Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 駒 澤 大學佛 教學 部 論 集第25 號
平 成
6
年10月
(27
)伝 統 仏 教
の
比
丘
戒
律
序
篇
片
山
良
伝
統
仏 教に お ける戒 律 研 究の 基礎 資
料と し て , 以下に 『 パ ーテ ィ モ ヅ カ 』(
P
岳timokkha
), お よ び そ の 註 釈 『カ ン カ ー ヴ ィ タ ラ ニ ー』(
κ纏 肋σ碗 α7岬の
を , と くに 「序
」(
Nidana
)
につ い て,和
訳に よ り紹介
したい と思 う。『パ ーテ ィ モ ッ カ』 とは , 『律
蔵
』(
y
伽 αッα膨
如 肋)
の 「経分
別」 の 「経
」 (sutta )を指して お り, 比丘 の 場 合は227
戒を含む, 一般 に 『戒 本』 とも 『波 羅 提木
叉』 と も呼ばれる根 本 戒 律 をい う。 これは , 伝統仏
教の , すな わ ち原 始 仏 教 か ら直
接の 流 れを汲むパ ー リ仏 教の , な い し上 座 部 仏 教の 国々 に お い て, 現 在 も なお, 毎 月二 度の布
薩 (Uposatha
)
に サ ソ ガ で唱え られて い る 「戒経
」で ある。 その意
味で は 生 きた , と りわ け 「誦 唱 」 (uddesa )に意 義がお かれた , 実 践の書
として の機
能を もっ て い る。戒 律 研 究に は , 二 つ の 大 きな流 れが
考
え られ て よい 。 一 つ は , 従 来 行なわれて い る諸
律の 比較
研 究で ある。 これ は諸 部 派
に 伝え られ る種々 の 戒律文
献を 歴史 的 に 比 較検
討し, そ の 原 形 と変
遷を明らか に し よ うとする もの で あ り, すで に優 れ た 成 果が知られる とこ ろ で ある。 他の 一 つ は , 一文
化 あるい は 一社会
に お け る連綿
とし た 伝統
戒 律の解
釈 研 究で あ り, 仏教実
践の根
拠を 明 らか に しよ う とす
るも の で あ る。 前 者はい わ ゆ る学問的に は高
度な もの ,華
や か な もの と な り うるが , 実 践的 に は意味
を もた ぬ もの に な りやすい 。 これ に対 し て , 後 老は実
践 的に は適
切
な もの とな りう るが,学 問的
に は偏 狭
な もの , 色 あせ た もの にな りや すい 。 こ こ で は ,後
者 の 流 れ に お い て戒律
を見 よ うと す る もの で ある。 それ は, 仏 教を道
と して学 ぶ趣旨
か らす れ ば,後
者が 正統的
で ある か らに ほ か な らない 匚拙 稿 「十 事 (dasa
vatthani )に っ い て」 『パ ー リ学
仏教
文化学 』第
3
号 ,1990
参 照 ]。 以 下の 和 訳に おい て は , 次を底
本 とする。Be
,P
翩 初 o ん々肱 一P
σ〃,1977
(ビル マ [ミ ャ ン マ ー]第
六結
集 版 ) 一412
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
28
)伝統仏 教の比丘戒 律 一序 篇 一 (片 山)
Be
, κ 碗 肋 ”α7 岬i
・・4
ξ
卿
α々α’縅
1977
(ビル マ第
六 結 集 版 ) [略 号Be
]本 文に お け る補足説 明 (カ ッ コ [ ] 説 明部 分 )は , 次の復 註に よ る。
B
・ , κ 齲 肋 副 吻 笹 ∠4
δ配%α砌麟
σ,1961
(
ビル マ第
六結集版 )
随 時,次を
参
考に し た 。Re
, ・K
盈 肋 σ扼 ’α7α瓶1956
(P ン ドンPTS
版 ) 匚略号Re
]Be
, κ伽 肋4
〃”α7α勿
.P
〃勉 抛 ≠」航 ,1961
(
ビル マ第
六 結 集 版 )The
」P
観 吻 o た肋 α,
tr.
by
Ven
.NA
ロamoli ,1966
(Maha
Makut
Academy
,Bangkok
)
なお , 本 文 中の 引用
文
献 とそ の 略 号はPTS
版に 基づ い て示 して い る こ と,本
文に おける註は こ こで は
煩
を避 け るため最 小 限 (カ ッ コ 〔*〕
部 分 )に とどめた こ と を お断 り してお きた い 。〈 目次
〉
比丘戒律
(BHIKKHU
−PATIMOKKHA
) [序 章 ] 比丘戒律註
釈(
KANKHAVITARANI
)[
序章]
1
.パ ーテ ィ モ ッ カ の種 類2
.誦唱の 種 類3
.僧 団の 種 類4
.布 薩 日の 種 類5
.布 薩 成 立の 条 件i
)布 薩 日
ii
)境 界
(
= 結 界)
iii
) 不共 犯iv
) 回 避6
.布薩
の 内容7
.布 薩の 事前の 「作 務」 と 「義 務」i
) 委
任 ・ 清 浄 な どii
) 比丘 尼へ の誦 唱8
. パ ーテ ィモ ッ カ の 誦 唱9
. 通 告10
,告 白 一411
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 伝統仏教の比丘戒 律一序篇一 (片山) (
29
) 比丘戒 律 (BHIKKHU
−PATIMOKKHA
) [序 章 ] 〔序の 誦唱〕 尊者方よ, 僧団 は私 の 言 うこ とを聞い て くだ さい。今
口 は15
日の布薩
で す。 もし僧 団に機が熟せ ぽ,僧
団は布
薩i
を行
ない , パ ーテ ィ モ ッ カ を唱え るべ き です。何が
僧
団の 事 前義 務で し ょ うか。 皆さん は , 清 浄を告 げて くだ さい 。私はパ ーテ ィ モ ッ カを唱え ます。 (我々 )出席 者はすべ て , そ れ を よ く聞 ぎ 意に と どめ る こ とに し ます。 罪が ある者は , 告 白しな ければ な りま せ ん 。
罪
が なけれ ば,沈 黙
し て お くべ ぎです
。 沈 黙し て い る こ とに よっ て , 私は 皆さ ん が清 浄で ある と判 断 し ます。 ま た , そ れ ぞ れ 質 問され た者に は 返 答が あ る よ うに , その よ うに こ の よ うな衆に お い て は , 三度 までが通告
に な り ます。 し か し比丘 が, 三度 まで 通 告 されて い る とき, 存 在 する罪を思い 出し て い な が ら告 白しない 場 合, か れは 故 意の 妄 語の 者に な ります。皆 さん, 故
意
の妄 語
は障害
の 法で ある, と世 尊
に よっ て説
かれ て い ます。 そ れ ゆ え, 思 い 出 し, 清 浄を 望 む , 犯 した 比 丘 は ,存 在 す る罪を告 白 しな け れぽ な り ませ ん。 な ぜ な ら, 告 白 が そ の 者に安 らぎと な る か らで す。 [皆さん, 序は唱 え られ ま し た 。そ こ で ,皆さん に お 尋ね し ます。
こ の 点に つ い て 清
浄
で し ょ うか。 再 び ま た , お尋ね し ます。 こ の 点に つ い て 清浄で し ょ うか 。 三 たび また, お尋ね します。こ の
点
に つ い て清浄
で し ょ うか 。こ こ に お い て ,皆さん は
清
浄で す。それゆ え, 沈 黙 して い るの で す。
こ の よ うに,
私
は こ の こ とを了解
い た し ます ][
序終
わ るコ
ー410
一Komazawa University KomazawaUniversity
(30)
tXffthwt`DL[
.EE}llere-JiFee-(H-LLI)
NIDANUDDESA
surpatu me
bhante
safigho. ajjhuposathoparprparaso.
yadi
safighassapattakallark,
safigho uposatharbkareyya,
patimokkharh
uddiseyya.kirb
safighassapubbakiccath.
parisuddhim
ayasmanto
arocetha.
patimokkhath
uddisissarbi.tarb
sabbeva santa sadhukarb sunoma,manasikaroma.
yassa
siyaapatti,
soavikareyya.
asantiyaapattiya
tuohibhavitabbarb.
tunhibhavena
kho
pan'
ayasmante
parisuddha
ti
vedissami.yatha
kho
pana
paccekaputthassa
veyyakaranathhoti,
evam evafu evarttpayaparisaya
yavatatiyarb
anusavitafuhoti.
yo
pana
bhikkhu
yavatatiyark
anusaviyamane saramano santirhapattirb
navikareyya, sampajanamusavad' assahoti.
sampajanamusavado
kho
pan'
ayasmanto
antarayikodhammo
vut-to
bhagavata.
tasma
saramanenabhikkhuna
apannena
visud-dhfipekkhena
santiapatti
avikatabba.
avikata
hi
'ssaphasu
hoti.
[udditthath
kho
ayasmanto
nidanath.tatth'
ayasmante
pucchami.
kaccittha
parisuddha.
dutiyam
pi
pucchami.
kaccittha
parisuddha.
tatiyam
pi
pucchami.
kaccittha
parisuddha.
parisuddh'
etth'ayasmanto.
tasma
tunhi.
evam etarb
dharayami]
[Nidanarh
ni#hitarh]-Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 伝 統仏教の 比 丘戒 律一序 篇一 (片山 ) (
31
) 比 丘 戒 律 註 釈 (KANKHAVITARANi
) [序 章 ]厂きわ め て
勝
れ たも
の (= 戒 )」 (pa
−ati −mokkha 洫, ati −
pamokkha
痂, ati ・settha 血, ati −uttamalh )とい う意 味で ある。 以 上に よれ ば, こ の 語 義は 一 種で あ る が , 「戒 本 ( = 戒の 書 )」(s1la ・
gantha )
と区 別 す れ ば二 種と な る。 すな わち,「かれ は , パ ーテ ィ モ ヅ カ
防
護に よ り, 防護
さ れ て 住 む」 (patimokkhasa
一血vara .sa 血 vuto viharati
,
D
.1
.63
) とか ,「諸
善
法の, これ は初 め で あ り, こ れは入 口 で あ り, これ は最上 の もの である。 そ れ ゆ え,
パ ーテ
ィ モ ッ カ と 言 わ れ る」 (
adim
etam r[iukham etampamukham
eta 血kusa1
且na 血dhammanarh
tena
vuccatipatimo
−kkharh
,Vin
.1
.103
)な どに お い て は, 「戒」(sila
)
が 「パ ーテ ィ モ ッ カ」 と言わ れる。「か れに は , 両
パ ーテ ィ モ ッ カ が 詳 し く理
解
(記 憶 )されてい る」 (ubha ・yani
kho
pan
’ assapatimokkh
巨ni vitth2rena sv 訌gat
巨nihonti
,Vin
.IV
.51
;A
.IV
.279
) な どに お い て は , 「本」(gantha
) が 「パ ーテ t モ ッ カ 」 と言 わ れ る。その うち, 「戒」 とは , そ れを守 る (
pati
= rakkhati)者
を悪処 な どの苦
か ら, ある い は , 自責の 念 などか ら解放 する(
mokkheti = mocayati)
の で , 「パ ーテ ィ モ ッ カ」 (patimokkha
) と言われる。 ま た, 「本
」 とは , パ ーテ / モ ッ カ (戒 )を説 明 する もの であ る か ら, 『パ ーテ ィ モ ッ カ』 (Patimokkha
)と言 わ れ る。 しか し, 始ま りに お い て [「 パ ーテ ィ モ ヅ カ を唱え る こ とができ
ます
」 な どと]述
べ られた語 義は , 両 者に 共 通 して い る。その
[戒
と本 との パ ーテ ィ モ ッ カの]
うち, こ の 註 釈 (varprpana )は, 戒の パ ーテ ィ モ ッ カ に も, 本の パ ーテ a モ ッ カ に も相応 する。 な ぜ な ら, 本が註 釈され た な らば, その 匸本の]
意 味[
戒]
も その ま ま註
釈される か らで ある。ま た , 本の パ ーテ ィ モ ヅ カ に は, 『比 丘 戒 本』 (
Bhikkhu
−patimokkha
)
と〔序の 註 釈]
1
.パ ー テ ィ モ ッ カの種 類 パ ーテ 4 モ ッ カ匚
Re
.P
.1
,Be
.P
.84
]その うち,
「パ ーテ n モ ッ カ」 (
patimokkha
) と は, 一408
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 University (
32
)伝 統 仏教の比丘戒律 一序篇 一 (片山) 『比丘尼 戒 本』 (
Bhikkhuni
−patimokkha
)の 二 種があ
る。[
R
・ .P
,2
]
その うち ,「
尊
者 方 よ, 僧 団は私
の 言 うこ とを聞い て くだ さい 」(
supatu mebhante
sahgho ,
Vin
.1
.102
)
な ど五種の 誦唱 区 分 (uddesa ・pariccheda
)に よ っ て決め られた もの が 『比丘戒 本』 であ
る。「
尊
尼 方 よ,僧
団は 私の 言 うこ とを 聞い て く だ さ い 」 (supatu me ayye sahgho ,Vin
.II
.272
) な ど四種の 誦 唱 区分に よ っ て 決め られた もの が 『比 丘尼 戒 本』 であ る。2
. 誦 唱の種 類 そ の 場合 ,(1
)
(2
)
(3) (4
)(
5)
『比 丘 戒 本』 に お け る 五 種の 誦 唱 とは , ニ ダーナ(
序 )
の 誦 唱(
Nidana
・uddesa ) , パ ー ラ ージ カ(
波 羅夷
)の 誦唱(
Parajika
−u ° ), サ ン ガ ー ディ セ ーサ (僧 残)
の 誦 唱 (Sahghadisesa
−u ° ), ア ニ ヤ タ (不 定 )の 誦 唱 (Aniyata
−u °) , ヴ ィ ッ タ ー ラ(
詳細)
の 誦唱 (Vitthara
・u ° ) で ある。 そ の うち , まず
(
1) 序
の 誦唱 とは ,「
尊
者方
よ. 僧団は私
の 言 うこ と を聞い て くだ さい 。 … …なぜな ら,
告
白 が, そ の者
に安
らぎ
と なる か らで す。そ こ で ,
皆
さん に お 尋 ね し ます。 こ の 点につ い て清浄
で し ょ うか 。 再び また, お 尋ね し ます。 こ の 点につ い て 清 浄で し ょ うか。 三 た び ま た , お 尋ね し ます。 こ の 点に つ い て清 浄で しょ うか。 こ こ に お い て , 皆さん は 清 浄で す。 そ れ ゆえ, 沈 黙 し てい る の です。 このよ うに , 私は こ の こ とを 了
解
い た し ます」(
sunatu mebhante
sahgho ,… …
avikata
hi
’ssa
phasu
hoti
.tatth
’ayasmante
pucchami
,
kaccittha
parisuddha
,dutiyam
pi
pucchami
,kaccittha
parisuddha
,tatiyam
pi
pucchami
,
kaccittha
parisuddha
,parisuddh
’etth ’
ayasmanto
,tasma
tuphi
, evam eta 山dharayami
ti)
と言っ て か ら,
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
伝 統仏 教の比 丘戒 律 一序 篇 一 (片山)
(33 )
「
皆
さん , 序は唱え られ ま した」 (uddittharhkho
ayasmanto
nidanarb )な どの
仕 方
で , 残 りが 「聞かれ ま し た 」(suta ) とい うこ とで告
げ られ, 誦 唱 さ れ るもの で ある。(
2)
〜(
4)
パ ー ラ ー ジ カ の 誦 唱な どの 区分につ い て は , 序 の最 初か ら始め て, パ ー ラ ー ジカ な ど が終
わ っ た あ と ,適用 さ れ るべ きで ある 。(
5)
ヴィ ッ タ ー ラ (誦 唱 )は ,詳 細その もの (全体の 誦 唱)
であ
る。 た だ し,[
Be
.P
.85
コ
「残 りは ,
〈
聞か れ ま し た 〉 とい うこ とで告
げ る こ と がで きる」 (avasesa 血sutena savetabba 血 ,
Vin
.1
.112
)と言わ れ てい る か ら, パ ー ラー ジ カ誦 唱な どの 際に 災
難
が発
生し た な ら ば, そ れ[
中断
した部分]
と ともに , 残 りをく
聞かれま し た〉
とい うこ とで 聞かせ る (告 げ る) こ とがで き る。 しか し, ニ ダ ーナ 誦 唱が終わ ら ない う ちに , 〈 聞か れ ま し た〉
とい うこ とで聞
か せ る こ とは で きない 。 なお, 『比丘 尼戒
本 』に は ア ニ ヤ タ 誦 唱は欠 けて お り, その 他は述べ られた方
法の 通 りで ある。 こ の よ うに ,本 註 釈 は , これ ら五 種 と 四 種 との 誦 唱 区分 に よっ て決め られ た二 種の 『戒 本』(
つ ま り, 比丘 と比丘尼 の 戒 本 )につ い て の もの とな るであ
ろ う。 ま た , こ こ で は , 『比 丘 戒 本 』が最
初で あるか ら, まず その註
釈の ため に , 次の こ と が 言われ る。「〈わ が 言 を 聞 け〉 (su ロ
atu
me )な ど も ろ も ろの語 句の
意味
(attha )と決 定 (vinicchaya)
に つ ぎ,学を 求め る (sikkhakama )
持
戒の (silasampanna ) 比丘 らは ,私の 言 を 聞 くが よい 」 と。 聞い て くだ さい
こ の 場 合, 「聞い て くだ さい 」
(
sunatu ) とは,聞
くこ とを命
じる言葉
で ある。 私の 言 うこ と を「私の 言 うこ とを 」
(
me)
とは , 聞か せ る者が 白分を説 明する言葉
であ
る。尊
者 方 よ「
尊
者 方 よ」 (bhante
) とは,尊
重 ・ 尊 敬の 言 葉で あ る 。3
.僧団 の種 類僧
団は「僧団 は」 (sahgho ) とは, 個 人の 集 ま り
(
puggala
−samUha)
の 言葉
で ある 。 これ はい ず れ も, パ ーテ ィ モ ヅ カ を 唱え る者が最 初に告
げね ば な ら ない 言葉で あ 一406
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
34
) 伝統 仏教の 比 丘戒 律一序篇一 (片 山 ) る。 な ぜ な ら, 世尊
に よっ て , パ ーテ ィ モ ッ カ の 誦唱が 許可 され る際に , ラ ー ジ ャ ガ ハ で 言わ れ た(
Vin
.1
.102
−3
)
か らである 。 し たが っ て, パ ーテ ィ モ ッ カを 唱 える者が, もし僧 団の 長老 (sahghathera )で あるな らば, 「友 らよ」(
avuso
) と告 げるべ きで ある 。 もし若い 者で あるな ら ば, 聖 典 (Pali
)(Vin
.1
.103
)
に述べ られた 仕 方で , 「尊
者 方 よ」 と告 げるべ きで ある。 また ,「パ ーテ
ィ モ ッ カ は長 老に依 存 す る」(
theradhikalh
patimokkharb
,Vin
.1
.116
)
と言われて い るか ら, 僧 団の 長老 は パ ーテ ィ モ ッ カを 唱 え る こ とがで き, ま た ,「比丘 た ち よ, パ ーテ ィ モ ッ カ は , そ こ [僧 団 ]に お い て, 聡 明で , 才
能
があり
, 唱 える こ とがで きる比丘 に依 存 し うるこ とを認め ま す」 (anujanamibhikkhave
yo
tattha
bhikkhu
vyatto
patibalo
tass
’adheyyarh
patimokkha
由,Vin
.1
.116
)
と言わ れ て い るの で ,若
い者
も唱え て よい 。「僧 団 」 とい うこ の 語は , 一 般 的に は個 人の 集ま りを さすが , その 場 合 そ れ
は, 供 養されるぺ き僧 団 (
dakkhi
ロeyya −sahgha)
と認 定 さ れ た(
制 度 化 され た)僧
団(
sammuti −sahgha ) とい う二 種の こ とであ
る 。 そのう
ち , 「供養
され るべ き僧 団 」とは , 八 種の 聖 者の 集ま り (ariyapuggala ・samUha )をい う。 「認 定 された 僧 団」 とは,一 般 的な比丘 の 集ま りを い うが , こ こで は , これが意 趣 さ れ て い る。匚
Re
.P
,3
]
ま た, これ は , 儀式 (
kamma
)に よ っ て, 四 人衆
, 五 人衆
, 十人衆
, 二 十 人衆
, 超二 十 人 衆 とい う五 種が ある。 そ の うち,四人 衆に よっ て, 入 団 (upasampada ) ・自恣 (= 要 請
pavara
ロa
) ・ 復 帰(abbhana )を除 くすべ て の
僧
団儀式
を行 うこ とができ
る。五人衆に よっ て, 中 部の 諸地 方に お け る入 団 ・復 帰を 除 い て, 他の す べ て の 僧
団儀 式を行 うことが で きる。 [
B
°.p
.86
]十 人 衆に よ っ て , 復 帰の 儀 式の み を除 ぎ, すべ ての
僧
団儀
式を行 うこ と がで き る。 二 十 人 衆に よ っ て は , い か な る僧 団 儀 式 も行え ない もの が ない 。 超 二 十人 衆も同 様で あ る。 た だ , 超 二 十人 衆 とい うの は , 四 人衆な どに よっ て 行わ れ るぺ き儀
式が , 定 数の 満た ない場 合は行
え ない が , 定 数を超えて い る場 合 は行 うこ と がで きる とい うこ とを示 すた め に , 言わ れた もの で ある。 なお , こ こ で は , 四人衆
以 下い ずれ も認 定 僧 団が意
趣 されてい る。 −405
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
伝統 仏 教の 比 丘戒 律一 序 篇 一 (片 山)
(35 )
4
.布 薩 日 の 種 類 今日は布薩
です「今日は
布
薩です」 (ajj’uposatho
)
とは ,今
日は布薩
日 (uposatha −divasa
)
であ
る, とい うこ とで ある。 これ に よっ て , 布 薩 日 で ない 臼を 退 けて い る。15
日の冂
5
日の 」(parp4araso
)とい うこ とに よっ て,他
の布
薩 日を退 けて い る。 な ぜ な らぽ, 日 (divasa
)に よ っ て,14
日の 布薩
(catuddasika ),15
日 の 布 薩(
papParasika
), 和 合の 布薩 (
samaggi −uposatha )とい う三 の 布 薩が あ るか らで あ る。
こ の よ うに , 三 の
布
薩が説かれて い るが , そ の うち, 冬 期 (hemanta
)・夏期
(
gimha
)・雨期 (
vassana )の 三 季節に おける ,第 3
と第7
の 半 月 (pakkha
)
の それ ぞれ
2
回 , すな わ ちD
年
に]
6
回が 「14
日の 布薩
」であ り, 残 り18回 は 「15
日の布
薩」 で ある。 こ の よ うに ,1
年に24
回 の 布 薩が ある。 まず, これ が普 通 の行事 (
pakati
−caritta )で ある。「比 丘た ち よ,
半
月に1
回,14
日あるい は15
日に , パ ーテ ィ モ ッ カ を 唱 えるこ とを許 可 し ます」 (anujanami
bhikkhave
sakifUpakkhassa
catud −dase
vapa
叫 arase vapatimokkhalh
uddisiturh,
Vin
.1
.104
)
とい う言 葉か ら, ま た ,
「
来
客(
比 丘)は, 常 住(
比丘 )に従
わ な け れ ば な ら な い 」 (agantukehi
avasikana
山 anuvattitabbarh ,Vin
.1
.132
)な どとい う言 葉か ら, それに相 応 し い 理 由があ れば, 他の
14
日に 布薩
を行
な っ て よい 。 ま た, (1
)前雨安
居(
purima
−vassa )[
ア ーサ ー リ月 黒 分 (7
月後 半 )か ら ア ッ サ ユ ジ ャ 月 白分 (10月 前半 ) ま
で の3
ヵ 月]
を終えた 者たちに は前
カ ッ テ ィ カ 月匸
= ア ッ サ ユ ジ ャ 月;10
月]
の 満 月の 日 (pubbakattika
−pupmama
)
が , あ るい は, もし も諍 論 者に妨害
された者 が自
恣 ( = 要 請 )を引
き延 ぽ す 場 合 , か れ らに は前 カ ッ テ ィ カ月の黒
分 半 月の14
日 日か , 後 カ ッ テ ィ ヵ 月 [= カ ッ テ ィ カ 月=11
月 ] の 満 月の 日 (pacchimakattika
・pupPama
)かが , また , (3)後 雨 安
居 (pacchilna
・vassa )[サ ー ヴァ ナ 月黒 分 (8
月 後 半 )か らカ ッ テ ィ カ 刀 白分
(11
月 前 半 ) ま で の3
ヵ月 ]を終えた者た ち に は後 カ ッ テ ィ ヵ 月の 満刀の 日が , とい うよ うに , これ ら三 が 自恣の 日 (pavara
りa
−divasa
)
でも
ある。 これ もま た, 普 通の 行事
で ある。 なお , そ れに相
応 しい 理 由が あ れ ば, 二 の カ ッ テ ィ ヵ 月 一404
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
36
) 伝 統 仏教の 比丘戒律一序 篇 一 (片山 )の 前 の
14
日に も , 自恣 を行な っ て よい 。ま た, 『コ ーサ ソ バ カ 章』 (
Kosambaka
−khandha
,Vin
.L
337
.f
.)
に 述べ ら れ た 仕 方に よっ て , 分 裂 し た 僧 団に その [罪を挙 げ ら れたコ
比 丘 が復 権
し た と き, 僧 団が その事件
を鎮
め る ため に ,僧
団の 和合
を行
な う場 合,「た だ ちに
布薩
を行ない , パ ーテ ィ モ ッ カを唱 える こ と がで きる」(tavadeva
uposatho
katabbo
,
patimokkhalh
uddisitabba 函,Vin
.1
.357
)
と言わ れて い るか ら,
14
日,15
日を除き
他の 日は, い ず れ も 「和 合布
薩 の 日」(s議maggi 。uposatha −
divasa
) と呼ばれ る。なお,
前
雨安居 (
purima
・vassa)
を出た 者た ちに は , カ ッ テ ィ ヵ月の 間 [前
カ ッ テ ィ ヵ 月の 黒 分初
日以後
,次
の カ ッ テ ィ カ満 月の 日(aparakattika −pu
ロpama
) まで の29
日間 ]は, そ れ こそ [どの 日も], 和 合 自恣の 日 (samaggi ・pavara
ロa
・divasa
)
と呼
ぼれ る。 この よ うに, これ ら三 の 日の うち, 「15
日 」 とい うこ とに よっ て, 他の布
薩 日を退 けるの で ある。 そ れゆ え, [Re
,p
.4
]
「今
日は布
薩で す」 とい う言葉に よっ て[
Be
.p
.87
]
退 け られ た 布 薩で ない 日 に, け っ し て布 薩を行 なっ ては な ら ない 。 こ の 他の布薩
日に ,布
薩は行なわ れ るべ きで ある。 行なお う とする場 合, もし14
日布 薩 (catuddasika)
で ある な らば , 「今 日は14
日布薩
で す」 と言わ ね ぽな らない 。 もし15
日布 薩 (papoarasika
)で あるな ら ば, 「今日 は15
日布薩
です」 と言わ ねば なら ない 。 もし和 合布薩
(samaggi )で あ る な ら ば , 「今
日 は 和 合 布 薩で す」 と言わ ね ば な ら ない 。5
.布 薩の条 件 もし僧
団に 機が熟せ ば「もし僧 団に 機が
熟
せば 」 (yadi
safighassapattakallarb
)とは, こ の 場 合, こ の 儀 式 (
kamma
)に 時が適 して い る とい うこ とで , 適 時に (pattakala
血), 適 時 に の み(pattakalam
eva)
,機
が熟
せ ば(
pattakallalh
), とい うこ とで あ る。 そ れ は,註
釈師
たち が述
べ て い る よ うに , こ こ で, 四種の条件
とし て ま とめ られる。布 薩日, 比丘 らが儀
式
に適
する ,uposatho
yavatika
cabhikkhU
kammappatta
ま た 共 犯 も 見 られ な い ,
sabhagapattiyo ca na vijjanti
避
けられる人 もそ こ にい ない ,vajjaniya ca
pug9ala
tasmim
nahonti
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 伝統仏 教 の比 丘戒 律一序篇一 (片山 )
これ が 「
機熱
」と述
べ られる , と。‘‘
pattakallan
”ti
vuccati(
VinA
.V
.1063
).i
) 布 薩日 その うち ,〈布 薩
日〉 (
uposatha)
とは, (37
) 三 の布薩
日の うち の いず
れ かの布薩
日 である。 なぜ な ら, そ の 日 であ
れ ば, 僧 団 の こ の 布薩
儀式
は 機が熟す る もの と な る か らである。 その 日 で な け れば, 「比丘 た ち よ, 布 薩 日で ない 日に 布 薩を行な っ て は な らない 。 行な えば , ドゥ ッ カ タ
罪
とな る」(na cabhikkhave
anuposathe uposathokatabbo
. *yo
kareyya
,apatti
dukkatassa
. *Vin
.1
.136
) と, 言われ た 通 りであ
る。ii
)
境 界=
(
結 界)
〈 比丘 らが
儀
式に適
す る〉 (yAvatika
cabhikkhu
kammapPatta
) と は,そ の
儀
式に相 応 し い(
patta
,yutta
, anurttpa)
,最少
限度
四 人の 潔 白な(
pa
−katatta
) 比丘 が , ハ ヅ タ パ ーサ * を離
れず , 一 つ の境
界内
に い る , とい うこ と で ある。 [・hatthapasa
.約1.
2m
, あるい は 約6m
の 距 離, との 説 あ り]。こ こ に い う 「境
界
」(
sima)
とは , 「結
ばれた境界
」(baddha
−sima )と 「結ば れない境
界」 (abaddha ・sima)
の 二種
で ある。 そ の うち, 十一 の
不 成 境 界 立
(
vi−patti
・sima )を克服 し , 三 種の 成 立 相 応 (tividha
−sampattiyutta ) の , 標 識(
nimitta)
と標 識
を結
んで 定め られ た境
界 が, 「結
ばれ た境 界
」 と呼ば れ る。過 小な もの
(
atikhuddaka)
,過 大な もの
(
atimahati ),標 識
が欠
け た もの(
kha
ロda
,nimitta ) ,影を
標
識 とした もの(
chaya −nimitta)
,標 識の ない もの (animitta ),
境 界外
に い て 定め られ た もの(
bahisime
thita
sammata ),
川
の中
で 定め られた もの(
nadiya sammata)
,海の 中で 定め ら れた もの (samudde sammata ) ,
自然 湖の 中で定め られた もの (
jatassare
sammata ) ,境 界 と
境
界を結ん で 定め られた もの(
simaya simalh sambhindantenasammata ),
境 界の 中に
境
界 を 含め て 定め られたも
の(
simaya simarb ajjhottharan 一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
38
)伝 統 仏 教の 比 丘 戒律一序 篇一 (片 山)
tena
sammata ) , 以上 これ らは ,「十一 の 理 由に よ つ て ,
境
界か らもろ もろの 儀 式が欠損
する 」(ekadaSahiakarehi
simatokammani
vipajjanti,
Vin
.V
.221
)
とい う言 葉か ら, 十 一 の 不 成 立境 界 と 呼 ぼれる 。 その うち,「
過
小な もの 」 とは , そ こ に 二 十 一 人 の 比丘 が 坐 るこ との で きない もの で あ る。「過 大な もの 」 とは , それが三 ヨ ー ジャ ナ * を
髪
の 毛 先で も超えて 定め られたもの で
あ
る。[
・yojana
.一 ヨ ージ ャ ナ は , 約12kln
コ。「標 識が欠けた もの 」 とは , 標 識が連 結されて い ない もの と 言 わ れ る。 標 識
を , 東 の 方 角に
告
げた後
(kittetva
), 順に , 南, 西, 北の 方角
に告
げ, 再び東の 方
角
に ,[
Re
.p
.5
]先
に告 げ
られた もの に対 し, 告 げて お くと よい 。こ の よ うにす れば, 標 識 の 欠 け ない もの と な る。 しか し, 順 に
引
い て来 て,北の方 角に標 識を告 げた後, そ の ま まに して お くな らば, 標 識の 欠 けた もの
となる。 他に また,
標
識が欠 けた もの とし て,標
識に相応
しく
ない 樹皮
の み堅 い 木 (
tacasara
・rukkha )匚ター ラ , ヤ シな どコ
とか , 切 り株
(khapuka
),塵の山 (
parhsu
・pufija
), 砂 の 山(
valuka −pufija
)
の い ずれ かを , そ の[
相応 しい
標識
の] 間
に 一つ の標
識と して , 定め られた もの があ
る。「影を標 識と し た もの 」 とは, 山の 影 な どの い ずれ かの 影 を標 識 と して定め ら れ た もの で あ る。
「
標 識
の ない もの 」 とは , い か な る標
識 も告 げず
に定め られた もの である。「
境
界外
に い て 定め られ た もの 」 とは , もろ も ろの 標 識を告
げた後, 標 識の 外に い る
老
に よ っ て[
儀 式 文が唱 え られ コ定
め られた もの で ある。「川の 中で 定め られた もの 」 「
海
の 中で 定め られた もの 」 「自然湖
の中
で 定められた もの 」 とは, これ ら川 な どに お い て 定め られ た もの で ある。 なぜな ら
ば, そ れは, そ の よ うに して [儀 式 文に よっ てコ
定
め られて も,「比 丘 た ち よ, どの よ うな川 も境 界に は な ら ない 。 どの よ うな海も境 界に
は な らな い 。 どの よ うな 自然 湖 も境 界に は な ら な い 」 (sabba
bhik
−khave
nadi asima, sabbo samuddo asimo , sabbo
jatassaro
aslmo ,
Vin
.1
.111
)とい う言
葉
か ら, 定め られ ない もの で し か ない か らで ある。 一401
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
伝 統 仏 教の比丘戒 律一序 篇一 (片山)
(
39
)「
境
界 と境
界 を結
ん で 定め られた もの 」 とは ,自分
の境
界 と他の境
界をつ な ぎ合わせ て 定め られ た もの で ある。 もし も, 古い寺 (vihara )の 東 方で , マ ソ
ゴ ー とジャ ン プの 二 本の 木が互い に交 差し, その うち, マ ン ゴ ーの 西
方部分
に ジ ャ ソ ブが あ り, また
寺
の 境界
は ジ ャ ソ ブを内
に して マ ソ ゴ ー を告
げ, 結ば れ てい る場 合,
後
に , その寺
の東
方に(
新
しい)寺
が建て ら れ る際,境
界を
結
ぶ 比丘 らが , そ の マ ン ゴ ー を 内に し て ジ ャ ン プ を告
げ ,結
ぶ なら ぽ, 境界 と境
界
をつ な ぎ合わ せた もの と な る。「境
界
の 中に境
界を含め て 定め られ た もの 」 とは , 自分の境
界の 中に他の 者の境 界
を含
め て 定め られた もの であ
る。 もし も, 他の 者の結
ばれた境
界を, その 全 体で あれ, 部 分で あれ , 内に し て境 界を結ぶ な らぽ,
境
界の 中に境 界を含
む もの と呼ぼれ る。 以上 , これ ら十 一 の 不成立境
界を克服 す れぽ , 定 め られ た もの (sammata )と な る。 「三 種の 成立 相応」 とは , (1)
標 識の成立 相応,衆
の 成立相
応, (3)儀
式 文の 成立 相 応で ある。 そ の うち,(
1
) 標 識の 成立 相 応 (nimitta −sampatti ・yutta
)
とは,山の
標識 (
pabbata
−nimitta)
,岩
の標 識 (
pasapa
・n °)
,林
の標 識(
vana −n°
)
,樹
木
の 標 識 (rukkha −n °),道
の 標 識 (magga −n つ, 蟻 塚 の標 識 (vammika −n° ), 川 の 標 識 (nadi −n ° ), 水 の 標 識 (udaka ・n ° ), こ の よ うに述べ られた
八
種
の標識
の うち, そ れぞれ の方 角
に おい て ,[
Be
.P
.89
]得
られた通 りの ,標 識
に 相 応 しい , も ろ も ろ の 標 識を ,「東の 方 角は , 何が標 識に な りますか 」 「山で す,
尊
師 よ」 「こ の11
亅が標 識
で す」 な どの 仕 方で 正 し く告 げて , 定め られ た もの で ある。 その 場
合
, 次の通 り,
簡
略に 標 識に 相応 しい もの が知 られ ね ば な ら ない 。「山」 とは, 土 ばか りの もの ,
岩
ぼか りの もの , 両者の 混 じっ た もの , という三
種
であ
る。 いず
れ も,象
の 大き
さ以
上 の もの は標 識
に 相 応 しい が , そ れ 以 下の もの は適 切で ない 。「岩の 標 識」 に お い て は , 鉄の 塊 (ayo −
gula
)で あっ て も岩 と呼ぽ れ る。 それ ゆえ, どの よ うな 岩で も, 最 大が
象
の 大 きさ よ り小さい もの に始 ま り,[
Re
.P
.6
]最 小
が三 十二 ・{ラ の砂 糖
玉(
gula
−pipda
)
の 大き
さ迄の ものは, 標 識に 相 応 しい 。 そ れ よ り小さい もの は
適
切で な い 。 し か し 岩板
一400
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
40
) 伝 統仏教の比丘 戒律一序篇一 (片山)(
pitthi
−pasapa
)の 場 合は, 大 き過 ぎて もか まわ ない 。「
林
の標 識」
に お い て は,内
に核
のあ
る樹
木匚
マ ン ゴ ー , ジ ャ ン プ, パ ナ サ な どコが , あ るい は 内に核の ある樹 木の 混 じっ た樹 木が, 四 , 五 本だけであっ て も, 林の 標 識 と して 相 応 しい もの で あ る。 そ れ よ り少ない もの は
適
切で ない 。「樹 木」 は , 生 きてい る もの の み で あり, 内に核の ある, 地 上 に立 っ て い る
もの である。 た とえ 高さ が八 指ほ どで あっ て も, 周 囲が鉄
筆
の柄 (
sUci ・dapda
)ほ どで あっ て も, 標 識に 相応 しい もの で ある。 そ れ 以 下の もの は 適 切で ない。 「道」 は, 人 道で あれ, 車 道であ れ, 二 , 三 の村の 田畑を突 き抜 けて通 じてい る, その よ うな
徒
歩 の 隊 商 (jahgha
・sattha ), 車 の 隊 商 (sakata − sattha )に 利用 さ れる もの の み ,標 識に 相 応 しい もの で ある。 利 用され な い もの は , 適切 で ない 。「
蟻塚」
は,最
低 限度
と して, その 日に生
じ,高
さが八指
で ,牛
の角
ほ どの蟻
塚 で あ っ て も,
標
識に 相 応 しい もの で ある。そ れ 以下の もの は適
切 で ない 。「川 」 に つ い て は ,
結
ばれ ない 境界
の 相に お い て述べ る こ とに したい 。 その標識
に相応
しい もの 以外
は適切
で ない 。 「水」 は, 流れ て い な い 井 戸, 蓮 池, 沼, 自然 湖, 入江, 海 な どにある水を初め とし て, た とえ そ の 時だ け, 地 に 掘 られ た穴に ,
瓶
で運び, 満た され た もの で あっ て も, 儀 式 文が終わ る まで残 っ てい れば , 標 識に 相 応 しい も の で ある。 その 他の 流 れて い る もの , あるい は述べ られた制 限 時 間に残ってい ない もの , 容器に 入 っ て い る もの は ,
適
切で ない 。(
2)
衆の成 立 相 応 (parisa
−sampatti ・yutta
) とは,最 小 限四 人の 比丘 が, 集ま り, そ の 村の 地 で 結ば れ た境 界に , あ るい は 川 や
海,
自
然 湖に入 らずに い る限 りの 比丘 全 員を , ハ ヅ タ パ ーサ に するか ,委任
を 運ん で来て, 定めた もの で ある。
(
3
) 儀 式 文の 成立 相 応 (kammavaca
−sampatti −yutta
) とは ,匚
Be
.p
.90
]
「
尊
者 方 よ, 僧 団は , 私の 言 うこ と を 聞い て くだ さい 。 周 囲 の 標 識 は , でき
る限 り告 げ
られ ま し た 」 (surpatu mebhante
sahgho,
yavata
samanta nimitta
kittita
,Vin
.1
.108
)などの
仕方
で述
べ られた,
清浄
な 白二 の儀式 文(
fiattidutiya
−kammav2ca
)Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 伝 統仏 教の比丘戒 律 一 序 篇一 (片山) (
41
)に よっ て定め られた もの で ある。
こ の よ うに , 十 一 種の 不成 立 境 界を克 服 し , 三種の 成立 相 応の ,
標
識 と標 識を 結 んで 定め られた境 界が, 「結 ばれた境界」
で ある と知
られ ね ば な ら ない 。 それに の み , 「部 分
境
界」 (kha
ロqa
−sima ), 「同 一共 住 境界
」(samanasa 由vasa ・sima ), 「不 離 衣 境 界」 (avippavasa ・sima ) とい う区 分 が ある。
つ ぎに , 「
結
ばれない境
界」 は,(
1)
村 落 境界
(gama
−sima)
,(
2)
七 ア ッパ ソ タ ラ
境
界(
sattabbhantara ・sima ),(
3)
散 水境
界 (udakukkhepa−sima )の
3
種である。 その うち ,
(
1
) 一 つ の村
の 地 (gama
−khetta
)が ある な らば, こ れは 村 落 境 界 と呼ばれ る。村
で ない森
に おけ る, 周 囲七 ア ッ バ ン タ ラ に わ た る もの は, 七 ア ッ バ ン タ ラ境
界
と呼 ばれ る。 そ の 場合,「
村
で な い森」
(
agamakarb arafifiarb ) とは, ヴィ ン ジ ャ の 森 (Vifijha
・atavi
)
な どに お い て , あるい は 海の 真 中の漁
師 も行
け ない航路
に あ る諸 島に お い て , 得 ら れ る。「周 囲七 ア ッ パ ン タ ラ にわ た るもの 」 (samanta sattabbhantara )とは ,
真
中に い る者に とっ て[
Re
.p
.7
]
あ らゆ る方角
に 七 ア ッ バ ン タ ラとい うこ とで あり, 直 径 (vinibbedha )で は十 四 ア ッ バ ソ タ ラ に な る。 そこ に い
う, 一 ア ッ バ ン タ ラ とは , 二 十八 肘
(
hattha
)
の 長 さであ
る。 た だ し, この 境 界は
衆
に よっ て 拡 大 す るか ら,衆
の 周 辺 か ら周囲に ア ッ バ ン タ ラ の 制限が設 け られねぽな らない 。 ま た, もし二 つ の
僧
団が別々 に布 薩 を 行 な うな らば, 二 つ の 七ア ッ パ ン タ ラの 間に 別の 一つ の 七ア ッ バ ソ タ ラを,
[境
界
コ
接 近の た め に置か なけれ ば な ら ない 。 (3
)つ ぎに ,
「比丘 た ち よ, どの よ うな川 も境 界に は な ら な い 」 (sabba
bhikkhave
nadi asima ,
Vin
.1
.111
)な どの 仕 方に よっ て 川な どが
境
界に なるこ とを退 けて か ら, さ らに 「比丘 た ち よ, 川 に お い て , ある い は 海に お い て, あるい は 自然 湖に お いて , 平均
的
な男
性 が周 囲 に 散水 した とこ ろ, これ が そ の 場 合の 同等
共 住の とこ ろ, 同
一
布
薩の ところで ある」(nadiya vabhikkhave
samuddeva
jatassare
vayarb
majjhimassapurisassa
samanta udakuk ・khepa
, ayalhtattha
samanasarbvasa ekUposatha ,Vin
.1
.111
)
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
42
)伝 統仏教の比 丘戒律 一序 篇 一 (片山)
と言わ れた もの , これ は 散 水境界 と呼 ば れ る。
その うち, 法に 適っ た王た ちの
時代
に,半
月毎に, 十 日毎に , 五 日毎
に, 間違い な く雨が
降
りな が ら,雲
が晴
れただけで , その 流 れが断たれて しま うも
の は , 川 とは呼ぼれ な い 。 し か し, こ の よ うな雨が よ く
降
る とき, 雨期
の 四ヵ 月 間, その 流 れが断たれ ない もの , そ こ の
渡
し 場 か らであ
れ ,渡
し場で ない とこ ろ か らで あれ , 戒 律 箇 条 (sikkhakaraniya )に述べ られた
規
定(
1ak
−kha
ロa,VinJV
.230
)
に よっ て, 三 点 (tima
ηdala
)を覆い , 内衣を持ち上げ
ず
に ,渡
っ て い る比丘 尼の内
衣 が一 , 二指
で も濡 れ る もの , これは , 海に 流れ込 も う と, 源流 か ら, 「川」 と呼ば れ る。 「海」 に つ い て は , ま っ た く 明らか で ある。 ま た , 誰か が掘 っ て作っ た もの で は な い 自然に で きた窪みに周 囲か ら来た
[
Be
.P
.91
]水で 満ちて い る もの , ’ 川に つ い て述
べ た通 りの雨
期
に 水がそこ に た ま っ て い るもの , これ は 「自
然 湖」 と呼ばれる。 なお , 川や
海
を破 壊して流
れ 出る水 で 掘 られ た窪
み も, こ の 規 定を満たすか ら, もちろ ん
自然 湖
であ
る。「
平均 的
な男性
が周 囲に散
水した とこ ろ」 とは, 平均
的 な 力のあ
る男
性が周囲に散 水 し て制 限された 場 所で あ り, そ こ で は, ち ょ う どサ イ コ ロ
賭事
師が木
球 を 投 げる よ うに , 平 均 的な男
性が 水,あ
るい は砂を手に し て 全力
で撒かね ぽ な ら ない 。 こ の よ うに して 撒か れ た水, あるい は 砂が落ち る とこ ろ , こ れ が 「散 水 し た とこ ろ」 と呼ばれ る。
「これがその 場 合 の 同 等 共 住の とこ ろ, 同 一
布
薩の ところで ある 」 とは , その 川 な どに お い て 散 水に よ り制 限された
境
界は ,等
しく
共 住す
る とこ ろであ
り, 一緒に 布 薩をする とこ ろ で もある , とい うこ とで ある。 し か し, これはそ の 川な どの
内
で の み 可能
な こ とで あ り, 外で は不 可能で ある。 そ れ ゆ え,川 や 自然 湖に おい て は 普通 の 雨 期四 ケ 月 間に水が
覆
うま で の 地 域, 海に お いて は普 通 の 波が覆い
達
する地 域, そ こ か ら内が, 相応
の 地(
kappiya
・bhUmi
)
で ある。 そ こ に とどまれ ぽ,
布 薩
な どの儀式
を行な うこ とが でき
る。[
Re
.p
.8
コ 雨の 少ない 時 とか ,夏
とか, 川 や自然
湖が干上 が っ た時に も, そこ の みが相応の 地 で ある。 し か し, 干 上 が っ た 自然湖に , もし池 を 掘 っ た り, 種蒔
きを す るな らば, その 場所
は村の 地 (gama
−khetta
)
となる。 ま た, これは
相
応の 地 であ る, と言われる とこ ろの外
は散
水境 界
に は な らず
,内
の みがな る。 そ れ ゆ え, そ れ らの 内で, 衆の 周 辺か ら周 囲に 散水 の 制限 が な され な 一
397
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty