「執筆禁止時代のケストナー(1皿)」
佐 藤 和 夫
1. はじめに
『執筆禁止時代のケストナー』の第三部(各論の第二部)の本稿においては 1934年に出たケストナーの第二の長編小説《Drei M加ner im Schnee》をと りあげる。この小説は当初ドイチェ・フェアラークアンシュタルト社からドイ ツ国内で出版することが試みられ,実際業界紙に出版予告の広告まで出たが,
宣伝省によって厳しい禁止通達を受け,版権をスイスのラッシャー社に売却レて ドイツ国外でのみ刊行頒布することが許された。この執筆禁止下で書かれた最 初の大人向けの作品は大人の作品としての特色の他に彼の児童文学作品の特色
もあわせもっている。以下においてはこの二重性に焦点を当てて考察を進めて いきたい。
2.不可解な序文
ケストナーは自分の著作においては常に序文で作品の成立史や主題について 述べている。・この点は《Drei M益nner im Schnee>においても変わらず,第一の 序文では「芸術的主題としての億万長者」と題して億万長者を主人公にするこ
との是非を論議し,第二の序文「作者が取材源を明かす」では例によって作品 成立までのユーモラスな小話が書かれている。
2.1 第一の序文
第一の序文においてケストナーは「億万長者」という主題をめぐって議論を 展開する。ところが彼は主題としての「億万長者」の意義にあいまいな態度を 取り続ける。いきなり最初の文で「億万長者は流行遅れになった1」と書き出し,
最後の文ではそのすたれた理由を「要するに私にはわからない2」と締めくくっ
ている。まだまだ億万長者はいるという新聞記事を引用した作者の言い分は億
万長者が現実にいるのならば,使っても差し支えないではないかということの
ようだ。
「億万長者や彼らのぜいたくな環境がスクリーンや小説に反映されることに なぜ反対するのか。危険なものや禁じられたものならばやむをえないけれど も。例えば自転車に乗ってあべこべの車線を走るのは危険だし,禁止されて いる。画家や作家がこのようなものを表現して繰り返すのは実際不適当であ
る。
強盗や掠奪も芸術的主題としては同様に不適当だ。実際そういうものは泥 棒でもないかぎりやろうなどとはあんまり思わないからだ。
でも億万長者はどうだろうか。禁止されているだろうか。それとも危険だ ろうか。そんなことは断じてない。彼らは税金を払い,仕事を作り出し,ぜ いたくをする。彼らは国家と社会の不可欠の構成要素である。3」
芸術上の主題を日常的次元のレベルから排除してしまうこの論述は《P加kt一 chen und Anton》で文学的真実を説いた人の言葉とは思えないくらい粗雑な
4Mの運びであり,したがってそれに応じて億万長者を登場させる理由も説得的 ではない。
むしろ深読みに過ぎるかもしれないけれども,この論理一貫しない序文から は禁止された作家としてのケストナーの自己囎晦を認めることができるように 思う。そうであるとするならば,正体を晦ませたこの文章の中からは何があぶ り出されてくるだろうか。先に引用した文章のなかから二っの重要な言葉が引 き出される。「危険な」と「禁止された」である。この言葉に「国内亡命」を 決意した作家の精一杯の抵抗がうかがえるように思われる。
2.2 第二の序文
第二の序文の役割は先にも述べたように題材の入手先を読者に明らかにする ことにある。ケストナーは題材を友人とバンベルクへ旅行するときに乗った列 車のコンパートメントで同室した家禽商人からえたものであると語っている。
しかも同じく作家である友人とどちらが小説にするかをめぐって争い,コイン の表裏をあてるゲームをしてまで獲得したもので,敗れた友人の方はその題材 を戯曲にすることで満足しなければならなかったそうである。
しかしベンマンの伝記の伝えるところによれば《Drei Manner im Schnee>
の内容の一部はケストナーの実際の体験に基づいているという。つまり彼が26
才のとき,すなわち1925年にウィンタースポーツでよく知られたアルプス山中 のホテルに宿泊したときの不愉快な体験がもとになっているとベンマンは書い ている1彼は当時新聞社に勤めてから初めての休暇を取り,アルプスへ旅行し た。手際よく秋のうちから来年2月の予約を取り付けておいたのだが,いざ到 着してみるとけんもほろろの扱いを受ける。たしかに予約は受け付けたが,今 は満員であるというのがホテル側の言い分だった。原因はどうやらケストナー の服装にあったらしい。彼はその時伯母からもらったジャコウネズミの皮を裏 地とした簡単な毛皮をはおっていたのである。高級ホテルの側は大学を出たば かりの青年を飲食施設のない「別館」へ案内する。案内されたところは部屋な どという代物ではなく,指物師の物置で,水道も暖房もなかった。ケストナー は「本館」の舞踏会に出るためには薄いエナメル皮の靴で雪道を往復しなけれ ばならず,また夜はパジャマの代わりにウールの服を何枚も重ね着しなければ ならなかった。傷心の寝床の中ではライプツィヒの自分の間借りの部屋が「夏 の夜の夢」,1ペニヒにもうるさい大家の奥さんが「誠実の天使」にさえ見え た。そこでケストナーはつくづく金は旅行やウィンタースポーッのために倹約 するのではなく,ホテルのフロント係のためにするものであると思ったそうで
ある。
ケストナーと友人がバンベルクへ出かけたのはその友人の美術史研究をして いる婚約者が「バンベルクの騎士」を知らない人とは結婚しないといったため で,《Das fllegende Klassenzimmer》でお母さんにせかされてアルプスの麓 6
ヨ雪をみるために出かけたのと比べると旅行の理由にいくらか現実性に欠けて いるように思える。しかもこの旅行中に女流美術史家の方は別の男と婚約して しまい,友人の方は振られてしまう。彼女が新しい婚約者に乗り換えたのは自 分の要求を何でも聞き入れる従順な男よりも取るに足りない要求には平手打ち でもってこたえる男の方に魅力を感じたからなのである。この話の展開の仕方
も女の身勝手さを強調するだけであまり説得力を持つものではないだろう。
ケストナーが自分の作品の成立小史を述べる場合,先に触れた《Das flie一
gende Klassenzimmer》,さらに《Emil und die Detektive》1こおけるよう
1ど常に現実味を持たせてきた。ところがこの作品においては実際の体験とは無
関係な小話を創作し,小話自体も理屈が先立つインテリ女性は殴ればよいなど
といういささか粗雑な話の運び方がされているξ結局これらのことも作者自身
の正体の目晦ましととることができよう。
3.二っの世界
この小説は二つの異質な世界をめぐって展開している。一方はスケトナーの 9
Dむ中産階級の道徳観の支配する世界であり,他方は道徳を金の力で構築する ことのできる裕福な人々の支配する世界である。小説は中産階級の道徳観の持 ち主(ケストナーの世界観の体現者)がもうひとっの異質な道徳の支配する世 界へ旅立ち,そこにたまたま訪れた資産階級でありながら中産階級と同じ道徳 観を持っ人間と友情を結び,再びもとの道徳の支配する世界へ帰ってくること で終わっている。
3.1 中産階級の道徳観の世界
この中産階級の道徳観の支配する世界とは《Emi!und die Detektive》のテ イシュバイン母子の住む世界であり,《Das fliegende K!assenzimmer》の夕 一ラーの家庭であり,《Fabian》の同名の主人公の家庭である。そこでは「勤勉」
「倹約」, 「秩序」,「清廉」, 「貞淑」といったモラルが何よりも尊重され 驕B《Drd Manner im Schnee》では主人公ブリッツ・ハーゲドルンの家庭
10にそれが代表されている。この家庭では博士の学位をもちながら定職につけな いでいる息子をその才能に心から信頼を寄せる母が自分の乏しい年金と一人の 下宿人の部屋代をやり繰りして支えて生活している。息子も母を経済的に支えられな いふがいなさを感じながらも母と子の二人の世界に居心地のよさを感じている。
一方小説ではこの家庭と平行して大財閥の当主トーブラーの家庭が描かれる。
彼の住んでいる屋敷は「二百メートルの長さの鍛鉄製の格子垣越しに雪の降り 積もった森が見えるだけで,他のものは森に隠されて何も見えない11」という広 壮なものである。しかしここに住んでいる人間たちは当主のトーブラーも含め て先のハーゲドルンと同じ道徳観を共有している。とりわけトーブラーは巨億 の富をもちながら質素な実用本位の暮らし方を愛好している。彼は所有する財 産の上では億万長者の枠組みに入れられてはいるが,心情的には中産階級その
ものなのである。
職には全然当たらないけれども,懸賞にはめっぽう当たるという設定のバー
ゲドルンはある日,トーブラー財閥の一翼を担うプッッブランク工場の懸賞に
応募し見事に一等に当選する。一方トーブラーも偽名を使って応募した傘下の
工場の懸賞の二等になり,両者ともアルプス山中にある高級リゾートホテルに
招待される。彼はこの機会に心情だけでなく外見上も庶民になりきって金の論 理の支配する山の上へ登って真の人間の姿を体験しようと決意する。この価値 観を共有する二人は山上の彼らとは全く別個の観点の支配する世界で相まみえ
ることになる。
3.2 富裕階級の道徳観の世界
上記の別個の観点の支配する世界が懸賞に当選した主人公たちが宿泊するこ とになるグランドホテルである。
「ブルックボイレンのグランドホテルは常連の客のためのホテルである。客 たちはすでに常連であるか,常連になるかのどちらかである。その他の可能 性はほとんどない。
全然グランドホテルに泊まったことがない人というのはもちろんある。し かし一度でも泊まって,二度と訪れないという人はほとんどいない。
常連客たちは実にさまざまな人たちではあるけれど,みんな金持ちだ。彼
らの誰でもが,思い切った比喩が許されるならば,アルプスと白タイルを張 12った浴室とを自分のものとして思いのままにできるのだ。」
要するにこのグランドホテルの住人になる資格があるのは冬のリゾートホテル の背景にある雪と山,そして快適な住まいを毎年買い取ることのできる人々だ けなのである。さらに彼らが楽しむのは冬山とそこで行なわれるスポーツだけ ではない。
「夕食時に,あるいはもっと遅くにホテルにもどるとたがいに誰が誰だかわ からなくなってしまう。客たちはもはや以前の姿をとどめていない。…
この昼と夜の間の,スポーツとダンスの間の,身を切られるような雪の冷 気と柔らかい香水の間のメルヘン的な変容はウィンタースポーツホテルの客
に与えられるきわめて不思議な体験だ。長いこと無くて困っていた自然と長 いこと無いままでは済ませられない文明とに調和がもたらされるのだ。
これを好まない人たちがいる。そのかぎりにおいてはこれは趣味の問題で ある。そしてこれができない人たちがいる。これは金の問題だ。13」
ホテルに集う常連客たちは冬山の自然を買うばかりではなく,都会での方が 手に入れやすいはずの文明的な生活様式をも買わずにはいられないのである。
彼らを律しているのは先の中産階級の市民的モラルとはおよそ正反対のモラル
である。彼らを支配しているモラルは平地(=都会)では別なのかもしれない
が,少なくとも山上(=グランドホテル)では市民のモラルとは対立する「怠 惰」, 「奢修」, 「逸脱」, 「強欲」, 「淫乱」が支配しているのである。
このような山上の雪の世界へ三人の異邦人(ハーゲドルンとトーブラーそし てこの二人をつなぐ役目をするトーブラーの執事ケッセルフート,すなわち彼
らこそ《Drei M加ner im Schnee》=『雪の中の三人』)が訪れ,二つの異 質の世界のモラルが対立し,喜劇が生まれる。
4. 『雪の中の三人』
以上述べてきたことからこの作品の題名『雪の中の三人』の意味していると ころが,明らかになってくるが,この作品には前章で述べた二つの階級の対立 の他にもうひとつの対立が重なりあっている。この点を解明するために個々の 人物について詳しくみていくことにする。
4.1 ブリッツ・ハーゲドルン
ブリッツ・ハーゲドルンは3.1で述べたことからもわかるように,《EmH und die Detektive》,《PUnktchen und Anton》,《Das fliegende Klassenzimmer》と続く一連の児童文学作品や小説《Fabian》の主人公たちの 個人的特徴と環境を受け継いでいる。つまりこのことは作者ケストナー自身の 個人的特徴と環境を付与されているということでもある。それらをまとめてみ れば次のようになる。
① ブリッツは未亡人ハーゲドルン夫人の一人息子である(父親の存在感が
希薄)
② 住まいの一部をフランケという名の教員に間貸ししている(ケストナー の幼時体験そのもの)
③博士の学位をもった失業者である(《Fabian》の主人公の体験であり,
ケストナー自身の体験でもある)
③だけが大人向けの作品にでてくる特徴ではあるが,いずれにしてもブリッツ
・ハーゲドルンはケストナー自身の(つまり現実の世界の)価値感,世界観を
直接付与された人物であり,現在は貧しくてプロレタリアートの境遇にあるけ
れども中産階級への上昇指向を絶えずもっていてそのために努力を惜しまない
人間なのである。
4.2 エドゥアルト・トーブラー
エドゥアルト・トーブラーはケストナーの設定によると
「枢密顧問官のトーブラー。いくつもの銀行やデパートや工場,さらにはい くつものシュレージェンの鉱山やルールの高炉や大陸間の船舶航路をもって
@ 14
「る男」 , ということになっている。しかし家政婦のクンケル夫人に言わせれば,
「枢密顧問官様はいつも空想にあふれすぎ,そのうえ暇をもてあましておいで になるのです。でもこのようなことはこれまで一度もなかったことでござい ます。枢密顧問官様,あなた様は私の知っている中でいちばんお年を召した 15
q供_ 」
なのである。クンケル夫人はトーブラーの大富豪らしからぬ子供じみた振る舞 いに対して非難の気持ちをこめて言っているのだが,この発言は否定的要素を 別にすれば,トーブラーの本質をついている。確かにトーブラーが大富豪であ ることを示すいくっかの外見上の道具立て,広壮な屋敷,運転手つきの高級車,
召使いたちを除けば,彼の思考行動は子どもそのものなのである。
心の底から子どもである彼は通りがかりの子どもたちにふるまうために立ち 16 った菓子屋では甘草飴を買い,ブルックボイレン駅からグランドホテルまで 歩いていく途中で肉体の衰えを考えて投げはしなかったものの雪玉をつくった
りする誓だがフロント係に強引に押しつけられてスケートリンクの掃除をさせ られたときに昔のスケートの楽しさを思い出した彼は翌日年令を忘れてスケー
トに挑戦する。
「...思い切って第一歩を踏みだした。大丈夫だった...よく考えてみればあ 18
フ頃はどんな動作だってやれたのだった」
しかし興にのって連続回転動作に移ると足元がふらついて転倒し,後頭部を したたかに打つはめになる。けれども彼は明かりを消したベッドの中でリンゴ をかじりながら
19 u_まるで子どものときと同じだった」
と感じているように少年時代に何物にも代えがたい憧れを抱き続けているので
ある。
しかし子どもとしての彼の行動のもっともたるものは,自分の入っている温
コをぶち壊して,現実の燗を体験してみたし・という企てそのものであろう碧
大人の側,とりわけ山上の世界の人間の側からみれば全くばかげたことである
けれども「最年長の子ども」であるトーブラーはそんなことには頓着しない。
他人の思惑を考慮に入れないのも子どもの特性の一つである。子どもの考えに は当然ながら,結果の重大性も傍迷惑も存在しない。彼は自分の属する富裕階 級の人々と彼らに奉仕することに生きがいを見いだしている人々から冷遇され ながらも,彼らの仕打ちを楽しみに変えてしまう。実際には階級的観点からは 最も歓迎されるはずの人間トーブラーは,正体を隠しその秘めた児童性を遺憾 なく発揮することによって最も強力に山上の世界への,大人の側の論理への侵 入を果たしている。
4.3 ヨーハン・ケッセルフート
ケッセルフートは「旦那さまの召使い以外のものに一度もなりたいと思った ことがなし踏というほどのトーブラーの忠実な下僕である。彼は主人の奇矯な ふるまいに冷汗をかきながらもその人柄を愛し,迷うことなく彼を支えていく。
ケッセルフートはブルックボイレン行きの同行を主人から命じられるが,現地 では定期航路の所有者としてふるまい,あくまでも赤の他人として別行動をと
るという条件を付けられる。
しかし根っからの従僕である彼は航路の所有者にふさわしい服をあつらえて いる最中にもホテルで行なわれるはずの仮装舞踏会で再び召使いのお仕着せを
22?驍フを楽しみにしてしまう。そして当の舞踏会では彼の召使い姿があまりに も違和感がなく似つかわしいのでハーゲドルンから次のような驚きの言葉が発 せられる。
「...するとボーイが笑った。それで二人が驚いて振り返るとそれは全然ボ 一イなんかではなくてヨーハン・ケッセルフート氏だった。彼はトーブラー 家のお仕着せ,昔からなじんできたお気にいりの服を着て許しを求めるよう 一 ノシュルツェ氏の目をのぞきこんだ。『お見事』とハーゲドルンは言った。
『ケッセルフートさん,傷つけるつもりはないんですけれども,あなたは根 23
チからの大家の召使いのようにみえますよ。』」
職務に忠実という点ではもうひとつの世界のフロント係ボルター氏も負けて
はいない。ただケッセルフートはトーブラーをこよなく崇拝しているのであっ
て,ボルターのように富裕な者に媚を売っているのではない。彼は主人の稚気
を心から愛しており,したがってトーブラーの気に入った人物は彼も気に入るこ
とになる。それ故ケッセルフートは主人の気に入ったハーゲドルンを心より敬
愛し,トーブラーとの友情が育まれるのを暖かく見守っていくのである。
4.4 三人の関係
以上述べたことからわかるようにトーブラーは資産階級に属する人間ではあ るけれども,その心の中には常に児童性が秘められている。しかも菓子屋での 買い食いといい,雪玉投げといい,スケート滑りといい,ベッドの中でのリン ゴかじりといい,これらの体験は富裕階級のそれではなく,どちらかというと 貧しい家庭に育った子どもたちの体験するものである。大富豪としてのトーブ ラーがそのような少年時代をもったとはただちには理解しがたいという難点は あるものの,そこに目をつぶればこれはまさにハーゲドルンの少年のときの体 験と共通する。彼はケストナーの分身だから,ケストナーのたびたび繰り返す
「少年時代を忘れるな」という命題を常に実践しているトーブラーとは必然的 に厚い友情で結ばれることになる。
この子ども時代を共有する二人を終生トーブラーの従僕たることを願って止 まないケッセルフートが脇から支えている。彼の子ども時代のことは作品から は全くわからないけれども彼の現在の地位から推測すれば,ハーゲドルンと大 差はないだろうと思われる。彼が心の底から主人の稚気を愛することができる
のもやはり主人と同じ少年時代への憧れを抱いているからであろう。
卜一ブラー,ハーゲドルン,ケッセルフート,この少年時代を共有する「雪 の中の三人」は第八章で山上の世界,すなわち大人の世界の遊びを拒否して雪 だるまをつくるが,これは彼ら少年時代を忘れない三人の,子ども時代を忘れ てしまった山上の世界の人々への抵抗の記念碑のように見える。
5.対立する世界の人々
少年の心をもった「雪の中の三人」を迎える側の代表的人物も三人いる。第
一に山上の世界の人間かどうかの関所の役割を担っているフロント係のボルタ
一,そしてここを平地の道徳から開放された「大人」の場所として享楽にふけ
る二人の女性,カスパリウス夫人とマルブレ夫人である。
5.1 ボルター
グランドホテルの責任者はボルターではなく,キューネである。
「経営の責任者キューネ支配人は十年来その地位を占めている。彼はホテル 稼業よりも野外の自然のなかにいる方をはるかに愛好している。…彼はす
ぐれたスキーツーリストである。朝食をすませると山のなかへ走り去り,日 暮とともに帰ってくる。晩にはベルリン,ロンドン,パリのご婦人方とダン スを踊る。彼は支配人であり続けるだろう。少なくとも踊ることができる間 は。ただ結婚しないという前提条件つきだが。勿」
このように支配人は宿泊客との接待や社交に明け暮れ,経営の方は全くお留守 になっている。
「それにもかかわらずホテルの営業は遺憾なく機能している。それはひとえ にフロント主任ボルターのお陰なのである。彼はグランドホテルを我が子の ように愛している。・…彼はモールのたくさんっいたフロックコートの他に 白い口髭をたくわえ,幅広い語学の知識があり,_彼の高度に発達した正義 感は客と従業員との間に名状すべき差別を設けることを妨げた。彼はどちら にも同等に厳格であった。茄」
優秀な営業能力をもち,グランドホテルの「親」である彼は客も従業員も自分の 管理下におかなければならない。彼は同時にホテルの入り口で金持ちと貧乏人 を見分けて選別するフィルターであり,富裕階級以外の異分子を排除する役目 をも担っている。したがって彼は自分の管理を無視して「人間を知りたい」な どという戯言を持ち出して勝手気ままにふるまおうとする人間をたとえ大富豪と いえどもそのままにしておくわけにはいかない。貧乏人は排除し,金持ちはあ
くまでも金持ちとして接遇しなければならないのである。それが山上のホテル の定めであると考えるボルターはすべての宿泊客に偽装の客の現われることを 暴露してしまう。しかし彼のただ一つの手違いは失業者ハーゲドルンを偽名を 使って現われるはずの大富豪と勘違いをしてしまったことである。
5.2 二人の女たち
三人の「少年」の一人,アルバニアの皇太子とも見紛う大富豪と思われたハ
一ゲドルンを大人の性愛の世界へ誘うのはブレーメン生まれの金髪の女性カス
パリウス夫人とウィーン出身の黒髪の女性マルブレ夫人である。終止積極的に
ハーゲドルンに対して攻勢に出るのは前者の方で,第7章から第13章にかけて
少なくとも6回誘いをかけている。
①自己紹介のとき(第7章)
②ダンスへ誘う( 〃 )
③バーでのダンスのとき(第8章)
④スキーへ誘う( 〃 )
⑤仮装舞踏会へ誘う(第11章)
⑥直接ハーゲドルンの部屋へおしかける(第13章)
それに対してマルブレの方は対抗して張り合う気持ちは十分にあるのだが,
常にカスパリウスの方に機先を制せられ,なかなか自分をアピールする機会が 得られない。第7章で他人を介して自分をハーゲドルンにアピールしたときを 除けば,第10章で周りに誰もいないときに娩曲な言葉で誘惑するにとどまり,
第16章で夫がブルックボィレンにやってくるに至って彼女の遊びも終わるので
ある。