「心の理論」説に対する反論
著者 木下 孝司
雑誌名 静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会科学篇
巻 46
ページ 205‑218
発行年 1996‑03‑25
出版者 静岡大学教育学部
URL http://doi.org/10.14945/00008486
静岡大学教育学部研究報告
(人文 0社会科学篇 )第
46号(1996.3)205〜
218乳児期 における「 心の理解」の始 ま りをめ ぐって
一 日いの理論」説 に対す る反論 一
The origin of "understanding of mind" in infancy
-The alternative to the theory of "theory of mind"-
木 下 孝 司 Takashi KINOSHITA
(平成
7年
10月2日
受理)1.「 心の理論」研究への もう一つの視点
筆者 は ,こ れまで乳幼児期 の Dい の理論 (theOry of mind)」 研究 を展望 し、その論争課題 を 検討 した (木 下 ,1992;木 下 ,1993)。 一方 ,乳 幼児期 における 巨いの理解」を Dい の理論」 と規 定す ることに反対す る「 シ ミュレー ション説」がある。この「 シミュ レー ション」派 と「 心 の 理論」派 の間 に も ,哲 学者 も巻 き込んだ大論争 が繰 り広 げ られて いるが ,と もに閉 じた個 体 内 での認知 プ ロセスと して心 の理解を扱 うことによる問題 があ ることを指摘 した (木 下 ,1995)。
その上 で ,心 の理解 を他者 との関係性 あるいはコ ミュニケー ション状況 において とらえ る重要 性 を提起 した。そ して ,心 の理解 との関連が指摘 されているふ り遊 びの発生過程を ,他 者 との 関係性 とい う観点か ら分析 した。
このよ うな問題意識 は ,HobsOnの 主張 とも呼応す るところが大 きい。彼 は , 自閉症 の治療 に携 わ るか たわ ら ,自 閉症児 の情動理解 の実験的研究 を進 めて きて いる。そ して ,発 達 的精神 病理学 の立場 か ら ,自 閉症 をめ ぐる精神病理的現象 と通常 の発達現象 を統合 させ る理論的再構 成 を試 みて いる。率直 に言 って ,そ の理論構成 はかな り難解 で ,ま た実証性 につ いて も多 くの 課題 を内包 して いるとい って よい(Leslie&Frith,1990)。 ただ ,彼 の提起 は ,「 心 の理 論 」研 究 が見落 と して問題 を議論 の俎上 にのせ ,同 時 に「 他者理解」をめ ぐる哲学 的問題 や「 表象発 生」 とい う発達心理学 にとって古 くて新 しい問題 を ,新 たな装 いで活性化 させ る内容を もって
いると思 われ る。
本論 では ,HobsOnの 理論的提起 の特徴を押 さえつつ ,そ こか ら発達心理学 にお いて新 たに ど うい う問題 が投 げか け られているのかを検討 したい。
2.自 閉症児の「 心の理解」に関する研究
2。 1 対人・ 社会的発達への関心
自閉症 の病因論 につ いて は ,よ く知 られて いるとお り ,Kannerの 症 例報告 (Kanner,1943) 以来 ,い くつかの歴史的変遷 を経て きて いる。 Kannerは ,「 情緒 的交 流 にお け る自閉的障害 」 を中核 にな る障害 と見 な し ,そ の心因性 を強調 した。その後 ,自 閉症 において脳 の器質 障害 が 示唆 され る症例 があ ることが発見 され るなど して ,Rutterや Wingら によ る「 認知・ 言語 障害 説」が提唱 され (Rutter,1971;Wing,1976),自 閉症理解 の「 コペ ルニ クス的転 回」 が もた ら
され ることにな る。
この説 を主張す る研究 は ,1970年 代以降 ,多 くの ものが登場す るのだが ,さ らに議論 は新 た な展開 をみせ ることにな る。それ は ,自 閉症児 の抱 え る対人 0社 会的障害への着 日によ る もの である。一定 の言語能力 の改善 がみ られた自閉症児であ って も ,そ れを巧 みに操 って他者 と交 流す ることがで きないなど ,対 人 0社 会的発達での問題を持 ち続 け る ことが指摘 されて い る。
これ は ,語 彙 や統語 な どの言語能力 の問題 としてだけではとらえ きれ な い もので あ る。 また
,言語発達 の語用論的研究 の進展 に伴 い ,言 語発達 の起源 において ,言 語 出現以前 の非言語 的 コ
ミュニケー ションの役割 が重視 されて きた。自閉症児 において も ,非 言語的 コ ミュニケー シ ョ ンの遅 れや特異性が指摘 されている (Mundy,Sigman,Ungerer,&Shermanぅ 1986)。
このよ うに、言語 的あるいは非言語 的 コ ミュニケーシ ョンを成 り立 たせ て い く上 で は ,他 者 の考 えや意図 などの心的状態 をなん らかの形 で理解す ることが必要 となる。逆 に言 えば ,自 閉 症児 における対人 0社 会的領域での障害の中核 には ,他 者 の心的状態を理解す ることに障害 が あ るのではないか と考 え られ るよ うにな っている。そ して ,対 人 0社 会的領域 での障害 と , シ
ンボルや表象 の発達 にお ける問題 とをいかに統合 した理論で説明 しうるのかが、今 日の 自閉症 をめ ぐる関心事 にな って いる注 1、 こぅした研究動 向 は、機能 障害 の解 明 が試 み られて いた段 階か ら ,そ れぞれの機能障害の連関を解明す る段階へ と研究が進展 した もの とも言 え る。
2.2 自閉症児の「 心の読 み取 り能力」をどうみるか ?
Baron‐ Cohen,Leslie,&Frith(1985)は 、まさに「 自閉症児 は Dい の理論 』 を持 つ か ?」 と い うタイ トルの論文 において、自閉症児 は他者 の心的状態 を推測 し読 み取 る能力 に障害を持 つ とい う指摘 を した。彼 らは、「 誤 った信念」課題 を 自閉症児 が ク リアす ることがで きな い事 実 を明 らかに し、 Dい の理論」障害が、対人 0社 会的障害 の認知 レベルでの中核的な原 因 とな っ て いると主張す る。何 を もって Dい の理論」 とい うかにつ いて は論者 によって意見 の分 か れ る ところであ る (木 下 ,1993)が 、直接 に観察で きない心的状態を算出 0推 論 す るた めの認知 シス テムと考 えてよいだ ろ う。
この Dい の理論障害」説をめ ぐる論争 は、今現在、百家争鳴状態 にある。基本的 な対立点 は、
D心 の理論障害」を 自閉症 の認知 レベルでの中核 をなす一次的障害 と見 なすか、それ を二 次 的 に派生 した障害 とみ るか とい うことにある。前者 が認知的 レベルでの障害 の一次性 を強調 す る のに対 して、後者 は他者 との情動的関係を成立 させ るメカニズムでの障害を中核的な問題 とみ なす ことに特徴 があ る。 Hobsonは まさにこの後者 の立場 にあ る。彼 は、推論 とい う認 知 プ ロ セスを経 た心的状態 の理解 の役割 を否定す ることは しないが (し か し ,そ れを Dい の理論 」 と 見倣す ことには慎重 な態度 を とる )、 それ はあ くまで も発達的 に先行す る情動的関係性 の基 盤 が成立 す る中で出現す るものだ と考 え るのである (さ らに異 な った理論的立場 について は注 2 を参照 )。
2.3 若干 の コメ ン トー「 認知か情動か」を越えて
上記 の対立 は ,自 閉症 の一次的障害 は認知障害か情動障害か とい う問題 としてみ ることが で きる。 Hobsonの 理論的立場 は ,彼 自身 も認 めるよ うに ,Kannerの 基本的 なアイデ ィアとい く つかの共通性 を持 ち ,そ れを さ らに発展 させた もの といえ る。ただ し ,自 閉症 には ,「 対 人 的 な身体的 /心 的協応 にとって必要 な神経学的 中核 とな る ,皮 質下 の脳構造 に病理 学 的疾 患」
(Hobson,1993:p.15)が 伴 い , 巨い因的」な もので はないとしている。
乳児期 における
「 いの理解」の始まりをめ ぐって
「 認知障害」か「 情動障害」か とい う議論 の設定 の仕方 によって ,自 閉症児 の発達過 程 を ど こまで明 らか に し ,ま たそ こか らどこまで有効 な指導 の手 がか りを得 ることがで きるのか ,筆
者 はい くつかの疑間を感 じて いる。
心的発達 を検討す る際、「 認知」あるいは「情動」 といった心理機能 に区分 して考 え ること が一般 に多 い。その ことで ,さ まざまな発達心理学 的知見を得て きた ことは事実である。 しか し ,「 認知」や「 情動」 とい う用語 でいかなる心 的働 きを指すのか は ,研 究者 の側 の操 作 的定 義 を越 えてその内実 は複雑 な構成 をなす。 とりわけ ,発 達初期 の子 どもたちの活動 においては
,これ らの ものが分か ちがた く一つの総体をな している。 ものを見 るとい う活動一 つ とって も
,そ こにはその表層的 な特徴 の知覚 にとどま らず ,そ の対象 の持つ社会的 な意 味 を理解 した り
,その対象 と見 る主体 の間であ る種 の情動的関係が成立す ることもある。
こうしたスタ ンスに立 つ とき ,特 定 の機能障害 を想定 し ,そ れを大脳生理学 や神経心理学 レ ベルでの問題 と対応づけるアプローチには注意が必要であることが自ず と自覚 され る。Feinら は ,「 自閉症 の根底 にあ る認知的機能不全 の性格が よ り明確 になるまで は ,神 経心理 学 的方 法 による研究 を さ らに進 め るの は困難∫ 3)と して ぃる。それを引用 しなが ら ,浜 田 (1992)も 「 脳 機能 と対応 され るべ き『 言語』の何 たるかが明 らかにな らないか ぎり言語 にかかわ る神経心理 学 的 モデルを構成す ることはで きないよ うに ,『 自我』の何 たるかを心的 レベルで明 らか に し えないか ぎり ,自 我 にかかわ る神経心理学的 モデル も ,自 我形成 の障害 たる自閉症 の神経心 理 学 的 モデル も構成す ることはで きない」 と述 べている。そ して ,「 とりあえず確認 されて きた 自閉症状 を一貫 したまとま りの もとに ,心 的 レベルにおいてひ とまず記述す ることが必要」 と して いる。
Hobsonは ,自 、 閉症 の一次的障害 を、生物学 的に賦与 された ,他 者 との情 動 的結 びつ きを形 成す る能力 ない しは傾性 の問題 とみて いる。 しか し ,彼 は自閉症状を単純 にかつ一元的 に , こ
う した機能障害 に結 びつ けて説明す ることには反対 の立場を とり ,「 自閉症 にだ け広 くみ られ る心理学的 な機能障害 に対応す る、神経学的に特定 され るパ タンを見つけだす試み・ 0は 、まっ た く不完全 で ほとん ど説得力 を もたないでいる。神経学的損傷 と心理学的機能障害の『 自閉症 的』パ タ ンの間の直線 的な結 びつ きを見 いだす ことにつ いてあま りに楽観的 になるべ きで はな か ろ う」(Hobson,1993:p.11)と 主張す る。そ して ,初 期段 階 での障害 が発達過程 の中 で他 の 心理機能 との連関 しなが ら ,い かなる心 的 レベルでの障害 として顕在化す るのか とい う「 発達 的精神病理 的」観点 を とると明言 している。
以上 の言 明を筆者 な りに次 のよ うに理解 したい。発達 とは ,発 達主体 の能動的活動 によ って 押 し進 め られ る過程 であ る。心的 レベルで生起す る発達障害 は ,生 物学 レベルあるいは生 理学 的 レベルでの機能障害 に還元 され るもので はない。発達障害 は ,こ の機能障害 などに起 因す る 主体 の活動 の制約 によって発生す るものである。子 ど もは ,制 約 を持 ちなが らも常 に活動 を通
して外界 との相互交渉を続 けてお り ,発 達障害 の様相 は固定的な もので はな く ,発 達過程 にお いて変化す るものといえ る。その ことか ら活動の制約 に対 して ,適 切 な指導 や援助 を与 え る こ とで発達障害 の拡大 (二 次障害 の顕在化 )を くい止 めるだけでな く ,そ の改善 を図 る ことが可 能 とな るといえ る (木 下 ,1992)。 また ,こ こで い う活動 とは ,心 理学 的 な機能 に分解 で きる も ので はな く ,認 知 ,情 動 ,意 志 などといった機能 の総体 なのである。
障害 を単 に各機能 の障害・ 不全 とみて いるか ぎり ,そ の未成熟 な機能をいかに充足 させ るか
とい う発想 が先行 して ,発 達 とい う力動的なプ ロセスを見落 と して しま うのではないだろうか。
認知か情動 か とい う議論 も ,こ うした機能主義的発想 を克服 しな い限 り ,教 育 指導 の場 にお いて「訓練か受容か」 とい う二元論 に陥 る危険があると筆者 は考 えるところである。
pい の理論」論 にかかわ る自閉症論 も巻 き込 んだ現在 の議論状況が ,発 達的観点 あ るい は発 達連関 をお さえた ものに発展す るか ど うかが ,発 達論 として も自閉症教育 の問題 と して も鍵 を 握 って いると思 われ る。
3.Hobsonの 理論構成
次 に Hobsonの 理論 の概要を簡単 に紹介す る。通常 の発達 と自閉症児 の発達を統合的 に と ら え ることを 目指 した彼 のスタンスの一端を紹介 したが ,こ こで はさ らに彼 の理論 の根幹 にあ る 基本的 なアイデ ィアをみてみたい。
3.1 基本的なアイデ ィア
(1)分 析 の基本単位 と しての「 関係性 (rOiatedness)」 のモー ド
繰 り返 し提唱 され る中心的な彼 の論点 は ,「 人 についての知識 と理解、別 の言 い方をすれば、
日い」の本質を概念的 に把握す ることは、感情的 にパ ター ン化 され、間主観的 に協 応 され た他 者 と ̀D関 係 (affectively patterned, intersubiectiVely Co‐ ordinated relations with other people)を 経験す ることで獲得 され る」(Hobson,1993:pp.4¨ 5)と い うことにつ きる。そ して
,他者 との間で間主観的な結 びつ きを可能 にす る生得的なメカニズムか ら始 まって ,一 連 の他者
との関係性 の発達的変化 を描 きなが ら ,心 の理解 の起源を紐解 いて い くのである。
Hobsonは ,自 分 の認識論 にかかわ る基盤 としてHamlyn(1974)に 依拠 しなが ら ,「 知識 の対 象 とな りうる概念 は ,そ の対象 と私 たち自身 の間でどんな関係が存在 し ,あ るいは存在 し得 な いかを理解 しないと持つ ことがで きない」 (Hobson,1993:p.6)と す る。つま り ,私 た ちが あ る概念 を持 つ とい う場合 ,概 念化 しうるだけの対象 との関係を持 たず してそれを概念化 で きな いとい うのであ る。子 どもが「 リンゴ」 とい う概念を獲得す るには ,そ の概念以前の レベルで
,「 さわ る」 ,「 匂 いをか ぐ」 ,「 か じる」などの対象 との コ ミッ トメ ン ト ,そ の対象 との独 自 の関係 を持 つ ことが前提 にな って いる。「丸 い」 とか「赤 い」 とかの対象 の属性 次元 を分解 し て ,そ れを一 つ一つ組 み合わせ ることで概念 が獲得 され るではない。
日いの理論」研究 では ,「 誤 った信念」課題 などの言語的に構成 された場面 にお いて ,ま さ
に他者 の心 的状態 の概念的 レベルでの理解 を問題 にす る。・そ こでは確かに多 くの 自閉症児 が そ の理解 に困難 を示す。また、そ うした概 念 的 レベ ルでの理 解 につ いて の認 知論 的 モデルが、
Dい の理論」研究者 によ って提唱 されている。 Hobsonは ,そ うした心 の概念 レベルで の理 解 を い きな り持 ち出すので はな く ,概 念化 され る対象 たる ,他 者 との間主観的 なや りとりそ の もの の経験 に目を向 けるのである。当た り前 と言 えばまさにそ うだが ,他 者 と共有 した り ,反 発 し あ った りす る主体的な経験がなければ ,あ るいは他者 を「 人」 として ,「 一人の主体 」 と して 関係す る場 に生 きることな くして は ,そ の心 の世界を概念化す ることはで きないのであ る。
Hobsonは 「 関係性」 こそが分析 の基本単位であ り ,そ れを さらに「 知覚」 ,「 認知」 ,「 情 動」などの単位 に還元す ることはで きないと考え る。そ して ,M.Buberに な らい ,「 我 ―そ れ」関係 と「 我 一汝」関係 とい う 2つ の基本 モー ドを区別 し ,後 者 の「 我 一汝 」 関係 で あ る
「 対人関係性」に分析 の 目を主 にむけるのである。
乳児期 における 「 心の理解」の始 まりをめ ぐって
(a ブーッス トラ ッピング的発達理解
対人関係性 の原初的形態を分析 の出発点 としつつ ,彼 は対人理解 (心 的状態 の理解 ), シ ン
ボル形成・ 概念化 ,そ して「 自己」の発達を相互 の連関において理論化 しよ うと試みて い るの も特徴的であ る。 この構想 が どこまで成功 しているか は ,実 証的研究 の成果 をふ まえた検 討 が 必要 であるが ,彼 は自 らの理論構成 につ いて次 のよ うに語 っている。「 対人理解が象徴機能 を 生 み出 し ,そ してその象徴機能が′ さ的世界 その ものを概念化す る手段 を与 え るとい うあ る種 の 発達 的な ブーッス トラッピングを私 は描 こうと しているのである」(Hobson,1994:p.82)。
一見異 な った心的働 きのよ うに見え る活動を統一的に説明す る試 み は,「心 の理論」研究者 の代表格である Leslieに よ って端緒 がつ け られた とい って よい (Leslie,1987)。 彼 は ,ふ り遊 び とい うシンボル形成 との関連 で検討 されて きた ものと ,心 の理論 の発生 を統一す るモデルを 提 出 して いる (自 閉症 にかかわ って は ,こ れ ら 2つ ともに自閉症児が困難 であ ることを説 明す るモデル とい ってよい
)。Leslieは ,そ れをメ タ表象能力 とい う生得的な認知的メカニズムの間 題 と して扱 い ,き わめて シンプルで「 きれいな」説明モデルを提案 して い る。 それ に対 して
,HObsOnの 説明 は相互 の連関性 を重層的 に説 くもので ,そ のあた りに分か りに くさが あ るとい え る。
3.2 対人関係性の変化 をめ ぐって
(1)原 初 的共有関係
この間の乳児研究 は多 くの重要 な知見を もた らしている。 HobsOnは ,と りわ け発達 初 期 の 母子相互作用研究か らい くつかの事実 に注 目す る。それ らの研究 によって、発達初期 の乳児 が 人間的 な特徴を もった刺激 に選択的に注意 を向 けた り、養育者 との間で調和 したや りとリパ ター ンを示す ことが明 らかになって きている。 こうした事実 は、なん らかの形で乳児が 自分 のまわ りの大人 と関わ りを持つ ための生得的なメカニズムがあ ることを示唆す る。 ここで、「 乳児 が まわ りの大人 と関わ りを持つ」 と表現 したが、よ り正確 には、乳児 は出生直後 よ り、大 入 との 関係 に巻 き込 まれ、他者 との関係 の場 ですでに生 きて いると表 した方がいいか もしれない。
言語以前 の非反省的 レベルで進行す る心理的出来事を、言語的手段で もって了解す ることに は多 くの問題 が付 きまとう。 この早期の乳児期の心的過程 を扱 う際 も同様 の問題 を抱 え込 み、
場合 によ って は擬人化 な らぬ「 擬 一大入化」 して しまう危険性 もある。その ことに注意 を払 い なが ら Hobsonは 次 のよ うに言 う。 「 極 めて小 さい赤 ち ゃんにとって 、 そ うい った知 覚 的入力 が もつ意味 につ いて、あま り多 くの ことを仮定 しないよ う用心深 くすべ きであるが、その入力 が乳児 において分化 した反応 を導 く場合、ある程度の "有 意味性 "を 知覚 して いることは事 実 と して残 る」(Hobson,1993:p.41)。
悲 しみを表情 で示す大人を前 に して、同 じよ うに悲 しみの表情をす る 2カ 月児 に ,い か な る
心理過程 を考 えた らよいのか。我 々大入 と同様 に、その人の表情を「 悲 しみ」 と意味づ けて表
象 を持つ必要 はなか ろ う。また、だか らといって、単 に顔 の表情つま り筋肉運動 のパ タ ンの一
致 とい う行動 レベルの記述 だ けで は十分で はない。その際、単 なる行動的同期 を超 えて、情動
的 な変化が認 め られ る。 HobsOnは 、 こうした事態 を、単 に物理 的な意味合 いで の「 身体」 だ
けで はな く、ある心理的意味 に も乳児 は反応 して いると見 る。ある心理状態 とその外的 な現 れ
が一体化 した「 態度」を ,こ の早 い段階で乳児 は「知覚」 してお り、 この「 態度 の知覚」能力
がその後 の他者 の心 の理解 にとって不可欠 な ものになると HobsOnは 考えて いる。そ して、彼
の言 う「知覚」 とは、 この乳児期前半 においては、「 悲 しみの表情」を我 々大人 の よ うに「 悲 しみ」 と して理解す ることではない。その情動表出に巻 き込 まれ、その心理的意味 に反応 して しま う過程 も、ある種 の知覚 であるとみなす点 に ここでの HObsonの 特徴 がある。そ して、彼 は言 う、「 知覚 とは関係的な ものである」 と。
(2)関 係性の三角形
生後 9か 月 ころよ り ,対 人関係性 には質的 な変化が起 こる。それ は ,上 記 の他者 との原初 的 レベルでの心理 的結 びつ きの確立 を基礎 に して ,さ らに他者か らの分化 が開始 され るころで も あ る。
他者 が注意 を向 けて いるものに自 らも注意 を向ける「 共 同注意 (,oint attention)」 ,あ る
対象を他者 に示 してみせ るショーイ ング (shOwing),指 さ しを含 めた慣用 的 な身 ぶ りに よ っ て ,自 己の要求や興味 ある事象 を伝達す ることなどが多 くの研究者 によ って検討 されて きて い る。 これ らの形態を とる行動が可能 になる基礎 には ,乳 児 と他者 とがある対象 や事象 を共有 す るとい う三項関係が成立 している必要 がある。 Hobsonも ,こ の点 に着 日 して ,対 人 関係性 の 新 たなモー ドと して「関 係性 の三角形 (relatedness triangle)」 と して記述 して いる。
単 に同 じ対象 に視線 を向けているとい うことだけで ,「 関係性 の三角形」が成立 した とはい えない。た とえば ,あ る対象への注意 を共有す るといった場合 ,単 に物理的な意味で の他者 の 身体 の方向性 を知覚す るだけで はな く ,そ の対象 に向け られた他者 の気分・ 経験 といった態度
,言 い換 え ると心的な方向性 を知覚 し ,相 互 にそれを重ね合 わせ ることがで きて は じめて可能 に
な る。 Hobsonは ,こ のよ うな心的 な営みを ,あ るものに対 して他者 が取 って い る態度 その も のに ,乳 児 自身がなん らかの態度を取 ることがで きるよ うになることと して とらる。
ここでポイ ン トとなる概念 が ,「 態度」である。心理学 で は一般 に ,態 度 とは「 行動 へ の構 え」あ るいは「 ある ものに対す る感情的傾向」 (『 岩波心理学小事典』による )と して理 解 さ れ ,「 行動 その もので はな く ,行 動 の発端であ り行為への傾向」 (同 書 )と み な され る。 それ に対 して ,こ こで Hobsonが 用 いる「 態度」概念 では ,身 体 の向 きあるいは姿勢 ,表 情 ,ふ る
まいとい った身体的属性 と同時 に心的方向性 ,感 情的価値づ けとい った主観的属性 も持つ もの と して理解 されてい る点 に特徴がある。確か に日常用語 と しての「 態度 が悪 い」 とい う表現 に も ,こ うした 2つ の内容 が含 まれて いる。
この態度 に焦点を当てて ,こ れまで述べて きた ことを振 り返 ってみ る。発達初期 においては
,他者 との対面的 な二者関係 で ,他 者 の態度を敏感 に感知 し ,態 度 を同調 させた り (表 情 の模 倣 やその他 の共鳴動作 ),他 者 との相補的なや りとリパ タ ンをつ くり出 した り ,そ のず れを感知 す るための生得的 メカニズムが用意 されている。大人の笑顔 に笑顔 で反応す る様子 が観察 され るころであ る。 もちろん ,乳 児が笑顔 の持つ意味が分か って笑顔 を返 す とい うことで はな く
,笑 いとい う外的現 れを伴 う他者 の態度 に同調的 に反応 して しま うといった方が ,よ り正確 な記 述 にな るであろ う。いわば他者 の態度への取 り込 まれ も ,Hobsonは 態度 の知覚 の一形 態 とす
ることはす でに述べた とお りであ る。
そ して ,こ のよ うな心的 プロセスを通 して ,乳 児 は次第 に ,他 者 の態度がなん らか の もの に 向 け られた ものであ ること (「 志向性」 )を 理解 してい く。そ こで は ,身 体 の向 き ,表 情 ,ふ
るまいなどか ら ,他 者 の物理的方向性 のみな らず ,態 度 の焦点 た る対象への感情 ,気 分 な ど心
理 的意味 あいを も知覚 してい くのであ る。
乳児期 における
「 いの理解」の始 まりをめ ぐって
3.3 「 関係性の三角形」か らシンポル形成ヘ (1)「意味」の発見
他者 があ る対象や事象 にいかなる態度 を とっているのかを知覚す る能力 は ,乳 児 に とって新 たな発見 を もた らす と Hobsonは 主張す る。その ことを説 明す るの に好 ん で用 い られ る例 が
,社会的参照 (social referencing)研 究 (Feinman,1982)で あ る。た とえば :視 覚的断崖 を前 に
して不安 を感 じ移動 を中止 した乳児が ,母 親 を振 り返 り彼女 らの表情か らその事態 につ いて の 情報 を得 よ うとす る。その際 ,母 親 が安心 した態度 を向 けるな ら ,乳 児 の多 くが さ らに移 動 を 続 け ,反 対 に不安 げな態度 を示す と乳児 は移動を躊躇す る。まさに ,他 者 の態度 を知 覚 す る こ
とでみ られ る現象であ る。
そ こか ら Hobsonは 次 のよ うな分析 を行 う。あ る同一対象 (上 記 の例 で は「 視覚 的断崖」
)が ,「 自己に とっての意味」を持つ一方 で ,そ れ とは異 な った「 他者 にとっての意 味」 を持 ち
うることを ,乳 児 は社会的参照を通 して発見す るのだ と HObsOnは 言 う。つ ま り ,あ る対 象 や 事象 にいかな る態度 が とられているのかを知覚す ることで ,同 一対象 であ って も人 によ って異 な った態度 を持 ち うることに乳児 は気づ くのである。その ことは ,と りもなお さず ,世 界 のあ らゆ る ものの意 味内容 は ,「 人」に依存 してお り ,別 の視点 か らいえば ,あ る もの は人 によ っ て異 な った一つ以上 の意味を持 ち得 ることに気づ く機会 になる。
そ して ,実 はこの過程 は ,自 己意識 ,あ るいはその前提 となる自他の分化過程 と裏 表 の関係 にあ る。乳児期初期 での他者 との原初的共有関係 の レベルは ,自 他 の未分化 な時期 といえ る。
ただ し ,も の (things)と は異な った特別 な ものとして ,「 人」を とらえ反応 す る生 得 的 な知 覚 メカニズムは備 わ って いる。人 との特別 な心理的結 びつ きを確立す るこの基盤 の もと , 自己 と他者 の心的態度 の不一致を経験 しつつ ,上 で述 べた過程 を経 て ,「 主観的態度 の源泉 で あ る とい う点 で『 自分 自身 みたい』ではあるが、ある時には自分 と異 なる心的態度を持つ とい う点 で は自分 自身 とはちが うもの として (Hobson,1993:p.117)」 、「 人」を理解す るよ うになる。
それぞれの人が独 自の主観的態度 を持つ ことに気づ き始 め ,お ぼろげなが らも「 自己 ―他者」
の基本的な枠組 みが作 られ始 めるのである。
に )シ ンポル発達 の対人関係性の基盤
一つの ものに対 してそれぞれの人が異 な った態度 を持 ち うることに気づ くと ,特 定 の他者 あ るいは潜在的な他者 (そ の場 にいない他者 )の さまざまな態度を ,乳 児 自身 が能動的 に取 り入 れ ることがみ られ る。いわゆ る「 模倣」活動である。生後 10か 月 ころよ り観察 され始 め る模 倣 は ,新 生児模倣 のよ うな ,他 者 の態度 を受動的に受容 して しま うもの とは異 なる。 自分 とは 異 なる行為主体 と して他者 を とらえた上 で ,そ の独 自の心的方向性や意味を持つ他者 の態度 を 自 らも能動 的に とる試 みが模倣 なのである。
模倣 は ,他 者 との相補的関係 の中で ,他 者 の態度 を自 らの もの として取 り入 れ る過程 といえ る。他者 との社会的関係 の場 で ,乳 児 は継時的 に複数 の「意味のある態度」を持つ ことになる。
それ はさ らに次 のよ うな発展 をす る。本来 は「 自動車」に対 して もつべ き態度 =ふ るま い , し ぐさなどを ,「 マ ッチ箱」に故意 に向けるといった「 ふ り (pretense)」 が , 1歳 半 ころよ り 可能 にな る。言 い換え るな ら ,一 人の人 は一つ以上 の「 意味を与 え る態度」を同時 的 に持 つ こ とを乳児 は了解す るよ うにな る。あるものに多重的な態度 を向けることが可能 にな り ,さ らに 能動的 にその態度 を変換 ない しは切 り替え ることで ,こ のよ うな シンボ リックな活動 が具体化
され ると HobsOnは 主張す る。
さて ,シ ンボル機能 とは ,あ るもの (シ ンボル )に よって他 の もの (指 示対象 )を 指示 な い しは代理す る働 きといわれ る。ただ し ,シ ンボルと指示対象の間には直接的な関係 があ るので はな く ,シ ンボルを扱 う人 の思考 などの心的過程 を媒介 して両者の関係 が成 り立つ とい う性質 がある。 Hobsonは ,Ogdenと Richardsの 「 意味の三角形」 (Ogden&Richards,1967)を 参
照 して ,シ ンボルの もつ この性質を強調 している。この ことで ,シ ンボルの持つ意味が人によっ て個別 的な内容 を持 ち うるとい う事実 を とらえよ うとしている。そ して ,「 態度」概 念 を導 入
して シンボル発達 の対人関係的基盤を理解 しよ うとす る Hobsonの ね らいは ,こ の シンボル機 能 の性質 に焦点化 された もの とい ってよいだろ う。また ,こ うした分析 には ,Piagetの 「 象 徴 遊 び」の研究以来 ,シ ンボル機能を能記 (シ ンボル )と 所記 (指 示対象 )の 記号 的関係 に着 目
して分析 した研究 と異 な る視点がある。
以上述べて きた ことは ,シ ンボルの一つの側面 にす ぎないとも Hobsonは 言 う。そ こで彼 は
Meadを 引用 しなが ら ,シ ンボルが 自己にとって持つの と同 じ意味を他者 に とって も持 ち うる ことを 自覚 して使 うことで ,シ ンボルはは じめて「意味のある」 ものになると主張す る。つ ま り ,シ ンボルの コ ミュニケー ション的側面 もみ る必要があるのである。 シンボルが社会 的意 味 を持 ち ,コ ミュニケー ション手段 になるためには ,「 他の個人 に誘発 しよ うとしてい る反応 を 自分 自身 の内部 で生起 させ ること、すなわち他者 の役割 を取 る こと」 (Mead,1934:p.73)が 不 可欠 となる。つ ま り ,意 味のあるシンボルを使 うためには ,あ る程度 の 自己反省的な意 識 が必 要 とな る。
ところで ,上 記 の「 他者 の態度を 自 ら取 る」 ことは次第 に複雑 な様相 を持 つ よ うにな る。
「 平 L児 自身が は じめに取 る視点 と ,他 者 の態度への同化 によ って生 じる視点 の二 重性 の感覚 を 保 つ場合 ,乳 児 は世界 に対す る自分 自身の関係の持 ち方に関わ りを持つ ことができる」(Hobson, 1993:p.144)。 あ るいは ,他 者が乳児 に対 して とる態度 を ,逆 に乳児 自身 が さ らに取 る こと も 可能 にな ってい く。つ ま り ,他 者 の態度 に立つ ことで次第 に ,他 者 との対比で独 自の内容 を持 つ 自 らの態度を よ り対象化 しうる ,自 己反省的な意識 を持つ地位 に乳児 は立つ ことがで きるの である。
この よ うな変化が起 こるのは ,ふ り遊 びなどの シンボ リックな活動が見 られは じめ る 1歳 半 ころであ る。 HobsOnは ,こ れ は単 に時期が同 じとい うのではな く ,他 者 との関係性 の三 角形 が内化 して い く過程 でみ られ る事態 と して ,シ ンボル発達 と自己意識 の発達 はコイ ンの裏表 の よ うな関係 にあ ると考 えている。
他者 との関係性 の変化 を基盤 に発生 して きた シンボルや「 自己」が ,子 ど もの心理 的場 に浮 上す ることと ,心 を概念的 に理解 した り ,自 らを他者 の役割 に意識的 に置 いて他者 の心 的状 態 を推論 してみ ることは ,相 互 に絡み合 って現実 の ものになる。つ ま り ,自 己や他者 の心 を理 解 す るための推論 システムや役割取得 ,あ るいはそのための概念装置がまずあ るので はな く ,そ
れ らは誕生以来 の他者 とのさまざまな関係性 の変遷 を経て ,生 まれて くるものなのであ る。以 上 ,紹 介 した Hobsonの 理論的構成 のバ ックボー ンにあるのは ,そ うした一貫 した主張である。
4.論 争の背景 にあるもの
以上 の Hobsonの 主張 は ,心 的状態の読み とりやふ り遊 びなどの シンボル発達 を統合的 に と
らえよ うとす るね らいにおいて は,Leslieら の「心 の理論」論 とも問題設定 を共有 して い る と
乳児期における
Lいの理解」の始まりをめぐって
いえ る。 しか し ,す でに述べ たよ うに ,Hobsonは 生得的な情動 的基盤 か ら論 を起 こす の に対 して,Leslieら は認知 的モデルを設定す る試 みをす る点で大 き く異 なっている。さらにいえば
,HobsOnが ,「 ボ トムア ップ」的に理論構成す るのに対 して,Leslieら は ,HObsOnが さまざま な心理的過程 の産物 とす るものか ら ,分 析を始 めている。
次 に ,こ うした両者 の対立 に背景 にあ る ,さ らに原理的問題 を検討 したい。
4.1 心的状態の観察可能性
Dい の理論」派 も「 シ ミュレーション」派 もともに ,理 論構成 の前提 と して ,心 的状 態 は観 察不可能なものであるとする。
「 シミュレーション」派 :他者の心的状態を理解するのに ,自 己のケースか ら類推 による推 論 (シ ミュレーション )を 行 うという見方 は ,わ れわれが常識的に持つ見方 ともきわめてす致 している。その根底には ,わ れわれが直接に観察できるのは他者の「身体」であり ,「 心」 は その背後に隠れていて観察不可能であるという考えがある。そ して ,観 察 された 日いなき身体」
(い わば「 もの」としての身体 )に 「心」を入れることができるのは ,自 己経験か らの シ ミュ レーションによるものと結論づけられることになる。
しか し ,こ の論では多 くのことを前提にして しまっている。観察された他者の「身体」 と内 部感覚などの総体 としての自己の「身体」では ,経 験 される内容 自体 ,ま った く異 なる質の も のであるのに ,両 者がいかにシミュレーションの対象たりうる「等価」なものとみなされ るの か。自分 自身の経験を反省できる「 自己」は ,ア プ リオ リなものなのか ,あ るいはそ こまで明 証な ものであ りうるのか。
「 心の理論」派 :巨 いの理論」派は ,自 己の心的状態の明証性を前提に しない。 自己 ,他 者 に関わ らず ,心 的状態 は直接観察できるものではな く ,観 察 データか ら構成 される「仮説的構 成概念」とみなす。そのことで ,「 シミュレーション」派が抱え込む難問を乗 り越えよ うと し ている。そ して ,と りわけ ,心 的状態が外界の単 なるコピーではな く ,独 自の世界 を構成 して いるという表象 としての性質を持つことに注 目 し ,「 表象的 な心 (representational mind)」
の理解 ,言 い換えると概念的 レベルでの心の理解を検討する。そこか ら ,Leslieに 代表 され る ように ,認 知的な「 メタ表象」能力を重視 したモデルが登場するわけである。
Hobsonも ,こ の「表象的な心」の理解において ,認 知的な推論過程が大 きな役割 を もつ こ とは否定 しない。ただ し ,「 表象的な心」の理解 =Dい の理論」でもって ,あ らゆ る心的状態 を問題 にす ることに異議を唱える。つまり ,概 念的なレベルでの心の理解を説明するモデルを
,「 トップダウン」的に発達初期の心の理解の問題に当てはめる際には ,大 きなカテゴ リー ミス テイクが起 こる。また ,心 の理解を ,心 の一側面にすぎない表象的性質の理解 ,さ らにいえば 表象 という「無人称的」なものを理解することとして扱 うことで ,そ れぞれが独 自の主観的経 験を もつ「 自己」の内実を明 らかにす ることができなくなって しまうのである。
Hobsonは ,こ うした議論を しなが ら ,心 的状態のある側面 は ,観 察可能 であるとい う前提 を崩 さず , Dい 」と「身体」が不可分の ものとして具現化 した「態度」の知覚 を ,彼 の理論構 成の柱 に しているのである。
4.2 知覚過程の位置づけ
「 観察不可能 な心的状態 を子 どもが理解す ることは、観察可能 な心的状態を理解す る ことで 始 まることがわかれば、それほど不思議 な ことで はない と思 う」 (Hobson,1993:p.122)と Hobsonは 言 う。そ して ,「 観察可能 な心的状態」の理解 とは ,「 乳児 は最 初 に 身体 "を 知 ´
覚 し、それか ら 均ド を付与す るとい う」 (同 上 :p.117)プ ロセスで はな く、「 他者 の表現 や 行動 の中 にみて とれ る、人 に関係 した 意味 "を 乳児 は直接 に知覚 した り、それに自然 に関 わ
りを もって いる」 (同 上 )こ とが基盤 になっているとい う。
つ ま り ,乳 児 はかな り早 い段階か ら ,物 理的 な意味での身体 の動 きを知覚す るだけではな く
,身体 と相関的関係 にあ り不可分 の もの としてある心 的状態 に反応す る生得的なメカニズムを持 つ のであ る。 もちろん ,こ の場合 ,た とえば他者 のある表情 を ,「 笑 い」 とか「 怒 り」 と して 解釈 ない しは概念化 して乳児 は知覚 しているわけで はない。われわれ大人がそのよ うに受 け取 る意味 に ,乳 児 は関わ り反応す るよ うな傾性 を生得的 に備 えて いるとい った レベルでの ことで あ る。 しか し ,い ずれに して も ,彼 は ,何 らかの進化論的背景 を もった乳児 の直接 知 覚能力 を 重要視 し ,「 個体 と環境 の間の関係を確立す る感情 や行為の傾向 と関わ らせて ,知 覚 能力 は理
解 されねばな らないのである。知覚 とは関係的な ものである。 これ らの ことは ,ほ とん どの動
物 や乳児期 の前理論 的 レベ ルで適 用 され る もので あ ろ う し ,実 際 適 用 され ね ば な らな い」
(Hobson,1991:p.36)と 考 えている。 これは ,環 境 か ら個体 に提供 され ,環 境 一個体 間 の関係 において決定 され る「 アフォーダンス」なる概念を提唱 し ,そ の直接的な知覚 の可能性 を主 張
した Gibson(1979)の 理論 に符合す るものである。
筆者 も ,対 象意味の直接的な知覚 の可能性 を重視 したいと考 え る。ただ し ,そ こか ら対象 意 味一般 を直接知覚す ることがで きるとは考 えない。すなわち ,対 象 の もつ「意味」といって も
,そ こには多様 な レベルの ものが存在す る。われわれのまわ りに存在す るもの は ,そ れが 自然 に よ って付与 された ものであ って も ,わ れわれが構成す る共 同体 によ って社会的な意味 を与 え ら れて いる 6た とえば
,・同 じ自然を見て も ,そ こに「美」を見 いだすかどうか は ,共 同体 によ っ て異 な ることがある。 このよ うな社会的意味 (あ るいは価値的意味 )は ,対 象 か ら直接知 覚 さ れ るもので はな く ,社 会 一歴史的 に規定 された人間の諸活動を媒介 したよ り高次 な知覚 プ ロセ スが必要 となる。
Gibsonも 指摘す るよ うに ,環 境 のなかで知覚 されねば な らな い もの は何 か ,そ して その も
のを特定す る情報 は何かをまず は明 らかにす る必要がある。そ して ,直 接知覚 が可能 な ものの 範囲を生態学的 に規定す る作業が知覚研究 には必要 となる。その上 で ,直 接知覚か ら高 次 の知 覚 プ ロセスヘの発達 的飛躍を検討 しな くて はな らない。発達初期 の「 態度 の知覚」に関 わ る生 得 的なメカニズムか ら始 ま り ,そ の後 の心的状態 の概念的把握 へ と展 開 され る ,Hobsonの 説 明 は ,こ うした ことへの一つの試み といえ るだろ う。
4。 3 「 心の理論」派のかかえる問題 と今後の課題
発達初期 の知覚 をめ ぐる Hobsonの 立場を紹介 し ,若 千 の コメ ン トを行 った。 この問題 に関 わ って , Dい の理論」派がかかえ る課題 に一言触 れてお きたい。
Dい の理論」派が ,心 的状態 の観察不可能性を前提 に していることはすでに述 べた。上記 の 議論 で言 えば ,直 接知覚 の可能性 を無視 ない しは軽視 していることに特徴がある。 しか し ,直
接観察 で きない ものを ,身 体 などの観察 データか らいかに導 き出すか とい う問題 を抱 え込 ん で
しま う。そ こで考 え出 されたのが ,そ のよ うな観察 データを 自動的に加工・ 処理す る認 知 的 な
乳児期における
「 いの理解」の始まりをめぐって
メカニズムを生得的なものとして想定する考え方である。
Leslie&Roth(1993)は ,「 行為者 (agent)」 ,「 一次表象」 ,「 デカ ップルされた表象」
の関係を表す メタ表象を算出す る「心の理論 メカニズム (Theory of Mind Mechanism,
ToMM)」 を ,生 得的に付与 されたものとして考えている。また ,BarOn̲COhen(1995)は , こ
の Leslieの Dい の理論 メカニズム」のさらに下位にあるメカニズムとして ,「 注意共有 メカニ ズム (Shared Attention Mechanism,SAM)」 を提唱 している。 これは ,自 分 と他 の個体 が同 じものに注意を向けているのかを照合するメカニズムで ,進 化の過程を経て人間に生得的 に備わ っているものと考えられている。
各理論 の詳細 は省 くが,「 心 の理論」派 ,特 にその中核的な研究者である Leslieや Baron̲
Cohenら には ,そ の理論的バ ックボーンとして Fodor(Fodor,1983)の 影響 が共通 してみ られ る。 Russell(1992)に よると ,Fodorの アイディアの基本的特徴は次のとおりである。
(a)心 は、因果的に相互作用す る状態のセットか らなる。その状態は、我々が素朴心理学 に あるとみなす ものとまった く同 じものであり、推論的に表象 される (「 思考の言語」 があ る )。
lbl この推論的な表象 は、デジタルコンピュータで シンボルとして例示 される状態 と違 いの ないものである。
(C)古 典的な シンボル処理マシンと同 じように、心 は相互に遮蔽され (eicapsulated)か つ 相互作用す るサブシステムまたは「 モジュール」か ら成 り立 っている。
ldl これ らの状態ができることは、お互いの相互作用を推論的にかつ因果的に表象すること だけなので、その表象を獲得す る能力は生得的なものである。
ToMMに しろ ,SAMに しろ ,そ れぞれ特定の領域の問題だけを ,特 定の範囲で遮蔽 された 情報のみを利用 して処理する「 モジュール」といえる。そ して ,そ れ らの「 モジュール」 は生 得的な ものとして存在 し ,そ の後の知識獲得の核 となるという。そ して ,SAMの 場合 であれ ば ,[Self‐ Relation‐ (Agent¨ Relation‐ Proposition)]と いったよ うな構造をなす三項表象を算 定す る機能を有することになる。こうした議論に特徴的なのは ,「 表象」概念をかな り広 く使 い ,そ の操作あるいは「計算」プロセスを各モジュールに背負わせていることである。 このこ とか ら ,Russenも 指摘す るように ,乳 児期の知覚過程 などの「心的プ ロセスをあま りに高 い レベルで (わ れわれ大人が ,素 朴心理学でそれを語 るレベルで )み ることか ら ,… … どの発達 理論 も説明力を失 う」 (Russell,1992:p.502)危 険性がつきまとうことになる。直接知覚 として 扱 いうる心的プロセスを ,演 繹や帰納の推論 プロセスを記述す るのに用いる論理でとらえ るこ との問題 ともいえる。確かにそのことで ,両 者の発達的連続性を記述することはできるか もし れないが ,逆 に前者の過大解釈を生み ,両 者の間にある質的な飛躍を説明す ることがで きな く なるのである。
幼児期 における心的状態の理解を , Dら の理論」という一貫 した知識構造 としてとらえ られ たことは ,従 来の研究の描 いた「子 ども像」を革新するものといえよう。 しか し ,幼 児期 にお ける概念的 レベルでの心の理解を説明するモデルを , Dい の理論」の起源を探 る際にそのまま 適用す る危険は大 きい。それ らの知識構造を成 り立たせている「表象」その ものの成立が ,不
間に付 されたまま ,「 いの理解」の起源を考えることはできない。そ して ,こ の「 表象」発生
の問題 こそ ,J.Piaget,Ho Wa1lonと いった先達たちが挑んできた ,発 達心理学 の古 くて新 し
い問題なのである。
HObsOnの 理論 は ,そ うした問題への彼 な りの挑戦であ った。 この原理的問題 に立 ち戻 りな が ら ,乳 幼児期 の 巨いの理解」 ,そ してその起源を さらに検討す る必要がある。
注
1)Wingら は、自閉症 にみ られ る「三つ組 みの障害」 と して、①対 人 0社 会 的能力 の障害
,②非言語 および言語 での コ ミュニケー ション能力 の障害 ,③ 象徴遊 びなどの想像的活動 で の 障害 を あ げ、 これ らを統一 的 に記述 、説 明す る ことが課題 と考 え て い る (Wing&Gould,
1979)。
2)こ こで は、 Hobsonの 理論的位置を示す ために単純化 した形 で対立点 を提 示 した。実際 に は、多様 な見方 が交錯 している。た とえば、 Dい の理論障害」説 の根拠 となる「誤 った信念」
課題 に対す る自閉症児 の失敗を、心 の読 み とり能力 には限定 されない、よ り広 い認知 能 力 の 障害 の現 れ とみな し、 Dい の理論障害」説に反対する論者 もいる (Russell,Mauthner,Sharpe,
&Tidswell,1991)。
また、 Dい の理論障害」を認 め る論者 の中に も、さ らに立場 の相違 があるよ うで あ る。 そ れ は、 Dい の理論障害」だけですべての自閉症児・ 者の抱え る問題を説明 しうるか とい う点 に関す る見解 の相違 である。ある特定 の自閉症児者 (ア スペルガータイプ )は 、二 次 的 レベ ルの「 誤 った信念」課題 (「 太郎 は、花子 が〜 と信 じて いると誤 って信 じてい る」 )に まで
回答可能 な能力を もつ ことが示 されている(Bowler,1992)。 他方で、カー ド分類課題 やハ ノ イの塔 課 題 の遂 行 に必要 な実行統制機能 に、 高 機 能 自閉症 も問題 を もつ こ と(OzonOff, Pennigton,&Rogers,1991)な ど も明 らかにされて きて いる。 Dい の理論」 とい う領域固有
な認知能力 と、実行統制機能 とい う広 い範囲を包括す る認知能力 とを、どのよ うに連 関 させ て説 明す るのか とい う問題 が ここにはある。自閉症 その ものが症候群 として と らえ られ る概 念 である以上 、単独 の固有 な能力障害でその症状を規定す ることの妥 当性 は慎重 に検討 す る 必要 があ る。
3)Frith(1989)よ り引用。
引用文献
Baron― Cohen, S。 (1995)。 ルグ
jんdbκ れ
dれassi スれ asscy οれ α ι jsれ αれα ι んο ory O/ ″ι
jれα
.Cambridge: The MIT Press.
Baron― Cohen,S。 ,Leslie,A.M.,&Frith,U。 (1985).Does the autistic child have a"theory of mind"?qダ れ jι
j。ん ,21,37‐ 46.
Bowler,Do M。 (1992)."Theory Of lⅥ ind" in Asperger's syndrome.Jo
rれα J or Cん j悶 Psycん ο
Jοgy αれ d Psycん
jαι ry,33,877‐ 893.
Feinman,S.(1982).Social referencing in infancy.MerrjJJ‐ PαJttar o α
rιerJy,28,445‐ 470.
Fodor,」 .A。
(1983)。rん θ腕
oごじ
Jα五″ o/mj九 ご。 Cambridge:MIT Press.
Frith,U。
(1989)。ス ι
jsm′Exp施 れ
jれg ttο 卿 α .OXfOrd:Basil Blackwell。 (冨 田真 紀・ 清 水 康 夫 訳 1991 自閉 症 の謎 を解 き明 か す 東 京 書 籍 .).
Gibson, J.J。
(1979)。Tha acο Jο 」 cα J arpprOα むん ι ο υ js α J parcttι う 。 2. Boston: Houghton‐
Mifflin.
乳児期における隔いの理解」の始まりをめぐって
浜田寿美男
(1992)。自閉症をどう記述す るか一自閉症論への一つの試み .浜 田寿美男 (編 著 >
自我形成論への こころみ―「私」というもののな りたち (pp.151‐ 216).ミ ネルヴァ書 房
.Hamlyn,Do W。 (1974).Person̲perception and our understanding of othersc ln To Mischel
(Ed。
), υ Lα
arsια 2成 れ g οι んar parsotts(pp■ ‐ 36).Oxford: Basil Blackwell。
Hobson,Ro P。
(1991)。Against the theory of'Theory of Mind'.BrJι おん Jo rttα J o/D̀υ ο‐
Jopaο πι α J Psycん ο Jogy,9,33‐ 51.
Hobson,R.P。 (1993).4 ι jstt αんごι んο
Jθυ θ Jopttθ んι O/れ jttJ.Hove:Lawrence Erlbaum
Associates.
Hobson,R.P。
(1994)。Percei宙 ng attitudes,concei宙 ng minds.In C.Lewis&Po Mitchell
(Eds。 ),Cん ガ
̀シ
ο屁む οα rJy 屁
̀力