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廃務からみた神祇祭祀
Kami Rituals Seen from the Perspective of “Interruption of Service” (Haimu) 井上正望
はじめに❶神事における廃務❷廃務の変化と神祇祭祀おわりに
本稿では神事における廃務の検討から、天皇の在り方や朝廷の神祇祭祀の理念に対する姿勢の変化を検討する。廃務は本来儀制令に日蝕や国忌で行うものとして規定されたものだが、九世紀前半以降神事でも廃務がみられるようになる。この神事廃務は『延喜式』の規定から、諸司致斎の際に行われるものと考えられる。そして令制当初から行われていたものではなく、弘仁期に始められたものと考えられる。また従来は、祈年・月次祭における神祇令の百官供奉規定が積極的に評価され、そこから班幣の意義を見出そうという研究がされてきたが、八世紀段階の百官供奉規定に実態はなく、弘仁期に至ってその具体化が図られた。また、少なくとも祈年・月次祭での祝詞宣読は、百官の一体性形成のための演出という面が強いということを指摘した。神祇祭祀は本来の令理念としては天皇・臣下が一体となるというものであり、天皇はその統括者だった。弘仁期以降の理念具体化において、廃務は天皇・臣下が一 [論文要旨]
体となるという理念を象徴するものと言えよう。しかしその具体化が思うように進まない中、特に宇多朝以降、廃務を行わない、即ち天皇・臣下全体の一体性形成を目的としない御願祭祀の創始・盛行によって、天皇は神祇祭祀の主宰者としての面を濃厚にしていく。本稿ではその背景として、従来から指摘されてきた天皇の「家」の整備に加え、九世紀後半から十世紀前半での親族意識の変化による天皇の家筋の形成を想定した。たとえ天皇であっても自身の家筋の繁栄祈願を第一義とする御願祭祀では、百官や諸国との一体性は求められない。天皇が天下を一元的に支配するという絶対的な統括者としての要素は神祇祭祀から希薄化し、神々のような宗教的・超越的他者にその地位を保証された、中世天皇としての要素を濃厚にしていくのである。【キーワード】 廃務、諸司致斎、班幣での百官供奉規定、天皇・百官の一体性形成、中世的天皇 INOUE Masami