1984年出上 の木簡
滋 賀 ︒ 大 津 城 跡
所 在 地 滋賀 県大 津 市 浜大 津 調 査期 間 一九 八三 年
︵昭 58︶
一 発 掘機 関 大 津 市教 育委 員会 調 査担 当者 松 浦俊 和 遺跡
の種 類 城跡
︒町 屋跡 6 迫退跡 の年 代 室 町時 末代 期を 江戸 時 代 7 遺跡 及 び木 衛 出土 遺 構 の概 要 大 津城
は︑ 大津 市下 阪 本 にあ
たっ 坂 本城 廃 後城 同︑ 市浜 大津
の湖 辺 一帯 に築 かれ た水 城 であ る
︵天正 一四 年頃 ︑ 一五 一〇八
︒ だが 関︑ ケ 原 合戦 後 天︑ 下 人と な たっ 徳 川家 康 は︑ 大津 城 の立 地 が 周囲
の丘 陵 から 俯酸 され る状 況 にあ るこ とを 嫌 い︑ 同地 より やや 東 に寄
たっ 膳 所 の地 に新 た に膳 所城 を築 いた
︵慶 長六 年︑ 三 ハ0 5 一 これ に伴 い︑ 大 津城 わは ず か 一二 年余 り で廃 城 と なり
︑
54321
丁目 月一
︱ 一九 八四 年 一月 こ1 ↓大 毒 為
(京都東北部)
これ 以降
︑ 大津 の町 北は 陸
︒東 国 から 物の 資が 集 ま る商 業都 市と し て大 いに 繁 栄す る こと にな る︒ 町 の景 観 は 一変 し︑ 三重 にめ ぐ ら さ れ てい た堀 は埋 め立 てら れ て宅 地と なり
︑ わず か に湖 に面 たし 舟 入 り 憫︵ に︶ 城 の名 残 をり とど め て たい
︒ こ の舟 入り のひ と つ︑ 大津 城 の東 側外 堀 にあ た る大 橋堀
︵風 屋呂
︶関 の推 定 地 の 一角 で︑ 一九 八三 年 一〇 月 頃 にビ
ル改 築計 画が も ち あが
たっ た め︑ 大津 市教 育 員委 会 が 事前 に発 掘調 査 を実 施 し た︒ 大橋 堀 に つい て は︑ 元禄 八年
︵三 ハ九 五︶ 大に 津 代官 所 に提 出 たし 各 絵町 図 のな か の橋 本 町絵 図 に詳 くし 記 載 さ れ てお り︑ 調 査 地付 近 大に 橋堀 西側 の南 北方 向 に のび る石 垣が 推定 され てい た︒ 調 査 の結 果 当︑ 初 の予 想 ど おり ︑ 大 橋堀 西側 の石 垣 そ︵ の 一部 に︑ 橋 の台 座 に あた る湾 曲し た箇 所も あ たっ を︶ 南 北 方向 に 一六 余m 検り 出 たし ︒ そ し て︑ 堀 にあ たる 部分 の埋 土中 から 江戸 代時 後 半 期 の多 量 の陶 磁 器
︵伊 里万
・信 楽
・願 戸
・備 前
・常 滑
・京 焼な ど︶
︒木 製 品
︵漆 器抗
・櫛
︒曲 物
・箸
・将 模駒
・下 駄な
︶ど
︒上 製 品
︵人 形
・塩 重
・泥 面子 など
︶ に混
っ て三
〇 点余 り 木の 簡が 出 上し た︒ こ 木の 簡 群 は無 存状 況 が非 常 に悪 く︑ 完形 品 ほは と んど な か たっ
︒ そ し て︑ わず かな 例 を除 てい 大部 分が 物荷
付に け られ 木た 札類 と考 え られ
︑ 差出 人 や受 取 人と みら れ る商 人名
︒地 名 など が多 く記 さ れ て るい
︒ 8 木筒
の釈 文
・内 容
ω
︒﹁ 民 願 迎
×
︒﹁ 天 保 十 三
□
寅 十 二 月
×
︵電 Y 伽イ Φ 尋
頭部 を 形円 に削 る札 型 の位 牌 で︑ 牌身 下部 は折 損 し て いる 表︒
に は梵 字 A﹁
﹂ を頭 書 し︑ 続 てい 戒名 の 一部 かと 思 われ る
﹁願 迎﹂ を 墨書 す る︒ 一異 はに
天﹁ 保 十
﹂三 寅一︲
十 月二
﹂ の日 付 があ り︑ 命 を日 記 し もた
のと 考 えら れ る︒
②
・﹁
□ 一二 国 両 替 屋 長 十 郎 殿
□
□
□
□
﹂
︒﹁
□
□
□
庄 次 郎 出
﹂ Pω 露
︵∞ Y釦 F 自 μ
表 にあ る 三﹁ 国﹂ は︑ 越 前 国三 国
︵福井 県坂 郡井 三国 町︶ のこ と と 思 われ
︑ 同地 の両 替屋 長 十郎 な る人 物 に宛 て たも のと 考 えら れ る︒ 裏 には 差 出 人 名の が あり
︑ そ の右 肩 に判 読 不能
の字 が三 字 分認 めら れ るが
︑ おそ くら 名地 屋か 号が 書 かれ て いた と思 わ れ る︒ ま た︑ 表 の宛 名 左の 下 及び 上 に文 が字 認 めら れ るが 判 読 能不
︒ 0 ﹁ 小 松 屋 栄 治 郎 殿 浴
・ 池 田 屋 勘 兵 衛 殿 山 形 屋 甚 五 郎 殿
﹂ 牌∞ギ
﹃聟 o 目 表 に三 名 商の 人 名の 前 があ り︑ そ の上 に屋 号 あを わら す ど﹁︿
の
1984年出上の木簡
印 が書 かれ て るい
︒ なぜ 名三 名の 前が 連記 さ れ て いる のか 不明 だが
︑ 目的 地 荷へ 物 を送 る際 に関 す係 る間 屋 のす べ てを 記 たし とも 考 え ら れ る︒
し かし
︑ こ の三 名が ど こ の商 人 か はま
たっ く わ から な い︒
④
︒﹁ 口日
︱ ︱日 日日 回
④ 伊 賀 屋 弥 兵 衛 殿
﹂ 名 本 引 金 九 回 兵 衛 殿 入
× ヶ ﹂ Fミ
×島
×﹃ oF 表 に屋 号 をあ ら すわ
﹁④
﹂ の印 とそ 名の
﹁伊 賀 屋秀 兵衛
﹂ が書 か れ︑ そ の右 側 にも 文字 が 認 めら れ るが
︑ 残 がり 非常
に悪 く判 読 不能
︒ 一暴 にも 商 人 と思 われ る 名前 が書 かれ て いる が︑ そ の前 の二 字
﹁本 引
﹂ が何 を意 味 し て いる のか 不明
︒ 0
□× 殿 カ タ タ
□× 殿 新 蔵
﹂
︵廷 y O y 伽 露 残 りが 非常
悪に く︑ 全体
の状 況 は把 なめ いが 上︑ に宛 名 と み れら る二 名 の名 前
︵い ずれ も不 明︶ を連 記 し︑ そ の下 に カ﹁ タタ
﹂ の字 が みえ る︒ これ 大は 津 市 の北 部 位に 置 す る
﹁堅
﹂田 と考 え られ る︒ さ ら そに の左 側 もに 二字 認 めら れ︑ 判 読 は困 難 だが
﹁新 蔵
﹂ と読 む こ とが でき る うよ であ る︒ 従 てっ こ 木の 簡 は︑ 堅 田 に居 住 し て いた 新 蔵 な る人 物 から 二名 の人 物 に宛 てら れ たも ので あ たっ と 思わ れ る︒
︹兵 衛 と
③ ×回 目 謡 胴
□× 源 兵 衛
□ 越
﹇日﹈﹇日﹈ ﹂ ︵P中時︶択︵∞枷︶×い OPΦ
木 筒 の表 裏 とも 平滑 仕に 上げ られ る こと なく 剣︑ 取ぎ 時り
のま ま で︑ 本 目 の凹 凸が 激 し い︒ 右 の行 の五 文字
に つい て は︑ 名人
の可 能 性
︵□
□□ 兵衛 最︑ 初の 字は 禾偏 と考 えら れる
︶が 強 い︒
⑦ 辻﹁
﹂田 ヽω 議 ヽ浪
o瞬 数 少な い完 形 品 のひ と つ︒ 表 に 辻﹁
﹂田
の二 字 が書 かれ て いる だ け 裏で
に墨 書 なは い︒ この 文 字 の意 味 す るも のは 現時 点 で は不 明︒
①
□﹁ 山 本 村 三 郎 平
﹂ μ卜 聟 トマ 枷 昌 木筒
の表 裏 は材 木 から 剣ぎ 取 たっ まま に近 い状 態 で︑ 平滑
に仕 上 げ られ て いな い︒ 表 に 山﹁ 本 村 二郎
﹂平
の人 物 名が 書 かれ
︑ そ の上 に 一字 が 認 めら れ るが 判読
はで き な い︒ あ る いは 屋 号 をあ ら わす 印 とも 考 えら れ る︒ な お
﹁山 本
﹂村 は大 津 市 内 には 所在 せず
︑ 近江 全 域 範に 囲 広を げ てみ ても
︑ 近世 で はわ ず か に 一カ 所︑ 現在
の蒲 生郡 日野 町内 に認 めら れ るだ け であ る︒ これ によ り ただ ち に 山﹁ 本村
﹂ が蒲 生郡 内 のそ れ にあ た ると は断 定 きで な いが
︑ 他 に地 名等 をあ ら わ す文 字 が な こい と から みて 近江 国内 の可 能 性が 強 い︒
︵松 浦俊 和︶