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滋賀県栗東市で起きた産廃処分場をめぐる住民運動 : 「ドラマとしての住民運動論」の視座から

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No.54, pp. 11 − 23, 2004

早 川 洋 行

The citizens’

campaign in Ritto City, Shiga Prefecture

about the industrial waste plant: from the view point of

‘A Theory of Citizens’ Campaigns as Drama’

Hiroyuki HAYAKAWA

滋賀県栗東市で起きた産廃処分場をめぐる住民運動

-「ドラマとしての住民運動論」の視座から-

1.ドラマとしての住民運動論 本稿は、「ドラマとしての住民運動論」の視 座から滋賀県栗東市で起きた民間企業(RDエ ンジニアリング株式会社、以下ではRD社と略) が経営する産業廃棄物処分場をめぐる住民運動 を考察する(以下、この問題をRD問題と呼ぶ)。 ドラマとして住民運動論は、これまで日本の 都市社会学や地域社会学で培われて来た運動論 と環境社会学における被害構造論、生活環境主 義、受益圏・受苦圏論を批判することを通じて 生まれた理論である。筆者は、すでに、そうし た先行研究への批判とこの理論の特徴について 別の機会に論じているので、ここでは今後の論 述に必要な最低限のことを確認するに止めたい (1)。むしろ本稿の眼目は、この理論の具体的な 研究への適用を示すことにある。 ドラマとしての住民運動論を、大まかに説明 すれば以下のように言うことができる。 この理論の基本的特徴は、住民運動をドラマ としてとらえる、という点にある。研究者は This article examines the citizens’ campaign about the industrial waste plant from the view point of ‘A Theory of Citizens’ Campaigns as Drama'. It will provide an outline of the drama after an examination of the social structure and political situation in Ritto City, Shiga Prefecture, which provides the stage for this drama, as well as of the character of the citizens’ group and the local government, who are its actors. In addition, as well as establishing the relationship between the actors and pointing out the inevitability of the social structure of the local community spawned by the protest movement, it classifies the development of the movement into three stages. These are when the citizens’ group finds out about the problem, when the citizens’ group and the local government cooperate, and when the two find themselves in opposition. What becomes clear through this process is that the citizens’ group and the local government developed the protest movement via very different social networks, and that the different structural objectives of the two types of organization made their split inevitable. However, this split did not result solely from the discrepancy in the movement's goals, but also from differences in opinion between the administration, specialists and citizens on how the relationship should be structured. In conclusion, it is contended that such movements have the power to build a new community and that it is wrong to judge them only on how they solve a specific problem.

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ドラマを観るかのように住民運動を観るのであ る。一般に人々がドラマを観るとき、そのドラ マを他のドラマと比較してやろうとか、ある認 識枠組みに当てはめて理解しようとか、はじめ から思っている人は少ないだろう。多くの人は、 ドラマを虚心坦懐にといえば言い過ぎかもしれ ないが、せいぜい「おもしろそうだ」程度の期 待をもって観るに違いない。同じように、ドラ マとしての住民運動論は、帰納法や演繹法では なく、解釈法を方法論の根幹におく。研究者は、 何よりも当該の住民運動に対する共感を基本的 態度にして、演繹的手法、帰納的手法も部分的 に利用しつつ、分析を進めるのである。 住民運動をひとつのドラマとしてとらえたと き、それが生まれた地域社会は舞台であり、そ の展開はシナリオであり、関係者はすべて行為 主体(アクター)ということができる。そうし た発想の上に、研究者は7つの課題に答えるこ とを通じて、ドラマを解明することになる。問 われる7つの課題とは以下のごとくまとめられ る。 1.ドラマの舞台となった地域社会の社会構造 と文化を一定明らかにすること。 2.ドラマに登場するアクターの性格と彼らの 相関関係を明らかにすること。 3.ドラマのシナリオがどの勢力からもっとも 影響を受けて生み出されているのかを明らか にすること。 4.ドラマが停滞する/進展する要因を明らか にすること。 5.これまでのドラマの展開においてありえた シナリオと今後のドラマの展開においてあり えるシナリオを示すこと。 6.このドラマが他のドラマと、アクターの性 格・アクター間の相関関係・設定された場面・ 生み出されたシナリオにおいて、共通する点 と相違する点を明らかにすること。 7.このドラマが歴史上にもつ意味を明らかに すること。 この理論は、実証主義に立つ研究がよくそう するように、仮説を立てそれを検証するような アプローチをとらない。また歴史主義に立つ研 究のように、知り得たことがそれ自体価値ある ことのようにも扱わない。そうではなくて、あ くまで現実をドラマとして再構成することを目 指す。いわば事例研究を通して、住民運動の「社 会化の形式」を抽象するというアプローチで あると言ってよい。ジンメルが述べたように社 会化の形式には、観察者と対象との距離のとり 方によって、個別具体的なものもあれば普遍抽 象的なものもある。それゆえ、この方法論は歴 史記述型でも法則定立型でもない。否むしろ歴 史記述型でもあり法則定立型でもあると言えよ う。 またこの理論は、実証主義がするように研究 者を超越的な地位に固定しないし、歴史主義が するように住民と同じレベルに止めようとする ものでもない。住民と目線を共有するとともに より住民を見下ろす視座をももって、運動にか かわり、そしてそれを解明しようという理論で ある。言わば対象に対する半身の構えが特徴で ある。マージナルであることの価値を承認する という点でも、他の理論とは際だっている。  さて、以上が簡単ではあるが、本稿で採用す る方法論の説明である。 ところで、普通にドラマを観る場合でも、観 る人によって、ひとつのドラマのなかでも注目 する対象は異なるだろう。環境問題をめぐるド ラマの場合、一般的に言って運動団体はもちろ ん、行政、企業、マスメディア、専門家、政治 家、はどれも注目する対象になり得ると思われ る。ドラマとしての住民運動論は、そうした登 場人物たちのなかでも運動団体を主人公と考え る。そして運動団体を中核にしつつ、これらア クターそれぞれとの関係を明らかにするもので ある。 しかし、運動団体を主人公にすると言っても、 多様なアクターとの関係性の解明を一度に行う のは困難であるし、かえって分かりづらいもの になると思われる。だから実際には、先述の7 つの課題は、角度を変えた幾度かの考察によっ て明らかになるものだろう。 筆者は、すでに本事例について、それぞれ長 短の違いはあるが、行政との関係、マスメディ アとの関係、専門家との関係に注目して、別の 機会に論じたことがある。そこで本稿では、と くに運動体そのもの、運動体内部の関係性にと くに注目して論じることにする(2)。また、本事

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例の住民運動が未だ終息していないことから も、この考察が、先述の7つの課題への解答に 対して、部分的貢献を果たすものに過ぎないこ とをあらかじめお断りしておく。 2.ドラマの舞台と登場人物 では具体的考察に入ることにしよう。 このドラマの舞台となったのは、滋賀県の南 東部に位置する栗東市である(問題発生当時 は栗東町であるが、煩雑さを避けるため市政が 施行された 2001 年 10 月以前も含めてすべて 「市」として記述する)。栗東市の人口は、問題 が顕在化した 1999( 平成 11) 年時点で 5.5 万 人。現在 (2004 年 ) は6万人である。滋賀県 は今の時代にはめずらしく人口増加県であり、 しかも増加率は全国一を争っている。とくに京 阪神への通勤圏になる南部の人口増加が著し い。栗東市も例外ではなく、人口も世帯数も一 貫して増加傾向にある。 栗東市の場合、こうした都市化の始まりは、 1963 年の名神高速道路栗東インターチェンジ の開業に端を発している。その後、国道1号 線と国道8号線の分岐点でもあるという地理 的好条件もあって、日清食品や積水ハウスとい った大企業が工場を建設あるいは増設していっ た。しかし、何と言っても画期的だったのは、 1969 年に日本中央競馬会(JRA)が、当地 に栗東トレーニングセンター(以下、トレセン と略)を開業したことである。トレセンは、多 くの関連企業とともにやってきた。トレセンが できたことによって、市の人口は一気に増加し たばかりではなく、市の財政規模も大幅に拡大 することになった。 また 1991 年には市内二つ目の駅である栗 東駅(東海道本線)が開業し、人口増にさらに 拍車がかかった。2001 年 10 月に市制施行 。 2002 年には新幹線の新駅が市内に設置される ことも決定し、今後もこうした都市化傾向が続 くと考えられている。 近年の不況に加えて、そうした開発と人口増 による諸需要の増大によって、栗東市の財政は 逼迫してきている。しかし、2002 年まで 21 年連続の不交付団体であり、県内の他の自治体 と比較的すれば、かなり恵まれた財政事情にあ るといってよい。 栗東市の政界について述べよう。I市長は、 農協の専務理事などを経て助役を 1968 年から 1976 年まで務め、1982 年に初当選。以来5 期連続で市長を務め市制施行に伴い初代市長に なった。ただし5期目は、高齢と患った脳疾患 の後遺症のため職務遂行能力をかなり低下させ ていた(3) 市議会の構成は、ここ数期安定しており、 20 人の議員のうち共産党が2∼3名と公明党 が1名、民主党系の議員が2∼4名の全部で3 割から4割ほどで、残りは保守系の議員である。 現在、女性議員は3人。最近3期を調べた限り では、全議員のうち新住民は6∼7人で、人口 割合とはちょうど逆に旧住民が7割を占めてい る。市議会議員選挙は、いわゆる地縁が優先さ れ各候補者は政策や政党というよりも地元を代 表する者として選挙戦に臨むことが多い。また 県議会には、自民党と民主党それぞれ1人ずつ の議員を出しているが、いずれも元町議会議員 である。 では、住民運動の発端になった出来事につい て述べることにしよう。 1999 年の夏、市内の一般廃棄物を処理する 環境センターの建て替え問題がもちあがった。 市は当初RDF(固形燃料)方式を検討した。 三重県で同方式の火災事故が起きる4年前のこ とであり、当時、RDF方式はゴミを燃料化す る方法としてけっして低くない評価がなされて いた。しかし、ゴミ問題に詳しい人々から、そ の有効性について疑問の声があがった。中心と なったのは、「新日本婦人の会」が主催したゴ ミ問題のドイツ視察旅行にも参加したことがあ るT j さんである。彼女は、仲間を集めRDF 反対の運動を開始する。そして、その運動のな かで市内にある民間の産廃処分場でガス化溶融 炉という新型炉が建設中であることを知るに至 った(4) ガス化溶融炉は、高温で廃棄物を燃やすため ダイオキシンの発生が少ないことが販売上の宣 伝文句であったが、国内での稼働実績がほとん どなく、またドイツでは事故を起こしているこ となどからその安全性が不安視されていた。ま た、廃棄物の分別は無用であり炉内の高温を常

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時維持するため大量の廃棄物を投入し続けなけ ればならないことが、廃棄物の抑制と分別とい う方針に逆行することや廃棄物の運搬に伴う交 通問題が起きることが不安視されていた。T j さんたちのグループは、この民間産廃処分場の 周りの住宅地に住む住民たちに危険と問題を訴 える啓発活動を展開する。やがて、この活動は 功を奏し産廃問題に対する住民の関心は徐々に 高まって行った。 ここで、当該の産廃処分場とその周辺の状況 について説明しておこう。 既に述べたように、この産廃処分場は、民間 企業が経営する施設で、この企業は、県より産 業廃棄物の収集・運搬、中間処理、最終処分の 免許を得ていた。また、市より、一般廃棄物の 収集・運搬の免許を得ている。処分場は破砕や 焼却を行う中間処理施設と安定型の最終処分場 とを兼ねており、当該企業はこの処分場とは別 に他県に管理型の最終処分場を有している。R D社の社長は、I市長の甥、専務は市の助役の 息子であり、市議会には元従業員の議員が一人 おり、先に述べた二人の県議会議員のうちの一 人である自民党の県議は、その市議会議員の親 族である。処分場の土地の一部は、I市長の私 有地であり、I市長の妻が当該企業の有力株主 になっている(5) 処分場は、Yの字のように県道が走る内側に 作られており、ちょうどY字のうちV字を形作 る山の谷間になっているので二本の県道からは 内側が伺い知れないようになっている。主な施 設としては、Yの字の交差地点当たりに県の工 業技術センターがあり、処分場の北側 300 メ ートルには県立高校が立地している。 周辺には集落が6つある。ここでは、処分場 を中心に時計回りにA∼F集落と呼ぶことにし よう。各集落の特徴は次のとおりである ( 図1 参照 )。 A集落。30 軒ほどの一戸建住宅があり工場・ 事業所・倉庫等もある。集落の中でもっとも処 分場に近く、団地は巾 4.5 メートルの私道を挟 んで隣接している。この団地は処分場ができる 以前から開発されていたものである。住民は皆 移り住んできた人たちである。近くにバス停は なく、やや不便なところにある 。 団地内の道路 は未だ私道であり、都市計画法上は市街化調整 区域になっている。 B集落。30 軒ほどの一戸建住宅がある。大 きな家が多い。古くからの集落であり、農業を 営んでいる世帯が多い。RD社の社長の自宅も ここにある。市街化調整区域。 C集落。35 軒ほどの一戸建住宅。市街化調 整区域であるが、1970 年代前半ごろから徐々 に開発された。新住民が住む小規模住宅団地と 言ってよい。 D集落。周辺では最も新しい住宅団地で、出 来たのは 1989 年である。住宅都市整備公団が 分譲した団地で 70 軒ほどがある。バブル景気 の中でもあり、宅地購入のための抽選はかなり の高倍率であったと言われている。第一種低層 住居専用地域。 E集落。1972 年に市が造成して販売した一 戸建分譲地である。170 軒ほどがある。B、C、 D集落の近くのバス停は1カ所であるが、E集 落は2カ所を利用可能である。市が分譲主体で あったこともあり、市内から移ってきた人が多 い。第一種低層住居専用地域。 F集落。1970 年に入居が始まる。三つのバ ス停が利用可能な 430 軒の地域最大の住宅団 地である。第一種低層住居専用地域。民間業者 が開発分譲した団地で、E集落とは違って入居 者が以前住んでいたところは全国さまざまであ る。 この事件に登場するのは以上の6集落に加え てもう一つある。この集落をG集落と呼ぼう。 この集落は、処分場からは 1,600 メートルほ ど離れているが、処分場北西側に隣接する農業 図 1

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用ため池を所有しており、D・E・Fの集落と 大字の地名を共有している旧村である。I市長 の家はこの集落にあり、RD社の社員も住んで いる。農家は 35 軒 、 全体では 140 軒ほどで 構成されている(6) 3.住民運動の発生と展開 T j さんの活動に話を戻すことにする。 T j さんたちは、活動を徐々に活発化させ、 やがて 1999 年 10 月 9 日、JRA労組 ( 全国 競馬労働組合 ) の支援を受けて市民運動団体 「産廃処理を考える会」(以下、「考える会」と 略)を立ち上げる(2003 年現在構成員 400 名 )。 こうしたT j さんたちの呼びかけに最も敏感に 反応したのは、D・E・Fの集落に住む主婦たち であった。彼女たちは近隣の知人たちを集め「有 志の会」を結成し、「考える会」の活動を支援 しつつもそこからある程度自律的に活動し始め る。この組織はPTA活動を通じて知り合った 主に 40 代の主婦層の人々で構成され、彼女た ちは後にPTAや教育委員会への働きかけでも 活躍する。 こうした活動は、住民ばかりではなくRD社 をも刺激した。RD社は、各集落を回って住民 に対してガス化溶融炉の説明会を開く。会社側 は、この説明会によって住民たちを沈静化させ ようとしたと思われる。ところがそうした思惑 は全く外れ、説明会は地域住民たちの不満が一 挙に爆発する場となった。 説明会は、9月下旬からG→B→D→E→F の集落の順で開かれたが、とくに激しかったの は、最後になったF集落の説明会である。 F集落の住民たちの多くは、すぐ近くに産廃 処分場があることを知らなかった。ガス化溶融 炉の建設についても、知るのは自治会長と一部 の自治会役員のみであった。「有志の会」の活 動や「考える会」の活動によって、そのことを 知ることになった住民たちは、説明会前に連れ 立って、あるいは個人で処分場へ行き、初めて 実態を知ったのである。住民たちが目にしたの は、作られつつあったガス化溶融炉ばかりでは なかった。敷地境界も曖昧なまま医療器具や金 属類が混然となって散乱している最終処分場の 有り様であり、排水が異臭を放って泡立つ情景 であった。 説明会が、RD社側への批判と質問が集中し、 新型炉の説明どころではなくなったことは当然 だろう。深夜午前3時まで続いたこの「説明会」 は、逆に住民側がRD社の社長に対して処分場 に立ち入って土壌や水を検査のために採取する ことを認めさせる確認書を取りつけて終わる。 この説明会は、結果的に「有志の会」の活動 を自治会としての正式な活動に引き上げる効果 をもたらした。F集落はすぐさま自治会の臨時 総会を開催し、対策委員会を設置することを決 定。この動きを知ったD・Eの集落も追随して 対策委員会を立ち上げる。D・E・Fの各集落で 対策委員会が立ち上がったことを受けて「有志 の会」は解散し、メンバーはそれぞれの自治会 内組織に吸収された。 F集落の対策委員会は、T j さんとも連絡を 取り合い、A・C・D・E・Gの各集落の自治会に 呼びかけて、1999 年 11 月 28 日に産廃処理 問題合同対策委員会(以下「合対」と略)を結 成する。6自治会と1市民団体が結集した住民 運動団体の形成である。 こうした住民側の対応態勢作りが進む一方 で、処分場では事件が起きていた。10 月 11 日、 A集落の住民の異臭がするという消防署への通 報をきっかけにして、処分場からA集落の道路 側溝へ引かれた排水管から硫化水素ガスが出て いることが明らかになったのである。しかし、 この事件に対して行政側の対応は鈍かった。そ もそも法律は、安定型の処分場から有毒ガスが 排出されるということを想定していない。監督 官庁である県は、ガスが出ている箇所を塞ぐ応 急処置を施したものの、その後の具体的対応を 示せなかった。住民たちは処分場の調査を要求 したが、県は私有地であるという理由で、県は 場内への立ち入り調査を渋った。ここでF集落 の説明会での確認書が効くことになる。結局「説 明会」においてRD社が住民側と取り交わした 確認書を根拠にして、県の手による処分場内の 調査が行われることになった。 こうして実施された調査はやがて事態の深刻 さを明らかにした。処分場内の地下から 2000 年 1 月 に 15,200ppm、7 月 に は 22,000ppm という高濃度の硫化水素が検知されたのであ

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る。ちなみに硫化水素の致死量は 700ppm 程 度と言われている。以後、埋め立てられた廃棄 物の問題は、ガス化溶融炉の問題と絡み合いな がら、運動の重要なテーマとなる。 運動団体の動静に話を戻そう。 「合対」の代表には、当初G集落の自治会長 が就任した。これは、それ以外の集落は新住民 で構成されていることから、各集落から「合対」 委員として選ばれた人たちの間からも「われわ れはいわば『分家』。地域を代表するのは昔か らある『本家』が筋」という声が多かったから である。ところが、G集落は、2000 年 1 月に 「合対」を脱会することになる。「脱会届」には、 その理由について次のように書かれている(7) 「産業廃棄物処理場問題(硫化水素発生原因 とその対策)については行政の手法に賛同して いくことに致しました。又、建設中のガス化溶 融炉の運転についても、(中略)公害防止協定、 保障問題、情報公開等を結んで県と市の指導の もとに私たち住民が安心して生活できる状態で あれば問題は無いと判断致しました。さらに今 後の合同対策委員会の決議事項に対しての活動 と資金の捻出からも検討しました結果、G行政 区役員会として不可能と判断致しました」。 この文章だけからはわかりづらいが聞き取っ た内容も総合すると、①市長の地元であり行 政に対立する行動は取りにくかったこと、②農 業用ため池の安全性には強い関心があったもの の、距離が離れていたこともあり、それ以外の 処分場の問題には関心が薄かったこと、③実際 上、限られた人数の高齢者リーダーが運営する 組織で、人的そして物的な資源が乏しかったこ と、などが脱会の原因になったものと思われる。 「合対」は、RD問題に関して住民側を代表す る組織であったが、住民側の活動が「合対」だ けであったわけではない。「合対」に加盟する 個別団体が独自活動を展開することもあった。 とくにF集落の対策委員会と「考える会」は、「合 対」結成後もかなり積極的に独自活動を行い続 けた。 F集落の対策委員会は、専門家からの意見聴 取や情報公開制度を利用した情報収集、独自の 学習会活動、バザーによる活動資金調達、小学 校PTAへの働きかけ、教育長への子どもの安 全に関しての対応要望、そして都市計画法違反 容疑でのRD社告発などを行った。なかでも目 立った成果は、情報公開制度を活用してガス化 溶融炉の地盤が18メートルのゴミの山である ことを解明したこととRD本社屋の都市計画法 違反問題を追及し、業者をそこから立ち退かせ たことだろう。 「考える会」も、「合対」としての活動とは別 に、次々と様々な専門家を招いて講演会や学習 会を行った(8)。また、市庁舎へのデモ、署名活 動、市・県との交渉と要望書の提出、公害調停 における協議、元従業員への聞き取り調査とそ の証言集の刊行などを行った。「考える会」には、 合同対策委員会が立ち上がるころから、T j さ んの夫である市民運動家で医師とフリーライタ ーの両方の肩書をもつT k 氏が運動に加わるよ うになり、運動の力は格段と増して行った。 「合対」は、2000 年 2 月には、900 名を集 める「町民大集会」を成功させ、3 月には市内 自治会の連合組織である区長連絡協議会を通じ て市長と市議会へ要望書を提出。6 月には業者 の違法操業を解明し有害物を撤去させること等 を求める 3,700 筆の署名を県議会へ提出。厚 生省への陳情も行う。7 月には県議会に「処分 場の実態解明と有害物撤去など適正な処置」を 求める請願を提出し採択を得る。そして 8 月 には、市に対して住民が参加する環境調査委員 会を作らせることに成功する。また、この間を 通じて似たような問題を抱える各地の住民運動 団体からの視察や交流の窓口になって、その活 動の情報を全国に広めて行った。 しかし、住民たちの運動がすべてうまくいっ たわけではない。RD社は住民側との直接交渉 を拒否したので、住民たちの交渉相手は行政体、 すなわち産廃処分場の監督官庁である県や地域 住民の生活の安全を託された市にならざるを得 なかった。 また「合対」は、市議会へRD社の責任を糾 明する請願を出そうと試みたが、その場合の 対応についてアンケートに返事を返したのは 4 名の議員だけだった。そして、県が作った硫化 水素問題調査委員会は、5 月に硫化水素の発生 原因は合法的に埋め立てられた石膏ボードと発 表、9 月には処分場を覆土する対策案を提案し

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た。しかし、この県調査委員会の結論が出るや いなや、住民側は、すぐさま 50 名ほどで県庁 へ押しかけ、これは「臭いものは蓋」という安 易な解決方法であるとして猛烈な抗議を行って いる。 そうした攻防が続いた 2000 年 11 月、突如、 市の(先述したように息子がRD社の専務を務 めている)助役が「合対」へ、ガス化溶融炉を 解体撤去するかわりに運動をやめるという斡旋 案をもってくる。「合対」はその申し出を取り 合わなかったが、2001 年 2 月になってRD社 は、一方的にガス化溶融炉の解体撤去を発表す る。住民運動によって炉の稼働のメドが立たな いまま、維持管理費だけがかさんでいくことが 決断の理由であった。 これによって、いささかあっけなくガス化溶 融炉の稼働阻止という住民運動の当初の目的は 達成され、住民運動は一定の勝利を収めたので ある。 4.運動の分裂 こうして 1999 年秋に始まった住民運動は、 2001 年の春には一応の決着をみる。しかし、 住民運動はこれで終結というわけにはいかなか った。 時期的に年度の変わり目でもあったことか ら、「合対」では、今後の組織の在り方をめぐ って話し合いが持たれた。運動の発端となった ガス化溶融炉は解体撤去が決まったものの、埋 め立て処分された廃棄物からガスが発生してい るという問題については未解決であった。また 周辺住民からは体調不良を訴える声が根強く、 住民に対する健康調査を行政に実施させること が課題になっていた。そうした中で処分場に隣 接しガス被害を直接受けるA集落の対策委員会 からは、運動の継続を求める要望が出された。 これを受けて、「合対」は存続を決定する。 ただし、メンバーは大幅に入れ替わることに なった。自治会の役員は、通常1年交替が原則 である。会長に限り数年継続することが慣例に なっているAとEの集落を除いて、各自治会は 会長を含めて全役員は1年交替であった。ただ し、この問題は特別な事案であったので、自治 会から選出された「合対」のメンバーのほとん どは、ここまで交替せずにやってきていた。そ うしたメンバーは、これを機に交替することに なったのである。 「合対」は、G集落が脱会後、E集落の自治 会長だったY氏が代表を務めてきた。Y氏は、 「合対」委員の中で最高齢であり、元公務員で あるため保革を問わず幅広い人脈をもっている ことから適任とされたのである。しかし、「合対」 の決定は全会一致を原則としたので、代表の意 見が全体に浸透するというよりも、全体の意見 を代表が述べるというかたちで運営されてきた と言ってよいだろう。内部での意見の統一は、 しばしば困難を極めたが、それでもこれまで何 とかやってきたのは、ガス化溶融炉撤去という 共有する目的があったからである。その目的が なくなったとき、「合対」の運動に対する意味 づけは構成団体によってバラバラであった。 A集落は「合対」の運動によって自分たちの 生活環境の改善、とくにガス問題の解決を期待 した。「考える会」は処分場の全容解明、埋め 立てられた有害物の全面撤去のための運動を期 待した。そして、F集落は地域をより良くする ことへの意義を認めたこととA集落の問題は未 解決であることから「近隣互助の精神」から「合 対」存続に同意したのである(9)。こうしたなか で、自治会から選出された委員の多くが交替し たことは、「合対」内部での「考える会」の発 言力を相対的に増大させた。そして、目に見え る改善を一刻も早く実現させようというA集落 の主張は、「安易な幕引きは許さない」という「考 える会」の主張に、しばしばかき消され、A集 落の不満は蓄積されて行った。 一方、「合対」が市に作らせた環境調査委員 会は、2001 年 8 月に「合対」加盟の各集落か らの委員とそれ以外の自治会から選ばれた委 員、4名の専門家で構成されたが、1 年経った ころから本格的に機能し始める。2001 年 10 月には生活影響調査によって周辺住民の生活被 害を解明、周辺地下水調査によって廃棄物によ る汚染を確認、12 月には、硫化水素以外に 11 種類の有毒ガスが発生していることをつきとめ る。こうした活動は、以前の県の調査委員会に よる調査結果とその評価を覆すものであった。 2001 年 9 月、県は許可区域外に廃棄物が埋

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め立てられていたことへの制裁として、RD 社に対して1カ月の業務停止命令を出す。そし て、10 月には、今後の処分場の問題に対して 協議する対策会議を作ることを「合対」に呼び かける。しかし、「合対」はこれを無視。する と県は、年末になってRD社に処分場の改善命 令を出す。その内容は、①必要な範囲を掘削し、 廃棄物を移動させ、浸透水の流出防止策を取る こと②処分場から出る水の処理設備を設置する こと③A団地側の廃棄物による斜面を後退させ ること④汚水処理のための沈砂池を設置するこ と、の4項目である。しかし、RD社②∼④に ついて約束したものの①の項目については環境 省に不服申し立てを行ったので、命令は実行さ れないまま宙に浮いてしまう。 2001 年を通じて、住民側と県との闘争の焦 点は主として地下水問題であった。市の環境調 査委員会がそれなりに機能し始めたこともあっ て、住民側の矛先は行政体のうち県だけに向け られる。そして、県に対して、処分場の全容解 明、埋め立てられた有害物の全面撤去を求める 運動が展開された。これは、「考える会」の主 張に沿ったものであり、改善命令を引き出すな どそれなりの成果もあったが、「考える会」以 外のメンバーにとっては必ずしも満足いくもの ではなかった。というのも地元の自治会にとっ てみれば、地下水よりも有毒ガスの問題のほう が切実であったし、問題解決が長引くことによ って地域のイメージが悪くなることも心配であ った。やがて「『考える会』は原則論に片寄り 過ぎている」「『考える会』は「合対」を隠蓑に している」という声が頻繁に聞こえるようにな った。さらに「考える会」が、運動の初期段階 から住民側を支援してくれていて、住民たちに 信頼の厚かった廃棄物問題の専門家であるS氏 とトラブルを起こしたことや、F集落から市の 環境調査委員会を拡充させるべきという提案が 出されたことに対して、住民参画で問題を解決 しようというのは「幻想」だとして仮借のない 批判を行ったことも内部対立を深めることにな った。 2002 年度を迎えるにあたって、A集落とF 集落を中心にして、「合対」を「地域再生」を コンセプトにした新組織に再編成しようという 提案が出される。処分場のすぐ近くには、市営 の健康運動公園の設置が計画されていた。また 処分場をかすめる形で国道1号線のバイパスが 通ることになっていた。そうしたことを含めて、 この処分場とその周辺地域の問題を考える地域 住民組織にしようという提案である。しかしこ の提案には、「処分場問題はまだ終わっていな い」として「考える会」が反発する。結局、A 集落の生活環境改善問題を最優先すること、副 代表をA集落から出すこと、組織内融和に努め ることなどの確認によって妥協がはかられ、い ったん「合対」はこれまでのまま存続すること で決着する。しかし、これは表面上を取り繕っ たに過ぎなかった。9 月になってA集落が「合 対」から脱会、それを追うようにしてF集落も 脱会し、「合対」は四分五裂することになった のである。 さて、その後の情勢について若干付け加えて おくことにしよう。 まず政界の動き。2002 年 10 月に行われた 市長選挙では、I市長が引退しT助役が後継者 として立候補したが落選。栗東市青年会議所の 支援を受けて、それまで全く政治経験がなかっ たK市長が誕生する。また 2003 年 4 月の市 議会選挙では、この運動にかかわった 3 名の 候補者が立候補し、いずれも当選、しかもうち 1 名はトップ当選であった。K市長は、2003 年 12 月には、産廃処分場へ市が規制を加える ことができるように生活環境保全条例を改正す るなどこの問題の解決に強い意欲を見せてい る。 環境省は、2004 年 2 月になってRD社の不 服申し立てを棄却した。これによって、改善命 令はすべて実現されることになったが、2004 年 8 月段階で未だ①の工事は着手されていな い(その他は実現)。また、処分場を今後どの ようにしていくのかという計画については、国 が産廃特措法の対象に「最終処分場等に使用さ れていた場所で産業廃棄物の処分時点の処理基 準に適合していない処分が行われた結果、周辺 の生活環境の保全上支障が生じている場合」を 加えたこととも関連して、未だはっきりしてい ない(10) 住民側は、これまで述べてきた紆余曲折を経

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て、始めから静観を決め込んだB集落、初期に 運動から脱落したG集落、後に「合対」から脱 会したA集落とF集落、そして「考える会」・ C集落・D集落、E集落で構成する「合対」に 分かれている。「合対」は県に対して③の「A 団地側の廃棄物による斜面の後退」という項目 の実施に先立って、処分場を調査することを要 求。これにA集落、F集落が反発して、F集落 は県に対して独自で要望書を提出し、調査は不 当な公金支出だとして監査請求を行うなど、住 民側は多極的な動きを見せている。  また栗東市の環境調査委員会は、処分場周辺 の地下水調査において水銀や環境ホルモン等の 異常値を発見し、滋賀県に早急な対策を求めて いるが、県は、「まず改善命令の実行が先決」 との立場で、こうした問題について栗東市や住 民側との具体的協議、交渉に応じようとしてい ない。 5 各主体の相関と時期ごとの特徴 各アクターの相関を示しておこう。行政側 は、環境省(旧厚生省)−滋賀県−栗東市のヒ エラルヒーが堅持されていて、栗東市と環境省 (旧厚生省)とのルートは事実上閉ざされてい る(11)。これに対して、住民側は国・県・市に 対して自由に連絡をとっている。市民運動団体 は、政党や労組と関係をもっているが、革新系 の組織に限られる。自治会は、区長会や保守系 の議員にもルートをもつ。また、先に述べたよ うに、「合対」は県の内外を問わず他の住民運 動団体との交流の窓口になってきた。 専門家は、二つの集団に分かれている。県が 作った「硫化水素問題調査委員会」は、環境省(旧 厚生省)の廃棄物問題の委員をも務める京都大 学のT教授が委員長を勤め、他は滋賀県立大学 の教授と栗東市教育長であり県立短大の元教授 の三人であるが、覆土案を答申した後は事実上、 休眠状態である。 市が作った環境調査委員会(正式名称「(株) RDエンジニアリング産業廃棄物処分場環境 調査委員会」)は、当初は、住民側から推薦さ れた同志社大学のY教授と民間研究所の研究員 S氏(前掲S氏と同一人物)、市が推薦した二 人の私立大学教授であったが、市から推薦され た教授のうち1名は別の県立大学助教授に交替 し、S氏は退任している。また地元と地元以外 の住民(自治会長)も加わっており、委員長は、 F集落から推薦された住民である。 住民運動の歴史を振り返ってみると、「合対」 が立ち上がるまで、その後ガス化溶融炉解体決 定頃まで、そして「合対」分裂までに分けるの が適当だろう。年月で示せば 1999 年 9 月の まで、2001 年 3 月まで、2002 年 9 月までで ある。それぞれの時期を第 0 期、第1期、第 2 期とすれば、時期毎の特徴を簡単にまとめれば 次のように述べることができる。 第 0 期。運動グループによる問題の発見。 住民や既存組織への啓蒙活動の展開。5 期連続 の市長のもとで権力構造が固定化していたこと で、市長と縁故をもつ企業をめぐるこの問題に 対して既存の地域政治システムが問題を回収で きず、そこから比較的自由であった新興住宅地 の住民の間に運動が広がる。市民運動が住民運 動との連携を成功させる。 第 1 期。市民運動と住民運動との対抗的相 補性が機能し、運動が本格化する。情報公開制 度を利用した情報収集活動のほか、市民運動団 体ルートでの専門家や労組の支援、自治会ルー トでの区長会、PTAへの情宣活動等が功を奏 して、全市的な問題認知が達成される。これに 対して滋賀県は、処分場改善について専門家に 提言を出させ、それを根拠に事態の収拾を図る。 しかし、これは失敗。住民側は、逆に県議会で 請願を採択させることで問題を県政上の争点に 格上げさせるとともに市に調査委員会を作らせ ることで、県による調査結果を批判する橋頭堡 を築くことに成功する。 第 2 期。ガス化溶融炉が撤去されたことと メンバーの交替によって、市民運動と住民運動 とバランスが崩れるとともに両者の利害の不一 致が表面化する。その結果、運動体は内部での 主導権争いがしばらく続いた後に分裂。県は、 RD社に改善命令を出したことを理由に新たな 対応を停止する。一方この問題を契機にして既 存の地域政治システムへの信頼が低下したこと で、市長による助役への政権禅譲は失敗すると ともに、新たな地域政治システムの萌芽が生ま れる。

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6.市民運動の論理と住民運動の論理 この住民運動に特徴的な点は、市民運動団体 と自治会との強調と対立が見られたことであ る。そこで、次にこの点に焦点を絞って市民運 動団体と自治会の行動原理について考えてみよ う。 長谷川公一は、市民運動と住民運動の違いに ついて、下表のような簡潔明瞭な指摘をしてい る(表1参照)。この指摘は正鵠を射ており、 本件の場合にもほぼ妥当していると言ってよい だろう。ただし唯一、当該事例においては、関 与特性の項目はあてはまらないことを指摘しな ければならない。この問題にかかわる市民運動 団体である「考える会」の活動は、「支援者的 関与」というレベルを越えていた。むしろ「考 える会」は当初より一貫して「支援者」という よりも「当事者」といして運動にかかわってき たと言うべきだろう。 これは、環境社会学の主要理論の一つである 受益圏・受苦圏論の限界を示す事例だとも言え る。すなわち、受苦圏と言っても、それを客観 的に規定することは、それほど簡単ではないこ とがある(12) 先述したように「考える会」は、RDF方式 による環境センターの改築反対運動から生ま れ、ガス化溶融炉の稼働反対、地下水汚染防止 とテーマを変えて活動して来た。県内には他に RDF製造施設もあるし、ガス化溶融炉建設問 題も、そして地下水汚染問題もある。しかし、「考 える会」はそうしたテーマを追及することはし なかった。「考える会」は、栗東市の廃棄物問 題に執着し続けた。つまり「考える会」の人々 は、RD問題を栗東市民の懸案としてとらえて いる、と言ってよいだろう。これに対して自治 会は、この問題を自分たちの地域の問題として とらえる。この場合地域とは、せいぜい小学校 区程度の広さの範域である。自治会の人々にと ってRD問題は、何よりも地域社会の危機なの であり、そうした認識が自治会として活動する ことに正当性を付与している。 両者はともに受苦を訴えるのだが、一方は栗 東市民としてであり、他方は地域住民としてな のである。基本的には「考える会」は普遍主義 的な目標に結集した市民運動の性格、自治会は 個別主義的な住民運動の性格をもっている。言 い換えれば、「考える会」の運動目標は価値実 現に重点をおくものであったのに対して、自治 会の運動目標は生活防衛に重点をおくものであ った。ただし、「考える会」の普遍性は市域に 限られる。したがって「考える会」は、住民運 動的性格も有す限定的な市民運動団体と見なし てよいだろう。 運動スタイルという点からみると、自己組織 を中心に考える志向と他組織との協調を図ろう とする指向という二つの志向性を指摘できる。 「考える会」が自己組織中心性をもつことは、 三つの自治会が脱会するにあたって何の対応も 取らなかったことや市の環境調査委員会を拡充 することに反対したことなどに見て取れる。こ れにたいして、「合対」に残った自治会は、個 出典:飯島伸子編『環境社会学』有斐閣ブックス ,1993 年 ,104 頁。 表 1

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人的または組織的に、脱会しようとする自治 会を引き留めたり協議の道を残そうとしてきた し、市の環境調査委員会を拡充することにも反 対しはしなかった(13)。ただし、G集落、A集 落の自治会のように、最終的には独自の利害を 優先させたところもある。 運動目標と運動スタイルを縦軸と横軸にし て、各団体の行動原理を整理すると次のように なる(図2参照)。 周知のように、自治会は、原則全戸加入で地 ついては、次のような図を描くことが可能であ ろう(図3参照)。 第 1 期には、「合対」は自治会主導のもとに 住民参画で解決を図ろうとしたF集落の主張 と、市民運動団体が指導する下で行政と対峙し 要求して解決を図ろうとした「考える会」の主 張を両極にして、その他の自治会が緩衝役とな って、活力ある運動が展開された。この二つの 団体が「合対」の運動をリードしたと言ってよ い。このバランスが崩れたのが第 2 期であった。 ただし、「合対」分裂後も、運動全体としてみ ればこの構図は基本的に変わっていないとも言 える。 7.問われた三つの関係性 栗東市は、豊かな財政に恵まれてきたことも あって、これまで目立った政治的争点もなく旧 来の地域政治システムを温存させてきた。しか し、一方で市民のなかに地元とのかかわりが薄 い新住民が増え、そうした住民の感覚と政治シ ステムを担う行政職員や議員の感覚との乖離が 生まれていた。この住民運動は、そうした矛盾 を露呈させた事件であったとも言える。新しい 議員や首長の誕生は、この事件が大きく影響し たことは確かではあるが、地域社会における地 域政治システムの矛盾が臨界点に達しつつあっ たということでもあろう。 ところで越智昇によれば、明治憲法下におい て「住民」という言葉は、「『公民たるの権利・ 義務』を負うことで政治参加を認められた」人々 (公民)以外の「名誉職の指導のもとに行政体 に隷属する義務を課せられ」た大多数の存在を 意味した。それゆえ越智は「住民運動にいう『住 民』は居住点で行政の客体としての自己を否定 した主体の主張である」と述べる(14)。とする ならば、「合対」を構成した住民たちは、自治 会と市民運動団体を問わず、政治主体として覚 醒した、新しい「住民」たちであった。 しかし、地域社会に発生した問題を解決しよ うとするとき、それがいかなる問題であったと しても、自分たち以外の人々との協力は欠かせ ないだろう。つまり、住民がそれまでの自らを 否定して、ギデンズのいうような「埋め込まれ た社会」から脱したとしても、あらためて信頼 図 2 図 3 域住民の生活全般にわたる親睦と互助の機能を 有する組織である。これに対して、市民団体は 特定目的の実現のために、自由意志で個人が加 盟する組織である。それゆえ前者の運動目標は 生活防衛に、後者の運動目標は価値実現に異な らざるを得ない。にもかかわらずC・D・Eの 集落の自治会は生活防衛ではなく価値実現の志 向性を強めている。これは「考える会」による インボルブメントの結果であると言ってよいだ ろう。こうしたインボルブメントが成功した要 因としては、これらの自治会では、強力なリー ダーが存在せず、他団体に依存しながら活動せ ざるをえなかったことと処分場から一定の距離 があり切迫した危機感が少なかった、という二 つの点をあげることができる。 また「合対」の運動方針のバリエーションに

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関係を築いていくことを通して、その社会を作 り変え、あらたな社会を作って行くことが必要 になる。この事例を振り返ってみると、それは 三つの関係性のなかで問われていたことを指摘 できる。 第一は、行政との関係である。この点は、先 に運動方針のバリエーションとして述べたこと である。住民運動の発生は、多かれ少なかれ行 政体の対応が不十分であることに起因している (15)。したがって、住民運動にとって行政を批 判し変えて行くことは至極当然の行為である。 しかし、住民参画制度を活用して内から変える のか、議会の力や大衆行動によって外から変え るのか、戦術は多様にありうる。またそれを主 張する上で最も適切な時期というものもあるだ ろう。住民運動団体は、その難しい見極めを迫 られる。 第二は、専門家との関係である。専門家は、 行政体の政策に正当性を付与する存在である と同時に、住民運動にとっても強力な援軍にな る。県の調査委員会に対して住民たちは信をお かず、自分たちで味方になってくれる専門家を 捜し出してきて市の環境調査委員会という活動 の舞台をもしつらえた。このことの効果は絶大 だった。しかし、住民と専門家との関係がうま く維持されるには、両者の指向性の一致が欠か せない。すなわち、住民側は専門家を専門的な 問いに答えるだけの存在として扱うのか、人格 的なものも含めた「もう一人の住民」として遇 するのか、という問題である。この問題は当然、 専門家側がどうのようにかかわりたいのかとい うことにも関係する(16) 第三に、住民同士の関係である。「合対」の ような連合体組織が生まれた場合、全体として の内部一致とそれぞれの活動の独自性の許容を 分ける境目をどこにおくのかという点は、極め て難しい問題である。とくに特定の目的のため に組織され個人参加に基づく市民運動団体と地 域生活全般に関わる目的を持ち世帯単位で加盟 する自治会では、組織の性格が全く異なってい る。それを調整しつつ運動の成果を上げるため には、慎重な配慮が求められる。 この事例を通して読み取れることは、政治・ 行政権力と知的権力に対してどの程度の信頼 をおくか、そして、具体的活動を通じて住民自 身が自分たちの間の信頼関係を強固にして行く ことができるかが問われ続けたと言うことであ る。 「合対」の分裂を、ただ単に市民団体と自治 会との相違と解釈するのは皮相な見方である。 それぞれの団体間での運動目標の不一致という 点とは別に、こうした三つの関係性構築をめぐ っての意見対立が伏在していた点を深慮すべき だろう。 行政と専門家については、さらに詳しく考察 すべき問題もある。しかし、ここでそれらにつ いて述べることやめておく。冒頭でも述べたよ うに事件は終息した訳ではなく継続している。 現段階で言えることは限られている。 ただ自治会の運動に限って付け加えるなら ば、良かれ悪しかれ、多くの住民にとってこの 問題が自分たちの地域を考える大きなきっかけ になったことは疑いえない。病からの回復が元 通りの体ではなく、より丈夫な体を生むことが ある。地域社会をひとつの体と考えたときも同 様ではないだろうか。 「アールディに感謝せなあかんなぁ。この問 題がなければ、うちら知り合いにならへんかっ たもん」。 この運動の中核メンバーとして活躍した、あ る主婦が発した言葉である。この言葉には、単 にこの問題の解決ということを越えた「新しい 地域社会」へのすべての可能性が潜んでいるよ うに思う。 (1) 早川洋行 2004 を参照。 (2) 早川洋行 2002a、2002b、2002c を参照。 (3) 各種行事で、用意された原稿を棒読みする姿が 見られたことは多くの人が証言していることで ある。 (4) その後栗東市はRDF方式を断念した。 (5) 『滋賀報知新聞』平成 12 年 9 月 14 日付 。 (6) 2000 年の国勢調査によれば、35 軒の農家の 内 訳 は 第 1 種 兼 業 1 戸、 第 2 種 兼 業 19 戸、 自給 15 戸である。 (7) 2000 年 1 月 21 日付「合対」資料。2000 年 2 月 19 日F集落対策委員会資料。 (8) 2001 年 3 月 15 日付「合対」資料。 (9) 「考える会」は、少なくとも7人の専門家とコ ンタクトを取っている。こうしたことに対して、 F自治会からは「人を使い捨てにした」と批判

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の声が聞かれた。 (10) 環境省廃棄物・リサイクル対策部「『廃棄物処 理法の一部改正』及び『産廃特措法』につい て」『ジュリスト』1256 号(2003.11.15)64 頁。住民側は行政にこの法律の活用を求めてい るが、県は判断を保留している。 (11) この点は、栗東市の調査委員会においてビスフ ェノールAが高濃度で検知された際、委員の 国に判断を問い合わせるべきだという意見に対 する市の環境経済部長の返答に端的にみてとれ る。「直接ですね。市町村が、前にも申し上げ たと思うんですけども、直接市町村から本庁に 向かってですね、何々をというのはちょっと憚 るんですよ。県を通して、都道府県を通してと いうことに一応なっているんです。不思議に思 われるかもしれませんけど、そうですわ。」『( 株 ) RDエンジニアリング産業廃棄物最終処分 場環境調査委員会(第 23 回)議事録』、12 頁。 (12) 注 (1) 文献参照。 (13) G集落の脱会にあたってはF集落からの慰留、 F集落の脱会にあたってはC集落からの慰留が あり、またE集落との話合いがもたれた。 (14) 越智昇「自治する住民とは」『思想の科学』 101 号(1979 年 2 月)、3 頁。 (15) 同様なことは議会についても当てはまる。 (16) ハーバーマスは、知識人について専門家との違 いを次のように述べている。「インテレクチャ ルズの特徴は−彼らの自己理解によれば−いか なる機関をも代弁せず、頼まれもしないのに、 社会全体にかかわるテーマについて筋の通った 意見を言うために、自らの職業的能力を用いる 点である。その意味で彼らの役割は専門家の役 割とは異なる。なぜなら専門家は程度の差はあ っても『技術的な』問に答えを出す存在、答え を利用する人々からの問に答える存在にすぎな いからである」( ハーバーマス , ⅸ )。一般的に 言えば、行政は専門家にハーバーマスのいう「専 門家」以上の役割を期待していない。 文 献 早川洋行 2002a「環境問題と社会科学」『集水域』(滋 賀大学教育学部附属環境教育湖沼実習センタ ー)、第 30 号、2 頁。  2002b「住民参画の理念と現実」自治体問題 研究所編『滋賀・21 世紀初頭の論点』自治体 研究社、264-283 頁。  2002c「社会運動と新聞報道−栗東町産廃処 分場問題を事例にして」林茂樹編『情報化と社 会心理』中央大学出版部、241-262 頁。  2004「ドラマとしての住民運動:住民運動 の語り方と社会学者の役割」『都市社会学会年 報 22 環境の都市社会学−サステナビリティの 視点から』、105-119 頁。 ハーバーマス(三島憲一編訳) 2000『近代−未完の プロジェクト』岩波現代文庫。 謝辞:「合対」のY代表には議事録を見せてい ただいた。感謝申し上げます。 (2004 年 8 月 脱稿)

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15頁 右段下から10行目

誤「理由で、県は場内へ」 正「理由で、場内へ」

18頁 左段上から12行目

誤「RD社②∼④」 正「RD社は②∼④」

18頁 右段下から19行目

誤「候補者が立候補」 正「新人候補者が立候補」

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