付随的違憲審査制の活性化に向けて
その他のタイトル In Civil Cases, Criminal Cases, and
Administrative Litigations, in order to defend the Constitutional Rights of the Party,
Judicial Court shall decide the laws and
Regulations were Unconstitutional, with in the Limit of the Constitutional Cases and
Controversies
著者 君塚 正臣
雑誌名 關西大學法學論集
巻 52
号 6
ページ 1679‑1708
発行年 2003‑03‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/00023499
付随
的違
憲審
査制
の活
性化
に向
けて
は じ め
に 目次
は じ め に
一従来頻発した﹁憲法裁判﹂は日本国憲法の予定した﹁憲法裁判﹂だったのか
二古くても典型的な﹁憲法裁判﹂のパターン
三通常裁判所の通常の裁判で問われる憲法問題の典型とは何か
四新しい﹁憲法裁判﹂のかたち お わ り に
憲法とは国の基本法である︒その憲法が問題となる﹁憲法裁判﹂と言えば︑社会的事件なのかもしれない︒これま
でのいわゆる憲法裁判は︑日本を揺るがす事件であったことが多く︑通常︑金銭トラプルや土地所有権の争いにまつ
わるもの︑或いは犯罪者を裁くもの︑というイメージで捉えられる裁判とは印象が異なっていた︒事件当事者の救済 付随的違憲審査制の活性化に向けて
君
塚
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︵一
六七
九︶
正
臣
従来頻発した﹁憲法裁判﹂は日本国憲法の予定した﹁憲法裁判﹂だったのか
まず﹁憲法裁判﹂と言えば︑平和主義を巡る︑自衛隊や日米安全保障条約に関わる諸判決が有名である︒その最初
(2 )
のものは︑警察予備隊違憲訴訟であると言ってよい︒野党の代表が︑警察予備隊の設置無効などを求めて︑直接︑最
高裁判所に訴え出た事案である︒しかし最高裁はこの訴えを却下した︒最高裁は終審裁判所であって︑
ないこと︑また︑未だ具体的事件が発生していないことがその理由であった︒抽象的違憲審査制を日本国憲法は採用
しておらず︑﹁司法﹂が採り上げるためには事件争訟性が必要であることなどを根拠としたのである︒その結果︑最
高裁は警察予備隊を違憲とも合憲とも述べることなく︑それは自衛隊になってからも同じだったのである︒ であるのか︒改めて若干の検討をここでしてみたい︒ などよりも︑ある法律や制度が違憲か合憲かが注目の的であったと言って過言ではなかろう︒
ところが日本には憲法裁判所はなく︑﹁憲法裁判﹂も通常の民事・行政・刑事事件の中で憲法問題が争われる事件
のことを指すこともまた︑周知の通りである︒そうだとすれば︑これだけの乖離は不思議な現象でもある︒それは︑
当事者が利害対立をする中を裁判所が中立の第三者として裁く際に︑その根拠がたまたま憲法だったというだけとも
とれる︒他方︑日本国憲法は︑特に八一条を置いて︑﹁最高裁判所は︑
合するかしないかを決定をする権限を有する終審裁判所である﹂と定めており︑そのような特殊な権限を最高裁判所
(1 )
に追加的に付与したような印象もある︒そうだとすると︑﹁憲法裁判﹂が特殊なのは寧ろ当然ということになろう︒
果たして日本国憲法が予定した﹁憲法裁判﹂とは何であったのか︒憲法の規定する違憲審査制とはどのようなもの
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
一審
を管
轄し
一切の法律︑命令︑規則又は処分が憲法に適
J¥
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六八
0)
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審憲
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八
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(3 )
砂川事件でも最高裁は︑日米安保条約の合憲性について︑条約の違憲審査が裁判所で可能であることを含みつつも︑
(4 )
︵5
)
いわゆる統治行為論によって︑その判断を行なわなかった︒下級審判例ではあるが︑恵庭事件も自衛隊裁判として著
名なものである︒この事件は︑自衛隊の連絡用の通信線を切断した者が自衛隊法違反として起訴された刑事事件であ
り︑自衛隊法の違憲または合憲の判断が下されることが期待された事案であった︒しかし裁判所は︑確かに自衛隊法
が違憲であれば被告人は無罪であろうが︑自衛隊法にいう﹁その他の防衛の用に供するもの﹂に通信線は該当せず︑
(6 )
刑罰法規の構成要件該当性の問題で無罪が導けるとして︑憲法判断を回避した︒そして︑長沼事件で︑最高裁は︑基
地予定地周辺住民に訴えの利益がないとして上告を棄却したのである︒更に︑百里基地訴訟で最高裁は︑今度は当該
売買契約が国の私法上の行為であることを理由に憲法判断を避けたのである︒
(8 )
結局︑裁判所が自衛隊等を違憲と明言したのは︑長沼事件一審判決のみと言ってよい︒合憲を示唆したものも百里
(9 )
基地訴訟一審判決に限られる︒裁判所は︑戦後最大の憲法問題に殆ど解答していない︒特に最高裁は︑自衛隊や日米
安全保障条約について憲法判断をこれまで下していないのである︒これらに対するよくある一般的な評価は︑重大な
憲法問題の判断から﹁憲法の番人﹂は逃げている︑というものであろうかと思われるのである︒
このような﹁憲法裁判﹂は九条を巡る事件に限られたものではなかった︒ほかにも福祉国家としての日本の在り方
( 10 )
を問う裁判群も典型例である︒朝日訴訟で最高裁は︑原告の死亡に伴い︑訴訟の継承は認めず︑裁判を打ち切った上︑
﹁なお︑念のため﹂として厚生大臣の広汎な裁量を認めることを傍論で述べている︒また︑障害福祉年金と児童不要
( 11 )
手当ての併給禁止が争点となった堀木訴訟でも最高裁は︑福祉政策について﹁立法府の広い裁量﹂を認めたのであっ
( 12 )
︵1 3 )
︵1 4
)
た︒それ以外にも︑公務員等の労働基本権を巡るいくつもの有名事件︑大阪空港訴訟や八幡製鉄政治献金事件︑そし
関法第五二巻第六号
( 15 )
て三菱樹脂事件などもここに加えられてよいように思われる︒これらに対するよくある評価は︑﹁強きを助け弱きを
以上が、これまでの絵に描いたような「憲法裁判」であろう。そこでは原告の権利•利益が本当の争点ではなかっ
( 16 )
た︒それらはまさに日本国の構造・行く末を問う︑天下分け目の﹁巨大戦艦型﹂裁判であり︑そこには大弁護団が控
一九五五年体制︑総労働対総資本の対決図式などを背景に︑社会・政治運動の一環としてその
対立が法廷に持ち込まれたものと言える︒政治的少数者が︑裁判所という場所でそのリベンジを果たそう︑或いはそ
れは無理としても社会にアピールしようとしたものと言える︒そして︑様々の法律学的なテクニックや専門用語を駆
使して憲法判断を避ける裁判所と︑それを司法の政治への従属と批判する弁護団と支援団体︑そしてそれらを政治的
偏向と非難する保守政治家というお決まりの構図は幾度となく繰り返された︒それは通常の民事・刑事事件とは全く
異質なものであった︒これらは︑最高裁はこれらの事件全てで︑必ずしも積極的に当該法令を合憲であるとは言わな
かったもしれないが︑結論として原告らの訴えを斥けたことは︑現状維持︑体制擁護の判断だったという見方もでき
よう︒最高裁は憲法保障ではなく体制保障をしているだけだ︑と皮肉も言えなくはない︒そして︑このような大型
﹁憲法裁判﹂の時代は市民の華麗なる敗北によって終わり︑今や︑焦燥感を残しながら憲法事件として争われている
のは
︑
つまらない小さな事件ばかりになったという評価は︑あり得るところである︒
しかし︑やや冷静に考えてみると︑疑問は︑このような体制変革や社会運動の実現が果たして裁判によるべきだっ
( 17 )
たのか︑の方にある︒そもそも裁判所が︑侵害された権利の回復のためにあるのだとすれば︑このような使われ方は
異常とも言える︒別の言い方をすれば︑国会が民主的になした立法︑それも国策とでも言える領域についての決定を えていた︒冷戦構造︑ くじく﹂最高裁︑というあたりではないだろうか︒
八四
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六八
二︶
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覆す
こと
を︑
八五
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六八
三︶
一般に一五人の最高裁の裁判官たちにそれほど頼ってよかったのか︑ということである︒そもそもこれ
らの安保・防衛政策や福祉政策︑経済政策は︑第一義的には選挙の争点とすべき事項︑そして国会での公開された議
論により公的に決定されるべき事項ではなかったかとも思える︒確かに︑だからといってもしも国会が憲法違反の決
定をしたらどうするのか︑という反論もあろうが︑政策や法解釈に客観的で絶対的な解答などない中で︑最終的にそ
の判断を誰かがせねばならないとき︑話はそう単純ではなく思えてならないのである︒
( 18 )
思えば︑そもそも日本の最高裁はドイツ型憲法裁判所ではない︒そこでまず︑警察予備隊違憲訴訟が却下されたの
は当然の結論であった︒ドイツでは︑連邦議会議員の三分の一などがその法律の抽象的違憲性を直ちに憲法裁判所に
訴え出ることが可能である︵基本法九三条︶︒もしもその訴えが通れば︑議会を通過したばかりの当該法律は無効にな
り︑法令集から削除される︒即ち︑憲法裁判所の判決には一般的効力がある︒しかし日本の最高裁はそのような権限
を有していない︑というのが通説・判例である︒日本国憲法八一条は﹁終審﹂という語を用いており︑憲法判断につ
いても前審を予定している上︑あまりにも簡易な規定であって︑とても強大な憲法裁判所を創設する規定とは思えな
いのである︒そして︑七六条の﹁司法権﹂が︑具体的事件に法を適用して権利の存否を終局的に決する国家作用であ
るのであるならば︑上位法は下位法を破るという原則に基づき︑﹁司法権﹂に属する裁判所は︑憲法が法令を破るこ
とを宣言する権限︑即ち違憲審査権を当然に有するのであって︑八一条はそのことを確認しただけに過ぎないのでは
( 1 9 )
ないか︑という解釈も有力である︒アメリカ合衆国憲法には日本国憲法の八一条に該当する条文はなく︑このような
( 20 )
理論により判例が違憲立法審査権を確認したという経過がある︒日本国憲法がアメリカ型憲法︑特にその中でもアメ
リカ型の司法制度を採用したとされることは︑加えて︑ドイツ型憲法裁判所は想定されていないことを裏づけるもの
またそのような政治的決定の問題でもないような事案である︒
古くても典型的な﹁憲法裁判﹂
のパターン 関法( 2
1 )
と言えよう︒だとすると︑基本的に憲法訴訟も︑憲法七六条の司法権概念から外れた制度設計は許されないことにな
( 22 )
ろう︒そこでは︑憲法事件となるには︑一般的な事件争訟性に加えて︑憲法事件としての事件争訟性が必要になって
( 23 )
︵2 4 )
くる筈なのである︒つまり︑具体的な事件が発生し︑憲法上の権利を侵害されたとする人がいて︑その救済が有意で
あるし︑裁判所によって可能である︑という状況において︑裁判所は当事者を救済するために︑この事件において当
( 25 )
該法律の適用を違憲とするのである︒法律そのものを違憲ということは例外であろうし︑それが一般的効力を有する
ことはよほどの根拠がなければ言えないと言うべきなのである︒
まとめると︑日本の違憲審査制はやはり︑通常︵司法︶裁判所による私権保障型の付随的違憲審査制だ︑というこ
とになる︒そうなると︑﹁憲法裁判﹂は︑我々が思ってきたほどには何も特別な存在ではないのである︒憲法問題は︑
普通の民事・刑事・行政裁判と別範疇にあるのではなく︑その中で争われるだけのことなのである︒事実が味方せず︑
法律が味方せず︑常識が味方しない︑そのままでは負けそうな人が︑自己の判断で憲法に最後の救いを求めることは︑
( 26 )
寧ろ当然のように思える︒裁判所の憲法判断は︑基本的には︑重要な権利が侵害されている人を救済するための﹁伝
家の宝刀﹂であって︑そもそもの目的が社会改革などにあるものではないのである︒
そう思いながら過去の著名﹁憲法裁判﹂を見直すと︑このような枠組で捉えなおした方がよい判例に数多く行きあ
たる︒それらは︑実際に重要な権利が侵害されながら︑これを選挙における多数派形成では回復できる見込みがなく︑
第五二巻第六号
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四︶
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に対する殺人の法定刑を死刑又は無期懲役に限っており︑
した
ので
ある
︒
八七
あったのに︑である︒結局この問題は政治︵国会︶によって速やかには解決することはできず︑
︵一
六八
五
いわゆる尊属殺重罰規定違憲判決は︑その最右翼ではなかったかと思われる︒改正前の刑法二00条は︑直系尊属
一九九条の定める通常殺人罪が三年以上の有期懲役を選択
でき︑なおかつこのことにより執行猶予を付けることが可能であったことと大差があった︒最高裁は︑当初からこの
( 27 )
規定を合憲と判示していた︒そこで現実には﹁親︵舅・姑︶殺し﹂の事例で寛大な判決が望まれる例も少なくなかっ
たが︑被告人は刑の法定減軽・酌量減軽を重ねられながらも︑実刑は免れることはできなかったのである︒そのよう
( 28 )
な中︑最高裁が亡夫の父殺しの事例に刑法二00条を適用しなかったのは︑同条の抱える問題点に最高裁自身も気づ
きながら︑先例の重みを重視し︑それは変えないという最高裁の苦渋の選択とも受け取れた︒そして︑最高裁は︑長
年にわたって父から虐待を受け続けた娘が遂に父を殺した事案において︑刑法二00条を違憲と宣言するに至ったの
( 29 )
である︒これが最高裁初の法令違憲判決である︒八名の多数意見は︑同条の目的は合憲だが手段が違憲︑つまりは
﹁親殺し﹂を通常殺人より悪いものと見倣すことは妥当だが︑その刑が軽くても無期懲役というのは極端すぎる︑と
この判決は︑戦後三0年近くも続いた儒教道徳を︑取り敢えず一掃するものとして捉えることもできた︒その証拠
に︑当時の自由民主党右派は︑自民党内閣が任命し続けてきた最高裁による法令違憲判決にも拘わらず︑刑法二00
条改正に猛反対した︒しかも︑最高裁多数意見に従えば︑同条は最低刑を十分に引き下げれば合憲とされる余地が
一九九五年の刑法の
口語化と共に︑刑法二00条はようやく削除されたのである︒この一件は︑家父長中心の大家族を標榜する封建的主
義・主張と︑それを破壊させようとする革新勢力の対決が法廷等で戦われたもの︑と見ることもできた︒
しかし︑この判決は端的に︑国家刑罰権の著しく不平等で不正義な行使から︑憲法上の基本的権利が守られた事案
である︑と見る方が素直である︒形式的な意味での命の平等すら守られてこなかった状態が︑特異な事件の発生に
よって︑裁判所によってようやく改善されたのである︒言うまでもなく﹁親殺し﹂の刑罰を軽くせよ︑ということは
選挙の論点とは一般になり得ない︒また︑そのような立場に置かれた者が政治的に主張することも期待できない︒こ
の解決はまさに裁判所の仕事に相応しかったのである︒個人の人権が法律以下によって保障されない場合︑その法令
の合憲性を問題にすることによってそれを無効とし︑当該個人の人権を擁護すること︑即ち具体的事件で付随的違憲
審査制度を活用することは︑まさに司法権の任務にほかならなかった︒
また︑表現の自由の侵害などが争われた︑精神的自由権分野の事案もこの例に加えられてよいように思われる︒未
( 3 0 )
︵3 1 )
決拘禁者の新聞閲読の自由が争われた事件︑取材フィルムの提出命令が問題となった事件︑国家機密取材の手法が問
( 3 2 )
︵3 3 )
︵3 4 )
題となった事件︑破壊活動防止法の﹁せん動﹂罪規定が問題となった事件︑名誉毀損に関する一連の事件︑猥褻文書
( 35 )
︵3 6 )
︵3 7 )
に関する一連の事件︑営利的表現の古典的事件︑時・場所・態様規制が問題となった諸判例などの膨大な数の判決群
がそ
れで
ある
一連の家永教科書裁判はそう捉え直すのが適切な事例であろう︒これは︑家永三郎東京教育大学教授︵当 ︒
時︶が︑自ら執筆した高校用日本史教科書が検定不合格もしくは条件付合格となった際に︑教科書検定制度は﹁検
( 38 )
閲﹂や事前抑制ではないかとして︑三度にわたって起こした裁判である︒最高裁判決は︑二次訴訟が訴えの利益が既
にないとして門前払いの判断をした以外︑総じて制度は違憲ではないが︑検定の一部に裁量の逸脱を認めたと言える︒
制度自体を違憲と言って欲しいという原告の願いは叶わなかったが︑教科書検定に行き過ぎがあったことも最高裁は
特に
︑
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¥1︑
/ ノ
︵一
六八
六︶
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認め︑密室での検定に光が当った意義は大きかった︒表現内容を行政が事前に審査して︑その意に沿うものでなけれ
ば予定する形式での表現は認めないとする制度は︑憲法違反の疑いが濃いものと言わざるを得ない︒このことは端的
に表現の自由に関する重大な憲法問題であると考えねばならないものであった︒
八九
︵一
六八
七︶
確かにこの事件の背景には︑当時の歴史学界主流派・日教組と文部省︵当時︶・自由民主党文教族の対立があった︒
ある種︑自己の主義主張に信念をもっている人々が︑それと対立する考えを全く認めず︑いかにしてそれを子どもた
ちに教え込むかの抗争があったとも言えなくはない︒それが裁判という形で表れた︑というわけである︒しかし︑特
定の主義主張や宗教を強固に有していない多くの人々にとっても︑このような制度は対岸の火事ではない︒国が特定
の考え方を押しつけることは︑思想・信条の自由の侵害である︒ときには人間存在の否定にもつながると言っても言
い過ぎではない︒思想・信条については︑議論を重ねることによって人々の多くが誤りと考えたものが淘汰され︑支
持の集まるものが有力化すべきものである︵思想の自由市場論︶︒そして︑仮に圧倒的少数派であってもなお自己の信
念を持ち続ける自由を︑憲法は保障している︒それが自己のアイデンティティであるかもしれず︑またその考えが将
来の正義かもしれないからである︒その意味で︑教科書検定制度は︑精神的自由を侵すものであって︑この制度にメ
スが入ったことは︑いかなる立場に立とうとも︑思想統制が繰り返されないという意味で重要である︒客観的真理を
見出しにくい社会科学や歴史学︑教育学などの分野では︑特にこのような点を強調することは肝要ではなかろうか︒
議論を︑家永氏の主張と文部省の反論のどちらが好きか︑に矮小化させてはなるまい︒しかし︑最高裁は︑憲法学界
( 39 )
からの厳しい批判にも拘わらず︑精神的自由の分野の違憲判決はこれまで愛媛玉串料訴訟一件しかない︒﹁生まれ﹂
の平等の問題と共に︑精神的自由の侵害事例では︑司法は積極的姿勢を貫くこと︑人権救済のため違憲判断を躊躇し
重要な人権という点では︑民主主義を直に支える選挙権を採り上げないわけにはいかない︒高度経済成長に伴う人
口の都市集中により︑議員定数不均衡問題が起こってきた︒戦後三0年間︑そのような事態が進行しているにも拘わ
らず︑国会は公職選挙法の別表にある選挙区割りの見直しをしなかったのである︒
は一票の価値︑言い換えると国政への発言力の地域的格差は最大四・九九倍にまで達し︑最高裁は遂にそれを違憲と
( 40 )
︵4 1
)
宣言したのである。その後、四•四0倍についても違憲とされている。しかし、違憲ならば無効ではないかというこ
とになるが︑もしそうなると選挙は無効︑衆議院議員がいなくなり︑その後の首班指名や条約の承認が全て無効とな
るという未曾有の混乱が生じる︒また︑そもそも国会が成立せず︑法律の制定もできないため︑公職選挙法の改正す
らできないという矛盾に漂着してしまうのである︒そこで︑最高裁は︑行政事件訴訟法三一条一項から公法の一般原
( 42 )
則を引き出し︑選挙そのものは無効としないという手法を採ったのである︵事情判決︶︒これらの判決をきっかけに︑
第一院である衆議院については︑少なくとも今日︑小選挙区部分においても︑最大二倍を超える定数不均衡を残すこ
とにはかなりの後ろめたさが残るようになったのである︒
確かにこの問題の背後には︑革新的な都市若年層と保守的な農村の対決構図があった︒
知事や市長が軒並み革新首長であったことは想起されてよい︒そこで︑これらの裁判を︑全くの政治闘争に過ぎない
ものと読むことは不可能ではない︒この中で︑その実力を国会にも反映させたいとする勢力と︑これを先伸ばしにし
たい自由民主党との対決でもあり︑それはそのまま東西冷戦下での日本の進路を決めるものでもあった︒この争いを︑
以上のように全くの政治闘争と読むことは可能であるが︑ことの本質ではない︒選挙プロセスの歪みは民主主義の歪 ないことを憲法は裁判所に要請していよう︒
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
一九
七0年代の大都市部の 一九七二年の衆議院総選挙の際に 九〇
︵一 六八 八︶
付随
的違
憲審
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の活
性化
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けて
九
通常裁判所の通常の裁判で問われる憲法問題の典型とは何か
︵一
六八
九︶
みであり︑それを国民代表機関である国会は放置してきたことを︑裁判所が憲法の威光によって是正させたというと
ころに︑これらの判決の意義があるのである︒この頃︑日本社会党は議席や得票で見る限り農村依存を強めつつあっ
たので︑第一党はおろか第二党も現行の区割りを維持したい状況にあった︒このため︑憲法上最も基本的な権利の一
つであろう選挙権の侵害の回復は︑裁判所以外期待できない状況だったのである︒現在の少数者が恒久的な政治的少
数者に留められる仕組に対しては︑裁判所もそれを違憲と宣言すべきであろう︒
これらの著名﹁憲法裁判﹂を︑本来予定されていた通りに読む︑ということはどういうことであろうか︒それは︑
重要かつ古典的な人権である︑精神的自由︑平等権︵特に︑﹁生まれ﹂によって差別されないこと︶︑参政権などこそ︑裁
判所が積極的に守るべきものであり︑それは裁判所で実現されるべきである︑ということである︒言うまでもなく︑
裁判官は選挙で選ばれておらず︑国民主権から遠い存在ではある︒優秀かもしれないが︑他方で市民感覚はないかも
しれない︒だが︑ヒトラーを経験した︱
1 0
世紀後半からニ︱世紀を生きる我々︑つまりは選挙によって選ばれた筈の
人々が少数者の人権を踏みにじり︑議会を否定したことを既に見た我々にとって︑民主主義の下では多数派の横暴が
( 4 3 )
ありうることは無視し得ないのである︒ここにはソ連・東欧社会主義の崩壊という事実も重なる︒そこで︑第二次世
界大戦後に制定された日本国憲法は︑溢れるばかりの民主主義を想定せず︑即ち直接民主主義的制度は国政レベルで
は忌避して︑権力分立原理や基本的人権の保障︑法の支配などの原理を含ませた︒少数者の基本的人権は守られなく
てはならない︒自分は﹁少数者﹂ではないという人もいるかもしれないが︑少数・多数は︑利益・争点とその組合せ
の問題であるとすれば︑誰も﹁惨めな少数者﹂にならない保証はないのである︒また︑少数者の意見は︑それが実力
行使ではなく主張である限り保護されねばならない︒それは︑少数者の基本的人権の一部であるからであると同時に︑
そのような意見がいつ正論になるかわからないからでもある︒しかしこれらは︑どうしても多数決原理が支配する︑
﹁投票箱と民主政﹂の過程に任すのでは︑保護されない利益なのである︒ここに︑法を守り︑人権を護る裁判所の大
きな役割があると言えるのである︒繰り返しになるが︑前節で採り上げたような事件を︑単なる政争︑体制選択の問
題を裁判所に持ち込んだものだ︑で終らせてはならないと思えるのである︒裁判所は︑これらの分野では︑積極的に
違憲判決を下し︑ときには民主的に制定された筈の立法を否定することも吝かではないと考えるべきなのである︒
しかし一般的に︑政策について裁判所があれこれ言えるのだろうか︑となれば疑問符が付く︒民主的決定の中には
経済•財政政策、福祉政策などがあり、外交・防衛政策も勿論ある。これらについて、政策に素人の裁判官が、違憲
( 44 )
審査権を振り回して口出しすることは確かに躊躇されねばなるまい︒政策決定はプロの政治家や官僚が行なったもの
であることも重要な点であるが︑そもそもその方向性を決めるものは有権者の意思である︒全てについて少数意見の
尊重を言えば︑根本的に民主主義の方が成り立たない︒全部の問題に対して裁判所が実質的な最終決定権を留保する
というのでは︑議会制民主主義を規定した意味がなく︑また権力分立も崩れる恐れも大になろう︒勿論︑事件が起き
なければ︑裁判官はその権限を使うことができないという受動的な点で︑限界はあるとは思われるが︑何れにせよ憲
( 45 )
法の予定するところではなかろう︒その意味からも︑納税者訴訟という類型を日本で一般的に認めるべきではない︒
裁判所の前には︑判断に迷ったとき︑政治的多数の判断に従うべき問題と︑少数であっても当事者の権利擁護の声に
( 4 6 )
耳を傾けるべき問題の二種類があると言えよう︒
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
九
︵一
六九
0)
付随的違憲審査制の活性化に向けて そう考えると︑
九
︵一
六九
このような立場に対しては︑憲法のあらゆる人権規定は全てまさに憲法規定であるので︑裁判所は﹁憲法の番人﹂
( 47 )
として︑分け隔てなく積極的に違憲判決を書くべきだ︑という強い司法積極主義の立場もあり得よう︒これへの反論 は既に行なったようなものであるが︑加えて言えば︑そうなると裁判所が政治機関化してしまい︑法を公平に解釈・
適用する機関であり︑ときとして生の権益を収奪しあう政治部門の行為を糾す裁判所の信頼が落ちないか︑それに
( 48 )
よってあらゆる裁判の信頼性も落ちないかという不安がある︑とも言えるように思える︒そして︑その結果︑裁判も 全くの意味で政治部門と大差なく︑だから民主的でなければならないことになれば︑結局のところ︑陪審制・参審制 の導入など飛び越えて︑裁判も国民の多数により運営されればよいことになり︑人民裁判こそが理想であることにな りかねない︒果たしてそれが︑日本国憲法の予定した司法の在り方か︑それが少数者の人権擁護すら可能な姿かはも
やはりオーソドックスな憲法訴訟としては︑精神的自由や参政権などが侵害された場面︑﹁生まれ﹂
( 49 )
の差別の問題を考えるべきではないかと思われる︒そして︑司法権が︑具体的事案の解決のために法を解釈・適用す
( 50 )
るのであれば︑原則的な違憲判決とは適用違憲判決であるべきである︒そして︑その適用についてあらゆる場面をそ こから想定しても︑この法文がある限りはおよそ違憲のケースしかない場合に法令違憲を宣言するのである︒その上 で︑精神的自由を曖昧漠然︑又は過度に広汎に侵害する法令は︑仮に目の前の事案が救済に値しない︑例えば過激な 火炎瓶デモのような事案であるとしても︑正当な権利行使に委縮的効果を与え続けることは︑その人権のデリケート さに鑑みて問題であるので︑法文そのものを審査して法令違憲を宣言し︑結果として被告人などを救済してしまうこ
( 51 )
とも考えられねばならない︵文面審査に基づく文面違憲︶︒適用審査を施しても︑結局は法令違憲に達することも相当程 はや語るまでもないのではなかろうか︒
第五二巻第六号
( 52 )
度予想されねばならない︒憲法判断回避や合憲限定︵拡大︶解釈という手法は一般的にそこでは馴染まない︒言い換
えると︑この場面では司法積極主義が妥当せねばならないであろう︒
( 5 3 )
逆に言えば︑それ以外の場面では︑裁判所は違憲判決に消極的でよいと言える︵二重の基準論︶︒ましてや︑付随的
( 54 )
違憲審査制である日本で︑法令違憲判決は以上の場面以外では基本的にはない︑と考えてもよいのではないだろうカ
( 55 )
そして︑わざわざ憲法判断に踏み込まなくても当事者を救済することが可能であれば︑憲法判断回避を行ない︑合憲
( 56 )
︵5 7 )
限定︵拡大︶解釈を行なうことが寧ろ望ましい︒これらは裁判官の﹁裁量﹂ではなく︑司法権の役割として︑回避す
べきときは回避し︑回避せざるときは回避しないものと考えるべきである︒ムートとなった事案などでは原則として
( 58 )
傍論として憲法判断を行うべきではない︒通常の憲法事件では︑それは裁判所の﹁逃げ﹂として非難されるべきもの
( 59 )
でもない︒また原則として︑当事者の主張しない憲法上の争点に裁判所が言及することも認められるべきでない︒法
一見小粒になってきたとも思われる﹁憲法裁判﹂が多いことは︑憲法訴訟が本来の姿
になりつつある徴候である︑と言えるのではなかろうか︒つまり︑体制選択などの天下国家の問題ではないが︑市井
の市民のささやかな権利︑しかし精神的自由や参政権という重要な基本的人権を侵害された人が︑その防禦を求める
事案がこのところ目立ってきたということなのではないか︑ということである︒
最近の事案の中には︑やや異なるが︑憲法一三条の幸福追求権の中に自己決定権がある︑という立場を展開し︑そ このように考えると︑近年︑
四 新 し い
﹁憲
法裁
判﹂
令には合憲性の推定が及ぶのである︒ 関法
のかたち
九四
︵一
六九
付随的違憲審査制の活性化に向けて九五
︵一
六九
三︶
( 60 )
の中でも自らのスタイルを守るために提起された訴訟群がある︒公立中学の髪型規制に関する訴訟や︑校則によるバ
( 61 )
イク制限の是非が争われた事件などがその代表例である︒共に校則が争点となっているのは偶然ではなさそうである︒
また︑憲法一四条の平等の問題としても︑新しい論点を掲げた訴訟が生まれてきている︒民法九
00条四号但書が非
( 62 )
嫡出子差別であることを争う訴訟や︑同じく民法の七三三条が女性のみに再婚禁止期間をおいたことは性差別である
( 63 )
︵6 4 )
とする訴訟などである︒前者の問題については︑下級審では違憲判決も下されている︒何れも︑最小の共同体である
( 65 )
家族に関する私法規定が争われている︒このほか︑同性愛者差別が問題となった事案もある︒
( 66 )
精神的自由の分野でも動きはある︒いわゆる麹町内申書裁判は︑高校進学用の内申書に︑思想傾向に基づく行動が 書かれたために進学を断念したため︑訴えが起こされたものである︒高等専門学校において︑宗教上の理由により武 道の授業受講拒否を続けたことにより︑最終的に退学となった生徒が︑原状回復を求めた事件において︑最高裁は︑
( 67 )
︵6 8 )
宗教的理由の考慮は政教分離原則違反であると立場を採らず︑原告の信教の自由を擁護した例もある︒加えて︑信仰
( 69 )
による輸血拒否の自己決定が問題となった事案もある︒また︑選挙権に関する事案としては︑在日・永住外国人の選
( 70 )
挙権についてのものがある︒最高裁は︑外国人の国政参政権については︑憲法上認められるべきではないとしながら︑
( 71 )
外国人の地方参政権については傍論で︑それを付与することは限定的に許されるとしたのである︒
以上の事件は︑今なお︑因習や墨守とも言えるような﹁伝統﹂的体制に反抗する闘いである︑或いは独占資本と結 びついた特権階級の支配イデオロギーに対する人民の闘いである︑などという読み方もできないではない︒しかしこ れらは︑訴訟自身が手段に過ぎず︑本来の目的は社会制度改革や体制打破の革命的な闘争というわけでないのである︒
個々人が大切に思う権利を踏みにじられたとき︑それを争う中で憲法の活用が必要だった︑と言う方がわかりやすい
ものである︒労働基本権に関する事件も︑今後はこのような文脈で読み直すことはできよう︒差別的な労働慣行は︑
ときに労働基準法等の解釈問題を超えて︑憲法問題となることも予想されるのである︒
そうなれば︑これら最近の︑新しいかたちの﹁憲法裁判﹂が︑私人間の私権と私権の争いであることが多いことも
( 72 )
当然である︒特にそれが︑表現の自由や平等︑重要な自己決定等に関わる事案であることが自然である︒典型的には
( 73 )
表現の自由とプライバシー・名誉を巡る争いがある︒言葉の厳密な意味はさておき︑﹁宴のあと﹂事件は憲法事件と
( 74 )
して捉えられていたし︑同様な事件は寧ろ最近頻発している︒裁判では︑それを定める法律の適用が憲法に違反する
かが争われるのである︒民法など私法規定も対象となることは普通のことである︒民法九0条などの私法の一般条項
( 75 )
と言えども︑憲法に違反する解釈はできず︑憲法の枠内で解釈されるべきである︒その意味で︑特殊問題への特殊理
論の適用ではなく︑通常の憲法と法律の問題である︒そしてそこでは︑国が両当事者ではない事件で︑ある法令が違
憲となるようなこともあり得ると考えねばならない︒このことは︑国側代理人などがいないところで憲法に関する結
( 76 )
論が下されるということでもある︒また︑通常の裁判であれば︑事件当事者がそれ以上争う意味がないと考えれば終
わるのであるから︑下級審で終ることや︑和解で終結してそもそも判決が出ないということも視野に入れなければな
らない︒この際にも︑憲法が何らの役割を果たしていないわけではない︒判決までいけば︑頼っている法令が違憲と
なるのだから︑その前に和解に応じようと効果を憲法が発したということである︒違憲審査も当事者構造で考えるべ
( 77 )
きで
あろ
う︒
筆者は︑以上を︑体制に関わる裁判ではなく︑あくまでも私権保障の裁判であると述べてきたが︑これは実は別の
意味で︑日本国の進路を導こうとする裁判群︑新しい﹁この国のかたち﹂を問う裁判であると捉えることができるよ
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
九六
︵一
六九
四
付随
的違
憲審
査制
の活
性化
に向
けて
起することが困難になっている︒
九七
︵一
六九
五
うにも思えるのである︒これらは︑何もかも﹁お上﹂が決め︑それには従う以外ないとする社会の在り方を否定する
ことは勿論であったが︑自らが主権者となると︑その多数の決定を遍く誰にでも押しつけようとする社会の在り方へ
の挑戦である︒その意味において︑集団主義︑共同体主義︑共和主義などに対する個人主義︑自由主義などを求める
ものではないか︑と思えるのである︒後者の行き着く先は︑前者の一形態である民主主義との摩擦を余儀なくされる︒
何を全体で決め︑何を個人に委ねるのか︒何を規律し︑様々な生き方をどこまで許容するのか︒このことが︑これか
らの問題として浮上してきたことをよく表しているのが︑これらの事件であったように思われるのである︒これが︑
政治運動ではなく︑私権保障の訴訟において主張されることは︑間違いではないように筆者には思える︒この点は︑
自己決定権を憲法上の権利と解する近時の学説動向とも一致すると思われる︒
ここで難問を考えてみよう︒それは︑ある種の政教分離事件などをどのように処理するかである︒地方公共団体が
政教分離違反の行為を行なった場合︑地方自治法二四二条の二により住民訴訟が提起できる︒議論はあるものの︑こ
( 78 )
のような訴訟を違憲と考える学説は皆無と言ってよい︒そこで︑津市が体育館建設に当って公費を支出するなどした
( 79 )
ことの合憲性は︑この形で裁判所で争うことが可能だったのである︒
ところが︑国の違法な公金支出があったのではないかという場合に︑この住民訴訟に当る訴訟類型︑言わば国民訴
訟とでも言えるような訴訟類型はどこにも規定されていない︒このこと自体は︑政策論争を裁判所に持ち込まないと
いう点から憲法上許されよう︒しかしこのため︑国が政教分離違反を行なったのではないかという場合に︑訴訟を提
一九八五年に中曽根康弘首相︵当時︶が靖国神社に公式参拝した際︑各地で訴訟が
提起されたが︑原告らは︑まずその訴訟類型︑誰に対してどのような訴えを提起するのかで悩んだのである︒大阪
第五二巻第六号 ( 8 0 )
[関邑靖国訴訟では︑憲法︱
‑ 0
条に﹁宗教的人格権﹂があり︑首相の行為によって平穏に死者を敬愛追慕する権利
などが侵害されたと主張したが︑このようなものは法律上保護された具体的権利ではない︑として請求を棄却された︒
( 81 )
また︑岩手靖国訴訟では︑首相の公式参拝を求める決議をした岩手県議会︑その陳情を行なった岩手県知事の行為に
対して︑それに伴う費用は違法な公金支出だとの住民訴訟が提起されたが︑当時︑違憲の認識はなく︑そのことに違
法性はないなどとして住民の訴えは斥けられた︒しかし︑前者では﹁公式参拝は︑憲法二0条三項︑八九条に違反す
( 82 )
る疑いがある﹂とされ︑後者では判決文中で端的に︑それが違憲であると断じられたのである︒
とこ
ろで
︑
一連の靖国訴訟には最高裁判決がない︒両高裁判決が違憲もしくは違憲の疑いを指摘したため︑原告は
上告はしなかった︒他方︑訴訟としては勝訴した国や岩手県は上告を検討した︒このことは︑本件の核心が︑首相の
行為が違憲であったかの一点にあったことを如実に示していた︒しかし請求の全てで勝訴した当事者がそれ以上の行
なうことは当然ながらできない︒この事件でも︑最高裁は勝訴した国などの上告を却下した︒このため︑国内外を騒
がせた︑首相の靖国神社公式参拝に関する訴訟は︑最高裁の憲法判断を経ることなく︑幕が引かれたのである︒
このような裁判経過を普通と見るか︑どこかおかしいと見るかは議論があるところであろう︒従来の見方からすれ
ば︑このような訴訟の結末は理解に苦しむということになろう︒そして︑最高裁が終局的判断を下せなかったことは
問題であり︑誰かが憲法問題であると訴えた以上︑最終的には最高裁が憲法判断を下さねばならないということにな
( 8 3 )
ろう︒しかしそうだとすると︑民事・刑事・行政事件の枠にはまるという意味での事件争訟性の要件は︑抽象的憲法
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判断のきっかけに過ぎないことにはならないだろうか︒加えて︑最高裁が下級審で終結した憲法裁判を自らが判断す
( 85 )
るために移送を命じられない現行制度には欠陥があることになる︒しかし︑司法裁判所があくまでも具体的事件の解
関法
九八
︵一
六九
六︶
付随
的違
憲審
査制
の活
性化
に向
けて
お わ り に
九九
︵一
六九
七
決に必要な限りで司法権を行使するのであれば︑違憲審査権もそうでなければならない筈である︒争いがなくなれば
裁判は終結する︒解決に必要がない以上︑裁判所はそのような権限を行使すべきでもないし︑両当事者が事案解決の
( 86 )
点で満足した以上︑その段階で争いが終わるのは当然だということになろう︒原告の訴えを全て斥け︑一銭も与えな
かった高裁の判断に巧妙さを感じないではないが︑高裁判決が最終となったのは制度上やむを得ないとの印象もある︒
一般には︑結局訴えを斥けるときに裁判所がわざわざ憲法判断に踏み込むことは︑司法権の作用として許されるべき
( 87 )
でないのである︒
しかし︑本件が政教分離という精神的自由の制度的保障に関わる事案であることは︑問題をなお複雑にしよう︒同
様の論点は国公立﹁大学の自治﹂の問題にもあろう︒精神的自由の場面では文面審査が可能である︑法令違憲判決は
躊躇すべきでないとすれば︑裁判所は本件でも端的に違憲を宣告し︑その上で権利侵害の有無を本案で示すべきだっ
たのかもしれない︒問題は︑このような事件をおよそ正面から争えない訴訟法の欠鋏の方にあるとも言える︒それで
もなお︑敗訴当事者が上訴しなければ︑裁判としてはそれで終わらざるを得ないように思われる︒日本の違憲立法審
査権が司法権付随のものであるということは︑そういうことだったのではあるまいか︒
﹁憲法裁判﹂とは︑普通の裁判である︑その中で︑適用されそうな法令が自己に不利な側が︑それを避けるため︑
その無効を主張するために憲法を持ち出すものである︑ということをここで再度強調しておきたい︒日本国憲法にお
いては︑司法権が主として私権保障のためにある以上︑憲法訴訟も私権保障型で捉えるのが素直である︒このため︑
アメリカで展開されてきたような︑事件争訟性及び憲法事件争訟性の要件は日本でも妥当するであろう︒これらを整
理し︑体系づけ︑更には憲法の諸原理との整合性を語ることが︑求められているのである︒この中で︑大きな国家改
革を求める端緒としての﹁憲法裁判﹂ではなく︑ささやかだが重要な権利を守るための﹁憲法裁判﹂が普通になって
きたことは︑遅ればせながらとは言え︑当然のことだったように筆者には思えるのである︒
筆者が主張してきたような新しい﹁憲法裁判﹂論に対しては︑そのような憲法訴訟の在り方は有害無益だという批
判もあるかもしれない︒初めから裁判所は牙を抜かれたようなものではないか︑という批判が出ないとは限らない︒
今でさえ︑最高裁の違憲判決は数えるほどであるのに︑更なる抑制を求めるのか︑という厳しい攻撃もあるかもしれ
ない︒しかし︑筆者の主張が全面的な司法消極主義でないことに︑注意して戴きたく思う︒精神的自由の侵害や﹁生
まれ﹂の差別の事案では︑積極的に違憲判断をすべきだと主張してきたからである︒寧ろ︑﹁憲法裁判﹂が政治的で
特殊な事件ではないことを悟り︑個人の憲法上の人権を擁護するということを強調すべきだという点に力点がある︒
集団主義に対する個人主義のフィールドとして︑裁判所における憲法訴訟を取り戻すべきではなかろうか︒
これに対しては︑この結論が妥当であるならば︑或いはそうだからこそ︑政治問題としての憲法問題を審理しても
らうために憲法裁判所の設置が必要不可欠であるという主張もあろう︒しかしまず憲法解釈論として︑その設置は違
憲であると言わねばならない︒憲法八一条は︑抽象的違憲審査制を最高裁にすら付与したものと読むことはできず︑
また七六条が特別裁判所の設置を禁じていることと併せれば︑そのような裁判所は設置することができないのである︒
その設置には憲法改正が必要であることは確かではなかろうか︒加えて︑政策論としても問題は多く︑多大なリスク
を負う憲法改正手続を行なうに値する改革とは思えない︒その下では︑私権回復の問題がひとたぴ憲法問題となった
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
10 0
︵一
六九
八