武 井 義 和
は じめ に
本 論 は,中 国 に お け る東 亜 同 文 書 院 研 究 の 動 向 を 取 り上 げ る(以 下,東 亜 同文 書 院 を 「 同 文 書 院 」 ま た は 「 書 院 」 と略 記 す る場 合 が あ る)。 そ の 際,中 国 の 研 究 者 が 東 亜 同文 書 院 を ど の よ うな 観 点 か ら捉 え て い る か を概 観 し,あ わ せ て 日本 の研 究 と比 較 して そ の特 徴 を 明 らか に す る。 と と も に, 東 亜 同文 書 院 を め ぐる 日 中双 方 の 認 識 の違 い な ど に つ い て も考 え る こ とを 試 み る。
まず は じめ に,東 亜 同 文 書 院 の 性 格 に つ い て 述 べ て お き た い 。 東 亜 同文 書 院 は 「 支 那 を保 全 す 」,「支 那 お よび 朝 鮮 の 改 善 を 助 成 す 」,「支 那 お よび 朝 鮮 の 時 事 を 討 究 し実 行 を 期 す 」,「国 論 を 喚 起 す 」 な ど の 綱 領 を掲 げ て 1898年 に 誕 生 した 東 亜 同 文 会 を経 営 母 体 と し,近 衛 篤 麿 東 亜 同 文 会 初 代 会 長 の構 想 の も と,後 に 同 文 書 院 初 代 ・第3代 院 長 とな る 根 津 一 の 協 力 で, 1900年 南 京 に 開 設 され た 南 京 同 文 書 院 に 始 ま る(1)。南 京 同文 書 院 の 方 針 は 根 津 が 作 成 した,設 立 趣 意 書 に 該 当す る 「 興 学 要 旨」 「 立 教 綱 領 」(原 文 は 漢 文)に 示 され るが,特 に 「 興 学 要 旨」 で は 「 中外 ノ 実 学 ヲ講 ジ,日 清 ノ 英 才 ヲ育 ツ,一 ニ ハ 以 テ 清 国富 強 ノ 基 ヲ樹 テ,一 ニ ハ 日清 輯 協 ノ根 ヲ 固 ム 。 期 スル 所 ハ 清 国 ヲ 保 全 シテ 東 亜 久 安 ノ 策 ヲ定 メ,宇 内永 和 ノ 計 ヲ立 ツル ニ 在 リ(以 下 略)」(2)と謳 い,日 中 の 人 材 育 成 を 通 じ て 日 中友 好 を確 立 す る こ
と を表 明 して い る。
(1)大 学 史 編 纂 委 員会 編 『東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』76,77頁(湛 友 会,1982年)。 な お,東 亜 同文 会 綱 領 に つ い て は東 亜 文 化 研 究 所 編 『 東 亜 同文 会 史 』33頁(霞 山 会,1988年)。
(2)東 亜 同 文 会 『 東 亜 同文 会 第 十 八 回 報 告 』5頁(1901年)。
南 京 同 文 書 院 は設 立 後 ほ ど な く して 発 生 した 義 和 団 事 件 で 治 安 が 悪 化 し た た め,上 海 に 移 転 し,翌1901年 に 東 亜 同 文 書 院 と して 再 出発 した 。 こ の 「 興 学 要 旨」 「 立教 綱 領 」 は,東 亜 同 文 書 院 で も設 立 趣 意 書 とな っ た(3)。
そ の後,1939年 に は 大 学 に昇 格 した が,1945年 日本 の敗 戦 に と もな い 閉 校 と な っ た(4)。
教 学 は 商 務 科 が 中 心 的 存 在 で,中 国 の経 済 を は じめ 経 済 全 般 に 関 す る科 目が 主 体 で あ った 。 あ わ せ て 中 国 の 政 治 ・法 律 を 学 ぶ カ リキ ュ ラム も設 定 され た。 そ の よ うな 中で,日 中 間 の 貿 易 取 引 実 務 の 必 要 か ら,特 に 中 国語 の カ リキ ュ ラム は 充 実 して い た ⑤。 また,最 終 年 次 生 は 「 大 旅 行 」 とい わ れ る調 査 旅 行 を毎 年 行 い(1907〜1943年),調 査 成 果 は 帰 校 後 『調 査 報 告 書 』 と して ま とめ られ た(6>。
東 亜 同 文 書 院 の概 略 的 特 徴 は 以 上 の よ うな も のだ が,書 院 が 中 国 を対 象 と し て い た た め,そ の 歴 史 は 単 に 学 校 の歴 史 に と どま らな い。 そ こ に は近 代 日 中 関 係 史 が 必 然 的 に 関わ っ て く る の で あ り,近 代 日 中 関係 史 の 流 れ を 度 外 視 す る こ とは で き な い 。 例 え ば 南 京 同 文 書 院 は,近 衛 篤 麿 が1899年 南 京 で 両 江 総 督 の劉 坤 一 と会 見 した 際 に劉 か ら協 力 した い とい う表 明 が あ
り,ま た根 津 一 が 「 創 立 金 陵(南 京)同 文 書 院 興 学 要 旨」 を劉 総 督 に提 出 す る こ とで 共 感 を得 た こ とに よ り,開 設 され た(7)。そ の 後,1920年 代 の 中 国 ナ シ ョナ リズ ム が 興 隆 した 時 期 に お い て は,中 華 学 生 部(1920〜1934
(3)た だ し,南 京 同文 書 院 の も の と比 較 す る と,語 句 が 異 な っ て い る 部 分 が あ る。同 上5〜12頁, お よび 東 亜 同文 書 院編 『東 亜 同 文 書 院 紀 要 』10〜15頁(1923年)な どを 参 照 。
(4)東 亜 同 文 書 院 の大 学 昇格,お よび 敗 戦 に よる 閉 校 につ い て は,そ れ ぞ れ 前 掲 『東 亜 同文 書 院 大 学 史 』154〜158頁,166〜167頁 を 参 照 。
(5)東 亜 同 文 書 院 は商 務 科 ・ 政 治 科 の2学 科 で 出発 した が,政 治 科 は1921年 廃 止 され,ま た 農 工 科 が1914年 に設 置 され る も1922年 に は 廃 止 とな っ て い る 。ま た,中 国人 子 弟 を 対 象 と した 中 華 学 生 部 が1920年 に設 置 さ れ る が,1934年 に は 廃 止 とな った た め,開 設 当 初 か ら存 在 した の は 商 務 科 だ けで あ っ た(前 掲 『東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』91,107,109,120,176,182頁)。 カリ キュ ラ ムに つ い て は 前 掲 『東 亜 同文 書 院 大 学 史 』103〜104,119,132〜133頁 を 参 照 。ま た,東 亜 同 文 書 院 の 中 国語 研 究 ・ 教 育 につ い て は,松 田か の 子 「 『華 語 月 刊 』と東 亜 同文 書 院 の 中 国 語 教 育 」 (『 芸 文 研 究 』88,2005年),今 泉 潤 太 郎 「 東 亜 同 文 書 院 に お け る 中国 語 教 学 一 「 華 語 葦 編 」 を 中 心 に 一 」(『 愛 知 大 学 国 際 問 題 研 究 所 紀 要 』103,1995年9月),同 「「 華 語 葦 編 」 か ら見 た 同文 書 院 の 中 国語 教 学 」(『オー プ ン・ リ サー チ・ セ ンター 年 報 』 創 刊 号,愛 知 大 学 東 亜 同 文 書 院 大 学 記 念 センタ ー 発 行, 2007年)な どが 先 行 研 究 と して 挙 げ られ る。
(6)前 掲 『東 亜 同 文 書 院 大 学 史 』183〜198頁 を 参 照 。
(7)同 上,76,77頁 。
年 の 間,書 院 内 に設 置 され た 中 国 人 子 弟 を 対 象 とす る 学 部)で 学 ぶ 中 国人 の 殆 どが 民 族 運 動 に参 加 す る現 象 もみ られ た が,一 方 で 日 中 両 国 が 戦 争 状 態 に突 入 す る 前 の 時 代 で あ り,隣 接 す る交 通 大 学 との 合 同運 動 会 や テ ニ ス 試 合 な どの ス ポ ー ツ 交 流 もみ られ た し,創 立20周 年 を記 念 し て 梁 啓 超 や 黎 元 洪 な どの 政 治 家 が 書 を揮 毫 す る とい った,日 中 間 の 交 流 も存 在 した(8)。
しか し,1930年 代 以 降 の 日 中 関係 の 悪 化 と と もに,書 院 は 従 軍 通 訳,学 徒 出 陣 とい う形 で 日中 戦 争 に協 力 せ ざ る を 得 な い状 況 に な り(9),日 本 敗 戦 に
と も な い 閉 校 とい う形 で 幕 を 閉 じ る こ と とな っ た。
こ う して み て くる と,東 亜 同 文 書 院 史 は 近 代 日中 関 係 史 か ら全 くか ら離 れ て 理 解 す る こ とが で きな い 。 書 院 史 は近 代 日 中 関 係 史 の 動 向 が 大 き く影 響 し て お り,近 代 日 中関 係 史 の 一 側 面 を表 して い る とい え よ う。
で は,東 亜 同文 書 院 は戦 後 日本 で どの よ うに 認 識 され て き た の か 。栗 田 尚 弥氏 は,「 日本 帝 国 主 義 の尖 兵 」と して 否 定 的 に 捉 え られ て い た と述 べ る('°)。
ま た,筆 者 が 先 行 研 究 の 整 理 を 行 った と こ ろで は,最 初 に研 究 が 登 場 した 1960年 代 よ り90年 代 に至 る ま で は研 究 数 が 少 な く,ま た そ の大 方 は 「 中 国 侵 略 に加 担 した 」 「 中 国侵 略 の た め の 文 化 機 関」な どの 見 方 で 同 文 書 院 を 捉 え る傾 向 が 強 か っ た 。1990年 代 以 後 は 研 究 者 が 増 加 し,ま た 資 料 に基 づ い て 実 体 を解 明 し よ う とす る 研 究 が 中心 とな っ て き て い る 。 そ れ は90年 代 以 降 の 状 況 は 同文 書 院 へ の 関 心 が 高 ま る と 同時 に,個 人 の 問 題 関 心 に基 づ き,研 究 内 容 が 個 別 ・多 様 化 した 状 態 で あ る とい え る(11)。
一 方 で ,中 国 に お け る 同文 書 院 研 究 に つ い て は,栗 田氏 が 行 った 先 行 研 究 の 整 理 の 中で も余 り触 れ られ て い な い(12)。この 理 由 と して,日 本 か らは
(8)中 華 学 生 部 に つ い て は 水 谷 尚子 「 東 亜 同文 書 院 に 学 ん だ 中 国 人 一 中華 学 生 部 の 左 翼 学 生 」 『 近 き に あ りて 』28,1995年11月,後 に 『東 亜 同 文 会 史 論 考 』 霞 山 会,1998年 に 再 録)が 先 行 研 究 と して 挙 げ られ る 。東 亜 同 文 書 院 学 生 と交 通 大 学 学 生 と の交 流 に つ い て は,上 海 交 通 大 学 校 史 研 究 室 課 題 組 編 『 資 料 選 輯 』197〜204頁(2006年)。 な お,梁 啓 超 や 黎 元 洪 な ど の 書 は,愛 知 大 学 東 亜 同文 書 院 大 学 記 念 セ ンタ ー に 所 蔵 され て い る 。
(9)戦 時 下 の 東 亜 同文 書 院(大 学)で 行 われ た 従 軍 通 訳,学 徒 出 陣 につ い て は,前 掲 『 東 亜 同文 書 院 大 学 史 』148,149,162,571〜574,614〜615頁 な どを 参 照 。
(10)栗 田 尚 弥 『 上 海 東 亜 同 文 書 院 日中 を 架 け ん と した 男 た ち 』297〜298頁(新 人 物 往 来 社,1993 年)。
(11)拙 稿 「 東 亜 同 文 書 院 に 関 す る先 行 研 究 の 回 顧 と今 後 の展 望 」(前掲 『 オー プ ン・ リ サー チ・ セン ター 年 報 』創
刊 号,同 「 東 亜 同文 書 院 に 関 す る 先 行 研 究 の 回顧 と今 後 の 展 望(補 論)」(『 オー プ ン・ リ サ ー チ・ セ ンター 年 報 』
2号,2008年)を 参 照 。
中 国 の研 究 状 況 が 把 握 し に くい とい う点 も考 え られ よ う。 しか し幸 い な こ と に,2007年7月 に 愛 知 大 学 東 亜 同文 書 院 大 学 記 念 セ ン タ ー(以 下,「 記 念 セ ン タ ー 」 と略 記)主 催 に よる 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 「日 中研 究 者 に よ る東 亜 同文 書 院 研 究 」 が,愛 知 大 学 豊 橋 校 舎 で 開 催 され,上 海 交 通 大 学 ・上 海 師 範 大 学 と記 念 セ ン タ ー の研 究 者 との合 同 で 研 究 発 表 が 行 な わ れ た 。 そ の 時 に欧 七 斤 氏(当 時,上 海 交 通 大 学 校 史 研 究 室)が 「 東 亜 同文 書 院 の 中 国 方 面 の 研 究 に 関 す る概 要 」 とい う題 で 先 行 研 究 を紹 介 し,ま た 同 年11.月 か ら12月 に か け て 記 念 セ ン タ ーが 受 け入 れ た 南 開 大 学 の 周 徳 喜 氏 も,記 念 セ ン タ ー 主 催 の研 究 会 で 「 中 国 にお け る 東 亜 同 文 書 院 研 究 の 現 状 」 とい
う題 で 同様 の 発 表 を 行 な っ た(13)。
筆 者 は 東 亜 同文 書 院 の 先 行 研 究 史 の整 理 を これ ま で 行 っ て き た が,日 本 で の 研 究 を 主 と した た め に 中 国 の 研 究 状 況 に つ い て は 取 り上 げ る 余 裕 が な か っ た。 した が っ て 今 回,欧 ・周 両 氏 の発 表 を参 考 に しつ つ,冒 頭 で 示 し た よ うな 問 題 意 識 に 沿 って 考 察 を 進 め る が,同 時 に,先 行 研 究 の 整 理 の一 環 と い う意 味 合 い で も考 察 を 進 め て い き た い 。
な お,本 論 は 東 亜 同 文 書 院 を 中心 的 対 象 とす る た め,経 営 母 体 の 東 亜 同 文 会 は 同 文 書 院 に 関 わ る範 囲 内 で 取 り上 げ る こ と と した い 。
注:本 論 で は,中 国 の 人 名 や 図 書 ・ 論 文 名 を 日本 の 当用 漢 字 で 表 記 して い る。
1.中 国にお ける東亜 同文書 院に 関す る先行 研 究
本 章 で は,欧 七 斤 ・周 徳 喜 両 氏 に よ る研 究 紹 介 に 依 拠 しつ つ,紹 介 か ら 欠 落 した 部 分 や,取 り上 げ られ な か っ た研 究 も補 足 し,中 国 に お け る先 行 研 究 の動 向 を 見 て い く(14)。な お 研 究 紹 介 は,欧 ・周 両 氏 の 発 表 を 筆 者 が ま と め る形 で 取 り上 げ て い くこ とを 基 本 とす るが,補 うべ き部 分 は 筆 者 が 原
(12)栗 田 尚 弥 「 東 亜 同文 書 院 の 復 権 一 最 近 の 研 究 動 向 に 則 して 一 」69〜70頁(『 大 倉 山論 集 』51, 2005年3月)。
(13)欧 七 斤 「 東 亜 同 文 書 院 の 中 国 方 面 の 研 究 に 関 す る 概 要 」,周 徳 喜 「中 国 に お け る 東 亜 同文 書
院 研 究 の 現 状 」 の詳 細 に つ い て は,前 掲 『 オー フDン ・ リ サ ー チ・ セ ンタ ー 年 報 』2号 を 参 照 。
表1中 国人研 究者 に よ る先行研 究 一覧
筆者名 タイ トル 収録雑誌 発行年
蘇智良 上海東亜同文書院述論 『梢 案 与 史学 』 第5期 1995年5月 単冠初 試論 東 亜 同 文 書院 的 政 治特 点 一 兼 与西
方在 華 教 会 比較
〔 邦 題 〕 東 亜 同文 書 院 の政 治 的特 徴 試 論 一西 洋 ミ ッシ ョンス ク ール との 比較
『梢 案 与 史学 』 第1期 1997年1月
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