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(1)

海外か らの‑ ' 地域資料日 の受入れ :

「フライマス ・コレクシ ョン」の受贈手続 きを通 して学んだ こと

仲本 和彦 I

は じめ に

1 「フライマス ・コ レクシ ョン」 と受贈 に至 る経緯 1‑1 「フライマ ス ・コ レクシ ョン」 とは

ト2

受贈 に至 る経緯 2 調査 と受贈 手続 き

2 ‑ 1

評価

2 ‑ 2

査定 2‑3 受贈 契約 2‑4 梱包 ・搬送

3 海外 か らの受贈 にお け る課題 3‑1 調査 方法

3‑2 受贈 手続 き お わ りに

巻末付録

は じめに

2003年 1月 、 長 ら く沖縄 戦 後 史研 究 者 の 間 で は必 見 の 資 料 だ っ た故 エ ドワー ド0.フ ラ イマ ス (EdwardOttoFreimuth、1919‑2001年)の コレクシ ョン (以下、 「フライマス ・コレクシ ョン

」)

が アメ リカか ら海 を渡 って沖縄 に届 い た。本稿 は、筆者 が2002年4月か らヴ ァー ジニ ア州 アナ ンデー ル市 にあ る フライマス宅 で約 半年 に亘 って取 り組 んだ同 コ レクシ ョンの調査 お よび受贈 手続 きの記録 であ る 1

1 「フライマス ・コ レクシ ョン」 と受贈 に至 る経緯

調査 と受贈 手続 きの詳細 に触 れ る前 に、 フライマ スの簡単 な経歴 とコ レク シ ョンの概 要 お よび受贈 に至 る経緯 につ いて触 れてお きたい。

ト1 「フライマ ス ・コ レクシ ョン」 とは

エ ドワー ド0.フライマ ス は、1946年5月 、軍 政府 に従 事 す る陸軍将校 と して最初 に沖縄 の地 を踏 んだ。 フライマ スの最初 の海外 任 地 は フ ィリピンで 、その後、1945年11月か らは、軍政要 員 と して 日

I財団法人沖縄県文化振興会公文書管理部公文書専 門貞

1本塙 を、長年 に亘って沖縄のために尽 くし、 コレクシ ョンの‖生みの親■で あ り、‖育ての親日である故エ ドワー ド

0.

フライマス氏 に捧 げたい。 また、 この場 を借 りて、同 コ レクシ ョンの沖縄 県‑ の寄贈 を決断 して くれ た子供 の AnneStatland、RickFreimuth、そ して孫のRossy、Marjorieならびにコレクシ ョン寄贈 の仲介の労 をとって く れたVictorE.Okim氏 に深 く感謝の意 を表 したい。

2 5

(2)

本本土 占領 に従事 していた。沖縄 での最初 の任務 は、住 民へ の食糧配給 、内地 ・外 地か らの住民の引 き揚 げ受入 れ な どで、その後 、市 町村 制 の確 立 な ど沖縄 の戦後復興業務全般 に携 わった。1947年11月 に軍 を除隊 してか ら も、引 き続 き文官 と して軍政府 に従事 、以後、1966年7月 にワシ ン トンへ異動す る まで、琉球列 島米 国民 政府

( Uni t e dSt a t e sCi v i lAd mi ni s t r at i o no ft heRyukyul s l a nds

、以 後

USCAR)

にお いて渉外 局長 な どを歴任 した。沖縄 での勤務 は、実 に

2 0

年 にお よぶ。 ワシ ン トンで は、沖縄 問題 の実務 責任 者 で あ る国際 問題 担 当 陸 軍次 官代 理

( De put yUnde rSe c r e t a r yo ft he Ar my,For e i gnAf f ai r s )

の特 別補佐 官

( Sp e c i alAs s i s t a nt )

と して、引 き続 き沖縄 問題 に深 く関

わった。1974年12月 に陸軍 を退官 した。

「フライマス ・コ レクシ ョン」 と して研 究者 の間で知 られて きた同 コ レクシ ョンは、18‑19世紀 の 琉球 に関す る欧文 の古書 をは じめ と し、政治、経 済、産業 、社会 、文化 、歴 史な ど幅広 い分野 に関す る図書 、雑誌 、パ ンフ レッ ト、記事 の切抜 き、論文 、公文書 な どか ら成 り、その量 は書架長 に して約 40メー トル。英文 の沖縄 関係個 人 コ レクシ ョンと しては、質 ・量 ともにこれほ どまとまった ものは他

にな く、長 ら く沖縄 関係研 究 に とっては必見 の資料 であ った 2

フライマスは、 どの よ うに して これだけの コ レクシ ョンを築 きあげて きたの だろ うか。

フラ イマスが

、USCAR

と琉球住民 との間の渉外 担 当あ るいは ワシ ン トンでの対琉球 政策立案 の補 佐 とい う立場 か ら、職務上 、琉球 の政治 、経 済 、産業 、社 会 ,文化 、歴 史な どに対 す る幅広 い見識 を 要求 された こ とは容易 に察 しがつ く。彼 の文献収 集の礎 は、主 にこの"職務上 の要請■一にあ った と見て も差 し支 えあ る まい。資料 の中味 を見 てみ る と、地元 ニ ュースの翻訳 フ ァイル をは じめ経済指標 、選 挙分析 な ど、職務 を遂行す る上 で 日常 的 に 目を通 していたであ ろ う地元 の動 向 に関す る資料が多 く含 まれてい る。 また、職務上 、各分野 の研 究者が沖縄 について著 した論文 、 レポー ト、 日本本土やア メ リカでの メデ ィアの報道 な どに幅広 く目を通 してお く必要が あ ったはず だ。 さらに、沖縄統治政策の 基礎 となる大統領行政命令 や琉球政府 お よび米 国議会 の法案、予算 の審議経過 な どについて も熟知 し てお く必要が あ っただろ う。 フライマス ・コ レクシ ョンの核 は、 こう した渉外官 あ るいは特別補佐官

と しての職務 を遂行す るため に必要 な'‑参考資料"が基礎 になってい る。 3

しか し、 フライマス ・コ レクシ ョンを もう少 し詳 しくなが め てみ る と、資料 収集が単 に‖職務上 の 要請■'だけか らで はなか った こ とは明 らか となる。 同 コ レクシ ョンには、県 や市 町村 が発行 した観光 パ ン フ レ ッ トや ポ ス ター 、 企 業 が 発 行 した社 史 、個 人 や 自治 体 な どが 出 した各 種 写 真 集

、Thi s Mo nt honO

h

i

nawa、 『オキナ ワ ・グラフ』 な どの娯 楽雑 誌 も多数含 まれ てい る.18‑19世紀 の欧 文の古書 について は、所 用 で東京‑ 出か ける機会が あ る と、神 田 まで行 っては集め たそ うだ。 また、

頒布数が 限 られ、 コ ピー も簡単 にで きない資料 につ いては、わ ざわ ざタイプ ・ライ ターで模写 して家 に持 ち帰 った。 こう した文献収集 は、1974年 に陸軍省 を退官 し、黙 っていて も資料 が集 まって くる と い う状 況が無 くなった後 も、精力 的 に続 け られ た。 そ こには、文献収集 を趣 味 とす る"歴 史愛好家日と

しての フライマスが い る。

さらに、 コ レクシ ョン拡大 の大 きな原動力 と して、 自分 が集め た資料 を求めて訪 ねて くる研 究者 の

2フライマス ・コレクションに依拠 した研究を挙げるときりがないが、コレクションそのものについてページを割 いて言 及 した もの に

Ar n o l dG.Fi s c h

,Jr.のMilitary GouernTnent in the lbuhyu Islands,19451950

( Wa s h i n g t o n,D. C∴Ce n t e ro fMi l i t a r yHi s t o r y

,U.S.

Ar my

,1988)がある。

lフライマス ・コレクションの資料は沖縄関係だけにとどまらない。日本、極東に関する資料の他、フライマスが ワシントンの陸軍省在任中に担当していたパナマ運河に関する資料 も含まれている。

(3)

存在があ ったので はないか と思 われ る。 フライマス宅 は、 まるで■'公共 図書館 一一の ように、何 人の ア ク セス も決 して拒 まなか った 4 資料 集 め は、単 に自 らの趣 味 とい うだけで はな く、それ を通 して 「誰 かの役 に立 ちたい」 とい うフライマスの強 い願望 の表 われ だった ような気 がす る。研 究者が求 めてい る もの を一通 り聞いた後 、 「ち ょっ と待 っていて くれ」 と言 って書斎 に引 っ込 む。 しば ら くして、関 連資料 をい くつか抱 えて戻 って くる。 もちろん、複写 のための貸 し出 しに も応 じて くれ る。 これは、

フライマス宅 を訪 ねた研 究者が 口 を揃 えて言 うこ とだが、 フライマス ・コ レクシ ョンで研 究者 のニ ー ズに対応 で きない ものはない、 と言 って も過言 で はなか った。 この利用者 との関係 を抜 きに して フラ イマス ・コ レクシ ョンの意義 を語 る こ とはで きない。 5

写真1:フライマス宅 (ヴァー ジニア州 アナ ンデ ール市)0 生前 、多 くの沖縄史研 究者 が ここ を訪 れた。

1‑2受贈 に至 る経緯

筆者が初 めて フライマスに会 ったのは

、1 9 9 5

年の春 だった。 フライマス ・コ レクシ ョンについては、

すで に数多 くの戦後 史関係 の書物 で紹介 されていたか ら、その価値 につ いて は、筆者 もあ る程度理解 していた。その後、資料 について質問 した り、歓談す るために何度かアナ ンデール を訪ねる機会があ っ た。訪ねる度 に、目新 しい"資料 を見せ て もらった り、複写 のため に貸 し出 して もらった りしたO また、

フライマ ス宅 は、沖縄 県 公 文書 館 の ス タ ッフが ワ シ ン トンを訪 れ る際 の‖お 決 ま りコー ス●で あ っ た 6 フライマス宅 を訪 ねた後 、ス タ ッフの間で常 に話題 になるの は、 フライマス ・コ レクシ ョンの

4 国際政治学者宮里政玄氏によると、氏がフライマス ・コレクションを使い始めたのが1962年のことだったという から、今から40年前にはすでにしっかりしたコレクションが出来上がっていたことになる

「フライマス氏を悼む」

r琉球新報」 (2001年12月16日)0

5 フライマスが残 した昏筒に研究者とのや りとりについて記述 したものがたくさんある。家族のご厚意で、今後、

複写させて頂 くことになっているが、これらの昏筒を丹念に見ていけば、彼 と研究者 とのつなが りがより明確に見 えてくると思われる。

6 1996年8月には源河葉子公文特専門員、同年9月には宮城悦二郎館長、豊見山和美公文替専門員、1997年3月には 比屋根照夫沖縄県公文昏館懇話会会長、宮城剛助資料第2課長、源河菓子公文昏専門員がそれぞれフライマスを表敬 訪問している。

27‑

(4)

行 方 につ い てで あ った。 聞 くところ に よる と、 これ まで に も何 度 か沖縄 県 内の大学 や図書館 関係者 が コ レクシ ョンの寄贈 を申 し入 れて きたが、丁重 に断 わ り続 けて きた との こ とであ る 7

晩年 の フライマ ス を知 る者 に とって、当人 の前 で寄贈 の話 しを口にす るこ とは中々で きる こ とで は なか った。彼 と話 してい る と、 コ レクシ ョン‑ の愛着 をひ しひ しと感 じるこ とがで きた し、 コ レクシ ョ ンその ものが '生 きが い"の ように も見 えたか らだ。筆者 自身、 コ レク シ ョンの将 来 の転 居先 と して沖 縄 な ら県 公文書館 、 アメ リカな ら 「ワ トキ ンス文書 (JamesT.Watkins,ⅠⅤ)」 や 「ス キューズ文 書 (PaulSkuse)」 な ど沖 縄 関 係 コ レ ク シ ョ ンの あ る ス タ ン フ ォー ド大 学 の フ ー バ ー 図 書 館 (HooverInstitution,StanfordUniversity)あ た りが適 当で は ない か と考 えた りしてい たが 、そ れ は フライマ ス 自身が 決 め る こ とで あ って、他 人が 口出 しすべ きこ とで ない と考 える ようになってい た。 8 どこにあ ろ うと、 これ だけの沖縄 関係 コ レクシ ョンが残 った、 とい うこ とだけで も感 謝すべ き こ とで は ないか 、そ う考 える よ うにな ってい た 9

2 0 01

年初 夏 、 フライマ スが急 に体 調 を崩 し、起 きられ ない状 態 にあ る とい う報せ が入 った。 その年 は、年 明 け と春 に2度 、 フライマ ス宅 を訪 ねて いたが 、確 か に2度 目の訪 問時 に、いつ もの ように書 斎 か ら資料 を取 り出 して きて もらう際 、 いつ にな く息遣 いが荒 か ったのが思 い起 こされ る

。1 2

月、計 報 が届 い た。

フライマ ス と旧知 の仲 であ るメ リー ラ ン ド州在住 の ヴ イク タ‑E. オーキムに よる とフライマスは、

亡 くな る1‑2年 前 か ら、資料 の寄贈 先 と して沖縄 県公 文書 館 の名 を挙 げ てい た そ うであ る。 10 し か し、当の フライマ ス も周 囲 もその こ とにつ い て詰 め た話 しをす るこ とは なか った。 ま してや、病状 が悪化 してか らは、家族 を含 め誰 もその話 しを持 ち出す こ とはなか った

ア メ リカで は財 産 の処分 につ いて は 「遺書」 に託 す とい うこ とが あ り、 コ レク シ ョンについて も家 族 は遺書 に明言 されて い る こ とを密 か に期待 してい た ら しいが 、結 局 、遺書 には一切触 れ られてい な か った。

2 0 0 2

1

月、 フライマ スの家族 か らコ レクシ ョンの処分 につ い て相 談 したい とい う連絡 を受 けた。

オー キムが仲 介 の労 を とって くれ た。 まず 、家族 と して は、父親が コ レク シ ョンの沖縄 行 きを望 んで いた こ とを知 っていた こ とか ら、寄贈先 と して沖縄 県公文書館 を考 えてい る旨話 しがあ った。 ただ し、

遺書 にその こ とにつ い ての明言 が なか った こ とか ら、 コ レクシ ョンも家屋 や土 地 な どと同 じように処 分 され る とい う。相続遺産 は課税 の対象 になるため、その査定が必要 になる とい うこ とであ った。 よっ て、沖縄 県へ の受贈 手続 きを進 め てい くため に、 まず 、 その日価値 "を把握 しなけれ ば な らない とい う こ とに な った。 こ う して

、2 0 0 2

4

月 よ りヴ ァー ジ ニ ア州 の フ ラ イマ ス宅 で の 内容 調 査 が 始 まっ

7 1989年にフライマスが沖縄‑の資料寄贈を申し出た、というのが新聞で報道されているが、結局、実現 しなかっ たようだ

。「

『沖縄のために役立てたい』/元民政府の職員、資料寄贈の申し出/エ ドワー ド・フレリマスさん」

F沖縄 タイムス」(1989323日付)o

Aヮ トキンスは、海軍将校 として

1 6

ケ月間、沖縄の初期軍政に関わった。一方、スキューズは軍政府および

US CAR

公安局長として1945年から1958年まで13年間、沖縄に関わった

9 20001月、フライマスから沖縄県公文書館へ譲 りたい資料がある旨、ふいに連絡が入った。日本語の古書 と戦 争中に米軍が出 した報告書など十数冊だった。フライマスからは 「もし、 (公文書館が)既に持っているなら、別 に当たってみるから知 らせて欲 しい」 ということだった。アーキビス トの立場から言えば、 「コレクション」 とい うのはまとまっているから付加価値が出るのであって、1冊1冊の収蔵状況を調べて、重複部分を受け入れないとい うのは好ましいや り方 とは言えない。 しか し、資料が活用 されることを何 よりも望んでいたフライマスにとっては、

自らの資料が重複資料 として扱われるのは忍びなかったであろう。その意を汲み取って、その時に限 り、一旦預かっ た資料の当館による収蔵状況を調べて、重複部分を返還することとなった。

L Ovi c t o r

E

.Ok i m

氏は、沖縄出身の

1

世で、元

US CAR

民間情報教育部職員0

(5)

た。11

2 調査 と受贈 手続 き

米 国駐在所 で は、 これ まで に何 度 か私 文書 の寄贈 を受 けた こ とが あ るが 、 いず れ も数簿冊 か らせ い ぜ い数箱単位 の もので、今 回の よ うに書 斎一杯 の い わゆ る 「コ レク シ ョン」 の寄贈 を受 け るの は初 め てであ った 12従 って、手続 きのあ らゆ る段 階 で試行錯誤 の連続 とな った。

まず 、調査 は2段 階 に分 けて行 な うこ とに した。全体 の概 要 を把 握 す る‖予 備調 査 日と個 々の資 料 を 記録 してい ("仮 El録作 り目で あ る。通常 、 フ ィー ル ド ・ワー クで行 な うの は予備 調 査 まで とされ てお り、 フ ィール ド ・エ ー ジェ ン トは、 この段 階 で資料 が文書館 の収集対 象 と してふ さわ しいか どうか を 判 断す れ ば よい 13 あ とは、 それ に基 づ い て受贈 手 続 きを進 め て い き、資 料 を文書館 へ 無事 移 管 す れば、大方 その役 目を終 える。今 回、現 地 で仮 目録 まで作 る こ とにな ったの は、家族 か らコ レクシ ョ

ンの査 定 を依頼 され たため、個 々の資料 の把 鐘 まで必要 だ ったか らだ0

2‑1 評価

資料 の多 くは、書 斎 にあ る

5

つ の本棚 と

2

つ の キ ャ ビネ ッ ト、寝 室 にあ る 1つ の本棚 に納 まってい たが 、その他 、床 や本棚 の上 に積 み上 げ られ た だけの もの もあ った (写真2、3参照 )。一 見 して、

フライマスが [ら 「資料構 造」 を構築 していた こ とが分 か ったので、その把握 が一つ の課題 となった。

写真2:主題 ご とにパ ンフ レッ ト、小冊子 、公 写 真3 :18‑19世紀 の古書 や政 府報 告書 な どを 文書 な ど を納 め た棚 とキ ャビネ ッ ト。 納 め た棚 。壁 に か かる地 図 の1つ に は

1 6 4 0

年 頃 とあ る。

11駐在所のあるメリーランド州カレッジ ・パーク市からフライマス宅のあるヴァージニア州アナンデール市までは、

距離にして約45キロほどだが、道路事情によっては車で片道1時間半ほどかかる場合もあった。

12米国駐在所 を介 してこれまでに受贈 した私文啓 として元USCAR民政官のジェラル ド・ワ‑ナ一文昏 (Gerald WarmerPapers)、元沖縄領事の トーマス ・マ‑フィン文昏 (ThomasMurrinPapers)、元USCAR政治顧問の ジェームズV.マーチン文昏 (JamesV.MartinPapers)がある。

13文昏受贈に関するフィール ド・ワークを扱った文献は少ないが、アメリカにおけるアーキビス ト養成の教科啓的 存在である r現代公文昏読本」には、ヴァージニアR.スチュアー トによる論文 「フィール ドワーク読本」が収録さ れているo今 回の取 り組 みで は、 この論文 か ら学 ぶ こ とが多か ったoStewart・Virginia∴‑A Primer ?n ManuscriptField Work,''A Modern ArchivesReader:BasicReadL'ngsonArchiualTheoJツ andPractice (Washington,D.C∴NationalArchivesandRecordsService,1984),124138.

2 9

(6)

それ には、 まず、 どこにどの ような資料が納 まっているか を記録 しておかなければならない。そこで、

資料 が納 まってい る棚 や箱 ご とに 「位 置番号」 を付与 してい くこ とに した。その結果、 フライマス ・ コレクシ ョンは、全部で84の 「位置単位」 に分 け られることになった。次 に、その分量 を 「位置単位」

ご とに測定 した ところ、全部 で約40書架長 メー トル分 (cubicmeter)あ る ことが分か った。

続 いての作業 は、資料 の形態 と中味 について把握す る ことであ る。棚 ご とに概観 してい った結果、

フライマスが基本 的 に形態 ご とに資料 を管理 していた こ とが分 か った。 まず、一般 図書 の棚 があ り、

その他 、パ ンフ レッ トや小冊子 な どを納 めた棚 、公文書 を納 めたキ ャビネ ッ トと続 く。その うち図書 の場合 は、 まず、1945年以前 の希少書 とそれ以降の もの に分 け られ、それ を著者名で アル ファベ ッ ト 順 に並べ てい た。パ ンフ レ ッ トや小 冊子 は、 「文化 人類 学」 、 「書誌 学」 、 「人権」 、 「経 済」 、

「教育」 、 「移民」 、 「民芸」 、 「地理」 、 「地質」 、 「労働」 、 「法律」 、 「医療」 、 「広報」 、

「宗教」 な どの主題別で まとめ、それぞれの棚 にラベルが貼 ってあった 14公文書 は、 「琉米関係」、

「化学物 質」 、 「国政選挙」 、 「国旗掲揚」 、 「尖 閣列 島」 、 「佐藤総理訪沖」 、 「アイゼ ンハ ワー 大統領訪沖」 、 「軍事 問題」 、 「沖縄 返還」 な ど主題別 にフォル ダー に綴 られていた。 さらには、米 国政府 や議会 が 出 した報告書 や各種 出版物 の他 、沖縄 関係 の英 文 の修 士 ・博 士論 文、Time、News‑ u)eehな どの雑誌 、地元 ニ ュース翻訳 、法令集 な どの"コーナー日が設 けてあ るこ とが分 か った。

先 に紹介 したスチ ュアー トの フ ィール ド ・ワー クの原則 では、 この時点で、資料 が文書館 の収集対 象 と してふ さわ しいか どうかの決 断 を下 さなけれ ばな らない。筆者 は、次 の理 由か らフライマス ・コ

レクシ ョンを受 け入 れ るべ きと判 断 した。 15

第一 に、 フライマス ・コ レクシ ョンには ここで しか見 るこ とがで きない 「一点モ ノ」 の資料 が多 く 含 まれてい る。 同 コ レクシ ョンには、陸軍省 で特別補佐官 を していた頃の公文書 が含 まれてい るが、

これ らの文書 は、沖縄 県公文書館 が米 国国立公文書館 でマ イクロ化事業 に取 り組 んでい るUSCAR文 書 とは基本 的 に異 なる ものであ る。1960年代 後半か ら1972年 までの陸軍省 の公文書 は、いずれ米 国国 立公文書館 で公 開 され る こ とになるだろ うが、今 の ところ見通 しは立 ってい ない し、同 じ文書が きち ん と保管 されてい るか どうか も分 か らない。

第二 に、 フライマス ・コ レクシ ョンには現在 で は もはや入手が困難 な貴重書 が多数含 まれてい る 例 えば、 ウイリアムR. ブロー トン 『北太平洋航海記』(Brough ton,William Robert,A Voyageof Discovery to theNorth Pacift'cOcean,1804)、 ジ ョー ジ .ス タ ウ トン卿 『訪 中記』(Staunton, George,Sir,AnAuthenticAccountofanEmbassyfrom theKing ofGreatBritain tothe Emperorof China,1797)、バ ジル ・ホ ー ル .チ ェ ンバ レ ン 『朝鮮 ・琉 球 航 海記』(Chamberlain, BasilHall,AccountofaVoyageofDiscouerytotheWestCoastofCorea,andtheGreatLoo‑

ChooIsland,1818)、 フラ ンシスIJ.ホー クス 『日本遠征 記』(Hawks,FrancisL.,Narrativeofthe ExpeditionofanATnericanSquadrontotheChinaSeasandJapan,1856)な どだ。 16さらに、

14ラベルがはがれ落ちてしまったものも一部あったため、これらについては、今後、主題を特定 していく作業が必 要となる

15ちなみに沖縄県公文書館の収集基準 (第8条第3項 :沖縄関係資料)では、 「沖縄県及び前記第3条 (琉政文書)、

第4条 (USCAR文書)に列挙する機関の要職にあった者並びに沖縄の政治、経済、文化に対 し深 く関わった者また は多大な影響を及ぼした者に関連する資料又は同人が有 していた沖縄関係資料」については収集対象とすることが 定められている [傍点および ()は筆者による。]

16資料の査定については次項で詳 しく述べるが、400冊を越えるフライマス ・コレクションの図書のうち、この4冊 だけでも市場価値は100‑200万円ほどになる。また、今回、価値の査定ができなかったが、一番古い資料は、壁に かかっていた極東の地図で、年代は1640年頃とある。

(7)

身近 な ところで は、 国映館、RBCホール、沖縄 食糧 な どの オー プニ ング ・パ ンフ レ ッ トな ど も含 ま れてお り、 この ような資料 は関係者が きちん と保管 してい ない限 り、現在 、探 す のは難 しいので はな いだろ うか。

第三 に、 フライマス ・コ レクシ ョンの資料 は 日本 人の手 による もの もあ るが、米 国政府 や欧米 人研 究者 お よび ジ ャーナ リス トらに よる ものが多数 を占め る。TheJapanTimesな ど日本本土 の新 聞 だ けで は な く、Time、Neu)su)eeh、NationalGeographic、US Neu)S& World Report、Foreign

A

f

f ai r s

な ど、 アメ リカで出 された沖縄 に関す る新 聞や雑誌 が多数含 まれてい る。世 界が沖縄 を どう

見ていたか とい うテーマで研 究 に取 り組 もうとすれば、 これ以上 の情報源 はないのではないだろ うか。

主 に米 国の ジャーナ リス ト達 の報道 を分析 して書 かれた宮城悦二郎 の 『占領者 の眼』 とい う名著が あ るが、同 コ レクシ ョンには、それ を大幅 に増補 で きるであ ろ う資料 が含 まれてい る 17

そ して最後 に、英文 の沖縄 関係 コ レクシ ョンとしては、おそ ら く世界 中 どこを見 回 して もこれだけ まとまって幅広 い分 野 をカバ ー した もの はないだ ろ う。 図書 だけで も

4 0 0

冊 以上 を越 える し、新 聞、

雑誌 な どの定期刊行物 が

9 6 0

件 、各種 パ ンフ レッ ト、小 冊子が

6 9 0

件 、その他 、政府報告書 、論文集 、 法令集、地元 ニ ュース翻訳 な ど、戦後 の沖縄 を研 究す る上 で欠かせ ない一級資料 の まさに‑'宝庫 ‑で あ る

2‑2 査定

受贈手続 きにお ける大 きな課題 の一つ は、 コ レクシ ョンの査 定 であ った。沖縄 県公文書館 に とって 査定 を行 なった上 での受贈 とい うの は、 これ まで に前例 が ない。

特別 に資格 を持 つ わけではないが、家族 の要望 もあ って筆者 が査定 に取 り組 む こ とになった。 ただ し、査定 とは言 って も、筆者 が調べ られ るの は、 イ ンター ネ ッ トを使 った図書 につ いての"市場価値

(marketvalue)‖のみ、 と最初 か ら断 っておいた。 (実 は、ず っ と後 になってか ら、 アメ リカには 家屋 や骨董 品以外 にこうい う図書 や雑誌 、公文書 な ど個 人 コ レクシ ョンの査 定 を行 な う鑑定士 がい る

とい うのが分 か った。 この件 については、後述す る。 )

まず、作業 と して、本棚 や箱 の中、床 の上 に積 み上 げ られた資料 か ら図書 だけ を抜 き出 し、それぞ れについて 「著者」 、 「タイ トル」 、 「出版社」 、 「出版年」 、 「出版 地」 、 「版数」 な どの情報 を デー タ ・ベ ース に入力 してい くこ とに した。 18それ を基 に、 イ ンター ネ ッ トの古書 サ イ トで1件 1件 市場価値 を調べ てい く。古書 サ イ トに もいろい ろあ るが、複 数のサ イ トで比較検 討す る時間的余裕 は

なか ったので、"abebooks.com (以下、Abe)日とい うサ イ トに限定 して調べ てい くこ とに した。

Abeでは、 「著者」 、 「タイ トル」、 「キーワー ド」 のいずれ による検索 も可能 だが、 しば ら くや っ てい くうちに 「キー ワー ド」欄 に著者 の名字 とタイ トルの一部 を入 れて検索 す るのが最 も効率が よい ことが分 か った。 しか し、問題 は、一冊 の本 に複数 の'‑ヒ ッ トIがあ る場合 であ る。 その ような場合 に は、 「出版年」 、 「版 数」 な どで さらに絞 り込 んでい く。 さらに、 同 じ出版年 、版 数で も複数 ヒ ッ ト す る場合があ るが、その ような場合 には、最 も安 い値段 を採 用す る こ とに した。 同 じタイ トルに複 数 の ヒッ トがあ るの は、その本 を扱 ってい る古書店が複 数 あ る とい うこ とであ る (Abeには、世 界 中か ら

9 , 0 0 0

軒 以上 の古書 店が参加 してい た)。 また、価格 は、それぞ れの古書 店 の独 自の判 断 に よる こ

17宮城悦二郎 『占領者 の服』 (那覇 出版社、1982年)0 18この図書 のみの書誌 デー タ収集 だけで3ケ月ほどかかった。

3 1 ‑

(8)

とは言 うまで もないが 、それ を規 定 してい るは、本 の状 態 、地域 の物価 、需要 と供給 のバ ラ ンス、著 者 に よるサ イ ン (署 名) の有無 な どであ る こ とが分 か った。

この よ うなイ ンター ネ ッ トに よる調 査 で市 場価 値 が判 明 したのが、426冊 中256冊 であ った。値段 が 分 か らない170冊 につ い て は、 145ドル を 目安 と して全体 を希 少書 と一般 図書 に分 けて、それぞれの平 均値 を出 し、一 般 図書 扱 い で計 算 してみ る こ とに した。 19そ の結 果 、筆 者 が 出 した評価 額 は総額 約

1

9

千 ドル とな った。 20

さて、先 に触 れ た よ うに、実 は、 アメ リカ には この ような コ レクシ ョンを評価 す るプ ロの鑑定士が い る。価 値 が

5

千 ドル を越 える物件 の場 合 は、"自己査 定"で きず 、資格 を持 った鑑定士 に よる査定が 必要 にな る とい うの だ。 そ こで、 その こ とを教 えて もらった メ リー ラ ン ド大学 の図書館情報学部 か ら 取 り寄せ た鑑 定士 リス トに当 た ってみ る こ とに した。十数名 の 中か ら、 リス トに標 記 され た得意分野 や電話 イ ンタヴューで3名 に絞 り込 み、履歴書 を送 って もらった。鑑定料 は、現場 での鑑 定 か ら書類 作 成 まで完全 時給 制 で、 1時 間100ドルか ら150ドル とい うのが相場 だ った。 その 中で、過去 にメ リー ラ ン ド大 学 にあ る 日本 占領 期 の検 閲文書 (Gordon W.PrangeCollection)を鑑 定 した経験 が あ る とい うSecondStoryBooks,Inc.社 のAllan

∫.

Stypeckとい う鑑 定士 に依頼 す るこ とに した。

そ の時 点 で既 に

3

千件 を超 す 「件 ・簿冊 リス ト」 21が 出来上 が ってい たが 、 リス トが あ れ ば

1

時 間 ほ どの現 地検 分 で十分 だ とい うこ とで、 それ を鑑 定士 へ 送 った。仮 目録作 りが ここで生 か され るこ

とになった。正式評価 額 は2万 ドル と算 出 され た。 22

2‑3 受贈契 約

2万 ドル とい う評価 額 が 出た こ とに よって、家族 は、相 当す る相 続税 を納 め なけれ ば な らない。 と ころが 、実 際 には この コ レク シ ョンは家族 へ相続 され るわ けで は ない。父親 の遺志 を継 い だ家族 に よ り、沖縄 県‑無償 で寄贈 され るの だ。家族 には相続 税 の負担 だ けが残 る こ とになる。 これが外 国で は な く、 ア メ リカ国内 での寄贈 であれ ば、受 入側 か ら 「受贈証 明」 なる もの を発 行 して もらい、税金 の 控 除対 象 と して もらうこ とが可 能 だ との こ とで、 また、そ れが アメ リカで は もっ と も一般 的 な寄贈 の や り方 なのだそ うだ。 しか し、最終 的 に家族 が 出 した結論 は、直接 、沖縄 県へ寄贈 す る とい うものだっ た。 その結 果 、受贈 契約 と して は、沖縄 県公 文書館 第

8

号様 式 「文書等 寄贈 申込書

(巻 末付録 、図

1参照 ) を英訳 し、家族 に署名 して もらうだ け とな った。

19145ドルで分けた場合、それより高価な希少書が19タイ トルで、それ以下の一般図書が237タイ トルとなり、それ ぞれ平均値が667ドルと15ドルとなった。値段の分からない170タイ トルを一般図書つまり1冊15ドルとして計算す ると合計金額が出る。145ドルで分けることについては特に根拠はないが、全体を見回 した結果、145ドル以上を希 少書 と見なすのが適当と思われたからである。

2Uこの市場価値は、絶対的なものではない。古書には、新書 と違ってそもそも絶対的な小売 り価格がない、という ことがある。従って、煩雑な仕事ではあったが、"正確‖な値を出さなければならない、というプレッシャーはなかっ た。

2‑先に述べたように、フライマス ・コレクションには、図書、雑誌、パンフレット、ノト冊子、政府刊行物、公文書 などさまざまな形態があ り、どの単位でデータ登録するかが課題であったが、図書や厚手の雑誌、政府刊行物など は1冊で■■1件■'と登録 し、公文書や薄手の雑誌、パ ンフレットなどは、テーマ別あるいは発行年毎にまとめてHl簿肝' として登録することにした。

22現地検分に来た鑑定士の反応が今でも忘れられない。部屋入って古書の棚 を見たとたんに、顔色が変わった。そ して2、 3冊の本 を手にとって しばらく眺めた後、居合わせた家族に向かって発 した言葉が■Youknow what? Sellit!●‑だった。コレクターなら喉から手が出るくらい欲 しがる18‑19世紀の初版本が多数あって、ただで手放すの はもったいない、というのである。 しか し、家族は、父の遺志だからということで、その言葉にも動 じることはな

く、寄贈手続 きを進めてくれた。

(9)

2‑4 梱包 ・搬送

フライマスが独 自の 「資料構 造」 を構 築 していた こ とは前 に も述べ た通 りだが 、今回の受贈 で は、

その構 造 も資料 と一緒 に‖残 す‑'こ とが、一つ の課題 となっ 。 この コ レクシ ョンは、図書 や雑誌 、パ ンフ レッ ト、小冊子 な どいわゆる‖出版物''が 中心 を成す ため、公文書学 でい う ところの 「原秩序 尊重 の原則 (principleoforiginalorder)」 は さほ ど気 に しな くて もよいが 、で きるだけ所 有者 が構 築

して きた構 造 を維持 してい くこ とに越 した こ とはない。23

原秩序 を維持 しなが ら移管す るには、デー タ採取 の際 に付与 した 「位 置番号」順 に箱 に詰 めていけ ばよいが、新聞 とパ ンフ レッ トな どの ように形態やサ イズの違 う資料 が隣 り合 わせ になっている場 合、

順番通 りには箱 に詰 め られ ない場合が 出て くる。 そ こで 、その ままで は詰 め られ ない‖はみ 出 しもの‖

だけを別 に用意 した箱 に詰 めてい くことに した。幸 い、元 々の 「位 置番号」 を記録 してあ るので、多 少煩雑 な作業 になるが、それ らを元 の位置 に戻す ことは可能 なのであ る

フライマスが構築 した資料構 造 を'■残 す■■とい うのは、単 に書斎 での物理 的 な位 置 をその まま維持 す ればよい とい うのではない。本棚 のスペ ースが足 りなか ったため、本 来 、一続 きになるべ き資料 が 、 別の ところに置かれていた りす る。 その ような場合 は、‖本 来 あ るべ き状態"に直す必要が 出て くる これが文書学でい うところの 「シ リーズ」 の構 築 であ る。 シ リーズ とは、文書 の作 成 、収受、保 管 の 過程で、特定 の機 能や 目的 ご とに まとめ られた文書 の''固 ま り''を指 すが、 フライマ ス ・コ レクシ ョン の場合は、基本的 に"形態一Tが シ リーズの基礎 となっていた。

シリーズの構築 は、 よ り綿密 な分析 を必要 と し、 これか ら沖縄 で行 なわれ る コ レクシ ョン整理 の際 に大幅改訂 もあ り得 るが、参考 まで に現場 で仮 に構 築 した シ リーズは以下 の通 りであ る。

表1:フライマ ス ・コ レクシ ョンシ リ‑ズ ・リス トお よび配列 (仮 ) (2003年2月現在)

A:

図書 (著者別) AOl:洋希少書 AO2:洋書1945年以降 AO3:洋小説

AO4:洋雑 図書 AO5:和希少書 AO6:和書

ち:

定期刊 行物 (タイ トル/年代 別)

C:パ ンフ レッ ト ・小 冊子類 (主題別)

CO l:

人類学 ・考古学 CO2:書誌学

CO3:年代学 CO4:人権 CO5:経 済

CO6:教 育 CO7:移民 CO8:民芸 CO9:地質 C10:地理

Cl l:

労働 C12:法律 C13:医療 C14:鳥学 C15:広報 C16:宗教 C17:切手

C18:(以後、未調査)

23組織が作 り出す文書は、その内容だけでなく、業務のや り取 りの背景を残すことが重要 となる。従って、文書を 作成、収受、保管 してきた者が構築 した原秩序を維持するのが 「原秩序尊重の原則」である。その他、公文書学の 二大原則の‑一つに 「出所の原則」 というのがある。これは、文書を管理する際には、文書を作成、収受、保管 して きた組織や個人を‑■基本単位'‑とし、他の文書群と混ぜないようにするというものである。

3 3

(10)

D:

政府報告書類 (組織別)

E :修士 ・博士論文 (著者別)

F:文書類 (主題別)

FO

l:沖縄 に関す る記事切抜 き

FO 2

:米国の沖縄統治 に関す る文書

FO 3

:沖縄返還 に関す る文書

FO 4

:高等弁務官 に対 す る諮 問委員会 に関す る文書

FO 5

:沖縄 の地位 に関す る文書

FO 6

:土地問題 に関す る文書

FO 7:USCAR

法令集

FO 8

:地元ニュース翻訳

FO 9:

沖縄県訪米団に関する文書

FI O:

沖縄統治 に関す る雑書

Fl l:

沖縄 に関する雑書

F1 2

:フライマスへの感謝状

F1 3

:往復書簡

G:

地図 ・ポス ター (年代別) Gl:地図

G2

:ポス ター H :‖もの‖資料

Ⅰ :カー ド・カタログ

搬送 については、今 回、世界各地 に拠点 を構 えている 日系 の運輸会社 に委託す ることになった。ス タッフに日本人がいる とい うのは、コ ミュニケーシ ョンとい う点で心強い。 とい うの も、コレクシ ョ ンの搬送 とい うのは、資料 を傷 めない ようにとか、資料構造 を維持 したまま箱詰めす るとか、家具の 引 っ越 しなどと違 って、作業 中にどうして も細 かい指示が必要 となる。特 に、 どの資料が どの箱 に詰 め られたか とい うことを記録 しなが らの作業では、コミュニケーションが重要な鍵 を握るのだ。 また、

日本の税関の手続 きに詳 しい とい うの も強みであった。

搬送方法 としては、航空便 と船便がある。航空便 の場合 は、 「重 さ」 による料金換算で、約

1‑2

週間で 日本 に着 くのに対 し、船便 の場合 は、 「体積」 による料金換算で、到着 までに

6‑8

週間かか

る。今回は、船便 を利用す ることになった。 コス トが安い とい うこともあるが、船便の もう一つのよ さは、●tpalle

t ● '

と呼 ばれる板の上 に資料 を積み上げ'shrinklap日と呼 ばれる'■大型サ ランラップ で ぐる ぐる巻 きに固定す るため、搬送中に多少揺れて も、資料がバ ラバ ラになった り、資料 に過度の負担が かか らないか らである

ただ、搬送で一つの問題 となったのは、税関に提 出す る書類作 りである。箱 は全部で92箱 になった が、 どの箱 に何が入 っているのか、 またそれぞれの金額 について も申告 しなければならない とい う。

これ まで述べたように、 フライマス ・コレクシ ョンには、図書、雑誌、政府報告書、パ ンフレッ ト、

公文書、地図など様 々な形態の資料が含 まれていて、その数 ざっと

3, 1 7 0

件。中には、数は少 ないが、

ビデオ ・テープ、ネーム ・プ レー ト、 リボ ン、フィリピンで拾 った と思われる日本軍の通行証やナイ フなども含 まれている。 これ ら1つ1つについて金銭的価値 を査定す ることは至難の業のように思えた ので、 「簿冊 ・件 リス ト」 を梱包用 に作 り替えた 「搬送 リス ト」 に総額2万 ドル と記 された 「鑑定書」

を添付 し、申告 した

ところが、資料が沖縄 に着いてか ら、税関か らさらなる資料の提 出を求め られた。形態 ごとの数 と その金額、 さらには

、3, 1 7 0

件 の一つ一つ について も金額 を申告せ よ、 とい うのである。 また、 ビデ オ ・テープの縦 ・横 ・高 さの長 さ、 リボ ンやネーム ・プ レー トの材 質、ナイフの場合、それが使用可 能か どうか まで細かい問合せがあった。幸 い、パ ソコンにデータが入 っていたので、その集計機能 を 使 って必要 な資料 を作 ることがで き、税関 を無事通過す ることがで きた。

こう して、 フライマスが沖縄 を離れてか ら実 に

3 7

年 とい う歳月を経 て、 フライマス ・コレクシ ョン は第

2

のふるさととなる沖縄 の地 に大切 に保管 されることになった。

(11)

3

海外 か らの受贈における課題

先に紹介 したスチ ュアー トは、フィール ド ・ワークにおける心得 を次の ように説いている。

「フィール ド・ワークにおける成功 と失敗 を客観的に見直 し、 また、その経験 を他人 と共有で きることが、プロの フィール ド ・エージェン トに不可欠 な要素 である

」 24

筆者 にとって、沖縄県公文書館の フィール ド ・エージェン トとして、この ような大規模 な受贈 に関 わるのは初めてのことで、これまで見て きたように、作業は始めか ら終 りまで試行錯誤の連続だった。

約半年の活動 を振 り返 ってみて、 「あの時、別の手法が取れなかったか‑」 と考 えることは多い。 こ の経験 を共有で きるようにするため、今回学 んだことを簡単 にまとめてお きたい。

3‑1調査方法

今回、遺族のご厚意 によりフライマス宅 に自由に出入 し、時間的に余裕 をもって調査す ることがで きたが、この ようなケースがすべて とは限 らない。現地でかけ られる時間や資料へのアクセスに限 り がある場合 には、予備調査 を短時間に終 らせ るよう工夫が必要である0

考 えられる方法 として、 まず、コレクシ ョンに内在す る‖構造 (シ リーズ).tをすばや く見抜 く。次 にその構造 を念頭 に置 きなが ら 「位 置番号」 を付与 してい く。 そ して、図

3

(巻末付録)の ような

「予備調査票」 を作 って、位置番号 ごとに 「量」、 「年代」、 「形態」、 「状態」、 「ユニーク度」、

「閲覧制限の有無」、 「配列」、 「処分方法」 などの情報 を記録 してい く。査定が必要 な場合、 自ら 行なうのではな く、その地域 に委託で きるプロの鑑定士がいるか どうか を確認する。

搬送については、ここで見て きた ように、原秩序が維持で きるよう位置番号順 に梱包 してい くよう に しなければならない。その際、形態やサ イズの違いで、順番通 り箱詰めで きない場合 は、‖はみ出

しもの‖だけ別の箱へ詰めるが、後で元 に戻せ るようその記録 をきちん と取 ってお くようにす る。

3‑2 受贈手続 き

本稿では触 れてこなかったが、アメ リカでの受贈手続 きで最 も重要 とされているのは、‖モ ノ一一を移 管す る と同時 に 「所 有権」 の移管 を確 実 に行 な うこ とであ る。 25 これ は、手紙 (letter)、遺書 (will)、あるいは寄贈契約書 (deed)のいず れの形態で もよいが、以下の点 をカバー しているのが 理想である。 26

① 誰が寄贈者か ?

② 誰が受贈者か ?

③ 所有権の移管 日は ?

④ 契約書でカバーされる資料の範囲は ?

⑤ 誰が資料の著作権 を持 っているか ?

⑥ 資料 を利用する際の制限はあるか ?

2''stewart,138.

25寄贈す る資料が寄贈者本 人によって作 成 された場合 には、そ こに知的所有権 が存在す る。 ただ し、 フライマス ・ コレクシ ョンの中心 を成す国書や雑誌 な どの場合 は、知的所有権 は著者や出版社側 に属す るため、利用の仕方 によっ ては、別の手続 きを踏 まなければな らない場合 もある。

26peterson,TrudyHuskamp,‖TheGiftandtheDeed,rlTheAmericanArchivist,Vol.42,No.1(Jam1979),

62‑66.

3 5

(12)

⑦ 誰が制限をかけることがで きるか ? (参 誰 に対 して制限がかかるのか ? (9 誰が制限を解除で きるか ?

⑲ 誰が廃棄の権限を持つか ?

⑪ 同契約書で追加寄贈分 までカバーするか ?

参考 までにアメリカにおける寄贈契約書の一例 (巻末付録、図4)を載せてお くが、これを当館の 寄 ・受贈 に係 る様式 (巻末付録、図

1、2

) と比較すると、明 らかに大 きな違いがある。今後、海外 か らの資料の受入れに関 しては、当該国 との法律や慣習の違いに留意 した寄 ・受贈契約書の作成が必 要 になって くるか もしれない。

また、相続税の問題 を解決するために、 日本国内でこれまでに海外か ら高価 なコレクション等の寄 贈 を受けた例はなかったか どうか、 日本側か ら税金控除用の書類 を発行する手だてがないのか どうか

などについて もきちんと把握 してお く必要がある

あ わ りに

沖縄 は、その歴史的背景か ら見て もアメ リカとの結 びつ きの強い県である。 また、全国有数の海外 移民の多い県で もある。今後、アメリカに限 らず中 ・南米あるいはアジア、 ヨーロッパなどか ら資料 寄贈の申 し出が来る可能性がある。その受贈手続 きは、コレクションの量や内容、当該国の法律など

によってそれぞれ違 った形態 をとることになるだろうが、 どの ような状況に直面 して も柔軟 に対応で きる用意 をしておかなければならない。その意味で、今回のフライマス ・コレクションの受贈手続 き での経験 は、筆者 にとって貴重 な‖免疫"となった。 この経験が多 く文書館仲間で共有 され、海の向 う で育った貴重な‖地域資料日の受け皿作 りに少 しで も貢献で きれば幸いである。

(なか もと ・かずひこ)

(13)

巻 末付録

図1:沖縄県公文書館第8号様式 「文書等寄贈 申込書

第8号様式(萌L6粂関係)

沖縄 県公 文書館長 殿

下記の とお り文音等 を寄贈 したいので LLJしますC

図2:沖縄県公文書館第9号様式 「寄贈文書等受取証

9ぢ横 式 (L6粂関 係)

文 書

下記の とお り文杏等 を受け取 りましたC

u

沖縄 県公 文書 成長

(14)

3:

「予備調査票

図4:寄贈契約書 (例)

寄増契約書'

私、̲̲‑ ̲ ̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲ (以下 甲 とい うD)は、添付 の仮 目録 に記 された文書 等 (以下文書 とい う。) 杏‑̲〜 ̲ー̲ー̲̲̲‑ ̲̲ (以下 乙 とい うO) に寄贈 いた しますQ文書の所有権 は、甲が乙 またはその代理人 に文書 を届 けた時点 で移管 され ます。

甲は、以下の例 に限 り、文書 の著作権 を乙 に移管 しますo (必要 な ら別紙 を使用)

文書 は、乙の管理規則 に則 って生理 .保有 され、利用 に供 され ますD

乙は、館 内お よび館外 の展示会 で文音 を展示 す るこ とがで きますo また、乙は、文書 を展 示図録、ホームベ‑ジお よび各種 出版物‑満載す るこ とがで きますC

乙の独断 に よ り,文書が収蔵資料 と して もはや不要 だ と判断 され た場 合 は、乙は文書 を処 分す ることがで きます。 その ような場合、以下 に示 された文幸 を甲または甲が亡 くなって いる場合 はその遺族へ返却 しますO (必要 な ら別紙 を使用)

甲が文書 を追加 寄贈 す る場合 は、それが届 け られ た時点でその所 有権 は乙へ移管 され、本 契約で定め られた内容が その文書 に適用 され ます。追加 された文書 の内容 は本契約書 に競 合 され ますO

'ミズー リ‑州 セ ン トルイスにあ るワシン トン大学図書館特別資料部の寄贈契約書 を筆者 が一部修正 して翻訳 した もの。

図 3: 「 予備調査票 」 図 4 :寄贈契約書 ( 例) 寄増契約書' 私、̲̲‑ ̲ ̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲ ( 以下 甲 とい うD)は、添付 の仮 目録 に記 された文書 等 ( 以下文書 とい う。) 杏‑̲〜 ̲ー̲ー̲̲̲‑ ̲̲ ( 以下 乙 とい うO) に寄贈 いた しますQ文書の所有権 は、甲が乙 またはその代理人 に文書 を届 けた時点 で移管 され ます。 甲は、以下の例 に限 り、文書 の著作権 を乙 に移管 しますo ( 必要 な ら別紙 を使用) 文書 は、乙の管理規則 に則

参照

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