19世紀初頭のフランスにおける農業問題
その他のタイトル Agricultural Probloms of France in the Early Nineteenth Century
著者 吉田 静一
雑誌名 關西大學經済論集
巻 13
号 1‑2
ページ 179‑204
発行年 1963‑06‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15443
I 7 9
フランス革命にたいして世界史上もっとも﹁古典的﹂なプルジョア革命としての地位があたえられるにいたったの
は︑それが︑プルジョア革命の核心をなす農業
1 1
土地問題を︑もっとも徹底的な形態で処理したことにもとづくもの
( 1 )
であった︒そうしてそれは︑研究史上.﹁農民革命﹂
のであるけれども︑この範疇そのものは︑すでにわれわれには知られているように︑それがジョルジュ・ルフェーヴ
ルによってはじめて措定されたときには︑プルジョア革命の中核に据えられるべきものとしてではなく︑むしろ︑フ
ランス革命を構成する他の幾つもの革命のひとつとして︑
しかもその自律性
( a u t o n o m i e )
のゆえに本来プルジョア
革命とは異質な︑したがって資本主義の発展に逆行的な革命として措定されていたのであった︒はじめこうしたもの
として措定された﹁農民革命﹂は︑しかし︑これもまた周知のように︑高橋幸八郎氏によってプルジョア革命の中核
( 3 )
に据えられることとなり︑そうしてそれによって﹁古典的﹂なプルジョア革命の内容と形態︑そのもとでの農業 u 土
一九世紀初頭のフランスにおける農業問題︵吉田︶ A
r e v o l u t i o n
paysanne
•
という範疇を結晶せしめるにいたった 吉 田
九世紀初頭のフランスにおける農業問題
静
一 七
九
関 西
大 学
﹃ 経
済 論
集 ﹄
第 十
三 巻
第 一
︑ 二
号
地問題の歴史的意義が明確にされることとなったのであった︒その歴史的意義とは︑封建的土地所有規範の根底から
の解体ということにほかならない︒
ところで︑封建制度を根底から廃棄し﹁古典的﹂なプルジョア革命をみずからの歴史のうえにもつにいたったフラ
ンスが︑しかし他方︑その資本主義の発展において必ずしも急速ではなく︑却って停滞的であったことは︑たしかに
歴史の逆説であった︒この逆説がふくむ意味の重大性は︑プルジョア革命を﹁封建制から資本主義への移行﹂のなか
に位置づける基礎視角にそれをてらしてみるとき︑おのずから知れるところであろう︒もとよりこの逆説にたいして
は、革命によって成立した分割地農民 (Parzellenbauer) に内在する二つの側面ー—その成立の必然と限界、存在の経
( 4 )
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 過性と保守性ー│を指摘することが可能である︒だが︑問題はそれほど簡単ではない︒﹁農村の生産者︑農民からの
︑ ︑
︑ ヽ
( 5 )
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
土地収奪﹂が資本の本源的蓄積の﹁過程全体の基礎﹂であるかぎり︑イギリスのヨーマンに比してその限界と保守性
とをより強くしめしたフランスの分割地農民は︑いかなる過程の所産であったかが︑あらためて問われなければなら
なかった︒こうして︑そのような分割地農民を成立せしめた農民革命が︑あらたな視角からふたたび問われることと
( 6 )
︑
︑
︑
︑ ヽ
( 7 )
︵8)
なり︑その結果︑あるいはフランス農民革命の特質
1 1
特殊性が︑あるいはその挫折の面が︑とりだされるにいたっ
た の
で あ
る ︒
さて︑右の要約から知れるように︑
問題の一端を検討することによって︑ フランス革命の土地問題については︑
なう研究成果とがみられるようにおもわれる︒本稿は︑ このような問題視角の推移とそれにとも
このような研究情況を見据えつつ草されたものではあるけれ
ども︑もともと広い展望を必要とするはずの右の課題に全面的にこたえるものでは到底なく︑革命直後における農業
フランス資本主義と土地制度の問題に迫るための布石をこころみておこうとす
一 八
〇
I 8 I
るものにすぎない︒ただ予知的に言っておくならば︑われわれの基礎視角は︑
︑ ︑
︑ ︑
フランス資本主義ー産業資本を基祗
とする生産
11
社会関係ーー︑の形成におかれているのであって︑土地制度もまたそれとの相互規定的な関係のもとでと
( 9 )
り扱われるのにほかならない︒産業資本は︑当面する土地制度︵土地所有形態︶を︑みずからの発展段階に応じて︑た
えずそれに適合的な形態に編成していくのであって︑その逆ではない︒ 一九世紀初頭におけるフランスの農民層分解
︑ ︑
︑ ︑
が︑なお全面的︑本格的でなく︑停滞的とみえたのも︑当時フランスの産業資本が︑﹁マニュファクチャー﹂として︑
未だなお資本制生産の端緒段階にあったことにもとづくものであって︑
角もまた︑ここにおかれていることを︑あらかじめ付言しておきたい︒
八
その逆ではない︒以下の叙述における基礎視
( 1 ) Cf•G•
L e f e b v r e , L a e R v o l u t i o n f r a r n ; a i s e e t l e s
p a
y s
a n
s ,
d a n s E t u d e s s u r l a R e v o l u t i o n f r a r n ; a i s e , p .
24 9.
( l l
! E m
三
千雄訳﹃フランス革命と農民﹄未来社刊︒︶
( 2 ) I b i d
••
たとえば﹁その発生・進行・危機・傾向の点で独自な自律性をそなえる農民革命︒﹂﹁それがとくに自律的であったの は反資本主義的な傾向を帯びている点であり︑わたくしが強調するのもこの点なのである︒﹂
( 3 ) 高橋幸八郎﹃市民革命の構造﹄のうちとくに﹁序説市民革命の経済構造﹂における行論を参照︒
( 4 ) 高橋幸八郎氏の前掲書における︑とくに五ニー三頁︑ニ︱八ーニ
0 頁の叙述を参照︒
( 5 ) マルクス﹃資本論﹄第一巻第七篇第二十四章︵向坂逸郎訳︑岩波文庫版第四分冊︑二七
0
頁 ︒
︶ ( 6 ) この点についてのもっとも鮮明な表現は︑遅塚忠射﹁﹃農民革命﹄という概念について﹂︵﹃歴史評論﹄八
0 号︶のなかに
あたえられている︒たとえば﹁フランスでは農民革命が貫徹したために市民革命が﹁下から﹂のコースをとり︑資本主義へ の移行がアメリカ型で行われた︑が︑同時に︑そこに成立した資本主義は異常に歪んだ階級棉成をもって停滞的となった︑
このままでは︱つの矛盾・ニ律背反にすぎない︒では︑この問題はどう解かるべきであるのか︒﹂ついでながら︑この点は高 橋氏によって必ずしも意識されていなかったわけではない︒たとえばつぎの叙述︒﹁フランスにおいては︑反封建的"領主
一九世紀初頭のフランスにおける農業問題︵吉田︶
関西大学﹃経済論集﹄第十三巻第一︑二号 的運動は︑イギリスの場合のようにプルジュワ化しつつある独立自営晨民層の完全な指導のもとに制握されたというより も︑より広汎に小農民層大衆の運動
D
農民革命のうちに推進されたから︑この広汎な小農民大衆の自らの存続の拠点となる
農村共同体的諸規制︑例えば︑オープン・フィールド︑あるいはヴェーヌ・パチュール・コレクテイヴの如きは︑十九世紀
後半においてもなお小晨民的意義において保持され︑農民層の爾後のより自由な分解がそれによって却って阻止され︑資本
主義的進化の過程が非常に緩慢になったということ︑こういったことが近代フランス経済社会の構造にとって特徴的な点で
あろう︒﹂︵高橋氏の前掲書︑五三頁︒︶
( 7 )
遅塚氏の前掲論文を参照︒ここではつぎの一節を引用しておく︒﹁フランス革命における農民革命の基本課題は︑封建的諸 権利︵封建地代︶の無償廃棄
D
晟民解放の中にあった︒⁝⁝これがフランス農民革命の基本的内容であり︑その基本的意義
である︒ところが︑革命前における農民層の資本制的両極分解の進展の結果︑農民層の内部には﹁農村プルジョアジー﹂と
貧最層との対立が激化しており︑この対立は︑特に土地再分配に関する諸問題をめぐって前面に露呈され︑そこに︑強力な
土地再分配︵国有財産の分割売却・大経営地の分割等々︶を要求する貧晨層の独自な運動が展開した︒これがフランス農民
革命の具体的現象形態における特質
1 1
特 殊 性 で あ る ︒ ﹂
( 8 )
この点をとくに強調されるのが︑服部春彦氏である︒同氏の論稿﹁﹃二つの道﹄の理論とフランス型 I フランス革命の土
地改革の再検討││﹂︵民科京都支部歴史部会機関紙﹃新しい歴史学のために﹄六五号︶の結論の部分にふくまれるつぎの
一節を参照︒﹁︹フランス︺革命の土地変革の結末は︑﹁地主的土地改革﹂と﹁最民的土地革命﹂との妥協であり︑いずれ
か一方の全面的勝利ではない︒最民的土地革命の勝利の面︵封建的諸権利の無償廃棄
1 1
分割地的土地所有の創出︶のみを強
調して︑その挫折の面︵地主的土地所有の存続︶を無視ないし過少評価するのは︑正しくないであろう︒﹂地主制︵土地制
度としての︶がフランス革命によって廃棄されなかったことは︑河野健二氏の意義深い指摘︵﹁土地改革﹂︹桑原武夫編﹃フ
ランス革命の研究﹄所収︺︶以来︑今日では広く認められているところであるが︑河野氏ならびに飯沼二郎氏が︑それを歴史
の必然
1 1
一段階としてその意義を積極的に承認されようとしているのにたいし︑服部氏が同じ事実に立脚しながらそれを農
民的土地革命の挫折︵革命後における農民層分解を停滞せしめる要因︶として評価されようとしているのは︑対照的であ
る︒なお服部氏の上掲論文は︑クイプ印刷のものであるが︑より体系的なかたちで京都大学人文科学研究所の共同研究﹁比
絞革命史の研究﹂の論文集の一篇として公けにされるはずである︒
八
183
I I
八
( 9 )
こ こ で の 用 語 法 に つ い て は ︑ つ ぎ の マ ル ク ス の 一 句 に 準 拠 し て い る ︒ ﹁ こ こ で 産 業 的 と い う の は ︑ 農 業 的 に た い し て 言 う の
で あ
る ︒
﹂ ︵
﹃ 資
本 論
﹄ 第
一 巻
第 七
篇 第
二 十
四 章
︑ 岩
波 文
庫 阪
第 四
分 冊
︑ 三
二 九
頁 ︒
︶
はじめに︑革命直後の農業状態についての同時代人の観察を二︑三とりあげておこう︒
当時のフランスの農学者モンタリヴェ
さむわけにはいかないであろう︒この進歩が急速であったのは︑とくにこの一 0 年間である︒﹂彼は︑この進歩をしめ
げ︑ついで﹁農村の住民は︑ す例として︑とりわけ︑栽培牧草地
p r a i r i e s a r t i f i c i e l l e s
の創設︑飼料の改良︑輪作形式の変更︑農民生活の富裕をあ
( 1 )
ほとんど到るところで土地所有者
p r o p r i e t a i r e
になった﹂と述べている︒
ばあい︑とくに注目しておきたいのは︑
とらえていることである︒彼は︑
ることを指摘しており︑
一 八
一
0 年︑農業協会
I a
S o
c i
e t
e
d ' a g r i c u l t u r e
﹁ こ
こ 三
0 年間のフランス農業の進歩については︑なにびとも異論をさしは
モンタリヴェが︑革命直後のフランスの繁栄を︑革命そのものの所産として
この繁栄が封建制
f e o d a l i t
e ︑十分の一税︑ ところでこの
そうしてそれによって︑今日では多くの農民家族の自由な世襲財産となっている︑多数の私
的土地所有が成立もしくは解放されたことを明言している︒彼が︑
を因果関係においてとらえていることは︑言うまでもあるまい︒ このような農民的土地所有の成立と農業の繁栄と
ローヌ県知事の一八一四年の農業報告は︑すべての土地が小経営によって耕作されていることを指摘したの
一 九
世 紀
初 頭
の フ
ラ ン
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お げ
る 農
業 問
題 ︵
吉 田
︶
告 の な か で ︑ つぎのように語っている︒
M o n t a l i v
e t
は ︑
マン・モルトの廃止にもとづくものであ
•
での報
らの所有地
d o
8 a i n e
の改良をもとめない土地所有者は︑ ひとりもいない︒租税の比例的分布︑うとましい一群の慣
え る
︒
関 西
大 学
﹃ 経
済 論
集 ﹄
第 十
三 巻
第 一
︑ 二
号
経済組織のなかにもたらされた完成の思想のおかげで︑
つぎのように述べている︒ ﹁農業の進歩は︑国有財産の売却︑相続による土地分割︑耕作者の理解および農村の
( 3 )
この二五年来︑よりいっそう著しいものとなった︒﹂
一九世紀初頭の化学者︑政治家で︑保護主義者として知られるシャプタルのばあいは︑もっと明確である︒彼
( 4 )
の著書﹃フランス産業論﹄の第二部は︑フランス農業の現状を明らかにし︑その発展のための政策を見定めようとし
たものであるけれども︑ フランス農業の現状についての彼の概括は︑
﹁もし今日の農業を一七八九年の状態と比較するならば︑ つぎの一節のなかに端的にしめされているとい
この間に達成された改良に︑おどろかされるであろ
う︒あらゆる種類の収穫物が土地をおおい︑多数の退しい家畜が働き︑土地に肥料をふりまいている︒健康的で豊富
な食料︑清潔で住みごこちのよい住居︑粗末だがきちんとした衣服︑これが農村の住民の与りえたものである︒農村
( 5 )
からは貧困が追放され︑あらゆる生産物を自由に処分できるようになったおかげで︑富裕な生活がはじまった︒﹂それ
で は
︑
この農業の改良と富裕な農村生活とをもたらしたものは︑何であったか︒それは︑革命にほかならない︒革命
によって︑農民の土地所有は法的保障をうけ︑彼の労働生産物はみずからの手中に確保されるにいたり︑農民は生産
者として尊敬されるにいたったことは周知のところであるけれども︑それらのことが︑フランスの農業を豊かにする
( 6 )
うえに大きな意義をもったことは疑えない︒それについて︑シャプタルは︑
ては変った︒必要に迫られてであれ︑趣味によるのであれ︑農業の進歩に強い利害をもたない︑そうしてまたみずか
習
u s a g e s
の廃止︑土地分割一
a ・ d i v i s i o n d e s p r o p r i e t e s
農民の自立
i n d e p e n d a n c e
が︑到るところで農業
l ' i n d u s t r i e a g
︑
( 7 )
r i c o l e
を活澤にした︒﹂しかし︑シャプクルがとくに強調するのは︑革命における土地移動ー←︵小︶土地所有者の創 m ち︑つぎのように述べている︒
一 八
四
﹁ 今
日 ︑
す べ
185
一九世紀初頭のフランスにおける農業問題︵吉田︶
えないような所有地があった︒ ︹ 革 命 の ︺ 諸 事 件 が ︑ それを分割させた︒ 長い経験が教えるところでは︑ p r i e t e s ︑
一 八 五
﹁ こ
の 一
︱ ‑
0 年間に生じた非常な数の土地移動
およびきわめて多数の土地所有者
p r o p r i e t a i r e s
の創出が︑当然︑農業の改良に貢献したにちがいなかった︒
幾何かの土地の新しい所有者
p o s s e s s e u r
は︑かつての所有者以上に熱心に︑
作に注意をはらう︒彼は︑生産物の増大をもとめ︑
ころはどこでも開墾し︑作付に適しているとおもわれるところにはどこでも作付する︒彼は︑可能なあらゆる改良を
実現するまでは休むところをしらない︒かつてフランスには︑広大ではあるが︑
て 収
穫 は
一
0 倍にもなった︒この種の実例は︑ 出にともなう農業改良の進展についてである︒
そのためには骨身を惜しまない︒彼は︑耕作可能とおもわれると
その生産物ではほとんど一家族も養
︹その結果︺土地全体が耕作され︑
( 8 )
フランスの到るところでみられる︒﹂ そうし
( 1 ) C i t e p a
r 0 . F e s t y , L e s p r o g r e s d e l ' a g r i c u l t u r e f r a r n ; a i s e d u r a n t l e P r e m i e r E m p i r e , a d n s R e v u e d ' h i s t o i r e
・1957,
n ° 3 , p p . 2 8 2 ︑ 3 . e c o n o m 1 q u e e t s o c i a l e , ( 2 ) このモンタリヴェの判断にたいして︑プルポンの王政復古の支持者ドゥカズ
D e c a z e s が︑のち一八二
0
年 に は
︑ 革 命 の 結 果とモンタリヴェがみたこの農業の進歩を︑できうるかぎり過少評価しようとし始めることに︑注意がひかれる︒つぎの叙 述をみよ︒﹁土地所有の分割と関係のあるこの進歩は︑農法の改良とは無縁である︒そうして耕作の理論あるいは実際のな かにもたらされた完成についていえば︑それが数多くありかつ著しいことを否定するわけにはいかないが︑しかしなすべき
ことが多く残されていることもまた︑否定しえない︒﹂
C i t e d a n s 0 . F e s t y , a r t . c i t .
̀ p .
8 2 3 , n . 3 6 . ( 3 ) C i t e d a n s
O .
F e s t y , a r t .
cit••p p . 2 8 6 7 . ( 4 ) J . A . C h a p t a l ,
De
l ' i n d u s t r i e f r a n
< ; a i s e
2 ,
v o l , 1 8 1 9 . この書の意義の指摘と第四部の紹介とを︑わたくしは﹃フランス重 商主義論﹄第四章のなかでおこなっておいた︒参照していただきたい︒
その耕
m u
t a
t i
o n
s
d a
n s
J e
s p r o ,
(5)
C h a p t a l , o p c i . t . , p .
15 3.
( 6 ) C f .
C h a p t a l , o p c i . t . , p .
1 3 8 .
フランスはその自然的条件においてイギリスよりも遥かに恵まれているにもかかわらず︑
旧来の社会制度がその開発を妨げていた︑とッャプタルはみたのである︒
( 7 ) C h a p t a l , o p
cit••.
p .
13 9.
( 8 ) C h a p t a l , o p . c i t . , p p .
1523.
ここで︑今割地農民の確立過程をしめしたつぎの一節を引照しておく︒﹁この三
0 年間に
生じた諸事件は︑土地所有者
p r o p r i e t a i r e s の数を倍加した︒と同時に︑旧来の土地所有者の大部分にたいして︑彼らの世
襲財産 patrimoine を増大させる手段をあたえた。·…••没とんどすぺてのものが、土地財産を大きくして、多様な生産物を
もってあらゆる生活必需品を供給するようになり︑家族の労働力を年間を通じて土地で利用しうるようになった︒こうした あり方が︑農地
p r o p r i e t e s r u r a l e s
のもっとも有利な分割方法なのである︒﹂
C h a p t a l , o p .
cit••p p .
139
︑
40 .
本文および
ここでの引用文がしめすように︑ッャプタルは︑小土地所有
11
経営︵それは革命の所産である︶の優越性を説いてやまない︒
彼がそうするのは︑第一は︑ここでの引用文から郊れるように︑小土地所有
I
小経営のもとにおいてはじめて家族労働力の
燃焼が可能だからであり︑第二に︑小土地所有農民は︑農業賃銀労働者に比して遥かにみずからの労働に注意を注ぐからで あり︑第三に︑政治的にみて︑土地所有農民のみが祖国の観念をもつことができるからである︒直ちに気付くように︑以上 の立論は︑革命のなかで国有財産の分割売却を支持した議論を継承するものであった︒
革命のさなか一七九一年に︑革命がフランスの農業と農民に及ほす影響について︑みずからの観察と見通しと
をあたえたイギリスの農学者アーサー・ヤングは︑革命による封建地代の廃止︑耕作の自由︑無数の障害の破壊によっ
( 9 )
て︑しかし何よりも﹁王国の恐らくは半分︑あるいは三分の二は︑小土地所有者の所有であろう﹂と言われるにいた
ったほどの所有地分割
d i v i s i o n o f l a n d e d p r o p e
r t y
によって︑小土地所有農民
l i t t l e p r o p r i e t o r f a
r 1 3 e
r s
を呈し︑彼らの生活が比較的富裕な状態にあることを認めた︒しかし︑彼は︑すぐそれに引き続いて︑
関西大学﹃経済論集﹄第十三巻第一︑二号
の農業が活気 八 . . . , ̲
﹁ 耕 作 者 の あ ノ
I 8 7
飼料がえられ︑飼料によって家畜がえられ︑家畜によって肥料がえられ︑幣耕をおこない︑良く耕すためのあらゆる
( 1 3 )
手 段 が え ら れ る ︒ ﹂
オート・ラン︑
バ ・
ラ ン
︑
一九世紀初頭のフランスで全面的•本格的に進行したわけではもとよりないけれども、
ノール︑︒ハ・ド・カレなどの諸県︑そうしてまたとくに︒ハリ地方で︑かなりの程度にまで
一九世紀初頭のフランスにおける農業問題︵吉田︶ この栽培牧草地の創設が︑ の間の事情を明らかにするであろう︒
一 八 七
( 1 0 )
る特定の階級にたいしてではなく︑農業一般にたいして及ぽされた革命の効果は︑わたくしにはきわめて疑問である﹂
と述べざるをえなかった︒革命直前にフランスの各地を歩き︑フランス農業が︑イギリスよりもはるかに恵まれた自然
( 1 1 )
的条件にもかかわらず︑その小土地所有
1 1
小経営のゆえに︑その生産力においてはるかに劣ることを観察したヤング
にとって︑革命による小土地所有農民の強化は︑農業にたいする革命の効果を減ぜしめ︑農業の急速な発展を阻むも
のとして映ったであろう︒だが︑すでに知ったように︑
に と
っ て
は ︑
と こ
ろ で
︑
シャプタルをはじめ︑革命後のフランス農業を観察した時人
このヤングの観察と見通しは︑杞憂にすぎなかったかのようにみえる︒そうしてこのばあい彼らが︑と
くに革命後にみられた小土地所有
i i
小経営のもとにおける農業改良の進展という事実のなかに︑みずからの観察と見
ここでいう農業改良の起点をなしたのは︑栽培牧草地
p r a i r i e s a r t i f i c i e l l e s
の創設であった︒栽培牧草地
の創設・耕作は︑経営内の休閑地面積を制限し その作付への利用をもたらすとともに︑他方では家畜の飼料を豊か
(1
2)
に供給して︑共同放牧の廃止と農業生産力の上昇とに資することとなったのである︒シャプタルのつぎの一節が︑こ
﹁栽培牧草地は︑今日︑農業の基礎をなすにちがいない︒それによって家畜の 通しの有力な根拠を見出していたことは疑えない︒
査 報
告 は
︑
このことをつぎのように伝えている
o﹁栽培牧草地は︑わが国の農業の基礎である︒ ︹それは︑大経営で を起点とする農業改良は︑ ヤングが信じたように︑ 進行しはじめていたことは︑否めない︒オワーズ県クレルモン郡では︑栽培牧草地が︑土地の十二分の一をしめ︑ ーヌ・エ・オワーズ県マント郡では︑十分の一をしめていたといわれる︒また︑ 者は一般に︑みずからの所有地の四分の一を︑栽培牧草地のために使用しており︑ セーセ・エ・オワーズ県のラムプ
一八︱二年に︑土地の四分の一あるいは三分の一さえもの栽培牧草地をもった経営が︑多数存在してい
たことが確かめられている︒もっとも︑以上の事実は︑すでに革命前にその進行をみていた事実であった︒だが︑そ
れが︑革命後には﹁いかなる反動﹂をうけることもなしに進展していったことを疑うことはできない︒少くとも栽培
牧草地の原理が農民の旧慣とたたかわなければならなかった地方は︑
ところで︑以上の事実についてわれわれがここで是非とも注意しておきたいことは︑
地所有
11
大経営のもとにおいてではなく︑中・小の土地所有農民によって推進されたことである︒栽培牧草地の創設
つ う
で あ
り ︑
この農業改良の運動が︑大土
大経営
g r a n d e c u l t u r e
の進展とあいともなって進行するのがふ
は必ずしも有力ではなく︑主力は︑中・小の土地所有農民であった︒ そうした事例を一九世紀初頭のフランスに見出すことはもとより可能である︒だがそれは︑この段階で
一八一四年のメレ郡︵ドゥ・セーヴル県︶の調
はあまり普及していない︒︺しかし︑中・小経営
l a m o y e n n e t e l a p e t i t e c u l t u
r e ではそうではない︒土地所有農民
p a
, y
s a n p r o p r i e t a i r e
は︑栽培牧草地をつくっている︒多くの栽培牧草地が創設され︑ それはよく手入れされている︒以前
には栽培牧草地がつくられもしなかった六 0 ヘクタールの農地が︑分割して売られ︑三年後にはその半分が牧草地に
(17).
なっているのが︑しばしばみられた︒﹂地主の直接経営のばあいはともあれ︑フェルミエによる経営のばあい︑大経営
一 八
一
0 年代にはまれであった︑といわれる
Cイ エ
郡 で
は ︑
マンシュ県クータンス郡では︑耕作
関西大学﹃経済論集﹄第十三巻第一︑二号
一 八
八
セ
189
一 八 九
に栽培牧草地が普及しなかったのは︑その創設に不可欠な作付方式の変更
d e s s o l e m e n
t を︑地主が認めないばあいが
( 1 9 )
多かったからであり︑また劣悪な小作条件︑フェルミエの資本不足も︑その有力な原因であったといわれる︒しかし
他方︑革命によって零細地片を獲得した零細農︑ジュルナリエのもとにおいても︑栽培牧草地の創設がほとんどみら
( 2 0 )
れなかったことにも︑注意しておかなければならない︒それを推進した主力は︑中・小土地所有
1 1
経営にあったので
(9)A•
Y o u n g , r T a v e l s i n F r a n c e d u r i n g t h e ・ y e a r s 1 7 8 7 , 7 1 8 8
&
1 7 8 9 e , d i t e
d b
y C . M a x w e l l , p . 3 4 0 .
(10)A•Y o u n g , o p .
cit••p . 3 4 1 . ( 1 1 )
ャングのフランス農業の観察については︑飯沼二郎﹃農学成立史の研究﹄︑二九ニー三二 0 頁の興味深い叙述を参照してい
ただきたい︒
( 1 2 )
一八一四年の農業調査報告は︑つぎのように報じている︒コルペーユ郡││'﹁︵この郡の︶耕作者は︑彼らの富裕と成功の
真の源を︑栽培牧草地のなかに見出した︒﹂ポントワーズ郡ー﹁数年来の農業の著しい進歩は︑疑いもなく︑この郡への栽
培牧草地の導入にもとづいている︒幸いにもそれは︑いつもたいへん尊重されている︒﹂
c i t e d a n s
0•
F e s t y , a r t .
cit••p . 2 7 4 ( 1 3 ) C h a p t a l , C h i m i e a p p l i q u e e
a
l ' a g r i c u l t u r e , t . 1 , p . 2 6 5 , c i t e d a n s A . C h a b e r t , E s s a i s u r e s l m o u v e m e n t s d e s r e v e ‑ n u s e t d e l ' a c t i v i t e e c o n o B
i q u e e n r F a n c e d e 1 7 9 8
a
1 8 2 0 , p . 3 3 .
同じくつぎの一節をも参照︒﹁栽培牧草地の設定は︑今日のフランスの農業を豊かにした︒この牧草地は︑家畜にたいして
豊富な飼料を提供しており︑そのことが︑より多数の家畜を飼育し︑その結果︑肥料を増し︑豫耕をふやす手段をあたえて
いる︒それはまた︑農業者に他の土地を改良する時間をあたえる
o. . .
﹂
C h a p t a l ,
D e l
' i n d u s t r i e f r a n c ; a i s e , p . 1 4 5 . ( 1 4 ) C f . A . C h a b e r t ,
o p .
cit••p . 3 9 . ( 1 5 )
以上の事実については︑フェスティの前掲論文︑二七三ー四頁を参照︒
( 1 6 ) O . F e s t y , a r t .
cit••p . 2 7 4 .
あ る
9
一九世紀初頭のフランスにおける農業問題︵吉田︶
的にはもとより生産力的にも優越していたことは︑ 所 有 に つ い て ︑
関西大学﹃経済論集﹄第十三巻第一︑二号 ( 1 7 ) O . F e s t y , a r t . c i t . , p p .
2756.
︒ハリ農業協会に提出され︑その﹃覚書﹄のなかで公けにされた報告は︑他の数多くの事例
をふくむといわれる︒
( 1 8 )
一九世紀初頭には︑地主の直接経営
( u n e c l a s s e i m p o r t a n t e d e p r o p r i e t a i r e s
e
x p
l o
i t
a n
t s
の形成︶が︱つの傾向として
みられた︒少くとも当時の最学者によって︑地主の直接経営が勧められ︑地主による農業改良が期待された︒それらの点に
つ い て は
︑ O . F e s t y , a r t . c i t . , p p .
1846,
A . C h a b e r t , o p . cit••
p p .
35 ,3 8.
( 1 9 ) C f . O . F e s t y , a r t . c i t . , p p .
36972,
27 3, 2 85 .
( 2 0 )
彼らの獲得した土地は︑当時︑ A
nouvelle
•
p r o p r i e t e とよばれたらしいが︑そのもとで栽培牧草地の創設がみられなか
ったのは︑もとより彼らの資本不足による︒
フランスの土地所有分布にたいしていかなる変動をあたえたか︑と
( 1 )
いう問題については︑研究史上︑幾多の研究が積み重ねられてきたことは周知のところであろうが︑しかしそれにも
かかわらず︑それはいまだなお明確な結論に到達しているとは言い難い︒かつてマルク・プロックは︑革命後の土地
﹁大ざっぱに見るならば︑⁝⁝旧制度のもとでの進化によって確立した︑資本主義的形態の大土地所
( 2 )
︑ ︑
有と農民的小土地所有との共存は︑革命後のフランスにおいてもなお存続したのである﹂と概括したけれども︑この
概括をこえてあらたな綜合をおこなった研究に︑われわれはまだ接していないように思われる︒
( 3 )
だが︑経営については︑革命直後のフランスにおいて︑まれに大経営の成長が見られたとはいえ︑なお小経営が数
( 4 )
一般に認められているところといってよかろう︒当時︑革命後に
革 命
に よ
る 土
地 移
動 ︵
国 有
財 産
の 売
却 ︶
が ︑
'
一 九
〇
I 9 I
て整理ないし検討しておくこととしたい︒
し か
し ︑
この農民的土地所有のもとでの農業の発展が︑決して全面的︑本格的なものではなく︑量的にも質的にも
限られたものでしかなかったこともまた︑
v a
i n
e p a t u
r e
︑放牧権
d r o i t a u p a r c o u r s
の強固な残存︑強制輪作の︑したがって休閑︵地︶の厳存などが︑くり返し指
(8)
( 7 )
︑ ︑
︑ ︑
︑
摘されてきた︒一般に︑一九世紀におけるフランス農業の緩慢な進歩が云々されるのは︑このためであり︑シャプタ
プログレ
ルも︑前節で知ったように︑一九世紀初頭におけるフランス農業の進歩について語りながら︑しかもなお﹁フランス
( 9 )
農業が完成の域に達したと信ずることは控えよう﹂と警告せざるをえなかった︒
もとより︑以上の事情が︑革命によって解放され︑強固な基礎をあたえられた分割地農民の︑前進性と保守性︑進
歩と停滞の二面性をしめすものであることは︑
てくり返すまでもない︒ただここでは︑はじめに︑以上の︑農業の発展における停滞性を︑農業資本形成の微弱性と
の関連において︑ ついで︑分割地農民の二面性ー前進性と保守性ーを︑彼らの階層分解との関連において︑あらため
一 九
世 紀
初 頭
の フ
ラ ン
ス に
お け
る 農
業 問
題 ︵
吉 田
︶
な か
に ︑
その主動力を見出したのである︒
これまでもしばしば指摘されてきたところであって︑ およそ否めないところであろう︒ それについては︑
一 九
も存続した大土地所有も︑大︵借地︶農業経営を形成するよりはむしろ︑
( 5 )
が一般的であった︒しかもこのばあい︑のちにみるように︑小農民の競争によって小作料は上昇する傾向をしめし︑
( 6 )
そのうえ借地条件は劣悪であったため︑この大土地所有のもとで︑農業の発展を期待することはできなかった︒すで
に知ったように︑農業の発展は︑革命によってその存在を確認されたのみならず強化されさえした農民的土地所有の
こ れ
ま で
︑
ここであらため 共同放牧 小地片に分割されて貸出されることのほう
関西大学﹃経済論集﹄第十三巻第一︑二号 ( 1 ) C f . G . L e f e b v r e ,
e R c h e r c h e s r e l a t i v e s
a l a
v e n t e d e s b i e n s n a t i o n a u x ,
1 9
2 8
( d a n s E t u d e s s u r
l a R e v o l u t i o n f r a n i
; a
1
i s e ,
1
9 5
4 .
) 邦語文献としては︑河野健二﹁土地改革﹂︵桑原武夫編﹃フランス革命の研究﹄所収︶︑柴田三千雄﹁フラン スにおける分割地農民の成立﹂︵山田盛太郎編﹃変革期における地代範疇﹄所収︑大塚久雄︑入交好脩編﹃経済史学論集﹄
に 再 録
︶ を 参 照
︒
.
( 2 )
M
a r c B
l o
c h
,
L e s c a r a c t e r e s o r i g i n a u x
e d l ' h i s t o i r e r u r a l e f r a n i
; a i s e ,
p .
2 4
8 (河野健二他訳﹃フランス農村史の基本性
格﹄三二八ー九頁︶
( 3 )
C f
. A . C h a b e r t
̀
o p . c i t . ,
p .
8 4 .
( 4 )
H
. S
e e
,
H i s t o i r e e c o n o m i q u e e d l a
F r
a n
c e
,
t . 2 , p . 1 2 8 . ﹁ 農 澁
︿ の
細 和を規定しているのは︑小経営 g
p e t i t e s e x p l o i t a t i o n s
の 優 越 で あ る ︒ ﹂
( 5 )
﹁貴族は︑みずからの所有地を︑イギリスのように収穫量の多い大規模な小作地
g r a n d e s f e r m e s の形態においてではな く︑まったくの零細地片
p e t i t s l o p i n s ごとに︑小作に出すことの仕うを選ぷ︒﹂したがって︑﹁大土地所有者は︑農業の進
歩を奨励することをみずからの義務として考えていない︒﹂
H ・
S e
e ,
o p . c i t . ,
p .
1 2 8 .
﹁当時︑若干の県では︑大規模な小作地
を零細な小作地に分割する現象が生じた︒その理由は︑土地所有者が︑その小作地を一括して貸出すよりも︑多くの零細地
片ごとに貸出したほうが︑利得が大きかったところにあった︒﹂
C h a b e r t , o p . c i t . ,
p .
4 9 ,
n .
1 7 2 .
( 6 )
服部春彦氏の前掲論文を参照︒
( 7 )
H .
S e
e ,
o p c i t . . ,
p .
1 2 9 . A . C h
a b e r t , o p . cit••
p p . 4 5 7 , 5 4 5 . 0•
F e s t y , a r t . cit••
p . 291.M•
B l
o c
h ,
o p . cit••
p p . 2 4 3 6
︵前掲訳書︑三二三ー六頁︶因にフランスで︑共同放牧の廃止を法的に認めたのは︑一八八九年七月九日の法律である︒
( 8 ) ッャペールがこの時代の農業の発展をたんなる外延的発展とみるのも︑それによって︵質的な︶発展の緩慢さを意味させる
ためである︒
A . C h a b e r t , o p . cit••
p . 4 8 . ( 9 )
C h
a p
t a
l ,
e D l ' i n d u s t r i e f r a n i ; o i s e
̀
t . 2 , p . 1 5 3 .
もっともこのばあいシャプクルの警告は︑前節の叙述からうかがえるよう
に︑農業技術的なものであって︑栽培牧草地と合理的な輪作制の未普及が指摘されるにとどまる︒ついでながら︑前節で利 用したフェスティの論文も︑﹁︹フランス農業の︺この前進の反対側に目を閉ざすべきではない﹂と付言するのを忘れてい
ない。
O•F e s t y , a r t . c i t . ,
p . 2 9 1 .
一 九
193
資本の不足があげられてきたことによって明らかである︒ 前節でしばしばそのことばを引用したシャプタルは︑同じ著書のなかで︑農業生産力的見地から彼の勧奨する
農業改良には︑少なからぬ額の費用が必要であるけれども︑大部分の農民にとってそれをまかなうことは不可能であ
( 1 0 )
る︑と指摘している︒もっとも彼は︑この点についてもきわめて楽観的であって︑﹁富裕がさらに一般化した今日で
(l
l"
﹁農業におけるこの革命は︑ごく近いうちに終るであろう﹂と期待する
こ と
が で
き た
︒
こ と
に ︑
しかし︑事態がシャプタルの予測どおりに進行しなかったことは︑ その後くり返し農業の発展の最大の障害として
大きな資本をもつイギリスの借地農業経営者
‑ ,
との比較のうえで︑フランスのフェルミェ︵大フェルミエでさえ︶の資本不足は︑時人にとって見過
f e r m 1 e r e x p l o i t a n t
(12)
しえない事実であった︒もとよりこのフェルミエのばあい︵そうしてメテイエのばあいはよりいっそう︶︑彼らの農業利潤
が︑小作料の騰貴︵後述︶によって吸収され●彼らのもとにおける資本形成をゆるさなかったことが︑彼らの資本不足
( 1 3 )
の有力な原因としてあげることができよう︒しかし︑土地所有農民のばあいも︑資本不足の事態は同じであった︒そ
うしてこのばあいには︑その原因として︑第一に︑彼らの土地所有欲にもとづく︑土地購入のための資本支出があげ
られるであろう︒
たらせ︑それは︑ 革命中の農民の﹁土地所有にたいする熱狂﹂は︑彼らに︑その資力をこえてまで土地購入のために支出させるにい
﹁獲得者に耕作のための資金あるいは生活のための資金をさえ︑残さなかっ幻
jほどであったとい
われる︒もっともこうした﹁熱狂﹂は︑ ことにジュルナリエ︑小メテイエ︑小フェルミエに多かったといわれるか
ら︑この例を全農民層におよぼすことはできないかもしれない︒しかし︑革命後の富農︑ラプルールについても︑
一 九
世 紀
初 頭
の フ
ラ ン
ス に
お け
る 農
業 問
題 ︵
吉 田
︶
は﹂農業改良は急速に進行するであろうし︑
一 九
三
は︑その時代が彼らに課した﹁宿命﹂であった︒ 展 ︑ 当
時 ︑
関西大学﹃経済論集﹄第十三巻第一︑二号
大きな経営資本をもたず︑良いとはいえない農具を用い︑さらにいっそう良いとはいえない耕作を営む︑流動資産を
もった富農
r i c h e p a y s a n
︑ラブルール
l a b o u r e u r
は︑すでに所有している土地を改良するよりはむしろ︑あらたな土
(1
5)
地の購入によって所有地を拡大することのほうを選んだ﹂ことが指摘されている︒
り︑革命後の富農︑ラプルールのばあいでも︑ 一時人のことばによれば︑
な耕作と粗悪な生産物から何らかの収益を彼があげるのは︑もっぱら土地の力だけによる﹂ものであった︒このかぎ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
その目的が土地所有そのものから利潤の追求へと移っているとはい
え︑彼らを土地獲得へとおもむかせる要因は︑ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 自由な商品生産者として︑農産物価格に依存し︑
だけに︑彼らを土地獲得に向かわせる要因は︑彼らに強く働いたとみなければなるまい︒
だが︑もとより︑ その変動にさらされるなかで︑利潤を追求しなければならなかった
この土地獲得のための支出は︑ それだけ彼らが農業生産に投下しうるはずの資本を︑生産部面か
ら引き揚げさせ︑土地改良︑農具の改良などを妨げる︒そうしてそれは︑彼らの再生産の経済的基礎を掘り崩し︑
うして彼らの土地獲得のそもそもの目的も達せられることなく︑彼らの経済的発展への展望を失わせる︒
土地所有農民のもとにおける資本の不足は︑さらに︑彼らに提供される信用の欠如によって︑
﹁大土地所有
g r a n d e p r o p r i e t f o e n c i e r e
は︑五︒ハーセントまでで金の貸手を見いだしたけれども︑農民は︑
五︒ハーセントまで支払わなければならなかった﹂といわれ︑こうして﹁信用制度の欠如が︑農民を圧迫し︑彼らを高
(1
8)
利貸に従属させる﹂にいたった︒この農民にたいする信用の欠如は︑しかし︑この時代における社会的再生産の未発
したがって資本形成の相対的な微弱さによって規定されたものにほかならない︒ いっそう促される︒
こ の
か ぎ
り ︑
失われていないといっていいであろう︒
彼らの資本不足 ことにこのばあい︑
一 九
四
こ
彼らは ﹁
粗 雑
195
一 九
五
一九世紀初頭にはすでに︑
( 1 0 ) C h a p t a l , De l ' i n d u s t r i e
fran~oise,
t . 2 , p . 1 5 5 . ( 1 1 ) C h a p t a l , i b i d . , ( 1 2 ) C h a b e r t , o p .
cit••p p . 4 4 5 . ここで
5 1 照されているのは︑
C h . P i c t e t , C o u r s d ' a g r i c u l t u r e a n g l a i s e , 1 8 0 8 . ( 1 3 )
Cf•H .
S e e , o p . c i t .
`
p p . 1 2 1 , 2 9 1 . C h a b e r t , o p . c i t . , p . 5
5
••( 1 4 ) 0 . F e s t y , a r t .
cit••p . 2 8 7 . ( 1 5 ) C h a b e r t , o p .
cit••p .
4 8 .
P a r i s , 1 8 0 2 , t . 2 , p 2 . 3 9 . c i t e d a n s C h a b e r t ,
0
p . c i t . , ( 1 6 ) P r a d t
, De
l ' e t a t d e l a . c u l t u r
e e
n F r a n c e e t s e s a m e l i o r a t i o n s , p . 4 8 . ( 1 7 )
︵
1 8
H . )
S
e e , o p . c i t .
` p ,
1 2 9 .
割地農民﹂の経済的発展を制限する原因でもあった︒しかし︑もともと彼らは︑
( 1 9 )
ではなく︑従ってまた︑相異なれる経済的条件のもとにおいて解放された﹂のであって︑
この制限にもかかわらず︑彼らのなかから﹁農村プルジョア層﹂を分出せしめ︑農業改良は︑そのもとで進行しはじ
( 2 0 )
めるにいたる︒このことを︑ここでは︑穀物価格の変動が各階層におよぽす影響のなかでみておきたい︒
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
さて︑革命によって自由な生産者として解放された﹁分割地農民﹂は︑以後︑農産物︵とくに小麦︶の価格変動のま こうして︑農民的土地所有のもとでの﹁合理的耕作﹂
1 1
農業改良を制約した原因はまた︑土地所有農民
1 1
﹁ 分
'﹁決して同一の所有関係にあったの
えにさらされることとなり︑それは︑農民の各階層にたいして異なった影響をあたえた︒言うまでもなく︑
い︑価格のもっとも高い時期に多量の生産物を市場にもたらしうるものが︑価格変動を有利に利用し︑利潤を蓄積す
ることが可能である︒いま自作農
p r o p r i e t a i r e e x p l o i t a n t
にのみ限っていえば︑大農
g r o s p r o p r i e t a i r e e x p l o i t a n t
お よ
一九世紀初頭のフランスにおける農業問題︵吉田︶ このばあ
ざるをえない︒
一 八
一 七
年 二
月 ︑
セーヌ・アンフェリュールの知事は︑ つぎのように書いている︒ に売らざるをえなかった︒この間の事情は︑ メーヌにおける小麦の低価格の原因はたくさんある︒もっとも本質的な原因は︑資本の欠如である︒そのために耕作 者は︑収穫がすむとすぐその収穫から金をつくらざるをえなかった︒そのときにすべての小麦が同時に地方市場にも
( 2 4 )
たらされた︒その結果︑供給が過剰となって︑価格は著しく低落した︒﹂結局︑彼らは︑こうして安く売って高く買わ
﹁収穫の終ったと 一八一七年のバ・メーヌについて︑ つぎのように語られている︒
‑,
ノ ゞ
関西大学﹃経済論集﹂第十三巻第一︑二号
び中農
m o y e n p r o p r i e t a i r e e x p l o i t a n t
がこうしたばあいであって︑彼らは︑
耕作﹂によって︑穀価の変動を有効に利用することができた︒すなわち︑豊凶にともなう価格変動はもとより季節的
変動にたいしても︑穀価のもっとも高いときを待っことができたのは︑ この階簡であり︑したがって彼らは︑凶作と
それにともなう一般的困窮のときに最大の利得をあげることができたわけである︒そうしてこのとき﹁富は主だった
(2
1)
耕作者の手中に集中し︑他方その周囲には困窮が広がっている﹂という光景がみられたと報じられている︒しかしそ
ればかりでなく︑彼らにとって︑穀価を左右することもまた不可能ではなかった︒
である︒もはや競争がないとみるや︑彼らはぐるになって値上りを得ようとする﹂と︑
( 2 2 )
知事は報告している︒ セーヌ・アンフェリュールの
こうして︑大農および中農は︑
( 2 3 )
の年の減収にもかかわらず﹂︑穀価の変動に巧みに適応しつつ利潤をあげていくことができた︒ところでこれにたい ﹁雇用労働者の賃銀の上昇ならびに種々の経営費の上昇にもかかわらず︑また凶作
して小土地所有農民
p r o p r i e t a i r e s p a r c e l l a i r e s
は︑市場にもたらす穀物の量が少いうえに︑ 価格のもっとも高くなる
ときを待つことができない︒多くのばあい︑彼らは︑貨幣支出の必要︵租税︑利子の支払等︶に迫られて︑ 収穫の直後 ﹁ラプルールの貪欲さ加減は極端 その資本力︑高い土地生産力︑
一 九 六
﹁ 合
理 的
I 9 7
一九世紀初頭のフラ.ンスにおける農業問題︵吉田︶
( 1 9 )
高橋幸八郎﹃市民革命の構造﹂二五四頁︒ ことはありえないであろう︒かくて︑ 執せざるをえなくなる︒ そのかぎり彼らに﹁合理的耕作﹂
11
農業改良を期待することは困難であり︑かえって彼らの土地は貧帯化す
( 2 7 )
そうしてそれは︑彼らに零落への傾向を深めさせることになる︒しかしそれに応じて彼らは︑﹁分割地経営﹂の
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
﹁正常な補足をなす農村家内工業﹂︵織布︑紡績等︶と︑﹁第二の補足をなす﹂共有地とに︑可能なかぎりますます固 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ この家内工業と共有地とへの固執が可能であるかぎり︑彼らが完全に分解し去る
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
﹁分割地農民﹂の停滞と保守の側面は︑彼らによってあらわされる︒
そ う
し て
︑
一 九 七
る ︒ あ
っ て
︑
このように︑穀価の変動は︑農民の各階層にそれぞれ異なった作用をあたえ︑農民層の分解を促すにいたる︒大農
ならびに中農が価格変動を利用しつつ獲得した利潤は︑あらたな土地の購入にむけられるとともに︑いまや資本とし
(26)
て耕作の改良のために投下され︑そうしてそれはまた︑あらたなより大きい利潤の獲得を約束する︒かくて︑一九世
﹁分割地農民﹂の前進的側面は 紀初頭の︵前節でみた︶農業改良は︑彼らによってになわれ︑推進されるにいたった︒ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 彼らによってあらわされる︒ところで他方︑小農民は︑穀価の変動に適応しうる能力を欠いていた︒彼らは︑
ともなう穀価の上昇のさいには少量の穀物をしか市場にもたらすことができず︑豊作のときには穀価の下落のため小
さい収益にとどまらざるをえない︒こうして穀価の変動から不利な影響をもっとも強くこうむったのは彼ら小農民で すことができるのを期待したのだが︑
( 2 5 )
る ︒ ﹂
︹売ったときよりも高い︺
いまの相場で買いに来ることを余儀なくされてい
きにかなり高い価格で穀物を売った大部分の小農民
p e t i t s c u l t i v a t e u r s
は ︑
ふつうだと値下りする季節にそれを買い戻
不作に
関西大学﹃経済論集﹄第十三巻第一︑
1
一 号 ( 2 0 ) 以 下 の 叙 述 は
︑ そ の ほ と ん ど を A . C h a b e r t の 前 掲 書 に 負 っ て い る
0
c f .
A . C h a b e r t , o p . cit••
p p . 7 0 9 0 . ( 2 1 ) Arch•
Nat•
F "
C m ,
C a l v a d o s , r a p p o r t
r e p f e c t o r a l d e 1 8 1 8 , c i t e p a r A . C h a b e r t , o p . cit••
p . 8 0 . ( 2 2 ) A r c h . N a t . F 1 1 7 3 3 , e l r a p p o r t d u 1 0 j u i l l e t d u p r e f e t
d e l a S e i n e ‑ I n f e r i e u r e
a u
i m n i s t r e d e l a P o l i c e
g
e n
e r
a l
e ,
c i t e p
a r . A C h a b e r t
̀ o p
cit•• .
p . 7 9 , n . ( 6 5 ) .
• ( 2 3 ) A . C h a b e r t , o p . cit••
p . 8 0 .
~
ャペールの
i J I
用する
L a v e r g n e , E c o n o m i e r u r a l e d e l e F r a n c e
̀
p . 6 1 . 1 1 . よ れ ば
︑ ヘ ク ク ー ル 当 り 粗 生 産 物 の
﹁ 構 成 要 素 の 配 分
﹂ の 変 化 は
︑ つ ぎ の と お り で あ る
︒ 一 七 八 九 年 一 八 一 五 年 一 八 五 九 年
︱ ︱ ・
1 0
地 代
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︱ ニ フ ラ ン
経営者の利得··………•五一〇
五 付随費用・・………•一 地租および十分の一税•………•••…………••七四五 賃銀••…••………••二五三 0 五
0計 五
0 六 0
1 0 0 ( 2 4 ) C f . R . M u
s s e t , L e B a s
‑ m a i n e , p . 3 1 4 6 .
•
( 2 5 )
Arch•
N a t .
疇