開会のあいさつ(シンポジウム イメージと言語)
著者 岡本 喜裕
雑誌名 東西南北
巻 2001
ページ 8‑9
発行年 2001‑03‑19
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003617/
頭岡今云のあいさつ
本日は和光大学総合文化研究所の主催によります公
開シンポジウムにご参加いただきまして︑まことにあ
りがとうございます︒わたくしは︑当研究所の所長を
仰せつかっております岡本でございます︒
このシンポジウムと研究所の関係につきまして︑若
干お話しさせていただきたいと思います︒
現在︑和光大学総合文化研究所は︑︿アジア・地域
研究系﹀︑︿表象・文化研究系﹀︑︿教育・生活研究系﹀
という三つの系のもとに一六のプロジェクト・チーム
が研究活動を行なっております︒
その各系・各グループがさまざまに活動いたしまし
て︑その成果を研究所年報として公刊したり︑インタ
ーネット上に本研究所のホームページを開いて国際的 岡本喜裕 シンポジウム○イメージと言語
和光大学総合文化研究所所長/経済学部教授
にも公開しております︒
さらに︑学内外に広く呼びかけて︑講演会︑シンポ
ジウム︑フォーラムなどのイベントを開催し︑問題提
起をして活発な議論をする機会を設けるなどもしてお
ります︒
このシンポジウムもその一環として︑年に一度の大
きなイベントとして開かせていただいているものです︒
今回の﹁イメージと言語﹂というシンポジウムは︑
主催は和光大学総合文化研究所ですが︑企画は︿表
象・文化研究系﹀の﹁シンボル文化研究会﹂︑協力は
表現学部イメージ文化学科ということになっておりま
す︒つまり︑本研究所に属する一研究グループがこの
たびの企画の中心となっており︑それにあたってイメ
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−ジ文化学科の先生方にご協力を願ったと︑そういう
かたちになります︒
古 今 東 西 、 世 界 に は さ ま ざまな宗教が生まれだし、
変貌し、融合し、解体して、
地上から消え去ってゆきま した。名のみ伝わりながら 砂漠に姿を隠した宗教もあ れ ば 、 数 千 年 の 時 を 超 え て いまに生きつづける宗教も あります。一言半句も後世 に残さなかった宗教もあれ ば、壮大な教典をさまざま な 言 語 で 残 し て い る 宗 教 も あります。
しかし、宗教とは「こと ば」です。語りえないイメ ー ジ を 求 め つ づ け 、 身 も だ えするように引き出された 言語表現の集積がそこにあ
ります。
言語を絶する巨大な聖な るものと向きあったとき、
人はその体験をどのように 語りだすことができたでし ょうか。詩的に、象徴的に、
あるいは狂気にとりつかれ た 人 の 異 言 の よ う に し か 語 る こ と は で き な い で し ょ う 。 モーセもムハンマドもブッ ダも、聖なるものと向きあ い、その真実を語りだそう とするときには、大いなる 躍篭に悩まされたものです。
こ の た び の シ ン ポ ジ ウ ム では、いくつかの宗教の諸 相から、内なるイメージと 言語との闘争を考えなおし て み よ う と 思 い ま す 。 ど の ように祈りのことばが生ま れ、教典が生まれてきたの か。それを神学はどのよう に解釈してきたのか、いま もって宗教のことばは謎と して私たちの目前に立ちは だかっています。
− リ ー フ レ ッ ト よ り
和光大学には︑現在三つの学部︑八つの学科がござ
いますが︑私どもの研究所は︑そうした学部・学科の
枠を越えまして総合的なプロジェクトを組むよう努力
しております︒その成果として︑このように複合的な
企画もなしえたのだと自負しております︒今後もさま
ざまな主題をめぐって横断的な企画を公開してゆく所
存ですので︑ご注目いただきたいとお願いいたします︒
これから︑フランスから参加していただいたジャ
ンⅡノエル・ロベール先生をはじめとするお三方の問
題提起をいただくわけですが︑皆様方からのご質問︑
ご討論などを伺いまして︑実りあるシンポジウムにで
きればと願っております︒今回︑かくも多くのご参集
をいただいたことに感謝しつつ︑私の挨拶とさせてい
ただきます︒
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