Teaching Load (1) : 教育経済学研究の一齣
その他のタイトル Teaching Load : in its Econo.‑sociological Setting
著者 澤村 栄治
雑誌名 關西大學經済論集
巻 7
号 5
ページ 391‑426
発行年 1957‑08‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/15653
391 l e a r n i n g )
ー
T e a c h i n g o L a d ( 澤 村
︶
ヴェブレンは︑
ー ー 教 育 痙 演 學 研 究 の
本論集第七巻第三号において︑わたくしは
R e s e a r c h L o a d
について︑これを極めて問題論的に取あっかったが︑その節
ものべた如く︑それは﹁
T e a c h i n g L o a d
の教育経済学的分析﹂の一環として︑問題の所在を若干指摘したものであった︒
そしていまここに﹃
T e a c h i n g L o a d
の教育経済学的分析﹄を行うのであるが︑それは己然として大部であり︑かなりな斧
鍼を加えてもなお相当な量にの匠り︑やむなく﹃その教育・経済社会学的展相﹄を第一部分とし︑ついで教育経済学的分
析部分を第二として発表することとした︒いうまでもなく以前にものぺた如く︑これらはわたくしが発表中の﹃教育費用
分析の展開過程﹄に対し︑いずれもその横糸たる役目をはたさしめようとするところのものなのである︒
そ の 教 育
・ 経 済 社 会 学 的 展 相
・
・
・
・
・
( 1 )
﹁大学一般に関係する﹃精神内資本﹄
( i m m a t e r i a l c a p i t a l )
の集合体﹂と︑
を﹁精神的資本﹂だといつているが︑
こ の 考 え は 同 じ く 一 九 五 三 年 三 月 二 十 四 日 の ア メ リ カ 綜 合 大 学 協
齢 ー
T e a c h i n g L o a
d
(I )
澤
村
﹁大学の学問﹂
( h i g h e r
,榮
治
会声明
( A S t a t e m e n t b y A s s o c i a t i o n o f A m e r i c a n Universities) (^'The~ights
たる『大学及び大学教授の権利と責任』a n d R e s p o n s i b i l i t i e s o f U n i v e r s i t i e s a n d T h e i r F a c u l t i e s
" )
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1
( 2 )
須な知的資本
( i n t e l l e c t u a l c a p i t a l )
を供給して来た﹂︑といい︑さらに︑
( s c h o l a r s )
としてと︑また教師
( t e a c h e r s )
としてと︑ともに︑
( 3 )
︶が必要である﹂︑とのべているのであり︑
a n d t h e i r
甘 d i
v i d u a l c o m p e t e n c e t o p u r s u e i t a n d c o m m u n i c a t e i t t o o t h e r s
またカゥリィも︑ ﹁大学はこの国の大多数の高等教育をうけた人的資源と豊富な知識力とを生産
( p r o d u c e )
する有
( 4 )
力な発電所である﹂︑というのである︒
このように︑﹁知識の探求﹂をさ
50 P 'T J
に発するそのギリシア的原本性を脱皮して社会的客体化し︑
( 5 )
︵形成︶のダイナミックな力
( t h e d y n a m i c f o r c e o f o u r s o c i e t
y ) ﹂とする見方は︑アメリカにおけるその産業資本主
義的経済社会機構にもとずく教育社会学的展相
( s e t t i n g . こ れ は 単 な る b a c k g r o u n d
ではない︒主体的行為面によって生
産 さ れ な が ら ︑ 歴 史 的 客 体 面 に 媒 介 せ ら れ て ︑
︑ ︑
ける︒適訳なきため一応展相というが︑それはむしろ舞台装置一切をもふくむものにちかい︒︶において成サ立しえたものであろ
う︒これはもと教育学的には﹁社会的創造主義﹂の傾向をあらわすものであろうが︑経済的側面に転ずる時に︑
教育﹂も﹁研究﹂もその客体的状相
( p h a s e )
を把握して︑ひとつの生産過程
( p r o d u c t i o n p r o c e s s )
とか︑また生産
物
( p r o d u c t s )
と か
︑
としてとりあつかう傾向の生ずるのも当然のことであろう︒
ォタァス会社名誉会長
A . p
.スロォン 行 為 的 に は む し ろ 両 者 を 生 産 す る 動 的 媒 介 を ︑
( A l f r e d P . S l o a n ) が ︑
にそれを伝達するその個人的な技悟とを資本化すること
T e a c h i n g o L a d ( 澤 村 ︶
﹁教育産業
( e d u c a t i o n a l ind~stry) ーーヽ私はそれを
ゼネラル・モ
ー
﹁大学教授が効果を発揮するには︑
その知識への個人的な情熱と︑知識を探求し︑他人
( t h e c a p i t a l i z i n g o f t h e i r i n d i v i d u a l p a s s i o n f o r k n o w l e d g e
大学を﹁社会
わ た く し は 特 に s e t t i n g
と 名
付
その極端な例は︑
学者
393
T 塁
c h i n g L o a d ( 瀬 村 ︶
頃からの考え方で︑﹁大学教授の商業化
( c o m n : i e r c i a l i z a t i o n o f t h e a c a d e m i c s t a f f )
の継続はなおも進展しているよう
( 1 0 )
にみえる﹂︑とヴェプレンが指摘したのもすでに一九一八年であった︒勿論この考え方に対し︑イリノイ大学長
Gストッダァド
( G e o r g e D . S t o d d a r d )
は ﹃
教 育
は 商
品 な
り や
? ﹄
︵ ^
^ I s E d u c a t i o n a C o m m o d i t y ?
"
) の 一 文 を 草 し
︑
( 1 1 )
﹁教育は言葉の普通の意味での商品ではない﹂︑といい乍ら︑
ィスをうけた︑するとあなたの側に若千の掛りあい
( i n v o l v e m e n t )
( 1 2 )
で売買されることが出来る﹂︑という一般常識から論を進め︑﹁通常教育
怠 ( t
c h i n g )
は相互の義務
( m u t u a l o b l i g a t i o n )
である︒少くともふたりの人びとの掛りあいを勘定に入れなければならない︒
精神的エネルギィの余剰
( s u r p l u s )
をもっている︒ある条件の下で彼は︑他人の心にある効果を生産するようよろ ハリスの見解を種々論評しつつ︑
がある︒このようなサァヴィスはきまった値段
Dさらに上述の考えは︑ が︑最近では﹁教育産業﹂
( e d u c a t i o n a l i n d u s t r y )
﹁あなたがサァヴ といわれるに至ったが︑
( 6 )
産業
( i n d u s t r y ) と い つ て も よ け れ ば ー ー '
﹂ と
︑ 一 九 五 六 年 の
^ ^ C
6 U
e g
e a
n d
U n i v e r s i t y
u s B
i n e s
s "
誌四月号でい
っているがごときである︒なお従来アメリカでは大学経営が﹁教育企業﹂.︵
e d u c a t i o n a l e n t e r p r i s e )
といわれたもの
e c o n o
B i c
p h a s e )
面における変貌は︑まさに注目すべきものがあろう︒ その教育社会学的展相の経済的状相︵
﹁私の講義は商品
( c o m m o d i t y )
である︒私はこの商品を売るのにたいして︑大学から給与
という形で報酬を得ている︒君たちは私の商品を買いにきているのだ︒安いと思ったら買いたまえ︒高いと思った
( 7 )
ら他の商品を買いたまえ﹂と︑その開講にあたつてのべるハァヴァード大学の
S.E・ハリス教授の︑教育経済学
( 8 )
的見解に相通ずるものがあろう︒かかる大学教育商品論は︑﹁アメリカの大学教育は生命保険や特許医薬と何らか
( 9 )
一肪相通ずる方法で売られる商品である﹂︑と﹃カァネギィ財団報告﹄で指摘せられたように︑すでに一九一 0 年
︵ そ も そ も ︶ 教師とは
. .
.
おいて若千ふれたところである︒ し ︑
T g
c
h i n g L o a d ( 漉 村
︶
こんでその余剰をそそぎこむのであるから︑支払をうける
﹁ 生 へ の 接 近
﹂
﹁ひとりの人︵の意見︶をくつがえすことはできない﹂ことをみとめているのである︒
( 1 4 )
これらは︑わたくしが﹃教育の様式﹄でのべた如く︑
らに産業資本主義播頭にともなう実証主義の洗礼をうけ︑
︑ ︑
らも︑教育社会学的展相の経済的状相変貌に震動されて︑
骨に呈示し来つているためであろう︒なおこの教育学的歪形は︑
( L e b e n s n a h e )
﹁ 生 へ の 接 近
﹂ の
︑ 紋 し て ﹁ 接 近
︵ す る ︶
﹂ ︵ n i i h
e ←
n a h e r n )
という教育技術性の方向を軽視したためであることは︑
さ ら
の教育様式を底流とし︑
( p r a c t i c a l )
一方において教育の理想主義的側面への近接を望みなが
・
( 1 5 )
ヴェプレンのいわゆる﹁実利的﹂
﹁ 生 ﹂
さてさきの﹁商品観﹂は︑大学教育を学生に伝達する
( c o m m u n i c a t e )
面についてであるが︑さらにこれを教育生
産面においてーーごくその一部だけではあるがー—問題としたのは他ならぬヴェプレンであって、彼は、
+ ︐
9"
ヽ イ
位階
( n o m i n a l r a n k )
の昇進は︵俸給の昇進にくらべて︶はるかにコストのかからない商品
( l
g s c o
s t l y c o m m o d i t y )
( 1 7 )
である﹂︑といい︑教育職員の労佑量の商品性を指摘するのである︒なおさらに︑ヴェプレンの分析した大学経営
における実業的見解は︑かつて中世大学に発祥するギルド的﹁親方
11
徒弟﹂制度とキリスト教教会の因習とにもと
ず v
T u i t i o n
に対応する
S t i p e n d
として﹁教授俸給﹂を規定づけて来た考え方を︑転じて
S a l a r y
としたところ
にも︑まことに顕著にあらわれているのである︒
さればこそ︑かくのごとき教育社会学的展相
( s e t t i n g )
において︑まさに
T e a c h i n g L o a d は 考 案 せ ら れ
︑
に進んで教育労仇を商品とみることから
E d u c a t i o n a l C o s t A c c o u n t i n g
へと展開した︑教育経済学的状相
( p h a s e
( 1 3 )
( g e t s p a i d )
﹂ ︑
﹁ 名
目 的
︵ に b e n )
の方向へ収
( 1 6 )
すでに前掲論稿に 傾向を露 さ といつて暗黙裡にハリスの見解に接近 四
,. ,. ,. ,. ,. ,. ,. ,.
)裕('1-v-心兵’悩~,{;,心冥 t‑0, 刈二吠 t‑OQ ゃ玲肉゜
紺(,....,) Thorstein Veblen, The Higher Learning in America, 1918, p. 106
(<N) The Rights and Responsibilities of Universities and Their Faculties (A Statement by the Association of
American Universities, March 24, 1953), p. 9
(M) The Nature of American University (A Statement by the Association of American Universities, II), p. 10
("'1t) W. H. Cowley, The Higher Learning versus The Higher Education, 匿問双輝鉛鱈嗣誕匝撚 I I ギ Iii n 糧匪゜
(m) Rights and Responsibilities of U. and U. F., p. ̲ 9
(<0) A. P. Sloan, Operation Expansion ! (in "College and University Business," April 1956) p. 21
(t‑) 蒜細饂‑<
~べ‑炊祟充 H 乱瑯淫海細
固r:(\m(~配
(co) S. E. Harris, How Shall We Pay for‑Education?, 1948 Qj 垂謡且兵今 ¥.J'An Approach to Economics of Education
..¥J̲;J(¥O
,JQ捉ヨD'~=-s!'(Q~j\lII:進燃帥忌眠眺心̲;
I(¥Q 廷悩杓足皿華 ..¥.1#1!
踪~>(l#Q心_;.p~
全兵:!;!~ふ俎今や玲 >O
I(¥ 0(a,) The Carnegie Foundation Report for 1910
~産゜
(;:l) Veblen, op. cit., p. 150
g6"
(;::) Gorge D. Stoddard, Is Education a Commodity? (in "College Public Relations Quarterly," Vol. 2, No. 1,
October 1950), p. 7
(;:l) ibid., pp. 67
(~)恙誕゜<>, I'\込"~
『櫛榔 Q 惑恨』智品 111+1 母 I I
宍Teaching Load (殿写)
出[
396
﹂と﹁職業性﹂とに関説するであろう︒
﹁休みなく︵活動する︶人間がそこに安住する
﹁ 閑
﹁ 教 員 の 負 担
﹂ ( T e a c h e r ︑ s L o a d )
は︑教育学的には教師がその職業的責務
( p r o
器 f e
i o n a l r e s p o n s i b i l i t i e s )
を果すた
めのすべてのサァヴィス行為をいうのであるが︑ この中には教師の身分という法的︑あるいは社会的制約にもとず
( 1 )
く負担と︑教師の本務的職業内容にもとずく負担とがあり︑普通一般には後者をさして
T e a c h i n g L o a d
と い
う ︒
さて︑元来教師の職務内容や種目などについて明確な概念を欠いているのは︑教育という仕事の性質や教育の対
象の多様性にもよることは論をまたないが︑
﹁退屈な時﹂でもあり︑人間がそこに安住しえられない︑ その昔︑古典ギリシアにおいては︑教育する内容をなした学問とは︑
SXo J. 'T
}
という言葉が表現したように︑
( 2 )
暇 ﹂ ( l e i s u r e ) か ら
﹁ 閑 暇 の 仕 事
﹂ ( a w o r k o f l e i s u r e )
のことであった︒これがギリシアのポリス的経済乃至奴隷制経
( 3 )
済を基盤として成立したことは︑すでに若千のべたところであるので棲説を避けるが︑ともあれ﹁閑暇な時﹂とは
( 4 )
.
いいかえるとゾムバルトのいう﹁退屈からの逃避﹂
( F l u c h t v o r d e r L a n g w e i l e )
が企てられざるをえないのである︒すなわち︑
( 1 6 )
V e b l e n , o p cit•• .
p . 1 6 2
註
( 1 5 )
前掲拙稿﹃教育の様式﹄
( 1 4 )
V e b
l g ,
o p . c i t . , p . 1 9 3
な ど 参 照 ︒
T g
c
h i n g L o a d <•
村 ︶
ここにいささか蛇足のきらいがあるにしても︑教師の仕事の﹁労仇性
六
397
むしろ
さ ら に ま た ︑
( 5 )
ため︑逃避場所
( Z u f l u c h t s t i i t t e n )
を精神がつくる﹂のである︒この逃避場所を経綸するため人間は﹁労仇を形成す
( 6 )
る ﹂
︶を試みた際︑人間労佑
( A r b e i t ) g e i s t e s w 1 s 器 n s c h a f t l i c h e A n t h r o p o l o g i e
﹁ 精 神 科 学 的 人 間 学 ﹂
( 7 )
の発祥をこのような
S p i e l 的な要素に探つ
ているが︑学問はかかる意味においてまさに﹁労佑﹂とみなされるに充分な性質を具えているといえよう︒
の
f i i r s i c h と な っ た も の が す な わ ち 社 会 的 経 済 的 労 仇 で あ り
︑ こ れ を 経 済 学 的 範 疇 で 抽 象 的 濾 過 し た も の が ︑ マ ル ク ス 経 済 学 の 中 に と り 入 れ ら れ て そ の 中 心 概 念 と な っ て い る こ と は ︑ す で に 周 知 の と こ ろ で あ る
︒ ︶
いわれる労仇とはことなった高次的なもののようにみられるのであり︑また職業としてみれば︑
( 9 )
な抽象的﹁美的価値﹂をもつにすぎないものと化するのであろう︒
も の で あ り ︑
人間の﹁労仇﹂は単なる旦
p a g l r ;
ではなく、moミdCCである。しかも7r:Ol'1']a~r; は
‑ r e X v ' r ]
をふくむ
‑ r : c X v ' r J T e
a c h i n g o L a d (
‑ 村
︶
を自らうむところにまさに 養﹂︑しかも﹁一般に形式的な教養﹂
( i i b e r h a u p t d i e f o r m e l l e B i l d u n g ) を つ く る
︑ 7 1 :
o t '
I }
̀KC
.
m a e }
§ ̀
メ0
e へが
7 g .
への成長を教材をもつてみちびく教育活動は︑
であるといわなくてはなるまい︒しかもその
‑ r E X V ' T j
は︑ゾムバルトのいう器官技術
( O r g a n t e c h n i k )
と道具技術︵
Instrumentaltechnik)~~$HE:_)‘ 払叙宰曰廷以年叩白口
AS3か払叙 1 屈
3ゲK生ギ牢ー
yzJ七い土て仁 i宰迂ナジス
P、七
術に媒介させるという︑言葉の本来の意味 1 近代資本主義経済社会機構における労佑と機械と技術との経済的分
離をつくつていない︑という意味ーーにおいて︑ホモ・ファーベル
( h o m
o fabel)
的性格をもつているのである。…•し.いいかえると︑道具技術を器官技 言葉のもつとも純粋な意味において︑﹁労佑﹂ この意味においては︑ 教師の労仇があたかも普通に ルも亦︑労佑の﹁抽象性の習慣﹂
( d i e G e w o h n h e i t d i e s e r A b s t r a k t i o n ) が ︑
﹁知見とか知識とか﹂において︑
といつている︒この抽象性︵そ
の 故
に ︑
たるのであろうが︑ ﹁天職﹂観のよう
﹁ 教
( z u r A r b e i t g e s t a l t e
ゾムバルトはその﹃人間論﹄ n ) ︒
( V o m M e n s c h e n )
において
ヘェゲ
^
( t a k e p o s s e s s i o n o f )
︑
労 仇 の 哲 学 的 人 間 学 的 考 察 と 経 済 学 的 考 察 と の 交 錯 に つ い て は
︑ い ず れ 稿 を 改 め て 論 じ た い と お も う ︒
このような教師の仕事の﹁労仇性﹂は︑労仇の﹁職業性﹂と結びつけるときにさらに明瞭となるであろう︒ゾム
( 1 0 )
﹁かかる純粋の労佑は職業労佑
( B e r u f s a r b e i t )
である﹂︑といつているが︑ ﹁職業労仇﹂と規定する前
( 1 1 )
﹁人びとは職業の本質を何らあきらかにすることなしに職業について語っている﹂︑といわ
﹁職業﹂とはもと何であるか︑またとりわけ教師の﹁職業性﹂についても︑
﹁ 天 職 ﹂ と も
︑
せられてもいるが︑われわれは﹁社会における地位︵あるいは身分︶﹂
た 労 仇 領 域 ﹂ ( u m g r e n z
g
t ビ
b e i t s g e b i e t )
をもつて︑﹁職業﹂とよんでいるのが普通である︒ウェーバァも指摘した如
( 1 2 )
く︑ドイツ語の
B e r u f は ︑ b e r u f e n
という動詞から推測されるとおり︑﹁神から与えられた召命﹂
( e i n e v o n
( 1 3 )
g
t t
g g
t e l l t e n ・
A f b a u g
e )
という宗教観念が多少とも﹁暗示されている﹂︒このことは
B e r u
に相当する英 f
( U )
語 の c a l l i n g
ともなれば︑なおさらに﹁明瞭となる﹂であろう︒従ってこれらの語は︑
訳されるに適するが︑なおこの観念から﹁職業性﹂の稀薄になったものに︑
があるであろう︒
さて今日普通に﹁職業﹂をあらわす言葉としては
o c c u p a t i o n
が用いられているが︑
所 有
す る
︶ ﹂
これは前記の
B e r u f , c a l l i n g
等に対立するものと考えられている︒しかしこの言葉も元来ラテン語の
o c c u p o
より出で︑それが﹁手に入れる︵
( 1 5 )
﹁つかまえる﹂等をいみするごとく︑﹁社会における地位﹂とか﹁限定された 職業社会学の観点からすれば︑職業は﹁職分﹂とも︑ 及しなければならないであろう︒ れないがために︑ にわたくしは︑まず︑ ゞレトま
ノ︸
︐
'
T
g
c h i n L g o a d ( 澤 村
︶
B e s t i m m u n g ︵ 使 命
︑ 本 分 ︶ と い う 語
﹁職分﹂とか﹁天職﹂とか
( L e
ぽ
n s s t e l l u n g ) .
とか︑あるいは﹁限定され ﹁生業﹂ともいわれ︑またそのように区分 ここになにほどか言 八
399
は﹁信仰すると公言する﹂
九
﹁ 公 法 的 義 務
﹂
( 19 )
た も の と し て
︑
対給付を要求する︑
o c
c u
p a
t i
o n
は﹁生業﹂と訳されるにふさわしく︑職業の経済的側面をばあらわすのである︒
がある︒これはラテン語の このほかに︑ひろく﹁識業﹂の意味に使われている言葉に
p r
o f
e s
s i
o n
さらに動詞
p r o f
i t e o
r
に 発
し ︑
t o
d e
c l
a r
e と か
t o
a v
o w
とかを本来的に意味する︒従ってウェーバァは︑ こ れ を
( o f f
e n t l
i c h r
e c h t
l i c h
心
g4ゲPらご生ぃ) e Pflichten)
、{,ヤ54じャ一士巾 I 氏の「
8h祝中甲 iin
」(Steuerdeklationen) の芸〖欲
5ヽヽヽ
( 2 0 )
﹁まったく世俗的な概念で︑宗教的な色彩はふくまれていない﹂︑といつているが︑
にはすでに﹁生業﹂︑すなわち労仇を媒介とする職業が前提されているが故に︑
いいえよう︒従ってわたくしはここに別な角度から考察を加えると︑すなわち︑今日キリスト教において︑
p r
o f
e s
s
T e a c
h i n g
o L
a d
(
澤 村
︶
( a
v o
w o
n e s ̀
b e l i
e f
i n )
意味に用いられるごとく︑
9本来
p r o f
i t e o
r
近代資本主義経済社会機構における職業観念に通ずる道を︑
﹁ 租
税 申
告 ﹂
この語源解釈には無理がある︑と
は p
r o
( 1 1
b e f o
r e )
と
p r o f
e s s i
o
︑されば あるいは発見しうるであろうからである︒ というよりもむしろ︑ 反対給付を得ることを条件に役務を提供する︑
と い う 点 に ︑
少くとも ラテン語
o c
c u
p o
とかにみられる﹁個性の発揮﹂というよりも︑むしろ﹁役割の実現﹂という点が︑より顕著である︒これは普通︑
( 1 6 )
人が社会の中にある場所︑すなわち﹁職場﹂を占有することと解されているが︑而もなおドゥンクマンのごとく︑
( 1 7 )
﹁実際的な︑経済的色彩が濃厚だ﹂とされる所以は何故であろうか︒
"
p e
c u
n i
a m
o c c
u p
a r
e g
r a
n d
i f
e n o r
e "
( C i c
e r o )
と 伸
m
せられているように︑ 盆
t o
i n
v e
s t
m o
n e
と か y
t o p
u t
u o
t と
( 1 8 )
かいう意味がふくまれているからであり︑特にこの例文に示されるごとく︑なんらかの役務の提供によってその反
お も う に
︑
の中には︑
﹁ 天 職 ﹂ と か
﹁ 職 分 ﹂
労仇領域﹂とかを
o c
c u
p o
する︑いわば個人が社会連関
( G e s
e l l s
c h a f
t s z u
s a = e
n h i i
n g e )
の中に自らの位置を獲得す
る︑ことに由来している︒従ってこの
0c c
u p
a t
i o
( 1
1 o c
c u p a
t i o n
)
に は
︑
B e
r u
f な
ど の 如 く
︑
てもよいであろう︒ 語 の p r o f e s s i o n
( 2 1 )
多 い の は
︑
特に後者がまた
L e h r s t u h l
︵ 教
授 す
る 椅
子
1
講
1座 ︶
を意味するとき︑
( p r o f e s s i o n )
の﹁専 このことはまことに顕著である︒されば︑英
専 門
﹂
︵ 教
授 ︶
と は
︑
p r o f i t e o r
する人を
f a t e o r ( 1 1 c o n f e s s )
との結合詞であり︑それは神の﹁前で﹂真実を﹁告白する﹂ことである︒神の前で真実を﹁告
白 し ︑ 明 言 す る ﹂
( f a t e o r a t q u e t e i a m p r o f i t e o r : C i c e r
o ) ことから︑弁神論
( D e i s m
) の哲学を説く場合に︑
p h i l o s o p h i a m p r o f i t e o r ( C i c e r o )
と 用 い ら れ ︑
v e r i t a s
と共に
j u s t i t i a
を説くを
j u s p r o f i t e o r ( C i c e r o )
といわれているが︑の
ち転じて︑真理を
と こ ろ が
︑
p r o f e s s o r
(ラテン語︶と呼ぶに至った︑と考えられる︒されば
p r o f
e 謗
o r
﹁神の前において誠実をもつて告白するごとく︑すべての人の前で真理を説く人﹂を指す︑という
のが本源的な言葉の意味であろう︒すなわち︑教授は真理を説くことを﹁事とする﹂
( p r o f e s s i o n a l )
とする人びとのことであって︑かくして特に神学︵哲学︶︑法律︑医学の三つの学問にたず
さわる専門家のことを︑古くは
t h e l e a r n e d p r o f e s s i o n s
と称したのである︒従って
p r o f e s s o r
と は
︑
真理を明言する専門家﹂であって︑教授することを﹁職業﹂とする人びとのことではなく︑現に﹁教授職﹂をあら
わす英語として
p r o f e s s o r s h i
p ︑ドイツ語で
P r o f e 謗 o r a t
と称するのは︑
が 今 日 な お ︑
専門の技術を必要とする︑しかも非営利的奉仕的職業にかぎつて用いられることが
﹁ ⁝
・ :
. .
の知識︵技術︶があると主張する﹂という
p r o f e s s i
0
の語源的な意味に由来している︑といつ
これが世俗的な﹁職業﹂の意味をあらわすようになったのは︑おそらく﹁専門﹂
門 化
﹂ ( s p e c i a l i z a t i o n )
が︑複雑化して進展する社会機構の要求に応じて必然的に起つて来たのであり︑その意味では︑
わたくしが前に指摘したとおり︑専門家が社会連関の中に自らを定位させなければならない︑という事情に当面し
日e a c h i n g L o a d ( 渾 村
︶
この間の消息を伝えるものであろう︒
1 0
﹁ 学
問 の
( p r o f i t e r i )
︑いいかえると﹁
401 h e r m e n e u t i s c h )
分析を通じて︑意味されている内容を指摘し来ったが︑
で も
T ︑
g c h i t : . L g o a d ( 澤 村 ︶
いずれも近代資本主義経済社会機構における社会連関
( G e s e l l s c h a f t s z u s a m m e n h a n g e )
定
( O r t s b e s t i m m u n g )
と志向的定位
( O r i e n t i e r u n g )
とを限定する意味において︑まさに
o c c u p a t i o n の範疇に入るも
のであろう︒この
0c c u p a t i o n
という﹁職業﹂観念が︑もつとも近代社会におけるそれにふさわしく︑経済的色彩 かくのごとくに︑
﹁ 職 業 ﹂ の 個 人 的
︑
社会的及び経済的側面を︑ て明瞭・精確にあらわれているのである︒ ら
れ て
︑
の 中
に ︑
﹁生業﹂はもちろん︑﹁職分﹂でも﹁天職﹂ いわゆる﹁教育職員﹂として︑ 本来学問の﹁専門家﹂を意味しているので
o c c u p a t i o n
て来たためであろう︒フィヒテもまた︑﹁学者は︑学者でない他の人達と対立させられる限りにおいてのみ
( i n w i e f e r n e r a n d e r e n M e n s c h e n e n t g e g e n g e s e t z t w i r d
̀ d i
e d a s n i c h t s i n d )
︑ 辛
ナ 去
8
で
太 }
る °
淫 ナ
去
P
の
螂 仇
合 心
は ︑
比較によって︑すなわ
( 2 2 )
ち︑社会への関係づけによって
( d u r c h V e r g l e i c h u n g , d u r c h B e z i e h u n g a u f d i e G e s e l l s c h a f t
) ︑成立する﹂︑といつて
・いるのである︒されば︑社会連関の中に自らの位置を獲得するという意味において︑まさしくそれは
的性格を明瞭にして来たわけであり︑従つて
p r o f e s s i o n
が︑たとえ専門的技術を要し︑奉仕的職業の意味に用い
( 2 3 )
﹁自由業﹂とか﹁自由職業﹂
( l i b e r a l
e r 唇
r u f )
と称せられるにしても︑それはただ中世的残滓を言葉の中
にただよわすだけのことであり︑今日の資本主義経済社会機構にあつては︑実質的には
o c c u p a t i o n
とは何んら変る
ところはない︑というべきであろう︒たとえば︑
p r o f e s s o r に し て も
︑
あるが︑教授が大学という﹁社会機構﹂の中に定位づけられて︑教授することを﹁職業﹂とする職業労佑的性格を
もつ場合には︑
t e a c h i n g s t a f f
とか
r e s e a r c h s t a f f
とか
s t a f f ‑ m e m b e r s
と か
︑
一般労務者なみの言葉で表現せられることは︑ アメリカの大学行政や大学財政等の用語使用などにおいてはきわめ
それらをそれぞれ表示する言葉の解釈学的︵
各人の位置決
というべきであろう︒ 労佑は等価的に観察されなければならない︒
殊
(berufsmaBig の濃厚である点は︑さきに関説したとおりであるが︑元来Berufには ﹁召命﹂と﹁労仇﹂との二つの意味が含ま
れていたことは︑すでにウェーーバァの指摘するが如くである︒すなわち︑ルッタァが聖書醗訳の際に︑﹁二様のまつ
( 2 4 )
たく異った概念を﹃Beruf﹄という語で訳し﹂ているのであり︑ひとつは︒ハゥロの
KAジS C ( 1 1 a
c a
l l
i n
g )
の 訳
語 に
あ て
︑ 他 は / J p y o v ︑ ま た m を 名 を B e r u f と 訳 し た の で あ る ︒ / J p y o i
︑ も き 6 p o へ も 共 に w o r k
( o r
t a s k
, w
o r
k )
の こ
とであるが︑workといつてもa
h a
r d
p i e
c e
o f
workまたはa
s e
v e
r e
w o
r k ︑
( 2 5 )
︵2 6
)
るから︑ウェーバァが︑これをArbeit (労佑︶とすべきであったとするのも︑また無理からぬところである︒殊に
S p
' Y
o v
に い
た っ
て は
︑ w
o r
k
o f
i n d u s t r y と か b u s i n e s s と か い う ほ ど の 意 味 を も も つ て い る か ら ︑ あ る い は 近 代
的な意味のworks
o f
occupationにすらも相当する面をもそなえていたようである
( 2 7 )
e 1 3 p
l o y 1 3 e
n t と い う の が あ る ︶
︒ 従 っ て
﹁ 職 業 ﹂ と は
︑
T e a c
h i n g
o L
a d
( 澤 村 ︶
念
' Y O V の 表 示 す る ご と く
︑
( B e r
u f s a
r b e i
t . o
w o r
r k s
o f
o c c u
p a t i
o n )
のことであって︑ 根源的には﹁労佑﹂のことであり︑
︵ な
お 訳
語 に
は o
c c
u p
a t
i o
n ,
すなわち﹁激務﹂ のことであ
これが﹁労仇﹂の純粋な形であるとゾ しかも﹁職業労仇﹂
( 2 8 )
ムバルトもいい︑またウェーバァは︑﹁それが絶対の自己目的ー│﹃Beruf
( 1 1
職業︶﹄ーー`であるかのごとき労仇
( 2 9 )
︑ ︑ ︑ ︑ ︑
﹂と称するのである︒だから職業の如何をとわず︑﹁職業として組織的且つ合理的に
(30)
s y s t
e m a t
i s c h
u
n d
r a
t i
o n
a l
) ︑
人 口
辻
i的2
な 而
収 天
皿 尤
J
土
担 西
小 ナ
ソ る
﹂ か
ぎ り
︑
ヽ ヽ
(31)に﹁合理的な資本主義的労佑体制﹂(die
r a t i
o n a l
k a
p i t a
l i s t
i s c h
e
A r b e i
t s o r
忌 g a
a t i o n ) に お い て は と り わ け 然 り
註
( 1
T e )
a c h i
n g L
o a
d
! , ! .
つ い
て は
︑ 大
学 教
授 の
場 合
T e
a c
h i
n g
H o
u r
l
o a
d と
T e
a c
h i
n g
C l a s
s ,
l o
a d
と に
わ か
ち う
る ︒
後 者
403
T g
c
h i n g o L a d ( 澤 村 ︶
という語は︑ は普通教員の負担するクラスの学生総数としてあらわされ︑これを大学単位または学部単位でフゥリエ積分したもの が︑いわゆる
S t u d e n t p e r T e a c h e r
または
S t u d e n t ‑ T e a c h e r ‑ R a t i o
といわれるものである︒
T e a c h i n g H o u r , l o a d は 教員の負担する
C l
a 器
r o
1 3 , o
h
o u r s
としてあらわされるのであり︑従って正確な
T e a c h i n g L o a d を表示するには C に
s s , ( 2
) L i d d e l l a n d S c o t t G ,
r 裔
E k , n g l i s h L e x i c o n , p .
687
( 3 ) 拙 稿
﹃ ヴ ェ プ レ ン と 教 育 経 済 学
﹄ 関 西 大 学 経 済 論 集 創 立 七 十 周 年 記 念 号 ( 4
) W
e r n e r Somb~rt,
V 0 1
3 M
e n s c h e n
ー
V e r s u c h e i n e r g e i s t e s w i s s e n s c h a f t l i c h e n A n t h r o p o l o g i e ,
19 38 ,
S .
56
ハ イ マ ン も ︑
ろう﹂︑といつている
( E d u a r d H e i m a n n , W i r t s c h a f t s s y s t e
B e
u n d G e s e l l s c h a f t s s y s t e m e ,
1 95 4,S .
1
9)
c
( 5 )
S o m b a r t , o p . c i t . , S .
56
( 6 ) i b i b . ̀
s .
57
( 7 ) こ の S p i e l 性が﹁学問のための学問﹂ということの学問社会学
( S o c i o l o g y o f S c i e n c e ) 的基盤であるといえよう︒
( 8 ) G . W .
F•
H e g e l ̀ E n z y k l o p e d i e d e r p h i l o s o p h i s c h e n W i s s e n s c h a f t e n ,
§.
52 5,
L a s s o n , . S
436
( 9 ) K a r l u D n k B
a n n , i D e L e h r e v o
m B e r u f , I I . B u c h , S o z i o l o g i e d e r Beruf~`
19 22 ,
s .
182
( 1 1 )
F r
i t z K a r l M a n n , B e r u f u n d E r w e r b ( i n 0 K o l n e r V i e r t e l j a h r s h e f t e f u r S o z i a l w i s s e n s c h a f t e n , n
2 .Jahrg•
H e f t e
4. ),
s .
3856
﹁最大の心理的満足は
. . .
閑暇な時間
( M u 1 3 e s t u n d e n ) の享受
( G e n u / 3 )
J . !おいて求められるであ ( 1 2 )
M a x W e b e r , i D e p r o t e s t a n t i s c h e E t h i k u n d d e r : s >
G e i s
^ t
d e s K a p i t a l i s m u s ,
19 34 ,
S .
63
﹁聖書の醗訳に由来しており︑
( 1 0 ) S o m b a r t , o p . c i t . , S .
56
1 0 0 頁 等 参 照 ︒
それも特に原典の精神にではなく︑
h o u r
または
C r e d
i t ︑
h o u r s
を用うぺきであろう︒
もと﹁職業﹂
( E
日
1 f )
醜訳者の精神に由来している﹂︒ なお
Teaching Load (殿写)
(Weber, op. cit., S. 65)
.::t ~(臼)(苫)
ibid., S. 65 1 回
(!::l) occupo 迂
,¥‑'Q幸 invested at high interest
心.f:,'invest in cattle 掘 ,il,J.,.i
,.;,:t-~,Q゜,\-'Q嘔怜擬猛(臼)鈴淫゜(:=I) 圏 1 哩菰哉『藝線 '.il.14 暉 j
11-1く直~\匪゜(~) Dunkmann, op. cit., SS. 1725
~匪゜
(~) Cassell's Latin Dictionary t¥‑'Q 等 Lew̲is Dictionary, Lewis and Short
Dictionary釉~\匪゜(~) . (~) Weber, op. cit., S. 64
(~)認i竜芸眠繹
I
Iや巨~\匪゜(斜) J. G. Fichte, Einige Vorlesungen tiber die Bestimmung des Gelehrten, 1794, in Fichtes Werke (hrsg. v. F.
Medicus) ,Bd. I, S. 221
(府) Weber, op, cit., S. 64, Anmerk,
(芯) ibid., S. 66, Anmerk.
(~) Liddell and Scott, Greek‑English Lexicon
(衷) Weber, op. cit., S. 66, Anmerk.
(~) Liddell anp Scott, Greek‑English Lexicon
(器) Sombart, op. cit., S. 56
(翁) Weber, op. cit., S. 46
(忌) Weber, op. cit., S. 49
(窃) ibid., S. 43
40/5
T e a c h i n g o L a d ( 澤 村
︶
しないように自己防術するため︑大学の学問が︑ ヴェプレンのいうごとくに﹁秘伝的知識﹂
一 五 ( e
s o t e r i c k n o w l e d g e )
a f t s z u s a m m e n h i i n g e )
の中に自らを定位づけることによって︑
とも称せられ来ったのであるが︑もと﹁職業﹂を﹁天職﹂とする
源﹂'は︑キリスト教の︑ウェーバァによれば特にプロテスタントの︑教説にあることがすでに明らかとなった︒け
( 1 )
さて︑教師の仕事は︑従来﹁天職﹂︑あるいは﹁聖職﹂ともいわれ︑またフィヒテのいわゆる﹁使命﹂
( B e s t i m m u n g )
︑ ︑
︑ ︑
︑
﹁この職業観念に内在する非合理的な要素の起
だし︑大学をふくめて学校一般が︑今日のごとき形相をとった.のは中世のことであり︑
ト教の修道院に発祥していることや︑またそこでの教師が僧侶であり︑あるいはたとえ僧職でなくともキリスト教
理
( D o g m a )
の解説に終始したスコラ学派
( S c h o l a s t i s c h e S c h u l e )
の学者であった︑というような事実が︑教師の仕
事をして︑特に顕著に﹁天職﹂という職業的側面において規定した所以なのであろう︒またそれと同時に︑中世の
( 3 )
︵4)
M e i s t e
r , L
e h r l i n g S y s t e m , o r M a s t e
r , A p
p r e n t i c e S y s t e m )
W
﹁ 蜘
8
師
呼 と
帯 す
庄
1
と
の 協
四 同
幻
g全口
ギルド的﹁親方
11
徒弟﹂制度︵
( u n i v e r s i t a s s t u d i i )
﹂ の
{ 中
に
5
砂入したところからヽこれにまつわる﹁親方﹂のヽ専門技術家にみられる﹁職人気質﹂
( 5 )
の﹁職分﹂的な職業観が複合し来ったものとおもわれるが︑もと教育は
つ人を必要とする︑という点において︑多分に後者の観念を根源的に有している︑といつてもよいであろう︒
( s p e c i a l i z a t i o n )
の社会的要求に応じて社会連関
( G e s e l l s c h ‑
﹁ 職 業 ﹂ と な っ た 時 ︑
﹁ 専
門 ﹂
( p r o f e s s i o n )
を一般化 ところでかくの如く︑﹁学問の専門家﹂が﹁専門化﹂
m a 6 }
§ ̀
さ さe
' T J 1: ex v' TJ
をつかうオ幹をも しかもそれがとくにキリス
う ︒ このたびは逆に﹁塀﹂を利用し︑世俗と断絶することをば試みた 化し︑もと﹁塀﹂にかこまれて成立した大学が︑
のである。これはまさしく、ギリシアの昔においては -rerop1.a
と注pa~~<: とが︱つであったものを︑後世分離させ
た︑その機縁ともなったものであろう︒しかもなおこの分離が︑純然たる学問的要求からではなく︑すなわちかか
( 6 )
る﹁学問社会学﹂
( S o c i o l o g y o f S c i e n c e
̀ o r W
i s 器 n s c h a f t s s o
Ni o l o g i e )
的な立場からではなく︑もつと現実的には︑﹁
専門﹂が一般化することによっての専門にたずさわる者の側に生ずる失業防衛︵仔
h u t z
・ g e g e n A r b e i t s l o s i g k e i t ) に 起
因していることは︑また否みえないところであろう︵まさにこの面を弥縫するために︑あるいは﹁象牙の塔 A
I v o r y Tower
•
の 美 名 が 強 調 せ ら れ た
︑ と も い え よ う ︶
︒
( 7 )
とが従来﹁特に中産階級﹂によって担われて来たとすることや︑またたとえば中世大学におけるこの世俗的な︑ヴ
ェプレン流にいえば金銭的
( p e c u n i a r y )
な面の露骨であった点について︑
・・・学者であった︒ この点は︑殊にヤス︒ハァスが指摘したように︑ 大学における
青年の徳操も学問の進歩も共に彼等にはどうでもよかった︒だから︑当時﹃金を取って祖国へ送る﹄
( 8 )
u n d i n s V a t e r l a n d s c h i c k e n , ) . . . I J
い ・ つ 士
心
X
々
p4
はラテン語の諺が発見されたのも極めて当然であった︒これが一面の見
( 9 )
方であった﹂︑と理想主義哲学者フィヒテをしてすらいわしめたのをみれば︑まさにおもい半ばをすぎるであろ
註
( 1 ) F i c h t e , E i n i g e V o r l e s u n g e n i i b e r d i e B e s t i m m u n g d e s G e l e h r t e n ,
1794
な ど 参 照 ︒
( 2 ) W e b e r , i D e p r o t e s t a n t i s c h e E t h i k u n d d e r ; 1 : > G e i s t < i d e s K a p i t a l i s m u s ,
19 34 ,
S .
62
T e a c h i n g L o a d ( 澤 村 ︶
彼等の名声は高まり︑ 同時にまた彼等の収入
( E i n
昔 k
f t e ) も 殖 え た
︒ ( G e l d n e h m e n
︵ だ
が ︶
﹁最初の大学の創立者達は
. . .
卓抜な
一 六
﹁ 勉 学 と 研 究
﹂
407
さて上記のごとき教育社会学的な展相を基盤として成立し来った教師の仕事の﹁天職観﹂の︑
を暴露し︑それからついに脱皮せしめたものは︑ほかならぬ教師の﹁労仇組合﹂
T g
c
h i n g o L a d
( . I :村 ︶
て い る ︒
四
G o t t f r i e E d i s e r m a n n
̀
19
55
),
s s
.
8999( 7 ) K a r l J a s p e r s D , i e I d e e d e r U n i v e r s i t l i t ,
1952
( 8 ) フィヒテの原文にはドイツ語のみ用いられ︑ラテン語は使用されていないので︑
て見たが︑遂に該当するラテン原文を発見出来ず︑ここに となったのである︒その訳文は
田中秀央先生をわずらわせて︑そのラテン訳を頂く仕鍛 p e c u n i a m a d i p i s c i e t i n p a t r i a 1 3
1 3
i t t e r e 中先生ならびに福本喜之助教授に︑深甚の謝意を捧げるものである︒
( 9 ) F i c h t e U , b e r d a s W e s e n d e s G e l e h r t e n u n d 器 i n e E r s c h e i n u n g e n i m G e b i e t
d e r F r e i h e i t , i n F i c h t e s W e r k e ( h r s g . V•
F . M e d i c u s )
,
B d . V , . S
57
森昭訳ヤスパァス大学の理念
一 七 ( T r a d e U n i o n )
であった︒教員
田
( 3
)
Fichte•
D e d u z i e r t e r P l a n e i n e r z u B e r l i n z u e r r i c h t e n d e n H o h e r n
B i t
e i n e r A k
a d e , m i e d e r W i s s e n s c h a f t e n s t e h e ( i n 0 D i e l d e e d e r d e u t s c h e n U n i v e r s i t i t t , 0
1
95
6)
!
S .
134
( 4 ) V e b l e n , T h e H i g h e r L e a r n i n g i n A m e r i c a , p .
18
( 5 ) フィヒテは︑教師には技術的オ斡を必要とし︑それは﹁技術家﹂
( 6 )
たとえば
A l o i s D e m p f , D i e l d e e e i n e r S o z i o l o g i e e d r W i s s e n 啓 h a f t ( i n 1 1 W i r t s c h a f t u n d K u l t u r s y s t e m , ' 1 hrsg•
v o n
なおデンプフは本論文中︑
W i s 器 n s c h a f t s s o z i o l o g i e という成語をも使用し
二 五 0 頁参照
わたくしとしては能うかぎりしらペ
である︒なおこの点に関して︑
その外面的形式性
( K i i n s t l e r )
である︑としばしばのぺている︒
するにとどめるであろう︒ いわばウィルソン 数料 ( s t i p e n d )
を受取ることによって︑対社会的に自らの衿持をもたもちうるのである︒
一八八四年フランスで結成せられた
L g
S y n d i c a t s d e s I n s t i t u t e u r s
に は
じまり︑同じくフランスの
F e d e r a t i o n F e d e r a t i o n U n i t a i r e d e l ' E n s e i g n e m e n
など︑またイギリスの t
N U T ( N a t i o n a l U n i o n o f T e a c h e r s o f E n g l a n d n a d W a l e s )
とか︑さらにアメリカの
A F T
ての歴史的︑とくに教育社会学的展相もまた一応吟味さるべき問題でもあろうが︑いまは本論の主旨とも相離れる
のでこれを省略し︑従ってここでは︑
( L o g a n W i l s o n )
アメリカにおける教員組合の︑しかも本論に関係ある範囲のみを︑すなわち
( 1 )
の﹁教職社会学﹂
( S o c i o l o g y o f
a
P r o f e s s i o n )
的な観察の一部だけを︑問題と
アメリカにおける教員組合の発達は︑諸他の国ぐににくらべていささかおくれ︑やっと一九 0 二年頃から各地で教 ところで教員の労仇組合については︑
p o s i t i o n
を獲得・確保するとともに︑学者
・ つ ︒
むしろこれによって︑
わたくしが前にふれたとおり︑教員は
という︑またその他の社会連関 が労佑組合を結成することが︑たとえ近代資本主義社会の経済的環境に順応する︑あるいは止むなく順応させられ るにいたったものであるとしても︑
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h i n g o L a d ( 湿 村
︶
その事情の如何を問わず︑ともかくも教員の仕事を職業労仇
( B e r u f s a r b e i t )
と
みるものであり︑ヴェブレンのいわゆる実業原理による教育企業
( e d u c a t i o n a l e n t e r p r i s e ) 位置づけ
( o r t
g s b
t i m m e n u n d o r i e n t i e r e n )
︑