オキナワンの暮らしと意識
著者 礒 ステファニー侑子
著者別名 ISO Yuuko STEPHANIE
その他のタイトル Okinawan Awareness Throughout Life
ページ 1‑168
発行年 2017‑03‑24
学位授与番号 32675甲第389号 学位授与年月日 2017‑03‑24
学位名 博士(学術)
学位授与機関 法政大学 (Hosei University)
URL http://doi.org/10.15002/00013924
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博士学位論文
論文内容の要旨および審査結果の要旨
氏名 礒 ステファニー 侑子 学位の種類 博士(学術)
学位記番号 第613号
学位授与の日付 2017年 3月24日
学位授与の要件 本学学位規則第5条第1項(1)該当者(甲) 論文審査委員 主査 人文科学研究科教授 田中 優子 副査 人文科学研究科教授 吉成 直樹 副査 国際文化研究科教授 今泉 裕美子 オキナワンの暮らしと意識
この論文の方法と意義
沖縄県出身者がハワイへ移住を開始したのは 1900 年のことである。本論文は、沖縄 出身者がハワイにおいて、すでに移住していた日本人との関係の中でいかなる「オキナ ワン」意識を培ったかを研究した論文である。
後から来た移住者であること、1879 年に琉球王国が琉球処分によって沖縄県になっ たこと、異国である琉球王国の生活習慣が日本人にとって異質なものであったことなど により、日本人は自らを優位な立場に置き、沖縄県人を差別した。さとうきびプランテ ーション・ピラミッドにおいて日本人がハワイ社会の下層に配置されると、オキナワン はさらにその中のマイノリティ集団として生きていく。オキナワン意識はその状況下で 醸成された。
しかしその経済的基盤は次第に変化していく。本論文はプランテーション崩壊後の養 豚業、クラブやフェスティバルなどの活動等など「時間や空間」を具体的にわけ、新た なコミュニティが形成されるまでの過程と、新たに構築されたであろうオキナワンの
「意識とかたち」(アイデンティティ)を、聞き取り調査の生きた素材を多く用いて考 察している。そして、時空の変化がどのようにオキナワン意識に作用し、意識が変容し ていくかを分析している。
本論文の方法の特徴は第一に、移民研究やその歴史文化研究では、ほとんどが日系人 の記録・記憶をもとにしたものであった中で、「オキナワン」にテーマを絞ったことで ある。第二に、日本語によるこの分野の先行文献が無い状況下で、多くの英語文献を使 い、オーラルヒストリーを含めたプランテーション研究や、ハワイにおける多様な民族 の研究を参照したことである。第三に、カハルウ(Kahaluu)、ココヘッド(Koko Head)
という二つの地域を具体的に取り上げ、聞き取り調査によってプランテーション後のオ
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キナワン意識の変化を、英語話者である当事者から聞きこんだことである。
以上のような方法によって、今まで明確には分からなかったハワイ・オキナワンの生 活と意識の歴史が、本論文では表に現れてきた。さらにそれが、日本の沖縄差別の歴史 と関わりがあり、沖縄戦とその結果にも関係することが明らかになった。さらにオキナ ワンというアイデンティティが、歴史の中で醸成されるだけでなく、それが変容しつつ も、消えることなく現代にまで持ち越され、祭や会合、芸能や音楽のかたちで後代に受 け渡されていくさまも、認識することができた。それが本研究の大きな意義である。
論文の目次 序章
第 1 章 ハワイの沖縄移民
第 1 節 オキナワンの労働の歴史 1-1 ハワイの「オキナワン」
1-2 さとうきびプランテーション 1-3 その他の労働:養豚を中心に 第 2 節 「オキナワン」の歴史
2-1 差別
2-2 沖縄の文化・イン・ハワイ
第 2 章 オアフ島のオキナワン・コミュニティ 第 1 節 ココヘッド
1-1 コミュニティ
1-2 オキナワン・コミュニティ 第 2 節 カハルウ
2-1 コミュニティ
2-2 オキナワン・コミュニティ
第 3 章 「オキナワ」の継承 第 1 節 はじまり
1-1 クラブの設立
1-2 ルーツを忘れないための仕組み 第 2 節 現在に至るまで
2-1 衰退と復活
2-2 オキナワンであることと共有すること
3 終章
引用・参考文献
資料(アンケート/インタビュー内容)
それぞれの章の要旨と評価
序章
・概要
まず、ハワイへの日本人移民とオキナワン移民の歴史を明らかにした。また、そのハ ワイ・オキナワンアイデンティティの、さとうきびプランテーションから現代に至るま での推移を、事例を紹介しながら述べた。
「意識とかたち」という言葉で表現したアイデンティティが、その要素を分解すると、
見た目、言葉、名前、文化、食べ物、音楽、住まい、血筋など、多様な要素でできてい ることに言及し、それらが相互に影響し合いながらひとつのアイデンティティを作り出 していることを、本論文の前提として述べている。またそこに、“Uchinanchu at heart”
という新しい要素が加わったことに言及した。「ウチナンチュ」とはオキナワンの別の 呼称だが、オキナワンは「オキナワン」を失くすことなく、新たに“Uchinanchu at heart”
という精神を表現することにより、沖縄県人・オキナワンとは関係のない者をも、その 仲間意識の中に取り入れた。そうすることによって、さまざまな出自の人々がウチナン チュのアイデンティティに近づけたという。
序章ではこのように、実際の歴史、アイデンティティの変遷の歴史を述べ、それを本 論で展開していくことを予告しつつ、先行研究評価に入っていく。序章および引用・参 考文献で見られるように、日本語文献とともに多くの英語文献、英語ウェブサイトを参 照しており、全体のなかでの英語文献使用率は約 40%に及ぶ。その理由がこの序章の
「先行文献」で理解できる。
しかし一方、目配りすべき日本語文献がまだまだ少なく、沖縄研究、ウチナンチュ研 究の広い視野でさらに最近の研究への目配りが必要と思われる。
序章ではさらに、全体の構成とその意味を述べ、読み進めるための手助けをしている。
・評価
本論文における序章は、なぜオキナワン研究が必要か、という意義を理解するために 重要な部分になっている。本論文の存在意義の第一は、オキナワンが「日本人」の中に 組み入れられない存在としてようやく注目を浴び、研究が進展してきているなかで、こ の分野をさらに推進し、実際の生活を対象にした具体的な論が必要となっている、とい う点である。
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長いあいだ研究上で日本人移民に組み入れられてきたのは、琉球国が日本国とは異な る独立国であったにもかかわらず、琉球処分(植民地化)以後、差別構造の中に位置づ けられてきたためであったろう。そのことは論文の最初に述べる必要があり、序章はそ の経過をハワイのさとうきびプランテーションの中における構造として述べた。すなわ ち、日本・沖縄関係はハワイにおいても、同じ関係として存在したことが、本論の前提 として明らかにされ、それが論文全体の基盤になった。
同時に、プランテーションで作られたオキナワン意識がずっと変わらなかったわけで はないことも、この序章で明らかにされている。そこにアイデンティティを「意識とか たち」と呼ぶ理由がある。コミュニティで作られたアイデンティティそのものは変わら ないが、その表現、その継承の機会、共有する範囲は変わっていくのである。このよう に、変わらないことと変わることを序章で整理したことが評価できる。最初にそれを述 べたことで、続く章では、歴史的な経緯に沿って、「意識とかたち」の問題を追ってい くことができる。
第1章 ハワイの沖縄移民
・概要
第 1 章では、オキナワンという意識の構築の過程を、労働や文化の歴史を通して論じ ている。1節目に入る前に、琉球王国、沖縄、日本、米国、そしてハワイの歴史を年表 にまとめている。そこでは、早い時期からオキナワンが「会」と「クラブ」を結成して おり、それがアイデンティティ形成の重要な部分になっていたことが見て取れる。
第1節では、沖縄処分による差別構造の実態を述べ、ハワイが米国になったこととあ いまって移住が始まった経緯を記述している。そしてハワイへ移住した沖縄系移民の歴 史を辿り、さとうきびプランテーションと養豚業を中心とした移民の暮らしを述べてい る。プランテーションはハワイ移民の歴史の初期の頃の主な職業で、養豚業は中期から 後期の職業である。養豚業が盛んに行われていた時期、アイデンティティとコミュニテ ィが相互に関わり合うようになった。そこで、この章ではプランテーションと養豚業を 比較している。しかし養豚業に関する資料は少ない。そこで、そのことについてはイン タビューを通して知り得た様子を記述している。
第 2 節ではオキナワンの歴史を差別と文化の 2 点からみた。オキナワンにとって文化 的に特別な意味を持つ養豚は、日本人にとっては不潔なものと認識された。「オキナワ ケンケン ブタ カウカウ」など差別表現は、そのような文化的な違いも原因だった。
プランテーション労働の時代が衰退していくと同時に、オキナワンも各地に移動し、カ ハルウ(Kahaluu)などの地域の中でもコミュニティが形成されていった。そこでオキ ナワンが一堂に集まり、沖縄の伝統行事、舞踊、音楽、沖縄の言葉が使われた。伝統は やがて、ハワイ・オアフ島にあった多様な文化と融合し合い、新しい沖縄の文化とかた ちを変え、守られ、今に受け継がれた。
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・評価
この章では、移民の歴史と経緯、ハワイにおける多様な民族の構成を詳述している。
そうすることによってハワイという土地の性格を目の前に浮かび上がらせており、その 背景の中にオキナワンの位置づけがなされた。
移民の労働現場における差別の実態は、このような多民族の状況のなかで見えてくる。
さとうきびプランテーションには白人、日系、中国系、ポルトガル系、プエルトリコ系、
フィリピン系、朝鮮系、ハワイ先住民など多様な民族の人々が働いており、日系という マイノリティの中でオキナワンは二重のマイノリティであった、という分析がされる。
そして、このようなプランテーション構造がオキナワンという意識の基盤を形成したこ とが述べられる。それは多民族社会で、アイデンティティ意識に何が起こるか、につい ての極めて具体的な指摘である。
また、養豚業という、プランテーションのあとに出現した仕事の現場が、日本人と沖 縄人にとっては正反対の意味をもったことが、その関係に深い影を落としていたことが わかる。単にイメージからくる差別でもなければ、汚い仕事を押しつけるという意味で もなく、まさに文化の違いが労働現場と密接につながり、そこに差別構造があれば容易 に差別につながるのである。しかし一方、養豚業が生活の安定をもたらしたことも書か れている。養豚業は世界的に、食糧供給の重要な職業として位置づけられており、今や 日本社会にとっても無くてはならないものになっている。養豚業が戦後の沖縄を助けた ことも述べられ、さまざまな観点から、養豚業はオキナワンのアイデンティティの重要 な要素であったことが理解できた。養豚業を単なる職業としてではなく、オキナワンの 生存の基盤として描き出したことを評価する。
第2章 オアフ島のオキナワン・コミュニティ
・概要
オアフ島の 2 つの地域に暮らしていた、あるいは暮らしているオキナワンの意識とか たちについて述べた章である。第 1 節では、ココヘッド(Koko Head)を、第 2 節では、
カハルウ(Kahaluu)を取り上げ、そこでのオキナワンの暮らしを、インタビューによ って詳細に分析した。
ココヘッドはオキナワンや日系人が多く住んでいた地域で、インタビューによってそ の地域像を示した。ココヘッドは養豚が盛んな地域でもあった。このような暮らしの中 でオキナワンはどのようにオキナワンという意識を形成していったのかを検証してい る。
カハルウについても、インタビューによって地域像を明らかにし、その暮らしの中か らどのようにオキナワンという意識が芽生え、かたちを変えていったのかを追求してい る。プランテーションを基盤としない新たな時代が始まった時、オキナワンは暮らしの 中で「オキナワン」というアイデンティティをどのように考え、何がその要素だと感じ、
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何を次世代に残そうとしたのか。この 2 つの地域の暮らしを通して、意識とかたちを探 っている。
・評価
ここでは、第一章で詳細にその歴史的変遷を述べてきた養豚業の実際を、個別の具体 例によって描き出すことに成功した。プランテーションと異なり、家族経営であった養 豚業では、その仕事の実際を描くことは家族を描くことでもある。家族を描くことはコ ミュニティを描くことになる。そこでこの章では、ココヘッド(Koko Head)とカハル ウ(Kahaluu)という2つの地域を、対象にしたのである。
かつての地図やデータが残っていない場合、どのように地図を起こし、近隣関係や実 際の暮らしを再現するか、困難な問題である。この章では地域の開発の歴史を調べ上げ、
それを前提にした上で、インタビューによって各家、池、道、養豚場の配置を再現した。
このような再現はきめ細かいインタビューでなければできないことで、オキナワンの生 活史にとって重要な資料として後に残るものである。
養豚業の実際も語られる。養豚は戦後の沖縄を支援し、沖縄とオキナワンの結びつき を強めることになった。沖縄にいる親族との関係も、このような家族史の中で知ること ができる。家族の移動、行き来、学校生活、食べ物、話し言葉、特に沖縄方言に接して いるかどうかなどを通して、彼らが自らをアメリカ人と認識しているのか、オキナワン と考えているのか、その個々の違いを通して、「なぜオキナワン・アイデンティティは 失われないのか」という問いに行き着く。
この章はインフォーマントからの情報によって地域をゼロから組み立てるという、極 めて挑戦的な章である。これをもとに、今後の分析はより深くより多様にできると考え られるが、資料的価値の高い仕事を成しえた。
第3章 「オキナワ」の継承
・概要
「オキナワ」はいかにして継承されてきたのか? 第 3 章は、第 2 章の最後の問い「な ぜオキナワン・アイデンティティは失われないのか」に答えようとした章である。
まず移民 1 世と 2 世の時代を中心に、彼らの「オキナワ」の継承の方法を述べている。
そのころは、第1章冒頭の年表にあるように、県人会をはじめ、町人会や村人会などが 数多く存在した。プランテーションや養豚業のコミュニティだけでなく、「会」が大き な役割を果たしていたことがわかる。この章ではクラブを網羅的に調べた。年々減少し、
規模も小さくなってきているとは言うものの、その数は現在、約 50 に達している。1951 年には Hawaii United Okinawa Association(HUOA)が結成され、それらのクラブをま とめているという。
次に 3 世と 4 世を中心としたオキナワンの意識とかたちを検証している。この頃のオ
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キナワンたちは、太平洋戦争も影響し、アメリカ人になろうとする意識が高まるのであ る。日系人であること、ましてオキナワンであることは二の次、あるいは否定すらして いた可能性もある。さらにハワイの「ローカル」(地元の人)という意識も育った。こ うした中でオキナワン・アイデンティティが今もなお受け継がれている主要な理由は、
クラブやオキナワン・フェスティバルなどの仕掛けにあることが、浮かび上がってくる。
また 4 世が出現すると、彼らを中心にオキナワン・アイデンティティの復活がみられ る。そこから“Uchinanchu at heart”という新たな意識が現れた。HUOA 主催のオキナ ワン・フェスティバルを中心に、沖縄の出自ではない人々が“Uchinanchu at heart”
の中に入ってきている。オキナワン・フェスティバルは、ハワイ・オアフ島で毎年開催 されるイベントで、沖縄を思い起こさせる食べ物が出身地(沖縄の出身地)毎のテント で作られ販売され、舞台では琉球舞踊や琉球・沖縄音楽などが披露される。
・評価
本章では、2014 年 8 月に、ハワイ・オアフ島でおこなったアンケート調査の結果を 使っている。If any of your ancestors are from Okinawa, how do you see yourself?
という質問に答えてもらい、それをそのほかの質問への回答と組み合わせて分析した。
1930 年代、40 年代生まれの、戦争を経験した人が多い。この世代は日系への弾圧から、
自らをアメリカ人と認識しがちな世代だという。しかし、アメリカ人の意識だけでなく オキナワンの意識をもち、フェスティバルに参加し、沖縄にも行っている。戦後社会に まで持ち越されてきたこのオキナワン意識を、実際の調査やインタビューによって明ら かにしたことは、評価に値する。
さらにオキナワン・フェスティバルの位置づけである。フェスティバルでは、三線や 琉球舞踊、琉球太鼓、エイサーなど、様々な芸能活動が盛んに行われている。沖縄で 5 年に 1 回開催されている「世界のウチナーンチュ大会」にも、深い誇りと共属意識が見 られ、大会を通してアイデンティティを確認する場となっている。すでに多くの人々が 日本語を話せなくなっている現状で、それでもオキナワン意識が保たれているのは、フ ェスティバルや大会などの催し物、そこで伝承されるエイサーや三線などの芸能の働き ではないかと、洞察している。
言語とアイデンティティの関係は言及されることがあるが、芸能や祭とアイデンティ ティの関係は、従来、あまり考えられてきていない。特に、結束や仲間意識の結果とし ての祭ではなく、芸能や祭を意識的な仕組みとして位置づける仮説は、従来なかった視 点として評価できる。エイサーの変容も、そこから説明可能である。しかしながらその 仮説は、今後より多様な事例によって証明される必要があるだろう。
終章
・概要
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本章は全体のまとめの章として、1~3章を振り返りながら、ハワイ・オアフ島のオ キナワンのアイデンティティ、つまり意識とかたちがどのような要素によって形成され、
かたちを変え継承され今にいたるのか、その経緯と意味を、改めて明示している。
・評価
全体のまとめである終章のキーワードは、「選択するアイデンティティ」であろう。
1世、2世、3世、4世と、世代が変化するごとにアイデンティティのありかたは変わ っていく。祖先に沖縄出身者がいるオキナワンは、自分がオキナワンであることを明か すかどうか、その時々によって選択していることを指摘し、オキナワンではない者たち には、何らかのかたちで自らをオキナワンであることを望むという意識が働くことも指 摘した。そこには、現代が「選択するアイデンティティ」の時代であることが浮かび上 がってくる。
ハワイのオキナワンは、民族的違いから生まれた差別意識が存在する環境の中で現実 の共同体を生きたが、次第にそれが記憶の共有となり、やがて「血」という幻想の共同 意識を生み出し、家族やオキナワン・フェスティバルのような祭りがその触媒になりつ つ、共同幻想を誇りあるものに転換しながら、それを「他者」へと拡大していった、と 述べている。
この終章ではオキナワンの意識の変化をたどることによって、意識とかたち(アイデ ンティティ)がどのような経緯をたどるかを。普遍的な課題として明らかにしたことを 評価できる。
論文全体の評価と審査結果
冒頭の「この論文の方法と意義」で述べたように、本論文の方法の特徴は「オキナワ ンにテーマを絞ったこと」「多くの英語文献を使って補ったこと」「二つの具体的な地域 を取り上げ、聞き取りによって共同体を再構成したこと」である。
本論文全体は、聞き取り調査が重要な位置を占めている。数回にわたって現地に赴き、
インタビューを行っている。それぞれが育った当時の様子を訊ね、オキナワンというア イデンティティに対する考えを聞き取っていった。インタビューは全て英語である。イ ンタビュー内容は英語と日本語で記載している。英語、日本語、沖縄方言、ハワイ語、
様々な言葉を織り交ぜながら話すピジン・イングリッシュも、アイデンティティの形成 と関連しているとの判断から、記載している。
以上の方法によって作成された本論文の評価は、第一に、資料の少なさから今まで充 分に行われてこなかったオキナワンの研究を、英語文献と現地でのインタビューによっ て成しえたことである。そこにはインフォーマントとの信頼関係、ピジン・イングリッ シュの混じった会話を成立させる力量が必要で、論文執筆者はそれらを備えている。
第二に、沖縄研究の多面性を指摘し得たことである。日本と沖縄、本土日本人とウチ
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ナンチュという対立軸で捉えられがちな問題に、米国との関係、ハワイ島における多様 な民族との関係という軸を置くことで、アイデンティティが地理的な範囲を超え、文化 的な共有として浮かび上がってきた。その結果、沖縄の芸能や文化の研究が、そちらに 向かってはみ出すべきテーマとして浮上してきた。沖縄研究に多面性を与えたと評価で きる。
第三に、民族アイデンティティを「意識とかたち」と呼ぶことによって、それを個人 の心理の問題ではなく、空間では地球規模、時間では長い歴史的規模で「変化」「継承」
する事柄として、実例をもって捉え得たことである。アイデンティティはその表現、継 承の機会、共有する範囲が変わっていくのであり、そこにはコミュニティが意図する人 為的な仕掛けさえ、働いていることを認識し、叙述した。
問題点としては、先行研究の紹介において、日本語文献に関する充分な整理がなされ ていないことである。要点となるアイデンティティやコミュニティ分析として、岡野宣 勝氏、島田法子氏、白水繁彦氏の分析が多用されている。それらをどう批判的に継承す るかが明示されてこそ、本論文のオリジナリティーが明確になる。また、本研究はより 広い視野で沖縄県史全体をふまえるべきで、その点では 2011 年に刊行された『沖縄県 史』(各論編 5 近代)いわゆる新県史が役に立つはずである。今後はこの問題点を踏 まえ、文献研究の点でも考えを整理し、批評的観点をもち、広い範囲で臨んで欲しい。
以上の問題点はあるが、本研究のテーマは、オキナワンの研究であるとともに、民族 意識やコミュニティのアイデンティティが何によって強められ、いかにして受け渡され るのか、その普遍的な研究にもつながっている。その意味で、オキナワンを超えて、ダ イバーシティ、差別、マイノリティの研究に開かれていく可能性をもっている。
以上の理由により、礒ステファニー侑子『オキナワンの暮らしと意識』は、博士号授 与に充分に値すると判断するものである。