• 検索結果がありません。

研究生活を振り返る 一武井邦夫教授に聞く一

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "研究生活を振り返る 一武井邦夫教授に聞く一"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

研究生活を振り返る

一武井邦夫教授に聞く一

日時1994年12月1日

聞き手奈倉文二・館山  豊 斎藤典生・新田  滋

1 社会科学に関心を持ち始めた頃         超真面目な本まで読みました。これが後になっ 一中学生時代一    て考えてみると非常にプラスになりました。

館山 それでは始めさせて頂きます。武井先生の    それで昭和21年の秋頃にはだいぶ良くなった 学問というのは一言で言えば先生御自身の言葉    から,復学の相談に行ったら教頭が出て来まし を借りると,「異端の中のまた異端」(笑い)と   て話を聞いてくれました。僕は三年の時に休学 いうことで,我々としてはそういう学問がどう   したにもかかわらず四年生に進級していたんで いうふうに形成されてきたかということに一番   す(笑い)。これは勤労動員で授業をやらない 興味があるわけでして,いつ頃から社会科学や   から上げちゃえということで上げちゃったと思 学問に関心を持ち出したかというあたりからお   いますが。それじゃ四年次に入れてやろうと言 話し下さい。       われたんですが,僕はどうも学力が非常に不足 武井 戦後の話をするには戦争体験から始めない   しているから,まず三年次に聴講したいと言っ とよく分かって頂けないと思います。僕は中学   たら,非常に感心しましてね。以来その先生に 生時代に勤労動員で軍需工場に動員されている   は大変可愛がられた。その教頭は翌年4月には 最中に気分が悪くなって立っていられなくなり,   松本中学の校長になったんですが,大変な名校 医者に診て貰ったら,肋膜炎と腹膜炎の併発で   長でした。それで四年生の時に哲学研究会を作っ 相当進行しているという診断で,これはまず助   て彼にカントなど講義してもらったんです。もっ からないと言われた難病です。これは全く戦争   とも何も分からなかったんですが。

の犠牲で,国家補償を請求したいくらいの気分    社会科学に対する興味ということですが,ク です(笑い)。      ラス担任の先生が東大の社会学科の出身で,そ 斎藤 どのくらい働かされたんですか。       の影響で社会思想史的なものに興味を持ったわ 武井 時間ですか。寮に入っていましたが。朝の   けです。マックス・ウエーバーの名前なんかも 9時頃から5時ころまで8時間。まあ若い皆さ   初めて彼から聞かされたわけで,彼はクリスチャ んはそういう経験はないでしょうが,僕はプロ   ンでもあったんですが。この先生は後に松本深

レタリアートとして働いた経験があるんだと言っ   志高校の校長になりましたが,僕にとっては非 ているんですが(笑い)。僕の原体験の一つで   常に大きな影響を与えた人ですね。彼を顧問に す。ただ一つプラスだったことは病気中あらゆ   して四年生の時社会科学研究会を作って当時の る本を濫読したことでして,特に純文学,大衆   四年生,五年生のそうそうたるメンバーは皆入っ 文学一吉川英治に始まって中里介山,大菩薩    た。これが僕の社会科学というものに接した最 峠に至るまで,それから内村鑑三全集のような   初だと思います。この社研は僕は主要なメンバー

(2)

じゃなくその他大勢の方ですが,哲学研究会の   あという意識を強く持ったと思います。それで 方は創始者の一人です。これは今でもあるよう   そういうものに関係無いことをしようと。

ですが。      奈倉 旧制高校は1年だけだというのは入る前か 館山 社研にいたのは他には。      ら分かっていたんですか。

武井 皆さんの知っている人では降旗節雄君,彼  武井 ええ,入る前から。それで僕らの中学同級 は五年生でしたが。本来僕の方が一年上だった    生は新制高校の2年生になりました。僕らは旧 んですが,僕は二年休学したから彼の方が上に    制高校1年修了で大学受験資格を得ましたから,

なった。他には萩元晴彦氏(テレビマン・ユニ    1年得しちゃったんです。それを狙って受けた オン代表)など。       わけではないんですが。

文乙の同級生には降旗節雄,ドイツ語の大家 H 松高時代       になった小塩節[中央大],映画監督になった 武井 中学四年修了でどうやら松高に入りました。   熊井啓,日本史の山際晃[横浜市大],方言研

昔は中学四修で旧制高校に入って初めて押しも    究の大家の馬瀬良雄[信州大]など多士済々で 押されぬ大秀才という扱いでした。その時は本    したね。それから文甲には中学同級の有賀貞 当に天にも昇る心地で,なにか自分の体から後    [アメリカ史,一橋大法学部],理科にはやはり 光が射してくる感じでしたね(笑い)。       松本中学4修の赤羽隆夫[経済企画庁次官→慶

そのころは漠然と哲学か,社会科学をやろう   応大]などがいました。一般に文甲は非常にお と考えていたので,それにはドイッ語が必要だ   となしかったが,文乙は蛮カラの猛者が揃って と文乙を選んだ。しかし,入ってみたら,そう   いましたね。それに教官には蛭川先生のような いう目的意識をもって文乙に入ったきたのは非   型破りの豪傑もいましたし。非常に1年間楽し 常に少ない。殆ど文甲志望で,成績順で文乙に   く愉1央に過ごした。毎日お祭りをしているよう 回されてきた連中が多かった。この時,俺は今   な気分で過ごした。思えば人生の中で一番楽し まで普通の人間だと思っていたけれど,どうも   かったゴールデン・エイジじゃなかったかなあ 非常に特殊な人間かも知れないなあという意識    と思います。

を持ちました(笑い)。エリートの中のエリー

ト意識です(笑い)。      皿 東大教養学部時代 クラス定員は38人ですが,2人留年がいます   奈倉 先生は文科2類ですか。

から,その年に入ったのは36人。旧制高校とい  武井 今は東大は文科3類までありますが,当時 うのは上からおっこってくると,定員からその   は2類までで,文1が法経コース,文2が文学 分を差し引いた数しかとらない(笑い)。その   部・教育学部コース。僕は文学部へ行くつもり 内,大学教授になったのが9人,高校の教師に   で文科2類を志望しました。信大に残った連中 なったのがやはり9人います。教師になった人   も多かった。降旗君は残った。文乙からはスト 間がこんなに多いのは名簿を見て松高30年の歴    レートで6人東大に入った。小塩君・有賀君な 史上我々のクラスだけです。       どは秀才だからすっと入った。赤羽君は振られ

なぜそうなったかというと時代の影響だと思   て翌年入って来た。

いますね。入学した昭和23年の秋には東京裁判     駒場寮に入って残っていた一高の三年生と一 の判決が出て戦争中の指導者がdeath by hang一   緒に生活しました。一高生は旧制高校の中でも ingか,終身禁固になるという時代ですからね。   非常に特殊な気風を持っていまして,一つは

どうも立身出世というのは空しいなあ,国家と    「全人類,全日本の運命が我々の双肩にかかっ いうものはどうも非常にうさんくさいものだな   ている」という気負いですね。もう一つは手当

(3)

り次第なんでも読むという猛烈な読書欲。前者  館山 先生は小説家を志していたんですか(笑い)。

には辟易しましたが,後者には正直の所脱帽し  武井 芸術家というのは自己顕示欲というか,要 ましたね。      するに自分の作品や演技を見る人,聞く人が感 しかし,一高で本当に怖いのはトップ・クラ   動する,これを見るのがたまらない快感なんで スのほんの数人。後は全然怖くない(笑い)。   すね。役者は一度やったら止められないという 事実僕が駒場寮に入った時,同じように1年で   のは目の前で観客が感動してくれますからね。

ほっぽりだされて東大を受けて振られた連中が   これはもう最高の人間の欲望じゃあないかなあ ごろごろ残っていて僕らを出迎えてくれた。僕    と思いますね。人間の最後の欲望は権力欲だ,

らは進駐軍のようなものです(笑い)。ただトッ   勲章だといいますが,それよりは自分の芸や作 プ・クラスは凄いなと思いました。特に語学な   品によって他人を感動させること,これが人間 んかは凄いなと思いましたね。僕のクラスは第   の持っている最高の喜び,楽しみだと思います。

1外国語がフランス語で第2外国語がドイツ語    ですから憧れたんですが,そういうことでとて でしたが,一高の3羽烏と言われた連中がいま   もとてもと。まず背景が悪い。それに才能がな

して,これは語学が良くできましたね。そのう   い(笑い)。才能がないというか,筆1本でと ち2人は東大教撞になりましたが。僕らは田舎   ても飯は食えないと思ったですね。

秀才のつもりだったんだが(笑い),田舎と東    じゃあ,哲学をやろうかとも考えたんですが,

京とでは相当格差があるなあと。        哲学やるには頭が悪いということがようやく分 館山 先生は外国語はそこそこのレベルだったん   かった。カントだヘーゲルだと言っても読んで ですか。       さっぱり分からないんです(笑い)。これは駄 武井 外国語は非常に得意だったんだけれども,   目だ,じゃあどうしようかというんで,結局経 ドイツ語にしても1年やっただけでしょう。ま   済学,それも理論が良い。当時『資本論』を少 してフランス語でしょう。この2つを一緒にや   し読み出してその面白さに牽かれていました。

るわけだから相当勉強しないと。ところが寮生  斎藤 『資本論』を読み出したと言われますが,

活をやっているととかく遊んじゃうわけで,な   これはどういう形で。

かなか勉強できないんですよ。一人になれない   武井 それは高等学校時代に向坂訳の岩波文庫の ですから。      「資本論』第1分冊が出まして,早速これを買っ

たんです。その日たまたま第1回の奨学金を貰っ

】V 経済学部時代      てそれで真っ先に買い込んだので,非常に印象 それで教養学部からの進学志望については大分   に残っています。それで読んでみて,冒頭の労 悩みました。まず純文学についていうと,トルス   働価値説の証明の所を読んで,なんだ社会の秘 トイの『戦争と平和』を読みまして,あの冒頭が   密というのはこんな所にあるのかと (笑い)。

ある貴族のサロンでの会話から始まるんですが,   実はそれがよくなかったんですがね。あんなも これは素晴らしいと。ところが我々を取り巻く日   のじゃ本当は分からないんですがね。それは宇 本の現実は何だと。戦後の焼け跡の。こういう貧   野さんの弟子になってからの話であって。それ しい生活の中からはどう逆立ちしたって,『戦争   でやるなら経済理論だと,『資本論』だと。そ と平和』のような作品は書けないということで,   れで『資本論」をテキストにしているゼミを探 これは小説は駄目だと。文学なんていうのは結局   したところが,それをやるのは社研の遠藤湘吉 創作ですから。評論なんて二流のやることですよ。   先生のゼミだけでしたね。それ以外は,いろい 大学の文学部の先生なんていうのは挫折した文学    うとうるさい条件が付いている。感想文を書い 青年なんですよ(笑い)。       て持ってこいとかね(笑い)。僕はそういうの

(4)

が大嫌いだから。簡単に入れてくれてしかも   ブとスイージーの間で行われ,これを受けて日

『資本論』の読める所というと遠藤先生のとこ   本でも大塚史学と主として宇野さんのあたりの うしかないから,迷わずすっとそこへ入りまし   間で行われました。それでそれを選んだと思い た。後は何も予備知識無しでした。         ます。ご承知のように大塚史学は生産者が産業 この辺で当時の経済学部の教官を紹介してお   資本家になる道を重視するんですが,遠藤さん きますと[以下敬称略],大内兵衛はもう定年    は宇野さんの影響を受けて商業資本家が産業資 になっていましたが,経済原論は舞出長五郎,   本家になるというコースを重視していました。

有沢広巳の経済政策,山田盛太郎の農政学,木     4年次になるとヒルファーデイングの『金融 村健康の経済学史,大河内一男の社会政策,安    資本論』を読みました。もうこのころには遠藤 藤良雄の日本経済史,西洋経済史の高橋幸八郎,   ゼミ有数の論客になり,先生をつかまえて盛ん 財政学の武田隆夫,経営学の柳川昇,会計学の   に議論をふっかけていました。遠藤さんをつい 佐々木道雄,商業史の脇村義太郎といったとこ   に立ち往生させてね。「今日はこれまで,この ろです。講座派と労農派と大塚史学がミックス    問題は来週まで借りておく」。翌週出て来て,

になっていたのが東大の経済学部で,それがいっ   「これは実は宇野さんから教わったんだけれど,

ぺんにわっとやってきました。近経をやってい   これはこうだ」と言う。このへんのことは随筆 る人は微々たるもので,それも若い人で古谷弘   にも書きましたので省略します。

とか大石泰彦で発言権が弱い。もっともあまり

講義には出席しませんでしたが。宇野先生は社   V 大学院時代

研の教授で学部では特殊講義で恐慌論をやって  武井 親戚に出版社があり,そのコネである大手 いましたが,恐ろしく難しく,それに無愛想だ   の出版社を狙った。なんとかなりそうだという というんで途中で聴講を止めちゃった。      んで待っていたんですが,結局今年は出版不況 斎藤 ゼミ以外の場面で印象に残った講義は何か   で1名も採用しないと言われ,それなら遊んで

ありますか。      いるよりもうちへきて働かないか,そのうちに 武井 そうですね。ないんじゃないかなあ(笑い)。   移れるだろうというので,そこで働くことにし 面白くない先生はいくらでもありますが(笑い)。   ました。古今書院という地理学出版の名門で,

だから僕は学生には同情してる。講義なんても   創始者は岩波から独立する時に,地理学関係の のはつまらんと。ただテキストがありませんか   出版権を貰って暖簾分けの形で独立したわけで ら,出て来てノートするしかない。これはあま    す。

り良くないですね。      1年間そこで働いたんですが,結局どうもこ 奈倉 全ての講義がテキストがないんですか。    んなことをしていてもいかんなあということで,

武井 そりゃ舞出長五郎なんて人はありますよ。   相当顎を出しかかっていた時,高校同期の友人 毎年同じことを繰り返しやっていますから,生   であった降旗節雄君が大学院を受けたいと言い 協の教材部,これは東大出版会の前身ですが,   出し,なにか情報を知らないかと言って来た。

これが学生のノートを集めてプリントを出して   彼は信州大学を出て信濃毎日に入社しましたが,

いるんですね。従ってこれを1冊買い込めば自   回された所がサツ回りで,それで相当顎を出し,

分でノートするよりも良く書いてあるから,講   それに彼は非常にシャープな男ですから,たち 義に出なくとも試験は受けられるという訳です。   まち編集長と喧嘩して辞表をたたきつけて辞め ゼミのテキストは『資本論』第3巻の商業資   て,木曽の山林高校の先生をやっていました。

本論でした。遠藤先生はもともと大塚さんのゼ   僕は一度そこへ陣中見舞いに行ったことがある ミ出身で,当時資本主義への二つの道論争がドッ   んですが,本当の山の中で,独身者用の寮で自

(5)

炊していました。いろいろ話をしたんですが,   ら,先生ニヤッと笑って「君イ,山田さんもい 彼いわく「我々の会話は話の切れ目切れ目に   いけれども,あの人は弟子の面倒見が悪いそ」

それにつけても金の欲しさよ というオチを   と言われた(笑い)。これは,武井君はまだ非 つけるとちょうどうまくまとまる」。彼はパロ   常に幼稚だから宇野理論がどうのこうのと言っ ディというか,ああいうことがうまい男でね。   ても始まらないということで,人を見て法を説 それで僕も刺激を受けて受験勉強を始め,『資   けで(笑い),こういう言い方をされたと思い 本論』を全部読破,『剰余価値学説史』も二回    ますが。人生の曲り角で適切なアドヴァイスを くらい読破しました。それで二人共なんとか翌    してくれる先生は有り難い。学部のゼミの先生 年にはもぐりこんだのです。       というのはそういう意味で有り難い存在だと思

東大に再び戻ってきて,「これで俺も権力や   いますね。このへんは是非ここの学生諸君に聞 金力や美女の膝とも永遠におさらばか」(笑い)   かせたい(笑い)。

と思ったらなにか淋しいような,すがすがしい  館山 すると面倒見が良いか悪いかで宇野理論の ような気分(笑い)で銀杏並木の下を歩いたと   方に走ったわけですか(笑い)。

いう記憶がまだまざまざとあります。ちょっと  武井 いや,そうじゃありません。僕は面倒見な 出家した気分だね。      んてことはあまり気にしないほうですが,当時 降旗君と一緒に東大の西千葉寮に入りました    は遠藤さんには人格的に傾倒していたから,遠 が,これは戦争中の東大第二工学部の寮で,第   藤さんがそういうなら,それにしようかという ニ工学部廃止の後,東大生産技術研究所となり,   ことで「じゃあ,そうします」と言って寮に帰 この職員寮を兼ねていました。ところが寮を出    り,降旗君にその話をした。彼はたちまち非常 てから大学までは全部で1時間半はかかる。行っ   に動揺して「俺も宇野さんにしよう」(笑い)

てくるだけで大変ですから,学部学生はあまり   と言い出しました。これは宇野シューレ最大の 来ませんが,時間に暇のある大学院生が6畳1   秘話です(笑い)。

人1部屋に釣られて大挙押しかけた訳です。特   奈倉 遠藤先生はまだ大学院の指導教官じゃなかっ に経済系の院生が非常に多かった。        たんですか。

その寮の一室で指導教官の件で二人で話をし  武井 当時は教授だけしか指導教官になれなかっ た記憶があるんですが。降旗君いわく「宇野さ   た。それで理論関係だと山田さんか宇野さんを んか山田さんか,どちらかだ。宇野さんは労農   選ぶことになるわけです。それに遠藤さんは地 派だから修正主義者で,どうも思想傾向がよく   方財政だから。

ない」(笑い)というので,じゃあ二人とも山  館山 正統派じゃなくて修正主義者の方を選ぶと 田さんにしようと決めたわけです。これは当時   いうことで後ろめたさというようなものはなかっ の学部の学生の受け止め方はみなそうで,講座   たですか。

派が正統で,括弧つきでない本物の正統派で,  武井 後ろめたさはなかったけども。東大は大体 これに対して労農派は修正主義で,修正主義は   労農派が圧倒的に強い所ですからね。しかし理 良くないと,こういう受け止め方だったと思い   論的には,学生に対する影響力という点では講 ます。六全協,スターリン批判以前はそういう   座派だと思います。山田さんの『日本資本主義 雰囲気でしたね。降旗君がそう言うんだから間   分析』など非常に感激して,分からない所が良 違いない(爆笑)。       いとかね(笑い),読んだ記憶があります。労

ところが翌日社研の遠藤さんの部屋に入学の   農派の理論など殆ど読まなかった。

挨拶に行ったら「指導教官はどうする」と聞か  新田 その段階でいわゆる宇野理論はどの程度。

れ,「山田先生はいかがでしょうか」と言った  武井 学部の時に宇野さんの恐慌論の特殊講義に

(6)

出ただけで殆ど何も知らなかったです。      それで彼は生産行程という言葉を使って議論す 奈倉 宇野理論はそのころ体系的になりつつあっ   るわけです。それで大渕氏などはたちまち彼の たんですか。       ファンになってしまい,毎日彼の部屋に入り浸っ 武井 なりつつあったんですね。殆ど完成間近   ている。これが3奇人のNα2。3奇人の残り一

だったんじゃないでしょうか。      人は誰かということはちょっと差し支えがあり 斎藤 その頃宇野先生を指導教官とする大学院生    ますから(笑い)。

は何人くらいいましたか。       館山 でもそういう大学院生の寮があるというこ 武井 1期生,2期生含めて全部で10人くらいは    とは面白いですね。

いたんじゃないでしょうか。僕らと同期で金子  武井 そりゃ,旧制高校の寮とはまた違ってね。

ハルオ。正統派の大物。彼は元々学部時代から   この話をしだしたらきりがない。

宇野さんのゼミで。       修士課程で何を研究したかというと,これは 一同 え一っ,そりゃ知らなかった(笑い)。     卒論のテーマと結びつくんだけれども当時経済 武井 大学院の修士課程までは宇野さんのゼミで,   学史をやろうと思って玉野井先生に指導しても そういう意味で彼は顔役でね。しかし,彼は宇    らっていたんですが。「剰余価値学説史』を読 野さんとはうまくゆかないんですね。それで専   んだ感銘が残っていたということですね。玉野 ら横山さんに近付いていました。マスターが終   井先生に相談にゆきましたら「古典派の信用論 わった時に「ここで一旦指導教官は解散する。   をやったらどうだ。僕も今それをやっていて原 宇野ゼミは多いし,行きたい奴は他所へ行け」   稿を一つ書かにゃいけない。ちょうどいい」

ということで,彼は横山さんの所へ行きました。   (笑い)と言われました。あの先生は大変親切 奈倉 先生御自身の話に戻りましょう。        な面倒見のいい人ですが,唯一の欠陥は自分に 武井 その話に行く前に,当時の西千葉寮の寮生   興味のあることは弟子も興味を持つ筈だという に経済系の大学院生でどういう人がいたかとい   思い込みのある人なんですね(笑い)。これは う話をしましょう。間もなく同期の岩田弘君   ルソーの『エミール』を読んでみると教育者と

(後に立正大学)が入って来ました。他には1   して一番良くないと書いてある(笑い)。

期生の堀晋作(国学院)と南克己(千葉大),    それでこれも一つの浮世の義理かと思い,

それから3期生の藤村幸雄(同志社),さらに   『貨幣・信用論におけるスミスとソーントン』

山崎広明(東大社研),川上忠雄(法政),林健    というテーマで書きました。寮の1室で厳粛な 久(東大),石坂昭雄(西洋経済史,北大),毛    気持ちで朝から晩まで論文に打ち込んだ記憶が 利健三(東大社研),変わり種では農経の大渕   あります。座禅を組んでいるようなものです。

素行氏(新潟大)など多士済々でしたね。この   机に向かって朝から晩までやっていると次々ア 出身者だけで大学を作ったら恐らく日本で最高   イデアが沸いて来る。恐らく座禅というのはア の経済学部ができると思います。もっとも近経   ルファー波が出ている状態で,これが出始める はいませんが。こういう連中が24時間一緒にい    とどんどん思い付きがひらめいて来る。書いて て,飯を食っても風呂に入っても侃々誇々議論   出したらどうやら通過しました。

ばっかりやっている訳ですから,これは大変な    そこで一番ぶつかった問題は銀行券の過剰発 道場です。      行という問題です。この問題意識をドクターコー そのなかでも西千葉寮3奇人の筆頭と言われ   スへ行っても持ち続けたわけです。それで通貨 たのは岩田君で,夏なんかふんどし一つで『資   学派と銀行学派の論争など大分研究しましたし,

本論』,それも戦前の高畠訳を読んでいる訳で   岡本磐雄(東洋大)氏などと研究会を作って勉 す。これは生産過程を生産行程と訳していて,   強しました。そのうちに銀行・通貨史をやらね

(7)

ばならぬと思い,そっちにのめり込んだりしま   のが嫌いで,人が右と言えば左と言うところが した。あの頃作った経済史・通貨史・金融史の   ある。なんとかしてあの自信満々の宇野さんの ノートが大分あります。結局,それは恐慌論・   鼻をおっぼしょってやろうとあら捜しをして議 恐慌史の問題になるわけです。これは大問題で,   論をふっかけるんですが,横綱と取り的くらい プラン問題から始まり,理論から経済史の問題   の力の差がありますから,ぺしゃんこにやっつ にまで無限に広がって行く。研究がどんどん末   けられてまたということになる。ところがそう 端の方までいっちゃって,これを一体どうやっ   いう大学院生というのは珍しくて,結局宇野さ てまとめるか,前途遼遠,暗澹たる思いで過ご   んの満々たる自信に制圧されたというか,異論 したというのが率直なところです。        を唱えもしない,質問もしない。僕はそれで随 一方岩田君などは世界資本主義の内的叙述論    筆にも書きましたが,「御前会議だ。茶坊主だ」

というものすごい方法論を打ち出して,指導教   と。僕が宇野さんに質問すると,宇野さんが答 官である鈴木鴻一郎先生まで巻き込んで,どち   える前に「そんなことはナンセンスだ」と言う

らが先生でどちらが弟子か分からない状態になっ   んで「この野郎」という感じでしたね。

てしまい,どんどん売り出す。ところが,こっ    横山先生は松高の先輩で,それに人柄が大変 ちの方はそういうことばかりやっていて,非常   いい人でしょう。僕は人柄の良さという点では に焦躁感を持ちましたね。       横山さんは最高の人だと思うなあ。しかし,学 ただ後になって見るとあの時,非常に幅の広   間的にこの人のゼミに入ってという気持ちには い研究,読書をしたことが大変プラスになった   なれない。なんだかんだと言いながら,宇野シュー と思います。というのは,理論を専攻する者は   レの中にいたわけで,いろいろ問題はあっても,

何か実証分析をやらないとどうしても独善的と   これこそが本物だという意識はあったと思いま いうか観念的になってしまうと思います。     すね。

新田 当時の金融史・通貨史というと主としてど  斎藤 恐慌論でどんな所に噛みついたんですか。

のような文献を研究されましたか。        その頃いろいろあるでしょうが。

武井 主として19世紀中葉の株式銀行史だとか,  武井 一つは好況期における蓄積が構成不変で行 フィーヴァリーヤーの通貨史とか,ああいうも   われるかという問題,もう一つは好況末期に利 のです。恐慌史研究はッガン・バラノフスキー   子率が急激に上がってそれをきっかけに恐慌に しかなかったと思います。それにアプローチす   ゆくと言うんだけれども,どうして利子率が上 るにはそういうところから入って行くしかなかっ   がるということを論証できるのかという問題,

たと思います。殆ど原書なんですが。       この2つだったと思います。

斎藤 宇野さんとの大学院時代の研究面での交流

はどうでしたか。       VI茨城大学赴任と方法論の確立。『利子生み資 武井 宇野さんは僕がドクター2年の終わった時,   本の理論』

定年になり法政に移りましたから,その後は鈴  武井 茨城大学に赴任する前後についての話です 木鴻一郎氏が指導教官になりました。宇野さん   が,当時の政経学科の教授で経済地理学の国松 は僕が大学院に入った時,学位論文である「恐   久弥先生という人がいて,この人が古今書院の 慌論』が出版されたばかりで,早速それをゼミ   出版物の著者で,ある時ぶらっとやってきて社 のテキストにしてやったんですね。宇野さんと   長と応接室で世間話をしているうちに茨城大学 してはこれはライフワークですよ。ところがあ   で原論と金融論のできる若い人を東大からとろ れはなかなか特色のある本でしてね。僕は生来   うということになり,人捜しをやっているんだ でもないけれども天のじゃくで,権威というも   ということをぽろっと言った。それで「実はう

(8)

ちの親戚にこういうのがいるんですが」と言う    それでは『利子生み資本の理論」のさわりを 話になり,「一度会ってみましょう。ついては   お話ししますと,まず第1点は,貨幣論で貨幣 大東文化大学に非常勤で行っているから何曜日   の最終機能として世界貨幣の代わりに貸付け手 の何時にくるように」ということになり,早速   段機能を説き,貨幣の資本への転化を宇野理論 僕に連絡がありました。それで僕は会いに行き   のようにG−W−G →G…G →G−W・・

ました。先生いわく「君は田舎の生まれだから,   P・・W −G じゃなくてG・・G →G−W一 田舎に住むには抵抗がないだろう。今度の若い   G →G−W・・P・・W −G の順で説し・たら 人は是非水戸に住んでもらいたいと皆言ってい   どうだろうという考えが閃いた。それでその視 る」と。僕は採用して貰いたい一心で神妙に相   点で整理してみると,今まで転化理論の難点だ 槌を打っていました。そういうことであっさり   とされてきたことが皆明快に説ける。これだと 決まってしまいました。正にinformation is   思いましたね。その場合,世界貨幣は場所的規 powerだね(笑い)。      定で機能的規定ではないから貨幣の機能として こちらへきて1年目に郷里で見合いし,あっ   は説かないが,商人資本が出て来たところで,

さり結婚しました。これについてもいろいろ話   世界市場編成の能動因として説くという考えで があるんですが,本題と直接的には無関係です   す。これが貨幣取り扱い資本や恐慌論で中央銀 から省略します。       行の金準備の流出入でまた登場してきます。確 水戸での研究テーマはもう学史や恐慌史の方   かに対外関係が前提されれば恐慌論は簡単に説 はこんなに手広くはできないということで止め   けますが,それだと余りにも事実にもたれ掛かっ て,経済理論1本に絞り,最低1年に1本は書   て理論的説明が雑になるおそれもありますが,

いて来たと思います。最大の問題点は原理論と   ここではそのくらいにしましょう。

外国貿易の関係でした。恐慌論との関係で言う    第2点は,宇野さんは資金という範疇概念を と,外国貿易を入れないと恐慌論がうまく説け   使って資本の商品化と資金の商品化を区別した ない。ところがこれを入れると原理論がうまく   訳ですが,資本の商品化という場合の理解は 説けない,というジレンマで,宇野理論との狭   「株券の商品化」です。しかし,株式市場で売 間で長い間苦しんで来ました。島崎藤村は若菜   買される株券は事実上配当請求権に過ぎず,資 集の序文で「げに わがうたぞ おそき苦闘の   本の商品化とは言えない。資本の商品化の名前 告白なる」と言っていますが,本当に僕の論文   に値するのは合併・合同の場合だけじゃないか は「おそき苦闘」の記録です。最初は恐慌は結   という疑問です。しかし,塵も積もれば山とな 局段階論で説くしかないかということで,論文   るで,累積すれば乗っ取りができるわけですか も書きましたが,それだと原理論が完結しない。   ら,単に配当請求権の売買でもないわけで,一 結局到達した結論は,生物学で言う純粋培養と   定量に達して初めてそうなる。それまでは潜在 いう方法を経済学に応用すれば良いということ   的な可能1生として存在していると言うべきでしょ でした。       う。

しかし,学位論文となった『利子生み資本の    配当は株価に表される株式資本にとっては資 理論』では恐慌論は殆ど扱っていない。それは   本利子に当たるわけですが,資本利子は売買さ 論文の審査に当たるのは殆ど宇野さんの弟子だ   れていない株式資本についても資本利子だし,

からあまり刺激したくないという事もありまし   またこれが個人企業資本家にも観念的に導入さ たが,それをやらなくとも貨幣・利子・信用・   れて理念としての資本利子になるわけです。理 株式資本論で十分じゃないかなと思ったからで   念という言葉を使ったのは宇野さんで,それは す。      カント的な意味で使われています。つまり,株

(9)

式資本は理論的には展開されざるを得ないが,   子論に適用されるから両々相侯ってこれは正し 原理論の中では実在できないと言っていますが,   いと思いましたね。

これでは何のことやら分からない。それで僕は  新田 地代論は宇野派の中でも幾つかの流れに分 ヘーゲルの『論理学』を研究して理念の意味が   岐していて決着を見ていないと思いますが,日 カントとは違っているのを発見した。それで力   高・大内力理論が一番太い流れになっていて,

ントとヘーゲルを総合する形で,部分的な株式   僕なんかもそういう影響をうけて市場価値論・

資本の売買→流通しない株式資本についての擬    超過利潤の応用問題でやっちゃうという発想が 制→個人企業資本家についての擬i制→段階論で    強かったんですが,先生の場合は利潤率均等化 の全面的現実化という順で理論を組み立てたわ   機構になじまない側面が出てくる分野として信 けです。この時はやったと思いましたね。これ   用論を説いた後に説いてゆく。目次だけみると について新田さん何か意見がおありでしょう。   マルクスに戻っちゃった印象ですが,論理展開 新田 非常に難しいんでこの夏に一生懸命勉強さ   は全く違うわけですね。ここもあ・んまり受け止

せて頂きましたが,前半で貸付け手段論につい   められていないのがちょっと残念です。

て議論があったんですが,これは僕から見ると  武井 それを言ってくれる人は少ないです。利子 中堅世代に結構かなり影響を与えている印象を   論の中に地代論を入れちゃったのは僕の新発見 持っています。貨幣の資本への転化理論で金貸   のつもりで,どうしてこんなことに気がつかな

し資本をどう位置付けるかということで,先生   いのだろうという感じでしたね。

は金貸し資本を最初に持ってきますが,その方    まあ原論というのは先生も兄弟子も新米も皆 向を更に徹底させる方向で小幡道昭氏[東大]   同じテキストでやっているでしょう。だからこ とか青才さん[信大]とか,金貸し資本形式自   れはうるさいですよ。特に指導教官がある特定 体を貸付け手段の方に還元してしまう。そうい   の理論を持って自信満々の時に弟子は困るね。

う方向の口火を切ったということかなあと思っ   だって否定するようなことを書けば,先生はバ ています。      ッをくれるし,全く解説するようなことをいう 武井 そういう考えの人も一部はいるようですね。   と独創性がないというんで,そういう場合はそ 新田 僕自身は理念という言葉でカントとヘーゲ    の先生が定年になってから学位論文を書くしか ルを比較して,宇野さんがカント的,鈴木・岩   ないと思いますね(笑い)。これは全く理論の 田原理論はヘーゲル的というご指摘になるほど   特殊性だと思いますね。

なあと思いましたが,こちらの方億あまり若い  新田 僕らの先生は武井先生の後輩にあたります 人に受け止められていないのが残念です。若い   が,若いころの経験から来るのか逆に何も言っ 世代は哲学がないからかもしれませんが。また   てくれない,自由に遣らしておくので逆に困る 土地の商品化の扱いが武井先生の独自性で,あ   という傾向がでてきています。

の指摘は非常に面白いと思っていますが,これ

もあまり受けとめられていないのが残念です。  W 『世界史観の探求』

武井 土地の場合も一部の土地が売買されると売  武井 価値論研究がまだ本にまとまっていません 買されない土地も時価を持つ。地代はそれに対   が,これはこれからの仕事です。あんまり全部 して利子に当たる。さらにまだ開墾されていな   一度に片付けないほうが良い。これをやるまで い土地も将来地代を生むだろうということで値   は絶対に生き延びるぞとね(笑い)。

段がつく。これは資本利子の場合と全く同じで    それではそれは省略して「世界史観の探求』

す。僕は資本利子論の前に土地の商品化を説く   の話をしましょう。これは全部で9本の論文か んですが,土地の場合に成り立つ現象が資本利   らなっていますが,僕はこれをベートーベンに

(10)

ならって交響曲シリーズと呼んでいる。第1部   力という概念を設定して,この3力を国力とし の3本は矛盾論研究で恐慌論に関連して資本主    て国家形態との矛盾で古代からの通時的な世界 義の根本矛盾と主要矛盾の区別と関連を明確に   史が説けないかということです。

したもので,この論理が影響を及ぼす裾野は非    ここでの問題は経済力・軍事力は良いとして 常に大きい。これを応用して現代資本主義論を   も文化力という概念が成り立つかどうかという やったこともあります。       ことですが,国家総力戦という場合には思想や 第2部は「梅本克己論』に関連して書いたも   文化も入れているのだから,そんなにおかしい のです。梅本さんとは昭和39年ころ知り合った   ことはない筈だと言いたい。大体マルクスの唯 のが始まりですが,その辺は大分書いたものが   物史観の公式では科学の位置付けが不明瞭で,

あるので飛ばしましょう。梅本さんの死後,著    イデオロギーの中に入っているのかいないのか。

作集の編集委員をやったり,第三文明社の依頼    一方で科学的社会主義等というくせに,おかし で『梅本克己論』を書いた。これは材料に恵ま    な話です。これは生産過程でなにもかも説明で れていたこともあって大変評判が良かった。書    きると思っているからじゃありませんか。

評も何本も出た。それで本の販売と平行して雑    物質的基礎をいうのは良いが,それが余りに 誌にエッセンスを載せうと編集者がいうので,   も倭小化されている。僕は消費過程を重視せよ 書いたものです。       と言いたい。文化が支配階級,消費過程だけの 第3部の論文,これはソ連圏の崩壊のニュー   生活を送る階級の独占だったということの意味 スを聞いて書いたもので,この出来事はヘーゲ   を考えて見れば明瞭じゃないでしょうか。

ル歴史哲学の正当性を証明しているとしか思え   奈倉 大問題が飛び出しましたが,時間の関係で なかった。他方唯物史観の限界は前から意識し   このくらいにしましょう。お忙しいところ,ど ていて,これに代わる歴史観を模索していまし    うも有難うございました。

た。軍事力を経済力から分離させ,さらに文化

参照

関連したドキュメント

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

問題集については P28 をご参照ください。 (P28 以外は発行されておりませんので、ご了承く ださい。)

大浜先生曰く、私が初めてスマイルクラブに来たのは保育園年長の頃だ

に本格的に始まります。そして一つの転機に なるのが 1989 年の天安門事件、ベルリンの

の繰返しになるのでここでは省略する︒ 列記されている

C :はい。榎本先生、てるちゃんって実践神学を教えていたんだけど、授

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

真竹は約 120 年ごとに一斉に花を咲かせ、枯れてしまう そうです。昭和 40 年代にこの開花があり、必要な量の竹