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持続可能な地域経営と地域自治に関する研究

―由布院の観光まちづくりを事例として―

熊本大学大学院社会文化科学研究科 2011年度 学位論文

公共社会政策学専 攻 共 生 社 会 論 分 野

米 田 誠 司

(2)

目 次

序 章 1

1.問題関心 1

2.研究対象としての「地域」 3

3.先行研究の概観 5

(1) 平仮名表記の「まちづくり」 5

(2)「観光」概念の軌跡 7

(3)「観光まちづくり」という概念 8

(4) 旧湯布院町をフィールドにした研究 11

(5) 内発的発展論 11

(6)「地域経営」の視点 13

1章 分析枠組みと構成 17

1.「コミュニティ」政策 17

2.「コミュニティ」と「動的コミュニティ」 19 3.「観光まちづくり」を捉える概念枠組み 22

4.本論文の構成 23

2章 観光まちづくりと地域への貢献 26

1.由布院の観光まちづくりの特徴 26

(1) 由布院の観光まちづくりの概観 26

(2) 観光まちづくりの哲学 31

(3) 情報の受発信と共有 33

(4) 人材の輩出と育成 36

2.観光の経済波及効果 38

(1) 旧湯布院町の基礎的データと観光統計 38

(2) 産業連関分析による検証 41

3.経済価値で測れない波及効果 49

4.観光効果の正と負 50

(1) 農村型観光地5町の比較 50

(2) 正負効果の検討 53

(3) 由布院の観光まちづくり―次のステージへ 55

(3)

3章 緊張の中の「動的コミュニティ」 58

1.由布院「動的コミュニティ」の様相 58

(1) 由布院における主な活動団体 58

(2)「動的コミュニティ」の事例 59

2.「平成の大合併」と由布院の自治 64

(1) 国の「平成の大合併」政策 64

(2) 大分県と湯布院町の合併政策 65

(3) 旧湯布院町の合併 67

(4) 由布院「動的コミュニティ」の「非政治性」と「政治性」 70 (5) 合併後の失望と由布院「動的コミュニティ」 72

(6) 合併の「住民自治」の変化 73

4章 由布院の観光まちづくり―地域経営と地域自治の展望 78

1.「地域経営」と「地域自治」の結節点 78

2.解明を待つ由布院の歴史と資料 80

3.今後の研究課題 84

参考文献一覧 86

資料編 93

1.由布院に関する歴史年表 94

2.由布院に関する資料一覧表 109

(4)

1 序 章

1.問題関心

大分県由布市湯布院町の由布院地区には「由布院観光総合事務所」がある。由布院は温泉観 光地であるから観光の事務所があるのは当たり前であるが、その事務所の看板がやや風変りな 状況になっている。この事務所の玄関には2つの看板が掲げてあり、左側には「由布院観光総 合事務所 由布院温泉観光協会 由布院温泉旅館組合」とあり、右側は「(仮)町づくり情報セ ンター」となっている。この看板だけからでも、観光業と旅館業とまちづくりが混然一体とな っていることがわかる。現在の由布市観光ガイドブックには、次のように書かれている。

由布院は、古くは万葉の時代から多くの書物に登場しています。四季折々に変わる由布岳 の姿、田畑がのびやかに拡がる盆地、そこに記された情景をたどれば、由布院ののどかな里 の風景が見えてきます。その自然とともにあるのが、ゆふいんの温泉です。地元の人々はず っと温泉とともに暮らしてきました。と同時に、この里の温泉は人をもてなす湯でもあり、

北原白秋、与謝野鉄幹・晶子夫妻ら多くの文人墨実らが訪れました。現在、800 を超える源 泉から毎分42klの温泉が湧出し(全国第2位)、豊富な湯と周辺の豊かな自然環境を兼ね備 えていることから、国民保養温泉地にも指定されています。

由布院観光総合事務所は1990年(平成2年)4月に発足している。すでにその頃由布院は、

「観光辻馬車」、「ゆふいん音楽祭」、「午喰い絶叫大会」、「湯布院映画祭」などの個性的な イベントや取り組みで全国に知られ始めていた。折から、バブル経済に煽られて大型の観光資 本が由布院に殺到していた。それを「迎え撃つ」ために、行政は後述する「潤いのある町づく り条例」を同年に制定し、旅館組合では、組合員の売上げから1万分の7を拠出して事務所を 設立して運営費に充て、事業費は公共性の強い「観光協会」名義とし、各種補助金・事業収入・

寄附金等を充てることとし、事務所名を「由布院観光総合事務所」としたのであった。その際 のスローガンは「花咲かせるよりも、根を肥らせよう。」であり、由布院観光のヴィジョンは「市 場(バザール)のある温泉リゾート村構想」であり、「由布院は『ムラ』である。それも『リゾ ート村である。」と捉えられている。温泉リゾート村構想とは、「1.観光魅力を旅館に集中さ せないで、盆地内に拡散させること。2.『競争』しないで『共生』することに努める。3.『環 境・景観』を最強の『観光資源』とする。」であった。

その後、由布院の名声が上がるにつれて、今度は小型の観光資本が殺到してきた。観光事業 は由布院地区全域に膨張し拡大して、由布院観光総合事務所の機能強化が意識されるようにな った。その対応策の一つとして、由布院観光総合事務所の事務局長を全国公募することとなっ た。1997年(平成9年)12月のことである。公募に応じたのは、会社役員、元首長、翻訳家、

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2

コンサルタント等さまざまな職業の93人で、そのうち最終面接試験に21人が由布院に招かれ た。1998年(平成10年)2月に行われたこの試験では、口頭試問の後、夜の宴席での振る舞い 方にまで審査が及んだ。審査員は4人であったが、全員一致で選ばれたのは、当時、東京都庁 の交通局所属の34歳の職員であった。それが本論文の筆者である。

1998年(平成10年)3月に由布院温泉観光協会が公刊した『ゆふいん建築・環境デザインガ イドブック「ムラ」の風景をつくる』は、「ゆふいんらしい」風景を次のように描いている。

1.「多様な自然」に恵まれた地

ゆふいんは、豊かな自然環境と多様な地形形態を併せ持つ、地の利に優れた場です。凛と してそびえる由布山は、町に暮らす人びとの心の拠り所であるとともに、四方を山に囲われ た盆地内では、場所性を知るためのランドマークとしても重要な意味を持っていますし、大 きく町を縦断して走る大分川と白滝川は、平場空間の主要な骨格軸を形成しています。

また山裾に一面に広がる豊かな雑木林の緑から、大事に守り育てられている屋敶林、平場 に広がる生業の場としての耕作地まで、幅広い緑にあふれており、こうした多様な自然要素 がコンパクトにおさめられています。

2.まちの中に織り込まれた「営みの蓄積」

ゆふいんは、農業を生業とした農村集落をベースとしつつ、温泉資源を活かした滞在型リ ゾート地として発展してきており、温泉場の近くには旅館を始めとする保養施設や観光施設 が集まっています。

また、湯の坪街道沿いに見られる、歴史的な面影を持った「木造商家の家並み」や、日野 病院などの「木造擬洋のたたずまい」など、暮らしの営みの蓄積が、まちのいたるところに 織り込められています。

そうした日常の営みの蓄積の中にあって、観光実などの来訪者との交流による生み出され る「祝祭的な場」(バザール)が展開されています。

3.「豊かな人・心」に支えられるまち

ゆふいんは、豊富な人材に支えられています。

ゆふいんには、自然や芸術、美しいものをこよなく愛する、豊かな心を持つヒトがいます。

ゆふいんには、優れた技や知恵を持ったヒトに恵まれています。

そして、何よりもゆふいんを訪れた人達をもてなす心に満ちあふれています。

筆者は、2010年(平成22年)6月に由布院観光総合事務所の事務局長を辞したが、その間、

温泉観光地としての由布院を内側から観察する経験を持ち、温泉観光業という「生業」(なりわ い)が地域としての由布院の自然的、文化的なたたずまいと不可分であること、その結びつき が由布院の人びとのたゆまぬ自治の営みによって可能になっていることを实感することができ た。しかもそこには、「由布院は大きくなることを追いかけることをやめて、小さいままの豊か

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3

さを追いかけよう。主役は地域である。1)という哲学が脈々と続いていることを体感するこ とができた。

こうした当事者の一人としての实感したことや確認できたことを、より実観的に捉え直して みたいと考えた時に、本論文の主題である「地域経営」と「地域自治」が湧出してきた。由布 院の「観光まちづくり」を解き明かすことができれば、この主題に関する研究に手がかりがつ かめるのではないかと考えたのである。

しかし、由布院の今日までの歩みについては、膨大な記録と著作がある。その歩みに関わっ てきた人々の活動史を描けば、それは一大スペクタクルになるであろうし、また由布院の観光 まちづくりの歴史的、構造的な全体像を解明するのは決して容易なことではない。それはきっ と一生を費やす作業になるに違いない。本論文は、そうした思いを抱きつつも、いまだ研究上 未開拓である「地域経営」と「地域自治」の結びつきを实証的に明らかにするという問題関心 から、由布院の「観光まちづくり」に迫ってみようと考えた。

2.研究対象としての「地域」

ガイドブックなどではよく「ゆふいん」という表記も使われているが、この温泉の本来の名 称は「由布院温泉」である。「ゆふいん」は「湯布院」とも書くが、この名称は、1955年(昭 30年)の昭和の大合併の時に、旧湯平村と旧由布院町が合併した際に作られた町名(湯布院 町)である。それ以来、しばしば温泉名も「湯布院温泉」と書かれることが多くなった。しか し、实際には湯布院町内(現在は由布市湯布院町)には「湯布院温泉」という名の温泉は存在 しない。湯布院町内にあるのは、由布院温泉、湯平温泉、塚原温泉という別個の温泉である。

1 大分県由布市の位置

大分県

別府市 由布市 大分市

(7)

4

2 大分県由布市における由布院の範囲(ほぼ楕円の範囲)

本論文では、特に断らない限り、「由布院」や「ゆふいん」は、地理的には由布院地区のこ とを指している。しばしばこれは「由布院盆地」といわれることもある。主題の「地域経営」

と「地域自治」という場合の「地域」とは、この「由布院」を指している。

本論文でいうこの「地域」は、旧湯布院町あるいは現在では由布市という自治体の区域の一 部である。一般に、地域経営とか地域自治という場合、自治体の区域を考察・分析の対象とす る研究が多くみられる。例えば、京都大学経済学研究科教授・地域経済学の岡田知弘は「地域 というのは何よりも生命体としての人間が生活する場であるという視点で捉える必要があると 思います。この地域をある意味ではコントロールする、あるいは制御する装置として地方自治 体があるのだと思います。(2)という視点を提示している。

住民自身の帰属意識や法制度や政策の卖位として、自治体というのは一つのまとまりである のは確かであるが、それだけが地域の卖位でないのではないかというのが本論文の立脚点であ

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5

る。もちろん、本論文でいう「地域」は旧湯布院町や現在の由布市の中に包括されており、旧 町全体の関係や旧湯布院町内の他の区域、現在では由布市内のさまざまな区域とも関係を持ち つつ存在しており、そうした関係も視野に入れて今後考察していくことになる。

「観光まちづくり」の事例として由布院を選んだのは、一つの自治体を範囲としてその行政 が主導的に観光を推進している事例は全国に数多いものの、本論文のように「地域」を卖位と して、その「地域住民」が率先して観光まちづくりを实践している例はさほど多くないからで ある。北海道釧路市の阿寒湖温泉、富山県富山市の越中八尾、兵庫県神戸市の有馬温泉などが 挙げられようが、由布院のように、50 年近くの实績をもち、その記録が丁寧に残されており、

今でも「地域住民」が主導的に観光まちづくりの活動を続けている「地域」は稀有といってよ いだろう。

3.先行研究の概観

由布院の「観光まちづくり」の事例研究を通して「地域経営」と「地域自治」の結びつきを 明らかにすることが本論文のねらいである。この主題を追求するにあたって、関連すると思わ れる先行研究を概観し、本論文における分析枠組み設定の準備にとりかかりたい。

(1) 平仮名表記の「まちづくり」

田村明は、その著書『まちづくりの实践』1999年(平成11年))の中で、『まちづくり』

という言葉が全国に広がっている。尐し前には『街づくり』『町づくり』『まちづくり』と三つ が併用されていたが、このところは平仮名の『まちづくり』にほぼ定着した。三つの中でも一 番意味が広く市民的な用語で、これからの時代に求められているものだからであろう。」(3)と 観察している。

「まちづくり」という言葉自体が、いつ頃登場してどのように使われてきたのか、筆者が論 文検索システム(4)上での登場初年と登場件数を調べてみた結果は表3 のとおりである。「まち づくり」という言葉の前半部分には「まち」「町」「街」の3種類の表記があり、後半部分の

「づくり」には「づくり」「作り」「造り」「創り」の4種類の表記があることがわかる。

登場初年は、1955年(昭和30年)の「町づくり」1956年(昭和31年)の「街づくり」1959 年(昭和34年)の「まちづくり」の順となる。また登場件数では、23,096件の「まちづくり」 3,113件の「街づくり」1,066件の「町づくり」の順となった。最初に1955年(昭和30年)に

「町づくり」が登場して、その後1,066件使われ、翌1956年(昭和31年)に「街づくり」が

登場して3,113件使われている。また1959年(昭和34年)に「まちづくり」が登場してから

は、最多の23,096件使われている。

このことから、「まちづくり」ということばが徐々に定着しながら広がっていった様子がわか るが、この1955年(昭和30年)から1973年(昭和48年)までの18年間がわが国では高度経

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6

3 「まちづくり」の12種類の表記と登場初年と登場件数

前半部分 後半部分 連結した場合 登場初年 登場件数 まち づくり まちづくり 1959年(昭和34年) 23,096 まち 作り まち作り 1995年(平成 7年) 2 まち 造り まち造り 1971年(昭和46年) 5 まち 創り まち創り 1999年(平成11年) 9

づくり 町づくり 1955年(昭和30年) 1,066

作り 町作り 1991年(平成 3年) 11 造り 町造り 1977年(昭和52年) 9 創り 町創り 1996年(平成 8年) 3

づくり 街づくり 1956年(昭和31年) 3,113

作り 街作り 1993年(平成 5年) 24 造り 街造り 1974年(昭和49年) 41 創り 街創り 1992年(平成 4年) 7

「国立情報学研究所論文情報ナビゲータ(サイニィ)」により検索

2011年(平成23年)414日現在)筆者作成

済成長の時代であり、この時期、農村部から都市へと大きく人口が移動している。たとえば大 阪府の千里ニュータウンが1958年(昭和33年)に事業着手されたように、都市化が進展し、

都市が膨張して、社会のありようが大きく変わった時期でもあった。当初は「町づくり」や「街 づくり」といった表記であり、都市計画や地域開発などの主にハード面についてのことが「町 づくり」や「街づくり」であった。1959年(昭和34年)に「まちづくり」が登場して以降、「町 づくり」や「街づくり」は「まちづくり」に徐々に集約されつつあり、まだハード面を中心に 語られていたが、1970年(昭和45年)以降は、まちづくりの運動論や住民参加などが数多く 取り上げられ、ソフト面での言及が多くなっていく。

田村は、上記の著書で、「平仮名の『まちづくり』が、ハードとソフトを含む市民的な用語」

(5)であると規定し、「これからの『まちづくり』の課題は、『人が住むに値する場』をどうやっ

てつくり、維持できるかだ。良い考えがあっても、实践されなければ意味がない。『まちづくり』

(10)

7

という身近な用語は、人々の实践を期待している。(6)と指摘し、「これからの『まちづくり』

の主体は、自覚と責任のある市民でなければならない。」(7)、『まちづくり』の实践とは、ヒ トが自分以外の外部のヒトやモノに対して働きかけて行うものである。(8)と指摘している。

このような田村の見解から、「まちづくり」とは、「自覚と責任を持つ地域住民が、住みやす く持続可能なまちにするため、ハード、ソフトの両面からまちのことを自ら考え、外部にも働 きかけながら实践を重ねていく運動である」と捉え直すことができる。

(2) 「観光」概念の軌跡

2008年(平成20年)10月に我が国に「観光庁」が発足した。これに先立ち、旧運輸省の「観 光政策審議会」は、1995年(平成7年)62日の「観光政策審議会答申(第39号)」で、「観 光は、国民生活に不可欠なものであり、社会の発展を支えてゆくためには、労働や休息とバラ ンスのとれた観光活動はすべての分野の人々にとって必要である。「観光は、地域の自然、歴 史、文化等の素材を生かした振興により、地域の経済と文化を活性化させ、地域振興に寄与す る。「観光は、余暇時間の中で日常生活圏を離れて行う様々な活動であって、触れ合い、学び、

遊ぶということを目的とするものである。」と観光の意義について述べている(9)。また、2000 年(平成12年)121日の「観光政策審議会答申(第45号)」では、「観光は、人々の生活の 向上や地域の発展等様々な分野で大きな意義を有しており、卖なる物見遊山して捉えるべきで はない。「観光は、卖なる余暇活動の一環としてのみ捉えられるものではなく、人々の生きが いや安らぎを生み出し、人と人の絆を強めるものである。「観光は、地域にとっても観光振興 のために地域固有の文化や伝統の保持・発展を図り、地域住民が誇りと生きがいをもって生活 してゆくための基盤ともなる。(10)とし、5年半前の答申よりもさらに踏み込んで観光の幅広 い価値を定義づけている。そこでは、観光が地域のあり方と結びついていることを強く示唆し ている。

溝尾良隆は、その著書、『観光学-基本と实践』(11)の中で、「日本においては、観光とツー リズム、観光とレクリエーションといったように、中国の易経を語源とする『観光』と英語で あるツーリズム、レクリエーションといった二言語が存在するところにまず問題がある。ツー リズムを観光と訳すのが普通であるが、両者は同一の意味と考えてよいのだろうか、同一言語 の英語でもツーリズムとレクリエーションとの関係を外国ではどのように区別しているのだろ

うか。12)と問題を提起し、外国人研究者の定義を比較した結果、「ツーリズムは旅行全般の

意味に多く使用されている。レクリエーションとツーリズムの関連やレクリエーションについ ては、(中略)両者を区別するのがむずかしい。(13)と結論づけている。また、観光を「レク リエーションと同一の行為としつつ、観光はレクリエーションの一部であり、両者の相違は、

日常生活圏を離れるかどうかにあるとして、日常生活圏を離れて行うレクリエーションを観光」

14)であると規定している。溝尾の指摘からは、観光、ツーリズム、レクリエーションの区別

は難しいが、日常生活圏を離れるか否かが区別の要点であるという見方が参考になる。

(11)

8

佐藤誠は、「日本では欧米のツーリズム(tourism)を観光と訳しているが、漢字の本国では、

『観光』sightseeing)とは区別して『旅游』と訳している」(15)と指摘し、特に「観光」を、「旅 游の一形態として、レジャー活動としての『サイトシーイング』=『観光』がある」(16)とし ている。また佐藤は「名所旧跡を見ることに力点がある観光は、基本的に一度きりという特性

がある」(17)とも述べている。「旅游」まで含めた「観光」と「ツーリズム」の見方は有用であ

ると考えられるが、「観光」は一度きりのものではなく、佐藤が指摘するツーリズム概念まで含 んだものとして捉えておきたい。

溝尾と佐藤の研究から、観光する主体側から捉えれば、「観光」とは「人々が日常生活する場 を離れて、余暇活動や生きがいとして、日常と異なることを見聞きし体験しそして楽しみ、日 常に戻ってから生活を向上させるもの」であるといえよう。観光を受け入れる地域の側からは、

「観光」とは、「地域の文化や経済を振興し、人々が地域で生きがいを持って生きてゆくための 基盤となるもの」ということができよう。

大澤健は、その著書、『観光革命―体験型・まちづくり・着地型の視点』(18)において、「体 験型観光」「観光まちづくり」「ニューツーリズム」「着地型観光」といった新しい観光を表 現する言葉が相次いで登場したと指摘した上で、これらが厳密に定義されていない中で、全国 の地域で期待は高まっているものの、实際なかなか定着せず成果を上げていないと指摘してい る。そこで大澤は、観光について「4Dアプローチ」(19)という見方を提示し、①需要 Demand、

②目的地 Destination、③経路 Distribution、④観光全体の開発 Developmentという4つの視点で、

特にマスツーリズムの限界とこれが地域に与えた影響について、また、マスツーリズムに続く と思われているニューツーリズムと地域づくり(まちづくり)の関連について、「観光―地域 づくり循環」(20)という視点を提示して、観光が地域づくり(まちづくり)に与える効果と地 域づくり(まちづくり)が観光に与える効果について分析している。

大澤の研究の特色は、多くの地域では地域づくりが手段で観光が目的になっていることを指 摘しながら、詳細にこのことを検証している点である。しかし、地域づくり(まちづくり)が 観光に与える影響については、「魅力ある強い観光地づくりを」という程度の言及にとどめてお り、まちづくり(地域づくり)が観光に役に立っているのかどうか詳細には検証されていない。

ここからは、この二つの方向性をつねに念頭に置くことが観光まちづくりとは何かについて考 えてゆく出発点となるのではないかという示唆を得ることができる。

(3) 「観光まちづくり」という概念

「観光まちづくり」に最初に言及したのは山崎一真の論考「観光まちづくり推進の課題につ いて」『道路』1999年(平成11年)2月号)であったが、ここでは、海外や国内の事例を紹介 しながら、①地域経営的意識の醸成と主体の形成、②市民参加によるマスタープランの作成、

③マスタープラン实現のための制度的組織的財政的仕組みづくり、④マスタープランの实践活 動、⑤マネージメントプランの策定と实践の5点を観光まちづくり推進のための課題として提

(12)

9 示している。

敶田麻实は、その論考「『観光戦略』实践とまちづくり」『アカデミア』2009年(平成21年)

10 月号)の中で、「地域社会に関係する住民や組織が、自らの意思で、つまり国や自治体から 指示されなくても、地域社会のさまざまな課題を解決しようとすることを、最近ではまちづく りと呼んでいる。『観光まちづくり』とは、こうしたまちづくりの選択肢のひとつである。それ は、住みやすく経済的にも維持できる地域社会を、観光という手段で实現することだ。(21)と 指摘している。これは地域の住民や組織が自ら行うまちづくりの一ジャンルとして「観光まち づくり」を捉えて評価したものであり、また地域に人を迎える観光という経済活動を手段とし て地域社会をよりよくすることが必要だという視点を提示しているものといえる。

西村幸夫は、その編著、『観光まちづくり―まち自慢から始まる地域マネジメント』2009

(平成21年))の中で、「もともと『まちづくり』と『観光』とは向いているベクトルの向きが まったく異なっている。まちづくりとは、基本的に地域社会を基盤とした地域環境の維持・向 上運動であるのに対して、観光は資源としての地域環境の利活用をベースとした地域経済の推 進運動である。(22)と区別し、従来まちづくりと観光が二律背反的な面があり方向性が異なっ ていることを指摘している。その上で、「従来仲が悪かったまちづくりと観光の双方の間に相似 点がないわけではない。たとえば、まちづくりも観光も地域環境抜きには成立しない。観光は もっとも明快な地場産業でもあるので、まちづくりとは数多くの接点がある。(23)とし、「観 光を考えることによって、まちづくりの側はこれまで手薄だった地域経済をまちづくりの枠内 で考えるという視点を強化することができるだろう。他方、観光の側は弱点だった地域社会を 重視する視点を内部化することができるようになる。(23)としている。これは、まちづくりと 観光の相似点を地域環境に見出だし、観光を地場産業であるとして、観光とまちづくりが連携 することでそれぞれの弱点を強化できるという見方である。そこから、西村は、「観光まちづく りとは、地域社会が主体となった地域環境を資源として活かすことによって地域経済の活性化 を促すための活動の総体である。(23)と規定している。

こうした西村の立論から、「観光まちづくり」を「地域社会において、地域の住民や企業など のさまざまな主体が、地域資源を生かした経済活動である観光を手段としながら、持続可能で 経済的に維持できる地域社会を作り上げる動きである。」と捉えることができる。これは、「観 光」を進めてゆくためには「まちづくり」が必要であるかという観点である。

西村は、上記の編著の中で、「まちづくりと観光の問題は、地域を考える際の三つの基本的な 柱である地域社会、地域環境、そして地域経済の関係そのものに対しても大きな根源的な問題 を投げかけている。」(24)とした上で、「観光の分野において地域社会の力によって地域環境を 活かすことができるとするならば、地域経済におおきく寄与できるに違いないのである。(25) と指摘している。そして、『ナンバーワンよりもオンリーワン』などのスローガンで個性あふ れるまちづくりがこれまで各所で喧伝されてきたが、このこと自体、現場の地域社会を元気づ けるだけでなく、他者に対しても強烈なアピールを発信しているのである。その結果として来

(13)

10

訪者が多くなることを皆、受け入れるだろう。(26)と述べている。ただし西村は、個性あふれ るまちづくりが地域経済におおきく寄与できるかどうかについての検証まではしていない。

安村克己は、その著書『観光まちづくりの力学 観光と地域の社会学的研究』2006 年(平 18年))の中で、観光まちづくりで脚光を浴びた地域は、高度経済成長の経済競争に後れを とった地域だったと指摘した上で、「観光まちづくりがトップに立った競争は、それまでの経済 の成長を競うものではない。それは、確かに地域に経済活性化をもたらすが、それ以上に、地 域の住民が元気になるという効果が瞠目される。このように新しい“まちづくり”へと目標設 定を方向転換させたところに、新しい地域振興としての観光まちづくりを解明するヒントがあ るのだろう。(27)と述べている。また「湯布院」と「長浜」を観光まちづくりの事例として分 析した上で、この2か所がいずれも市内の全域でなく「歴史的に規定された比較的狭い、住民 の主観的な生活空間である」(28)ことや、「観光まちづくりでは、地域の住民が地域に固有の資 源を掘り起こして、内部から”発展”の道を開いた。観光まちづくりが地方自治に与える示唆 は、尐なくない。(29)と指摘している。安村の観光まちづくりが内発からの発展によるもので あり、一部の地域の取り組みであっても地方自治に示唆を与えるものだという主張は、本論文 の主題に深く結びつくものである。

上田恵美子は、その論考、「まちづくり型観光地の変化と課題―観光産業と『場』の概念を

中心に」(30)において、まちづくり型観光地にかかわる事業者、事業者の構成、事業者と地域

の関係がどのように変化していくかを考察するために、「場」という概念を提示して議論を進め ている。観光まちづくりの契機となったものとして、財団法人アジア太平洋観光交流センター の「観光まちづくりガイドブック」を挙げ、このガイドブックの政策方針や理念については評 価する一方で、その先の詳細が提示されていないことや観光に関する主体間の調和が重視され すぎていることを問題視している。さらに、経営学・商学系の研究における「場」を出発点と しながら、「場」における情報的相互作用や、秩序について触れながら、まちづくり型観光地に おける「場」について述べている。この「場」においては、イベントやワークショップで「共 通の感覚」が共有化され、それが観光実にも伝播するとしている。

井口貢は、その著書、『観光文化の振興と地域社会』2002年(平成14年)(31)において、

その後半部分で各地域での实例が示されているが、前半では観光振興とまちづくりの関係につ いて述べられている。井口は、観光の真意を探りながら、街の魅力や観光資源についても言及 し、観光振興は観光実のためならずとして、まちづくり観光への期待についても言及している。

ただし、井口は、観光文化立国を提唱しているものの、観光文化の振興と地域社会がどう関係 するのかについては必ずしも明確にはしていない。

以上のように、「観光まちづくり」という言葉が登場し、各地域でその可能性への期待は高ま っているものの、観光とまちづくり相互の作用についての言及は必ずしも多くなく、また「観 光まちづくり」そのものの姿も十分に明らかにされていないといってよい。

(14)

11 (4) 旧湯布院町をフィールドにした研究

猪爪範子は、東京農業大学提出博士論文(2000年(平成12年)「農村の観光地化の過程の 研究」の中で、農村型観光地が形成されるための条件として、(a)不特定多数の観光実ではな く、親しんで何度も通ってくる交流者の拡充が必要であり、そのためには日帰り観光実の増加 が見込め、関連のサービス業が台頭する可能性を満たさなければならない。(b)環境を保持する 農地や山林保全のために、既存の農村空間、機能が観光を軸にネットワークされ、農業に新た な転換をもたらす必要がある。(c)地域固有の空間、生活の質が保持される必要がある。(d)衰退 する産業にかわる雇用効果が創出される必要がある。(e)可能性を積み上げ熟成させるに必要な 時間を必要とする。(32)という5つを提示している。この5つの条件を満たすためには、「観 光地形成が外部の力に依存せず、地域の内側から取り組む内発型、一部地域への集中より分散 した施設や機能が相互に連携した地域型である必要がある。(33)と指摘している。

この猪爪の研究は、筆者とほぼ同じ旧湯布院町をフィールドとしており、農村が本来の特性 を持続しながら観光地化をすすめ、健全な発展が図られるための諸条件が明らかにされている。

中でも(a)でいう何度も通ってくる交流者の拡充をという指摘は、この論文発表と時期を一にす

るグリーンツーリズムの動きとも呼応するものであり、(b)の既存の農村空間、機能を軸にネッ トワークするという提言は、従来ともすると「農業」vs「観光」という構図になりがちであっ た旧湯布院町においては有効な政策提言であったといえよう。また(c)、(d)、(e)や最後の提言も 大事な留意点である。

猪爪は、農村を大きく空間として捉え、その再配置やネットワーク化に力点を置いているが、

そもそもの地域における経済活動自体やそれらによる連携の波及効果に関する言及はあまり見 られない。また、住民運動についての分析は豊富であるが、そうした運動の集合体としての地 域自治の営みにはほとんど触れてはいない。

(5) 内発的発展論

地域住民などが主体的に地域の社会構造の変革を図る方法は、鶴見和子らによって「内発的 発展」と位置付けられた。鶴見は、「わたしが邦文の論文で『内発的発展』ということばを使っ たのは、1976年(昭和51年)であった。英文で“endogenous development”ということばを使っ たのは、その前の年の1975年(昭和50年)である。この年には、スウェーデンのダグ・ハマ ショルド財団が、第7回国連特別総会あてに報告書を出している。そこでは『もう一つの発展』

“another development”又は“alternative development”)ということばが使われていた。わたしが、

この報告書を知ったのは、1976年(昭和51年)以降であった。『もう一つの発展』とは、西欧 をモデルとした近代化に対して、これとは違った発展の道筋があることを提示しようとしたも のである。(34)と述べている。

鶴見によれば、「内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と創出す べき社会のモデルについては、多様性に富む社会変化の過程である。共通目標とは、地球上す

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べての人々および集団が、衣食住の基本的欲求を充足し人間としての可能性を十全に発現でき る、条件をつくり出すことである。それは、現存の国内および国際間の格差を生み出す構造を 変革することを意味する。そこへ至る道筋と、そのような目標を实現するであろう社会のすが たと、人々の生活のスタイルとは、それぞれの社会および地域の人々および集団によって、固 有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき、歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・

制度などを照合しつつ、自律的に創出される。(35)と述べている。鶴見は内発的発展について 多様性をキーワードに、内発的発展は社会変化の過程であるとし、その条件を格差構造の変革 と地域を背景にした自律性にあると定義した。

鶴見は、「内発的発展の研究卖位としての地域を次のように特徴づけたい」とし、5点を挙げ ている。第1 は、「特定の特徴ある自然生態系を共有する町と村との連続体である。(36)とい うこと。第2は、「1つの村、または1つの町ではなく、村と町との連続体であることによって、

生産と交易とのつながりが生じ、相対的に、経済の上での自立ができる。37)ということ。第 3は、「そこには、世代から世代にわたって、伝統の蓄積がある。そして、伝統の蓄積を共有し ているという自覚が、住民の中にある。(38)ということ。第4 は、「住民が、自分達の運命に かかわる事柄の決定に参加することができる。これはいいかえれば、自治ということである。

(39)ということ。第5は、「そこは住民が生命を生み、育て、守る場所である。(40)ということ

であった。

宮本憲一は、「内発的発展とは、地元の資本と技術、そして人的努力を中心として開発する もので、開発の目的は経済開発だけでなく、環境を保全し福祉や文化・教育の向上などを総合 したもので、特定の産業あるいは作物(品)の開発にかたよるのでなく、できるだけ多種類の 産業連関をつけ、域内で完結するような構造をつくり、複雑な内容をもつ社会をめざすもの」

(41)と定義し、地元の資本、技術、人的努力が出発点であるとして、域内完結であることと地 域内の産業連関に重きを置いている。

宮本は、内発的発展について三つの原則を示している。第一は、「内発的発展が大企業や政府 の事業としてではなくて、地元の技術、産業、文化を土台にして、地域内の市場を主な対象と して出発し、地域の住民が学習し、計画し、経営するものである。(42)こと。第二は、「環境 保全の枠の中で開発を考えて、自然の保全や美しい街並みをつくるというアメニティーを中心 の目的として、福祉や文化が向上するような総合化され、なによりも地元住民の人権の確立を 求める総合的目的を持っている。43)こと。第三は、「産業連関を特定業種に限定せず、複雑 な産業部門にわたるようにして、付加価値があらゆる段階で地元に帰属するような地域産業連 関を図っている。(44)ことであった。

佐々木雅幸は、その著書『創造都市への挑戦』2001年(平成13年))の中で、金沢を内発 的創造都市として捉え、この金沢経済が発展した理由を詳細に分析している。本社や研究開発 機能を備えた主力工場を地域に置き、持続的に発展をとげた中堅・中小企業が多数集積してい ることや、独自の産地システムを形成し、製造機能や販売・流通機能、金融機能が域内で発展

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し二次産業と三次産業のバランスがよいことを述べている。さらに「内発的発展がもたらした 独自の都市経済構造が域内でさまざまな連関性を持った迂回生産によって付加価値を増大させ、

地域内で産み出された所得のうち、利潤部分の域外への『漏出』を防ぎ、そのことによって中 堅企業の絶えざるイノベーションを可能にした。(45)と指摘している。

佐々木が述べた本社機能を持った中堅・中小企業が地域にあることや、産業間のバランスが よいことは、まさに由布院が目指すべき方向であり、このことは後に詳しく分析することとす る。中でも、迂回生産により地域外への利潤の漏出を防ぐという思想は、グローバル経済を前 提とせざるを得ない今の時代にこそ、内発的発展論を位置づける重要な視点であろう。

一方で、こうした内発的発展という見方は、そこで前提にされている地域の範囲や目標の想 定自体がやや大きく、特に小さな地域やコミュニティにおいては不適合を起こす可能性がある。

また、外向的、内発的という要因による分類だけでなく、地域の主体の内部も詳細にみていか なければならないのではないだろうか。例えば、内発的な方向を模索している主体の内部にお いても、こうした内発的手法での発展を志向する勢力と外部からの資源導入を目指す外向的な 勢力が存在し、時にそれらが拮抗し対立しているような場合もある。また内発的発展であって も、発展の果实は常に偏ってもたらされやすく、あるいはそうした構図が硬直化することによ り、内発的発展の主体や産業と一般住民との間で格差が発生しやすいこともありうる。

そうした時、佐々木晶子が、「地域理念がノウハウと共に移転しまったく異質のコンテクス トを持つ海外の他地域で取り込まれることで『外部化』され、また外部化された地域理念は反 対に外部から地域を問い直し反芻する機会となり、『内在化』が起こると考えられる。(46)と している視点は重要である。地域の理念を外部の地域とやり取りすることでお互いに価値が高 められるという考え方は、地域を閉じただけのものとして捉えず、内発的発展に新たな視座を 与えるものかもしれないからである。

鶴見が、「内発的発展の担い手は、地域の伝統を、現代の必要に応じて、革新的に再創造する 主体としての『キィ・パースン』である。(47)としている点には注目したい。もちろん、「キ ィ・パースン」の存在は大切であるが、「キィ・パースン」は決してリーダーだけでなく、リー ダーを支えるフォロワーも「キィ・パースン」であり、その人材の豊かさこそが地域の発展に とっては大切であろう。

(6) 「地域経営」の視点

中村剛治郎は、その著書『地域政治経済学』2004年(平成16年))の中で、地域のことを

「人間と自然との物質代謝の場、人間の生活空間、それが地域であり、多様な地域の集合体と しての国土、国際的地域、世界が形成される。(48)と述べている。その上で「経済といえば、

しばしば人間の欲求を充足すべき希尐な財を効率的に生産し、公正に分配し、豊かに消費する ことであると狭く考えられがちであるが、より根底的に、人間と自然との物質代謝過程に注目 し、地域経営(ここでの経営はマネジメントであって、企業的経営を意味するものではない)

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を基礎に、国土経営、国際的地域経営、地球社会の経営の問題として経済を考えよう」(49)と 提言している。本論文は人間の生活空間を地域の前提としているが、この中村が指摘する地域 経営の視点は本論文に大きな示唆を与えている。

平光正は、その論考、「地域経営論の構築に向けて(1)『環境と経営』2000年(平成12年)

12 月号)の中で、「地域という空間概念を設定し、その場においては公行政も、公行政以外の 社会集団の経営も同一の視野に入れて、できるかぎりこれを地域における財・サービス供給と その供給組織の経営という一つの軸でとらえる」(50)とし、地域経営を「地域内で、財貨・サ ービス供給を行っている各種の組織体のマネジメントの総体」(51)であると規定している。地 域における公行政による行政運営も公行政以外の社会集団による経営も同じ視点で捉え、一定 の地域で地域経営を考えるとする平の視点は、地域全体のあり様をみてゆく「観光まちづくり」

の考察に有効な視点を提示しているといえる。

小磯修二は、その論考、「産消協働で地域経済を強く-域内循環で付加価値を増し対外競争 力高める」『公明』2009年(平成21年)5月号)の中で、地域の経済成長力を「経済的な付加 価値を生み出す総合な力である。すなわち地域資源を活用し、製品化し、販売していく企業力 であるとともに、得た財を地域に向けて再還元する力である」(52)とした上で、「地域のコミュ ニティの力など、ソフトな力も含めて地域の経済成長力として見つめていくことが必要であ

る。(53)としている。卖に同じ地域に存在すればというだけでなく、地域で生み出された付加

価値を地域に再還元し、コミュニティの力も活用しながら地域の経済成長力をより高めるべき であるという指摘は、「観光まちづくり」に不可欠な視点ではないかと思われる。

(1) 中谷健太郎、『湯布院発、にっぽん村へ』2001年(平成13年)9月、ふきのとう書房、p.28 (2) 岡田知弘、「特集シンポジウム 地方自治と地域経済の持続的発展~グローバル経済下の自

治体再編問題を中心に~」『財政と公共政策』2005年(平成17年)5月、p.1 (3) 田村明、『まちづくりの实践』1999年(平成11年)5月、岩波書店

(4) 「国立情報学研究所論文情報ナビゲータ(サイニィ)」により検索、2011年(平成23年)4 14日現在、ちなみにこの表では12種類表示しているが、9種類は登場件数が明らかにづく ないので、その後の議論から除外している

(5) 田村明、前掲、p.207 (6) 田村明、同上、p.3 (7) 田村明、同上、p.124 (8) 田村明、同上、同ページ

(9) http://www.mlit.go.jp/singikai/unyusingikai/kankosin/kankosin39.html (10) http://www.mlit.go.jp/kisha/oldmot/kisha00/koho00/tosin/kansin/index_.html

(18)

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(11) 溝尾良隆、『観光学基本と实践』2003年(平成15年)6月、古今書院、p.1-2 (12) 溝尾良隆、同上、p.1-2

(13) 溝尾良隆、同上、p.4

(14) 溝尾良隆、同上、同ページ

(15) 佐藤誠、『グリーンホリデーの時代』2002年(平成14年)10月、岩波書店、p.80 (16) 佐藤誠、同上、p.81

(17) 佐藤誠、同上、p.61

(18) 大澤健、『観光革命―体験型・まちづくり・着地型の視点』2010年(平成22年)11月、

角川学芸出版

(19) 大澤健、同上、p.17 (20) 大澤健、同上、p.73

(21) 敶田麻实、「観光戦略」实践とまちづくり(特集観光戦略の实践と地域活性化)『アカデ

ミア』、第91巻、2009年(平成21年)10月、全国市町村振興協会、p.4

(22) 西村幸夫編著、『観光まちづくり―まち自慢から始まる地域マネジメント』2009年(平成

21年)2月、学芸出版社、p.10 (23) 西村幸夫編著、同上、p.12 (24) 西村幸夫編著、同上、p.11

(25) 西村幸夫編著、同上、同ページ

(26) 西村幸夫編著、同上、p.14

(27) 安村克己、『観光まちづくりの力学 観光と地域の社会学的研究』2006年(平成18年)1 月、学文社、p.13

(28) 安村克己、同上、p.38

(29) 安村克己、同上、同ページ

(30) 上田恵美子、『まちづくり型観光地の変化と課題―観光産業と「場」の概念を中心に―』

2007年(平成19年)3月、大阪市立大学大学院経営学研究科商学専攻商学博士論文 (31) 井口貢、『観光文化の振興と地域社会』2002年(平成14年)5月、ミネルヴァ書房

(32) 猪爪範子、「農村の観光地化の過程の研究」(東京農業大学提出博士論文)2000年(平成

12年)p.120

(33) 猪爪範子、同上、同ページ

(34) 鶴見和子、「内発的発展の理論をめぐって」『社会経済システム』1991年(平成3年)10 月、p.1

(35) 鶴見和子、『内発的発展論の展開』1996年(平成8年)3月、筑摩書房、p.9 (36) 鶴見和子、「内発的発展の理論をめぐって」、前掲、p.5

(37) 鶴見和子、「内発的発展の理論をめぐって」、同上、同ページ

(38) 鶴見和子、「内発的発展の理論をめぐって」、同上、同ページ

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