不均等発展 について
花 田 功 一
は じめに
ナロー ドニキや合法マルクス主義者 との激 しい論争の中で生み出された資本 の有機的構成高度化 ( 以下本稿では簡単 に資本構成高度化 と呼ぶ)にともなう 第 Ⅰ部門の不均等発展 に関す るレー ニ ンの理論 は恐慌理論 にとって画期的意義
を持っ理論であるが,現在 日本ではその意義がほとんど否定 されているように 見える。資本構成高度化にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 は‑産業循環 を越え る資本蓄積の長期的過程 においてのみ成立すると考える論者が多 くなっている し
,1)‑産業循環 内の短期的過程 においてそれが成立す ると見 る論者 において ら, そ こにおける中心 は資本構成一定 の もとでの第 Ⅰ部門 の不均等発展 であ ●●●●●●●●●●●
り,資本構成高度化 の もとでのそれは全 く副次的な意義 しか与え られていな い
。2)また,これ ら両者 いずれの場合 にも,資本構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門 の不均等発展 における 「 恐慌の究極 の原因」 としての 「 ●●●●●●●● ●●●● 生産 と消費の矛盾」 は 否定 されている。
しか し, このようなことははた して容認 されて しかるべ きことなのであろう か。『資本論』は史的唯物論を 「 導 きの糸」 としてお り, したが って,資本主義
1)
たとえば,高木彰 『 恐慌 ・産業循環の基礎理論研究』 ,多賀出版
,1986年,浅利一 郎 「 資本 の有機的構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展 について一表式分 析における資本蓄積の動態把握の方法 と関連 して
‑」『 法経研究』( 静岡大) ,第
27巻第
2号
,1979年を参照。
2)
たとえば,富塚良三 『 恐慌論研究』,未来社
,1962年,及び,本稿で問題 にする井 村喜代子 『 恐慌 ・産業循環の理論』,有斐閣
,1973年を参照。
〔49〕
における生産力の発展がいかなる矛盾を生み出 し,資本主義の崩壊を必然化す ●●●●●●●
るかを体系的に明 らかにす ることを基本課題 としている。 したがって,資本主 義的生産 の 「 すべての矛盾」の 「 集合的
」「 爆発
」3)としての全般的過剰生産恐 慌 も当然生産力の発展を基軸 として解明されなければな らないはずである。 レ ー ニ ンの資本構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展の理論は明 らかにこ の 『資本論』の基本課題 に忠実 に したがって構想 されたものである。 したが っ て, これを軽々 しく投 げ捨てて しまうことは 『資本論』の論理体系 と恐慌理論
とを切断 して しまう結果 にな らざるをえないのではないかと思われる0
本稿ではこのような問題意識か ら,井村喜代子氏の見解を手がか りに しなが ら資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展について,その必然性やそ れ と 「 生産 と消費の矛盾」との関係を中心 に考察す る
4)。井村氏の見解 を取 り上 げるのは,氏の見解の中に レー ニ ン批判 の一つの典型が現われていると思われ るか らであるし, また,氏 は レー ニ ン理論 に対置 され るべ き理論を最 も体系的 に展開 してお られるか らである。
第
1節 資本構成高度化 にともなう第
1吾肝弓の不均等発展の 論証について
本節では,資本構成高度化にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展の論証 について の井村氏の見解を検討す るが, ‑その前 にまず, この問題 についての論争の発端 をっ くった高須賀義博氏の レー ニ ン批判 を手がか りとしなが ら我々の見解を明
らかに しておきたい。
高須賀氏 はレー ニ ンを次のように批判 されている。
「だが,今 までのわれわれの考察 にもとづけば,資本の有機的構成が高度化す
3) K
。 マルクス 『 剰余価値学説史
』『 資本論草稿集』⑥,大月書店
,748頁。
4)
大変奇妙なことに我々と同様 な問題意識で書かれたものとしては,矢吹満男 「 再生 産表式論の理論的意義 とその限度 ‑ レー ニ ン『 不均等発展表式』の<体系的 >位置 づけを中心 として ‑
」『 専修経済学論集』 ,第
12巻第
1号
,1977年 くらい しか存在
しない。
る場合です ら,両部門の成長率 には一定の自由度があって,必ず しも第
1部門 の優先的発展 [ 本稿 における第 Ⅰ部門の不均等発展 と同 じ‑引用者]が必然的 であるとはいえない し, また レー ニ ンの表式が第
1部門の優先的発展を表現 し えたのは,資本の有機的構成 の高度化 によるのではな く,蓄積率 についての特 定の仮定 に依存 していたのであった。レー ニ ンもい うよ うに,『 表式 は,個々の 諸要素 が理論的に解明 されているとき,その過程 を図解す るにす ぎない』が, レー ニ ンの拡大再生産表式分析では,その基軸 ともなるべ き蓄積率の水準 と動 向が 『 理論的 に解明』 されていないために,その 『図解』か ら得 られ る結論が 一般性 を持 たないのである
。」5)このように氏 は, レー ニ ン表式 において第 Ⅰ部門が不均等 に発展 したのは,
「 蓄積率 についての特定の仮定」によるのであるが,その蓄積率が理論的に解明 されていないために,第 Ⅰ部門の不均等発展の必然性が論証 されていない, と
レー ニ ンを批判 され るのである。
な るほど, レー ニ ンはマルクスの表式 の第 Ⅰ部門の蓄積率
‑50%で一定 と いう仮定をそのまま借用 しているだけで, この蓄積率 について とりたてて説明
しているわけではな い 。 そ こで,資本構成 が高度化す る場合 に蓄積率が どうな ると考 えるのが正 しいか, また, レ‥ ニ ンが この点 についてどのように考 えて いたかを もう一度 よ く考えてみる必要があるであろう。
資本家 は常 にで きるだけ大 きな蓄積を しようという,つまり,蓄積率 をで き るだけ大 きくしようとい う衝動 を持 っていると考えてよいが,蓄積 のための生 産手段 ‑余剰生産手段 は限 られているか ら, い くらで も蓄積で きるとい うもの ではな い 。 この余剰生産手段 の大 きさによって全体 としての蓄積率 は一定 の大 きさに制限 される。 しか し, もちろん全体 としての蓄積率 は一定 の大 きさに制 限され るとして も,各部門の蓄積率 はいろいろな大 きさにな りうる し, その各 部門の蓄積率がどのような大 きさになるかに応 じて各部門の成長率が規定 され
5)
高須賀義博 『 再生産表式分析』 ,新評論
,1968年
,142頁。
るわけである
。資本構成が高度化す る場合, この各部門の蓄積率はどのように なると考えるべ きであろうか。
我々は,各部門の蓄積率‑各部門への余剰生産手段 の配分比率 は,一般的に 言 って, 総不変資本 と総可変資本
((C+Mc)と
(Ⅴ+Mv))の比率の変化 に よって規定 され るとす るのが正 しいと考える。つまり,総不変資本 と総可変資 本の比率 に変化がなければ,つまり,資本構成が一定 ならば,余剰生産手段 は 両部門に従来の各部門への生産手段配分比率 と同 じ比率で配分 され,総不変資 本が総可変資本 に対 して増大すれば,つまり,資本構成が高度化すれば,余剰 生産手段 も生産手段を生産する第 Ⅰ部門に従来の生産手段配分比率 に比べてよ
り多 く配分 され る, したがって,そうなるような水準 に蓄積率が決定 される, と考えるべ きであると思 う。
個人的消費 は労働者の個人的消費 と資本家の個人的消費か らなるが, これ ら の うち主要なものは当然労働者の個人的消費である。 したが って,労働者の消 費が消費手段の生産動向を決定す ると考えなければな らない。 ところで,資本 構成が変化 しない場合 には,総不変資本 と総可変資本, したが ってまた,総不 変資本 と労働者 の消費総額 との間の比率 は変化 しない。 したが って,総不変資 本 と労働者 の消費 によって規定 される個人的消費総額 との問の関係も変化 しな いと考えなければな らない。 こうして, この場合には,不変資本の素材的諸要 素を生産す る第 Ⅰ部門 と個人的消費の素材的諸要素を生産す る第 Ⅱ部門 との間 の比率 も変化 しないと考えなければな らないのである。 これに対 して,資本構 成が高度化 し,総不変資本 と総可変資本, したが ってまた,総不変資本 と労働 者の消費総額 との比率が変化 した場合 には,それに対応 じて,両部門の関係 も 変化 し,第 Ⅰ部門が不均等 に発展す る, したが ってまた,そ うなるような水準
に蓄積率 も決定 されると考えなければな らないのである。
こういうわけで,個人的消費の うちで労働者 の消費が主要 なものであり, し
たが って,労働者 の消費が消費手段生産の動向を決定するという当然の考え方
に立てば,両部門の成長, したが ってまた,蓄積率がどう. なるかということは
言わば自明のことであると思われるのである。
レー ニ ンは明確 な説明は してい ないが, このような考え方に もとづいて余剰 生産手段が第 Ⅰ部門に従来 より多 く配分 され るような蓄積率を設定 し
,6)表式
を展開 したのではないか と推察 される。
レー ニ ンは
「いわゆる市場問題 について」において自らの表式を展開 し
,「こ
のように,生産手段のための生産手段の生産が もっとも急速 に増大 し,それに ついで消費手段のための生産手段 の生産が増大 し,消費手段の生産 はもっとも 緩慢 に増大す ることがわか る」(レー ニ ン全集第
1巻,大月書店
,83頁,以下 レ ー ニ ン全集か らの引用 は
Ⅰ一83のように略す)という結論を述べた後
,「 不変資 本 は可変資本 よりも急速 に増大す る傾向を もっ,という法則に立脚すれば,『資 本論』第二巻 におけるマルクスの研究がな くて も, この結論にたっす ることが できるであろう。生産手段が もっとも急速 に増大す るという命題 はi この法則 を社会的総生産 に適用 して言 いかえたものにす ぎない」 ( 同上) と述べている。
このように, レー ニ ンは 「 不変資本 は可変資本よりも急速に増大す る傾向を も つ」 という法則を 「 社会的総生産 に適用 し」 さえすれば,つまり,総可変資本 の棒不変資本 に対す る低下 とその結果 としての社会的総生産物 における総可変 資本の総不変資本に対す る低下 ということか ら
,「『資本論』第二巻 におけるマ ルクスの研究がな くで も」,つまり,それ らのことか ら直ちに,第 Ⅰ部門の不均 等発展を帰結す ることがで きると言 っているのである。 ところで,総可変資本 は労働者の消費総額である
。したがって, レー ニ ンは総不変資本 と労働者の消 費総額 との関係の変化 によって蓄積率‑両部門の発展が規定 されると考えてい たことは明 らかである。
また,レー ニ ンは 「 経済学的 ロマ ン主義の特徴づけによせて」に. おいて
,「 周 知のとお り,資本の発展法則 は,不変資本が可変資本 よりもいっそう急速 に増 大す ること,すなわち,新 たに形成 され る資本のますます多 くの部分が,生産
6)
とい って もレー ニ ンが独 自に設定 したので はな く, マル クスの設定 した第 Ⅰ部門
の蓄積率
‑50%で一定 とい う蓄積率で十分間に合 ったので,それをマルクスか ら
借用 したのであるが。
手段 を製造す る社会経済部門にむけ られ るということにある
。したが って, こ の部門 は,消費資料 を製造す る部門 よ りも,必然的によ り急速 に成長す る 」(Ⅱ
‑138)
と述べている。 ここで もレー ニ ンは,不変資本 に対す る可変資本の低下 か ら, したが って,総不変資本 に対す る労働者の消費総額 の比率の低下か ら直 ちに
,「 新 たに形成 され る資本 のます ます多 くの部分が,生産手段を製造す る社 会経済部門にむけられ るとい うこと」,したが ってまた,第 Ⅰ部門が不均等 に発 展 してゆ くことを帰結 しているのである。 したが って, ここで も, レー ニ ンが 総不変資本 と労働者の消費総額 との関係の変化 によって蓄積率 ‑両部門の発展 が規定 されると考えていた ことは明 らかである。
そ して, もちろん, このよ うに考えるためには,労働者 の消費が消費手段 の 生産動向を決定す るという考え方がその基礎 になければな らない。 レー ニ ンが そ うした考え方 を持 っていた ことは,たとえば
,「プロコポヴィチ 『 西欧におけ
る労働運動』の書評」において
,「 個人的消費 (ところで,個人的消費 では大衆 の消費が優越的な役割 を演 じる
)」( Ⅳ
‑197)と述べていることか らも窺 うこと がで きる。
以上のようなわけで, レー ニ ンは,労働者 の消費が消費手段生産 の動向を決 定す るという見地か ら,総不変資本 と総可変資本, したが ってまた,総不変資 本 と労働者 の消費総額 との関係 の変化 によって,蓄積率 ‑両部門の発展が規定 され ると考え, その考え方 に もとづいて資本構成の高度化 にともな う第 Ⅰ部門 の不均等発展 を主娠す るとともに,それを表式 によって 「 図解」 しようとした のである
。だか ら,高須賀氏の レー ニ ン批判 は,数学的論証 にばか り目を奪わ れたため,個人的消費の主要部分をなす労働者 の消費 が消費手段生産 の動向を 決定す るということ, したが ってまた,不変資本総額 と可変資本総額 との比率 の変化 によって蓄積率 ‑両部門の発展が規定 されL aとい うことに思 い至 らな か ったことの, また, レー ニ ンの叙述 の中にその ことを読み取れなか った こと の結果 にす ぎないのである
。7)資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展の論証 に→ っいての我 々の見
解 は以上 のような ものであるが, これを前提 として井村氏の見解を検討 してみ
ることに したい。氏 はこれについて次のように言われている
。「 第
2節 『 均等的拡大再生産』の考察で明 らかなように,『 均等的拡大再生産』
において,総投下資本拡大率 昔 が同一
で , 有 機 的構 成 与 のみが異 なるもの ( ‑)を比較すると,有機的構成の高 い 『 均等的拡大再生産』ほど, Ⅰ部門,と くに
IF部門 [ 労働手段生産部門 一引用者]の比重が高 い。 このことは,ある
『 均等的拡大再生産』の進行途上 において,有機的構成の高度化が生 じるとす る と,全体の 昔 を同一 に維持す るためには, Ⅰ部門,とくに
IF脚 が Ⅱ部門 を上回 る率で拡大 し, これ ら部門の比重の上昇をはかる必要があること,を意 味す る
」(138頁)
8)
ここか らわか るよ うに氏 は,資本構成が高度化するのに両部門が均等 に発展 す ると総投下資本拡大率が下がって しまうと考え られ,そ うな らないで総投下 資本拡大率が同一 に推持 されるためには第 Ⅰ部門が不均等に拡大 しなければな らないとうい うことか ら,第 Ⅰ部門の不均等発展 ( 氏のいわゆる 「Ⅰ部門の優 先的発展」)の必然性を主張 されるのである
。9)このような氏の論証の問題点の第‑ は,従来か ら指摘 されているように,氏 の論証 は資本構成高度化 ‑生産力の上昇 にともな う剰余価値率の上昇を考慮 に 入れて くれば成立 しな くなるとい うことである
。10)氏 は剰余価値率を一定 とし
7)
我々の以上 のような見解 はすでに前稿で明 らかに した ものと基本的 には同 じもの であるが,前稿 には若干 の不明確 さや混乱が認め られたので,本稿で以上のような 形に書 き改めた
(「 資本構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展の論証 につい て
」『 商学討究』 ,第
39巻第 1号
,1988年参照) 0
8)
井村喜代子,前掲 『 恐慌 ・産業循環の理論』
,138頁。以下本書か らの引用 はこのよ うに頁数のみを記す。
9)
吉原泰助氏は 「 拡大テ ンポ」なる概念を使 ってお られるが基本的に井村氏 と同様な 見解であると思われる。氏の見解についてはたとえば 「 拡大再生産表式 と生産力展 開
」『 商学論集』 ,第
41巻第
7号
,L1974年
,21‑27頁を参照。
10)
長谷部勇一
「『 再生産表式分析 と剰余価値率の変化』一社会主義における第 Ⅰ部門 の優先的発展論 によせて
‑」『 一橋研究』 ,第
7巻第
2号
,1982年,及 び,良永康平
「 第
1部門の優先的発展をめ ぐる論争 について
」『 一橋研究』,第
9巻
2号
,1984年
を参照。
て議論を展開 してお られるが,剰余価値率が上昇すれば,両部門が均等 に発展 して も総投下資本拡大率 は一定でありうるのである。 したが って,総投下資本 拡大率が同一に維持 されるためには第 Ⅰ部門が不均等 に発展 しなければな らな
いという主張 は成 り立たないのである。
しか し,第二 に,仮 にそれが成 り立っ として も,氏の資本構成高度化 にとも な う第 Ⅰ部門の不均等発展 はレ一 三ンのそれ とは全 く異なるということを指摘
しなければな らない。氏の場合,資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等 発展 は,資本構成が高度化す るにもかかわ らず両部門が均等 に発展 した場合 に
は生産手段の生産が資本構成高度化 にともな う
Ⅰ(Ⅴ寸m)の
Icに対す る低下 によって,全体 としての不変資本
(Ic+ⅡC)の増大 に遅れて しまうというこ とか ら生 じるのである。 したが って,氏の場合 には,資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 は,労働者の消費総額の総不変資本 に対す る減少 と時 関係な く発生す るのであ り,仮 に賃金が増大 して労働者の消費総額が総不変資 本 に対 して減少 しな くて も発生す るものなのである。 したが って,氏の場合 に あっては,資本構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展 は決 して特殊資本 主義的な ものではないのである。 1 1 )∈れに対 して レー ニ ンの場合には 「 生産の (したが ってまた国内市場の)発展が,主 として生産手段の増大 によるというこ とは,逆説的であるかのように見えるし,疑 いもな く矛盾である。 これが,本
l l ) 井村氏 は 「 生産力の向上 は本来的 には,労働者一人当 りの労働 の軽減あるいは労働 者一人当 り消費手段 の増大 を可能 にす るものであるに もかかわ らず,資本制生産 においては, それは一人当 り労働 を軽減 す ることも一人当 り消費手段 を増大す る こともな く,一定の資本 に くみあわされ る労働力総数 の減少 ・可変資本総量 の減 少 を もた らすのである
。したが って生産力の向上が有機的構成 の高度化 と してあ らわれ ること自体,矛盾であるのであって,生産力の向上 にともなって
『Ⅰ部門の
優先的発展』が行 なわれるとい うことは,その矛盾 の社会的総資本の再生産 におけ
る反映にはかぢ らない」
(139頁)と言われ,資本構成高度化 にともなう第
I部門の
不均等発展が氏 の場合 にあ って も労働者 の消費総額 の総不変資本 に対す る減少 と
い う特殊資本主義的要因か ら発生す るかのよ うに言 われているが, これは全 くの
錯覚である
。当の 『 生産のための生産』 ,すなわち,それに照応す る消費の拡大のない生産の 拡大である
。しか し, これは学説の矛盾ではな くて現実生活の矛盾である。 こ れは, とりもなおさず,資本主義の本性その ものおよびこの社会経済制度 のそ ●●●●■●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
の他の矛盾に照応する矛盾である ●ヽ●●●●●●●●●●●●
■」( Ⅲ ‑
33,傍点 一引用者)と明確 に言われて いるように,正 に資本主義 に特有な ものと考え られていたのである
。したが っ て,資本構成高度化にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展 は資本主義 に特有の原因 か ら発生するものとしてその必然性が論証 されなければな らないのであ り, こ の点 か らして も氏 の論証 は到底納得 のい くよ うな もの とは言 えないのであ る
。12)以上 のようなわけで,氏の資本構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展 の論証 には根本的な誤 りが含まれていると思われ るのであるが,氏 はその独 自 な論証を もとに して レ丁 ニ ンの表式 に対 して批判を加えてお られるので次にそ れについて検討 してみることに したい。
氏 は,レー ニ ン表式では 「 全体 としての蓄積率や 昔 はマルクス表式 よりも 低下す ることとなっている
」(145頁)ことを確認 された上で,ノ 次のように レー
12)
ところで氏 は,新著 『 『資本論』の理論的展開』( 有斐閣
,1984年)において資本構 成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展の必然性を別の角度か ら展開 してお ら れる.「‑・ ・ ・ 一般 に,有機的構成高度化 は,資本蓄積 と前提 しあい,促進 しあいっ つすすむのであるか ら,この面か らみて も,少な くとも有機的構成不変のばあいと ●●●●●
同 じ投下資本拡大が行われると想定す るのが適当である。 [ことで段落が変わる一 引用者]いま
αの率の 『 均等的拡大再生産』をとり,単純化のために レー ニンと同 様,蓄積部分のみの有機的構成が高度化す ると仮定すれば,有機的構成高度化の程 度 に応 じて,生産手段 に対 しては
D′>S′,消費手段 に対 しては
D′<S′[D′
,S′はそれぞれ需要拡大率,供給拡大率一引用者]が生 じる。その年 は 『 余剰生産手段』
の不足のため全体 として
αの拡大 は実現できないが,D
′>S′の動 きを媒介 として
Ⅰ部門 が aを上回 る率で拡大す るよ う促 され るのは必然的である ●●● .
」E(160‑161頁,傍点 一井村氏)表式論 にこうした需給不均衡の問題を導入 して くることには疑
問を感 じるが,それは別 として も我々にはこの説明 も納得ので きるものにはなっ
ていないように思われ る。 なぜな ら, 消費手段 に対 して D
′<S′が生 じるとすれ
ば,第 Ⅱ部門の蓄積率‑投下資本拡大率が減少 し,第 Ⅰ部門の拡大に対す る第 Ⅱ部
門か らの刺激が弱まって しまうであろうか ら
,「Ⅰ部門が
αを上回 る率で拡大する
よう促 され る」ように生産手段に対す る
D′>S′が持続す るとは必ず しも言 えない
のではないかと思われるか らである
。ニ ンを批判 してお られ る
。「ただ し,有機的構成高度化の もとで も,昔 の低下が生 じると仮定すれば,
『
Ⅰ部門の優先的発展』が生 じないで,部門構成不変のままで もよいのであるか ら,有機的構成高度化の影響を純粋 に比較 ・検討す るため′ には,全体 としての 蓄積率, 昔 を, 有機的構成の高度化 しない場合 と同 じと仮定 したもとで比 較 ・検討 した方が適当である。
そのためには,ある率の 『 均等的拡大再生産』の もとで,有機的構成高度化 が生 C・全体 としての 昔 が同一 に維持 され ると仮定 し,そ こにおいて促 され る
『Ⅰ部門の優先的発展』を しめ した方が,有機的構成高度化の影響が純粋 に
しめされ るであろう
。」 ( 同上)
すでに見たように氏 は,総投下資本拡大率が一定 に保たれなければな らない ということを論拠 として資本構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展を論 証 しようとされていたが,その ことの必然的帰結 として,氏 は,資本構成が高 度化 した場合 に レー ニ ン表式 におけるよ うに総投下資本拡大率が下 が るな ら
ば,両部門の均等な発展 もあ りうるのであるか ら, レー ニ ン表式では第 Ⅰ部門 の不均等発展の必然性 は正 しく表現 されていない, とレー ニ ンを批判 されるの である。
しか し,すでに述べたところか ら明 らかなように,資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 は総投下資本拡大率 とは何の関係 もな く発生す るので I ある。それは,■ 労働者の消費が消費手段の生産動向を決定す るが,その労働者 の消費が資本構成の高度化 にともな、 って不変資本に対 して減少す るということ か ら発生するのであった. レー ニ ンはこのこ上を表式で表現 しようとしたにす
ぎないのであ り, レー ニ ン表式 でそれは十分達 せ られているのであ る
。した が って,井村氏の レー ニ ン批判 は全 くの的はずれであると言わざるをえないの である。
しか し,今の ことに関連 して,次のような問題を ここで考察 してお く必要が
あるであろう。 レー ニ ン表式では総投下資本拡大率が しだいに低下す ることに
な っているが,表式 は元来資本主義的蓄積の現実を反映 した ものでなければな
らず,資本主義的生産が生産の無制限的拡大を目指す ものであ り, また,資本 主義的生産 においては一般的に言 ってそれが可能であり, したが って,総投下 資本拡大率は しだいに上昇 してゆ くとすれば,本来表式展開では総投下資本拡 大 率 は しだいに上昇 してゆ くものとしなければな らないであろう 。 この観点か らすれば レー ニ ン表式で総投下資本拡大率が しだいに低下 していることについ てどのように考えるべきであろうか。
すでに述べたように,両部門の構成 は全体 としての
CとⅤの比率 によって規 定 され る 。 したが って,資本構成が高度化す る場合 には,それによる全体 とし ての Ⅴの
Cに対す る比率 の低下 に対応 して第 Ⅰ部門が不均等 に発展す ること になるわけである。 ところがその場合には, レー ニ ン衰式 におけるように剰余 ●●
価値率を一定 とす ると,総投下資本拡大率 はしだいに低下す ることになるので +44. 4+++4++
ある。
今,総投下資本拡大率のかわ りに余剰生産手段の余剰率でこの ことを示 して みようo( 資本構成 ‡ を r ,剰余価値率を m′とす るoまた,資本構成,剰余価 値率 とも両部門で同一であると仮定す る。)
Iw‑C+Ⅴ十m‑C+cr+crm′‑
C (1
+r+m′)ⅡW‑C+Ⅴ+m‑C+cr+crm′‑
C (1
+r+m′) .ⅡW ⅡC
‥
Iw lc
他方,部門構成が全体 としての
Cと Ⅴの比率によって痩定 され るとす ると,
Iv+Ⅱv lcr+ⅡcrⅠLhnl
̲
旦里
∴ Ic
Ic+Ⅱc Ic+ⅡC
‑r ∴ ⅡC‑ Icr
これ を余 剰 生 産 手 段 の余 剰 率 ‑
Icr(1+m′)‑ⅡC Ic
+
ⅡC=r
Ⅰ(Ⅴ+m)‑ⅡC Ic+ⅡC
に
代 入 す ると
, 余剰率‑ 寛 一
I(cr+crm′)‑ⅡC m′
1+ i
r
ic+ⅡC
となるが, これ は r の低下 ( 資本構成の高度化)にともなって低下す る。
このように,両部門の構成 は全体 としての
CとⅤの比率 によって規定 され,
資本構成 が高度化す る場合 には,全体 としての Ⅴの
Cに対す る比率の低下 に
よって第 Ⅰ部門が不均等 に発展す るとい う考 え方 に立てば,剰余価値率 を一定 ●●●●●●●●
と仮定 した場合 には,余剰生産手段 の余剰率, したが って また,総投下資本拡 ●●●●●■●●●
大率 は,、しだいに低下 してゆ くことになるのであ る。 レー ニ ンが総投下資本拡 大率が しだいに低下 してゆ くような表式 を作成 したのはこうした ことを念頭 に 置 いての ことではないか と思 われ る
。しか し, このよ うに総投下資本拡大率が しだいに低下 してゆ くとい うのは資 本主義的 蓄積 の現実 を反映 して い るとは言 え ない。 しか しまた, レー ニ ンに よって とられた剰余価値率 ‑一定 とい う仮定 も資本主義的蓄積 の現実 を反映 し ているとは言 えない。 そ こで,表式 を資本主義的蓄積 の現実 をよ り良 く反映 し た もの とす るためには,剰余価値率 ‑一定 とい う仮定 をやめ,剰余価値率 を上 昇 させてみればよいであろ う。念 のため レー ニ ン表式 における第
2年度か ら第
3
年度 にかけての表式 について,そ うした表式 を作成 してお こう。( ただ し,簡 単化 のため総投下資本拡大率 のかわ りに余剰生産手段 の余剰率 を与 えてお く。)
は じめに レー ニ ン表式 の第
2年度 と第
3年度 の表式 を掲 げて、 お こう
。第
2年贋
Ⅰ4450C+1050v+1050m‑6550(68.09%)
Ⅱ1550C+ 760v+ 760m‑3070(31.91%) 6000C+1810v+1810m‑9620
余剰生産手段
‑6550‑6000‑550余剰率 ‑ 蕊
‑9・2%第
3年度
Ⅰ4950C+1075v+1075m‑7100(69.39%)
Ⅱ1600C+ 766v+ 766m‑3132(30.61%) 6550C+1841v+1841m‑10232
余剰生産手段 ‑
7100‑6550‑550余剰率
‑蕊
‑8・4%今, このよ うに第
3年度 は剰余価値率が
100%ではな く,
110%に上昇 した
とす ると,次のようになる。
第
3年度
Ⅰ4950C+1075v+1182.5m‑ 7207.5(69.20%)
Ⅱ1600C+ 766v+ 842.6m‑ 3208.6(30.80%) '6550C+184lv+2025.1m‑10416.0
余剰生産手段
‑7207・5‑6550‑657,5余剰率 ‑ 篭 慕
‑10・0%以上 のようなわけで, レー ニ ン表式 において総投下資本拡大率が低下す ると いう資本主義的蓄積の現実 に反す るような構造 になっているのは, もう一つの 資本主義的蓄積の現実 に反す る仮定,つまり,剰余価値率 ‑一定 という仮定が 置かれているか らであ り, この仮定が置かれているか ぎり,総投下資本拡大率 が低下す るような表式展開の方が正 しいのであり,資本主義的蓄積 の現実をよ
り良 く反映す るような表式 に. したければ剰余価値率 ‑一定 という条件をはず し,それを上昇 させてみさえすればよいのである。
ところで,資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展の論証 について の井村氏の上のような見解 は,資本構成一定の もとでの第 Ⅰ部門の不均等発展 ( 氏のいわゆる 「 Ⅰ部門の不均等的拡大」) との密接 な関連 のもとで構想 された1 ものである。つまり,氏 は,資本構成一定の もとで第 Ⅰ部門の蓄積率が上昇 し それにともない総投下資本拡大率が上昇 しつつ進行す る第 Ⅰ部門の不均等発展 を想定 されて,これを 「 資本制的拡大再生産の基本的構造である
」(98頁)とさ れ, これ との区別 と関連 を明確 にす る意図を もって総投下資本拡大率一定のも とで進行する資本構成高度化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展 ( 氏のいわゆる
「
Ⅰ部門の優先的発展」
)を構想 されたのであ った。 そこで,氏の資本構成高度 化 にともなう第 Ⅰ部門の不均等発展の論証 について問題 に した限 りは, もう一 方の資本構成一定のもとでの第 Ⅰ部門の不均等発展 について も問題 に しないわ
けにはいかない。
そもそ も資本構成一定の もとで も第 Ⅰ部門の不均等発展 はありうるのであろ
うか。 そ してまた,絶えざる技術革新をともなって進行す る資本主義的蓄積過 程 を資本構成一定 の もとでの第 Ⅰ部門の不均等発展 として描 き出 し, それを
「資本制的拡大再生産の基本的構造である」 などと主張す ることが正 しいと言 えるであろうか
。13)先 に述べたように,我々は労働者 の消費が消費手段生産の動向を決定 し, し たが って,不変資本総額 と可変資本総額 ‑労働者 の消費総額 との関係が両部門 の部門構成を決定す るのであり,資本構成が一定で可変資本総額 ‑労働者の消 費総額が不変資本総額 と同 じ速度で増大す る場合 には,生産手段 と消費手段 と
は同 じ速度で増大す るとしなければな らないと考える。 また,資本主義的生産 では,資本家 は特別剰余価値の獲得をめざ して生死をかけた技術革新競争を展 開 しているのだか ら,一般的に言 って,社会全体 としての資本構成 は毎年上昇 す るとす るのが適当であると考える。 したが って,我々は資本構成一定のもと での第 Ⅰ部門の不均等発展を想定す ることにも, ま してやそれを 「 資本制的拡 大再生産の基本的構造である」とすることにも全 く承服できない。そこで以下, 資本構成一定の もとで も第 Ⅰ部門の不均等発展が生 じるとされる氏の論拠 につ
いて検討を加えてみることにした
い。氏 はこれについて次のように言われている。
「 坐 m ・ の上昇 あるいは
里Vの上
昇による昔 の上昇 は,生産手段 に対す る需 要増加率の上昇,消費手段 に対す る需要増加率の低下 を もた らす。これを通 じ,
Ⅰ部門が Ⅱ部門を上回 る率で不均等 に拡大 し, Ⅰ部門の部門構成比の上昇が促 される
。」(88貢)
そ もそ も表式論 にこうした需給不均衡の問題を導入 して議論を展開す るのに は疑問があるが,その点 はさ しあたり度外視するとすれば,なるほど,氏のよ うに剰余価値率を一定 とす るな らば, どち らかの部門で蓄積率の上昇が生 じれ
13)
もっとも,こうした見解 はなにも井村氏だけに限 らず,現在の恐慌理論 の主流を形 成 している。したが って,こ、 の問題 の十分 な解明のためには別稿 を用意 しなければ
な らない‑ .本稿ではさしあた り我々の基本的立場 をだけを述べてお くにとどめる。
ば,氏の言われているような事態が生 じるであろう (また,剰余価値量一定の もとで剰余価値率が上昇す るとすれば,蓄積率が一定で も同 じ事態が生 じるで あろう) 。しか し,資本構成が一定の もとで も,労働時間の延長や労働 の強度の 増大 によって,剰余価値量の増大をともな う剰余価値率の上昇 は可能である
。今, この ことを表式 に導入 して くれば,蓄積率が上昇 しなが ら,生産手段 と消 費手段 に対す る需要増大率の相対比率 に変化 をもた らさず,両部門が均等に発 展す ることは十分可能である。 このことを一つの表式例で示 してお こう
。マルクスの拡大再生産表式 「 第二例」の第
2年度か ら第
4年度にかけては次 のようにな っている。1 4 )
第 2年度
Ⅰ5 41 6. 7C+ 1 0 83. 3v+ 1 0 83. 3m‑ 7 5 8
3.3( 7 7 . 38%)
Ⅱ 1 5 8 3. 3C+ 31 6. 7v+ 31 6. 7m‑ 2
21
6.7(
22. 62%) 7 00 0. 0c+. 1 40 0 . 0v+ 1 400. 0m‑ 9 80
0.0余剰生産手段‑ 7 583. 3‑7 000‑
583.3 余剰率‑Ⅰの
蓄積額‑541.7‑451.4mc+90.3mv蓄積率‑Ⅱの
蓄積額‑158.3‑131.9mc+26.4mv蓄積率‑蓄
積総額‑700.0 総蓄積率‑58 3
.3 7000 541.7 1083.3 158.3 316.7 700.0 1400.0‑8.3%
‑50.0%
‑50.0%
‑50.0%
Ⅰ5416・7C+1083・3V+451・4rTC+90・3mv十541・6mk
Ⅲ1583.3C+316.7v+131.9mc+26.4mv+158.4mk
l1083.3v+90.3mv+541.6mk‑Ⅱ1583.3C+131.9mc‑1715.2
第
3年度
Ⅰ5868.1C+1173.6v+1173.6m‑8215.3(77.38%)
14)
ただ し, 第
1年度の
ⅡⅤと
Ⅱm を
285ではな く
286として計算 しているし,
マ ルクスとは違 って小数第 2 位を四捨五入 しているので
,『資本論』 における実際の数
字 とはやや異 な っている
。Ⅱ1715.2C+ 343.1v+ 343.1m‑2401.4(22.62%) 7583.3C+1516.7v+1516.7m‑10616.7
余剰生産手段
‑8215.3I7583.3‑632余剰率 ‑
Ⅰの蓄積額
‑586.8‑489mc+97.8mv蓄積率‑
Ⅲ. の蓄積額
‑171.6‑143mc+28.6mv蓄積率‑
蓄積総額
‑758.4総蓄積率‑
632 7583.3
586.8 1173
. 6
171
.
6 343.1 758.
41 51 6.
7‑8.3%
‑50.0%
‑50.0%
‑50.0%
Ⅰ5868.1C+1173.6v+489mc+97.8mv+586.8mk
Ⅱ1715.2C+343.1v+143mc+28.6mv+171.5mk
l
1173.6v+97.8mv+586.8mk‑
Ⅱ1715.2C+143mc‑1858.2第
4年度
Ⅰ6357.1C+1271.4v+1271.4m‑8899.9(77.38%)
Ⅱ1858.2C+ 371.7v+ 371.7m‑2601.6(22.62%) 8215.3C+1643.1v+1643.1m‑11501.5
余剰生産手段
‑8899・9‑8215・3‑684・6余剰率
‑湯
拾 ‑8・3%今,第
3年度で剰余価値率が
100%か らた とえば
110%に上昇す るとす る と,第
3年度か ら第
4年度 にかけては次のように変化す る。
第
3年度
Ⅰ5868.1C+1173.6v+1291.0m‑8332.7(77.38%) 7583.3C+1516.7v+1668.4m‑10768.4
余剰生産手段
‑8332・7‑7583・3‑749・4余剰率 ‑ 需
給 ‑9・9%Ⅰの蓄積額
‑695.7‑579.8mc+115.9mv蓄積率 ‑
Ⅱの蓄積額
‑203.5‑169.6mc+33.9rhv蓄積率 ‑
695
.
7 1291.
0203.5
377.4
‑53.9%
‑53.9%
蓄積総額
‑899・2総蓄積率
‑蓋 浩
‑5319%Ⅰ5868.1C+1173.6v+579.8mc+115.9mv+595.3mk
Ⅱ1715.2C+343.1v+169.6mc+33.9mv+173.9mk
l1173.6v+115.9mv+595.3mk‑Ⅱ1715.2C+169.6mc‑1884.8
第
4年度
Ⅰ6447.9C+1289.5v+1418.5m‑9155.9(77.38%)
Ⅱ1884.8C+ 377.Ov+ 414.7m‑2676.5(22.62%) 8332.7C+1666.5v+1833.2m‑11832.4
余剰生産手段
‑9155・9‑8332・7‑82312余剰率 ‑ 凝
結 ‑9・9%従来,資本構成一定の場合 には剰余価値率 は不変であると仮定するのが一般 的であるが,表式上の各要素の価値 ・素材補填の運動 を説 明す るだけの場合な
、 らともか く,資本主義的生産の発展を問題 にする場合には,剰余価値率 ‑一定を 仮定す るのは正 しくないと思われる。そ して, この仮定をはず し,剰余価値率の 上昇を考慮 に入れるな らば,上のように,蓄積率が上昇 して も均等発展 は十分可 能なのである。したがって,井村氏 は資本構成一定のもとでの第 Ⅰ部門の不均等 発展の必然性を決 して論証 しえていないと言わなければな らないのである
。15)以上,資本構成高度化 に ともな う第 Ⅰ部門 の不均等発展 の必然性 につ いて 我々の見解を明 らかにす るとともに,それについての井村氏の見解 やその問題 と関連す る資本構成一定の もとでの両部門の発展 についての氏の見解 を検討 し
15)
吉原泰助氏は 「 生産力水準が一定の場合,年 々の拡大 テ ンポが上昇する拡大再生産 軌道 は,第 Ⅱ部門に比 し第 Ⅰ部門が急速 に発展す るような第 Ⅰ部門主導 ・優位の 軌道であることが判 る」( 前掲 「 拡大再生産表式 と生産力展開」
,9‑10頁)と言わ
れ,資本構成一定の もとでの第 Ⅰ部門の不均等発展 ( 氏のいわゆる 「 第 Ⅰ部門の優
●
先的発展
」)の必然性を 「 拡大 テ ンポ」を上昇 させる必要 ということか ら主張 され
ている■ が,上 のように両部門が均等に発展 して も 「 拡大 テンポ」は十分上昇 しうる
のであるか ら, この氏の見解 も論証 されていないと言わなければな らない。
て きたが,今 まで述べて きたよ うに, これ らの問題 についての氏の見解 は重大 な問題 を含む ものであった。そ して,その ことはまた,恐慌理論 にとって決定 的に重要 な,表式 と 「 生産 と消費 の矛盾」 との関係の問題 について も氏を全 く 誤 った見解 に導 く結果 になっている。そ こで,次 にその問題 について考察 して
み ることに したい。
第 2 節 資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 と
「 生産 と消妻の矛盾」
本節では,資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 と 「 生産 と消費 の矛盾
」の関係 についての井村氏 の見解 を検討す る
。まず, レー ニ ンについて述べておけば, レー ニ ンが資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展 こそは 「 恐慌 の究極の原因」 としての 「 ●●●●●●●● ●●●● 生産 と消費の 矛盾」 その ものであると考 えていた ことは間違 いない。 この ことは次の ことに
よ?て明 らかである。
レー ニ ンは 「ロシアにおける資本主義 の発展」 において 「マルクスの実現理 論か ら出で くる主要な結論 」( Ⅲ ‑
31)として資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部 門の不均等発展 を主張 した後,「 生産 の (したが ってまた国内市場 の)発展が, 主 として生産手段 の増大 によるとい うことは,逆説的であるかのよ うに見え る
し,疑 い もな く矛盾である
。これが,本当の 『 生産のための生産』,すなわち, それに由応す る消費の拡大 のない生産の拡大である ●●●●●●●●●●●●●′ ●●●●●●●●●
●。‑‑資本主義 に特有 な, 生産 の拡大 にたいす る無制限の志向 と,人民大衆 の制限 された消費 とのあいだ ●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●
には,疑 い もな く矛盾がある ●● ●●●●●●●●●
●」( Ⅲ
一33,傍点 一引用者)と述べ,その後
,「あ ら ゆる現実の恐慌の究極 の原因 は,依然 としてつねに,大衆 の窮乏 と消費制限‑
あたか も社会の絶対的消費能力だけが限界をなすかのように生産力を発展 させ よ うとす る資本主義的生産 の衝動 とくらべての‑であるJ とい う 『 資本論』第
3
部第
5篇第
30章の周知の命題 を含むマルクスの 「 生産 と消費の矛盾」に関す る
4つの文章を引用 し
,「これ らのすべての命題のなかでは,生産を拡大 しよ う ●●●●●●●●
とす る無制限の志向 と,制限された消費 とのあいだの前記 の矛盾が確認 されて
いる
」(Ⅲ‑34,傍点 一引用者)' t述べている .
これ らの レー ニ ンの叙述か ら, レー ニ ンにとっては資本構成高度化 にともな う第 Ⅰ部門の不均等発展‑ 「それに照応す る消費の拡大のない生産の拡大
」‑「 生産を拡大 しよ うとす る無制限の志向 と,制限 された消費 とのあいだの‑‑一 ‑ 矛盾
」‑「 恐慌の究極の原因」 としての 「 生産 と消費の矛盾」 という等式が成 立 していたことは明 らかである
。これに対 して井村氏 は,資本構成が高度化 した場合に総投下資本拡大率を同 一に維持す るためには第 Ⅰ部門が不均等 に拡大 しなければな らないということ か ら第 Ⅰ部門の不均等発展の必然性 を論証 しようとされたその当然の帰結 とし て,
「『 Ⅰ部門の優先的拡大』 には, ′生産力の発展 とともに,労働力の雇用 ・労 働者の消費総量 の増大 テ ンポが,生産の拡大 テ ンポより下回 らざるをえないと いう問題 ・矛盾がふ くまれている
」(139頁)ことを十分認 め られなが ら,この レー ニ ンの考え方を真向か ら否定 されるのである。氏 は第 Ⅰ部門の不均等発展 の必然性 についての前 に引用 した文章 に続 けて次のように言われている
。「したが って,有機的構成の高度化の もとで,それに対応す るか ぎりで, Ⅰ部 門が Ⅱ部門を上回 る率で拡大す るのであれば,そこでは,む しろ,新 しい有機 的構成 の もとでの生産 と消費 との 『 照応』関係を創出す るために,そのかぎり で Ⅰ部門が不均等 に拡大 しているのである
。したが って, この 『Ⅰ部門の優先 的発展』は,『 均等的拡大再生産』と同 じように,あ らゆる部門の生産が消費 と
『 照応』関係を保 ちっつ,拡大再生産の 『 正常的経過』を実現 しようとしている ものといえるあであり,『 均等的拡大再生産』の一転形 一有機的構成高度化の も ●●●●●●●● ●●●●
とでの 『 均等的拡大再生産』の転形 ‑とい うことができよう
。16)」(138頁,倭
16)