(1)
キ
商 業 の 意 義 に 關 ず ろ 若 干 の 考 察
︑
一1一
唱二
三
四 ち開顯一‑商鼎栗の学問と商業⁝の意一義
商業概念の攣遷
﹂商皿莱学読の吟映⁝︑
結語‑要約と今後の課題 岡
・本
理,ゴ一
開題⊥商業の學問と商業の意義︑
およそ商業に關する学問がこの世に生誕したのは︑相當︑以前のことに薦し︑もしもそれの科学的燈系の有無を巌
密に問うことなく︑商業経螢忙必要な知識の集合龍とするならば︑︑てれが濫筋はかなりの昔にさかのぼつてみなけ勉
ばならね︒今日︑'ヨー︑ロッパにおける商業学の最祝の系統的業作志認められ,ているジャック・サヴァリー(蜜︒ρ詳霧
qΩ薯霞ざ嵐bgb9‑H①㊤O)の薯﹃完全なる商人﹄(昌①財霞蜜客窓σqoo貯暮)がフランスで刊行されたのは︑一六七五年
のことであるから︑これを一鷹の起黙とすれば︑すでに二世紀孚の年月がたつているごと曳なる︒㈲
謝何故呈ヴァリあ﹃完全な蕎人﹄喬つて・商輩の最初の系統鍵怨みられ得るかについてに・次のこきザイ乙
( ﹂ ー \
商 業 の 意 義 .に 關 す ろ 若 干 の 考 察
/一2一
ゆ商肇小の意﹁義に薗㎜する若干の考察
匿 ル ト ( ロ 亀 ・ 嵐 ω ・ 養 ︒ 邑 の 暫 一暮 ら 明 か て あ る ︒ す な わ ち ︑ . ザ ぞ フ ェ ル ト に ︑ 浸 の 編 集 に か 乞 b 亀 歪 巨 ︒, 邑 冨 舞
Ooロo圧oぼ①島①噌頃oけ島oび耽莚4富oげ岱津巴oゲ﹃曳鳩の第五.巻として︑ロイクス(﹄σげ聾ロロリ唐一〇ゲ費①一同﹂O⊆O罫oo鳩H刈ひゆー '◎e◎ひ)の﹃商業の体
一系﹄(の図︒︒δ目9$毘暮山¢♂)の第一版(}八Q四年嚢行μな復刻るて︑︑一♂九三三年に刊行してい蚤が︑この書の巻頭において︑ノ
・ 彼 に ﹁ 商 業 學 者 と し て の ︑ヨ ハ ー γ ・ ミ カ 濫 ル ・ ロ イ ク ス ﹂ な ろ 序 言 を 記 し て 日 丈 ﹁ 十 八 世 紀 か ら 十 九 世 紀 の 初 め に か け 建 多 く の 商
業學(夢巳ぎ署冨昆更け)が現われて§液が︑毛の中にありて︑ルドヴイ・チ(︒琶O量耀ピ且冒︒二§←蕊)と
ロ イ ク ス の も の は ︑ 蒔 別 の 地 位 な 占 め て い る ︒ し か し こ れ ら 爾 者 の .著 書 は ︑ そ れ に 先 ん ず る フ ラ シ ス の サ ヴ ァ リ ー の 著 ﹃ 完 全 な る
9
商 人 ﹄ 入 b o 頃 鴛 碕 津 冤 禽 ︒ ︒ 貯 暮 ) と そ の 息 子 ( 寄 皆 匿 昌 巨 o 口 粉 o慶 碧 霧 団 ) の 著 ﹃ 商 業 僻 書 ﹄ 一α 昌 葺 8 診 冒 o 口 b 才 忠 ︒︒ 巴 鼠 ︒ O o 目 湾 霞 8 )
が な か つ 喪 な ら ば ︑ 恐 ら く 成 就 ぜ な か つ 表 で あ ろ う ﹂ ︑ど ︒ そ し て ︑ ザ イ フ ェ 些 ト は ︑ ︑ つ 黛 い ,て ︑ 右 の 爾 書 ば ︑ ド イ ツ の 商 血栄 學 界 . に 強 い 影 響 秘 與 え ︑ 特 に 僻 書 で は く り か え し 引 用 ぜ ら れ で な り ︑ こ れ ら の 時 代 な 指 し て ︑ 商 業 學 の 系 統 的 組 織 化 の 時 代 ( 団 〇 二 & ︒
ノア
ー 琶 ︒・ 藁 ︒ 暴 蓉 冒 夢 ・ 島 轟 ・乱 馨 邑 冨 3 と い つ て い る の で あ る ︒ ( 皆 幽 ︒ 罵 ︒・ ︒ 為 婁 押 P ρ ψ ω 5 ㌧ 夢
・尤もサヴァリーの書は︑商法の解読が約三分の一を占め︑・また孚分以上は商業経螢の技術的読明が︑彼自身の實際
的農瞼にもとついて記述されている︑のであ,るから︑学問的艦系の整つたものとみるこ乏はできないであろう︒
.次いで・これより約一世紀ほどおくれて︑前記︑ザイフェルトのいうごとく︑ドイッのカメラ学派の学者︑ルドヴイッ
チがその編集にか㌧る商業辮書﹃商人公開大学﹄(b犀鑑①三①q霧國碧昌①暮Φ"09曾ぐ9尻慈β亀σq窪国碧協唐碧霧﹂
尽亀図ざO♪嵩軌b◎1嵩α9)の附録に商業学の髄系を示し︑更にこれよりや曳おくれて︑前記︑ロイクスの﹃商業の膣系﹄
■が刊行されてβ一八三九年⁝ロイクスの死後iの第四版では︑書名を^^ぐ9冨げぎ象σq⑦国碧脅①一︒・乱詔①塁9鑑戸o含霞
qΩ嵩8送伽$国§噺Φ謝..として︑二巻になつて刊行されでいる)︑商業の学問は︑その内容︑膣系ともに整備してぎ
たのである︒いま︑ロイクスの前掲書によつてへ'その商業の学問の盟系をうか璽うに左の通りである︒,ます︑廣義の
ノリコノロ)︑商取引の学問(国弩qゴ謎薯謬Φ塁魯鑑げ)を﹁狭義の商取引の学問﹂(国蟄昌臼詳昌σqの司謎・Ω①塁oげ轟ゆ艮Φβσq霞昌弓Ωぽ昌①)
αと﹁へ商業知識﹂(国聾q①冨ぼ拭︒)ノとの二つに分ち︑.次に旭前者に薦するものとして︑の交換用具論(日碧︒・6昼送津掌
(3)
一 一3‑T'
ズイ
①崔oぼゆ)i商品論︑‑貨幣論︑周贋値決定論(尋霧爵ぴ3菖揖暑昌σq巴oぼo)ー計算論︑㈲商業論(出蟄昌負①一巴①冨o)﹂総
論↓購買論︑販費論︑支佛論︑獲逡論︑四事務管理論(OO暮O目乱宏①βoO国欝津)ー‑簿記︑通信︑その他︑的投機論
ゆノな
( ︒・ b ① 亘 き 象 響 蓬 ぽ き ・ 窪 搬 用 具 論 (鍵 & 霞 5 凝 .・ 鼻 芭 ① ぼ ① ) ま た は 國 家 取 引 輝 ( ω 冨 諄 塁 ① 概
司駐︒︒①昌︒︒o屡蟄津)をあげ︑後者に囑するものとして︑e商品学(詔鎚Φ冨耀昏β9①)︑口商業地理(国蟄昌鮎①﹃σQΦoσQ量娼ぽ①)︑
働商業史'(国蟄β臼o尻σQΦψ◎ぼo奪①)をあげているのである︒・︑︒'
かくて︑今よりすでに約一世紀孚も以前においてじ商業に閣する学問はかな﹁りの系統的な購成が行われ︑その記述
の中には︑今日の商業学或は維螢学め基盤的事項になつているものが少くない︒距璽その全艦にわた捧縫威が︑十分
な科学的艦系をそなえす︑專ら商業維螢に必要な諸知識を各方面よりかり集めて︑できあがつたがのごと鴛翻を呈し︑︑
換言すればギ維濟学や法律学等からの借りものが多くして猫自の研究劉象を具有せす・︑たとえ齎品費買というこ止が︑
メドその中心的な事項に︑なつたとしても︑なお技術的な記蓮に絡始し︑たとえば費買契約の商償習的技術を読くところの
費買論のごときに絡91︑・附加するに︑簿記︑通信︑商業算術等を以てするところの商業の学問であつたことは︑未だ科
学としての性格を十分にそなえたもので癒かつたのである︒これを要するに︑初期における商業の学問は︑それ以前の
いわゆるコニつのR﹂(日げ①.月ぼo①︑閑︑q︒℃<ド国①蟄臼旨σqM薯昌げ冒σq"男oo犀O巳βσq)を中心止したもの﹄域を睨して︑一磨
の禮裁をと﹂の乏たけれども・なお技術的色彩が甚だ澄厚にし℃︑いわゆる﹁商事要項﹂(Oo量霧9鑑国昌o乱①畠σq①)'
σ程度に止つてい%︒然るに︑その後︑資本主・義の襲展にともない︑企業の経螢規模が︑漸次︑・大きくなり︑
リジまた商品費買や市場(販路)に關する問題が︑維螢上︑甚だ重要な地位を占めるや︑從來通りσ輕濟的︑﹁‑法律的声實
務的知識の雑然たる集合髄では﹂實際上・役立ぢ得す︑それかすから猫自の研究封象をもつと同時に︑またそれらの.
諸知識を科学的に膣系化する煮とが要講されてきた︒すなわち︑企業め経螢が︑未だ小規模に止つている間は︑商業
ノ くドロ ノリへ商業の意義に關すろ若干分考察
!
(4)
一4̲商業の意義に關する若干の考察
の維螢知識も甚だ軍純にして︑商品費買についてはさぼど大きな苦心を要せす︑また市場開拓のためにも特別の方策
を必婁とせず︑利潤の獲得は專ら費買契約︑商慣習︑経螢技術の習得によつて十分になされ得たのであるが︑やがて
生産規模が擾大し︑交通機關も襲達するに至れば︑商品費買に種々の方策を講じで販路の開拓をはかることは︑著し
へく重嬰性を増すと同時に︑その組織も次策に複難﹂化し︑更に維螢間の交通も頻繁化しセきた爲︑もはや維螢技術の脅
得のみでは+分に目的を達し得す︑こ﹂に商業の組織並に職能につき︑科学的究明を行うこ之が必要となり︑このた
め︑商業経螢並に商業経濟に關する正確にして・且︑精奮なる知識の右機的燈系化がなされるに至ワたにぼか添らぬ︒
かの二十世記の初頭以來めアメリカにおけるマ﹁ヶティング研究の勃興やその後の稜達と言い︑またドイッにおける
薪興の維螢学の擁頭と言い︑いすれもかかる傾向を示す一誰左とみることができよう︒
同様のことは︑我が國における商業の学問の獲達についてもみられ得る︒明治の初年︑西洋文化④輸入と共に︑商・
業の学問も入りきたり・それ以前の﹁護み"書き・そろぼん﹂を主眼とした﹁商費往來﹂的知瓢にとつて代つたこと・.前述の西洋におけると大差ないのであるが︑それが︑その後における名繕の鍵化と共に︑漸次︑学問としての禮系化
のなされ.てきたことは留意を要しよう︒すなわち︑かの﹁商業学校通則﹂(明治十七年獲布)によつて設立された﹁商
業学校﹂(名古屋う下關︑長蒔︑京都︑八幡︑︑函館の商業畢綾)では︑そ煎を﹁商事要項﹂或は﹁商業要項﹂とよんでをり︑
後︑これが東京高等商業学校(明濱+七年設立)に器いて規則の改正をみた際(明治二+八年)︑﹁商業学﹂と改稻され︑
みそのとを以來︑この名稽のま﹂で⁝糠綾して︑嵐フ日まで︑.約七十年間を経過してきた.のであるが︑實にかkる名稽の⁝愛
の甑・・︑︑化こそ︑学問それ自艦の質的向上を示すものにぼかならぬのである︒而して.これを最もよく讃するものとして︑故
ヒ へ内池廉吉博士の著﹃商業単概論﹄の獲刊と︑その後における改修訂の経過事情をあげる之とができょう︒何故に然る
ヘへあか︒粋ケまでもなく︑商業の攣問が輸入された當初においては︑他の学問と同様︑ぼとんど外國書の直鐸に等しき恩
(5)
一.1‑5一
のとして現われたのであるが︑後にはこれをよく清化し︑我が國の商業事情や商慣習等を附加して︑系統的な燈裁の
と﹂のつた述作も世に出で︑内池博士の前記著書はAそれらのうち︑最も代表的なものとみられ得るのである勾とこ
ろで︑これの嚢刊せられたのは明治三十九年のことに薦し︑以來︑たびたび改訂︑修訂をかさねて︑昭和十三年には
/改修第四十版をみるに至つたのであるが︑この問の過程こそ︑實に我が國に壽ける商業学獲達の一面を+分に物語つ
ているように思われるのである︒い俵︑・これが一班の事情を窺知するため︑昭莉三年の改版(第二+四版)の際︑同書
.に記された内池博士の﹁序﹂'についてみょう︒曰く﹁本書は普通敏育有る人に︑商業に關する組織的知識の一班を授
くるを旨的とするものにして︑各般の商事行爲を洩れなく解読するに島めたれども︑同時に斯かる知識に学理的系統
を施して商業学の完颪に資與せんとするの念は創刊以來寸時も著者の臓裏を離れざるところなりとす︒然るに.近時内.
外に於ける斯学め研究甚だ盛なるものあり︑'特に猫逸に在りては︑前には私経濟学(商業学)︑後には経螢維濟学な
る名稻の下に從來の國民経濟学の外に專ら産業維理の研究を特種目的とする︑一新部門の勃興するあり︒英米諸國に在
りても其の名に於て然らざるも︑其の實に於て商業学に屡すべき物品の費買及び其の配給組織に關する論議討究の至
つて盛なるものあるを見る︒此等の蓮動は予の爲め無上の教訓となり︑刺戟となり︑予をして本書の改作を企てしむ
るに至りたるなり︒本來予は商業の機能を砒会に於ける物資配給の合理化に求むるものにして配給の技術︑機關︑組
織等に就き絶えざる興味を有す・⁝‑(中略)⁝⁝本書は先づ現代の商業は砒会に於ける物資配給上如何なる役目を鑑
ず
しつドありやの問に答へ︑尋で其の組織拉に維螢に關する理論を解読せんとするものなり﹂(内池廉吉博士︑改修商業學概論・昭和十三年︑︑序﹄一i二頁)と︒戸・︑・・︑..・
さて︑以上︑論述したところによつで知られるごとく︑商業に關する学問は︑西洋においては約一世紀前︑︑'まだ我
が國においては約牛世紀前に︑その系統的な述作があらわれハ・爾來︑それぞれの諸國における商業経螢の嚢達や︑廣
商業の意義に關する若干の考察︑.一