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MADE IN OCCUPIED JAPAN : 占領下日本の輸出商標

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MADE IN OCCUPIED JAPAN : 占領下日本の輸出商標

著者 山口 卓也

雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報

巻 32

ページ 12‑13

発行年 1996‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00024169

(2)

MADE  IN OCCUPIED JAPAN 

一占領下日本の輸出商標一

1 太平洋戦争は、 1945年8月15日に、日本の 敗戦として終わった。以後速やかに米軍の占領 駐留が行われ、 GHQによる日本への様々な占 領政策が実行されることとなった。 1950年9月 8日に日本国の主権が回復されるまで、旧軍解 体・戦犯の逮捕・訴追、財閥の解体など、様々

な施策が行われた。

占領期の日本は、既に経済的に破綻しており、

また当時日本は対外主権喪失していたので、

GHQの指導によって、僅かながら占領政策的 に輸出が行われ、外貨の獲得が目指されていた。

繊維製品の輸出とGHQの施策の一端を、はっ きりと示す数十栞の印刷物がある。

資料は、敗戦後しばらく商業広告の仕事をさ れていた奈良県在住の斎藤洋氏所蔵のものであ る。斎藤氏は、当時大阪に本社のあった東洋綿 花株式会社(現トーメン)や在阪繊維会社数社、

総合商社などが、 GHQの指示により海外輸出 を行うにあたり、商品に付ける商標(ラベル)

の作成を行われたことがある。斎藤氏の説明に よると、資料は、綿布などの反物を輸出する際 の、海外向け商標として作成されたものである。

敗戦後、日本の繊維産業がGHQの指示により 再編され、占領政策として輸出を再開してから、

1950年頃までの占領期のものがある。

2  3例を図示する。縮尺は約65%である。

第1は、赤いリボンをした女性の図である。

金髪または栗色の髪、青色の目の色である。表 面は、光沢を与えるためにニスを全面に薄く塗 布している。下部には、左に太ゴチでTOYO MENK.AKAi SY A LTDとあり、東洋綿花株式 会社の商標であることを示している。中には小 さく MADEIN OCCUPIED JAPANとあり、

占領下日本の製品であることを示している。右 にはREGISTEREDNo .163371とある。

第2は、二頭の獅子が矯のとまった紋章を持 っている図である。表面は、光沢を与えるため にニスを薄く全面に塗布している。紋章には商 標の表示としてSALAYS. T. R. MOHAMED 

山 口 卓 也

&CO. とある。商標の上下左右側縁にも文字が 配置され、左側縁には、MADEIN OCCUPIED  JAPAN. とあり、占領下日本の製品であること

を示している。側縁上にはS. T. R. SALAY  MOHAMED & CO. とあり、日本企業の商標 ではないことから、相手先プランド名によるい わゆるO.E.M生産品であることが知れる。側 縁下にはKARACHI.PAKISTANとあり、パ キスタンのカラチの企業プランドである。側縁 右にはFORBEST QUALITY & DURABIL‑

ITYとあり、高品質・耐久性を誇っている。

第3は、受話器分離型電話の受話器を左耳に 当て、本体送話器を口の前に持ち上げているオ レンジ色の服を着た女性の図である。金髪また は栗色の髪の色、青い目の色である。下左には REGISTERED TRADE MARKとあり、下右 には、 MADEIN OCCUPIED JAPANとあっ て、占領下の日本の製品であることを示してい

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第2区l

るが、企業名などの明示はない。GHQ主体 で、国内企業からの買い上げを貿易省が代 行した初期の輸出品か、 0.E. M用の製品 かのいずれかであろう。

3 商標には、東洋綿花株式会社 (TOYO MENKA KAISHA)などの日本企業名が 明記されているもの、海外の企業名を記し てあるもの、企業名の明示されないもの、

の三者がある。また、占領下の日本の生産 品 で あ る こ と を 示 すMADE IN  OC‑

CUPIED JAPANよりも、ただのMADE IN JAPANが多く認められる。個々の商標 がどの時期にどこの依頼によって作成され たか、必ずしも定かではないので、輪出の 推移を正確に辿ることはできない。しかし、

これら商標の作られた時期が占領期である ことは間違いないので、予想外に多様な輸 出形態があったことが知れる。また同時に、

少なくとも占領期後半には、 GHQが必ず しもOCCUPIEDの明示に拘らなかったの ではと思われる事例であろう。

日本の企業名として、多く認められたの は、東洋綿花株式会社であった。東洋綿花

は三井系の会社で、大阪に本社があったことか ら、商標が残されたのであろう。東洋綿花は、

戦前すでに海外展開の顕著な繊維商社であり、

相手先プランド生産品のパキスタンのカラチ等 といった宛先は、戦後における東洋綿花の支店 の存在した場所とほぼ一致している点は、興味 深い。

GHQによる民間貿易の制限は、 1947年8月 に部分解除され、 1948年8月には民間企業が直 接 第3国の業者を相手に貿易の当事者として契 約できるようになった。1949年には、GHQが国 の機関を通じて行う輸出よりも民間貿易が上回 り、同年 8月には全面解禁となっている。敗戦 後の日本経済復興は、繊維産業の輸出力回復と きわめて連動してあったことは、銘記されねば ならないだろう。

これら商標は、商業アートとしても大変興味 深いものである。機会を改めて検討してみたい。

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第3図

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