韓国語と日本語の主題標識「 은 / 는 (un/nun)」と
「は」に関する対照研究
1金 善 美
1. はじめに
韓国語と日本語の「은/는(un/nun)」と「は」の用法に関しては今まで多く の研究が行われてきた。韓国語の「은/는(un/nun)」に関する本格的な研究に は蔡琬(1976)、南基心 (1988)、南潤珍(2005)などがあり、日本語の「は」に 関する研究としては松下大三郎(1928)、三上章(1970)、久野暲(1973)、北原保 雄(1981)、野田尚史(1996)、益岡隆志(2004)などがあった。
韓国語の「은/는(un/nun)」と日本語の「は」については両国の国語学会で それぞれ多くの研究が行われたが、「은/는(un/nun)」と「は」が多くの共通 点を持っているにもかかわらず、両者を一緒に扱った本格的な対照研究が行 われ始まったのは比較的最近になってからである。「은/는(un/nun)」と「は」
の対照研究としては洪思満(1995)が比較的詳細に扱っており、田窪行則 (1987,1990)、梅田博之(1991)、井上優(2004)、油谷幸利(2005)においても簡単 ではあるが多くの示唆を与える記述がある。
本稿の目標は、先行研究で厳密に扱われてこなかった韓国語と日本語の主 題標識としての「은/는(un/nun)」と「は」の用法において両者の共通点と相 違点を明確にすることである。まず共通点について考察すると共に、相違点 においては次の2点の論点について考察を行う。一つ目は主題と対照の統一 的説明は「은/는(un/nun)」と「は」の用法上の説明において有効か否かとい う点である。もう一つは疑問語を述語に含む文の主語に付く主題標識と発話 現場との間の関連性についてであり、その考察の課程で相違点を明らかにす る。
『言語文化』10-4:665−689ページ 2008.
同志社大学言語文化学会 ©金 善美
2. 韓国語と日本語の主題標識の共通点
2.1. 形式的に主題標識が存在する
韓国語において主題は日本語の「は」と同様、「은/는(un/nun)」という特 別な形態(主題標識)によって表示される。次の例(1)を見られたい。
(1) a. 柴犬は日本の代表的な名犬である。
b. 진돗개는 한국의 대표적인 명견이다.
cintoskay-nun hankwuk-uy tayphyocek-in myengkyen-ita2. 珍島犬-は 韓国-の 代表的-な 名犬-である
韓国語には「은/는(un/nun)」のように異形態が存在するが、それぞれ「은 (un)」は子音体言の後に、「는(nun)」は母音体言の後に付く形式である。さ らに韓国語の例を挙げると例(2)の通りである。
(2) a. 한국은 인구가 많다.
hankwuk-un inkwu-ka manhta.
韓国-は 人口-が 多い b. 나는 사장이다.
na-nun sacang-ita.
私-は 社長-である
韓国語の主題形式は(2a)のように子音体言の後には「은(un)」が付き、(2b)の ように母音体言の後には「는(nun)」が付く。
2.2. 新情報と旧情報
「은/는(un/nun)」と「は」に関して論じる際は、しばしば「은/는(un/nun)」
に対しては「이/가(i/ka)」を、「は」に対しては「が」を挙げ、両者の意味と 用法上の違いを論じる場合が多い。<表1>は日本語では松下大三郎(1928)、
久野暲(1973)、北原保雄(1981)、田窪行則(1987)の研究、韓国語では洪思満
(1995)の研究に基づいた「은/는(un/nun)」と「이/가(i/ka)」、「は」と「が」の 表す情報の種類である。
<表1>「은/는(un/nun)」と「이/가(i/ka)」、「は」と「が」の情報の種類
「『は』と『が』」と情報の種類との関連性は既に松下大三郎(1928)で紹介され、
久野暲(1973) 、北原保雄(1981)でより具体的に扱われたものであり、田窪
(1987)も「は」と「が」について談話の情報構造と関連させて次のように 分析している。
(3) 田窪(1987)の分析
ハ: 談話の中にすでに導入されている物、もしくは旧情報に言及す る場合ハを使う
ガ: 談話に初めて導入する場合、もしくは新情報に言及する場合ガ を使う
(3)と関連するものに次のような例がある。例(4)(5)を見られたい。
(4) a. 昔々あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さ
んは(#お父さんは)山へしば刈りに…
b. 옛날옛날 어느 곳에 할아버지와 할머니가 살고 yeysnalyeysnal enu kos-ey halapeci-wa halmeni-ka sal-ko 昔々 ある 所-に お爺さん-と お婆さん-が 住ん-で 있었습니다. 할아버지는(#아버지는) 산에 나무를 하러….
issesssupnita. halapeci-nun (#apeci-nun) san-ey namwu-lul hale….
いました お爺さん-は(#お父さん-は) 山-へ しば刈り-を しに
(5) a. 犬が走ってきた。犬は(#猫は)新聞を口に銜えていた。
韓国語 日本語
新情報 「이/가(i/ka)」 ‘が’
旧情報 「은/는(un/nun)」 ‘は’
b. 개가 달려왔다. 개는 (#고양이는) 신문을 입에 물고 있었다.
kay-ka tallyewa-ssta. kay-nun (#koyangi-nun) sinmwun-ul ip-ey mwulko issessta.
犬-が 走ってき-た 犬-は(#猫は) 新聞-を 口-に 銜えて いた
例(4)と(5)それぞれのaとbにおいて、第1文に登場する主語の人物や犬は聞 き手や読者のような情報の受信者にとって完全に新しい情報に該当する。こ れらについて両言語では主格標識の「이/가(i/ka)」と「が」を使う。一方、
第2文に現れる人物や犬は、第1文に登場ずみであり、「은/는(un/nun)」と「は」
を使う。もし第2文に現れた人物が第1文に登場した人物や動物と同一では ない場合、即ち(4a)(4b)でお爺さんではなくお父さんが、(5a)(5b)で犬ではな く猫が第2文に出現すれば文脈上非文になる。
2.3. 主題標識の省略現象
韓国語でも日本語でも主題は頻繁に代名詞に置き換えられたり省略された りする。
(6) a. ミンスは学生である。/ 彼は学生である。/ 学生である。
b. 민수는 학생이다. / 그는 학생이다. / 학생이다.
minswu-nun haksayng-ita. / ku-nun haksayng-ita. / haksayng-ita.
ミンス-は 学生-である 彼-は 学生-である 学生-である
例(6)で「学生である、학생이다(haksayng-ita、学生-である)」は先行文脈が 存在する場合の例である。
2.4. 主題標識とイントネーション
韓国語の主題標識は文頭に出現し、文強勢(sentential stress)つまり焦点を表 すイントネーションは置かれない。この際、文強勢が置かれるのは主題を説 明する他の成分(述語)である(蔡琬1976)。この特徴は日本語の主題標識 の特徴と同様である。
(7) a. ヨンスは学生´である。(´ は強勢を表す表示であり蔡琬1976に従っ ている)
b. 영수는 학생´이다.
yengswu-nun haksayng´-ita.
ヨンス-は 学生´-である
例(7)が意味することは「ヨンスの話をすれば、彼は学生である」というこ とであり、ヨンス以外の人が学生であるかどうかは問題になっていない。一 方、「은/는(un/nun)」が付いた体言が主題を示さない場合は対照を表す。つ まり「은/는(un/nun)」が付いた体言が文中に位置する場合などである。また「은 /는(un/nun)」が付いた体言が文頭に置かれた場合でも強勢を伴う場合は他の 体言との対照を示す。
(8) a. ヨンス´は学生である。 (´ は強勢) b. 영수´는 학생이다. (´ は強勢) yengswu´-nun haksayng-ita.
ヨンス´-は 学生-である
例(8)が意味することは「(例えばジスは学生ではないが)ヨンスは学生であ る」ということであり、ヨンス以外の人が学生ではない事実が問題になって くる。この点も日本語と同様である。例(8)では両言語とも助詞の部分の音 調が特徴的である。「은/는(un/nun)」と「は」が付いた体言が表す主題と対 照については2.7節でより詳しく検討することにする。
2.5. 主題標識と文の他の成分との関係
韓国語においても日本語においても主題は節とゆるい関係を持ち、節の外 側にある。つまり文中の特定の要素と関係を持つのではなく、節の他の要素 全体と関係を持つ。また主題とそれに続く他の成分との間には軽い休止 (pause)が介入することも許容される。
(9) a. 今日、(pause) 何か予定ある?
b. 오늘, (pause) 뭔가 예정 있어?
onul, mwenka yeyceng isse?
今日 何か 予定 ある
例(9)で「今日、오늘(onul、今日)」の後に休止が入ることもあるが、それと 似たような現象としては例(9)の休止の前の最後の音節、つまり「日、늘」 を伸ばすような現象が観察される。
(10) a. きょう―、何か予定ある?
b. 오느을―, 뭔가 예정 있어?
onuul―, mwenka yeyceng isse?
今日 何か 予定 ある
このように休止がくる箇所の直前の最後の音節を伸ばす現象も休止の代わり に使われる。そして休止や音節を伸ばす現象が見られる単語は文の主題であ る。例(10)のような現象についての詳しい言及は先行研究ではあまり見られ ないものであり、今回は現象の存在を指摘するのに留めたい。今後の課題と する。
その他、以下の例(11)のように従属節を、主題と他の成分との間に挿入す ることも可能である(蔡琬1976)。
(11) a. * 내가 해가 들면 화분을 창가에 내 놓는다.
* nay-ka hay-ka tul-myen hwapwun-ul changka-ey nay noh-nun-ta.
私-が 日差し-が 射せ-ば 植木鉢-を 窓際-に 出して 置く
b. 나는 해가 들면 화분을 창가에 내 놓는다.
na-nun hay-ka tul-myen hwapwun-ul changka-ey nay noh-nun-ta.
私-は 日差し-が 射せ-ば 植木鉢-を 窓際-に 出して 置く
(蔡琬 1976、日本語のグロスは筆者による)
例(11a)のように主語の「내가(nay-ka、私-が)」と述語の間に下線部の節が挿 入された場合、不自然である。一方、例(11b)のように主題標識を伴った「나 는(na-nun、私-は)」と述語の間に下線部の節が挿入されても自然である。こ の容認度の違いは主題標識の後でのみ休止の介入が許容されることに関連す るであろう。主題標識の後に休止が入ることができるという点は日本語と同 様である。
2.6. 主題になれるもの
韓国語と日本語において主題になれる一般名詞は定(definite)情報である。
定(definite)情報は直示、総称、旧情報、固有名詞などを含んだ概念であるが、
本節と次の2.7節を中心に考察する。主題になれるものは定(definite)情報であ るため、定情報ではない疑問語は両言語において主題になれない。疑問語は
「누구(nwukwu、だれ), 무엇(mwues、何), 어디(eti、どこ), 언제(encey、いつ)」、
「誰、何、どこ、いつ」などがある。
(12) a. * 誰は本を読んだ。
b. * 누구는 책을 읽었다.
* nwukwu-nun chayk-ul ilk-essta.
誰-は 本-を 読ん-だ
日本語と同じく韓国語においても主題になりやすいのは固有名詞、1人称と 2人称を表す語「나(na、ぼく・おれ), 우리(wuli、私達), 저(ce、わたくし), 당 신(tangsin、あなた), 자네(caney、君), 너(ne、お前)」と「이(i、この), 그(ku、
その), 저(ce、あの)」の指示代名詞が付いた名詞、つまり直示的な情報は主 題になれる。野田(1996)も多くの言語で「私」、「君」、「これ」、「その−」に 該当する言葉は主題になりやすいと指摘している。
(13) *사람은 교사이다.
*salam-un kyosa-ita.
人-は 教師-である
(14) 영수는 교사이다.
yengswu-nun kyosa-ita.
ヨンス-は 教師-である
(15) 이 사람은 교사이다.
i salam-un kyosa-ita.
この 人-は 教師-である
(16) 나는 교사이다.
na-nun kyosa-ita.
私-は 教師-である
例(13)では「사람(salam、人)」が非限定的であるため非文である。しかし、
例(14)のような固有名詞や、例(15)と(16)における名詞のように発話上の時・
空間と発話主体が決まれば自ずと指示対象の同定が可能な直示的な用法の指 示対象は主題になりやすい。
2.7. 主題/対照と総記/叙述の原理
先ほど言及した2.4 主題標識とイントネーションの中で「은/는(un/nun)」
と「は」が付いた体言が表す主題と対照について若干触れたが、ここでより 具体的に検討することにする。
「은/는(un/nun)」と「이/가(i/ka)」、「は」と「が」の用法を説明する際、も う一つよく言及される原理として主題/対照と総記/叙述の原理というものが ある。久野暲(1973)は次のように整理している。
(17) 久野(1973)の整理
① 太郎ハ走ッテイル。
[主題(theme)]: 太郎の話をすれば、彼は走っている。
[対照(contrast)]: 太郎は走っている(が、花子は走っていない)。
②太郎ガ走ッテイル。
[総記(exhaustive listing)] : (今話題になっている人達の中で)走っている のは太郎だけだ。
[叙述(neutral description)] : ごらん、太郎が走っているよ。
先の2.6節では主題になれるものは定(definite)情報、即ち直示、総称、旧情報、
固有名詞などを含んだ概念であると述べたが、久野(1973)も主題になれる名 詞句は総称(generic)名詞句か、既に話題になっている事物を指す文脈指示 (anaphoric)名詞句であるべきだと指摘している。久野(1973)の指摘について 韓国語と日本語の例文で考えてみる。
(18) a. 人は哺乳動物である。(総称)
b. 사람은 포유동물이다. (総称)
salam-un phoyu-tongmwul-ita.
人-は 哺乳-動物-である
c. 花子は結婚しています。(文脈指示)
d. 하나코는 결혼했습니다. (文脈指示)
hanako-nun kyelhon-haysssupnita.
花子-は 結婚-しました
(19) a. #人はたくさん選挙に行きました。
b. #사람들은 많이 선거하러 갔습니다.
#salam-tul-un manhi senke-hale kasssupnita.
人-達-は 多く 選挙-しに 行きました c. #風は吹いています。
d. #바람은 불고 있습니다.
#palam-un pwul-ko isssupnita.
風-は 吹いて います
(20) a. 人はたくさん選挙に行きましたが、投票した人は少なかったので
す。
b. 사람들은 많이 선거하러 갔습니다만, 투표한 사람은 salam-tul-un manhi senke-hale kasssupnita-man, thwuphyo-han salam-un 人-達-は 多く 選挙-しに 行きました-が 投票-した 人-は cekesssupnita.
적었습니다.
少なかったです`
c. 風は吹いていますが、雨は降っていません。
d. 바람은 불고 있습니다만, 비는 내리지 않습니다.
palam-un pwul-ko isssupnita-man, pi-nun nayli-ci anhsupnita.
風-は 吹いて います-が 雨-は 降る-て いません
例(18)は、韓国語と日本語ともに総称や文脈指示的な名詞句に「은/는(un/
nun)」と「は」が使われているため文法的な文である。それに対し例(19)の 場合は、これらの文が単独で使われる場合、総称や文脈指示ではないので文 脈上の非文である。文脈上の非文であるとしたのは、同じ文が対照の意味で 使われる場合は文法的な文になるためである。ところで例(20)のように他の 名詞句と対照をなす名詞句の中で「은/는(un/nun)」と「は」が使われた場合 は文法的な文である。これらの例を通じてもわかるように久野(1973)の名詞 句の特徴に関する説明は韓国語においても日本語においてもあてはまる。
しかし、それではなぜ同一形式が主題と対照の両方を表すのだろう。以下 からは主題標識の「은/는(un/nun)」と「は」が持つ二つの意味上の用法は区 別すべきであるか否かについて考えてみる。
3. 韓国語と日本語の主題標識の相違点
3.1. 論点(1): 主題と対照の統一的説明は「은/는(un/nun)」と「は」の用法上
の説明で有効か否か。
ここでは韓国語と日本語の主題標識の相違点について考察する前に、2節 で久野によって指摘された「は」の表す二つの用法、つまり主題と対照につ いて統一的な説明を与える問題について考えてみる。「은/는(un/nun)」と「は」
は二つの異なる用法を持つが形式上区別がないことから、それらは一つの意 味機能の二つの現れだとして統一的説明を与えようという試みがなかったわ けではない。この試みとしては北原保雄(1981)の「とりたて」の概念がある。
本節では北原(1981)の「とりたて」の概念を利用した主題と対照の統一的説 明は「은/는(un/nun)」と「は」の用法上の説明において有効か否かという問
題について考察する。
北原(1981)は「は」が旧情報を示すということを指摘すると同時に、「は」
の基本的な用法に関しても指摘している。北原(1981)は「は」の基本的な用 法は「とりたて3」であると説明する。そして、この「とりたて」という概 念によって北原(1981)は久野(1973)などが主張する「は」の二つの用法、つ まり主題と対照を統一的に説明しようとする。北原(1981)は「は」の二つの 用法である主題と対照は「とりたて」という点においては本質的に同じだと 説明するのである。即ち、不特定多数の対象の中で絶対的な「とりたて」を 行う場合は取り立てられていない残りの部分が問題にならない場合がある が、これが「主題」である。一方、対比される有限特定の対象の中で「とり たて」を行う場合は取り立てられていない残りの部分が問題になるがこれが
「対照(対比)」だとしている。これら二つの場合で「は」は「とりたて」の 面で絶対的か相対的かの違いこそあっても「とりたて」という一つの本質的 な構文的機能だけを持つというのである。
久野(1973)は(17)①「太郎ハ走ッテイル」の中の「は」の用法を説明する際、
[主題(theme)]と[対照(contrast)]に両分した。即ち主題として使われた場合は
「太郎について話すならば、彼は走っている」ということであり、対照とし て使われた場合は「太郎ハ走っている。(しかし、花子は走っていない。)」
ということを意味すると言った。
この久野(1973)の例について北原(1981)の主張を適用してみれば次のよう に説明することができる。 「太郎ハ走ッテイル」において太郎を不特定多数 の人々の中から絶対的な選択を通じ「とりたて」を行った時は「は」は主題 を表し、選択されなかった他の人々の状態は問題にならない。しかし、同じ 文の中で、次郎や花子は走っていないが太郎は走っていることを説明するた めに相対的な選択を通じ「とりたて」を行った場合は「は」は対照を表し、
選択されなかった他の人々(次郎や花子)の走っていないという状態が問題 になるのである。
韓国語においても北原(1981)の主張を適用して考えてみれば例(21)の通り である。
(21) 영수는 결혼했습니다.
yengswu-nun kyelhon-haysssupnita.
ヨンス-は 結婚-しました
→[主題(theme)]: ヨンスの話をすれば、彼は結婚している。
[対照(contrast)]: ヨンスは結婚した(が、ミンスは結婚していない)。
例(21)からもわかるように韓国語の「은/는(un/nun)」の場合も、指示対象が 不特定多数の中から絶対的な選択を通じ「とりたて」を行った場合は主題を 表し、有限特定の対象の中から相対的な選択を通じ「とりたて」を行った場 合は対照を表す。
ここで北原(1981)の一般化を纏めると次の通りである。
(22) 北原(1981)の「とりたて」の観点から見た「は」と「은/는(un/nun)」
1)主題:不特定多数の対象の中から絶対的な「とりたて」を行う場合。
2)対照:有限特定の対象の中から相対的な「とりたて」を行う場合。
「は」に関する従来の研究で主題と対照という概念は広く受け入れられてい たが、これら二つの概念を統一的に説明しようとする試みは多くなかった。
北原(1981)の功績は「は」の持つ主題と対照の意味に対して「とりたて」と いう抽象的な共通点を見出したことである。この抽象的な共通点はおおむね 韓国語の「은/는(un/nun)」にも適用することができる。
しかし、北原(1981)のこの一般化は久野(1973)の区別、つまり「主題」と「対 照」の区別がなぜ必要であるかを看過し、「とりたて」という抽象的な共通 点で全てを説明しようとする問題がある。北原(1981)は「「は」は「とりたて」
の面で絶対的か相対的かの違いこそあっても「とりたて」という一つの本質 的な構文的機能だけを持つ」と言う。しかし絶対的「とりたて」を行うため には不特定多数の対象の中からの選択が必要であり、相対的「とりたて」が 行われるのは有限特定の対象における選択である。つまり「は」に二つの用 法があること自体は確実であり、ただ「とりたて」のみの機能が働くことは ない。実際の発話場面で「は」や「은/는(un/nun)」が使われる場合は、以下
の例(23)のように主題と対照の内どちらかに決まる。次の例(23)を見られた い。
(23) (不動産業者がマンションの借り手にマンションの中を案内している)
a. 여기가 거실입니다. 여기가 주방이구요.
yeki-ka kesil-ipnita. yeki-ka cwupang-ikwuyo.
ここ-が リビング-です ここ-が キッチン-です
b. 네, 그렇군요. 여기´는 어디예요? (´は強勢)
ney, kulehkwunyo. yeki´-nun eti-eyyo?
あ そうなんですね ここ´-は どこ-ですか
(24) (不動産業者がマンションの借り手にマンションの中を案内している) a. ここがリビングです。ここがキッチンです。
b. あ、そうなんですね。ここ´はどこですか。(´は強勢)
例(23)と(24)のように先行文脈が存在する場合に出現する例(23b)における「은 /는(un/nun)」と例(24b)における「は」は、マンションの中の限られた数の部 屋から選ばれた指示対象「yeki(ここ)」と「ここ」に付いた形式であり、「有 限特定の対象の中から相対的な「とりたて」を行う」対照の用法である。決 して「不特定多数の対象の中から絶対的な「とりたて」を行う」場合ではな く、主題としての用法ではないのである。さらに例(23b)と(24b)では対照の 用法においてのみ強勢が観察される、ということも考慮すべきである。つま り、「은/는(un/nun)」と「は」の持つ二つの用法、対照と主題はその出現に おいて明確に異なる様子を呈する。
本節の論点(1)の「主題と対照の統一的説明は「은/는(un/nun)」と「は」の 用法上の説明で有効か否か」という問だが、本稿では両者の統一的な説明の ため北原(1981)のように抽象的な共通点を見出す必要はないとの立場を取 る。
3.2. 論点(2): 疑問語を述語に含む文の主語に付く主題標識と発話現場との関
連性
3.1.節では、本稿において「은/는(un/nun)」と「は」の用法には明らかに 二つの用法、主題と対照があることを述べた。この区別を受け入れる根拠と して3.1.節では先行文脈が存在する際に出現する「은/는(un/nun)」と「は」
の用法を挙げた。本節ではこの用法についてさらに具体的に考察するととも に、さらに主題標識として使われる「은/는(un/nun)」と「は」の出現条件を「이 /가(i/ka)」と「が」の振る舞いと関連付けて考察する。
3.2.1 先行研究
まず、次の例を見られたい。
(25)(雑貨店である物を指差しながら開口一番)
a. <日本語>これは(*これが)何ですか。
b. <韓国語>이게4(#이건) 뭐예요?
ikey (#iken) mwe-yeyyo?
これが(#これは) 何-ですか (26)(病院で意識が戻った患者が開口一番)
a. <日本語>ここは(*ここが)どこですか。
b. <韓国語>여기가 (#여기는) 어디예요?
yeki-ka (#yeki-nun) eti-yeyyo?
ここ-が(#ここは) どこ-ですか
例(25)と(26)のように疑問語を述語に含む文の主語が直示空間に存在する場 合、その主語は主題になれるか否かという問題では韓国語と日本語の間で もっとも大きな違いが見受けられる。結論を先取りすれば例(25a)(26a)のよ うに日本語は主題になることが可能であり「は」を使う。一方韓国語の場合 は例(25b)(26b)のように主題標識の「은/는(un/nun)」は使えず、「이/가(i/ka)」
を使う。
この違いに対してはまず梅田(1991)が次のように説明している。即ち、限 定されていない無秩序の対象の中からある事柄に特に注目して質問をする 際、韓国語では助詞「이/가(i/ka)」が使われるという。この場合、日本語で
は主題標識の「は」を使うのが一般的であり、「が」を使うことはできない という。
さらに田窪行則(1990)、井上優(2004)、油谷幸利(2005)もこの違いに対し説 明を試みている。以下からはそれぞれの説明を検討してみる。まず油谷 (2005)によると、日本語は「ここ、私」などは話し手と聞き手の間で既に了 解事項になっているので初出扱いせずに(旧情報であることを示す)「は」
を用いる、しかし韓国語はそのような場合も初出扱いするので「이/가(i/ka)」
を用いるとし、勿論これで全てが説明されるわけではないという。次に田窪 (1990)は、日本語は相手が当然知っているものだと思われるもの、発話現場 にあるものなどは先行文脈に導入されていなくても既出のものとして看做し
「は」を用いるという。しかし韓国語は実際に話題に登場したか、明白な前 提知識になっているもののように、文脈上旧情報であることが明らかな場合 にのみ「은/는(un/nun)」を用いるという。
以上の油谷(2005)と田窪(1990)の説明によると韓国語の「은/는(un/nun)」は 対象が発話現場に存在していても先行文脈に導入されていなければ使うこと が出来ないということがわかる。つまり対象が発話現場に存在している場合 でも先行文脈に導入されていない場合は「이/가(i/ka)」を使う、という説明 になる。それに対し、日本語の場合は発話現場に存在する対象は旧情報とし て看做し「は」を使うという。
井上(2004)はさらに韓国語の「은/는(un/nun)」は日本語の「は」よりも文 の情報構造との関連性が強く、文の叙述や表現類型との関連性は弱い、とい う見解を見せている。
以上の先行研究を纏めると次のようになる。
< 先行研究のまとめ:疑問語を述語に含む文の主語が直示空間に存在する 場合その主語は主題になれるか否か>
1.日本語は主題になることが可能であり「は」を使う。
2. 韓国語は主題標識の「은/는(un/nun、は)」は使えず、「이/가(i/ka、
が)」を使う。
以下からは上記の先行研究の成果を踏まえてさらに考察を進める。
3.2.2. 先行文脈が存在する場合に現われる「対照の「은/는(un/nun)」」
例(25)と(26)で「이건 뭐예요? (iken mwe-yeyyo?、これは何ですか)」と「여 기는 어디예요? (yeki-nun eti-yeyyo?、ここはどこですか)」は、使われる場面 によっては容認度が上がる。先に出た例(23)と(24)を以下再掲する。次の例 (27)と(28)のように、先行文脈があってその文脈で先に現われた指示対象と 対照させる場合なら「이건 뭐예요?」と「여기는 어디예요?」は自然である。
要するに、先行文脈がある場合は「은/는(un/nun)」が出現可能であるが、そ の際出現する「은/는(un/nun)」の用法は対照の意味を表す。
(27) (=23) ( 不動産業者がマンションの借り手にマンションの中を案内している)
a. 여기가 거실입니다. 여기가 주방이구요.
yeki-ka kesil-ipnita. yeki-ka cwupang-ikwuyo.
ここ-が リビング-です ここ-が キッチン-です
b. 네, 그렇군요. 여기´는 어디예요? (´は強勢)
ney, kulehkwunyo. yeki´-nun eti-eyyo?
あ そうなんですね ここ´-は どこ-ですか
(28) (=24) ( 不動産業者がマンションの借り手にマンションの中を案内している)
a. ここがリビングです。ここがキッチンです。
b. あ、そうなんですね。ここ´はどこですか。(´は強勢)
例(27)の「은/는(un/nun)」が付く体言「여기yeki(ここ)」と例(28)の「は」
が付く体言「ここ」には強勢が置かれて対照の意味を強調することも可能で ある。先に述べたように指示対象は全てマンションの中の限られた数の部屋 から選ばれたものであり、先行文脈で出現したリビングとキッチンとして使 われる空間と対比される空間が問題になっている。従ってここで使われた「은 /는(un/nun)」と「は」は対照・対比の意味を表すと解釈すべきである。
3.2.3. 韓国語の疑問語を述語に含む文の主語に付く主題標識
先行研究では対象が発話現場に存在するが、先行文脈に導入されていない 場合は「이/가(i/ka、が)」を使う、という内容であった。また先行研究にお いては指示対象が発話現場、つまり直示空間に存在する場合の例が主に取り 上げられていた。
以下からは電話での会話のように、話し手と聞き手の間で同じ時間帯を共 有するが、両者が存在する空間が遠く離れている場合について考えてみよう。
次の例を見られたい。
(29) (旅行中のAが急に友達Bに電話をかけてきた)
A: 나, 지금 바볼(Babol)에 와 있어.
na, cikum Babol-ey wa isse.
私 今 バボル-に 来て いる
B: 뭐, 바볼? 바볼이(*바볼은) 어디야?
mwe, Babol? Babol-i (*Babol-un) eti-ya?
何、 バボル バボル-が(*バボル-は)どこ-なの
例(29)では指示対象のバボル(Babol)という地名は先行文脈に導入されてい る。しかし、だからと言って「바볼은 어디야? Babol-un eti-ya? (バボルはど こなの)」のような質問をすることはできず、依然として「바볼이 어디야
?Babol-i eti-ya?(バボルがどこなの)」のように「이/가(i/ka)」を使う必要がある。
この観察からわかることは韓国語の疑問語を述語に含む文において、話し 手がいくつか限られた対象の中から一つを選択して対照を行うのではなく不 特定多数の対象から絶対的な選択を行う場合、その指示対象が話し手にとっ てよく知られていない時は「이/가(i/ka)」を使う、ということである。この際、
指示対象が先行文脈に導入されているか否かの可否は「이/가(i/ka)」の選択 に影響を及ぼさず、指示対象が話し手に知られているかどうかの可否が「이 /가(i/ka)」の選択に影響を及ぼす。この点は次のような例からも裏付けられる。
(30) ( Aがその前日、空港まで見送りに来てくれた友達Bに電話をかけてきた)
A: 응, 나야. 지금 LA에 도착했어.
ung, na-ya. cikum LA-ey tochak-haysse.
うん 私-よ 今 LA-に 到着-したの
B: 어, 벌써 도착했구나. 거기는 덥지?
e, pelsse tochak-haysskwuna. keki-nun tepci?
あ もう 到着-したの そこ-は 暑いよね
例(30)からわかることは、次の二点である。まず一つは情報管理の面である が、AとBにとってLAという地名は既によく知られている地名であると同時 に、AがLAへ到着するだろうである事実もBによく知られている、というこ とである。もう一つは例(30B)で「은/는(un/nun)」を使うことが可能であるが、
この「은/는(un/nun)」は主題標識ではなく「거기keki(そこ)」が話し手Bの 現在の居場所とは何等かの特性で対照をなす場所であることを示す対照用法 の「은/는(un/nun)」である。ここでは話し手Bが現在位置している、さほど 暑くはない所という特性が問題になっていることから、不特定多数の対象か ら絶対的な選択をする際の「은/는(un/nun)」、すなわち主題標識としての「은 /는(un/nun)」ではないのである。
ただし、例(29A)の発言について聞き手が次のように反応する場合は「은/
는(un/nun)」の出現が可能である5。
(31) (旅行中のAが急に友達Bに電話をかけてきた) A: 나, 지금 바볼(Babol)에 와 있어.
na, cikum Babol-ey wa isse.
私 今 バボル-に 来て いる
B: 뭐, 바볼? (あきれたと言わんばかりに独り言で) 바볼은 또 어디야?
mwe, Babol? (あきれたと言わんばかりに独り言で) Babol-un tto eti-ya?
何、 バボル バボル-は また どこ-なの
例(31)のようにAの発言に対しBがあきれたという思いから独り言でつぶや く場面である場合は「바볼은 또 어디야? Babol-un tto eti-ya? バボルっていっ たいどこなんだよ。」のように発言することができ、「은/는(un/nun)」が出現
する。この例では相手から聞いたバボルというテーマについて考えている、
という意味から「은/는(un/nun)」を主題標識として看做すことも可能である。
ただし、独り言の中で現われた用法であるだけに、このような環境で出現す る「은/는(un/nun)」については今後の課題としたい。
以上の観察から、文の主語が直示空間に存在しない場合、韓国語の疑問語 を述語に含む文において主題標識の出現を制限する要素は話題になっている 指示対象が情報管理の面で話し手にとって知られている事実か否かという要 素が深く関る、ということがわかった。以上の議論を踏まえて、疑問語を述 語に含む文の主語に付く主題標識と発話現場との関連性について纏めると次 の通りである。
<疑問語を述語に含む文の主語に付く主題標識と発話現場との関連性>
1) 文の主語が直示空間に存在する場合、韓国語では主語が話し手によく 知られていない指示対象を指示する場合、先行文脈の有無にかかわら ず「이/가(i/ka、が)」が使われる。一方、日本語では発話現場にある対 象は旧情報と看做し「は」を使う。
2) 文の主語が直示空間に存在する場合、韓国語では不特定多数の対象か ら絶対的な選択を行う際に出現する主題用法としての「은/는(un/nun、
は)」を使うことができない。一方、日本語では、同じ場合、主題用法 としての「は」を使うことができる。
3) 文の主語が直示空間に存在しない場合、韓国語では疑問語を述語に含 む疑問文で出現する「은/는(un/nun)」は対照用法の「은/는(un/nun)」で ある。同じ場合、日本語においても対照用法の「は」の出現が可能で ある。
4. おわりに
本稿の目標は先行研究で厳密に扱われてこなかった韓国語と日本語の主題 標識としての「은/는(un/nun)」と「は」の用法において両者の共通点と相違 点を明確にすることである。共通点について考察すると共に相違点において は次の2点の論点についての考察を経て結論を導いた。その論点とは、一つ
目は主題と対照の統一的説明は「은/는(un/nun)」と「は」の用法上の説明で 有効か否かという点である。そしてもう一つは疑問語を述語に含む文の主語 に付く主題標識と発話現場との関連性についてであり、その考察の課程で相 違点が明らかになった。
まず韓国語と日本語の主題標識における共通点としては、1) 形式的に主 題標識が存在する。2) 新情報と旧情報という文の情報構造的側面を担う標 識があり、それぞれ「은/는(un/nun)」と「이/가(i/ka)」、「は」と「が」である。
3) 主題標識の省略現象が存在する。4) 主題標識とイントネーションにおい ては、両言語とも主題標識は文頭に出現し、文強勢(sentential stress)つまり焦 点を表すイントネーションは置かれない。5) 両言語の主題は文中の特定の 要素と関係を持つのではなく、節の他の要素全体と関係を持つ。主題標識と それに続く他の成分との間に休止や音節を伸ばす現象が見られる。6) 両言 語において疑問語は主題になれない。また主題になる一般名詞は総称 (generic)や定(definite)情報を持つ名詞であり、ここで定情報とは直示、固有 名詞、旧情報のことである。7) 両言語において主題と対照の原理が適用さ れる。ここで5)の主題標識とそれに続く他の成分との間に休止や音節を伸ば す現象が見られることは先行研究において詳細な記述が見られないため、今 後考察を続ける予定である。
次に韓国語と日本語の主題標識における相違点を述べるために本稿ではま ず次の二つの論点について考察した。まず一つ目は、主題と対照の統一的説 明は「은/는(un/nun)」と「は」の用法上の説明で有効か否かという点である。
北原(1981)は「は」の持つ主題と対照の意味に対して「とりたて」という抽 象的な共通点を見出している。しかし「は」に主題と対照の二つの用法があ ること自体が確実であり、ただ「とりたて」のみの機能が働くことはない。
さらに実際の発話場面で「は」や「은/는(un/nun)」が使われる場合は、主題 と対照の内どちらかに決まることから、北原(1981)の「とりたて」の概念は 不要であることを確認した。一つ目の結論を踏まえて、二つ目の論点につい て考察した。その論点とは、韓国語と日本語の疑問語を述語に含む文の主語 に付く主題標識と発話現場との関連性についてである。考察の結果、次のよ うな結論に至った。1) 文の主語が直示空間に存在する場合、韓国語では主
語が話し手によく知られていない指示対象を指示する場合、先行文脈の有無 にかかわらず「이/가(i/ka、が)」が使われる。一方、日本語では発話現場に ある対象は旧情報と看做し「は」を使う。2) 文の主語が直示空間に存在す る場合、韓国語では不特定多数の対象から絶対的な選択を行う際に出現する 主題用法としての「은/는(un/nun)」を使うことができない。一方、日本語では、
同じ場合、主題用法としての「は」を使うことができる。 3) 文の主語が直 示空間に存在しない場合、韓国語では疑問語を述語に含む疑問文で出現する
「은/는(un/nun)」は対照用法の「은/는(un/nun)」である。同じ場合、日本語に おいても対照用法の「は」の出現が可能である。
今後の課題としては韓国語と日本語の主題標識における相違点についてよ り多方面の観点から検討していくことである。
註
1 本稿は2007年7月6日に韓国嶺南大学で開催された韓国言語学会における口頭発
表と、2007年10月14日に同志社大学大阪サテライトで開催された第11回中日理論 言語学研究会シンポジウム「主題マーカーとSOV型言語」における口頭発表の内 容に加筆・修正を行ったものである。両大会当日、本研究内容についてたくさん の示唆に富んだ貴重なご意見を述べてくださった先生方、および用例調査に協力 していただいた方々に厚くお礼を申し上げます。
2 本稿における韓国語のローマ字表記は、Samuel E. MartinによるYale式(The Yale Romanization System)におおむね従っている。なお本稿では、韓国語の例文に日本 語のグロス(gloss、逐語訳)を付けている。ただし、グロスの情報の細かさの面では、
形態素の切れ目ではなく意味が通じる程度のグループ単位ごとに付けることにす る。
3 今日の「取り立て」という用語は広く別の意味で使われている。
4 이게(ikey)は이것이(ikesi)の縮約形であり、両方とも日本語訳は「これが」である。
5 例(31)で独り言でつぶやく場面なら「은/는(un/nun)」の出現が可能だというのは
韓国言語学会における口頭発表の際、会場にいらっしゃった先生方からのご教示 による。記して感謝の意を表したい。
【参考文献】
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한국어와 일본어의 주제표지 ‘은/는’과 ‘は’
에 관한 대조연구
(A Comparative Study of Korean and Japanese Topic Markers ‘un/nun’ and ‘wa’)
김선미 (Sunmi KIM)
Keywords: 한국어, 일본어, 주제표지, 주제, 대조 (Korean, Japanese, topic marker, topic, contrast)
본고의 연구목표는, 선행연구에서 엄밀히 고찰되지 않았던 한국어와 일본 어의 주제표지로서의 ‘은/는’과 ‘は’의 용법에 대하여 그 공통점과 차이점을 명확히 하는 것이다. 공통점에 관해 고찰함과 동시에, 차이점에 있어서는 다 음과 같은 2가지 논점에 대한 고찰을 거쳐 결론을 도출하였다. 그 논점이란, 첫째는 주제와 대조의 통일적 설명은 ‘은/는’과 ‘は’의 용법에 관한 설명에 있 어 유효한가 하는 문제이다. 둘째는 의문어를 술어에 포함하는 문장의 주어 에 붙는 주제표지와 발화현장과의 관련성에 대한 문제이며, 이들 문제에 관 한 고찰의 과정에서 양 언어의 차이점이 명백해졌다.
우선 한국어와 일본어의 주제표지의 공통점으로서는, 1)형식적인 형태로 서 주제표지가 존재한다. 2)신정보와 구정보라는 문장의 정보구조적 측면을 담당하는 표지로서 각각 ‘은/는’과 ‘이/가’ , ‘は’와 ‘が’가 있다. 3)주제표지의 생략현상이 존재한다. 4)주제표지와 인터네이션의 관계에 있어서는, 양 언 어 다 주제표지는 문두에 출현하며, 이때 문장강세(sentential stress) 즉 초 점을 나타내는 인터네이션은 오지 않는다. 5)양 언어의 주제는 문장 중의 특 정 요소와 관계를 가지는 것이 아니라, 절의 다른 요소 전체와 관계를 갖는 다. 주제표지와 그에 연결된 다른 문장성분 간에 휴지(休止), 혹은 휴지가 올 자리의 직전에 놓인 단어의 마지막 음절을 길게 발음하는 현상이 관찰된다.
6)양 언어에 있어서 의문어는 주제가 되지 않는다. 주제가 되는 일반명사는 총칭(総称, generic), 정(定, definite)정보를 가진 명사이며, 여기서 정(定,
definite)정보란 직시, 고유명사, 구정보 등을 말한다. 7)양 언어에 있어 주제 와 대조의 원리가 적용된다. 이상의 공통점들 중에서도 5)의 공통점에 있어 서, 주제표지와 그에 연결된 다른 문장성분 간에 휴지(休止), 혹은 휴지가 올 자리의 직전에 놓인 단어의 마지막 음절을 길게 발음하는 현상에 대해서는 선행연구에서 상세한 고찰이 부족하므로, 앞으로도 고찰을 계속해 가고자 한 다.
다음으로 한국어와 일본어의 주제표지의 차이점을 고찰하기 위해 본고에 서는 다음과 같은 두가지 논점에 관해서 고찰하였다. 우선 첫째는, 주제와 대 조의 통일적 설명은 ‘은/는’과 ‘は’의 용법에 관한 설명에 있어 유효한가 하는 문제이다. 결론적으로 말하자면 ‘은/는’과 ‘は’에 주제와 대조의 두가지 용법 이 있다는 것 자체가 명백한 일이며, 기타하라(北原1981)가 주장하는 것과 같은 <내세움(とりたて)>의 용법만이 작용하는 문장은 실제로는 존재하지 않는다는 점을 확인하였다. 더 나아가, 실제 발화장면에서 ‘은/는’ 과 ‘は’ 가 사용될 경우에는, 주제와 대조 중의 어느 한 쪽만의 용법에 의해 제약을 받 는다는 사실도 확인하였다. 이와 같은 점으로부터 기타하라(北原1981)가 주 장하는 것과 같은 <내세움(とりたて)>이라는 개념에 의해 ‘은/는’ 과 ‘は’ 의 용법을 통일적으로 설명하는 것은 불필요하다는 점을 확인하였다.
이 첫번째 논점을 기반으로, 다음과 같은 두번째 논점에 관해 고찰하였다.
즉, 한국어와 일본어의 의문어를 술어에 포함하는 문장의 주어에 붙는 주제 표지와 발화현장과의 관련성에 대해서이다. 고찰의 결과, 다음과 같은 결론 을 얻었다. 1)문장의 주어가 직시공간(直示空間)에 존재할 경우, 한국어는 주 어가 화자에게 잘 알려져 있지 않은 지시대상을 지시할 경우는 선행문맥의 유무에 관계없이 ‘이/가’를 사용한다. 한편, 일본어에서는 발화현장에 있는 대상은 구정보로 간주하여 ‘は’를 사용한다. 2) 문장의 주어가 직시공간에 존 재할 경우, 한국어에서는 불특정다수를 대상으로 절대적인 선택을 행할 경 우에 출현하는 주제표지로서의 ‘은/는’을 사용할 수 없다. 한편, 일본어에서 는 같은 경우, 주제표시로서의 ‘は’를 사용한다. 3) 문장의 주어가 직시공간 에 존재하지 않을 경우, 한국어에서는 의문어를 술어에 포함하는 의문문에서 출현하는 ‘은/는’은 대조용법이다. 같은 경우, 일본어에 있어서도 대조용법의
‘は’가 출현할 수 있다.
앞으로의 과제로서는, 한국어와 일본어의 주제표지의 차이점에 관해 더욱 다방면의 관점에서 고찰을 계속해 가는 것이다.