智積 院新 文黶所蔵 志 玉口述 ・道 瑜筆録 『梵網古迹 下巻聞 書』 につ い て (大 谷)
智
積
院
新
文
庫
所
蔵
志
玉
口
述
・道
瑜
筆
録
『梵
網
古
迹
下
巻
聞
書
』に
つ いて
大
谷
由
香
室
町期
の東
大
寺
戒
壇
院
長老
で あ る普
一 志 玉 ( 以 下、 志 玉 と 記 す、 一 三 八 三 〜 一 四 六 三 ) は 、当
時
講義
を通
じ て そ の名
を朝
野 に 広 め た 人 物 で あ る が 、 し か し そ の事
績
は 、 江 戸時
代
の伝
記
に よ っ て 大 ま か な と こ ろ が 明 ら か に さ れ る程
度
で 、 い ま だ 問 時 代史
料 に よ る検
討
が充
分
に な さ れ て い る と は いえ
な い 。 ま た そ の 講義
の内
容
は 、 彼 が戒
壇 院 の住
持
であ
る以
上 、華
厳
の み な らず
、 戒 ・律
に も及
ん だ も の と 推 測 さ れ る が 、彼
の戒
・律
に 関す
る講
義
の内
容 は 、 現在
に 至 る ま で全
く 明 ら か に さ れ て こ な か っ た 。 と いう
の も 、彼
の 戒 ・律
に 関す
る講
義
録
な ら び に著
作
は 、 現 在 ま で発
見 さ れ て お らず
、 現存
し て い な い と考
え
ら れ てき
た か ら であ
る 。 し か し今
画 、智
積
院
薪
文庫
か ら 、 志 玉 が 文安
四年
2
四 四 七 ) 二月
二 日 か ら東
大
寺
戒
壇
院 で 行 っ た 『梵
網
経
古
迹
記 』 下巻
の 講義
の筆
録書
で あ る 『梵
網
古
迹
下 巻 聞 書 』 (一 二 + 九 函 + 七 号 ) が 新 しく
検
出 さ れ た 。 こ れ に よ っ て 志 玉 の事
績 を補
足
し 、今
ま で 金 く 繕 く こ と が で き な か っ た志
玉 の 戒 思想
の 一端
を明
ら か に す る こ と が 可能
で あ る 。 し か し こ の資
料
は 講録
で 、 筆 録者
で あ る 道 瑜 二 四 二 二 〜 一 四 九 三 ) を 通 じ て 成 立 し た も の で あ る こ と に は注
意 が 必要
で あ る 。 現 代 に 至 っ ても
、 リ ア ル タ イ ム で 進 め ら れ る講
義
を筆
録 し た 時 に は 、 そ の ノ ー ト の大
部
分
が キ ー ワ ー ド の羅
列
に留
ま る よう
に 、 室 町期
の 当時
にあ
っ て も も ち ろ ん 、講
録
の大
部
分
は 、講
義
終
了
後
に 、 そ の筆
録
者
の記
憶
に よ っ て作
成
さ れ る と 考 え ら れ る 。 す な わ ち こ の新
資
料
も ま た 、多
く は道
瑜
の学
問 的 基盤
の 上 に成
立 し て い る の で あ っ て、 こ こ か ら 志 玉 の 思 想 を 読 み 解 く た め に は 、 まず
は両
者 の 選り
分 け を行
う
必要
が あ る 。 本 稿 で は 、 『 梵 網古
迹
下 巻聞
書
』 の概
要 を示
し た後
に、そ
の内
容 か ら 講録
成 立時
の 道 瑜 の学
問 的 基 盤 を 明 ら か に し 、193
NII-Electronic Library Service 智 由 学 報 第 六 十三輯 そ れ に よ っ て
明
ら か に さ れ る志
玉 の戒
思 想 の 一 端 を 報告
し た い 。 一『
梵
網
古
迹
下
巻
聞
書
』 に つ い て ( 一 )書
誌
的
情
報
『梵
網
古
迹
下 巻 聞 書 』 ( 以 下、 『 古 迹 聞 書 』 と 略 す ) は 、 本末
二 骰 か ら な る写
本 で 、料
紙 は 楮紙
、 綴 葉 装 に 仕 立 て ら れ て い る 。 表 紙 は料
紙
共
紙
で 、 以 下 に 挙げ
る 丁数
は表
紙 を含
ん だ も の であ
る 。 タ イ ト ル か ら 分 か る 通 り、 内容
は新
羅
の 太賢
に よ る 『梵
網 経 』 の 注釈
書
であ
る 『梵
網経
古
迹 記 』 ( 以 下 『 古 迹 記 』 と 略 す ) 下 巻 部 分 の講
義
録
で あ る 。 『 梵 網 経 』 は 上 下 二 巻 で 、 下 巻 部分
に は 十 重 四 十 八 軽 の大
乗
思 想 に 基 づ い た戒
条
が列
記
さ れ て お り 、 最 澄 が 比叡
山 に戒
壇 の 開設
を創
案す
る に あ た っ て 、 そ の 思 想 的 根 拠 と し た こ と か ら 、 叡 山 ・南
都
とも
に さ か ん( 1 ) に 研 究 さ れ た 。
数
あ
る 『梵
網経
』注
釈
書
のう
ち 『 古迹
記 』 は貞
慶 が 特 に 重 用 し た こ と も知
ら れ て お り 、伝
統 的 に南
都
で 使 用 さ れ て き た 歴史
を持
つ 。三
)内
容
の成
立時
期
本 巻 の 首 題 下 に は 「文
安 四年
〈 丁卯
〉 潤 二 月 二 日 始 之道 瑜 」 と
あ
り
、 同 じ く奥
書
に は 「文
安
四年
丁卯
閏
二 月 十 二 日 一 巻 畢南
都
東大
寺
戒
壇 院普 一
長
老
/御
読
義
聴 聞 也正
秀
行年
廿
三 才 」 、末
巻
奥
書
に は 「御
本
云 /南
都
東
大
寺
戒
壇 院普
一 長 老御
読
聴
聞
也道
瑜
」 とあ
る こ と か ら 、 文 安 霞年
二 月 二 日 か ら 東大
寺
戒 壇院
で 行 わ れ た 志 玉 の 講義
を 、 二 十 三 歳 の 正秀
−ー 道瑜
が聽
講 し て い た こ と が わ か る 。 智 積 院新
文
庫
に は 、 隅 じ く志
玉 の 講義
を
道
瑜
が書
き
留
め た 『 五教
章
聞書
』 ( 三 牽 九 函 隱 号 〉 、 簡 五教
章
聴
書
』 ( 四 + 二 匿 一 号) が 収 め ら れ て おり
、 『 五 教 章聴
書
』 上 本巻
( 第 一 帖 ) 首題
下 識 語 か ら 、 こ れ ら が文
安 四 年 二月
十
二 日 か ら 始 め ら れ た 講義
に194
N工工一Eleotronlo Llbrary智積院新文庫所蔵
志玉口述 ・道瑜筆録 『梵網古迹下巻 聞書』 につ いて (大谷) 基 づ く も の で
あ
る こ と が わ か る 。 つ ま り 志 玉 は 『古
迹
記
』 の講
義
を長
く
と も十
B
ほ ど で終
了 し 、 そ の 後 、 あ ま り 問 をあ
け
ず
に 唐 の法
蔵
撰
述
の 『華
厳
五教
章
』 ( 以 下 『 五 教 章 』 と 略 ) の 講 義 を 始 め た こ と が わ か る 。 な お 前 に確
認 し た よう
に 、 『古
迹
聞
書
』 本巻
の奥
書
に は 、 「文
安
四年
丁 卯閏
二月
十 二 日一 巻
畢
」 の 識語
があ
る の で 、 道 瑜 の 述 作 は、 志 玉 が 『古
迹
記 』 の講
義
を終
え
て 、 『 五教
章
』 の 講 義 を 始 め ても
な お 、 前半
部 分 し か進
ん で い な か っ た よう
であ
る 。末
巻
の 執筆
は 、 志 玉 の 『 五 教章
』 の 講義
と 並行
し て か 、 あ る い は 講義
終 了後
に進
め ら れ た こ と が わ か る 。 『古
迹
聞
書
』末
巻 の奥
書前
に は 無表
色 に 関す
る 問答
が挿
入
さ れ て い る が 、 そ の 前 に 一 旦 「 巳 上古
迹
ノ 下 巻 次 ノ 巻 ノ 分 処 々記
之 扁 と し て 注 釈 の 終 了 を示
す
と思
わ れ る表
記 と 、 そ の 後 に 「 文安
四年
丁 卵 三 月 廿 一 β 」 と記
さ れ て い る 。 こ の こ と か ら み て 、末
巻部
分 の 成 立 は嗣
年
玉月
二 十 … 欝 と見
て よ い で あ ろう
。 ( 三 )伝
持
過
程
末巻
に は 道 瑜 に よ る本
奥
書
の後
に 「文
亀 三 年 正 月十
九
日以
御
自
筆
令
書
写 了別
校
合
之/
為
弘
深
頓 証菩
提 也 /( 2 )
亮
盛 」 と あり
、道
瑜趨
筆
の 『古
迹聞
書
』 が 、文
亀 三年
( } 五 ( ) 三 ) 一月
十
九 臼 に 家 原寺
の 亮 盛 に よ っ て書
写 さ れ た こ と が わ か る 。 本 末 両 滞共
に 、表
紙
の 右 下 隅 に 「亮
盛 」 、 そ の 左 に 門智
積
院
/ 玄 宥僧
正 」 と 別筆
で記
さ れ て い る こ と か ら 、亮
盛書
写本
が 、亮
盛
の手
か ら智
積
院
篤
一世
の 玄宥
へ と 移 っ た こ と が明
ら か で あ る 。 そ の ま ま 現 代 に 至 る ま で 、 智積
院 に保
管 さ れ る こ と と な っ た 。195
NII-Electronic Library Service 智 山学報策六十三輯 二
普
一志
玉に
つ い て ( 】 )事
績
普
一 志 玉 の事
績
に つ い て の 同 時代
資
料 は 乏 し く 、彼
の ま と ま っ た伝
記 のう
ち閲
覧
が容
易
なも
の は 、 江 戸 時 代 成立
の 『伝
律 図 源解
集
』 ( 一 六 八 四 年 成 立 ) 、 『律
苑 僧宝
伝 』2
六 八 九 年 成 立 ) な ら び に 『 本朝
高僧
伝
』 二 七 〇 二 年 成 立 ) 、 『招
提
千
歳
伝
記 』 ( 3 ∀ ( 一 八 二 二 年 成 立 ) の み で あ る 。大
屋徳
城
氏
が 、 こ の他
に いく
つ か の 志 玉 に 関 す る 同 時 代史
料
を紹
介
し て おり
、 ま た 管見
に 入 っ た そ の 他 の 史 料 を 時 系 列 に 並 べ て 、 可能
な 限り
彼
の 事績
を紹
介
す
れ ば 、 以 下 【 図表
亠
の よう
に な る 。 【 図 表1
】 志 玉 の 事 績 遣ー
[ 康 応 元∠
菷
六 永「
彎
i
釦
馴
一 } 北翻
萌
1
) iに
段
≡
八i
= [ 一1
西[
暦1
…「
一モ
1
一1
歳i
東 大 …棊
隈
帝 王 諱 はi
寺 を 寺 の 志1
細 笹
壇戒 末 裔毛
豪
i
皇
聚 浄 戒 を 受 け る 」1
与
ほ
戒 を 受 け る 院霧
星
霧
劃
酬
葛
師 と し て 称 名 寺 、 に隠
度窺
王 御邑
(碧
殺
莉
帝曜
し と し て 誕 生 字 は馴
翻
塗
死謹
籃
且 国魎
事 績 …ー
−
1
…!
き 『 『 『 『 『1
伝 』 ・聟
・誓
・聟
,譁
i 71
『 本 』曇
』霍
摺
』蒙
』 ,剥
換
』 1 』ヤ
据
』 典 拠 , ,摺
』 翁 本 歪1
巳i
一196
一 N工工一Eleotronlo Llbrary智積院新文庫所 蔵
志 玉口述 ・道 瑜筆録 『梵網古迹下巻 聞書』 につ い て (大谷) 晒卍一闇冨「r 永 享 八
丞
莞
譲
庵
凝峯
.、 ご』 、_ ’) 、ズ .
尿
応
・\ 「 一δ
ソし沼
き
筆
_ 一 、鑿
囁 _・、触 一盆 膠
k ) 再療
杢
一疹
杢
九 ゴrw 一 一 劉r夙 早 叫 「 一 pp尸 一 _帛 四 四 ・四. ・・\ ’1四 “ 四 四 四 三 六 二 九 獄’ニ ヌ 二 一 ‘、 八 . 轡 ・ 囁七画
三
五 四 、瞳 , く._三 囁 ∵ ∴ 三囁 三 三 四 七 .て 〇 一 亠 ’ 、.ノ丶 ∴ 仁 丑 コ、「i ヒ「mげr「肖○ 一 二 月 ÷ 四 日、 足 利 義 教 の 白 毫 院 へ 八 月 二 十 四q
足 利 義 教 の 甫 都 巡 称 光荅
秀
ら 国轡
蕃
賜
つ す 東 る 大 寺 戒 壇 院 に 住セ
常 に 遮 那 殿 多こ・ ∫く辱 の 乙. 経・・ 書 \や“ ∫法i
目・、 7 寸 ゴ を▽ 弔. 『 彳尋:.、凡 .で :ト・ 、て ド ・帰・ 倒 比 ・ :F 義 端1
.賄
厨 講鳳
ジ宮を
∴. ・る:颪 : 辞 、都 ・,1
劃
一 囁. ( ・∴飯
, 囁.ぐ 翻 ’ 囁 ド 囁 ノ 、 、 福 、4
章
・r
磯
ド 汰 1… ’」L卩 尸 ⊥ :」 亦 .ξに パ ・感
・−1
寺1
擁
i
}
・厳 1 ∴
ヅ
\灘
将 講 囁一 入 ∵ 。 の⊥
擘
ン
l
i
ジる :, 囁羣
内i
・篤
1
.匹 囁 囁罹 ヌ ‘ 「 ; , . 東 大 寺 大 勧 進 と , なi
るiiiii
自 性 上 人 我 宝 作 の尺
幡崟
騒
法 律 三 大 部壼
冪
、 華 厳 を 研 究 し ’i
の 御 成 に 相 伴 す る 礼 の 際 に 義 教 に 授穣
( 大 告 仏翳
で 華 ↑ 八 ・ 十煮
華 ド 囁r P囁F、P三
:て 内 ’ 、 / 厳 ゴ ゾ印
激 濃:ヒ
萼 P内 葦 ド内 ご仏, ご 地 ノ ・一 教 , .、院. 「 ζ血 ’ 囁囁 5厂ド . ゴ完
.起 、壕
\ . .隈し 、’ 曳 、 、 ゴ ー 壷 二日 ナ ・」 一 で 苓 財 噛 /:五 ご:葡 .ヒ・ :号
⊥
己 一瓢
劍
…・、
〜
・ll
i
、 ∴i
ゴ ト 宀囁 P : 葺乞
、ジ
!II
』 i姦
写 … すi
るi
i
… ひi
ろi
く i 諸i
宗i
をi
学 1 ぶi
;
1
墜
「 内三
饗
1
’} :1
1
を ド :ど ・.∫・! 「「…
I
I
1
… 辷 i
護
L
. 義i
ρド 序 ∵の /構
暁 ヒ づ! ド 囁 ! 減 尸ili
口i
録 … 』li
后 日1
記 』餐
i
I 律 野呆
』霧
盡
深
』i
馨
i
匿
論
・本 , 隠躑
『 蟹 内 . 夢 . 籌五・〜 , 卩 口欝
握
書
. 『 囁, 内本 、 隔 囁 巨 ∵ 刊 \ 、伝 ・ ・ 』 い∬ 内向
. 律1 ・ 』 ・ ?最
1
ヤ
代 束 々 大 過 寺 現 麟 名 書 帳 館 』 蔵肩
法 東 気 大 一 寺 七 図 _ 童 日 函 館 五 蔵 亠 / 丶 『 八 八俣
≒羣
最
耨
』 碗塑
嚇 ド 1 招 』 、 , 集 囁 ’ 晦 ご ’li
、 『 」 召. 臨 i. 『 、 招 』 防 国 吏 務 ・ 号 幡議
一崟
語罎
摺
』197
NII-Electronic Library Service 智 山学報 第六 十三輯 永 享 十 二 一 四 四 〇 五 八 三 月 六 日、 義 教 の 白 毫 院 へ の 御 成 に 相 伴 す る 三 月 入 日、 白 毫 院 と と も に 義 教 の も と を 訪 れ る 四 月 八 日 よ り 十 二 回 に わ た っ て 『 蔭 涼 軒 日 録 』 永 享 十 二 一 四 四 〇 五 八 三 時 知 恩 院 で 『 華 厳 経 』 普 賢 行 願 品 の 講 義 を 行 う 、 義 教 も 聴 講 し、 百 貫 文 の 布 施 を 行 う 『 蔭 涼 軒 日 録 』 文 安 元 一 四 四 四 六 二 『 六 輪 釈 』 ( 西 教 寺 正 教 蔵 所 蔵 ) を 上 梓 『 六 輪 釈 』 識 語 文 安 四 ] 四 四 七 六 五 二 月 二 日 よ り 戒 壇 院 に お い て 古 迹 記 ・ 五 教 章 の 講 義 を 行 う 。 道 瑜 が 聴 講 智 積 院 蔵 『 古 迹 聞 書 』 な ど の 識 語 九 月 七 日、 上 洛 し て 、 綸 旨 に つ い て の 申 し 入 れ を 行 う 『 建 内 記 』 称 名 寺 、 極 楽 寺、 阿 弥 陀 寺 、 大 華 厳 寺 、 高 山 寺、 屋 島 寺 な ど を 再 興 ( 住 持 を 勤 め る ) 『 伝 』 ・ ( 『 律 』 ・ 『 本 』 ・ 『 招 』 ) 西 国 を 巡 化 し て 讃 岐 の 屋 島 寺 を 復 興 し 、 上 足 で あ る 善 開 律 師 に 付 属 す る 『 本 』 寛 正 四 一 四 六 三 八 一 ( 5 ) ( 6 ) 九 月 六 日、 高 山 寺 に て 示 寂 。 門 人 に は 普 開、 相 国 寺 の 瑞 溪 鳳 公 ( ま た 宝 幢 寺 の 大 梁 梓 公 ) な ど が い た。 『 伝 』 ・ 『 律 』 ( 『 本 』 ) ・ 『 招 』
198
N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
( 『 伝 』 11 『 伝 律 図 源 解 集 』、 『 律 』 11 『 律 苑 僧 宝 伝 』、 『 本 』 睡 『 本 朝 高 僧 伝 』、 『 招 』 11 『 招 提 千 歳 伝 記 』 ) さ て 、 以 上 の よ
う
に 時系
列 に事
績 を 並 べ て い っ た 時 、疑
問 と な る の が、 江 戸 期 に 作 成 さ れ た 伝記
類
全 て に 説 か れ る 、 応 永 二 十 四年
( 一 四 一 七 ) か ら の 入 明 記事
で あ る 。 こ れ ら 近 世 の 伝記
類 で は、 志 玉 は 入 明 中 に 太宗
に華
厳 経 を 講義
し て 普 一 国 師 号 を 賜り
、 五年
後 に は多
く の 仏 典 な ど を 携 え て帰
国 し た と さ れ る 。智積 院新文庫所蔵 志 玉口述 ・道 瑜筆録 『梵網 古 迹 下 巻 聞書』 につ い て (大谷) し か し 入 明 中 で
あ
る はず
の応
永 二十
五年
、 瑞 溪 周鳳
( 一 三 九 一 〜 一 四 七 三 〉 は 、 興 福寺
で彼
か ら 五 教章
な ど の 講 義 を受
け た と自
著
『臥
雲夢
語
集
』 の 中 で 主 張 し て い て 、伝
記 の 記 述 と大
い に 矛盾
し て い る の であ
る 。 し か も伝
記
類 に説
か れ る応
永
二 十 四年
の 渡航
に は、外
交
史
上 の 問 題 が あ る 。 一 四 一 一年
に 足 利義
持
は 遣明
使
を 停 止 さ せ 、 以後
は明
使
が到
来
し ても
追 い 返 し て い て 、義
教
に よ っ て 遣 明 使 が 再 開 さ れ る 一 四 三 二年
ま で、明
と の国
交
は断
絶
し 〔 ヱ て い る の であ
る 。す
な わち
応
永
二 十 四年
に は そ も そ も渡
明 が で き な い は ず で 、少
な く と も こ の時
期
に は 志 玉 の渡
明 は あり
え な い と いう
こ と に な る 。 志 玉 の渡
明 に つ い て語
る 同時
代
史
料 は 、東
福
寺僧
の 雲泉
太極
の 日 記 であ
る 『碧
山 日録
』 の み であ
る が 、 そ の 長禄
辰2
四 六 〇 V 五月
二 日戊
寅
条
に は 、 次 の よう
に あ る 。南
京
戒 壇 院曽
有
四 教僧
。 日 不 一 、 日 覚 意 、 日 源才
、 日源
観
、皆
以 智徳
出於
人 之 上 者矣
( 中 略 ) 。 又不
一 附 国 使 入 中 州 、而
天 子聴
戒律
純
清
、親
受
戒
法
。帰
于 本 朝 後 、 派範
諸 公作
頌賀
之 也 。 和 国 之僧
、為
大
明 天 子 之戒
和
尚
、誠
本
邦
之美
事
也
。 ( 書 き 下 し ) 南 京 戒 壇 院 に 曽 て 四 教 僧 有 り 。 曰 わ く 不 一 ( 11 普 一 ) 、 曰 わ く 覚 意 、 曰 わ く 源 才 、 曰 わ く 源 観 な り 。 皆 智 徳 を 以 て 入 の 上 に 出 る 者 な り ( 中 略 ) 。 又 不 一 は 国 使 に 附 い て 中 州 に 入 り 、 天 子 戒 律 の 純 清 な る を 聴 い て、 親 し く 戒 法 を 受 く 。 本 朝 に 帰 り て 後 、派
範 諸 公 は 頌 を 作 し て こ れ を 賀 す な り 。 和 国 の 僧 、 大 明 天 子 の 戒 和 尚 と 為 る は 、 誠 に 本 邦 の 美 事 な り 。 こ こ で は 、 入 明 中 の志
玉 は伝
記
に説
か れ る よう
に 明帝
に華
厳
経
の 講 義 を し た の で は な く 、 明帝
に授
戒
を行
っ た と さ れ て ( 8 ) い る 。 志 玉 は 戒 壇院
の 長老
であ
る か ら 、授
戒 の 行 為自
体 は 不 思 議 で は な い が 、 し か し わず
か の時
間 の み滞
在
す
る 日本
人 か ら皇
帝 が 戒 を 受 け る と は考
え
が た い 。実
は 志 玉 に先
立 ち、実
際 に 入 明 し た こ と が 明 ら か な僧
に 「 志 玉 」 と いう
同 名 の 者 が い る 。 こ の 人 は廬
山寺
の仁
空
2
三 〇 九 〜 一 三 入 入 ) の高
弟 で 、志
玉房
明 空 ( 〜 一 四 〇 三 ) と い い 、 仁 空 の 死後
、 廬 山寺
住
持
を継
い で い る 。応
永
九年
( 一 四 〇 二 ) に 明 の 恵帝
に よ っ て 遣 わ さ れ た使
僧
が 、 翌 十年
帰
国 す る際
、 天龍
寺
住
持 の 堅 中圭
密
な ど と とも
に 、明
に派
遣 さ れ、 そ の199
NII-Electronic Library Service 智山学報 第六 十 三 輯 〔 皇 翌
年
に 明 で 亡 く な っ て い る 。 同 時 代 の 同名
人物
であ
る こ と か ら 、 志 玉明
空 と普
一 志 玉 は 混 同 さ れ 、 さ ら に普
一志
玉 は永
享
元年
に 将 軍 足 利 義 教 に 授 戒 し て い る の で 、 そ の功
績
も相
俟 っ て 、普
一 志 玉 は 明 に 渡 っ て 明 帝 に授
戒 し た と巷
に噂
さ れ た と は考
え ら れ な い だ ろう
か 。 以 上 の よう
な事
情
か ら 、 伝記
上 の 志 玉 入 明記
事
に つ い て は 大 い に疑
問 が 残 る が 、 と は い え、彼
が高
名
な学
者 で あり
、多
く の尊
崇
を集
め た こ と に は疑
い が な い 。 ( 10 ) 先 ほ ど の 『碧
山 日 録 』 の 叙 述 も彼
を 讃 え た も の であ
っ た が 、 瑞 溪周
鳳 の 『臥
雲 日件
録 』寛
正 四年
( 一 四 六 三 ) 十 二 月 十 六 日 条 に は 、 相 国寺
長老
の 円文
と 瑞 溪 周 鳳 が 、 志 玉 と 格 怡 の 五 教章
講義
の 評 判 に つ い て 語 っ た内
容
が記
さ れ て い る 。 志 玉 ら は 「 近 時 南都
、 両講
師
を知
ら ぬ 者 無 し 」 と評
さ れ て い て 、 当 時華
厳 の 大 家 と し て名
声
を得
て おり
、 そ の噂
は京
都 に ま で 伝 わ っ て い た こ と を知
る こ と が で き る 。 ま た彼
は 応 永 二十
一 年2
四 一 四 ) か ら 東大
寺
大
勧 進 の職
に つ い て い る 。 文安
三年
2
四 四 六 ) 一月
二 日 に戒
壇
院 は千
手
堂 な ど を 残 し て ほ と ん ど 全焼
し て し ま う が 、 こ の時
の再
建 を 実 際 に 担 っ た の も 志 玉 で あ っ た こ と が 、 翌 四年
に 志 玉 が 上 京 し た こ と を 記す
『建
内
記
』 の 記 事 に 彼 が 「大
勧
進 上 人 」 と呼
称 さ れ て い る こ と か ら わ か る 。 大 勧進
の 職 にあ
る 志 玉 は、 興 行 を 通 じ て か 、 能楽
師
の 金 春禅
竹 と親
交 があ
り 、彼
の 世 阿 弥 能楽
論書
であ
る 『 六輪
一 ( 11 ) 露 』 に 対 し て加
注 を行
っ て い る ( 注 の み の 『 六 輪 釈 』 は 一 四 四 四 年 に 成 立、 禅 竹 が 『 六 輪 一 露 之 記 』 と し て こ の 注 を 含 め た 能 楽 書 を 世 に 出 し た の は そ の 十 一 年 後 で あ る ) 。 志 玉 は 大 勧 進 職 と 並行
し て多
く の 講義
を 行 な っ た と 推 察 さ れ 、短
く と も 智 積院
新
文
庫
蔵
の 『古
迹聞
書
』 な ら び に 『 五 教 章 聞書
』 『 五教
章
聴 書 』 が作
成 さ れ た 一 四 四 七年
く
ら い ま で は 、志
玉 は継
続
的 に東
大
寺
で 講義
を行
っ て い た と 考 え ら れ る 。 そ し て そ こ に は 、将
軍 や 貴 族 た ち と 共 に 、後
に 等 持寺
、相
国寺
の 住 持 を歴
任
し 、僧
録 司 と も な る若
き
瑞
溪 周 鳳 や、後
に根
来
寺
学 頭 と な る若
き 道 瑜 な ど 、後
世 、 仏 教界
を 牽 引 し て い く 優秀
な 若 者 が多
く参
席
し て い た 。 こ の よう
に 彼 は 学200
N工工一Eleotronlo Llbrary智積院 新 文 庫 所 蔵 志 玉口述 ・道瑜筆録 『梵網古迹 下巻聞書』 につ い て (大谷)
者
と し ても
、寺
務方
と し て も 傑 出 し て お り 、 そ の た め に カ リ ス マ 化 さ れ て い っ た も の と 考え
ら れ る 。 中 で も 時 の権
力
者 で あ る 足 利義
教 は大
い に 志 玉 を尊
重 し て お り 、 前 に 述 べ た よう
に 永享
元年
に は彼
か ら受
戒
し 、 ま た ( 12 ) 南都
へ 赴 く時
に は 彼 に相
伴 さ せ 、永
享
十
二 年 に は 義教
の 子女
が 入寺
し て い る 三時
知
恩 院 で 『華
厳
経
』普
賢
行
願 品 の 連続
講義
を行
わ せ て 、自
身
も 聴 講 し 、 さ ら に 百 貫 文 の 布施
を行
っ て い る 。 他 にも
『満
濟
准 后 日 記 』 に は 、永
享
十
二年
九月
か ら 十 月 に かけ
て 、義
教 が 志 玉 に 逆修
を頼
み 、 料 足 と し て 百 貫文
〜 千 貫 文 を た び た び 送 っ て い た記
事
が散
見
す る 。文
安
三年
の戒
壇 院 の火
事
の後
も 、 義 教 は御
教書
を 発 行 し て そ の 再建
を援
助 し た こ と が知
ら れ て い る 。 こ の よう
に志
玉 は 元 来 持 ち得
た非
凡
な 学 問 的 才 能 に加
え
て 、勧
進 し て寺
院
に布
施 を 集 め る 能力
に長
け 、 さ ら に 当 時 の権
力者
で あ る義
教 の 絶大
な 庇護
を受
け て 、 「 戒 壇院
志 玉 」 の名
を広
め て い っ た 。 『 本朝
高
僧伝
』 で は 「 東大
凝 然 之 後 、 興 大経
者
、 玉 之 力 居多
」 ( 『 日 仏 全 』 巻 一 〇 二、 一 一 七 頁 上 ) と し て、鎌
倉
期 の戒
壇
院 中 興 第 二 世 の凝
然
( ] 二 四 〇 〜 = 二 二 } ) 以 来 の貢
献 者 と し て 志 玉 を讃
え
て い る が 、 こう
し た評
価
は 志 玉在
世 当時
か ら あ っ た と み え 、永
禄
十
一 ( 」 五 六 八 )年
一 月 四 日 の奥
書
を持
つ 、 新 文 庫蔵
『諸
八宗
祖 師 集 』 ( 二 + 函 二 + 四 号 ) の 「戒
律
宗
伝
持
苗径
〈 文 正 二 年r
亥 / 二 月 七 日 始 之 > 」 に も 、 戒 律 教 学 の 相 承 が 以 下 の よう
に 示 さ れ て おり
、文
正 二 年( 一 四 六 七 ) 時点
に お い て 、志
玉 は 日本
戒
律
教
学 を受
け 継 ぐ 人 物 で あ っ た と 認 識 さ れ て い た こ と を 知 る こ と が で き る 。 鑑真
大 和尚
〈 天 平 宝字
七癸
卯
五 月 六 日 卒 ・ + 六 〉法
進
大
僧
都
轜
壌
法
載大
徳 如 宝 少僧
都
義
静 大 徳 思 託大
徳
曇
静
大徳
智
咸
大
徳
宝
静
大
徳俊 薇
律
師
褓 蛹 寺雲
成
律
師戒 光
律
師
実
範
上 人 中 河蔵
俊
僧
正 苙 ロ 提 院覚
憲
僧
正 坪 坂貞
慶
上 人 戒如
律師
円晴
律
師
興 正菩
薩
碍爨
又簫
塑
甌 卒 九 + 惣持
律 師忍
性
律
師
信 空 律 師宣
瑜律
師
浄 然 律 師良
遍
僧
都
綴
上 人 真 空 上 人 叔驅
灘
嵐大
乗
心 又 云 禅謡
人 證 玄律
師
凝
然 大 徳 又緜
鯉
人禅
璽
人
同 院 住園
因
鬮
圏
量
西 大 寺 長 老 志 玉 の 直前
に掲
載
さ れ て い る 禅 爾 ( 一 二 五 二 〜 一 三 二 五 ) は そ の前
に 記 さ れ る 凝 然 の直
弟
子
であ
り 、 凝 然 の 死後
わず
か 四年
後
に 亡 く な っ て い る 。 ま た 両 人 と も 志 玉 の 生 ま れ る半
世紀
以 上前
に 没 し た戒
壇 院 住 持 であ
る か ら 、 直 接 の 師弟
関係
に201
NII-Electronic Library Service 智 山 学 報 第 六 十 三 輯 は な い 。
す
な わ ち凝
然
−
禅 爾 以降
、 志 玉 の 登 場 以前
に お い て は 、 戒 律 研 究 を 担う
著
名
な 人物
は 現 れ る こ と な く 停 滞 し て おり
、 そ の復
興 の旗
手
と し て 志 玉 が 位 置 し て い た と考
え ら れ て い た と 見 る こ と が でき
る 。 ( 二 )著
作
と こ ろ が 現存
の志
玉 の著
作
は 少 な く、 新文
庫
蔵 の 『 五 教章
聞
書
』 『 五 教章
聴書
』 と 同 内 容 の 『 五 教 章見
聞 ( 五 教 章 聴 書 鈔 ) 』 十 巻 ( 承 応 八 年2
六 五 四 )、 お よ び 寛 政 七 年 ( } 七 九 五 ) 刊 本 ) 、 ま た 金 春 善 竹 の 『 六輪
一 露 之 記 』 の注
記 であ
る 『 六 輪釈
』 ( 13 ) 一巻
( 西 教 寺 正 教 蔵 ) だ け が 現 在知
ら れ て い る全
て で あ る 。 な お 、芳
賀
幸
四 郎 氏 は、 こ の他
に東
大
寺
図書
館 に架
蔵
さ れ て い ( 14 ) る と し て 、 「 演 義鈔
」 、 「 五 教章
中巻
聞 書 」 、 「華
厳 続新
撰
抄 」所
収 の 「 理 々 円 融事
」 を挙
げ て お ら れ る が 、 こ れ ら はす
べ て華
厳
数
学
に 関 わ る 著 作 で あ る 。 こ の よう
に 、 志 玉 は 戒 壇 院長
老
と いう
身
分 であ
り
な が ら 、彼
の 戒 律 関 係 の 著作
の存
在 は 現 在 ま で 知 ら れ て こ な か っ た 。今
回発
見
さ れ た 『 古 迹 聞 書 』 二巻
の み が、 現時
点
に お い て 、 志 玉 の 戒 思 想 をう
か がう
こ と の で き る 唯 一 の資
料
で あ る 。三
道
瑜
に つ い て202
N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
( 一 )
事
績
一方
の 道 瑜 は 、 「 興 教 大 師 画 像 ( 月 上 累 代 御 影 ) 」 の裏
書 に よ っ て 、 長 享 二 年 ( 一 四 八 八 〉前
後
に 活 躍 し た こ と が知
ら れ る も の の、 生 没 年 は不
詳
であ
っ た 。典
拠
は 不 明 で あ る が 、 『 密 教大
辞典
』 に は 生年
を 応 永 二 十 九年
( 一 四 二 二 ) と し て い る 。 し か し 『古
迹聞
書
』 本 巻 の奥
書 か ら 、 文 安 四年
( 一 四 四 七 ) 時 点 で 二十
三 歳 で あ る こ と が明
ら か であ
る か ら 、 こ れ に より
、 道瑜
の 生年
は 一 四 二 五 年 で あ る こ と が判
明 す る 。 房 号 は 玄音
、別
に 正秀
の名
があ
っ た こ と も 、 同 じ く 『 古 迹 聞 書 』 本 巻 奥 書 に 明 ら か で あ る 。 『 野沢
血脈
集
』 の 「根
来智積 院新文庫所 蔵 志玉口述 ・遵瑜筆録 『梵 網吉 迹下 巻聞書』 につ い て (大谷) 寺 教 相
相
承
之次
第
」 の 記述
か ら 、極
楽
院 左 学 頭 の 深 仙 房政
秀
と智
積
院
真
憲
房 長 盛 に師
事
し て 教相
を受
げ 、資
に小
池
妙
音
院 の定
厳
房
頼
誉
、十
輪
院
の深
音
房
正誉
( 聖 誉 ) が い た こ と が わ か る ( 『 真 全 』 巻 三 九、 一 四 二 頁 下 ) 。 江戸
時
代
の洛
東智
積
院
第
七鍬
運
敞
の著
作 で あ る 鴨結
網
集
臨 巻 中 ( 一 六△
二 年 成 立 ) と 、 そ れ を 基 本 と し た 『 本朝
高
僧
伝
臨 巻 十 七 に 、 そ れ ぞ れ伝
記 が掲
載
さ れ る が 、 いず
れ も根
来
寺
に おけ
る 一 つ の事
件
を紹
介
す
る の み であ
る 。 そ の事
件
と は 、 以 下 の よう
な も の であ
る 。 室 瞬 時 代 後期
、根
来
寺
の 学 徒 に は 同寺
で出
家
成
立 し た常
住
( 学 侶 ) と 学問
の た め に 諸国
か ら集
ま っ た客
衆
の 二 派 が あ り 、道
瑜 は後
者
の客
僧
であ
っ た 。 し か し 聡明
な彼
に 皆 感嘆
し、彼
は 十輪
院 に 来( 15 ) て か ら
年
数
の浅
い客
僧
であ
っ た に も 関 わ らず
、 衆議
に よ っ て 百 二十
人
の 上 座 で あ る学
頭
に抜
擢 さ れ る こ と と な っ た 。学
徒 は彼
を 「能
化
」 と呼
び 、自
ら を 「所
化 」 と呼
ん だ 。 こ の能
所
化
の呼
び名
は、 道瑜
に始
ま る こ と であ
る 。 岡 じ頃
に常
住
方 か ら 道瑜
に承
け た 頼誉
が能
化
と称
さ れ る よう
に なり
、 両能
化
のも
と 、根
来寺
教学
は発
展
し て いく
こ と と な っ た 、 と いう
も の であ
る 。文
明
十
二年
( 一 四 八 〇 ) 十 }月
} 馨 、道
瑜 は 浄 土宗
西 山派
の明
秀
に書
状
を 送り
、 阿 弥 陀 仏 の報
身
報
土 の成
立因
果
に つ い て質
問
し て い る 。 こ れ に つ い て颶
秀 は 、 九 日後
の 十 一 月十
日、翌
年
正月
二十
九 日 、 さ ら に文
明 十 七年
瓣月
七 日 の 三度
にハ ー6 ) わ た っ て 、
道
瑜
の質
問 に 丁寧
に答
え
て 、 西 山義
を道
瑜 に伝
え
て い る 。 初 め に道
瑜 か ら 出 さ れ た進
上 に は 「 就 レ中
岩 屋 寺 へ 霜朝
御
来
臨
、 出路
之
冷
難
彼
髭御
懇
念
之 至 リ 、 子 レ今
二 難 ク レ 忘 レ存
候
」 ( 『 西 全 』 別 冊 二、 五 一 三 二 頁 上 ) と あ っ て 、 こ の 書 簡 の やり
とり
に先
立 っ て 、 明秀
と道
瑜
が岩
屋 寺 で 実 際 に会
っ て い た こ と がう
か が え る 。 こ の時
、 明 秀 は 七 十 八 歳 、 道 瑜 は 五 十 五歳
であ
っ た 。当
時
道
瑜
がす
で に根
来
寺
学
. 顕 に な っ て い た か どう
か は 、史
料
がな
い た め に 判断
が つ か な い 。 し か し若
い 時分
か ら 、 年齢
を 重 ね ても
な お 、 宗旨
を 問 わず
に あ ら ゆ る学
問
を 当 時 一 流 の人
物
か ら直
接
に受
け よう
と い う 求 道 的 な学
問態
度 こ そ が 、根
来
の学
徒
を し て 感 嘆 せ し め た も の と 推 察 さ れ る 。203
NII-Electronic Library Service 智 山 学 報 第 六 十三輯 ( 二 )
著
作
著作
も
多
く 、 『密
教
大辞
典
』 に は、 『 大 疏 尋 求鈔
』 八 巻 、 『大
疏 縁起
』 一 巻 、 『大
日 経疏
題
額
』 一巻
、 『 五 教 章 見 聞 』十
巻 、 『 薬 師護
摩
』 一帖
、 『 自 門 心 念 之 事 』 一 帖 、 『 即身
義
聴
書
』 一 帖 、 『声
字
義 開 秘鈔
料
簡
』 一 帖、 『秘
鈔 私 記 』 一帖
、 『当
年
星 供 』 一 帖 、 『求
聞
持
表
白 』 一帖
、 『 十 八 道 口 決 』 一 帖 、 『曼
荼 羅 供作
法 』 一 帖 が 紹 介 さ れ る 。 そ の 他 、 『 仏 書 解 説大
辞 典 』 に は 『報
身
報
土 』、 『 理 趣経
鈔
』 な ど が 紹 介 さ れ 、 『 国 史大
辞 典 』 に は 『論
義
方
様
鈔
』 が紹
介
さ れ て い る 。多
く は 真 言密
教 に 関 わ る も の で あ る か ら 、 現 存 す る も の の多
く は 、 お そ ら く は根
来寺
学頭
に な っ て か ら、学
徒
を導
く た め に著
作 さ れ た も の で あ ろう
。 こ のう
ち 『 五 教 章 見聞
』十
巻
は 、 志 玉 の 講 説 を筆
記
し た も の 、 『報
身
報
土 』 は 妙秀
と の書
簡
の やり
と り を 指 す の で あ ろう
。 そう
で あ る な ら ば 、 『 古 迹見
聞 』 二 巻も
同 様 に 道 瑜 の 著 作 と し て 紹 介 さ れ て し か る べ き であ
る が 、管
見 の 限り
見 当 た ら な い 。 ま た 他 に戒
・律
関
係
の 著 作 も 見 当 た ら な い よう
で あ る 。四
『
梵
網
古
迹
下
巻
聞
書
』 の思
想
的
特
徴
( 一 )道
瑜
に よ る 『梵
網
経
古
迹
記
補
忘
抄
』 の依
用
以 上 の 二者
が 出会
っ た こ と に よ っ て 『古
迹 聞 書 』 は 誕 生 し た 。 は じ め に 述 べ た よう
に、 『 古 迹聞
書
』 は 、純
粋
に 志 玉 の講
説
を書
き 記 し た も の と見
る こ と に 注意
が 必要
な書
物
であ
る 。 志 玉 が 『 古 迹 記 』 の後
に 講 義 し た と いう
『 五 教 章 』 の講
義
は 、 『古
迹 聞書
』 と同
様
、 道瑜
に よ っ て筆
録 さ れ 、 『 五教
章
聞 書 』 『 五 教章
聴
書
』 と し て新
文
庫
に伝
わ っ て い る が、 両書
を 研究
さ れ た 野呂
靖
氏
は 、 こ れ ら が多
く
聖 憲 『 五教
章
聴
抄
』 か ら の 引 用 を含
む も の であ
り
、 志 玉個
人 の見
解
を純
粋( 17 ) に と ど め た
資
料
で は な い こ と を明
ら か に さ れ て い る 。 同 じく
志 玉 の講
説
を 道 瑜 が筆
録
し た 『古
迹
聞
書
』 に も ま た 、当
然
204
N工工一Eleotronlo Llbrary智積 院新文庫所蔵 志玉 口述 ・道瑜筆録 『梵網古迹下巻聞書』 につ い て (大谷) 聴 講 者 で あ る
道
瑜 の学
問 的 下 地 が 反映
さ れ て い る も の と考
え ら れ る 。 実 は 、 『古
迹聞
書
』 上 巻 の 奥書
前
に は 「補
忘
抄
四巻
第
四 ハ本
末
惣合
五 巻此 ノ 巻 ノ
抄
ナ ー1
矣 」 と あ り、末
巻
の 述作
終
了 日 を示
す と考
え ら れ る 「 文安
四年
丁卯
三 月廿
一 日 」 の 識 語 の後
に は 「 此 巻 ノ 分 二 補忘
抄
二巻
開 四巻
ト作
ス 也 」 と いう
一 文 が そ れ ぞ れ 見 ら れ る 。 こ れ は 道 瑜 に よ る 挿 入 と考
え ら れ 、 『古
迹
聞
書 』 が 道 瑜 に よ っ て 「補
忘
抄 」 を 参 照 し な が ら作
成
さ れ たも
の で あ る こ と を 示す
と考
え ら れ る 。 こ こ に挙
げ
ら れ る 「補
忘
抄
」 は 、 叡 尊 ( 一 二 〇 一 〜 一 二 九 〇 ) の所
説
に も と つ い て 『古
迹記
』 を補
釈 し た 書 物 であ
る 『梵
網
経古
迹補
忘
抄
』 ( 以 下 『 補 忘 抄 』 と 略 す ) を指
す
。 こ れ は 奥 書 等 か ら 叡尊
の後
を 継 い で 西 大寺
中興
第 二 世 と な っ た信
空 ( 慈 真 和 尚 ) を読
師 と し て、 正 和 元年
( 一 三 一 二 )十
一月
二 十 七 日 か ら 西大
寺 で 行 わ れ た講
義
を 、 弟 子 の 尭 戒定
泉
( 一 二 七 三 〜;
= ( 18 ) 二 ) が聴
講 し た後
に更
に 覆講
し 、 そ れ を 定 泉 の弟
子如
空 英 心 ( = 一 八 九 〜 ? ) が筆
録
し た も の で あ る こ と が わ か る 。言
わ ば 西大
寺
に お け る 『古
迹
記 』 の伝
統
的解
釈 を 示 し た書
物 と 見 て よ い で あ ろう
。 そ し て実
際 に 『古
迹
聞 書 』 に は そ の 全 編 に わ た っ て書
名
を 明 記 し な い ま ま に 『補
忘
抄
』 か ら の引
用 が 見 ら れ る 。 以 下 に い く つ か を紹
介
し た い 。 図 表2
『 補 忘 抄 』 巻 一 ( 『 日 蔵 』 巻 三 七 ) 『 古 迹 聞 書 』 本 巻 疏 云 鳩 摩 羅 什 此 云 童 寿 一 ト 持 菩 薩 戒 一 ヲ 偏 誦 此 品 一 与 義 学 沙 門 三 千 サ ゥ タ ウ 余 人 一 遂 於 ○ 草 堂 寺 一 翻 訳 経 論 五 十 余 部 最 後 因 秦 主 欲 受 禁 戒 一 別 二 誦 シ テ 訳 出 恵 融 等 筆 受 スO
具 訳 セ ハ 成 三 百 余 卷 此 経 序 云 可 有百
二 +登
恵 融 者 恵 観造
融圭
天
也 云 々箋
代 ・ 訳 但 ・ 異 義 ア リ 何 レ 辺 此 経 ヲ ハ 秘 蔵 ナ ル ニ 依 テ 最 後 ノ 訳 云 々 付 其 一 レ ニ 於 テ 今 経 一 ニ カ ウ 諸 宗 ノ 人 師 記 疏 ヲ 製 作 ス ル コ ト 其 ノ 数 是 多 シ 始 梁 ノ 恵 ・ 疏 ヲ 作 ス 疏 云 。 翻 訳 故 者 。 後 秦 有 西 域 三 蔵 鳩 摩 羅 什 。 此 云 童 寿 。 持 菩 薩 戒 。 偏 誦 戒 品 。 与 義 学 沙 門 三 千 余 人 遂 於 逍 遥 園 及 長 安 草 堂 寺 翻 訳 経 論 五 五 十 余 部 。 最 後 因拳
王 欲 受 禁 戒 別 誦 訳 出 。 慧瀦
懸
者 融博
耀
鱗
等 筆 受 。 ( 以 上、 二 Q 七 頁 下 〜 二 〇 八 頁 上 ) 於 今 経 梁 代 恵 ・ 始 製 疏 。 其 疏 不 見 于 今 。 次 隋 世 天 台 智 者 大 師 製 疏 。 其205
NII-Electronic Library Service 智 山学報第六十三輯 其 ノ 疏 ハ 不 見 今 三 次 二 隋 ノ 天 台 ノ 智 者 大 師 疏 ヲ 作 ス 等 云 々 天 台 宗 人 師 天 台 義 記 二
論
襁
功
畷
与 咸 注 三毳
〃 撒壕
明 曠 疏 一 巻轢
地 弟罐
撲 陽 疏 五 巻靆
コ鰐
劈
鰯
者縢
創 嫡候
華 厳 宗 人 師 法 蔵 疏 三 巻 碯 噸 紀 法 銑 疏 四 巻 已 下 同 偈 頌 利 渉 疏 砂 瞭 鮪 腱 余 伝 奥 疏 二蒼
羅
元 暁 疏 一冓
雑
纂
黔
法 相 宗 人 師難
讌
讎
匙
太 賢 古 迹 二 巻 粃 下購
.絮
鶴 . セ ン 害 人 日. 止 外 猶 有 疏 記 道 塔 注 三蘊
融
溏稽
禅 鍬蘇
帳
一 7 大 安 寺 。 住 シ. ア 西 塔 院 。 シ. ア A7 ノ 六 巻 趾難
蕪
大饑
釁
鯱
薮
ヲ 弘 入 也 云 々 開 題 一調
纛
助 釈 一 巻 已 上 師 ノ 義 二 依 テ 是 ヲ 録 一 ス 此 外 少 々 善 珠 ノ 疏 三 巻鞐
跨
難
騨
魑 此 ノ 疏 ハ 多 ハ 天 台 二 依 ル 云 々法 進 注 日 疋 レ モ 唐 僧 処 行 注 一 巻 楸 械 鉢 テ 鉾 知 腫 贓 好 卜 私 記 一 巻
旌
蝶
観
撮
驚
鰐
薮
科 注 有 之 一 追 テ 可 尋 一 云 々 ( 本 巻、 二 丁 表 〜 三 丁 表 ) 後 盛 造 諸 疏 也 。 其 中 当 時 流 行 疏 記 等 具 可 注 之 。 天 台 宗 人 師 天 台 義 記 二 巻雛
靨
畷
与 咸 注 三 巻雛
離
煢 明 曠 疏 一蕊
謙
馥
悌 撲 陽 疏 五 巻駻
蕪
纈
曁
騾
矯
蝋 畩 華 厳 宗 人 師 法 蔵 疏 三姦
飃
鞭
鰤
鐃
疏 四轟
艚
下 利 渉 疏 三 巻 鈔聾
之 . 伝 奥 疏 二 巻聾
籬
糠
蝋
元 暁 疏 一螽
辱
瓣
騾
不 法 相 宗 人 師 義 寂 疏 二 巻 舶轟
礎
巖
稽
太 賢 古垂
一蠱
鞐
靖
騰
粗齡
羅
. 勝 荘 疏 二螽
辭
儺
也。 善 珠 疏 三蕣
辭
績
是 外 猶 有 疏 記驀
注 三 巻轟
講
鬱
. 難犂
羅
辮
諜
繰
住 法 進 注 六蠢
稚 魅 翻霧
琶
購壕
籀
鸛
難
謎
襯
処行
汪 一 巻離
蘿
礁
簸
酢
当 時 助 釈 一 巻綴
幽
蠶
嗣構
唐 私 記 一轟
髞
ボ 鮃鵬
鰆
顛
ボ 已 上 依 古 抄 等 録 出 之 。 此 外 少 々 科 注 有 之 。 後 追 可 尋 之 。 ( 以 上、 二 一 一 頁 下 〜 二 一 二 頁 上 )206
N工工一Eleotronio Library Servioe
以 上 に
紹
介
し た の は 『 梵 網 経 』 の訳
者
に つ い て解
説 し 、 『梵
網
経
』 の 注疏
を列
記 し た部
分
で あ る が、 『 古 迹 聞書
』 の 該 当 箇 所 は 、 そ の ほ と ん ど が 『 補 忘抄
』 か ら の 転 載 に よ っ て 成り
立 っ て い る こ と を知
る こ と が で き る 。 特 に 注 目 し た い の は 、 「法
相
宗
人師
」 に挙
げ
ら れ て い る 「 勝荘
疏
二巻
」 の割
注
部分
であ
る 。 『補
忘
抄 』 で は 「 釈 上 下 巻 経 也 。是
唐
人 也 」 と 注 さ れ て い る と こ ろ が 、 『 古迹
聞 書 』 は 「 上 下 巻釈
是
唐
人是 外 猶 有
疏
記 」 と な っ て い る 。 こ のう
ち の 「 是 外 猶有
疏
記 」 は 、 『補
忘抄
』 で は 天 台 ・華
厳
・法
相
の各
宗
の 人師
を紹
介
し た後
、 そ の 他 の宗
旨
、 あ る い は 生 涯 に 宗 旨 を転
じ た と考
え ら れ て い る師
な ど に よ る 注 疏 を 紹介
す
る 意 味 合 い で使
用 さ れ て い る 。 お そ らく
こ れ は、 道 瑜 が智積院新文庫所蔵 志玉 口述 ・道瑜筆録 『梵網古迹下巻聞書』 にtO い て (大谷) 『 補 忘 抄 』 の