地歌箏曲の研究
~八重崎検校の手付けについての考察~
山 内 隆 雄
A study of “Jiuta-Sokyoku”: The way of adding melody for Koto by Yaezaki
Takao Yamauchi
1.はじめに
2020年は、九州系地歌の開拓者である、熊本ゆか りの長谷幸輝検校の没後100年に当たり、記念行事や 演奏会が催される予定であったが、新型コロナの感 染拡大に伴い、ほとんどすべてが中止となった。
地歌は、元来江戸時代に上方地方で発生したお座 敷音楽である。もともと三味線(以下、三絃と記す)
の弾き歌いによるもので、後に箏の手付けが加わり、
さらに胡弓(後に胡弓に代わって尺八が一般的とな ったが)の手付けが加わることで一層技巧的となり、
三味線音楽としての芸術性を不動のものにした。産 み字を伴う伸び伸びとした歌と、その歌に寄り添い ながら三絃の音色の魅力を余すところなく発揮した 調和ある音楽は魅力的で、多くの聴衆を獲得してき た。
「日本芸能セミナー 箏三味線音楽 平野健次監 修 白水社」1には、次のような記述がある。
市浦検校と大阪物の箏の手付け
地歌の三味線曲に箏の手を合奏することは元禄の 頃から盛んになったが、ほとんどが、三味線の旋律 をずらさずに同時になぞって行く、いわゆるベタ付 けであった。そしてしだいに、箏の奏者の裁量で、
即興的に入れ手をしたりして楽しむようになり、19 世紀初めの文化年間になると、箏が三味線の旋律か ら離れて、よりいっそう装飾的効果を高めるように なった。その結果、箏が三味線に対して替手風にな っていったが、本来は演奏者が即興的に箏の手を付 けていたものなので、特に箏の替手の手付け者、つ まり作曲者名を明示せず、また、その旋律も一種類 に固定していなかった。それらのうちいくつかが伝
承され、しだいに固定化したものもある。
大阪の市浦検校は、わずか13歳で「オランダ万歳」
を作曲して注目を浴びたという。この曲は、城志賀 作曲の古い地歌曲「万歳」の箏の替手で、当時、オ ランダから輸入され、もてはやされていたオルゴー ルからヒントを得た新しい調弦で作曲してあること から命名された曲である。その他、大阪での替手式 の箏の手付けで固定しているものは、「雲井越後」「中 空虫の音」など、市浦の手付けのものが多い。
以上 また、同著の京風手事物の項には、
18世紀末の寛政期には、地歌の手事物がいっそう 発展したが、19世紀初めの文化文政期に至って、こ れに合わせる箏の旋律もいっそう華やかなものとな った。京都の河原崎・浦崎・八重崎などの各検校は、
既成の地歌に箏の手付けを行い、三味線の旋律とは 異なる替手式の手付けも行った。また、当時の三弦 家の松浦検校(1822没)、菊岡検校(1792?~1847)、
光崎検校(1853まで生存確定)、石川勾当らも、そう した箏の替手の付けられるような地歌の手事物の創 作に努めた。その結果、京都では三味線と箏が一対 一で重奏する演出が盛んになり、そのいずれが主奏 楽器であるか判然としなくなった。また、箏の手も 固定して伝承されるに至り、これらは、地歌三絃曲 というべきか、箏曲というべきか判然としなくなっ た。京都で成立したこれらの曲を京風手事物とか京 流手事物、あるいは京物と呼んでいる。
以上 元来、三味線音楽である地歌に箏の手を付け合奏 することは元禄の頃から行われていたことのようで あるが、ベタ付けでは面白みに欠けると感じられた
ことから、次第に演奏の場で即興的な入れ手がなさ れるようになり、そこから発展して文化年間に箏が 自立していき、独立性を持った旋律楽器として、ま たは三絃と丁々発止のやりとりを交わす中で腕の競 い合いとして用いられるようになったと考えられる。
京物は、現在いわゆる生田流箏曲として演奏され る曲目の中でも特に重要な位置を占めている。
三絃の手に箏を加えていくという作業において、
どのような音楽的意味を持って手付けがなされたの かを研究することで、「一音成仏」と言われる伝統音 楽を伝承してきた先人たちの思いに触れたいと考え、
本研究を行うこととした。
2.研究の目的
地歌の作曲そのものは江戸時代初期から行われて おり、三味線組歌などは現在でも演奏される機会は ある。しかし、現代において最も演奏や鑑賞の機会 が多いのは、京風手事物である。その中でも松浦検 校、菊岡検校、石川勾当、光﨑検校らの作曲した楽 曲は、現代の地歌の演奏会の8割以上を占めると言 っても過言ではない。地歌がこのように芸術的に高 まり、広まり、なおかつ現代まで伝承されているの は、合奏という行為の面白さを最大限に高めた八重 崎検校の功績によるところが非常に大きいと思われ る。八重崎検校の箏手付けなくしては地歌の発展、
継承はできなかったといえる。
類い希な箏の名手であったと思われる八重崎が、
どのような思いや意図で手付けをしていったのか、
また、その音楽の作り方の特徴を探るべく、本研究 を進める。
3.研究の対象
京風手事物の中でも、八重崎検校によって最も多 く手付けされたのは菊岡検校の作品である。そこで、
糸口として「夕顔」及び「楫枕」を対象として本研 究を進める。
4.研究の方法
三絃及び箏のそれぞれの譜本を同時進行で読み取 ることができるよう、極めて不完全ではあるが、便 宜上、五線譜に置き換えて比較を行い、そこから見 えてくる、楽器の特性を生かした音楽的意図につい て研究を進める。なお、三絃、箏により弾奏される 音のニュアンスを生かすため、唱歌を書き加えるこ ととした。
5.研究の実際
(1) 「夕顔」2
作詞 不詳「源氏物語」より取材 作曲 菊岡検校
三絃 二上がり 箏:平調子
音階的には三絃の一、三の糸を宮とし、二の糸を 徵とする都節である。
① 歌詞と構成 前歌
住むや誰、訪ひてや見んと、たそがれに <短い合いの手>
寄する車のおとずれも、絶えてゆかしき 中垣の、
<短い合いの手>
すきま求めて垣間見や。
<合いの手>
かざす扇にたきしめし、空だきものの ほのぼのと、
<短い合いの手>
主は、白露、光を添へて、
<手事>
後歌
いとど映えある夕顔の、
花に結びし仮寝の夢も、
<短い合いの手>
覚めて身にしむ夜半の風。
② 物語の概説
17歳の頃、源氏は六条御息所のもとへお忍び歩き をしていた。その途中、五条のあたりで夕顔が垣根 に美しく咲いた賤家を見つける。源氏は垣根越しに
ふと見た女に心が惹かれるようになり、御息所の方 へはご無沙汰がちになる。夏の名月の夜、源氏はこ の女と契りを結ぶ。すると、忽然と物の怪が現れ、
源氏に向かって、「あなたは、愛すべき方があるのに、
その方を訪れないでこんな取り柄のない女をご寵愛 なさるとは心得違いではありませんか」と責め立て る。源氏の傍らで休んでいた女は急に震えだし、気 を失って死んでしまう、というものである。
この歌の歌詞そのものは物語を語っていないが、
後歌にわずかに物語の断片が歌われる。つまり、こ の物語を知っていることが前提となっていると思わ れる。先人の教養の高さが窺い知れる。とはいえ、
その時代には、今ほど読み物の数もなかったことで はあるが。
③ 箏の動きの特徴
ア 前歌はほとんど三絃の旋律をなぞっている。
いわゆるベタ付けである。(楽譜1)
イ 「寄する車の訪れも」の前に一時的な下属調 への転調がある。これは、下属調に転調するこ とによって艶っぽさを表出するねらいが感じら れるが、箏はしっかり寄り添っていく。(楽譜2)
ウ 「すきま求めて」からは、好奇心を表出する ためか、属調への転調が見られる。箏は三絃の 間延びした音の隙間に入り込むように挿入され る。(楽譜3)
エ 手事部分は、いよいよ作曲者の本領が発揮さ れる。八重崎の面目躍如といったところである。
出だしから箏先行の追いかけが始まる。
(楽譜4)
この後、問答的な部分を経て斉奏に向かう所 などは絶妙な仕掛けである。(楽譜5)
逆に、三絃を先行させた追いかけも仕組まれ る。(楽譜6)
オ 後歌は、手事の終わりの
A
音の連続を継承す る形で伸びやかな歌で始まる。(楽譜7)箏は、素直に三絃に従い、オクターブ下で輪 郭を作る。無駄な動きを一切しないところは、
手事の雰囲気から落ち着きを取り戻すという役 割が見えるようである。
(2) 「楫枕」3
作詞 橘遅日庵 作曲 菊岡検校
三絃:本調子 箏:半雲井
音階的には、三絃の二の糸を宮、一、三の糸を角 とする都節である。
① 歌詞と構成 ア 前歌
空艪押す 水の煙のひとかたに なびきもやらぬ 川竹の
浮き節繁き 繁き浮き寝の泊まり舟 <合いの手>
寄る寄る身にぞ思い知る 浪か涙か苫もる露か 濡れにぞ濡れし我が袖の 絞る思いをおし包み 流れ渡りに浮かれて暮らす 心づくしの楫枕
<短いマクラ>
イ 手事 二段
手事は初段が大間拍子で64拍子、二段は小間拍子 となっており、2倍の速度で進むという、凝った設 定となっている。
ウ 後歌
差して行方の遠くとも <短い合いの手>
つひに寄る辺は岸の上の 松の根堅き契をば せめて頼まん頼むは君に <短い合いの手>
心許して君が手に <短い合いの手>
繋ぎ止めてよ 千代万代も
② 歌詞の概説
遊女のせつなく、はかない身の上と、身請けの日 を心待ちにする心情を描いている。舟の上での遊女 の生活と運命に流される身の上とを重ね合わせたも ので、「浮き節」と「憂き節」や「寄る」と「夜」な ど、掛詞が出てくるのも特徴的である。
③ 箏の動き ア 前歌
極めて厳かにゆっくりと開始する歌い出しは、あ たかも舟が滑るように岸を離れていくようである。
菊岡の描写力が際立つ部分と言える。
三絃と箏は、歌の旋律を導くように、ぴったりと 寄り添う。適切なコロリンの挿入によって、次に来 るユニゾンの「トン」で奏者が息を合わせられるよ うに付けられている。(楽譜8)
「なびきもやらぬ」の部分で、箏が三絃より早く 音を取る部分が見られる。これにより、歌、箏、三 絃が1拍ずつずれることとなり、緊張感を生み出す 効果がある。(楽譜9)
イ 手事
手事は初段が大間拍子で64拍子、二段は小間拍子 で128拍となっており、二段は2倍の速度で進むとい う、凝った設定となっている。この設定のために、
しばしば、一人が初段→二段と演奏し、もう一人が 二段
→
初段と同時に演奏する「段返し」という演奏 が試みられ、地歌の面白さに関する大きな特徴のひ とつとなっている。出だしは、ほぼユニゾンだが、サラリン(裏連)
を挿入するなど、箏らしい可憐さを感じさせる。
(楽譜10)
三絃のフレーズを箏が模倣して追っていくような 部分もあって、合奏に緊張感を与え、さらに面白く している。(楽譜11)
三絃は高い音域を使い、高い技巧を示すが、箏は 全く違う動きを辿り、まるで、あたかも箏が主体で あるかのようにさえ見える。(楽譜12)
二段には興味深い箇所がある。それは三絃で提示 される次のフレーズ (楽譜13)
これと同じフレーズが、しばらくして長2度上で 提示されるのである。しかも、箏は、それぞれが違 うパターンで応えている。(楽譜14)
こういった、いわゆる「音の遊び」は菊岡の仕掛 けであろうが、八重崎は全く別の手法で手付けを行 っている。互いの技が光る場面である。また、二段 は、通常であれば以下のように表される(楽譜15)
しかし、二段が小間拍子となっているため、実際 上は以下のようになる。(楽譜16)
したがって、段合わせを行う場合、(楽譜17)
となり、初段に比べ、二段は技術の見せ所として、
格段に手数が多いことがわかる。
ウ 後歌
後歌は、三絃が二上がり、箏は九を1音上げ、八 を半音下げた平調子となる。これにより、三絃の一、
三の糸が宮音となり、優雅な雰囲気を醸し出す。こ ういった調子替えは中伝以上の曲では頻繁に行われ る。
この部分は、三絃と箏はほぼユニゾンを辿る。
(楽譜18)
これは、切々とした歌の旋律を聴かせたいための 配慮と言える。また、歌と短い合いの手が交互に現 れるため、合いの手では楽器の特性を生かし、歌と 楽器とがそれぞれの邪魔をせず、聴く者によく伝わ る工夫とも考えられる。
合いの手で一時的に転調を試みて元の調へ戻る箇 所が何カ所か見られるが、あたかも、俗世間に戻ろ うとして戻れない遊女の身の上を暗示しているかの ようである。
「つなぎ止めてよ 千代よろずよも」と、歌はは かない望みを託しつつ、しめやかに閉じられる。
6 考察
(1) 京風手事物全盛の時代の群像
八重崎検校と、箏手付けの対象となった楽曲の作 曲者が活躍した時代の生没年は以下の通りである。4
1789 寛政 1802 享和 1804 文化 1818 文政 1822 松浦 1830 天保
1844 弘化 石川 1847
1848 嘉永 菊岡 1849八重崎
1854 安政 1853 光崎
(2) 八重崎の箏手付けした作曲家の主要作品5 ①八橋検校 「みだれ」替手
「八段の調」替手 ②峰崎勾当 「越後獅子」
③松浦検校 「宇治巡り」「四季の眺め」
「四つの民」「玉の台」
「若菜」「新浮舟」
④菊岡検校 「茶湯音頭」「園の秋」
「舟の夢」「笹の露」
「竹生島」「梅の宿」
「夕顔」「御山獅子」
「楫枕」「今小町」「磯千鳥」
⑤石川勾当 「新青柳」「八重衣」
⑥光崎検校 「七小町」「三津山」
以上は、筆者の手元にある演奏会プログラム等か ら可能な限り集めたものだが、この他にも多数の作 品があるはずである。
上記の資料から、当時、八重崎は各検校から引っ 張りだこであったことが計り知れる。それは、八重 崎の地歌三絃に対する深い造詣と、歌詞の表す情景 や情緒に対する細かな描写力、それに、箏を手付け することによって得られる合奏の面白さと、生み出 される緊張感とが卓越したものであったからに相違 ない。従って、当道会の中でも評判が評判を呼び、
八重崎が手付けした、ということが地歌作曲家とし ての一種のステイタスともなったということである。
さらに驚くべきことは、これら地歌箏曲の名曲が、
当道会、いわゆる目の不自由な演奏者の集団によっ てほとんど暗譜と口伝で伝えられてきたということ であろう。
(3) 地歌における調性
① 本調子によって得られる基本音階 上行
下行
箏の雲井調子 「大内山」など
箏の半雲井調子 「楫枕」「笹の露」など
箏の片雲井調子 「御山獅子」など
② 二上がりによって得られる基本音階 上行
下行
箏の平調子 「夕顔」「若菜」など
③ 二上がり一メリ 上行
下行
箏の平調子 「磯千鳥」「桜川」など
④ 三下がりによって得られる基本音階 上行
下行
箏の低平調子 「黒髪」「こんかい」など
この他にも多様な調弦法で三絃と箏とが一体とな り、音楽を作っている。さらに途中からの数度にわ たる調子替えもあり、演奏の工夫によって三曲の世 界は色彩豊かにくり広がられていく。
(4) 地歌の現状と展望
現在、地歌、それも古典を中心として活動してい る演奏家は数少ない。伝統の継承は喫緊の課題とな っている。もちろん若い人で三味線や箏を演奏する 人は多い。しかし、そのほとんどは新曲、現代音楽 である。
本来、一音一音の余韻の味わいの中に日本の音楽 の神髄はあったのではないか。今回、三絃、箏の楽 譜を五線に起こしたことで、改めて音を譜に書き記 すことの難しさや限界を感じた。と同時に、「チン、
リン、トン、シャン」などの唱歌による表記の仕方
は何と生き生きと音を伝えていることかと感嘆した。
だが、本当は唱歌でも伝えきれないことが多いの である。師匠と弟子が向かい合い、一対一で真剣に、
楽譜を目で追うのではなく、鋭敏な耳を通して音を 聴き合い、伝承していく。ここにこそ我が国の伝統 音楽本来の姿がある。
筆者は地歌尺八を学んでずいぶん長い時間が経過 したが、最近ようやく糸の音に対して後に手付けさ れた尺八がどう反応し、糸に寄り添うべきかがほん の少し理解できるようになった。
この道はまだまだ遠くて長いが、先人が戦争や災 害の中にあっても必死の思いで守り続け、伝えてき た芸を、わずかでも汲み取り、伝えていけるよう研 鑽を重ねたい。
今回の研究では、菊岡検校の作品に手付けしたも のの一部を取り上げたが、曲中に様々な仕掛けを施 すことを得意とした松浦検校、とりわけ四ツ物の中 に入っている「宇治巡り」、「四季の眺め」等につい て、また、弟子であった光崎検校の曲についても、
どんな手付けがなされているのかについて研究を進 めたい。
参考文献
1 「日本芸能セミナー 箏三味線音楽」
平野健次監修 白水社」2002第8刷 2 邦楽社発行 三絃楽譜 夕顔
平成18年 46版 生田流箏曲 夕顔
2018 3版 3 邦楽社発行 三絃楽譜 楫枕
平成15年 37版 生田流箏曲 楫枕
2019年 3版 4 「よくわかる箏曲地歌の基礎知識」
当道音楽会編 久保田敏子 著 2013年 第10刷
5 各種地歌箏曲演奏会の楽曲紹介から