新
龍
樹
傳
の
研
究
寺
本
婉
雅
目
次
( 一 ) 古 龍 樹 傅 に 就 て ( 二 ) 古 龍 樹 の 出 生 年 代 ( 三 ) 古 龍 樹 も 大 乗 經 出 現 ( 四 ) 古 龍 樹 以 前 の 大 乗 教 創 始 者 (五 ) 古 龍 樹 の 出 處 も 、 そ の 師 名 (六 ) 古 龍 樹 も 龍 猛 菩 薩 ( 七 ) 入 楞 伽 經 の 龍 樹 も 龍 猛 も に 就 て ( 八 ) 新 龍 樹 傅 に 就 て (九 ) 新 龍 樹 時 代 の サ ー ラ 、 グ ン ド ハ 王 に 就 て (十 ) 龍 智 の 二 入 説 に 就 て (十 一 ) 西 藏 文 新 龍 樹 傳 の 和 譯 以 上 新 龍 樹 停 の 研 究 二 三新 龍 樹 傳 の 研 究 二 四 は し が き 佛 教 史 上 龍 樹 菩 薩 は 大 乗 佛 教 の 創 始 者 で あ り 、 顯 密 両 教 の 初 祖 も し て 奉 信 せ ら れ 、 主 も し て 支 那 佛 教 史 、 昭 本 佛 教 史 上 主 要 な る 位 置 を 占 め て ゐ る 。 然 し 印 度 佛 教 史 や 、 西 藏 佛 教 史 上 に て は 、 大 乗 教 の 興 起 も 、 そ の 唱 導 者 は 龍 樹 出 世 以 前 に 於 て 既 に 大 乗 教 典 の 出 現 し 、 大 乗 教 も 唱 導 す る も の 多 く 輩 出 し た 史 料 を 残 し て 佛 教 發 達 の 趾 を 物 語 つ て ゐ る 。 呪 哉 西 藏 傅 に 於 て は 、 龍 樹 は 新 古 二 人 あ つ て 、 前 者 は 西 紀 二 世 紀 頃 の 出 現 も し 、 後 者 は 西 紀 六 世 紀 頃 の 出 世 も し 、 古 龍 樹 は 顯 教 を 、 新 龍 樹 は 密 教 を 弘 通 せ る も の も し て 両 者 を 峻 別 せ し む る こ も は 、 古 來 よ り 大 乗 教 の 創 始 者 を 唯 一 人 の 龍 樹 な り も 是 認 せ る 説 を 根 本 か ら 顛 覆 せ し む る も の で あ ら う 。 今 そ の 左 證 も し て 西 藏 鯨 よ り 新 龍 樹 傅 を 譯 出 し て 別 項 の 如 く 眞 言 密 教 研 究 者 の 参 考 に 供 す る こ も ゝ す る 。 固 も よ り こ の 新 龍 樹 傅 は 傅 記 も し て 完 全 の も の で は な く 、 殆 ざ 小 説 的 に 類 し て ゐ る や う な 記 傅 で あ る が 、 現 存 す る 西 藏 丹 珠 爾 部 (論 部 ) 中 に 編 輯 さ れ て ゐ る 多 数 の 密 教 書 が 新 龍 樹 の 造 も し て 秘 密 部 に 輯 入 せ ら れ 、 新 龍 樹 の 顯 教 に 關 す る 書 の 一 部 も 存 せ な い の み な ら す 、 新 古 両 龍 樹 出 世 年 代 の 遙 か に 遠 隔 せ る 史 料 に 徴 し て 推 認 せ ら る ゝ こ も ゝ 思 ふ 。 茲 に 別 項 新 龍 樹 傅 に 就 て 少 し く 研 究 し て み や う も 思 ふ 。 ( − ) 古 龍 樹 傳 に 就 て 西 紀 四 百 十 年 頃 に 羅 什 三 藏 の 譯 出 し た る 龍 樹 菩 薩 傅 (藏 九 、 二 四 右 ) に は 、 龍 樹 は 顯 密 両 教 の 始 祖 で あ る も
云 ふ や う な 史 料 は 記 し て ゐ な い 、 只 ﹁ 南 天 笠 に 於 て 佛 教 を 弘 め 、 外 道 を 摧 伏 し 、 廣 く 摩 訶 術 を 明 か に し 、 優 婆 提 舎 十 萬 偈 を 作 る 。 又 荘 嚴 佛 道 論 千 偶 も , 大 慈 方 便 論 五 千 偶 も を 作 り 、 摩 訶 術 の 教 を し て 大 に 天 笠 に 行 は し め 、 叉 無 畏 論 十 萬 偶 を 造 り 、 無 畏 中 に 於 て 中 論 を 出 す ﹂ 云 々 も め る が 如 く 、 大 乗 教 は 彼 が 始 め て 創 唱 し た の で は な く (西 紀 二二 三 年 頃 出 世 ) 彼 以 前 よ り 既 に 世 に 弘 通 せ ら れ て あ つ た ﹁ 摩 訶 衍 を 廣 く 明 か し 、 大 に 天 笠 に 行 は し め た ﹂ に 過 ぎ な い 。 彼 が 著 論 を 見 る も 一 も 密 教 に 關 す る も の は な い 。 ﹁ 無 畏 中 出 二 中 論 一﹂ も は 現 存 す る 漢 譯 の ﹁ 中 論 ﹂ で あ つ て 、 鳩 摩 羅 什 は 西 紀 四 〇 九 年 に 譯 し 、 西 藏 文 で は ﹁ 中 論 無 畏 疏 ﹂ も 名 け ら れ て 西 藏 佛 教 史 上 重 要 の 位 置 を 占 め て ゐ る 。 漢 譯 の ﹁ 中 論 ﹂ は 偏 頌 が 龍 樹 の 自 作 な れ ご 、 註 釋 は 青 目 菩 薩 の 造 で あ る が 、 西 藏 文 の は 偶 頌 も 疏 註 も 共 に 龍 樹 自 ら の 著 作 で あ る か ら 龍 樹 の 中 論 も し て 最 も 重 要 の も の で あ る 。 何 れ 機 を 見 て そ の 全 譯 を 發 表 す る 豫 定 で あ る 。 ﹁ 龍 樹 菩 薩 傳 ﹂ に は 密 教 に 關 す る 著 書 は 一 も 記 し て ゐ な い が 、 彼 が 外 道 を 調 伏 せ し も き 、 外 道 が 王 の 宮 庭 で 呪 術 を 以 て 千 葉 の 大 蓮 華 を 化 成 し 、 蓮 華 に 坐 し て 池 中 に 浮 び 、 陸 上 も 隔 離 し て 龍 樹 の 跟 随 を 断 絶 せ し め ん も し た の で あ つ た が 、 龍 樹 は 忽 ち 呪 文 を 念 じ て 六 牙 の 白 象 を 化 成 し 、 象 鼻 を 以 て 外 道 の 座 せ る 蓮 華 を 破 壊 せ し め 、 遂 に 外 道 を し て 彼 に 屈 伏 せ し め た も 云 ふ 挿 話 を 以 て 殆 ご 全 半 の 記 事 を 墳 め る の み で 何 等 密 教 々 理 に 顯 す る 典 籍 を 記 し て ゐ な い 。 外 道 呪 術 も の 蘭 争 の 如 き 物 語 は 當 時 印 度 に 於 け る 九 十 六 種 外 道 の 常 習 で あ つ て 、 是 れ に 樹 抗 す る 佛 教 者 の 對 抗 術 も 殆 ご 外 道 に 類 似 せ る 呪 文 を 以 て 應 對 新 龍 樹 傅 の 研 究 二 五
新 龍 精 傳 の 研 究 二 六 し た こ も は 、 啻 に 龍 樹 の み で は な か つ た の で 、 普 通 佛 教 者 の 外 道 退 治 に 用 ひ た 呪 術 で あ る 。 故 に こ れ の み を 以 て は 龍 樹 は 密 教 の 祖 師 で あ る も は 言 ひ 兼 ぬ る 次 第 で あ る 。 叉 西 紀 四 七 二 年 に 元 魏 の 吉 迦 夜 も 邑 曜 も の 共 譯 せ る 付 法 藏 因 縁 傅 ( 藏 九 、 百 七 右 ) に は 、 ﹁ 龍 樹 菩 薩 傅 ﹂ の 記 事 を 其 儘 に 襲 用 し 、 別 に 顕 密 二 教 に 關 す る 龍 樹 傅 は 存 せ な い 。 西 紀 四 百 九 十 年 頃 に 曇 曜 の 譯 し た る 摩 訶 摩 耶 經 に は 佛 の 豫 言 も し て 、 ﹁ 佛 滅 後 六 百 歳 に し て 九 十 六 種 外 道 の 邪 見 競 興 し て 佛 法 を 破 滅 す 。 一 比 丘 あ り 、 馬 鳴 も い ふ . 善 く 法 要 を 説 き 一 切 外 道 を 降 伏 す 。 七 百 歳 の 後 ち 一 比 丘 あ り 龍 樹 も 名 く 、 善 く 法 要 を 説 き 、 邪 見 の 幢 を 滅 し 、 正 法 の 炬 を 燃 や す ﹂ も て 以 下 千 五 百 年 時 代 に 至 つ て 佛 教 衰 減 す る 状 態 を 豫 盲 し て ゐ る 。 こ の 懸 記 は 無 論 龍 樹 ﹁ の 滅 後 に 於 て 編 纂 せ る も の も の で あ る が 、 新 龍 樹 の こ も は 何 事 も 記 し て ゐ な い 。 さ れ ざ 摩 訶 摩 耶 經 の 編 纂 者 は 龍 樹 出 世 を 豫 言 す る に 就 て も 顯 教 の 立 場 よ り こ の 經 典 を 編 纂 し た も の で あ る ゆ へ 、 新 龍 樹 の 事 蹟 に 及 ん で ゐ な い の は 無 理 か ら ぬ こ も で あ ら う 。 善 逝 宗 教 史 に 大 雲 經 を 引 用 し て 日 く 。 ﹁ 大 雲 經 に 櫨 れ ば 、 栗 茶 眦 族 よ 、 我 の 減 後 四 百 年 に 於 て 龍 も 名 け ら ろ 比 丘 あ り 、 我 が 教 法 を 宜 布 し 、 終 り に 世 間 第 一 の 光 りも し て 智 藏 光 如 來 も 稱 ぜ ら る よ も な ら ん 。 南 方 ビ ー ボ 國 に 救 難 な る も の 出 づ べ し 。 彼 の 八 十 歳 に し て 正 法 は 破 壌 ぜ ら る 際 に 、 そ こ に 幸 福 な る 大 沙 城 も 名 く る も こ ろ の 美 しま 河 の 邊 り の 北 岸 に 粟 茶 眦 族 の 青 隼 あ り 、 一 切 世 間 は 難 陀 も 稱 ぜ り 、 如 來 の 法 々 生 ぜ し め ん 爲 め に 我 が 名 を 持 つ て 生 ろ べ し 、 彼 に 龍 族 の 燈 明 如 來 の 前 に 於 て 、 年 尼 の 教 法 の 爲 め に 命 々 捨 て 、 そ の 誓 願 な 以 て 教 法 を 宣 傅 ゼ ん も 云 へ る こ も は 出 て ゐ る が 、 龍 樹 に 付 て は 明 瞭 で は な い 。 或 者 は 云 ふ 、 龍 樹 の 名 は 釋 迦 友 を 言 つ た も の で あ る も の 説 の 如 き 考 は ふ べ き で あ る 。﹂
善 逝 宗 教 史 に 引 用 せ る 大 雲 經 は 西 紀 四 百 二 三 十 年 頃 に 曇 無 識 の 譯 出 し た る 大 方 等 大 雲 經 で あ ら う も 思 は る ゝ が 、 こ の 漢 譯 の 中 に は ﹁ 善 男 子 よ 、 我 涅 槃 の 後 千 二 百 年 に し て 、 南 天 笠 の 地 に 大 國 王 あ り 、 娑 多 婆 呵 那 も 名 く 、 法 滅 せ ん も す る に 垂 も し て 飴 四 十 年 、 是 人 爾 時 當 に 中 に 出 で ゝ 大 乗 方 等 經 典 を 講 宣 し 、 垂 滅 の 法 を 極 抜 し 興 起 し 、 廣 く 是 經 を 世 に 流 布 せ し む べ し ﹂ も あ つ て 、 藏 文 の 大 雲 經 中 に は ﹁ 娑 多 婆 呵 那 王 ﹂ な る 王 名 な ざ は 出 て ゐ な い か ら 、 善 逝 宗 教 史 の 引 用 せ る 大 雲 經 は 曇 無 識 の 譯 出 せ る 大 方 等 大 雲 經 も は 別 本 で あ ら う 。 西 紀 三 百 八 九 十 年 頃 即 ち 符 秦 、 姚 秦 の 頃 に 沙 門 笠 念 (涼 州 人 ) の 譯 出 し た 方 等 無 相 經 五 巻 (缺 本 ) で は な か ら う か も も 思 は る ゝ が 、 何 分 善 逝 宗 教 史 の 引 文 は 前 に 和 譯 し た だ け の 文 で あ る か ら 其 以 上 比 較 す る 便 を 鉄 く こ も を 忍 ば ね ば な ら ぬ 。 西 藏 甘 珠 爾 部 中 に も 大 雲 經 あ り 、 題 し て 聖 一 萬 一 二千 大 雲 經 も 云 ふ 、 日 ︿ 。 ﹁ 栗 茶 眦 族 を 一 切 の 有 情 は 難 沱 も 呼 べ り 。 彼 は 佛 減 四 百 年 を 經 て 龍 も 名 け ら る 比 丘 も な り 、 我 が 教 法 を 廣 布 ぜ し む 。 彼 の 終 り に は 清 浄 光 地 も 名 く 乙 世 界 に 出 世 し て 如 來 應 供 正 等 慧 藏 光 も 名 け ら る べ し ﹂ も 。 尚 善 逝 宗 教 史 に は 大 雲 の 次 に 左 の 如 く 言 へ り 。 ﹃ 太 鼓 經 に は 、 ﹁龍 樹 の 懸 記 は 入 地 に 於 て 説 明 し 盡 さ れ た り も 云 ふ 、 之 な 考 ふ へ き も の な り ﹂ も 。 ﹁ 大 鼓 經 も は 漢 譯 で は 宋 求 那 跋 陀 羅 の 譯 し た 大 鼓 經 (楹 ) で あ ら う 。 西 紀 五 一 三 年 に 菩 提 留 支 の 譯 し た 新 龍 樹 傳 の 研 究 二 七
新 龍 樹 傳 の 研 究 二 八 る 入 楞 伽 經 第 九 巻 の 偈 文 に 、 ﹁ 如 來 滅 度 後 、 當 に 未 來 に 人 あ る べ し ⋮ ⋮ ⋮ 南 大 國 中 に 大 徳 比 丘 あ り 、 龍 樹 菩 薩 も 名 け 、 能 く 有 無 の 見 を 破 し 、 人 の 爲 め に 我 か 法 の 大 乗 無 上 注 を 説 き 、 歡 喜 地 を 證 し て 、 安 樂 園 に 往 生 せ ん ﹂ も の 懸 記 は 、 同 七 〇 四 年 (長 安 四 年 ) 譯 の 實 叉 難 陀 の 入 楞 伽 經 も 同 様 で あ る が 、 焚 藏 雨 原 本 に 龍 猛 も ゐ つ て 、 龍 樹 も は な つ て ゐ な い 、 從 て 本 経 の 編 纂 は そ の 内 容 よ り 見 て 無 著 、 世 親 (西 紀 四 五七出世 ) 以 前 の 年 代 で ら う 。 そ の 他 菩 提 留 支 の 譯 も し て 提 婆 菩 薩 破 楞 伽 經 中 外 道 小 乗 四 宗 論 一 巻 、 提 婆 菩 薩 楞 伽 経 中 外 道 小 乗 涅 槃 論 一 巻 あ れ ば . 楞 伽 経 は 無 着 世 親 以 前 の 編 纂 で あ ら う 、 從 つ て 斯 經 に は 密 教 的 思 想 を 有 し て ゐ な い 。 姚 秦 筏 提 摩 多 の 鐸 せ る 釋 摩 訶 衍 論 の 如 き は 龍 樹 の 造 も あ れ こ も 、 該 書 の 内 容 は 起 信 論 の 疏 釋 で あ つ て 密 教 書 で な く 既 に 偏 書 も し て の 定 論 あ り 、 或 は 支 那 僞 製 な り も せ ら れ る が 、 若 し 印 度 の 僞 作 に し て 龍 樹 の 著 書 で な い も す れ ば 、 そ は 恐 ら く 西 紀 六 世 紀 出 現 の 新 龍 樹 の 作 で は な か ら う か 。 若 し 斯 く 推 定 す る を 得 ぱ 起 論 の 製 作 に 就 て 種 々 の 異 説 あ れ ざ . 印 度 作 な り も 見 る こ も も 出 來 な い こ も も な か ら う 、 然 し こ れ は 俄 か に 決 定 す る こ も は 困 難 で あ つ て 、 尚 研 究 を 俟 た な け ね ば な ら ぬ も 思 ふ 。 尚 唐 不 室 の 譯 で 龍 樹 造 の 菩 提 心 諭 あ れ こ も 、 そ の 内 容 を 見 れ ば 、 華 嚴 経 、親 無 量 壽 經 。 涅 薬 經 、 大 日 経 を 引 用 さ れ て ゐ る 。 大 日 經 の 成 立 は 西 紀 四 世 紀 以 後 の 編 纂 で あ り 、 浬 薬 経 は 西 紀 四 一 八 年 に 法 顕 が 課 出 し て ゐ る が 、 是 も 亦 西 紀 二 世 紀 即 ち 龍 樹 出 世 以 後 の 編 纂 で 、 阿 合 經 中 の 涅 薬 經 を 基 調 も し て 敷 術 し た に 過 ぎ な い 。 さ す れ ば 菩 捉 心 論 は 古 龍 樹 の 述 作 で は な い 、 此 の 論 は 西 藏 冊 珠 爾 部 (第 二 十 五 函 )即
ち 論 部 に 編 入 さ れ て あ る が 、 秘 密 部 に 分 類 せ ら れ て あ る 。 呪 し て 同 論 中 に は 善 無 曇 二 藏 の 選 述 せ る 大 日 脛 供 養 次 第 法 を 引 用 し て ゐ る 。 さ れ は 大 日 脛 が 西 紀 四 世 紀 以 後 の 編 纂 で あ る か ら 西 紀 五 百 年 代 出 世 の 新 龍 樹 が 之 を 引 用 し た る 所 以 で あ ら う 。 新 龍 樹 に 就 て は 別 頃 参 照 あ れ 。 ( 二 ) 古 龍 樹 の 出 世 年 代 古 龍 樹 の 年 代 に 就 て は 。 龍 樹 菩 龍 傅 (藏 九 、 百 二 九 左 ) に は ﹁ 叉 南 天 笠 王 総 御 二 諸 國 一 信 二 用 邪 道 一 沙 門 釋 子 一 不 レ 得 レ 見 、 國 人 遠 近 化 二 其 道 一 ﹂ も の み あ れ ご 、 王 名 も 年 代 も 鉄 い て ゐ る 。 ﹁ 付 法 藏 因 緑 傅 ﹂ 第 五 (臓 九 、百十右 ) に も 王 名 は 擧 げ て ゐ な い 。 鳩 摩 羅 什 は 佻 秦 弘 始 三 年 十 二 月 二 十 日 に 龜 茲 國 よ り 後 秦 姚 興 に 迎 え ら れ 長 安 に 入 り 、 翌 弘 始 四 年 初 よ り 譯 釋 に 從 事 し . 正 月 五 昭 坐 禪 三 昧 經 を 譯 し 、 二 月 八 日 阿 彌 陀 經 を 、 そ の 夏 逍 遙 園 に て 大 智 度 一 百 巻 を 始 め 、 中 論 、 十 二 門 論 、 百 論 、 十 住眦 婆 抄 論 、 馬 鳴 菩 薩 傅 、 提 婆 菩 薩 、 龍 樹 菩 薩 傅 を 譯 出 し た 。 從 て 羅 什 は 龍 樹 滅 後 百 年 を 越 ゆ る こ も は な か ら う も 推 定 せ ら る の で あ る 。 ヘ ル ン レ 氏 は 龍 樹 の 年 代 に 就 て 左 の 如 く 定 め た 。 ﹁ 西 紀 百 八 十 年 頃 に 出 で た る 大 使 徒 は 龍 樹 な り 、彼 は 大 栗 佛 教 の 最 高 原 理 も し て 重 用 ぜ ら る る 大 智 度 論 を 著 は ぜ り 、 彼 の 長 命 の 中 に 、 新 佛 教 は 錫 崙 島 を 除 く 外 、 全 印 度 に 弘 通 ぜ ら れ た り ﹂ 。 西 藏 文 釋 迦 傅 ( イ ー シ ・ ヂ ヤ ル ツ ァ ン 著 、 に は 、 ﹁ 佛 滅 四 百 年 頃 、 南 印 度 ペ ン ガ ル 新 龍 樹 傳 の 研 究 二 九
新 龍 樹 傳 の 研 究 三 〇 溝 の 邊 リ ザ ホ ー ル 地 に 龍 樹 は 出 て 、 那 燗 陀 の 座 主 羅 喉 羅 跛 陀 羅 に 從 ひ て 出 家 し 、 是 足 戒 を 受 け た り ﹂ も あ り 、 こ の 佛 滅 四 百 年 出 世 説 は 西 域 記 第 三 雀 ( 二 六) に 迦 膩 色 迦 王 の 出 世 を 佛 滅 四 百 年 も せ る 説 も 一 致 す る の で 、 西 藏 史 で は 迦 膩 色 迦 王 (第 二 世 ) も 龍 樹 も は 同 時 の 出 世 も す る 。 然 し 西 域 記 の 四 百 年 出 世 の 迦 王 は 第 一 世 で あ る か ら 、 龍 樹 も 劃 比 す る こ も は で き な い 。 呪 し て 西 藏 釋 迦 傅 の 如 く 龍 樹 を 佛 滅 後 四 百 年 出 世 も す る こ も も 不 可 で あ る 。 西 紀 四 七 二 年 に 元 魏 の 吉 迦 夜 も 、 曇 曜 も の 共 譯 な る ﹁ 付 法 藏 因 緑 傅 ﹂ 第 五 (藏 九 、 百 七 右 ) に 出 つ る 龍 樹 傅 に は 當 時 の 王 名 を 記 し て ゐ な い が 、 龍 樹 傅 の 直 ぐ 前 の 處 に 馬 鳴 傅 を 出 し 、 馬 鳴 が 龍 樹 に 教 法 を 附 囑 し た こ も を 記 し て ゐ る 。 西 藏 史 で は 馬 鳴 は 捉 娑 も 共 に 龍 樹 の 弟 子 で あ る も し て ゐ る の で 、 ﹁ 付 法 藏 因 緑 傅 ﹂ も は 師 弟 の 關 係 が 顛 倒 す る の み で あ る が 、 馬 鳴 も 龍 樹 も は 同 時 代 の 出 現 た る に 於 て は 西 藏 史 も 同 一 で あ る こ も は 明 瞭 で あ る 。 そ し て 馬 鳴 は 迦 膩 色 迦 王 も も 同 時 代 で あ る こ も を 叙 し て 、 ﹁ 付 法 藏 因 緑 傅 ﹂ (藏 九 、百六右 ) に 、 ﹁ 爾 時 馬 鳴 即 語 レ王 言 、王 能 至 心 聴 我 説 法 、随 順 吾 教 、頂 戴 受 持 、 令 下 正 此 罪 、不 上 レ 入 地 獄 、罰 眠 託 (王 )言 善 哉 受 レ 教 、於 レ 是 馬 嶋 廣 爲 彼 王 、説 清 浄 説 ﹂ も 。 こ の 罰 眤 託 も は 迦 膩 迦 王 の 對 音 で あ る 、 迦 膩 色 迦 王 は 龍 樹 馬 鳴 以 前 の 第 一 世 で あ り 、 迦 膩 迦 王 は 龍 樹 時 代 の 第 二 世 の 王 名 で あ る 、 ス ミ ス 氏 は 迦 膩 色 迦 王 の 蹄 佛 は 西 紀 一 三 五 年 な
り も 云 へ り 。 從 來 ま で は 此 迦 王 を 唯 一 人 な り も 認 め て き た の で あ る が 、 馬 鳴 の 第 二 世 迦 膩 迦 王 に 送 つ た る 書 簡 文 が 西 藏 冊 珠 爾 郡 に 存 し て ゐ る 史 料 に 據 つ て 確 め る を 得 た の で あ る (拙 著 西 藏 語 丈 法 参 照 ) 。 馬 鳴 は そ の 著 大 乗 荘 嚴 論 經 中 に 、 自 己 の 著 佛 所 行 讃 を 引 用 し 、 迦 膩 色 迦 王 の 事 蹟 を 出 し て ゐ る 。 吉 迦 夜 も 曇 曜 も の 共 譯 な る ﹁ 雑 寳 藏 經 ﹂ 第 七 ( 宿 十 、 三 二 ) に も 罰 眤 託 王 の こ も を 記 し て ゐ る 、 曰 く 。 ﹁ 時 月 氏 國 有 レ 王 名 構 檀 罰( チ ヤ ン タ カ)眤 託(ニ タ ご)、 輿 智 人 、次 爲 親 友 、第 一 名 馬 鳴 菩 薩 、第 二 大 臣 字 摩 託 羅 、第 三 頁 馨 字 遮 羅 迦( チ ヤ ラ カ) 、 如 レ 此 三 人 王 所 親 善 ﹂ 。 こ の 頁 醫 遮 羅 迦 も は 如 何 な る 待 醫 な る か 。 ﹁ 付 法 藏 因 緑 傅 ﹂ 第 五 ( 藏 九 、 六 六 五 ) に 曰 く 。 ﹁ 復 有 一 聲 、 名 曰 遮 勤 、善 解 方 藥 、聰 敏 多 聞 、 利 智 辯 オ 、 慈 和 仁 愛 、 罰 眤 託( カ ニ タ) 王 素 聞 其 名 、毎 常 推 覓 ﹂ も 遮 勤 は ﹁ 雑 賢 藏 經 ﹂ の 遮 羅 迦 で あ る 。 ス ミ ス 氏 の 印 度 歴 史 に は 、 ﹁ 龍 樹 も 馬 鳴 も 、 醫 術 の も は 迦 膩 色 迦 王 時 代 に 佳 め り も 謂 へ り ﹂ も さ れ ば 此 チ ャ ラ ヵ も 名 く る 醫 師 も 同 人 で あ る こ も を 知 る で あ ら う 。 ワ ッ デ ル 氏 は 迦 膩 色 迦 王 ( 第 二 世 ) も 龍 樹 も の 關 係 を 記 述 し て 曰 く 。 ﹁ 繪 書 説 の 初 歩 は 二 世 紀 に 生 存 し た ろ 龍 樹 に 蹄 ぜ ら ろ 。 彼 に (星 海 の 方 ) の 迦 膩 色 迦 王 の 保 護 を 受 げ た り 、 吾 人 に 王 が 佛 教 建 築 の 装 飾 あ る 多 数 中 に 書 師 を 使 用 し た も 云 ふ こ も を 玄 弉 に 依 て 知 つ た の で あ る ﹂ も 。 迦 膩 色 迦 王 に 就 て は 、 大 毘 婆 沙 論 第 二 百 も 、 慈 恩 傅 第 二 に 出 つ る 佛 滅 第 四 百 年 代 の 出 世 の も の は 第 新 能 樹 傳 の 研 究 三 一
新 龍 樹 傳 の 研 究 三 二 二 世 迦 王 で あ る 。 玄 弉 の 西 域 記 第 三 巻 (二 六) の 迦 濕 彌 羅 國 の 條 に 云 へ る ﹁ 健 駄 羅 國 迦 膩 色 迦 王 以 來 、 以 如 來 涅 槃 之 後 第 四 百 年 應 期 撫 運 王 風 遠 被 ﹂ も 又 是 れ 第 一 世 の 迦 王 で あ つ て 、 龍 樹 時 代 の 迦 王 を 第 二 世 も し 、 龍 樹 も 馬 鳴 も に 關 係 す る 。 前 者 即 ち 第 一 世 は 迦 膩 色 迦 王 で あ り 、 後 者 は 迦 膩 迦 王 で あ つ て 、 二 王 は 只 其 名 に 於 て ﹁ 色 ﹂ 字 の 有 無 に 由 て 差 別 せ ら る の み で あ る が 、 後 世 歴 史 家 が 迦 王 を 唯 一 人 な り も 誤 認 せ し 爲 め に 、 二 者 間 に 此 差 別 あ る を 認 め ざ る に 至 り 、 恰 も 一 人 の 阿 育 王 を 二 名 あ り も す る が 如 き 正 反 對 の も の で あ る 。 タ ー ラ ・ ナ ー ド 印 度 佛 教 史 第 十 七 章 ﹁ 阿 利 耶 提 婆 時 代 ﹂ に 於 て . 馬 鳴 は 龍 樹 菩 薩 の 弟 子 阿 利 耶 提 婆 に 教 化 せ ら れ 、 佛 門 に 入 り 百 五 十 讃 等 を 著 作 し て 佛 徳 を 讃 歎 し た こ も を 記 し る の み な ら す 、 西 藏 佛 教 史 で は 斯 る 説 を 以 て 正 當 な り も 認 め て ゐ る 。 さ れ ば 龍 樹 は 迦 膩 迦 王 (第 二 世 ) も 、 馬 鳴 も 提 婆 も 殆ど 同 時 の 出 世 で あ る こ も は 明 瞭 で あ る 。 上 に 引 用 し た る 摩 訶 摩 耶 經 に 佛 の 懸 記 も し て 龍 樹 の 出 世 を 佛 滅 七 百 歳 の 後 ち な り も し て ゐ る の は 、 井 ン セ ッ ト ス ミ ス 氏 の 佛 滅 年 代 を 西 紀 前 四 百 八 十 七 年 説 や 、 衆 生 黙 記 の 推 定 説 西 紀 前 四 百 八 十 五 年 説 に 比 較 す れ ば 、 龍 樹 は 西 紀 二 世 紀 時 代 の 出 世 で あ ら う 。 ス ミ ス 氏 の 迦 膩 色 迦 王 の 蹄 佛 を 西 紀 百 三 十 年 な り も (古 代 印 度 史 二 四 三 頁 ) あ る は 第 一 世 迦 王 で あ る 。 ﹁ 佛 教 大 年 表 ﹂ に は 西 紀 二 一 三 年 説 も し て ゐ る 。 龍 樹 が 大 無 量 壽 經 や 阿 彌 陀 經 の 思 想 を 取 入 れ て ゐ る 大 智 度 論 や 十 佳 毘 婆 沙 論 等 よ り 考 ふ る に 、 大 無 量 壽 經 は 西 紀 二 五 二 年 に 印 無 の 康 僧 鎧 に よ り て 譯 さ れ て ゐ る か ら 、 龍 樹 は 砂 く も も 大 無 量 壽 經 の 漢 譯 時 代 の 前 後 の 出 現
で あ ら ね ば な ら ぬ 。 ケ ル ソ 氏 は 言 へ り 。 ﹁ 大 乗 經 典 無 量 壽 經 が 西 紀 百 四 十 八 年 よ り 百 七 十 年 間 に 始 め て 支 那 語 に 譯 さ れ た も い ふ こ も を 記 す れ ば 足 る 。 叉 迦 膩 色 迦 王 の 下 に 行 は れ た 結 集 の 頃 に 生 れ た る 龍 樹 は 大 乗 教 の 創 建 者 で あ る も い ふ 傅 説 も 亦 正 確 で あ る な れ ば 、 前 記 の 經 は 新 宗 教 で 編 成 し 、 叉 採 用 し た る 第 二 番 の 書 の 一 で あ つ た に 違 ひ な い 。 ﹂ と 。故 に 西 紀 四 七 二 年 譯 の ﹁ 付 法 藏 因 緑 傅 ﹂ 第 五 に 出 つ る 龍 樹 も 、 叉 ,龍 樹 菩 薩 傅 ﹂ の 龍 樹 も 等 し く 顯 教 に 屬 す る 龍 樹 で あ る こ も は 疑 ひ な い こ と ゝ 思 ふ 。 (梵 藏 原 本 の 入 楞 伽 經 に は 龍 猛 と あ っ て 龍 樹 と は な つ て ゐ な い 。 別 項 (七 )参 照 ) ( 三 ) 古 龍 樹 と 大 乗 經 出 現 龍 樹 も 大 乗 經 出 現 に 關 し て 、 龍 樹 が 龍 宮 よ り 多 く の 大 乗 經 典 を 此 世 界 へ 將 來 し た も 云 へ る 傅 説 が 、 よ し や 龍 宮 が 龍 種 族 な る 或 秘 密 國 で あ つ た も し 西 域 記 第 十 二 に ﹁ 干 聞 國 の 西 南 八 百 里 研 何 迦 國 な り も 假 定 す る も も 、 龍 樹 出 世 以 前 に 於 て 大 乗 經 諸 典 は 多く 東 流 し て 漢 譯 せ ち れ 、 笠 法 蘭 の 十 住 断 結 經 (西 紀七〇 ) 、 般 舟 三 昧 經 、 支 婁 迦 識 の 寳 積 經 二 巻 (西 紀一七九 ) 、 道 行 般 若 經 、 或 は 華 嚴 經 の ﹁ 名 號 品 ﹂ の 別 譯 な る ﹁ 兜 沙 經 ﹂ 、 無 量 清 浄 平 等 覺 經 、 大 方 等 大 集 經 、 如 幻 三 昧 經 等 の 多 く の 大 乗 諸 經 が 龍 樹 出 世 以 前 に 既 に 支 那 に 於 て 譯 出 せ ら れ て ゐ る 。 タ ー ラ ・ ナ ー ド 史 ﹁ 龍 樹 の 護 法 時 代 ﹂ の 下 に て 、 龍 樹 は 多 く の 陀 羅 尼 や 八 千 般 若 經 を 將 來 し た も あ れ と 、 龍 宮 か ら 將 來 し た も は 言 つ て ゐ な い 。 蓋 し 般 舟 三 昧 經 や 、 道 行 般 若 經 は 西 紀 二 七 九 年 に 漢 譯 せ ら れ て ゐ る か ら 、 龍 樹 以 前 の 大 乗 縄 を 彼 が 何 處 よ り か 將 來 し た 軍 新 龍 樹 傳 の 研 究 三 三
新 龍 樹 傅 の 研 究 三 四 い ふ 意 で あ ら う 。 又 大 乗 思 想 も し て は 阿 閾 佛 國 經 、 無 量 壽 經 の 如 き 早 き 時 代 よ り 誦 出 せ ら れ 、 大 般 若 經 の ﹁ 往 生 品 ﹂ の 終 に は 、 ﹁ 是 三 百 比 丘 此 身 を 捨 て ゝ 阿 閾 佛 園 に 生 す べ し ﹂ も 説 き 、 又 ﹁ 恒 伽 提 婆 品 ﹂ に は 女 人 成 佛 し て 阿 閾 佛 の 阿 眦 羅 提 國 土 に 生 す も 説 く が 如 き 、 般 若 經 、 維 摩 經 等 は 阿 閾 佛 の 往 生 思 想 に 關 係 し 、 法 華 經 、 華 嚴 經 、 般 若 三 昧 經 等 は 阿 彌 陀 佛 の 往 生 思 想 に 關 係 深 き を 見 る べ き も 、 未 だ 密 教 的 思 想 は 顯 は れ て ゐ な い 。 大 智 度 論 第 九 に は 法 華 經 . 阿 彌 陀 經 、 般 若 經 . 維 摩 經 等 を 引 用 し て ゐ る が 、 密 教 的 經 典 は 一 も 引 用 し て ゐ な い 。 只 佛 教 に 就 き 二 種 あ る こ も を 智 度 論 第 四 ( 國 譯 巻 一 、 一 二 九 ) に 説 い て ゐ る け れ と も 、 後 世 云 へ る が 如 き 秘 教 思 想 で は な く し て 、 顯 教 は 辟 支 佛 . 阿 羅 漢 が 各 煩 悩 を 断 じ 霊 し て 飴 す こ も な き 悟 證 の 自 利 の 境 界 で あ る も し 、 密 教 ε は こ れ 菩 薩 道 に し て 、 煩 悩 を 盡 く し 無 生 忍 を 得 れ ば 衆 生 を 教 化 す る 利 他 の 境 界 な り も 云 へ る に 過 ぎ な い の で あ る 、 曰 く 。 ﹁ 佛 法 に 二 種 あ り 、一 に 秘 密 、二 に 顕 示 な り 。 顕 示 の 中 の 佛 、 辟 支 佛 、 阿 羅 漢 は 皆 是 れ 幅 田 な り 、 其 煩 悩 を 壷 く し て 餘 す こ も 無 き を 以 ﹁ て の 故 な り 。 秘 密 の 中 に 説 く 諸 苦 薩 と は 、 無 生 法 忍 を 得 、 煩 惱 巳 に 断 じ 、 六 神 通 を 具 し 、 衆 生 を 利 益 す 。 顕 示 の 法 を 以 て の 故 に 前 に 阿 羅 漢 を 説 き 、 後 に 菩 薩 を 説 く 。 復 次 に 菩 薩 は 方 便 力 を 以 て の 故 に 現 に 五 道 に 入 り 、 五 欲 を 受 け 、 衆 生 を 引 導 す 、 若 し 阿 羅 漢 の 上 に 在 ら ば 、 諸 天 も 世 人 も 當 に 疑 怪 々 生 す べ し 、 是 の 故 に 後 に 説 け り ﹂ と 。
大
智
度
論
は
大
般
若
經
を
註
釋
し
た
も
の
で
あ
る
が
、
小
品
般
若
經
が
五
蘊
假
和
合
論
に
付
て
の
訓
話
的
阿
毘
曇
教
學
の
眞
の
佛
教
の
本
旨
に
悖
る
を
慨
し
、
原
始
的
佛
教
に
回
復
せ
し
め
ん
も
し
て
對
阿
毘
曇
教
學
の
五
蘊
論
を
否
定
的
に 説 明 し た る に 對 し 、 大 般 若 經 は 小 品 八 千 般 若 經 の 否 定 的 説 明 を 積 極 的 に 開 顯 せ ん が 爲 め に 編 輯 し た る も の で あ る が 故 に . そ の 大 般 若 經 の 註 解 書 も し て 大 智 度 論 が 大 般 若 經 が 指 示 す る が 如 き 内 容 ε 相 關 係 し 、 顯 教 的 大 乗 教 を 闡 明 し た も の で あ る か ら 、 密 教 的 註 解 書 で な い こ と は 言 ふ ま で も な い 。 又 龍 樹 が 龍 宮 に 入 り 、 龍 王 よ り 諸 方 等 深 奥 教 典 の 七 函 を 授 か り 、 龍 に 送 ら れ て 南 天 笠 に 出 て 、 大 に 外 道 を 摧 破 し て 摩 訶 衍 を 弘 通 し た と い へ る ユ ト ー ビ ヤ 説 を 擧 げ て あ れ ど 、 大 智 度 論 に は 龍 樹 自 か ら 龍 宮 に 入 つ た と い ふ が 如 き 傅 説 は 何 處 に も 記 し て ゐ な い 。 同 論 第 十 二 の 終 り に 、 ﹁ 能 施 太 子 が 龍 宮 に 入 り て 寳 を 採 る ﹂ 話 や 、 同 論 第 十 七 (國 譯 第 一 、 六 〇 八 ) に ﹁ 一 阿 羅 漢 が 龍 宮 に 入 り 、 蓮 華 香 を 聞 い て 、 龍 神 の 爲 め に 呵 せ ら れ た る ﹂ 因 縁 談 を 載 せ て ゐ る の み で あ る 。 古 龍 樹 が 龍 も 關 係 せ し も い ふ 傅 説 は 大 乗 經 將 來 に 就 て の 物 語 で あ れ と 、 こ れ は 叙 上 の 如 く 龍 樹 出 世 以 前 に 於 て 砿 に 華 嚴 教 等 大 乗 經 典 が 東 方 に 流 傅 し 譯 出 せ ら れ て ゐ る 以 上 は 、 か ゝ る 傅 説 は 一 顧 の 價 億 も 止 め な い こ も ゝ な つ た の で あ る が 、 若 し 是 を 新 龍 樹 の 説 傅 で あ る も す れ ば 、 多 少 認 め ら る べ き 史 料 も 存 す る 。 別 項 譯 出 し た る ﹁ 新 龍 樹 傅 ﹂ 中 に は , 新 龍 樹 が 、 南 方 吉 鮮 山 に 到 る 途 中 の 或 河 に 一 龍 を 見 て 、 之 を 調 伏 し た も い ふ 物 語 を 叙 述 し て ゐ る 。 さ れ ど 此 物 語 の 中 に は 大 乗 經 將 來 云 々 の 記 事 は 存 せ な い か ら 両 者 は 多 少 其 趣 を 異 に し て ゐ る 。 ( 四 ) 古 龍 樹 以 前 の 大 乗 教 創 始 者 古 龍 樹 出 世 以 前 よ り 既 に 大 乗 の 諸 經 典 が 世 に 出 現 し た こ と は 叙 上 の 如 く 、 普 通 に 知 ら れ て ゐ る 史 實 新 龍 樹 傳 の 研 究 三 五
新 龍 樹 傅 の 研 究 三 六 で あ る 。 西 藏 傅 に て は 夙 に 大 乗 教 諸 經 典 は 龍 樹 以 前 に 成 立 し て ゐ る こ も を 認 め て ゐ る の は 西 藏 佛 教 史 家 の 一 般 の 定 説 で あ る も 云 つ て も よ い柱 貌 で あ る 。 タ ー ラ ・ ナ ー ト 六 は 印 度 佛 教 史 第 十 三 章 ﹁ 大 乗 宣 布 興 起 の 時 代 ﹂ に 。 ﹂ 大 徳 阿 毘 多 爾 迦 と 、 ビ ガ タ ラ ー ガ ド フ ザ ジ ャ と 、 デ プ ヤ ー カ ラ ・ グ プ タ 、 ラ ー フ ラ ・ ミ ヅ ト ラ ) ジ ユ ニ ャ ー ナ ・ タ ー ラ ー 、 大 優 婆 塞 サ ン ガ タ ー ラ 等 の 教 法 師 約 五 百 人 現 は る 。 そ の 時 大 寳 積 經 の 十 萬 頌 、有 空 集 、華 嚴 經 、入 拐 伽 經 、密 嚴 經 、眞 賢 法 集 經 等 出 現 し た 。 乃 至 ﹁ 酉 南 の サ ウ ラ ー シ タ 國 の 婆 羅 門 鳩 梨 迦 な る も の に 、 ア ン ガ 園 の 大 長 老 阿 羅 漢 難 難 が 大 乗 法 を 執 持 ぜ る 由 を 傳 聞 し 、 彼 を 招 致 し て 大 乗 法 を 聞 き し 因 縁 に ょ り て 、 是 等 の 諸 大 乗 經 典 は 彼 婆 羅 門 が 種 々 の 方 使 を 以 て 集 致 し た の で あ る 。 而 し て こ の 事 情 を 西 方 の 羅 叉 阿 濕 縛 玉 ( 相 馬 王 ) の 聞 く と こ ろ も な り 、 王 は 諸 比 丘 に 贈 呈 し 、 或 は 書 寫 ゼ し め 、 そ の 晩 年 に 那 蘭 陀 寺 に 保 管 ぜ し め た ﹂ と 云 ふ 。 同 第 十 四 章 ﹁ 羅 喉 羅 跛 陀 羅 の 時 代 ﹂ に 曰 く 。 ﹁ そ の 時 代 に 婆 羅 門 の 因 陀 羅 度 孚 盧 婆 王 な る も の あ り 。 乃 至 彼 の 王 が 王 國 を 建 設 ぜ し 時 代 に 大 阿 闍 梨 耶 の 婆 羅 門 に し て 羅 喉 羅 跋 陀 羅 な る も の は 那 繭 陀 寺 に 來 り 、 尊 者 迦 羅 に 從 ひ 具 足 戒 を 受 け 、聲 聞 の 諸 臓 部 を 聞 け り ・ ・ ・・彼 は 阿 毘 多 盧 迦 等 の 阿 闍 梨 耶 よ り も 亦 大 乗 法 を 聞 き し も 、 圭 と し て 秘 密 主 等 の 諸 天 よ り 大 乗 の 諸 經 典 と 、 坦 特 羅 を 聞 き 、 中 道 の 宗 風 を 弘 通 ぜ り 。 彼 も 同 時 に 尊 者 迦 摩 羅 伽 盧 跛 と 、 伽 那 薩 等 の 中 道 の 宗 義 を 教 ゆ る 大 徳 約 噂 百 人 出 て た リ 、 ・・ ・・ ・ ・是 れ 以 前 よ り 修 ぜ ら れ た ろ 三 諭 伽 系 の 一 切 坦 特 羅 部 も 、 秘 密 集 も 、 佛 干 等 融 合 も 、 化 現 等 の 無 上 品 類 は 存 在 ぜ り ﹂ 、 云 々 と 。 上 に 擧 げ た る 入 楞 伽 經 が 古 龍 樹 以 前 に 世 に 現 は れ た と 云 へ る 如 き は 、 龍 樹 以 後 の 編 纂 な れ と 、 ﹁ 南 天
竺 に 龍 猛 菩 薩 は 出 で ゝ 有 無 、見 を 破 す べ し ﹂ と の 如 來 の 懸 記 の 文 を 其 ま ゝ に 信 じ 、 之 を 龍 樹 出 世 以 前 の も の な り も し て 該 經 典 の 豫 言 を 事 實 な ら し め ん と せ し タ ー ラ ・ ナ ー ト 史 家 の 考 配 に 由 る も の で あ る 。 叉 羅 喉 羅 跛 陀 羅 時 代 に 多 く の 秘 密 坦 特 羅 の 經 典 世 に 出 で て 、 中 道 の 宗 風 を 弘 通 し た も 云 へ る こ と も 、 是 は 古 龍 樹 の ﹁ 中 論 ﹂ 思 想 に 基 い た る 中 道 教 義 で は な く し て 、 無 着 世 親 以 後 即 ち 西 暦 五 世 紀 時 代 に 出 で た る 諸 坦 特 羅 教 義 を し て 、 そ の 紀 源 を 古 代 發 た ら し め ん も の 坦 特 羅 派 の 思 想 的 基 礎 を 試 み た も の に 過 ぎ な い も 思 ふ 。 呪 し て 西 暦 五 世 紀 年 代 に 出 現 し た る ﹁ 新 龍 樹 ﹂ の 秘 密 教 を し て 古 典 的 承 繊 の 教 義 た ら し め ん も の 史 實 捏 造 説 で あ ら う 。 只 茲 に は 古 龍 樹 以 前 に 於 て 顯 教 的 大 乗 教 經 が 民 間 に 族 出 し て ゐ た と い ふ 史 實 の 一 端 を 討 検 す れ ぱ 足 る こ も ゝ 思 ふ の で あ る 。 (梵 藏 原 本 の 入 楞 伽 經 の 龍 猛 懸 記 設 は 別 項 (七 )参 照 ) ( 五 ) 古 龍 樹 の 出 處 と 、 そ の 師 名 古 龍 樹 の 出 處 に 就 て 、 ﹁ 龍 樹 傳 ﹂ ( 藏九 、百十二 左 ) に 、 ﹁ 龍 樹 菩 薩 者 、 出 南 天 竺 梵 志 種 也 。 天 聰 奇 悟 事 不 再 告 ﹂ も め つ て 、 そ の 國 名 併 父 母 の 名 を 記 し て な い 。 ﹁ 龍 樹 傅 ﹂ を 織 承 せ ー ﹁ 付 注 藏 因 縁 傅 ﹂ 第 五 (藏 九 、 百 七 右 ) に 、 ﹁ 南 天 竺 幽 出 梵 志 種 大 豪 家 ﹂ も あ る の み で 、 彼 が 出 處 は 不 明 で あ る 。 タ ー ラ ・ ナ ー ト 史 第 十 五 章 、﹁ 龍 樹 の 護 法 時 代 ﹂ に も 、 龍 樹 の 出 處 を 缺 い て ゐ る 。 然 か し バ ク サ ム ・ ジ ソ ザ ソ に 曰 く 。 ﹁龍 樹 に 南 方 ザ イ ダ ル ブ ハ 國 に 於 げ る 婆 羅 門 族 に 生 れ た 、 そ の 時 人 相 帥 に 觀 せ し ご こ ろ 、只 事 で な い か ら 婆 羅 門 や 比 丘 衆 新 龍 樹 傳 の 研 究 三 七
新 龍 樹 偉 の 研 究 三 八 を 各 百 名 つ ゝ 招 し て 祭 祀 々 行 は ゞ 、 壽 は 各 七 ケ 月 か 或 七 年 間 延 ふ る で あ ら う も 言 は れ て 、 父 母 は 教 へ の 如 く 修 し た の で 。 が く て 七 か 年 間 近 く な つ た と き 、 子 供 の 死 骸 を 見 る に 忍 ひ な い と 思 惟 し 、彼 の 屍 を し て 他 國 に 漂 泊 ゼ し め た 、 那 蘭 陀 寺 に 到 著 し て 薩 羅 訶 に 出 會 ひ 、 無 量 壽 (佛 ) の 陀 羅 尼 を 輿 へ ら れ 、 そ れ を 會 誦 し て 生 命 を 延 に す こ と ん 得 た 。 八 蔵 の ご き 座 主 羅 喉 羅 よ り 、 説 一 切 有 部 に 於 て 出 家 學 道 し た 。 薩 羅 訶 よ り 秘 密 集 や 、 優 婆 提 舎 な と を 聞 き 、 十 九 歳 の と き 前 の 律 師 よ り 具 足 戎 を 受 け 、 名 を 具 吉 祥 有 慧 と 名 け ら れ た 。 大 孔 雀 (神 呪) と 、 ク ル 、 ク レ ー 等 を 成 就 し 多 く の 悉 地 を 得 し 、 殊 に 不 死 の 禪 定 に 入 て 金 剛 身 を 成 就 し 、 プ ハ ラ ブ よ の 教 誠 を 請 ひ 、 叉 ﹁ 中 有 の 地 ﹂ よ り 錬 金 液 を 取 り 、 那 蘭 陀 の 司 計 係 と な つ た 際 に 大 飢 饉 に 會 ひ し か ば 、 (錬 金 術 を 以 て ) 大 小 乗 の 比 丘 衆 の 生 活 た 助 け 、 天 母ナ ァ ン デ ィ カ を 修 し て 十 二 ケ 年 生 活 を 維 持 し た 。 龍 樹 の 説 法 を 聞 け ろ タ ク シ ヤ カ 龍 の 二 女 は 人 界 に 來 つ た 聴 聞 ぜ し 因 縁 に よ の 、 彼 は 龍 國 に 招 か れ て 盆 い た 。 か く て 龍 よ り 堀 (寳 塔 建 立 用 ) と 十 萬 靴 と 、 多 く の 陀 羅 尼 を 將 來 ぜ し か ば 龍 樹 (龍 に 因 て 成 就 ぜ ら る ) と 稱 ぜ ら れ た の で あ ろ 。 彼 は リ カ ラ 樹 よ り 錬 金 液 を 製 し て 布 施 し た 。 叉 婆 羅 門 ク フ ヤ 、 シ ュ リ ー ラ の 弟 ナ に て 三 藏 通 達 の ハ ヤ 、 パ ー ラ の 弟 子 ハ ヤ ク ホ シ ャ よ の 救 度 佛 母 の 坦 特 羅 等 を 聞 き 、 ド ハ ヌ ヤ ・ カ タ カ 地 よ り 摩 訶 迦 羅 八 大 龍 王 の 一 ) の 坦 特 羅 と ク ル 、 ク レ ー の 坦 特 羅 も を 將 來 ぜ り と 謂 に る 。 そ れ 以 後 に 於 て 印 度 に は 大 乗 經 典 の 新 ら し き も の は 出 現 ぜ な か つ た も 謂 は う な り ﹂ と 。 こ の ﹁ パ ク サ ム ・ ジ ・ ソ ザ ン ﹂ 史 の 龍 樹 傅 は 全 く ブ ト ン リ ソ ボ ソ ェ 師 の 著 善 逝 宗 教 史 (百 十一頁 ) に 據 つ た も の で あ る 。 今 そ の 煩 を 厭 は す 研 参 の 爲 め に 左 に 全 文 を 譯 出 す る 、 曰 く 。 ﹁ 佛 減 後 四 百 隼 の と き 、 南 方 ヴ ィ ダ ル ブ ハ 國 に 富 豪 婆 羅 門 め り 、 子 な か り し が 、 夢 中 に 於 て 若 し 百 人 の 婆 羅 門 を 招 致 し て 供 養 す れ ば 子 供 々 得 へ し と の 神 の 告 々 蒙 つ た か ら 、 そ の 如 く 修 し て 新 願 を 込 。 し も こ ろ 七 ケ 月 に し て 一 子 を 生 め り 。 人 相 師 に 占 ほ し め し に 、 げ に 善 翻 な 有 す れ と も 、 七 日 を 經 過 ゼ は 死 す べ し と 言 は れ 、 そ に 如 何 に ぜ ば 危 難 を 逸 ゐ ぺ き や を 間 れ し に 、 婆 羅 門 百 名 を 供 養 ぜ ば 七 ケ 月
を 、 比 丘 衆 百 名 を 供 養 ぜ ぱ 七 ケ 年 の 壽 命 を 得 べ し 、 そ の 外 に 頁 法 な し ぞ 告 げ ら れ た 。 斯 く て 教 へ の 如 く な し て 七 年 間 近 く な つ た と き 、 父 母 は 子 供 の 死 骸 を 見 う に 堪 へ す し て 、從 僕 を 附 け て 他 國 に 漂 泊 ゼ し め た 。 彼 子 供 は 諸 處 を 巡 り し 後 ち 吉 祥 那 爛 陀 寺 の 傍 に 來 り 、詩 を 作 り て 唱 誦 ぜ し も こ ろ 、 そ こ に 佳 ぜ ろ 婆 羅 門 薩 阿 羅 の 聴 く も こ ろ も な り 、 室 内 へ 導 か れ 、 そ の 因 由 を 語 り し に 、 阿 闍 梨 耶 は 出 家 す る こ そ 可 け れ も 曇 は れ て 遂 に 出 家 し た 。 無 量 壽 (佛 ) の 呪 文 の 死 神 を 摧 伏 ぜ し む べ き 曼 茶 羅 な 加 持 し 、 陀 羅 尼 を 唸 誦 し た 。 特 に 満 七 歳 に な ら ん も す る 夜 中 に 唸 し 詰 め に し た か ら 遂 に 死 神 よ り 脱 か る を 得 た の で 父 母 も 邂 逅 し て 非 常 に 嬉 ん だ こ と で あ ゐ 。 そ の 後 薩 羅 訶 に 向 ひ 、 秘 密 集 等 の 奥 義 を 請 ふ た の で あ る 。 後 ち 、 那 蘭 陀 寺 の 座 主 、羅 喉 羅 跋 陀 羅 に 乞 ひ て 具 足 戎 を 堂 け 、 具 吉 群 名 附 け ら れ た 。 か し く 那 蘭 陀 の 會 計 主 任 と な つ た 。 時 に 大 飢 饉 起 り し 故 に ﹁ 中 有 の 地 ﹂ よ り 錬 金 液 を 取 り 、 黄 金 を 作 り て 僧 伽 の 苦 惱 を 脱 か れ し め 、夏 安 居 の 中 、諸 僧 伽 を し て 憔 悴 ゼ ざ ら し め 、 死 を 見 て 憂 愚 を 生 す に よ り 、 僧 伽 の 憂 量 を 云 何 に ぜ は 除 か る や を 尋 ね ら れ 、前 の 方 法 を 話 せ し に 、 僧 伽 は 請 に す し て 、不 正 の 生 活 を な し て 居 つ た か ら 、夏 安 居 よ り 出 て 、伽 藍 寳 塔 と を 建 立 す べ し も 命 じ た 。 か く て 世 間 も 出 世 間 こ の 悉 地 を 得 し た 。 そ の 時 比 丘 商 迦 羅 な う も の は 「 明 嚴 飾 ﹂ も 名 く る 奥 義 十 二 萬 頌 を 造 り て 一 切 を 論 破 し た 。 彼 に 之 を 調 伏 ぜ ん 爲 め に 那 蘭 陀 に 於 て 講 演 を し た 。 そ の 時 一 愚 人 は 二 法 を 聞 き 、 地 下 に 下 つ た か ら 誰 な る や を 尋 ね し に 、龍 な り と 告 げ し 故 に 、 河 闍 梨 耶 は 夜 叉 神 の昵 即 ち 寳 を 將 來 ぜ よ と 告 げ し に 、 彼 者 は 之 を 龍 王 に 訊 ね し に 、 阿 闍 梨 耶 を 招 致 す べ し 命 ぜ ら れ 、 利 益 あ ろ べ き を 知 り 、 龍 國 に 到 つ て 説 法 し た 。 そ の 時 龍 は 此 處 に 滞 錫 ゼ ら れ か し も 請 ひ し に 、 我 は 寳 塔 を 建 立 す る に 必 要 な る昵 (寳 ) と 、 十 萬 の 座 具 を 求 め に 來 つ た の で あ る か ら 滞 留 す ろ こ と は で き な い 旨 を 告 げ た 。 か く て 多 量 の 堀 と 、 十 萬 座 具 も 、 僅 少 の 書 典 と を 請 來 し た が 、 十 萬 の 靴 は 龍 の 奥 ふ ろ と こ ろ も に な ら な か つ た と 謂 ふ 。 後 ち 彼 は こ の昵 を 以 て 多 の 寳 塔 を 建 立 し 、 多 く の 龍 は 手 傅 を し て 工 事 な 竣 工 ぜ し め し 故 或 者 ば 言 へ り 、 龍 國 に 行 か な か つ た な ら ば 成 功 ぜ な か つ た で あ ら う 、 そ れ よ り 龍 樹 (龍 成 就 ) も 云 ふ 名 を 成 ぜ り も 。 其 後 リ カ ラ 樹 を 生 長 ぜ し め て 錬 金 液 を 製 し 、 大 施 行 を 修 し た 、 時 に 二 人 の 婆 羅 門 老 人 に 多 量 の 黄 金 な 興 へ け る に 、 老 人 は 龍 樹 の 待 者 と な つ て 聞 法 し た . か く て 彼 は 後 ち 阿 闍 梨 耶 新 寵 樹 傳 の 研 究 三 九
新 龍 樹 停 の 研 究 四 〇 龍 智 と な つ た の で あ る 。 ・ ・ ・・ 龍 樹 の 著 書 も し て は 、 雜 經 、 二 十 曼 茶 羅 儀 軌 、 醫 明 論 、 風 規 論 、 百 論 、 中 道 寳 鬘 、 因 縁 交 番 合 論 、 錬 金 術 、 秘 密 集 疏 等 を 造 る ﹂ 云 々 。 古 龍 樹 傳 の 出 生 地 に 付 て 漢 譯 龍 樹 傅 に は 只 南 方 の 婆 羅 門 族 に 生 る も の み あ れ ど 、 善 逝 宗 教 史 併 そ れ を 引 用 し た る パ ク サ ム 、 ジ ョ ン ザ ン 史 に は 南 方 ヴ ィ ダ ル ブ ハ 國 の 婆 羅 門 族 の 出 生 な り も あ る だ け で 、 そ の 両 親 の 姓 名 は 記 し て ゐ な い の は 漢 藏 両 史 も も 同 じ で あ る 。 新 龍 樹 傅 の 出 所 地 は 、 東 力 の 印 度 の 勘 知 州 の ヵ ホ ラ 地 の 婆 羅 門 族 の 出 生 な り も し て ゐ る か ら 、 こ の 龍 樹 に 新 古 両 人 あ つ た も い ふ こ も に な る 分 け で あ る 。 二 種 藏 史 に 出 て ゐ る 記 事 中 、 龍 樹 は 那 蘭 陀 寺 に て 薩 羅 訶 に 師 從 し て 無 量 壽 佛 の 陀 羅 尼 を 授 か り 、 そ れ を 唸 誦 し て 天 死 を 脱 る 、 を 得 た 後 に て 、 那 蘭 陀 の 座 主 羅 候 羅 跛 陀 羅 よ り 説 一 切 有 部 派 に 於 て 出 家 し た も い ふ こ も 、 錬 金 液 を 以 て 飢 饉 に 瀕 せ る 那 蘭 陀 の 教 團 比 丘 衆 を 救 助 し た こ も 、 龍 國 に 入 り て 賢 塔 建 立 用 の 堤 即 賢 を 貰 ひ 受 け 、 此 世 に 蹄 り 來 て 多 く の 寳 塔 を 建 立 し た こ も を 記 し て ゐ る 。 然 か し 漢 譯 の 龍 樹 傅 に は そ れ ら の 物 語 は 毫 も 存 せ な い 、 只 ﹁ 大 龍 菩 薩 は 是 の 嘆 き 情 を 見 て 愍 み 、 即 ち 之 を 接 し て 海 に 入 り 宮 殿 中 に 於 て 七 寳 藏 を 開 き 、 七 寳 華 函 を 發 き 、 諸 方 等 深 奥 經 典 と 、 無 量 妙 法 と を 以 て 之 を 授 く 、 龍 樹 受 讃 し 九 十 昭 中 通 解 す る 甚 だ 多 し 、 ⋮ ⋮ ⋮ 龍 樹 既 に 諸 經 を 得 て 一 相 深 く 無 生 法 思 に 入 つ て 具 是 し 、 龍 に 送 ら れ て 還 り 來 り 、 南 天 笠 に 出 で ゝ 大 に 佛 法 を 弘 め 、 外 道 を 権 伏 し 、 廣 く 摩 訶 衍 を 明 か し 、 優 婆 提 舎 十 萬 偈 を 作 る ﹂ ( 龍 樹 傳 藤 九 、百一二右 ) と あ る の み で あ る 。 此 處 に は ﹁ 諸 方 等 深 奥 經 典 と 無 量 妙 法 ﹂ と あ る が 、 こ の ﹁ 無 量 妙 法 ﹂ と は 藏 吏 の 無 量 壽 佛
の 呪 文 ざ 云 ふ に 稍 似 て ゐ る や う で あ れ と 、 俄 か に 断 定 し が た い が ﹁ 深 く 無 生 法 忍 に 入 る ﹂ ご は 無 生 法 忍 に 入 り 歡 喜 地 を 證 し て 安 樂 國 に 生 す ご い ふ 呵 彌 陀 佛 の 思 想 に 關 す る こ も だ け は 確 か で あ つ て 正 し く 顯 教 の 龍 樹 こ い つ て も よ い 。 善 逝 宗 教 史 に は 、 龍 樹 の 著 書 と し て 、 翳 明 論 、 百 論 、 中 道 寳 鬘 、 香 合 論 を 擧 げ て ゐ る の は 顯 教 に 屬 す る も の で あ る け れ と 、 漢 譯 傅 の ﹁ 優 婆 提 舎 十 萬 偈 、 荘 嚴 佛 道 論 五 千 偈 、 大 茲 方 便 論 五 千 偈 、 中 論 五 百 偈 を 作 り て 摩 訶 衍 を 天 笠 に 行 は し た ﹂ も 云 へ る が 如 き 明 瞭 な る 顯 教 に 屬 す る 論 者 の 砂 少 な る は 如 何 な る も の で あ ら う か 。 丹 珠 爾 部 第 十 七 函 中 に は 、 中 論 偈 頌 、 中 論 無 畏 疏 、 百 論 、 百 論 自 釋 、 七 十 空 性 義 、 七 十 室 性 義 自 釋 、 廻 諍 論 、 廻 諍 論 自 釋 . 大 乗 二 十 頌 論 、 中 道 遷 有 論 等 は 古 龍 樹 の 顯 教 論 部 と し て 編 輯 さ れ て ゐ る の み な ら す 、 是 等 諸 論 の 藏 譯 は 大 概 八 世 頃 よ り 十 紀 世 ま で に 欽 定 譯 も し て 發 刊 さ れ た も の で あ る が 故 に 、 西 紀 一 二 八 八 年 に 生 れ た る 西 藏 最 初 の 史 家 プ ト ン リ ン ボ ツ エ 師 の 著 善 逝 宗 教 史 に 記 載 せ ら れ な い 事 情 は な か つ た 筈 で あ る の に 、 該 史 中 の 龍 樹 傳 に は 是 等 の 書 物 の 名 を 列 擧 し て ゐ な い の は 少 し く 疑 惑 な き を 得 な い も 思 ふ 。 ブ ト ン 師 は 西 藏 大 藏 經 の 甘 珠 爾 郡 と 丹 珠 爾 部 も を 編 纂 せ し 高 名 な る 西 藏 史 家 で あ る 。 そ し て 彼 が 大 藏 經 目 録 に は 龍 樹 や 無 着 世 親 の 著 書 を 列 記 し て ゐ る に 拘 は ら ず 、 彼 が 印 度 佛 教 史 と し て の 善 逝 宗 教 史 に は 叙 上 の 如 く 龍 樹 の 顯 教 に 關 す る 著 書 の 漏 れ て ゐ る 所 以 は 果 し て 如 何 な る 理 由 に 基 く も の で あ る か 。 惟 ふ に ブ ト ン 師 が 龍 樹 傅 を 書 く 時 に 、 既 に 藏 譯 せ ら れ た 古 龍 樹 の 著 書 等 に 擦 ら す し て 、 當 時 印 度 よ り 傅 來 せ ら れ て あ っ た も こ ろ の 龍 樹 傳 を そ 新 龍 樹 傳 の 研 究 四 一
新 龍 樹 傳 の 研 究 四 二 の 儘 に 善 斯 宗 教 史 中 へ 編 入 し た も の で は あ る ま い か 。 斯 く し て そ の 後 に 編 纂 せ ら れ た る 西 藏 傅 の 種 々 の 印 度 佛 教 史 も 矢 張 ブ ト ン 師 の 善 逝 宗 教 史 中 に 叙 せ ら れ て ゐ る 龍 樹 傅 も 大 同 小 異 の 記 事 を 盛 つ て ゐ る の を 見 て も 粗 ぼ 西 藏 の 龍 樹 傳 は 印 度 傳 來 の ま ゝ を 襲 用 し た も の で あ る も 思 は れ る 。 達 願 第 五 世 ﹁ ガ ー ワ ン ・ ヂ ャ ム ッ オ ﹂ の 著 印 度 佛 教 史 、 宗 喀 巴 の 著 菩 提 順 道 、 清 朝 乾 隆 年 時 代 の 章 嘉 喇( チい ソ チ ヤ) 嘛 の 著 印 度 源 流 史 、 パ ク サ ム ジ ョ ン ザ ン 史 の 如 き 、 悉 く 善 逝 宗 教 史 中 の 龍 樹 傳 と 同 様 の 叙 述 を 以 て 始 終 し て ゐ る 。 故 に 西 藏 傅 の 龍 樹 の 傅 記 は 要 す る に 顯 教 の 古 龍 樹 と 、 密 教 の 新 龍 樹 も の 両 傅 を 混 同 糧 合 し て 編 纂 せ る も の で 、 殊 に 西 藏 の 龍 樹 傅 は 密 教 に 關 す る 傅 説 の 挿 人 せ ら れ た る も の は 、 顯 教 に 關 す る 古 龍 樹 傳 の 部 分 よ り も そ の 量 に 於 て 頗 る 多 き を 認 む る で あ ら う 。 從 て 西 藏 の 龍 樹 傅 は 漢 譯 の ﹁ 龍 樹 傅 ﹂ (西紀四百十 年 頃羅什三藏薜 ) よ り は 餘 程 後 世 に 印 度 に 於 て 編 纂 せ ら れ た も の で 、 恐 ら く 無 着 世 親 出 世 後 即 ち 第 六 世 紀 頃 の 製 作 で あ ら う と 思 は る 。 何 と な れ ぼ 新 龍 樹 は 別 項 譯 文 に あ る 王 名 等 よ り 考 察 す れ ば 、 第 五 世 よ り 第 六 世 紀 間 の 出 世 で あ る か ら で あ る 。 善 逝 宗 教 史 に 、 龍 樹 の 著 書 も し て 香 合 論 の 存 す る に 付 て 、 漢 譯 に も 梁 勤 那 摩 提 が 正 始 五 年 に 來 つ て 譯 出 し た る ﹁ 龍 樹 菩 薩 造 和 香 法 凡 五 十 法 ﹂ (大 唐 丙 典 録 巻 四 、 結 上 、 七 四 丁 ) あ り 。 西 藏 甘 珠 爾 部 (後 篇 百 二 三 函 、 二 十 九 -三 十 二 左 ) に も 龍 樹 造 の 香 合 論 め り 。 ﹁ 香 科 品 類 調 製 法 ﹂ . ﹁ 製 香 寳 鬘 ﹂ 、 ﹁ 製 香 論 品 類 譯 釋 ﹂ 等 の 徽 編 を 輯 む 、 是 等 は 顯 教 の 古 龍 樹 で な く し て 恐 ち く 密 教 の 新 龍 樹 の 著 述 で あ ら う 。
叉 龍 樹 の 造 と し て 日 種 等 譯 の 幅 蓋 正 行 所 集 (雜 部 藏 九 、 六 二 頁 ) は 從 來 ま で は 龍 樹 の 僞 書 も し て 疑 惑 せ ら れ て あ つ た も の で あ る が 、 今 此 に は 密 教 の 新 龍 樹 の 造 な り も せ ば 、 古 來 よ り の 疑 念 は 一 掃 せ ら る で あ ら う 。 此 書 中 に は ﹁ 迦 尼 瑟 婉 王 ﹂ の 事 や 、 馬 鳴 な と の 史 料 を 記 し て ゐ る 外 に 、 伊 羅 葉 龍 王 因 縁 經 や 作 幅 業 經 、 難 福 迦 經 、 勝 軍 王 經 、 毘 舎 怯 王 母 因 縁 經 、 尊 者 所 間 經 、 大 名 長 者 經 、 梵 綱 經 な ど を 引 用 し 、 小 乗 教 義 を 説 明 す る 中 に 金 剛 手 、 夜 叉 神 、 龍 王 を 叙 述 し て ﹁ 眞 言 加 持 消 除 其 毒 ﹂ (同 經 四七右 ) と し 、 ﹁ 修 喩 伽 行 破 壊 貪 欲 不 淨 因 縁 ﹂ 。 以 て ﹁ 處 々 皆 植 曼 陀 羅 華 龍 自 在 華 芳 馥 開 榮 ﹂ し 、 ﹁ 金 剛 智 杵 、 摧 壊 身 見 耶 慢 諸 山 ﹂ を 以 て 目 的 と す る 密 教 思 想 で あ る こ と は 言 ふ ま で も な い 。 尚 善 逝 宗 教 史 に は 、 龍 樹 の 師 は 薩 訶 羅 で あ り 、 後 ち 在 那 蘭 陀 寺 の 律 師 喉 羅 賑 陀 羅 に 從 つ て 具 足 戒 を 受 け た と し て ゐ る 。清 朝 乾 隆 年 間 に 出 で た る 達 頼 第 五 世 ガ ー ワ ン ヂ ャ ム ツ オ の 著 、 宗 喀 巴( ツ オ ン カ バ) 傅 に は ﹁ 龍 樹 は 佛 滅 四 百 年 代 の 出 世 で あ つ て 、 龍 樹 の 師 は 薩 訶 羅 な り ﹂ と す 。 こ の 説 は 前 に 引 用 し た る 善 逝 宗 教 史 の 佛 滅 四 百 年 出 世 の 龍 樹 説 と 同 じ く 、 叉 西 域 記 第 三 卷 (二 六 丁 ) に 、 ﹁ 倶 駄 羅 國 迦 膩 色 迦 王 、 以 如 來 涅 槃 之 後 、 第 四 百 年 應 期 撫 運 、 王 風 遠 被 、 ﹂ も 云 へ る 佛 滅 第 四 百 年 出 世 の 迦 膩 色 迦 王 と 同 年 出 世 の 龍 樹 で あ る や う に 考 へ ら る ゝ け れ と 、 こ の 西 域 記 の 迦 王 は 西 暦 前 一 世 紀 時 代 出 世 の 第 一 世 の 迦 膩 色 迦 王 で あ つ て 、 西 暦 第 二 世 の 第 二 世 迦 膩 迦 王 で は な い 。 從 て 宗 喀 巴 傅 の 佛 滅 四 百 年 龍 樹 出 世 説 は 誤 説 で あ ら う 、 恐 ら く 伽 膩 色 迦 と 龍 樹 と 新 龍 樹 傳 の 研 究 四 三
新 龍 樹 傳 の 研 究 四 四 は 伺 時 の 出 世 で あ る と し 、 そ れ に 聯 關 し て 佛 滅 四 百 年 代 も し た も の で 、 そ は 迦 王 を 唯 一 人 説 も 考 へ た も の に 由 る も の と 考 へ ら る 。 ﹁ 宗 喀 巴 傅 ﹂ に 、 龍 樹 の 師 は 薩 訶 羅 で め る と し 、 パ ク サ ム 、 ジ ョ ン ザ ン 史 に 、 ﹁ 羅 喉 羅 は 即 ち 薩 訶 罹 に し て 龍 樹 師 な り 、 龍 樹 の 弟 子 は 阿 利 耶 提 婆 な り ﹂ と し た 。 タ ー ラ 、 ナ ー ト は ﹁ 第 十 四 章 羅 喉 跛 陀 羅 の 時 代 ﹂ の 下 に 、 ﹁ 旃 陀 那 波 羅 王 が 王 國 を 建 設 せ し 時 代 に 、 大 阿 闍 梨 婆 羅 門 な る 羅 喉 羅 跛 陀 羅 は 那 爛 門 に 來 り 、 尊 者 迦 羅 に 從 ひ て 具 足 戒 を 受 け 聲 聞 の 諸 藏 部 を 學 び た り ﹂ も 叙 し 、 尚 同 章 の 終 り に 、 ﹁ 吉 祥 薩 訶 羅 或 は 大 婆 羅 門 の 羅 喉 羅 が 婆 羅 門 の 修 行 に 住 せ し と き 喩 伽 行 者 五 百 人 輩 出 せ り ﹂ も あ り 。 さ れ ば こ の 薩 羅 喉 羅 跛 陀 羅 も 羅 喉 羅 と は 同 人 省 名 で あ つ て 、 薩 訶 羅 の 別 名 な り も し て ゐ る 。 然 か し バ ク サ ム 、 ジ ョ ン ザ ン 史 に は 、 ﹁薩 羅 訶 は 即 ち 羅 喉 羅 跛 陀 羅 で あ る 、 彼 は 有 名 な る 坦 特 羅 乗 の 聖 者 で あ り 、 佛 陀 の ド ハ 詩 を 作 つ た も の で 龍 樹 の 師 匠 で 、 那 蘭 陀 寺 の 院 主 も な つ た ﹂ と 言 つ て ゐ る 。 若 し 薩 訶 羅 が 眞 言 坦 特 羅 乗 の 聖 者 で あ り も す れ ば 、 そ は 古 龍 樹 の 師 匠 で め る も す る こ と は 古 龍 樹 の 多 く の 著 書 が 般 若 思 想 系 に 屬 し 、 中 觀 論 的 立 場 の も の と は 非 常 に 相 違 あ る で あ ら う 。 漢 譯 の ﹁ 龍 樹 傅 ﹂ の 記 事 が 多 く は 神 秘 的 傅 説 に 充 さ れ て ゐ る が 、 龍 樹 が 龍 宮 に 入 り て 多 く の 大 乗 經 を 將 來 し た と 云 へ る 傅 説 は 、 龍 樹 に は 適 當 な る 自 己 の 師 匠 を 見 附 け な か つ た 事 青 を 辯 證 し て ゐ る の で は な か ら う
か 。 若 し 彼 が 適 當 な る 師 匠 を 得 た こ す れ ば 、 そ の 師 匠 よ り 大 乗 諸 經 典 の 有 無 や 、 大 乗 教 の 残 存 ー、 流 行 せ る 地 名 、 或 は 流 行 し た る 國 名 な と を 學 ぴ 聞 く を 得 た こ ご で あ ら う 。 然 る に 大 乗 諸 經 を 異 隊 、 殊 に 他 界 龍 宮 に 入 つ て 求 め た も い へ る 傅 神 秘 的 傅 説 を 産 出 せ し め し 原 國 は 一 は 印 度 摩 掲 陀 國 に は 大 乗 諸 圏 の 發 生 し て ゐ な か つ た こ も 、 二 は 彼 の 師 匠 ご し て 博 學 な る 適 當 の も の に 會 ふ こ と が で き な か つ た も い ふ 教 界 衰 頽 の 極 み に 違 し て ゐ た か ら で あ る と 思 ふ 、 呪 哉 彼 が 著 書 の 多 く の も の の 中 に 坦 羅 乗 の 意 議 を 有 し て ゐ る も の は 残 つ て ゐ な い か ら で あ る 。 古 龍 樹 の 師 匠 に 付 て 斯 く 考 へ う る な ら ば 、 彼 が 師 匠 と し て 薩 羅 訶 の 名 を 擧 ぐ る か 如 き は 新 龍 樹 と の 關 係 せ る 坦 特 羅 乗 の 聖 者 で な く て は な ら ぬ 、 從 て 善 逝 宗 教 史 。 タ ー ラ 、 ナ ー ト 史 の 龍 樹 の 師 に し て の 薩 羅 訶 な る も の は 眞 言 乗 の 聖 者 ご 見 る べ き も の で 、 古 龍 樹 も は 關 係 な き も の を 、 強 ひ て 古 龍 樹 を し て 眞 言 乗 た ら し め ん と し て 、 薩 羅 訶 な る も の を 古 龍 樹 の 師 名 に 擬 す る に 至 つ た 厨 以 で あ る ま い か も 考 へ ら る 。 尚 茲 に 疑 ふ べ き 吏 料 は 、 タ ー ラ 、 ナ ー ト 吏 ﹁ 第 十 七 章 阿 利 耶 提 婆 の 時 代 ﹂ の 終 り に 、 ﹁ 阿 闇 梨 耶 提 婆 は 長 く 那 爛 陀 寺 に 住 せ り 、 晩 年 に 南 方 に 至 り 、 衆 生 利 盆 を 廣 大 に 行 ひ 、 南 印 度 力 ー ソ チ ー ( 香至地 ? ) に 近 き ラ ン ガ ナ ー ダ 地 に 於 て 羅 喉 羅 跛 陀 羅 に 教 理 の 奥 義 を 附 囑 し て 示 寂 せ り ﹂ も あ る こ と は 如 何 に 解 す べ き か 。 前 に は 龍 樹 の 師 匠 は 薩 羅 訶 で あ り 、 そ の 異 名 な る 羅 瀬 羅 跛 陀 羅 で あ り と す れ ば 、 龍 樹 の 弟 子 な る 提 婆 の 弟 子 と 、 龍 樹 の 師 匠 と は 二 者 同 名 と な る 。 然 新 龍 樹 傳 の 研 究 四 五
新 龍 樹 傳 の 研 究 四 六 か し 西 紀 四 七 二 年 に 吉 迦 夜 と 曇 曜 の 共 譯 せ る 付 法 藏 因 縁 傳 第 六 ( 藏 九 、 百 九 右 ) に 、 羅 喉 羅 は 迦 那 提 婆 即 ち 阿 利 耶 提 婆 の 弟 子 と あ り 。 ﹁ 迦 那 提 婆 、 未 捨 身 時 、 告 於 羅 喉 羅 曰 、 佛 婆 伽 婆 爲 衆 生 、 演 暢 妙 法 、利 盆 來 世 、次 第 委 囑 乃 至 於 我 、 我 若 滅 後 當 付 於 汝 龍 樹 提 婆 及 斯 大 士 、 各 徳 井 善 美 聲 倶 聞 ﹂ 。 迦 那 提 婆 の 迦 那 と は 即 ち 眇 眼( ス ガ メ) 叉 は 片 目 の 義 で あ る 。 提 婆 菩 薩 傅 ( 藏 九 、 百 一 四 左 ) に 提 婆 の 砂 眼 な る 因 縁 を 叙 し て 日 。 ﹁大 自 在 天 貫 一 肉 形 、高 数 四 丈 、 左 眼 枯 涸 而 來 在 レ 坐 、 ・ ・ ・ ・神 言 我 所 レ 乏 者 左 眼 能 施 レ 我 者 便 可 ノ 出 レ 之 、提 婆 敬 如 天 命 、即 以 左 手 、出 し 眼 興 レ 之 ﹂ 。 こ の 砂 眼 叉 は 片 目 な る 提 婆 は ﹁ 中 論 ﹂ を 解 釋 せ る ﹁ 梵 志 青 目 ﹂ と 同 人 で あ る 。 中 論 の ﹁ 釋 僧 叡 序 ﹂ 中 に 、 ﹁ 是 天 笠 梵 志 名 賓 伽 羅 秦 言 青 目 之 所 レ 釋 也 ﹂ と 註 し て ゐ る 賓 伽 羅 は 茶 褐 色 で あ つ て 眇 眼 の 形 容 詞 で あ る か ら 、 迦 那 提 婆 は 即 ち 阿 利 耶 提 と 伺 人 で あ る こ と を 知 る べ き で あ る 。 提 婆 傅 (羅 什譯 ) に は 提 婆 の 弟 子 と し て 羅 喉 羅 の 名 は 出 て ゐ な い こ し て も 、﹁ 付 法 藏 因 縁 傅 ﹂ に 出 つ る 以 上 は タ ー ラ 、 ナ ー ド 史 の 記 載 も 確 説 で あ る と 見 な け れ ば な ら な い 。 茲 に 於 て 龍 樹 の 師 名 と 、 提 婆 の 師 名 と が 同 一 同 人 で あ る と い ふ や う な 奇 怪 な る 説 に は 何 人 も 首 肯 す る こ も は 出 來 な い し 、 又 漢 譯 の ﹁ 龍 樹 傅 ﹂ や . ﹁ 付 法 藏 因 縁 傅 ﹂ に も 龍 樹 の 師 名 も し て 羅 喉 羅 跛 陀 陀 な る も の は 記 載 せ ら れ て ゐ な い と す れ ば 、 前 に 引 用 せ し タ ー ラ 、 ナ ー ト 史 ﹁ 第 十 四 章 羅 喉 羅 跛 陀 羅 の 時 代 ﹂ の 薩 羅 訶 と 羅 喉 羅
跛 陀 羅 と は 異 名 別 人 で あ つ て 、 パ ク サ ム ・ ジ ョ ン ザ ン 史 の 言 へ る 如 く 、 異 名 同 入 で は な か ら う と 考 へ ら る 何 ぜ な ら タ ー ラ ・ ナ ー ト ハ 史 編 纂 の 素 材 も な つ た 、 ブ ト ン リ ン ボ ツ ヱ 師 の 著 善 逝 宗 教 史 に は 龍 樹 は 七 蔵 前 に 於 て 薩 羅 訶 に 就 て 出 家 し 、 八 歳 に し て 那 蘭 陀 の 座 主 た る 羅 喉 羅 婆 陀 羅 に 從 つ て 具 足 戒 を 受 け た 由 を 明 記 し て ゐ る か ら 、 此 二 人 は 明 か に 別 人 で あ る を 知 り 得 る で あ ら う 。 さ れ と 尚 薩 羅 訶 と 羅 喉 羅 跛 陀 羅 と か 別 人 で あ る と し て も 、 龍 樹 の 弟 子 た る 提 婆 が 、 龍 樹 の 師 ご 同 名 な る 羅 喉 羅 跛 陀 羅 に 相 承 を 付 囑 す る と い ふ こ と は 在 り 得 べ か ら ざ る こ と で あ る 。 加 之 ﹁ 付 法 藏 因 縁 傅 ﹂ 第 六 ( 藏 九 、 百 八 右 ) に 龍 樹 ご 提 婆 も 羅 喉 羅 も は 次 第 の 師 弟 た る 關 係 を 叙 し て ゐ る 。 ﹁ 當 是 時 也 有 婆 羅 門 、聰 慧 奇 悟 喜 於 言 論 、 造 鬼 名 書 甚 難 解 了 、 章 旬 十 有 萬 偈 、爲 大 大 士 而 讃 誦 之 、龍 樹 聞 尋 便 開 悟 、 善 能 憶 持 如 舊 誦 習 、 提 婆 未 解 重 爲 宣 釋 、既 經 再 聞 復 郎 明 了 。 提 婆 菩 薩 爲 羅 喉 羅 更 腐 分 別 演 其 章 句 、羅 喉 羅 聞 諮 然 章 解 ﹂ 。 こ の 羅 喉 羅 傅 と 同 様 の 記 事 は タ ー ラ ・ ナ ー ト ハ 史 ﹁ 第 十 八 章 馬 鳴 の 時 代 ﹂ の 下 に あ り 、 日 く 。 ﹁ 阿 閣 梨 耶 護 羅 跋 陀 羅 は 首 陀 羅 族 た れ と 、 姿 容 、 財 寳 、 能 力 は 完 全 に し て 、 那 爛 陀 に 於 て 出 家 し 、 三 藏 執 持 の 比 丘 と な り 、 阿 闍 梨 耶 阿 利 耶 提 婆 の 書 生 と な り 、 實 證 を 得 し 、 那 爛 陀 に 佳 ぜ り︰︰︰ 晩 年 に 丁 瞿 達 に 於 て 眼 前 に 無 量 壽 佛 を 觀 と 、 極 樂 國 の 方 に 面 な 向 げ て 往 生 ぜ り ﹂ 。 以 上 の 如 く 羅 喉 羅 跋 陀 羅 は 提 婆 の 弟 子 で あ る こ す れ ば 、 同 時 に 龍 樹 の 師 も な る こ も は 不 可 能 で あ る か ら 、 善 逝 宗 教 史 や 、 ダ ー ラ ・ ナ ー ト 、 史 の 説 は 全 然 誤 説 で あ ら う 。 然 ら す ば 龍 樹 の 師 名 と 、 提 婆 の 弟 子 名 と は 同 名 異 人 で あ る と 見 な け れ ば な ら な い 何 れ に し て も 西 藏 史 家 は 龍 樹 と の 師 弟 に 付 て 史 料 新 龍 樹 傳 の 研 究 四 七
新 龍 樹 傳 の 研 究 四 八 を 混 同 し て 明 瞭 を 缺 い て ゐ る 。 惟 ふ に 西 藏 史 家 は 眞 言 乗 の 起 源 を 龍 樹 以 前 に 潮 ら し め ん 爲 め に 故 意 に 龍 樹 や 無 著 、 世 親 以 後 出 世 の 眞 言 行 者 を 以 て 龍 樹 以 前 の も の に 擬 説 し た も の で あ ら う 。 何 せ な ら ﹁ パ ク サ ム 、 ジ ョ ン ザ ン 史 ﹂ に 、 ﹁ 薩 羅 訶 或 は 薩 羅 訶 跛 陀 羅 は 坦 特 羅 乗 を 早 き 時 代 に 傅 播 せ し 者 で オ リ ツ サ の 王 か ら 金 剛 乗 を 學 ぴ 、 (地 ) に 到 り 、 彼 處 に 喩 伽 女 の 禁 欲 修 道 者 と 會 し 、 彼 喩 伽 女 と 秘 密 的 交 修 を 行 ふ た 。 彼 は 弓 師 の 娘 な る 喩 伽 女 を 妻 と し た 關 係 か ら 、 彼 の 名 を 薩 羅 訶 と し て 知 ら る ゝ に 至 つ た し と 云 つ て ゐ る か ら で あ る そ し て こ の 薩 羅 訶 は 眞 言 乗 の 修 道 宣 布 者 で あ る 以 上 、 顯 教 の 弘 宣 者 で は な い こ と は 言 ふ ま で な い 。 從 て 古 龍 樹 の 師 匠 で あ る べ き 筈 は な い 。 或 は 新 龍 樹 の 師 で あ る や も 知 れ な い と 思 は る ゝ が 、 新 龍 樹 傳 を 編 纂 せ る ﹁ 成 道 者 八 十 四 傅 史 ﹂ に は 、 ﹁ 第 一 に ル イ パ の 傅 を 記 し 、 第 五 番 目 に 薩 羅 訶 を 、 第 十 四 番 目 に 龍 樹 を 叙 し て ゐ る ﹂ (丹 珠 爾 前 編 第 八 十 ハ函 、) 如 く 、 両 者 は 眞 言 乗 の 修 法 者 と し て 關 係 を 有 す れ と 、 別 項 譯 出 の ﹁ 新 龍 樹 傅 ﹂ が 物 語 る 如 く 、 薩 羅 訶 は 新 龍 樹 の 師 で も な け れ ば 亦 古 龍 樹 の 師 で も な い こ と は 明 瞭 と な つ た 次 第 で あ る 。 さ れ ば 種 々 の 西 藏 史 に 於 て 薩 維 訶 や 羅 喉 羅 跛 陀 羅 を 以 て 眞 言 密 教 の 始 祖 で あ り 、 創 唱 者 で あ り と し て 古 龍 樹 以 前 に 野 述 し た る 所 以 は 、 眞 言 密 教 が 顯 教 大 乗 教 と 同 時 に 發 達 し た も の と な さ ん が 爲 め に 、 古 龍 樹 以 前 に 設 置 し て 密 教 の 淵 源 に 價 値 あ ら し め ん と せ る 捏 造 説 で あ ら う 。 又 薩 羅 訶 の
傅 に 就 て は 、 菩 提 順 道 傅 燈 史 に 同 様 の 史 料 あ れ と 、 そ れ ら は 善 逝 宗 教 史 に 據 つ て 編 纂 し た も の で あ る か ら 茲 に 省 略 す る こ と ゝ す る 。 ( 六 ) 古 龍 樹 と 龍 猛 菩 薩 龍 樹 傅 に 關 聯 し て 、 龍 宮 物 語 叉 は 龍 神 譚 の 生 す る は 、 由 來 印 度 神 話 も し て 早 き 時 代 よ り 發 生 し 、 支 那 に て は 周 書 等 に 出 て 殊 に 西 暦 二 世 以 後 に 至 つ て は 佛 教 の 保 護 神 と し て 無 敷 の 龍 神 話 を 有 す る 經 典 族 出 す る に 至 つ た の で あ る が 、 有 史 以 前 爬 虫 類 が こ の 世 界 を 横 行 し た 時 代 に 、 人 間 を 始 め 他 の 動 物 を 脅 か し た 記 憶 が 何 百 萬 年 と 生 物 の 骨 身 に 浸 潤 し て 消 え な い 、 實 際 頭 か ら 尻 尾 ま で 二 十 間 以 上 も あ ら う と い ふ 蛎 蜴 見 た い な 怪 物 が の た う ち ま は つ た 光 景 は 、 生 物 界 の 恐 怖 で あ つ た に 相 蓮 な い 。 元 來 那 伽 神 話 は 那 伽 族 即 ち 龍 蛇 を 崇 拜 し た 那 伽 族 を 神 話 化 し た も の で あ る 。 那 伽 族 は 一 時 勢 力 を 有 し そ の 王 は 末 土 羅 、 鉢 土 摩 婆 抵 等 の 諸 州 を 領 有 し 、 現 今 の 那 伽 補 盧 は ﹁ 那 伽 市 ﹂ の 義 で 、 那 伽 族 に そ の 名 の 起 源 を 有 し 、 印 度 西 部 の 高 原 地 方 に も 今 尚 生 住 し て ゐ る 那 伽 族 も 稱 す る も の で 、 印 度 人 種 學 上 に 於 て は 恐 ら く 塞 種 族 に 屬 す る も の で あ ら う 。 龍 樹 の 名 義 に 就 て 、 ︱ 漢 譯 龍 樹 傅 や 、 ﹁ 付 法 藏 因 縁 傅 ﹂ に は ﹁ 龍 樹 ﹂ の 譯 名 を 以 て 記 載 せ ら れ て ゐ る が 、 玄 奨 は 酉 域 記 第 八 に 於 て 、 ﹁ 那 伽 闘 刺 樹 那 を 譯 し て 、 ﹁ 唐 に は 龍 猛 と 言 ふ 、舊 譯 に 龍 樹 と 日 ふ は 非 な り ﹂ と 註 釋 を 施 し て ゐ る 。 然 か し は (龍 ) ( 尼 枳 盧 陀 樹 の 一 種 新 龍 樹 傳 の 研 究 四 九
新 龍 樹 傳 の 研 究 五 〇 即 ち 椿 樹 ? ) の 義 で あ る 。 龍 樹 菩 薩 傅 ( 藏 九 、一一四左 ) に 、 ﹁ 其 母 樹 下 生 ン 之 、 因 字 阿 周 陀 那 ﹂ 阿 闍 陀 那 樹 名 也 、 以 レ 龍 成 其 道 故 、 以 レ 龍 配 字 號 日 龍 樹 也 ﹂ 。 と し 、 ﹁ 付 法 藏 因 縁 傅 ﹂ は 、 ﹁ 龍 樹 菩 薩 傅 ﹂ の 文 を そ の ま ゝ に 記 載 し て ゐ る 。 西 藏 語 に て は 龍 樹 を ﹁ ル ー チ ュ ブ ﹂ と 稱 す 。 ( 龍 ) ( 成 就 ﹀ の 義 で 、 と 還 元 す べ き 字 で あ る か ら 、 ﹁ 龍 に 依 て 成 ( 道 ) し た る も の ﹂ 、 或 は ﹁ 龍 ( 宮 に 入 つ て ) 成 道 せ る も の ﹂ と 云 ふ 程 の 義 で あ つ て 、 ﹁ 龍 樹 菩 薩 傅 ﹂ の ﹁ 以 龍 成 其 道 故 、 以 龍 配 字 、 號 日 龍 樹 也 ﹂ と 云 へ る 解 釋 と 一 致 す る を 見 る 。 そ れ ゆ へ 賢 首 大 師 (法 藏 ) は 十 ﹁ 二 門 論 宗 致 義 記 ﹂ に 、 地 婆 訶 羅( 日 照 ) の 言 を 引 用 し 、 玄 弉 が ﹁ 龍 猛 ﹂ と 新 譯 せ る 意 義 よ り も 鳩 摩 羅 什 の 舊 譯 ﹁ 龍 樹 ﹂ は 正 譯 な り と 辯 證 し て ゐ る 。 善 逝 宗 教 吏 に を 解 し て 曰 く 。 ﹁ と は 法 界 に 生 し 、 断 常 二 ( 見 ) の 邊 に 住 ぜ す 、 聖 訓 寳 藏 獲 得 し 、 焼 か ろ ゝ も 明 見 な 有 で ち が 故 に 龍 と 名 く 。 叉 と ば ( 三 )有 を 成 就 す と あ り 、 法 の 王 國 な 守 護 し 、 罪 悪 の 賊 集 な 調 禦 す ろ が 故 に (三 )有 な 成 就 す と 云 ふ 。 こ の (両 義 な ) 集 合 し て 龍 樹 と 名 げ し な り ﹂ と 。 こ の 解 釋 は 字 義 こ し て 不 當 で あ る が 、 龍 樹 の 根 本 思 想 た る 中 觀 思 想 に 由 て 断 常 二 見 を 破 し 、 佛 教 を 守 護 し て 三 界 を 調 救 す ご の 彼 の 中 心 思 想 を 以 て 彼 の 名 を 解 説 す る も の で あ る 。 然 る に 玄 弉 は 西 域 記 卷 第 十 (二 一右 ) に 、 ﹁ 龍 猛 苫 薩 止 此 伽 藍 。 時 此 國 主 號 娑 多 婆 那 ﹂ と し て 、 娑 多 婆 那 王 時 代 に 龍 猛 め り と せ る は 明 か に 龍 樹 を 全 く 龍 猛 な り と 混 同 し た る 誤 想 に 基 く も の で あ る 。 龍 樹 の 著 書 こ し て ( 一 )中 論 、
( 二 ) 壼 輪 盧 迦 論 、 ( 三 ) 六 十 頌 如 理 論 、 ( 四 ) 大 乗 二 十 頌 諭 、 (五 ) 大 乗 破 有 諭 、 ( 六 ) 廻 諍 諭 の 中 ( 一 ) を 除 く 外 は 西 藏 丹 珠 爾 部 に 存 す る も 、 何 れ も 古 龍 樹 の 署 名 で あ る が 、 漢 譯 の 順 中 論 の み は ﹁ 龍 勝 菩 薩 造 、 無 着 菩 薩 釋 、 瞿 曇 般 若 流 支 ﹂ 譯 と な つ て ゐ る 。 入 楞 伽 經 十 卷 本 の 第 九 に は 龍 勝 叉 は 龍 猛 ε あ り 。 梵 藏 原 本 の 入 楞 伽 經 に も 龍 猛 と あ り 。 さ れ ば 入 楞 伽 經 は 龍 樹 出 世 懸 記 な り と の 古 観 は 茲 に 顛 覆 ぜ ら れ て 、 龍 樹 の 弟 子 龍 猛 出 世 懸 記 と な つ た 。 順 中 論 の 龍 勝 と は 帥 ち 龍 猛 で あ ろ 。 茲 に 眞 言 密 教 ご 淨 土 教 の 各 始 祖 に 龍 樹 で は な く て 龍 猛 と な ろ わ け で あ る 。 (別 項 、七 ) 参 照 ) 。 ア イ プ ル 氏 の 梵 漢 辭 書 に を 龍 孟 叉 は 龍 勝 も 譯 し た 、 玄 弉 は 古 龍 樹 と 新 龍 樹 と 、 若 は 龍 樹 と 龍 猛 と は 全 然 別 人 な る を 識 別 せ な か つ た 誤 傅 に 由 る の で あ ら う 。 今 タ ー ラ ・ ナ ー ト ハ 印 度 佛 教 史 の ﹁ 第 十 七 章 阿 利 耶 提 婆 の 時 代 ﹂ に 於 て 、 龍 猛 は 阿 利 耶 提 婆 の 弟 子 な り も し て 明 記 し て ゐ る 。 ﹁ 阿 闍 梨 耶 阿 利 耶 提 婆 と 同 時 代 に 於 て 、 南 方 地 に 阿 闍 梨 耶 龍 猛 と 名 け ら う も の あ り 。 實 名 な 如 來 賢 と 云 ふ 。 諸 龍 に 招 か れ 、 龍 國 に 七 返 往 來 し 、 大 乗 經 部 に 多 く の 註 釋 を 造 り 、 唯 識 中 道 な 少 し く 闡 明 ぜ り 、 現 に 西 藏 に 譯 出 ぜ ら れ た ろ 三 身 讃 は 即 ち 彼 の 著 書 な り 。 特 に 彼 は 前 書 の 註 釋 な る 三 身 讃 疏 な 造 れ り 。 そ の 時 南 方 地 の ピ ド ヤ ー ナ ー が ラ 等 に 於 て 、 如 來 藏 經 の 諸 偈 な 作 り て 都 會 の 童 女 に 歌 ば し め 、 か ゝ ろ 方 便 に 由 り 佛 教 に 盆 々 宣 傳 ぜ ら れ 、 彼 は 再 び 那 爛 陀 寺 の 座 主 も な り た り 、 こ の 阿 闍 梨 耶 の 弟 + な り ﹂ 。 龍 猛 の 梵 名 と は ( 龍 ) ( 呼 ば る ) の 義 で あ る か ら 、 龍 樹 の 梵 名 ( 龍 ) ( 榕 樹 ) と は 何 等 混 同 す べ き 字 縁 も 存 せ な い 。 叉 ﹁ 龍 猛 は 七 回 ま で も 龍 國 に 往 返 し た ﹂ も い へ る 傅 説 は 古 龍 樹 の 龍 宮 説 と 似 た と こ ろ あ る よ り 、 龍 樹 も 龍 猛 と が 同 人 名 な り も 誤 想 せ ら る ゝ に 至 つ た の で 新 龍 樹 傳 の 研 究 五 一