いわゆる﹁構造改革論﹂の理論的性格(八)
ま え お き
一﹁構造改革論﹂者に上る説明
ー﹁構造改革﹂の意味
::
::
jj
i‑
‑:
(以上︑第十六巻第四号所載)
2﹁構造改革﹂の具体的内容
‑‑
ji
‑‑
:(
以上︑第十七巻第一号所載)
3﹁構造改革﹂の条件
ω
国家独占資本主義: : j i
‑ ‑ : : : :
(
以上︑第十七巻第二号所載)同政治的民主主義・
::
ji
‑‑
:・j
i‑
‑(以上︑第十七巻第四号所載)
付戦後世界の構造的変化
m w
﹁資
本蓄
積の
法則
﹂
:j
i‑
‑:
・:
(以
上︑
第十
八巻
第一
号所
載)
何世界の構造的変化
︑
jm
﹁平和と戦争の問題L j i ‑
‑ :
・(
以上
︑第
十八
巻第
二号
所載
) 二﹁構造改革論﹂の理論的性格
ー﹁平和革命の問題﹂
ω
﹁強
カ的
方法
﹂:
::
・
::
ji
‑‑
::
人以上︑第十八巻第四号所載)
いわゆる﹁構造改革論﹂の理論的性格(八)
山 本
丸
四
いわ
ゆる
﹁構
造改
草論
﹂の
理論
的性
格ハ
八)
四 四
同﹁議会的方法﹂
::
ji
‑‑
::
::
::
(以
上︑
本号
所載
)
2
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格 三 要 約
﹁構 造改 革論
﹂
の理論的性格(つづき)
﹁平
和革
命の
問題
﹂
( ロ )
﹁議
会的
方法
﹂
u u
さきに﹁平和と戦争の問題﹂について︑﹃報告﹄が﹃平和か︑全面的世界戦争か︑二つに一つ︑第三の道はない﹄
と断定していたのとまったく符節
‑ V 工
のわ
せて
︑
﹁資本主義から社会主義への移行の道﹂すなわち﹁社会変革の道﹂に
ついても︑この﹃報告﹄は︑﹁強力と同内戦か︑そうでなければ平和的方法か︑二つに一つ﹂という主張をかかげ︑
しかも︑この﹁社会変革の二つの道﹂位︑レ
I
ニン自身がその論文で認めている︑歴史的事実もこれを実証しているとまで︑強弁しているのであって︑このことは︑前稿でみたとおりである︒﹃報告﹄の執筆者たちが︑肝腎の﹁︒フロ
レタリブートの独裁﹂の中心的意義をすっかり見落しているばかりでなく︑小ブル的平和論者に楯を呈するのあま
り︑いっさいの論理をも歴史的事実をも完全にねじゆがめ︑ありもしないたわごとをでっちあげるまでに堕落し︑
イ コ
いに
︑
﹁民主主義的方法か︑独裁的方法か︑二つに一つ﹂という︑﹁社会変革の二つの道﹂を主張した﹁背教者﹂カ
ウツキ!の後塵を拝する態たらくであるという事実も︑すでにあきらかにされたところである︒では︑﹁強力と園内
戦の道﹂にたいする﹁平和的な道﹂とは︑いったい︑どんなものか?
それ
は︑
カウツキ1の﹁民主主義的方法﹂と
どれだけちがったものであるのか?
まず
︑
﹃報告﹄の主張をきこう︒
﹁このことに関連して︑議会的手設をも用いて社会主義に移行することが︑可能かどうかという問題︑がおこる︒最
初に社会主義への移行をやりとげた︑ロシアのボルシェヴイキにとっては︑このような道ばと︑ざされていた︒レ
I
ニンは別な道︑すなわち︑ソヴェト共和国の樹立という︑当時の歴史的条件のなかでは唯一の正しい道を示した︒この
道を
通っ
て世
界史
的な
勝利
をお
さめ
たの
であ
る﹂
(前
出︑
一一
一九
│四
0ペ
ージ
︑訳
四八
ペー
ジ)
︒
ごらんのとおり︑
﹁平
和的
な道
﹂と
は︑
﹁議会的手段﹂つまり﹁ブルジョア国家のブルジョア的議会を通じて﹂と
いうことである︒﹃報告﹄は︑まことにずるがしこくも︑﹁議会的手段﹂と述べて︑この﹁議会(一]与
m J 2 5
弓﹀﹂
が︑
ブルジョア国家のブルジョア的議会︑つまりブルジョア国家の一つの機関であるという点をごまかしている︒この
﹁議会的手段﹂という言葉は︑カウツキlの
﹁民
主主
義的
方法
﹂
という言葉と完全に一致するものであり︑
ここ
に
﹁強方と戦争の方法﹂にたいする﹁民主主義と平和の方法﹂がふたたびその名誉をーーなんと︑自称﹁レlニン主義
者﹂たちの手によって
l l
i
回復されることとなったのである!だが︑はたして︑この﹁平和と民主主義﹂の﹁議会的方法﹂が︑﹁強力的方法﹂にかわる﹁別の道﹂として成り立ちうるかどうか︑検討してみる必要がある︒わが﹃報
告﹄の執筆者たちがみずから依拠すると称しているマルクス・レ1ニン主義の古典に照らしてみてみよう︒
まず︑民主主義について︒民主主義とは﹁多数者に少数者が自発的に服従すること﹂であり︑そこにはなんら﹁強
力﹂は介在しないものと考えられがちである︑だが︑実際にはそうではない︒民主主義とは﹁国家形態であり︑冨家
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八﹀
四五
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
一の
理論
的性
格(
八)
四六
の一変種である︒したがってまた︑それは︑あらゆる国家と同じように人聞にたいして強力を組織的・系統的に用い
ること﹂である(レ1ニン全集︑第四版︑第二十五巻︑四四三│四四四ページ︑傍点│山本)︒﹁民主主義は︑多数者への少数
者の服従をみとめる国家︑すなわち︑一階級が他の階級にたいして︑住民の一部が他の一部住民にたいして系統的に
強力を行使する組織である﹂(前出︑第二十五巻︑四二八ページ︑傍点レl
一 三 ノ )
︒
したがって︑民主主義の階級的内容
をとりあげずに︑﹁民主主義一般﹂あるいは﹁純粋民主主義Lを問題とすることがいかに幼稚で混乱したものであ
り︑また見方によってはきわめて悪質なものであるかは︑自明である︑問曹となりうるし︑また問題としなければな
らないのは︑やブルジョア民主主義と︒プロレタリア民主主義であり︑これらのeブルジョア民主主義とプロレタリア民主
主義との関係の問題は︑まさにブルジョア国家と︒プロレタリア国家との関係の問問閣にほかならないのであり︑したが
って
また
︑
﹁資本主義社会から共産主義社会ヘの移行﹂にあっては必ら︑ず前者から後者への﹁革命的転化の時期﹂が
なければならず︑この過渡期の本質がまさに﹁プロレタリアートの革命的独裁﹂でなければならないことは︑理の当
然で
ある
︒
それ
ゆえ
︑
﹃報告﹄が述べ℃いる土うに︑また︑かつてカウッι
ーが
再一
一一
ゃっ
たよ
うに
︑
﹁強力﹂と﹁民主主義﹂
﹁独勲﹂と﹁民主主義Lとを対立させて考えることは︑官民アにくの誤りである︒ブルジョア民主主
義は︑ブルジョア階級のための民主主義であり︑ブルジョアジーが賃銀奴隷および勤労大衆にたいして系統的に強力 とを︑あるいは︑
を行使する組織であり︑おブルジョアジーの独裁をあらわすものである︒これにたいして︑プロレタリア民主主義は︑
プロレタリアートおよび勤労大衆のための民主主義であり︑プロレタリアートおよび勤労大衆がブルジョアジー
u
搾取者にたいして系統的に強力を行使する組織であり︑︒プロレタリアートの独裁をあらわすものである︒
では
︑
﹁民主主義﹂と﹁独裁﹂との関係は︑﹁資本主義から社会主義への移行﹂にさいしては︑どのように変化H
発展するか?
この点はすでに前稿において引用したレ1ニンの﹃国家と革命﹄の中の当該箇所(前稿(七)
。
五一
O
八ページ参照)にも一不されているが︑なお︑事態をよりはっきりつかむために︑多少の重複をもかえりみず︑イコ
ぎ
にかかげることにしよう︒
﹁資本主義社会がもっとも順調に発展する条件があるばあいには︑この社会には民主的共和制という形で程度の差
はあれ完全な民主主義がある︒しかし︑この民主主義は︑つねに資本主義的搾取という狭い枠でせばめられているの
で︑
実際
には
︑
つねに︑少数者のための︑有産階級だけのための︑富者だけのための民主主義にとどまっている︒資
本主義社会の自由は︑つねに︑古代ギリシャの諸共和国における自由︑すなわち奴隷所有者のための自由と大差ない
ものにとどまっている︒近代の賃銀奴隷は︑資本主義的搾取の語条件のために︑いまなお窮乏と貧困にひどくおしつ
ぶされているので︑彼らには﹃民主主義どころではなく﹄︑また﹃政治どころではなく﹄︑諸事件が普通の形で平穏
に進んでいるばあいには︑住民の大多数は公けの政治生活への参加から︑しめだしをくっている︒
‑(
中略
)・
とるにたらぬ少数者のための民主主義︑日ロ園者のための民主主義111これが資本主義社会の民主主義である︒資本主
義的民主主義の仕組みをもっと立ちいって点検してみると︑いたるところ︑どこにも︑選挙法の﹃些細な﹄
l l
此 一 一 細
なといわれる││細目(居住資格︑婦人の除外等々)によっても︑代議機関の運営技術によっても︑集会の権利の事
実上の妨害(公共の建物は﹃乞食﹄に使わせるためにあるのではない!)によっても︑日刊新聞の純資本主義的な組
織によっても︑その他︑等々によっても︑民主主義がつぎつぎに制限されているのを見ることであろう︒貧乏人にた
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八﹀
四 七
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
四 八
いするこれらの制限︑例外︑妨害は︑些細なことのように思われる︒とくに︑自分ではかつて窮乏を経験したことが
なく︑被抑圧階級の大衆生活に接触したことのない者(ブルジョア政論家ややブルジョア政治家の一
OO
分の九九ではない
とし
ても
︑
一
O
分の九は︑こうした連中である)の目にはそうである︒しかし︑これらの制限を総合すると︑それは︑貧乏人を政治から︑民主主義への積極的な参加から排除し︑おしのげる︒
マル
グス
︑が
︑
コン
ミュ
lンの経験を分析して︑被抑圧者は︑数年にいちど︑抑圧階級の
r
の代表者が議会で彼らを代表し︑ふみにじるかを決定することを許される!と一言ったのは︑資本主義的民主主義のこの本質をみごとにつか
んだものである︒
しかし︑自由主義的教授や小ブルジョア的日和見主義者が考えているように︑この資本主義的民主主義lii不可避
的にせまく︑貧乏人をこっそりおしのける民主主義︑したがって徹頭徹尾︑偽善的でいつわりの民主主義i
ーか
ら︑
﹃ますます完全な民主主義へ﹄と︑単純に︑まっすぐに︑すらすらと発展がおこなわれるわけではない︒そうではな
ぃ︒いっそうの発展︑すなわち共産主義への発展は︑プロレタリアートの独裁を通じておとなわれるのであヮて︑そ
れ以外の進み方はありえない︒なぜなら︑資本家的搾取者の反抗をうちくだくことは︑他のだれにもできないし︑ま
た他のどんな方法によってもできないからである﹂(前出︑第二十五巻︑四三二i
四一
一二
二ペ
ージ
︑傍
点お
よび
ゴシ
ック
体lレ
i
ニ ン ﹀ ︒
ここに明示されている二つのこと︑すなわち︑﹁ブルジョア民主主義が︑││中世的制度にくらべれば︑大きな歴
史的進歩であるが││つねに狭い︑切りちぢめられた︑いつわりの︑偽善的なものであって︑金持にとっては天国で
あるが︑被搾取者︑貧乏人にとってはわなであり︑欺摘である﹂という乙と︑
およ
び︑
﹁普通選挙権は︑支配階級の
どの成員が議会で人民を代表し︑ふみにじるべきかを︑三年または六年に一度きめるものである﹂ということとは︑
動かすことのできない歴史的真理であり︑マルクス主義理論のきわめて重要な構成部分にほかならない︒この真理︑
最重要な構成部分を︑﹃報告﹄の執筆者たちはまったく理解せず︑これをすっかりふみにじっているのである︒
レ
I
ニン
は︑
同じ
﹁背
教者
﹂︑
カウツキl
にた
いし
て︑
こう
一五
って
いる
︒
民主主義が高度に発達していればいるほど︑ます空す取引所や銀行家がプル﹁ブルジョア議会をとってみたまえ︒
ジョア議会を自分に従属させていることを︑博学なるカウツキl君が聞いたことがない︑などと考えられるだろうか
?
このことから︑ブルジョア議会制皮を利用する必要がないということにはならない
(ボ
リシ
ェヴ
ィキ
は︑
おそら
く世界の他のどんな党よりも︑これをうまく利用した︒というのは︑
一九
一一
一年
l一九一四年に︑われわれは︑第四
国会の全労働者グiリアを獲得したからである)︒
ョア議会制度の歴史的な限界と制約性とを忘れることができるのは︑自由主義者だけである︑ということになる︒ど
んなに民主主義的なチルジョア国家においても︑被抑庄大衆は︑資本家の﹃民主主義﹄によって宣言される形式的な
平等と︑プロレタリアを賃銀奴隷にする何千という事実上の制度や妨害との甚しい矛盾に︑たえずぶつかっている︒ だが︑このことからは︑カウツキlの忘れているように︑ブルジ
まさにこの矛盾が︑資本主義の腐敗や︑虚偽や︑偽善にたいして大衆の目を︑ひらかせるのである︒社会主義の煽動
家や宣伝家は︑大衆に革命の準備をさせるために大衆の面前で︑まさにこの矛盾を不断に暴露している!ところ
が︑革命の時代がルじまかと︑カウツキーはこの時代に背を向け︑死にかけわブルジョア民主主義の魅力を讃美しだ
した
ので
ある
︒
中 略
いわゆる﹁構造改革論﹂の理論的性格(八)
九四
いわゆる﹁構造改草論﹂の理論的性格(八)
。
五国家組織をとってみたまえ︒
カ ウ ツ キ
lは︑選挙が﹃直接的でない﹄(ソヴェト憲法では)ということもふくめ
の本質を見ない︒彼は︑国家機関や︑国家機関の階級的本質には気がつかな
て
﹃小
さな
こと
﹄
には手を出すが︑
ぃ︒ブルジョア民主主義のもとでは資本家は︑何千というトリックで!﹃純粋﹄民主主義が発達していればいるほ
ど︑ますます巧妙で効呆的なトリックでl大衆を統治への参加からおしのけ︑集会・出版の自由などからおしのげる︒
ソグェト権力は︑世界ではじめて(厳密にいえば︑第二回目に︑というのは︑パリ1
・コ
ンミ
ュ
lンが同じことをし
はじめたから﹀大衆を︑すなわち被搾取大衆を︑統治に参加さぜている︒ブルジョア議会(これは︑ブルジョア民主
主義における重大な問題をけっして決定するものではない︒これを決定するのは︑取引所であり︑銀行である)への
参加は︑何千という垣で勤労大衆から隔離されている︒そして労働者は︑ブルジョア議会が︑自分に縁のない施設であ
り︑ブルジョアジーがプロレタリアを圧迫する道具であり︑敵階級の︑すなわち少数搾取者の施設であることを︑りつ
( 州 知 )
ぱに知り︑感じ︑目で見︑実感している﹂(前出︑第二十八巻︑二二五二二七ページ︑傍点レlニン︑ゴシック体山本)
(日
制)
さら
に ν
ニl
ンは
つぎ
のよ
うに
も述
べて
いる
︒
﹁*
ブル
ジョ
ア官
吏ゃ
︑ブ
ルジ
ョア
代議
士や
︑ブ
ルジ
ョア
裁判
官が
︑わ
れわ
れを
統治
して
いる
︒(
そし
てわ
れわ
れの
国家
を﹃
組
織﹄している)oこれは簡単明瞭で︑争う余地のない貫理である︒そして︑もっとも民主主義的な困をもふくめたあらゆる7
ジョア国家の被抑圧階級の何千万︑何伝という人々は︑白分の生活上の経験によってこれを知っているし︑また毎日これを感
じ︑
実感
して
いる
ので
ある
﹂(
前出
︑第
二十
八巻
︑二
二八
ペー
ジ︑
傍点
およ
びゴ
ジァ
グ休
│山
本)
︒
ごらんのように︑労働者が﹁りっぱに知り︑感じ︑目で見︑実感している﹂この真理︑何千万︑何億という人々が
﹁知っているし︑毎日これを感じ︑実感している﹂この簡単明瞭で争う余地のない真理は︑わが﹃報告﹄の執筆者た
ち︑正真正銘の白称﹁レlニン主義者﹂たちの目にはこれっぽっちも入らなかったのである︒
レ1ニンは︑その名著﹃国家と革命﹄の第二章﹁国家と革命︒一八四一年一八五一の経験﹂の第二節﹁草命の
総括﹂の中で︑﹁官僚制度と常備軍﹂が守ブルジョア社会の中央集権的な国家権力にとってもっとも﹁特徴的な制度﹂
であることを挙げ︑つ封建制度の没落以来ヨーロッパが数多く経験したすべてのブルジョア革命を通じて︑
この
{巴
僚
的および軍事的機関の発展︑完成︑強化がすすんだ﹂
こと
を指
摘し
︑
﹁種々のブルジョア政党と小ブルジョア政党の
あいだにおける官僚機構の﹃再分配﹄を通じての︑弾圧のための国家機構の強化﹂という事態の発展について︑
つぎ
のような総括を与えている︒
﹁だが︑十九世紀後半︑と二十世紀初頭の先進諸国の歴史を概観してみよう︒そうすれば︑同じ過程が︑いっそう徐
々に︑いっそう多様な形で︑またはるかに広い舞台ですすんでいる乙とがわかるであろう︒すなわち︑一方では︑共
和国(フランス︑
アメ
リカ
︑
スイス)でも︑君主国(イギリス︑ドイツ
(あ
る程
度)
︑
イタ
リア
︑
スカンヂナヴィア
諸国等々)でも︑﹃議会権力﹄が完成され︑他方では︑ブルジョア体制の基礎は依然として変らずに︑官吏の地位と
いう﹃獲物﹄を分配し︑一得分配するいろいろなブルジョア政党や小ブルジョア政党が権力のための闘争をおこない︑
最後に︑﹃執行権力﹄とその官僚的および軍事的機関がいっそう完全なものになり強化したのである︒
これが︑資本主義国家一般の最近の進化全体の一般的な特徴であることはまったく疑いがない︒::
だがとくに帝国主義│銀行資本の時代︑巨大な資本主義的独占体の時代︑独占資本主義が国家独占資本主義へ成長
転花する時代!は︑君主制の国々でも︑もっとも自由な共和制の国々でも︑プロレタリアートにたいする弾庄の強化
と関連して︑﹃国家機構﹄の異常な強化︑国家機構の官僚的および軍事的機関の前代未聞の拡大を示した︒
いまや世界史は︑疑いもなく︑一八五二年とは比較にならないほど大規模に︑国家機構を﹃破壊する﹄ために︑︒ブ
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八﹀
五
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
ヨ 王
ロレタリア革命の﹃力をことごとく集中﹄しつつある﹂
(前
出︑
第二
十五
巻︑
一二
八二
l三
八三
ペー
ジ
) 0
要するに︑現実の資本主義社会を問題とするかぎり︑とくに︑二十世紀初頭以後の﹁高度に発展した資本主義国﹂
を問題にするかぎり︑﹁議会的手段を用いて社会主義に移行することが可能かどうか﹂ということを
﹁問
題﹂
にす
る
こと自体︑救いがたい錯乱であり︑マレグス・レlニン主義理論からの度はずれた逸脱といわなければならない︒と
ころが︑﹃報告﹄は︑これを﹁問題﹂としてとりあげるばかりでなく︑﹁条件﹂しだいでは﹁可能﹂であるという主張
をう
ちた
て︑
レI
ニン
は︑
﹁当時の歴史的条件﹂に制約されてこの﹁議会的手段﹂をとることができなかった│﹁こ
のような道は関されていた﹂と主張しているのである︒なんという︑恥しらずな﹁レ1ニン主義者﹂たちであろ
円ノ
・1・
同じくその名著﹃共産主義内の
の独裁﹂をもって﹁共産主義の基本原則﹂
レI
ニン
は︑
﹁左翼主義﹂小児病﹄
の中
で︑
﹁ソヴェト権力とプロレタリアート
であると規定し︑﹁ブルジョア議会主義とブルジョア民主主義一般の墓掘
人
相続
人︑
後継者となるのがソヴェトの歴史的使命である﹂と指摘している
(全
集第
四版
︑第
三十
一巻
︑七
二ペ
ージ
およ
び七
0ページ︑傍点レI
ニン
︑ゴ
シッ
ク体
l山
本
)o
この﹁守ブルジョア議会主義とブルジョア民主主義一般の墓掘人﹂
という明確な規定を︑﹃報告﹄の﹁議会的手段を用いて社会主義に移行する﹂
とい
う︑
甘ったるいたわごとと比較さ
れるがよい︒この﹁議会的手段を用いて移行﹂したところの﹁社会主義﹂とは︑いったい︑どんな﹁社会主義﹂なの
か 口
f
それ
は︑
︑ つ
R
‑︑ ︑
︼V中
jt v
﹁プロレタリアートの独裁﹂の上にきづかれた﹁社会主義﹂なのか︑それとも︑ブルジョ
アジ!とプロレタリアートとの﹁平和共存﹂によってつくりあげられた世にも美わしい﹁平和的﹂社会主義なのか?
この﹃報告﹄のなみなみならぬ反レlニン的本質をさらにもう一度はっきりと一不すために︑﹁資本主義から社会主義
への移行の道は骨骨ιわけいただ一つ︑プロレタリアートの独裁のみ﹂というつ基本原則﹂を説明しているレIニンの文
章をつぎに引用して示すことにしよう︒
﹁われわれは戦闘におもむく
ll
iこれがプロレタリアートの独裁の内容である︒大多数の人を説得し︑社会主義社
会の美しい情景を描けば︑大多数の人は社会主義の見地に立つであろうというふうに事態を描いた︑素朴で︑空想的
な︑幻想的な︑機械的な︑インテリゲンチャ的な社会主義の時代は︑過ぎ去った︒このような子供だましのおとぎ話
で自分を喜ばせ他人を喜ばせた時代は︑過ぎ去った︒階級闘争の必然性をみとめるマルクス主義は︑プロレタリア
i
トの独裁を通じるよりほかには人類は社会主義へ到達するものではない︑と言う︒独裁とは︑苛烈な︑峻厳な︑血な
まぐさい︑苦痛を与える言葉である︒こういう言葉は軽々しく口にすべきものではない︒社会主義がこのようなスロ
ーガンをかかげたのは︑彼らが︑必死の︑仮借のない闘争のなかでなければ︑搾取階級が降伏しないということ︑こ
の階級はあらゆるりっぱな言葉で自分の支配をおおいかくすだろうということを知っているからである﹂
(前
出︑
第
二十
九巻
︑コ
一二
六
1
2
一二七ページ︑ゴシック体山本)︒口
これまで世界史の上で︑﹁資本主義から社会主義への移行﹂が﹁議会的手段﹂によっておこなわれたことはいまだ
かつて一度たりともなく︑またこの﹁可能性﹂すらまったくありえなかったのは︑ブルジョア国家︑とくにブルジョ
ア議会の本質に照らして︑当然のことである︒それゆえ︑
﹁議
会的
手段
﹂
などというものははじめから問題にならな
いが︑しかし﹁草命の平和的発展﹂あるいは﹁平和的移行﹂についていうならば︑その﹁可能性﹂はけっしてなかっ
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
五
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
五回
たということはできない︒世界史は︑そのような﹁可能性﹂をつぎのコ一つの場合に実際に経験したが︑しかし︑それ
らはいづれもたんなる﹁可能性﹂にとどまり︑現実性に転化することはありえなかった︒このように︑たんなる﹁可
能性﹂にとどまったという点で︑すでに﹁平和的移行﹂のきわめて狭い限界が認められるし︑また︑これと表裏一体
止をなすものとして︑﹁強力﹂すなわち﹁︒プロレタリアートの独裁﹂の必然性も現実的根拠をあたえられることになる︑
というわけである︒つぎに︑簡単に﹁平和的移行﹂の﹁可能性﹂の一一一つの歴史的事例についてみてみよう︒
まずその第一の例は︑'ロシア革命における一九一七年二月から七月までの時期である︒この時期の﹁平和的移行﹂
の﹁可能性﹂︑がなんにもとづくものであるかは︑すでに前稿でくわしくふれたところである︒
要す
るに
︑
﹁平
和的
移
行Lを保障したものは︑武装した労働者・兵士の﹁ソヴェト権力Lであり︑﹁すべての権力をソヴェトに引渡す乙と﹂
であ
った
︒
第二の例としては︑同じロシア革命のつぎの時期︑すなわち︑一九一七年十月はじめがあげられる︒この時期にお
ける﹁平和的移行﹂の﹁可能性﹂を保障したものは︑二月
t
七月のそれとほとんどまったく同じことであるが︑なお念の
ため
︑ レ l
ニγの論文﹃革命の任務﹄(一九一七年十月九・一
O
日発表)のなかの最後の﹁革命の平和的発展﹂と題された一節をつぎに引用してかかげよう︒
﹁いま︑ロシアの民主主義派にとって︑ソヴエトにとって︑
歴史上きわめてまれにしか見られない可能性がひらけている︒それは︑またしても延期されることなしに指定された
︑︑
︑
エス・エルとメンシェヴイキの諸党にとって︑革命の
期日に憲法制定会議が召集されるのを保障する可能性︑軍事的および経済的破局の危険から国を救う可能性︑革命の
平和的発展を保障する可能性である︒
もし︑いまソヴェトが︑以上に述べた綱領を実行するために︑国家権力を完全に︑独占的にその手ににぎるなら︑
ソヴ
ェト
には
︑
ロシアの住民の一
O
中九までの︑すなわち労働者階級と圧倒的多数の農民の支持が保障されるだけで十lh
﹁ ム ︑ ︒
' U
手J B V
ソヴェトには︑さらに︑軍隊と人民の多数者の最大の革命的熱情が︑それなしには飢餓と戦争にうちかっこ
とのできないあの熱情が︑保障されるのである︒
ソヴェト自身が動揺しないかぎり︑ソヴェトに反抗するなどということは︑いまでは問題にならないであろう︒
ソ
一つもないであろう︒そして︑コルニIロフ陰謀の経
験におしえられた地主と資本家は︑ソヴェトから最後通牒的な要求をつぎつげられたなら︑平和的に権力をゆづりわ
たすであろう︒ソヴェトの綱領にたいする資本家の反抗を克服するには︑労働者と農民が搾取者を監督し︑服従しな ヴェトにたいしてあえて反乱をおこそうというような階級は︑
い者にたいしては︑その全財産を没収したうえ︑これを短期間逮捕するというような処罰の措置をとるだけで十分で
あろ
う︒
もしソヴェトが全権力をにぎるなら︑それは︑いまでもまだ
l l
l
おそらく︑これが最後の機会であろう││草命の平和的発展を保障することができるであろう︒すなわち︑人民が自分の代表を平和的に選挙L︑ソヴェトの内部で諸
党が平和的にたたかい︑さまざまな党の綱領を実地にためし︑一つの党の手から他の党の手へ平和的に権力をうっす
ことを︑保障することができるであろう﹂(前出︑第二十六巻︑四五│四六ページ︑傍点およびゴシック体│山本)︒
ごらんのように︑ここでも条件はまったく同じである︒武装した労働者・兵士のソヴェトが強力なカをもっている
こと︑しかも︑そのソヴェトが全権力をその手中ににぎることが︑最大の眼目となっており︑決定的条件となってい
る ︒
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
五五
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
五六
ロシア革命における﹁平和的移行﹂の﹁可能性﹂の二つの時期は︑このように︑いずれも︑ソヴェト権力の厳存と
ソグェトによる全権力の掌握の﹁可能性﹂
ι
もつばらもとづいていたものであって︑このこ左は︑誰の自にもあきらかである︒この﹁ソヴェト権力﹂というレiニンの中心思想と﹁議会的手段﹂というプチ・ブル的妄想とをよくくら
ベてみるがいい︒同じく﹁平和的移一計Lといっても︑両者のあいだには︑天と地ほどのへだたりがあるのである︒
つぎに︑第一ニの例としてあげられるのは︑
一八
七
0
年代のイギリスである︒当時のイギリス(およびアメリカ)には︑﹁軍閥と官僚制度﹂がなく︑したがって︑﹁できあいの国家機構の破壊﹂︑つまり﹁強力革命﹂は必要不可欠のも
のではなかったのである︒この問題につい℃のレlニンの説明をつぎに引いておこう︒
﹁問題にされたのは︑前世紀の七
0
年代のイギリスのこと︑独占以前の資本主義が頂点に号した時期のこと︑甲車閥と官僚とがその当時もっとも小さかった国のこと︑労働者がブルジョアから円買いもどす﹄という意味で︑社会主義
の﹃平和的﹄な勝利の可能性がその当時もっとも大きかった国のことである︒そこでマルグスは︑一定の諸条件のも
とでは︑労働者は資本家から買いもどすことを︑けっして拒まないであろう︑と述べたのである︒マルクスは︑その
ときにはどんなに多くの新しい問題がおこョてくるか︑変卒の過程で全体の
れがどんなにしばしばまたはげしく変るかを︑すぼらしくよく理解していたので︑変革の形態︑やり方︑方法につい どう変化するか︑変革の過程でそ
て︑自分の手をーーまた社会主義革命の将来の活動家の手も
1 1
しばらなかったのである︒
ところで︑ソヴュト・ロシアにおいても︑プロレタリアートが権力をにぎったあとでは︑搾取者の軍事的抵抗やサ
ボタージュ的抵抗を弾比したあとでは
li
半世紀まえのイギリスが平和的に社会主義に移行しはじめたとしたら︑そ
のときそこに生じたであろうと思われるような諸条件の型の条件︑が若干つくられたことはあきらかではあるまいか?
イギリスで資本家が労働者に服従するということは︑当時はつぎの諸事情によって保障されたであろう︒
付農民がいないために︑労働者︑プロレタリアが住民のなかで完全に優勢を占めていたこと(七
0
年代のイギリスでは︑社会主義が農村労働者のあいだできわめてはやく成功をおさめることを期待してさしっかえないような徴候があ
った
)︒
︒プロレタリアートが労働組合にりっぱに組織されていたこと(当時イギリスはとの一点で世界一の国であっ
た)︒同数世紀にわたる政治的白白の発展によって訓練された︒プロレタリアートの︑比較的高い文化水準︒帥みごとに
組織されたイギリスの資本家ーーーその当時︑彼らは世界のすべての国のうちでもっともよく組織されていた
(い
まで
はこの優位はドイツにうつった)│!の︑政治上・経済上の諸問題を妥協によって解決するという長い習慣︒このよ
うな事情があったために︑当時は︑イギリスの資本家がイギリスの労働者に平和的に服従することが可能であるとい
う思想が生じることができたのである﹂
(論
文司
左翼
的﹂
な児
戯と
小ブ
ルジ
ョア
性と
につ
いて
﹄
一九
一八
年五
月︑
前出
︑第
二十
七巻
︑ゴ
二 Ol
一ニ
一一
ペー
ジ︑
傍点
レ
I
ニン
︑ゴ
シッ
ク体
1
山本
)︒
レlニンは︑﹃プロレタリア革命と背教者カウツキ1﹄の中で︑﹁プロレタリア革命は︑ブルジョア国家機構を強力
的に破壊して︑それをエンゲルスの言葉では﹃もはや本来の意味の国家でない﹄新しい国家機構に代えることなしに
は︑不可能である﹂と述べ︑
﹁さらに一八七
0
年代
には
︑
いま吟味されている点について︑イギリスやアメリカを例外とするなにかがあったで
あ ろ う か
?
﹂という問題を提起し︑これについて︑つぎのように述べている︒
﹁歴史的問題の分野での科学の要求を︑いくぶんでも知っているなら︑この疑問を出さなければならないことは︑だ
れにも明らかである︒これを出さないのは︑科学を偽造することを意味し︑誰弁をもてあそぶことを意味する︒また︑
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
五七
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
五八
この疑問を出したなら︑プロレタリアートの革命的独裁は︑ブルジョアジーにたいする強力である︑という答はすこ
マルクスとエンゲルスが(とくに﹁フランスにおける内乱﹄とその序文で)
ひじようにくわしく︑またなんども説明したように︑一平岡と官僚制度が存売するために︑とくに必要になるのであ しも疑う余地がない︒ところが強力は︑
年代には︑なかったのである!(ところが︑いまでは︑それが︑ る︒まさにこれらの制度が︑まさにイギリスとアメリカには︑まさにマルクスがこの注意をあたえた十九世紀の七
C
イギリスにもアメリカにもあるこ(前出︑第二十八巻︑
二一八ページ︑傍点およびゴシック体レ!ニン
) 0
われわれが塵史上知っており︑また革命勢力が問題とすることのできた﹁平和的移行﹂の﹁可能性﹂の実存した例
は︑まさに上に述べた三つにかぎられている︒その最初の二例は︑いづれも武装蜂起による労働者・兵士ソヴェトが
﹁平和的に﹂権力をその手中に掌握することの﹁可能性﹂であり︑第一一一は︑
﹁軍
閥と
官僚
制度
﹂
のないところにのみ
生じえた﹁可能性﹂である︒前者は︑武装した労働者・兵士ソヴェトそのものの強力のいわば全面的強化を基軸とす
るものであって︑小ブル的政治家の愛好する﹁民主主義な方法﹂などとはまったく縁遠いものである︒後者はまた︑
その﹁可能性﹂がこんにちまったく存在しえないことを一一小すものとして︑ひじように重大である︒今日の発達した資
本主義︑独占資本主義は︑軍閥と官僚制度の最高度の発展をもってその特色としているのであって︑このような情勢
下で﹁平和的移行﹂や﹁民主主義的な方法﹂を説くのは︑まったくのベテンか︑支配階級のもっとも平凡な従僕にな
りさがることを意味するものといわなければならない︒
以上︑三つの歴史的長例の検討を通じておのづからはっきりしてくるのは︑こんにち﹁議会的手段を用いて社会主
義に移行するしなどということはまったく同題とはなりえないということ︑このような﹁議会的手段しを問題にした
り口に出して説いたりすることができるのは︑プロレタリア革命の完全な裏切者︑カウツキlの後塵を拝する﹁背教
者﹂たちをおいてほかにはありえない︑ということである︒
同
と乙
ろが
︑
﹃報告﹄の執筆者たちは︑あくまな﹁議会的手段を用いて社会主義に移行することが可能かどうかとい
う問題﹂を固執し︑﹁ロシアのポリシェヴィキ﹂v
もこ
の
﹁犠牲のすくない︑平和的な︑議会的手段﹂をとりたかった
のだが︑残念ながら﹁このような道はとざされていた﹂というように︑事実をねじゆがめて述べたて︑今日では﹁こ
のような道がひらかれている﹂として︑っ︑ぎのように主張するのである︒
﹁しかしそれいらい︑歴史的情勢は根本的にかわり︑この問題にたいしてあたらしい態度をとることができるよう
になった︒社会主義と民主主義の勢力は︑全世一界ではかりLれないほど大きくなり︑資本主義ははるかによわくなっ
た︒九億以上の人口をもっ強大な社会主義陣営は成長しつづけており︑力を増しである︒その巨大な内部の力︑資本
主義にたいする決定的優越性は︑日ごとにいっそうはっきりしてきている︒社会主義はすべての国の労働者︑農民︑
インテリゲンチャをひきつける大きな力となった︒社会主義の思想は︑真にすべてのはたらく人びとの考えを支配す
る思想となりはじめている﹂
(前
出︑
0
四ペー
ジ︑
訳四
八ペ
ージ
)︒
まず︑最初の文章
l l j
﹁歴史的情勢は根本酌に変り︑この間題にたいしてあたらしい態度をとることができるよう
になった︒﹂││ーをとくとごらんいただきたい︒この文章は︑
つぎのようなことを︑はっきりと述べているのであ
る︒
つま
り︑
﹁ロシアのポリシェヴィキ﹂が﹁議会的手段を用いて社会主義に移行する﹂という﹁社会主義への道﹂
いわゆる﹁構造改革論﹂の理論的性格(八)
五九
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
六O
をとることができなかったのは︑﹁当時の歴史的条件﹂によって止むをえなかったことである︒だが︑﹁歴史的情勢﹂
が﹁根本的に変った﹂ので︑﹁議会的手段を用いて社会主義に移行する﹂という﹁問題﹂にたいして﹁あたらしい態
度﹂をとること︑つまり︑﹁イエス﹂と答えることができるようになった︑というのである︒では︑﹁歴史的情勢﹂は
どういう意味で﹁根本的に変った﹂というのか?
とい
えば
︑
要す
るに
︑
﹁社会主義の力がはかりしれないほど強大
になり︑資本主義ははるかに弱くなった﹂ことが︑﹁根本的な変化﹂だ︑というのである︒だから︑﹃報告﹄の執筆者
たちの主張するところを筋道のとおるように整理してやれば︑つぎのようになるのである︒
﹁一九一七年には︑﹃社会主義の力は貧弱︑資本主義ははるかに強大であった﹄がために︑﹃議会的手段をとること
がで
きや
す﹄
︑﹃
ベつ
な道
︑
つまりソヴエト権力の確立という︑当時の歴史的条件のなかでは唯一のただしい道﹄をとら
ざるをえなかった︒
だが︑﹃それいらい(凸叶日ロ
O J
)﹄歴史的情勢はたちまちのうちにすっかり変ってしまい︑﹃社会主義の力ははか
りしれないほど強大になり︑資本主義ははるかに弱くなった﹄がために︑﹃議会的手段を用いること﹄が
﹃社
会主
義
への正しい道﹄として問題とすることができるようになった﹂︒
ごらんのように︑﹁議会的手段を用いるべきか︑いなか﹂を決定するものは︑﹁社会主義の力が強いか弱いか︑これ
にたいして資本主義の力が弱いか強いか﹂ということ︑つづめていえば︑﹁社会主義と資本主義との力関係﹂ひとつ︑
である︒もし︑﹁社会主義の力が弱く︑資本主義の力が強大﹂ならば︑﹁議会的手段の道はとざされていて︑やむをえ
ずソヴェト権力の確立﹂という道をとらなければならぬが︑もし﹁社会主義の力が強大で資本主義の力がはるかに弱
い﹂ならば︑当然に﹁議会的手段の道﹂をとらなければならない︑というわけである︒ところで︑ちょっとおうかが
いす
るが
︑
いっ
たい
︑
﹁議会的手段を用いて社会主義に移行する﹂のは︑どこの国か︑社会主義国か︑資本主義国か
?
もし︑資本主義国が社会主義へ移行することが問題ならば︑
1
1そして︑それ以外に﹁移行﹂は問題となりえな
︑
h ν
・
1・ーーその資本主義国内部での階級闘争︑プロレタリアートを中心とする被抑圧諸曙級とブルジョアジーを中心とする抑圧階絞との階級闘争︑その力関候をこそ︑まさに問題とすべきではあるまいか
η
資本主義国内部での敵対階級聞の力関係を問題としないで︑どうして︑その園内での被抑圧階級の革命闘争のあり方がきめられるであろうか
?
このばあい︑その国の外部で︑つまり世界における社会主義と資本主義とのあいだの力関係がどうであるかなど
ということだけをもっぱら問題としたり︑また︑その外部的な力関係ひとつでその園内の革命闘争のあり方がきまる
などと言うのは︑なんという見当ちがいのたわごとであろうか!
だが︑まだ問題はある︒いったい︑その閣の外部で︑世界において︑社会主義の力が強く資本主義の力が弱いとき
には︑なぜ﹁議会的手段を用いる﹂ことが︑唯一の正しい道となるのか?なぜ︑強力によってブルジョアジーの国
家権力を打倒し︑あたらしい人民的国家機関によっておきかえることが︑正しくない道だといえるのか?
﹃報
告﹄
の執筆者たちは︑﹁強力の支持者﹂だと小守ブルジョアたちから指ざされるのをびくびくおそれて︑ひとえに
﹁平
和の
守護者﹂としての地位にしがみつき︑﹁平和的な方法﹂こそ最良の道であると思いこみ︑なんとかして︑
この
﹁最
良
の︑平和酌な道﹂が﹁可能﹂であることを﹁論証﹂しようとけんめいになって︑ここに﹁歴史的情勢の根本的変化﹂
という︑外部的要因をもちこんできたものである︒だが︑このことは︑またしても︑これらの執筆者たちが︑﹁革命﹂
とはどういうものか︑プロレタリアートの独裁とはどういうものかという︑﹁基本原則﹂について︑これっぽっちも
知らないものだということ︑これらの﹁基本原則﹂についてのレlニンの疑う余地のない指摘をまつこうからふみに
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
︺の
理論
均性
格(
八)
~
ノ
、
いわゆる﹁構造改革論﹂の理論的性格(八)
ムノ
、
じってしかも括として恥じないものであることを︑うごかしがたく実一証しているのであるcかれらは︑最初から最後
まで
︑
ただただ﹁平和的方法︑民主主義的万法﹂ばかりにしがみつき︑プロレタリアートの独裁という肝腎要めの問
題をすっかり古れはて︑もっぱら﹁平和的変革か︑強力的変革か﹂︑﹁強力と国内戦との道か︑平和と議会的手間伐によ
る道か﹂の﹁対立﹂を問題とし︑
かく
して
︑
かれ
ら自
'身
︑
カウツキ!とまったく同じ道に︑勺まり︑ブルジョアジー
に奉仕する下僕の道に落ちこんでいることに︑ちっとも気がつかないのである︒
まず
︑
この連中のいう﹁歴史的情勢の根本的変化﹂という言葉の意味について︑もうすこしたちいって考えてみよう︒
レlニンはどうして﹁平和的移行が可能である﹂といったのか?
そのための﹁条件﹂はなんであったか?
といえば︑それは︑前の節でみたように︑つぎの二つのうちのどれかひとつ︑
つま
り︑
﹁武#罰した労働者・兵士のソ
ヴェト権力の確立﹂か︑または︑﹁資本主義国家における軍閥と官僚制度の欠如﹂か︑である︒﹁平和的移行﹂を問題
とするばあいに︑このレlニンによって明示されたつ条件﹂にふれることなく︑またこれらを問題にもしようとしな
いこ
とは
︑
レlニンの革命理論の完全な裏切りである︒
とこ
ろで
︑
レlニンの論稿の中には︑
いま
ひと
つ︑
﹁平
和的
移行
﹂
について述べている箇所がある︒それは︑前楠
ですでに引用した論文︑﹃マルクスの戯画と﹁帝国主義的経済主義﹂とについ℃﹄の中の一節である︒(前稿(七)
一一
三一
ペー
ジ参
照)
さき
にみ
たよ
うに
︑そ
こで
レ
1ニンは﹁例外として﹂﹁守ブルジョアジーが権力を平穏裡にゆづりわた
すこともありえる﹂ものとして︑﹁すでに社会革命を遂行してプロレタリアートが国家権力を掌握している大国家の隣
にある小国家﹂のぱあいについて説明している︒それは︑社会主義大国家と資本主義小国家とだけが︑これらの二つ
の日出家だけが隣り合ってあるばあいであって︑そのほかに大あるいは中資本主義国があるばあいは︑
もち
ろん
︑ ー っ 強
力と園内戦﹂なしには﹁移行﹂はできない︒
とこ
ろで
︑
この
よう
な︑
社会主義大国と資本主義小国との関係が︑
メ』‑J
日︑世界のどこに見られるであろうか?
まさ
に︑
レl
ニン
の一
言っ
てい
るよ
うに
︑
このような事態は
﹁例
外﹂
で あ
り︑ただたんにつありうる﹂として考えられるものにすぎない︒しかもこのような﹁例外﹂として考えられる場合に
も︑
レ
1ニγ
は ︑
﹁平
和的
移行
﹂
よりも︑この資本主義小国家においてさえ﹁強力と国内戦﹂とが必要不可欠のもの
となるほうが﹁はるかに予想される﹂と述べているのである︒こうしたレlニンの懇切可寧な説明を︑
﹁ レ
l
ニン
の
弟子﹂たちが読みとっていないというのは︑
ふし
ぎで
ある
︒
っ ︑ 長 ﹄
に ︑
レlニンの指示をはなれて︑第二次大戦後の﹁歴史的情勢﹂について︑事実をみてみよう︒なるほど︑社
会主義国と人民民主主義国は強大になり︑﹁東風が西風を圧する﹂ようになったことは︑うたがいない︑だが︑﹁社会
主義の勢力がはかりしれないほど強大となり︑資本主義ははるかに弱くなった﹂というのは︑はたしてまちがいない
だ ろ う か
?
さきに本稿第一章第三節の付﹁戦後世界の構造変化﹂の中で詳細に検討したときにみたように︑﹁社会主
義の強大化︑資本主義の劣勢弱体化﹂という﹁根本的変化﹂を見出すことは︑とうていできない︑たとえば︑経済力
どという主張は︑ において資本主義はより強力であるし︑軍事力においてもはるかに強大である︒﹁資本主義ははるかに弱くなった﹂な
一世紀を尺度としてはかる世界史的流れの中でいうことのできる言葉であって︑当面﹁革命の道﹂
が問題となっているときにつかうべき一言葉ではないのである︒この﹁資本主義ははるかに弱くなった﹂とか一資本主
義にたいする決定的な優越性﹂とかいう一言葉は︑そのまま︑﹃報告﹄の執筆者たちの考え方の混乱ぶり︑その支離滅
裂のほどをよく示しているものである︒というのは︑第一に︑﹁資本主義ははるかに弱くなった﹂などという主張は︑
かれらが攻撃してやまない﹃スターリン論文﹄の﹁資本主義の生産力の絶対的停滞の理論﹂とその考え方を完全に同
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
← 」 /'.
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
六回
じくするものであるからである︒かれらは︑﹃スターリン論文﹄を論難するときには︑﹁資本主義の行きつまりを主張
するのは誤りである︒資主義は存在するかぎり︑なんらかの形で生産力の発展がおこなわれるし︑またおこなわれな
ければならない﹂という理窟をのべたてたものである︒この理窟からいえば︑﹁資本主義がはるかに弱くなった﹂
と
いう一言葉そのものも︑誤りといわなければならないはずであるQ
つま
り︑
見方をかえれば︑﹁資本主義が平和的に椎
カをゆづり渡すほど弱体化した﹂という主張は︑すでにかれらによって批判ずみの当の﹃スターリン論文﹄を裏返し
にしたものにすぎないということができる︒
さら
にま
た︑
﹁資本主義にたいする社会主義の決定的優越性﹂ということにしても︑それが﹁日ごとにいっそうは
みたように︑そこでは同じ﹃報告﹄は︑
かいいげかのだと述べていたものである︒そこでは﹁共産主義がもっている優越性﹂が示され納得されたときに﹁世界 っきりしているしと﹃報告﹄は主張しているが︑さきに﹁二つの体制の平和的共存について﹂の項を検討したさいに
によって﹁共産主義のもっている優越性﹂がはじめて認
﹁共
産主
義の
建設
﹂
のすべての勤労者﹂がやっと社会主義建設のためのたたかいの道に歩みだすものと裕信される︑と述べられていた︒
ところで︑世界のどこの社会主義国も残念ながらまだ共産主義の段階にはたちいたらないし︑もっとも進んでいるソ
同盟にしてさえ︑その経済力はアメリカ資本主義におとり︑必要食糧の一部分を資本主義世界に依存せざるをえない
有様である︒このように前段では︑﹁決定的な優越性﹂が示されるのは﹁共産主義の建設﹂によってであるとしなが
ら︑ここでは︑もうその﹁決定的な優越性﹂︑が﹁日ごとにいっそうはっきりしている﹂と述べたてる︒これはあまり
にも見えすいた自家撞着である︒
﹁決
定的
な優
越性
﹂
を世界のすべての勤労者が納得するのはまださきのこととLな
がら︑ここではとっくの昔に納得︑ずみでおまけに﹁社会主義の思想﹂は﹁真にすべての勤労者の考えを支配する思想
となりはじめている﹂などと述べたてる︒これも見えすいた出たらめである︒そして︑事実はどうかといえば︑前文
の方がむしろ事実に近く︑後段の文句はいづれも事実とは縁遠いところの︑ただの景気づけの大言壮語にすぎないこ
とがわかる︒かりに一歩ゆづって︑たとえ﹁社会主義の巨大な内部の力︑資本主義にたいする決定的な優越性﹂
t /..
﹁日ごとにいっそうはっきりしてきでい﹂ようとも︑すべての勤労者が社会主義にひきつけられ︑社会主義の思想が
かれらの﹁考えを支配する思想となりはじめてい﹂ょうとも︑それだからといって︑どうして︑
支配
階級
が︑
﹁反
抗
しても無益だと確信し﹂平和裡に権力をゆづりわたそうというようになるといえるのか引また︑それだからといっ
て︑どうして︑﹁議会的手段を用いて社会主義に移行すること﹂が﹁可能となった﹂などといえるのか引
どの資本主義国をとっても︑そこで﹁社会主義の思想が︑真にすべてのはたらく人々の考えを支配する思想になり
はじめている﹂などというのは︑見えすいた嘘っぱちである︒どの国をとってもいい︒そこで︑すべての勤労者が真
に社会主義を目指す革命政党に票を投じているなどというような﹁情勢﹂が見られるであろうか?アメワカはの
r ‑
イギリスば?
フラ
ンス
は?
・
イタ
リー
は?
・ 西ドイツは?
そして︑日木は?
要するに﹁それいらい︑歴史的情勢が根本的に変った﹂という主張は︑こと﹁社会主義への移行の方法の問題﹂に
かんするかぎり︑まったくの景気づけのかけ声であり︑きわめてずるがしこい虚構である︒しかも︑このような﹁情
勢の根本的変化﹂をいくら並べたてても︑それによっては︑﹁議会的手段﹂はすこしも合理化されるものではない︒
かえってますます﹃報告﹄の執筆者たちのみにくい本質が︑そのレlニン主義理論の底知れぬ歪曲︑改ざんぶりが︑
いっそうはっきり出てくるばかりである︒
ところが︑かれらは︑このありもしない﹁情勢の根本的変化L
と﹁社会主載の資本主義にたいする決定的な優越
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格︿
八)
六五
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格︿
八)
六六
性﹂とを並べたてておいて︑ここからすぐさま︑資本主義国で﹁誌会的手段﹂で﹁社会羊命﹂の道を切りひらくべき
であるという︑いわば革命の戦略の規定をひきだしてくるのである︒この点をつぎの節で論討しよう︒
同
円報告﹄はつぎのように主張する︒
﹁同時に︑現在の諸条件のもとで︑いくつかの資木主義諸問の労働者階級は︑国民の庄倒的多数をその指導のもと
に統一し︑基本的な生産手段を人民の手にうっす現実的な可能性をもっている︒右翼ブルジョア政党とその政府は︑
ますますひんぱんに破産状態におもいっている︒こうした詫条件のなかでは︑労働者階級は︑勤労農民とインテリゲ
ンチャとすべての愛国勢力とを自分のまわりに結集し︑資本家・地主と妥協する政策をすてきれないでいる日和見分
子をだんことしてしりぞけながら︑人民の利益に刃むかう反動勢力をうち・空かし︑議会内で安定した多数をしめ︑
会をブルジョア民主主義の機関から真に人民の意志を代表する道具にかえる可能性をもっている︒このような場合︑
多くの高度に発達した資本主義国で伝統になっているこの機関は︑真に民主主義︑勤労人民のための民主主義の機関
となることができる︒
プロレタリアートとすべての勤労者との大衆的革命運動に支えられて議会内で安定した多数を獲得できれば︑いく
っかの資本主義国やかつての植民地諸国の労働者階級にとって︑恨本的な社会変革の遂行を保証する諸条件がっくり
だされるだろう︒
資本主義がま︑た強く︑巨大な軍事的警察的機関を資本家が握っている国々では︑反動勢力はもちろん︑激しく抵抗
するにちがいない︒そこでは︑社会主義への移行は︑激しい階級闘争︑革命闘争を伴うであろう﹂
(前
出︑
四
0
ページ︑ゴ
シ吋
ノグ
体│
山本
)︒
ここに述べられている﹁議会的方法﹂という﹁戦略規定﹂がどんなにアイマイ︑デタラメであり︑反レIニン的な
ものかということは︑二︑三の言葉に注目するだけでただちにあきらかとなるであろう︒
まず︑第一のパラグラフの最後にある﹁多くの高度に発達した資本主義国で伝統になっているこの機関﹂という文
句と︑第三のパラグラフの﹁資本主義がまだ強く︑巨大な軍事的警察的機関を資本家が握っている国々﹂という文句
とをよく読みくらべられ児い︒﹁多くの高度に発達した資本主義国﹂では﹁議会﹂が﹁革命の道具﹂になる﹁可能性﹂
があ
るが
︑
﹁資本主義がまだ強く︑巨大な軍事的警察的機関を資本家が握っている国々﹂ではそういう﹁可能性﹂は
ない︒前者の国々では﹁反動勢力は激しく抵抗しないし︑平和裡にうちまかされるLが︑後者の国々では﹁反動勢力
は激しく抵抗し︑平和裡にはうちまかされない﹂のだそうである︒前者の国々では﹁激しい階級闘争も︑革命闘争も
ない﹂が︑後者の国々ではじめて﹁激しい階級闘争︑革命闘争をともなう﹂のだそうである︒
3‑
守︑
︑︑
つ
n‑
︑ ︑
Tカ
L J J L
﹁高度に発達した資本主義国﹂と﹁資本主義がまだ強く︑巨大な軍事的警察的機闘を資本家が握
っている国﹂とで︑どこが︑どうちがうというのか?現在︑世界のどこに︑﹁高度に発達した資本主義国﹂であって︑
﹁しかも資本主義が弱く︑軍事的警察的機関を資本家が握っていない国﹂があるのか?第二次大戦後﹁高度に発達
した資本主義国﹂は︑資本主義の全般的危機のいっそうの深化に直面して︑いずれも国家独占資本主義の途をとらざ
るをえなかったものである︒いいかえれば︑国家機構の拡大と強化︑軍事的警察的機関のよりいっそうの強化は︑
箇の法則である︒どの﹁高度に発達した資本主義国﹂も︑軍隊・警察をもち︑官僚制度を拡充・整備し︑軍事力の不
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
六七
いわ
ゆる
﹁構
造改
革論
﹂の
理論
的性
格(
八)
六八
足な
とこ
ろは
︑
アメリカの軍事力がこれを補完してあまりある状態である︒
要するに︑労働者階級は﹁国民の庄倒的多数をその指導のもとに統一して︑社会主義革命を平和裡に遂行する可能
性がある﹂︑﹁人民の利益に刃むかう反動勢力︑資本家・地主は国民のうちの一部少数であって︑巨大な軍事的警察的
機関を資本家が握っているのでなければ︑これら反動勢カははげしく抵抗しないで多数者に屈伏する﹂︑というのが︑
ここでの中心的思想である︒人民の圧倒的多数はプロレタリアートとその他の勤労大衆であり︑資本家・地主の反動
派は一部少数である︑圧倒的多数の前に一部少数が簡単に屈伏するのはあたりまえ︑というわけである︒ただいささ
﹁巨大な軍事的警察的機関﹂というもので︑これがあるとこれをつかって反動派がはげしく抵抗する︒
か困
るの
は︑
それも﹁巨大﹂でなければ問題にはならない︒一部少数者の圧倒的多数者への服従!
まさに︑平和と民主主義こ
そ︑勝利を保証するものではないか︑強力も独裁も︑いわんや国内戦なども︑どこに必要があろうか!
この安っぽい︑ヵウツキlまがいの修正主義的主張が
E
んなにひどいものかということは︑この﹁議会的手段の可能性﹂についてひとつの疑問を提出するだけで︑ただちにあきらかとなる︒いったい︑プロレタリアートを中心とする
被搾取勤労大衆はとっくの昔から国民のうちの圧倒的大多数を占めており︑資本家・地主の反動勢力はとっくの昔か
ら一部少数にす︑ぎなかったのに︑なぜ︑レiニンの存命中の時期から第二次大戦前までの期間においては︑
﹁議
会的
手段﹂が﹁革命の道﹂とL疋問題になりえなかったのか?いや︑それよりも︑もっとはっきり問題を出すならば︑
一部少数の反動勢力は︑まさに﹁議会酌手段﹂を用いてその支配をうちかためることができたいったい︑どうして︑
の か
?
この︑本来の重要な疑問にたいしては︑ほかならぬレlニンが︑あますところのない解明をあたえているの
であ
る︒