*1 順天堂大学医学部解剖学・生体構造科学,Juntendo University, Faculty of Medicine, Department of Anatomy and Life Structure
[〒 113︲8421 東京都文京区本郷 2︲1︲1]
*2 茨城大学教育学部,Ibaraki University, College of Education
*3 東京慈恵会医科大学教育センター,Jikei University, School of Medicine, Center for Medical Education
*4 鹿児島大学大学院医歯学総合研究科神経病学講座人体構造解剖学分野,Kagoshima University Graduate School of Medical and Dental Sciences, Department of Neurology, Gross Anatomy Section
受付:2010 年 3 月 25 日,受理:2010 年 8 月 6 日 医学教育 2010,41(5):337~346
総 説
我が国の医学教育・医師資格付与制度の歴史的変遷と
医学校の発展過程
坂 井 建 雄
*1澤 井 直
*1瀧 澤 利 行
*2福 島 統
*3島 田 和 幸
*4 要旨: 1) 明治 5 年の学制から始まる医学教育制度と明治 7 年の医制から始まる医師資格付与制度の変遷をたどり,現在にまで いたる医学校の量的・質的な発展の過程を 7 つの時期に分けた. 2) 明治初頭には従来開業の者にも申請により医師免許が認められた.医師免許を得るために医科大学ないし専門学校を 卒業する途と開業試験に合格する途が大正期まで併存し,基準が不統一であった. 3) 戦前の医学校は無試験で医師免許を得られる特典や,専門学校や大学への昇格を目指してきたが,帝国大学,医科大学, 専門学校という異質なものを含んでおり,医学教育の水準は多様であった. 4) 戦後に行われた医師国家試験の導入と新制大学の発足により,医学教育の質は均質化し,一定の質が保証されるよう になった. 5) 医学校の量的な拡大は,明治 20 年以前の変動期を除くと,大正 8 年からの 12 年間,昭和 14 年から終戦までの 7 年間, 昭和 45 年からの 10 年間に集中しており,それ以外の時期では安定していた. キーワード:学校制度,医師資格付与制度,医科大学,医学専門学校,実地修練Historical development of the systems of medical education and medical licensure and its effect on the evolution of medical schools in Japan
Tatsuo Sakai*1 Tadashi Sawai*1 Toshiyuki Takizawa*2
Osamu Fukushima*3 Kazuyuki Shimada*4
Abstract
1) The historical development to date of the systems of medical education and medical licensure were reviewed, and the quantitative and qualitative evolution of medical schools was divided into 7 stages.
2) In the early Meiji era, persons who had already practiced medicine could apply to receive a medical license. Until the Taisho era, medical licenses were granted either to graduates of medical universities and relevant special schools or to those who passed the national examination. Thus, the criteria for medical license were not uniform during this period.
医師になるためには,一定の水準の医学教育を 受けた上で,定められた試験を受けて合格するこ とが必要である.現在の我が国では,医学教育に は医科大学における 6 年間の課程を要し,原則と してその課程を終えたものだけが医師国家試験を 受験できる.医科大学の設置や運営は文部科学省 の管轄下にあり,医師国家試験は厚生労働省の管 轄下にある.現在の医科大学の数は国立が 43 校,公立が 8 校,私立が 29 校である. 我が国における近代的な教育制度は 1872[明 治 5]年の学制に始まり,医師資格に関する制度 は 1874[明治 7]年の医制に始まる.その後,さ まざまな制度改革を行いながら医学校における教 育内容の充実と必要十分な数の医師の養成が図ら れてきた.しかし医師養成についての制度は文部 省と厚生省にまたがるために,『学制百年史』,『医 制百年史』などの公式の歴史においてはその全体 像は把握されていない.また医療史についてのい くつかの成書の中でも扱われてはいるが,医学教 育と医師資格付与の制度と医学校の発展過程を関 連づけて論じたものはこれまでにない1, 2). 本稿では,明治初頭から始まる医学教育と医師 資格付与制度の変遷を概観していくつかの段階に 分けるとともに,わが国の医学校が量的および質 的に発展してきた過程を明らかにし,今後の医学 教育史研究の基礎を与えることを目的とする. 前史 江戸時代の医師養成 江戸時代まで,医師として開業するために資格 は必要でなく,新しく医師となるものは他の医師 の下で徒弟として学んだり,傷寒論などの書物を 読むなどして自ら学んでいた.医師という職業は 僧侶とともに身分制の枠外にあり,地位に関係な く参入できる職業であった3).江戸時代の後期に は多くの藩が医学校を設立したが,これは系統的 な医学教育を授けるというよりも,医師を統制し て医療の水準を確保することを大きな目的として いた4).また 18 世紀中期あたりから蘭方医学の 習得に熱心な医師が増えたが,旧来からある漢方 医学と対立したのではなく,医師たちは両者を折 衷して医療を行っていた4).蘭方医学を学ぶ塾と して,緒方洪庵が大阪に開いた適塾(1839[天保 10]年創立)と,佐藤泰然が佐倉に開いた順天堂 (1838[天保 9]年に和田塾として江戸に創設) はとくに多くの門下生を育てた. 体系的なカリキュラムに基づく西洋医学の教育 は,オランダ海軍軍医のポンペ(1829︲1908)に より初めて行われた.ポンペは江戸幕府に招かれ て来日し,長崎に医学校を開いて 1857[安政 4] 年から 5 年間にわたって医学を教え,処刑体を用 いた人体解剖実習を行い,病院を設立して臨床実 地教育も行った5).ポンペの門下生からは,明治 期の医学教育や医療行政を支える人たちが多数輩 出した. 第 1 期 明治初頭の激動期 ―― 1871[明治 4]年の廃藩置県,1872[明治 5]年の学制,1874[明治 7]年の医制以後 江戸幕府が倒れて明治政府が樹立されても,各 藩で行われていた医学教育と医療行政に大きな変 革はなかった.明治初頭には藩の設置した地方の 医学校が少なくとも 33 校あり,また政府の設立 した医学校が 4 校あり,その一部では外国人教師 を雇い入れて医学教育を行っていた6).地方の医
graduates could receive medical licenses without taking the national examination and to raise their status to the level of universities. However, because the types of medical schools during this period varied and included imperial universities, colleges, and specialty schools, the quality of medical education also varied.
4) After World War II, the introduction of the state examination for the license to practice medicine and a new university system standardized medical education to guarantee its quality.
5) The quantitative expansion of the medical education occurred mainly in the 12 years after 1919, in the 7 years after 1939 and during the war, and in the 10 years after 1970, and, except for the years of violent change before 1887, the number of medical schools has otherwise remained stable.
Key words: school system, license system for medical practice, medical college, medical specialty school, practical training
学校の多くは 1871[明治 4]年の廃藩置県によっ て存立の基盤を失い,閉鎖を余儀なくされた7). 明治政府は 1869[明治 2]年に大学東校(現在 の東京大学医学部)でドイツ医学を採用すること を決定し,ドイツ人教師の招聘を図った.最初の ドイツ人教師であるミュルレルとホフマンは 1871[明治 4]年 8 月下旬に着任し,ドイツ語に よる医学教育が行われた8).大学東校(1872[明 治 4]年から東校)の卒業生の多くは,その後に 全国の医学校に採用されて医学教育を担うように なった. 学校教育制度を定めた法令として,学制が 1872[明治 5]年に公布された.学制では全国を 8 の大学区に分け,それをさらに中学区・小学区 に細分し,各学区にそれぞれ 1 校ずつの大学・中 学・小学を設置すると構想したが,実現可能なも のではなかった9, 10).翌 1873[明治 6]年に学制 の条文を追加して,大学のほか,外国人教師に よって教授する高尚な学校を専門学校と称した. しかし数年のうちに専門学校は大学以外の雑多な 高等教育機関の総称となり,文部省年報の統計上 も医学校は大学と専門学校とに分けて扱われるよ うになった.東京の東校は 1872[明治 5]年に第 一大学区医学校となり学制の中に位置づけられて (1874[明治 7]年に東京医学校,1877[明治 10]年に東京大学医学部と改称)唯一の官立医学 校となり,長崎医学校は 1874[明治 7]年に,大 阪医学校は 1872[明治 5]年に廃止された.東京 医学校では 1875[明治 8]年に通学生教場(のち に別課)が設けられ,3 年間の課程で日本人教師 による講義が行われた.学制は 1879[明治 12] 年に廃止され,我が国の教育の実状を考慮した教 育令が新たに公布された. 医事衛生制度を定めた法令として,医制が 1874[明治 7]年に公布された.医制では,医師 は医学教育の課程を修めさらに臨床経験を有する ことが条件とされたが,従来開業の者には実績を 考慮して仮免状が与えられ,また試験を受けて開 業の免許が与えられることも認められた.これは 医師に西洋近代医学に基づく専門性を求めるとと もに,開業による営利追求を認めるという二重の 性格をもつものであった11).医制に基づいて 1875[明治 8]年から 3 府において,1876[明治 9] 年からは各府県において医師開業試験が行われる ことになった.試験科目は①物理,②化学,③解 剖学,④生理学,⑤病理学,⑥薬剤学,⑦内科学 外科学の 7 科目であった.医師開業試験は当初地 方の実状に合わせて個別に実施されていたが, 1879[明治 12]年に内務省から医師試験規則が 出されて,試験の水準を確保して全国で統一的な 試験が行われるようになった.医師開業試験を受 験するための予備校的な医学校がこの頃急激に増 える.公立の医学校は 1880[明治 13]年に 30 校 に達しその数を保ち続ける.私立の医学校は 1879[明治 12]年で 25 校になり翌年から急に数 を減らす.私立の医学校は私塾的な小規模の学校 が多く,医師試験規則に基づく水準の高い試験に 対応できなかったのであろう.1883[明治 16] 年に医師免許規則と医術開業試験規則が公布さ れ,試験は前期と後期に分けられ,受験するため にはそれぞれ 1 年半以上の修学履歴が必要となっ た. 医制の規定に基づいて東京医学校(1877[明治 10]年から東京大学医学部)の卒業生は無試験で 医 師 の 開 業 免 状 を 下 付 さ れ た が,1882[ 明 治 15]年の太政官達により一定の条件を具えた医学 校の卒業生も無試験で免状を得ることができるよ うになり,同年の医学校通則によって医学校が 甲・乙 2 種に分けられた.甲種医学校は修業年限 が 4 年で,東京大学医学部の卒業生 3 名以上の教 師が必要とされたが,卒業生は無試験で免状を与 えられることになった.甲種医学校は 1885[明 治 18]年に 21 校となった12)(表 1). 第 2 期 帝国大学と官立 5 校,公立 3 校の安定期 ―― 1886[明治 19]年の帝国大学令と中学校 令,1887[明治 20]年の高等中学校医学部設 立以後 森有礼文部大臣は 1886[明治 19]年に諸学校 令を公布し,医学教育制度の大改革を行った.帝 国大学令により東京大学は 5 つの分科大学をもつ 帝国大学となり,医学部はその医科大学となっ て,大学院も設置された.簡易な医学教育を行っ
ていた東京大学医学部の別課は,それに先立って 1885[明治 18]に廃止されていた.中学校令に より中学校は高等・尋常の 2 等に分けられた.高 等中学校は文部大臣の管理に属し,全国に 5 校設 置された.高等中学校では,帝国大学に入るため の予備教育を行うとともに,専門学部をおいて専 門教育も行った13). 1887[明治 20]年に,公立の甲種医学校の存 立基盤を揺るがす大きな制度変更が行われた.勅 令により,府県立医学校の費用を,明治 21 年以 降,地方税から支弁することが禁止された.甲種 医学校のうちの 5 校(千葉,仙台,岡山,金沢, 長崎)は官立に移管されて高等中学校の医学専門 部になったが,多くは廃校となった.公立の医学 校として残ったのは,経営基盤の安定している京 都,大阪,愛知の 3 校のみであった. 卒業をすれば無試験で医師になれる医学校は, 1888[明治 21]年の時点で帝国大学医科大学が 1 校(東京),官立の高等中学校医学部が 5 校(第 一[千葉],第二[仙台],第三[岡山],第四 [金沢],第五[長崎]),公立医学校が 3 校(京 都,大阪,愛知[名古屋])の計 9 校であった. 高等中学校は 1894[明治 27]年に高等学校とな り,その医学部は 1901[明治 34]年に官立の医 学専門学校と改称された.1899[明治 32]年に は京都帝国大学医科大学が設立された.これ以外 に,医術開業試験を受験するための私立の医学校 として,東京慈恵会医院医学校(現・東京慈恵会 医科大学)と済生学舎などがあった.1896[明治 29]年には私立熊本医学校(現・熊本大学医学 部)が設立された. 表 1 甲種医学校一覧.板垣(2009)による. 学校名 設立 甲種医学校認可 備考 岡山医学校 1880[明治 13]年 1882[明治 15]年 5 月 第三高等中学校医学部 大阪府立医学校 1880[明治 13]年 1882[明治 15]年 5 月 府立大阪医学校 長崎医学校 1871[明治 4]年 1882[明治 15]年 5 月 第五高等中学校医学部 県立千葉医学校 1882[明治 15]年 1882[明治 15]年 10 月 第一高等中学校医学部 京都府医学校 1872[明治 5]年 1882[明治 15]年 11 月 京都府立医学校 神戸病院附属医学所 1879[明治 12]年 1882[明治 15]年 12 月 廃校(1888[明治 21]年 3 月) 愛知県医学校 1878[明治 11]年 1883[明治 16]年 1 月 愛知県医学校 和歌山県医学校 1882[明治 15]年 1883[明治 16]年 3 月 廃校(1887[明治 20]年 3 月) 三重県医学校 1880[明治 13]年 1883[明治 16]年 6 月 廃校(1886[明治 19]年 3 月) 石川県金沢医学校 1876[明治 9]年 1884[明治 17]年 3 月 第四高等中学校医学部 広島病院附属医学校 1872[明治 5]年 1884[明治 17]年 3 月 廃校(1886[明治 19]年 3 月) 福岡医学校 1880[明治 13]年 1883[明治 16]年 6 月 福岡県立福岡病院 宮城医学校 1879[明治 12]年 1883[明治 16]年 6 月 第二高等中学校医学部 徳島医学校 1879[明治 12]年 1883[明治 16]年 6 月 廃校(1886[明治 19]年 12 月) 新潟医学校 1873[明治 6]年 1883[明治 16]年 8 月 廃校(1888[明治 21]年 3 月) 秋田医学校 1875[明治 8]年 1883[明治 16]年 8 月 廃校(1887[明治 20]年) 熊本県医学校 1878[明治 11]年 1883[明治 16]年 3 月 廃校(1888[明治 21]年 3 月) 福島医学校 1881[明治 14]年 1884[明治 17]年 5 月 廃校(1887[明治 20]年 3 月) 大分県立医学校 1880[明治 13]年 1884[明治 17]年 7 月 廃校(1888[明治 21]年 3 月) 岩手県医学校 1876[明治 9]年 1884[明治 17]年 8 月 廃校(1886[明治 19]年 3 月) 県立鳥取病院附属医学校 - 1885[明治 18]年 7 月 廃校(1886[明治 19]年 11 月)
第 3 期 私立医学専門学校への庇護と統制 ―― 1903[明治 36]年の専門学校令,1905[明 治 38] 年 の 医 師 免 許 規 則 改 正,1906[ 明 治 39]年の医師法以後 1903[明治 36]年に公布された専門学校令は, 帝国大学・高等学校・高等師範学校以外のすべて の高等教育機関を専門学校として位置づける勅令 で,私立専門学校にも庇護と統制を及ぼすもので あった14).同時に公布された公立私立専門学校規 定では,認可を得るために適切な校地・校舎など の物的条件の他に,教員資格,学則に規定すべき 事項などの条件が細かく定められていた.条件を 満たさない場合には専門学校を名乗ることが許さ れ ず, 各 種 学 校 と し て 扱 わ れ た.1905[ 明 治 38]年の医師免許規則改正により,私立専門学校 に無試験で医師免許授与の特典が与えられること になった. 1906[明治 39]年に医師法が施行され,医師 の免許資格を積極的に規定し,医師となるには一 定の資格を有し内務大臣の免許を受けることとさ れた.その資格としては,①帝国大学医学科又は 官立・公立もしくは文部大臣の指定した私立医学 専門学校の卒業者,②医師試験に合格した者,た だしその受験資格として前記以外の医学専門学校 又は外国医学校で 4 年以上の医学課程を修了する こと,③外国の医学校卒業ないし医師免許で一定 の要件を備えた者,とされた.また 1914[大正 3]年に医術開業試験を廃止しそれに代わって医 師試験を行うこととされた.医術開業試験は実際 には 1916[大正 5]年まで存続した. 1903[明治 36]年に京都帝国大学福岡医科大 学が開設された.同年,私立の済生学舎は専門学 校の基準を満たすことを断念して廃校となった. 1905[明治 38]の時点での医学校は,帝国大 学医科大学が 3 校(東京,京都,九州[福岡]), 官立医学専門学校が 5 校(千葉,仙台,岡山,金 沢,長崎),公立医学専門学校が 3 校(京都,大 阪,愛知[名古屋]),私立医学専門学校が 2 校 ( 東 京 慈 恵 会, 熊 本 ) で あ っ た.1912[ 明 治 45]年には,私立日本医学専門学校(現・日本医 科大学)と東京女子医学専門学校(現・東京女子 医科大学)の設置が認可されたが,試験免除のた めの指定資格を得たのは遅れて前者は 1919[大 正 8]年,後者は 1920[大正 9]年であった. 第 4 期 私立医学専門学校への規制強化と大学 昇格への道 ―― 1916[大正 5]年の医術開業試験廃止, 1918[大正 7]年の大学令以後 医師法によって予告されていた医術開業試験の 廃止と医師試験の導入は,予定よりも遅れて 1916[大正 5]年に行われた.これ以後,医師の 資格を得るためには,官立,公立および文部大臣 の指定を受けた私立の医学専門学校を卒業する か,それ以外の私立の医学専門学校を卒業して医 師試験を受けて合格する必要があった.私立の医 学校は専門学校の認可をまず受けて卒業生の医師 試験受験資格を確保する必要があり,さらに文部 大臣の指定を受けて試験免除の指定資格を得るこ とが目標となった. 1918[大正 7]年に大学令が公布されて,帝国 大学以外の官立・公立・私立の大学や,総合大学 ではない単科の大学も認められることになった. これにより医学専門学校が大学に昇格する道が開 かれた.それに先立って大阪府立医学校は 1915 [大正 4]年に大阪医科大学と改称することを許 され,大学令により正式に大阪医科大学となっ た. 1918[大正 7]年の時点での医学校は,帝国大 学医学部が 4 校(東京,京都,九州[福岡],東 北[仙台]),公立医科大学が 1 校(大阪),官立 の医学専門学校が 5 校(千葉,岡山,金沢,長 崎,新潟),公立の医学専門学校が 2 校(京都, 愛知[名古屋]),私立の医学専門学校が 5 校(慶 応,東京慈恵会,日本,東京女子,熊本)の計 17 校(大学 5 校,専門学校 12 校)であった. これ以後,帝国大学医学部の増設,医学専門学 校の大学への昇格,私立医学専門学校の創設が行 われて,わが国の医学校が量的にも質的にも充実 していく.1919[大正 8]年には北海道帝国大学 医学部が設立された.府立大阪医科大学は 1919 [大正 8]年に大学令による大阪医科大学とな り,1931[昭和 6]年に大阪帝国大学医学部となっ
た.愛知医科大学は 1931[昭和 6]年に官立移転 されて名古屋医科大学となり,1939[昭和 14] 年に名古屋帝国大学医学部となった.岡山と新潟 の医学専門学校は 1922[大正 11]年に医科大学 に,千葉・金沢・長崎の医学専門学校は 1923[大 正 12]年に医科大学に昇格した.私立熊本医学 専門学校は 1922[大正 11]年に県立に移管され, 1929[昭和 4]年に官立熊本医科大学となった. 京都府立医学専門学校は 1921[大正 10]年に大 学令による京都府立医科大学になった.慶応大学 の医学科は 1920[大正 9]年に大学令による医学 部となり,東京慈恵会医院医学専門学校は 1921 [大正 10]年に,日本医学専門学校は 1926[大 正 15]年に医科大学に昇格した.東京医学専門 学校(現・東京医科大学)は 1918[大正 7]年に 開設,帝国女子医学専門学校(現・東邦大学医学 部),日本大学専門部医学科(現・日本大学医学 部)は 1925[大正 14]年に開設,昭和医学専門 学校(現・昭和大学医学部),岩手医学専門学校 (現・岩手医科大学),大阪女子医学専門学校 (現・関西医科大学),九州医学専門学校(現・ 久留米大学医学部)は 1928[昭和 3]年に開設, 大阪高等医学専門学校(現・大阪医科大学)は 1929[昭和 4]年に開設された.1930[昭和 5] 年から 1938[昭和 13]年までは医学校の新設は なく,医学校数は安定していた. 1939[昭和 14]年の時点での医学校は,帝国 大学医学部が 7 校(東京,京都,九州[福岡], 東北[仙台],大阪,名古屋,北海道[札幌]), 官立の医科大学が 6 校(千葉,岡山,金沢,長 崎,新潟,熊本),公立の医科大学が 1 校(京 都),私立の医科大学が 3 校(慶応,東京慈恵 会,日本),私立の医学専門学校が 9 校(東京女 子,東京,帝国女子,日本大学,昭和,岩手,大 阪女子,大阪,九州[久留米])の計 26 校(大学 17 校,専門学校 9 校)であった. 第 5 期 戦時下の医師需要への対応 ――医学専門学校の大量増設 1937[昭和 12]年の日中戦争の勃発と戦域の 拡大によって軍医として応召されるものが増加 し,医師の増員が要望され,1939[昭和 14]年 に陸軍省・海軍省・厚生省の発起により,各帝国 大学医学部と官公立医科大学宛に 3 カ年の期限つ きで臨時附属医学専門学校の設置が要請された. 1939[昭和 14]年 5 月に,7 つの帝国大学と 6 つ の官立医科大学に臨時附属医学専門部が附置され た15, 16).1942[ 昭 和 17] 年 頃 よ り 1945[ 昭 和 20]年の終戦の直前までの間,公立と私立の医科 大学に附属医学専門部が附置され,国立と公立の 医学専門学校が各地に新設された.私立では順天 堂医学専門学校が 1944[昭和 19]年に開校した. また医学教育の教育年限にも若干の短縮が行われ た. 1945[昭和 20]年の時点での医学校は,帝国 大学医学部が 7 校(東京,京都,九州[福岡], 東北[仙台],大阪,名古屋,北海道[札幌]), 官立の医科大学が 6 校(千葉,岡山,金沢,長 崎,新潟,熊本),公立の医科大学が 1 校(京 都),私立の医科大学が 4 校(慶応,東京慈恵 会,日本,日本大学),官立の医学専門学校が 6 校(青森,前橋,東京医科歯科,松本,米子,徳 島),公立の医学専門学校が 18 校(北海道女子, 福島女子,横浜市,名古屋市女子,三重,岐阜女 子,大阪市,奈良,和歌山,兵庫,広島,山口, 鹿児島,秋田女子,山梨,山梨女子,高知女子, 福岡医科歯科),私立の医学専門学校が 9 校(東 京女子,東京,帝国女子,昭和,順天堂,岩手, 大阪女子,大阪,久留米),官立大学の附属医学 専門部が 13 校,公立大学の附属医学専門部が 1 校,私立大学の附属医学専門部が 4 校の計 69 校 (大学 18 校,専門学校 33 校,附属医学専門部 18 校)であった. 日本の海外進出に伴って,その統治下に入った 台湾,朝鮮,樺太にも医学校が設置された17).台 湾の医学校には終戦の時点で,台北帝国大学医学 部(1936[昭和 11]年開設)の他に,附属医学 専門部(1897[明治 30]年の台北病院医学講習 所が起源)があった.朝鮮の医学校には終戦の時 点で,京城帝国大学医学部(1926[大正 15]年 開設)の他に,朝鮮総督府京城医学専門学校 (1899[明治 32]年の官立京城医学校が起源), 平安南道立平壌医学専門学校(1933[昭和 8]年 開設),慶尚北道立大邱医学専門学校(1933[昭
和 8]年開設),京城女子医学専門学校(1938[昭 和 13]年開設)の 4 校の専門学校があり,朝鮮 人と日本人の卒業生を送りだしていた.1922[大 正 11]年に開校したセブランス連合医学専門学 校(1943[昭和 18]年に旭医学専門学校と改称) はもっぱら朝鮮人の医学教育を行った.1944[昭 和 19]年に開校した全羅南道立光州医学専門学 校と咸鏡南道咸興医学専門学校は卒業生を送りだ さずに閉校となった.樺太には官立樺太医学専門 学校(1941[昭和 16]年開設の樺太庁豊原医院 附設医学講習所が起源)の 1 校があった. 実質的に日本の支配下にあった満州・関東州で も満州医科大学(1922[大正 11]年開校,1911[明 治 44]年設立の南満医学堂が起源),盛京医科大 学(1940[昭和 15]年開校,1912[明治 45]年 設 立 の 奉 天 医 科 大 学 が 起 源 ), 新 京 医 科 大 学 (1938[ 昭 和 13] 年 開 校 ), 哈 爾 浜 医 科 大 学 (1938[ 昭 和 13] 年 開 校 ), 佳 木 斯 医 科 大 学 (1940[昭和 15]年開校)の 5 校の医科大学が あり,また官立旅順医学専門学校も日本人を含む 卒業生を送りだしていた. これら外地の医学校を卒業した者は,戦後に なってそのままでは日本の医師免許を得られな かった.朝鮮・台湾・満州で地域や期間を限定し ない医師免許を得た者には,医師試験委員の銓衡 によって医師免許が与えられたが,そうでない者 には医師国家試験予備試験に合格した上で 1 年以 上の実地修練受け,医師国家試験を受験する道が 開かれた. 第 6 期 戦後の医学教育改革 ―― 1946[昭和 21]年の医師国家試験開始, 1947[昭和 22]年の教育基本法と学校教育法 以後 1942[昭和 17]年に国民医療法が制定された が,これはそれまでの医師,歯科医師の身分及び 業務に関する法制を吸収して一つの体系に収めた ものであった.同年に制定された同法施行規則で は,医学校卒業者も医師試験合格者も 1 年以上の 診療の修練を経ることが免許の要件とされたが, 3 年間の猶予期間が置かれた. 終戦後に連合軍総司令部の指導により衛生行政 の広範な改革が行われた.医師の制度に関して は,実地修練制度(インターン制度)と国家試験 制度が実施された.これは戦時中に行われた医学 校の急増設,教育期間の短縮などにより教育内容 が低下したことおよび欧米諸国の資格水準の向上 といった状況に対処するものであった.①医師国 家試験を新たに設け,新たに医師となる者はすべ てこの試験に合格することが必要とされた.②従 来の医師試験は医師国家試験予備試験に代えら れ,その受験資格は文部大臣の指定を受けない私 立の医学専門学校の卒業者,外国の医学校卒業者 又は外国の医師免許取得者で厚生大臣が適当と認 めた者であった.③医師国家試験の受験資格とし て,大学または官公立および文部大臣の指定した 私立の医学専門学校を卒業,または国家試験予備 試験合格の後に,一年以上の診療および公衆衛生 に関する実地修練を経ることが要件とされた.医 師国家試験の第 1 回は 1946[昭和 21]年に部分 的に行われたが,全国的な医師国家試験は 1947 [昭和 22]年 5 月に始まった. 学校教育も戦後になって改革された.1947[昭 和 22]年に教育基本法と学校教育法が公布さ れ,小学校 6 年・中学校 3 年・高等学校 3 年・大 学 4 年(医学部は 6 年)の新しい学制が始まっ た.それまでの専門学校は新制の大学に含められ ることになった.医学専門学校は施設・設備およ び医学教育の水準が多様であったために,大学昇 格の可能性を調査・判定されることになり,旧制 の医科大学ないし医学部に昇格し,次いで新制大 学に転換したものが多いが,一部は大学に昇格で きずに廃止された18). 1948[昭和 23]年に医師法が公布され,医師 国家試験の受験要件として文部大臣の認定した大 学を卒業し 1 年以上の実地修練を行うことが定め られた.1949[昭和 24]年の国立大学設置法に より新制国立大学が発足した.医師の資格を得る ためにはこれまで複数のコースがあり,医学教育 の水準や資格の要件も多様であったが,ここで初 めて医科大学での 6 年間の学習を経て,医師国家 試験に合格するという共通の基準によって,医師 の資格が付与されることになった. 1952[昭和 27]年の時点での医科大学は,国
立が 19 校(東京,京都,東北,九州,北海道, 大阪,名古屋,新潟,岡山,千葉,金沢,長崎, 熊本,東京医科歯科,弘前,徳島,鳥取,群馬, 信州),公立が 14 校(広島,鹿児島,神戸,岐 阜,山口,三重,京都,札幌,福島,横浜,名古 屋,大阪市,和歌山,奈良),私立が 13 校(慶 応,慈恵会,日本医科,日大,東京女子,東京, 東邦,大阪,久留米,岩手,大阪女子,昭和,順 天堂)であった. 第 7 期 インターン制度の廃止と医科大学の新設 ―― 1968[ 昭 和 43] 年 の 研 修 医 制 度 導 入, 1970[昭和 45]年から 10 年間の医科大学新設 1960 年代から,大学医学部卒業後 1 年間の実 値修練生の地位や身分が不明確で,実地修練病院 の指導体制が整っていないこと,実地修練生に対 し生活基盤を保証する措置がないことなどが問題 となった.1967 年にはインターン制度完全廃止 を求める学生運動が活発になり,その年の医師国 家試験では 80%ほどの学生が受験をボイコット するなど大きな社会問題となった.1968[昭和 43]年に医師法が改正されてインターン制度は廃 止され,大学の医学部を卒業した者は直ちに医師 国家試験を受験することができるようになった. これに代わって研修医制度が始まり,医師は免許 を受けた後も 2 年以上臨床研修を行うよう努める こととなった. 戦後に医学専門学校が新制大学に昇格して以 後,医師数は過剰であるとの認識のもと,医科大 学の新設は抑制されていた.1961[昭和 36]年 の国民皆保険制度発足から急速に医療需要が拡大 し,1963[昭和 38]年度から医科大学の定員増 が図られるようになった19).1970[昭和 45]年 の秋田大学医学部の開設をきっかけとして,その 後 10 年ほどの間に国立および私立の医科大学が 急激に新設されていった.1979[昭和 54]年に 琉球大学医学部が開設されて以後現在(2010[平 成 22]年)に至るまで医科大学の新設は行われ ていない. 1969[昭和 44]年の時点での医科大学は,国 立が 24 校(東京,京都,東北,九州,北海道, 大阪,名古屋,新潟,岡山,千葉,金沢,長崎, 熊本,東京医科歯科,弘前,徳島,鳥取,群馬, 信州,広島,鹿児島,神戸,岐阜,山口),公立 が 9 校(三重,京都,札幌,福島,横浜,名古 屋,大阪市,和歌山,奈良),私立が 13 校(慶 応,慈恵会,日本医科,日大,東京女子,東京, 東邦,大阪,久留米,岩手,大阪女子,昭和,順 天堂)であった. 1979[昭和 54]年まで間に,国立の医科大学 が 18 校新設され(秋田,筑波,山形,愛媛,宮 崎,旭川,浜松,滋賀,富山,島根,高知,大 分,佐賀,福井,山梨,香川,琉球,防衛),公 立の 1 校が国立移管され(三重),私立の医科大 学が 16 校新設された(北里,杏林,聖マリアン ナ,帝京,埼玉,獨協,東海,愛知,藤田保健衛 生,金沢,兵庫,近畿,川崎,福岡,自治,産 業). 医学教育に関わるその後の制度変更として, 1991[平成 3]年の大学設置基準の改正により, 授業科目の開設や教育課程の編成が自由化され, 大学の責任のもとに行われることになった(いわ ゆる大綱化).文部科学省主催の医学・歯学教育 の在り方に関する調査研究協力者会議から,2001 [平成 13]年に医学教育モデル・コア・カリ キュラムが提示され,各医科大学でカリキュラム 改革が進められた.またモデル・コア・カリキュ ラムの到達目標に準拠した臨床実習開始前の全国 的に共通な標準評価試験である共用試験(CBT 及び OSCE)が,2002[平成 14]年から試行さ れ,2005[平成 17]年から正式実施されている. 卒後の臨床研修は 2004[平成 16]年度から必修 化され,多くの新人医師が大学病院を離れて一般 病院で臨床研修を行うようになった. まとめと結語 わが国の医学教育と医師資格付与制度の変遷 と,医学校の量的・質的な発展の過程を 7 つの時 期に分けることができた. 第 1 期は 1871[明治 4]の廃藩置県,1872[明 治 5]年の学制,1874[明治 7]年の医制から, 1886[明治 19]年頃までである.1875[明治 8] 年から始まった医師開業試験とそれを引き継いだ 医術開業試験を受験するための予備校的な医学校
が一時的に増えたが,明治 10 年代の後半には無 試験で医師資格を得られる甲種医学校が 21 校ま で増えた. 第 2 期は,1886[明治 19]年の帝国大学令と 中学校令,1887[明治 20]年の高等中学校医学 部設立から,1902[明治 35]年頃までである. 1887[明治 20]年の財政的な規制により公立医 学専門学校の多くは廃校を余儀なくされ,一部は 官立移管されて高等中学校の医学専門部となっ た.1888[明治 21]年から医学校数はあまり変 わらず,帝国大学 1 校,官立医学校 5 校,公立医 学校 3 校の卒業生は無試験で医師資格を得られ, 私立医学校の卒業生は医術開業試験を受けて医師 となっていた. 第 3 期は,1903[明治 36]年の専門学校令, 1905[明治 38]年の医師免許規則改正,1906[明 治 39]年の医師法から,1915[大正 4]年頃まで である.専門学校令は私立医学専門学校を庇護・ 統制するものであり,卒業生が無試験で医師免許 をえられるようになる道も開かれた.医学校数は 安定し,帝国大学 3 校,官立医学専門学校 5 校, 公立医学専門学校 3 校であり,私立医学専門学校 が少しずつ新設されていった. 第 4 期は,1916[大正 5]年の医術開業試験廃 止,1918[大正 7]年の大学令から,1939[昭和 14]年頃までである.医術開業試験の廃止によ り,医師になる者は大学あるいは官立・公立およ び指定された私立の医学専門学校を卒業すること が原則となった.大学令により公立・私立の大学 および単科の大学が認められるようになった.官 立大学医学部の増設,医学専門学校の大学への昇 格,私立医学専門学校の創設が行われて,わが国 の医学校が量的にも質的にも充実していく. 第 5 期は,1939[昭和 14]年から始まった戦 時下の医学専門学校の増設の時期で,1945[昭和 20]年の終戦までである.この時期に医科大学に は臨時附属医学専門部が設置され,公立の医学専 門学校が大量に設置され,修学期間の短縮も一部 で行われ,速成的な医師の育成が図られた. 第 6 期は,1946[昭和 21]年の医師国家試験 開始,1947[昭和 22]年の教育基本法と学校教 育法から,1968[昭和 43]年頃までである.医 師国家試験が導入され,医学校卒業後に 1 年間の 実地修練を経て受験資格が得られるようになっ た.6・3・3・4 の新学制になり,専門学校の多 くは新制大学に昇格したが,一部は廃校となっ た.その後の医学校数は安定していた. 第 7 期は,1968[昭和 43]年のインターン制 度廃止,1970[昭和 45]年の医科大学新設開始 から,現在までである.医師国家試験の受験資格 表 2 医学校数の推移 大学 専門学校 合計 帝国大学 官立 公立 私立 官立 公立 私立† 大学 専門学校 総計 1885[明治 18]* 1 0 0 0 0 21 - 1 21 22 1888[明治 21] 1 0 0 0 5 3 - 1 8 9 1905[明治 38] 3 0 0 0 5 3 2 3 10 13 1918[大正 7] 4 0 1 0 5 2 5 5 12 17 1939[昭和 14] 7 6 1 3 0 0 9 17 9 26 1945[昭和 20]** 7 6 1 4 6 13 18 1 9 4 18 33 18 69 1952[昭和 27] 19 14 13 0 0 0 46 0 46 1969[昭和 44] 24 9 13 0 0 0 46 0 46 1979[昭和 54] 43 8 29 0 0 0 80 0 80 †専門学校令(1903[明治 36])年による専門学校のみを示す. *医学校通則(1882[明治 15])による甲種医学校を示す. **日本本土以外の外地の医学校は含めない.下段は臨時附属医学専門部を示す.
としての実地修練は廃止され医師資格取得後の研 修医制度が始まった.1970[昭和 45]から 1979[昭 和 54]年まで,国立と私立の医科大学が新設さ れて数を増したが,それ以後では医科大学の数は 安定している(表 2). わが国の医学校は,1872[明治 5]年の学制以 来,140 年近い歴史を有する.医学校には官公立 と私立という 2 つのセクターがあり,両者はほぼ 独立した伝統を有している.明治初頭に医師免許 制度が定められたときには,従来開業の者にも申 請により医師免許が認められた.新たに医師免許 を得るためには,医科大学ないしそれに準じる医 学専門学校を卒業する途と,開業試験に合格する 途が大正期まで併存しており,医師の資格基準は 不統一であった.戦前の医学校は,無試験で医師 免許を得られる特典や,専門学校から大学への昇 格を目指して,質的な向上を果たしてきた.しか し戦前の医学校は,帝国大学と医科大学と専門学 校という異質なものを含んでおり,医学教育の水 準はなお多様であった.戦後に行われた医師国家 試験の導入と,新制大学の発足により,医学教育 に一定の質が保証されるようになった.医学校の 量的な拡大は,1887[明治 20]年以前の変動期 を 除 く と,1919[ 大 正 8] 年 か ら の 12 年 間, 1939[昭和 14]年から終戦までの 7 年間,1970[昭 和 45]年からの 10 年間に集中しており,それ以 外の時期では比較的安定していた. 謝 辞 本研究は平成 21 年度文部科学省科学研究費補 助金「日本の近代医学教育の独自性について歴史 的視点からの研究」(研究代表者 坂井建雄,課 題番号 21590580)の補助により行われた. 文 献 1) 川上武.現代日本医療史―開業医制の変遷.勁 草書房,東京,1965. 2) 酒井シヅ.日本の医療史.東京書籍,東京, 1982. 3)布施昌一.医師の歴史.中央公論社.東京, 1979. 4) 海原亮.近世医療の社会史―知識・技術・情 報.吉川弘文館,東京,2007. 5) 宮永孝.ポンペ―日本近代医学の父.筑摩書 房,東京,1985. 6) 坂井建雄.我が国の近代解剖学教育の成立過 程.解剖学雑誌 2008; 83: 105︲16. 7) 吉良枝郎.幕末から廃藩置県までの西洋医学. 築地書館,東京,2005. 8) 小川鼎三 (編者代表).東京大学医学部百年史. 東京大学医学部創立百周年記念会,東京,1967. 9) 文部省.学制八十年史.大蔵省印刷局,東京, 1954. 10) 文部省.学制百年史.帝国地方行政学会,東 京,1972. 11) 瀧澤利行.明治初期医師養成教育と衛生観.日 本医史学雑誌 1992; 38: 583︲602. 12) 板垣英治.石川県甲種医学校の医学教育:医学 教科書と参考書から医学教育を見る.日本海域 研究 2009; 40: 91︲103. 13) 天野郁夫.大学の誕生(上)―帝国大学の時 代.中央公論社,東京,2009. 14) 天野郁夫.大学の誕生(下)―大学への挑戦. 中央公論社,東京,2009. 15) 厚生省医務局.医制八十年史.印刷局朝陽会, 東京,1955. 16) 厚生省医務局 (編).医制百年史.ぎょうせい, 東京,1976. 17) 泉孝英:外地の医学校.メディカルレビュー 社,大阪,2009. 18) C. F. サムス (著);竹前栄治 (編訳).GHQ サム ス准将の改革―戦後日本の医療福祉政策の原 点.桐書房,東京,2007. 19) 橋本鉱市.専門職養成の政策過程―戦後日本の 医師数をめぐって.学術出版会,東京,2008.