『摩訶僧 律』偸盗戒条文の「随盗物」の解釈
―新しく挿入された可能性をめぐって―
李 薇
『摩訶僧 律』偸盗戒条文には「隨盜物」という語があり,これに対応する条 文解釈もある.しかし,他律の条文解釈とは全く異なる内容となっている.本論 では,この「隨盜物」の条文解釈について考察する. まず,『摩訶僧 律』の条文を紹介する(「隨盜物」の位置は下線で示す). 『摩訶僧 律』の条文 若比丘於聚落空地.不與取隨盜物.王或捉或殺或縛或擯出言.咄男子汝賊耶汝癡耶.比丘 如是不與取者.波羅夷不應共住.(T22, 244a) 〔訳〕もし比丘は,聚落或いは空地において,与えられていない物を取れば,盜物にした がって,王に或いは捉えられ,或いは殺され,或いは縛られ,或いは追い出されて,「咄, 男子,あなたは賊であり,あなたは痴である」と言われる.比丘はこのような形で与えら れていない物を取れば,波羅夷罪になり,共住してはならない. 『摩訶僧 律』の梵本と対照すると,この語に対応するサンスクリット語は 「yathārūpeṇādinnādānena」(下記の下線の箇所)である.yo puna bhikṣu grāmād vā araṇyād vā adhinnam anyātakaṃ stainasaṃskāram ādiyeya yathārūpeṇādinnādānena
[rā]jāno gṛhītvā haneṃsu vā bandheṃsu vā pravrājeṃsu vā hambho puruṣa corosi bālosi mūḍhosi stainyosīti vā vadeṃsu, tathārūpaṃ bhikṣur adinnamādiyamāno ayam pi bhikṣuḥ pārājiko bhavaty asaṃvāsyo, na labhate bhikṣūhi sārdhasaṃvāsaṃ. (PrMoSū. Lo, 6–7.)
〔訳〕いずれの比丘も,聚落或いはアランヤより,与えられない他に属するものを,盗心 をもって,取るなら,このように与えられていない物を取ることによって,王たちは〔比 丘を〕捕えてから,或いは殺して,或いは縛って,或いは追放して,或いは「咄,男子, あなたは賊であり,愚かなものであり,痴人であり,賊である」と言うなら,このように 比丘が与えられていない物を取るなら,この比丘も波羅夷罪であり,共住してはならな い,比丘たちと一緒に住むことができない. 条文解釈の箇所には,「隨盜物」(yathārūpeṇādinnādānena)について次のように記 されている.
隨盜物者.物有八種.一者時藥.二者夜分藥.三者七日藥.四者盡壽藥.五者隨物.六者 重物.七者不淨物.八者淨不淨物.是名爲八.(T22, 244a) 〔訳〕「隨盜物」とは,八種類の物である.一つ目は時薬であり,二つ目は夜分藥であり, 三つ目は七日藥であり,四つ目は尽寿藥,五つ目随物であり,六つ目は重物であり,七つ 目は不淨物であり,八つ目は淨不淨物である. つまり,「隨盜物」を盗物の種類,四種の薬及び四種の物として,解釈してい る.この解釈は他律の解釈とは異なっている.他律では「yathārūpeṇādinnādānena」 に該当する訳語がそれぞれ異なっているのである. パーリ律では,対応する条文の言葉は「yathārūpe adinnādāne」(このように与えら れない物を取ることについて)となり,条文解釈には「yathārūpe」の解釈のみがあ
る.「yathārūpaṃ nāma pādaṃ vā pādārahaṃ vā atirekapādaṃ vā」(このようにとは,一
パーダ或いは一パーダの価値のもの,或いは一パーダを超えるものである)とある1). 表 律 条文の言葉 条文解釈 パーリ律 yathārūpe adinnādāne (このように与えられない物を 取ることについて)
yathārūpaṃ nāma pādaṃ vā pādārahaṃ vā atirekapādaṃ vā(このようにとは, 一パーダ或いは一パーダの価値のも の,或いは一パーダを超えるもので ある) 『四分律』 隨不與取法 隨不與取者若五錢若直五錢. 『五分律』 広律: なし なし 『十誦律』 以所偸物 yathārūpeṇādattādānena なし 「根本説一切有部律」如是盜時 梵:yadrūpeṇādattādānena
蔵:ji tsam ma byin par blangs pas
如是盜時者.若五磨灑或過五磨灑. 蔵:ji tsam ma byin par blangs pas zhes bya ba ni ma sa ka lnga am | ma sa ka lnga las lhag pas so.
〔訳〕「どれほどの与えられないもの を取ることによって」とは,五マー サカ或いは五マーサカを超えるもの である. 『摩訶僧祗律』 隨盜物 yathārūpeṇādinnādānena 隨盜物者.物有八種.一者時藥.二 者夜分藥.三者七日藥.四者盡壽 藥.五者隨物.六者重物.七者不淨 物.八者淨不淨物.是名爲八.
『四分律』では,対応する条文の言葉は「隨不與取法」2)となり,条文解釈は 「随不与取とは,五銭或いは五銭に相当する価値のものである」のである3). 『五分律』では,対応する条文の言葉及び条文解釈が存在しない4). 『十誦律』では,対応する条文の言葉は「以所偸物」5)(yathārūpeṇādattādānena6))と なるが,条文解釈はない. 「根本説一切有部律」では,対応する条文の言葉は「如是盜時」7()yadrūpeṇādattādānena8),
ji tsam ma byin par blangs pas9))となっている.条文解釈には,五マーサカ或いは五
マーサカを超えるとされている10). 以上の「隨盜物」に対応する条文の言葉及び条文解釈について,各律を整理する. 上記の広律には,パーリ律,『四分律』,「根本説一切有部律」では,「隨盜物」 に対応する言葉が条文にあり,条文解釈もある.しかも,三律の条文解釈はすべ て偸盗物の価値と解釈している.『摩訶僧 律』のような「八種物」の解釈は見 当たらない.つまり,「隨盜物」(yathārūpeṇādinnādānena)に関して,条文の訳語は 各広律で類似する.しかし,それに対応する条文解釈を見ると,『摩訶僧 律』 の解釈が他律とは異なっている. この二つのタイプの「隨盜物」の条文解釈について,どちらが古いかを考察す る.結論からいうと,『摩訶僧 律』の解釈の方が新しいと考えられる.それは 次の理由による.第1に『摩訶僧 律』条文解釈における「隨盜物」の解釈の位 置は不自然である. まず,『摩訶僧 律』の条文及び条文解釈の順序を取り上げる. 『摩訶僧 律』の条文 若比丘於聚落空地.不與取隨盜物.王或捉或殺或縛或擯出言.咄男子汝賊耶汝癡耶.比丘 如是不與取者.波羅夷不應共住.(T22, 244a) 条文解釈の解釈する順序 比丘者→聚落者→空地者→不與者→隨盜物者→取者→隨其所盜者→王者→王捉 者→殺者→縛者→擯出者→咄男子汝賊汝癡汝愚癡者→比丘如是者→波羅夷者 (T22, 244b)(下線及び波線は引用者より) 条文解釈では条文の語句が出てくる順序で解釈が進められていることがわか る.しかし,「隨盜物」の解釈の位置は特殊である.「取」の解釈の前に挟まれて, 「不與」→「隨盜物」→「取」という順序になっている.この順序は条文にある「不 與」→「取」→「隨盜物」の順序とは異なる.こうして見ると,『摩訶僧 律』の条
文解釈の順番は不自然であると考えられる.第2の理由として『摩訶僧 律』の 条文解釈には,他律のように盗物の価値に関する解釈が存在し,「隨盜物」より も「yathārūpeṇādinnādānena」の解釈に似ている. 実際に,『摩訶僧 律』の条文解釈では,パーリ律,『四分律』,「根本説一切有部 律」の「yathārūpeṇādinnādānena」の解釈と一致する解釈が存在する.上記した条文 解釈の順序の中の波線箇所にある「隨其所盜者」である.その内容は以下である. 『摩訶僧 律』の条文解釈 隨其所盜者.不如十六督監.盜取王家一枚小錢.買瓜食之爲王所殺.王無定法自隨其意. 或小盜便殺.或盜多不死.當如世尊問瓶沙王法.大王治國.盜齊幾錢至死.幾錢驅出幾錢 刑罰.瓶沙王答佛.十九錢爲一 利沙槃.一 利沙槃分爲四分.若取一分若取一分直.罪 應至死.今隨所盜義以此爲准.(T22, 244a) 〔訳〕「隨其所盜」とは,十六〔大国の〕11)のようではない.〔十六大国には〕ある人は王に 属する一枚の小銭を盗んで,瓜を買って,食べた.その後,王に殺された.王は定める規 定をもっていないので,自分の気持ちにしたがって,小さい金額の盗みによって(盗賊 を)殺すことがあり,或いは大きい金額の盗みによって(盗賊を)殺さないこともある. 〔瓶沙王のようになるべき.〕世尊は瓶沙王に法を問う.大王は国を治めるには,いくらの 銭を盗むと死罪になるのか.いくらの銭を盗むと追い出すのか.いくらの銭を盗むと刑罰 を下すのかと.瓶沙王は世尊に答え,十九銭は一 利沙槃である.一 利沙槃を四分に分 ける.もし一分を取るなら,或いは一分の価値のものを取るなら,罪は死罪に当たる. 今,「隨所盜」の意味はこれを基準としている. この内容は他律の対応する解釈と一致し,盗物の価値を語っている.さらに, 文中の位置から見ると,この「隨其所盜者」は「取」の解釈の後ろにあり,王の 解釈の前にあるので,条文の「隨盜物」の順序とも合致する.また,漢文として の意味から見ても,この「隨其所盜」の意味は条文に書かれている「隨盜物」と 変わらないと考えられる. 以上の二つの理由によって,『摩訶僧 律』条文「隨盜物」の解釈は,「四種類 の薬及び四種物」よりも,他律と合致するこの「隨其所盜」と解する方が相応し いと考えられる.したがって,『摩訶僧 律』に特有の「四種類の薬及び四種物」 という「隨盜物」の解釈は新しく作られ,挿入されたと考えられる. これに基づいて,『摩訶僧 律』の条文解釈の他の箇所にある「隨盜物」と関連 する記述も同じく,後で挿入された可能性を考えることができるのではなかろうか. 『摩訶僧 律』条文解釈の構成は四つの部分に分けることができる.(1)条文 語義解釈部分,(2)「隨盜物」の解釈部分,(3)「地・地中物」などの分類部分,(4)
「分斉」の分類部分である. (1)条文語義解釈部分では条文の「比丘」「聚落」「波羅夷」などの語が解釈さ れている.前に考察した「随盗物」の「八種物」の解釈はここに初出している. (2)「隨盜物」の解釈部分には「八種物」,すなわち「時藥・夜分藥・七日藥・ 盡壽藥・隨物・重物・不淨物・淨不淨物」のさらなる詳細が語られている12).前 述したように,(1)の「隨盜物」の解釈は新しく挿入されたと考えられる.した がってこの(2)も新しく挿入された可能性があると推察できる. (3)「地・地中物」などの分類部分には,盗物が16種類に分類され,それぞれ 詳細に解釈されている.「地・地中物・水・水中物・船・船中物・乘・乘中物・ 四足・四足上物・両足・両足上物・無足・無足上物・虚空・虚空中物」(T22, 245a)である.この分類は他律と似ている. (4)「分斉」の分類の部分では,①物分斉,②処分斉,③不定分斉,④垣牆分 斉,⑤籠分斉,⑥寄分斉,⑦雜分斉,⑧幡分斉,⑨相因分斉,⑩杙分斉,⑪園分 斉,⑫賊分斉,⑬税分斉(T22, 247c)という十三種類が解釈されている. 「分斉」という語の意味は明らかにされてはいないが,この部分の内容から判 断して,一つの盗物の分類方法を示していると考えられる.これも他の広律には 見当たらない.『摩訶僧 律』に特有な分類方法だと考えられる. 例えば,その冒頭にある①物分斉の内容は以下のようである. 物分齊者物有八種.何等八.一時藥.二夜分藥.三七日藥.四終身藥.五隨物.六重物. 七不淨物.八淨不淨物.是名物分齊.若比丘以盜心觸此諸物.得越比尼罪.若動彼物偸蘭 罪.若離本處滿者波羅夷.(T22, 248a) 〔訳〕物分斉とは,物が八種類ある.八種類は何か.一は時薬,二は夜分薬,三は七日薬, 四は終身薬,五は随物,六は重物,七は不浄物,八は浄不浄物である.これは物分斉であ る.もし比丘が窃盗の意図をもって分斉物に触れるなら越比尼罪になり,動かすなら偸蘭 遮罪になり,もし本処〔元々存在する場所〕から離して〔盗物の価値が一分或いは一分以 上の条件を〕満たすなら波羅夷罪になる. この物分斉は前にある(1)条文語義解釈部分の「随盗物」及び(2)「随盗物」 の「八種物」の説明部分と同じであるが,名称だけを繰り返し取り上げている. 「随盗物」の八種類物の説明は新しく挿入された可能性を前にすでに論じた. 従って,この(4)「分斉」部分にある「随盗物」の説明も新しく挿入された可能 性が出てくると考える.今後には,この可能性を詳しく検討する.
1)Vin III, 46. 2)T22, 573b. 3)T22, 573b. 4)T22, 6a. 5)T23, 4b. 6)PrMoSū. Sa<Simson>, 163. 7)T23, 637b. 8)PrMoSū. Mū, 14.
9)Derge. Ca. 58a4; Peking. Che. 51b6.
10)T23, 637b2–3. 蔵本は「ji tsam ma byin par blangs pas zhes bya ba ni ma sa ka lnga 'am | ma sa ka lnga las lhag pas so」である(Derge. Ca. 58a4; Peking. Che. 51b6–7).
11)『摩訶僧 律』巻一には,「十六大國」(T22, 227a28)という語があるので,ここの十六
督監は十六大国の意味であろう.
12)これら「八種物」の内容については,平川(1993, 235–237)に詳細に説明されている.
〈一次文献と略号〉
Derge = Derge Edition of the Tibetan Tripiṭaka. Barber, A. W., ed. The Tibetan Tripiṭaka Taipei
Edi-tion. Taipei: SMC Publishing, 1991.
Peking = Peking Edition of the Tibetan Tripiṭaka. Suzuki Daisetz T., ed. The Tibetan Tripiṭaka (Peking
Edition).Tokyo-Kyoto: Tibetan Tripiṭaka Reasearch Institute, 1955–1961.
PrMoSū. Lo = Tatia, Nathmal, ed. Prātimokṣasūtram of the Lokottaravādimahāsāṅghika School. Tibet-an STibet-anskrit Works Series 16. Patna: Kashi Prasad Jayaswal Research Institute, 1976.
PrMoSū. Mū = Banerjee, A. C., Two Buddhist Vinaya Texts in Sanskrit: Prātimokṣasūtra and
Bhikṣu-karmavākya. Calcutta: The World Press, 1977.
PrMoSū. Sa<Simson> = Simson, G. von, ed. Prātimokṣasūtra der Sarvāstivādins. Teil 2. Göttingen: Wandenhoeck & Ruprecht, 2000.
T =大正新脩大藏經.
Vin = Oldenberg, H., ed. The Vinaya Piṭakam. 5 vols. London: Pali Text Society, 1879–1883.
〈二次文献〉 佐々木閑 2000「Samantapāsādikāと律蔵―波羅夷第2条を中心にした考察(1)」『仏教研 究』29: 69–89. 平川彰 1993『二百五十戒の研究I』春秋社. 〈キーワード〉 律蔵,『摩訶僧 律』,偸盗戒,随盗物,分斉 (花園大学国際禅学研究所客員研究員)