三四
職 時 及 び 戦 後 仁 於 け る 人 口 問 題
南亮三︑郎︑
r
一︑序説
・筆者はさきに﹃欧洲大職當時に於けるドイツ學者の人口問題聯﹄と題する論稿に於て︑二三著名なるドイツ
學者の書き遺したる若干文献を紹介しながら︑近代的な大職とともに起るべき﹁人ロ問題﹂の眞實の意味内容
の何であるかを示唆せんともたつ入口問題は軍に人ロ数の増減の問題ではなく常に維濟との關聯に於て成り立
つのであるかち,・たとへ人回数が職争によつて決定的な打撃を受けることがあつたとしてもその儘ではいまだ
﹁過少﹂人口問題を生起するのではなく︑その際若し輕濟が人口の受けたる以上の深刻なる打撃を受けてゐた
'とすればむしろ逆に﹁過剰﹂人口問題を生起する虞れさへあるのであつて︑欧洲大職はまさにその主交職國︑
特に打撃の最も激しかつだ濁填諸國に︑人ロは減少しながち而も﹁過剰﹂を來たすといふ一見して極めてパラ
〜ドキシカルな奇観釣殊︾畿露呈し&贋の轟であつたo
1)本 誌 第13巻 下 冊(昭 和13年12月)所 戴 。
か﹂る逆読はしかし湘問題の所在をたえす経濟との關聯の中に見るものにしてはじめてこれを解き得るので
あつて︑本稿め主題とせる﹁戦時及び職後に於ける人ロ問題﹂も亦ラ露するところな同じ観鮎に於て取扱はれ
わねばならぬであらう︒けれども,筆者自から他の機會に詮き進めた如く︑.人口と経濟との關聯は決して一面朗
なものではない︒維濟はその支ふべき人口に限度を劃する乏同時に︑人口は逆にまた経濟に働遷かけ︑或ひは
少くとも︑経濟嚢達の根本條件の一っとしての役月を演ナるのである︒略言して人ロと輕濟とは相互作用の關
係にある︒從つて若し載争が先づ以て人ロの側に非常に大きい打撃を與へることありとすれば︑職後に於て交
職國の陪りがちな経濟萎縮を挽同するの有力なる一積秤が喪はれるものとも言へるであらう︒かく考へるなら
ば戦争の及ぼす人ロ上の影響は︑ひとり人ロ統計上の問題としてではなく︑すでにそれ自盟︑肚會経濟的な問
題を具存するものと見ることが出來る︒
この意味に於て筆・者はこ玉で︑前稿に於ける観鐵から一歩立ち退き︑より多く人口の側に興昧を集中して︑
近代の大職争は果して如何なる影響を人ロ現象の上に及ぼすものであるか︑そしてそれはやがて叉,職時及び
職後の就會と維濟とに如何なる作用を與ふるに至るべきかを︑過去の大職特に欧洲大職の経験に照らしながら
考察してみたいと考へる︒但し筆者は統計激.字を取扱ふことが至つて不得手である︒況んや︑支那事攣下に於
て︑過去の大戦の及ぼせし影響を人口統計的に再吟味せんとする機蓮がこの國に興りすでに有釜なる諸研究が
翁エキスパーツの手によつて績々嚢表せられつ玉ある際︑筆者如きが同じ問題に手を染めるといふことには︑む
戦蒔及び戦後に於ける人口問題(南)・三五
2)拙 著,入 口 理 論 と入 口 問 題(昭 和10年 千 倉 書 房)ngi:ag3・ 一・4章塗 照 。 3)例 へ ば 中 央 肚 會 事 業 協 會 編,戦 時 に 於 け ろ 保 健 ・留 療 問 題(昭 和 置3年2月 同 會
刊)特S:第 一一章 ト25頁o一 岡 崎 丈 規,支 那 事 愛 と入 口 問 題(祉 會 政 策 時SU2i6 號 ・昭 莉13年9月)。 一 道 家 齊 一 郎,歓{魁 大 戦 の 入 口 に 騎 す る影 響(統 計 集 誌 692號 ・昭 和14年2月 號 以 降 蓮 載)o一 塚 原 仁,E清 ・日 露 爾 戦 役 と我 國 入 口 動 態(長 崎 高 商 研 究 館 年 報 匹9年2冊 ・昭 和14年3月)o'‑7Sほ 大 戦 當 時 の 勝 れ7こ る統 計 的 交 献 の 一 つ と して 叛 西 由 藏,世 界 戦 宰 に よ 嚇て 濁 逸 の 被 れ ろ入 口 上 の 損 失(國 民 経 濟 雑 誌33巻3號 ・大 正ii・IPg月)な 併 せ 記 し て 置{罫 こいo
三六
しろ初めから著しい逡巡が感ぜられる︒た讐しかし︑統計数字の取扱は兎も角として︑観鐵と行論にはおのつ
かち猫自性のにじみ幽ることを筆者みつから期待しながら︑滞猫申蒐め來つた文献資料を手懸りに稿を進めよ
うと思ふρ
さて︑すでに前稿に於て指摘せし如く︑莫大なる資財の消耗と併せて亘大なる人間生命の浩壼の上に螢まる
る近代の大職が交職國人ロの死亡率κ影響を及ぼすことは先づ何よりも明白である︒しかし職時に於ける死亡
増加は決して戦闘員の死亡にのみ基くのではない︒過去の維験によれば?國運を賭しての大職争は非常に大き
"い影響を銃後の一般國民の死亡率に及ぼすものである︒と同時に職争の影響は出生率に及び︑更に青春男女激
の比率を擁齪するこ乏によつて婚姻率に影響する︒婚姻率の攣化は更にまた將來の出生率の攣化を重加するで
あらう︒かくて職争の及ぼす影響は交職國人ロの死亡・出生・婚姻といふ人ロ動態の全面にわたらざるを得な
いのであつて︑交職國民は職孚とともに謂は讐人ロの職時歌態に入り込むわけである︒
人口の職時歌態は分ちて二期となし得る︒第一期は︑申すまでもなく人口減退期であつて︑死亡率の増加と
婚姻率及び出生率の低下とがその特徴である︒第二期拡人口族復期で(死亡率が職前の水準に︑或ひはそれ以
下に低下し︑婚姻率及び出生率が異常の昂進を現はし來たる℃乏がその特徴である︒人口の職時瓶態はこの恢
復期を侯つてはじめて一懸の終結を告げ得ることになる︒︑從つて人呼の職時状態は一般に交職期間よりも長い
のであるが︑・若しもこの場合場職時に於て減少せる出生激が將來の人口構成に如何なる影響を及ぼすやに態ひ
斗 \
普 佛 職 孚 の 影 響(ド イツ)
各 年 出生 藪 申 の 現 存 者 殿
18go Igoo
自 然
増 加 薮 田 生 死 亡
婚 姻
753,332 773,704 317,984 842,131 733,411
づ65,7z6 go9,lg7 946,474 989,946 812,45r
83̀,963 87S,924
go5,006 790S361
977,842 981,012 1,01g,847 1,049,536
426,刎3 3ア1,lo7
439,884
451,331 201e379
正,竃06,656 1,173,053 1,154,303
1,184,315 ち272,113
1,532,349 1,544,t60 1,594,187
431,305 473,824 56i,044 552,61g
1260,922 1,241A59 1,lg1,932 1,246,972
1,635,646 1,473,492
1,692,227 1,715,283 1,752,g76
】[,798,591
363,491 357,916 384,967 313,961 336;745
.1867
"=868 '1869
一 i870 1871
、423》goo 4t6,049 400,282
387,746 1872
1873 1874 1875
戦時及び戦後に於ける入口問題(南) 到るならば︑人ロに及ぼす職争の影響の如何に長期にわたる
ものであるかを察知し得るであらう︒その.一つの誰明として
のへ上表を掲げてみたo普佛職争は̀一八七〇年七月から翌七一年
一月に.至る僅か七ケ月の職闘であつたが︑婚姻・幽生・死亡
及び自然増加の諸項を通じて三ケ年にわたる影響が現はれて
をり︑しかもこの當時に於ける出産減は職後二十年(一入九〇
年)の國調にも戦後三+年(一九〇〇年)め國調にも依然とし
て拭ひ難き年齢構成上の訣損として傳承せられてゆぐのが見
受けられる︒普佛職争にして既に然りとすれば︑前後五ヶ年
にわたる長期聞も主交職國十一.一ヶ國のみにても総計實に五千
九百萬の︑人間集團を動員して死闘を重ねたる欧洲大職の影響
は想像するに飴りがあらう︒,・
吾々は先づ右に指摘せる人ロの職時歌態の第一期につい
て︑その主特徴を分ち考察してゆかう︒
̀三七
4)P.Mombert,DieGefahreinerUebervδlkerungfttr 1919」.S.IL
DeutschlandTttbingen
h
三入
=︑戦箏と死亡率
交職國に於ける死亡率の上昇は︑前述の如くω職線に逡られる堆丁の死亡とω銃後にある一般國民の死亡増
加とを原因どする︒この二つの何れがより重き原因をなすかはむろん一概に言ふを得ないけれども︑しかし不
思議なることに︑また極めて注意すべきことには︑職
扮線に於ける批丁の死亡数は銃後國民の死亡歎の増加に含な.遙かに及ぼぬ事例さへあるのである︒かの普佛職争に.死嚇於ては︑ドイツ側では職死・職病死・行方不明者を合(
欧洲大 戦に於 ける職死数
暫 戦 死 者
正914年 の1年 齢2(》‑45
㌍ 罫 碧1響雪聖
ベ ル キ蓼 一 34,coo 4・425
ド イ ツ 1,809,000 暫
26.7‑149
ナ ー ス レ リ ア 8罵2,000 27・7166
ハyガ リ ー 645,000 30.1187
フ ラyス 冨 1,325,000 334182
イ タ サ ア 593,000 15・7101
イ ギ リ ス 744,000 16,188
オ ー ス ト ラ リ ア 59,000 11,96◎
ニ ユ ウ ジ ー ラ ン ド 16,000 14,673
カ ナ ダ 57,000 7・133
圃
計 6,064,000 23・2132
本表 申ベ ルギ漏 のみ概 算 激 他 はす べて確 定激
して四萬一千︑然るに銃後國民の死亡敷の増加は二十
七高人に及んだ︒他方フランス側では職死者十萬に上
つたに封して國民死亡数の増加六十萬人に達した︒ζ
れによると職争による人ロ上の打撃は銃後國民に於て
遙かに大きいのであつて︑この打撃に比すれば職死者
数はそれぞれ僅かに六分の一に過ぎながつたのであ
ラヴオる︒
1)Hersch,Lamortalit6chezlesneutresentempsdeguerre,Igl5.一 糸 井 靖 之,戦 争 の 死 亡ljl:及 ぼ す 影 響(國 家 學 會 雑 誌32巻2號 ・大 正7年2月)蓼
照o
欧洲大職蓄ては事情はぞく異なつた︒職響徴の葵なる割に銃後國民の死亡増加はむしろ少なかつ
た︒いま交職+ケ國iロシアやスラヴ系諸國は統計数字不確定なるためこれを除をiーにつき︑大職直後に
ミラロルラヨへ嚢芸速報激儀を自から訂正して確定撃乏して﹃國家科學鼠﹄に掲げたるクリスチアン・至リングρ
統計表によるならば︑職死者数は先づ前表の通りである︒絶封数の最も大なるはドイツの百八十=禺︑次いで
フラン久の百三十三萬で︑年齢二〇1四五歳の青批年男子のうち前者は一割五分を︑後者は一割八歩を硝弾の
犠牲としてしまつた︒この比率に於てはハンガリーはフランスよりも大きくて一割九歩に及び︑オーストリア
妾また一割七分を喪つたのである︒若し夫れ右十ヶ國の確定合計激六百六萬四千に︑ブルガリアの六萬五千︑ル
畳マニアの十五萬九千︑セルビアの六十九萬︑ロシア(ポーラyドな含めて)︑の二百五十萬といふ大職直後の概
のり算数を加へるならば︑こ︑にすでに大略九百五十萬といふ楚大なる職死総数に蓮するわけである︒
然るに他方︑銃後國民の死亡檜加は何程であつたか︒ドエリングの概算によれば︑ロシアの二百二十萬を筆
頭に︑ドイツの七十萬︑セルビアの六十四萬︑オーストリア・ハツガリーの五十萬︑フランスの四十四萬︑以
の下イタリー︑ルーマ昌ア一イギリス︑ベルギ,ー︑ブルガリアを加算して五百三十萬に上るものと報ぜられた︒'︒
若しもこれに何程かの信頼度があるものとして︑前掲の職死総数に封比するならば︑'銃後國民の死亡損害は職一
死による損害の孚ば︑或ひは大禮六割近くに上つたと言へるであらう︒た讐個肘的に見ればロシア︑セルビアゆ
ルーマ昌アでは爾数ほ讐相匹敵し︑ドイッ︑オ﹂ストリア・ハンガリー︑フラ︑ンスでは國民の死亡増加は職死
戦時及び戦後に於けろ入口問題(南)三九
2) 3)
4) 5)
D6ring,DieBevδ1kerungsbewegungi恥 .Weltkrieg,,Kopenhagcn1glg.̲..lg20.
D6ring,Art・Bev61kerungswesenIV.DerEinflussdesKriegesaufdieBe‑
vδ1kerungsbewegungunddenBevδ11〈erungsstand,in;Handw.d.Staatsw。4, Aufl.Bd.II(JenaIg24)s.697‑728.
vgl・Dδring,DieBevδ1kerungsbewegung,3,Het.1920,S.56.
前 掲 拙 稿,本 誌 前 號lrr頁 の 附 表 塗 照 。
大職 に まる國民(φ死亡増加1
Ig17年1'!
110,900 1,082,700
'136 ,000 582,7bb 墨703
,1.oo
、641,loo
3♪256Aoo Isl
]【,
4,1 1916年
88,rco I,Olg,700 S20.2CO
89 960 126 574,9◎o
721,800 650,200
3,ゴ23,goo
■915年
3・ β
"617 ,loo 74i,roo 720,ρoo
3,316,300 19叫 年
96,300 1,052,600
1s5,400 623,700 643,400 66五,600
3,Ig3,000
しIg{3年
93,600
1,005,Q◎o
Ii8,400 587,400 664,0co 659,800
・3,121,20Ω
べmギ ー
ド イ ツ
オ ー ス ト リ ア フ ラyス
イ 輿 リ ア
イ 傘 》.ス
計 比︑
分
'千︑
上
同
レ1 ,5Q2 1,255 、 1,305 1,230 iJ59' 1,i781
I」372 1,185 、
1,077 1,149
' 992
1;059 982
1,074・
. 960
956, 1,064
. 979' i,087・
996
晩・oo7
941 1,015
1,101 1,05正 1,II6 1,103
1,029 1,047 975
1,062
969
1,0i3
1,000 1,000 1,◎00
】[,ooo ,・o(?o I,OOO
べ)レ ギ ー
ド イ ㌃ツ
オ ー 冒ス ト リ ア
フ ラyス
イ タ リ ア
イ ギ リ ス
1,055 1,016
、計
四〇
藪の"二分.の一程度に.止まつてゐる
といぶ風に國によつて種々異つでゐ
る為これから察すると交花段階のよ
り高ぎ國々ほどそめ國民を職争の間
接的滲蝸からより厚く防衛する慰の
・と昔ロへないことはない︒派何砥﹁上︑に掲
恥げたる一表はもこれ等のより高き文
化段階の主交戦六ケ國について年度
毎に=般國民の死亡数を︑表出したる
ものであつて︑職前の﹄九=二年を
一︑000として交戦五ヶ年間の夫
々の比率を算幽するならば隔死亡増.加の最も激しかりし年は最後の一九
一八年で,ζの年は職前に比して質
に三七%の増加であつたことがわが
聖︺
6)Handw.d.Staatsw.Bd.IIデS.710.'
⊂ 甲