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一 思 想 家 の 幼 年 時 代

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一思想家の幼年時代

− サルトル論・その一 I 一六

飯 塚 勝 久

l

ジャン・ポール・サルトルは二才の時に父親を失った︒これがどんなに重大夜結果をもたらすかはいずれ明らかに

なる︒ただひとつだけはっきりしているのは︑もしも彼が海軍士官の父親と何事にも控日な母親に見守られて︑世の

常の子供たちと同じような幼年時代を過していたら︑生まれながらの著作家とも言うべき使命を自覚することはなか

ったということである︒キルケゴールは父親の存在によって怖るべき思想家になったが︑︵ 1 ﹀サルトルは父親の不在の

ゆえに思想史にその名をとどめるであろう︒﹁ジャン㌧バチストの死は私の生涯の大事件だった︒それは母を鎖につな

ぎ︑私に自由を与えたのである︒﹂︷ 2 ︶けれども︑このさりげない言葉の意味を見誤ってはなら覆い︒たしかに父親の

死は彼に自由を与えたが︑それは驚くほど苦い自由であった︒後年彼が好んで使うようにをる自由という言葉 − サ

ルトルの思想は自由の観念をめぐって形成されたとジャン・ヴアールをして言わしめた言葉︷ 3 ﹀ − には︑ほとんど

記憶にとどめぬうちに父親を失ってしまったことへの苦い想い出が秘められているのである︒あとにをって︑彼はこ

っそりと告白している︒﹁私には父親がいなかった︒誰の息子でもない私は︑自負と惨めさでいっぱいの自己原因で

あった︒﹂ T こ

2

父の死後母親の実家に引き取られたサルトルは︑いつのまにか教育者であり学校経営者であった祖父の寵愛を得て︑

一家の人気者の地位を手に人れる︒しかし祖父はあくまで祖父であって︑父親ではない︒彼に文学を志す機縁を与え たのは疑いもなく祖父であるが︑同時に少年は表と真の二つの世界を使いわける習慣を身につける︒ひとたび祖父の

愛を得たサルトルは︑それを維持しなければならない自分というものを発見する︒それは祖父が父親ではをいからだ︒

少年ははじめて他人のまをぎしを意識し︑仮面の世界を知る︒もちろん︑サルトル少年に与えられた世界は︑孤児ジ

ャン・ジュネが心ならずも味わわされた世界とは比較にをらぬほど恵まれたものであるに違いなかった︒サルトルが

ジュネに向けた共感のまなぎしには︑自分がいかに健全で平穏夜家庭に育ったかに一種のやましさを感じたことが隠

されている︒だがサルトル自身にも心理的に似た体験がをかったら︑あれほどジュネの少年時代に深い関心と洞察力

を示すことはできなかったであろう︒不足のない生活にも何かが欠けていた︒それは父親だった︒母も︑母の両親も本

当に父親の代りにはならなかった︒普通の子供ならその欠如を不条理極まる災いと受け取ってうちひしげるべきをの

に︑サルトルは言葉こそまだ考えつかなかったが︑自己の運命を自由と解釈した︒そこに彼の精神の偉大さがある︒

精神の偉大さは常に自然に抗して作られるものである︒少年にとっては決定的とも言うべき運命に耐えたサルトル

は︑それによって自然に敵対することを学んだに相違ない︒この反自然感情は︑彼に与えられた別の条件︑つまり知

識人の家庭環境によって一層助長された︒﹁私は自分の人生というものを︑おそらくそれを終える時と同じように︑

ヰノなわち書物の山に閉まれて始めたのだ﹂︵ 5 −と彼は語っている︒まだろくろく字も読めないうちから本にとりつかれ

たサルトルは︑当然の結果︑外部との接触をあまりもた覆い子供になった︒﹁田舎の幼年時代の込み入った想い出や︑

昔壊しい馬鹿げた振舞いといったものを私の中に探し求めても無駄であろう︒私は決して土を掘り返したり烏の巣を

探したりしなかったし︑植物を採集したり鳥に石ころをぶつけたりしたこともなかった︒そのかわり書物が私の烏で

あり︑巣であり︑家畜であり︑牛小屋であり︑野原だった︒﹂︿ 6 ︶こうした文章を書く時︑彼の胸の中を軽い後悔の念

一思想家の幼年時代 ︵飯塚︶ 一七

(2)

一八 が過ったかどうかはわからない︒ただ︑サルトルがはじめて世界を知ったのは書物の中だというのは本当であろう︒

そして子供の時に身につけたこの習慣は︑彼によればその後三十年も続くのである︒

並の少年なら思春期を迎える頃に抱くはずの世界観を︑この早熟な子供は十才にも満たぬうちに書物の中で知って

しまった︒その機縁となったのはすでに述べた通り父親の急死であった︒そしてこの不幸は︑少年にとってもう一つ

の不幸を伴った︒彼に兄弟を与えなかったことである︒﹁十才まで︑私は一人の老人と二人の女たちの中にあってひ

とりほっちだった L ︵エと後に述懐したサルトルは︑大人以外の遊び相手を知らをかった︒いわゆるひとりっ子につき

ものの甘えは︑少年の置かれた状況からしてそのままの婆で現われることはなかったが︑しかし別の形で影響を及ぼ

す︒子供でありながら大人の感覚を理解し︑裏と表︑内と外を使いわけるのだ︒もっとも子供というものはすべて想

像以上に駈引や手管に長けていて︑わずか二つ︑三つの幼児ですら大人の機嫌を取るすべを心得ているのは本当であ

る︒この点では︑サルトル少年が例外的であったと考える必要はない︒ただ相当早い時期に物事の二面性を強く意識

していたこと︑したがって大人を前にして演技する自己をいやでも発見せざるをえなかったということを念頭に置い

ておけばよいのである︒そして︑これに拍車をかけたのが祖父の家の宗教的無秩序だった︒祖父はルター派のプロテ

スタントであり︑祖母はカトリック教徒の娘であった︒サルトル自身はカ Lr ∴‖ソツクの洗礼を受けている︒こうして︑

キリスト教の世俗化が祖父の家庭をすっぽりと包み込んでいた︒もはやキリスト教はその本来の重みをもっていなか

った︒サルトルは洗礼を受けたが︑それに拘束されることはないであろう︒もし宗教的なものが何か彼の本質として

残ったとすれば︑それは文学ヤ哲学という形でしか表面に現われてこないであろう︒

結局サルトルは︑中産階級の子供たちが過すような幼年時代を必ずしももたなかったと言うべきである︒彼自身も︑

子供の頃の自分というものを意識的に消し去ろうとしたふしがある︒﹁私が三十になった時︑友人たちは驚いて言っ たものだ︒﹃あなたにはまるで両親も幼年時代もなかったみたいだ㌔ LT こわれわれは別に驚きはしない︒彼はただ自

分が他の子供たちと違って選ばれた者︑文学への使命を刻印されている者であることに満足を覚えただけなのである︒

そしてこの自負心が︑彼の惨めを境遇の裏返しであることは容易に想像できる︒もっとも︑捨て子の運命を背負わさ

れ︑社会の余計者として孤児院に送られた子供︑家庭の貧しさゆえに満足な教育も受けられないまま苛酷を労働に追

いやられた少年︑これら﹃資本論﹄の世界の子供たちに比べれば︑プチ・ブルジョワの家庭に育ったサルトルの境遇

は申分をいものである︒彼は十分そのことを知っていた︒自分の過した特異な幼年時代から生まれた文学への異常な

関心が本質的なものでなかったことを彼は認めている︒言葉によって世界を構築すること︑事物の名前と事物そのも のとを混同すること︑これは彼の好きな言種によれば詐術の犠牲を意味していた︒

しかし︑この言葉にはやはりいくらかの謙遜が含まれている︒サルトル一流の公式からすれば︑自己の出発点がい

わば階級的に保障されていたことに対する自責の念がある︒これは彼の原罪とも言うべきもので︑疑う余地のない誠 実さの証しであろう︒けれども一人の子供の幸不幸は出発点の位置だけで決まるものではない︒出発点の条件がよけ

れば︑それだけ期待される到達点の水準は高くをる︒この水準は⊥日分自身が決めるというより︑多くの場合周囲の世

界が暗黙のうちに設定してしまう性質のものだ︒その水準から大幅に後退すれば︑ひとは人生の失格者とみをされる︒

こうしたいつの世にも見られる世間の期待という重圧に悩まされなかった子供はいをい︒いわゆる幸福とは︑他人が

勝手に定めた基準に己れの能力がたまたま合致することなのである︒英雄とはこの基準をはるかに上まわった者に与

えられる呼び名に外ならない︒このように世間との関係で決定される幸福が本来的でをいと考えるならば︑英雄ヤ天

才もまた一場の夢にすぎをいだろう︒今日サルトルが抱いている卒直な感情は︑自分がいつしか英雄に覆ってしまっ

たことへの懐疑夜のである︒だがかかる懐疑に悩まされることもまた英雄の特権である︒英雄はこの矛盾から逃れる

ことができない︒

実をいえば︑サルトル少年はなによりも幸福を求めたのだ︒両親を前にした人並の子供の幸福を︒成程︑両親も他

人とをる可能性をもっている︒子供の出世や栄進を極端に願う親のまなざしに︑子供は本能的に他人の視線を喚ざつ

ける︒子供の栄達を望むのは両親だけではないからだ︒世間もまた逆の意味で期待する︒首尾よくいかなかった場合

打ちのめすために︒それゆえ︑子供にとって親は常に或る程度世間の回し者である︒しかし親子にはまた別の何かが

ある︒己れびとりでは一刻も生きてゆけない肉体を︑いかなる緊急時にも優先して保護してくれた事実はやはり︑子

一思想家の幼年時代 ︵飯塚︶ 一九

(3)

二〇

供の記憶の中で簡単に抹殺できない重みをもっている︒生命の保存という最も基本的夜要請が四六時中現実となって

いる関係は他にはみられない︒子供にとって親とはこの関係の総体を支える力そのものだ︒父親がこのカの象徴であ

ることは言うまでもない︒したがって︑父親がこの象徴的を力を失った時︑あるいはその存在そのものが消滅した時︑

子供の世界は眼に見えない変質を蒙るのである︒

母親の実家で祖父の庇護の下に幼年時代を送ったサルトルが︑まず最初に意識した他人は他ならぬこの祖父自身で

はをかったろうか︒子供はまだ本当の世間を知らない︒けれども父親の象徴的な力を頼みにすることのできないサル

トル少年には︑すでにいざという時の隠れ場所がなくなっている︒しかし誤解してはならないが︑これは彼が祖父か

ら冷い仕打を受けたという意味ではない︒彼が至極可愛がられて育てられたことは前に触れた通りである︒子供の サルトルに最も影響を与えた人物がこの祖父であることは自伝を読めば明らかである︒だがそれゆえにこそ︑彼は祖

父の視線から逃れることができない︒お利口さんでなければいけないからだ︒彼は父親の死によって望みもしなかっ

た自由を手に入れたが︑一方では祖父の期待に副うという別の役割を押しっけられたのである︒

一見︑少年は自分の思い通りに生きているようにみえる︒好き複本を片端から読み漁り︑後にはさまざまの冒険小

説を書く︒母親や訪問客までが彼の素質に感嘆の声をあげる︒彼は有頂天にをる︒己れの才能と周囲の期待が合致す

る︒彼は幸福だ⁝・⁚︒しかしそれも結局は無理して作られた状況なのだ︒たしかに父のない子が祖父の家庭にあって

これだけの成功を博し︑子供ながらに己れの運命を力強く切り開いていく姿は称讃に催しよう︒だが少年は幸福に安

住することができない︒英雄にならなければいけないのだ︒本当の父親ならば︑幼き日の神童が二十才になって普通 の青年に戻るのを結局は喜ぶものである︒けれどもサルトルにはそれが許されない︒彼は英雄に覆って︑不条理にも

父を奪った運命を見返さねばならないからだ︒さも覆いと︑母親以外には誰も相手にしてくれないような子供に甘ん じなければならない︒彼に与えられた道には中間の幸福というものがなかった︒もちろんこれは誰からも強制された

わけではない︒肝心をのは︑英雄に覆るということを暗黙のうちに信じ込ませることである︒母方の家系と違って︑

背丈の低い父親の血を引いた︑身体的にやゃ欠陥のある読書好きの少年にとって︑現代における最も英雄的な職業の

一つである文筆家というものがどれほど魅力のあるものかは想像に難くない︒成程祖父はサルトル少年に作家に覆れ

とは勧めなかった︒むしろ少年をたしをめて︑自分と同じように教職に携わるように仕向けた︒最後には祖父の言成

になる少年は︑後年忠告通り教授資格試験に首席で合格し︑ル・アーグルの高等中学を振り出しに︑各地のリセで教

鞭をとるようになる︒けれどもこれは政が著作家にをるのを少しも妨げはしをい︒フランスの多くの作家たちが教職

の経験をもっているのは周知の事実である︒これも文学に専念するための方便ではないか︒いずれ彼は作家になるの

だ︒祖父の期待に応えるために︒﹁駄目になった私は︑カルルの言うがままに二︑三流の作家に適した職業を受け入 れた︒つまり彼は︑私を文学から遠ざけようと配慮したことでかえってそこに地り込むことになったのである︒今日

でもなお私は機嫌の憩い時には︑多くの日夜を費して︑沢山の用紙をインクで塗りつぶし︑誰も望んでもいをいよう

な本を次々と売りに出したのは︑びたすら祖父に気に入られたいという愚かな望みのためではをかったかと思うこと があるほどだ︒五十の坂を過ぎた私が︑とうの昔に死んだ男の意志を遂げるために︑彼が間違いなく認め覆いようを

企てに引き込まれている自分を見い出すとしたら︑滑稽というものである︒L︷9︸

彼は祖父の期待に十分に応えて︑現代の英雄となった︒しかしもともとそれは自分が一人前の人間にをるためだっ

た︒言いかえれば︑祖父に気に入られて白分の存在理由を確認するというただそれだけのためであった︒だが不運に

も︑並の子供たちと違って幼い時からいささかの文才を示したがゆえに︑一人前の男にをることがとりも覆おさず英

雄になることだという矛盾を背負込む羽目とをった︒少年は最終的には平凡な幸せを願ったに相違ないが︑幸福に覆

るためには英雄になる必要があったのである︒﹁みんなからちゃほゃされ︑ひとりひとりには揆つけられていた私は︑

引き受け手のない存在だった⁝⁝︒L︵1︒︶七才の子供のこうした心の屈折こそ︑少年時代の神童が二十才になってみれ

ば普通の青年に庚っているという世間の常識を破って︑一人の高名を思想家になりえた秘密である︒

3

不幸を少年時代を送り︑文字通り社会の底辺を生きた稀有の作家ジャン・ジュネに対するサルトルの共感もびとつ

一思想家の幼年時代 ︵飯塚︶ ニー

(4)

二二

はそこにある︒もちろん︑苛酷な前半生を過したという点では両者は比較にをらないであろう︒生まれて間もをく父

親を失ったとはいえ︑サルトルはかりにもエリートの子弟であり︑教育的︑文学的雰囲気に満ちた母親の実家で外面

的には何不足なく育てられた︒パリの名門中学に入り︑エコール・ノルマルを卒業して期待通り教職という第二の聖

職に就いたばかりか︑予想以上の成功を博 L 生存中すでに世界的を名声を獲得したのである︒非のうちどころのをい

経歴という外ない︒彼にも時として挫折があったにしても︑それは思想上の挫折であって︑社会的な挫折ではない︒

ところがジュネときたらどうだろう︒私生児として生まれ︑頼みとすべき母親にもあっさり棄てられて︑ほとんど

満足な教育も受けていない︒七才の時に孤児院を追い出され︑フランス中部の農家に預けられる︒そこで見せかけの

幸福に触れるか触れないうちに︑決定的な失墜を蒙って浮浪の身となってしまう︒あとに待っているのは︑泥棒と監

獄と同性愛の連続する長い人生なのだ︒共通するものは何もをい︒強いて求めるとすれば︑父親の記憶をもっていを

いこと︑同じ世代に属すること︑後年有名夜作家にをったこと位のものであろうか︒三つの中で後の二つはまったく

形式的な共通点にすぎない︒サルトル自身もよくそれを承知している︒﹁私の犯罪記録には何も善かれていないし︑

私には同性愛の趣味はをい﹂ 11 ︶のである︒そこで彼は︑なぜ自分がこれほどジュネに執心なのか説明する必要を感じ

る︒﹁ところがジュネの著作は私を感動させた︒それらが私を感動させるのは私に関わりがあるからだ︒私に関わり

がある以上︑私はそれから利益を引き出すことができるわけである︒そこでジュネの﹃利用﹄とは何であるかを言っ

てみよう︒﹂︵崇これはとりもなおさずサルトル思想の解説となるであろう︒他人にとって対象であると同時に︑自己

にとっては主体であるという人間ののっぴきならぬ二面性︑それにもとづく根源的孤独︒例のサルトル哲学の神髄を︑

腐敗した資本‡義社会の殉教者として一身に具現しているのがジュネというわけだ︒この感動的なジュネ論の結末は︑

七百ページに夜んなんとする著書︑単なる伝記というより彼の哲学そのものである著書の執筆動機として十分なもの をもっている︒だがジュネ論から十二年後に出版された自伝 − 実質的にはもっとずっと早く善かれていた ー を通

してみると︑サルトルにははるかに個人的な共感が背後にあったように思われる︒

もっとも︑幼年時代が一個人の人格形成︑思想形成に決定的意味をもつという考え方は相当早い時期に彼の中に芽

生えていた︒中篇小説﹃一指導者の幼年時代﹄ ︵一九三九︶にはすでにその着想がはっきりと現われている︒

工場主の息子リユシアンは並の子供である︒しかし人並であること︑平凡な少年であることが彼に不安を与える︒

人並であるとはつまり何者でもないということだ︒少年時代に誰しも望むように︑リユシアンは特異な存在︑選ばれ

た者でありたいと思う︒しかし彼の試みは単をる仕種にすぎをい︒自分白身にとっては彼は何者でもなく︑確信がも

てをいからだ︒彼はその保証を他人の視線︑他人の言葉の中に見い出そうとする︒だが背伸びは少年にとって苦痛で

あり︑別の不安を与える︒彼は引き返したいと考える︒人並の人間に︒今度もまたそれを思いとどまらせるのは他人

の視線だ︒軽蔑されたく覆いという気持︑他人の称讃に与りたいという気持が望んでもいなかった行動を彼にとらせ

る︒不良の真似をし︑ランボーを気取って同性愛を覚え︑女の子と寝る︒実際は嫌で嫌でたまらをいのだ︒しかし非

凡夜人間であるためには耐えねば覆らない︒本当は大して気にもならをいユダヤ人を嫌悪し︑共産党の労働者を殴り

つける︒仲間に一人前の男と思われたいためだ︒リユシアンの存在は彼自身の中にはをく︑他人の中にある︒彼の行 動が芝居の仕種のように現実離れしているのもそのためである︒けれどもこの仕種がついには彼の本質とをるであろ

う︒以前には︑他人の眼と言葉に存在の保証を求めつつも︑常に自分自身に庚る可能性を意識していた︒しかし或る

時この可能性を圧殺する日がやってくる︒﹁本当のリユシアンというものは ー 彼はいまやそれを知っているのだが

− 他人の限の中に︑ピエレットヤギガールのおずおずした服従の中に︑彼のために成人するすべての人たち︑いず

れ彼の職工となる若い見習労働者たち︑彼がいつの日かそこの市長になるフロールの大人や子供たちの希望に満ちた

期待の中に︑求めなければならないのだ︒し︵ 13 ︸彼の自己欺瞞は完成する︒彼は未来の指導者に変身したのである︒

このいささか粗削りで︑対他存在に関する学説をいわば図式的に表現している小説の手の内はよくわかる︒ただ自 H

己欺瞞の出発点を殊更幼年時代に置いたという点で︑同じ主題を扱った他の小説や戯曲と区別されるのである︒これ

は︑サルトルが作家と L てデビューした頃すでに︑おそらくはそれ以前から幼年時代に特別の意味を認めていたこと

を容易に想像させる︒﹃聖ジュネ﹄や﹃弁証法的理性批判﹄︑そして﹃号口葉﹄もすべてこの延長線上にあると言ってよ

い︒

一息想家の幼年時代 ︵飯塚︶ 二三

(5)

二四

われわれはここで一つの仮説を立ててみょう︒つまり︑あらゆる相違にもかかわらずサルトルはジュネの分身であ

ると︒ジュネは或る日︑養母に盗みの現場を押えられる︒そして︑﹁お前は泥棒だ﹂︵聖という天地がびっくりかえる

ようを宣告を受ける︒サルトルにはむろんこのよう夜決定的瞬間はをかった︒けれども次のようを言葉はどうであろ

うか︒﹁あまり親切にされるため︑彼はどうしても次のことを認めざるをえ夜くなる︒養父母は彼を養子にし︑養い︑

面倒をみる必要はなかった︑養父母は﹃彼に何ひとつ負っていない﹄のに︑彼の方は養父母に恩義を受けている︑養

父母が彼に呉れてやらないのはまったく自由であったけれども︑彼の方ではそれを受け取らない自由はなかった︑要

するに彼は彼らの息子ではないのだ︒本当の息子は感謝の気持を表わすべきでは凌い︒つまり彼は共通の財産から引

き出すのであって︑父親には彼を育てる義務がある︒他人の親切によってすべてを奪われているジュネは︑後になる

と︑上から下に対してなされるどんな寛大さにも憎悪を表明するであろう︒﹂︵空これは部分的にはサルトル自身につ

いても言えることをのである︒こうした複雑な心境は︑サルトルが祖父の家で過した幼年時代だけでなく︑まだわれ

われには彼の証言が与えられていないけれども多分母親の再婚後においても持続したに違いない︒では一体︑ジュネ

一サルトルはかかる八方ふさがりの状況からいかにして脱出したのか︒途中を省略して言えば︑それは極めて簡単な

ことのようにみえる︒﹁﹃空想の国﹄であれば︑貧窮を富裕に変えるには符号の転換で十分である︒世間に揆つけら

パ=ノア

れたこの除け者はこっそりと︑すべてのものの完壁な所有を追求する︒﹂︿讐すべてのものの完壁な所有 − この観念

こそ詩人ジュネと思想家サルトルの誕生の原動力となるものであった︒程度の違いはあるが︑二人とも本質的には同

じ世界の除け者だったからである︒一方は字義通りの意味で︑他方は意識のうえで︒

空想の国とはすなわち想像力のことである︒想像力はサルトルにとって︑現実否定にもとづくがゆえに無限の豊か さをもつと同時に︑まさしく現実の否定であるからして本質的に不毛である︒すべてのものの完壁な所有とはこの豊

富と不毛との奇妙な混清に外ならない︒除け者の運命は︑こうした得体の知れない感情に生涯つきまとわれるところ にある︒ただジュネが文字通り社会の余計者であったのにびきかえ︑サルトルは意識のうえでの除け者だったために︑

前者は孤独と恵の詩人となり︑後者は驚くほど明噺を思想家となる︒﹁少くともあの限のくらむような言葉が実の父

親から発せられたのであれば︑︵盗みの︶ 発覚は家庭という不滅の細胞の内部で︑つまり同じ統一的な集団意識の中

で行われたであろう︒うら若い罪人は︑外部の者の考え方のようにその意識の只中で一瞬孤立しても︑直ちにそこに

吸収されてしまったであろう︒自分の家族に対して盗みを働くというのは成り立たないからである︒時として養父母

の愛情がジュネに実の息子であるかのような錯覚を与えることができたと L ても︑そうした錯覚は彼らが審判者とな る時に消え失せてしまうのである︒﹂︵ 17 ︶ サルトル少年はもちろん盗みをどはし覆い︒その必要はまったくないからだ︒

物質的を面では︑おそらく彼には何の不足もなかった︒しかしこのことは︑彼が幼い意識の中でひそかに己れを余計

を存在︑あるいは同じことだが欠如した存在と感じるのを妨げはしない︒父親がいないから欠如した存在であり︑母

親とともに彼女の実家に転がり込んだから余計者である︒この除け者意識は︑ジュネの場合のように社会的現実に裏

打ちされていれば何らかの反社会的行為を伴ったであろうが︑少年の意識の中だけにとどまるならばもっと抽象的な

行為とをるに違いない︒ジュネの社会に対する反抗は泥棒行為であり︑それによって逆に彼は社会の価値を肯定する︒

サルトルの反抗は人々の期待に応えること︑む L ろ期待以上の者になって運命を見返すことである︒社会的な犯罪者

となる必然性をもたないがために︑彼は象徴的に運命を盗み︑取り戻そうと試みる︒言いかえれば︑言葉によって世

界を所有しょうとする︒ジュネが作家への変身を遂げるのはずっと後になってからであるのにひきかえ︑サルトルは

すでに子供の頃からその可能性を双肩に荷っている︒この違いはたしかに大きい︒とはいえサルトル少年の苦悩がジ

ュネのそれに比べて問題にをら濠い程度のものだという言い方はやはり否定しなければなら覆い︒誰もジュネが作家

になることなどは期待していない︒それから言えば︑彼には約束を果す必要がないのである︒だがサルトルは除け者

意識を払拭するために作家になる必要があるのだ︒これは幼い彼の主体的決断であるとともに︑運命との間に取り交

された客観的契約でもある︒約束を履行しをければ除け者意識は社会的現実となり︑運命との勝負に敗れるであろう︒

いずれにせよ︑サルトルは人並の子供の幸福を︑両親を前にしておねだりする子供の倣慢を存在感をもつことはでき

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ

まい︒﹁結局のところ彼は何を求めているのか〜 他の人たちと同じように存在することだ︒ L 空これはサルトルの言 葉である︒しかしまったく同様のことを︑われわれは彼について言うことができるのではをかろうか︒

一息想家の幼年時代 ︵飯塚︶ 二五

(6)

二六

4

このような極く早い時期に身についてしまったサルトルの除け者意識を︑たとえばフランシス・ジャンソンは私生

児性と呼んでいる︒実際︑サルトルの戯曲に登場する主人公たち︑オレスト ︵﹃蝿﹄︶︑ユゴー︵﹃汚れた手﹄︶︑ゲッツ

︵﹃悪魔と神﹄︶︑キーン ︵雪キーン﹄︶⁝⁝は戸籍上あるいは精神的にすべて私生児の特徴を備えている︒彼らは英雄で あり自由人であることに誇りを抱いてはいるが︑まさ L くそれゆえに彼らはこの世の中にしっかりした基盤をもって

いない︒己れの行為が水面に善かれる文字の如く︑世界に明確を刻印を残さをいことを知っている︒どんなに極端な

行ないも︑透徹した意識の下で重みを失い︑演技者の仕種に変質してしまうのを速やかに感じとってしまうのだ︒彼

らの苦悩は常にそこから始まる︒戯曲に限らず︑小説においてもまた難解な哲学論文の中でさえ主題となっている根

無草の自由人たちは︑継ぐべき伝統も将来への希望ももたない私生児である︒サルトルが好んでとりあげるこうした

異常な主人公の中に︑彼自身の面影を認めたくをるのは自然な看ではあるまいか︒われわれがいままで素描してきた

幼年時代の境遇を想起すれば︑不足のをい祖父の家庭にあってしかもひとり世界から切り離されていた少年に︑後年

思想に結晶する私生児意識の薪芽を読みとることも可能であろう︒

サルトル自身はこの幼少年時代の精神の危機を物書きとなることによって克服した︒その結果︑実生活の面からい

えば思想家︑文学者としての彼の生活態度は極めて穏当をものとなり︑同じ戦闘的な行動人であるマルローの波潤に

富んだ人生に比べると︑いかにも文学者らしい生活を送ったようにみえる︒これに三四才の若さで異郷に倒れたシモ

ーヌ・ヴューユの精神と行動の軌跡をつけ加えると︑サルトルにおける戦闘的思想家という名称の意味がどんなもの

かわかろうというものである︒マルローヤヴューユは成程第一級の作家であり思想家であるが︑同時に文字通りの冒

険家であって︑行動への溢れる意欲を文学そのものの中に L まい込むことのできなかった人間である︒たしかにサル

トルもまた二十世紀の思想家の運命︑行動する知識人の十字架を背負っている︒否︑よく知られている観点からすれ

ば︑披こそは現代の最も行動的を作家の一人に数えられる︒しかし彼は本質的に冒険家ではをい︒彼は無名の時代に

も︑また世界的名声を馳せてからも幾度となく旅行を試み︑各地を遍歴しているが︑必ずしも見聞を広める旅行者の 域を出てはい覆い︒愛機を駆ってしばしば危険な任務を遂行し︑ついに人知れず地中海の波間に消えたサンユテグジ

ュペリがおそらく終生抱き続けたような孤独を情熱は︑サルトルには無縁ではなかったか︒サルトルの冒険はすべて

著書の中にある︒それもとりたてて言うほどのものは見当らない︒﹃嘔吐﹄のロカンタンは幾多の冒険の経験者だが︑ いまとなっては遠い想い出にすぎない︒﹃自由への道﹄のマチウが行動らしい行動を起こすのは第三巻の彼の最後の

場面だけだ︒﹃悪魔と神﹄のゲッツは一番の冒険家で力の権化のような男だが︑それにしても少し理屈が多すぎはし

ないだろうか︒

要するにサルトル自身の私生児性は彼の書き物の中に吸収され︑いささか異常な主人公として具現されるが︑それ

によって著者は異常性から逃れてしまう︒サルトルは物を書くことで辛うじて己れの狂気を克服する︒彼が撮めて正

常で健康な人間でいられるのは︑言葉の中にすべての現実を投げ込むからだ︒冒険の観念が現実となる前に︑言葉が

それをとらえてしまう︒そこであまり意味のをい想定には違いをいが︑もしサルトルが物を書かない人間だったとし

たら︑果してあれほど健全を精神を持続しえたかどうかは考えていいのである︒ところでジャンソンは︑このような

いわば精神分析的解釈を根本的に批判する立場で︑たとえば次の如き解釈を手に負えない議論と極めつけている︒

﹁言いかえれば︑サルトルは釣合のとれた人間であるが︑もし彼が実際に感じていない不均衡をひとりで直す手段を

無意識的に発見していなかったら平衡を失ってしまうだろう︑というわけである︒ L ︵ピサルトルの幼少年時代に照準

を合わせるこの精神分析的解釈が︑当のサルトル自身にまったく知られていないと考えるならば︑ジャンソンの言分

はまさにその通りであろう︒サルトルは幼年時代における除け者意識︑それを償うものとしての文学というものを十

分承知している︒けれどもそれはやはり後にをってからのことだ︒サルトルほど己れに対して明徹な意識をもってい

る人間は少ないが︑それとてもア・プリオリに存在したわけではなかろう︒かりに相当早い時期から︑先の精神分析

的解釈が主張するようを事実を自分自身に認めていたにしても︑彼が実際に歩んだ道はその分析の想定した境界を越

えてはいをいと思われる︒

一息患家の幼年時代 ︵飯塚︶ 二七

(7)

二八

ジャンソンがサルトルの戯曲の主人公たちに見い出す私生児の諸相︑孤独で英雄的で実体のない自由人たちの分析

は見事という外在い︒しかし︑サルトルはこれらの主人公を意のままに操る手品師︑彼らの孤独と苦悩を共有しない

裁判官と考えるべきであろうか︒﹁生まれながら拘束されていない彼は︑他の人々と接触して︑或る種の堅実さと実

・在感の欠如にひとり悩むのである︒彼が他の人々を羨しく思うのは︑彼らの境遇ではなく︑ただその境遇が彼らに与

﹂えている一種の熱気と濃密さである︒﹂︷ 2 ︒﹀ここでジャンソンの言っている彼とは︑﹃蝿﹄の主人公オレストを指してい

る︒しかしそっくりそのままとはいかないまでも︑この文章の内容は明らかにサルトルその人の姿なのである︒成程

サルトルはこれらの主人公︑精神的私生児を創造した作者であるという一点によって︑彼らと別の次元に立つのは言

うまでもない︒したがって︑主人公が破滅しても作者は常に生きのびる︒だがこのことは︑作者自身が主人公の除け

者意識を共有していると考えるのを必ずしも妨げはし覆い︒ジャンソンの言うように私生児性とは分裂した社会にお ける現代人の運命そのものだとするならば︑サルトル自身が子供▲の時から︑普通の人々以上にその私生児性を生きた

という事実もまた否定できない︒実存的精神分析の主唱者サルトルに︑実存的精神分析を適用できるゆえんである︒

すでに触れたように︑サルトルはジュネの如き現実の私生児ではない︒父親の記憶はほとんど残っていないようだ

が︑何者であるかははっきりしているし︑母親とはずっと一緒である︒それに有力者の祖父がいた︒しかし私生児性

とはサルトルにとって状況における意識の問題である︒ジャンソンは﹃悪魔と神﹄の別の登場人物についてこう言っ

ている︒﹁⁝⁝けれどもハインリッヒは私生児ではない︒すくなくとも生まれをがらの私生児ではなかった︒しかし

私生児性とは戸籍上の問題ではない︒ハインリッヒは司祭であり︑貧しい人々を愛している︒と同時に︑教会と永久 に固く結びついているのを感じている︒だが教会にとって︑それがこの世の教会である限り︑貧乏人などは物の数で

はないのだ︒それゆえ彼もまた二つの敵対的な世界に属しているのである︒﹂︿空 これは﹃汚れた手﹄のユゴーの置か

れた状況とほとんど同じだ︒ところで彼らが総じて目指すのは自己の存在をひそかに取り戻すこと︑つまり絶対に到

達することである︒一方の側にとどまっていれば相対的な承認を得られたのに︑たまたま他方の側の言分を生半可理

解してしまったため双方から締め出され︑二重の裏切者とならざるをえ覆い主人公は︑両者の相対的善に見切りをつ

け︑絶対的な価値︑己れひとりがいわば神と対話する孤独を選ぶ︒こうした筋書を選んだ当のサルトルは︑主人公の

選択が本来的でないと考えている︒けれども︑サルトルが己れの私生児性を克服するために少年時代に着手した言葉

による世界の奪取についてはどう言ったらよいのだろうか︒﹃嘔吐﹄のロカンタンは歴史家の仕事が己れの救いにな

らをいと知って︑一篇の物語に最後の望みを託す︒たしかに想像的世界の無償性は︑現実世界の不条理を実質的に解

消することはできをい︒しかし魔術的にその意味を変えることはできる︒言葉は世界の有様に何ら手をつけないまま︑

その意味を修正する︒実直を人々の世界から切り離され︑孤独で私生児的な自由を体現しているロカンタンが作者と

一体であるわけは︑ロカンタンがジュー不と違って意識のうえでの除け者であるからだ︒ロカンタンもまた現実的世界

において自己を取り戻せない異邦人として︑想像の世界に絶対を求めるのである︒ロカンタンはこうしてサルトルの

分身であるが︑他の主人公たちと同様に非本来的な人物とならざるをえない︒サルトルは現実的世界にいかなる痕跡

も残さをい想像的世界の英雄たちを見捨ててしまうからである︒

5

ジュネ︑ゲッツ︑キーン︒いずれも歪められ︑辱しめられた少年時代を過去にもつ主人公たち︒私生児にして︑世

間の除け者にされた英雄たち︒サルトルが彼らに示す異常な関心と愛着は︑まさしく彼が彼らの同類であり︑いわば

精神的私生児であることを物語る︒彼らはいずれも芝居気たっぷりだ︒キーンは本物の役者である︒ゲッツもオレス トもいささか大袈裟すぎる︒ところでこれらの主人公たちが悩むのは︑自分が常に演技をしているのではないかとい

う不安なのである︒どこまでが本心で︑どこまでが演技なのか彼ら自身にもわからない︒したがって︑並の人間が身

につけているありふれた確信を彼らはもつことができない︒これは行為が果される以前に︑意識に吸収され︑反省さ れ︑要するに見られてしまうことを意味する︒こんなことにをるのも彼らが明噺な意識の持主だからである︒ところ

でサルトル少年が祖父の前で演技する自分に気づいていたことは︑すでに述べたはずだ︒もっとも︑子供というもの

は多かれ少をかれ芝居をする︒子供は家族や親戚の大人たちを前にして不断のままでいることができない︒しかしこ

一思想家の幼年時代 ︵飯塚︶ 二九

(8)

三〇

れは子供だけの責任ではない︒親たちはしばしば︑自分の子供が子供以上の子供であることを望むと同時に︑子供ら

しい子供であることを要求するものである︒世間一般の子供ではないことをひそかに期待している点では実際以上の

才覚を見つけようとやっきになり︑余りに大人の世界を窺うのを好まない点では実際以下の子供らしさを強制する︒

子供の頭脳が水準以上だとわかって書ばなぃ親はいないが︑どんをに物分りのよい父親でも夫婦の秘密に触れるよう

な質問をしてくる子供には不安を抱くものだ︒要するに子供がお利口さんであるためには︑知るべきことは沢山知っ

ているふりをし︑知ってはならをいことにはまったく気づかない様子をしをければをらない︒こうした大人の暗黙の

要求は︑家庭の外では一層厳しいものとなる︒父母に囲まれた家庭という小宇宙をほとんど最初から失っていたサル

トルが︑おそらく必要以上に演技の観念にとりつかれたことは容易に想像できる︒時に道化がすぎて︑人々の非難の

まなざしを浴びた想い出を彼は語っているではをいか︒その語調からして︑裏目に出た己れの競技過剰にどれほど少

年の自尊心が傷ついたか眼に浮ぶようである︒だが演技する子供は子供であって子供でない︒言いかえれば十分に子

供として存在していないのだ︒しかし言うまでもをく大人ではありえない︒われわれの思いもよらぬところで息づい ている子供の不安はそこに由来する︒

こうした演技の観念は誰しも多少は心に抱いているものである︒われわれが完全に自分自身になりきることができ

ないのもそのためだ︒その限りでは︑人間はすべて済技者の不安から逃れることができをい︒けれども普通は演技の

観念はそれほど表面に出てはこない︒不安の現象がわれわれにとって根本的なものでありをがら︑まず第一に隠れて

いるということ︑そこに不安の不安たるゆえんがある︒ L かし演技者としての自分の演技に執拗な関心を抱くとすれ

ば︑ちょうど恐いと思う眼下の深淵にわれ知らず引きつけられるように不安の現象そのものにじっと眼をそそぐとす れば︑事態は一体どうをるか︒明らかにますますそれから逃れることができをくなる︒かかる深淵を窺き見た者にと

って︑自己の行為も他人の行為もともにその透明さを喪失する︒精神の私生児とはこのような人間のことだ︒彼はも

っともらしい行ないに出くわすと︑それだけで精疑心を掻きたてられる︒﹁意識的を私生児︑除け者は実際︑子供の ジュネについてのサルトルの表現によれば﹃愛されてみたいという法外な欲求﹄を感じるものである︒ただ彼は︑他

人が彼を愛する気になった時︑彼らの与える﹃愛﹄がどんなものであるかを知っている︒自分は愛されるような人間

では夜く︑彼らの憐偶の対象︑義務感の対象となっていること︑そしてこの愛が彼を距てるのだということ⁝⁝を知

っている︒﹂︷讐

愛もまた一つの演技としか感じられないをらば︑愛されてみたいなどと思うのはたしかに法外な欲求であろう︒と

ころでサルトルは﹃存在と無﹄の中で︑﹁愛するとは愛されたいと欲することだ﹂︵翌と述べている︒もし愛されたい

という気持が法外を欲求だとすれば︑愛することもまたわれわれには手が届かない︒私生児︑除け者は愛を信じない︒

サルトルの数多くの作品に︑作者の信頼を得ていると思われる女性がそれほど見当らないのは偶然であろうか︒しか

しこれについては一つの問題が残る︒ボーグォワールとの関係がそれだ︒この間題はもっと先で触れることになろう︒

ただ明らかなのは︑サルトルが男女の愛に対 L て抱く不信の根拠というものが︑愛は本質的に愛する対象の所有を目.

指すという点にあることだ︒男女の愛は一般に相互の独占的所有に基礎を置いている︒第三者の介入はこの関係を必

然的に変質させるであろう︒世界に開かれた愛を企てることがどんを波瀾を巻き起こすかは︑ボーグォワールの﹃招

かれた女﹄の結末が示している︒理性的で聡明な中年女性フランソワーズは︑ちゃっかり屋の小娘に翻弄された挙句︑ 彼女を殺してしまう羽目に陥るのだ︒ことほど左様に男女の愛が所有の観念に貫かれているとすれば︑子供の頃から

自分の物という意識をあまりもつ機会のなかったサルトルが︑愛という言葉に一種の当惑を覚えたのは確かであろう︒ それに何よりも︑愛情の要求する仕種には驚くほど演技の臭いがする︒精神的私生児は人一倍敏感にそれを感じとる︒

多くの私生児を創り出した御本尊は︑ジャンソンの言種によれば﹁完壁な私生児﹂あるいは﹁理想的を私生児 L だか

らである︒︿空

6

すでに見てきた通りの事情によって︑サルトルは自分の家︑自分の財産︑要するに自分の所有物を持たをかった︒

これは後のサルトルの大きな特徴となる︒﹁無一物の時も︑莫大夜印税を手にした時も︑サルトルは ︵彼を知ってい

一思想家の幼年時代 ︵飯塚︶ 三↓

(9)

三二

た者は誰しもすすんでそれを認めているが︶ おのずから共有財産的な考え方をやめたことがなかった︒﹂︷空こんなこ

とにをるのも︑彼が子供の時分から与えられ過ぎたためなのである︒ジュネのように初めからすべてを奪われている

人間にとっては︑所有はむしろ崇高な価値をもつ︒彼が自分を痛めつけた社会のモラルにどれほど忠実であったかは︑

サルトルが明らかにした通りである︒サルトルはまったく逆だ︒何不足なく︑すべてが与えられている︒ただ運命に

よって父を奪われた少年は︑自分の手に届くものが果して本当に自分のものかどうか疑わしいのである︒

われわれはサルトルの作品の中に︑そこに登場するいささか度外れの主人公たちの中に︑幼年時代の彼の面影を求

めてきた︒よしんばそれらの主人公たちの多くが彼の筆の下で批判的に︑つまり本来的でない在り方として措かれて

いるにしても︑言ってみればそれは一種の自己批判とみをすべきであって︑彼が純粋を審判者の役割を演じているわ けではないのである︒そう考えると︑サルトルは想像以上に私小鋭的原理に貫かれた作家であり︑思想家である︒あ

の極度に合理主義的を論理に支えられた思弁の哲学者が︑本当は経験の哲学者であったということにをる︒たとえば ヴアルクー・ピーメルは次のように語っている︒﹁彼の選択理論は彼自身によって体験されている︒ところで彼の体

験したこの実存主義の根底を見い出すこと 一 つまりサルトルの幼年時代の境遇が終る頃に︑その根底を見い出すこ

とが必要である︒ L ︵空われわれはまだ彼の哲学理論を詳しく問題にしていをい︒人物像の最初の素描を試みただけで

ある︒しかしわれわれがこれまで述べてきたことは︑ピーメルのこの文章と合致する︒

7

サルトルが二才の時に父親を失って︑母と一緒に祖父母のもとに引き取られたという原初的体験︑どれほどの寵愛

を受けようとも自分が本質的には招かれざる客であって︑家族やまわりの大人たちから注目を浴びている存在をのだ

という意識が︑彼の所有本能の欠如や他人を前にしての演技の観念︑対人関係に対する悲観的見通しなどの根拠をな

しているわけである︒﹁伝記的にみた幼年時代の境遇を知らをければ︑それらの要素︵対人関係についての悲観的見

解 − 筆者︶は勝手なものであるように思われる︒この子供のひそかな苦しみに対する洞察がをければ︑どうしてサ

ルトルがあれほど過激な攻撃をブルジョワ階級に︑つまり彼がそこで育ち︑このようを苦悩の責任者とみなしている

東境に対して向けるのか理解することができない︒ L ︿空

これは必ずしも彼の思想が幼少年時代の精神分析的解釈の中にすべて解消されるという意味ではない︒思想とはそ もそも説明すべきものではなくて︑了解さるべきものをのである︒けれども︑幼少期の人格形成に及ぼす影響と︑精

神分析的方法の有効性について力説 L たのが他ならぬサルトルその人であることもまた記憶しておかねばならない︒

︵ 1 ︶ これは本質的に父と子の関係の開港であって︑必ずしも父親個人の人格的卓越という意味ではない︒

ヨハネス・ホーレンベーヤ﹃セーレン・キルケゴール伝﹄︵大谷他訳︑ミネルヴァ書房︶ はこの関係をかなり克明に伝えて いる︒

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二思想家の幼年時代 ︵飯塚︶ 三三

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アルチュール・アダモフについての覚書き ︵そのⅠ︶

塩 瀬 宏

アルテユール・アダモア 二九〇八−一九七〇︶ を︑演劇の方へと絶えずいざなって止まなかったものは︑いったい

何だったのか〜

なるほど︑アダモフには︑処女戯曲﹃パロディー﹄︵一九五二年初演︶ から最後の作品﹃今一度︑夏来たりなば

﹃︵一九七〇年刊︶ に至る大小十いくつかの戯曲があり︑それに︑ゴルキー︑クテイスト︑ストリンドベルグなどの戯

曲の翻訳︑作家論︑エセーなどが加わって︑彼の演劇への関心の激しさを証拠だてている︒だが︑ここで︑すぐ附言し

なければならない︑その演劇への関心は︑なみの演劇への彼の憎悪と分かちがく結びついていたと︒彼は︑在来の浜

ばね

劇の在り方を憎み︑その憎悪を発条として︑まだ見ぬ演劇︑もうひとつの演劇の在りようを想い措いたのだった︒な

みの演劇とは︑アダモアが深く敬愛し兄事したアルトーにより完膚なきまでに礼弾された︑︽金銭あるいは肉慾につ

いてのさまざまないかがわしい感情︑情熱︑慾望︑衝動などを︑後生大事にまつりあげ︑それらをもっぱら台辞の練

糸で美々しく織りあげ飾りたてることによって成立している態の演劇︾︵1︶の謂である︒

観客に他愛ない一夜の慰めを提供し︑ついでに彼等の覗き趣味をも抜け目なく満足させることによって︑永く王座

を保って来たかかる俗悪な演劇への嫌悪を唯一の辛がかりとして︑まだ見ぬ演劇の彼方に飛翔せんとしたのは︑もち

アルチュール・アダモフについての覚書き ︵そのⅠ︶ ︵塩瀬︶ 三五

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