 究 の 整 理 の 中で も余 り触 れ られ て い な い(12)。この 理 由 と して,日 本 か らは

(8)中 華 学 生 部 に つ い て は 水 谷 尚子 「 東 亜 同文 書 院 に 学 ん だ 中 国 人 一 中華 学 生 部 の 左 翼 学 生 」 『 近 き に あ りて 』28,1995年11月,後 に 『東 亜 同 文 会 史 論 考 』 霞 山 会,1998年 に 再 録)が 先 行 研 究 と して 挙 げ られ る 。東 亜 同 文 書 院 学 生 と交 通 大 学 学 生 と の交 流 に つ い て は,上 海 交 通 大 学 校 史 研 究 室 課 題 組 編 『 資 料 選 輯 』197〜204頁(2006年)。 な お,梁 啓 超 や 黎 元 洪 な ど の 書 は,愛 知 大 学 東 亜 同文 書 院 大 学 記 念 セ ンタ ー に 所 蔵 され て い る 。

(9)戦 時 下 の 東 亜 同文 書 院(大 学)で 行 われ た 従 軍 通 訳,学 徒 出 陣 につ い て は,前 掲 『 東 亜 同文 書 院 大 学 史 』148,149,162,571〜574,614〜615頁 な どを 参 照 。

(10)栗 田 尚 弥 『 上 海 東 亜 同 文 書 院 日中 を 架 け ん と した 男 た ち 』297〜298頁(新 人 物 往 来 社,1993 年)。

(11)拙 稿 「 東 亜 同 文 書 院 に 関 す る先 行 研 究 の 回 顧 と今 後 の展 望 」(前掲 『 オー プ ン・ リ サー チ・ セン ター 年 報 』創

刊 号,同 「 東 亜 同文 書 院 に 関 す る 先 行 研 究 の 回顧 と今 後 の 展 望(補 論)」(『 オー プ ン・ リ サ ー チ・ セ ンター 年 報 』

2号,2008年)を 参 照 。

(4)

中 国 の研 究 状 況 が 把 握 し に くい とい う点 も考 え られ よ う。 しか し幸 い な こ と に,2007年7月 に 愛 知 大 学 東 亜 同文 書 院 大 学 記 念 セ ン タ ー(以 下,「 記 念 セ ン タ ー 」 と略 記)主 催 に よる 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 「日 中研 究 者 に よ る東 亜 同文 書 院 研 究 」 が,愛 知 大 学 豊 橋 校 舎 で 開 催 され,上 海 交 通 大 学 ・上 海 師 範 大 学 と記 念 セ ン タ ー の研 究 者 との合 同 で 研 究 発 表 が 行 な わ れ た 。 そ の 時 に欧 七 斤 氏(当 時,上 海 交 通 大 学 校 史 研 究 室)が 「 東 亜 同文 書 院 の 中 国 方 面 の 研 究 に 関 す る概 要 」 とい う題 で 先 行 研 究 を紹 介 し,ま た 同 年11.月 か ら12月 に か け て 記 念 セ ン タ ーが 受 け入 れ た 南 開 大 学 の 周 徳 喜 氏 も,記 念 セ ン タ ー 主 催 の研 究 会 で 「 中 国 にお け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」 とい

う題 で 同様 の 発 表 を 行 な っ た(13)。

筆 者 は 東 亜 同文 書 院 の 先 行 研 究 史 の整 理 を これ ま で 行 っ て き た が,日 本 で の 研 究 を 主 と した た め に 中 国 の 研 究 状 況 に つ い て は 取 り上 げ る 余 裕 が な か っ た。 した が っ て 今 回,欧 ・周 両 氏 の発 表 を参 考 に しつ つ,冒 頭 で 示 し た よ うな 問 題 意 識 に 沿 って 考 察 を 進 め る が,同 時 に,先 行 研 究 の 整 理 の一 環 と い う意 味 合 い で も考 察 を 進 め て い き た い 。

な お,本 論 は 東 亜 同 文 書 院 を 中心 的 対 象 とす る た め,経 営 母 体 の 東 亜 同 文 会 は 同 文 書 院 に 関 わ る範 囲 内 で 取 り上 げ る こ と と した い 。

注:本 論 で は,中 国 の 人 名 や 図 書 ・ 論 文 名 を 日本 の 当用 漢 字 で 表 記 して い る。

1.中 国にお ける東亜 同文書 院に 関す る先行 研 究

本 章 で は,欧 七 斤 ・周 徳 喜 両 氏 に よ る研 究 紹 介 に 依 拠 しつ つ,紹 介 か ら 欠 落 した 部 分 や,取 り上 げ られ な か っ た研 究 も補 足 し,中 国 に お け る先 行 研 究 の動 向 を 見 て い く(14)。な お 研 究 紹 介 は,欧 ・周 両 氏 の 発 表 を 筆 者 が ま と め る形 で 取 り上 げ て い くこ とを 基 本 とす るが,補 うべ き部 分 は 筆 者 が 原

(12)栗 田 尚 弥 「 東 亜 同文 書 院 の 復 権 一 最 近 の 研 究 動 向 に 則 して 一 」69〜70頁(『 大 倉 山論 集 』51, 2005年3月)。

(13)欧 七 斤 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国 方 面 の 研 究 に 関 す る 概 要 」,周 徳 喜 「中 国 に お け る 東 亜 同文 書

院 研 究 の 現 状 」 の詳 細 に つ い て は,前 掲 『 オー フDン ・ リ サ ー チ・ セ ンタ ー 年 報 』2号 を 参 照 。

(5)

表1中 国人研 究者 に よ る先行研 究 一覧

筆者名 タイ トル 収録雑誌 発行年

蘇智良 上海東亜同文書院述論 『梢 案 与 史学 』 第5期 1995年5月 単冠初 試論 東 亜 同 文 書院 的 政 治特 点 一 兼 与西

方在 華 教 会 比較

〔 邦 題 〕 東 亜 同文 書 院 の政 治 的特 徴 試 論 一西 洋 ミ ッシ ョンス ク ール との 比較

『梢 案 与 史学 』 第1期 1997年1月

2

日本 帝 国主義 開辮 的 上 海東 亜 同文 書院

〔 邦題 〕日本 帝 国主 義 の 開設 した 東 亜 同 文書 院

『蘭 台 世界 』 1997年

房建 昌 上 海 東 亜 同 文書 院(大 学)梢 案 的発 現 及価 値

〔 邦題 〕 上海 東 亜 同 文書 院(大 学)資 料 の発 見 及 び そ の価 値 に つ い て

『梢 案 与 史学 』 第5期 1998年5月

凋天喩 東亜 同文 書 院 的 中 国旅 行調 査

〔 邦題 〕 東 亜 同 文書 院 の 中 国旅 行 調 査

『文 史 知識 』 第1期 2000年1月

凋天喩 中文 版 剛言(濾 友 会 編 、揚 華 等 訳 『 上 海東 亜 同文 書 院大 旅 行 記録 』商 務 院書 館、2000年1月 に所 収)

2000年1月

凋天喩 略論 東 亜 同 文 書院 的 中国調 査

〔 邦題 〕 東 亜 同 文書 院 の 中 国調 査 略論

『世 紀 書 窓』 第3期 2001年6月

趙文遠 上海 東 亜 同 文 書院 与 近 代 日本 侵 華 活動

〔 邦題 〕上 海 東 亜 同文 書 院 と近 代 日本侵 華活 動

『史 学 月刊 』 第9期 2002年

盧燕麗 明治維新至二戦結束 日本以軍事為 目的 的中国語学習

『軍 事歴 史 研 究 』第2期 2003年2月 周徳喜 甲午戦 争前後 日本 在上海 創辮 的学校述 論

〔 邦題 〕甲午 戦争 前 後 、日本 が 上 海 にお い て創 立 した 学校 を論 ず

『広 東社 会 科 学 』第6期 2003年

周徳喜 東亜 同文書院始末 『蘭 州大 学 学 報(社 会 科 学 版)』2004年 第3期

2004年5月

藍勇 近代 日本対長江上游的踏察調査及影響 『中国歴 史地 理 論叢 』

第20巻 第3輯 2005年7月 周徳喜 東 亜 同文 書 院 研 究(2006年7.月 、南 開

大学 提 出博 士 学位 論 文)

出 典:欧 七 斤 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国方 面 の研 究 に 関 す る 概 要 」45〜47頁,周 徳 喜 「中 国 にお け る 東 亜 同文 書 院研 究 の 現 状 」318〜320頁(『 オー フDン ・ リ サ ーチ・ セン ター 年 報 』2号,2008年),お よ び 中 国学 術 雑 誌 デ ー タペ ース(CNKI)〔http://cnki.toho‑shoten.co.jp/kns50/〕 で 筆 者 が 検 索

・ 調 査 した もの 。

注 ①:各 研 究 の 中 国 語 原 題 は 、2007年12月14日 に 記 念 セ ン タ ー 主 催 で 行 わ れ た 周 徳 喜 氏 の研 究 会 で 同氏 が 用 意 した げ ユメ、 な らび に 中 国 学 術 雑 誌 デ ー タへ ㌧ ス(CNKI)に よ る 。

注 ②:各 研 究 の 邦 題 は 、前 掲 「 東 亜 同文 書 院 の 中 国 方 面 の研 究 に 関 す る 概 要 」,同 「中 国 にお け る 東 亜 同文 書 院 の 現 状 」 に記 載 され て い る通 り と した が,訳 の 関 係 上,一 部 修 正 を加 え た と こ ろ も あ る 。 な お,邦 題 に 直 す 必 要 の な い もの や,筆 者 が 調 査 し て リ スト に 含 めた 研 究 につ い て は,邦 題 を付 け て い な い 。

注 ③:表 中,r?」 は不 明 で あ る こ と を示 す 。

注 ④:新 聞 『文 睡 報 』 に掲 載 さ れ た 、 東 亜 同 文 書 院 に つ い て 言 及 した 記 事 「 上 海 早 年 的 洋 文 報 」

〔 邦 題 「 上 海 の 早 期 に お け る 外 国 語 新 聞 」〕,な らび に薄 井 由 『 東 亜 同 文 書 院 大 旅 行 研 究 』 (上海 書 店 出 版 社,2001年)に 対 す る 書 評 で,所 在 が 確 認 で き な か った 何 娘 「 別 有 用 心 的 研 究 一 看 東 亜 同 文 書 院 大 旅 行 研 究 」〔 邦 題 「 た く らみ を もつ 研 究 一 東 亜 同 文 書 院 大 旅 行 の研 究 を 読 ん で 」 〕 は表 に 含 ま れ て い な い 。 ま た,東 亜 同 文 書 院 を概 説 程 度 しか 扱 って い な い研 究 も、 表 に は 含 ま れ て い な い(詳 し く は前 掲 「中 国 に お け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」318〜

319頁 を 参 照)。

(6)

文 に 当 た っ て 補 足 して い くこ とに す る。 表1は 両 氏 が 紹 介 した 主 な 研 究 を 筆 者 が 一 覧 表 に ま とめ,さ らに 筆 者 の調 査 で 見 出 した 若 干 の研 究 を 含 ん だ もの で あ る 。 筆 者 が 同 表 に示 した 研 究 は,東 亜 同 文 書 院 を直 接 的 な 対 象 と して い る わ けで は な い が,そ れ ぞ れ の各 論 の 中で 書 院 が 関 係 的 に 述 べ られ て い る。

表1か らは,中 国 で は1990年 代 に な って 東 亜 同 文 書 院 研 究 が 開 始 され た こ とが 分 か る 。 も っ と も,周 氏 は1990年 代 以 前 の 書 院 に 関 す る 文 章 で は,1964年 に発 表 され た 吉 宜 康 「 関 干 東 亜 同 文 書 院 」 〔 邦 題 「 東 亜 同 文 書 院 につ い て 」 〕(『文 史 資 料 選 集 』 第17期)が 一 番 全 面 的 で 書 院 を 紹 介 した 論 文 と して 位 置 付 け て い るが,欧 氏 は それ を 回 想 録 と捉 え て お り,認 識 が 分 か れ て い る('5)。 そ の 後,1980年 に は 森 時 彦 「 東 亜 同 文 書 院 和 根 津 精 神 一 読 史 札 記 」 が 『辛 亥 革 命 史 叢 刊 』 第1輯(1980年)に 紹 介 掲 載 され た が, これ は 同氏 が 日本 で発 表 した論 文 「 東 亜 同 文 書 院 の 軌 跡 と役 割 一 「 根 津 精 神 」 の究 明 一」(『歴 史 公 論 』4,1979年)が も とに な って い る 。 ま た,10 年 後 の1990年 に は 董 超 文 抄 訳 「1900‑1945年 上 海 的 日本 東 亜 同文 書 院 」

(『 梢 案 与 歴 史 』1,1990年)が 発 表 され た が,こ れ は"JournalofAsian Studies"に 掲 載 され た ア メ リカ の 研 究 者 で あ る ダ グ ラ ス ・レ イ ノ ル ズ

(DouglasReynolds)の 論 文̀ChineseAreaStudiesinPrewarChina:Japan's ToaDobunShoininShanghai,1900‑1945'か ら第1・ 第2部 分 を 訳 して 掲 載

した も の で あ る。 した が っ て,こ の 時 期 の 書 院 研 究 は 日本 や ア メ リカ の研 究 者 の紹 介 レベ ル に 留 ま っ て い た 。 中 国 人 に よ る最 初 の 研 究 は 蘇 智 良 「 上 海 東 亜 同 文 書 院 述 論 」 まで 待 た ね ば な らな か っ た。 欧 ・周 両 氏 と も に蘇 氏 の 論 文 を 最 初 の 専 門 的 な 研 究 と位 置 付 け て い る(16)。

以 後,研 究 蓄 積 が 漸 次 増 して い る様 子 が,表1か ら読 み 取 れ る 。 で は, これ らの研 究 は ど の よ うな 観 点 で 同 文 書 院 を 捉 え て い るの で あ ろ うか 。 こ

(14)欧 氏 は2007年7月 の 国 際 シ ンポ ゾ ウ ムに お い て,①1900年 か ら1945年 ま で の,東 亜 同文 書 院 が 存 在 した 時 代 に お け る 中 国 の 政 界,学 界 の 人 々 の 書 院 に対 す る 見 方,②1960年 代 か ら1990 年 代 ま で の,か つ て 書 院 の 学 生 ・ 職 員 だ った 人 々 の 回 顧 録,③1990年 代 の 中 国 の 研 究 者 の専 門 的 な 論 文,と い う3つ の 角 度 か ら報 告 した(前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国 方 面 の 研 究 に 関す る概 要 」)。①,② は 大 変 参 考 に な る が,本 文 で は論 の展 開 上,③ に 限 定 して 取 り上 げ て い る 。 (15)前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国 方 面 の研 究 に 関 す る概 要 」45頁,同 「中 国 にお け る 東 亜 同文 書

院 研 究 の 現 状 」318頁 。

(16)同 上 。

(7)

れ につ い て 周 徳 喜 氏 は,中 国 侵 略 との 関係 で 東 亜 同 文 書 院 研 究 は 発 表 され て お り,中 国 侵 略 と東 亜 同文 書 院 研 究 は不 可 分 の 関 係 とい う見 方 が 中 国 に は あ る と紹 介 して い る 。 す な わ ち,東 亜 同 文 書 院 の 学 生 自体 は 侵 略 とい っ た 感 覚 は な く,ま た 侵 略 に 関係 な か っ た が,日 本 政 府 が 日 中戦 争 を 始 め て 中 国侵 略 を 進 め,そ の 過 程 で 東 亜 同 文 書 院 に い ろ い ろ な 圧 力 を か け,書 院 もそ れ に 応 じ ざ る を得 な か っ た た た め で あ る とす る(17)。 つ ま り,中 国側 の 書 院 へ の 視 点 の べ 一 ス に は,「 中 国侵 略 」とい う観 点 が 大 き く存 在 す る様 子 が 浮 か び 上 が る。

こ の 点 を 踏 ま え て 中国 側 の研 究 を さ らに 見 て い く と,大 き く2つ の 研 究 動 向 に分 か れ る こ とが 知 られ る。1つ 目は,東 亜 同文 書 院 が 存 在 した 時 代 の 日 中 関 係 は 次 第 に 日本 の 中 国 侵 略 に至 った,と い う認 識 に基 づ き,東 亜 同 文 書 院 を 歴 史 上 に 位 置 付 け て,そ の特 徴 を 明 らか に し よ う とす る も の で あ る。 しか し一 方 で,侵 略 とい う側 面 のみ で 捉 え る の で は な く,評 価 す べ き 面 も取 り上 げ よ う とす る,つ ま りプ ラ ス 面 とマ イ ナ ス 面 の双 方 を 扱 う と い うス タ イ ル を採 る もの で あ る 。 蘇 智 良 氏,単 冠 初 氏,福 天 喩 氏,藍 勇 氏 が これ に 該 当 す る。2つ 目は,「 中国 侵 略」 を前 面 に 打 ち 出 して,東 亜 同文 書 院 が 有 す る 侵 略 的 要 素 を 浮 き 彫 りに す る とい う研 究 で あ る。 趙 文 遠 氏, 周 徳 喜 氏,盧 燕 麗 氏 が これ に 該 当 す る。

以 下,1つ 目 の研 究 動 向 か ら順 番 に 見 て い く こ とに す る 。 ま ず,蘇 智 良 氏 は 「 東 亜 同 文 書 院 が 存 在 した 時 代 は,ま さ に 中 日両 国 の 国 力 と国 際 的 地 位 の 強 弱,盛 衰 が 転 換 した 時 期 で あ っ た。 日本 の 民 間 有 識 の 士 が 中 日間 の 文 化 交 流 に 力 を尽 くす 一 方,日 本 軍 国主 義 は 日増 しに 台 頭 し,最 終 的 に は 中 国侵 略 戦 争 の 道 を た ど っ た 。 この 歴 史 的 背 景 の下 で,日 本 の 各 種 の 政 治 的,経 済 的,社 会 的 活 動 は こ の 時 代 の 印 を 押 され な い もの は な か った 。 例 え 民 間人 士 の 文 化 教 育 活 動 だ と して も,日 本 政 府 お よび 国策 奉 仕 の 痕 跡 が な い わ け で は な い 。 この た め,書 院 の功 罪 是 非 の評 価 は,簡 単 な 前 面 肯 定 と全 面 否 定 は み な 一 方 的 で 独 断 的 で あ る。 科 学 的 態 度 は 事 実 求 是 の 精 神 に 基 づ い て,具 体 的 な 分 析 をす るべ き で あ る」(18)と述 べ た 上 で,書 院 の 肯 定 的 側 面 と書 院 が 日本 の 中 国侵 略 ・日本 の 国 策 に 関 わ って い っ た 側 面 の 双 方

(17)前 掲 「中 国 に お け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」325頁 。

(18)蘇 智 良 「 上 海 東 亜 同 文 書 院 述 論 」42頁(『 梢 案 与 史 学 』 第5期,1995年5月)。

(8)

を 明 らか に して い る 。

肯 定 的 側 面 と して は,東 亜 同 文 書 院 が 日本 の 中 国研 究 の 権 威 あ る 機 構 と して 生 ま れ,日 本 近 代 中 国学 の 基 礎 を打 ち 立 て た こ と,中 日両 国 人 民 の文 化 交 流 ・友 好 関 係 の発 展 に寄 与 した こ と,書 院 の成 果 は 多 くの 中 国 通,中 国 の 専 門 家 を 輩 出 した こ と,一 部 の 教 師 ・学 生 が 中 国 の 革 命 事 業 に 参 加 し た こ とな どを 挙 げ て い る。 そ して 大 旅 行 調 査 が 形 成 した 数 千 の 報 告 書 につ い て は,今 日 にお い て も近 代 中 国 社 会 を研 究 す る大 切 な 資 料 で あ り,当 時 の 中 国 を 客 観 的 に理 解 す る上 で 非 常 に重 要 な 文 化 遺 産 に な っ て い る と指 摘 す る。 ま た,中 国語 教 育 を肯 定 的 に捉 え,外 国 の 学校 と して 同 文 書 院 の 中 国 語 教 育 の 正 確 さ,緻 密 さは 今 日ま で 右 に 出 る もの が な い と評 価 して い る。

一 方 ,日 本 の 中 国侵 略 ・日本 の 国 策 に 関 わ った 側 面 と して,卒 業 生 の 大 部 分 が 直 接 日本 政 府 あ る い は軍 に 参 加 し,そ して 大 旅 行 に は 政 治 的 色 彩 が あ り,日 本 の 外 務 省 や 軍 が 『 調 査 報 告 書 』 か ら多 くの 情 報 を得 て い た と述 べ る('9)。

単 冠 初 氏 の 研 究 は,東 亜 同 文 書 院 を在 中 ミ ッ シ ョン ス ク ール との 比 較 と い う観 点 か ら,書 院 の 口本 の 官 側 との 関係,お よ び 中 国 官 民 との 関 係 を 明 らか に した 上 で,書 院 の 特 徴 に つ い て 論 じた も の で あ る。 まず,ミ ッシ ョ ンス ク ー ル は 国家 と特 別 な 関係 が な か っ た の に対 して,書 院 は そ の 発 展 過 程 にお い て 日本 の官 側 と不 可 分 の 関 係 で あ り,日 本 の 対 中 国政 策 と密 接 な 関 係 が あ っ た と指 摘 す る(2° 〉 。 この 点 に つ い て,結 論 と して 「 書 院 が 存 在 し た 半 世 紀 近 く,日 本 の 国 力 は 日増 しに盛 ん に な り,軍 国 主 義 は 日増 しに膨 脹 し,日 を 追 って 周 辺 の 国や 地 域 に 向か って 激 し くな った 。 特 に そ れ は 中 国 大 陸 で 拡 張 と侵 略 が 行 わ れ た 時 期 で あ り,東 亜 同 文 会 は こ の 時 期 日本 政 府 に よ っ て 全 局 面 の影 響 を受 け,幾 度 の 重 要 な 組 閣 時 や,政 府 を 補 佐 す る 中心 的 な政 治 団体 の1つ とな っ た 。 こ の た め,書 院 と 日本 の官 側 お よび そ の 対 中 国政 策 との 関係 は,自 然 と在 中 ミ ッ シ ョン ス ク ール に比 べ て よ り密 接 で あ り,そ の 互 い の 呼 応 と協 同 も 自然 に 緊 密 さ が 増 した の で あ る 。 ま さ に こ の た め,書 院 は 一 貫 して た だ 民 間教 育 機 関 の様 相 が 現 れ て い た に もか

(19)前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国 方 面 の研 究 に 関 す る概 要 」46,47頁,同 「中 国 に お け る東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」318頁 。

(20)前 掲 「中 国 に お け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」318頁 。

(9)

か わ らず,官 側 の政 策 を遮 る こ とが で き な か っ た。 ゆ え に,そ れ は や は り 自覚 す る と しな い とに か か わ らず,今 世 紀 以 来 の 日本 の 対 中政 策 を 体 現 し て お り,さ ら に は 最 終 的 に 日本 の 中 国 侵 略 活 動 に巻 き 込 ま れ た と して も, 理 解 し難 い こ とは な い の で あ る 」(21)と,書 院 と 日本 の 官 側 との結 び 付 き の 指 摘 を通 じて,日 本 の 中 国侵 略 に とも な い 書 院 は そ れ に 関 わ らざ る を得 な くな っ た と位 置 付 け る 。 そ の根 拠 と して,以 下 の6点 を 挙 げ る 。 ① 書 院 を 創 立 した 東 亜 同文 会 は,日 本 政 府 の 助 言 と経 済 援 助 の も とで 成 立 した 半 官 半 民 の政 治 的 団体 で あ った こ と,② 書 院 の 経 費 は 中 央 政 府 お よ び 地 方 政 府 (府 県)か ら来 て い る こ と,③ 書 院 院 長,副 院 長 な どの 主 要 幹 部 は 東 亜 同文 会 の 任 命 を 受 けて い る が,東 亜 同 文 会 は外 務 省 の管 轄 を 受 け る た め,人 事 問 題 は 日本 政 府,特 に 軍 の直 接 ・間 接 の 関 与 を受 け た こ と,④ 学 科 の 設 置 廃 止,学 制 変 更,校 舎 の 確 定 や 学 校 の昇 格,学 園紛 争 の 解 決 な どは,殆 ど 日本 の官 側 の 決 定 に よ るか,あ る い は そ の 在 華 組 織 の 直 接 の 関 与 に よ っ た こ と,⑤ 日常 活 動,特 に大 き な 祝 典 に は 日本 の官 側 の 直 接 ・間 接 の 影 響 も 受 け た こ と,⑥ 多 くの 書 院 卒 業 生 が,中 国 に あ る 日本 の 軍 や 政 府,外 交 機 関,商 工 企 業 や 各 地 の イ 鬼偶 政 権 に 入 っ た こ と(22)。

一 方 で ,書 院 と中 国 の 朝 野 との 関 係 に つ い て は,書 院 創 立 時 よ り 日中戦 争 勃 発 時 ま で 中 国側 と相 当 の 友 好 あ る い は 協 力 関係 が み られ た と述 べ,書 院 と 中 国 の 協 調 関係,あ る い は 中国 朝 野 の 書 院 に対 す る友 好 的 態 度 につ い て,次 の4点 を 挙 げ る 。 ① 書 院 を 創 立 した 東 亜 同 文 会 が 康 有 為,梁 啓 超, 孫 文 とい っ た 人,々と特 殊 な 関 係 を 有 して い た だ け で な く,清 朝 政 府 の 多 く の 実 力者 と も頻 繁 に親 密 な 往 来 が あ っ た こ と,② 書 院 が 挙 行 した 重 大 な 祝 典 活 動 に は,中 国側 の 朝 野 の 人 士 が 出席 して 挨 拶 を 述 べ るか,祝 賀 の 電 報 を 送 っ た こ と,③ 中 国 の 多 くの 著 名 な 人 物 や 政 界 要 人 が 書 院 で 講 義 や 講 演 を 行 い,あ る い は学 生 の 旅 行 誌 に 言 葉 を書 き 記 し画 を 書 い た こ と,④ 中 国 政 府 は書 院 生 の 大 旅 行 に対 して 各 種 の便 宜 と保 護 を 提 供 した こ と。 これ ら の 点 か ら,中 国 の朝 野,特 に 官 側 は 書 院 に 対 して 相 当 友 好 的,協 力 的 で あ り,こ れ は1930年 代 以 前 の ミ ッ シ ョン ス ク ール で は 得 られ な い もの だ っ

(21)単 冠 初 「 試 論 東 亜 同文 書 院 的政 治 特 点 一 兼 与 西 方 在 華 教 会 大 学 比 較 」54頁(『 梢 案 与 史 学 』第 1期,1997年1月)。

(22)同 上,51,52,53頁 。

(10)

た こ とを 明 らか に して い る。 ま た,書 院 が 商 学 を 重 視 した こ とを 挙 げ,書 院 は 中 国 大 陸 で 最 も早 い,近 代 的 意 義 を 有 す る商 科 高 等 学 校 で あ っ た と, そ の 特 徴 を 挙 げ て い る(23)。

福 天 喩 氏 は,東 亜 同 文 書 院 が 中国 侵 略 に 関 わ っ た 背 景 と具 体 的 な 侵 略 活 動,大 旅 行 の 成 果 で あ る調 査 報 告 書 の2つ の 側 面 か ら東 亜 同文 書 院 を捉 え て い るが,同 氏 の書 院 に対 す る 基 本 姿 勢 は 次 の よ うな もの で あ る 。 「(東亜 同 文 書 院 が)日 本 軍 国 主 義 の 中 国 侵 略 政 策 に 奉 仕 した 面 に対 して は,厳 正 な 批 判 を加 え るべ き で あ る。 と同 時 に,東 亜 同文 書 院 の 調 査 旅 行 が 利 用 し た 比 較 的 に 厳 格 な 実 証 科 学 の方 法 は 参 考 に 供 す るべ き で あ り,蓄 積 され た 豊 富 な材 料 は 史 料 的 価 値 を有 して い る こ とを 我,々は 重 視 し,上 手 に 利 用 し な けれ ば な らな い 。以 上 の2つ の 側 面 に つ い て,混 清 す べ き で は な い 。」(24)。

同氏 は 東 亜 同文 書 院 と 中 国 侵 略 の 関係 に つ い て,書 院 の 管 理 体 系 を挙 げ る。 つ ま り,書 院 は 口本 の大 陸 政 策 に 関連 して お り,設 立 当初 か ら文 部 省 と外 務 省 が 共 管 し,ま た 軍 部 との 関 係 が 密 接 で,以 来,直 接 内 閣 の 管 理 下 に あ っ た と指 摘 す る 。 そ して,書 院 は必 然 的 に 日本 政 府 の 対 中 政 策 の 制 約 と成 り行 き を 受 け,近 代 日中 関 係 上 の大 き な 出来 事 と関 連 が あ り,特 に 日 中戦 争 中 の 学 徒 出 陣 と従 軍 通 訳 は 事 実 上,書 院 が 中 国 侵 略 戦 争 に 参 与 した こ と に な る と,戦 争 へ の 加 担 を 指 摘 す る。 長 年 行 わ れ て き た大 旅 行 につ い て は,こ うした 書 院 の 捉 え方 に 関 係 して,深 く大 陸 政 策 が 烙 印 され て い た

と述 べ,侵 略 との 関 わ りで 捉 え て い る(25)。

一 方 ,大 旅 行 の学 術 的 価 値 に つ い て は,調 査 範 囲 が チ ベ ッ トを 除 く中 国 の あ らゆ る 地 域 に お よび,調 査 の 対 象 も非 常 に細 か く分 か れ て お り,多 く の 一 次 資 料 が 集 め られ,清 末 か ら民 国初 期 に 関 す る様 々 な 研 究 に 貴 重 な 資 料 を提 供 して い る と述 べ て い る(26>。

藍 勇 氏 は 近 代 に お い て 日本 人 が 行 っ た長 江 上 流 地 域 の 調 査 を テ ーマ と し て い る。 必 ず しも書 院 を 中心 に す えた 研 究 で は な い が,こ の 中 で,書 院 生 の 調 査 報 告 書 を も とに 東 亜 同文 会 が 出 版 した 『支 那 省 別 全 誌 』 の 四 川 省 ・

(23)同 上,54,56,57頁 。

(24)/,天 喩 「 略論 東 亜 同 文 書 院 的 中 国調 査 」83頁(『 世 紀 書 窓 』第3期,2001年6月)。

(25)前 掲 「中 国 に お け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」319頁 。

(26)前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 中国 方 面 の研 究 に 関 す る 概 要 」46頁 。

(11)

湖 北 省 を 扱 っ た 巻 に つ い て も触 れ,長 江 上 流 を 詳 細 に 調 査 して い る こ と, 同 時 代 に お い て これ ほ ど全 面 的 に か つ 詳 細 に 記 した 資 料 は 確 認 で き な い と 述 べ,資 料 的 価 値 の 高 さ を言 及 して い る。 けれ ど も,東 亜 同文 書 院 は 総 体 的 に見 れ ば 大 規 模 に 中国 を調 査 す る とい う戦 略 を進 め た が,こ れ は こ の よ うな 文 化 的 背 景 の下 で,潜 在 的 に 軍 事,政 治,経 済 的 侵 略 の 目的 を 有 して い た と,大 旅 行 と侵 略 の 関わ りを 指 摘 す る 。 特 に,旅 行 記 に記 され て い る 学 生 の意 識 か ら,普 遍 的 な 科 学 調 査 の感 情 で は な い と指 摘 す る 。 ま た,満 鉄 調 査 部 編 『 支 那 経 済 年 報 』(1940年)と と もに,戦 争 中 に ま とめ られ た 東 亜 同文 書 院 編 『東 亜 調 査 報 告 書 』(1941年,正 確 に は東 亜 同 文 書 院 大 学) は,完 全 に 中 国侵 略 に 奉 仕 す る もの で あ った と位 置 付 けて い る(27)。

次 に,2つ 目 の研 究 動 向 に つ い て 取 り上 げ て い き た い 。 まず は趙 文 遠 氏 か ら見 て い く こ とに す る。 趙 氏 は 書 院 を 侵 略 と い う観 点 と は異 な った 別 の 角 度 か ら捉 え る研 究 や,大 旅 行 調 査 報 告 書 は 近 代 中 国 を 研 究 す る 上 で 貴 重 資 料 で あ る と評 価 す る 研 究 に 対 して,批 判 的 で あ る こ とか ら も分 か る よ う に(28),書 院 を 「中国 侵 略 」の 枠 組 み で 捉 え て い る。 同 文 書 院 は 特 殊 な 学 校 で あ り,口 本 政 府 との 関 連 が 密 接 で,政 府 の 支 持 と管 轄 を受 け て い た と論 じ る。 具 体 的 な 侵 略 活 動 につ い て は,学 生 は 調 査 旅 行 の 名 目 で 長 期 にわ た り 中 国 で 活 動 し,政 治 ・経 済 ・軍 事 方 面 の 情 報 を 集 め て 日本 政 府 に 報 告 し た こ と,日 中戦 争 の 期 間 を通 じて 従 軍 通 訳 に 従 事 した り,偲 偏 政 権 に勤 務

して,直 接 日本 の 中 国 侵 略 に加 担 した 学 生 もい た こ とを 挙 げ る 。 ま た,中 華 学 生 部 に つ い て も触 れ,こ の 学 部 が 設 置 され た理 由 に つ い て 中 国 の 学 生 を 受 け入 れ て 日 中 間 の 感 情 を つ な げ て 反 日感 情 を 抑 え よ う と す る意 図 が あ っ た こ と,中 国 に お け る西 洋 列 強 との教 育 権 獲 得 の 争 い が あ った こ とを 述 べ て い る(29)。

周 徳 喜 氏 は,東 亜 同 文 書 院 の 変 遷 を詳 述 す る と と もに,東 亜 同 文 書 院 の 果 た した 役 割 につ い て,日 中経 済 ・貿 易 ・文 化 ・教 育 ・外 交 な どの 領 域 で 従 事 す る 多 くの 人 材 を 育 成 し,日 中文 化 交 流 に一 定 の 役 割 を発 揮 した こ と

(27)藍 勇 「 近 代 日本 対 長 江 上 游 的 踏 察 調 査 及影 響 」131,134,135,137頁(『 中 国歴 史 地 理 論 叢 』 第20巻 第3輯,2005年)。

(28)趙 文 遠 「 上 海 東 亜 同 文 書 院 与 近 代 日本 侵 華 活 動 」57頁(『 史 学 月 刊 』 第9期,2002年)。

(29)前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国 方 面 の研 究 に 関 す る概 要 」47頁,同 「中 国 にお け る 東 亜 同文 書

院 研 究 の 現 状 」319頁 。

(12)

は 認 めつ つ も,書 院 が 存 在 した 時 代 は 日本 の 中 国 侵 略 が 加 速 す る 時 代 で あ り,書 院 自体 も外 務 省 機 密 費 を 受 けて い た た め,そ の あ らゆ る 行 為 は 完 全 な 意 味 で の 教 育 機 関 で は な く,日 本 の 中 国 侵 略 の た め に よ り多 く奉 仕 した 機 関 で あ る と位 置 付 け る。 侵 略 に 関 わ っ た 内 容 と して,大 旅 行 の 調 査 報 告 書 が 外 務 省 ・東 亜 同 文 会 ・参 謀 本 部 に も送 られ た こ とを 挙 げ,中 国 侵 略 の た め に大 量 の 情 報 を提 供 した と述 べ る。 ま た,直 接 戦 争 に 関 わ った り従 軍 通 訳 を行 っ た 書 院 生 の 存 在 な どを 挙 げ る(3°)。

盧 燕 麗 氏 の 研 究 は,近 代 日本 の 中 国語 学 習 を 中 国 侵 略 の 視 点 で 論 じた も の だ が,こ の 中で 東 亜 同 文 書 院 に つ い て も触 れ られ て い る。 同氏 は 「日本 は 侵 略 を 目的 とす る 中国 語 教 育 を 促 進 し,後 日 の 侵 略 に 備 え て 人 材 育 成 を 行 っ た」 学 校 の 最 た る も の と して,日 清 貿 易 研 究 所(東 亜 同文 書 院 の 源 流 で,1890〜1894年 上 海 に存 在 。 所 長 は 愛 知 県 出 身 の荒 尾 精 。 根 津 一 も研 究 所 運 営 に 携 わ っ て い た)と 東 亜 同 文 書 院 を 挙 げ て い る。 東 亜 同 文 書 院 に つ い て い え ば,侵 略 を 目的 と して 中 国語 が で き る大 量 の 人 材 を 育 成 し,後

日の 中 国 侵 略 戦 争 に 対 す る十 分 な 準 備 を 行 った と指 摘 す るが,そ の 大 き な 根 拠 と して い る のが,書 院 が 大 学 に昇 格 す る 申請 を 行 った 際 に 近 衛 文 麿 東 亜 同文 会 会 長 が 記 した,「(書 院 が 養 成 した 人 材 は)往 年 満 洲 事 変,又 這 回 ノ 支 那 事 変 二 際 シ テ ハ,従 軍 シ テ 皇 軍 ノ 行 動 ヲ助 ク ル 等,邦 家 二 貢 献 スル コ ト少 カ ラサ ル トコ ロ … 」 とい う言 葉 で あ る 。 そ して 大 旅 行 に つ い て も,

「 調 査 旅 行 に参 加 した 学 生 は 学 校 で 学 ん だ 各 種 商 業,経 済 と 中 国語 の 知 識 を 運 用 し,学 習 と研 修 の 立 場 か ら出 発 し,与 え られ た テ ーマ につ い て の 調 査 を 行 っ た が,そ の成 果 で あ る報 告 書 は,基 本 的 に 軍 事 方 面 に利 用 され た 。 これ らの 詳 しい 資 料 は,彼 らが 後 日 の 中 国 侵 略 戦 争 の た め に 十 分 な 準 備 を した もの で あ る」(31)と 位 置 付 け,書 院 が 侵 略 に 関 わ っ て い た と指 摘 す る。

以 上,主 な 研 究 を 取 り上 げ て み て き た。 書 院 の 肯 定 的 部 分 に 触 れ る研 究

(30)周 徳 喜 「 東 亜 同 文 書 院 始 末 」74頁(『 蘭 州 大 学 学 報(社 会 科 学 版)』 第32巻 第3期,2004 年5月)。

(31)盧 燕 麗 「 明治 維 新 至 二 戦 結 束 日本 以 軍 事 為 目 的 的 中 国 語 学 習 」79,80,81頁(『 軍 事 歴 史 研

究 』 第2期,2003年)。 日清 貿 易 研 究 所 につ い て は 前 掲 『 東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』15,24〜28

頁 を 参 照 。 なお 近 衛 文 麿 の 言 葉 は,1938年 に 近 衛 よ り有 田八 郎 外 相 に提 出 され た 「 東 亜 同文 書

院 大 学 設 立 申請 書 」 に含 まれ て い る 「 設 立 趣 意 書 」 にみ え る もの で あ る(前 掲 『 東 亜 同文 書 院

大 学 史 』155頁)。

(13)

もあ るが,根 底 に は 書 院 を 捉 え る視 角 と して,「 日本 の 中 国 侵 略 」 とい う意 識 が 共 通 的 に 存 在 して い る様 子 が 浮 か び 上 が る。

2.中 国にお ける東亜 同文書 院認識 の背景

〜 日本 の研 究 との比 較 〜

(1)歴 史 研 究 と資 料 の 面 に つ い て

前 章 で 明 らか に した よ うに,東 亜 同文 書 院 を理 解 す る認 識 の 基 本 が 「 侵 略 」 で あ り,そ の 上 で 書 院 を 日本 の 中 国 侵 略 と不 可 分 とす る捉 え 方 が 形 成

され,中 国 人 研 究 者 に 広 く共 有 され て い る 。

とす る な らば,こ の よ うな 東 亜 同 文 書 院 認 識 の 背 景 は何 な の で あ ろ うか 。 これ に大 き く関 わ る 問 題 と して,ま ず 中 国 の 歴 史 研 究 の 動 向 が 挙 げ られ よ う。 こ の 点 に つ い て,書 院 研 究 に 近 接 す る 歴 史 的 分 野 で あ る近 代 口 中 関係 史 に焦 点 を 当 て て 見 て い く。 李 玉 氏 は,古 代 か ら現 代 ま で の 中 国 に お け る 日本 研 究や 日 中 関係 史 研 究 の動 向 を分 析 して い る が,1949年 以 後 半 世 紀 の 問 に 中 国 で 登 場 した 口 中 関係 史 に 関 す る研 究 数 に つ い て も触 れ て い る。 そ の 中で 書 院 が 存 在 した 時 代,つ ま り近 代 日 中関 係 史 に 関 す る研 究 は,中 国 語 に翻 訳 され た 論 文 や 著 書 も含 め て,1978年 以 後 に 圧 倒 的 な増 加 を 示 して い る。 そ の 分 野 も 日 中戦 争 や 中 国 侵 略 に 関 す る も の を は じ め と して,様 々 な テ ー マ に お よ ん で い る が(32),書 院 研 究 の 登 場 は,こ う した1970年 代 末 以 降 の近 代 日 中 関係 史 研 究 の発 展 と無 関係 で は あ る ま い 。

注 娩 氏 は,中 国近 代 史 の対 外 関 係 に 関す る研 究 は,帝 国主 義 の 圧 迫 とそ れ へ の抵 抗 とい う基 本 的 観 点 が 強 調 され る が,歴 史 的 に 見 る と対 華21ヵ 条 要 求(1915年)以 後 は,日 本 軍 国 主 義 の 侵 略 とそ れ に 対 す る 闘 い が 極 め て 大 き な ウ ェ イ トを 占め た た め,近 代 日中 関 係 史 研 究 は 日本 軍 国 主 義 の 侵 略 と 中 国民 衆 の 抵 抗 が 主 な 内容 で あ る と述 べ る。 こ の 点 に つ い て,注 氏 が 参 考 論 文 と して 本 文 中 で 引 用 して い る張 振 鵬 「 日本 侵 華 史 研 究:一 個 粗 略 的 回 顧 」 は,非 常 に分 か りや す く記 され て い る。 注 氏 が 日本 語 に 訳 して 引用 して い る 文 章 を,こ こ で さ ら に抜 粋 して 引用 す る 。 「 近 代 中 日関 係 史 は,あ

(32)李 玉 「 中 国 的 中 日関 係 史 研 究 一 以 中 日関 係 史 研 究 論 著 数 量 統 計 為 中心 」49〜56頁 の 各 表(李

玉,湯 重 南 主 編 『中 国 的 中 日関 係 史 研 究 』 世 界 知 識 出 版 社,2000年)。

(14)

る面 か ら言 えば 基 本 的 に 日本 の 侵 華 史 で あ る 。 … 近 代 に お け る 日本 の対 中 国 関係 の 基 本 点 は 侵 略 で あ り,そ の主 導 面 が 侵 略 で あ っ た た め,日 本 侵 華 史 は,近 代 中 日 関係 史 につ い て の も っ と も本 質 的 な 総 括 で あ る」(33)。 こ の 論 文 が 『 抗 日戦 争 研 究 』 に 掲 載 さ れ た の が1999年 で あ っ た 〔34)こ とを考 え る と,肯 定 ・評 価 す べ き点 を 取 り上 げ る 観 点 も 存 在 す る も の の,中 国側 の 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 殆 ど全 て が,ほ ぼ共 通 的 に,東 亜 同文 書 院 の 管 理 体 制 は 日本 政 府 に よ る 対 中政 策 の 影 響 を受 け る も の で あ った,大 旅 行 が 中 国 侵 略 に利 用 され た,従 軍 通 訳 や 学 徒 出 陣 とい う形 で 戦 争 に加 担 した,な ど の 点 を挙 げ て,書 院 を 「 侵 略 」 の 枠 組 み で 捉 え,ま た は 「 侵 略 」 の 側 面 を 浮 き彫 りに して い る こ と は,あ る 意 味 当然 とい え る 。

も っ と も,こ うした 傾 向 とは 異 な る 研 究 が 登 場 して い る の も事 実 で あ る。

例 え ば,陳 鋒 「 清 末 民 国 年 間 日本 対 華 調 査 報 告 中 的財 政 与 経 済 資 料 」(『近 代 史 研 究 』3,2004年)は,戦 前 口本 が 中 国 につ い て 調 査 した 資 料 が,中 国 側 の文 献 不 足 を補 う役 割 を 果 た し研 究 に 有 意 義 で あ る と述 べ,財 政 ・経 済 に 限定 しつ つ も戦 前 日本 の調 査 に よ っ て ま と め られ た 資 料 を 紹 介 す る 中 で,東 亜 同 文 書 院(大 学)に よ る 中 国 調 査 の 成 果 で あ る 『支 那 経 済 全 書 』

(1907年),『 東 亜 調 査 報 告 書 一 昭 和 十 六 年 度 版 』(1942年 出 版)の 内 容 の 詳 細 さ を指 摘 し,あ わ せ て 『支 那 省 別 全 誌 』,『支 那 経 済 地 理 誌 』,『新 修 支 那 省 別 全 誌 』,『支 那 年 鑑 』 に つ い て も取 り上 げ て い る 。 ま た,上 海 の 復 旦 大 学 に 留 学 して い た 日本 人 留 学 生 ・薄 井 由 氏(当 時)の 博 士論 文 が 『 東 亜 同 文 書 院 大 旅 行 研 究 』(上 海 書 店 出版 社,2001年)と して 出 版 さ れ,そ の 薄 井 氏 が 『支 那 経 済 全 書 』 や 『支 那 省 別 全 誌 』 を利 用 して,清 末 の 会 館 に つ い て研 究 した 論 文 も発 表 され て い る(薄 井 由 「 清 末 以 来 会 館 的 地 理 分 布 一以 東 亜 同 文 書 院 調 査 資 料 為 依 据 」 ,『 中 国 歴 史 地 理 論 叢 』 第18巻 第3期, 2003年9月)。 一 方,1998年 に は 房 建 昌氏 が,北 京 国 家 図 書 館 に 所 蔵 され て い る 日中 戦 争 期 に ま と め られ た 東 亜 同 文 書 院 の大 旅 行 報 告 書 や 校 務 資 料 を 紹 介 して お り(35),2000年 に は 馬 天 喩 主 編 ・ 揚 華 等 訳 『 上 海 東 亜 同 文 書 院 大 旅 行 記 録 』(商 務 印 書 館,2000年)が 出 版 され て い る 。 これ は 潅 友 会 編

(33)注 娩 「 中 国 に お け る 中 国 近 代 史 と 中 日関係 史 の 研 究 動 向(1949‑)」109,110頁(『 共 立 女 子 大 学 総 合 文 化 研 究所 年 報 』 第9号,2002年)。

(34)同 上,115頁,注21を 参 照 。

(15)

『 実 録 中 国踏 査 記 上 海 東 亜 同 文 書 院 大 旅 行 記 録 』(新人 物 往 来 社,1991年) が 中 国語 に 翻 訳 され た も のだ が,中 国 に お け る初 め て の 東 亜 同 文 書 院 に 関 す る資 料 とい わ れ る(36>。 資 料 面 か ら東 亜 同 文 書 院 を研 究 す る環 境 が 整 備 さ れ た 第 一 歩 で あ る と位 置 付 け られ よ う。

今 後,書 院 に 関す る 資 料 を用 い て 書 院 に つ い て の様 々 な 研 究 が 進 ん で い く可 能 性 が あ るが,も う1つ 挙 げ る とす れ ば,現 在 の と こ ろ 資 料 上 の 制 約 とい う問 題 が あ る。 つ ま り,中 国 に は東 亜 同 文 書 院 関 係 資 料 が 少 な く,ま た 研 究 機 関 や 図 書 館 の 所 蔵 が 不 明 確 な 場 合 が 多 い。 そ れ 故 研 究 が 進 展 しな い とい う指 摘 が な され て い る(37)。そ の た め,書 院 を扱 う中 国 人 研 究 者 は, 全 員 が 日本 留 学 の経 験 者 か,か ね て よ り研 究 した い と考 え な が ら資 料 の 問 題 で 苦 しみ,訪 問や 交 流 で 来 日 した 時 に 書 院 関 係 資 料 に 触 れ て 研 究 した 人 た ち で あ る とい う。 具 体 的 な 人 名 と して 蘇 智 良 氏,単 冠 初 氏,趙 文 遠 氏, 周 徳 喜 氏 が 挙 げ られ る(38)。 資 料 を 用 い て どの よ うな歴 史 像 を描 くか は 研 究 者 個 人 の 問 題 意 識 に よ るが,歴 史 研 究 に は 資 料 が 不 可 欠 で あ る 以 上,中 国 国 内 に お け る こ う した 資 料 の 制 約 とい う問 題 は,例 え 「 侵 略 」 の 側 面 を扱 うに して も,表 面 的 な 事 象 を記 す に留 ま り,深 く考 察 で き な い とい う限界 も含 ん で い る と思 われ る。 と同 時 に,様 々な 角 度 か ら書 院 を捉 え,実 体 を 解 明 す る研 究 が 乏 しい こ と と も無 関 係 で は な い と思 わ れ る。

(2)日 本 に お け る東 亜 同 文 書 院 研 究 史

一 方 ,日 本 にお け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 は,中 国 に 比 べ る と蓄 積 が 非 常 に 多 く,今 日で は 多 様 な 視 点 に基 づ く研 究 が た く さ ん 現 れ て い る 。

表2は,2008年 現 在 ま で に発 表 され た,戦 後 日本 に お け る東 亜 同 文 書 院 を 主 体 と した 研 究 の 数 を論 文 と著 書 に分 類 して,そ の 数 を示 した もの で あ

る。 な お,研 究 数 は 日本 人 が 発 表 した もの に 限 定 して い る。

表2を 見 て 分 か る よ うに,戦 後 日本 で 東 亜 同文 書 院 を 扱 っ た 研 究 が 登 場

(35)房 建 昌 「 上 海 東 亜 同文 書 院(大 学)梢 案 的発 現 及 価 値 」(『 梢 案 与 史 学 』第5期,1998年5月)。

な お,こ の 論 文 の 日本 語 訳 は 『 同 文 書 院 記 念 報 』Vol.7(愛 知 大 学 東 亜 同 文 書 院 大 学 記 念 センタ ー 編 集 発 行,2000年)に 掲 載 され て い る 。

(36)前 掲 「中 国 に お け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」319頁 。

(37)同 上,前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国方 面 の研 究 に 関 す る概 要 」47頁 。

(38)(36)に 同 じ。

(16)

した の は1960年 代 で あ り,1965年 の 竹 内好 「 東 亜 同文 会 と東 亜 同文 書 院 」 (『中 国 』21)が 最 初 で あ る。 だ が,1990年 代 に 到 る ま で研 究 数 は 少 な い 。 した が って,一 気 に蓄 積 が 増 した1990年 代 が 節 目 と位 置 付 け る こ とが で き るが,単 に 数 量 が 増 え た とい うだ けで な く,90年 代 以 前 と以 後 で 研 究 状 況 が 大 き く変 化 して い る とい う意 味 で も,そ の年 代 は 節 目 とい え る 。

す な わ ち,1990年 代 に到 る ま で,東 亜 同 文 書 院 を 否 定 的 に捉 え る 研 究 が 中心 だ っ た 。 例 え ば,大 森 史 子 「 東 亜 同文 会 と東 亜 同 文 書 院 一 そ の 成 立 事 情,性 格 お よび 活 動 」(『ア ジ ア 経 済 』19(6),1978年)は,書 院 卒 業 生 を 日本 資 本 主 義 の 中 国 進 出 に お け る 経 済 的 尖 兵,日 本 の 中 国進 出 機 関 にお い て 手 先 的 役 割 を果 た した と し,書 院 を 中 国 に 対 す る 尖 兵 的 機 関 と捉 え て い る。 ま た,大 旅 行 の成 果 で あ る 『 支 那 経 済 全 書 』,『支 那 省 別 全 誌 』 につ い て 否 定 的 な 認 識 を示 して い る 。 森 時 彦 「 東 亜 同文 書 院 の 軌 跡 と役 割 一 「 根 津 精 神 」 の 究 明 一」(『歴 史 公 論 』4,1979年)は,書 院 院 長 を 務 め た 根 津 一 の 思 想 に 侵 略 的 要 素 が あ る と し ,細 野 浩 二 「 東 亜 同 文 会 の対 外 認 識 と文 化 工 作 の構 図 一欧 米 列 強 と清 末 民 初 中 国 の は ざ ま で 一 」(阿部 洋 編 『日中 関 係 と文 化 摩 擦 』 巌 南 堂 書 店,1982年)は,欧 米 列 強 の 中 国進 出 に 対 抗 す る 東 亜 同文 会 の 論 理 の軌 跡 を追 っ た も の で あ るが,南 京 同 文 書 院 お よび 東 亜 同 文 書 院 を 対 中 国経 済 侵 略 の 尖 兵 で あ っ た と位 置 付 け る。 六 角 恒 廣 「 東 亜

表2戦 後 日本 に お ける年代 別東 亜 同文書 院研 究数

年代 論文 著書

1950年 代

1960年 代 1

1970年 代 2

1980年 代 6

1990年 代 20 6

2000年 代 34

注 ①:成 瀬 さ よ子 編 『 東 亜 同 文 書 院 関 係 目録 一 愛 知 大 学 図 書 館 収 蔵 資 料 を 中心 に 一 」(愛 知 大 学 図 書 館 発 行 、2004年 改 訂 版)、CiNii〔http://ci.nii.ac.jp/search/servlet/Kensaku〕 を も とに 、 筆 者 が 東 亜 同文 書 院 を 主 体 と した 研 究 を調 査 し、 論 文 と著 書 に 分 け て 表 に ま と め た も の 。 注 ②:表 に は,『 オー フDン ・ リ サー チ・ セン ター 年 報 』 創 刊 号(2007年),同2号(2008年)に 掲 載 され た,記

念 セ ンター 長 や 客 員 研 究 員,ポ ストドク ター や リ サー チ アシス タント カ瀬 筆 した 論 文 を含 む 。

注 ③:東 亜 同 文 書 院 を簡 単 に しか 扱 って い な い 研 究 は 、 表 に含 まれ て い な い 。ま た 、 後 に書 籍 や 論 文 集 に 再 録 され た論 文 の 場 合 、 論 文 の数 を1つ とカ ウントし、か つ 最 初 に 発 表 され た 年 代 の研 究 数 と して カウ ントして い る 。

注 ④:日 本 で 中 国人 や 台 湾 人 の 留 学 生 が 発 表 した 研 究 は 、 表 に含 まれ て い な い 。ま た 、日本 語 に翻

訳 され て 論 文 集 に 掲 載 され た 蘇 智 良 ・ 単 冠 初 両 氏 の論 文 も表 に 含 ま れ て い な い 。

(17)

同 文 書 院 の 中 国語 教 育 』(『早 稲 田商 学 』318,1986年)は 中 国語 教 育 とい う視 点 か らで あ るが,東 亜 同 文 書 院 につ い て も触 れ て お り,書 院 の 中 国語 教 育 や 書 院 の 卒 業 生 に つ い て,日 本 の 中 国 に 対 す る 国 家 的 進 出 を 示 す 存 在

と し て捉 え て い る(39)。

以 上 の研 究 は,40数 年 間存 在 し た東 亜 同 文 書 院 を 全 体 的 に,侵 略 的 機 関 と し て捉 え る か,ま た は 侵 略 的 側 面 を 明 らか に し よ う とす る性 格 が 強 か っ た 。栗 田 尚 弥 氏 は 「 「 戦 後 の 「 進 歩 史 観 」 の も とで は,東 亜 同 文 書 院,書 院 卒 業 生 は ア ・プ リオ リに 「日本 帝 国 主 義 の 尖 兵 」 で な けれ ば な ら な か っ た 。」(4°)と 端 的 に 述 べ て い るが,こ の 点 に お い て は,1990年 代 以 後 に 中 国 で 登 場 した 幾 つ か の研 究 と共 通 す る部 分 が 感 じ られ る 。

しか し,1990年 代 以 後 に な る と,研 究 蓄 積 が 増 加 す る と と もに,資 料 に 基 づ い て 同 文 書 院 の 実 体 を解 明 す る研 究 や,様 々 な 角 度 か らの ア プ ロ ー チ が 多 く登 場 す る よ うに な る。 こ う した 変 化 の 背 景 と して,1980年 代 末 か ら 90年 代 に か け て 生 じた ソ連 ・東 欧 諸 国 の崩 壊 や 昭 和 天 皇 の 死 な どの,日 本 国 内外 の劇 的 な 変 化や,ま た1970年 代 末 か ら80年 代 に 生 じて き た,歴 史 研 究 の多 様 化 とい う現 象 な ど が 要 因 と考 え られ る(41)。

で は,幾 つ か 研 究 を 概 観 して み る こ とに す る。 例 え ば 水 谷 尚 子 「 東 亜 同 文 書 院 に 学 ん だ 中 国 人 一 中華 学 生 部 の左 翼 学 生 」(『 近 き に在 りて 』28,1995 年11月,後 に 『東 亜 同 文 会 論 考 』 霞 山会,1998年 に 再 録)は,中 華 学 生 部 の 左 翼 学 生 が1920〜1930年 代 の上 海 の 民 族 運 動 ・ナ シ ョナ リズ ム 高 揚 の 中で,ど の よ うに 運 動 を行 っ て い っ た か を 明 らか に して い る 。 松 田か の 子 「 『 華 語 月 刊 』 と東 亜 同 文 書 院 の 中 国 語 教 育 」(『芸 文 研 究 』88,2005年) は,東 亜 同 文 書 院 華 語 研 究 会 が 発 行 して い た 『 華 語 月 刊 』 を取 り上 げ,そ の 分 析 を 通 じて 中 国語 研 究 ・教 育 の 姿 勢 を 明 らか に し よ う と した もの で あ

る。 松 谷 昭 廣 「 東 亜 同 文 書 院 へ の 府 県 生 派 遣1900〜1920年 代 を 中心 と し て 」(『日本 の教 育 史 学 』45,2002年10月),同 「 東 亜 同 文 書 院 へ の 佐 賀 県 学 生 派 遣1900年 代 大 倉 邦 彦 入 学 時 期 を 中 心 に 」(『大 倉 山 論 集 』50,2004

(39)前 掲 「 東 亜 同文 書 院 に 関 す る 先 行 研 究 の 回顧 と今 後 の 展 望 」83〜85頁,同 「 東 亜 同文 書 院 に 関 す る 先 行 研 究 の 回顧 と今 後 の 展 望(補 論)」250〜254頁 を 参 照 。

(40)(10)に 同 じ。

(41)前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 復 権 一 最 近 の研 究 動 向 に則 して 」66頁,同 「 東 亜 同 文 書 院 に 関す る

先 行 研 究 の 回 顧 と今 後 の 展 望(補 論)」252,253,256,258,259頁 。

(18)

年3月)は,各 府 県 か らの 派 遣 学 生 で あ る 「 県 費 生 」 を対 象 と し,佐 賀 県 ・ 熊 本 県 ・長 崎 県 ・神 奈 川 県 を ケ ース ス タ デ ィ と して,県 が 学 生 の 派 遣 を 決 定 ま た は 廃 止 した 背 景 につ い て 考 察 した もの で あ る 。

ま た,地 理 学 の 観 点 か ら大 旅 行 に 関 す る研 究 を 進 め て い る藤 田佳 久氏 は, 1987年 に 「 中 国 ・ 福 建 省 ノ ー ト 東 亜 同文 書 院 学 生 「 旅 行 日記 」 記 録 の分 析 と の 関 連 で 」(『愛 知 大 学 国 際 問題 研 究 所 紀 要 』84,1987年7月)を 発 表 して 以 降,2008年 ま で に大 旅 行 に 関す る 論 文 を合 計15本,『 中 国 との 出会 い 』(愛 知 大 学,1994年)を は じめ とす る 著 書5冊 な ど の 成 果 を有 す る が, こ う した研 究 を通 じて,大 旅 行 の 性 格 や コ ース の全 体 像 を解 明 す る と と も に,『 調 査 報 告 書 』や 学 生 の 日誌 で あ る 『大 旅 行 記 』が 戦 前 中 国 を 知 る貴 重 な 資 料 で あ る こ とを 明 らか に して い る。 栗 田 尚弥 氏 は 『 上 海 東 亜 同 文 書 院 日 中 を架 けん と した 男 た ち 』(新 人 物 往 来 社,1993年)で,近 衛 篤 麿 や 根 津 一 な どの 東 亜 同文 会 ・ 東 亜 同 文 書 院 関 係 者 の軌 跡 や 思 想 の 研 究 を通 じて, 同 文 書 院 の 再 評 価 を 行 って い る(42)。

こ の よ うに1990年 代 以 降 の 研 究 は,従 来 「 侵 略 」 や 「 尖 兵 」 とい う認 識 の も とで 看 過 され て い た テ ー マ に光 を 当 て,実 体 を 明 らか に す る 研 究 が 登 場 した と と も に,研 究 が 多 様 化 した こ とが 見 出せ る 。 つ ま り,各 研 究 者 の 問 題 関 心 に 基 づ き,様 々 な 角 度 か ら研 究 が 行 わ れ て い る様 子 が 浮 き彫 り とな っ て い る 。 ま た,藤 田氏 や 栗 田氏 の よ うに,書 院 を 従 来 の 認 識 か ら捉 え 直 し,再 評 価 す る とい う研 究 動 向 もみ られ る。

も っ と も,1990年 代 以 後 も 書 院 と侵 略 の 関 わ りに つ い て 考 え よ う とす る 研 究 は 確 認 で き る。 宮 嵜 順 子 「 東 亜 同 文 書 院 と1930年 代 日 中 関 係 の一 側 面 と して 」(『史 論 』49,1996年)は,中 国 研 究 と人 材 育 成 の 分 析 を通 じ て 書 院 が 有 す る帝 国 主 義 的 性 格 の 解 明 を 行 お う と した 論 文 で あ る 。 ま た, 大 島 隆雄 「 近 衛 文 麿 と東 亜 同 文 会 ・ 東 亜 同 文 書 院 」(『オ ー プ ン ・リサ ーチ ・ セ ン タ ー 年 報 』2号,2008年)は,大 正 か ら昭 和 に か けて の東 亜 同 文 会 改 組 の 問題 と と も に,戦 時 下 の1939年 に 書 院 が 大 学 に昇 格 した 背 景 と して, 書 院 が 戦 争 遂 行 とそ れ を 担 う人 材 育 成 とい う国 策 に協 力 せ ざ る を得 な く

(42)本 文 で 取 り上 げ た,1990年 代 以 降 の 主 な 研 究 の 紹 介 は,前 掲 「 東 亜 同文 書 院 に 関 す る先 行

研 究 の 回 顧 と今 後 の 展 望 」85〜86頁,同 「 東 亜 同 文 書 院 に 関 す る先 行研 究 の 回 顧 と今 後 の展

望(補 論)」256〜257頁 を 参 照 。

(19)

な っ た こ とを,実 証 的 に述 べ た 論 文 で あ る 。

た だ し,こ れ らの研 究 は,日 本 の 中 国 侵 略 が 激 し くな っ た 時 代 に 限 定 し て 捉 え る か,東 亜 同 文 会 や 書 院 の 時 代 的変 遷 を押 さえ な が ら分 析 した もの で あ り,書 院40数 年 の 歴 史 を 全 体 的 に 「 中 国 侵 略 」 と結 び 付 け て 捉 え て い た1980年 代 以 前 の研 究 とは ス タ ン ス が 異 な る 。

(3)日 本 の 研 究 との 比 較 で 浮 か び 上 が る点

こ こ ま で,中 国 の研 究 と比 較 す る意 味 で 日本 の研 究 状 況 を記 して きた 。 以 下,書 院 研 究 が 中 国 で 登 場 した1990年 代 以 後 に 限 定 して,日 本 の 研 究 状 況 と比 較 して み た い 。 これ に つ い て は,次 の点 を 指 摘 で き る 。 日本 で は 研 究 が 多 様 化 し,1990年 代 以 前 の 認 識 で は顧 み られ な か っ た部 分 に 焦 点 を 当て る と と も に,資 料 に基 づ い て 実 体 を解 明 しよ う とす る,い わ ば 実 証 主 義 的 傾 向 が 見 られ る 。そ れ に対 して,中 国 で は 原 則 と して 書 院 が 口本 の 「 中 国 侵 略 」 に どの 様 な 形 で 関わ っ た か,ま た そ の背 景 ・要 素 は何 か とい う意 識 が 根 底 に 存 在 し,書 院 と侵 略 と を結 び 付 けて 捉 え る 方 法 が 多 くの 研 究 者 で 共 通 して い る。 そ して,東 亜 同 文 書 院 と 日本 の 国 策 ・侵 略 との 関 わ りを 指 摘 す る 点 に つ い て も,日 中 間 で 違 い が み られ る 。既 述 の よ うに,1990年 代 以 後 の 日本 で も,宮 嵜 氏 や 大 島 氏 の よ うに,書 院 の 影 の 部 分 を 解 明 し よ

うとす る研 究 は 存 在 す る。 しか しそ れ らは,時 代 を 限 定 し,ま た は 組 織 的 変 遷 を 資料 に 基 づ き 実 証 的 に 明 らか に し よ うと した もの で あ る 。 一 方,中 国 側 の研 究 は 全 体 的 に 書 院 の 侵 略 的 性 質 を 明 らか に し よ う とす る か,あ る い は 中 国 侵 略 に加 担 した 根 拠 と して 従 軍 通 訳 や 学 徒 出 陣 な ど を 取 り上 げ る が,資 料 上 の 制 約 もあ り,主 に 『 東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』 な ど を 参 考 資 料 と

し,表 面 的 な 指 摘 に 留 ま っ て い る 。

したが っ て,東 亜 同 文 書 院 とい う同一 対 象 に対 す る 研 究 で あ って も,日 中両 国 で この よ うな 違 い が 見 出 せ る の で あ り,そ の 背 景 に は書 院 に 対 す る 見 方 の 相 違 や 資 料 の 有 無 とい っ た 点 が あ る とい う こ とが で き よ う。

お わ り に 〜 ま と め に か え て 〜

以 上,中 国 で 発 表 され た 東 亜 同 文 書 院 に 関 す る先 行 研 究 につ い て,そ の

(20)

紹 介 を通 じて 内容 や 観 点 を 明 らか にす る こ と を,書 院 研 究 の背 景 と して歴 史 研 究 一 近 代 日中 関係 史 研 究 一 の 状 況 や 資 料 の 問題 な ど を扱 い つ つ,か つ

日本 側 の研 究 との比 較 も しな が ら検 討 を試 み た 。

す で に 明 らか に した よ うに,中 国 に お い て 書 院 研 究 は1990年 代 に 開 始 され たが,そ れ らは何 らか の 形 で 「 侵 略」 とい う視 点 が 関 わ っ て い る。 他 方,日 本 の 書 院研 究 は1990年 代 以 降,中 国 よ り も多 様 性 を 帯 び て お り,そ れ まで 重 視 され て こな か っ た 書 院 の 実 体 を 解 明 す る こ と に 関心 の 重 点 が 置 か れ て き て い る。注 氏 は,「 同 じ近 代 日 中 関係 史 の 研 究 とい って も,中 国 と

日本 の歴 史 学 界 で は 重 点 の置 き 方 が 異 な る だ けで な く,歴 史 認 識 に も相 違 点 が 多 く存 在 して い る 。」(43)と 指 摘 す る が,こ れ は そ の ま ま,日 中 両 国 に お け る書 院 研 究 の現 状 に 置 き 換 え て 考 え る こ とが で き る よ うに 感 じ られ る。

同 氏 は続 け て,「 グ ロ ーバ ル 化 の 時 代 に あ りな が ら,中 日の 研 究 の 往 来 が 十 分 に進 ん で い な い の が 現 実 で あ る 。 歴 史 科 学 の分 野 に お け る対 話 型 の 知 的 活 動 を通 して 相 互 理 解 を深 め る こ とが 今 後 の 大 き な 課 題 で あ る と思 う。」(44)

と述 べ る 。2007年7月,記 念 セ ン タ ーが 愛 知 大 学 で 国 際 シ ン ポ ジ ウム を 開 催 し た こ とに つ い て は 「 は じめ に 」 で 触 れ た 通 りだ が,書 院 研 究 に つ い て は こ う した 研 究 交 流 を 今 後 も継 続 して 行 う こ とで,日 中双 方 の 認 識 の 違 い を 確 認 で き る と と もに,そ の 背 景 を知 り学 ぶ こ とが で き るで あ ろ う。 そ れ が や が て は 東 亜 同文 書 院 につ い て の 理 解 を 相 互 に深 め て い くこ とに 繋 が る の で は な い だ ろ うか 。 そ こか ら さ らに,書 院 史 を通 じて 近 代 日中 関 係 史 に 関 す る研 究 も深 め て い く こ とが 可 能 とな る の で は な い だ ろ うか 。

そ の 際 に ポ イ ン ト とな る の は,書 院 史 自体 を 深 く掘 り下 げ る と 同 時 に, 書 院 が 存 在 した20世 紀 前 半 の,近 代 日 中 関 係 史 の 中 に書 院 を位 置 付 け て 把 握 して い く こ と,そ して,書 院 史 を細 か く時 期 区 分 して,近 代 日 中 関係 史 の 時 代 的 変 遷 と書 院 史 の変 遷 を 相 互 に 関 連 付 け,有 機 的 に結 び 付 け て捉 え て い く とい う視 点 で あ ろ う(45)。 そ の 際,戦 時 期 の 東 亜 同文 書 院 を ど う考 え るか とい う問 題,ま た 蘇 智 良 氏 や 馬 天 喩 氏 の指 摘 の よ うに,批 判 す べ き

(43)前 掲 「中 国 に お け る 中 国 近 代 史,中 日関係 史 研 究 の 動 向(1949‑)」114頁 。 (44)同 上 。

(45)こ れ に つ い て の 原 点 的 思 考 は,前 掲 「 東 亜 同文 書 院 に 関す る 先 行 研 究 の 回 顧 と今 後 の 展 望

(補論)」260〜261頁 を参 照 。

(21)

点 と評 価 す べ き点 を と も に扱 っ て い く とい う視 点 は 日本 側 の研 究 に お い て も重 要 で,避 けて 通 る こ とは で き な い 。 何 れ に して も資 料 に基 づ い た 緻 密 な 分 析,史 実 を深 く掘 り下 げ る 姿 勢 が 課 題 とな る で あ ろ う。

さ て 欧 七 斤 氏 は,こ れ ま で 中 国 で は東 亜 同 文 書 院 研 究 が 重 視 され ず,資 料 も十 分 に 集 め られ な か っ た た め,研 究 が 初 歩 的 段 階 で あ る こ と,し た が っ て マ ク ロ的 な レベ ル に 留 ま っ て お り今 後 の 進 化 が 望 ま れ る と,中 国 にお け る研 究 の 課 題 点 を指 摘 す る。 そ の 上 で,こ う した 問 題 を 解 決 して 研 究 を深 め て い くた め の 方 法 と して,① 書 院 や そ の 創 始 者 た ち,東 亜 同 文 会 が 果 た した 重 要 な 役 割 を肯 定 す る こ と。 同 文 書 院 の 研 究 を 通 じて 日中 両 国 の 文 化 交 流 に お け る 経 験 を 総 括 し,そ れ を 今 後 の 文 化 交 流 活 動 に 役 立 て る こ と,② 幅 広 く資 料 を 収 集 す る こ と,③ 日本 側 との 研 究 交 流 の 強 化,な どの 点 を挙 げ る(46)。

以 上 の よ うな 作 業 を 通 じ て 今 後,東 亜 同 文 書 院 を め ぐ る 口中 間 の 研 究 交 流 が 盛 ん に な る と と も に,中 国 に お い て も よ り多 くの 資 料 を用 い て 書 院 を 深 く掘 り下 げ,そ の 実 体 を 明 らか にす る研 究 が 登 場 して く る で あ ろ う。 と と も に,繰 り返 しに な るが,口 中間 で 書 院 に つ い て の 議 論 を深 め,さ らに そ れ を土 台 に 近 代 日 中関 係 史 に つ い て も研 究 を行 い,相 互 に理 解 を 深 め て い く こ とが 可 能 とな って い くの で は な いだ ろ うか 。

(46)前 掲 「 東 亜 同 文 書 院 の 中国 方 面 の研 究 に 関 す る 概 要 」47頁 。

参照

関連したドキュメント

[r]

[r]

講演会では、石田卓生東亜同文書院大学記念センター研究員が「上海の東亜同文書院と

を思い出しますけれど。その方にお会いに行っ たわけですけれど。ご家族の方々が「先生が来

[r]

した。小池熊吉さんの次男です。小学校の 6 年間

一昨年は、中国の特に上海交通大学を中心と した研究者の方々と我々との聞でシンポジウムを

[r]