1 戦後直後の墨塗り国語教科書 1946(昭和21)年 1945(昭和20)年8月15日の敗戦後、文部省は9月20日に「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ 関スル件」という通達を出した。軍国主義的教材や国家主義的教材に関して、省略・削除すべ き箇所を国語と算数について指示したのである。いわゆる墨塗り教科書の出現である。 『初等科国語』の教科書の中から「兵タイゴッコ」「にいさんの入営」「水兵の母」「シンガ ポールの陥落の夜」など数多くの国家主義的、軍事的教材が削除、省略された形で教科書が使 用されることになった。 全文削除および一部修正・一部削除された教材は、次のようであった。『ヨミカタ』一は、 43課中2教材のみ(いずれも全文削除)であった。『初等科国語』一は、24課中全文削除が8 教材で、一部修正・一部削除が2教材にのぼり、『初等科国語』八は、21課中全文削除が9教 材、一部修正・一部削除が5教材にのぼった。(新出漢字・附録などは除く) 1946(昭和21)年4月からは、上記の教材を削除したうえで、わずかな新教材を加えた暫定 教科書が使用された。この教科書は、パンフレット教科書とも呼ばれたように、新聞紙を流用 した分冊形式のもので、とても教科書とは呼べない代 しろ 物 もの であった。もちろん、教材の組織、分 量や新出文字についても、考慮されていなかった。 第2次世界大戦後の教科書は、国定制を廃して、検定制のもとで発行されるようになった。 戦後は、学習指導要領の改訂ごとに教科書が全面改訂されるので、現時点においては、次のよ うに7期に分けることができる。 第1期 1947(昭和22)年版学習指導要領(試案) 第2期 1951(昭和26)年版学習指導要領(試案) 第3期 1958(昭和33)年版学習指導要領 第4期 1968(昭和43)年板学習指導要領 第5期 1977(昭和52)年版学習指導要領 第6期 1989(平成元)年版学習指導要領 第Ⅱ部 昭和・平成期の教科教育と教科書
戦後直後の国語教科書
この場合、教科書は学習指導要領が告示されたうえで作成されるわけであるから、新しい学 習指導要領に則った教科書の発行は、上記の年より少しずつずれることになる。 2 第6期国定国語教科書 文部省『こくご』4冊、『国語』11冊 1947(昭和22)年 1947(昭和22)年4月から、石 いし 森 もり 延 のぶ 男 お を中心として編集された第6期国定国語教科書が使用 された。戦後の文部省著作教科書として、第1・2学年用の『こくご』一∼四(図1、2)、第 3∼第6学年の『国語』が発行されたのである。『国語』は第3学年(上・下)、第4∼第6学 年(上・中・下)であった。この教科書の特色として、井上敏夫『国語教育史資料第2巻 教 科書史』東京法令出版 1981(昭和56)年では、次の9点をあげている。 1 ひらがな先習 2 巻頭における詩の提出 3 読みの材料の発展 4 表現様式の拡大 5 口語文体による平易化 6 児童作文の教材化 7 会話形式による文章表現 8 長文教材の提出 9 内容の近代化 この教科書は、戦後直後であることもあって、紙質も悪く、挿し絵も少なかった。さらに彩 色もグリーンとオレンジのみでなされるといった、外観としてはきわめて粗末なものであった。 だが、内容面では、先にあげた特色にもみられるように、戦前の教科書とは面目を一新したも のとなり、以後の教科書編集に大きな影響を与えた。 ここではその特徴をよく表していると思われる、6の「児童作文の教材化」と9の「内容の 近代化」についての解説を紹介しておきたい。 6 従来の作家、専門家による権威ある文学作品や知識注入的な文章の代わりに、児童自 身による教材がとり入れられるようになった。種類も文学的なもの、実用的・研究的な ものなど広範囲にわたっている。 9 人間性・社会性の重視、国粋的なものより国際的なものの尊重、道徳的教材における 個人の自覚と、社会協同体への認識の重視等、民主主義的な思想の強調がめだってきて いる。 1947(昭和22)年9月、文部省によって教科書検定制度が発表され、さらに1948(昭和23) 年4月には「教科用図書検定規則」が制定されることによって、1949(昭和24)年からは検定 教科書が使用されることになった。1904(明治37)年から長期間にわたって用いられてきた国 定教科書は、この時点で幕を閉じることになったのである。以降、学習指導要領の改訂のたび
第1期の初年度(1949年)においては、民間における教科書編集の不慣れや占領軍による検 閲の厳しさから、検定に合格した民間の教科書は4種類3社だけであった(二葉1年中・下、 日本書籍3年、学校図書2年)。こうした事情もあって、文部省著作教科書が多く採用された。 1950(昭和25)年になると、民間の検定教科書も8種類に増え、以後次第に文部省著作教科書 は減少の一途をたどり、1954(昭和29)年ごろには姿を消すことになった。 3 文部省『まことさんはなこさん』『いなかのいちにち』『いさむさんのうち』 1949(昭和24)年 1949(昭和24)年には、文部省から入門期用の『まことさんはなこさん』(家庭、学枚、あそ びの一日の生活を描いたもの)(図3)、『いなかのいちにち』(田植えどきの農家の一日を描い たもの)(図4)、『いさむさんのうち』(家庭教材から始まって、都会的、農村的教材への視野 の広がりで描いたもの)という3部一連の教科書が発行された。 この教科書では、アメリカ方式に近い編集がなされ、第6期国定国語教科書に色濃く残って いた文学的色彩を言語生活主体のものとし、彩色も豊かで挿し絵も多く、以後の民間の検定教 科書の第1学年用はこれにならうようになった。 1951(昭和26)年になると、不揃いであった教科書も、二葉、日本書籍、学校図書、東京書 籍、光村図書では、全学年の教科書が揃い、検定制度のもとで教科書の発行も軌道にのりはじ めた。ただし、全学年揃っての発行は、1961(昭和36)年度からであって、それまではほとん どの教科書は各年度で部分的に発行されていた。 第Ⅱ部 昭和・平成期の教科教育と教科書 図1 『こくご』一 第1学年前期用 1947(昭和22)年 図2 『こくご』一の「みんないいこ」教材(4頁)
4 『太郎花子国語の本』日本書籍 1951(昭和26)年 1951(昭和26)年に発行された『太郎花子国語の本』日本書籍(図5)は、戦前の『小学国 語読本』(サクラ読本)の編集者井 いの 上 うえ 赳 たけし が、1949(昭和24)年に島 しま 津 ず 久 ひさ 基 もと 他の編集によって出 版されたものを、改訂出版したものである。編集意図としてそれまでの教科書を批判する形で、 次のように述べている。 いったい国語教科書というものは、どうしてああもばらばら教材の寄せ集めでなくては ならないのか。ばらばら教材は、いかに巧みに編集してみても、全巻としての生命的発展 がない。第一、児童の読書力を伸ばすべき読本が、一課 一課別文であるため、読む意欲がその都度中断される。 読本を手にしながらそれを最後まで読もうとしたこと は、自分の学校時代の経験に照らしても絶対にないこと である。先生に引きずられ、いやいやながら終りまで読 む―これでどうしてたくましい読書力が養成されるか。 (「国語教育の回顧と展望2―読本編修三十年―」 『国語教育講座第5巻 国語教育問題史』刀江書院 1951年) こういった思いを胸にアメリカのリーダーを参考にして 編集されたのが、小学校1年生の太郎と来年入学する妹の
は当時の新しい国語教科書にかける意気込みというものがひしひしと伝わってくる。 5 『一∼六年生の国語』学校図書 1951(昭和26)年 『一∼六年生の国語』学校図書は、志賀直哉、久松潜一、池田亀鑑の監修によって、1949 (昭和24)年から1951(昭和26)年までに各学年とも上・中・下の3冊ずつ出版された。第1・ 2・3学年の各巻冒頭には、監修者志 し 賀 が 直 なお 哉 や のこれからの児童の健康と「いい心がけ」をもつ ことを願ったことばが掲げられている。第1学年の言語指導には力を入れ、その発達と訓練を 重視しており、全体的には文学的色調の高い教科書という評価がされている。 この時期における国語教科書の特徴をみた場合、現行の教科書との違いとして、一つは、単 元構成の仕方、一つは、学習の手引きの位置および内容があげられる。 前者については、当時経験単元学習が基本となっていたことから、単元構成も、生活単元が 大きな位置を占めている。生活単元・教材に登場する人物として、1952(昭和27)年発行の 『国語の本』(西原慶一他編 二葉)では、「あきら」「まさお」「ちよこ」「みつこ」などが1年 生から同学年の児童として登場し、5年生までは、対象学年の児童と同じように成長していく 形で登場している。こういった全巻を通した基本的な姿勢は、他の教科書にも共通したもので あった。 後者については、現行の教科書では、基本的に各単元および教材末に学習の手引きが設定さ れているが、この時期においては多様な形で編集されていた。 たとえば、1948∼49(昭和23∼24)年発行の島津久基他編『太郎花子国語の本』(日本書籍) では、各学年の教科書の巻末に学習の手引きがまとめて載せられている。しかも、その内容と しては、6年上の教科書の「研究と問題」の場合、以下に掲げるように、単に各単元・教材に 限定されない問題が設定されていて興味深い。 6年用「平和のしらべ」と「新しい門出」では、特にどんな仕組みと用意が出来ているか。 この本に太郎も花子も直接出てこないのに、どうして「太郎花子国語の本」ということ ができるか。 現行の教科書との違いに注目してみると、他にも紙質や挿し絵などに当時の教科書のさまざ まな特徴が見えてくる。第2期(1952∼1960年)においては、教科書の発行種類が過去もっと も多かった時期で、1952(昭和27)年では10種類であったものが、1960(昭和35)年には20種 類になっている(ちなみに現行の教科書はわずか5種類である)。 (大田 勝司) 第Ⅱ部 昭和・平成期の教科教育と教科書