九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
A Consideration on the Documents of Human Traffic in the Middle Ages
秀村, 選三
https://doi.org/10.15017/4362473
出版情報:經濟學研究. 24 (4), pp.63-93, 1959-03-25. Society of Political Economy, Kyushu University
バージョン:
権利関係:
中批 人身 売買 文書 の一 考察
筆者は近批の名子・下人・奉公人・徒弟的労働関係の展開と解体︑近代における賃労働の成立について研究を志してい
るのであるが︑その際前代の形態として︑中世の下人・所従についても関心をもたざるを得ないのである︒その場合当然
ところで中世の人身売買文書は相当の通数にのぼるが︑此等の文書の中にきわめて稀にではあるが﹃大根顛狂一k々﹄.
﹃太 寝て んこ
5 ‑ K
々﹄乃至これに類似の文言に接することがある︒史料集に載せられた場合にもママとされていることが
あり︑編纂者にもその意味は掴めていなかったように思われる︒もちろん此の文言にそれほど重要性はないかも知れない
し︑また筆者の解釈の試みも全然見当ほづれであるかも知れないが︑識者の御教示を乞うつもりでこの小論を草してみる
こと にじ た︒
人身売買が問題となってくるであろう︒
第二十四巻
ー瑕疵担保と推定される文言についてー'—
中 世 人 身 売 買 文 書 の
考 察
第四号
秀
村
六 一 ︱
︱
選
‑'
後日証文状如件
(
‑
‑ 1
五叫︶建長六年五月八日
ところで問題の文言が見える史符は筆者の知る範囲では次の五通にすぎない︒年代順に史料を引用すると次のとおりで
ある︵傍点は筆者︑以下同じ︶︒
︶ 2
先づ肥前有浦文書に
合染賞文者
︑︑
︑︑
︵壮
︶
右件銭請取処実正也︑但来六月内字斑嶋相女︱︱十蔵︑志佐一王女年十九歳︑皮女菫二人者︑依為淳相伝︑件銭代可請取︑但大根顛伍
限三月︑於其外諸病者︑雖為所載券文之女章︑不可請取︑若皮奴原逃亡死亡侯ハA︑同年女童一人代二入ツ4もんて可弁︑若叉四人
︵たゃh)内一人も有憫怠者︑今年所奉申候︑代官朦之肥訛国御厨御庄内淳分志佐所領︑自明年七月ニケ年之間︑可□
皮知
行也
︑
( g
ヲモ不弁︑叉皮所ヲ︳モニケ年不奉皮知口者︑限永年可人流件所領於秋武太郎殿也︑雖無本証文︑以此乖文為手継︑
﹄
と あ り
︑ 右 は 源 淳 が 銭 七 貫 文 を 借 り 受 け
︑ そ の 銭 代 と し て 淳 相 伝 の 女 童 二 人 の 支 配 を 秋 武 太 郎 在 高 へ 委 ね た と 考 え ら れ る︒此の場合﹁借請﹂とあるのだから永代の売渡ではないわけだが︑年季の規定も請戻の条件に関する文言も見えない︒
形式的には無年季の質入と一云えようが︑賠黙のうちに永代の売渡を意味していたかのように思われる︒ともかく︑﹁大根 顧狂限三月﹂と不可解な文言があり︑更に続けて﹁於其外諸病者︑雖為所戴券文之女童不可請取﹂とあるが︑これは後述
﹃︵
端唇
玉︶
﹁人
ての
せう
もん
﹂
借謂人手銭事 中枇人身売買文書の一考察第二十四巻第四号
源 六
四
淳︵
花押
︶ 苦背此状女童
永可
被知
行︑
偲為
次 に 下 総 香 取 神 宮 の 旧 案 主 家 文 書 に は 次 の よ う に 類 似 の 文 言 が あ る こ と を 注 意 し た い
︒
︶ 4
一っ
ち
t
うハらハのしやう比あん﹂︵ 端 暦 ︶ ー
t
﹃
﹁
ロロロロあるよよんてうでわさす一 一
1
‑
直錢弐貫文者
口 件 の ふ そ く あ さ ふ っ ち こ う わ ら ハ 侯 を
︑ ゑ う よ う あ る よ よ ん て
︑ あ さ い の 生 に 式 貫 文 二
︑ 永 代 を か ん き て
︑ う
でわさすところ実正ふり︑但大ねと︑口わらハ九十日ささハ︑みやうふやうのあいさ︑うけ申ものふり︑もし身をうけ申侯
(
4︑六貫
まクでこへて侯とも︑このふ文比ようとうもんて︑うけいたすへ<候︑かの仁に些うせ候て︑
やうをさきとふて︑めしとられ候ハん二︑そのところちとうでやう筈ふさふきふんるいの︑
ふようもんのうで筈んの状如件
( =
‑ ︱
‑ E ‑
︶ 十月廿二日
みつ
のヘ
f っ
観応
一︱
︱年
こ
うりぬし︑ひたち比国ふめクさのこ拭りとミさのかう比
︵ んヽ
住人
t
まの太夫1一郎
もり
一
□口□あり
t [
﹂
右 は 常 陸 国 行 方 郡 富 田 郷 の
﹁ は ま の 太 夫 二 郎 も り
‑ i ‑
﹂が﹁っちはうわらは﹂を銭弐貫文を以て︑
に売り渡したものであろう︒
破損箇所があるのでたしかではないが︑﹁大ね⁝九十日:.﹂は前引の﹁大根顕狂限一二月﹂と 類似し︑相共に考慮すべきものと思われる︒
中批人身売買文書の一考察
するように︱つの理解の鍵になるかと思われる︒
いかふる笹もんせいけの御でやう1︑
第二十四巻第四号
六五
ゐらんさまさけあるまふく候︑
恐 ら く 案 主 家 に 永 代
16
偲為後日
さらに日向椀山文書にも左の如く見える︒
︵ ら
"
°
六 ︶
たう
ゑい
十三
年十
二月
廿一
H
中批人身売買文書の一考察なお続けて請戻しの特約を附し︑請戻の際は本銭の三倍にあたる六貫文を以てすることを約しているのも︱つの鍵になり
そうである︒
﹃よふ/\候二よってうでわさふ申わっ
t
の 事
︑ と し 十 四 あ さ な っ 一
︳
第二十四巻
合︑米八百文兒學ふつなり
︵や
h)ぢ竺双てんかう三月比事︑か入で申候へ<候︑地ふこのうちふうにんと申物候ハ\いかなるけんもんらうけふんふ□
ふつ
ふん
此
ヽ
︑
︵ さ 力
︶
︵ 若 力
︶
御でやうなたき弱わす御□た侯吟︑一こふのきあるましく候︑もぬし下候ハ4ほんもつのよ於にて給ハリ︑そ比時ハか4で申候へ<
︵ し
U
的
. 烏 力
︶
︵ 止 石
︶
︵ 丹
︶
侯︑ゆきのふまたてい主叉ろくよつて五日比ため二ぷやうくさん比事ふ
は写真を見るに天を二度抹消せるものと思われるので結局は﹁おねてんかう﹂と見てよい︒
く︵花押︶﹄
4︑ 人
てんかう﹂の一ァハの箇所
六人
右は恐らく壱岐島立右郷の又六が五島の青方家に十四歳の童を売渡せるものであるが︑﹁おね二人
> ︑
A
したがつて﹁おねてんかう﹂
については一︱︱ヶ月間関与すること︑他より右の童の主人と称して追奪ありたるときは︑
, /
肥前五島の青方文書には次の如く見える︒ 5
たとえ権門・高家・神社・仏神の 御領より沙汰があろうとも︑売主は買主に対して一口の異儀を申すことなきこと︑若し売渡人身を売主に下される時は本
物の米にて給わることを約せるものであろう︒ともかくここにも﹁おねてんかう三月::﹂なる難解な文言が見えている︒ 第四号
又 ろ
六六
合壱仁者
盆
6 )
右彼永代買渡申処実也︑ り﹃何為用々︑売渡ます女の重
合 壱 人 戸 五 斗 者 右件のます女者︑生年廿歳二罷成候を︑日向国嶋津北郷野水谷安去守御内永代売渡申所実也︑
乱申侯ハ4︑同北郷とくますとの内の孫太郎其沙汰を朗申侯へ<侯︑若不沙汰時者︑
方例二まらせ候て︑一二月九十日を相らで申へ<候︑初為後日売券状如件
︵一
四0
応永十五子十一月廿一日 戊 八 ︶
右 も
﹁ と く ま す 孫 太 郎
﹂ が
﹁ ま す 女
﹂ を 代 米 四 石 五 斗 を 以 て 野 水 谷 安 芸 守 の 御 内 に 永 代 に 売 渡 し 更 に 違 乱 担 保 文 言 を 附 し ているわけだが︑﹁凡大寝てんこう者方例二まかせて三月九十日を相かり申へ<候﹂とあり難解である︒
このほか能登︑時国文書にも次の如く見える︒
但八百文永代普代相伝買申事不相違候︑
中批人身売買文書の一考察 在所皿山 ﹃︵端哀書︶
︵ 賣︶
n
﹁ 買 券 之 状 山 崎 弥 太 郎
﹂
︵西 力︶
買渡申女之事 但此女二.縁者兄弟主人と申出来侯て遮
ヽ本物早々可令返進上者也︑凡大寝てんこう者︑
於上者有頂天下者大河下二井山崎名字内子と孫;於此女名名千代二
︵間 呪︶
年十一オ違乱煩申敷候︑殊者天下一同之御徳像候共︑又ぐ沙汰ハ朋拾を諷玉眺元臨七九止訊車鰈防為後日買券之状如件
第二十四巻第四号
六七
日向国嶋津御庄北郷とくます孫太郎︵略押︶
lb,
(4) (3) (2) (1)
ある
︒
第二十四巻
此の場合も永代の売渡であるが︑﹁王明天恐﹂と﹁大根顧狂﹂の類似︑﹁十九
8
﹂ と︹ 三 月
︺ 九 十 日 の 類 似 を 注 意 す べ き で
﹁天下一同之御徳儀云々﹂
であろう︒
﹁沙
汰
2
明﹂がおそらく徳政担保文言や明沙汰文言の形骸をわずかにとどめているの 同 様 に
﹁ 王 明 天 恐 云 人
﹂ も 殆 ん ど 実 質 的 意 味 を も た ず
﹁ 大 根 顕 狂 眼 三 月
﹂ の 形 骸 化 せ る も の の よ う に 思 わ れ
石井良助︑中批人身法制雑考︵法学協会雑誌第五十六巻八し十号︑特に八号︶︑水上一久︑
史学第四号︶参照︒
東京大学史料編纂所蔵︒ 山崎弥太郎︵略押︶
中批における人身売買について︵北陸
鎌倉幕府法においては人身売買は厳禁されていたので︵特種の場合を除いて︶︑かかる形式をとったのではなかろうか︒
千葉県史料︑中批篇︑香取文書︑三一一九頁︒︹此の引用は写真により一都訂正した︺なお本史料は以前刊行された香取文書纂拾
三十九丁にもおさめられていて︑それには傍点の箇所は﹁但大ね
□
□
わらは九十日さたはみやうしやうのあいた:
. .
﹂と
なっ
てい
る︒
最後の﹁太夫二郎もり︳
1 1 ‑
あり
t
口﹂は﹁太夫二郎もりまさ在判﹂とある︒注 る ︒
参
下町野領家方ヒッメ
時国衛門太郎殿 委鑓平ャニ月廿四日
中世人身売買文書の一考察
︵出i‑︶
買 主 中 村
第四号
六八
16
中批人身売買文書の一考察
青方 文書
⇔︵ 九州 史料 叢書
︶一
0
四頁︒
談し て﹁ ゆき の主 ま﹂ と読 んだ
︒ 日向 古文 書集 成一 六四 頁︒ 日本 常民 文化 研究 所編
︑奥 能登 時国 家文 書弟 一巻
︑一 頁︒
第四号
六九
瀬野精一郎氏の御教示によった︒もっとも﹁ゆきの立ま﹂を瀬野氏の写真により同氏と相
さて右の﹁大根顕狂限三月去々﹂乃至それに類似の文言は如何に解釈すべきであろうか︹以下︑代表的には大根頴狂限一・l・l
月の みで あら わす こと にす る︺
︒
水上一久氏は前引の青方・樺山・時国文書の三史料を挙げられ︑いづれも人身の年季売︵本物返︶証文と解せられてい
る︒併しこれは樺山・時国両文書に見える﹁永代﹂の文言を無視されているし
9
‑ l
一史料とも三月九十日或は十九日を年季
売の期間と解せられたらしく﹁おねてんこう﹂︑﹁大寝てんこう﹂の解釈は明確にされなかったのではないかと思われる︒
•石井良助氏は案主家文書と樺山文書を引かれている。前者についてほ「初めの部分に『永代をかんぎッてうりわたす』
とあるから人身の永代売券と解されるのであるが︑中程に﹃もし身うけ申候はば云々﹄とある所を以て見ると︑実際は無
年季有合に売渡したものの様である﹂と一云われる︒これは註に﹁但大ね
□
□
わらは一云々の箇所はその意味を捕捉し難い﹂
とことわっていられるのをみれば︑ここの箇所を無視されての解釈と思われる︒後者についても永代の文字を無意味に
書き加えられたものとして年季売
11
入質と解せられているが︑これも同様に﹁大寝てんかう云々﹂を無視されているよう
(7) ..・(6) (5)
第1
一十
四巻
売主︵人主︶がその売渡せる男女を売放つことを惜しみ
買主がそれを知らずして買い︑
i 後日これを
・﹁てんかう﹂を直ちに転向と解釈して良いものか
︵被 売人 の年 齢の 若い こと を注 意︶
︱︱
︱ヶ 月の 間︑
中批人身売買文書の一考察
に思われる︒ 第二十四巻
次に玉泉大梁氏はいづれも人身の永代売券とし︑大根・大寝はオオムネ又は大本の意味︑顧狂・てんかうは転向の意と
して契約の破棄の意であろうと云われる︒云わば契約破棄期間を三ヶ月に限つたものと解釈されるわけである︒すなわち
買主に対し買戻の請
求権を留保せるものと見られるのである︒後にも述べるように此の解釈は充分に考慮さるべきことのように国やわれる︒近
批の質奉公の証文においても﹃若年記之内此方力御院申請候︿バ︑元米壱倍相立︑御膝可申請候﹄という如き例は非常に
多い
︒ また売主側からの契約の解除・破棄であるから罰金的意味で右の質奉公証文では元米壱倍
( 1 1
ニ倍︶︑また前引案
主家文書の如きは本銭の三倍による請戻を特約したと解釈することが出来るのである︒
併し右の末泉氏の解釈の場合︑﹁大根﹂はともかくとして︑﹁顧狂﹂
どうか︑同時代の用例は無いようであるし︑氏の一字われる意味であるならば人身売買文書以外の一般的な売買文書にも広
く見えてよさそうであるが︵違乱担保文言・徳政担保文言等は土地売券にも見える︶︑不思議に此の文言は人身売買文書に限ら
れているようである︒更に有浦文書の﹁於其外賭病者云々﹄の解釈が困難であるように思われる︒
文言の意味は時代と共に相当変化するので必ずしも一義的なることを要しない︒それで﹁大根顕狂限︱︱]月﹂は他の解釈
が可能で︑むしろそれの方が原意ではないかと思われる︒租は次のように解釈するのである︒すなわち男女人身の売買に
あたり︑その人身に何らかの瑕疵ーー肉体的・精神的・法律的欠陥ーーがあり︑ 第四号七
0
(4) (3)
中世人身売買文書の一考察 図石井︑前掲稿一六一九︑一六二四頁︒
注
第四号
発見した場合売主に対して契約の解除︑すなわち人身を売主に返還し代金の返還を請求することが出来るとし︑その期間
を売買契約成立の時より︱︱︱ヶ月九十日に限ったものと推定しては如何であろうか︒法制史家の所覇﹁瑕疵担保文言﹂とし
て解釈を試みるわけである︒
というのは奴隷売買の際に瑕疵担保がなされたことは世界各国に広く見られるところであり︑
られるからである︒勿論外国に広く見られるからと一云つて︑ただちに我が国に見られなければならないとするのは非歴 史的である︒しかし各国に広く見られることは相当考慮すべきであろう︒況や史料が梃めて少く︑
いない現在では大胆な試みとして一応許されることではあるまいか︒
大根顧狂の字義の考証は後に廻して少しく各匿の事例を次に窺つてみよう︒
い水上︑前掲稽︑五八頁︒
読ま
れて
いる
︒
同右
︑一
1 0
三四
頁︒
但し問題の箇所を水上氏は青方文書では﹁をねこんてんこう﹂︑
昭和
一
1 1十四年二月社会経済史学会九州部会における筆者の報告に対する批判︒もともと筆者が此の文言に関心をもったのは︑
に中批南九州の下人の史料を探つていた際︑樺山文書の﹁大寝てんこう云々﹂の御教示を先生に仰ぎ︑その際参照すべきものとして
案主家文書を示されたからである︒その後︑史料を見出す度に先生にお知らせしたが此の文言の解釈は漸次意見を異にした︒
第二十四巻
七
さき
またその必要は当然考え 正確な解釈がなされて
時国文書では﹁明
00
十九日まて口﹂と中世入身売買文書の一考察
筑前国御床村鎌田家文書︑宝永四年︵一七
0
七︶我等枠茂介質二召置借用米之事︒なおかかる事例は拙稿︑近世北九州農村おける質奉公人︵宮本又次編︑農村構造の史的分析所収︶参照︒
囮中田薫氏によれば︑古代においてほ売主ほ買主に罰金を支払うときは一方的に売買契約を解除するの自由を有したもので︑此の点
に関し最も多くの材料を提供するのほ印度法で︑そのほかアッシリア・ニジプトにおいても同様のことが見られると云う︵日本古法
に於ける追奪担保の沿革︑法制史論集第
1 1一
巻八
一頁
︶︒
①バビロニア
^ンムラビ時代に始まることであるが、奴隷売買文書の中には
tab'itum取調•
bennum輝澗•p a q a r u m
損害賠償の
請求に関して担保文言が付せられたのであった︒取調とは奴腺が逃亡者か否かその素性すなわち逃亡性について買主が取 調べるため一日から三日猶予期間を与えられたものであり︑第二のものは売買の時に見出し得ない不治の病気に奴縣が罹 つているかも知れないので引続き一ヶ月間観察期間が許された︒第三のものは第三者の損害賠償請求に対して買主を防禦
するもので、その期間は限られていなかった。このうち第一•第二のものは瑕疵担保を以て理解されるであろう。〈ンム
ラビ法典第二七八条には︑
﹃若し人が奴隷女奴を買いて︑其の月末だ満了せざるにベソヌム
( b e n n u m )
病︵顕指?︶が彼の上に襲いかかりたるときは︑彼の売主 各国における瑕疵担保の事例をうかがえば次の通りである︒ (5) 第二十四巻第四号
七
に︑買主が売主に対し契約の解除︑
⑱
ギ y
シ ア
担保と理解される︒ 2
に返 して
︑買 主は 支払 いた る銀 をと る﹄
とある︒一二笠宮殿下は前十七世紀の奴腺売買文書`ー│三日間の取調︑
規定—ーを紹介されている
30後期アッシリア時代における奴隷売買には︑担保は
s i b t
u 癬病
・
bennu
顔帯•
sa
rt
u
損害賠償請求︵?︶に対してな
された︒文書の形式は﹃瀬病︵と︶輝澗に対しては百日︑損害賠償請求に対しては何時にても﹂とあった︒前二者は瑕疵
.
q・ギヅシアについては田中周友氏の詳細な研究があるが︑それによるとヒペライデス(H
yp
er
ei
de
s,
c a .
B .
C .
│
390 322)
の五
心︑
アン
テノ
iゲネス
(A
nt
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no
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ne
s)
弁論の中に﹃人あり奴隷を売る場合︑
ベ<︑然らざる場合に於ては︑この者のd苫
gr
3忌行われる﹄と見えると去う︒
瑕疵ある場合に買主を保護する手段を一字うもので︑売貿の当時貿主が瑕疵原因を知らず︑後に至ってこれを発見した場合
中批 人身 売買 文書 の一 考察
@アッジ~とソ[
すなわち瑕疵ある奴蕨を返還し︑
し売主がこれを肯じない場合には訴訟の方法により強行するを要し︑
ぅ
代金の償還を請求することと解せられている︒若と称せられたと去
第二十四巻第四号 かかる訴訟を
七
8i q1
さ苫
a r S
ふ; s
此のさミ
a r s
ぶとは売買物たる奴隷に
何らか疾病を有する時には予め之を告ぐ ︑
︑︑
︑
一ヶ月間のてんかん持でないかどうかの観察期間を
⑭エジプト 擁護を職務とする官吏があたるとされる︒ 要すべき職業︹医師・体育敦師︺なる時は救済に預らない︒
このほか法律上の瑕疵ーー—殺人者たる奴隷についても売主の担
右は売主悪意の場合であるが︑ 中批人身売買文書の一考察第二十四巻プラトンの法律諭
(L
eg
es
)
X
I .
に
2
ほ
8
7︑ さ
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1︐瀞について詳しく述べているが︑
において、奴隙に肉体的若くは精神的疾患で永きにわたり治癌が困難なもので、しかも多数人が認識し得ない瑕疵ー—‘肺
病・結石・尿淋滴・神墾病などのある場合︑神狐病は一年以内︑それ以外ほ六ヶ月以内には買主は救済され︑代金の一一倍
額の償還に預る︒
て足りるとされた︒もっとも貿主が売買契約成立当時に瑕疵の存することを鉗つていた場合や︑奴蔑の人体につき知識を
保責任が述べられており︑ 売主善意の場合︵瑕疵を知らなかった場合︶ほ単に代金額を償還するを以
この場合事件の判決にはーー上述の場合が医師であったのに対しー
│iノモピュラクスなる法律
田中周友氏はパピュルス法にもふれられているが︑パピュルス古文書中の売買に関する証書には属々TO32
OJ
/'
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OI
O Cl
20
て
a
苔
mi
こ支0yp
︵あ るが まま に︑ 且つ 返還 をな すを 得ざ るも のと して
︶な る文 言が 記載 され たと 一云 う︒
奴隷の子
so
ta
s
なるもの︵年齢八オ︑著しき特徴なし︶をその在るがままに︑
しかし稀に家畜売買におい
て︑殊に注意すべきは奴隷売買においては︑これに除外例を附加する形式がとられたと一云われる︒たとえば﹃
se
ga
th
is
は
且つ返還を許さざるものとして売却した
ることを約束する︒但し訂
R史h並に神湿なる疾病は此の限りに非ず﹄とあるが如きである︒右の心mdきふは懲戒の記号
とかレプラとか拿捕だとか賭説あるが︑ともかく叩ミ苓hや神蜘病の場合は売主に対し返還することが出来たわけである︒ 第四号
Jれを要約すれば︑奴隷売買 七
四
中批 人其 売買 文書 の一 考察
ローマ按察官告1ホ
第四号
七五
田中周友氏は小アジア地方において締結作成された奴棘売貿証書についても述べられているが︑エジプトにおける売買
浮浪者・逃亡者・神聖病〔
A•D.一五一年、パソフ!リア地方の一都市Sideで成立せる奴隷売買証書〕、神雖病•以 前の損害・院れたる病気·逃亡〔
A•D•1 1一 九五 年︑ フェ ニキ ア地 方の
C o l o
n i a
A s
k a
l o
n における奴隷売買証書︺である︒さらに売
主が﹃該奴棘が︵按察官︶告示に基き健康なる旨﹂
ることとする︒ を担保しているものさえあると云う︹A.D.
︱六 六年
︑ア ッテ ーォ キア
しからばローマの按察官告示とは如何なるものであったろうか︒これについては柚木馨氏の研究があるので︑それに拠
ローマ按察官
( a e d
i l i s
curulis)~11
ーマ市場における取引に関し監督権を有したが故に、種々なる警察法規を発布し
た。また市場取引の範囲における立法権を有したがために私法上の告示
(edictum)~...@発した。る奴隷及び家畜の売買についても告示を発し買主保護に努めたと一字われる︒右の告示が如何なる時代に発せられたものか
明らかではないが︑少くとも奴棘告示のみは︑おそくともキケロ︵
C i c e
r o ,
B .
C .
1 0 6
│
43 )
の時代には存したことが確実
で︑更に紀元前一五二年以前にさえ遡り得るとされている︒ウルピアーヌス
(U
lp
ia
nu
s,
c a .
170~228)~
よれば︑市場に
おいて奴態を売る者は奴隷が病気及び欠点を有する時︑逃亡者・浮浪者なる時︑加害の賠償義務を未だ免れていない時︑ の漉市約
l e u c
i a
で締
結の
奴隷
売買
証書
︺︒
第二十四巻 したがつて市場におけ 証書に比べて︑な
わち
︑
(e
di
ct
um
ae
di
li
ci
um
)
の影響を受け瑕疵原因を更に広く認めていると一字われる︒す
(5)
ロ
マ
ド
1 1
タ ッ
︶
伯} 一般的には奴蔑の労低の能率に悪い影害を及ぼすものに限らところの病気の規定は法律家にとつて難しい問類であった︒ さらにガイウス このほか若き奴隷として老奴隷が売られたこと︑また奴競の生国の告示に関しても右と同様に攻扱われた︒
( G
a i
u s
こ一世紀︶によれば︑按察官布告の担保強制に違反して担保を拒絶した売主に対しては貿主は
二ヶ月以内に売貿解除の訴を按察官に提起することが出来たのであり︑六ヶ月以内は利益訴権を有したのであった︒
以上のような瑕疵担保がなされたわけであるが︑ウェスターマン
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) によれば売貿を無奴にする
れたのであるが、どザンチンの奴隷売買では隠れた病と欠陥に関するローマ法の所論が東方特有の文体ー—購入せる奴緑
の顧澗とレプラに対しては買主を保護する—ーと結びついたのである。トラヤヌス時代=ペソの一医師によって書かれた
パンフレット 9
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C奴隷売買について︶は奴隷購入の際に奴苺のもっ隠れた病や欠陥を見つける方
法を取扱ったものであ︐〇たと去う︒
中世前期のパイェルン部炭法典
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1
︑そ の成 立史 につ いて は諸 説が ある よう であ るが 大体 八批 紀前
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半の第十六章には奴隷・家畜の売貿について次の条文がある︒ った時は︑売買解除の訴樹を買主に与えたのである︒ 或は前生涯において宣罪を犯したること︑自殺のために何かをなしたること︑或は斗技のために斗獣場に引入れられたこと有る場合は︑これを貿主に公然且つ正しく知らさねばならない︒若しも売買の時に買主が知らなかった此等の欠陥があ 中批人身売買文書の一考察第二十四巻第四号
七六
弓
⑰中
国
物を売りたる者はこのものを引き取るべし︒
. . . .
﹄
『:•取引がなされたる後においては、彼貸主〕がその売主の隠したる瑕疵を発見するがごときことありたる場合を除き、変更をら
るべからず︒︹かかる瑕疵とは︺すなはち奴隷・馬または何らかの家畜にありては︑それが盲目または脱腸または鱈棚または鑓病たること
なり
︒
しかしもし売主が瑕疵を告げたるときは売買は確実のものたるべく︑これを変更することを得ず︒
しかしもし︹売主が瑕疵を︺告げざりしとぎは︑その︹売買の行はれたる︺日及びその翌日及び第一
1 1 日に︹売買を︺変更することを
得︒しかしてもし彼︹買主︺が︹目的物︺を自己の手許に三夜を超えて有したるときは︑
三日間の中に彼︹売主︺を発見し得ざりしごとき場合にはこの限りにあらず︒
此の場合解除権存続期間が偶然にも後述する唐律や我が国の律と同じ日数であることは興味あることである︒
瑕疵担保制度は古くから今日まで家畜取引慣習の内にも存するが︑唐の雑律では次の如く定められていた︒
買奴婢牛烏立券
諸買奴婢馬牛誨鰈聾︑已過価不立市券︑過一1日︑笞︱︱‑+︑売者減一等︑立春之後有旧病者︑三日内聴悔︑無病獣者︑
四十
︑﹄
したがつて売買せる奴婢・家畜に旧病のあることを発見して買主が売買契約を解除したい時は︑市券を立てて後三日内に限 つて許されたわけである︒此の規定は全く同文で宋刑統にも継承されているが︑実際の売買の慣行では必ずしも三日に限ら
中世人身売買文書の一考察 しかし勁物にありては売主が屡々隠し得るごとき瑕疵あり︒
︹売買を︺変更することを得ず︒
この場合彼が︹売主を︺発見したるときは︑
第二十四巻第四号
七七
瑕霰ある
市如法︑遠者笞 但し彼が
中世人身売買文書の一考察
知見報恩寺僧
知 見 竜 興 寺 楽 善
内磁絹壱疋︑断出褐陸段白褐陸段︑計拾式段︑各丈一丈二︑比至五月尽還也七
4 この文書の要旨は仁井田陸氏によれば左のとおりである︒淳化二年十一月︑
絹一︱︱疋を受領して︑その女奴朦年二十八救ばかりなるを朱願松並にその妻男等に引渡した︒但し代価の残額熟絹二疋は来
年宜月に支払をうけることとする︒売買後は買主において永く所有者たるべく︑もし将来売主の親族が売買の目的物を追 同商菰人
丑
韓願定夫婦が代価生熟絹五疋の一部なる生 安
法 律
︵花
押︶
︵花
押︶
表
冨
欄?~ 齋
出 売 女 人 郎 主 韓 願 定 七
出 売 女 人 娘 主 七 娘 子 七
︵ 西 { )
買身女人濫勝 第二十四巻
七
︵花
押︶
16
れたものでなくスタイン探険隊敦煽発見・大英博物館所蔵の淳化二年︵九九一︶の人身売買文書には左の如く見えている︒
︵綿
︶
﹃淳化二年辛卯歳十一月十二日︑立契押荷韓願定︑伏緑家中用度所?欠闘疋吊︑今有家焼子?名瑞勝年可式拾捌歳︑出売与常住百姓
︵任︶︵人︶朱願松妻男等︑翫懺人ン女価生焚絹伍疋︑当日現速生絹参疋︑焚鞘両疋︑限至来年五月尽墳遠︑其人及価互相分付︑自売己後︑任永
朱家男女批代為主︑中間有親性呑表識認此人来者︑一仰韓願定及妻七娘子面上資好人充替︑或遇恩赦流行︑亦不在再来諭理之限︑両
︵澄
︶
共面対商儀為定︑准格不許跳悔︑如若先悔者︑罰楼綾壱疋︑偲罰大掲羊両口︑充入不悔人︑恐人無信︑故勒此契用為後憑︑﹂其人
在患比至十日己後︑不用休悔者︑七 第四号
七八
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をと
つて
いる
︶も
参照
︒
(5)
奪せんとすることあらば売主側に於いて之を防衛すべく︑防衛に失敗せるときは充替︵賠償︶の責を負う︒
赦あるも両当事者間においては論説の限ではない︒爾今当串者双方︑法に従って違約︵解約︶するを得ず︑違約者は違約
罰︵楼綾一疋・大賜羊両口︶を相手方に支払うべきである︒
原田
慶吉
著︑
楔形
文字
法の
研究
一二
四
0
頁︒な
お一
三八
頁参
照︒
三笠宮崇仁著︑帝王と募と民衆七八頁︒
ここに後日の証としてこの契約書を作成する︒なおたとえ売 買の目的物たる女奴隷の旧病を発見する心今日より十日後においては契約解除の申込に応ずるを得ないとし︑売主・披売 者・同商量人・知見人の記名花押が記され︑最後に未払代価を支払える旨が書き添えられている︒すなわち此の文書では
売買において買主の方が強い立場に立つからであろう︒
の文書の﹁患﹂が単に病気一般をさすのでなく︑特定の病気をさしたのではないかと思われるが︑不明である︒
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1949,
p .
38 .
田中周友︑ギリシア法における売主瑕痰担保賓任︵法学論叢︑第三十二巻四号︶︑
シア民法中巻~10、
︱一
頁も
参照
︒ 田中︑同宜なお
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1955,
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売買
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一考
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39 1
40 .
(3) (2) (1) 注
解除権存続期間を十日としているわけで︑
第二十四巻第四号
七九
なお古林善祐︑法哲学の起源と形成ー古代ギリ 荏に一亨︶﹁旧病﹂︑こ
そしてたとえ恩
ほ瑕疵担保が広く行われていることを知るであろう︒
四
闘同右一八六︑七真︒同︑中国売買法の沿革七
0
し一
頁参
照︒
(13) (12) り1) (7)
中枇人身売買文書の一考察
田中
︑同
右︒
第二十四巻
︵国
民経
済雑
誌第
五
0
巻=
二号
し第
五二
巻第
四号
︶︑
⑧柚木馨︑ローマ法に於ける売主瑕疵担保責任の研究
旱二巻第四号︶
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99100.
皿世良晃志郎訳︑バイニルソ洛族法典︑︱︱︱︱二し三頁︒なおドイツの古法における家畜売買の際の瑕疵については
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︒
仁井
田陸
著︑
中国
法制
史一
1一ご八頁︒仁井田︑中国売翼法の沿革︵法制史研究
I)
八五
し六
頁︒
唐律疏議巻二十六︑雑律上︵五︑六ニニ頁︶︒
仁井田陸著︑唐宋法律文書の研究一八四︑五頁︒
以上は外国史に通じない筆者が断片的に窺ったものにすぎないが︑
按察官訴権論︵法学論叢第
それにしても奴襲︵及び家畜︶売貿の行われる所で しからば我が国では如何であろうか︒唐律を継受した我が国では次の如く見えている︒すなわち律逸文・雑律に
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『凡買奴婢蔦牛己過価、不立市券過三日、笞一―-+、売者減一等、止券乙認‘料此郷惹‘一子恥ふ聰悔‘無病叡者、市如法、違者答四十、〗 i
C J
とあり︑これは嘉承元年(︱
1 0
六︶五月廿九日官宜旨案にも引かれている︒ここに云う﹁旧病﹂がいかなる病気である かは分らないが︑当時財産として重要な位醤を占めていた奴婢が重い病気・肉休的欠陥をもっときは︑
第四号八
0
その価値が低くな
︵端 襄善
︺
﹃﹁
奴婢
帳
︵ 東︶
□大寺三網
﹃凡
官私
奴婢
逃亡
︑経
一月
以上
捉獲
者︑
︶ ヽヽ.︑
者︑
賞各
減辛
︑
. .
.
﹄
とあり︑奴婢の逃亡の場合店疾ー媛疾以上︑すなわち綴疾及び篤疾ーの奴婢を捉えた者への賞は七十歳以上の老齢奴婢を捉え
た者と同様に︑普通の奴婢を捉えた場合より出半減せられたことでも分る︒
もないので︑路辺に捨てられ看護を受けずに餓死し︑
︶ 5 6
官符や今昔物語によっても窺えるところである︒
ゆえに悪病はもちろん一般に瑕疵ある奴婢を購入しないように買主は注意したであろうし︑
合の処置も当然考慮したであろう︒律では﹁有旧病者︑三日内聴悔﹂と規定されているが︑
これは最小限の期間で︑買主
の立場から云えばその期間は長い握良いわけである︒したがつて天平神謹二年︵七六六︶八月十八日の太政官符に
とあるのは買主保護の立場から特に三ケ年を契約解除櫂の存続期間としたものである︒
なおこれより以前であるが︑逃亡癖をもつ奴︱一人が東大寺より嫌われ本主のもとに還送された文書がある︒すなわち︑
天平勝宝二年﹂
牒但馬国司
中枇人身売貿文杏の一考察 案文
﹃国
分二
寺応
買賤
︑寺
別奴
三人
︑婢
三人
︑・
・・
・・
・・
・・
若誤
買悲
奴婢
必返
本主
︑以
︱︱
一年
為留
返之
期﹄
ったことは揺亡令に
廿分
賞一
︑
或は犬と陰い違えて死んだことは弘仁四年︵八ニ︱︱)六月一日太政
第二十四巻
一年
以上
︑十
分賞
一︑
第四号
したかつて悪病の奴婢は主家には伺らの価偉
︑︑
︑︑
︑︑
其七
十以
上及
病疾
不合
役者
︑ 八
井奴
婢走
捉前
主︑
及閲津捉獲
また後日瑕疵を発見せる場
出﹃経疾者︑磨疾以上也﹄
︵同
右一
110五頁︶︒次節八四頁戸令よりの引用参照︒
(3) (2)
右の奴二人は天平勝宝元年九月廿日の民部省符により各人稲玖伯束を以て.他の奴一人︵捌伯束︶婢︱一人︵壱仔束と玖伯五拾
東︶と共に但馬国司に賄入せられ東大寺に進上された者であるが︑天平膀宝二年一一月に共に逃亡し︑捉えられて再び東大 寺に進上されたが︑三月十六日には一一人が又もや逃亡した︒その後糟麻呂は六月に捉えられて再び進上された︒池麻呂も おそらく同様であったろう︒しかし東大寺は度重なる逃走に手を焼き︑彼等を本主大生部直山方に還送せしめ他の奴婢を かわりに貢上するよう但馬国司に牒したのであった︒これを見ると︑逃亡癖は明らかに奴婢の瑕疵と考えられ売主に返還
されたのである︒
注田新訂増袖国史大系弟二十二巻一六一頁︵竹内理三教授の御教示による︶︒
没官︑短挟不如法者︑還主﹄とあり︵同上︑令義解一︱
1 0
一 頁︶ ︒
竹内理三編︑平安遺文第四巻一五一五頁︵竹内教授の御教示による︶︒
新訂増補国史大系第二十二巻︑令義解・一
1 1
0
五︑
六頁
︒
なお一般商品については関市令に
知 上 事 坐 法 法 師 師
奴 糟 麻 呂 奴 池 麻 呂
牒︑上仲仄璽数奉忠畝賦的摩丑︱︷生阜喜墨恙但合先官符交易貢上耳︑今注状以牒︑
で 七
り0
)
天乎勝宝二年七月二日
都 維 那
倍 同日遇走 中批人身売買文書の一考察第二十四巻
筍﹄
溶四号
八
﹃凡以行濫之物交易者
a 3 l
U2l Ul)中批人身売買文書の一考察 ﹃太政官符
五
第四号
八
固応禁断京畿百姓出弁病人事
右右大臣奏備︑念旧酬労賢哲遺訓︑重生愛命貴賤無殊︑今天下之人各有霙隷乎生乙凡既梃其象病患乙眠肌血認砥無人震養遂致
餓死
. . . .
﹄︵
類崇
一
1一代格巻十九︑禁制事︒新訂増補国史大系第二十五巻五九二頁︒︶
滝川政次郎著︑日本奴隷経済史六六頁参照︒
⑥今昔物語集巻廿六︑東小女与狗咋合互死語︑新訂増補国史大系第十七巻︑八
0 1
︱l ‑ 1
一 頁 ︒ 切 類 墜
1一代格︑巻三︑国分寺事︑新訂増補国史大系第二十五巻︱
1 0
頁︒滝川︑前掲書一八五頁参照︒
⑧大日本古文書家わけ︑東南院文書之三︑一九一
1 ‑ l
四頁︒滝川︑前掲書一八八頁参照︒
⑲天平勝宝二年正月八日︑但馬国司解︑同右東南院文書之三︑六一 11
四頁
︒ U O l
天平
勝宝
二年
一
1 1 月六日︑但馬国司牒︑同右東南院文書之三︑一八九し一九
0
頁︒大日本古文書三︑三七六頁︒滝川︑訛掲書一八七頁参
照︒
天平
勝宝
二年
五月
十一
1 1 日︑東大寺三綱返抄案︑東南院文書之=1︑
一九
一ー
ニ頁
︒
天平勝宝二年六月廿六日但馬国司牒︑同右一九ニー三頁︒滝川︑前掲書︑一八七し八頁参照︒
前註⑨の但馬国司解によると︑糟庶呂は大生山方の奴であるが︑
賀部乳主の方へ還されたのではあるまいか︒ 池麻呂は宗賀部乳主の奴と見えている︒
かく見てくると︑我が古法や慣行には奴婢売買の際に瑕疵担保はあったと思われる︒
第二十四巻 此の場合池麻呂は本主宗
と見える顔狂ではないかと思われる︒古く一戸令には︑ 狂人之利口事﹂に︑ 第二十四巻
併し乍ら我々がここに取上けている文書の時期│ー+︱︱]世紀ー十六祉紀にはどうであったろうか︒鎌倉幕府法は原則と
して人身売買を厳紫したのであるから︑瑕疵担保の規定がないのも当然であろう︒室町幕府法は人身売買に関する規定自
したがつて巾批にあるとすれば慣行としてしか存在しないであろう︒
しからば﹁大根顕狂﹂を如伺に解釈すべきであろうか︒さきに諸匿の事例を窺ったように奴隷の瑕疵は病気︵特に特穐な
隠れた病).逃亡癖・浮浪癖・殺人省および年齢•生国の偽り等が考えられるが、此の点では前引有浦文書に「大根顕狂
' 0
0 0 0 限三月︑於其外諸病者⁝⁝不可請取﹂と見えているのからすると︑大根顕狂は何らかの病気ではあるまいか︒もし病気と
すると何であろうか︒﹁大根﹂については筆者は未だ分らないが︑顕狂は有浦文書とほぼ同時斯の﹁沙石集﹂巻三上︑﹁願
ヽ﹃或里に頻狂の病有る男有りけり︑此病は火の辺水の辺︑人の多かるうちにして発る心うき病なり︑俗はくっちといへり﹄
﹃凡 一目 盲︑ 両耳 聾︑ 手尤 二指
︑足 尤=
︱‑ 指︑ 手足 元大 拇指
︑禿 捨元 髪︑ 久漏
︑下 重︑ 大褪 癒︑ 如此 之類 皆為 残疾
︑痕 糀︑ 一支 廃︑ 如此 之類 為綴 疾︑ 悪疾 瓢 狂︑ 二支 撥︑ 両目 盲︑ 如此 之類 皆為 篤翌
﹄
とあり︑顧狂は最も重大な身休的欠陥の一つであった︒令集解には次の如く見えている︒ 月云々﹂がそれではないかと推定するのである︒ 体が殆んど見えない︒ 中批人身売買文書の一考察第四号
八四
保儒
︑
腰背折
筆者は此の﹁大根顕狂限
中批人身売買文書の一考察
これを見ると顧病
( 1 1
顧痢︶と狂病
( 1 1
精神病︶の一一種︑又はこれに網病
( 1 1
小児の鷲風︶を加えて三種の病気とも見︑
同一種の病気とも見たらしい︒顎狂ほ倭名類豪抄はじめ古来諸書に見えているが︑顎と狂を区別はしても類似のものとし︑
顧痢と精神病とはその本を一にして租併発するように考えたらしい︒少くとも前引の沙石集では︱つの病気︵<っち
1 1
輝制︶
と見ているのである︒顧荊が売貿の時には見出し得ず後日発見されることは当然有り得るし︑前に窺った外国の事例でも
﹁舵豆で先づ餌につける寵の烏﹂
また近世の女郎売買においても﹁舵豆を禽はせて女街債をつける﹂
・﹁鈍豆でぶち返ったで値ができず﹂
第四号
八五
の川柳が示すように﹁いよいよ値をきめるといふ 真際になると︑女街は不意に手にせる舵豆畑管で娘の頭に一撃を唸はせる︒これは輝澗もちでないかどうかを試すのであ
筍る﹂とされている︒﹁増補合類大節用集﹂巻五には﹃木朝俗︑以癬病・顧躙.喘急為三病︑甚悪之﹄とあり︑最も嫌悪され
た病気の︱つであったのである︒
︑︑︑︑デンキコウ
なお音はテンキョウであるが︑増補合類大節用集には﹁顧狂﹂と出ており古事類苑も﹁蜘狂てんこう⁝・:﹂としてい
テンカウ
麒澗は瑕疵の︱つに挙げられていることが多い︒
第二十四巻 或は ﹃顧狂謂︑頻者︑発時什地︑吐涎沫︑元所覚也︑狂者或妄鰍欲走︑或自高賢︑称聖神也︑釈云倒什為謳︑音徒賢反︑師古云︑韻考時々
倒什︑失常心也︑妄触為狂︑音渠王反︑野王案︑狂而触人也︑常狂惑而夭止時︑古記云︑郷狂謂耀病狂病二種之病也︑師古云︑顧者
時々倒什︑失常︑心也︑叉日︑狂之与顔同也︑野王案︑狂考狂而鍬人也︑又云狂常狂惑而無止時也︑故狂与顔異也︑甲乙子巻云︑顔疾
得之︑在愕腹中時︑其母有所鷲︑気上而不下︑精気井居故︑令子発顧疾︑叉云狂者始発少臥不飢︑自高︑自賢︑弁智︑自貴︑偲善︑
詈罵日夜不休︑名為狂病︑狂発則妄行走出︑葛氏方云︑凡顧疾発︑則什地吐涎沫無知︑叉云︑凡狂発則欲走︑或自高称賢塾也︑華他
云︑十歳以上為輝︑十歳以下為澗︑既光支︑又有而不動一種﹄
中枇人身売買文書の一考察
であ
ろう
︒
亦能注染於傍人︑故不可与人同床也︑醐或 とすれば
というのは前にも窺ったように戸令では悪疾.粛狂
る︒史料の顧狂︵有浦文書︶・てんかう︵音方文書︶・てんこう︵樺山文書︶・天恐︵時国文書︶いづれも同一系統のもの
ところで﹁大板﹂であるが︑これは前述のように筆者には分らない︒
な練を辿つて推測してゆくことも或は可能ではないかと思っている︒
・ニ支廃・両目百を篤疾としているわけであるが︑此の四つのうち後二肴は見れば直ちに判然たるものである︒
懇疾について一応考慮すべきものと思われる︒令義解には悪疾をば
﹃謂白緑也︑此病︑有虫食人五蔵︑或屈睫阻落︑或鼻柱崩壊︑或語声噺変︑或支節解落也︑
作漢
也﹄
としており︑明らかに癬病と思われる︒併しながら耀病をオオネと一写った例は全然無いやや近いのでは大風・大麻風とは
云われたようである︒ただ痴病が初期には隠れた病であること︑外国にレプラを瑕疵の一っとする事例の多いこと︑戸令で
ほ怒疾.顧託が︑徳川期でも痴病・顕罰・喘急の三病が最も嫌悪された病気であることは筆者には気になるのである︒
つの言葉になっているのを見ると︑ 第二十四巻しかし若しも同じく病気の一積とすれば次のよう
もちろん大根は別の解釈も出来るかも知れない︒
モトモト性来の靡狂の意味かも知れない︒ ー5 ︑ ︑ ふつう順狂の上について大根顛狂•おねてんかう・大寝てんこうと一 以上大胆な臆闊を重ねてきたが︑要約すれば次の遁りである︒すなわち人身売貿にあたり︑買主が被買人の瑕疵ー隠れ
たる病︹大根(?)︑顕狂
( 1 1
劉同︺を知らずして買い後日これを発見した場合︑買主はこれを売主に返選し得たのであっ
第四号
八六
なり
︑
思う︒しかも若し返還の場合には案主家文書の場合のように罰金の意味でーーー瑕疵ある人身を売った罰としてーー│本銭の一二倍
で請け戻すことを特約せる場合もあろうが︑ふつうは青方文書にみえるように本銭を返還すれば良く︑
には特に記されていないのではあるまいかeまた有浦文書に見えるように﹁大根顕狂﹂以外の﹁諸病﹂の時はたとえ三︐グ
月以内と雖も売貿を解約することは出来なかったと思われる︒
併しながら右の解釈を以て此の万通の史料をすべて理解し得ると固執するのではない︒
は相当変化することは当然考えられる︒筆者の推澗したところの瑕疵担保文言としての意味から︑時代の移行と共に単に
その結果たる売買契約の解除だけを意味するものと意識されてゆくことも充分考えられる︒
に述べた宝泉大梁氏の見解を全然否定するものではなく︑むしろ含み得るのである︒
めて崩れて形骸をのみとどめたのであろう︒かえつて他の意味が附加されているかも知れず︑なお研究を要しよう︒
考えたときには、むしろ今後十三•四批紀以前の史料にこそ瑕疵担保文言としてのヨリ純粋な形が出てくることがありは
しないだろうか︒それにしても現在の段階では史料の数がまだ絶対的と云つていい租不足である︒しかし五通の史料を見
中批人身売買文書の一考察 ︐九十日沙汰は明正﹂となったのではあるまいか︒ は買主に有利である︒
第二十四巻第四号
八七
̀ 7
カ
V
て︑その期間を一子一ヶ月に眠ったのであろう︒前述のように律では立券の後︑旧病については三日内に返還し得たが︑天平 神護二年太政官符では国分二寺にその期間を三年とする特約をなすべきことを命じてもいる︒前者は売主に有利で︑後肴
したがつて長い年代をかけて買主と売主の妥協点が三ヶ月九十日となってきて︑それが﹁傍例﹂と
そのため他の文書 四世紀にわたる間に︑その意味
さらに時国文書の場合は原義がきわ したがつて筆者の見解はさき
法定の解除権存続期間と慣習は必ずしも一致するを要しないと
1 1
11 (10) (9) (8) (7) (6) (5) 注
か
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中世人身売買文書の一考宗第二十四巻︵中
田燕
︑
唐令と日本令との比較研
て も 年 代 的
・ 地 域 的 に 散 在 し て い る か ら
︑ 注 意 さ え す れ ば 新 し く 史 符 が 見 出 だ さ れ る 可 相 性 は 充 分 あ る の で は な い だ ろ う
田石井良助︑前褐稿︑水上一久︑前掲稿︒但し牧英正︑
売買禁止令は奴婢をその対象に含まないとしている︒
新訂増補国史大糸第二十二巻令義解九二
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︱ ︱ 頁 ︒正宗敦夫校訂︑倭名類禁抄︑巻三︑二十三丁︒ 鎌倉時代の人身売買法制に関する若干の考察︵法学雑誌第三巻一号︶は人身
図近批の質奉公においても︑悪しぎ病の場合主家より瞑を出された︒﹃:・・年記之内︑御気に入不申か︑叉ハ書齊等相煩御際被下候
ハA︑何時も元米相立可巾候﹄︵筑荊鎌田家文響︑宝永四年.十二月茂介質二召置借用仕米之亭︶︒その他例多し︵前掲批稿参照︶︒
③校註沙石集︵国文学名著集五︶八一頁︒
山
新訂増袖国史大糸︑第二十三巻令集解︑二六七頁︵竹内教授の御教示による︶︒
宮士川溜著︑日本匿学史︵昭和一六︶四七九
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八0
頁︒七八二i ‑
︱︱頁︒日本学士院編︑明治前日大医学史第一巻.四0
九i ‑
︱頁
︒
滝川政次郎著︑売笑制度の研究︑九八
i
九頁
︒
享保二年正月版︑掴島昭武輯︵金関丈夫教授より御所蔵のものを見せていたゞいた︒初版は元禄十一年︶︒
古事類苑︑方技藁一四七二頁︒
新訂増補国史大系坊二十二巻︑令義解︑九三頁︒
⑫唐令では悪疾の代りに病撃なる文字があったらしく︑宋戸令では口疾となっている︵悪疾か︶
究︑法制史論集第一巻︑六五四︑六六六頁︶︒仁井田囮著︑唐令拾遺ニニ八頁参照︒ 第四号
八八
腫物の中心をなせる部分を﹁ね﹂という例は多いし︑
起をなす︒発生時は多く徐々であるが︑時として熱発と共に多発し︑
通り﹁大根﹂ではないかとも考えられる︒
⑮東条操編︑全国方言辞典オーネの項参照︒
当時の人身売買の性格の一端を窺えるように忌われる︵も
ちろん︑当時の人身売買一般についてではない︒特に田畑・山林と結合して下人を売買せる場合などは小論に取り上げた人身売買と対照
的であろう︶︒すなわち特に瑕疵担保文言を付せる人身売買の場合には︑被買人は賀主の家︹同族組織︑親方・子方関係︺の 外部︑共同体の外部から入ってくる者であって︑買主は被買人について︑
とが多かったのではあるまいか︒香取の案主家文書の場合︑人主の居住地常陸国行方郡富田郷は霞ヶ浦に面し富田津と云 われたところで︑利根川を下つて下総の香取となるわけで距離は粗当にへだたっていた︒殊に青方文書の場合ゆきのしま
︵壱阪島︶立石郷の叉六が万島の青方家に売つているとすると︑
中世人身売買文書の一考祭
ば此の時期には対馬においても﹁人のうりロ・かい口﹂︑
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/ ⑯前掲︑仁井田︑中国売買法の沿革︑八六頁参照︒
(14) 闘前褐︑明治郎日本医学史第一巻︑三五九頁︒
﹁下人の売ロ・買口﹂︑ もしも筆者の推定が︵少くとも原義として︶許されるならば︑
第四号
八九
一人船之売ロ・買口﹂の文言の記載ある
第二十四巻
海上遠く離れた所であったのである︒
鵠腫を多発する結節靡ー豆状の降瞬を生じ︑群集すれば鶏卵大以上の開平隆
皮下にも瘤状硬緒を来たすことありーの病状を考える時︑文字
その者の健康・性格・習癖等を全く知らないこ
安河内博氏によれ
過にし比︑越後国したの上村と云所に︑罷侍たりしに︑彼里は海の辺にて︑奥よりの津にて貴賤集て︑如朝の市︑只海のうろくつ︑
山の木のみ︑絹布の類を︑うりかうのみに非す︑人馬の族を売買せり︑其中には幼︑又盛なるは不及申に︑頭ほ頻に霜雪をいた4き
腰には梓の弓をはりか4めて︑今日明日とも不知者︑しはしの程の命を資けんとて︑そこはくの偽を棺へ︑人の心をたふらかして︑
︵見
イ︶
売買せる事を得侍りしに︑す4
ろ に 活 こ ほ れ て 侍 り き
﹄ とあり︑辺境越後において人身売買の行われたこと︑売買にあたり詐偽盛着の行われたことを知るのである︒或は天文二
十四年︵一五五五︶相良氏法度に
‘,、~6 ﹃一︑やもめ女︑女房とかつし侯而売候者ぬす人たるへし︑﹄
と見え︑文中の﹁かつす﹂とはどう云う意味か明らかでないが偽る意味のようである︒すなわち︑
=
ー 一 に
︑ ぱ ﹂
中批人身売買文書の一考察第二十四巻 公事免状が約八十遥も残存していること︑倭冦によって高饂・中国より掠奪せられてきた所謂被虜人が売買され我が国各 地より買求められたこと︑多数の貿易業者が島主・守護代・郡主より人身売貿を公許され一般交易と共に下人の売買にも 従事していたことが指摘されていが︒かかる背景を考えた時︑此の立石郷の叉六には人商人的性格さえ感じるのである
0 4
・﹁女﹂でありいづれもが人主の子女ではなかったことも注意すべきではなかろうか︒
かかる人身売買の場合に詐欺購着が行われたことは当然予想されるのであって選集抄—ーーその成立は十三世紀前期らしいー
浮世
=住
人不
知無
常偽
ヲ栂
一ァ
世渡
事
やもめ女を女房と偽り
なお有浦文書の場合﹁相伝の女童﹂︑案主家文書の場合﹁子息﹂︵単に童の意味ではないか?︶とあるほかは︑単に﹁わっ 第四号
九〇
これを売った者を盗人として裁断することを述べたものであろう︒
した がつ て︑
かかる場合にこそ売買文書に瑕疵担保文言が附けられるのであって︑
くる下人に対してほ充分の観察期間を要したのである︒
わが国近世の年季奉公人の源流には二つのものが考えられる︒第一は主家の﹁家﹂内部の譜代下人各戸の自立化に伴
い︑譜代下人の子弟が漸次年季奉公に変化してゆくこと︑これに対して第二には﹁家﹂外部から人売・人質により入って
きていた下人ーーこれも長年月の間には譜代下人化してゆくし︑また譜代下人と雖も主家の事情により売渡され質入される!ーが人身
売買の禁止、質奉公の内容の変容•発展に伴い年季奉公化してゆくことが考えられる。そして第一のものは恩恵と奉仕の
関係︑恭順関係であり︑第二のものは無拘束な︹相手が共同体の外の縁もゆかりもないものならば︑どんな行為をとつてもまった
く差支えない︺取引関係と一云えよう︒かく見ると﹁大根顕狂限三月﹂を附せる人身売買文書は第二の﹁家﹂外部から入って
くる下人の最も典型的な揚合に見られるのではなかろうか︒
以上甚だ勝手な臆測を試みたが中抵史料や法制史の知識に乏しい筆者のことであるから︑思わぬ大きな誤りを犯してい
ることをひたすら恐れるのである︒もちろん史料数の少なすぎることは誰しも気付かれると思うが︑史料数を一云々するだ
けで手を棋いているよりも︑むしろいろんな角度からの研究者が協力すれば相当の推測も可能になり︑また反つて新史料
も発見出来るのではあるまいか︒近世経済史を専攻する筆者が盲蛇におぢず敢て小論を書いたのも︑此の文言に注意を喚
起し︑中世の研究者に研究をお願いしたいからである︒小論も︱つの試論にすぎない︒したがつて︑筆者の見解に固執す
中批 人身 売買 文書 の一 考察
第二十四巻第四号
九
﹁家﹂外部・共同体外部より入って