土佐節譜本の研究‑周辺芸能との比較を通して‑
はじめに
今日までの土佐節研究は、浄瑠璃史における土佐節の位置付けを考察し'書誌的研
(‑)究を推し進めながらも、その芸術性については常に懐疑的であった。土佐節研究に先
鞭を付した若月保治の著作をはじめとし、土佐節の戯曲内容について言及する多‑の
論文は、それが甚だ租悪なものであることを指摘している。また、元禄から宝永にか
けて江戸で人気を博した土佐座の実態に主眼を置いて行われた研究においても'やは
りテキストの芸術的価値は前提とされていない。
土佐節の語り物については、首尾不一致'文意不明瞭'修辞過多等々がその特徴と
して挙げられてきた。そしてこういった'どこか垢抜けしない煩雑さは、戯曲だけで
はな‑'その記譜にも多分に覗われる。
土佐節の節譜の多きは浄瑠璃随一とも言える。角田一郎氏は'「土佐浄瑠璃曲節考1
(‑)義太夫節との比較を通して」 において、土佐節正本「鈴鹿山大嶽丸」中の文字譜へユ
リ) の類例、ユリステ・ユリモトシ・ユリウツリ・ユリハコヒ・イロユリ・ツキユリ・
≡ツユリ・七ツユリを掲出された。氏はここで、ユリの語が上置きの場合 (エリステ・
ユリモトシ等) と、下置きの場合 (イロユリ・ツキユリ等) とを区分して示されてい
るが、土佐節の文字譜にはこの類の複合語が多‑、その組み合わせによって数限りな
く文字譜が生み出されているのである。また、土佐節の胡麻章は'他の浄瑠璃に比べ
て下げ章・上げ章の角度も大き‑、形状も横に長いものが多い。これらのバラエティー
に富んだ文字譜と胡麻章によって、土佐節譜本の見た目は'非常に賑やかなものとなっ
てい
る。
さらに、土佐節の諸本にみられる特徴的な記譜として、特殊な形式の符号(句読点)
が挙げられる。土佐節には'1股的な区切り点である自丸印 (○) の他に'○○印・
〇〇〇印,または∞印など、縦や横に並べられた複数の○印や、△印▲印・←印など,
多種の符号が用いられている。典型的な土佐節諸本の版面例として'図版①(「周防内
l,1二
侍美
人桜
」)
を
掲出
する
ので
、参
照さ
れた
い。
このようを複雑な節譜を駆使しておきながら、土佐節には上方の加賀操・義太夫が
田 芋 川 み ず き
盛んに著した節付解説、技法論といった浄瑠璃芸論にあたるものは残されていない。
よって'数多‑の文字譜'躍るように指された胡麻章、複数の○や▲などの符号は、
ますますその意義を明らかにし難いのである。
l
・ T I
筆者は先に「カ、ル考‑土佐浄瑠璃正本を中心に」において、先行芸能である謡曲'
後に江戸へ進出して土佐座の存続を脅かしてゆ‑義太夫節を土佐節の比較対象とし、
三者に共通する文字譜へカ、ル) について考察した。記譜が安定しており'豊富な技
法論を有する謡曲および義太夫節を、土佐節と詳細に照合してゆ‑ことが'研究材料
に乏しい土佐節の技法理論の探求に、きわめて有用であると考えたためである。土佐
節正本には'宝永五年に木下甚右衛門が土佐節の語‑物をシリーズ化して出版した、
まとまった刊行物が知られている。しかし、それ以前の正本は数も少な‑、土佐節作
品の初演時、また正本の初版時の多‑が確認されていない。前掲拙稿では、土佐節の
宝永五年本とそれ以前の刊行本との節付を比較し、(カ、ル)記譜の変遷について述べ
た。本稿においては'調査対象となる記譜の年代を踏まえた考察は行っていないが、
土佐節の節付体系の解明が進むことによ‑、こうした研究上の問題にも、何らかの示
唆を得ることが出来るのではないだろうか。
なお、土佐節と同時期の江戸古浄瑠璃である外記節や半太夫節、またそれらの名残
を留める長唄、河東節などの正本および記譜も、土佐節を考える上での重要な資料と
なろうが'その範囲は甚だ広‑、詳細な研究には今後さらなる時間を要する。よって
本稿では、ひとまずは右に記した通り謡曲と義太夫節を比較対象とLt 土佐節正本の
「譜本」としての一側面の性質について考える端緒としたい。
「 土佐節譜本の文字譜摂取
土佐座の祖である土佐少操と'ほぼ同時期に京都で活躍した古浄瑠璃太夫、宇治加
賀操の謡曲摂取はきわめて明快である。加賀操の芸論には'謡曲からの影響が随所に
xs .
垣間見られ、「このしやう謡のごとし」として胡麻章の実例を挙げるといった箇所もみ
られる。しかし'数多‑の正本を世に出した土佐少操には、今日までのところ、この
類の著述は知られていない。
そうした中で、筆者があえて土佐節から、謡曲に関連する特徴的な文字譜を挙げる
とすれば以下の通りである。 から上音への下降は単に下げゴマをもって示してゐたのを'中世からクリ音の終
りに人を用ゐて上音に戻ることを表はす便法とし
たのである。従ってこの時の入
D C B A
カ、ル・クリ入 (クル入)・シヲリ
乱拍
子・
舞
(舞
有)
・ク
セマ
イ
キザミ・ナガシニアハ (デハノ手)
引取
・地 拍子
・打 切
これらの土佐節謡曲関連文字譜の特徴として挙げられるのは'すぐにはそれと判り
難い'言うなれば'ややマニアックなものということである。
Aグループの「カ、ル・クリ入(クル入)・クリ上・シヲリ」は'カ\ルに関しての
み前掲拙稿を参照していただ‑こととし、まずはクリ入 (クル入) について考察して
ゆきたい。クリとは漢字ならば「繰り」と表現される、日本音楽では常套的な用語で
あ‑、謡曲にも、義太夫節にもみることができる。ただし江戸期の刊行謡本においてはへ
(クル) は頻出するものの'土佐節のように (クリ入 (クル入))と記されたものは管
見に入らない。義太夫節に関しても'近松時代の作品に限定して ﹃「近松全集」文字譜
索引﹄ に拠った場合、クリ・‑り上・クル・謡クル二詰同音クル・クルフシという使
用例しか確認できない。
ところが近代に入ると'謡曲の節付解説本に (クリ入 (クル入)) について言及する
ものが登場する。以下に、その二例を引用する。
繰‑ 柔吟にては上音階より五律上の音階の音。剛吟にては上音階より≡律上の
音な
り。
繰‑は柔吟、剛吟とも平声譜と振り節とに限り'補助記号として「クル」 の文字
を附したるものな‑。拍子に合ふ所と合はざる所とにあ‑。
繰‑節は上音の入り節'又は入り廻し節と結合して一種の節附となるものなり。
後章入り廻し節の項に於て詳説す。
1 字 繰
‑ 線 引 節 は 覇
l字繰‑は繰‑節1個を単独に詣ふものにて、繰‑節の次には必ず去声譜があ‑
て、之れより上音に復するものな‑.一字繰‑の附したる詣ひ所は二百九番中極
めて稀なり。
・・
・・ 二
(田
崎延
次郎
﹃観
世流
謡曲
階梯
﹄、
傍線
部筆
者注
)
一クル一入 クリ入‑と云ひ'各曲随所に多数ある節扱ひである。元来、クリ音 はクリ音からの下降を示すのみで特に再び入節の扱ひをするものではない。即ち剛吟ではクルはクルの項で述べた如‑に扱ひ、人の音尾はハネるのみである。(上音に於ける下の前の仮名と同様)。柔吟では人のある仮名の生ミ字で上音に下げ、その反動で次の字の音頭にツツコミと云ふ一種の技巧があって上音に安定するのである。このツツコミはクルのあとが小人廻シの場合は次の字でなくへ その廻シの音尾で謡ふ。尚偶々柔吟のクリ音が長‑続‑場合、途中で一字だけ上ノウキに声を抑へて再びクリ音を続ける例がある。その時は抑へる音の下げゴマの上にオの記号を附して示す。
3j=円(藤波紫雪﹃うたひ六十年 紫雪おぼえ書﹄、傍線部筆者注)
ここで、図版②・③・④をご覧いただきたい。図版②は、万治二年衣更着山本長兵衛注
(co)入‑本「清経」の一部である。二行の内に'文字譜(クル)が二つ付されているが、こ
れらはすべてへクル)単独の記譜である。図版③は、明治三二〜四年刊観世流五番綴
(.リ二謡本の、「清経」同箇所で、ここでも(クル)は単独記譜。変化がみられるのは④の観
、i i,
世流現行謡本で'三箇所のうち後半の二箇所は、続‑胡麻章に(入)を伴って記譜さ
れている。﹃うたひ六十年 紫雪おぼえ書﹄ で、クル一入」 で立項されていたのと同
じ体裁である。これでい‑と、(クル入)は'ご‑近代になってから謡本に登場する節、
ということになる。しかし、﹃うたひ六十年 紫雪おぼえ書﹄ には、「中世からクリ音の
終‑に人を用ゐて上音に戻ることを表はす便法とした」とあ‑、中世からとする根拠
は記されていないものの'(クル入) の節が、謡本に記譜されるようになるかなり以前
から存在したことを、実演者としての立場から示唆している。もちろん、﹃観世流謡曲
階梯﹄ 中の記述もそれを覗わせる。実際に、江戸期の謡本に末筆で記された直しには、
クルに続いて (入)を書き入れたものが相当数認められ、それらのすべてが近代以降に
書かれたものとは考えに‑い。つま‑、いつからと断定するのは難しいが、謡曲におけ
る (クル入) の節は、江戸期のある時点から確立していたものと考えられる。
江戸期の謡本が(クル入) の (入) を明記しなかったのは'当時'謡本の記譜を、
あえて省略することが慣例化していたことと関係するものだろう。それは1説には、
謡教授者の仕事を奪わないための便宜とも考えられている。しかし近代に入ると、よ
‑詳細な記譜を施した謡本が流行し、そうした慣例は瞬‑間に廃れていった。江戸期
の謡本が(クル)としか記さなかった箇所の多‑に、(入)が続いて示されるようになっ
たのは、こうした経緯と連動したものである。
そういった中で'元禄から宝永にかけて流行した土佐節の譜本が、(クル入(クリ入))
という文字譜を既に使用していることは、興味深い事実である。これは、土佐節の性
質を示すのみならず、謡曲の節付研究においても貴重な資料であるといえよう。
次のへシヲリ)という文字譜も'義太夫節には採用されていないものである。ただし、
1股的な言葉として使われることはよ‑あったらし‑、荒木繁氏は、説経の天満八太
夫の美声を形容して記された「しお‑」について、以下のように述べられている。
(天満) 八太夫は美声であったらし‑、「しお‑うらごへゐつ‑し‑」と評されて
いる。裏声が美しかったというのはわかるが、「しお‑」というのがよ‑わからな
い.
信多
氏は
前記
論文
(筆
者注
・信
多純
1氏
「天
満八
太夫
雑考
」)
で
、「
その
「し
お‑」 や「うらごへ」 の甲高‑して哀調のある音声が美しかつたと言ふ」と説明
されている。穏当な解釈で、だいたいそういう意味だろうが'二二'用例を拾っ
てみたので参考に供したい。(中略) もう一つは、﹃太平記﹄巻十七「金峰船遊び
の事付けたり白魚船に入る事」で'島寺の遊女が次のように歌う箇所である。
「翠帳紅閏'万事の礼法異な‑といヘビも'舟の中波の上、1生の歓会これ同
じ」と'時の調子のまん中を三重にLは‑歌ひたりければ ︹後略︺
これは「しはり」が動詞に用いられた例である。
C 3>
(荒
木繁
「説
経の
盛衰
」)
実はこの「しはり」 に関しては、能楽伝書にも記述がみられる。
一字しはり、二字Lは‑と言ふことあ‑。一字しほ‑は'
字
謡、
︺
二宇
目を
し
ほるを'一字しほ‑とて、‑る節の本也。
(川 化)
(傍 線部 筆者 注・ 慶長 以前 成立 ﹃ 八帖 花伝 書﹄ 第三 巻)
二観世流にくると付を、金春流にしほると付也。
一、「入」二字しはる心な‑。但急ナリ。
一㌧ 「‑る」 ハゆうに二字しほるなり。 又観世流こもしほると云ふし有。
一、四こしほる曲と云ハ、矢を左右にいだすがごと‑'いかにも声をしほりて、よ
くゆひ入て、声をしほ‑てひしぐべし.声をいかるハ悪。愉バ立声なり共'たゝ ぬ様にしはるべし。よは‑云べからず。さあ‑とて又'声をあ‑のまゝ出すべか
らず。力を入て‑るべきな‑0
( 3>
(傍
線部
筆者
注・
慶長
十一
年頃
成立
「節
章句
秘伝
之抄
」)
ここには、荒木氏が考察されたような1般用語としての「しほる」 (傍線部) だけでな ‑'節の名称としての へしはる) (波線部) も登場している。「一字しほりとて、くる節の本也。」「観世流に‑ると付を、金春流にしほると付也。」との記述は'上掛り(戟世・宝生) が(クル)を付す箇所に、下掛‑(金春・金剛・喜多) は(シホル)を用いるという形で江戸期の謡本に確認され'今日においてもなお各流派の特色となってい
る。
土佐節が、高い音を示す一般用語として(シヲリ)という文字譜を採用したのか、
又は下掛‑の謡本から取‑入れたのかはわからない。しかしいずれにしても'音階や
節を表す言葉をピックアップしては譜本へ組み込んでゆく、土佐節の貧欲な姿勢が感
じられる事例である。それに加えて'先述の (クル入) の件からは、そうして先行芸
能などから取‑入れた節を、簡略化することな‑、そのままに記譜するといったひと
つの傾向が認められる。
一方、Bグループの 「乱拍子・舞(舞有)・クセマイ」は、いずれも謡曲からの摂取
と考えられるが (ただし、(舞) に関しては辛苦舞曲の可能性もあり)、語‑に付随す
る記譜というよ‑も'舞台上の所作'または輝子事を示したものと思われる。義太夫
( 3)
節に
も(
舞)
辛(
クセ
)
の記
譜が
ある
が、
それ
らは
(中
舞)
へ舞
詞)
(
舞フ
シ)
、(
謡ク
セ)
(りタヒクセ中)など'語‑とその音階を示すような複合語となっている場合が殆どで
ある。それに対し、土佐節が'(舞)だけでな‑(舞有)といった記し方をしているのは、
やはり語‑以外の要素との連携をとる意味合いが大きかったのではないだろうか。
さらに、Cグループの「キザミ・ナガシニアハ(デハノ手)」t Dグループの「引取・
地拍子・打切」も'能楽伝書等にみられる'聯子に関係する用語である。実は土佐節
譜本には、こういった嚇子関係の記譜が他にも多‑存在している。次章ではその実例
を示しっつ、土佐節と輝子について'考察を行うこととする。
二㌧ 土佐節と嚇子
土佐節の嘩子関係文字譜の中でも'最も特徴的なのが'「掛け声」と 「唱歌」である。
このうち、土佐節の掛け声について記した角田一郎氏の文章を、以下に二種引用する.
」 1 . :
∴
・ . .
・ とか「ハア」「ヨヲイ」というようなのは、磯子の掛け声にちがいない。正しくは
文字譜とは言えないが、便宜上文字譜に扱ってお‑。﹃人形浄瑠璃舞台史﹄第1九
図の、明暦大火前とされている江戸図犀風の人形座には、舞台奥の太夫の横で三
味線引と並んで太鼓を打っている楽人が措かれている。画面には太鼓は見えない
が構えている擬から能楽の太鼓と同様に思われる。初期歌舞伎絵に常に見られる
ものである。﹃鈴鹿山大森丸﹄ ではこの類の文字譜がなお「イヤ」「イツヤ」とあっ
て、合わせて五種である。(中略) 拍子のむずかしい箇所らしい。
(傍線部筆者注・角田一郎「土佐浄瑠璃曲節考 ‑義太夫節との比較を通して‑」)
文字譜「ヨヲイ」は太鼓の掛け声。人形座の太鼓打は「江戸名所図犀風八曲一双」
に見る通りのことである。
' li = )
(角 田一 郎「 古浄 瑠璃 土佐 節の 口三 味線
」)
土佐節譜本中の掛け声記譜例として'図版⑤・⑥(「周防内侍美人桜」・「小野ノ道
( S)
風」)を挙げてお‑のでご参照いただきたい。
土佐節譜本中に記されたこうした掛け声を'筆者が ﹃土佐浄瑠璃正本集﹄ からすべ
て抜き出したのが'左記のAからNである。
I H G F E D C B A イ ハ ハ ヤ ヤ ア ヲ
イヤア
イヤハ
イツヤ
イヤハア イヤハアア
→J イツヤア
K イツヤハア L ヨ ヲ イ M ヨ ウ イ N ヲ イ
<E 3>
角田氏も言及されていた ﹃人形浄瑠璃舞台史﹄
の他'太鼓や小鼓などの楽器が措かれてお‑、
ように解説している。 第一九図㌧ 「江戸図昇風」には'三味線﹃人形浄瑠璃舞台史﹄ は、これらを次の
舞台後方には、太夫と三味線弾きの姿がみえる。太夫座が舞台の後ろにあった
ことが明確になる画証である。(中略)またその太夫座の横、舞台下手側の楽屋に
は鼓を手入れする者や人形を整えるものなどの姿があ‑、楽屋口と思われるとこ ろには、三味線も並べられているのがみえる。鼓の用途としては舞の場面などに輝子として使われたことが想定されるし、また一日の興行の最初などに行われる三番里や高砂などの能の操‑の場合にも輝子として使われたことが考えられる。
「江戸囲犀風」 に措かれているのは明暦大火前の人形操‑座であるが'興行前の能操‑
はその後も行われている。何よ‑も土佐節の譜本に、(デハノ手)などの文字譜がみら
れることから'土佐産でも、能楽嚇子に類する楽器類が使用されていたと考えて問題
なかろう。
なお、これらの掛け声の中に、三味線の掛け声として記譜されたものがある可能性
も否定できない。しかし、右の (デハノ手) の他、(キザミ) (ナガシ) のような嚇子
関係文字譜が多いこと、記譜された掛け声の長さや性質などから、大半は嚇子の掛け
声であると想定して考察を進めたい。
さて、能楽嚇子の掛け声については'横道寓里雄氏が「ヤ・ハ・イヤ・ヨイの四種
( s)
を基
本と
する
」
(﹃
岩波
講座
能・
狂言
第
四巻
能
の構
造と
技法
﹄)
と
Lt
掛け
声の
実際
について以下の通り詳細に記している。
実際の掛ケ声は、単純に「ヤ」「ハ」と発音するのではな‑'種々の色ど‑がつ‑。
まず謡と同じ‑母音が奥母音化するので、「ヤ」は「ヨ」 に近‑、「ハ」 は「ホ」
に近‑なる。また、(中略)指を越えて声を引‑ときは'声ヲ折ルといって「ヤオー」
「ハオー」 のように発音し、「オー」 の部分は声の音色を変えて高‑細‑する。「イ
ヤ」を柏を越えて引くときは、ただ「イヤー」と引‑ばあいと、「イヤッア」また
は「ヤッア」 のように二段に分けるときとあ‑、後者は夕タム・コスなどと称す
る曲節に用いる。「ヨイ」も「エイ」「ヨイ‑」などと変化する。
図版⑦は、地拍子を示す罫紙に観世流謡曲本文を割り付け、幸流小鼓・葛野流大鼓・
( 3>
観世
流太
鼓の
譜を
記し
た
﹃謡
曲手
引八
拍子
﹄
(安
永七
年)
の
一部
であ
る。
「ヤ
」「
ハ」
「イ
ヤ」「ヤア」などの掛け声が確認できる。また、慶長頃に古活字本が開板され、江戸期
に広‑流布した能楽伝書﹃八帖花伝書﹄ の第四巻には、「や声の位。「やつ」と云声は'
舌を︹打付‑る。「あっ」と云声は、舌を︺引入候。「ゑい」と ︹云︺声は胸より出る。
や声は胴よ‑出る息な‑。」との記述がみられる。﹃八帖花伝書﹄ にはへ この 「や声」
< s
>
と「ゑい声」という言葉が散見される。ちょうど横道氏が指摘される基本の掛け声四
種のうち、ヤ・ヨイに相当するものといえるだろう。その他'江戸期に成立し、今日
まで残されている多くの暁子伝書からも、横道氏が提示する掛け声の基本は、土佐節
の活躍期には既に確立していたと考えられる。
能 楽 【艶子 土佐 節
ヤ A ヤ ヲ
ノ、 B ハ
C ハ ア
F イ ヤ"
H イヤ蓄素手
1 イヤ ハ アア
K イ ツヤ 亮 華
イヤ D イヤ
E イヤ ア
F イヤ ハ
G イ ツヤ
H イヤ ハ ア
Ⅰ イ ヤ ハ ア ア
J イ ツヤ ア
K イ ツヤ ハ ア
ヨ イ L ヨ ヲイ
M ヨ ウ イ
N ヲ イ
土佐節の口三味線については、角田一郎氏が「古浄瑠璃土佐節の口三味線」 において
既に言及されている。右のAからFまでは'口三味線としてほぼ間違いなかろう。また、
GからⅠも、三味線の技法を指定したものと考えられる。(H
l方、1の「ツク」とK・Lの「ツトツク」・「ツトツツク」は'太鼓の唱歌と解釈
することも出来'今後の調査が必要である。同様に'Mのヒシグ(ヒシギ) は、角田
氏が紹介された土佐節の口三味線の書き込みで、「三筋ヲヒシグ」という記述がみられ
ることから'大方三味線の弾き方を示したものと思われるがへ能管の技法「ヒシグ(ヒ
∴∴
、
シギ)」との関係も考慮に入れておきたいところである。
最後にNのヒヤ、0のヒヤアであるが、これは笛の唱歌ではないだろうか。以下の
例は、﹃土佐浄瑠璃正本集﹄中のN・0の記譜箇所のすべてである。
︻表①︼ は'その横道氏の分類に基づいて、土佐節の掛け声AからNまでを振‑分け
てみたものである。こうしてみると、土佐節の掛け声には、能楽嘩子の掛け声の原則
から逸脱したものは見られない。さらにこれらの掛け声には'横道氏のいわれるよう
な「種々の色ど‑」を豊富に確認することができる。例えばⅠの「イヤハアア」、Kの
「イッヤハア」t Mの 「ヨウイ」などからは、実際の掛け声を、忠実に文字に起こして
いたことが想像されるのである。
一方、土佐節の唱歌、または楽器奏法に関連する用語についても、﹃土佐浄瑠璃正本
集﹄ よ‑、それと判るものを掲出してみた。
イ
キ
ヲ
イ
ヒ
ヤ
けたおして。ゑひと言てふみければ。たちまちむなし‑成にけ‑
ヒヤ只今首を引ぬ‑と。まなこもぬけよと押つける。
ヒヤかたさき懸てはっしと切る。
(小
野ノ
道風
)
(小
野ノ
道風
)
(小
野ノ
道風
)
ヒヤヤヲおかへの三郎とを′.1みにはら小次郎。 二ひきつれたるからしゝの。
引 ヒ ヤ 下 ウ タ ヒ 地
てきは二人でありけるに。さもしやかた︿よ。
カ
、
ル
ヒ
ヤ
ア
下
ヒ
ロ
イ
飛てかゝる其いきほひ、ヲ、'おそろしかりける
(世
継曾
我)
(世
継曾
我)
次第
也。
(
新撰
一心
二河
白道
) O N M L K J I H G F E D C B A
テン
ツト
ツテ
ツンテ
テンーン テンツンダン ウツ三ヲヲス 合ノ 手 ツクツ ト ツ ク ツ ト ツ ツ ク ヒシ グ (ヒ シギ )
ヒヤ
ヒヤア *
カ
ヽ
ル
ヒ
ヤ
一
シ
ノ
⁝
いらかの介抱こそと。心の内にておかし‑て。にっこと笑ひ。
ヒヤ
(小
野ノ
道風
)
今あ‑かたき男色。かひまみた‑し色女。いなにはいかてあ‑まなる。
ヒヤ夏のほしめはかならすLも。迎をこさんと御約束。
イ
ロ
ヲ
ク
リ
ヒ
ヤ
ハ
ア
ユ
リ
モ
ト
シ
おもふ人にはそひもせずかゝる。うきめを見ることよ。
カイドウ下リ ウタ ヒヤ アイノテ
そでとそでとを。かさねあわせてあをいくさ。
(小
野ノ
道風
)
(小
野ノ
道風
)
(世
継曾
我)
(し
つか
恋草
舞の
段「
蘭曲
文音
大林
集」
)
前半の六例は'すべて合戦が行われている場面である。それに対し'後半五例は'色
事的な要素が強い場面となっている。ヒヤとヒヤアの記譜箇所の内容は一貫しており'
作曲者がこういった場面に意識して用いていたものと考えられる。図版⑧は、演劇博
∴ 、 ・ . I
物館所蔵「笛太鼓付」にみられる森田流の笛唱歌であるが、この資料に限らず、「ヒヤ」
というのは笛唱歌の常套句である。
先述した磯子の掛け声の記譜等により、土佐節の上演に、鼓などの打楽器が関って
いたことはほぼ確実とみてよいだろう。そうなれば'能楽嚇子の中で唯一の旋律楽器
である笛も、当然組み入れられていたと考えても不自然ではない。土佐節譜本にみら
れるこれらの掛け声、唱歌からは、土佐座が輝子を多用し、音楽性に長けた上演を行っ
ていたことが推定されるのである。
三、
土佐
節の
句読
点
土佐節には'今日においても多数の伝本が知られている。それらの集大成として、
昭和
四七
年(
19
72
)
から
同五
1年
にか
け、
鳥居
フミ
子氏
によ
る
﹃土
佐浄
瑠璃
正本
集﹄
' I' ; I
全三巻が上梓された。ここまでの章に記した通‑、土佐節譜本は情報量が豊富で'そ
の翻刻は困難を極めたと想像される。それらを乗り越えて成立したこの基礎資料整備
は'評価されてしかるべき偉業であるといえよう。
凡例によると、同書では多数の文字譜も「印刷上の都合で多少ずれた場合もあるが'
大億において原本の位置に記した」とある。ただし'本稿の冒頭でも記した土佐節独
自の区切り点各種の対応には苦慮したものとみられ、次のような判断が示されている。
本文
の区
切‑
は、
原本
の○
印・
〇〇
印・
〇〇
〇印
・
原本
の●
印は
'「
'」
(
読点
)
とし
た。
ただ
し、
「、
」
上私に加えたものもある。
ゴマ点のうち、△は'比較的印刷が可能なために' ∞印o8印は○(句点)とした。
(読点)の中には'読解の便宜
これを記すことにした。
研究の基礎となる初期の翻刻作業において、この措置はまずは妥当なものであったろ
う。しかし、土佐節の大きな特徴であるこれらの符号の問題は、さらなる検討の余地
があると考えられる。
I { . . I
図版⑨は、土佐節段物集「土佐節」中の「ゆふらん揃ゆやまんじゆの追行」 の一部
である。中心の行の上方'「うつゝとゆめもひとふたミ」 の右横に付された●を参照さ
れたい。「ゆめもひとふたミ」という形になってお‑、●印は、通常の句読点の場合と
異なり、字の真横'胡麻章の位置に配置されている。位置的にも、数的にもこれを句
読点とするには無理がある。しかし、﹃土佐浄瑠璃正本集﹄の凡例から言えば'「ゆめも'
ひ、とふ、たみ、」と翻刻せざるを得ないだろう。
こうした問題点は、実際の ﹃土佐浄瑠璃正本集﹄ にも表れている。
ハ
ヅ
ム
ギ
ン
ハ
ア
雲にかけはしかけそむる君が心がなぞ ‑ ならば。うちとけてとけてかたろもの
ヨ
ヲ
イ
ギ
ン
ム
ス
ビ
イ
ツ
ヤ
とけぬはふぢの。ふひのしら雪みな月の。もちの日きえてその夜ふる。つきぬ思
上
ハ
ル
ク
ル
ひは。うやつらや。あだし恋路はいなものじゃ、
これ は'
﹃土 佐浄 瑠璃 正本 集﹄ に翻 刻さ れて いる '土 佐節 段物 集﹃ 蘭曲 色竹 1﹄ 所収 '「 は
な世まひの段」 の終曲部である。謡曲や浄瑠璃のような、広義の語り物系芸能は'通
常曲の最後の一文に句読点を用いない。清田弘氏は、江戸期の謡本において、句点が
∴ i. )
行頭に置かれていたことに関し、以下のように指摘されている。
これは謡うための息継ぎを表わす譜号なのです。そして同時に拍子に合う部分で
は一拍の間に相当します。(中略) この句頭の位置を、その後の謡本では前行の下
に移したものだから意味が不明瞭にな‑、はては文章上の句読点と混同されるよ
うになってしまいました。
確かに、句読点を息継ぎの符号と考えれば'終曲部に句点を用いないことは理にかなっ
ている。これ以上、語り(または謡い)続ける必要がないからである。土佐節の正本も、
原則として終曲の一文に句読点を用いていない。しかし、右の「はな世まひの段」終
曲部には、本来あり得ないはずの読点が付されている。これは、図版⑨にあったよう
な胡麻章の位置に記譜された●印が、凡例に沿って読点として翻刻されてしまったた
めの敵歯なのである。
角田1郎氏は、土佐節のこういった符号について、早い段階から拍子に関る記号で
はないかという見解を示されていた。
旬切‑のうち黒丸は、﹃逸題土佐節段物集零本﹄(家蔵)中の一曲「兼好花う‑の段」
の題下に「クロキホシハ其中へアタル拍子也」と印刷されている。これから見て'
序詞の中の句点二個並びも拍子の関係を示すものらしい。
(「
土佐
節正
本の
口三
味線
譜」
)
土佐節段物集「土佐節」から、同じ「兼好花う‑の段」 の冒頭部分を図版⑲として掲
出した。このような解説めいた文章が正本に付されるのは、土佐節には非常に珍しい
ことである。
土佐節にとって、この 「拍子」ということが大切な要素であったらしいことは、数
(S 3)
種が残された正本奥書の文章のうち、次の二種からも覗うことができる (傍線部筆者
注 ) 。
世間こしやうきしの本数多錐レ有レ之自」見するに誤‑有レ之太夫直之本とは」各別
相違仕ルにより今又改之土佐少操自筆之Lやうさし所々ふし拍子清」濁しやうに
不及所は片仮名にてしらせ拍刊可動刃叫引粛封吋曙Uで此1流稽古之」方御調法に
もならんと令板行者也」
武府城下 本間屋板行
世間にLやうさしの本土佐一流の板行は'予が家ならでは無之処に'頃日方々に
て似せ板行仕'数多出之といえとも誤‑有之'太夫直之本とは各別相違仕ルによ
‑、今又改レ之、土佐少操自筆之章さし所々ふし拍子を付、清濁を極t Lやうに
不及所は片かなにてしらせ、習い可'此一流稽古之方御調法
にもならんとて'予が開板之印には'正利と有之角判をおし、令板行出之詫
小伝馬町三町目 木下甚右衛門 口圃∪
全体としては、他の浄瑠璃等でも良‑見られるような奥書の文章であるが、傍線部の
「拍子のあたり所を吟味して」との部分は、土佐節独自のもののようである。この、土
佐節には珍しい技法上の主張を感じさせる'「兼好花うりの段」標題下の 「其中へアタ
ル拍子」、奥書の 「拍子のあたり所」とは、どういった意味をもつのだろう。
ここで、土佐節の●印が、句読点とは異なる用いられ方をしている例を今一つ紹介
したい。図版⑪は、土佐節段物集「土佐節」中の'「開山揃いのりのたん」の一部である。
二行目上および三行目下に注目すると'通常の句点の位置にある○印から少し離れた
右側に、●印が付されている。そしてそれに密着して、「イヤア」という掛け声が記さ
れているのがわかる。これは'土佐節の譜本の中でも非常にわか‑易い例だが、土佐
節譜本中にみられる磯子の掛け声は'かな‑高い確率で句末の符号に付随して記譜さ
れており、旬の途中に記される例はあまり見られない。このことは、土佐節に用いら
れる輝子と、〇・〇〇・▲等の符号が意味するところのものが、密接な関係にあった
ことを想像させる。
先に掲出した﹃岩波講座能・狂言 能の構造と技法﹄の横道寓里雄氏の文中には、「打
楽器の打音には多く掛ケ声をともなう。掛ケ声は原則として打音の半拍前にかけ'そ
の声の種類と気勢によって打音を性格づけ、柏の配置を明らかにする」とある。打楽
器の掛け声が、打音と連結したものであることからは、右に述べたような'土佐節の
掛け声と符号の関係が連想される。さらに、能の打楽器の打音は'初期の段階から〇・
●・▲等の符号で示されてきた。前章で挙げた図版⑦の ﹃謡曲手引八拍子﹄ にも'こ
の種
の符
号が
確認
でき
る。
同様
の例
とし
て、
万治
二
(1
65
8)
年に
、所
作や
装束
付な
ど
E { ・ . I
の頭注を付し、笛・小鼓・大鼓・太鼓の譜を記した画期的な謡本「七太夫仕舞付」を、
図版⑫として掲げた。この謡本の本文横には'●や▲で輝子の譜が記入されてお‑'
時には●‑●・‑‑というように連結した形で示されている。
第一章では、土佐節が先行芸能の節付を'よ‑詳細に、食欲に摂取していることに ついて述べた。そういった視点から、土佐節の複数の〇、●△▲などの符号が、図版⑫にみられるような嚇子の譜からなんらかの影響を受けて成立した可能性もあるだろう。さらに'謡本にみられる磯子と拍とに探‑関る間拍子、ヤ・ヤヲ・ヤヲハの間は、句点横に記譜されるのが慣例である。このことも、土佐節の掛け声と符号との関係に'深い関連性を感じさせるのである。つまり'土佐節の図版⑪にみられるような●印は'輝子の打点を示しているのではないだろうか。
もちろん、土佐節の符号がすべて嚇子の打点であるとは考えられない。例えば、○
○印、〇〇〇印などは'謡曲のように区切り点を1柏ととる形態に沿って'二柏や三
相を示していることも推測できる。その他にも、輝子の打点という発想に近いものと
しては、扇拍子の打ち所'という解釈も可能ではなかろうか。
蒲生美津子氏は、能楽とも深い影響関係が指摘されている早歌の「拍子点」について、
次のように記されている。
早歌の各曲をリズム構造の側面から見ると'非拍節的な「延曲」様式と、拍節
的な「只地」様式のふたつが存在することが明らかである。(中略) 「只地」は早
歌の基本となるリズムで'その具体的な拍節構造は、ハカセの下に付された拍子
点によって示されるのである。
早歌の復原を最初に試みた東儀鉄笛 (雅楽家'本名季治) も'この拍子点の存
在に気付き'「」は扇拍子を一拍、「⁚」は二拍打つもので'「∵」 で一つの単
位を形成すると考えた。拍子点を雅楽の催馬楽に関連させて解釈した結果である。
横道寓里雄氏はこの誤‑を指摘し'早歌の只地の拍節は謡曲の八拍子に関連させ
て考えることが可能であること、「‑」が単位であること、各拍子は等柏であり、
謡曲の地拍子の奇数拍に相当する位置にそれが点ぜられていること'上半句・下
半句のそれぞれにふたつずつの拍子点があることなど、といったもっとも基本的
な事実を明らかにした上で、七五調一句は次のように割り付けられると推察され
た。
( a)
(﹃
早歌
の音
楽的
研究
﹄)
早歌Ⅰ型
早歌Ⅱ型(
謡曲
平ノ
リ)
(第 一拍 子) (第 二拍 子) (第 三拍 子) (第 四拍 子)
なに‑がなに‑してなにとやら。
なに‑がなに‑してな‑にとやら。
な・
・・ にが な⁚
・に して
‑な にと やら
。 一 二 三 四 五 六 七 八
扇拍子というのは、中世から近世にかけての日本の古典演劇に、広‑行われた技法だっ
た。浄瑠璃においても、宇治加賀操の芸論﹃竹子集﹄序文に'「扇子拍子ハ語‑出すさ
きの位をLやミせんにしらせんためなれば。一息 ‑ にうつものにあらず。さきの‑
らゐをすゝめんとおもふかしづめんと思ふ時はかりうつへし」という記述がみられ、
逆説的に言えば、一息 ‑ に扇拍子を打つようなことが当時の浄瑠璃にはままあった
と解釈できる。先行芸能の音楽的要素を'積極的に取り入れていた土佐節の符号につ
いては'こうした方面からの考察も、あるいは有益なのではないだろうか。
結び
冒頭に記した通‑、土佐節の戯曲が芸術性に欠けていることは'これまでにも指摘さ
れてきた否定できない事実である。しかし、その記譜に関して言えば、戯曲と同様に修
辞過多な煩雑なものであ‑ながらも、戯曲内容に比して、ある種の情熱、こだわ‑の
ようなものが感じられる。戯曲の内容と異なり'記譜の煩雑さは版下の作成等に直接
影響するものであるのに、簡略化されなかったのにはそれな‑の理由があったろう。
和田修氏は、土佐節の性質に関して次のように述べられている。
理屈を好まない土佐少操の体質は、貞享期から一貫しているわけで'歌謡とそれ
にともなうきらびやかな人形の舞踊に趣向を凝らすことになる。むしろ人形舞踊
のための伴奏といっていいかもしれない。
( R)
(「
江戸
古浄
瑠璃
の衰
退と
歌舞
伎」
)
土佐節にとって、複雑な節譜に加え、磯子の掛け声、唱歌、拍子に関る記譜などは'
上演そのものを引き立てる大切な要素であ‑、それこそが、土佐座の誇るべき芸術性
そのものであったに違いない。してみればこの煩雑な譜本は'土佐産の華麗な「人形
舞踊の伴奏」全体像を示す総譜なのである。
こういった、奏演の全体像が把握できる形式は、日本の一般的な譜本とは'自ずと
趣を異にしている。例えば雅楽や能楽の諸本は、原則としてパート毎に分割されてい
る。図版⑫に掲げた「七太夫仕舞付」のように、総譜に近い内容を持つ謡本も出版さ
れてはいるが、謡本出版の大勢を占めたのは'謡部分のみを単純に記した謡本の方で
あった。一見良本に思える「七太夫仕舞付」は'江戸期の再版が確認されていない。
舞台上の動きや装束、聡子については単独の伝書が刊行されていることから、当時の
謡本購買層がそうしたことに興味がなかったとは思わないが、謡を謡うための教則本
の版面は、シンプルである方が好まれたようである。同じように'土佐節の上演用の
複雑な総譜は、土佐節の語りそのものの稽古者を、徒に混乱させるだけだったのでは ないだろうか。
と‑どりの文字譜・胡麻章・符号で溢れ'しかもそれについて体系的には語られず、
\
・ 7 ]
記譜そのものも、時代によって大き‑変更されてしまった土佐節譜本。同じ浄瑠璃で
も、戯曲を重視し、次世代への伝承を念頭に節付体系を整え、芸論を示した上方の加
賀操'義太夫とは全‑異なる態度がそこにある。しかしだからこそ、こういった特異
な性質を有した土佐節譜本は、日本の譜本史を考える上で重要な意味を持っており、
今まで以上に注目され、研究が行われてしかるべきものであると考える。
元禄・宝永頃が絶頂期であった土佐節はその後、義太夫節などに押されて当然のよ
うに消滅していった。しかし、その遣物として今日まで伝えられた土佐節の正本は、
日本古典演劇の譜本史上に異彩を放つ、きわめて畳惑的な譜本なのである。
注(
‑)
若月
保治
「人
形浄
瑠璃
史研
究」
'鳥
居フ
ミ子
「近
松と
土佐
浄瑠
璃」
(
﹃近
世芸
能の
発掘
﹄
19
95
、勉
誠社
刊。
)'
和田
修「
江戸
古浄
瑠璃
の衰
退と
歌舞
伎」
(
﹃岩
波講
座歌
舞伎
・文
楽
第七
巻
浄瑠
璃の
誕生
と古
浄瑠
璃﹄
1
99
8'
岩波
書店
刊。
)
等。
特に
、土
佐節
のオ
リ
ジナル作品、中後期の作品について'こういった指摘が多い。
(2
)
﹃近
世文
芸研
究と
評論
﹄第
四一
号(
19
84
'近
世文
学会
編)
0
(3
)東
京大
学霞
亭文
庫蔵
。宝
永五
年、
木下
甚右
衛門
刊。
(4
)早
稲田
大学
演劇
博物
館企
画展
示図
録﹃
古典
演劇
譜本
展﹄
(
20
05
)所
収。
(5
)
﹃日
本庶
民文
化史
料集
成
第七
巻
人形
浄瑠
璃﹄
(
19
75
㌧
三1
書房
刊)
よ
り引
用。
以
下同
。
(<
」>
)
19
31
'櫓
書店
刊o
O)
1
97
5、
櫓書
店刊
。
(8
)演
劇博
物館
所蔵
O所
蔵番
号[
イ1
1‑
67
6]
。
(9
)
架蔵
。訂
正者
観世
清廉
'檎
常之
助刊
。
(S
)
架蔵
。﹃
観世
流大
成版
謡曲
百番
集﹄
、槍
書店
刊。
(3
)
﹃岩
波講
座歌
舞伎
・文
楽
第七
巻
浄瑠
璃の
誕生
と古
浄瑠
璃﹄
所収
1
98
8、
岩波
書店
刊。
(2
)
日本
思想
大系
23
﹃
古代
中世
芸術
論﹄
(
19
73
'岩
波書
店刊
)
よ‑
引用
。底
本は
、早
稲
大学演劇博物館蔵古活字本。︹︺内は、校訂に用いた写本三本(大槻本・島津本・内
閣本) 共通の場合に挿入されたものである。以下同。
(2
)
﹃細
川五
部博
書﹄
所収
。わ
んや
書店
。
(3)義太夫節の文字譜にみちれる(舞)は、幸若舞曲との関係がより深いものとみて差し支えなかろう。
17 16 15
﹃東
洋音
楽研
究﹄
第四
九号
(1
98
4'
東洋
音楽
学会
編)
O
東京大学霞亭文庫蔵。宝永四年'大月次郎兵衛刊。
19
91
'八
木書
店刊
。
(3
)
19
87
'岩
波書
店刊
。
(2
)
早稲
田大
学演
劇博
物館
蔵。
所蔵
番号
[イ
11
‑3
45
]。
(S) ﹃八帖花伝書﹄ には'他に「と声」という用語もみられる。ただし、校注者の氏はこれについて∃小鼓口伝集﹄ には「十声打」「十声切」とある。多‑の「掛声」 の掛け方の心得や'打切り方の心得のことをさすか。」としてお‑'﹃八帖花伝書﹄ 本文も'
「鼓にと声打と言ふ事あ‑。口伝。」「昔は'小鼓「と声」しげ‑あ‑ける間'よって、しだるし。た',,Lt 当世は軽Lo」という記し方で、同書の成立時期には'既にあま
‑用語として一般的でなかったものと考えられる。(oj) 「ツトツツタ」の方は唱歌と考えて間違いなかろうが、「ツク」の方は、「突‑」の意
を持つ文字譜であることも考慮に入れておきたい。
f'
。J
N
能楽
伝書
﹃八
帖花
伝書
﹄に
は、
笛の
ヒシ
ギに
つい
て「
舞の
内'
笛の
吹留
めは
'謡
︹の
︺
移り︹へ︺'長‑ひしぎ掛けてよし。」「l声に'ひしぐl声・ひしがぬ一声・片ひし
ぎ・諸ひしぎと言ふ事あり。仕様'出端・下端、是らは片ひしぎなり。ひしぎの位をもって、其能の序破急を知るべし。」といった記述がある。 土佐節正本「周防内借美人桜」 (東京大学霞亭文庫蔵)
31 3029282726252423
写本
.所
蔵番
号︹
ハ1
3‑
39
]‑
角川書店刊。
東京大学霞亭文庫蔵。
﹃観
世﹄
(
19
87
.1
2)
、檎
書店
刊。
﹃土佐浄瑠璃正本集﹄第三より引用。
早稲
田大
学演
劇博
物館
蔵O
所蔵
番号
[イ
11
‑3
90
]
19
83
、三
省堂
刊o
注1を参照のこと。
横山
正﹃
近世
演劇
論叢
﹄
(1
97
6、
清文
堂出
版刊
)所
収、
「土佐少接の曲節‑その性格
についての一試論」は、土佐節では同じ曲目に関しても、年代によってその記譜が著
しく変化することを指摘している。 ︻図版②︼ 万治二年衣更着山本長兵衛注入本「清経」 (早稲田大学演劇博物館蔵)
一 一 . ヽ 蝣
*
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︻図版③︼ 明治三十三年観世涜五番綴謡本
ナ 一 夕 一
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㌢ ハ 誓 r S v サ . 脂
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*
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寮菅卯寮r惹縁禦軸
一
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‑ ‑
︻図版④︼観世流現行謡本(観世流大成版・檎書店)「清経」
ItIIV左や一㌢y㌣宰卜左川
∴.㍉III,W^v‑h"^」s㌫j・,午‑ケ禦:W
︻図 版⑤
︼土 佐節 正本
「周 防内 借美 人桜
」
(東
京大
学霞
亭文
庫蔵
)
∴ 祭
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蝣 J O J . 礁
) ︻図版⑧︼「笛太鼓付」(早稲田大学演劇博物館蔵)r*サ山1‑ヒヤ‑)ir蝣蝣こTヒ'等ト
、ヽヽヽこサMサでb・)一J‑.Oftュでヽ
"ォ・7ト㌃・ijユや..)ヤ〇ヲじで
JrヽfT・りij車イ・ヤっヒ小言*r恥、
,r.sJ‑r‑じユヤ.・じV。じヤーヒ
ヽJ*ヤ・J:・了ワ㌣・一⁝じてヮラヽ
︻図 版⑥
︼土 佐節 正本
「小 野ノ 道風
」
(東
京大
学霞
亭文
庫蔵
)
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t ・ か J じ ゃ ゥ . 7 り
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︻図 版⑦
︼﹃ 謡曲 手引 八拍 子﹄ (早 稲田 大学 演劇 博物 館蔵 )
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版⑨
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土佐
節段
物集
「土
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東京
大学
霞亭
文庫
蔵)
「ゆふらん揃ゆやまんじゆの道行」
︻図
版⑫
︼
「七
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仕舞
付」
(
早稲
田大
学演
劇博
物館
蔵)
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︻図 版⑩
︼土 佐節 段物 集「 土佐 節」
(東
京大
学霞
亭文
庫蔵
)
「兼好花うりの段」魯Lこの上てノひ鳴¢
ヽ 一 一
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︻図
版⑪
︼土
佐節
段物
集「
土佐
節」
(
東京
大学
霞亭
文庫
蔵)
「
開山
揃い
のり
のた
ん」
. ,
‑
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第
^ け ゝ
tr