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第2回人間の安全保障学会研究大会報告(2012)

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第2回人間の安全保障学会研究大会報告(2012)

著者 小路 万紀子

雑誌名 同志社グローバル・スタディーズ

巻 3

ページ 185‑191

発行年 2013‑03

権利 同志社大学グローバル・スタディーズ学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013182

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学会報告

第 2 回人間の安全保障学会研究大会報告( 2012 )

小 路 万紀子

 2012年9月29から30日に、愛知大学にて人間の安全保障学会が開催された。

報告者は本学会に参加し、ポスター発表を行った。全体のプログラムは以下に示 す通りである。

9月29日(土)

 開催校愛知大学学術企画

 《人間の安全保障の理論的基盤を掘る-近代知の限界と文明間対話-》

 基調報告:武者小路公秀 人間の安全保障学会会長 国連大学元副学長  討論①  板垣雄三 東京大学名誉教授

 討論②  加々美光行 愛知大学現代中国学部教授  討論③  アラン・ハンター コヴェントリー大学教授

 討論④  グレン・D・フック シェフィールド大学教授・日本研究所所長  総合司会 鈴木規夫 愛知大学国際コミュニケーション学部教授・学部長

9月30日(日)

 研究発表大会  ポスターセッション

 同学会のホームページによれば、人間の安全保障にかかわる大学院教育が充実 してきたこともあり、人間の安全保障につながるテーマの研究に携わる研究者が 留学生を中心に増えてきた。しかし、人間の安全保障が比較的新しい分野である ことから、孤立しがちな院生を含む若手研究者に研究発表と交流の場を提供でき ないかと、同学会が設立された。設立は2011年の同志社大学大会においてであ る。2日間にわたり開催された第2回研究大会の第1日目は、開催校愛知大学学 術企画として《人間の安全保障の理論的基盤を掘る-近代知の限界と文明間対話

-》と題した武者小路公秀人間の安全保障学会会長の基調報告による問題提起を

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軸とするセッションであった。会場における様々なライブ・リスポンスによる議 論の展開が見どころであった。第2日目は、若手研究者による30本にのぼる研 究報告がまずなされた。その後、《東日本大震災と人間の安全保障-これからの 復興と支援-》セッション、さらにドキュメンタリー作品「孤独なツバメたち」

上映と討論による《人間の安全保障と多文化共生》セッションが続いた。人間の 安全保障学会は学生の参加が多く、博士課程の学生が行う研究大会やポスター セッションでは、他の学生がどのような研究を行っているのか直接見ることがで きる。そのことと、また発表を聴いて下さった方と自由に話す機会が与えられて いたため、有意義な時間を過ごすことができた。ここでは、自分自身の研究テー マ(「現代日本の排外主義」)と関わりの深いと思われる、第1日目の講演の内容と、

講演から何を学び考えたかについて、研究と出来る限り絡めて報告をする。

 学会の第1日目は、《人間の安全保障の理論的基盤を掘る 近代知の限界と文 明間対話》と題したセッションが行われた。基調報告の武者小路公秀氏(人間の 安全保障学会会長 国連大学元副学長)を中心に、板垣雄三氏(東京大学名誉教 授)と加々美光行氏(愛知大学現代中国学部教授)、アラン・ハンター氏(コヴェ ントリー大学教授)、グレン・D・フック氏(シェフィールド大学教授・日本研 究所所長)により論が交わされた。討論を通して、人間の安全保障に実質的な力 を与える主体とは、人民であるのか、そうであるのならば、それはいかなる人民 なのか、あるいは領域国家であるのか、領域国家にはいかなる社会契約を超えた 倫理的役割が求められるのかという主題にまつわる様々な議論が、近代性批判と ともに展開された。中でも特に、武者小路氏と加々美氏の話は興味深いものであっ た。

 武者小路公秀氏によれば、人間の安全保障の重要性は、それが国家ではなく個 人や集団の生に重きを置く、世界の脱構築と再構築を図る学問であり、国家の枠 組みや国家ありきの平和構築から人間を真に解放する可能性を追求する点にあ る。氏は、政教分離と合理性に象徴されるヨーロッパの近代化がもたらした、目 的合理性の追求と、旧来の社会においては「埋め込まれて」いた伝統や知識の「脱 埋め込み化」(脱人格化および普遍化)は、アンソニー・ギデンズが言う過剰な 再帰化のプロセスを世界に強いることによって、現在のグローバルな混沌状況を 生み出す元凶になったと説く。伝統や伝統的行為は再帰的行為と対比されるが、

氏はまさに、先住民のローカルな知を駆逐し、基軸的・不偏的な知識をもって自 然から人間を区別することによって成り立つ近代化を批判し、もう一度埋め込む あるいは織り込むことをしなければならず、そのためにはアニミズム的生活の精 神へと立ち返る必要があるのだと、新たな世界の可能性について語った。

 ヨーロッパは中国文明からテクノロジー、官僚制や紙幣を学び、イスラム世界

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の文明からは社会科学を取り入れた。しかしながらその受容の方法とは、武者小 路が言うところの、「脱埋め込みメカニズム」(旧来の社会を支えていた緒要素の 解体のプロセス)を経たものであり、例えば、価値合理に重きを置いた中国の官 僚制度は、ヨーロッパにおいてはむしろ、徹底して脱人格化され、目的合理に基 づく民主的・科学的プロセスによる古い知の解体へと結びついた。伝統に従い、

ローカルな慣習やルールに依存していた、「脱埋め込みメカニズム」が立ち上が る以前の社会からの解放は、同時に、人間にとって必要な最低限の恒常性の破壊 を意味していたのであり、民衆が連帯する基盤の解体へとつながるものである。

氏からは、今日の流動化する世界において、主体の再帰性と社会の再帰性が必ず しも連動しないために引き起こされる現代社会の歪みを歴史的、哲学的に捉え返 す説得力ある批判がなされた。

 加々美光行氏は、西洋化を目指し、西洋により「引っ剥がされた」東アジアと、

底に流れ続ける自文明を維持し、単に「引っ剥がされた」わけではない中東イス ラームを対比した上で、武者小路氏が言う様に、ヨーロッパの文明は世界中から とってきたハイブリッドな文明であると定義した。加々美氏曰く、新しく埋め込 む価値としての内発的文明の必要性は、西洋により分断されたアジアにおける共 通の課題である。しかしながら、そのアジアの中で中国と日本を比較した際には、

その相互に異なる西洋との対峙の仕方が浮き彫りになるのである。氏曰く、中国 においては、西洋がやって来てから、それまで機能していた「埋め込み」が機能 しなくなるということが確かに起きた。だが中国の場合には、自文明の敗北に対 する自覚を強く持つことで、それに対する抵抗の力も同時に形成されたのである。

中国は、要するに「敗北するべくして敗北した」のであり、その後もやはり内発 的文明を生み出そうと闘い続けたのが、文化大革命で再び失敗し、ついに耐えき れなくなって行われたのが改革開放であったとされる。氏は、それらの歴史を経 て今、自己破壊的普遍主義に向かいつつあるのが現代の中国であり、尖閣諸島を めぐって苛烈化する反日デモはこの様な状況・情況から派生するものであると考 える。

 最後に、武者小路氏から「もし魯迅が生きていて、今の反日デモを目にしたら、

何と言うと思うか?」と質問され、答えた加々美氏によれば、魯迅は民衆が持つ 力を信じ、民衆の非合理性に、むしろ大きな可能性を見出していた。しかし同時 に、新しい文明再生の力は、場合によっては暴力的なものになるかもしれないこ とも指摘していたのである。ただ魯迅は、民衆から遊離するのではなく、むしろ 民衆のように考えなければならないとも言っていた。学会の場において、加々美 氏や武者小路氏など、日本の左派知識界の高みにある人物が、「これからは民衆 のように考えることが重要だ」と、筆者の年代にとっては当たり前のことを、や

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同志社グローバル・スタディーズ 第3 188

けに改まって、強調して言っているように感じられたのは、やはりそこに、ある 種の知と運動および「民衆」との関係の変化が反映されているからでもある。し かし、それ以上に、人間の安全保障という概念が民衆を大切にし、新たな世界の 構築のため、これまで動員できなかった潜在勢力として、彼らとの、また彼らの あいだでの連帯を計る思想に基づいているためである。

 それでは、現代に必要な「再埋め込み」のために、また、民衆と共に構築する 新たな世界像の形成のために、専門家的知識が果たすべき役割とは何だろうか。

武者小路氏曰く、グラムシが提示した知識人の役割とは、市民社会の中で働き、

民衆が「感じる」ことを「理解」、あるいは「知る」ということへ移行させ、彼 らの無意識における志を、彼ら自身に分かるように具体化する作業に知的貢献を することである。そして、その様なコンテクストの歴史的発展段階において、反 覇権的世界が建設されねばならないと考えていたのである。高度な知性と豊かな 人間性の両立が、知識人に不可欠であるとする議論は、今なおその有効性を失う ことなく、むしろ、危機の時代において要請される知識人の姿とは、その様に定 義されるべきであろう。

 格差の拡大による参加への期待の喪失も含めて、知が就職に有利になるとか、

社会的地位を高めると言った認識や期待さえも失われつつある現在、かつては政 治に影響力を行使してきた大学という機関とそこにいる人間の権威の縮小化が起 きている。その様な時代は同時に、誰でもメディアを持ち、言葉を発信すること ができる時代であり、インテリたちの文化でもなんでもない大衆の文化が、以前 とは比較にならない社会的影響力を持つことが許されている時代なのである。「普 通の人」にはアカデミアとは異なる知の媒体と回路が存在し、戦後脈々と積み重 ねられてきた人文系大学人による知の独占は、明らかにメルト・ダウンを起こし 始めている。今新たな世界観や思想を出せるかどうかの混沌とした情況の中でこ そ、「民衆のように考えること」の意味について改めて問い直してみることは、

実に興味深い。だが、そもそも観念的で、理論ではなく衝動に基づく市民の運動 に思想などあるのか?と問う、その問いは、我々が前提とする学術的知識や思想 とは全く別脈で構築されている「知」の存在を、既に示唆するものであると考え られなくもない。こうした知識の二重構造化ともいうべき現象を真の専門家批判 として受け止めることは可能であり、今後ますます拡大していく傾向を考慮して も、全く歯牙にもかけないというのはいかがなものかという問題提起をここでし 得る。

 時代が変わろうともその本質的重要性は保たれるべきものであるからこそ、革 命の思想や計画は人間の安全保障の枠組みで今も語られ続けている。しかしなが ら、学会の壇上にて、「連帯を志向する上で民衆の力は不可欠である」と語る賢

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人の言葉を受け取るはずの民衆とは、どのような人々のことを指しているのだろ うか。再びグラムシだが、彼曰く、「知識人の誤りは、理解することなしにとり わけ感じたり、知ることができると信じている点にある・・・・。この情熱、つ まり知識人と民衆―国民とのあいだの感情的な結合なしには、政治―歴史は形成 されない。このようなつながりを欠く場合には、知識人と民衆―国民との関係は、

純然たる官僚主義的形式的秩序の関係か、あるいはそのような関係に引き下げら れてしまい、知識人は一つのカーストあるいは司祭集団となる1。」

 過去の反省を経ずして未来に過剰な期待を抱くことは、学問的態度として誤り であると言わねばならない。だが、人間(民衆)の可能性を信じつつ、民衆の中 のある集団の可能性についてはあらかじめ否定し、連帯から除外してしまうこと も、同様に生産性のない行為である。人間が存在論的安心や、信頼に支えられて 生きている以上、裏切られることを前提で信じてみることに、ミイラ獲りがミイ ラになるといった感情的同一化とは異なる生産性を見出すことは可能である。根 が深く、将来的にも拡大していくであろう問題に対し、学問的な知の方から「普 通の人」の世界に対して、果たしてどういう風に働きかけることができるのかと いう問いに、真面目に答えていくことは決して無駄ではない。アカデミアの外に あって、そうした働きかけをある意味で待っている人々がいるのかもしれないと いう、報告者が持つ印象は、本学会への参加を経て以前よりも濃度を増したよう に思う。「国家ではなく、人の命の観点から物事を見ることが、若い頃から癖になっ ていた」と懇親会にてお話下さった加々美氏は、この様な私の人間の安全保障へ のスタンスについて、どの様に評価を下されるだろうか。

 過剰な流動化状況の中で、いかに社会の恒常性を回復・維持できるのかという 現在進行形の議論に更なる説得力を与えるには、具体的な事象に近づき、観察や 聴き取りから得られるものを科学的・理論的に分析する必要がある。しかしそれ だけでは零れ落ちてしまう何かが、理論を越えたところにある人間の非合理性が、

問題の根底に大きくあると考えられる以上、それをできる限り多く拾い上げるた めには、具体的に見えるものを追うことに加え、思想というもう一重のクッショ ンを用いることが有効であると考えられた。また、自身の研究のテーマを日本の 思想と運動の問題に結び付けてとらえ返すことができれば、「現代日本の排外主 義」は戦後から今日までの東アジアにおける日本の歩みを省みる契機を、アカデ ミアの内外の人間に与え得る有意義な貢献ができ得るのではないかと思うに至っ たことも、学会に参加して得た成果のひとつである。

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同志社グローバル・スタディーズ 第3 190

1 片桐 薫(編)『グラムシ・セレクション』(平凡社、2001)、175。

[参考文献]

小熊英二・上野陽子『癒しのナショナリズム』(慶応義塾大学出版会、2003)

樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書、2008)

片桐 薫(編)『グラムシ・セレクション』(平凡社、2001)

毛利嘉孝『ストリートの思想』(NHK出版、2009)

臼杵 陽(監修)/赤尾光春・早尾貴紀(編)『ディアスポラから世界を読む』(明石書店、2009)

「第二回人間の安全保障学会研究大会2012」

http://www.aichi-u.ac.jp/asp_pub/event/Com1000081.html>(2012/10/4アクセス)

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Abstract

Japan Association for Human Security Studies (JAHSS) organized the Second Annual Conference of the Association on 29-30 September 2012 at Aichi University, Nagoya. The second day of the Conference consisted of three academic events. First, academic presentations by a total of 30 young researchers from all different parts of Asia were given. Several sub- themes were created according to each expertise and research field, which included post-conflict and post-disaster reconstruction, sustainable, resource management, protecting “people on the move”, gender, education, health, re-conceptualizing human security, economic development, and well-being.

Second, the break time was dedicated to the students who made their posters on various issues related to human security agenda. Lastly, showing and panel discussion on a documentary film, “Lonely Swallows: Living as the Children of Migrant Workers” was organized.

The first day of the conference was dedicated to the panel discussion of four intellectuals. The discussion was developed under the theme, “Digging into the Theoretical Foundations of Human Security: Inter-Civilizational Dialogue to Transcend the Limits of Modern Knowledge”. The dialogue between Professor Mushakoji Kinhide, president of JAHSS, former vice-rector of the United Nations University and Professor Kagami Mitsuyuki, professor of Modern Chinese Studies, Aichi University was especially thought-provoking in its focus on the issues around modernity, the intellectuals and Human Security. Here, I would like to make a brief report based upon the dialogue between those two intellectuals.

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参照

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