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Vol.42 , No.2(1994)094藤井 毅「インド政庁文書にみるラーフル・サーンクリッティヤーヤンの活動」

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Academic year: 2021

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印度學佛教學研 究第42巻第2号 平成6年3月 (69)

イ ン ド政 庁 文 書 に み る ラ ー フ ル ・サ ー ン ク

リ ッ テ ィ ヤ ー ヤ ン の 活 動

1は じめ に 1992年 は,ラ ー フル ・サ ー ン ク リ ッテ ィヤ ー ヤ ン(RahulSamkrtyayan,9April 18g3∼14April1963)1)の 生 誕100年 祭 で あ った 。 こ の年,イ ン ド各 地 で は 所 縁 あ る人 々に よ って記 念 祭 が 開 催 され2),長 ら く市 場 か ら姿 を 消 し てい た多 くの 著 作 も再 刊 され た3)。 さ ら に,公 開 され る こ と無 く放 置 され て い た 日記 や書 簡 等 も 整 理 され,学 界 の 利 用 へ の途 が 拓 か れ る よ うに な った 。 欧 米 の イ ン ド学 界 に お い て は,す で に ラ ー フル 再 評 価 の気 運 が 高 ま りを 見 せ て い るが4),今 ま さ に,新 た な ラ ー フル 研 究 が 開 始 され よ う として い る ので あ る。 しか しな が ら,本 邦 の イ ン ド研 究 にお い て,ラ ー フ ル は非 常 に偏 っ た か た ち で 受 容 され て きた 。 イ ン ド学 や 仏 教 学 の研 究 者 は,文 献 収 集 とテ キ ス ト校 訂 に お け る彼 の業 績 の み を取 り上 げ,イ ン ド現 代 史 に お け るそ の存 在 意 義 に 目を 向け よ う と しな い。 ヒ ンデ ィ ー文 学 研 究 者 は,彼 の ヒ ンデ ィー語 に よ る著 述 活 動 のみ に関 心 を払 い,他 の 一切 を無 視 した 。 また,現 代 史研 究 者 は,彼 の農 民 ・共 産 主i義 ・ 民 族 運 動 へ の 関 与 に の み光 を 当 て,思 想 ・宗 教 上 の貢 献 を 看 過 した 。 そ の結 果, ヒ ン ド ゥー教 伝 統 派 よ りア ー リヤ ・サ マ ー ジ(AryaSamaj,以 下ASと 略記)を 経 由 して仏 教 思 想 に至 り,な お かつ 共 産 主 義 思 想 を放 棄 す る こ とが な か つた彼 の 思 想 と生 涯 を イ ン ド史 の流 れ の な か で位 置 づ け る こ とや,古 典 語 の圧 倒 的 な知 識 を 持 ち つ つ も近 代 諸 語 を 否 定 す る こ とな く,そ の発 展 に寄 与 した 彼 の業 績 を正 当 に 評 価 す る こ とは 困難 とな って しま った 。 ラ ー フ ル の思 想 遍 歴 は,複 雑 で あ っ た と す れ ば 済 む もの で もな く,ま して や そ の生 涯 を 「放 浪 こそ が彼 の 全 て で あ った」5) と要 約 す る こ とか らは,何 も生 まれ は しない 。 本 稿 で は,イ ン ド国立 公 文 書 館 に保 管 され て い る旧 イ ン ド政 庁 内 務 省文 書 の な か よ り ラー フ ル に関 わ る資 料 を紹 介 し,公 刊 資 料 で は詳 らか に な らな い部 分 に光 を 当 て,今 後 の ラ ー フ ル研 究 にお け る課 題 を 提 示 した い。 なお,紙 幅 の 関係 上, 注 記 は 最 小 限 に と どめ る。

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II資 料 の概 観(文 中 の 番 号 は,「N資 料 リス ト」 に対 応 して い る) 内 務 省 文 書 目録 よ り判 断 す る限 り,ラ ー フ ル に直 接 に 関わ る フ ァイ ル は5点 存 在 し,関 連 フ ィイ ル は20数 点 に のぼ る。 これ ら の文 書 よ り明 らか に な る事 実 の い くつ か は,彼 自 身 あ え て語 ろ うとは しな か つた もの で あ る。 ラー フル は,1935年9月 に 初 め て ソヴ ィエ ト ・ロ シヤ を 訪 れ る。 そ の時,彼 が 保 持 して い た の は セ イ ロ ン政 府 に よ り1932年6月 に 発 行 され た パ ス ポ ー ト(番 号 8534)だ つ た。 ラー フ ル は,1937年 に 入 る と と もに,ソ 連 邦 再 訪 の た め に パ ス ポ ー トの更 新 申請 を 出す。 ① は,そ の審 査 に 関わ る一 件書 類 で あ る。 ビハ ール州 政 府 は,彼 に関 す る1935年 以 降 の情 報 を持 たず,セ イ ロ ン政 府 と中央 政 府 と もに取 り立 て て訪 ソに反 対 しな い こ とが 示 され て い る。 重 要 な の は,こ こ に 含 ま れ る 「個 人 記 録 」 で あ る。 それ に よ る と,ラ ー フル が初 め て 公 安 記 録 に 登 場 す る のは, 1922年 に反 税 闘争 に参 画 し,サ ー ラ ン とチ ャ ンパ ー ラ ンに お い てASの 牛 擁 護 運 動 を展 開 した 時 で あ った 。1922年2月 には6ヶ 月 の重 禁 固 に処 され,翌 年 に は バ トナ ー で の 演説 が政 情 不 安 を 煽 った と して2年 の懲 役 に 服 して い た 。 再 び1925年 に は,ASが 主 唱 した 「イ ン ド社 会 再 統 一 運 動(sanghatan)」 に参 画 し て,警 告 処 分 を受 け る。 彼 が,ASの 影 響 下 に は、い った の は1914年 末 と さ れ る が,そ の後, 10年 以 上 に渡 りそ の活 動 に従 事 して お り,公 安 も急 進 派 の活 動 家 と して捉 え てい た こ とがxる 。 この時 期 のASは,反 イス ラ ー ム ・反 キ リ ス ト教 の姿 勢 を強 め て お り,牛 擁 護 と再 統 一 運 動 は それ を象 徴 す る活 動 で あ つた。 自伝 に お い て,コ ミュナ ルな 対 立 を 回 避 す る こ とに尽 力 した と語 る ラー フ ル は,実 際 に は どの よ う な 活 動 を して い た のだ ろ うか 。 この点,資 料 は語 らな い し,後 年,彼 自身 も触 れ よ うとは しな か った 。 補 足 資 料 よ りわ ず か に 明 らか に な る のが,ボ ー ドガ ヤ ー寺 院 問題 の解 決 を 図 るた め に1925年4月 に 任 命 され た 委 員 会 に,会 議 派 推 薦 委 員 と して参 加 して い た こ とで あ る6)。分 離 独 立 後,ラ ー フ ルは 制 憲 過 程 にお い て,強 硬 な反 イ ス ラ ー ム ・反 ウル ド ゥー語 発 言 を 行 う。 そ れ を 突飛 な 言 説 として 排 除 す る ま え に,こ の時 期 が 解 明 され ね ば な らな い。 個 人記 録 が あ わ せ て 詳 述 す る の が,1935年9月 の訪 ソに先 立 つ 日本 旅 行 で あ る。 滞 日中,ラ ー フル は 在京 ソ連 邦 大 使 館 よ りヴ ィザ を 取 得 し,R.B.ボVス とA.M・ サ ハ ー イ に接 触 した こ と が 記 録 に とどめ られ て い る。 彼 は,帰 国後,連 合 州 と ビハ ール に お い て 日本 訪 問 を 演題 と して講 演 を繰 り返 す 。 そ の数 は,確 認 さ れ た だ け で も5回 に 達 す る7)。これ は,当 時 の イ ン ド社 会 に 見 られ た 日本 へ の 関心 の 高 ま りに対 応 して い た ば か りで な く,彼 自身 の 関心 を反 映 させ た もの で あ った。

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イ ン ド政 庁 文 書 に み る ラ ー フ ル ・サ ー ン ク リ ッ テ ィヤ ー ヤ ン の 活 動(藤 井) (71) ② ∼ ⑤ か ら は,ラ ー フ ル が1940年3月14日 に 逮 捕 さ れ バ ザ ー リ ヲ バ ー グ刑 務 所 に 収 監 さ れ て い た 時 期 と,そ こ よ りデ ー オ リ ー収 容 所 に 移 管 さ れ る 前 後 の 事 情 が 詳 ら か に な る 。 彼 は,1941年1月7日 の 正 式 決 定 を 前 に,イ ン ド 防 衛 法 第26条 (5A)に 基 づ く公 安 事 件 犯 と し て1940年12月24日 に デ ー オ リ ー収 容 所 に 移 送 さ れ る 。 同 収 容 所 は,拡 張 工 事 を 行 っ て お り,完 成 と と も に 中 央 立 法 に 基 づ き訴 追 さ れ た 公 安 事 件 犯 が イ ン ド中 よ り集 め られ る こ と に な っ て い た 。 ラ ー フ ル は,「 第 2級 犯(c1assπ)と し て 収 監 され て い た が,チ ベ ッ トよ り招 来 し た サ ン ス ク リ ッ ト論 理 学 の テ キ ス ト校 訂 に 従 事 し て お り,そ の た め に,外 部 と規 定 以 上 の 通 信 連 絡 を 行 う こ と を 願 い 出 て い た 。 そ の 申 請 は 却 下 さ れ る が,審 査 過 程 で ラ ー フ ル が 篤 学 の パ ン デ ィ ッ トで あ る こ とが 図 ら ず も 認 め られ て し ま う。 ま た,② に 含 ま れ る 公 安 報 告 よ りは,1937年 以 降 の 活 動 が 明 か に な る 。 そ れ よ る と,ラ ー フ ル は 1938年 よ り,ビ ハ ー ル で の 農 民 ・共 産 主 義 運 動 に 積 極 的 に 参 加 し て 注 意 を 引 く よ うに な っ て い た 。1939年10月 に ム ン ゲ ー ル で 開 催 さ れ た イ ン ド共 産 党 の 秘 密 会 議 に ル ッ ドル ダ ッ ト ・バ ー ル ド ワ ー ジ,ダ ヤ ー ナ ン ド ・ジ ャ ー,ア シ ュ ラ フ ・ア リ ー ら と 出 席 し ,10月29』 日 に は 地 下 に 潜 行 し た こ と,1940年1月 に は ビ ・・一 ル の 農 民 運 動 を 統 制 下 に 置 く たP・C・ ジ ョ ー シ ー とバ ー ル ド ワ ー ジ が サ ー ラ ン を 訪 れ, ラ ー フ ル の 協 力 を 得 て サ ヘ ジ ャ ー ナ ン ド ・サ ラス ワ テ ィ ー を 説 得 し よ う と した こ と が 記 さ れ て い る 。 そ の 試 み は,サ ヘ ジ ャ ー ナ ン ドが チ ャ ン ドラ ・ボ ー ス の 「前 衛 ブ ロ ッ ク」 に 接 近 し て い つ た こ と か ら 失 敗 に 終 わ っ た と さ れ て い る 。 ⑥ と⑧ は,1945年5月 の3回 目 の ソ連 邦 訪 問 が 許 可 さ れ る 過 程 を 伝 え て くれ る 。 一 連 の 出 来 事 は,1941年 末 に イ ン ド共 産 党 が 戦 争 協 力 に 方 針 を 転 換 した こ と に 伴 い 合 法 化 さ れ た こ と と 直 接 に 結 び つ い て い る 。 『イ ン ド ・ソ 連 邦 友 好 協 会 』 に よ っ て 推 進 さ れ て い た 『友 好 訪 ソ 団 』 の 派 遣 も,1942年6月7日 付 け で イ ン ド 省 の 裁 可 を 受 け て い た 。7月24日 に は,イ ギ リス 本 国 に お い て も ソ連 邦 政 府 と の 接 触 が 図 ら れ,イ ン ドよ りの 使 節 団 受 け 入 れ が 確 認 さ れ た 。 しか し な が ら,イ ン ド政 庁 は 友 好 協 会 会 長 の ミヤ ー ン ・イ フ テ ィ カ ー ル ッ デ ィ ー ン と団 員 の バ ン キ ム ・ム カ ル ジ ー の 訪 ソ を 許 可 し よ う とせ ず,な お か つ 前 者 は 逮 捕 さ れ て い た こ と か ら,使 節 団 の 派 遣 は 危 ぶ ま れ る 状 態 に 立 ち 至 っ て し ま う。 結 局 の と こ ろ,「 イ ン ドを 出 て ゆ け 運 動 」 の 開 始 に 伴 い 関 係 者 の 多 くが 投 獄 さ れ た こ とか ら,こ の 試 み は 立 ち 消 え に な っ て し ま つ た 。 し か し,ラ ー フ ル が イ ン ド共 産 党 の 方 針 に 従 う 限 り,本 国 政 府 と イ ン ド政 庁 も 訪 ソ に は 反 対 しな い こ とが 明 らか に な つ た 。 た だ し,ア フ ガ ニ ス タ ン を 経 由 し て 入 国 す る こ とだ け は 許 さ れ な か っ た 。 ラ ー フ ル

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は,1942年7月23日 に釈 放 され て か らは,訪 ソ の準 備 に全 力 を傾 注 し,1944年 に は い る と,レ ニ ン グ ラ ー ドに 残 した ロ シ ア人 妻(E1enaNorbertovnaKozerskaya "Lo1ushka")に ヴ ィザ の発 給 工 作 を行 うこ とを 求 め る よ うに な る。 ラ ー・フ ル が ソ 連 邦 に 向 け て 出発 した の は1944年10月20日 で,イ ラ ン経 由 で 入 国 を 果 た した のは 翌 年5月26日 で あ っ た。 イ ン ド共 産 党 の メ ッセ ー ジを携 え て い た彼 は,滞 在期 間 中 にス タ ー リ ン とモ ロ トフ との会 見 を企 図 した と され て い る。 こ の時 期,ラ ー フ ルが 夫 婦 間 で交 わ した書 簡 の多 くは,検 閲 に よ っ て 捕 捉 さ れ,そ の うち の何 通 か が ⑥ に含 まれ て い る。 そ う した手 紙 の一 通 に は次 の よ うな 一 節 が 見 られ る。 「フ ァ シス トの 野 蛮 な 行 い に 反 対 す る偉 大 な 闘 争 に お い て,単 な る傍 観 者 の ま まで は い た くな い 。 そ の戦 い の なか で人 間 性 の命 運 が 決 され よ う と して い る。 私 の この筆 と言 説 が い くらか で も役 にた つ の な ら,そ の限 りを尽 く した い」8)。しか し,ラ ー フ ル が訪 ソの 許 可 を 手 に しえ た の は,多 分 に 政 治 的 な 背 景 を持 って い た。1943年9月 に は,内 務 省 の段 階 で 反 ソ の 基 本 姿 勢 が 確 認 さ れ,訪 ソの許 可 は総 合 的 に判 断 して 与 え られ ね ば な らな い とされ て いた 。 ラー フ ル の ソ連 邦 訪 問 は決 して 「潜 入」 と言 え る よ うな も ので は な く,実 際 には,植 民 地 政 府 との交 渉 をへ て,国 際情 勢 に 対 す る イギ リス 側 の冷 徹 な判 断 に基 づ い て許 され た もの で あ った。 彼 は,そ の枠 組 み のな か で 行 動 し,東 洋 学 者 と交 流 した の で あ る。 皿 今 後 の 課 題 ラー フ ル の著 作 に は,当 事 者 ・享 受 者(bhokta)と 目撃 者 ・証 人(saksi)と い うふ た つ の立 場 が 見 られ,そ れ が文 献 の客 観 性 と信頼 性 を 規 定 して い る9)。そ こ よ り歴 史 事 実 を抽 出 し よ うとす る場 合,本 稿 で扱 った よ うな 資 料 を 用 い て 補 訂 を 施 す こ とが 不 可 欠 で あ る10)。 サ ヘ ジ ャー ナ ン ドを仲 立 ち と した ラ ー フル とチ ャ ン ドラ ・ボ ース との関 係 を 考 え る と,後 者 の行 動 決 定 に ラー フ ル が然 るべ き役 割 を 果 た した ので は な い か との 仮 説 が 生 まれ て くる。 ラー フ ル の 日本 に 関 す る言説 の解 明,な らび に,ロ シ ア文 書 館 資 料 の調 査 とあわ せ て,今 後 の課 題 と した い。 本 邦 に お い て も,彼 の訪 日期 (1935年5月3日 一8月11日)及 び 朝 鮮 ・中 国 ・旧 満 洲滞 在期 の記 録,わ け て も,仏 教 者 との交 流 を ま とめ,ラ ー フル研 究 に貢 献 す べ き時 期 に 至 って い る よ うに 思 わ れ る。 W資 料 リス ト[文 書 記 号H.D,整 理 番 号末 尾 が 年 代 。*は 関 連 フ ァ イ ル を示 す 。 ラー フ ル は,RSと 略 記] 1011

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イ ン ド政 庁 文 書 に み る ラ ー フ ル ・サ ー ン ク リ ッ テ ィヤ ー ヤ ン の 活 動(藤 井) (73)

®28/87/37-Poll.: Renewal of a passport already endorsed for the USSR issued by the Ceylon Govt. in favour of Bhikhu RS ©4.3/70/41-Poll (1): Petition from RS, a Security Prisoner detained by order of the Central Govt., for special facilities for carrying on literary researches while de-tained in the Deoli Detention Camp {DDC} ®3 *43/1/41-Poll.: Classification and transfer of Security Prisoners to DDC ®37/51/41-Poll (1): Prosecu-tion of the book in Hindi entitled "Kaya karen" by RS, by the Govt. of the UP ®514/18/41-Poll (I) : Payment to the Govt. of Bihar of the expen-diture incurred in connection with the detention and transfer in DDC of security prisoner RS and S.K. Mukharji ©7/22/43-Poll(I) : Grant of passport for proceeding to Russia, to one Pandit RS, a Communist ®7 7/8/44-Poll( I ):Policy regarding the grant of passport facilities for the USSR ®*7/14/42-Poll(I) : Proposal of the "Friends of the Soviet Union" to send a Goodwill Mission to Russia.

1)幼 名 をKedarnath Pandeと い い,青 年 期 はRamodardasを 名 乗 っ た 。RSと な る の は,1930年6月22日 の 得 度 以 降 の こ と で あ る 。本 稿 で は 便 宜 的 に ラ ー フ ル で 統 一 す る 。

2) cf. R. Sarma "Munsi" and P. Jain, eds., Rahul smrti (N. Dill-1: PPH, 1988)., Saptahik Hindustdn, 30 Agast 1992, p. 4, and pp. 18-28, 34-42. 3)例 え ば,

Jiivan yatra, Jivniyan, sansmaran, in 6 vols. (N. Dills: Radhakrsn Prakasan, 1993). 4) H. Fischer, General Simha-Interpretation und Ubersetzung eines historischen Romans von Rahul Samkrtyayan (Wiesbaden: Otto Harrassowits, 1990). , M.T. Much, A Visit to Rahula Sankytyayany's collection of Negatives at the Bihar Research Society (Wien, 1988) [Wiener Studien zur Tibetologie and Buddhismuskunde, Heft 181 5) Gunakar Mule, "Jayatu jayatu ghumakkar pantha, " in Saptahik Hindustan, 30 Agast 1992, pp. 18-20. , 田 中 敏 雄 「ラ ー フ ル ・サ ー ン ク リ ッ テ ィ ヤ ー ヤ ン の 作 品,I∼III」 『東 京 外 国 語 大 学 論 集 』 第26号(1976年),155∼168頁,第28

号(1978年),145∼165頁,第29号(1979年),267∼300頁.6)委 員 会 は,会 議 派 と ヒ ン ド ゥ ー ・マ ハ ー サ バ ー の 合 議 に よ っ て 任 命 さ れ,ラ ー フ ル はRamodardas Sadhuの 名 の も と で 加 わ っ た 。cf. The Maha Bodhi Society, comp., Buddhagaya Temple (Calcutta: The Maha Bodhi Society, 1935) 7) 1935/10/23 Punjab Literary League, 11/14 BHU, 1936/2/13 Daraganj High School, Allahabad., 2/16 Chapa, 12/10 Patna 8) Rahul to Lolushka, 14 July 1943.

9) Prabhakar Machve, cited by Gunakar Mule, op cit., p. 19.

10)田 中 前 掲 第3論 文(年 譜)は,ヒ ンデ ィー語 資 料 を絶 対 視 し た 結果,記 載 事 項 の 大 半 が訂 正 を要 す る もの とな って い る。 詳 細 は,学 会 ハ ン ドア ウ トに記 し た。

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