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(1)

氏 名 Susan Jane Menadue-Chun 学位の種類 博士(社会デザイン学)

報告番号 甲第551号

学位授与年月日 2020年9月19日

学位授与の要件 学位規則(昭和28年4月1日文部省令第9号) 第4条第1項該当

学位論文題目 Uri Haggyeo (our school) a Postcolonial Third Space in Japan: A Hundred Year Zainichi Korean Education Strug- gle (100 Nyeon Gyoyug Tujaeng)

日本におけるポストコロニアル第三空間:ウリハッキョ(私 たちの学校)在日朝鮮人の100年教育闘争

審査委員 (主査) 萩原なつ子(立教大学大学院

21 世紀社会デザイン研究科教授)

マーク・カプリオ(立教大学大学院

異文化コミュニケーション研究科教授)

金敬黙 (早稲田大学文学学術院教授)

(2)

Ⅰ.論文の内容の要旨

(1)論文の構成

序論 1

理論的な議論:朝鮮学校とポーストコロニアル言説 6 ポストコロニアルコリアンと人種的ステレオタイプ 8

在日コリアンと文化的ハイブリッド理論 11

朝鮮学校:第三空間 12

文献レビュー 15

歴史的背景 35

現在の朝鮮学校の状態 45

第 1 章-サバルタンとしての在日の形成:「日本内地」における朝鮮人教育に 対する植民地的文化抑圧 (1910~1945)

52

序論 52

在日朝鮮人コミュニティーの設立 55

朝鮮部落の始まり 57

朝鮮部落と家族移住 64

協和会と在日朝鮮人コミュニティー 66

戦前における在日朝鮮人の教育 71

子供貧困と教育 72

公立夜間学校 75

相愛会の学校 78

朝鮮人の夜間学校 79

日本の尋常小学校 83

協和会下の教育 85

結論 90

第 2 章-ポストコロニアルの朝鮮人と地政学的な転換: SCAP 占領下の朝鮮 学校閉鎖 (1945~1950)

94

序論 95

背景 97

ハイブリッド教育システムの創立 100

国語講習所 103

学校のインフラストラクチャ 105

二重の弾圧 115

文部省へのコミュニケ 116

朝鮮学校に対する占領軍の共産主義のプロフィール 120

(3)

朝鮮学校への日本法の適用 126

朝連の反応 131

朝鮮学校の閉鎖による大規模な抗議活動 135

朝連の解体と第二段階の学校閉鎖 144

1950 以降の朝鮮学校 146

結論 148

第 3 章-政治的交渉:冷戦体制における親 DPRK 言説の中の朝鮮学校と外国人学 校法案(1955−1972)

151

序論 153

背景 155

DPRK と朝鮮総連の教育システム 160

朝鮮総連による教育統合 164

朝鮮総連下のハイブリッド教育の創設 170

朝鮮総連の教科書と DPRK 175

外国人学校制度法案 182

朝鮮人問題 183

日韓基本条約と在日コリアンの教育 189

外国人学校制度法案の事前準備 195

朝鮮総連の見解 201

朝鮮大学の認可 204

結論 211

第 4 章-文化的転換:多文化としての朝鮮学校、根強い冷戦イメージの中での DPRK との決別:高校授業料無償化制度からの排除(1972~2019 年)

215

序論 215

背景 217

文化的転換と朝鮮学校 222

第二カリキュラム (1974-1977) 223 第三カリキュラム(1993-1997) 229 第四カリキュラム (2003-2005) 233

社会的包摂のためのロビー活動 247

朝鮮学校の高等学校無償化制度から排除 254

朝鮮学校を高等学校無償化制度に含めるための規定 255

外国人学校の手続き 256

朝鮮学校と北朝鮮制裁 260

朝鮮学校の審査 268

朝鮮学校を含むことの法的正当性 275

排除のため:大阪モデル 277

国家レベルの通達 279

(4)

朝鮮学校と政府に対する訴訟 282

結論 285

結論 289

表 312

付録 313

グロッサリー 325

参考文献 335

(2)論文の内容要旨

論文の主題である総聯(在日本朝鮮人総聯合会。以下、総聯)系の人々は朝 鮮学校のことを親しみ込めて、「ウリハッキョ(私たちの学校)」と呼んでい る。それは朝鮮学校がコミュニティ全体の事業

1

だからで ある。しかしなが ら、現在の政治的・社会的言説においては、朝鮮学校と朝鮮民主主義 人民共和 国(以下、DPRK)との関連が極度に強調されており、強制移住の歴史や民族意 識を培う多文化教育、そして日本の学校に類似した学校システムなどの側面が 無視されている。それゆえ、肯定的な情報がない中で、多くの人々が無意識の うちに、朝鮮学校は DPRK を支持するカリキュラムの元で、反日ドグマを教えて いると思い込んでいる。つまり DPRK への忠誠を誓い、日本を嫌うような教育を していると信じているのである。ホミ・バーバ(Bhabba、1994 年、95 ページ) は、そのような状態を、「他者性のイデオロギー的構築における『固定性』概 念への依存」と呼んでいる。さらに、金正日が日本人拉致を認めたのと同じ時 期、2002 年にジョージ・W・ブッシュによる「悪の枢軸」発言がなされ、それ によって危険な政権と見なされた DPRK と総連系在日朝鮮人がさらに深く関連付 けられることになった。本研究は、朝鮮学校の民族教育がいかに否定され、

「レイシズム、文化的ステレオタイプ、政治的帝国主義、非人間的イデオロギ ーの網(サイード Said、1978 年、27 ページ) 」によって、いかに事実が再構築 されてきたのかを明かにする。本論文は現存のステレオタイプに抗うことで、

朝鮮学校が DPRK の縮図ではなく、朝鮮人としてのアイデンティティや朝鮮文化 の表現を勇気づける、独特でハイブリッド的な「第三空間

2

であることを示そう とするものである。バーバは、文化的に混合した状態を「第三空間」と述べ、

「意味と表象が交錯する新しい時 代において、新しく認識不能な何かを生み出 している」としている。 (Rutherford のインタビュー、1990 年、211 ページ)。

1

An inclusive community venture

2

Unique cultural hybrid Third Spaces

(5)

バーバの多文化理論と関連して、本論文では朝鮮学校を「第三空間」という仮 説の中に位置づけて論じていく。

朝鮮学校に関する研究の大半は、朝鮮学校と朝鮮人強制移住に焦点を当てた 1968 年以前の文献 (Lee 1956 年、Ozawa & Fujishima 1966 年、Kurusu 1966 年、Ozawa 1972 年、Lee & De Vos 1982 年)を除き、その多くが 1980 年以降に 総聯系の書き手によって出版されたものである(Oh 2009;2015 年、Oh 2019 年、Pak 1977;2003;2011;2012 年、Pak 1980;1982 年、Kim 2011 年、Kim 2004 年、Han 2006 年、Ko 1996 年)。これらの研究は経験に基づいており、扱ってい る時期も様々であるが、大部分はジャーナリスティックな性質を持っている。

1980 年以降に多くの文献が出版されたのは、総聯系朝鮮人たちが自らのアイデ ンティティを DPRK の外に求めるようになり、民族教育弾圧の集団的歴史につい て新しい視点で語り始めたからである。なかでもソーニャ・リャン(Sonia Ryang、1997)『North Koreans in Japan』は意義深い研究であるが、そのタイ トルが示すように、朝鮮学校を「北朝鮮」の奇妙な縮図として描いており、既 存のステレオタイプを強化するものであった。一方、Kichan Song (2012 年) は朝鮮学校の中の“アイデンティティ政治”に関する研究の中で Ryang を批判 し、Ryang が強調したステレオタイプに反対して、朝鮮学校について理論的分 析を行なっている。本論文は、朝鮮学校に関するこうした研究のギャップを埋 めようとするものである。100 年以上の歴史の流れと、政治的交渉と変革

3

の場 としての「第三空間」たる朝鮮学校の創設に焦点を当てることで既存のステレ オタイプを覆し、経験的な証拠を挙げながら朝鮮学校の脱政治化を目指してい る。

朝鮮学校はいかにして既存のステレオタイプを打ち壊してきたのだろうか。

また、永遠に変化し続ける「第三空間」を生み出すために、いかに歴史的、文 化的、地政学的な状況を受け止めてきたのだろうか。

朝鮮学校を分析するにあたって留意すべき点は、在日朝鮮人のようなポスト コロニアルな存在は決して特殊ではないということだ。例えば、フランスの国 籍を取得してフランスの学校で教育を受けたアルジェリア人の若者たちも、社 会的差別が続き、同化政策によって文化的アイデンティティが否定される中 で、アイデンティティの確立と文化的変革のための「第三空間」を生み出して きたのである。

本論文は 4 章からなり、日本の政策の中で凝り固まったステレオタイプに抗 して行われた、日本国内における政治的交渉と変革について、4 つの時期に分 けて記述していく。

第 1 章-サバルタンとしての在日の形成: 「日本内地」における朝鮮人教育に対 する植民地的文化抑圧 (1910~1945)

研究上の問い:

*日本内地における労働市場の維持に対して、排除と同化の二元性はいかに朝 鮮人のサバルタンとしてのアイデンティティを生み出したのか。

3 Political negotiation and transformation

(6)

*朝鮮人に対する服従

4

の強要は、いかに朝鮮人コミュニティの反感と民族教育 への強い欲求を引き起こしたか。

概要:

第 1 章ではまず、貧困と移住政策の中で、日本内地においてハイブリッドの 朝鮮人コミュニティが形成されていった過程を概観する。次に、植民地政策と 社会問題を背景に、「協和会」設立前後の日本内地における多様な朝鮮人教育 のありようについて分析する。

背景:

建前上、内地在住の朝鮮人は大日本帝国の臣民として、平等に義務教育を受 ける権利を有していた。しかし、日本政府は日本の学校への朝鮮人受け入れに 消極的であり、そうした準備もなかった。文部省は 1930 年、第 32 次教育令

〔the〕により、朝鮮人の両親に対して、子を日本の学校に通学させる義務が あることを知らせた。しかしながら、その政令には強制力はなく、朝鮮人の教 育は 1938 年に協和会の管理下に置かれるまで、各都道府県に任されていた。そ のため 1938 年までは、朝鮮人は教育に関して自由に自分たちで選択することが できたのである。例えば、公立の夜間学校に通い、就職のために日本語を学ぶ 大人や児童たちがいたり、ある地域では朝鮮語の授業を行う夜間学校もあっ た。朝鮮人のインテリや学生、地域住民、教会、あるいは在日本朝鮮人労働総 同盟(労総)などによって設立された朝鮮人夜間学校では、朝鮮語や日本語の 読み書き、算数、時には独立を支持するイデオロギーも教えられた。しかし、

そう した朝鮮人学校は反体制的だと見なされ、1933 年以降は禁止された。相 愛会のような「内戦融和」〕を志向する団体は、日本政府当局と協力して、日 本語や基礎的技能、時には朝鮮にいる家族と文通するのに必要な朝鮮語の読み 書きを教えたりもした。本章は植民地主義的な教育政策とハイブリッド朝鮮人 コミュニティの発生を論ずることで、次章以降で扱う朝鮮人コミュニティの教 育における役割を考える前提として、基本的な流れを整理している。

第 2 章-ポストコロニアルの朝鮮人と地政学的な転換

5

: SCAP

6

占領下の朝鮮 学校閉鎖 (1945~1950)

研究上の問い:

*朝鮮解放後の朝鮮人教育に対して、SCAP と日本政府の政策の違いは何だった か。また、なぜ両者は一体となって朝鮮学校を弾圧したのか。

概要:

本章は在日朝鮮人の社会参加とその不安定な法的地位を背景に、在日本朝鮮人 連盟(朝連)傘下の朝鮮人学校の発展について概観する。さらに朝鮮学校弾圧 における SCAP と日本政府との間の類似点と相違点を分析する。

背景:

4

The subjugation of Koreans

5

Geopolitical displacement

6

連合国軍最高司令官

(7)

朝鮮学校は当初「国語講習所」として誕生し、その教育内容は朝鮮語の基礎的 読み書きと朝鮮文化を教えることに絞られていた。朝鮮への帰国の波が一段落 してからは、朝鮮の歴史と世界的なデモクラシーの動きについても教えるよう になった。朝連は教育方針と教員認定に関するすべての権限を握っていたもの の、その他の問題については、地域の学校の運営責任者の自治に委ねられてい た(Kim 2004 年、33 ページ)。そして 1948 年までに 606 校、在校生 5 万 7900 人、教員 1460 人を数えるようになっていた(Lee 1956 年、70 ページ)。朝鮮解 放後、SCAP と日本政府は共に朝鮮人を朝鮮本国に送還する方針だったため、日 本占領当初は朝鮮人教育に関する一貫した政策はなく、国語教習所は朝鮮帰国 を促進する目的で運営を許されていた。だが、SCAP と日本政府は朝鮮人学校に 関して異なった思惑を抱いていた。SCAP は日本の教育民主化という枠組みの 下、人権と少数民族の権利の擁護を謳っていたが、そこに朝鮮人は含まれてい なかった。ほとんどの朝鮮人学校が朝連によって運営されており、1947 年以降 には DPRK への忠誠と日本共産党との友好関係から、朝鮮学校では共産主義のド グマが教えられていると SCAP はとらえていたのである。一方、日本政府は朝鮮 人を再び日本の学校に受け入れることには気が進まなかったため、朝鮮学校の 認可にはより好意的であった。1947 年、SCAP は日本政府に対し、朝鮮人学校に 日本の法律を適用するよう命じた。しかし、日本政府は依然として朝鮮人が朝 鮮に帰国することを期待していたため、その命令に渋々従ったのである。だ が、結局のところ警察によって朝鮮学校を弾圧するなど、SCAP と日本政府は朝 鮮人学校の弾圧という点で同程度の共謀関係にあり、民族教育の問題は安全保 障問題に曲解されることになった。

第 3 章-政治的交渉:冷戦体制における親 DPRK 言説の中の朝鮮学校と外国人学 校法案(1955−1972)

研究上の問い:

*DPRK

7

、大韓民国 (韓国)および日本の政治力学の中で、朝鮮総連はいかにし て設立されたのか。*日本と韓国は 1955 年~1972 年に、総聯の教育制度の弾 圧において、どのような役割を果たしたのか。

概要:

本章は主に 1980 年代以降に出版された総聯による文献を分析することによっ て、まず総聯設立の経緯を概観し、朝鮮学校が DPRK からの財政とカリキュラム の両面で支援を受けながら、民族教育を変革して独自の自律的教育システムを 作り上げていった過程を考察する。次に、国会と自由民主党の関連委員会議事 録などの一次資料を利用して、外国人学校法案の制定を口実として、韓国がい かに民族教育を否定し、また総聯と DPRK との関係を政治問題化するために日本 政府と協力したのを分析する。

背景:

DPRK の支援の下、総聯が運営する初期の朝鮮学校は、朝鮮語、朝鮮の歴史・文 化といった基礎的教育に焦点を当てていた。その教育体制は、朝鮮人コミュニ

7 朝鮮民主義協和国

(8)

ティからの支援、朝鮮大学校の設立、DPRK からの教育援助費・奨学金、および 本国への帰国事業によって、より強固なものとなった。DPRK からの送金によっ て学校を再建することができたため、朝鮮人コミュニティは DPRK への恩義と忠 誠心を自発的、継続的に抱くようになった。しかしながら、日本において DPRK の教育システムを再生産することは現実的ではなかった。なぜなら、日本は社 会主義国ではなかったし、在日朝鮮人自体もその思想信条やライフスタイルに おいて多種多様だったからである。実際のところ、「祖国への愛国心」を教え ることは、DPRK のイデオロギーの模倣というよりも、朝鮮人コミュニティの団 結のために必要とされたのであった。1961 年まで日本政府が総聯系の学校教育 に対し穏便に対処していたのは、朝鮮学校が DPRK への帰国事業を促進していた からだった。事実、岸信介首相は 1957 年、帰国を促進する目的で DPRK から日 本への「教育援助費・奨学金」の送金を承認している。だが、本国への帰国者 が減少し始めた 1961 年以降は、日本政府は再び朝鮮学校を認めないという姿勢 を取るようになった。1965 年に日韓基本条約が結ばれて日本と韓国の国交が正 常化されると、自民党は朝鮮学校が国家的脅威であるという口実で、朝鮮学校 を管理し最終的には閉鎖できるよう、外国人学校法案を提出した。しかしなが ら、朝鮮学校は多くの日本市民から支持を受けており、各都道府県の当局者 も、総聯の政治的立場に必ずしも賛成ではないにせよ、ポジティブな民族的ア イデンティティを育む上で朝鮮学校における民族教育の重要性を認めていた。

外国人法案が廃案になったのは、こうした世論のたまものであった。

第 4 章-文化的転換:多文化としての朝鮮学校、根強い冷戦イメージの中での DPRK との決別:高校授業料無償化制度からの排除(1972~2019 年)

研究上の問い:

*国内外の政治状況を背景として、総聯の事務局と朝鮮学校のカリキュラムは 在日朝鮮人のニーズを満たすためにどう変化したのか。

*日本政府は朝鮮学校のみを排除するために、DPRK との外交問題を利用して中 立であるべき高等学校授業料無償化制度をどのように歪めたのか。

概要:

本章ではまず、地政学的な状況の変化を背景にした、1970 年代初頭からの朝鮮 学校のカリキュラムの変遷について分析する。そして、DPRK との協力の下で、

どのように在日朝鮮人の若い世代に適合した独自のカリキュラムを作成してい ったのかに注目する。さらに、日本政府が朝鮮学校を高校無償化制度から排除 するにあたって、朝鮮学校と DPRK とを結びつけて治安問題に関連付けた点につ いて分析していく。

背景:

1990 年代までに、在日 2 世 3 世は、自らを DPRK の海外国民としてより、 「在

日」朝鮮人であると考えるようになっていた。より若い世代は、日本で定住し

ながらその社会的・文化的枠組みにある程度統合されようと考えていた。朝鮮

学校側も、学生を確保してその個々の事情に合わせるためには、改革が不可避

であることを悟った。カリキュラムに対する DPRK の影響力にもかかわらず、朝

(9)

鮮学校は独自のカリキュラム作りに取り組んできた。また朝鮮学校は日本社会 に認められるために、学校認可、補助金、人権などの面で様々な働きかけを行 ってきた。こうした活動をする中で、学校内部の問題についても明らかにされ てきた。高校無償化制度は(国籍にかかわらず)すべての高校生に均等な機会 を提供する目的で、2009 年に導入された。同法案は超党派で提案されたもの で、建前上は外交問題と無関係のはずだった。ところが、朝鮮学校が公正に適 用申請を行ったにもかかわらず、日本政府は民族教育を否定して、朝鮮学校は 透明性を欠くとの説明を繰り返すばかりであった。日本の国益と安全保障とい う観点から、総聯のマイナスイメージを利用しつつ、もっぱら朝鮮学校を拉致 問題、総聯との関係、DPRK への経済制裁という文脈にのみ結びつけて論じてき たのである。それは高校無償化制度から朝鮮学校を排除し、各自治体に補助金 の停止を促すためであった。

結論:

行政による弾圧と社会的に生み出されたステレオタイプの中で、朝鮮学校は発 展を遂げ、ハイブリッドな「第三空間」を作り上げてきた。そして日本と朝鮮 半島の状況に合わせて、常に変化を模索してきた〔negotiating change〕

8

。朝 鮮学校は DPRK の縮図という存在を超えて、知が構築される「第三空間」とし て、コミュニティとしての強い一体感を育んできた。時と共に DPRK との紐帯は 弱まり、朝鮮学校関係者の多くが韓国籍や日本国籍を持ちながら、総聯の事実 上のメンバーとなっている。朝鮮学校関係者の DPRK に対する恩義と忠誠心は消 えないだろうが、それ以上に 1948 年 4 月 24 日の阪神地域で起きた阪神教育闘 争における暴、と繰り返される弾圧の集団的記憶が、朝鮮学校関係者を団結さ せているのだ。これからも日本で暮らすであろう総聯系在日朝鮮人は、朝鮮学 校を「ウリハッキョ」はポジティブな民族的アイデンティティを養い、日本と 朝鮮半島の文化的架け橋となるための場所として認識しているのである。

8

Negotiating change

(10)

Ⅱ.論文審査の結果の要旨

(1)論文の特徴

本論文は日本における朝鮮人教育の 1 つの流れである朝鮮学校の百年史を植民 地時代から現在に至るまで辿ったものである。著者の Susan Menadue-Chun はこれら の学校が時代の変化にいかに対応してきたかを、特に左翼的傾向のある朝連、後の 朝鮮総連の管轄下に置かれることとなった 1945 年以降に重点を置いて描いている。

朝鮮学校は日本社会という枠の中で「朝鮮人としてのアイデンティティや朝鮮文化の 表現を勇気づける」 ハイブリッドな「第三空間」の代表的なものであり、日本社会内部 のみならず北朝鮮・韓国・日本の関係の変化 にも応じて変革を重ねてきた。著者は対 象期間を幅広くとることによって、日本政府を中心に否定的な見方が根強く存在する 中、朝鮮学校がシステムとしての変革を遂げていった過程を描き出すことに成功した。

過去 20-30 年にわたる日朝関係の困難な状況は、朝鮮学校は変わることなく北朝鮮 の指示に従い北朝鮮の教材を使用する「北朝鮮の学校」であるという観念を多くの 人々に植えつけた。しかし、実際のところ朝鮮学校は徐々にそのような思考から枠組 みから脱し、生徒たちが日本社会の一員であり、その中で生きてゆかざるをえないとい う認識に基づいて、 カリキュラムの変革を行ってきたのである。にもかかわらず、日本 政府は教育関係の諸法において、朝鮮学校だけは資格無しとして外国人学校に対す る支援対象から除外してきたと著者は論じ、外国人学校法案(1955ー1972)と高校無償 化制度(1972-2019)の審議を通して朝鮮学校に対する見方がどのようであったかを辿 っている。

日本における朝鮮学校についての研究の殆どがごく限られた期間のみを扱ってき たのに対し、本研究ははるかに長い期間を扱っている。本論文の価値はそこにあると ともに、在日朝鮮人史研究に大きな貢献をする可能性を秘めているといえよう。また、

本論文のテーマは歴史学と社会学をまたぐ複雑なものであるが、著者は

ホミ・バーバ

(Homi Bhabba)によって知られることとなったハイブリッド的「第三空間」という哲学的な

枠組みを与えるという適切かつオリジナルなアプローチをしている。 朝鮮学校が北朝

鮮への依存から抜け出していった過程、にもかかわらずその変化を認識しえなかった

外部の目を著者は丹念に描いている。この点も朝鮮学校についての知識のない人々

に、長年にわたる誤ったイメージゆえに多くの不公正を経験してきた朝鮮学校につい

ての注意を喚起するものと思われる。これらのイメージについては、著者は(他の「民

族」学校も含む)広い意味での日本の学校システムにおける朝鮮学校の位置づけを

論じた委員会報告書を通して探っている。このようにして著者は史料についての確か

な知識と、優れた素質を持った研究者としての成長を見せている。

(11)

(2)論文の評価

すべての博士論文がそうであるように、本論文もまた現在進行中の学問的プロジェ クトである。審査において与えられたコメントは Menadue-Chun 自身が熟考すべき点、

これからの研究に向けて念頭におくべき点を明示するものだった。 ホミ・バーバの 「第

三空間」の扱いについてはこの理論が朝鮮人以外の他のグループも含めていることに

ついて言及された。また、著者がバーバの理論に依拠するあまり、独自の思考による

展開をしえていないのではないかという懸念も表明された。さらに、朝鮮学校の変革に

もかかわらず、その否定的なイメージが消え去ることがなかったのはなぜなのか、否定

的な見方が固定化されたことにはそれなりの理由があるのではないか等のコメントもな

された。これらの客観的視点を取り入れることによって著者の研究が得るところは大き

いだろう。さらに朝鮮学校がすべて同様の変化を遂げているのかという質問もなされ

た。また、Menadue-Chun は他の民族学校、特に韓国の教育システムにより近い民団

系の学校にも注目すべきであろう。最後に、数は限られているものの戦後間もない時

期の韓国の定期刊行物が朝鮮学校を扱っているほか、現在このテーマに関心を持つ

韓国の学者による研究も存在する。これらの資料を参考にすることもまた著者の今後

の研究に大きく資することと思われる。

参照

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