物質と精神の統合のヴィジョン:John UpdikeのS.
試論
著者 柏原 和子
雑誌名 主流
号 57
ページ 33‑50
発行年 1996‑02‑25
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015122
物質と精神の統合のヴィジョン:
John Updikeの
S .
試論1柏 原 和 子 I
33
ぷ(1988)はHawthorneのTheScarlet Letterを下敷きに書かれた書簡体小 説で, A Month of Sundays (1975), Roger's Version (1986)と共に Updikeの
『緋文字j三部作と呼ばれる.A Month of Sundaysを書いた時にUpdikeに 三部作の構想、があったかどうかは不明であるが, Roger'sVersionを書き上げ た後,その第一版の SpecialMessage,,の中で Igave DimmesdaleS ver・
sion, ... in A Month of Sundays over ten years ago, and should no doubt some day try to confront Hesters verion. と述べてその意図を明らかにし ている
Y
さらにUpdikeは, Hawthorneについて次のような見解を示して いる.Hawthorne, indeed, of our classic writers, seems to be, recessive and shadowy as he was, the one instinctive heterosexual which suggests how uncertain, how vitiated by Puritan un巴aseand the love of free‑ dom, the mating part of the American character is. (Special Mas‑
sage,'858)
一貫して現代アメリカの男女関係を中心テーマの一つに据えてきたUpdike が,上のような評価をしている Hawthorneに興味を持つのは当然で、あり,『緋 文字j三部作を著した理由の一端が窺われる.
またUpdikeはそのエッセイ HawthorneSCreed,,の中でHawthorneの
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肉体と精神,あるいは物質と精神の問題を論じ,次のように述べる.
From Christianity Hawthorne accepted the dualism, and made it more radical still. Orthodox doctrine bridges matter and spirit with a scandalous Incarrtation, Jesus Christ. In Hawthorne, matter verges upon being evil; virtue, upon being insubstantial. ... The novel in its smallest details convey Hawthornes instinctive tenet that matter and spirit are inevitably at war. 3
すなわちHowthorneにおいては,肉体と精神,物質と精神は必然的に対立 するものであり,これらの調和の不在こそがHawthorneの信仰と作品の核 にある,とUpdikeは考える.4さらにUpdikeは, Theaxis of Earth‑flesh‑ blood versus Heaven‑mind‑spirit with a little rotation becomes that of the world versus the self. 5と続け, Hawthorneにおける世界と自己も対立す ることにも論を広げている.
Updikeが『緋文字j三部作でおこなうのは,このHowthornescreedに 否を唱えることである.彼はHawthorneの世界で完全に分離する,肉体あ るいは物質と精神は,統合できるとし,その統合のヴィジョンを示したのが 彼の『緋丈字』三部作だと言える.三部作の中でこれが最も単純な形で表さ れているのがSであり,この二項対立はヒロイン Sarahの二面性として端 的に表される.この論の目的は
s .
のヒロイン SarahWorthの二面性を,Hester Prynneのそれと比較して分析することにより, Updikeが示そうと しているこ面性の統合のヴィジョンを明らかにすることである.
I l
本来Updikeの小説世界においては,肉体的快楽と精神的救済は対立する ものではない.Donald
J .
Gr巴inerが言うように,6Updikeの主人公たちに とってセックスは自己を確認する手段であり,彼らは自分が尚,生きている物質と精神の統合のヴイジョン 35 事を確認するサインとして不倫や離婚をする.A Month of SundaysのMar‑
shfieldは「この世界よりももっと高揚した世界j7を求めて姦通に走る.日 常の世界は牢獄であり,閉じこめられた恐慌状態=死を意味する.Roger's
VersionのRogerLambertも姪のVernaとの近親相姦にも罪の意識は感じて いないし,妻の不倫を実際,日の前で見ているかのように思い描く.妻との 日常の営みの中のみで生きる事には死の匂いを嘆ぎつけ,そこから逃れるた めに開けた風穴が自らの不倫であり,妻の不倫をお膳立てすることなのであ る.MarshfieldやRogerにとってセックスは「唯一残された emergent religionJ8なのである.同じ事は『ウサギJ四部作のRabbitやMarryMeの Jerry Conantにもあてはまる.このようにUpdikeの小説世界では,肉体と 精神,セックスと宗教は統合され得るものであるがγ 物質と精神,すなわち 物質主義的世俗界と永遠の真実につながる精神界とは対立する.前者のプ ルーフロック的時間に支配された空間ではUpdikeの主人公たちは息苦しさ を覚え,自分が自分になれる場所を求めて日常性から逃げだそうとするので ある.
ぷにおいて肉体と精神の一致は言うまでもない事であり,それを端的に 表すためにUpdikeはAshramArhatの教義にこれを盛り込んでいる.9今ま での作品で描かれてきた肉体と精神の一致がここでは宗教の教義として究極 の目的とされている.クンダリーニという,人の脊椎基底部に眠る胎内エネ ルギーをハタ・ヨーガの技法によって目覚めさせ,頭頂にあるシヴァ神の住 処であるサハスラーラ・チャクラまで導いて結合させ,膜想、の成就を得ると
いうタントラ仏教の秘義を教義の中に取り込み,セックスによって得られる 性的絶頂感を自己の解放と同一視するのである.10よってここでは肉体的快 楽は何の不都合もなく精神的救済と一致する.そしてさらに物質対精神の対 立までも SにおいてはSarahの中に統合されようとし,これがSarahの二 面性となって表れる.以下Hesterとの比較により Sarahの二面性の特質を 考察する.
36 物質と精神の統合のヴィジョン
『緋文字jのHesterはDimmesdaleを愛したが故に,ピューリタン社会 の枠組みの中では生きて行けなくなった.Hesterにとって自己に忠実な生 き方とはDimmesdaleへの愛に生きる生き方である.禁固の刑終了後,あ えて自分を恥の象徴と見なす土地に留まる事を選んだのはそこがDimmes‑
daleのいる場所であったからだ、った.11彼女が属する社会の社会規範に相反 するDimmesdaleへの愛を公にする訳にはいかず, Hesterは恋人の名を胸 に秘め,社会に受け入れられるためにひたすら償いの苦行の日々を送るが,
これが彼女の真実の姿でなく Hesterの「自由な思索者
J
としての本質が変 わっていない事は森の場面での彼女の言葉を見れば明らかである.ピューリ タンの牧師として「神にあてがわれた土地jで自分のつとめを果たす事しか できないと言う Dimmesdaleに, Hesterは次のように言う.... The future is yet full of trial and success. There is happiness to be enjoyed! There is good to be done! Exchange this false life of thine for a true one .... Preach! Write! Act! Do anything, save to lie down and die! Give up this name of Arthur Dimmesdale, and make thyself another, and a high one, such as thou canst wear without fear or shame. Why shouldst thou tarry so much as one other day in the torments that have so gnawed into thy life!ーthathave made thee fee‑ ble to will and to do! ‑ that will leave thee powerless even to repent! Up, and away!(The Scarlet Let.前,135)
ピューリタン社会での自らの罪の悔悟と苦行に生きる道を拒否するようにと Dimmesdaleに勧める Hesterにとっては,肉体,精神を含めてDimmesdale との愛に生きる事こそ真実の生なのである.しかし,このような生き方が現 実のピューリタン社会ではどのような意味を持つかは, Hesterの提案を受 け入れたDimmesdaleが森からの帰路で襲われる様々な想念によって表さ れる.Hesterのような自己の情熱や感情に忠実な生き方は,ピューリタン
物質と精神の統合のヴィジョン 37 社会では悪魔の誘惑に堕ちた邪悪な生き方なのである.Hesterはこのよう に自己に忠実な生き方と社会規範に沿った生き方の相克に苦悩しながらも両 者とも捨てられず,二つの生き方を二面性として抱えて生きている.
Hester同様,ぷのSarahも自己の内に二面性を抱えている.様々な矛盾 を抱える Sarahであるが,その内,最も際だ、っているのは,物質対精神の 対比に関わるものである.Sarahはマサチューセッツで医者の妻として物質 的に恵まれた生活を送っていたが,暇つぶしに通っていたヨガ教室で仏教に ついて学び,インド人の導師ShriArhat Mindadali率いる AshramArhat
という宗教コミューンの事を知る.一人娘のPearlはオクスフォードに留学 中で,広い家でただ一人,自分には無関心な夫Charlesの帰りを待つだけの 生活は幻想のような偽物であると悟ったSarahは,新しい自己を探すため に家出し, AshramArhatへと向かう.
作品の皮切りとなる最初の手紙は,このAshramArhatへ向かう飛行機の 中でCharlesに宛てて書かれたものであるが,この手紙の中にもう既に Sarahの二面性が読み取れる.Sarahは非常に物質的執着の強い女性として 描かれるが,家出した直後に夫に対して先ず言うのは,日常生活に関する細々 した指示と,二人の共同財産を自分に都合のいいように処分した事について の正当化で,最初の手紙の内容の約半分がこの二つのトピックで占められて いる.またSarahはこの手紙の中で,自分自身の物質主義的な側面を自覚
している事を明らかにしている.
And unlike, say, Midge and Ann Turner and even Liz Bellingham, I was never really satirical about our material advantages, the socio句 economic side of it all. Our comfort did not embarrass me.
Why do Americans always think they should feel guilty about their things? I loved our things. Things are what we strive for, what all the waves in the air tell us to strive for ‑ things are the stuff of our
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dreams and then like Eve and Adam digesting th巴applewe must feel so guilty. I didnt, I dont think. 12
Sarahは同じように裕福に暮らしている友人たちが感じているような所有物 に対する荻しさを感じていないどころか,物質こそ人生の目的であり愛すべ きものという認識を持っている.一方,家出の動機については次のように言
つ
.
Perhaps it was your fault. Leaving me alone so much amid our piledべ1ptreasures, you gave m巴timeto sense that my life was illu‑ sion, maya [cosmic illusion, dependent upon ignorance]. Midges yoga group, that I joined just for the exercises and something to do, gave me a vocabulary. My spirit, a little motionless fleck of eternal un‑ changing purusha (eternal comic spirit], was invited to grow impatient with prakriti [matter]‑all that brightness, all that flow. (ム11) すなわちSarahは自分の家出は,仏教の教義に従って物質的執着を排し,
自己の精神を解放するためであると説明しているのである.また4月24日付 けの母親宛ての手紙の中でSarahはAshramArhatのことを次のように説明
している.
In fact it is like that, back to school; but school where my real inner‑ most self, my atman [the Self], will be taught to free itself from maya and karma [the moral accumulation of actions in one life which deter‑ mine ones fate in the next], from all the trappings of prakriti. Trapped among trappings ‑ isnt that what we all are? Women, especially. (ム
23)
しかしながらそれに続く母親へのアドバイスは財産保全のための忠告と,健
物質と精神の統合のヴィジョン 39 康のためにビタミン Aを取れという肉体保全のための助言ばかりである.ま
さに彼女が物質というものをいかに重要視しているかが窺われる.
Ashram ArhatでのSarahは,自我の超越,自己の精神の解放のための修 行をしている模様で,ニューイングランドのヨガ教室の友人たちにそれにつ いて書き送っているが,一方でAshramでの会計係としての地位を利用して 大金を横領してはスイスやパハマの銀行の秘密口座に送金している.また家 出した後もニューイングランドの家に非常な執着を示し, Charlesへの手紙 には庭の手入れについての細かな指示が繰り返される.Charlesに顧みられ ない事からくる存在不安を仏教の教義の実践により解消しようとする精神的 なものに対する希求と,強い物質的執着とが, Sharahの中で共存している.
この物質対精神の矛盾はSarahが精神的救済を求めて飛び込んで行った Ashram Arhatの運営にも見られる.物質を捨てて自己の精神を解放する事 を目的とする Ashramなのに,非常に物質主義的な面を併せ持っている.
Ashramの内部には, VarunaEmporiumと呼ばれる百貨店のような店があ り,全世界に向けてカタログ販売もおこなっている.Arhatの説教のカセッ トテープやピデオテープ,さらにはArhatの顔をプリントしたTシャツや マグカップまで通信販売で買えるようになっている.またArhat自身がコ ミューンの財政のために金儲けの方法を考えている.Arhatの前で幹部の女 性たちがコミューンの運営について話している時, Arhatは次のように言う.
We per加1り'Sneed another scandal to increase the sale of T‑shirts. Always in America there is the daηger of being forgotten. Fashion moves with a shameless司peed(S., 125)
物質的執着を捨てて解脱を遂げた宗教指導者の口から,まるで経営コンサル タントのような言葉が飛び出すのにも関わらず,その場の教団幹部たちは驚 く様子もない.Ashramは入会する信者に対しては,私有財産を教団に預け れば退会する時には大幅に増えて戻って来るだろうと言いながら,実際に退
40 物質と精神の統合のヴイジョン
会する信者に対しては,手jl殖が目的で教団に財産を預けたのではないはずだ という理由の下に金利どころか元本さえも返そうとはしない.リンカーン自 動車の代理店から請求されているリムジンの代金も,会計係が交代したため
目下のところ調査中と言って踏み倒そうとする.このように物質的執着を排 する修行をする場であるはずのAshram自体が物質主義に彩られているので ある.UpdikeはSarahを物質的執着と精神的救済への希求が同居する人物 として描き,さらにAshramArh討を同様に,物質対精神の二面性の矛盾を 抱えた場として設定する事により,物質と精神の共存の場を描いてみせる,
しかし,ここではまだSarahが二面性を抱えながらその矛盾に気づいてい ないため滑稽味を醸し出すばかりで,二者の統合のヴィジョンには至らない.
Hesterと違い, Sarahは二面性の矛盾に気づかず,そのために苦悩する 事はない.Hesterの状況にあてはめるならばSarahの場合は,自己に忠実 な生き方は精神の解放を追求する生き方であり,社会規範に沿った生き方と は物質的資本主義社会の中で社会的役割を果たすために自己を殺して生き る,自己の存在価値が見いだせない生き方となろう.しかしながらSarah はAshramへ来る前,ニューイングランドで医師の妻としての日常の義務を 呆たす事を楽しんでおり,海の見える豪華な家や庭の管理や着飾ってパー ティーに出る事を喜々としておこなっている.自分の存在価値が見いだせな いと思ったのは,物質主義的社会自体が問題なのではなく, Charlesの自分 への無関心に気づいたからであった.Sarahにとって世界と自己は, Hester のように対立するものではない.裏返すと Sarahの自己存在意識は夫 Charlesによってもたらされていただけであり, Charlesの無関心によって 生じた心の不安を埋める何かが欲しかったのである.Ashramへ行ったのは Charlesの代わりを Arhatに求めただけであり,「物質を排し精神の平安を 求める
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というのは口実にすぎない.Sarahは物質も精神も共に手に入れた いのである.物質と精神の統合のヴィジョン 41
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Sarahが自身の二面性を認識するのは,小説も終盤近くなってからである.
それはまずArhatの二面性に気づく事から始まる.移民法違反で主だった 幹部信者たちが次々に国外追放される中,インド人のArhatだけは逮捕さ れる気配がない.これを不思議に思ったSarahはAshramでのレズピアン の恋人Alingaにこのことを尋ねる.Alingaの答はSarahを驚
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号させるに十 分なものであった.Arhatはインド人ではなく本名をArtSteinmetzという マサチューセッツの貧民街であるウォータータウン出身のユダヤ系アメリカ 人であり,インドでヨガの修行をしたのは事実であるものの,それ以前はノー スイースタン大学で販売技術と経営管理を専攻していたというのである.Alingaは TheArhat either opened us up and got rid of our ego garbage or he didnt, and if he did ... who cares about race or place of national origin?は,212)と言い,そして確かにSarahは彼が自分の精神を解放して
くれたと思っており,頭ではAlingaの言う事も理解できるものの,欺かれ たという想、いは消えない,
SarahがArhatの二面性を知って,それ程までにショックを受けたのには こつの理由がある.まず自分が解脱を遂げたという確信が崩壊してしまった 事が挙げられる.『緋文字jの中でHesterとDimmesdaleの姦通は互いの性 愛に基づいたものであり, Hesterはそこに聖なるものを感じている.これ に対し, SarahとArhatの関係は,この『緋文字』のカップルとは似ていて 非なるものである.Arhat はAshramnameとしてSarahにクンダリーニと いう性的エネルギーの名を与えた事でSarahを性的対象と見ていた事が分 かるが,Sarahの方はArhatを通常の意味での恋人と捉えていた訳ではない.
初めてArhatと二人きりになり彼に誘惑されそうになった後, Sarahは親友 のMidgeに声の手紙として送るテ}プの中でArhatのことは宗教的指導者 として崇拝し,友人を愛するように愛しているだけであり,恋愛感情や性的
42 物質と精神の統合のヴィジョン 魅力を感じているわけではない事を明らかにしている.
したがってその後,実際にArhatがSarahの部屋を訪れ,性的解脱の教 義を説きながら,その手段である性的結合を実践した時も, Sarahは性的に は満足したものの,あくまで教義の実践の一つのステージという捉え方しか していない.Hester同様SarahもArhatとの姦通に聖なるものを感じては いたが,それはH巳sterと同じ意味においてではない.Sarahはタントラ仏 教の教義を実践する手段として姦通を認識しており,性的な絶頂!惑を一種の 解脱の瞬間として捉え,宗教行為としてこれを聖なるものだと感じていたの である.自分の解脱の手段として愛しでもいないArh.atとの姦通を受け入 れてきたが,そのArhatが実は唯の人であったとすると,その姦通は宗教 行為ではなくなり,自分は全く解放されてもいないし,宗教的な神秘を体験 したのでもないことになる.Ashramで目的を遂げたこと自体が幻想と化し てしまったのである.
もう一つのショックの原因はSarahが自分が未だ持ち続けている偏見に 気づいたことである.Sarahのショックを大きくしたのはArhatの出身地が ウォータータウンという貧民街であることであった.Sarahは自分が若い頃,
ユダヤ人の恋人との結婚を反対した両親と同じく,自分も俗っぽい偏見を身 につけていることを発見し, Ashramでの修行でそういうものはすべて排除 してしまったはずなのに, 7ヵ月経った今でもまだそれを身につけたままで あることを目の当たりにして,自分のAshramでの修行は無に等しいもので はなかったかと思い惑う.11月22日付けの母親への手紙には,これらSarah の胸の内の動揺が混乱のうちに描かれている.Arhatの二面性を知ったため に,自分自身の宗教体験まで危うくなってしまったSarahは, Arhatと対決 し,彼の本性を見極めることによって自身の混乱を収拾し,生き方の突破口 を開こうとする.Sarahは後々の証拠とするためにテープレコーダーを衣服 の中に隠して一人Arhatの部屋へ乗り込む.Arhatの正体を知っていること を明らかにし「インドの聖者なのか,それともウォータータウン出身のユ
物質と精神の統合のヴィジョン 43 ダヤ系アメリカ人なのか,どちらが本当なのか」と問し、質すが, Arhatは
Wherein is the contradiction? Why刷 ynot a holy man come from Watertown?
Why may刀otthe living path begin there?" (S., 218)と答える.そして悟りを開 いた聖者なのに現実に恐れや不安を感じるのはおかしいと言う Sarahに,
'Beiπg a jivan‑muktaβhe living liberated}, )口u're still a persoπ. You're like the potter '.5wheel that keeps turning, though the pot is finished(丘、228)と答える.
すなわち Arhatは自身の三面性を矛盾とは感じていないのである.これが 理解できないSarahはArhatの正体の追求、から教義への疑問へと質問を移 す.Arhatが説く彼の教義とは次のようなものである.13人跨は根本原質の 中に捉えられた小さな純粋精神であり,苦の中で迷い,疎外されている.こ こから救われるためには,まず根本原質そのものを認識しなければならない.
人々は純粋精神を煩悩や知と混同したがるがヲこれらは根本原質の最も複雑 な顕現にすぎない.つまり精神が物賀に捉われていることを認識しなければ,
精神の解放はない9 とArhatは教える。次に担架についてSarahはこれは 死とどう違うのかと尋ねる.浬繋とは仏教では煩悩の火を焼き尽くし究極的 に活ること,最後の智恵を完成すること,仏となることを意味し,仏教が最 終的に目指す境地であるが, S品rahはこれと死の区別がつかないと言うので ある.しかし,この質問はArhatに子供の頃,不仲の両親がホロコースト を持ち出して喧嘩していたことを思い出させ,彼を恐がらせてしまい,返答 は得られない.SarahはここでArhatはすべてを個人的な事に還元してしま い,投に立たないと見限ってしまうが, Arhatの方はSarahの本質を的確に 見抜いている.すなわち Sarahはまだエゴを脱却していないし,名前など という二次的な差異にこだわり本質を見ていないと告げるのである.しかし,
これら一連のArhatの教義問答は,仏教用語を駆使した, Sarahを誘惑する ための読弁とも受け取れるため,これがSarahを激怒させ最後にはArhat のことを「嘘つき,偽者。」とののしることになる.
なぜArhatが自身の二面性を矛盾と感じなし寸、を説明する鍵は,彼が
44 物質と精神の統合のヴイジョン
Sarahに話す「生い立ちの記」の中にある.この中でArhatが言うには,自 分は幼い頃から自分の中には「小さな神」が居るとず、っと感じており,学生 時代ウパニシャツドを読んだ時,それが何であるか分かった. TheSujうreme Person, of the size of a thumb, the innermost Self, dwells forever in the heart of all beings.(S., 221)という詩の一節に表されたものこそ,自分が抱えている
「小さな神」の正体なのだと分かった,と言うのである.14この「小さな神」
が自分の本質なのであるから,ウォータータウンのユダヤ系アメリカ人だと か自分の教義を人々に教える聖者であるというのは,各々,本質の周りに付 着した二次的な要素にすぎない巴両方とも彼の別の側面であり,全部を含め て彼という人聞があるわけである. したがってS丘rahの質問を彼は all>:仰 T
questions ‑ they are optical illusions of the mind. They disappear in the right light.(S., 228)と見なす.Sarahにはこれが理解できず\結局Ashramを去 る事になる.
百
Sarahは会計係の地位を利用して横領した大金を持ってパハマ諸島へ行 き,そこでArhatとCharlesに最後の手紙を書く.記載のJll貢序とは逆に,手 紙の日付は Charlesへの手紙の方が先になっている.このCharlesへの手紙 は数日間にわたって3回に分けて書かれており, Sarahの心境の変化が明確 に描かれている.まず' 12月13日に書かれた部分は, S丘rahの知らない内に運 ばれた Charlesと親友の Midgeとの再婚計画に対する嫌悪に始まり,
Midgeの悪口を書き連ね,自分たちの家は絶対に譲らないという事など,
煩悩に絡め取られ混乱しているSarahの姿が見られる. Calmernow. で始 まる2日後の部分は, Charlesを破滅から救うため離婚には同意しないと決 意した事を明らかにした後,宗教書を引用して自分が今,静穏な精神状態に 居ることを述べている。そして昔,二人で、行った旅行の楽しい思い出を長々 と書き綴り, Charlesへの執着を示す。 12月18白に書かれたと思われる最後
物質と精神の統合のヴイジョン 45 の部分では, Sarahはより一層落ち着いた精神状態になっており,次のよう に述べる.
Charles, I cant express how serene and benign I feel about you and me. Parting is an illusion. Loss is an illusion, just as is gain. We shed our skins but something naked and white and amara slithers out and is always the same. I think I eventually will go to Holland and help Pearl bear our grandchild. (S., 262)
ここでやっと SarahはArhatの言っていたことが理解できたのである.別 離や喪失は自分の本質を変えるものではない.蛇が脱皮するように脱ぎ捨て ることができるものなのだ。脱ぎ捨てられないもの, somethingnaked and white and amara [immortal] は変わることのない自分の本質なのだ.これに 気づいたSarahは心から静穏な状態になることができ,あれ程反対してい たPearlの出産の手伝いをしに行くという心境になった.さらにSarahは 次のように続ける.
Do remember and remind the despicable Gilman that whether or not this divorce goes through is to me a matter of utter indifference. Hav‑ ing known the Arhats divine love I am not in the market (unlike needy old you) for any further attachments. I need to be still and feel now I have acquired the means to be still. (S., 262‑63)
Sarahはようやく庇護してくれる者がいなくとも,心の平安を得られる術を 見いだ、したのである.
Arhatへの手紙は12月19日の日付があることから,上のような心境に達し た後に書いたものであることが分かる.この手紙の中でSarahはAshram での自分の宗教体験の総括をおこなっている.まず自分はどうしても煩悩を 追い払うことができなかったと告白した後,次のように語る.
46 物質と精神の統合のヴイジョン
For what is life, this illusion which we live and wish to sustain、but this very same skin of fluctuating awareness, of unsteady and no doubt unworthy nibbles and glimmer and halted thoughts and half‑ sensations? lsnt this, this thin impalpable skin of color and flicker, this and only this the ecstacy of existence that we wish to prolong forever, to prolong beyond that palya after which even the shining protons of the diamond‑strewn Buddha Field fall into decay? (S., 250‑51)
ここにはSarahの人生観が表されている.仏教の最終目的は世俗的,物質 的なものに対する執着を排し,精神的に絶対の平安を得ることであるが,
Sarahはむしろ,そういうものに執着し,煩悩を持つことこそが人生である と見ており,仏教の解脱は自分の求める方法ではないとの認識を示す.そし てArhatについてはこの数週間考えた結果, Arhatは彼なりの方法で二面性 を統合し調和させていると思うようになったこと,そしてそれこそが自分が 未だに求めているものだということを伝えている.
この最後の二通の手紙は, Arhatが現実の物質主義的な社会に適応するよ うな生き方と,永遠の真理を追求する生き方を統合し調和させているように,
Sarahも自分自身の物質対精神の二面性を統合するような生き方こそが,自 分の求める道であると認識したことを示しているように思われる.物質主義 的な日常世界というのはUpdikeの男性主人公たちがしばしば閉塞感を感 じ,そこから逃げ出そうとする場であるが, Sarahの場合,そこが好きでむ しろ捨てたくない場所である.したがってマサチューセ、yツでの結婚生活に おいても Charlesの関心が自分に向いている間は何の不満もなかったはず で,夫に頼ることで心の平安を得ていたSarahであった.それが夫の無関 心により,存在不安を感じるようになり,代わりに頼る相手としてArhat
を選んだのである.Arhatの教えによれば, Sarahは解脱を得たはずで、あり,
物質と精神の統合のヴイジョン 47 Sarah自身,一時は目的を遂げたと言ってはいるが, Sarahの心の平安は Ar hatにより与えられたものであり,庇護者としてのArhatに依存すること によって不安から逃れていただけである.この意味ではSarahはマサチュー セッツでCharlesの庇護の下にいた時と全く変わっていなかったのである.
今, SarahはマサチューセッツでもAshramArhatでもない場所に来て誰の 庇護も受けず\再び不安を感じているが,「恐れてはいけない.
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と自分に言 い聞かせている.脱ぎ捨てられない自己を発見して, Sarahはやっと誰にも 頼らずに心の平安を得る道を見いだした.この何物にも捕らわれない,永遠 性を持った白己の精神の核を守り通すことがSarahの取るべき道なのであ る.しかも彼女が執着する物質的幸福は,横領した大金が約束してくれるの である.今後Sarahのすべきことは,実際にこのヴイジョンを実現し自己 の二面性を統合することである.彼女が今,歩もうとしている道の先には Ar hatが達したy略unaddha15の境地が待っている.v
『緋丈字jのHesterにとっては, Dimmesdaleへの愛に生きることが自 己に忠実な真実の生き方であったが,それはピューリタン社会では罪とされ る生き方であり, Dimmesdaleの住むその社会で生きるためには,社会規範 に従って生きているふりをしなければならなかった.Hesterはこのご面性 の葛藤に苦悩するが, Dimmesdaleの死によって彼女のこの二面性は消え,
社会のために生きることだけがHesterの人生になるかのように思われる.
しかし「自由な思索者」としての立場を全く捨てたのではないことは,カウ ンセラーとしてのHesterの助言を見れば分かる.Hesterは彼女の忠言を求 める女性たちに次のように言う.
She assured them, too, of her firm belief, that, 且tsome brighter period, when the world should have grown ripe for it, in HeavenS
48 物質と精神の統合のヴィジョン
own time, a new truth would be revealed, in order to establish the whole relation between man and woman on a surer ground of mutual happiness. (The Scarlet Letter, 177)
すなわちHesterは社会の法=神の法とされていた社会で,今はまだ成熟し た時代ではない,神の時代,正義がおこなわれる時代ではないということを 言っているのであり,現実の社会のあり方を肯定してはいないこと, Hester が自分の生き方を社会に同化させてはいないことを示している.このように Hawthorneの『緋文字jの中では,自分が永遠の真実であると信じるもの に従って生きることと,この世的な社会の規範に従って生きる,この二つの 生き方は二者択一で統合できないものである.
一方, S.のSarahは真実に触れ心の平安を得る生き方と,物質主義的な 現代社会で世俗的な楽しみを得る生き方が統合されたヴィジョンを抱いてい る.小説の最後に至っても Sarahの二面性は,統合されておらず,具体的 にどうしたら統合できるのかもまだ暖昧であるが,次のような言葉はSarah がこのヴィジョンを実現するために自分が取るべき道のヒントを発見したか のようである.
Your [the Arhats] books and you̲r posters are on display, and my love for you is slowly being restored to the love it was before reality inter‑ vened. For, yes, we do wish to live entirely in our chittavrittis yet cheat them by hoping they are not all there is, and any demonstration we can make of our ideality ‑ loving a man on a poster, for instance
‑ flatters this hope. (S., 252)
物質的幸福を楽しみながら,しかもそれに執着しないことによってSarah は二面性が統合された自分の理想の人生を歩んで、行けると感じている.この ようにUpdikeはArhatやSarahの生を描くことによって, Howthorneに
物質と精神の統合のヴィジョン 49
おいては決して達成されない物質と精神の統合のヴィジョンを示しているの である.
注
1 本稿は, 1995年5月19日に麗i畢大学で開催された日本ナサニエル・ホーソーン協 会第14回全国大会シンポウジアム「JohnUpdikeの『緋文字J三部作をめぐってJ のパネリストとして口頭発表した原稿に加筆修正したものである.
2 John Updike,A Special Message' for the Franklin LibraryS First Edition Society Printing of Roger's Version (1986), Odd Jobs (New York: Knopf, 1991), 858.
3 John Updike, "HawthorneS Creed',Hugging the Shore (New York: Knopf, 1983), 76‑77.
4 Donald ]. Greinerは HawthorneSCreed,,に言及しつつ,『緋文字』三部作にお ける肉体・物質と精神の問題を詳細に論じている.Greiner,Body and Soul: John Updike and The Scarlet Letter," Journal of MoゐrnLiterature 15 Spring 1989: 475‑
95.
5 John Updike,HawthorneS Creed,78
6 Donald ]. Greiner, Adultery in the American Novel: 砂•dike,James, and Ha初•tho門M
(Columbia: U. of South Carolina P., 1985), 98.
7 John Updike, A Month of Sundays (N巴WYork: Knopf, 1975), 90.
8 John Updike,勺neBig Interview,Picked−印 Pieces(New York: Knopf, 1975), 505̲
9 Ashram Arhatはサンスクリット誌で, Ashramはreligiousretreat,すなわち宗 教の信者逮が俗世間から隔離されて修行に励む場所を意味し, Arhatは修行の完成 者すなわち仏教の究極の目的である絶対の平安を得た者という意味で,日本語では 阿羅漢と呼ばれているものである.その他仏教用語については,
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巻末のGlossary 及び岩田慶治,杉浦康平編,『アジアの宇宙観』(「美と宗教のコスモス2 J
司東京:講談社, 1989)を参照した.
10 定方歳『インド宇宙誌i.f(東京:春秋社, 1989), 235‑38.
11 There dwelt, there trode the feet of on巴withwhom she deemed herself con nected in a union, that, unrecognized on earth, would bring them together before the bar of final judgement, and make that their marriage‑altar, for a joint futurity of endless retribution. Nathaniel Hawthorne, The Scarlet Letter (New York: W. W Norton & Co., 1988), 56.
12 ] ohn Updike, S. (New York: Knopf, 1988), 8‑9.
50 物質と精神の統合のヴイジョン
13 Arhatの教義はインド仏教を基本とするが,タントラ教のサーダナと呼ばれる性 的解脱に重きを置いたり,仏教では邪教の神として退けられるシヴァ神崇拝を取り 入れたりと, Arhatの都合のいいように改編している.インド思想については上に 挙げた以外に次の書物を参照した.長尾雅人他編,岩波講座東洋思想、第5巻 fイン ド思想、lJ,第6巻『インド思想、Zj,第9巻 fインド仏教2J,第10巻『インド仏 教3J(東京:岩波書店, 1988, 1989)
14 ] ames A. SchiffはSarahの惹かれた東洋哲学にEmersonやThoreauのトラン センデンタリズムとの類似を見ており,これを asort of contemporary hybrid transcendentalismと呼んでいる.Schiff, Updike : SVersion: Rewriting The Scarlet Letter (Columbia: U. of Missouri P., 1992), 120.
15 戸tgan品ddha= a state of unity obtained by transcending the two polarities of samsara and nivritti and perceiving the identity of the phenomenal world and the absolute. John Updike, S., 279.