究
リーフ
マ ン の 限 界 牧 盆 均 等 ‑の 法 則 を ⁝評 す
手 塚 壽 郎
既に幾多の経濟學説史家によつて明になされたように︑普通にゴツセンの注則と名けらる\もの
\総てがゴツセンの濁創に出でしわけではない︒だがその一つである所の限界利用均等の法則に至
つては︑ゴツセンに先つて之を説いだ人が未だに登見せられてゐない︒恐らくは此法則は彼の濁創
に出つる竜のと云はれて差支ないものであらう︒私はこの注則のみをゴツセンの法則と名ける︒
ゴッセンの法則は欧洲に於てもかつては忘れられ尤る経濟學者..qp曾︒ロ︒ヨ韓・ぎ8き二.︑(註)の
りーフマyの限界牧盆均等の法則な評す二六七
商學討究第三巻(下)二六八
法則として久しく人々よう忘れられてゐだのであるが︑今は或ひは心理派の経濟學の基礎原理とし
て︑或ひは功利主義派の歎理経濟學の基礎原理として︑多くの學者にようて此らの學派の理論的展
開の根底に据えられてゐる︒我日本経濟學界に於ても十歎年前には專門學者にして樹此法則の存在
をさへ知らなかつπ人も少くなかつ疫であらうが︑私の師輻田徳三博士の逸早き紹介と解説とに
よつて︑此法則の内容は今は民衆の間に経濟的知識の常識とさへなつて知られてゐる観があるので
ある◎
(註)を9げ器℃︑︑q昌Φ8ロoヨ聾oぎ8暮ロ..M島雪ω冨甘ロ3巴ロωい①8=op二︒・3ω層目◎︒◎◎い・
されば云ふまでもないことなのであるが︑ゴツセンの法則は︑與へられカる事情の下に於て享樂
の逓減の法則を與へられπうとすれば︑自ら有する総ての享樂を享樂し轟す時間叉は勢力を有せざ
る者は各の享樂の限界享樂の均等となるように(嚴密に云へば享樂時間の一軍位叉は勢力の一輩位
に劃する各享樂の限界黙が均等となるように)享樂の時間又は勢力を配分するとき︑享樂の極大を
得ることが出來ると云ふのである︒那須皓博士の言葉を借う來れば此法則は︑﹁恰竜同一の面積にて
最大の容積を包むには球禮最も適當なうと云ふ如く︑同一の貨幣額を以て最大の数用を包むπめに
ヘへももは消費者の満足なる中心黙よう見て軍位代慣當うの各消費財の限界致用が均しき乙とが最も適當な ︑
︑
・9と論じだLと同じ意味をもつ︒(註一)而して此法則が努力の苦痛に關係して説かれてゐない乙とは
疑を容れない︒然し或人々の信ずるが如く︑ゴツセンのうちに努力より起る苦痛に封する考量が無か
つπと考ふるは誤である︒彼は此苦痛を絶えず注意してゐπ︒(註二)π団此注意が充分でなかつπま
で\ある︒
(註一)那須薄士著︑経濟政策學原理第二六二頁
(註二)O︒累︒ρ国昌竃げ匹琴堕唱霧巴ヨ●
然るにりーフマンは或人々らと同じようにゴツセンのうちに享樂に必要なる費用の考量がないの
を遺憾とし︑此考量を加ヘゴツセンの法則を修正して限界牧盆均等の原理叉は限界除剰均等の法則
なる竜のを考へ出しだ︒私は此稿に於てりーフマンにようて説かれだる形其ま\に於ける限界牧盆
均等の原理に甥して根本的疑問を提出して見πいと思ふ︒
二
りーフマンによると從來多くの場合に於て維濟の本質は物財の鯛達のうちに認められてゐπ︒然
し此見解は鯨うに狡過ぎる︒さればと云つて経濟の本質を從來説かれ尤懐\の経濟原則に求めよう
りーフマンの限界牧盆均等の法則彪評す二六九
商學討究第三巻(下)一二七〇
とするの竜正しくない︒なぜかと云ふに從來の経濟原則は實に三榛に︑即ち一︑最小手段の原則と
して︑二︑最大敷果の法則として︑三︑最小の手段を費して以て最大敷果を獲んとする努力として
解繹されるからである︒そして乙れら三つの法式の総てについて更にまπ種々なる解羅をなすこと
ヘへが出來る︒即ち敷果叉は目的を藪的に︑量的に︑從つてよう多く外的に考察する之と竜出來る︒第
一解繹のように敷果を数的に外部的に考へれば︑合理原則は技術の基礎となる︒この技術にあつて
は一つの外部的敷果が之がπめに費さるべき諸手段に劉立してゐるか︑或ひは一つの費さるべき手
段に劃して種々の到達さるべき外部的敷果が劃立してゐるのである︒然るに経濟すると云ふこと
は︑それが欲望充足の達成を目標とせる以上︑心理的に目的と手段との封立を基礎としてゐる︑換
言すれば快威或ひは不快戚の封立を基礎としてゐる︒一切の経濟行爲の基礎は欲望である︒欲望と
は不足の意識とその不足を取除かんとする願望の結合せるものである︒欲望が充足されない間は︑
それは不快戚として戚ぜられる︒然るに欲望に婁しては謂はゆる飽満法則が行はれる︒即ち欲望が
前進的に充足されて行けば︑不足の心象は段々薄らいでゆく︒それ故に充足されπ欲望を利用と名
付くるならば︑欲望充足が塘すに從て利用は逓減すると云ふことが出來る︒
固より欲望充足の行動その竜の︑例へば清耗する≧とを経濟的と呼ぶのではなくして︑経濟行爲
とは欲望充足に到達せんことを目的とする行爲である︒從てそれは書計的な先慮的な行爲である︒
そ乙で経濟する場合に問題となるのは︑瞬間的に實際に戚ぜられる欲望ではなくして先慮的に保謹
される経験上の欲望であると云ふことになる︒故に経濟することは大部分経験の事柄である︒
所で経濟すると云ふことは次の二つの事實から起る︒我々が欲望充足の手段を一︑原則として無
制限に庭分することが出來ないこと︑二︑か\る手段の支出は原則として不快威を意味することが
乙れである︒このことは特に︑欲望を充足するπめに要する最後の且つ最も一般的な手段力る自己
の勢苦に甥して當てはまる︒乙の勢苦は支出の塘大するに件つて盆々強く不快戚として︑精力の消
耗として戚ぜられるものである︒しかし欲望充足を目標とする行儒に於て屡々物財もπ懐犠牲にせ
られなければなら滋︒(貨幣の如き)斯の如き犠牲を総べて費用と呼ぶ︒欲望充足と犠牲と︑利用と
ヘヘヘヘへは纒濟行駕に於て相互に劃立きれる︒夫れ故に極めて一般的に縫濟的なることの本質は利用と費用
ヘヘヘへとを比較することであると云ふことが出來る︒経濟とは合理原則に基いて右に定義しπよ5な利用
を出來るだけ多くし︑費用を出來るだけ少くする乙とてある︒
しかし利用と費用とを比較することは未だ経濟することの眞の定義ではない︒経濟することは更
に一つの制限を必要する︒此制限は︑一方人間は普通極めて多歎の︑それ自膿無限に多数なる欲望
りーフマyの限界牧釜均弊の法則な評す二七一
商學討究第・三巻(下).二七二
をもつてゐるが︑しかし他方彼の費用即ち勢苦及び物財の犠牲は正きに有限であるがπめに︑その
多歎の欲望を完全に充足することは出來ないと云ふ事情に基いてゐる︒此らの事情からして人は総
燈の欲望充足の最大量を獲得するよ5に斯かる費用を彼の種々なる欲望に配分しなければなら漁︒
⁝:費用を種々なる欲望に配分することが縄濟である︒
所で人が合理主義に撮ウて利用を考へつ\費用を種々なる欲望の配分するには先づ︑個々の場合
の悉くに於て追求してゐる利用とこれを得るために支出すべき費用と比較せねばならない︒而して
ヘヘヘヘへこの雨者の比例く︒}警三ω︑或ひは雨者の開きQ︒駆言睾げq叉は較差U一穿器菖が決定的なものであ
る︒この較差を牧盆(消費牧盆)卑9αq(困︒霧=ヨ①﹁汁遷σq)と名付ける︒各種類の欲望がそれみ\異
つ控費用を生ぜしめ︑且つ或る事情の下にあつて同一種類の各軍位できへ竜それみ\異つπ犠牲を
必要とする揚合には︑経濟する者は各瞬間に於て獲得した利用即ち享樂が支出した費用を出來るだ
け超過するように注意するであらう︒若しも費用と利用とが等しい大いさであう︑雨者が準均する
ものとすれば経濟者は費用を支出すべき何らの動因をもπない︒故に費用を超過する籐剰即ち牧盆
が常に決定的の竜のである︒そして普通に見るが如く経濟者が費用支出の上に於て制限を受けてゐ
る場合には︑彼は個々の欲望をぱ完全に飽満するまで充足することを許されないのであつて︑彼は
勢苦の増大するため︑叉は手段の不足せる泥め︑これ以上進んで更に欲望を充足することを中止せ
ねばなら漁︒各瞬間に最大なる総禮欲望充足が獲得されてゐるように︑彼の費用を配合せねばなら
諏︒而して各種類の欲望に於ける最絡の股盆︑換言すれば一つの種類の欲望に封して充當される最
終の費用軍位に於ける利用と費用との比例が︑絡ての種類の欲望について均等の大いさである場合
に於て︑か\る総禮の欲望充足の最大量が得られる︒今最後に得られπる享樂に於ける利用と費用
との比例︑言葉を換へて云へば︑各種類の欲望に當てられる最終の費用輩位に於ける利用と費用と
の比例を限界股盆と呼ぶときは︑この場合限界股盆が均等である揚合に︑総膿の欲望充足の最大量
が得られる︒換言すれば我々が総燈の欲望充足の最大量を獲得しようとするならば︑諸限界股盆が
ほ里均等の高さでなければならない︒之れがリーフマソの限界牧盆均等の法則.へΩo︒︒︒9飢窪︾房σq一?
一6房α︒﹁O﹁窪No葺避①.︑である︒
私は今右にリーフマンの限界牧盆均等の法則を解説するに當う︑りーフマンの最後の思想を表現
しπものであると思はる\所の﹀=︒σq︒ヨ・ぎ①<︒一厨≦響︒︒︒冨津︒・一9おの第二版に擦り︑且つ誤讃のな
からんことを期するπめに宮田敷授の邦繹を其裟\借用し︑叙述の順序にさへ竜愛化を加ふること
なく︑云は璽り﹂ヲマン自身をしてその限界牧盆均等の注則を解説せしめるよ3にしカ︒私は宮田
り﹂フマγの限界牧盆均等の法則な評すご七三
商學討究第三巻(下) 敷授より借用し來つてなしπる此解説が︑誤なからんことを切に願ふ者である︒ 二七四
三
さてもし右の解説に誤がないとすれば︑りーフマンは自ら名けて股盆と呼ぶものを︑從て限界牧
盆を利用と費用との比例と考へ︑差引籐剰と考へてゐることは明である︒乙のことはりーフマンの
テキストの謹撮があるばかうでなく︑懐尤我國の學者中にりーマンの限界牧盆を或ひは費用と利用
との差額と考へる人があ血︑或ひは封比と考へる人があう︑或ひは其双方なケと考へる人があると
云ふ有力なる謹族もある︒
例へば丸谷敷授はリーフマンの限界牧盆を利用と費用との差引除剰と考へてゐる︒﹁国憂おと云ふ
言葉は一般には鯨剰と云ふようは寧ろ牧穫︑牧入︑牧盆と云ふ意味に用ひられる︒別言すれば総牧
盆の意味に竜用ひられ︑又純牧盆の意味に竜用ひられる︒併しりーフマンは特に之を享樂の鯨剰︑
数用と勢費との差︑勢費に剰する敷用の超過部分領格と費用の差と云ふが如き意味に用ひてゐる︒
であるから其う云ふ意味をとつて云ふならば︑鯨剰と云ふ言葉が最も適切であると思ふ︒﹂(註一)之
と反劃に那須博士はりーフマンの限界牧盆均等の法則を限界敷用率均等の法則と認め︑牧盆を致用
と螢費との比と考へてゐる︒博士は云ふ︒﹁余は乙の混雑を避くるだめにりーフマン自身の意智をも
汲みて下の如く改名し尤い︒
翼曲皇)聾曲憐(一)麟貼(さ(団)溝逓(2)ー曝躁(内)・::・瑠澄蝉曲
選演(31疇懸(内):・瑠置溝曲鱗(︒︒)麟墨〆)
限界敷用︑限界勢費︑限界牧盆等も之に準じて
(ご 鋸 濫 憐 (鞭 )
(b︒)飼覇瑠避溝曲ハO堵ーOh)
(・︒ ) 覇 巽 蓬 潔 ( ︒ 装紳 Ω 丙 )
なる名を下すを以て妻當と認める︒故に先に述べπる限界牧盆均等の法則は正さに限界敷用率均等
の法則叉は限界蝕剰敷用率均等の法則と改稻せらるべきものであるo﹂(註二)南敷授は︑りーフマン
に於ける限界牧盆は利用と費用との封比でもあう同時に較差でもあるが如くに説いてゐる︒曰く︑
﹁りーフマンは経濟的基本概念としての利用と費用との二概念から出登し︑最絡の費用軍位で調達
へぬヘヘヘへされる利用とそれに要する費用との劃比叉は較差を限界鯨剰と名けて︑之れを均等ならしむること
リ量フマyの限界攻盆均等の法則を詐すご七五
商曲學討究第冒7巻(下)二七山ハ
が最大の絵剰総額を基げ得る所以であると説くのである︒L(註三)﹂
(註})丸谷教授著︑國民経濟雑誌四十巻三號第三三八ー九頁.
(註二)那須博∵士著︑縄濟政榊策凱手原理第二山ハ八‑九詳只
(註三)南教授著︑脛濟學の基礎的諸問題第一五七頁‑
日本に於けるりーフマンの此ら三研究家がなせる所の解繹の何れが正しいか︑私は此問題に興味
をもつのではない︒私には力里此ら三研究家の解繹が各々相異してゐる事實を以て︑りーフマンの
牧盆及び限界牧盆なる概念が利用と費用との比を意味し︑同時に其らの較差を意味してゐる事實の
一つの鐙擦となし得れば足るのである︒
ヘヘヘリークマンの牧盆は利用と費用との比例であう︑同時に較差であり︑その限界牧盆は限界黙に於
ヘヘへける利用と費用との比例であう︑同時に較差である︒だからりーフマンは比例と差引の除剰とを同
一のものと見てゐるのである︒而も彼は虎団無意識に不注意に此らを同一覗しπのではない︒それ
らは比であつて竜差引の除剰であσても︑曳何れであつても藪學上同一の結果を生ずるが故に︑それ
らを同一に親ると︑りーフマンは故叡に云つてゐる︒(註)私の根本的疑問は此黙に關する︒
.一六註﹀困﹂魯轟口♂⇔﹁盲岱糞N・︑山巽く︒穿垂三い︒訂州邑Φゴ﹁ρおN9圃ρ尉モや轟謡ーω.
比と較差とは数學上同一のものではない︒比の値は罰比せらる\項の相劃的値であるから︑・比の
雨項が相封的に憂化する限り︑雨項の値が愛化しても比は憂化しない︒之に反し較差は一方から︑他
方を差し引ける残額であるから︑雨項が相劃的には礎化しない場合で竜︑雨項が絶封的に愛化ずれ
ば較差も憂化する︒故に限界黙の較差と限界熱の比に就ても較差の均等と比の均等とが同じ限界勲
にある揚合もあ瀕得るが︑リーζソが云ふのと似相異して同じからざる限界黙にもあり得るので
ある︒從て限界黙の較差の均等があるときには必ずや鯨剰の総額の最大があう得るのであるが︑此
限界較差の均等黙に非る黙に於て比が均等bπときには︑比が均等であつても鯨剰の最大はあウ得
ないであらう︒
私の考を明にする虎めに︑私は簡軍なる例をとつて見る︒圖に於て横座標は勢働時間軍位例へば
一時間を示す︒各圖の縦座標は一時聞の勢働によりて得らる\各財の享樂を示し︑其消極は各財の
生産に投ぜられπる一時間の勢働の苦痛を示す︒而して享樂は逓減の注則に從ひ︾勢働の苦痛は逓
塘の法則に從ふものと假定する︒然し例へば一圖の財のみを生産すれば苦痛は遍壇の法則に從ふけ
れ共︑この生産を中止し例へば二圖の財の生産に從事すれば︑勢働の苦痛は別に新に此財に特有な
.⁝
る逓塘法則に從ふ適のと假定する︒此結果が圖の如くであるとする︒且つ此ら享樂の間に配分す.A
き勢働時間は五時間であるとする︒りーフマ払に從つて利用と費用との比と解せられπる限界牧盆
凱17マンの限界孜盆均讐の法則な評す︑二七右
商學討究第三巻(下)二七八
(2)
(4)
6一6
一8一4
﹁
49一36
(1)
11
(3)
11
u一m
159
16
4
6
8
﹂ 8
185
2︒ 2一 一
13 18
の均等となるように此らの勢働時閃を配分するとき︑股盆が最大に達するとすると︑①財に三時
間︑②財に二時間の勢働を費しπるとき︑牧盆の総額は最大となるべきである︒もし叉同じくり甑
フマソに從つて利用即ち享樂と費用即ち苦痛との較差が牧盆であう︑その限界黙に現る\竜のが限
界牧盆であるとするならば︑而して此限界牧盆の均等なるとき享樂の飴剰が最大となるとするなら
ば︑第三圖及び第四圖(第三圖は第一圖の財の費用と利用との較差を示し︑第四圖は第二圖の財の
費用と利用との較差を示すものとする)に於て見るが如く限界牧盆の均等黙は︑①財に四時間の勢
働を︑②財に一時間の勢働を投ずるときに現はれ得べきである︒
先にも一言して置いπように︑フーツマンは限界牧盆は比であると考へられても︑較差であると
考へられても何ら数學的相違を齎らさないと云つてゐるが︑.其言葉は此簡軍な例にようて鯨bに明
白に打ち破られてゐるではなからうか︒
りーフマンは≧一︒σq︒ヨ︒貯︒く︒穿ω≦一﹃けψ︒冨津巴・訂︒に於て次のような例をあげる︒A︑B︑Cの三つ
の財があゐ︑皿︑H︑1の歎字は夫々の財の一軍位を獲得するに要する勢働時問叉は貨幣額なうと
する¢下方の数字はA︑B︑C財の各一軍位の享樂が其量の壇加と共に遍減して行く程度を示す︒
而して此らの財の生産又は享樂に配分すべき勢働時間叉は貨幣額は四軍位しかないとする︒此揚合
に於て限界牧盆即ち費用と利用との比の均等するはC財のこ輩位を得︑B財の一軍位を得るときに
"ーフ讐ンの限界牧盆均等の法則な騨す二七九
商學討究第三巻(下),二入O
AB
IIIII
C I
5432
1 6 4 3
◎108654
於て閲ある︒故に此三財を與へちれ虎る人は︑B財を一軍位享樂し︑C財を二軍位享樂するとき最
も多くの股盆(比の総計)を得られる︒'乙の例は正しい︒然しこの例は費用と利用との眞の比較を示
してゐるものではないように思はれる︒なぜかと云ふに費用の一輩位は常に同一の値をもつものと
考へられてゐるからである︒此假定はゴヅセンの限界享樂均等の法則の揚合に於け乃假定と同じも
のである︒ゴツセンが限界享樂均等の法則を謹明すゐ場合に︑横座標に表しπるものは勢働時間の
一軍位である︒縦座標はこの一輩位の螢働時間にようて得られる射の或軍位から生じて來る享樂で
ある︒故にゴツセンの法則はり!フマンの例に於て︑所謂費用を以て利用を除しπる竜のに就ての
法則である︒もしゴツセンに於ける横座標が夫々相異つ尤財の輩位を表してゐるとしだら噛配分す
べきものは同一でない乙とにならう︒ゴツセン竜或ひは誤つて配分輩位と財の具燈的軍位とを混同
しπにとがあるかも知れ澱︒然しか墨る誤があつたとしても︑ゴッ滋ンの法則其もの\本質はそん
なものではない︒那須博士が(﹁限界享樂均等の法則にて限界財の敷用なる竜のはゴツセンなれば軍
位演費力に就きて観πるものなることは疑を容れない︒﹂(註)と云つπもρも︑このことを云つ虎の
である︒﹁嘲で::
4(註)那畷博士著︑前掲書第二七〇頁騒覧!
要するにリーフマンが示しπ例は費さるべき貨幣なう勢働時間なかの一軍位に劃して得られる享
樂の程度を示しπものに過ぎない︒それは嚴密に費用と享樂との比を示しπものではない︒,
懊太利學派の縄濟學者が︑限界利用均等の法則を読く揚合にり簿フマンの此例によつて示される
よ5な意味に於ける費用概念を考ふることなく︑誤を犯してゐπか否か︑私は之を未だ調査して見
ない︒然し乍らメレトの後のη;ザシヌ學派に於℃はかよ'3な誤は明かに避けちれてゐるよ5であ
る︒恐らズは一入九六年に於て既にバ︾㍗はか\る誤を脱し3てゐると思はれるが︑'私はOo霞︒・良
脅︒言菖・℃︒膏ゆ9の第一懇を手にし得ないが故に馬今其謹篠を提供し得ない︒然し少くとも一九
〇六年に公にせられだる冨睾琶や鳥︒8昌︒ヨご℃︒豪8に於てはかような誤は明かに避けられてゐ
ると思ふつ即ちバ﹀トは先づ限界利用と..︒塗ぎ凶3鉱︒ヨ・葺霞︒℃名鳥・β冨.︑とを厩別する噂此らの語
に封し卵▽トが輿へ禿る定義は次のようである︒¶疑"'㌦・‑9・f∴ドu
り・ーフマyめ限界牧盆均馨の法則な詳す二入一"
璋
商學討究第三巻パ下)‑̀‑,︑二入二
i.ρ.︒津=a5℃巽三μきヨ︒M島巷ρ8轟ρ舞三昌α︒蔓ヨ幽岳冨島琶曽8︒︒3曽σqσqご昌冨巴餌ぎ騨
﹁ρ§昼鼠自①け︒誉冨砕即(︒冨℃89g冨のω器δN・﹁︒とぢ鼠置8舞自巴三σq醇℃︒︒︒︒・︒}けpρ︑=も凶98希9盆
冨℃δ2鑓虐・=98塁ρ岳鼠片P・..㌦卜‑︑ド
﹁..o︒︒を・=9ρ舞鼠醇Φ豆︒8評甑塁(含鼻弩g叶・旨8ε︒・・こ三α︒岩℃ぎ・δ︒冨冥︒8鑓で¢=9
ρ・撃ユ赫︒︒斤︒ωω2ω三三α・自℃闘ρ8﹁︒9︒でδ6ξ9℃・=9碧9︒&碑ψ奮ωpω一学と.︒塗ぎ舘・写ヨ舞器㌔湖
呂島β︒︒巴︑︒塗凶a醇・♂ヨ2螢︒ω一ユ三血︒旦冥︒NN9︒︒一冨一.bd局国ピ望肩︾国ピ国蜜国宕日︾肉国
弓OZU国肉﹀目︾・..(註)
即ちパレトは限界利用を領格を以て除したる商を︒箆ぎ闘醇︒一︒B︒茸霞︒で︒ロで臼彗9と名けてゐる
のである︒バレトが此概念を如何に展開しπか︒︒逗冒冨の概念を経濟理論の基礎としなかつだ
寓招⊆巴⑦では之を充分に伺ひ得ない︒故に私はパγトの弟子らによつて此概念が展開せられだ部分
を寓霞茜掻の目︒8房ユ.へ8β︒日3℃︒=笛ρ琴(佛謬)に就て見ようと思ふ︒此佛謬の出版は一九二〇
年であるから︑これを以てパレトの古い思想を推すは甚だ基礎なきことであるが︑︒℃ま嵩ヨま伽示早
窪或お℃︒且臼魯と云ふ文字が竃ヨ話鴇に於ても用ひられてゐるのであるから︑竃霞﹁曙が此概念か
ち展開せる思想は古いメγトのうちにも展開せられてゐると見て竜大過ないであらう︒‑
(註)℃舘森ρ鑑碧ロ巴o臼oo§o邑9℃9三8曽℃●目いい・
﹁二つの一定の財の與へられπる量が或人にとうて等しく利用をもつと見える揚合が屡々あう得
る︒経瞼によつて見るにかような場合には此人の選澤は︑慣格の低い方の財に落つるであらう︒予
はこ\に簡略に︑且っ今の推論に不必要なる解読を加へず︑債格の概念を明にして置かねばなら
楓︒Yを以て表しπるX財の債格とは︑X財の一輩位を得るπめに與へねばなら顧所のY財の量で
ある︒⁝だから或個人が既に有する量に加へらる\此財の或量の利用なる概念を充分に明ならし
むるがπめには︑最終の利用の程度と慣格との比口mも℃︒答を作つて見ることが必要である︒即ち比
較最絡利用の程度︑普通に比較限界利用と稽せらる\竜のを考へる必要がある︒バレト氏は財の最
終の微分小量のもつ所の利用を・嘗嘗ヨ幽な伽δヨ︒三巴﹁①と名け︑比較限界利用を︒℃ま=ヨ一ぶ傷一︒ヨ︒〒
甘p一δ℃9己①み①と名けπ︒(註一)⁝・‑
﹁人は︑その牧入を様々の財の溝費に配分する場合に︑それらの消費のo喜窪§ま︒︒象ヨ・鼻巴﹁・︒︒
で︒&︒み8が等しいようにすれば︑最も有利なる配分をなし得るのである︒⁝⁝此條件即ち牧入と
支出との相等しきこと\︑交換以前及び次後に於ける財の量の等しい乙と\の條件が自由競箏下に
於ける交換の均衡の位置を決定する︒⁝⁝我々は事實の観察から︑欲望充足の障碍物の憂化があつ
サーフマンの限界牧盆均等の法則な評す二八三
商學討究第三雀(下),二八四
尤揚合に消費の目的物の量に起る庭の菱化を知つ尤が︑我々はまたそれから理論的に︑各清費者
に︑與へられπる條件(領格及び牧入の量が與へられてゐると云ふ條件)の下に利用の最大を生ぜ
しむる條件を決定することが出來る︒此最大は個人が其牧入を配分するに︒℃ぽ=ヨ一鼠ω色伽B︒茸9州﹁窪
℃︒&恥恥ωが均等となるようにすれば達せられる︒このことは普通の言葉を以て大凡の謹明を與へ
られ得る︒然しその嚴密なる謹明は藪學の力に倹πねばなら諏︒そはとに角︑もし或人の消費の
︒℃原=艮舐︒︒色伽8・茸鉱﹁畠℃9︼鼠み8が均等でないとすると︑此人は消費の配分をなすに︑或財の
︒℃ぽ=日箴︒︒象ヨ︒三拶搾・︒︒唱9乙傷み$が他の財のそれよう小なるようにしてゐる乙とは明である︒此状
態の下にある人は︑︒℃ぽぎ旨傍蝕雪魯3一﹁︒︒︒℃︒昌象な①︒︒の低い財の購入を減ずれば︑利盆を得るこ
ヘへとが出來る︒何となればかくなすことにようて此人は︑不利に用ひてゐた所の牧入の一部をよウ有
利なる用途に向けること\なるからである︒そしてかくすることの利盆は︑或財の清費量の減少に
よう︑或他の財の消費量の塘加により︑総ての財の︒℃ま一冨ま︒︒仙示ヨ・9巴﹁︒④℃︒&鋤脅︒︒が均等とな
る懐で培加して行く︒然し此均等せる黙を過ぎると︑牧入の一部を再び有利なる用途よう引き上げ
て不利なる用途に向くること\なるのである︒故に︒℃漂=ヨ凶鼠・︒象樋琴三巴﹁8℃︒&警価8を均等なら
しむるように牧入を配分すれば︑與へられπる牧入の量と慣格との下に於て︑個人は最大の利用を
得る乙とが出來る︒L(註二)
(註一)三霞冨ざ同・08塁◎︑①8昌窪二〇℃9三ρ器博℃・ゆゆ・
(註二)Hぴ己℃℃℃●嵩NI轟・
私の引用は長きに失しπ︒だがそれ竜︒唱ま=ヨ尿︒︒象ヨ︒昇勲凶﹁8で9忌み8よウバレト"ミユレー
へぬヘへ(?)が展開せる理論の一切を示してゐるものではなくして︑そのへんわんを示してゐるに過ぎな
い︒πだ乙れによつてバレトのo嘗蛮乱孤色伽ヨo再巴﹁︒℃〇二忌み①が︑りー7マンの≧蒔①ヨ︒冒o
<︒一厨毛罵︒︒9弾︒︒一・ξ・第四頁に例示されてゐるよ5な限界牧盆と相等しい所の概念であることだけ
は明になつπと︑私は思ふ︒
四
, けれどもりー7マンが示しれくれπ例は︑右に指摘したものだけではない︒彼はまπ9霞髭ω9︑9︒
山段く︒一5≦犀ω∩冨h箆︒耳︒博叶﹂も・轟o醤以下(第三版)に於て他の例を示してゐる︒私は誤讃のなから
ん乙とを期するが差めに︑此の例の解説を那須博士の経濟政策學原理に借bる︒
﹁こ\にA︑B︑Cなる三種の欲望の封象物あうとし︑各輩位財の有する敷用が下表の如く漸減す
りーフマyの限界牧盆均箏の法則な評す二八五
・商漏學討究第山二巻(下)・二八山ハ
ると假定する︒
C5430
B84210
A108640
而して軍位財を獲得するπめにA︑Bに劉しては夫々二勢働時間宛を︑Cに封しては一勢働時間を
要すると假定する︒更に叉勢働の苦痛は下表の如く一時間につき一軍位づ\漸塘するものとする︒
(勢働)
第‑時間目の
第2時間目の
第3時間目の
第4時間目の
第5時間目の 1時間
1時間
1時間
1時間
1時間
苦 勢 軍 位
12345
この際︑勢費として考ふべきは勢働時間に非ずして勢苦の輩位藪である︒
とるか︑今清費者は先づCの一輩位C■をとるであらう︒何となれば︑ この際消費者は先づ何を
●
㏄ 難 難 (ー ) ÷ あ つ 兎
の牧盆5こCユ
辮 鍼 翻 (第 一及 び 第 二 時 間 目 ) 暴 ー
同様に
B■の牧盆.§
であるから︑A■︑B‑︑C■の三者中Cユの牧盆が最大となるからである︒
次に彼は何を選ぶか︒今残鯨の輩位財につき其牧盆を見るに︑
A‑⁝⁝数用10︑勢費5(第2︑第3時間の勢苦)故に牧盆粥昌bっ
B■:⁝・敷用8︑勢費5(同)故に牧盆ゆ目漏
C2⁝:数用4︑勢費2(第2時間勢苦)故に牧盆騨11b︒
となう︑AユとC,とは牧盆を齎らす乙と相同じであるが︑彼は恐らくC,を選ぷであらう︒其理
リーフヤンの限界敗盆均等の法則な評す二八七
ヲ 商・學討究第三巻(下)二八入
由は第一にC2はAユ︑B■よりも早く已に第二時間目の終りに数用を提供すること︑及び第二にC2
をとれば次に第3︑第4の勢苦7を以てA■の致用10を得ることが可能であるが︑もしC2の代う
にA■をとれば第四時間目以後の勢苦を以てA2︑B‑︑C.何れをとるも最早過剰敷用をうる機會が
ないからである︒L
ヘヘへこの與へられた例は︑もし股盆が常に利用と費用との比例を意味し︑牧盆の合計が此らの比の合
へ計を意味するものならば正しい︒即ちリーフマン自ら名けて利用乞言9叉はU器げΦま︒臼σq房
切︒&.ヨ︒︒之呼べるものが︑未だ眞の享樂を意味せずして︑云は雪享樂以前のものであるとすれば︑
之の與へられたる例は正しい︒竜し然らずして利用が積極的なる享樂を意味するとすれば︑此例に
於て示されカる利用と勢苦の比例なるものは勢苦一軍位當うの利用の量を示せるものに過ぎ澱であ
らう︒私の考では此揚合にはりーフマンにようて與へられπる欲望充足の順序と少しく異つπ順序
が探られねばならないようである︒
今︑先にりーフマンによつて示されたる條件を其ま\とし︑或人が二時間の勢働時間しかもつて
ゐないと云ふ制限だけを新に附け加へるとすると︑りーフマンによれば此個人は先づC財の軍位を
獲得享樂し︑次にC財の第二輩位を獲得享樂せねばなら楓︒(なぜならC財の第一軍位の享樂の後に