マ ラヤ に お け る イス ラム教 育 制 度
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年 度 の現地調 査研 究 の ひ とつで,本文 中 ( ) 内 の ローマ字綴 の語 は原則 として マ レー語 を示 し,そ のマ レ-語 に対 応 す るア ラ ビア語 にはAr.
の記号 をつけ る ことに した. なお単 独 に ア ラ ビア語 を用 い る場 合 に も,念 のため この記号 をつ け た。 さて,現 在 マ レーシ ア連 邦政府 の重要 な国 内行 政 のひ とつ と して,教 育 の普及 ・振 興 を大 い に と りあげ てい るのほ,新 興 国家 として 当然 の こ とで あ る。 と くに 連邦 政府 直轄 の 国民小学 校Nat
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に対 す る政 府援 助 の強化 な ど,一 般国民 の初 等 ・中等教 育 に力 を入れ ,国民 小学 校 にお け る教 育費 の無 償 ,義務 教 育 の完全実施 が 目標 とされ てい る。従 来 , マ ラヤにお い て経 済 力 を もつ 中国系住民 は,各地 に私立 の中国人学 校 を経 営 し,みず か ら子弟 に教 育 を施 してか な りの成果 を あげ てい たが,一 方 マ レー系住 民 は 教 育 を受 け る機 会 にめ ぐまれ ず ,中国系 住民 とマ レー系 住民 との問 には,教 育程 度 に相 当 の差 が で きてい た。 もち ろん,現 在 マ レーシ ア連 邦政府 の教育行 政方 針 は , マ レー人 , 中国人 , イ ン ド人 とい った種 族 の別 な く, ともにマ レーシ ア国民 として平等 に教育 を受 け る権 利 を認 め, 国民 全体 の教育水 準 を ひ き上 げ よ う とす る もので あ るが , と りわ け , マ レー系住 民 の教育 程 度 を 向上 させ る ことが まず第一 義 と考 え られ てい る。 そ こで, マ レ-系住 民 の一 般教育 と関連 し て,彼 らの宗教 で あ る と同時 に, マ レーシ ア連邦 の国教 で もあ るイス ラム教 の宗教 教育 につ い て,若干 の問題 を と りあげ て考 察 してみたい と思 う。
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-藤 本 :マ ラ ヤ に ニトけ ろ イス ラ ム 教 市制噂
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とあ り,人 種 や宗教 の別 な く,教 育 を平 等 に国民 に施 し,各種 学 校 に
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助 を与 え る こ とが連 邦 政 府 の責 任 で あ る と規 定 しなが ら, ム ス リム (イス ラム教 徒) に対 しては,彼 らの教育 や そ の 他 の教 育 施 設 に特 別 な援 助 を与 え て も よい こ とが 認 め られ てい る。 現 荏 , 同 民学 校(
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の なか で マ レー人 の子 弟 の就学 して い る 学 校 で は すべ て, イ ス ラム教 育 が正 規の授 業 に取 り入 れ られ , また 各 州 に あ る多 くの私立 の ア ラ ビア語 ・イス ラム宗教 学 校
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に も, 各 州政 府 は も とよ り, 連 邦政府 か らもか な りの採 助 が 与 え られ てい る〔本 稿 で は , まず マ ラヤに おけ るイス ラム 教 育 の 歴 史的背 景 に つ い て 述 べ , 次 に 主 と して
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州 の イス ラム教 育制 度 を検 討 して, そ の問 題 点 を 明 らか に し よ う と思 う。2
マ ラヤ の イス ラム教 育 の歴 史マ ラヤ におけ るイス ラム教 育 を歴 史(7加こ調 べ よ う と して, まず最 初 にわ れ われ が 困惑 す るの ほ , な ん とい っ て も文 献 史料 の ない こ とで あ る。 も と
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の 「イス ラム教 育」 が唯一 の総折 的 な論 文 で あ るが , これ とて も,歴 史的 な史料 を明示 した もので は な く, ア ラ ビア, エ ジ プ トな ど西 アジ アの歴 史的 イ ス ラム学 校 の制 度 か ら類推 す るに とど まる記 述 が 多 い, しか しなが ら,一 応 この論 文 を 手掛 り に して, マ ラヤ の イス ラム教育
の歴 史 を た ど るのが最 も便利 と思 う〔A
マス ジ ドとス ラ ウ マ レー半 島 に イス ラムが伝 来 した年 代 につ い ては, 西暦1
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世 紀 初 葉 に おけ るMal
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国王 の イス ラム- の改 宗 以 後 ,急 速 に半
島 内が イス ラム化 され た と一 般 に いわれ てい るが ,半 島東 岸部 のTr
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か ら発見 され た マ レー語 の ア ラ ビア 文 字(
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14-31.東 南 ア Ly ア 研 究 界 4巻 第2号 Rajabの 月 (西暦 1303年) の 日付 を もってい る と ころか ら, す くな くとも西 暦 14世 紀 初 案 の マ 2) レー半 島東 岸 に イス ラムの強 い影 響 が あ った こ とは事 実 の よ うで あ る0 イス ラ ムの マ ラヤ伝 来 の年 代 を決 定 す る問 題 は しば ら くお くとして, マ レー人 の問 に イス ラ ムを布 教 した最 初 の人 び とは , お そ ら くイ ソ ドや ア ラ ビアか ら来 住 した イス ラム商 人 で あ った 3) に ちが い ない。 と りわ け , イ ソ ド南東 部 Bengalの ムス l)ムの影 響 が大 き く,彼 らの ス - フィ - (sufi: A
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申fi) の熱 狂 的信 仰 と礼拝 とが マ レ-人 の改 宗 を急 速 に促 進 した とい われ てい 4) る。彼 らの あ る ものは マ レー系 貴族 の王宮 に, また あ る ものは奥 地 の農村 (kampong)に まで 入 りこみ , やが て各地 に建 立 され た イ ス ラム寺 院 マ スジ ド(masjld: Ar
.masjid)紘 ,西 ア ジ ア ・ムス リム 諸 国 に お い て もそ うで あ った よ うに, イス ラム教 育 の 中心 とな った はず で あ るO また,農村 に お い てほ , ス ー フィ -が建 てた庵 (Ar.ribat,zawiya)が ス ラ ウ (Surau)と呼 ばれ , 農民 の 日常 の小 礼拝 所 とな り, これ が また イス ラム教 育 の場 を提 供 した。 ス ラウ と い う名称 は, 農村 各地 に散 在 してい た一種 の ヒンズ ー寺 院 を指 すサ ンス ク リッ ト語 か ら派 生 し 5) た もの で あ る らしい。 マ ラヤ の ムス リム社 会 で は ,後 世 マ ス ジ ドは金 曜 日の大 集会 礼 拝 や祭 日 の会 合 の場 所 に のみ使 用 され , 現 在 マ スジ ド単 位 に構 成 され た宗教 行 政 区 (kariah masjid: Ar.qaryamasjid)の中心 に な って きてい るので , 一 般 マ レー人 ムス リム, と くに 農村 の住 民 の 日常 宗教 生 活 に とってほ , この ス ラ ウが 重 要 な役割 を果 す こ とに な るわ け で あ るっ
ス ラウの近 くに宗教 教 師 (guru,shaikh:A
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2) S.Q.Fatimi,Islam ComesioMalaysia(Singapore:1963),pp.60-64. 3) Ibid.,pp.8-36.
4) Zbid.,pp.71-100.
5) M.A.Rauf,A BriefHistoryoJ Islam u)ilhSpecialReference toMalaya(KualaLumpur: 0ⅩfordUniversityPress,1964),p.83.
-藤 木 :マ ラ ヤに お け る イ ス ラ ム 教 市制 曙
あ る とい う こ とだ け で 農村 の人 び との盲 目的 な尊 信 を あつ め て い た に す ぎな い か ら, それ も当 然 の こ とで あ るO この よ うな教 育 は , な ん ら体 系 的 な学 問 を教 え るの で ほ な く, ま さに コ- ラ ン学 級
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ば れ るに ふ さわ しい , いわ ば寺 小 屋 式 の 読 み 書 き教 室 と もい うべ き もの で あ った。 ア ラ ビア文 字 の読 み吾 きのほ か に教 え られ る ものが あ る と して も, マ ラヤ で は い わ ゆ る 「イ ス ラ ムの住」(
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)の形 式 ・方 法 な どの勤 行 而 だ け で あ っ て, イ ス ラムの学 問 とい うに は お よそ ほ ど遠 い もの で あ っ た 、 この よ うな型 の イス ラム教 育 は ,文 献 的 証 拠 が ない の で た ん な る推 量 に しか す ぎな い け れ ど も, お そ ら くイ ス ラムの マ ラヤ伝 来 当初 か ら 続 い て 行 なわ れ て い た は ず で , マ ラヤ の農 村 で は ,今 だ に この種 の イス ラム教 育 が続 け られ てい るの も事 実 で あ る。 現 在 で は か な り少 な くな っ て い るが , それ で も子供 が
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才位 に な る と, コ - ラン読 み教 育 の終 了儀 式(
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が あ たか も成 人 式 の よ うに盛 大 に行 なわ れ るの で あ る。 B マ ド ラ サ マ ラヤ の イ ス ラ ム王 国Mal
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1年 に ポル トガル に よっ て 占領 され , 続 い て1
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年 に オ ラン ダが ポル トガル に代 っ てMal
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を支 配 下 に お き, そ れ 以 後 マ ラヤ の大 部 分 は オ ラン ダの統 治 を受 け る こ とに な る。 そ の間 , マ ラヤ ・ムス リムの教 育 制 度 が どの よ うに変 化 して ゆ くか は不 明 で あ るけれ ど も, お そ ら くキ 1)ス ト教 徒 の支 配 T に ,前 記 の コー ラ ン学 級 式 の無 秩 序 な教 育 が続 け られ て い た に ちが い な い〔1
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年 に イ ギ リスがKe
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を譲渡 され てか ら,次 第 に イギ リス の マ ラヤ進 出が活 発 とな り,1
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世 紀 に か け て ,Penang
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に も多 くの 同 系 の学 校 が建 て7)
られ る よ うに な った。 しか し, これ らの学 校 は あ くまで も ヨ- ロッパ式 の学 校 で あ っ て,一 般 の マ レー人 子 弟 が こ こで教 育 を受 け る こ とは 困 難 で あ り, イ ス ラム教 育 とい う 観 点 か らすれ
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頁 南 ア ty ア 研 究 第4巻 第2号 ば , この種 の教 育 は完全 に無 視 され てい た はず で あ る。
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世 紀 後半 にお け るマ レー人 の教 育 状 態 につ い ては,1
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年 に提 出 され てい るA.M.Ski
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の教 育 意 見書 に よっ てそ の 概 要 を 知 る こ とが で きる。 彼 は 当時 のPro
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この意 見書 に よっ て もわ か る よ うに,
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の意 図 は , ただ コー ランを ア ラ ビア 語 で読 まされ ,暗諦 させ られ る教 育 しか受 け る こ とので きない一 般 の マ レー人 子 弟 に対 して, マ レー人 の た め の マ レー語 学 校 を設 け, 同時 に近代教 育 を授 け よ う とす る ところに あ る。 そ こ で マ レ-学 校 設 立 の具 体 的方 策 として, さ しあた って従 来 の コ- ラン学 級 として使 われ てい る マ スジ ドや ス ラ ウな どを校 舎 に活 用 し, コー ラン読 み の先 生 で あ る- ジ な どを再 教 育 してそ の 学 校 の先 生 に任 用 し, そ の あ とで校舎 や教 師 の不 足 を徐 々に補 な ってゆ けば , マ レー人 の教 育 を改 善 す る可 能性 が大 い に あ るわ け で あ る。 この よ うな マ レ-人 に 対 す る 教 育 の 普 及 ・改 善 の た め に 設 立 され た のが 公 立 マ レー 学 校(
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で , これ は政 府 の援 助 の も とに マ レー人 に 近 代的 教育 を施 す 目的 の もので あ る。 しか し, この学 校 は あ くまで もマ レー語 に よっ て一 般教 育 を行 ない ,従 来 の コ- ラン教 育 か ら完 全 に分 離 した もので あ って, この学 校 の施設 を利 用 して コー ラソを教 え る こ とは許 さ れ てほ い るが , それ もただ午 後 のみ に限 られ てい て,午 前 中 の マ レー語 や一 般 教 育 担 当 の先 生 に対 す る給 料 は政 府 か ら支 給 され るけれ ど も,午 後 の コー ラン教 師 に対 してほ , コー ラン教 育 を受 け る子 弟 の両 親 が授 業料 を支 払 わ ね ば な らなか った。 これ がAf
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と呼 ばれ る もので あ る。 よ うす るに,1
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世 紀 の後半 には , これ まで等 閑視 され てい た マ レー人 に対 す る一 般教 育 の制 度 が飛 躍 的 に改 善 され た とは い え, イギ リス の支 配 下 に あ る政 府 の教 育 方 針 として, イス ラム宗教 教 育 は完 全 に無 視 され てい た とい え る。 以 上 の よ うな1
9
世 紀後 半 に お け るイス ラム教 育 軽 視 の風 潮 に対 抗 して, ア ラ ビア語 ・イス ラ ム教 育 を強 力 に推 進 しよ う とす る学 校 が あ らわれ て きた。 いわ ゆ るマ ドラサ(
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・20・ 9) Ibid.,p.20・1
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6-藤木 :マ ラヤに お け る イス ラム教育制 度
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と呼 ば れ る型 の宗 教 学 校 で あ る。 まずPenang
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に在 住 す るア ラブ系 の豪商 か ら資 金 を得 て建 て られ ,教 師 もす べ て ア ラブ に よ る学 校 で , そ の最 初 の もの が1
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年に
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で あ る。 この学 校 は現在 で も存 続 し, サ ウ デ ィ ・ア ラ ビアか らの資金 で経 営 され , 多 くの 留 学 生 を メッ カに 送 り出 してい るO そ の後 ,J
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の よ うに , 男子 も女 子 も入 学 を認 め る学 校 もあ らわ れ て きた。 また , ア ラブ の資金 と 教 師 の み に よっ て運 営 され る学 校 のほ か に , マ レ-人 の なか で メッ カや カ イ ロで勉学 して帰 国 した教 師 に よっ て , 州 の宗 教 局(
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の援 助 の も とに 運 営 され る学 校 も10) 各地 に設 立 され て きたO この マ ドラサ型 の ア ラ ビア語 ・イ ス ラ ム宗 教 学 校 が す くな くと も学 校 とい う体 裁 を備 え てい る点 で は
,
前 記 の ス ラ ウや宗 教教 師 の 自宅 で行 なわ れ る寺小 屋 式 教 育 に比 較 して一 段 と進 歩 し た もの といわ ね ば な らな い.つ て ドラサ の起 源 は か な り古 く, 西 暦1
1世 紀 にSe
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が バ グ ダ ー ドに建 て た学 校 に 発 して い て, 多 くの教 室 や学 生 の宿 舎 , 食 堂 を備 え ,学 生 の病 院 まで 附 属 した もので , この 点 , て ドラ サ は現 在 の近 代 的 学 校 の原型 と考 え て も よい。 この新 らしい型 の学 校 は , セル ジ ュ ク朝 治 下 の 西 アジ ア ・ムス リム世 界 に お い て急 速 に広 が り, イ ス ラ ム文 化 の教 育 に貢 献 す る と ころ甚 大 で ll) あ った。 もち ろ ん, マ ラヤ の マ ドラサ が1
1世 紀 の セル ジ ュ ク時 代 の マ ドラサ と同一 の規 模 の も の で あ る とは い え な い け れ ど, マ ドラサ とい う呼 び 名だ け にせ よ, イ ス ラ ム教 育 の伝 統 を マ ラ ヤ に再 現 し よ う と した努 力 は 認 めね ば な らな いo Lか し, マ ラヤ に お け るて ドラサ は ,最 初 は 主 と して ア ラブか らの 資金 で経 営 され , ア ラ ビア語 の み に よ る教 育 に徹 底 して い た点 に若 干 の 問 題 を残 してい るの で あ る。C
ポ ン ド ポ ン ド(
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k)
と呼 ば れ る型 の ア ラ ビア語 ・イ ス ラ ム宗 教 学 校 は , 主 と して 北 部 マ ラヤ に多 く見 られ る特 殊 な もの で,J
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州 とか , か つ て イギ リス のSt
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の諸 州 には 見 られ な い とい わ れ て い る〔 ポ ン ドは ア ラ ビア語 の
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「宿 屋 ・隊 商 宿 」 が 転 訳 した マ レー語 で ,普 通 「小屋 」 の意 味 に使 わ れ てい る。 この型 の学 校 は , マ ドラサ の よ うに ア ラブか らの資 金 に よっ て建 て られ た , いわ ゆ る校 合 を 備 え る とい った もの で は な く,宗 教 教 師 の家 の周 囲 に ,生 徒 一 人 が寝 起 きで き るだ け の小 さな マ レ一式 家 屋 と同型 の小 屋 を もち, なか に は数 百 もの小 屋 に と りか こまれ た もの もあ るo 自分 の家 か ら学 校 な り先 生 の家 に通 うので ほ な く,生 徒 は いわ ば 学 校 の寄 宿 舎 に住 み , しか も 自分 10) Zbid.,p.2
3.
ll) 黒柳恒男「中世 イスラームにおけ る教育 ・学術機関」
『東京外国語大学論集』
(
1
0
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9
6
3
,pp.
1
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197東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第2号 写真 1 ポ ン ド の部 屋 で は な くて,1軒 の小屋 に 住 んで い る とい った形 に な る。 そ こで , 外 見 上 は 小 さな 小屋 の 集 団 を な して い る か ら, 「小 屋 」
(
pondo
k)
の名 を取 って, そ の学 校 もポ ン ドと呼 ばれ るので あ る。 この よ うな ポ ン ドは ,北 部 マ ラヤ で も町 の中心 とい う よ りも,町 か らほ ずれ た農村 に発 達 してい る。 普 通 マ ラヤ の米 作 地 帯 で は ,農 村 は川 とか濯 概 用水 路 の両 側 に沿 っ て,1
軒 ず つ お おむ ね1
列 に細 長 く広 が っ てい るが , そ の なか に小屋 が ぎっ し りか た まった ポ ソ ドを しば しば 見 か け ,一 見 して す ぐに ポ ソ ドとわ か るほ ど特 異 な形 を してい る。大 きな ポ ン ドに なれ ば ,整 然 と並 んだ 小屋 の 群 が る様 子 は ま さに壮 観 で あ る。 ポ ソ ドの起源 につ い ては確 か な年 代 を知 る こ とはで きないが ,Ke
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に あ るPo
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iが現存 す る ポ ン ド の なか で最 も古 い もの とい われ , そ の創設 者12) は現 在 の南 部 タイ領 に あ る
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で教 育 を受 け た とされ て い る。 そ して, か な り古 くか ら北 部 マ ラヤ一 帯 に この型 の学 校 が広 が っ てい た らしい。 ポ ン ドの分 布 範 囲 か ら想 像 して, それ が 現 在 の タイの僧 院 に見 られ る よ うに,修行 僧 が一 人 ず つ 小 さな小屋 に入 って生 活 し,修行 して い る よ うな形 の もの に そ の原形 が あ るのか ど うか は,軽 々 し く結 論 す る こ とは で きないが , す くな くとも, す ぐれ た宗教 教 師 の高 名 を伝 え聞 い て, そ の師 の教 えを受 け るた め に各地 か ら生 徒 が 集 ま り,彼 らが逐 次 自分 の小屋 を建 て て住 みつ い た こ とに は間違 い ない。 そ の よ うな高 名 の宗 教 教 師 は,巡 礼 の義 務 を果 して長年 の間 メッ カで勉 学 して きた - ジで あ るが ,農村 の人 び とか ら狂信 的 に尊 敬 され ,農村 の あいだ で絶 大 な勢 力 を もち,寄 進 され た広 大 な 土 地(
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)
を所 有 してい る。生 徒 は講 義 のない時期 を利 用 して 故 郷 に帰 り,食料 を運 んで来 て 自 活 す る。 また ポ ソ ドの稲 田を耕 や し, あ るい は農村 の人 び との手伝 い を して なに が しか の奉 酬 を受 け る。筆 者 が訪 れ たKe
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州 の1
ポ ン ドで は ,生 徒 が ゴム園 に働 きに行 ってい る とい う こ とを聞 い た。 つ ま り,各地 か ら集 った生 徒 は,尊信 す る師 と寝 食 を共 に し,共 に働 き,講 義 に は師 を中心 に床 の上 に坐 し, コ- ランのほ か に礼拝 や ス - フィ ーの儀 式 を習 うので あ るO生 徒 のなか に は1
0
年 以上 もポ ン ドに留 ま る者 もあ り,筆 者 は あ るポ ソ ドで す で に1
5
年 も留 ま って い る人 と話 した こ とが あ る。 そ の人 はSel
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州 か らKe
dah
州 のポ ソ ドに来 て い て, ポ ソ12) M.A.Rauf,opcii・,p.22・
-藤木 :マラヤにおけ るイスラム教胃制 度 ドで知 り合 った女性 と結 婚 し,子供 まで も うけ ,家族 ともど も小 さな小屋 に住 んで い たO しか し, ポ ン ドの宗教 教 育 で は, そ の教 師 の知 識 や人 格 が生 徒 との教 育 的結 び付 きの重 要 な要 素 に な って い るので ,そ の教 師 が死 んで ,そ の子 供 な り弟子 のなか にす ぐれ た教 師 が い なけれ ば , た ち まち生 徒 は離散 し,一 挙 にそ の ポ ン ドが消滅 して しま う場 合 もあ る. 京 大 の マ ラヤ農 村研 究班 が調 査 してい た
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村 の近 くに古 い ポ ン ドの跡 が あ り,朽 ちか け た 小尾 に4
,5
人 の 老人 が住 み ,彼 らは村 で葬 式 な どが あれ ば コー ラン読 み に雇 わ れ , なにが し か の報 酬 を も らって生 活 してい る とい う話 を聞 い た。 マ ラ 円こおけ るポ ン ドの調 査 は非常 に興味 あ る問 題 で,今 後 なにか の機会 が あれ ば , い ろん 13) な角 度 か らも深 く掘 り下 げ て研 究 してみ たい と考 えてい る。D
民 間 宗教 学 校 の実 態19
世 紀 初 葉 にお け るイギ リス の植 民地 教 育 政 策 に刺 激 され て,2
0
世紀 に入 る と,マ ラヤ ・ム ス リムの イス ラ ム教 育 も前 記 の よ うな違 った形 では あ るが ,漸 次普 及 して きた。 しか し, これ らの学 校 の特 色 は , ただ ア ラ ビア語 に よって イス ラムを教 え る こ とが主 要 な教 育 目標 に な って い る こ とで ,統 一 的 な カ リキ ュ ラムが設 け られ て い るわ け で もな く, なか には コ- ランの暗諦 のみ に終 lLす る学 校 もあ り,生 徒 は い たず らに長年 の時 を浪 費 す るに とどまって い た〔 教 師 に つ い て い って も, と くに農村 で は , そ の先生 が た んに メッ カの巡 礼か ら帰 国 した - ジで あ る と い うだ け で人 び とに尊信 され ,兵 の教 育者 として の資格 が あ る人 は か な らず L も多 い とは い え なか った。 第 二 次世 界大 戦 の終 結 とともに, マ ラヤでは イギ リスか らの 独 立 の 気 運 が とみに 活 発 とな り,着 々 とそ の準 備 が行 なわ れ て い た〔 イス ラム教 育 につ い てい って も, イス ラムを国教 とす る立場 か ら, そ の重要 性 が再 認 識 され ,高
度 の イス ラム教 育 を 施 す目的か ら,Sel
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955
年Mus
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の設 立 をみ てい る。 続 い て1
956
年 に, 従 来 の民 間 の ア ラ ビア語 ・イス ラム宗 教 学 校 を整備 す るた め に調 査 委 員会 が設 け られ , そ の報 告 書が提 出 され た〔 それ が 「民 間 イス ラム宗 教 学 校 に対 す る政府 補 助 金 評価 委 員会 ・報 告書
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95
6
年」(
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95
6)
で,1
95
6
年 の8
月 か ら1
0
月 にか け て 各 州 の民 間 イス ラ ム宗教 学 校 の実 態 を調 査 した もので あ る。 この報 告 書 には,2
4
項 目の委 員会 に よる調 査所 見 と,1
9
項 目か らな る調 査結 果 に も とづ く政 府 へ の提 案 とが 含 まれ てい るが , この髄 質 書は ,当時 の民 間 イス ラム宗 教学 校 の実 態 を知 る上 に も, また現在 の マ ラヤ に おけ るイス ラム教 育 に対 す る政 府 の方 針 を検 討 す るのに も,貴 重 な多 くの資 料 を提 供 して くれ るので , と くに童 要 な箇 所 を訳 出 して お く。13)
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1,pp.32-33.東 南 ア ジ′ア 研 究 第4巻 第2号
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5 A.M.SkL'nner 図 1 マラヤのイスラム教育史図解]9
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5 .7 1EducotlonOndi/甘nCe Penyato
14)
まず この報 告書 に は次 の よ うな調 査 所 見 が述 べ られ て い る。 (訳文 の 冒頭 に あ る番 号 は , そ れ ぞ れ この報 告書 の項 目番 号 を示 して い る。)
(
1
4
)
わ れ わ れ が調 査 した結 果 は非常 にか な しむ べ き もの で あ る。一 般 に官 立 学 校(
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で な い イ ス ラ ム宗 教 学 校(
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紘 , 実 に か な しむ べ き 15) 状 態 の まま放 置 され てい るのが実 状 で あ るo ザ カ ー ト(
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bant
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を受 け て い る学 校もあ るが , そ の補 助 金 も州 のザ カ ー トや フィ トラの収 入 額 に よって各 州 まち まちで あ るO
(
1
5
)
大 部 分 の学 校 の建 物(
bangonan)
の状 態 は不 完 全 で あ るO 良 い 校 舎 を もつ学 校 は ご く少 な い。 また わ れ わ れ が視 察 した学 校 の大 半 は , 学 年(
dar
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ah: A
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a)
の区 別 も設 けず , それ が教 育 を秩 序 づ け るのに妨 げ とな って い る。 学 校 の多 くが地 面 に床 を置 い て い るだ け の粗 末 さで あ る。(16) 大 部分 の学 校 は完 全 な運 営 組 織 を もって い な いo わ れ わ れ が 視 察 した学 校 の半分 は 個 人 の財 産 の形 に な って い て, 学 校 を運 営 す る委 員 会
(
badan)
す ら設 け られ てい ない。 た また ま委 員 会 が あ って も, そ の学 校 を所 有 す る校 長(
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uan)
白身 に よって任 命 され た メ ンバ ーで構 成 され ,学 校 運 営 委 員(
J
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ah)
も単 な る 名前 だ け の も14) Penyata,pp.3-5.
15) Zakatは宗教的義務の一つ としてムス 1)ムに課せ られ る税で, イスラム法では 農作物をはじめ家畜 や金銀までもこまかい税率が決められている。マラヤでは一般に収穫 した籾米 (padi)の1/10が徴収
され ることになっている。マラヤのザカ- ト制については別稿で報告す る予定o
-ので, そ の運 営 は全 く学 校 の所有 者 た る校 長 と若 干 の先 生
(
gur
u)
とに ゆだ ね られ てい るに す ぎない状 態 で あ る。 (1
7)
財 政 的(
ke
wangan)
運 営組 織 を もち,財 政 組織 が 整備 され てい る 学 校 は ご くまれ で あ る。 わ れ わ れ は民 間 宗教 学 校 の財 政状 態 が非常 に悪 い こ とに気 付 い た(〕 16) (18) わ れ われ が視察 した学 校 の なか に は, ワカ フ(
wakaf: Ar.waq
f) の財 産 , た と えば ゴム固(
kebun get
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)
,稲 田(
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wah padi
)
,
貸 家(
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umah s
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な どか ら 収 入 を得 て い る学校 もあ るが ,そ の収 入 とい って も少緬 で十 分 とは い え ない。 しか し,大 部 分 の学 校 は寄 附(
derma)
に頗
る以 外 に収 入 は な く, そ の緬 もは っ き りした数 はわ か らない。 半 分 ほ どの学 校 は,宗 教 局(
Pe
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abat
)
や宗教 議 会(
Maj
l
i
sUgama)
か ら現 金 の補 助 を受 け た り, 宗 教 教 師 を派遣 して も らった りしてい たが , そ の補 助 も学 校 の財 政 状 態 を良 くす るには不 十 分 で あ る。学 校 の碓 か な財 源 とい えば ,生 徒
(
mur
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d: Ar.mur
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か らの 授 業 料(
bayar
an)
だ1
7) け で, そ の授 業料 も1
カ月 にl
MS
か ら3
MS
とい う違 いが あ る。 授 業料 を同紙 に決 め ら れ ない のは,生 徒 の多 くが貧 困 で あ るた めか , また は生 徒 がそ の学 校 に対 してそれ だ け の評 価 しか してい な い た めで あ る。 (19) ど こか らも補 助金 を受 け てい ない学 校 で は ,教 育 してい る 先 生 の給料(
gaj
i) や手 当(
pemberi
an)
は きわ め て不十 分 で あ る。高
給 の先 生 で1
カ月 に1
00
MS
にす ぎない。 そ れ もこれ だ け の給料 を取 って い る 先 生 は ご くわ ず かで , 給 料 の 低 い 先 生 に な る と1
カ月 に5
MS
Lか も らえず , ほ とん どの先 生 の給 料 は 1カ月2
0
MS
か ら5
0MS
の間 で あ る。(
20)
これ らの学 校 は, イス ラム とア ラ ビア語 との知 識 を教 え る こ とのみ を教 育 の 目的 と してい る。進 歩 的 で資 力 の あ る生 徒 な ら国外 で教 育 を受 け る機 会 もあ るが , そ ん な恵 まれ た 生 徒 は少 ない。 そ うで ない生 徒 は学 業 を続 け る ことを断 念す るか , また は民 間 の宗教学 校 で 勉 強 し,宗教 局 の試 験(
peper
e
ks
aan)
に合 格 すれ ば , 宗教 学 校 の先生 の職 につ き, あ るい は宗教 局 の役 人(
pegawai
)
に な る こ とが で きるけれ ど も, それ も幸 運 に恵 まれ た地方 で の こ とで あ る。 (21) 一 般 にい って,矧
吊の宗教 学 校 を卒 業 した生 徒 は, 自分 が習得 した 〔能 力〕 に適合 した 〔働 き〕 場 所 を もってい ない。 彼 らは手 仕事 を した り, 田畑 を耕 す とい った農村 の生 活 に適 してい ない。 それ は彼 らの頭 や考 え方 が アカデ ミッ ク風 に訓 練 され す ぎてい るので, そ れ ぞれ の場 所 で の生 活 様 式 に 適 合 で きる 状 態 に な って いないか らで あ る。 この よ うな 状 態 は ,わ が 国 の社 会 に とって有益 で は ない。 16)Waka
f
とはイスラム寺院や学校などにムス リムから寄進された財産のこと。 マラヤのワカフ制につ いては今後研究したいと考えている。 17) 現在 lMSは邦貨で約120円に相当する。 - ll- 201束 南 ア iy ア 研 究 第4巻 第2号
(
2
2)
これ らの学 校 には午 前 の授 業 を行 な ってい る もの と,午 後 の授 業 だ け の学 校 とが あ り,午 前 も午 後 も授 業 して い る学 枚 は驚 くほ ど少 ない。(
2
3)
午 前 の学 校(
Se
kol
ah Pagi
)
に入 学 してい る生 徒 は ,a)
官 立学 校 で教 育 を受 け る こ とので きない生 徒 で,彼 らは マ レ-学 校(
Se
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ahMe
l
ayu)
が存 在 しない 地 区 に 住 む生 徒 か , また は マ レー学 校 か ら遠 く離 れ た場 所 , そ こに通学 す るのに交 通 の不 便 な場 所 に住 ん で い る生 徒 ,b)官立 学 校 に お い て あ る課 程 を修 了 した生 徒 ,C)官 立学 校 か ら転校 して き た生 徒 で ,彼 らの なか に は なにか 良 くな い原 困 で官立 学 校 にお け る教 育 を続 け る こ とが で き なか った者 もふ くまれ て い るが , これ らのいず れ か で あ る。(
24
)
午 後 の学 校(
Se
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ahPe
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ang
)
に入学 して い る 生 徒 は,a)
マ レー学 校 や 英 語 学 校 の よ うな宗教 教 育 のな い学 校 , あ るい は宗 教 教 育 の不十 分 な官 立学 校 で勉 強 中 の者 ,b) 官 立学 校 を修 了 した生 徒 か , そ の あ る課 程 を終 えた生 徒 で ,将来 宗教 教 育 にたず さあ って生 活 し よ う とい う希 望 か ら引 き続 き宗教 学 校 で勉 強 してい る者 , これ らの いずれ か で あ る。(
25
)
わ れ わ れ の 注意 を と くに 引 い た こ とは, これ らの 学 校 に 寄 宿舎(
hos
t
el
)
や小屋(
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k)
の設 備 が ど う して もい るは ど遠 く離 れ た地方 か ら来 てい る生 徒 のい る こ とで あ る。 (26) これ らの学 校 には ,男 生 徒 のみ の学 校 と,女 生 徒 のみ の学 校 と,男女 と もに入学 さ せ る学 校 とが あ る。 (27) これ らの学 校 におけ る教 育 は ,必 然 的 な法 則 や方 法 に よって行 なわれ てい ない。 そ れ は これ らの学 校 で教 育 して い る先 生 が正 規 の教 育訓 練 を受 け た こ ともない人 で あ り,教 育 す るの に十 分 な知 識 を もた ない人 で あ る こ とに よる。 この こ とが また, これ らの学 校 に在 籍 してい る生 徒 の能 力 に大 きな差 異 が で きて い る原 因 で もあ る。(
28
)
わ れ わ れ が 非常 に困惑 させ られ た こ とは,これ らの学 校 に同一 の教 授 要 目(
s
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ar
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が な い こ とで , あ る生 徒 が他 の学 校 に移 っ て も,今 まで在 籍 して い た学 年 と同 じ 学 年 に入 学 で き る とい った,教 育 の連続 性 が存 在 しな い とい う結 果 に な って い る。 (29) 学 校 の なか には宗 教 局 や宗 教 議 会 で作製 した教 授 要 目を使 用 して い る所 もあ るが , あ る学 校 で は 自分 勝 手 に作 製 した教 授 要 目に従 い, あ る学 校 で は教 授 要 目す ら作 製 して い な い こ ともあ る。(
3
0)
宗教 書(
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のは か に,読本(
buku bac
haan)
や教 科書(
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も使 わ れ てい るが , これ らは すべ て外 国 か ら取 り入 れ た もので, マ ラヤ国土 の形も魂 も入 っ てい ない もので あ る。
(
3
1) 授 業 時 間割(
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も一 定 の形 を な して い ない。1
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時 間授 業 の学 校 もあれ ば ,4
時 間 の学 校 もあ り, それ 以 上 の もの もあ る。(
32)
これ ら民 間宗教 学 校 で教 育 してい る課 目は イス ラムの宗教 だ け で ,英 語 や そ の他 の 知 識 , た とえば数 学(
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, 地 理(
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2-藤 木 :マ ラヤに おけ る イス ラム 教 肖制 吐
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,歴 史(
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とい った 課 目を 教 えてい る 学 校 は ほ とん どな い。 そ して教 育 課 目(
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に マ レー語 が あ る学 校 は さ らに少 ない。(
33
)
これ らの学 校 の大 部分 は ア ラブの 書 物 を マ レー語 や ア ラ ビア語 を 使 って教 えて い る。 あ る学 校 で は ア ラ ビア語 だ け を使 い, マ レー語 だ け を使 う学 校 もあ るが , ア ラ ビア語 は ほ とん どの学 校 で教 育課 日 として置 かれ てい る。(
34
)
教 育 の程 度(
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は たか が初等 学 校(
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のた ぐ い で , 中 等学 校(
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として の学 級 を設 け て い る学 校 もあ るが ,教 育 内容 とな る とそ の程 度 には及 び もつ か ない。 (35) と くに注意 を 引 くこ とは , これ らの学 校 のすべ てが生 徒 に対 して就学 年 令 制限 基準(
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)
を適 用 して い ない こ とで あ る。 そ こで , い くら試 験 を受 け て も合 格 しな い生 徒 が い た として も, そ の生 徒 を退学 させ る こ とが で きない有様 で あ るO (36) これ らの学 校 の多 くは , ワカ フで もな く, また学 校 の 名義 に もな ってい な い よ うな 私 有 地 に建 て られ て い て, そ の土 地 は先 生 の名義 か ,校 長 の名義 か , あ るいは学 校 を創設 し た委 員 会 の なか の個 人 名義 に な って い る。(
37)
民 間宗教 学 校 の大 部 分 には,学 校財 産 の委 託 管理 委 員会(
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が設 け られ て い ない。 以上 訳 出 した よ うな民 間 イス ラム宗 教 学 校 調査 委 員会 の調 査 所 見 を逐一 あ らた め て説 明す る 心 安 は ない と思 う。 この調 査所 見 に よって, す くな くとも委 員会 の視 察 当時 に おけ る民 間 イス ラ ム宗教 学 校 の実 態 が 明 らか に な る。 これ らの学 校 はすべ て教 育 の場 としてふ さわ しい状 態 で は な く,先 生 個 人 の勝 手 な教 育 方 針 に よって運 営 され , しか もい たず らに生 徒 を長期 間在 学 さ せ るだ け で,十 分 な知 識 も与 えて い ない ので あ る。 と くに注 意 すべ き こ とは, ア ラ ビア語 に よ るイス ラム教 育 , それ もコ - ランの暗語 に終 始 して い るにす ぎない教 育 で あ って, それ 以外 の 一 般 教 育課 日を全 く無 祝 した よ うな狭 い教 育 を受 け た生 徒 が , は た して独 立 す るマ ラヤ の国民 として有 益 な役 割 を果 す こ とが で き るのか ど うか, 民 間 イス ラム宗 教 学 校調 査 委 員 会 が この こ とに対 して非常 に疑 問 を もって い る こ とで あ る。E
イスラム教育の組織化
前
述 の民 間 イス ラム宗教 学 校 調 査 委 員 会 の所 見 に よって明 らか な よ うに,1
9
5
6
年 の調 査 当時 に お い て, マ ラヤ の イス ラム教 育 がか な り普 及 して い た こ とは , そ の報 告書 に表 示 され て い る 民 間宗教 学 校 数 か ら見 て も推 測 で き るが (表1
参 照), これ らの学 校 の教 育 は 全 く無 統 制 の ま まに放 置 され てい た よ うで あ るO と ころが,1
95
7
年 , この国 が マ ラヤ連 邦Fe
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として イギ リスか ら独 立 す る と, ただ ちにEduc
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が 発布 され て, マ ラヤ に お け る一 般 教 育 の改 革 ・振 興 が 促進 され る よ うに な るが , それ と平行 して, 国教 で あ るイ
東 南 ア iy ア 研 究 第4巻 第2号 表
1
民間 イスラム宗教学校数(
1
9
5
6
年)州
名 ヌダ リ ・スン′ピラン′ ジ ョ ホ ー ル* ス ラ ン′ ゴ ノレ ク ラ ン タ ン** へ ナ ン′ ト レ ン′ ガt ヌ /ヽ ノヽ ン′ ケ ダ ヘ ラ*** プ ル リ ス マ ラ ッ カ 教 敬 資 者 19 T 無 格 資 者 3 9 1 1 日 リ 有 格 女 計 完 霊 1-7 誓 霊 DR oN l 13 104 14 34 66 10 9 24 65 3 56 計 l 398 1 35,093 * 補助金の種類 学校数 生徒数 有資格教員 政府 とカソポソ 54 3,938 54 ザ カ - ト 3 68 3 政府 とザカー ト 14 646 14 カ ン′ ボ ン' 33 2,002 48 計 104 6,654 119 ** 宗教議会か らの補助金を受け る学校 *** 宗教局か らの補助金を受け る学校数 3 0 3 ( 08 72 1 日H = H 7 5 7 1 3 3 qノ ′bス ラ ム の宗 教 教 育 も新 た に 発 足 した 国 民 学 校
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の正 課 に取 り入 れ られ , しか も従 来 の よ うな単 な る コ - ラ ン の暗 諦 とか ア ラ ビア語 の み に よ る教 育 を改 め , 統 一 あ る カ I)キ ュ ラ ムに従 っ て ,一 般 教 育 課 目の授 業 と同様 に , マ レ-語 で イ ス ラ ムに 関 す る総 括 的 な知 識 を教 え る こ とに な り,教 育 の 国 民 化 政 策 の なか に イ ス ラ ム宗 教 教 育 もふ くまれ る よ うに な っ た 。 一 方 , 民 間 ア ラ ビア語 ・イ ス ラ ム宗 教 学 校 に対 して ほ ,政 府 か ら補 助 金 を 支 給 して そ の財 政 的 窮 状 を 救 い , そ の教 育 の充 実 を 図 る計 画 が な され た 。 前 記 の 「民 間 の イ ス ラ ム宗 教 学 校 に対 す る政 府 補 助 金 評 価 委 員 会 ・報 告 書,1
95
6
年 」 に は , 民 間 イ ス ラ ム宗 教 学 校 へ の政 府 補 助 金 の 支 給 を提 案 す るた め , 委 員 会 は独 立 国 と して 出 発 す るマ ラヤ連 邦 の 国教 と して の イ ス ラ ム の蛋 18) 要 性 を再 確 認 して ,次 の よ うに述 べ て い る。 (51) わ れ わ れ は与 え られ た義 務 を遂 行 す るた め の提 案 を行 な う前 に , 一 般 論 と して , 各 州 の憲 法(
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と教 育 基 本 政 策(
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か らみ て , イ ス ラ ムの重 要 性 に つ い て述 べ る機 会 を もち た い 。18) Penyaia,pp.6-7.
4-藤木 :マラヤにおけ る イス ラム数 台制度
(52) す で に十 分 承知 され てい る こ とで あ るが , イ ギ リス政 府 とすべ ての マ ラヤ土 侠 王
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との間 で 結 ば れ た協定(
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に お い て , イス ラム教 と マ ラヤ慣 習 ・儀 礼 (`
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につ い ては , 各 州 の ラジャ(
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の責 任 に属 す る とい うイギ リス政府 の 承 認 と 保 証 とが け っ し て廃 棄 され てい ない ので あ る。(
5
3
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各 州 の憲 法 は, イス ラム教 を そ の州 の公 の宗 教(
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として 認 め て い る。 また現 マ ラヤ連 邦政府(
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の基 本 政策 に も, イス ラム教 は独 立 した マ ラヤ連 邦 の公 の宗 教 として認 め られ てい る。 (54) イス ラ ム教 はわ が 国 に お い て マ レー人 の遺 徳 ,平和 ,愛 国心 を育成 して きた。 だ か らこそ, マ レー人 は平和 と安 全 との破壊 者 に対 して祖 国防衛 の強 い碧 とな りえた ので あ る。 (55) イス ラム教 こそわ が 国 の繁 栄 と平和 に益 す る こ と甚 大 で あ る。 つ ま り, マ レー人 の公 の宗 教 で あ る イス ラム教 は , マ ラヤが イ ギ リス の植 民地 で あ った時 で さえ マ L/-人 士 侯 王 の責 任 に まか され , イギ リス政府 か ら な ん らの 干 渉 も 受 け てい なか った し, マ ラヤ連 邦 として独 立 した現 在 で も, イス ラム教 は 国教 と して認 め られ て い る こ とには変 りは ない。 しか も, イス ラム こそ マ レー人 の精 神 文 化 を育 成 して きた宗 教 で あ り, マ レー人 の 愛 国心 の よ りど ころで あ り, マ ラヤ の繁栄 と平和 に とって必 要 欠 くこ とので きない精 神 的 支 柱 な ので あ る。 したが って, この よ うな イス ラムの マ ラヤに おけ る重 要 な意 義 を 国民 に理 解 させ るた め に , イ ス ラム教 育 の振 興 を図 るのが政 府 に とって当然 の義 務 で あ り,民 間 イス ラム宗教 学 校 に対 して も政 府 は積 極 的 に援 助 すべ きで あ る。 そ して前 記 の委 員 会 は,次 に訳 出す る よ う 19) に結 論 してい る。 (56) イ ス ラム宗 教 学 校 を設 立 す るた め に,政 府 が い くら支 出 して も, それ はわ が 国 と国 民 に とって大 きな利 益 を もた らす で あ ろ う。 (57) 民 間 イス ラム宗教 学 校 こそ , わ が 国 におけ るイス ラ ム教 育 の基 盤 とな り, また第 一 歩 とな るはず の もので あ る。 わ が 国 で は , これ らの民 間 イス ラム宗教 学 校 か らのみ ,現在 の す ぐれ た イ ス ラ ム学 者
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を生 みだ す こ とが で きた の で あ る。 この よ うな民 間 イ ス ラム宗教 学 校 の重 要性 か らして も,現 在 これ らの学 校 の 目的 と 発 展 とに そ うよ う政 府 か ら援 助 を与 え るべ きで あ る。 (58) 政 府 が十 分 な援 助 を与 えれ ば , これ らの学 校 は増 築 す る こ と も,改 築 す る こ と もで き るはず で あ る。 また, これ らの学 校 の卒 業 生 も他 の学 校 の卒 業 生 と同 じ よ うに取 り扱 っ て や らね ば な らない。 も し も, これ らの学 校 の卒 業 生 が生 活 の場 で お くれ を と り,他 の学 校 の 19) Penyaia,p.7
.
- 15- 205東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第21,FJl一
卒業 生 と競争 で きない よ うに なれ ば , い きお い これ らの 学 校 の 立場 を 悪化 させ る こ とに な り, い つ か は マ レー人社 会 を, ひい て は わが 国 を危 険 な状 態 に追 い こむ こ とに な る。
(
5
9
)
わ れ われ が マ ラヤ連 邦 全 土 を巡 回 して一 般 大 衆 と会 談 した際 に,彼 らムス リムは, キ リス ト教 宣教 団体(
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に よっ て建 て られ た 学 校 が 整 備 され てい るのは政 府 か ら受 け る援 助 や補 助 に よる と考 えてい る, とはっ き り訴 えて い た。 そ して イス ラム宗教 学 校 が永 い あいだ 最悪 の状 態 の ま まで あっ た原 因 こそ, これ らの学 校 が政府 か らの 補 助 を受 け られ なか っ た こ とに あ る と,彼 らは考 えて い る。 わ れ われ が強調 したい のは , この よ うな ムス リムの考 えは ,わ が 国 に とっ て な ん の利 益 も もた らさない とい う こ とで あ る。 そ こで , この よ うな考 えを な くす た めに,重 要 に して必 要 な問 題 を選 びだ さねば な らない。 したが っ て, これ らの学 校 に対 して政府 か ら十 分 な補 助 を 与 え る こ とが いか に大 切 で あ るか , は っ き りわ か るはず で あ る。 以 上 の よ うな民 間 イス ラム宗 教 学 校 調 査委 員 会 の結 論 に もとづ き, それ ぞれ の学校 が具 備 し てい る条 件 に よっ て"A'
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, uB" , "C" の 3等 級 に分 け ,各 等級 に該 当 す る学校 に与 え る 政 府 の補
助 龍 を規 定 し,具体 的 な援 助計 画案 が提 出 され た。前 記 の 「報 告 書 」 に次 の よ うな各 20) 等 級 の条 件 が定 め られ て い る。(
6
4
)
こ こに砧A'
'級 と規 定 す る学 校 は ,次 に示 す条 件 を具備 した もので , これ らの学 校 に は生 徒 1人 に つ き年 間 10MS の補 助金 を与 え る よ う提 案 す る。 (i)1
9
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年1
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3
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日現 在 に お い てす で に設 立 され て い る学 校 。 また ,将 来設 立 予定 の学 校 で,す で に各 州 の政府 当局 か ら設 立 の認 可 を得 てい て,所 定 の条 件 を満 たす はず の もの。(i
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す くな くと も授 業 時 間(
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時 間。(
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入学 規 定(
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, 学 籍 簿(
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, 授 業 時 間割(
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,教授 要 目(
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な ど学 校 の教 育 体 制 が整備 され てい る こと。(
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生 徒 数 が3
5
人 以下 で ない こ と。(Ⅴ) 先 生 の数 は
1
人 の先 生 が3
0
人 の生 徒 を教 育 す る とい う標
準 で決 ま る。(
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)
学 校 運 営 委 員会(
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が あ る こ と。(
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)
毎 年 の試 験(
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を制 度化 してい る こ と。(
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この よ うな補 助金 を早 急 に支給 し うるた め に,われ わ れ は政 府 補 助 金 を管 理 運営 す る1
人 の係官 を文 部 省(
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に直 ちに任 命 す る こ とを提案 す る。 そ し て各 州 の宗教 局(
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,あ るいは各地 区 の教 育 局(
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を通 し 20) Penyata,pp.8
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.
6-藤木 :てソヤにおけ るイス ラム教 f?制 度 て この
補
助金 を与 え る よ うにす る。 しか し, わ れ われ は これ ら宗教 局 には政 府 補助 金 を管理 運 営 し うる適 当 な役 人 が い ない こ とを知 っ て い る。 また , どの宗教 局 で も この種 の仕事 に責 任 が もて そ うに な い ので ,宗教 局 と協議 の上 で ,教 育 局 を適 して政府 補 助金 を支給 され るべ きで あ る。 そ して,補 助 金 が これ らの 学 校 に 行 きわ た る よ うな 支 給 体 制 を 整 え るべ きで あ る。 (66) 民間 イス ラム宗 教学 校 のなか で, "A"級 として の補助金 を受 け られ る条件 を備 え て い な い学 校 は ご く少 ない と推 測 され るO 山A"級 に該 当 す る学 校 は, 山B''とか HC" め 等 級 に昇 格 す る まで , そ の ま まの状 態 で補 助 を受 け る こ とが で き る。 (67) "B''級 と して規定 され る学 校 は, ''初 等 UjB" (ibtida-i:Ar
.ibtidEi'i) と 山中 等 のB"(thanawi;Ar
.thanawi) とに分 け られ るo H初 等 のB''級 の学 校 には年 間 生 徒 1 人 当 り1
4
MS
の補 助 金 を, "中 等 のB'
'紋 の学 校 には 年聞生 徒1
人 当 り2
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の補 助金 を そ れ ぞれ 支給 す る。 HB"級 の学 校 は 次 の条 件 を満 たす必 要 が あ る。 (i)1
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5
6
年1
1月3
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日現 在 にお い てす で に設 立 され て い る学 校 。 (ii) 授 業 時 間 は1
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時 間 以 下 では ない。 (iii) 入学 規定 ,学 籍 簿 ,正 規 の教授 要 目な どが整備 され てい る こと。 (iv) 生 徒数 が1
0
0
人 よ り少 な くない こ と。 (Ⅴ) 先 生 の数 は1
人 の先 生 が3
0
人 の生 徒 を教 え る とい う標 準 で決 まる。)(vi) 学 校運営委員 会 と学校財産 の委託管理 委 員 会 (badan pellleganganlanall) とが あ る。 (vi上) 財 政 (kewangan) 管理 が健 全 に行 なわれ てい る。 (viii) 学校 の管理 す る敷地 に建 て られ た教 室 が あ り,教
共
も完 全 で あ る こ と。。 (ix) "初 等 のB"
級 の学 校 で は , その校 長 と先 生 の うち5
0%
の人 が 教 員検 定 試 験 を合 格 した有 資格 者 (kelultISan) で なけれ ば な らない。 (Ⅹ) 日中 等 のB"級 の学 校 で は, そ の校 長 も 先 生 もすべ て 有 資格 者 で なけれ ば な らな い 。 (Xi) "B''級 の学 校 に お い てほ , "初 等 '' "中等
''を問わ
ず ,生 徒が 1学年 に 2カ年 以 上 と ど まる こ とは で きない。 また ,1
生 徒 が6
カ年 以上在 学 す る こ と もで きない。 (Ⅹii) 試 験 の制 度 を もっ こと。 (Ⅹiii) 入学 を許可 され る生 徒 は,す くな くとも マ レ-学校 の第 3学年 を修了 した 者 か, また は それ と同等 の者 で あ る こ と。(
68)
以 上 の よ うな2
つ の等 級 に査定 され た学 校 は ,次 に述 べ るHC"
級 に進む こ とが で きる。 そ の た め に,政府 が い く らで も十 分 な補 助 を支 給 すべ き こ とをわれ わ れ は提 案 す る。 - 17- 207東 南 ア Ly ア 研 究 第4巻 第2号