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中古早期の新兼語式について New Pivotal Construction in Early Middle Chinese

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(1)

中古早期の新兼語式について

New Pivotal Construction in Early Middle Chinese

髙 柳 浩 平

本稿では,上古期から中古早期にかけて発展して広く用いられた「V1+

O

+V2/A」形式を論じた。まず,V2/Aを結果補語と見なして隔開式の動補構 造と捉える説について,動補構造の定義,V2/Aの独立性,使動用法の衰退と いう三点から批判的に検討した。そして,同形式を従来の兼語式の型を借り て発展した新たな文法形式である新兼語式と捉えて,2種類の形成ルートがあ ったことを提起した。即ち,V2/Aが自他に両用される動詞であった場合の

「語彙交代説」と,V2/Aが典型的な自動詞或いは形容詞であった場合の「複 文縮約説」である。更に,新兼語式の使役の読みは,V1とV2/Aが因果関係 を持っていたことに加えて,従来の兼語式中の「使」が担っていた使役性

(CAUSE)が影響したことによって表出されていたと主張した。最後に,従来 の先行研究に不足していた中古早期の新兼語式の出現状況の調査の端緒とし て,説話集『百喩経』を網羅的に調査することで,新兼語式がどのように用 いられ,形式内部の語にどのような特徴があったのかを明らかにした。

キーワード

中古漢語,新兼語式,隔開式,使動用法,「使」,「令」

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.は じ め に

現代漢語の使成式は,下例(1)(2)の如く複合形式の動詞フレーズ中 で原因動作と結果を同時に表すことが出来る重要な文法形式であり,当該 言語の表現の多彩さを支えている。

(1)我洗净了一件衣服。

(2)

(私は一着の服を洗って綺麗にした。)

(2)我打死了他。

(私は彼を打ち殺した。)

しかし,同形式の萌芽期まで遡ると,使成式という術語を命名した王力

(1958:406)によれば,原因動作を表す語と結果を表す語の複合度が現代 ほどに十分でなかった中古期1)には,下例(3)(4)の如く,二語の間に 目的語が割り込む文法形式が出現していたという。

(3)检书烧烛短,看剑引杯长。(杜甫『夜宴左氏莊』)2)

(本を読み蠟燭は燃えて短くなり,剣を見て杯を引き寄せることも長く なる。)

(4)长绳百尺拽碑倒,麤沙大石相磨治。(李商隐『韩碑』)

(百尺の長縄で石碑を引き倒し,磨き砂と

[石碑の]

大石は互いに摩滅す る。)

この種の用例について王力(1958:406 407)は「使成式既然是两个词的 组合,这两个词就有可能被别的词隔开。……这种情况之所以产生,可能是 因为在使成式发展的前一段动词和补语的关系还不是很密切的,……至少从 宋代以后,使成式中的动词和补语已经结合得很密切了。(使成式は二つの語 の組み合わせである以上,この二語は別の語によって分離される可能性があった。

……このような状況が生じたのは,恐らく使成式発展の前段階の動詞と補語の関 係がまだ緊密でなかったためである,……少なくとも宋代以後,使成式中の動詞 と補語は既に緊密に結合していた。)」と説明している。

つまり,宋代以前は使成式中の動詞と補語の複合度が十分ではなく,そ の間に目的語が割り込む形式も出現していたが,以後,複合化して一つの

(3)

文法単位となったと言うのである。この王力1958説は,太田(1958:207

209)

,志村(1974:10 11),石毓智・李讷(2001:392 396)をはじめ,使成 式を通時的に研究する学者に根強く支持されてきた。

本稿で論の中心に扱うのは,まさにこの原因動作を表す語とその結果を 表す語の間に目的語が置かれた「V1+

O

V2/A」形式である。同形式は,

中古早期には相当の生産性を持って用いられたとされる(梁银峰

2006:

139)

が,なぜ生じて,如何なる形成過程を経たのかということを体系的 に論じた先行研究は少ない。更に,中古早期の同形式を定量的に調査した 研究もほとんど見られない。以上を踏まえても,中古早期における「V1

O

V2/A」形式は,未だ十分に文法的位置付けがなされていない形式

であると言えよう。

そこで本稿では,まず,「V1+

O

V2/A」形式を巡る二大説である隔

開式動補構造説(動詞と補語が目的語によって隔たれた特殊な動補構造と見る 説)と,新兼語式説(従来の兼語式から発展した文法形式と見る説)を概括す る3)。続けて,本稿では新兼語式説を支持して,中古早期の同形式中の

V2/A

を補語とは捉えずに,独立性の強い動詞(或いは形容詞)と見るが,

その根拠を述べながら隔開式説の不備を指摘して論じる。更に,新兼語式 が上古期に如何に形成されたのか,その過程について「複文縮約説」と

「語彙交代説」の2種類の形成ルートがあったとする自説を提起する。最 後に,先行研究に不足する中古早期における同形式の出現状況の調査の端 緒として,実際に中古早期の『百喩経』(約

19000字)

を網羅的に調べ,そ の様相を確かめるとともに,特殊な新兼語式(有標型新兼語式)について も触れる。

1

.隔開式動補構造説

梅祖麟(1991:119,128 129)は,冒頭の王力1958を踏まえて,動詞と

(4)

補語が複合している文法形式のみを「使成式」と捉え直したうえで,動詞 と補語が目的語によって隔たれた形式を「“隔开式”动补结构(“隔開式”動 補構造)」と名付けた4)。更に,上古期に使動用法5)を持ち合わせていた

「折」を例に挙げて,北魏の成立である『賢愚経』中の同節に現れた下例

(5)(6)を示し,例(5)では「折」が自動詞と判断できることから,「打 汝前两齿折」を隔開式と見なしており,同時に例(6)中の「折」も例(5)

における用法の「感染(梅祖麟

1991:129)

」によって自動詞へ転化したと 判断できるため,「打折其脚」は使成式へと変化していたとする。更に,

『賢愚経』と同時期の他文献中にも同様の例が散見されるため,隔開式と 使成式の成立年代を5世紀頃(魏晋南北朝期)と定めている。

(5)今当打汝前两齿折。(『贤愚经・巻十一』)

(今まさにお前の両前歯を打ち折るべし。)

(6)汝何以辄打折其脚。(『贤愚经・巻十一』)

(お前はどうしてその脚を打ち折ったのか。)

以降,隔開式説を採る学者は同説に倣い,専ら使成式の成立(「V1+

V2

+O」形式中の

V2

の自動詞化)を判断できる重要な証拠として,中古早期に 隔開式の存在を認めている。

一方,周迟明(1958:209)や石毓智,李纳(2001:63)は,『左伝』中に 現れた下例(7)などを挙げて,先秦には既に隔開式の動補構造が生じて いたと説く6)

(7)城射之殪。(『左传・昭公二十一年』)

(子城が華豹を射て死なせた。)

(5)

しかし,蒋绍愚(2003:379 380)は,例(7)の後に続く「又射之死。」

という表現を例に,これを「又射之,死。(再び之〔張匃〕を射て,[張匃は

]

死んだ)」と区切らずに解釈すると,「又」の意味は「死」までかかること になり,同一人物(張匃)が二度死ぬことになって文意が成り立たなくな ると指摘し,例(7)も「城射之,殪。(子城が華豹を射て,[華豹は]死ん だ。)」と区切って解釈すべきと反論する。更に,『左伝』中に出現する,

後節の主語が省略された「射之,()

V」形式の16

例全てを,同様に区切 って単なる複文と解釈すべきであるとも指摘する。この解釈を援用して,

先秦には単文中で原因動作と結果を同時に表現する文法手段は無く,隔開 式は存在しなかったとまとめている。洪波(2003:332 333)も,『左伝』

中の調査結果から同様の見解を述べている。

その蒋绍愚(2003:379 380)は,上古期に自他両用されていた動詞「破」

を用いた下例(8)(9)(10)を挙げながら,隔開式の形成過程を次の如く 論じている。

(8)燕攻齐,齐破。(『战国策・秦策』)

(燕は斉を攻めて,斉は破られた。)

(9)皆叩头,叩头且破。(『史记・滑稽立传』)

(皆が叩頭して,更に叩頭して頭が割れた。)

(10)以梨打头破喩(『百喻经・以梨打头破喩』)

(梨で頭を叩き割る,たとえ話。)

先秦には動作義が強く使動用法が優位であった「破」に,漢代頃に自動 詞化が生じて,使動用法を退化させ状態義を強めていくことで,徐々に自 動詞文中に用いられるようになり,上例(8)の如く因果関係を持つ複文 の後節に用いられるようになった。すると「V1+

N,N

+破」形式の

V1

(6)

が原因動作,

V2

(破)がその結果を表すというように役割の分化が生じて,

例(9)の如く重複する後節の

N

が省略されるようになった。中古早期に 至って「破」はV1を意味的に補足する結果補語(C)へと「重新分析(再 分析)蒋绍愚(2003:388)」されて,例(10)の如く隔開式を形成したと する。その形成ルートを以下に示す。

因果関係を持つ複文   後節の主語省略     隔開式動補構造

“V1+

N,N+ V2” → “V1+ N,(N

+)V2” → “V1+

N

V2(C)”

一方,隔開式が異なる形成ルートを経たと主張する学者もいる。施春宏

(2004:526 529)によれば,上古期に出現した連動文(V1+V2+O)中にお いてV2が系統的に自動詞化した際,V1と

V2が共に受事(O)を指すとい

う意味関係にも変化が生じ,Oは

V1の受事となり,同時に V2の当事とな

った。この時,文法配置にも相応の変化が起きて,二択の分岐先が現れ た。一つは従来の語順を保持した「V1+

V2(C)+ O」形式,一つは「O

V1の受事の位置に置かれ,O

V2の当事の位置に置かれる」という漢

語の基本的要求を満たした「V1+

O

V2(C)」形式である。その結果,

中古早期には使成式と隔開式が大量に出現して,競争関係にあったとまと めている。図示すれば以下のようになるだろう。

連動文 隔開式動補構造

V1+ V2+ O

→ V1+

O

V2(C)

杨荣祥(2005:56 58)も同様の見解を示しているが,上古期に連動文と いう文法形式が出現したこと自体を隔開式の淵源と見なしている点が,蒋 绍愚

2003

と大きく異なる。

(7)

また,胡敕瑞(2005:216 222)によれば,隔開式のV2/Aに注目すると,

「破」の如く自他両用された後に使動用法が衰退した動詞(破,坏,折,灭 など,以降「破類」と呼ぶ)ばかりが用いられたわけではなく,下例(11)

の如く,先秦から一貫して状態義が強く目的語を伴わなかった典型的な自 動詞や形容詞(熟,沸,死,燥など,以降「熟類」と呼ぶ)も有り得たとする。

その形成ルートについては,複文が縮約したとする蒋绍愚

2003

と同様の 見解を採っているが,まず状態義を強めた「破類」をV2/Aに用いた隔開 式が中古早期に成立し,類推によって,後に「熟類」を

V2/A

に用いた同 形式が成立したと主張する。

(11)炊一石豆熟。(『齐民要术・作豉法』)

(一石の豆を炊いて煮えさせた。)

隔開式説をまとめると,同説を採る学者の中にも諸説あるにせよ,中古 早期の「V1+

O

V2/A」形式のV2/A

を補語と見なしていることに変わ りはない。現代漢語と同様の文法観から,V1を後方から補足説明する成 分を補語と捉えて考察しているのである。更に,複文が縮約することにな った要因を,V2/Aが自動詞へと変化したことに求めている点にも留意さ れたい。本稿では深く立ち入らないが,隔開式の成立,つまり

V2/A

の自 動詞化が確認できることから,同語を用いた使成式の成立も証明すること が出来ると主張する点も一致している。果たしてこれらの主張が正しいの か,第

3章にて検証する。

2

.新兼語式説

「V1+

O+ V2/A」形式中のO

は,V1の受事且つV2/Aの当事であるとい う兼語的な意味関係にあることを考慮したうえで,同形式を従来の兼語

(8)

7)から直接発展した新たな文法形式である「新兼語式」と呼び考察し た先行研究もある。本稿では,中古早期の「V1+

O

V2/A」形式につい

て,これを隔開式の動補構造とする立場はとらず,新兼語式説を支持す る。これ以降,本稿では「V1+

O

V2/A」形式を新兼語式と呼ぶことに

留意されたい。

宋绍年(1994:42 43)は,上古期の主な使役用法である使動用法と兼語 式に不足していた,結果に至らしめる「手段」を単文中で同時に表現する ために,従来の兼語式が発展することとなったとしたうえで,「在上古中 期,兼语式起了变化,第一个动词不再仅仅限于“使,令”一类较抽象的动 词,而可以是一般的动作动词了。(上古中期 ,兼語式に変化が起き,第一動詞 が“使,令”類のやや抽象的な動詞のみに限られなくなり,一般的な動作動詞でも 良いこととなった。)宋绍年(1994:43)」8)と説く。更に,下例(12)の如く 従来の兼語式中の使役動詞「使」が,例(13)の「止」に見られる一般動 詞に取って替えられたことで「新兼语式(新兼語式)」を形成したが,魏晋 南北朝期に至って,例(14)の如く新兼語式が生産的に用いられるように なり,その出現頻度は高かったとまとめている。

(12)子使漆雕开仕。(『论语・公治长』)

(孔子は漆雕开を仕えさせようとした。)

(13)止子路宿。(『论语・微子』)

(子路を呼び止めて泊まらせた。)

(14)今当打汝前两齿折。(『贤愚经・巻十一』)

(今まさにお前の両前歯を打って折るべし。)

杜纯梓

2004,宋

亚云

2009a,

孙书杰

2015

も,これと同様の見解を示して いる。以下,宋绍年

1994

の主張する語彙交代による新兼語式の形成ルー

(9)

トを図示しておく。

兼語式           新兼語式

使

/

令+

O

V2+(O) → V1(一般動詞)

O+ V2/A

また,新兼語式には別の形成ルートの存在が指摘されている。梁银峰

(2006:72 73)は,宋绍年

1994説に同意したうえで,下例(15)の如く二

つの事象が時間上前後して生じ,且つ因果の関係にあった複文から,前節 の目的語(麦)と後節の主語(麦)が重複するために抽象化されて一語に 固定化された結果,新兼語式を形成したと説く。

(15)煮麦,麦熟,以汁洒之。(『五十二病方・疽病』)

(麦を煮て,麦が煮上がったら,汁をこれに注ぐ。)

梁银峰

2006

による形成ルートを以下に図示しておくが,一見すると,

1章にて述べた蒋

绍愚

2003

説と全く同様のように思える。しかし,梁银 峰

2006は,隔開式説の如く「V2/A

の自動詞化が二つの節の縮約を促した」

とは考えず,単に両節に因果関係があったために重複するNの省略が誘導 されたとしている点と,漢語の「时间顺序原则9)(時間順序原則:原因は結 果に前置されて施事は受事に前置される)梁银峰(2006:73)」に従って新兼語 式が形成されたと説明している点が異なっており,主張には違いがあると 言えるだろう。

因果関係を持つ複文    後節の主語省略       新兼語式

V1+O, S+V2/A

(O=S) → V1+O,(S)+V2/A(O=S) → V1+O+V2/A

(10)

更に,梁银峰

2006は,定量的な文献調査を交えながら,以下の如く時

代を区分したうえで,新兼語式が如何に形成されたかを通時的に論じてい る。

先秦:13部の文献10)を調査すると,既に新兼語式のV1には

26

種類の 一般動詞(被,抟,鸩,击,诘,出,煮,噬,刮,禁,驱,却,除,胹,局,分,

熏,燔,举,执,除,戮,称,任,包,黥)が現れていたことから,これを従 来の兼語式からの発展と見なせるとしながらも,一般動詞が新兼語式中の

V1に現れる頻度自体は低かったとする。また,V2/A

についても,下例

(16)の如く自動詞(或いは形容詞)が置かれる例も存在したが,例(17)

の如く動作性の強い他動詞も置かれていたとされる。故に,既に先秦に新 兼語式は存在したが,未発達の段階にあったと述べるに留めている(梁银 峰2006:66 71)。

(16)邾子执玉高,其容仰。(『左传・定公十五年』)

(邾子は宝玉を高く掲げ,その顔を仰向けた。)

(17)抟气至柔,能婴儿乎?(『马王堆帛书・老子乙本』)

(精気を集中させて柔軟にすれば,赤子のようになれるのか?)

漢代:13部の文献11)を調査すると,新兼語式中の

V1に置かれた一般動

詞は先秦より

18

種も多い(引,立,涌,杀,吹,用,砍,啮,煎,射,食,卖, 教,叩,沐,辟,逐,齧)ことから,「从其发展趋势来看,几乎所有的动词 均可自由进入这个句法槽(その発展の趨勢から見れば,ほぼ全ての動詞が等し く自由にこの文法形式の枠に入ることが出来た)梁银峰(2006:111)」として,

同形式の更なる発展を認める一方で,V2/Aには下例(18)の如く自動詞

(或いは形容詞)が置かれる例もあれば,依然として例(19)の如く動作性 のやや強い語も用いられていたと説明する(梁银峰

2006:108 112)

(11)

(18)五者不得持热汤浇火灭。(『大比丘三千威仪』)

(五つ目に,熱い湯を注いで火を消すことはしてはならない。)

(19)秋七月,地震,往往涌泉出。(『汉书・武帝纪』)

(秋七月,地震があり,いたるところで泉が湧き吹き出てきた。)

魏晋南北朝期:新兼語式中の

V2/A

には,下例(20)の如く状態性の強 い自動詞が多く入り生産性を増したことで,一層その表現能力は強くなっ たと説く(梁银峰

2006:139 146)

(20) 譬如野干,在于树下,风吹枝折,堕其脊上。(『百喻经・野干为折 树枝所打喻』)

(例えば野干が,木の下にいて,風が枝を吹き折ると,背中に落ちてき た。)

新兼語式説をまとめると,いずれも同形式を従来の兼語式から発展した 文法形式と捉えており,V2/Aを結果補語とは捉えずとも解釈できること を十分に示している。しかし,梁银峰

2006

は上古期の新兼語式について 文献調査を行っているものの,中古早期の新兼語式については定量的な調 査結果を示していない。其他の先行研究を見渡しても,同時期の新兼語式 を文献調査した論はほとんど見当たらないことから,第

5

章にて調査を試 みる。

3

.隔開式説の問題点

中古早期の「V1+

O+ V2/A」形式の V2/A

を結果補語と見る隔開式説 は,今日,同分野において最も一般的な認識であると言ってよい。本章で は,同説を批判的に検討することで,少なくとも中古早期の「V1+

O

(12)

V2/A」形式は兼語式の発展形

(新兼語式)と見るべきであり,形成初期の

「特殊な」動補構造などとは捉えるべきではないと主張する。

3.1  結果補語の定義から見る隔開式

今日に通じる「補語」という概念を,最も早く提唱したとされる丁声树

(1961:11 12)は,当時のアメリカの構造主義的な考察(形式に依拠した分 析)を漢語研究に導入し,動詞や形容詞を後方から補足説明する語を「补 语(補語)」と定義したうえで,とりわけ結果義を表す補語(結果補語)に ついて,下例(21)などを挙げながら「例句里的补语都是紧接在动词形容 词后头的。(例文中の補語は皆動詞と形容詞の後部に密着して付いている。)」と 説く12)

(21)你把屋子打扫干净。

(あなたは部屋を掃除して綺麗にしなさい。)

つまり,動詞直後に「密着して」置かれる語のみを結果補語と見なして いるのである。更に「动词带补语叫动补结构(動詞が補語を伴うものを動補 構造と呼ぶ)丁声树(1961:11)」と述べ,動詞と結果補語の連続を初めて 明確に「结构(構造)」と呼んだ。現代漢語において,それらが複合され て用いられることを認めているのである。

丁声树

1961説が提唱されて以降,結果補語は現代漢語研究において普

遍的な概念となっただけでなく,王力

1958

13)や梅祖麟

1991

の如く,上・

中古期にまで補語という概念が持ち込まれ,結果補語を用いた動補構造は いつ頃に生じたのかということが盛んに研究されてきた。このような状況 について刘丹青(2005:39)は「后来“补语”的范围愈益扩大,以致古代汉 语语法体系也最终采纳了补语之说,将谓词后一切不归宾语的成分归为“补

(13)

语”。(後に補語の範囲はますます拡大し,古代漢語の文法体系まで最終的に補語 という説を採用し,述語後方の全ての目的語へ帰さぬ成分を“補語”へ帰した。)」 と述べ,古代漢語においては現代漢語中の結果補語に相当する文法成分は 存在せず,そもそも補語という概念を持ち込んでその文法体系を論じるべ きではないと批判している。

杜纯梓(2004:211 212)も,中古早期の隔開式について「动补结构作为 两个成分组合而成的短语,是没有隔开式与紧密式之分的。确切的说,动补 结构中间插入了别的成分,就不成其动补结构了。(動補構造は二つの成分が 組み合わさって構成されたフレーズであり,隔開式と緊密式〔訳者注:使成式の こと〕という区別はない。正確に言えば,動補構造の中間に別の成分が挿入され ると,動補構造は成立しないことになる。)」と指摘している。杜纯梓

2004の

指摘は,動補構造の本質を言い当てているように思える。

改めて述べれば,中古早期の「V1+

O

V2/A」形式中のV2/A

を結果 補語と見た場合,それは目的語によってV1と隔てられており,V1に「密 着」していない。丁声树

1961

が動詞と結果補語の連続を「结构(構造)」 と呼び,それらが複合化していることを示した原則にも,隔開式の動補構 造は全く不適である。上述した刘丹青

2005が指摘しているように,現代

とは異なる文法体系を持つ上・中古期に,安易に補語という概念を持ち込 んで解釈してしまうことは,当時の漢語の姿そのものを乱しかねないので はないか。

3.2 「V1+ O

+V2/A」形式の

V2/A

の独立性

隔開式説を採る蒋绍愚(2003:382 387)は,「V1+

O

V2/A」形式中の

V2/A

が,中古早期に至り再分析されて結果補語となっていたために,同 語の直前に如何なる副詞的成分も挿入することは不可能であったと主張す る。しかし,実際に文献を確認すると,副詞的成分がV2/Aの直前に置か

(14)

れる例は,上古期から中古早期に至るまで,幅広く散見される。下例(22)

は先秦,例(23)は漢代,例(24)は中古早期の例である。

(22)吾九上九下,击人尽殪。(『国语・晋语九』)

(私は

[車に ]乗ったり降りたりして,人を攻撃して尽く倒した。)

(23)冬,大风吹长安城东门屋瓦且尽。(『汉书・平帝纪』)

(冬,大風が長安城の東門の屋根瓦に吹いて〔屋根瓦は〕なくなった。)

(24)时金热故,烧绵都尽。(『百喻经・估客偷金喻』)

(その時金が熱かったので,綿を全て燃やし尽くしてしまった。)

上例の存在は,先秦に「V1+

O

V2/A」形式が出現してから中古早期

に至るまで,V2/Aが一貫して独立した動詞であり続けたことの証左とな る。隔開式説のように,V2/Aを

V1

の補語成分(C)と捉えて論を展開す る場合,「V2/Aが

V1を意味的に補足する」という二語の結合度が形式の

成立基準として重要になるが,新兼語式説は,V2/Aの直前に副詞的成分 が挿入されない形式を「典型的新兼语式(梁银峰

2006:139)

」としながら も,むしろ,一貫して兼語式の如くV2/Aを独立可能な動詞(或いは形容詞)

と捉え続けているのである。

3.3 使動用法の衰退

隔開式説を採る梅祖麟(1991:382),蒋绍愚(2003:379 387)などは,上 古期に自他両用されていた動詞「破」「折」などを例に,中古早期にかけ て使動用法(他動詞用法)が衰退して状態義を強めていたことで,隔開式 中のV2/Aにおいて結果補語に転化していたと主張する。しかし,宋亚云

(2014:195 282)が,中古早期の5部の文献14)にて出現頻度の多かった「破 類」の語を調査すると,以下のような結果が得られている15)

(15)

破  他動詞用法 : 自動詞用法 = 69 :

32

折  他動詞用法 : 自動詞用法 = 16 :

44

败  他動詞用法 : 自動詞用法 =  9 :

21

灭  他動詞用法 : 自動詞用法 = 36 :

44

绝  他動詞用法 : 自動詞用法 = 11 :

30

上記の調査結果を見る限り,そもそも「破類」の語が,施春宏(2004:

528)

の主張する如く系統的に使動用法を失って自動詞に転化していたと も考えにくい。中古早期においては,彼らの主張するほど自動詞化(使動 用法の衰退)は進行していなかったと推察される。これらを踏まえれば,

「V1+

O

V2/A」形式のV2/A

が,自動詞化を進めて独立性を弱めた先に ある結果補語(C)に転化していたとすることも不適となるのではないだ ろうか。

また,「熟類」のように,元々状態義が強く自動詞化など起こり得なか った語は,下例(25)の「沸」の如く,漢代以前に「V1+

O

V2/A」形

式のV2/Aに置かれた例が散見される。

(25)煎之沸,即以布足之。(『五十二病方・疽病』)

(これを煮て沸かし,布で貼り付ける。)

馬王堆出土の文献『五十二病方』は,戦国晩期頃の成立であるとされる が,「煎」が原因動作,「沸」がその結果を表すというように因果の関係も 見てとれる。この種の用例は,既に上古期の複数文献中において見られる にもかかわらず,隔開式説を採る胡敕瑞2005の如く「V2/Aの自動詞化を 直に確認することできる」という根拠のみから,「破類」をV2/Aに用い た隔開式が最も早く中古早期に成立し,その類推によって「熟類」を用い

(16)

た隔開式が生じたなどとするのは,疑問を感じざるを得ず,言語事実に即 しているとも言い難い。

3.4 使成式の形成との関連性

中古早期の使成式と新兼語式は,上古期の使動用法では表し得なかっ た,「原因動作とその結果を単文中で同時に表すことが出来る」という一 点において,共存関係にあったものの,淵源の全く異なる文法形式であっ たと言える。本稿では使成式の形成過程に立ち入ることはしないが,使動 用法(V+

O)

→連動文(V1+V2+O)→使成式(V1+C+O)という経路 が最も一般的な説(志村1974,蒋绍愚1999等)とされる。特に施春宏

2004

は,漢代頃に生じたこの種の連動文からV2が目的語直後に移動して隔開 式を形成したと主張しているが,前章の梁银峰(2006:66 71,108 112)に よる文献調査からも明らかなように,遅くとも漢代には新兼語式が成立し ていたことを考慮すれば,連動文から隔開式が派生したという説も受け入 れ難い。新兼語式の根源的な原形式は,先秦から普遍的に用いられた兼語 式という文法形式そのものなのである。淵源の異なる形式である以上,中 古早期の使成式と新兼語式は切り離して論じるべきだろう。

更に,杜纯梓(2004:211 212)は「梅祖麟则将出现于六朝的“隔开”,“插 入”型句式视为一种最早的特殊动补结构,这既混淆了短语与句子的概念,

又搞乱了动补结构发展的源流关系。(梅祖麟は六朝に出現した“隔开”,“插入”

型の文法形式を一種の最も早い特殊な動補構造と見なしているが,これはフレー ズとセンテンスの概念を混同してしまっており,動補構造の発展の源流関係をも かき乱してしまった。)杜纯梓(2004:212)」と指摘する。杜纯梓

2004の指

摘は,単に「隔開式」という呼称が適切でないと反論しただけではなく,

フレーズとセンテンスという,形式に対する捉え方の差異に着目している 点で,非常に価値のあるものである。使成式を論じる際には,前述した形

(17)

成経路(連動文→使成式)から見てもフレーズレベルでの考察が重要にな るであろうが,新兼語式の場合には,V1と

V2/A

の間に目的語という名詞 成分が置かれている以上,フレーズレベルではなく,兼語式の如くセンテ ンスレベルで考察して初めて処理できるものであると言えよう。

最後に,両形式の使役を表す意味素性(CAUSE)の表出方法の差異につ いて述べておきたい。使成式が,単音節の使動用法から発展した,因果関 係を持つ二動詞の複合形式が目的語を従えることによって使役機能を獲得

した(石村

2010:7)

とするならば,新兼語式は,V1と

V2/A

が因果関係を

持っていたことに加えて,兼語式に元来備わっていた使役機能を乗っ取る

(つまり,兼語式中の「使」に備わるCAUSEが新兼語式の

V1にも影響した)

形で 使役性を表出していると言えるのではないだろうか。次章では,如何にし て新兼語式が使役機能を獲得して発展していったか,その形成ルートを提 起しつつ論じる。

4

.新兼語式の形成ルート

これまで論じてきた先行研究をまとめれば,本稿で支持する新兼語式の 形成ルートに関する主張は,以下の

2種類に集約できよう。

【複文縮約説】

前節と後節が因果関係を持つ複文「V1+

N,N+ V2/A」から,重複

していた

N

が一つに固定化されて縮約して「V1+

N

V2/A」形式に

変化(梁银峰

2006)

【語彙交代説】

従来の兼語式(使役動詞「使/令」+O+V2/A)から,使役動詞「使

/

令」に替わって一般動詞が入り,「V1+

O

V2/A」形式に変化

(宋绍 年

1994,杜

纯梓

2004,宋

亚云2009a)

(18)

複 文 縮 約 説 を 類 型 論 的 見 地 か ら 述 べ る と, 総 合 的 言 語(Synthetic

language)

の性格が強かった先秦においては,単文中において述語は一語

で完結しており,因果関係を持つ二つの複雑な事象を表現する場合には複 文を用いるほかなかったが,次第に分析的言語(Analytic language)へと類 型変化が生じたことで,中古早期には単文中で原因動作とその結果を別々 の語を用いて表すことの出来る表現方法へと転換していった。この過程 で,複文が縮約して新兼語式を形成したとすれば,同説は合理的な解釈で あると言えよう。

一方,語彙交代説は,一般動詞が従来の兼語式中の使役動詞「使/令」

に替わり新兼語式に発展したとするが,両動詞の意味が近似していないこ とに疑問が残る。同説を提唱する宋绍年

1994,杜

纯梓

2004,宋

亚云

2009a

も,この点には言及していない。本章では,新兼語式の形成と,使役動詞

「使」文法化の過程を交えて語彙交代説を検証してみたい16)

4.1 語彙交代説の検証

「使」は最も早く先秦に見え,下例(26)の如く動作性と具体性の強い 派遣義(使役主が被使役主を派遣してV2をさせる)を表していたが,次第に 文法化(Grammaticalization)を生じて,例(27)の如く命令義(使役主が被 使役主に命じてV2をさせる)を表すようになった。意味が漂白化され始め る上古末期に至って,例(28)の如く抽象的な使動義(使役主が被使役主を

V2/A[状態]

に至らしめる)を表す例が増加し始める(髙柳2019:229 231)。

「使」が上古期の文法化の過程を経て,具体性を失い,より抽象的な使動 義を表すようになっていったことは,既に定説となっている。

(26)六年,春,晉侯使賈華伐屈。(『左传・僖公六年』)

(六年,春,晉侯が賈華を派遣して屈を討伐させた。)

(19)

(27)定王使王孫滿勞楚子。(『左传・宣公三年』)

(定王は王孫満に命じて楚子を労わせた。)

(28)怒而觸不周之山,使天柱折,地維絶。(『论衡・談天』)

([共工は

]怒って不周山にぶつかり,天柱を折り,地維を折ってしまっ

た。)

筆者は,以上の過程を考慮したうえで,より踏み込んで語彙交代説を次 のように解釈する。新兼語式の淵源の一つは,派遣義・命令義のみを表し た「使」構文でもなく,使動義のみを表した「使」構文でもない。まさ に,動作性と具体性の強い派遣義・命令義を徐々に脱して抽象的な使動義 が表出していく過渡期にあった「使」構文,そのものである。これを「使」

の意味から述べれば,まさに下例(29)(30)の如く,派遣義・命令義か,

使役義かを判別しにくい(或いはどちらとも解釈できる)用例がその淵源で あると言えるだろう。

(29)鄭人使我掌其北門之管(『左传・僖公三十二年』)

(鄭人が私に鄭の北門の鍵を扱わせた。)

(30)寡君乏使,使鍼御持矛。(『左传・成公十六年』)

(わが君は使者に乏しいため,私

[欒鍼 ]ごときに矛を持たせ侍らせてい

る。)

そう考えれば,一般動詞の意味により近い派遣義・命令義と,より遠い 抽象的な使動義という「使」が上古期に長く兼ね備えていた二重の性質 が,新兼語式の

V1に置かれる一般動詞にも影響を与えたことで,新兼語

式を形成したと推測できる。仮に,使動義のみを表した「使」構文中の

V1に一般動詞が入ったと考えるならば,抽象的な使動義の「使」と,動

(20)

作性と具体性の強い一般動詞の意味の非近似性から不自然さを感じざるを 得ない。

4.2 形成ルートの提起

改めて述べると,先行研究を見る限り,新兼語式の形成ルートは複文縮 約説(梁银峰2006)と語彙交代説(宋绍年

1994,杜

纯梓

2004,宋

亚云

2009a)

のいずれかとされているが,本稿では同形式の形成ルートはどちらも有り 得たと主張したい。そして,いずれのルートを通ったかは,V2/Aの性質 によって一般化して判断できる。つまり,複文縮約説は

V2/A

が「熟類」

の場合の形成ルートであり,語彙交代説はV2/Aが「破類」の場合の形成 ルートと考えられよう。以下,先行研究による文献調査を交えてその根拠 を示す。

小方(2002:13)の調査では,『左伝』中で「熟類」の語が「使」構文の

V2/A

に置かれた例は検出できなかった。更に,宋亚云(2014:64 72)が 先秦の10部の文献17)を調査すると,「熟類」である「死,干,熟,坼,

逸,饥,焦,落」が「使」構文の

V2/A

へ置かれた例は,以下の例(31)

を含む

2例のみで,他の語は一切出現していなかった。

(31)爱我者唯祝我,使我速死。(『左传・成公十七年』)

(私を愛する者はひたすらに私を呪い,私をはやく死なせよ。)

一方,同じく宋亚云(2014:344 347)によれば,「破類」の語が「使」

構文の

V2/A

に用いられた例は,下例(32)(33)の如く先秦から比較的 よく見られ,漢代,魏晋南北朝期と時代を経るにつれて一層多く見られる ようになったと説く。確かに,宋亚云(2014:345 346)が,先秦と漢代に おける「使」構文の例として示した用例中のV2/Aに限って抽出しても

(21)

「破,碎,折,伤,绝,尽,败,乱,活」などが挙げられており,「破類」

V2/A

に幾分自由に置かれていた様子が窺える。これと同様の主張は魏 培泉(2000:832 838)にも見られ,上古早期から「破類」の語が「使」構 文に常用されていたとする。

(32)我以墨子之非乐也,则使天下乱。(『荀子・富国』)

(私は墨子の非楽説が,天下を乱れさせていると考える。)

(33)非寅建使申破也。(『论衡・偶会』)

(寅の方角が申〔南西〕をさすわけではない。)

つまり,「熟類」の語は,先秦には「使」構文中にほとんど用いられて いなかったことから,複文縮約説のルートを通ったと判断できる。「破類」

の語は,盛んに「使」構文中に用いられていたことから,語彙交代説のル ートを通ってきたと判断できるはずである。

ここで疑問が浮かぶとすれば,「破類」の語が複文縮約説のルートを通 った可能性もあるのではないか,ということである。しかし,先秦には

「破類」は動作義が強かったために,たとえ複文の後節で自動詞的な語彙 配列(「S+破」)で用いられたとしても,「破られる」の如く他動詞的に解 釈されて,独立した節を構成していたとされる18)。宋亚云(2014:99)は,

先秦においてはこの種の受身的な用法が優位にあったと指摘する。このよ うな状況下では,仮に「破類」の語をV2/Aに用いた複文が存在したとし ても,個々の節の独立性が強く,因果の関係は希薄であったと考えられる ことから,縮約は起こり得なかったと推察される。第1章にて述べた蒋绍

2003も,複文が縮約して隔開式を形成したとしているが,その根源的

な要因を,V2/Aに置かれた「破」の自動詞化に求めている。しかし,前 章でも指摘したように,中古早期でも依然として他動詞用法が優位にあっ

(22)

たことは,複文縮約の直接のきっかけとなるほど自動詞化は進行しておら ず,前節との縮約を要求するほど独立性を弱めてはいなかったということ の証左となる。改めて述べれば,「破類」の語は,他動詞用法が優位であ った上古期から,「使」構文のV2/Aに生産的に用いられていたことを考 慮すれば,語彙交代説のルートを経たとするほうが合理的な解釈であろ う。

新兼語式は,その形成過程を使成式と切り離して論じるべきであるが,

「使」構文とは切り離すことは出来ない。新兼語式は,その

V1について

も,V2/Aについても,常に源泉である「使」構文の影響を強く受け続け ていたと考えられるのではないか。結びに,その有力な証左となり得る1 例として,『世説新語』中の下例(34)(35)(36)に注目されたい。

(34)支道林分判,使三乘炳然。(『世说新语・言语』)

(支道林は一つ一つ整理して,三乗の意味をはっきりとさせた。)

(35) 若能朝天子,使群臣釋然,萬物之心,於是乃服。(『世说新语・規 箴』)

(天子に謁見して,群臣を明確に理解させたならば,皆の心も納得する でしょう。)

(36)宣武移镇南州,制街衢平直。(『世说新语・言语』)

(宣武は本陣を南州に移すと,町の大通りを整備してまっすぐにした。)

例(34)(35)は「使」構文中のV2/Aに二音節形容詞(炳然,釋然)が 用いられており,例(36)も新兼語式中の

V2/A

に二音節形容詞(平直)

が用いられている。この種の二音節形容詞は,中古早期には既に豊富に出 現していたとされるが,使成式中に用いられず,単体での使動用法も存在 しなかった。二音節形容詞を

V2/A

に用いるのは,「使」構文と新兼語式

(23)

だけに許された文法手段だったのである。そう見ると,この二形式の継承 関係も,一層明確に見通すことが出来るのではないだろうか。

5

.『百喩経』の統計的調査

冒頭でも述べたように,中古早期の新兼語式を文献調査から定量的に明 らかにした先行研究はほとんど見られない。本章では,その端緒として,

中古早期に成立した説話集『百喩経』を取り上げ,全文の約19000字を網 羅的に調査したい。そもそも『百喩経』は,古代インドの僧伽斯那が編纂 した仏教説話集を,5世紀末の南斉の時代に求那毗地が漢語へ翻訳したも のとされる。当時,『百喩経』は仏教を民衆に説くために用いられていた と考えられ,その口語性は強いとされることから,中古早期の新兼語式や 使成式を論じた先行研究中においても,同作中の用例が好んで使われてい る。

本章の調査では,新兼語式に続いて使成式に関しても調査を行い,V2/

Aの性質に注目することで両形式の用法の差異を明らかにする。但し,

V2/A

の性質を特定する際には同時期の成立である『世説新語』を調査す ることで補足を明記した部分がある。更に,新兼語式中のV2/Aに副詞的 成分が前置された形式も調査し,V2/Aが結果補語ではなく,独立性の強 い動詞(或いは形容詞)であったことも検証する。また,『百喩経』には

「V1+(O)+令+V2/A」形式の如く,V2/Aの直前に使役動詞「令」が 置かれた特殊な新兼語式(以降,「有標型新兼語式」と呼ぶ19))も出現してお り,これも調査の対象とする。

さて,実際に『百喩経』をくまなく調査すると,以下のような結果が得 られた。

「V1+

O

V2/A」

(新兼語式):

5

(24)

「V1+

O

+副詞的成分+

V2/A」

(副詞付き新兼語式):

9

「V1+(O)+令+

V2/A」

(有標型新兼語式):

3

「V1+

V2(C)+ O」

(使成式):30例

「V1+

V2/A」

(帰属不明):18例

数字のみを概観して述べるならば,典型的な新兼語式は

5

例,V2/Aの 直前に副詞が付く新兼語式は

9

例,有標型新兼語式は

3

例出現していた。

合わせると,新兼語式は17例が出現していることになる。一方で,目的 語を伴う使成式は30例が出現していた。新兼語式(有標型を含む)と使成 式の割合を示せば,新兼語式:使成式=17:30となり,「単文中で原因動 作と結果を同時に表す」という点で同様の使役機能を有する

2

種の文法形 式のうち,新兼語式が約36%を占め,残りの約

64%は使成式である。こ

れらを踏まえたうえで,次節から上表に挙げた形式ごとに節を分かち,

V2/A

の性質に留意しながら説明を加えていく。

5.1 「V1+ O

+V2/A」形式

典型的な新兼語式である「V1+

O

V2/A」形式は 5

例が出現していた。

下例(37)は,V2/Aに「破」が用いられており,中古早期においても自 他両用されていた「破類」の動詞である。『百喩経』中でも,例(38)の 如く目的語を伴った使成式のV2/Aに用いられた例は

4

例検出されてお り,新兼語式と使成式のいずれにも出現し得たと言えるだろう。

(37)以梨打头破喻(「以梨打头破喻」)

(梨で頭を叩き割る喩え話)

(38)即便以刀决破其口,米从中出,其事彰露。(「唵米决口喻」)

(そこで刀でその口を裂き破ると,米が中から出て,その事がばれてし

(25)

まった。)

また,「破」を用いた例としては下例(39)にも注目されたい。同例は

蒋绍愚

2003が実際に論文中に挙げて隔開式の動補構造と見なしているが,

梁银峰(2006:144)はこの例について「因为佛经多四字一句,此句分开读 比较切合愿意(仏典の多くは四字一句であるから,この文は分けて読むほうが比 較的原義に合っている)」と述べ,複文と見なすべきとする。

(39)以梨打我,头破乃尔。(「以梨打头破喻」)

(梨で私を打って,〔私の〕頭が割れただけだ。)

確かに,例(39)が現れる「以梨打头破喻」という説話は,周绍良

(2006:10 11)の注釈によれば,同例前後の節も含めほとんどが四文字を 一節として区切られており,同例も八文字を一節と見なさないでおくのが 合理的な解釈とされるはずである。しかし,同様のV1と

V2/A

を用いた例

(37)では,明らかに新兼語式が成立していることを考慮すると,例(39)

の如く,後節の当事(头)が前節の受事(我)の身体部分を指す用例も,

複文が縮約して新兼語式へと発展する可能性があったと考えられる。いず れにせよ,「破」が結果補語と見なせるほどに縮約しているわけではなか ったのである。

下例(40)は,V2/Aに「折」が用いられており,前例の「破」と同様 に,中古早期においても自他両用されていた「破類」に属する動詞であ る。

(40)

譬如野干,在于树下,风吹枝折,堕其脊上。(「野干为折树枝所打 喻」)

(26)

(例えば野干が,木の下にいて,風が枝を吹いて折り,その背中に落ち てきた。)

下例(41)(42)(43)は,V2/Aに「病」「痛」が用いられている。筆者 が『百喩経』と『世説新語』中の「病」「痛」を調査すると,使動用法を とる例は『百喩経』中の例(44)の「病」1例のみで,目的語を伴う使成 式中の

V2/A

に「病」「痛」が置かれた例は1例も検出されなかった。「病」

は『百喩経』中で「病人」「病者」の如く連体修飾用法をとる例も3例見 つかり,状態義の強さから「熟類」に属する語とすることが出来るだろ う。

(41)昔有一人患下部病,医言。(「倒灌喻」)

(昔ある人が下部を患い病気になって,医者が言った。)

(42)妇女患眼痛喻(「妇女患眼痛喻」)

(女性が目を患い痛めた喩え話)

(43)昔有一女人,极患眼痛。(「妇女患眼痛喻」)

(昔ある女性が,目をひどく患い痛めた。)

(44)我不病眼,亦不著风,欲得王意。(「人效王眼瞤喻」)

(私は目を病んでないし,風邪を引いてもいない,王の真似をしている のです。)

以上が『百喩経』中に出現していた典型的な新兼語式の全

8例であるが,

一見すると新兼語式に捉え得る下例(45)にも注目されたい。

(45)即便以觜,啄雌鸽杀。(「二鸽喻」)

(するとすぐに嘴で,雌鳩を突き殺してしまった。)

(27)

中古早期の新兼語式の

V2/A

に置かれる語は基本的に自動詞(或いは形容 詞)であるが,例(45)は,V2/Aに,上古期から他動詞用法のみを保持 してきた「杀」が用いられており,その特殊性から先行研究においても 度々引き合いに出されてきた。これに初めて言及した梅祖麟(1991:118

119)

は,他動詞「杀」が形式中で自動詞「死」へと転化しているために,

隔開式の動補構造と見なすことが出来ると主張する。しかし,梁银峰

(2006:192 193)は,これを特殊な用法としたうえで「我认为“啄雌鸽杀” 可以理解为“啄雌鸽而杀之”,“杀”后省略宾语“之”,应看作连动式。(“啄 雌鸽杀”を“啄雌鸽而杀之”と解釈することが出来ると考える,“杀”の後方には目 的語“之”が省略されており,連動文と見なすべきである。)」と指摘する。筆者 も,「杀」は「雌鸽」を直接指しておらず,「V1+

O

V2+(O)」形式の

連動文と見なすこととする。そのため,本節ではこれを新兼語式には含め ない。

5.2 「V1+ O

+副詞的成分+V2/A」形式

V2/A

の直前に副詞的成分が前置された新兼語式は,前置されていない 形式よりも多く,9例が検出されたことは注目に値する結果である。これ は,決して同形式中のV2/Aが補語と見なされるほど独立性を弱めた語で はなかったことを裏付けている。また,置かれた副詞的成分に注目すれ ば,「都」「已」「极」「太」の

4

種に及んでいることからも,新兼語式中の

V2/A

の直前には幾分自由に副詞的成分が置かれた状況が窺えよう。

下例(46)(47)(48)は,V2/Aに「尽」が用いられている。宋亚云

(2014:84)によれば,「尽」は中古早期にも「破類」に属する語であった とされる。筆者が『世説新語』を調査すると,出現した全25例のうち他 動詞用法が18例,自動詞用法が

7

例という割合であったことからも,依然

「尽」は自他両用された動詞であると認められるだろう。

(28)

(46)时金热故,烧绵都尽。(「估客偷金喻」)

(その時金が熱かったので,綿を全て燃やし尽くしてしまった。)

(47)市得一雉,食之已尽,更不复食。(「病人食雉肉喻」)

(市場で雉を得て,之を既に食べ尽くしたが,更に繰り返して食べなか った。)

 (48)是故今者食一雉已尽,更不敢食。(「病人食雉肉喻」)

(故に一羽の雉を既に食べ尽くしたが,それからは食べようとしなかっ た。)

下例(49)中の

6例は全て「梵天弟子造物因

喻」という同一の説話中に 出現している例であり,V2/Aに用いられている語は「大」と「小」であ る。魏培泉(2000:832 836)によれば,これらの形容詞は中古早期には既 に使動用法を失っていたとされる。また,筆者が『百喩経』と『世説新 語』中の「大」「小」を調査すると,使動用法をとる例と,目的語を伴う 使成式中の

V2/A

に用いられた例は1例も検出できなかった。このことか らも,当時の「大」「小」が状態義の強い「熟類」の語であったことが分 かる。

(49)

汝作头太大,作项极小,作手太大,作臂极小,作脚极小,作踵 极大,作如似毗舍阇鬼。(「梵天弟子造物因喻」)

(お前は頭を作って大きくし過ぎ,首を作って小さくし過ぎ,手を作っ て大きくし過ぎ,腕を作って小さくし過ぎ,足を作って小さくし過ぎ,

踵を作って大きくし過ぎ,作ったものはまるで吸血鬼のようである。)

5.3 「V1+(O)+令+V2/A」形式

20)

次に,有標型新兼語式を確認する。V2/Aの直前に使役動詞「令」が置

(29)

かれた本形式は,下例(50)(51)(52)に挙げる

3例が検出されている。

(50)乃于楼上,得一磨石,磨刀令利,来下而剥。(「就楼磨刀喻」)

(そこで上の階で,研ぎ石を得て,刀を研いで鋭利にして,降りてきて 剥がした。)

(51)畏其自脚蹋地令坚,其麦不生。(「比种田喻」)

(その足が地を踏んで固くさせて,麦が生えなくなることを恐れたのだ。)

(52)水浸令熟,和泥涂壁,故得如是。(「见他人涂舍喻」)

(水で浸して腐らせ,泥に混ぜて壁に塗ると,このようになるのだ。)

その出現数は新兼語式と比較すると少ないが,それでもなぜこの3例だ けがこのような形式を取ったのか,確かなところは分からない。仮に,

V1と V2/A

の因果の関係が希薄であったために「令」が置かれたと考える にしても,例(50)などは「磨(研ぐ)」という動作から,比較的容易に 想像され得る「利(鋭利なさま)」という語が置かれている。ひとまず本稿 での文法的な位置付けとしては,強調表現の一種であったと述べるに留め ておく。

また,大変興味深いのは,例(51)(52)はいずれも生活の知恵を述べ ている箇所であり,これは有標型新兼語式が大量に出現しているとされる

(古屋

2000)

,中古早期成立の農法書『斉民要術』中の文の性質と,明らか

に一致しているのである。例(51)(52)が当時の農法書を参考にして書 かれたものかは定かではないが,方法を説くような文に有標型新兼語式が 用いられていたことは,『百喩経』中からも窺い知ることが出来よう。

5.4 「V1+ V2(C)+O」形式と「V1

+V2/A」形式

目的語を伴った使成式は

30

例が出現している。その

V2/A

に用いられて

(30)

いる語は「破,灭,尽,成,坏,绝」など,ほとんどは中古早期にも自他 両用されていたとされる「破類」であり,「熟類」の語が置かれた例は1 例も検出されなかった。

また,「V1+

V2」形式の全 18

例は,本節において帰属不明と見なす例 である。なぜならば,目的語の省略されている同形式は,その形式のみを 見る限り,使成式か新兼語式かを確かに判断することが困難であるからで ある。しかし,本稿で筆者が述べてきた論から,ある程度の見立てを下す ことは出来る。下例(53)に注目されたい。

(53)便作是言,我不洗净,王自洗之。(「出家凡夫贪利养喻」)

(そして言うには,私が洗って綺麗にしないなら,王が自ら洗うでしょ う。)

上例(53)は

V2/A

に「净」が用いられており,同形式は

5例検出され

た。宋亚云(2009b:17)によれば,「净」は「熟類」であるとされる。こ れを踏まえると,例(53)中に省略された目的語を再起させるならば,中 古早期の状況からして,V1と

V2/A

の間にのみ置かれるはずである。本稿 で断定することは控えるが,魏晋南北朝期における目的語の省略された

「V1+

V2/A」形式のうち,その V2A

が「熟類」であった例は,一様に「目 的語の省略された新兼語式」と位置付けることが出来るのではないだろう か。

しかし,下例(54)(55)の如く,V2/Aが「破類」である場合,新兼語 式と使成式のいずれかに分類することはいよいよ困難となる。この類の例 を分類するならば,V2/Aに「破類」の語を用いた目的語の伴う使成式と 新兼語式を複数の文献から統計的に調査し,どちらが優位な形式であった かを判断すべきだろう。今後,文献調査を進めたい。

(31)

(54)我当饮之,此水极多,俱不可尽。(「渴见水喻」)

(私が飲もうとしても,水は多すぎて,飲み尽くすことは出来ない。)

(55)其一弟子捉其所当按摩之脚,以石打折。(「师患脚付二弟子喻」)

(一方の弟子は按摩するほうの脚を掴むと,石で打ち折ってしまった)

5.5 調査のまとめ

同様の使役機能を有する使役形式のうち,使成式が約

64%,新兼語式

が約

36%であることから,当時使成式が優勢な形式であったと見るのは

尚早である。なぜならば,新兼語式中の

V2/A

に用いられた語のみに注目 すると,17例中

12

例は「熟類」に属する(或いは状態義が強かった)語が 用いられており,これに対応する,目的語を伴った使成式は『百喩経』と

『世説新語』中に1例たりとも出現していないからである。つまり,中古 早期では,原因動作とその結果を単文中で表し,且つその結果を表す語が

「熟類」であった場合,使成式は用いられずに専ら新兼語式が用いられて いたことは明らかである。使成式は,新兼語式と,使役構文という同様の 枠の中で役割を分担していたと言うべきであろう。付け加えておくと,胡 敕瑞(2005:223)や梁银峰(2006:206)によれば,いわゆる「熟類」に属 する語が使成式中のV2/Aに置かれるようになるのは唐代であるという。

また,新兼語式中の

V2/A

の直前に副詞的成分が置かれた例は,前置さ れない例よりも多く,9例が検出された。その副詞的成分も4種類に及ぶ ことを考慮すれば,新兼語式中のV2/Aはいずれも独立性の強い語であっ て,V1を補足説明する関係にあったとは言えないだろう。本稿で先行研 究を踏まえて再三主張してきたように,中古早期に隔開式の動補構造は存 在しなかったと言えそうであるが,『百喩経』の調査のみから断定してし まうのは早計である。今後,中古早期の複数の文献に当たるなどして,更 なる調査を試みたい。

(32)

6

.お わ り に

本稿では上古期から中古早期にかけての新兼語式(V1+O+

V2/A)

を論 じてきたが,同形式を隔開式の動補構造(V+O+

C)

と見る説は,そもそ も丁声树

1961

の定義した動補構造の範疇から外れている。更に,V2/Aの 直前に副詞的成分が置かれた形式が散見される他,V2/A自体が単体では 系統的に自動詞化していなかったことなど,その独立性は強かったことを 考慮すれば,V2/Aが

V1を補足説明する関係

(動補構造)にあったとは言 い難い。また,その中間に目的語がある以上,これを一つの文法単位と見 なすフレーズレベルでの考察も不可能であろう。少なくとも中古早期に は,隔開式の動補構造は存在しなかったのである。

新兼語式について「它和使成式的动补结构也没有直接关的关系,探讨它 的形成过程时不应将它和动补结构联系起来。(それと使成式の動補構造は直接 の関係はなく,その形成過程を探る際にはそれと動補構造を結びつけるべきでは ない。)梁银峰(2006:142)」と述べた梁银峰

2006

の指摘は真に合理的であ って,新兼語式と使成式は「単文中で原因動作とその結果を同時に表す」

という一点において同様の機能を有しながらも,異なる淵源と形成過程が あったのである。その形成過程として,本稿では,新兼語式に2種類の形 成ルートがあったことを提起した。V2/Aが「熟類」の語の場合には複文 縮約説(因果関係を持つ複文が縮約),「破類」の語の場合には語彙交代説

(従来の兼語式中の「使」が一般動詞に交代)のルートを経たのである。そし て,いずれのルートを通ったにしても,V1と

V2/A

が因果関係を持ってい たことに加えて,従来の兼語式中の「使」が備えていた

CAUSEが新兼語

式のV1にも強く影響を与えるような形で,使役の読みが生じていたと考 えられよう。

改めて述べれば,新兼語式は,前章の調査でも明らかになったように,

(33)

中古早期の使成式が表現し得なかった用法(V2/Aが「熟類」の語の場合,或 いは二音節形容詞の場合)を確かに補っており,「過渡期」の形式と見なす よりは,使成式とは全く異なる淵源から,当時の口語中の必要に応じる形 で生じた形式であるとすべきだろう。新兼語式という文法形式は,使成式 に捉われずして述べることの出来る,文法的価値のある形式なのである。

1)  時代区分は,五胡乱華(3

世紀頃)以前を「上古期」,以降宋代(12世紀

頃)までを「中古期」,宋代以降から五四運動までを「近代」,五四運動以降 を「現代」とした王力1958の説を採る。なお,本稿で言う「中古早期」と は魏晋南北朝期を指す。

2)  本稿で引く全ての用例は,稿末に付した紙本の漢籍にて照合した。

3)  この二説に加えて,単なる複文或いは連動文と見る説(魏培泉2000)や,

特殊な連動文と見る説(子瑜

2005)もあるが,論を簡潔にするため本稿で

は言及しない。

4)  以降,本稿では複合化した「V1+ V2/A(C)+O」形式のみを使成式と

呼び,分離した「V1+O+V2/A」形式については使成式という用語を用い ないことに留意されたい。

5)  上古期には,現代漢語において自動詞や形容詞と見なし得る語の多くが,

他動詞用法をとるという文法手段(使動用法)があった。また,この用法と 使成式が継承関係にあったことは定説となっている。例えば「破之」から

「打破之」の如くである。

6)  周

明1958はこれを「分用式」と呼び,石毓智,李(2001:63)はこ れを「VOC式动补结构」と呼んでいるが,論を見る限り,指し示す形式は 隔開式と一致している。

7)  「使/

令」の類の使役動詞を用いた従来の兼語式について,伯峻,何

士(1992:590)は「兼句多表示由主所代表的施事一方指派命令(或致 使)受事者出(或具有)某种动作(兼語式の多くは主語に代表される施事 側が派遣や命令[或いは使役]をして受事者にある種の動作をさせる[或いは 備えさせる]ことを表す」と定義している。

8)  宋

年(1994:43)の言う「上古前期」「上古中期」のような時代区分が,

具体的にどの年代を指しているのか,論文中から明確に判断することは出来 ない。本稿ではひとまず,上古期に兼語式から新兼語式への形式変化が起き

参照

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