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日本学術会議の意思の表出に係る様式及び作成付属資料について(案)

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提言

昆虫分類・多様性研究の飛躍的な拡充と

基盤整備の必要性

平成26年(2014年)9月1日

日 本 学 術 会 議

農学委員会

応用昆虫学分科会

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この提言は、日本学術会議 農学委員会 応用昆虫学分科会の審議結果を取りまとめ公表 するものである。 日本学術会議 農学委員会 応用昆虫学分科会 委員長 嶋田 透 (第二部会員) 東京大学大学院農学生命科学研究科教授 副委員長 後藤 千枝 (連携会員) 独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構中央農業 総合研究センター上席研究員 幹 事 中島 裕美子 (連携会員) 琉球大学熱帯生物圏研究センター准教授 幹 事 沼田 英治 (連携会員) 京都大学大学院理学研究科教授 蟻川 謙太郎 (連携会員) 総合研究大学院大学先導科学研究科教授 小林 迪弘 (連携会員) 名古屋大学名誉教授 多田内 修 (連携会員) 九州大学大学院理学研究院特任教授・名誉教授 辻 和希 (連携会員) 琉球大学農学部教授 長澤 寛道 (連携会員) 東京大学名誉教授 深津 武馬 (連携会員) 独立行政法人産業技術総合研究所生物プロセス研究部 門研究グループ長 藤崎 憲治 (連携会員) 京都大学名誉教授 藤原 晴彦 (連携会員) 東京大学大学院新領域創成科学研究科教授 山下 興亜 (連携会員) 中部大学学長 沢辺 京子 (特任連携会員)国立感染症研究所昆虫医科学部部長 提言および参考資料の作成にあたり、以下の方々から協力を得た。 阿部 芳久 九州大学大学院比較社会文化研究院教授 鎮西 康雄 鈴鹿医療科学大学大学院医療科学研究科教授 野村 周平 独立行政法人国立科学博物館研究主幹 廣渡 俊哉 九州大学大学院農学研究院教授 前藤 薫 神戸大学大学院農学研究科教授 矢後 勝也 東京大学総合研究博物館助教 吉松 慎一 独立行政法人農業環境技術研究所上席研究員 本件の作成にあたっては、以下の職員が事務を担当した。 事務局 中澤 貴生 参事官(審議第一担当) 渡邉 浩充 参事官(審議第一担当)付参事官補佐 藤本紀代美 参事官(審議第一担当)付審議専門職

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要 旨 1 背景 昆虫は、全世界で 100 万種以上が記載されており、未発見・未記載の種が、その数倍か ら数十倍もいると推定される巨大なグループである。動物界の種の 70%以上を占めると言 われる昆虫の形態・生態はきわめて多彩で、地球の生物多様性を代表する生物群と言える。 昆虫科学のどの分野においても、種を特定することは必須であり種の同定には、新種記載 の拠り所(原典)であるタイプ標本をはじめとする昆虫標本の収集と蓄積ならびに同定・ 分類を正確に行うことのできる研究者・技術者が欠かせない。しかしながら、日本学術会 議報告「昆虫科学の果たすべき役割とその推進の必要性」(2011 年 7 月)で指摘されてい るように、昆虫分類学を主とする研究・教育体制の維持ならびに昆虫標本の収集・保管や 同定システムの維持が今後さらに難しくなることが予想されている。この状況は早急に改 善する必要があり、上記の報告で取り上げられた4つの課題の中でも特に優先して解決す べきものである。 標本の収集・維持管理には、専門家が必要であり、整備された十分なスペースを要する。 また、遠隔地で迅速に標本を参照するには細密な平面画像・立体画像がデジタル化された データベースが必要である。近年、世界的にはミトコンドリア DNA の部分配列に基づく「DNA バーコード」を用いて種を同定する手法が使われるようになってきており、わが国でも昆 虫標本の形態のみならず DNA 配列情報を含めたデータベースの整備が急務である。 2 現状および問題点 わが国の昆虫標本は、最も多く収蔵している九州大学でも 400 万点に過ぎず、米国や英 国などの施設が各数千万点の昆虫標本を保有しているのに比べて1桁少ない。また、DNA バーコードをはじめとする遺伝子情報の整備ならびに昆虫標本との対応付けが諸外国より も遅れている。さらには、昆虫の分類ならびに多様性の研究者や技術者の養成のための教 育システムも脆弱である。しかも、2004 年度の国立大学法人化以降、昆虫標本の管理のた めの経費確保は、大規模標本を所有する大学においてすら困難になっている。 近年、世界的に気候・環境の変動が著しく、また人と物の移動が急速に増大・国際化し ていることから、わが国でも新たな農林畜産害虫や衛生害虫の侵入の危険性が高まってい る。また、TPP などの貿易自由化に対しては、国内の生産地域に分布する昆虫を正確に把 握しておく必要がある。さらには、生物多様性条約の「遺伝資源の利用から生じた利益の 公平な配分」(ABS)のために、有用昆虫や天敵昆虫の正確な同定も必要になってきている。 これら緊急性の高い社会の要請に対して、学術分野の基盤は甚だ不十分である。 海外の大学では「昆虫学科」として、基礎昆虫学とともに農業昆虫学や衛生昆虫学が一 体になった教育研究が行われているが、わが国ではそのような体制がとられていない。昆 虫分類・多様性の教育研究は、大学の農学系部局を中心にして、理学、医学、教育学など

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多くの部局にまたがって行われている。また、農林畜産害虫については農林水産省系の独 立行政法人、衛生害虫については厚生労働省の国立感染症研究所が、それぞれ分類・同定 のシステムを担っており、環境省でも国内の大規模な昆虫分布調査を定期的に行っている。 しかしながら、それらの多くは国家的なプロジェクトとしての位置付けの調査・研究では なく、研究者個人の熱意と努力、研究者間の個人的ネットワークに依存していることが問 題である。昆虫分類・多様性の教育研究は、農学、理学、医学など分野を問わず必要であ り、それゆえに大学教員と関係省庁の研究者との密接な情報交換が必要である。 3 提言の内容 本提言は、昆虫分類・多様性研究の飛躍的な拡充のため、公的支援の実施を強く求める とともに、大学および諸研究機関における教育研究の連携を呼びかけるものである。具体 的には、以下を提言する。 (1)昆虫標本は今後さらに国家的資源としての重要性を増すことから、その飛躍的拡充 のための経費を確保し、諸外国に見劣りのしない体制をとるべきである。また、分類の専 門家以外による種の特定を容易にする DNA バーコードや標本の画像データを蓄積し、それ らのデータベース化を急ぐことを提言する。 (2)わが国における分散した教育研究体制を改善するために、昆虫多様性科学に係る大 学間、大学部局間、府省間、そして学会間にまたがる連携のためのネットワーク組織を研 究 者自身が構築する。 日本学術会議では、今期、昆虫科学に関連した学術大型研究計画のマスタープランが複 数件提案された。それらには、標本整備やデータベースの構築をめざすものが含まれてい るので、計画が予算化されることになれば、新たな一歩を踏み出すことになる。しかし、 数百万、数千万の種を擁する昆虫分類・多様性研究の充実は、数年で終わるものではなく、 息の長い歩みが必要であり、国や社会からの継続的な支援を強く要請する。そして、我々 研究者コミュニティーはこの分野の重要性について国民の理解を得るべく自助努力を強化 していかねばならない。

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目 次 1 はじめに ... 1 2 昆虫分類・多様性研究の拡充のための基盤整備 ... 2 (1) 昆虫標本の拠点整備 ... 2 ① 社会から求められる昆虫標本の整備 ... 2 ② わが国における昆虫標本の現状と課題 ... 2 (2) 昆虫分布調査と標本収集および DNA 解析の連携 ... 4 ① 標本収集とデータベース化の推進 ... 4 ② DNA バーコード情報の整備 ... 5 (3) 農林害虫 ... 6 ① 農林害虫および天敵昆虫の分類・同定の重要性 ... 6 ② 分類・同定の支援体制の整備 ... 7 (4) 衛生害虫 ... 9 ① 外来性感染症媒介昆虫の危険性 ... 9 ② 外来性感染症媒介昆虫の検知・把握の方策 ... 10 ③ わが国の衛生昆虫標本の現状と課題 ... 10 (5) 有用資源昆虫 ... 11 (6) ゲノム解析およびメタゲノム解析 ... 12 (7) 教育、人材育成 ... 12 ① 分野横断的な教育の必要性 ... 12 ② 分野横断的な教育を実現する制度 ... 13 ③ 理科教育・環境教育での教材としての有用性 ... 14 (8) 国内外の連携 ... 14 ① 国内の連携 ... 14 ② 国際的連携 ... 15 3 基盤整備へ向けた具体的方策 ... 17 4 提言 ... 19 <引用文献> ... 20 <参考資料1>農学委員会応用昆虫学分科会審議経過 ... 21 <参考資料2>農学委員会応用昆虫学分科会公開講演会「環境変動と昆虫科学」 ... 22 <参考資料3>日本学術会議・日本昆虫科学連合公開シンポジウム「新時代の昆虫科学を 拓く3」 ... 24 <参考資料4>日本学術会議・日本昆虫科学連合公開シンポジウム「昆虫分類学の新たな 挑戦」 ... 25

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1 はじめに 昆虫は全世界で100万種以上が報告され動物界の70%以上を占める地球上で最も繁栄し た生物群である。今日のグローバル化・気候温暖化時代において、昆虫は作物加害のみな らず、植物病害や重篤な人畜感染症を媒介するリスク生物として、また生態系サービス(送 粉、天敵機能、物質分解など)の提供者、あるいはバイオミメティクス(生物模倣)の材 料としても重要性が増している。しかし、その基礎となるわが国の昆虫多様性研究は、「地 球上の生物多様性の維持と存続において昆虫はきわめて重要な役割を果たしているが、そ の役割についての社会の認識は不十分で、生物多様性科学の基礎となる昆虫分類学に対す る支援が不足している」という問題を抱えている[1]。 昆虫分類学は生物多様性科学の中核をなす学問である。欧米先進国では、自然史 (Natural history)研究が古くから盛んで、昆虫はその重要な対象になっている。大英自 然史博物館やスミソニアン国立自然史博物館においても、昆虫標本は代表的な収蔵物であ り、それぞれが 3000 万点以上を収蔵している[2]。しかし、日本における昆虫標本の収蔵 数は、最大規模の九州大学でも 400 万点に過ぎないうえ、昆虫分類学の研究組織も欧米に 比べて不十分な体制である。 わが国の大学における昆虫学の教育・研究は、主として農学系部局で行われており、害 虫学や養蚕学のような応用分野に力点が置かれてきた。一方、少数ではあるが北海道大学 や九州大学などを中心に昆虫分類学の教育研究が継続されてきた。国内の昆虫分類学者の 研究意欲や活動は欧米に比べて低くはないものの、昆虫分類学の教員数は減少し続けてい る。これは、わが国の昆虫学の教育体制が、分類学を中心に構築されていないためである。 理学系部局の昆虫分類学は大きな勢力ではないし、博物館でも昆虫の専門家の数や標本収 集・情報収集機能は、国際的な水準に達していない。現状から推察する限り、複数の昆虫 分類学者からなる研究室を持続できるのはわずか4大学に過ぎない[1]。 日本に生息する昆虫は、約3万種が記載されており、未記載種を含めると 10 万種を超 えると推定される。この数は、欧州全体に生息する昆虫の種数に匹敵することから、日本 における昆虫の豊かな多様性が分かる。近年の分子生物学、ゲノム科学の急速な発展の後 押しを受け、細胞生理や発生の基本的な機構の解明が進んでいることに加え、生物が多様 な環境に適応して進化する仕組みや、生物間相互作用に関する研究など、より高次の生物 学が注目を集めている。この傾向は昆虫学でも同様であり、そのために分類学の重要性が 再認識されている。 わが国の昆虫の中には、農業害虫、衛生害虫として産業や社会に影響を与えたり、輸出 における検疫対象になったりするものが少なくない。また、天敵などの防除資材あるいは 有用昆虫として利用されているものも多い。種および系統を正確に同定することなしにこ れらを活用した技術や対策を構築することはできない。現場で最も求められているのは、 土着および外来昆虫を正確かつ迅速に同定する技術である。わが国の産業の持続的発展の ためにも、昆虫標本の飛躍的拡充と昆虫分類学の教育研究体制の整備が喫緊の課題である。

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2 昆虫分類・多様性研究の拡充のための基盤整備 (1) 昆虫標本の拠点整備 ① 社会から求められる昆虫標本の整備 社会から求められる基盤整備とは、昆虫科学者を含むすべての利用者に標本の同定 や情報検索のサービスを提供できるような仕組みを整備することであろう。そのため には、拠点機関に大規模な昆虫標本を収集蓄積するばかりではなく、それらの形態変 異・生理生態・地理的分布、DNA バーコードをはじめとする分類同定および系統識別 用の遺伝子情報などについてのデータを蓄積することが必要である。さらにそれらの データ情報を、拠点機関が中心になってネットワーク化し共有するとともに、インタ ーネット上に広く公開して利用できる体制を作ることが必要となる。 日本初の生物的防除の成功例として知られるルビーロウカイガラムシの天敵ルビ ーアカヤドリコバチは、最初、別種として誤同定されていた。後に新種として記載さ れたが、天敵の利用ならびに農林害虫や衛生害虫の防除は、正確な同定なしには次の 応用段階に着実に進むことはできない。わが国のヒトや動植物を貿易の拡大や温暖化 に伴う健康リスクから保護するために、また、近年産業利用の事例が増えつつある昆 虫類について、医学・工学研究者に有用な情報を提供するためにも、そして昆虫多様 性科学の発展のためにも、すべての基礎となる標本類の大規模蓄積と生物情報データ ベースの整備がきわめて重要である。欧米の博物館では、膨大な標本が収蔵されてお り、国内外からの害虫、有用昆虫などの照会に対して、所蔵する標本類や蓄積した情 報をもとに迅速に対応している。わが国においても、このような社会的な必要性に対 応できる体制を早急に整備する必要がある。 ② わが国における昆虫標本の現状と課題 わが国における昆虫標本の蓄積が欧米に比べ著しい遅れをとっていることは大き な問題である。自然史学の伝統に支えられた欧米諸国では、古くから世界中の生物標 本が収集され、自然史博物館で大切に保存保管され、研究に供されている(表1)。 スミソニアン国立自然史博物館(標本数 3500 万点)、大英自然史博物館(約 3200 万点)、 フランス国立自然史博物館(2500-3000 万点)など欧米の膨大な昆虫コレクションに 対し、国内の標本収集・収蔵状況は最大の九州大学の昆虫コレクション(400 万点) でも世界で 10 位以下である。近年中国の台頭が著しく、2013 年度には巨大な収蔵設 備を完成させた中国科学院動物学研究所(北京)のコレクションが 470 万点となり、 九州大学の収蔵数を上回った[3]。韓国ではここ数年で生物多様性拠点を目的とした複 数の大規模な研究機関が設置され、莫大な数を集積する昆虫標本収蔵システムができ あがろうとしている。今後、アジア圏でのリーダーシップを求められる立場にある日 本が、生物多様性分野においてもアジア第一の拠点となることをめざすには、思い切 った基盤整備が急務である。そのためには、収蔵設備をもつ拠点機関(大学、農林水 産省系研究機関、国立科学博物館など)を整備・拡充し、技術者を含む十分な人員を

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配置し、標本を継続的に蓄積収集することが必須である。ハワイビショップ博物館に は約 200 万点のコレクションがあるが、毎年約 6 万点の標本追加があるという。年々 増える標本の受入を続けるには、拠点機関が将来計画に沿って十分な収蔵スペースを 確保しておく必要がある。しかし、日本での重要な拠点機関である九州大学や北海道 大学[4]では昆虫コレクションを含む研究博物館が、それぞれ工学部、理学部の旧館を 利用して設置されている状態である。特に九州大学の場合、新キャンパスへの移転が 予定されているが、博物館建設のメドが立っておらず危機的な状況にある。また、国 内の博物館は、いずれも収用能力が小さいためすぐに追加標本で満杯になり、以後寄 贈標本の申し出があってもそれに応えられない状況になっている。その結果、個人所 有の貴重な学術標本が放置されて遺族により廃棄される、あるいは海外の大きな博物 館に寄贈されることもたびたびあり、この有様はもはや国家財産の損失と言える。研 究者や昆虫愛好家のコレクションが廃棄や海外流出などにならないよう、国内の公的 機関が寄贈標本情報を共有し収蔵を促進する標本セーフティネット・システムの充実 と活用がさらに望まれる。標本の作製にはラベル作成やリスト作成などが必要であり、 博物館などで死蔵されている標本類を利活用するためには、このような作業を行い標 本として完成させることも重要である。アマチュアの昆虫研究家はもちろん、退職後 の研究者や高齢者などに協力してもらうボランティア活動の推進も今後必要であろう。 表1 世界の主要博物館の昆虫コレクション数(2013 年7月調査) 博物館名 国 所在地 昆虫標本数 スミソニアン研究所 アメリカ合衆国 ワシントン 3,500 万 大英自然史博物館 イギリス ロンドン 3,200 万 フランス国立自然史博物館 フランス パリ 2,500~3,000 万 動物学博物館 ドイツ ミュンヘン 2,000 万 アメリカ国立自然史博物館 アメリカ合衆国 ニューヨーク 1,800 万 オランダ国立自然史博物館 オランダ ライデン 1,800 万 カナダ国立コレクション カナダ オタワ 1,600 万 フンボルト大学動物博物館 ドイツ ベルリン 1,500 万 ビショップ博物館 アメリカ合衆国 ホノルル 1,450 万 オーストラリア国立コレクション オーストラリア キャンベラ 1,200 万 中国科学院動物研究所 中国 北京 470 万 九州大学 日本 福岡 400 万 (多田内委員が各博物館等へ直接問い合わせて作成) 国内研究機関が所蔵する標本に関する生物情報のデータベース化については、九州 大学が地球規模生物多様性情報機構日本ノード JBIF へのデータの提供と平行して独 自にアジア・太平洋地域の昆虫類に関する約 44 万件の種情報昆虫学データベース

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KONCHU と約 30 万件のアジア・太平洋地域産昆虫標本データベース AIIC などを公開し ている[5]ほか、JBIF がデータの収集と公開に向け、準備を進めている[6]。しかしな がら、それらが昆虫標本の整備や昆虫分類学の基盤整備に直結する活動にはなってい ない。利用者に有用な情報を提供できるようにするためにも、各研究機関が所蔵する 標本のデータのネットワーク化を加速し、実用化規模の DNA バーコードデータや 3D 形 態情報などを追加した、昆虫同定・検索支援システムを確立することが望まれる。 また、生体標本の収集・蓄積も進めていく必要がある。今後、生物資源として重要 な位置を占めることが期待される有用昆虫類、さらには重要害虫類についても研究開 発材料、実験材料として生体を確保しておくことが重要である。昆虫は、体内への異 物侵入に反応して急速に生成する強力な抗菌性タンパク質を保持しており、そのタン パク質が広範囲に細菌やカビ類に作用することが明らかになったことから、現在、医 薬分野では、昆虫起源の抗菌性物質の探索ならびにその特性の解明と大量生産法の開 発にしのぎを削っている[7]。この他にもシルクをはじめとする昆虫由来物質が再生医 療資材として注目されるなど、昆虫遺伝子の解明とその利用は医学、医療の進展に貢 献する可能性が大きい[7]。害虫の成長発育阻害剤の開発、フェロモン構造の解明、昆 虫細胞の大量増殖とその利用、昆虫の神経伝達機構の解明と利用など、今後の昆虫を 利用した産業の育成面でも国として基盤整備と支援の体制を整えておかねばならない。 (2) 昆虫分布調査と標本収集および DNA 解析の連携 ① 標本収集とデータベース化の推進 昆虫の最大の特色はその種多様性にあり、昆虫の大規模標本および生物情報データ ベースの整備は、生物多様性科学の発展に中心的な役割を果たすものと期待される。 国内産昆虫は 10 万種を超えるという推定があり、さらなる分布調査が必要である。こ れまで日本国内だけでなくアジア・太平洋地域への昆虫の分布調査が行われ、標本の 収集蓄積が進んできたが、欧米のコレクションに比べるとまだ非常に不完全である。 分類学の父と言われるリンネを生んだスウェーデンでは国内の多細胞生物全種を Biodiversity Encyclopedia に記載して同定可能にするプロジェクト(Swedish Taxonomy Initiative)があり、スウェーデン自然史博物館への支援、インベントリー の構築、分類の進んでいない生物群の分類学的研究や精力的な分布調査が進められて いる[8]。わが国でも今後国内だけでなくアジア地域における高密度・高精度・高頻度 の昆虫分布調査を行う大型プロジェクトを実施し、欧米に匹敵する標本資源を集積さ せ、データベース化を進めるとともに、拠点機関のネットワーク化を推進する必要が ある。環境省による指標昆虫を対象とした環境保全基礎調査では、昆虫研究者だけで なく、一般昆虫愛好家などが調査に協力している。これを現職の研究者に退職者、一 般愛好家などを加えた国内の組織的・体系的な分布調査に発展させ、標本の拠点機関 への集積と、それに連携した証拠標本の蓄積と解析を進めていくべきである。 また、国内には九州大学を中心に東南アジアに重点を置いたアジアの昆虫研究者ネッ トワークが形成されており、共同調査やシンポジウムを開催してきた実績がある。こ

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れらをさらに活用しアジア地域の昆虫科学者との連携を強化し、広く共同調査を実施 するとともに標本とその種情報を組織的にカタログ化・収蔵することが求められる。 大規模収集された昆虫標本については、全国に複数箇所ある保管機能を兼ね備えた拠 点機関において共同利用を進める必要がある。国内におけるタイプ標本のデータベー ス化は現在かなり進んでいるが、それを完成させて拠点機関間のネットワーク化を行 い、国内外からの利用依頼に即座に対応できるようにする必要があり、合わせて一般 標本についてもデータベース化を推進していかねばならない。 ② DNA バーコード情報の整備 近年、特定部位の短い塩基配列を用いて生物の検索・同定を行う DNA バーコーディ ングの手法が提唱され、昆虫を含む動物ではミトコンドリア DNA におけるチトクロー ム酸化酵素遺伝子(COI)の一部である 648 塩基対が、標準的なバーコード領域として 世界中で利用されている[9]。2013 年 10 月に中国昆明で開催された第5回国際 DNA バ ーコード国際会議では、「昆明宣言」が採択され[10]、DNA バーコードと生物多様性科 学の促進、そのトレーニングへの国際的な支援、協力などが盛り込まれた。生物の迅 速かつ正確な同定のためには、特殊な形態学的専門知識に依存しない、新しいアプロ ーチが求められており、DNA バーコードを利用した同定システムの確立はこの要望に 応えるものと言える。DNA 配列が登録されている昆虫であれば専門の分類学者でなく ても同定が可能となるうえ、形態による同定が困難な微小昆虫や、成虫以外の発育段 階の標本や組織片を用いた同定も可能となる。さらに、種に固有の DNA バーコードを 統合検索のためのキーワードとして用いれば、世界中に分散する多くのデータベース 群から必要な情報を選び出して利用することが可能になる。先行するカナダ・ゲルフ 大学の生物多様性研究センターでは、国内外から収集された DNA バーコード証拠標本 の撮影、一連の DNA バーコード解析作業、バーコードシステムへの登録、証拠標本の 収蔵が流れ作業で行われている[11]。他にも欧米諸国を中心とする政府・研究機関で DNA バーコードに基づいた研究が活発に進められている。日本においても、国レベル の拠点として「DNA バーコードセンター」の設置ならびに整備がぜひとも望まれる。 この DNA バーコードセンターは、後述するように、最終的にはわが国の昆虫標本収集・ 多様性研究の中核機関(九州大学ほかを想定)と一体になることで、国際的な活動 "Barcode of Life" [10]の一翼を担うべきである。 国内では、一部分類群を除き、多くの昆虫類については DNA バーコードの蓄積は進 んでおらず、農業研究、植物防疫、作物栽培の現場で利用できる環境にはなっていな い。DNA バーコーディング・システム構築のための基礎研究はほぼ完成しているが、 それを実際に研究や産業の現場で活用していくには、集中的な研究投資によって実用 化規模のデータ集積を行うとともに、さまざまな目的をもつ利用者が分散する情報資 源に自らアクセスして同定と統合検索を行うための支援システムを提供することが急 務である。また、農業上あるいは植物検疫上、特に重要な種については、現場で迅速 に同定作業を行うことのできる簡易同定ツールの開発も必須である。種同定の重要ツ

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ールである DNA バーコードに関する過去5年間の論文数は、米国 259、中国 172、カナ ダ 164、ドイツ 58 に対し、日本は 28 に過ぎず(BIOSIS Previews での検索)、比較ゲ ノム研究や種内変異の解析も不十分である。この弱点を克服するためにも DNA バーコ ード証拠標本(バウチャー標本)の蓄積は特に重要で、形態・生態情報を付加して DNA バーコードの証拠標本を蓄積させ、そのデータベース化を大規模かつ早急に推進する 必要がある。分類学的研究が進んでいない微小昆虫類、特に天敵寄生蜂類などは、先 に DNA バーコードの蓄積とともに証拠標本を残し、後に分類学的研究を進めることも 可能である。DNA バーコードの汎用化を進めるためには、拠点機関がサンプル解析の 事業化を早急に進める必要があり、それらを統括する機関として上述の「DNA バーコ ードセンター」の設置が望ましい。構築される生物情報や遺伝子情報のデータベース は、広範な開発研究者や現場技術者が利用できる汎用性の高いツールとして広くイン ターネットで提供されるべきである。 (3) 農林害虫 ① 農林害虫および天敵昆虫の分類・同定の重要性 農林害虫防除の出発点は、害虫の種ないし系統の同定である。害虫の誤同定は不適 切な防除手段の実施を導くことがあり、時間、資金、労力の浪費をもたらす[12]。ま た、近年では環境保全意識の高まりとともに、生物多様性を維持していくことの重要 性が強く認識され、害虫防除は単なる駆除という考え方から、さまざまな防除技術を 互いに矛盾なく適用して害虫を被害許容密度以下に保つという総合的害虫管理(IPM) の考え方に変わりつつある。さらに、総合的害虫管理と環境保全を組み合わせた総合 的生物多様性管理(IBM)という概念が普及し始めている[13]。そこでは殺虫剤を用い た防除法だけでなく、天敵を用いた生物的防除法をはじめとする多様な手段を講じる ことが奨励されている。とりわけ、土着天敵の活用は、環境にやさしい、より永続的 な防除法として注目されている。ここでも、天敵昆虫の同定は不可欠である。このよ うに、農林害虫の防除において、昆虫分類学は必須である。 明治以降に日本へ侵入した昆虫は 284 種に上り、過去 50 年間、年平均4種の外来 昆虫種が定着しており、その 74%が経済的に重大な被害をもたらす害虫である[9]。 この侵入害虫の急速な増加には、交通機関や輸送技術の発達により貿易のグローバル 化が進み、農産物を含むさまざまな植物を、世界各地から大量に短時間で輸送するよ うになったことが影響している。また、気候の温暖化も、南方系の害虫が侵入する頻 度を高めている。中でも、体サイズがきわめて小さな害虫は植物検疫において頻繁に 検出されるが、わが国においても、検疫体制をかいくぐって海外から侵入・定着した 微小害虫が、農業に甚大な被害をもたらしている[14]。 輸入植物の種類、輸出国の増加や国際流通の迅速化などに伴い、国内に発生してい ない新たな病害虫が侵入するリスクが増大している。また、環太平洋戦略的経済連携 協定(TPP)の展開によって、農産物の輸入自由化がかつてない速さで進む可能性があ る。その場合、植物検疫における害虫の分類・同定能力がきわめて重要となる。わが

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国が加盟する国際植物防疫条約(IPPC 条約)や衛生植物検疫措置の適用に関する協定 (SPS 協定)における国際ルールは、科学的な根拠に基づき植物検疫措置を設定する ことおよび検疫措置の対象とする病害虫について学名をもってリスト化し、公表する ことを求めている。これに対応するため、2011 年に植物防疫法施行規則(1950 年制定) の改正が行われ、検疫有害動植物の規定方法は、ネガティブリスト方式(輸入検疫措 置の対象としない有害動植物を主に明示する方式)から、ポジティブリスト方式(リ スク評価の結果に基づき検疫有害動植物とするものを学名で明記する方式)に変更さ れた。後者では、対象とする「種」の国内における存在の有無がリスク評価の重要な 基準とされているため、この変更によって種の概念がこれまで以上に重い意味をもつ ことになった。現行の分類体系による「種」に、地域ごとの遺伝的差異や植物防疫上 重要なバイオタイプや、さらには隠蔽種の存在の可能性がある場合、新たな検疫措置 の設定には、国際ルールに則った科学的根拠の提示が不可欠となる。病害虫の侵入リ スク低減と、国際市場へのアクセス増大の両立は、適切な検疫措置の設定と実施の上 にのみ成り立つものであり、昆虫分類学はこれらすべての基盤となる。このように、 わが国の昆虫分類学を世界最高水準にすることはグローバル化の負の局面から日本の 国益を守り、貿易を有利に進めるためにも重要である。 他方、作物の種類や品種の多様化、栽培体系ならびに防除手段の変化、温暖化によ る生息地拡大などにより、それまで認識されていなかった昆虫によって作物に思わぬ 被害が発生する例が出てきている。害虫が新しく確認されると、都道府県の病害虫防 除担当機関は病害虫発生予察特殊報あるいは、多発生が予測される害虫の場合は病害 虫発生予察注意報を出すことによって農家に注意を喚起するとともに、被害への対応 策を迅速に構築する。特殊報、注意報のいずれにしても、その害虫の種名の特定が前 提となるが、対象害虫の分類の専門家が害虫の発生した都道府県に在住であることは 稀であり、研究機関や大学などを通じて、国内の昆虫分類の専門家に同定を依頼する ことになる。2006 年の時点で、わが国には 3,375 種の農林有害動物・昆虫がいるが[15]、 これらの害虫でさえ、分類の専門家に頼らないと同定できない場合も多い。昆虫は種 数が莫大で、未だ分かっていない種も多いため、わが国で発生した害虫が新種のこと もある。このような場合は、分類の専門家でなければ、同定は不可能である。 ② 分類・同定の支援体制の整備 このように輸入植物検疫のみならず、国内における害虫の発生に効率的、効果的に 対応するためには正確な分類同定が必須であり、その基盤となる農業害虫ならびに天 敵昆虫などの標本収集、DNA 解析、データベースの整備と拡充は、わが国の農業が持 続的に発展するための重要課題である。標本収集については、国内で最大規模の農業 に関連する昆虫標本(約 135 万点)を所蔵する独立行政法人農業環境技術研究所、さ らに長年にわたって日本の昆虫学・昆虫分類学の基となった標本類が蓄積されている 北海道大学、九州大学、国立科学博物館を加えた4機関を中核とし、愛媛大学、東京 農業大学などの複数の研究機関との連携により、かけがえのない資産である標本の価

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値を恒常的に保つとともに、拡充を図っていくことが望まれる。過去 30 年あまりの間、 大学、博物館、公的研究機関における昆虫分類学の研究職ポストは漸減し、応用上特 に重要で、高い専門性を要する分類群の多くで、後継者を育てることが困難な状況が 続いている。現在、国内の昆虫分類同定は、退職研究者や民間調査会社の研究者を含 めた広義のアマチュア研究者による支援を受けつつ実施されているが、特に専門的で 高度な知識と技術をもつ支援者の高齢化は進む一方であり、人材の欠乏によって農業 上のさまざまな要請に応えることができない状況が迫っている。北海道大学をはじめ とするいくつかの機関では、パラタクソノミスト(準分類学者:分類学者ではないが 標本を検鏡し種を同定したり分類したりする能力のある人)の養成による技術的な支 援者獲得の努力が行われて、一定の効果をあげているが、これらの活動も各機関にお けるパーマネント研究者の存在なくしては機能しえない。標本の収集・保管・管理と いう分類学の基盤的機能を維持拡充するためには、安定した組織体制に基づく研究継 続と人材養成方針を再考しなければならないが、これには目的遂行型の短期プロジェ クト方式の措置では不十分であり、省庁の垣根を越えた継続的な支援体制を新たに構 築すべきである。 昨今、農業現場で大きな問題となっている害虫の多くは、体長5ミリにも満たない 微小昆虫である。また、害虫の防除に利用されている寄生性あるいは捕食性の天敵の 多くが同様に微小な昆虫である。昆虫の分類同定は、成虫の外部形態による方法が主 であるが、この方法では、卵や幼虫などのステージの標本を正確に同定することが困 難であることが多い。現在進められている DNA バーコードをはじめとする分類同定な らびに系統識別用の遺伝子情報の蓄積は、特定の標的昆虫用のカスタムメイド・マイ クロアレイや、PCR 多型・1塩基多型などの鑑別法の開発を通じて、防疫施設での重 要害虫の簡易判定をはじめ、さまざまな用途に向けた迅速な同定システムの構築を可 能とする。また、マイクロ CT を用いた 3D 形態情報の集積による昆虫の形態形質のデ ジタル化・計量化による自動検索・同定システムの開発は端緒についたばかりである が、特に微小害虫の分類同定において近未来に活用できる新たな技術となることが期 待される。 データベースの拡充によってもたらされるこれらの成果は、分散する情報資源に非 専門家を含む幅広い利用者が自らアクセスして同定と統合検索を行うことを可能とし、 農業あるいは植物検疫上重要な昆虫の研究基盤を飛躍的に強化するとともに、農作物 の輸出入検疫や農業生産の現場を支える技術となることが期待される。現在、政府は 日本の農林水産物・食品の輸出額を一兆円水準にすることを目標に「食文化・食産業 のグローバル展開」を進めている。相手国との輸出解禁協議などにおいて、国内にお ける病害虫に関する情報は交渉の基盤とも言え、昆虫分類学に基づく科学的データの 蓄積は輸出促進の環境整備においても重要な課題と言える。農業害虫ならびに天敵昆 虫などの標本収集、DNA 解析、データベースが相互に整備・拡充されることにより、 これまで昆虫分類学が培ってきた科学的資源を日本の農林畜産業の発展に大きく役立 てることができるようになる。

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(4) 衛生害虫 ① 外来性感染症媒介昆虫の危険性 わが国における感染症の脅威は、近年の地球規模での人的・自然的環境変化によっ て加速増幅されている。社会の進歩に伴い人の交流や物の流通が盛んになり、感染症 もグローバル化し、世界のどこかで発生した感染症が瞬く間に世界中に広がることに なった。たとえば、蚊が媒介するウエストナイル熱は、アフリカ起源であるが短期間 で北米全域に拡大・定着し、最も重要な感染症の 1 つとなった。多くの日本人が世界 中を旅行するようになり、熱帯病をはじめ世界各地の風土病(地方病)に感染発病す るケースが年々増加し、国内にも持ち帰る「輸入感染症」も増え続けている。これら に対応するためには、国内の基盤整備はもとより、近隣諸国における媒介昆虫(ベク ター)および病原体本体の分子疫学的情報を得ることが不可欠であり、アジア諸国に 分散する個々の情報を集約・共有化することが最優先となる。それらの情報をもとに、 国内へのベクターと病原体両者の侵入監視ならびに流行予測体制を確立しなくてはな らない。 外来性媒介昆虫のうちデング熱、チクングニア熱および黄熱などの媒介者であるネ ッタイシマカと欧米諸国で流行しているウエストナイル熱の重要な媒介者であるネッ タイイエカを例にあげると、前者は 2012 年 8 月に成田空港のターミナル付近で幼虫と 蛹が発見され、後者は成田空港や関西空港に着陸した旅客機内で頻繁に発見されてい る。単に外来種が侵入しただけでなく、ウイルスを保有した蚊が国内に侵入した場合 は、さらに感染症の流行も危惧される。 日本脳炎ウイルス媒介者として知られるコガタアカイエカの個体数も、減少しては いない。最近の研究で、本種は海外から長距離飛来することが確実であるとされ、同 時に海外で流行している日本脳炎ウイルス株も運んできていることが推察されている。 幸い、一部の遺伝子領域をもとに海外産と国内産個体の鑑別が可能であることが示唆 されつつあるが、基盤整備のためにはさらに多数の検体と全ゲノム情報の解析が必要 である。さらに、コガタアカイエカと形態的特徴では分類が困難な近縁種であり、同 じ く 日 本 脳 炎 ウ イ ル ス の 伝 搬 能 力 の あ る 蚊 の 同 胞 種 (Culex vishnui 、 Culex pseudovishnui)の国内での分布拡大を監視するうえでも遺伝子解析の重要性は高い。 被害が再増加している衛生害虫にトコジラミがある。米国ではトコジラミの被害を ホームページなどで一般に公開し、ゲノム解析などの研究を進めて防除に生かそうと しているが、日本においては、国内の検体入手が困難であることから、標本作成・遺 伝子情報の収集はこれまでほとんど行われていない。早急に国内のトコジラミの研究 基盤を整備する必要があり、特に海外からのタイワントコジラミの侵入、殺虫剤抵抗 性集団の侵入と抵抗性の発達、それらが保有する感染症の解析などの研究が急務であ る。

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② 外来性感染症媒介昆虫の検知・把握の方策 国内への外来性昆虫の侵入を高感度で検知・把握するためには、まず国内における 対象昆虫の標本化を進め、遺伝子バンクなどの構築による基盤整備を行う必要がある。 つまり、全国的、経年的、体系的なサンプリングを行い、できるだけ多数の標本を作 成・保存し、それらの全ゲノムシークエンシングに代表される遺伝子解析ツールを用 いて遺伝子バンクを充実させる。それらの情報はできるだけデータベースとして公開 し、有効活用できる体制の構築を行うことが望まれる。蚊の DNA バーコーディングに 関しては、近年、琉球大学を中心に主に南西諸島の個体を対象にした研究が行われて いる。対応する蚊標本は琉球大学に保管され、その遺伝子情報は GenBank に登録、誌 上発表もなされているが、まだすべての種を網羅しているわけではない。一方、国立 感染症研究所においては、近年、国内で大きな問題となっているマダニ媒介感染症や トコジラミ刺傷に対応するために、それら材料の採取と標本作成ならびに DNA バーコ ード化が求められている。 マダニが媒介する SFTS(重症熱性血小板減少症候群)は、2013 年 1 月にウイルス 感染による死亡例が国内で初めて報告され、新たな海外感染症発生への懸念から国民 の重大な関心事となった。ウイルス遺伝子の系統解析から、国内分離株は 2011 年に中 国で発見された株とは遺伝的に離れた系統であることが明らかになり、国内で発見さ れた本ウイルスが、海外から新たに侵入してきたものではなく、すでに国内に土着し ていたことが示された。本事例は、国内および近隣諸国に存在するウイルス情報が遺 伝子レベルで整理され、蓄積されていたことによって証明された成果であり、媒介昆 虫の標本や関連情報のデータ整備の重要性を強く示している。これらの基盤が整備さ れていない状態で外来性の害虫や感染症が侵入した場合であっても、必ずしも即座に 爆発的な流行が引き起こされるとは言えないが、参照する情報量が少なければ、侵入 害虫・感染症の発見は遅れ、その定着を見逃すことに繋がる。同様に、外来性害虫(蚊・ ハエなど)や感染症(デング熱やマラリア等の輸入症例)の侵入予測や発生源の情報 入手が困難になり、さらには害虫の拡大防止措置や感染症対策が遅れることは容易に 想像できる。 ③ わが国の衛生昆虫標本の現状と課題 衛生昆虫類(ハエ・蚊・ゴキブリ・ダニなど)の標本は、国内には合計で約 20 万 点あり、主に国立科学博物館と国立感染症研究所に保管されている。国立科学博物館 には、故加納六郎(元・東京医科歯科大学)の研究グループによって国内各地をはじ め東南アジアや南太平洋地域で収集されたハエ類が約8万点寄贈されており、その中 でも衛生害虫として重要な有弁ハエ類(イエバエ・クロバエ・ニクバエなど)の標本 は、質量ともに世界第一級である。国立感染症研究所には、ハエ・蚊・ゴキブリを中 心に約 5 万点の標本が蓄積されている。その他に、帯広畜産大学、聖マリアンナ医科 大学、長崎大学熱帯医学研究所、琉球大学などにも標本が収集されている。しかし、 このように整理された標本であっても、専門家の退職や死去の後、担当研究室による

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管理が行き届かなくなった場合は、廃棄されたり、紛失・劣化したりする可能性も高 い。そのような場合を想定して、海外の博物館、たとえばスミソニアン国立自然史博 物館、大英自然史博物館やビショップ博物館(ハワイ)などに標本を寄贈することを 考える専門家もいる。海外移管は、グローバルな立場で標本が世界資源の維持に貢献 することにはつながるものの、やはり、わが国の衛生昆虫学の重要な基盤である標本 については、国内での保管場所や方法を検討し、充実していくことが望まれる。上述 の標本収集を含め、これまでの調査・研究には国家的なプロジェクトとしての位置付 けで遂行されているものはほとんどなく、多くが研究者個人の熱意と努力、研究者間 の個人的ネットワークに依存していることに大きな危機感を感じる。 現在の衛生昆虫類の国内分布を考えた場合、数十年以上前の標本にも価値があるこ とは多い。それら古い標本からの DNA 抽出やシークエンスなどは困難ではあるが、こ れまでの経験では、1/10 程度の成功率が得られている。近年急速に次世代・第三世代 シークエンスなどの解析技術が発展していることから、今後のさらなる技術の進歩に 期待するところは大きい。したがって、標本整備のための調査人員の確保も重要では あるが、遺伝子解析技術の改良に携わる人材も必要である。後者の需要は今後増加す ると思われることから、そのような人材の確保にも尽力すべきである。 (5) 有用資源昆虫 有用資源昆虫すなわち害虫天敵、送粉昆虫、ミツバチ、絹糸昆虫、バイオミメティク ス資源昆虫などについては、産業応用の観点から特に重要であり、標本収集、DNA 解析、 データベースの飛躍的拡充の必要がある。有用資源昆虫については、単に国内外から標 本を収集するだけでなく、産業利用および育種のために、生きた系統を保存することが 重要である。さらに、系統識別のためのバーコードの取得のみならず、有用で経済的に 価値のある形質を選抜する育種のために、全ゲノム情報の詳細な解析と系統間比較を行 う必要がある。 昆虫標本から、マイクロ CT などを用いた 3D 形態情報解析によって微細構造の情報が 得られるようになれば、昆虫の各種機能利用をめざす研究、とりわけバイオミメティク スなど医学・工学との境界分野に新たな素材を提供することになる。バイオミメティク スは、生物模倣、つまり、生物の構造とその機能から着想を得て、それらを人工的に再 現することによって、工学や材料科学、医学などのさまざまな分野への応用を目指そう とする研究であり、今後の進展が期待される。この分野の推進のためには生物学、物理 学、化学、工学、医学などの広範な分野の研究者が連携することが重要である。バイオ ミメティクスの入口として、工学研究者ばかりでなく、ものづくりに携わる一般の人で もアクセスでき、ものづくりのヒントを得られるような「バイオミメティクス・データ ベース」の作成が始められているが、そのいっそうの推進が望まれる。

生物多様性条約には、ABS(Access to genetic resources and Benefit Sharing:遺 伝資源の利用から生じた利益の公平な配分)へ向けた取り組みが明記されている。ABS は、

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2010 年、生物多様性条約第 10 回締約国会議(COP10)において採択された「生物の多様 性に関する条約の遺伝資源の取得の機会およびその利用から生ずる利益の公正かつ衡平 な配分に関する名古屋議定書」[16]の重要な部分である。遺伝資源が有する有用な物質 や機能を利用し、医薬、食品、化粧品などの製品を開発することは、主に先進国で行わ れているが、遺伝資源は開発途上国から得ている場合が多い。遺伝資源の利用国が産出 国へ利益を配分するための仕組みが ABS である。遺伝資源には薬草や有用微生物だけで なく、昆虫も含まれる。ABS は、営利目的のみならず研究目的の資源利用にも適用される。 日本では、医薬や機能素材の開発を目的に多くの昆虫が海外から導入されている。生 物多様性条約が国内の研究や産業推進の妨げとならないよう、利用されている昆虫の由 来を明確にする必要がある。一方で、絹糸昆虫や天敵昆虫などの国内の有用遺伝資源が 海外へ流出することを防ぐ必要がある。そのためには、国内・海外の昆虫に関する標本 を充実させるとともに、昆虫多様性の研究を進めて情報を蓄積することが重要である。 (6) ゲノム解析およびメタゲノム解析 ゲノム研究の分野では、米国昆虫学会を中心にした i5k(5000 種ゲノム計画)が始ま っている[17]。日本はカイコゲノムなどで先導的な実績があり、多数の共同研究が行わ れ、種内変異や病原体・殺虫剤への抵抗性に関する遺伝子解析でも多くの実績がある。 種の同定・分類には DNA バーコードが役に立つが、全ゲノムの塩基配列は、進化系統の みならず形質の多様性を支配する膨大な情報を有している。昆虫標本の収集と同時に遺 伝子型情報の体系的な収集をめざすプロジェクトの国際貢献は大きく、今後いっそう推 進していくべきである。 また、国内の代表的昆虫の寄生・共生微生物のメタゲノム解析、シングルセル・ゲノ ム解析の成果は、昆虫学と微生物学に留まらず、広範な生態学、医学、農学分野に大き なインパクトを与える成果をもたらすと考えられる。蓄積された DNA 情報から特定の目 標昆虫用のカスタムメイド・マイクロアレイを開発したり、PCR 多型・1塩基多型などの 鑑別法を適用したりすることができるようになれば、防疫施設での重要害虫の簡易判定 をはじめ、さまざまな用途に迅速な同定システムを提供できる。これらの成果は、分散 する情報資源に非専門家を含む幅広い利用者が自らアクセスして同定と統合検索を行う ことを可能とし、農業あるいは植物検疫上重要な昆虫の研究基盤を飛躍的に強化すると ともに、農作物の輸出入検疫や農業生産の現場を支える技術となることが期待される。 (7) 教育、人材育成 ① 分野横断的な教育の必要性 日本学術会議報告「昆虫科学の果たすべき役割とその推進の必要性」(2011 年)で は、近年の地球規模の環境変化によって、さまざまなヒト感染症の脅威が増している 中で、昆虫媒介感染症の専門家の養成が難しくなっている現実を指摘した。このよう な状況を打開するには、昆虫媒介感染症を専門とする昆虫学者を、これまでのように

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1つの学部や研究科という組織で養成するのではなく、分野横断的な研究教育体制を 整備し、その中で育成するべきである。研究の維持・継承における危機的状況は、衛 生昆虫学分野ばかりではない。今後昆虫分類学研究室の減少が予想されるうえ、退職 などによって特定の分類群を対象とする研究者が失われ、昆虫分類学研究者の養成が 困難な状況になりつつある。感染症に関係するハエ目研究者や、天敵として重要な寄 生性ハチ類研究者の減少は特に深刻である。グローバル時代の農林害虫・衛生害虫の 迅速な同定、生物的防除資材として重要な天敵昆虫の有効利用のためにも、若手の分 類学研究者の養成は欠くことができない。分類学研究者の養成には時間がかかり、必 要になった時点ですぐに研究者を供給できるわけではないため、その養成は急務であ る。 日本の状況に比べて、近年、中国では昆虫分類学の養成に力を入れている。中国で 最大の規模を誇る西北農林科技大学植物保護学院の昆虫学科では、昆虫分類学の教員 が 10 名、その下で教育を受ける修士と博士の学生数は約 100 名である。米国などでは、 以前から、主要大学に昆虫学科 Department of Entomology が設置されている。これら の学科には、分類学を専門とする教員が必ず配置されており、昆虫科学を体系的に教 育するうえで重要な役割を果たしている。 ② 分野横断的な教育を実現する制度 わが国では昆虫学科は設置されておらず、昆虫科学の教育は、農学系部局のほか、 理学系、医学系の部局などに分かれて行われている。昆虫分類学は、農学系部局にお ける学部教育の中で開講されている場合が多いが、専任の教員が配置されているとは 限らず、非常勤講師を招いたり、専門でない教員が担当したりしている例も多い。ま た、昆虫分類学が必修になっている例は稀なため、昆虫科学を専攻する学生が必ずし も分類学を履修するとは限らない。本来、昆虫分類学は、講義だけでなく、標本の作 製や分類同定作業の実習と組み合わせて履習すべきであるが、実習に配分できる時間 は限られている。理学系、医学系部局の教育においても昆虫科学の関連科目が開講さ れているが、昆虫分類学に特化した教育は行われていない。また、大学博物館に配置 されている昆虫分類学の専門家と、昆虫科学の授業科目との連携は十分でない。 昆虫分類学の専門家を育成するには、大学院における体系的かつ高度に専門的な教 育プログラムが必要である。そのためには、昆虫分類学を専門とする教員が複数配置 されていることが望ましいが、このような教育は、現在では九州大学や北海道大学な どの限られた研究室でのみ可能である。世界的に生物多様性の研究の重要性が高まっ ている中、わが国でも昆虫分類学の専門家の量的、質的な確保が必要である。環境分 野、農産物の検査・検疫、公衆衛生分野などのほか、生物多様性科学からゲノム科学 にわたる多様な領域で、昆虫分類学の専門的知識をもつ研究者の必要性は増えると予 想される。関連分野の知識をもち、多様な能力を身につけた昆虫分類学者を養成する 必要がある。 昆虫の分類・同定の基礎知識と技術を習得した昆虫多様性科学者および技術者の養

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成は、昆虫標本やデータベースの拡充とともに、最重要課題である。大学内の部局間 の連携(全学共通科目など)、大学間の連携(単位互換制度など)、博物館、独立行政 法人、国立研究所などと大学の間の連携(連携講座、委嘱、指導委託など)、その他い ろいろな方法で、組織を超えて、人材育成への相互協力を進めるべきである。次の項 目(8)で述べるとおり、国内の研究室や研究機関のネットワーク組織を早期に立ち上げ、 効率的かつ包括的な人材養成を急がなければならない。 ③ 理科教育・環境教育での教材としての有用性 日本学術会議報告「昆虫科学の果たすべき役割とその推進の必要性」(2011 年)で は、昆虫の教材としての有用性を指摘した。今日の情報社会が急速に進展する中で、 IT を用いた優れた教育プログラムや教材開発が進む一方、自然や仲間と触れあう外遊 びや、自然・環境・命の大切さなどのリアリティーを尊重する遊びと教育の実践・充 実が求められている。本提言は主として高等教育に関した内容であるが、昆虫は、そ の形や色彩、食性やライフスタイルの多様さなどから子どもたちの好奇心を最もそそ る生物である。そして、命の仕組みや生物間の多様な相互作用を学ぶのに適した「生 きた教材」として大きな可能性を秘めている。初等・中等教育においては、昆虫の教 材としての利点あるいは有利性は、大きく手ごろなサイズ、飼育の容易さ、種の多様 性、生態系における役割の重要性、自然選択による急速な進化的反応、害虫あるいは 益虫としての人間との深い関わり、人間の情緒や文化に与える影響などにあると思わ れる。これらの利点を生かすかたちで、理科教育や環境教育などに昆虫を教材として 利用することをもっと積極的に図る必要がある。 (8) 国内外の連携 ① 国内の連携 国内拠点機関の標本収蔵設備の拡充は急務であり、日本学術会議農学委員会応用昆 虫学分科会は、2011 年に公表した報告においてその重要性を指摘した。昆虫標本の収 集にあたっては全昆虫を網羅するような配慮の必要性があるが、研究機関のコレクシ ョンは所属する研究者の専門分類群に偏る傾向が強く、全昆虫群を対象としたコレク ションを進めるためには意識的な体制作りが重要となる。国主導のプロジェクトのも とに、主要研究機関を拠点機関とし、アマチュアを含めた研究者の支援も得て全昆虫 分類群を収集することができれば、これまで十分標本の集まらなかった分類群にも目 が向けられ、多様性研究にも弾みがつく可能性がある。標本の収集・管理には、大学 の昆虫分類学の研究室だけでなく、農業昆虫学・衛生昆虫学の研究室、大学博物館、 国公立博物館、農林水産省系独立行政法人、厚生労働省(感染研含む)、環境省、地方 自治体など、多くの組織が連携することが必要である。現状では、研究室単位あるい は個人単位で管理されている標本が多く存在し、それらは研究者の退職や異動に伴っ て逸失する危険を常にはらんでいる。また、後の項目で述べるデータベース化のため にも、標本の情報、画像、DNA バーコードなどは、共通のフォーマットで管理される

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べきであり、標本参照のリクエストにも迅速に応えられるようにすべきである。 昆虫標本を管理する組織に加え、昆虫を収集する研究組織や、昆虫標本を利用する 研究者の集団を含めて、全国規模の強固なネットワークを構築するためには、たとえ ば、比較的多くの昆虫分類学者が活動している九州大学や北海道大学などが中核機関 となって責任を果たすべきである。このネットワークは、標本収集の国家プロジェク ト予算の受け皿となるとともに、標本の統合データベース運用の担い手となる。この ような連携は、東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市立博物館所蔵の被災昆虫標 本の修復に全国の博物館が協力し、他の生物分類群に先駆けての標本データベース化 とインターネット公開を行った例に見られるように、既存の組織の再編や予算措置を 経なくても、研究者コミュニティー自らが任意の活動として構築することが可能であ る。日本昆虫科学連合や関連学協会による真剣な検討によって、早期にネットワーク 組織を形成すべきである。 ② 国際的連携 国際的な連携に関しては、第一に、アジア地域との連携を強化する必要がある。前 述のように国内には九州大学を中心に東南アジアに重点を置いたアジアの昆虫研究者 ネットワークが形成されており、熱帯アジア計 10 ヵ国の研究機関との交流、インベン トリー調査、コレクションの構築、モニタリングの試行、大学院生向けの自然史学に 関する実習、共同シンポジウム開催などの実績がある。これらをさらに発展させ、ア ジア地域の昆虫科学者との連携を強化し、標本の収集だけでなく、情報交換のための ネットワークを構築する必要がある。特に植物防疫上問題となる昆虫、感染症媒介昆 虫、多様性を脅かす特定外来昆虫などでの連携は重要である。また、単にアジア地域 の調査や標本収集だけに終わらせることなく、現地へ貢献できる人材の育成教育、e ラーニングを利用した英語による出前授業、タイプ標本や同定済み標本の寄贈・返還 などを着実に進める必要がある。これまでにも、北海道大学による東洋区とオースト ラリア区という2大動物地理区にまたがるインドネシアでの研究、九州大学による中 央アジアの砂漠化防止に関連した海外調査や中国農業大学との二国間交流事業といっ た協力体制が確立されているが、今後も、各大学、研究機関における姉妹校制度など を利用した地道な努力の継続が望まれる。 海外の博物館との国際連携については、アジア各国に加え、欧米博物館との連携協 力も重要であり、今後も緊密な連絡をとっていかねばならない。欧米の自然史博物館 には主として戦前に収集された大規模なアジアの標本類の蓄積がある。その大部分は、 かつての植民地であったアジアの国(インドネシア、シンガポール、マレーシア、イ ンド等)の標本であり、その一方で、日本,韓国、中国等の東アジアの標本は欧米の 博物館でも非常に少ない。したがって、今後、日本が韓国、中国と連携をとりつつ、 DNA バーコード用の標本を含めて日本と周辺地域の標本を独自に集め、多様性研究、 進化研究、植物防疫、防疫、貿易等に活用する材料収集とデータベース化を行うこと の意義は大きい。オランダ国立自然史博物館、大英自然史博物館所蔵のアジア産の一

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部昆虫類について、2011 年度から九州大学がそのデータベース化を引き受け、連携が 進みつつある。2013 年度には、上記それぞれの自然史博物館と九州大学の間で、標本 交換、情報交換、共同調査を含めた相互協力が検討され、大筋で合意した。他方、ア ジア各国の博物館には、地域標本の集積と同定、参照標本の提供、自然史教育など、 日本側が協力できる分野が数多くある。台湾国立自然科学博物館は、世界の研究機関 が所蔵している台湾産の昆虫タイプ標本のデータベース化を進めていたが、日本の研 究機関もこれに協力して近年完成した。しかし、これまでの国際連携の多くは個別・ 短期的であり、国内機関の戦略的連携が不十分であるところに問題がある。今後は、 国内機関が連携を行い、そのうえで海外との連携を進めていく必要がある。 海外学会との連携協力では、アメリカ昆虫学会と日本昆虫学会との交流協定交渉が 進み、2014 年度から若手研究者の相互会員制度が実施される。低価格の会費を納める ことにより、相互に相手国の昆虫学会の学生会員と同等の資格(雑誌については Web 閲覧のみ)が得られる。このような制度は若手研究者の国際交流を推進し、グローバ ルな人材を育成する面で効果があると考えられる。さらに、他国の昆虫学会とも同様 な連携交渉を進めていく必要があろう。こうした取り組みは、「アジア昆虫科学連合」 の創設にもつながっていくであろう。 情報の集積とその利用に関しては、国際的なデータベース構築プロジェクトに参画 することも求められる。国内で構築した標本データベースの大部分は、GBIF(地球規 模生物多様性情報機構)にデータが提供され公開されているが、まだ不十分である。 DNA バーコードデータは、国内のハナバチ類について国際プロジェクト BeeBOL への参 画によりデータベース(ABeeBOL)が公開され、合わせて BOLD システムにデータの提 供が始まっているが、ハナバチ類以外の DNA バーコードについては、世界の動きに比 べて日本の取り組みが非常に遅れている。今後、思い切った予算措置を行って、国内 産昆虫類を中心に大規模な DNA バーコードデータベースを構築するとともに、国際プ ロジェクトへの参画を進めるべきである。具体的には、CBD(生物多様性条約)データ ベース、NCBI データベース、CABI 植物保護データベース、感染症データベース NHSN などの国際的な各種データベースへのデータ提供などを通じて、国際プロジェクトと の連携を深めていくことが望ましい。 昆虫分類・多様性研究における国際連携は、標本およびその情報の交換、DNA バー コードやゲノム情報の共有、さらに分布情報・多様性情報のマッピングなど、多くの 側面があり、いずれもわが国の昆虫科学の発展と応用上の目的のために重要なことで ある。アジア地域の昆虫多様性科学において、日本は標本収蔵数や研究発進力の点で、 中国と並んでトップレベルにある。今後、わが国がアジアの昆虫多様性研究の拠点と しての地位を固めることが望まれる。研究者コミュニティーには、学術振興会の国際 交流事業や科研費などの競争的資金によるプロジェクトを積極的に提案するように求 めるとともに、国と社会に対しては、わが国の昆虫多様性科学の国際的な活動を支援 していただくよう提言したい。

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3 基盤整備へ向けた具体的方策 前章で述べたように、基礎昆虫学、農業昆虫学、衛生昆虫学のいずれにおいても、昆虫 標本の収集・保存の規模を飛躍的に拡充することが必要である。また、標本ごとにゲノム DNA が保管され、DNA バーコードをはじめとする識別情報が取得されると同時に、それらが 画像などの情報とともにデータベース化される必要がある。現在、各大学などにおける昆 虫標本の収集・保管には、国から特別な経費がほとんど配分されておらず、科研費などの 競争的資金に頼らざるをえない状況にある。したがって、多くの標本は個々の研究者のボ ランタリズムに支えられて保管されており、常に散逸の危険がつきまとう。また、わが国 の昆虫標本における DNA バーコードの取得やそのデータベース化は、諸外国に比べて遅れ ている。標本の規模拡大、DNA バーコード解読、またそれらのデータベース化はいずれも 研究者の自発的な努力だけでは無理であろう。数千点の規模であれば、研究者個人が管理 することもできるかもしれないが、九州大学の昆虫学研究室や農業環境技術研究所などの 標本数は、それぞれ数百万点の規模がある。その拡充や保管に必要な経費は、公的に充当 されるべきである。DNA バーコードの解読とデータベース化にも経費が必要である。 モデル生物の系統など、生物遺伝資源の収集・保存・提供に関しては、文部科学省/科 学技術振興機構の「ナショナルバイオリソースプロジェクト」により、強力に支援されて いる。それは、生命科学の研究において実験生物の系統を自国で保有することが大切なこ とであるという共通理解が存在するからである。同じように、生物多様性科学・自然史科 学の研究において、生物標本は必須のものであり、それなしに生物学の発展はありえない。 したがって、本来は、ナショナル生物標本プロジェクトとして推進すべきである。日本学 術会議が 2005 年に公表した「自然史系博物館における標本の収集・継承体制の高度化」で は、1) 国家的規模における自然史標本の収集・継承体制の確立、2) 自然史系博物館の継 承的な標本の収蔵・研究体制の強化、3) 大学・大学博物館などにおける自然史科学の拡充、 の3点を提言している。しかし、残念ながらそれから9年を経た現在でも、「国家的規模 における自然史標本の収集・継承」の体制が整っているとはいえない。 自然史標本、生物標本の重要性は、もちろん、昆虫標本だけに限ったことではない。し かし、繰り返し述べているように、昆虫の同定には標本が必須であり、同定ができなけれ ば、昆虫媒介感染症の制圧、農業害虫の制御、昆虫利用産業の振興など、昆虫科学者への 社会的要請が強い課題に対して適切に対応することができなくなる。TPP における国際的 な駆け引きや、生物多様性条約に係る名古屋議定書の ABS 問題などでは、世界的な昆虫多 様性の情報を多くもっている国が有利になることが明白である。したがって、わが国も国 策として、昆虫標本収集の飛躍的な拡充を進めるとともに、DNA バーコードのように、専 門家に頼らずに迅速・簡便に種を同定する手法を、早期に確立すべきである。そのために も、標本収集や保管のために必要な経費と、DNA 情報の取得およびデータベース化のため の経費が公的支援によって確保されなくてはならない。これにより、日本がリーダーシッ プをとって国際連携による情報交換を積極的に行い、アジアに低コストで効率的な標本シ ステムおよびデータベースを構築することが可能になる。

参照

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