4月最初の週末は、郷里で畑を耕した。耕運機で 一気に片づける心積もりだったが、どうしてもエン ジンがかからず、結局鍬で耕すことにした。調子よ く土を起こしていたのも束の間、楔が緩みだし、つ いに歯が外れてしまった。仕方がない。何度も楔を 打ち直しながら、どうにか作業を終えた。難儀した だけに、ほっくりと積みあがった畝に満足感が湧い てくる。人文学の研究者でありながら立派に農作業 もできるのだ、という密かな優越感とともに。
すると、ガクガクする鍬を見た母が私にこう尋ね た。「鍬を水に漬けちょったかね?」前もって鍬の 歯の部分を水に浸し、柄を膨張させておかねばなら なかったのである。乾いた柄では楔が抜ける。そん なことも知らないようでは、田舎でやっていけない。
私は、まことに半端な田舎人である。大分の農村 で逞しい自然と自然児たちに囲まれて育ったが、そ んな環境を好きになれなかった。運動よりも読書を 好む肥満児だった私は、田舎の子供たちの評価基準 では、まったく劣等だったからだ。俊敏で純朴で男 らしい友人たちを、いつも「憧れと、憂鬱な羨望と、
それから少しばかりの軽蔑」が混じりあった眼差し で眺めていた―『トーニオ・クレーゲル』ならばこ こに「あふれるばかりの清らかな幸福感」が加わる のだが、私は幸福ではなかったように思う。田舎の 野性的な気風から逃げ出したかった。
ところが大学生活を送ることになった福岡でも、
コンプレックスは消えなかった。私の持っていた知 識や嗜好は学友たちに比してひどく浅薄で、自分が 野暮に思えたからだ。無学はだれのせいにもできな いが、恥ずかしさのあまりつい、都会とは異なる価 値観でワイルドに生きてきたのだと言い訳をしたく なる。初めて経験する学問的議論についていけな かった私は、あろうことか敬遠してきた故郷にアイ デンティティのよりどころを求めていたのである。
田舎の人間にも都会の人間にもなれず、その時々 の都合によって知性にすがり、野性にすがってきた。
このみっともない自我分裂はしかし、私の研究の原 点となった。
私の研究は「故郷」や「自然」に対する近代人の 屈折した感情をテーマとしている。大学でドイツ語 とドイツ文学を専攻したのは偶然に等しかったが、
結果的に良い選択であった。というのも、おそらく ドイツ人ほど「故郷」や「自然」を熱愛しつつ嫌悪 し、徹底的に考究してきた国民はないからである。
そうした何重にも屈折した感情に、私は共鳴する。
現代のドイツでは、ナチスの刻印を受けたこれら の概念に対する警戒感がなお強く、政治家が不用意 に言及するたびに大きなスキャンダルとなる。「故 郷」や「自然」は間違いなく人類共通の普遍的テー マだが、そこに潜む問題をどれほど深刻に受け止め ているか、受け止めてきたか、そして受け止めねば ならなかったかという観点からすると、その概念史 をドイツにおいて辿ることは殊更有意義であろう。
むろんそれは、おぼろな予感に導かれるまま研究を 続けたのちに気付いたことではあるが。
最初に取り組んだのは、グリム兄弟が彼らのメル ヒェン集発表直後に、友人アルニム( A. v. Arnim ) との間で交わした〈自然文学論争〉であった。この 論争は、兄ヤーコプ・グリム( Jacob Grimm )が、古 の人々が自然に紡ぎだしたメルヒェンは民族固有の 宝であり、史料としてそのまま記録されねばならな いと主張したのに対し、詩人アルニムは、メルヒェ ンが文学である限り、現代の感性で新たに語りなお されねば意味がないと反論したことに端を発する。
それは、単にメルヒェンの採録方法をめぐる議論で はなかった。昔と今のどちらが文化的に優れている のか、自然と人為のどちらが芸術の本質なのか、歴 史はどのように継承されうるのか、過去は現代に
― ― 4 研究雑話
私の研究について
人文学部ドイツ語学科教授
田 口 武 史
とっていかなる価値を持つのか、文学は民族の単位 でカテゴライズできるのか、そもそも純粋自然な人 間や文学など存在するのか―グリム・メルヒェン 集の思想的背景をなす自然文学論争には、近代の文 学や文化をめぐる根本的諸問題が凝縮されている。
ところが少なからぬ研究者が、グリム兄弟の姿勢 にもっぱら排他的なナショナリズムのにおいをかぎ とり、極端な場合はナチスと関係づけさえした。
Wikipediaを見ても、 「 『グリム童話』が成立した背景 には、フランス革命とそれに続くナポレオン・ボナ パルトによるドイツ占領によって、ドイツにナショ ナリズム高揚の動きが広まっていたことがある」と 真っ先に説明されている。たしかにグリム兄弟がメ ルヒェンの収集を本格化させたのは、占領の帰結と して「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」が崩壊した1 8 0 6 年のことである。しかし帝国の消滅自体は、グリム 兄弟にそれほど大きな打撃を与えはしなかった。領 邦諸国の緩い連合が破綻したというだけであり、そ れにより郷土を追われたわけでも、迫害されたわけ でもなかったからである。
兄弟がより深刻にとらえていたのは、この時代の ドイツで急激に進行していた近代化であった。彼ら にとって帝国の終焉が意味を持ちえたとすれば、そ れは、近代化が引き起した社会全体の構造変化を象 徴する事件としてである。ほんの少し前まで人々は 故郷の自然に囲まれ、先祖代々の縁で結ばれた共同 体の中で生きていた。ところが近代意識が生活様式 と人間関係を変えた結果、彼らはバラバラの個人に なろうとしていた。そのうえ今、政治レベルでもド イツ人の紐帯が断ち切られてしまった。この状況を 危惧したグリム兄弟は、伝統的な共同体で語り継が れてきたメルヒェンを近代人に提供し、古き良き時 代の記憶を共有しつつ継承しようと試みた。つまり 近代化に起因するさまざまな分断を架橋することこ そ彼らの、とりわけメルヒェンの世代間伝承を重視 した弟ヴィルヘルム・グリム(Wilhelm Grimm )の 願いだった。その最も有効な手段が、故郷の昔なが らの生活と穏やかな子供時代を想起させるメルヒェ ンだったのである。
ここにひとつの矛盾がある。グリム兄弟は口伝 だったメルヒェンを文字化し、本として供したのだ が、それを購入して読めるのは金と時間に余裕があ
り、また活字を問題なく読めるだけの教育を受けた 人間だけである。したがって兄弟が読者として想定 していたのは、そしてかつての親密な共同体を思い 出させようとした相手は、なによりもまず教養市民 階級だったはずである。が、彼ら市民階級の故郷は 農村ではないし、メルヒェンを語り継いできた素朴 な農民たちと同じ共同体を形成していたことも、親 しく交流した経験もない。そうであれば、グリム兄 弟が読者の前に広げて見せたのは、まさしく〈創造 の共同体〉 ( B. Anderson )であり〈創られた伝統〉
(E. Hobsbawm)である。その点から判断すると、兄 弟の自然文学論をナショナリズムから切り離して理 解することは、やはり適当ではないだろう。
しかしたとえ彼らの思想にナショナリズムの萌芽 が潜んでいるとしても、 決して政治的企図が動機 だったわけではない。もし彼らが国家の再興や民族 意識の覚醒を狙っていたのならば、『子供と家庭の メルヒェン集』 (Kinder- und Hausmärchen)という長 閑なタイトルではなく、〈ドイツ国民の〉や〈ゲル マン民族の〉といった修飾語を選んでいたはずだ。
子供と家庭の社会的価値もメルヒェンの文化的価値 もまだ認知されていない時代である。駆け出しの学 者であったグリム兄弟が、自分たちの将来を懸けて つけたタイトルの含意を、我々は1 9世紀の常識を踏 まえて慎重に汲み取らねばならない。
* * *
アイデンティティが揺らいだ時、近代人は思わず 困ったときの自然 頼みをしてしまう―自分の経験 を厚かましくも一般化するようだが、私はこのよう な仮説を立て、論証を試みている。 「神」が力を失っ た近代において、その跡を襲ったのが「科学」であ るとはよく提示される命題であるが、むしろ対極に ある「自然」こそ神の代償ではあるまいか。 「故郷」
「子供」「家庭」 「肉体」 「素朴」 「有機」 「根源」 、現 代においてある種の宗教的感情を惹起するこれらの 諸概念はいずれも自然のパラフレーズであり、非科 学的な響きを持つ。この意味での自然は決して数式 に還元されないもの、すなわち言葉でしか表現でき ないものだろう。言葉に潜む自然は、ローレライの 歌のように捉えがたく、しかも蠱惑的だ。その魅力 に溺れることなく聞き耳を立てるには、野性と理性 のどっちつかずが案外役立つかもしれない。
― ― 5
本年4月より、工学部電子情報工学科にて教授を 拝命いたしました。私は福岡県北九州市で生まれ育 ちまして、大学入学を契機に福岡県を離れて以来、
東京 → 千葉 → 東京 → 兵庫 → 神奈川 → 米国オレゴン → 東京 → 神奈川 → 東京 → 千葉と移動した後、2 7年ぶり に福岡に戻ってまいりました。様々な機関に属し、
様々な人々と一緒に仕事をして参りましたが、研究 内容は一貫して半導体集積回路に関連しており、今 後も本分野の発展に寄与していきたいと考えており ます。
半導体集積回路の進化というのは凄まじいものが ありまして、トランジスタ性能は1 8ヶ月で2倍 (2 0 年で1万倍)の高性能化を目指して研究開発が繰り 広げられており、過去5 0年間に渡ってその開発ペー スを維持してきました(「1 8ヶ月で2倍」というの は「ムーアの法則」と呼ばれています。物理法則で はなくて経験則であり、本来は「法則」と呼ぶべき ものではありませんが、業界の慣例としてそう呼ば れています)。約2 0年前の私が大学生の時に初めて 買ったパソコンの CPU は約3 0万個のトランジスタ で構成されていましたが、本原稿を書いているノー ト PC の CPU は約3億個、研究でシミュレーション に使う計算機は約3 0億個のトランジスタが集積され ています。ここまで集積回路が小型化・高性能化す ると、以前は情報処理のみに使われていた集積回路 が様々な場所に浸透してきました。現在の大きなマー ケットは車載とヘルスケアです。
さて、一定面積に多くのトランジスタを詰め込む ためにはトランジスタを小さく小さく作ることにな ります。それは同時に高速化と低消費電力化も実現 できるわけなのですが、一方で、トランジスタが壊 れやすくなり、トランジスタ1個1個の特性もばら
ついてしまうようになってしまいました。日本の人 口を約1億人として1人くらいは病気やケガをして 動けない人が出てくることは仕方がないわけですが、
私が使っている PC の3億個のトランジスタのうち、
1個でも壊れていると word が起動せずに本原稿が 書けなくなってしまう可能性があります。すなわち
「作ってはみたもののちゃんと動かない」 LSI チップ が製造されてしまうわけです。現在は、作ったチッ プを1つ1つチェックして良品のみを出荷している のですが、3億個のトランジスタをどうやって効率 的に短時間でテストするのだ、というのは大きな研 究課題です。さらに、製造後に専用テスタで出荷テ ストをした時には正常動作したにもかかわらず実際 の製品に組み込んだら動作しない、といったケース も存在し、実機と同じ環境をどのようにしてテスタ 上に構築するのか、といった問題も研究課題となり ます。
テストをすり抜けてしまった不良 LSI チップを組 み込んだ製品は「初期不良」となってしまいます。
不良 LSI チップを車メーカに出荷してしまい、車が 完成したもののエンジンがかからない、となると大 問題なので、なんとしてでも不良品は除去する必要 があるのです。さらにやっかいなのは、使っていく うちに少しずつ特性劣化を起こし、ある瞬間に突然 エラーを出すようなケースです。使っていると突然 スマホが壊れた、くらいだったら携帯ショップに持 ち込めばいいわけですが、車で高速道路を走ってい ると突然ブレーキが効かなくなった、とか、動いて いた心臓ペースメーカが突然止まった、などは絶対 に許されません。
また、同じ LSI チップであっても、周辺環境を工 夫して電源を安定供給することでそれまでエラーを
― ― 6 研究雑話
半導体集積回路の現状と今後
工学部電子情報工学科教授
名 倉 徹
起こしていた回路が正常動作するようになります。
みなさんが使っているスマホを分解すると、集積回 路とともに、電源を安定供給するための様々な工夫 が見て取れます。市販スマホの X 線写真をとって LSI チップの中身を解析したり、実際に試験用 LSI チッ プを試作し、どのような周辺回路をつけることで電 源がどの程度安定化されるかを測定で確かめたりも しています。
このように、動作信頼性を確保しながら、高性能 化した集積回路を様々な場面で安心して使えるよう にするのが私の研究課題の一つでありまして、その ための電源安定供給の問題、出荷テストの問題に取 り組んでおります。
一方、集積回路でこんな機能を実現したい、あん なこともできる、といった新しいアプリケーション の開発にも取り組んでおります。
一つが筋電測定用 LSI の開発です。人が筋肉を動 かす際には、脳から筋肉に電気信号が送られ、電気 信号が筋肉内を通過する際に化学反応が起きて筋肉 が収縮することにより体を動かしています。この際 に、 微弱な電気信号が体の表面に漏れてきて数百 uV 程度の電圧を発生しますが、これは一般的に「筋 電」と呼ばれています。現在の集積回路技術を用い ればこの微弱筋電信号を測定し、それをサンプリン グ・デジタル化し、その結果を無線でスマホや PC に飛ばすことができます。これまでの研究で、筋電 測定用 LSI を試作し、実際に自分の腕に取り付けて 実験し、筋電が測定できることを確認しております。
今後は、集積回路の専門家としてそのようなシステ
ムの高精度化、高機能化、小型化を実現する LSI と それを用いた測定システムの開発とともに、その測 定器を用いて様々なスポーツ選手の動きと筋電波形 を測定したいと考えております。スポーツ選手の関 節などに電球を取り付け、画像処理技術を用いて動 作解析することがありますが、実際の動きが発生す る前に筋電が発生しているため、筋電測定を行うこ とで動画解析では得られない様々な情報を得ること が可能であり、スポーツ選手の競技力向上につなげ ることができるのではないかと考えております。
さらには、集積回路を用いて高速の距離センサを 実現します。レーザを照射してから対象物に当たっ て跳ね返ってくるまでの時間を測定することで対象 物までの距離が分かります。光の速度は約3 0万[ km / s ] なので 10 [ ps ]の時間分解能で 3 [ mm ]の距離精度 を持ちます。集積回路内で電気信号の到達時間をい かに正確に測定するか、といった課題だけでなく、
電気 - 光の変換に際して、特に、反射されてきた微弱 光をキレイな電気信号に変換することも課題の一つ となります。最近の車の自動運転技術にもこのよう な距離センサが使用されていますが、今後の研究と しては、衛星に搭載して宇宙に飛ばす際に必要な距 離センサ技術の開発を進めていく予定です。宇宙で は強い放射線が飛んでくるために回路として誤動作 を起こしやすいこと、一旦地上から離れたら数年に わたって安定動作が求められ、かつ、修理・交換す ることも不可能であり、とても高い信頼性が求めら れること、および、車の衝突防止やゲーム応用など とは異なる特殊な距離センサが必要であり、それに ともなう特殊な回路が必要であることから、これま での研究で得た知見を活かすことができると考えて おります。
今後も様々な方々のご協力・ご指導を賜りながら、
よりよい研究を進めていきたいと考えております。
どうぞよろしくお願いいたします。
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図1.筋電測定