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②4月28日 小沢有作「日本の植民地主義教育」(『民族教育論』明治図書、1967)

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(1)

大学院総合ゼミ(1994年度)の記録

(1)総合ゼミの日程

①4月14日 坂元忠芳「希望としての教育」(『現代社会と教育6』大月書店、1994)

 コメント 越野章史(D院生)小林智真(M院生)記録 芳澤拓也(M院生)

②4月28日 小沢有作「日本の植民地主義教育」(『民族教育論』明治図書、1967)

 コメント 宮田幸枝(D院生)緑川ゆかり(M院生)記録 渡辺明子(M院生)

③5月12日 小沢有作「植民地と教育」(『民族教育論』明治図書、1967)

 コメント 越野由香(D院生)増田洋子(M院生)記録 小沢泰子(M院生)

④5月26日 小沢有作「人種差別と教育」(f民族教育論』明治図書、1967)

 コメント 深見匡(D院生)芳澤拓也(M院生)記録 小口幸洋(M院生)

⑤6月9日 修士論文の検討(1)

⑥6月23日 修士論文の検討(2)

⑦7月7日 小沢有作「民族問題と教育」(『民族教育論』明治図書、1967)

 コメント 桐島次郎(D院生)木戸口正宏(M院生)記録 石橋満理子(M院生)

⑧10月6日 大田直子「1902年教育法成立をめぐる一考察」(r教育学研究第51巻』)、「19(}2年、19(M  年教育法の一考察」(r東京大学教育学部紀要第23巻i)

 コメント 深見匡(D院生)芳澤拓也(M院生)記録 桐島次郎(D院生)

⑨10月27日 浜谷直人「自閉症児の特異な描画技法の発達過程」(『教育心理学研究第38巻』)、「第  7章 幼児の発達と表現」(『講座 幼児の生活と教育 4』岩波書店、1994)

 コメント 越野由香(D院生)小沢泰子(M院生)記録 木戸口正宏(M院生)

⑩11月10日 茂木俊彦『ノーマライゼーションと障害児教育』(全障研出版部、1994)

 コメント 越野章史(D院生)林恵蘭(D院生)記録 張亜東(M院生)

⑪11月24日 荒井文昭「学校選択と「学校を基礎とした経営」論」(r学校参加と権利保障』北樹出  版、1994)、佐藤隆「国民教育論の検討のために」(r文化と教育をつなぐ』国土社、1994)

 コメント 桐島次郎(D院生)程凱(D院生)宋ミンヨン(D院生)木戸口正宏(M院生)記録 深見匡(D

 院生)

⑫12月8日 浅野かおる「東京都における技能者養成と 結びついft 青年学級」(教育科学研究  第13号)、張国生「柳田社会科の理論と方法」(教育科学研究 第13号)

 コメント 李立 (D院生)小口幸洋(M院生)記録 越野由香(D院生)

(2)

第1回

 坂元忠芳「希望としての教育」(教科研『現代 社会と教育』編集委員会編、『現代社会と教育・

6・21世紀の人間と教育』大月書店 1994年  所収)の検討を行った。コメンテーターは越 野章史(D院生)、小林智真(M院生)、記録は 芳澤拓也(M院生)である。

議論の経緯

1.コメンテーターの報告

 始めにコメンテーターである小林、そして越 野それぞれから、「希望としての教育」から受け た印象、疑問等が報告された。

 小林はこの論文における坂元の主題を、「現 代の子どもの未来に対する感情」は、「近未来」

的には「最も暗い」イメージとして表れ、「遠い 未来」としては「理想的な」イメージで描かれ る。それらは「現代社会の矛盾」の投影である と同時に、それを乗り越えようとする展望を含 みこんでいる。この2つのイメージを抱え持つ 感情が「希望」という感情である。この「希望」

という感情には、その根底に『生きることにつ いての』『安心』への要求力慣徹している。この

「安心」の科学的な探求こそ『真の安心』を準備 する。とまとめた上で、「異質な人格の、平和な 状態での『同時共存』だけは、けして手放さな い」という原理をひきだす「最後の問い」ある いは「ぎりぎりの選択」において、坂元のもつ

「希望」観と小林自身の持つ「希望」観との間に ある違和感をしめし、そして「ぎりぎりの選択」

をくだす人間と教育との関わりについて質問を 投げ掛けた。

 一方、越野は、この論文を「現代、世界的な レベルで人間が直面している社会的・生物的な

r危機』を直視しながら、それを乗り越えるr希 望』を科学的な形で見いだし、それを世代を越 えて伝えていくことを、教育および教育学に求 めている」とまとめ、こうした坂元の問題意識 には共感を示している。

 しかし、越野は、まず、この論文のなかの「文 化的適応」と「遺伝的適応」という枠組みから

「文化の側と自然つまり遺伝子の側、双方のさ らなる『進化』と、その過程への人々の『創造 的な参加』が求められている」ことを読み取り つつ、①「人間の『遺伝子』のシステム自体の 新しい表現可能性」に、人々が「参加」すると いうイメージについての疑問、②「自然のもつ すべての循環システムを、人間が世界的な規模 で管理し、操作することがrできる』と考える」

事についての疑問、③「文化」と「遺伝」の対 立を「民主的な「参加」によって統制するとい う構想」についての疑問という、大きく分けて 3つの疑問を提出した。更に、坂元が想定して いるであろう「人々の科学技術への『参加』を 位置づけうる社会制度像として」の「市場社会 主義」との関わりで「クリーピング・ソーシャ リズム」(柴垣和夫)について言及し、「労働力 の商品化を希薄化することによって、自動的に 社会主義へとつながるかのような印象を与えて いる」という批判を向けた。

2.坂元のコメント

 始めに、小林の「ぎりぎりの選択」、「希望」に ついてのコメントを受けて坂元は、まず、「近未 来」を暗いイメージ、「遠未来」を明るいイメー ジとしてはとらえていない事を指摘し、エルン スト・プロッホの「異化論」と「希望の教育」と の結びつきが重要であるとした。その中には、

「最も遠い未来」の想定から、現代の矛盾をあら

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わにする方法の重要性。絶望的な現実にもかか わらず、「生きようとする人間」の営為としての

「希望」。近未来における一応の可能性を持つも のとしてのソーシャリズムについての言及がな

された。

 つぎに、越野のコメントに対して、未来像と しての「文化」と「遺伝」の止揚、「市場社会主 義」の可能性についての議論の中で、ジャック・

ビデの「資本の文明化作用」と「労働力の資本 への従属」の「矛盾」一「対立」を止揚してゆ

く社会主義的運動を、資本主義は内包してい る、という議論と「異化論」との関わりが、こ の論文を読む上で重要な視点であることを指摘

したのち、「文化」と「遺伝」に対する越野の疑 問に答えた。その答えの中で、坂元は「文化」と

「遺伝」という設定は、まだ枠組みを設定しえた 段階であることを(内容が充分に展開されてい ないことを認めつつ)告白した。だが一方で、

「外的矛盾の内的矛盾への反映」という従来の 発達論の枠を出て、生態系も含めた「ニッチ」、

そし「遺伝子体系」のプラス、マイナスの要素 を教育学が引き取る必要性を主張し、例えば、

「ストレス論」は重要な論点を含むであろうこ

とを示唆した。

 また、「クリーピング・ソーシャリズム」につ いて、柴垣氏の議論は「日本の現状を肯定的に とらえ」すぎている事を認めながらも、一つに は、ビデの主張する「文明化作用」のもつ可能 性と「未来の萌芽形態」を含んだ家族や教育と の関連の重要性。また一つには、ブルデューを 引用しつつ、人間形成を担う家族や教育には、

社会・経済構造の再生産には一致できないもの があるということの重要性を提起した。

3.出席者からの質問

 ここでは、コメンテーターを含めゼミの出席 者から出された質問とそれに対する坂元の返答 を大まかに書いていく。なお、すべての質問を 取り上げまとめることはできなかったので、黒 崎勲(教員)から出されたr希望者全員入学」と いう坂元の提示への疑問、桐島次郎(D院生)

の「協同的契約性」概念のイメージについての 質問を取り上げる。

 桐島からは、まず「協同的契約性」概念と、

「希望者全員入学」という制度変革の提案との 関係についての説明が求められた。この「希望 者全員入学」については、黒崎からも60年代の 全入との関わりについての説明が求められてい

る。

 これに対して坂元は、へ一ゲルの「契約性」

概念の持つ肯定面が、権力的な形でなく契約 的・中央的に統制できる可能性があるのではな いか、そして中央的契約と個々人の社会性は結 びつきえるのではないか、という自身の問題意 識から「希望者全員入学」を引き出したと答え ている。ここで、坂元は、「協同的契約性」と

「個々の社会性」が結びつき得る契機として、先 にあげた資本の文明化作用の中の情報==コミュ ニケーションをあげている。

 他にも、この論文に対して重要な指摘があっ たので以下に示す。

 小沢有作(教員)からは、「文化」と「遺伝」

の止揚と、「参加」によるそのコントロールと関

わって、これまで科学者自身の科学の利用の仕

方や、技術の逆用を引き起こす科学者、そして

システムの問題が重要な課題であったことが言

及され、こうした問題を見過ごしてはいないか

という指摘があった。更に加えて、住民の「参

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加」に加えて、「プロテスト」という方法もある ことを指摘した。それに対して坂元は、一応そ のことについて論文ではふれていると答えた

(P47)。

 また、黒崎からは、坂元とビデの問題意識の 境界が明確でないことが指摘された。

4.記録者の感想

 率直にいって、執筆者坂元と質問者との間に 議論の食違いがあったように感じた。その原因 を、記録者(芳澤)なりに考えたので、簡潔に 書きたい。それは、論文の第一節の「最後の問 い」を引き出す「笑いと自由な形式と、多くは 悪の内容をはらみながらも、人間存在の根源的 な問いを含み、ある場合には、幻想的でありな がら、スキャンダルやエキセントリックな行為 までをも内包した、鋭い対立のモメントをも つ、一・種の対話」の中にある「異化」、「自由な コミュニケーション」そして「同時存在性」の イメージと、それ以降、とりわけ3節以降の理 論展開との関連が、曖昧なものとして読者に伝 わったのではないかという印象である。今後、

自分なりの制度像を考える上で、この議論を 様々な問題をはらんだものとして引き取ってい

くつもりである。

      (文責 芳澤拓也)

第2回

 小沢有作著『民族教育論』(明治図書、1967 年)の第ll部、「日本の植民地主義教育」の検討 を行った。コメンテーターは宮田幸枝(D院 生)、緑川ゆかり(M院生)、記録は渡辺明子(M 院生)である。

 まずはじめに小沢から、氏の研究史における 本論文の位置付けについての説明があった。今

回取り挙げる第II部「日本の植民地主義教育」

は氏の卒業論文として書かれたものであり、

『民族教育論』は修士論文として書かれた第皿、

IV部と、総論として後に書かれた第1部から 成っている。故に、本書を通して、近代教育の 世界をマイノリティ・被差別者の側から捉える 小沢の学問的世界の形成過程を辿ることができ

る。

 本ゼミは宮田、緑川の報告をもとに進められ た。以下に報告の主旨を要約する。両報告者と も、本論文が1960年代という早い時期に、日本 帝国主義の植民地教育について数多くの資料を もとに詳細な分析を試みた先駆的な研究である ことを高く評価した上で、以下の論点を提出し た。まず緑川は、戦後50年が過ぎ、ソ連の解体、

東欧の民主化等に見られるように世界が新しい

《民族の時代》を迎えつつある今、改めて「民 族」という概念を捉え直す必要性があるのでは ないかと指摘し、さらに、マイノリティ・被差 別者側の視座に立つ本書が、戦前日本の帝国主 義的政策意図史や通史的な研究を主軸に据える 一方で、朝鮮独自の文化について言及していな いということを不満として提出している。同様 に宮田も、本書は日本の加害性を論及すること に重点が置かれているが、植民地教育の本質に ついて論じるためには、朝鮮民衆の民族的運動 や抵抗の姿など、彼らの民族としての生き方に ついての記述が必要ではないかと指摘した。ま た、宮田は弘谷、徐の文章を引用して、日本の 植民地政策には満州・台湾といった地域の違い によって微妙な差異が存在したことを指摘し、

第III部で事例として特に取り挙げられている対

朝鮮政策の特質を浮き彫りにすることによって

こそ、日本の植民地教育の本質に迫り得るので

(5)

はないかと指摘している。

 これに対して小沢は、「今日の時点からは おっしゃるとおり」と以上の批判を認めてい る。朝鮮文化についての言及が少ないことに対

しては、やはり時代的な制約もあり、植民地教 育研究において先駆的であった本書では政策史 の論及を中心としたが(朝鮮教育について通史 的に書かれたものは後にも先にも本書しかな い)、その教育内容についての研究が現在各国 において体系的に行なわれ始めていると回答し た。「民族」の捉え直しについては、執筆当時の

「民族」理解が、民族に対するスターリン的理解 に加えて、レーニンの「抑圧民族」「被抑圧民 族」というはっきりした二つのカテゴリー認識 において成り立っていると述べ、さらに、例え ば現代日本においても、いわゆる単一民族イデ オロギーに捉われずに、多数民族対少数民族と いう形で日本(人)を相対化した上で、国民と いうカテゴリーの修正を試みる必要があると考 える旨を回答した。

 その他になされた議論を次から大きくまとめ

ていく。

 桐島からは、本書は日本国内の教育政策と植 民地教育政策の内的関連を日本帝国主義という 概念によって明らかにしようとしているが、そ の日本帝国主義という枠組みはその後の研究過 程において、どのように深化又は変化したか、

という質問がなされた。これに対し小沢は、理 論的な枠組みの変化というよりも研究のスタイ ルの変化について回答し、日本帝国主義教育論 として帝国主義教育の構造を捉えるためには、

これまでの通史的な論考をさらに「輪切り」に することによって、同時代点の各国間の関連構 造を問題にしていかなければならないと述べ

た。

 また、宮田がコメントの中で引用していた駒 込の指摘(「同化」というタームを時期的にも地 域的にも不用意に拡張して用いることにより概 念の内容が拡散していること、そのために各地 域における教育政策の特質とその連関が把握し にくくなっている)についての説明が参加者か ら求められた。これを受けて宮田は、再度植民 地地域間で日本の対植民地支配政策に差異が見

られたことを強調したが、小沢は宮田の指摘だ けでなく駒込の批判も認めている。その上で、

未だ具体的な日本語教育がどのように行なわれ ていたのか十分研究がなされていないことか ら、今後は植民地教育における教材分析を体系 的に試みていく必要があると強調した。

 深見匡(D院生)からは、被抑圧者側の「民

族」の固有性に対して、抑圧者としての日本帝

国主義はある意味日本の「民族」の歪曲された

形であると考えた場合、単に「民族」を主張す

るだけではそこに抑圧の概念を帯びはしまい

か、さらに、民族性の積極的価値をどのように

考えるか、という発問がなされた。これに対し

小沢は、被抑圧者の側にとっては「民族」とい

う概念はそれ自体で抵抗概念になるが、抑圧者

の側については、ここでは民族間の関係にお

いて抑圧民族の民族意識に歪みが生じるという

問題を提起するにとどまっており、その歪みか

ら日本がどのように自らを解放していくかとい

う極めて限定した課題を引き出しているだけで

あると回答する。それを受けて坂元は、大ロシ

ア人のもつ抑圧的な感覚に対して批判的にも直

感していたレーニンとは逆に、現代の日本人が

無意識的に受け継いでいるであろう抑圧者とし

ての血が、かなり曖昧に、見えにくくなってい

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るのではないかと述べ、これについてはさらに 分析が必要であると指摘した。

 韓国からの留学生である宋(D院生)からは、

1960年代という未だ日韓関係が正常化されてい ない時代に研究を進めていく上でどのような障 害が存在したか、という質問がなされたが、こ れに対して小沢は、時代的背景や世界的動向の 中で、その研究のもっている意味を評価してく れる人が存在したことは精神的な支えであった

と述べると同時に、資料探しにおける当時の苦 労談を語るにとどまっている。

 上記以外にも、ゼミの端々において、本論文 の内容検討から離れたところで、小沢の研究過 程におけるエピソードや現在の教育実践におけ る取り組みなどについての話を聞くことができ

た。

      (文責 渡辺明子)

第3回

 今回の総合ゼミでは、小沢有作著『民族教育 論』の中から、第皿部「植民地と教育」の検討 が行なわれた。コメンテーターは越野由香(D 院生)、増田洋子(M院生)、記録は小沢泰子(M 院生)が担当した。

 ゼミの中で小沢(有)は、世界の教育には、植 民地支配国の教育と植民地従属国の教育という 二重構造が存在し、戦前・戦後を通して、教育 学が支配国の教育にのみ目を向けてきたことへ の批判が小沢の中にあって、それがこの文章を 書く動機となったと述べている。

本論文は、その対象地をインドとし、17世紀に はじまる東インド会社を中軸としたイギリスの インド支配から、1947年のインドの独立まで を、通史的に捉えたものである。インドがイギ

リスの支配機構に組み込まれて行く様、そして その状況を自覚し・「民族」の独立を果たす過程 で、教育が果たした役割を描き出している。

 コメンテーターの越野(由)・増田から共通し て出され、また本書所収の他の論文の検討でも 繰り返し指摘されたのは、小沢の「民族」概念 に関わった問題である。越野からは、インドの 多様な文化背景を考慮したとき、インド「民族」

という言葉で括ることが妥当かどうか、また増 田からは本論文で用いられている「民族」「国 民」という言葉の概念に対する説明とその関係 について疑問が出された。この点に対して小沢 は、カーストの問題や言語・宗教の多様性を考 えたとき、インドにそれを総括する言葉をあて ることは困難であり、やむを得ずここでは

ttnation という言葉を用いたこと、またそれに対 して「民族」の訳語をここではあてているが、

「国民」の方が適切であったと述べた。この問題 に関わって、ユーゴスラビアやボスニア・ヘル ツェゴビナにおける「民族」と「宗教」の問題

にも触れた。

 黒崎(教員)からは、上原専禄が「国民教育」

「民族教育」を区別して使用していたことに触 れ、本書を書くうえでの小沢の「国民」「民族」

概念の区別についてより詳細な説明が求められ

た。小沢は、上原の「日本の国民教育は民族独

立の教育に凝集する」という言葉を引き、当時

日米安保条約に関わって、対米従属のくびきか

ら脱するべきだという意識をもとにその言葉が

提出されたこと、そして上原には、日本の抑圧

民族としての意識・日本の中のマイノリティー

への意識が欠如していたことを指摘した。黒崎

の先の質問に対しては、その当時「民族」と「国

民」という概念を、あいまいに使用する傾向が

(7)

あり、小沢もここで迷っていたと述べた。

更にコメントとして越野から出されたのは、小 沢の、「植民地の教育は資本主義社会の教育矛 盾の拡大鏡である」という記述に関わったもの である。越野はインドにおける教育が、濾過理 論による複線型の教育という形をとり、結果エ リート層と民衆の間に分裂を起こしたというイ ンドにおける教育矛盾についての小沢の論をま とめた。その上で、では上記のインドにおける 教育矛盾に関連した、当時の支配本国イギリス にあった教育矛盾とは何か、同時にその関係に ついて説明が求められた。小沢は、他民族に対 する教育の一番のモデルは自国の教育であるこ とを指摘し、イギリスにおける階級学校の存在 について言及したが、実証的な資料の提示には 至らず、その難しさについて述べるに留まっ た。また日本の行なった植民地教育政策が、ま ずは初等学校の整備から開始されたことについ

ても触れた。

 深見(D院生)からは、ガンジーの教育思想 の中における宗教の位置づけについて説明が求 められた。つまり小沢の記述からは、当初宗教 の「擁護」「統一」を目捲していたように思われ るガンジーが、後年には宗教的中立政策をとる ことを標榜したように捉えられる。彼の教育思 想に、宗教に関わって何か変化があったのかど

うか問いが出された。小沢は、ガンジーの基本 理念は、宗教の統一ではなく共存を、同時に世 俗教育を図ろうとするものであった事、そして ガンジーの教育思想の形成史を辿れば、そうし た理念は当初からあったことが述べられた。

 井上輝信(M院生)からは、独立の達成後、国 民会議派またガンジーの教育思想がどの程度実 現したのかが問われた。小沢は、basic・education

に関して、basic・educationセンターが独立後も全 国的な会議を行なっている事、しかしbasic educationは普及せず、大学につながる教育がも てはやされる状況にある事を回答した。そして ガンジーの教育思想は、独立後の教育のシンボ ルとして掲げられてはいるが、それが全国民化 したとは言えない。単純に言えば、basic educationは小学校のみで教育を終える生徒のも のになっており、新しい形での二重構造が生ま れていると述べた。

 大田直子(教員)からは、従属的な経済状態 にある国が独立していくときに、経済的な独立 をも勝ち取るためには、近代化を推し進めざる を得ないという議論が存在することが指摘さ れ、その過程で近代的な教育制度の導入という 課題が浮かび上がってくるが、小沢の教育思想 では、この問題はどのように捉えられるものな のか、と問われた。それに対し小沢は、植民地 の教育は、テクノクラートを育てないという特 徴をもち、独立後絶対的に不足するのが技術者 であり、科学技術の蓄積がないことが問題にな る事、技術者育成こそが課題であると述べた。

 更に大田は、政治的な独立後、新たに生じる 経済的な意味における国内外での搾取・被搾取 の関係に触れ、また先進諸国からの技術教育を 中心とする学問の摂取を行なわざるを得ないと いう矛盾を抱え込む点を指摘した。小沢は、本 論文が、旧植民地主義の時代の教育を扱ったも のであり、政治的な独立後の、新しい経済的技 術的支配については、執筆当時には教育学の分 野では意識されていなかった旨回答した。

      (文責 小沢泰子)

(8)

第4回

 小沢有作『民族教育論』の第IV部「人種差別 と教育一アメリカにおける黒人教育の歴史と現 実」を検討した。コメンテーターは芳澤拓也

(M院生)、深見匡(D院生)、記録は小口幸洋(M 院生)である。

 本論文は、小沢氏が博士課程1年時に執筆し た「資本主義と教育一アメリカにおける人種差 別教育」(1959,青木書店「教育講座」中に掲載)

をもとに加筆訂正されたものである。日本にお けるアメリカ黒人解放運動教育史に関する論文 としては、最初のものであるという。氏によれ ば、本論文は50年代に高まりをみせたアメリカ 黒人解放運動(特に 57〜 59におけるリトル ロック事件)に触発され、脱稿されたものであ るが、これ以降、実質的には当該テーマの追究 は途絶えているとのことである。

 従って、本論文が射程としている60年代半ば までの解放運動以降の経過に対する氏の考察が 明らかにされていないという限界はあったもの の、70年代におけるアメリカ「黒人文化」の自 己主張による新たな展開、また記憶に新しい

「ロス暴動」事件及び映画『マルコムX』の公開 に象徴される人種差別の構造的問題の再確認と いう経緯もあったためか、討論においては、そ れらを踏まえての黒人解放運動をめぐる質問、

意見が提出された。

 一方、眠族教育論』所収の他の論文との関連 で、それらが「植民地主義教育」における「抑 圧民族」と「被抑圧民族」双方の教育的連関、お よび「帝国主義」が誘発した「被抑圧民族」の 統一・独立とその教育的課題の追究、という観 点に基づいているのに対し、本論文は同一国家

内でのマイノリティの「民族性」の確保、いわ ゆる「共生」をめぐる教育学的課題の追究とい う観点に立脚してるため、両者の研究課題のず れからくる方法論自体の相違または連関をノ』駅 氏がいかに捉えているか、という点に意見が求

められた。

 以上2つの観点から、討論の主な内容を略述 するが、そのまえにコメンテーターと小沢氏と の質疑応答について略述しておく。

 芳澤(M院生)は、①白人対黒人の闘争とい う図式にあって、60年代の直接大衆運動に結実 するような「黒人文化」の形成に対する小沢氏 の評価を問い、また②当時の民主党の教育政策 が「公教育の修正、弱体化を眼目としていた」

という点について、より詳細な説明を求めた。

 また深見(D院生)からは、③統合プランと しての「強制バス通学」についての氏の評価、

④氏のモチーフからすれば、黒人が統合を求め た白人文化主流の教育文化そのものに対する批 判的分析や、黒人運動とその思想に「被支配民 族」の文化がいかに反映しているかという視点 を提起しえたのではないか、さらに⑤氏が看取 した黒人教育の資本主義的解決の限界という立 場からは、例えばその後の「補償教育政策」(機 会均等法に基づく)はどのように評価されうる のか、といった意見・質問が提出された。

 これらに対し、氏は、①「黒人文化」につい

て書かれていないという指摘は認める。これを

書いた後に彼らの「民話」などに関心を持つよ

うになった。②残念ながら忘れている。③「強

制バス通学」は執筆以後に現実的な問題となっ

たが、実際には成功したとはいえず、当時もあ

まり有効な手段とは考えなかった。④当時はこ

ういう形で書くのが精一杯だった。「大学闘争」

(9)

(Afro 一 Americanとしての主張)以前に執筆し たものであり、その後の新しい展開については 追跡していない。Radsm and Cultuπeという観点 から「学校文化」を分析した研究は70年代に多 くなされてきた。⑤60年代以降のアメリカの教 育政策の動向については、実態的には不平等・

格差が増しており、政策的にも最底辺まで行き 届かずilliterateの割合は増えている、と答えてい

る。

 全体の討論は以上の質疑応答をふまえつつ、

冒頭の2論点が絡み合いながら進行した。

 越野章史(D院生)は、先の後者の観点から、

執筆当時に2・3章の論文との関係をどのよう に考えていたのか、という質問を提起したが、

これについて小沢氏は、「正直なところあまり 深く考えてはいなかったが、教育世界の二重構 造(抑圧一被抑圧)という方法的視点から「白 人一黒人」の教育世界を同様に捉えようと考え た。またその根底には、戦後日本の「新教育」の 模範となったアメリカ教育について、それまで 看過されてきた被抑圧者の側に眼を向ける必要 を感じていた。しかし「植民地教育」と「人種 差別教育」との連関については明確でなく、並 べただけに留まっている」という旨の回答をし

た。

 深見からは、アメリカ共産党による黒人の

「民族自決の主張」(p286)の具体的な内容につ いて質問が出され、また大田直子(教員)が、小 沢氏がその共産党の主張を「誤りjとしている ことの本意を正したのに対し、氏は「帝国主義 国一植民地の関係における民族自決論は平明だ が、混住地域における自決論はその応用はでき ない。スターリンの民族自決論は、領土・経済・

言語・文化の共通性というカテゴリーが基に

なっているが、アメリカ黒人の場合、生活言語 はほとんど英語であり、土地・経済も一体化し ている。文化の固有性はあるが、それのみで自 治区・自治州として独立させるのは無理であ

り、そうしない方がよいのではないかという判 断」と答えた。これをうけて大田は、2・3章 との比較から同一地域内での支配一被支配とい う関係の中で暮らしていくうえで、「民族自決」

を考える場合は、文化的自立に固執すればする ほど底辺部に追いやられるという問題が生じる のでは、として方法論が違ってくることを改め て示唆した。氏も、70年代に文化的自立を要求 した解放運動では、「黒人大学」の設置、「統合」

よりもむしろ「人種別学校」でもいいという居 直りもあったが、実際にはうまくいかず、結局 のところ「模範回答はない」とした。そして「マ イノリティがマイノリティとして尊重され浮か び上がることに成功した事例が歴史上あるの か、残念ながらそのような例はまだない」と指

摘した。

 また小口幸洋(M院生)からの、眠族教育 論』を貫く「抑圧民族一被抑圧民族」の教育世 界の二重構造という視点による捉え方につい て、現在における反省点とその深化はいかに、

という質問に対しては、「基本的には変わって いない…この本は旧植民地主義時代についての ものだが、現段階を新植民地主義として捉えれ ば、政治的に独立した後に経済的支配一被支配 の関係は強まっている。経済におけるメトロポ リタンー周辺という二重構造は、旧植民地主義 時代以上に格差が拡大している。そのなかで、

教育文化を世界的視野でいかに捉え直すのか。

新植民地主義時代の教育学研究は、アメリカ、

ラテン・アメリカ、イギリスなどでは行われて

(10)

いるが、経済と教育、文化と教育、マス・コミ と教育、開発と教育といったカテゴリーからの 分析が中心となるはず」と示唆した。そして、

日本における当該テーマの研究の立ち遅れにつ いて、その原因は、研究の専門分化が進んだ結 果、over−viewする研究者がいなくなったと嘆じ た。そして、新植民地主義時代における教育解 放の論理を提起した研究者として、氏自身もそ の翻訳に携わったパウロ・フレイレを挙げた が、彼もブラジルにおけるインディオの解放に ついては言及していないという限界を指摘し

た。

 宮田幸枝(D院生)からは、日本による「植 民地教育」と国内での「差別教育」との連関・

相違についての考えが問われた。これについて 氏は、侵略と差別の教育の内的連関構造につい ては、それをテーマにした15年戦争期の年表づ くりをとおして、より具体的な追究の必要を感 じた、と現在進行形の課題とした。また、もし 新たに「民族」の視点から日本の教育を捉え直

し「新民族教育論」として論じるとすれば、「ア イヌ教育」を抜きにはできず、「単一民族国家イ デオロギー」「単一民族学校イデオロギー」をい かに打ち破るか、という点が重要なテーマとな るはずとした。

 さらに小林智真(M院生)からは、黒人解放 運動に参加した様々な階層や立場の人々のそれ ぞれの役割に注目した場合、小沢氏は当時彼 らの間でのせめぎあいをいかに捉えていたの か、あるいは一枚岩として捉えていたのか、と いう質問がなされた。氏は「一枚岩的に捉えて いた」とした上で、「この論文の弱点は黒人のな かでの階層分化に基づく知識人層の分析の仕方 が単純で、また運動の拠点が教会一コミュニ

ティにあったのにも関わらず、それが当時はイ メージできなかった。それは、運動を描くうえ で日本の運動のスタイルが下敷きにあったから だといえる」と、当該論文の残した課題、反省 点を率直に述べた。

 最後に石橋満里子(M院生)が、「侵略と差 別」に関する教育学研究の方法についてのアド バイスを求めたのに対し、氏は抑圧を受ける側 の視点を共有するために、そうした立場の人々 による文学作品等を読むことをすすめ、いくつ かを例示した。また、本討論中にも文学作品そ の他の多くの著作が紹介されたので、以下に掲

げておく。

  ホブスン,J.A.『帝国主義論』(岩波文庫,1951)

  パウロ・フレイレ r被抑圧者の教育』(亜紀書

 房,1979)

  フランツ・ファノン『黒い皮膚、白い仮面』(著  作集1,みすず書房,1981)

  メンミ・アルベール『差別の構造一性・人種・

 身分・階級』

  リチャード・ライト『アメリカの息子』(黒入文  学全集,早川書房,1961)

      (文責 小口幸洋)

(第5回、第6回は修士論文執筆者の構想検討 を行った。記録は省略する。)

第7回

 小沢有作著『民族教育論』検討の最後に、第 1部「民族問題と教育」の検討を行った。コメ ンテーターは桐島次郎(D院生)、木戸口正宏

(M院生)、記録は石橋満里子(M院生)が担当

した。

桐島、木戸口の報告をもとに進められた。桐島

(11)

は、①民族独立運動の過程における民族教育の 主張のもつ意味は理解できるが、民族国家成立 後においてなされる民族教育の主張ないしは実 践というものが、どのような積極的意味をもち うるのか。②第三章に展開されている論理であ る〈民族独立→教育における民族主権の回復〉

について、かっての新興民族国家は、そのよう な過程をたどったのか。③第1部を最後に検討 することになった意図について問い、木戸口は これまでのゼミでの論点でもあった④「民族」

概念をどう規定するか、また現在それをどう捉 え直すか。また、それに関連したところで、⑤ 日本「民族」をどう規定するか、日本「民族」が おかれている状況をどう見るか、さらに、⑥

「民族」的な教育、少数者の立場にたった教育の 実現への展望はどこにあるのかという問いがな

された。

 それに対して、小沢より、まず③について、

卒論としての第II部「日本の植民地主義教育」、

修士論文としての第皿部「植民地と教育」、博士 論文としての第IV部「人種差別と教育」、まとめ としての第1部「民族問題と教育」という歩み の追体験を理解する手だてとしたことが説明さ れた。この後、⑤の問いを中心に、他のコメン トと関連させながら小沢より回答があった。ま ず、本論文が書かれた1960年代は、マルクス主 義と社会主義国家について確固たる信頼をもっ ていた時期であり、民族独立について世界的な 動きがあった時期が背景となっていることが述 べられた。木戸口の④について、当時のマルク ス主義での「民族jの定義は、言語、経済、地 域、文化の共通性で規定されており、中国の少 数民族政策はこれに基づいているものである が、在日朝鮮人や、アイヌはこの範躊にははい

らないこと。現在の「民族」の定義は、スター リンの概念からははずれた現象が多くでてきて いることが説明された。また、①についても、

アフリカのタンザニアの例をあげ、独立まで は、スワヒリ語をつかっている多数部族と、11 の少数民族とが力を合わせ運動を行うが、独立 後は、スワヒリ語を統一語にすることで、民族 間の対立が表面化してきている。これは、独立 前には見えなかったものが、独立後、顕在化し た結果だと思われるが、この事に対してどんな 解決策があるかは分からないという回答であっ た。⑥については、小沢の『民族教育論』は、旧 植民地時代の民族教育論であり、植民地からの 独立後の教育論として、新しい世界教育の関係 について、被抑圧側から提起した研究者パウ ロ・フレイレがあげられた。また、木戸口の植 民地独立後の近代化について、独立後の教育制 度は、学校教育制度以外の制度を採用したとこ ろはないこと、植民地が独立することによって 近代学校制度が世界化したことが説明された。

その段階において、制度論として提起し、学校 論の70年代の新しい切口を開いていった研究者

として、イリイチがあげられた。

 この後、全体討論に入っていった。まず、木

戸口のコメントにある日本の対米従属の問題で

ある日米安全保障条約(以下、安保条約)の問

題に対する関心について、抑圧者一被抑圧者と

の関係で日本人の民族としての意識の問題に焦

点があてられ議論が展開された。木戸口は、安

保条約の枠の中で、日本が従属国であることを

利用してアジアに対して経済侵略をしているこ

とに疑問を持ち、日本人が被抑圧者としての自

覚が希薄であることを問題にし、日本の教育運

動の中で民族教育という視点がなければ、世界

(12)

の被抑圧民族との連帯が出来ないことに危具を 抱いている発言があった。そこから、日米関係 論に発展し、越野から、安保条約の件ではアメ

リカとの関係では日本は被抑圧者であるが、ア ジアに対しては経済的抑圧者の役割を果たして おり、単純に抑圧一被抑圧の構図では説明が出 来ないという指摘があった。小沢は、安保条約 問題は、軍事的従属の問題であるが、安保条約 の役割の歴史が変わり、軍事的従属を利用し て、80年代以降経済的自立を果したことの説明 があった。また、黒崎勲(教員)からの、めざ ましい日米関係論についての議論がどのくらい 勢いがあるかを知りたいという質問に対して、

坂元忠芳(教員)より、「冷戦構造解体」という パラダイムで書かれている『社会科学講座』(岩 波書店)の紹介があり、この「冷戦構造の崩壊 論」から、日本からアメリカ軍が撤退すること や軍事費の削減についての議論がでなくなった ことに対する危機感が出された。小沢からは、

冷戦構造が崩壊したことで世界中が資本主義へ 向かい、第3世界との経済格差がますます広が り、第3世界の飢えや貧しさに責任を負うこと が現在の日本の一番の問題であることが述べら れた。そのためには憲法第9条により、米軍の 撤退、自衛隊をなくすことで軍事費の削減を進 める点については坂元と同じ立場であることが

述べられた。

 また、コメントで提起された⑤に関連して、

日本人のおかれている状況としての加害者、被 害者意識について坂元より、教育思想史を研究 する上での視点として、なぜ日本人がアジアに 対して大国主義的意識を受け継いでいるのか、

歴史的に検討してみる必要があるのではないか という提起があった。明治以降の段階では、日

清戦争の京城陥落の時期までが第一一段階で、自 由民権運動の中にもアジア蔑視があったことを 考えると一一SU民衆の中にアジア蔑視の意識が あったかどうかを調べる必要がある。高度経済 成長における日本人の勤勉さとアジア蔑視の原 型が明治20年代につくられたのではないかと いう仮説を持っている。第2段階は、敗戦から 朝鮮戦争までで、敗戦で打撃を受け、日本人の 被害者意識は強かったが加害者意識は薄かった のではないか。そしてそれを決定付けたのが、

朝鮮戦争によって日本が復興する時期であった のではないか。そして第三段階が現代であり、

民衆の持つ深い意識下にある加害者意識の温存 形態をつかまなければ、小沢のr民族教育論』

は完結しないのではないかとの指摘があった。

 また、①⑥に関連して、小林智真(M院生)よ り、日本の民衆運動の中で、抵抗を組織してい くにはどうすればいいのかという質問が出され

た。それに対して、小沢は、『民族教育論』には、

植民地主義によってどのような歪みが出るかは 書いているが、日本の中で反植民地運動がどう 展開されたかについては書いていないことに触 れ、中野重治の「美談はどんな小さな美談でも 大事にしよう」という例をあげ、1930年代に、

反帝同盟が組織されたことや関東パルチザンの

詩を書いたまきむらこうのこと、中国抗日軍に

武器を送ったことなどを丁寧に掘り起こす必要

があること。そして人々の闘いの記録は、一人

で闘うときでも一人の支援者がいることを描き

出さなければならない。たとえば、他者を加害

する人に対して、非の声をあげる人がいること

が論文などには書かれていない。論文は、生き

ることを励ます力を持っていなければならな

い、という指摘がなされた。

(13)

 さらに、小林から、今の学校の枠組みの中で、

民族の学校をつくっていくことができるのかと いう質問が出された。それに対して、小沢から 植民地時代の学校問題と独立後の学校問題は違 うという観点で説明がなされた。植民地時代 は、自分たちの教育内容で民族独立学校を作っ ていくという問題であり、独立後は、学校制度 の中の教育内容の面に、自民族の言語、歴史、

文化を入れて改革していということ、しかし学 校制度自体が、学校に行くか行かないかで民衆 の間に階層文化を生み出すという問題であるこ とが相違点として述べられた。

 木戸口からは、植民地の独立経験を踏まえた 民族運動を展開することは可能なのかという問 いが出され、それに対して小沢より、西アフリ カでフレイレが進めた識字学校が途中でつぶれ て行くのは金銭問題が原因であることを例に、

その国での貧富の格差は理念以前の問題とし て、大きな問題があることが述べられた。

 最後に、小沢より、現在日本にいるマイノリ ティの子どもたち、特にニューカマー(中国引 き揚げ者、ブラジルなどからの出稼ぎ者)の子 どもたちが、日本の学校評価システムの最底辺 に位置していることに関心を持ってほしいとの 提起がなされた。また、この子どもたちについ ての教育をどうしたらよいかが、小沢の実践課 題であることが述べられた。そして、これから は民族共生の見取図を描くことが重要であり、

ニューカマーの子どもたちに声をかけられる日 本人になってほしいことが民族教育論の実践的 課題として提起された。

       (文責 石橋満里子)

第8回

 大田直子「1902年教育法,1904年教育法の一 考察 一一LEA成立史一」(テキスト1、『東京 大学教育学部紀要第23巻』所収)、および同

「1902年教育法成立をめぐる一考察 一学務委 員会(SB)から地方教育当局(LEA)への 移行をめぐって一」(テキスト2、『教育学研究 第51巻』所収)の検討を行った。コメンテー ターは芳澤拓也(M院生)、深見匡(D院生)、記 録は桐島次郎(D院生)である。

 コメンテーターからの質問・コメント及び、

それにたいする大田の回答の要旨は、以下のよ うなものであった。

 芳澤からは、①「現行のイギリス教育行政制 度の制度原理は、教育の自由を根幹とするパー トナーシップの理念」(テキスト1)にあるとさ れているが、ここで言う「パートナーシップ」

とは何を意味するのか、②1902年法は、積極的 に初等教育と中等教育を結びつける任務を持た なかったが、実際には中等学校を設立しようと すればできたのか、また、③19(n年法は、実際 に私立学校を強化し、初等教育と中等教育を分 断したのかという三つの質問がなされた。

 深見からは、①学務委員会(SB)制度下と

LEA(地方教育当局)制度下では、 学校を直

接管理できる・できない という相違があると

しているが(テキスト1)、それは具体的にどの

ような違いがあるのか、②モラントが1904年法

によって1902年法の「ウェッヴ的要素(民衆統

制)を払拭」(テキスト2)させたとする主張で

は、SB擁護派の主張との比較でその民衆統制

の意味の差異が曖昧になるのではないか、③

1902、1904年法で形成された基本的な枠組み

(14)

は、例えば戦後の「総合制中等教育」を組織し ていこうとする運動のなかで、地方当局の動き をどの程度牽制することが出来たのか、という 質問・コメントがだされた。

 大田は、芳澤の①について、通常、「パート ナーシップ」とは、中央・地方・学校が手をた ずさえた「協力関係」のことであり、イギリス の教育行政制度の原理として説明さるものだと こたえた。芳澤の②、③については、1902年法 は、LEAに中等教育を供給することを違法と するものではないが、強制させるものでもな かった。従って、LEAが独自に中等教育を地 方税によるなどして、供給することは認めた法 律であった。しかし、それは、初等・中等を積 極的に接続させるものとはなっていなかった。

また、1904年法は、私立学校に税金を支出する ことを認めたものであり、LEAによって、私 立学校(=宗教立学校)に地方税が合法的に供 給された。その結果、財政的な安定が確保され、

いまだに「私立学校」という形で残っていると

した。

 次に深見の①の質問について、SB制度で

は、学校単位に組織されたSBが、直接・全面 的に学校を管理するの対して、LEA制度で は、地方の議会が学校を管理するという建前の 下に、各学校に学校管理団体というものをつく り、そこに管理を委任することなっていた。そ の意味で、「直接」・「間接」という言葉で両者を 区別した。具体的権限については、例えば、人

事権はSB制度のもとではSBが持ち、LEA 制度のもとではLEAがもった。また、教育内 容に関しては、SBの時代は、1862年の改正教 育令でつくられたstandard及び独自に開発した カリキュラムを行なっていたが、LEAの段階

(1902年以降)は、s㎞daldが徐々に解消され、そ の後、中央当局が定めるregulationによって教育 内容が決まっていくことになったとした。

 深見の②について、ウェッヴの民衆統制とい うのは、SB制度の下での直接公選制というこ とではなく、地方自治体を強めるという形での 公選制であった。換言すれば、地方自治体を強 くするという意味での民衆統制を考えていたの であり、一般行政とは独自に区別された「教育 の民衆統制」というようなことは考えていな かった。その点で、SB擁護派の理念と同じ

「民衆統制」という言葉を使うと、誤解されかね ないという指摘だと思う。ウェッヴには、エ

リートに指導された運動とか大衆などというよ うな発言もあり、そういう意味で、彼の言う

「民衆統制」とは括弧つきだと思うとこたえた。

 深見の③の質問について 総合制中等教育の 運動に関しては、当時、それを労働党だけが主 導したかという問題があるとした。また、近年 における具体例として、準高等教育(ポリテク ニック)をLEAで供給しようとする動きが中 央によって抑えられた問題をあげ、「地方が進 んだ時にどうなるか」ということがらを考える

ヒでの参考になるとした。

      (文責 桐島次郎)

第9回.

 浜谷直人「自閉症児の特異な描画技法の発達

過程」(『教育心理学研究』38号、1990年)およ

び「絵画表現」(『講座・幼児の焦活と教育 4

理解と表現の発達』1994年、岩波書店)の検討

を行った。コメンテーターは越野由香(D院

生)、小沢泰子(M院生)、記録は木戸口正宏(M

院生)が担当した。

(15)

 コメンテーターから内容報告、疑問点、論点 提示がなされた後、浜谷が自閉症の子どもたち の描画の実例を示しながら論文内容の補足を 行った(コンピュータ、ビデオを使用)。

 その後討論。司会がコメンテーターからの論 点を①自閉症とは何か、自閉症の子どもの描画 技法の特徴と普通の子どものそれとの違いはど こにあるのか。自閉症の子どもが一般的な幼児 と同じ描画技法を使用するからといっても、

「背後にある心理的な要因」は同じと言えるの か。②自閉症の子どもの人物描画が、周りとう まくコミュニケーションできないことと関わっ て論じられているが、同じ人物画でも「形」に 着目して描かれているものもあり、一概に言え ないのでは。また周りとのコミュニケーション がうまくいかない子どもの描画のそもそもの動 機は何なのか。③「描画発達」の研究の意義と 固有性とは何か。また浜谷氏はそれをどのよう に考えているのか。の3点に整理し、まず浜谷 が質問に答える形で討論を始めた。

 浜谷は、自閉症のこの子どもたちが何故こん なに絵を描くのがうまいのかは、謎で、仮説は あるがよく分かっていない。周りに絵を描く 人、たとえば母親、がいるという要因もあるの かもしれないが、決定的ではない。「自閉症」に ついては「純粋に自閉症」というのではなく、

多くは精神的遅滞をともなう。大きくなるとむ しろ「ちえおくれ」の方が目立ってしまう。自 閉症の子どもでも必ずしも描画能力が良いとい

うことではない。こういう絵にぶつかってイン パクトを受けて、とりあえず通常の描画発達の 過程とどこが異なるかを論文にまとめてみたと いうのが正直なところ。だから不十分な点、答 えられない点も多く、また分析の仕方も「自閉

症」の既存のイメージにとらわれていた。そう いう点は反省している。ただ人間の神秘的な力 を感じさせるということはあると思うとこたえ た。「この2例の自閉症の子どもは何故強迫的 に絵を描くのか」との問いに対しては、「何故 か、これもよくわからない。自閉症の子にとっ ての絵を描く意味は何か。それが普通の子と違

うのでは。絵の中で一一一一つのストーリーをつくろ

うとしている例もある」と回答。

 その後前田(M院生)から「絵の中でストー リーを作っているというのは対人的なコミュニ ケーションではなく、個人的な、内的(イン パーソナル)なコミュニケーションを行ってい るのだろうか」という質問があり、調査方法を 尋ねた浜谷に前田は「文章や日記、手紙で見て みたらどうか」と答えた。それに対して浜谷は

「文章とかは調べていないですね」と回答。日記 等は母親との「合作」で、学校に提出するから 子どもが書いたのを母親が訂正したりするとい うことで、子どもだけが書いた文章とは判断で きないことをつけ加えた。

 坂本忠芳(教員)は「非常に簡単でかつ複雑 な問題」と前置きして2点の質問をした。1点 目は、「現実の授業や仕事の中での観察は重要 だと思うが、実験室的な調査、実Wt−一一日常的な 文脈からさらに広がりをもつような一というの も重要なのでは。たとえば子どもが描画をでき なくなるような障害や心理的状態、関係を設定

していく中で、仮説を証明するようなことは可

能だろうか」ということ、2点目は「ワロンに

おける自動運動と緊張の関係の研究のような一

般的な情動・行動研究などから描画というもの

の意味を確定する研究、具体的領域だけでなく

一般的枠組み、哲学的考察までやっている例は

(16)

あるか」というものだった。

 浜谷は、「障害というのではなく、文脈によっ て描画がどのように変化するのか、どのような 技法を用いるのかといったことについての研究 はピアジェ以降一定行われている。ただ、描画 に関する研究は少ない。言語研究に比べると圧 倒的に少ない。2点目についてはそういうもの はないといわざるを得ない。ただ我々は年長に なれば美術、音楽というように領域的に分けて みてしまうが、もっと相互関連的、渾然一体と なっているものだと思う。子どもの中ではそう いうものが根源的なものとして現れている。ま たそれをどう見るかでいえば、分析、観察、研 究の枠組みがどうであるかによっても違ってく

るし、それぞれの分野の交流も少ない。だから それらをひっくるめて総合的に考察し一般的枠 組みをつくるというのはなかなか大変」と答え た。坂本はワロン、とくに最晩年のワロンが実 験的手法に着目したことについてよく研究する 必要があることを指摘。浜谷は「認知心理学、

認識論だけでは捉えきれない部分がある。下手 をするとこれまでの言語論分析を形をかえただ けのものになってしまう。コメンテーターの指 摘のように本当に総合的に見ていかないといけ ないとは思う」と発言した。

 その後宋(D院生)から「絵画表現」で引用 されている石川の「心理療法」における「雨中 人物画」の例は納得できない、普通と反対なの では、と発言。浜谷は「その辺りについては ちょっと軽率だったと反省している。ただ詳し い理論はわからないが、彼らの実践の中では

雨にぬれてもいいじゃないか という人の方 が予後がいいということになっている」と発言

した。

 また、越野(章)(D院生)からは「この自閉 症の子どもの描く絵を見ると、5歳頃の絵は見 たままの絵だが、10歳頃になると実際には存在 していない 風景 を描いている。これはどう いうように描画が変化しているとみたらいいの か」と質問がでた。浜谷は「この辺りについて はよくわからない。みなさんにも意見を聞きた い」とした上で、やはり一見、見たままを描い ているようで、実は「見たまま」を描いている のではなく、彼らなりに「見たもの」を合成し ているらしいこと、もっとよくその子につき あって徹底的に分析していかないといけないこ

とを述べた。

 茂木俊彦(教員)からは「絵の描き順」の問 題について発言があった。認識における「因果 論的認識」というものが普通の子ではある段階 から出てくるのに対し、自閉症の子は「知覚的 な」、見たことがその中に再現されてくるよう な、そういう違いがあると思う。だから「描き 順」というのは自閉症の子にとってはあまり意 味をなさないのでは、という主旨の発言に対し て浜谷は、「絵を描く」とは3次元を2次元に押 し込めることであるが、子どもになればなるほ ど4次元という、時間的経過を含んだ経験を絵 の中に反映させようとする側面があるのでは、

と発言。茂木は「そういうことの中で子どもの 中に時間的な経過への認識が出てくるのでは」

と述べた。

 坂元からはさらに、「ここでだされている絵

の中にあらわれているのはスピード圧迫に対す

る不安というものなのではないかという気がし

てならない。そういう不安の対象に接した時に

その子がどんな反応を示すか、そういうことに

ついてギリギリ子どもに悪い影響を与えない範

(17)

囲の中で実験できないか」と質問がだされ、浜 谷は「そういうことは道義的に許されない部分 がある」と前置きした上で「たしかにこの時期、

怒られたり、友達に引き裂かれたり、泣いたり するようなそういった不安のようなものを感じ させる絵をたくさん描いている。だからそうい うものをいかに引き出すか、その子なりの状況 を見るか、というのは重要。そうでないとその 子の個性的なものが見えない」と発言してい

る。

 その後宋から「リュケやグッドイナフの理論 をどう見ているのか。また浜谷氏はどういうこ とを前提として研究をすすめていくのか」と質 問があり、浜谷から「知的写実性」の理論につ いて、幼児期の描画の特徴を記述する概念とし て「知的写実性」は有効であると思う。ただそ れだけでこの子どもの絵を説明することはでき ないし、写実性とは異なる動機で子どもたちは 描いている。写実性だけでなく、他の動機によ る描画についても考えねばならない」旨の発言

があった。

 また越野(由)からは「幼児期から写実性を 獲得するような教育というのはあるのか」との 問いがあり、それには茂木が「ソヴィエトの教 育の実践例がある。ただ、それが子どもの自由 な表現ということから見るといいのかどうかと いう問題はある。」と発言した。また和光小学校 における絵画教育の実践例と、それをどう教育 研究の対象にしていったらいいのかという問題 も議論された。さらに、二つの論文間で浜谷の

「知的写実性」についての見解は異なるが、現在 これについてどのように考えているのかという 問いがなされた。

 小沢有作(教員)からは最後に「言語発達と

の関わりで描画表現をどう考えているのか」と の質問があり、浜谷は「これまでの枠組みで構 図の構造化を分析するだけでいったら行き詰 まってしまうから、打破していかないと…ま た、ここでは色彩とかタッチについても取り上 げられなかったし、写実性といっても構図だけ では不十分だと思う」と答えている。

       (文責 木戸口正宏)

第10回

 茂木俊彦rノーマライゼーションと障害児教 育』(全障研出版部、1994年)の全章の検討が行 われた。コメンテーターは越野章史(D院生)、

林恵蘭(D院生)、記録は張亜東(M院生)が担

当した。

 本書前書き(P.4)のなかで、「障害者の人権 保障とノーマライゼーションの思想と運動につ いて、できるだけ簡潔に整理して提示するこ と」と「障害をもつ子どもたちの諸権利をどう 保障し、ノーマライゼーションの思想をどのよ

うに具体化するべきなのかを考察すること」、

そして「この二つの課題は、…国際的視野に 立ってわが国の障害児教育の現在を見直し、今 後のあり方を考えるという一つの課題にまとめ ることができる」と本書の課題について、茂木 は書いている。これに関わって、以下のような 疑問点がコメンテーターから出された。

 林からは、①1975年「障害者の権利宣言」制 定よりも、特定の障害である「精神遅滞者の権 利宣言」が4年はやく1971年に制定されたこと に関して、その理由は何か。②アメリカで、精 神遅滞者の認定基準をIQ77未満から69未満へ

と引き下げたため、精神遅滞者が減少する一

方、学習障害児が増加することになったが、認

(18)

定基準引き下げの理由は何か、という問いが出 された。これに対して茂木は、①に対して「個 別の障害者の運動が展開され、積み上がってき て、これが国連に反映して障害者全体を包括す る権利宣言へと結びついたと考えている。」② に対しては、「マイノリティーの子どもたちの 言語問題などを考慮すると、IQだけを基準とす るのではなく、社会適応能力の測定を含めた総 合的な判断によって、精神遅滞を規定するとい うやり方になったためである」と答えた。また、

「この基準は、社会状況との絡みで、どこから障 害にするのかという微妙な問題をはらみ、結局 基準が変われば精神遅滞児が健常児になったり するという部分を含んでいる」と答えた。

 つづいて越野からは、①WHOの提起した3 層の障害概念を、茂木は「障害をもっぱら個人 の問題としてとらえるのではなく、個人と環境 との関係のもとでとらえられるべきだという障 害観をあらわしている」と捉えているが、今後

さらに障害を個人とその環境との関係を重視し て考えるようになると、障害の根底にある

㎞pa㎞entを軽視してしまうという問題になる のではないか。②REI(通常教育主導主義)を めぐる論争についての茂木自身の意見はどのよ うなものか。③統合教育について、茂木は「教 育の場の近接性の強化」をあげているが、どの

ようなイメージなのか、という問いが出され た。これに対して茂木は、①のWHOの障害概 念について、今WHOの中で新しい障害概念を 提供する形で改訂作業が行われているというこ とだが、障害というものは、impaimientが発生 した結果disal}Mtyが発生し、そのためにbmdicap

を被るというような一方向だけではなく、

handicapをdisabihtyの原因と捉えるような方向

もありうるのではないか、障害に対する考え方 は今いろいろあるので議論してほしいと述べ た。②については、通常学級、リソースルーム、

特殊学級、通学制特殊学校、寄宿制特殊学校、

病院・家庭というプログラムを概ね支持してい るので、「すべての子ども」と言わずに普通学級 でやれる子ども、リソースルームを利用した方 がいい子どもと峻別して議論すべきだという考 えであると答えた。③については、小・中・高 校・成人の教育、労働、生活においてcomrnunity based Iehabi㎞don、地域に根ざしたリハビリテー ションシステムを乳幼児から高齢者まで含めて 考えている。教育については地域住民からも見 えるところで小学校や中学校の敷地内に分散し て特殊学級群を配置して物理的にも統合してい くというイメージだと述べた。その他、大田尭 氏との論争点、健常児と障害児の交流の意義に ついてのコメントがあった。

 また浜谷直人(教員)から、茂木の障害の種

類・程度に応じて専門的な教育を受け、交流す

るという考えには基本的に賛成するが、ただ特

殊教育に措置されること自体がhandicapを増大

しかねない、その不安感が大きいのではないか

という発言があった。黒崎勲(教員)からは就

学指導がその学校に入れるかどうかのふり分け

になっていること、またふり分けられた子ども

についてどう考えているのかという問いが出さ

れた。茂木は、子どもの教育を受ける権利とそ

れを保障するための親の選択権であって、就学

指導はそのための情報を与えるべきであると答

え、また発達の概念をどう考えるかにつながる

問題で、落ちついて議論しなければならないと

述べた。小沢有作(教員)からは、いろいろな

子どもが一一・vaにいるのが自然ではないか、お互

参照

関連したドキュメント

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

大学で理科教育を研究していたが「現場で子ども

被祝賀者エーラーはへその箸『違法行為における客観的目的要素』二九五九年)において主観的正当化要素の問題をも論じ、その内容についての有益な熟考を含んでいる。もっとも、彼の議論はシュペンデルに近

青少年にとっての当たり前や常識が大人,特に教育的立場にある保護者や 学校の

強者と弱者として階級化されるジェンダーと民族問題について論じた。明治20年代の日本はアジア

作品研究についてであるが、小林の死後の一時期、特に彼が文筆活動の主な拠点としていた雑誌『新

共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果

参加者は自分が HLAB で感じたことをアラムナイに ぶつけたり、アラムナイは自分の体験を参加者に語っ たりと、両者にとって自分の