ビル マの社会主義- の道 (
国家革命評議会)解説並 に邦訳
大
野
徹
は
じ め に
複雑 な現代 ビルマの政治を分析 し,報告す る事 は, 政治学 の基礎知識 のない私 にとって,到底 で きる事で はない し, また,そのよ うな意図 も持 っていないけれ ど,少 な くとも, ビルマを,地域研究の対象 とす る立 場 にあ る者 の一人 と して, この国を理解す るには,あ らゆ る 角度か らのアプ ローチが, 必要だ と 考えてい る。 たまたま,現地の情報 に接す る機会が多い立場 に あ るので, クーデ タ-以降の ビルマの歩みを,国内政 治の面 に限 って紹介 し,革命評議会 の基本理念を理解 す る為の,一つの参考 に していただ きたい と思 う。1
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クーデターとその背景 1962年3月2日に発生 した クーデ ターの原因 につい ては,今 まで, いろいろな見解が発表 されて きたが, 私の考 えでは,次の二点 に焦点を絞 る事がで きると思う。
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政党政治の腐敗 と議会民主主義 に対す る不信。 2 国内の統一 と連邦制国家 の維持。 この二点を理解 す るには, しば ら く,独立以降の ビル マの歩みに,眼を向けてみ る必要があ る。 1948年1月4日の独立以来,終始,与党 の立場 にあ ったパ サバ ラ(反 フ ァシス ト人民 自由連盟 の略称)は, 1958年6月3日, ウ- ・ヌ, タキ ン ・テ ィンの率 い る 清廉派 と, ウー ・バ スウ ェ, ウ∼ ・チ ョ一二 ェイ ンを 中心 とす る安定派 とに分裂,副首相 ウ一 ・バ スウ ェ以 下,安定派の閣僚15名 と次官22名が辞職 したO政治的 混乱を収拾 す るため, 9月26日,ネ ウ ィン将軍が, ク ーデ ターによ って政権 をひ きつ ぎ,60年2月 まで,逮 挙管理 内閣 と しての役割 を果 した。 この間 におけるネ ウ ィン内閣の業績 と して,中共 との国境条約の締結, 及 び, ムジ ャヒッ ド党 (ア ラカ ン地方 におけるイス ラ ム教徒の非合法組織)の投降 による西部地域の治安の 安定, をあげる事がで きる。 清廉派 と安定派の間 に は,共 に,議会民主主義,社会主義を基盤 と しなが ら ち,一面大 きな政策上の対立があ った。前者が,外国 資本 の排除,企業 の国有化を通 して,社会主義国家 の 建設を考えていたのに対 し,後者 は,外国資本 の導入 による産業の開発 と,それ に基ず く経済発展 の重要性 とを,主張 していた。1960年2月6日の総選挙では, 清廉派が圧倒的な差 で,安定派を破 り,再 び, ウ一 ・ ヌが政権を握 った。 しか し, 山積す る国内の重要諸問 題 は,未解決のまま放 置され, ビルマにおける政党政 治 は,発足 当初の活気を失 な って, もはや,社会主義 国家の建設 には,無能であ る事を示 した。 解 決を要求 されていた第一 の問題 は,治安 の確保 で あ る。 タキ ン ・タン トゥンの率 い る白旗共産党, タキ ン ・ソーを中心 とす る赤旗共産党 は,共 に,武装地下 活動 を続 けてお り, 国内全域 の 治安が 確保 され た事 は,一度 もなか ったO ウ∼ ・ヌ内閣 は,共産党 との和 平交渉を, 何度 も提案 したが, いずれ も失敗 してい る。 第二 の問題 は,国内の統一 であ る。 この統 一を妨 げ る要 因は,少数諸民族 の叛徒であ った。その中で も, 最大の叛乱勢力が, カ レン族 であ る。 カ レン族 は, ど ルマ独立以前か ら, ビルマ とは別個の 「カ レン国」の 独立を要求 し, 対英交渉を続 けたが, 成功 しなか っ た。 ビルマ連邦の発足 と同時に, シ ャン族, カチ ン 族, カ レンニ族,チ ン族 の四民族が, 自治州を構成 し 得 たのに対 し, カ レン族 は, 自治州の獲得 にさえ失敗 した。1948年8月か ら数年間にわたって続 け られ た内 乱 の結果,1953年9月,サル ウ ィン州の流域一帯を中 心 に,初 めて, カ レン州の設置に成功 した ものの, そ の蔭 には, カ レン民族 の 最高指導者 ソー ・バ ウージ ー,及 び,多数のカ レン族青年の死 とい う大 きな犠牲 を,払わ されている。 これ に不満を抱 く過激分子が,K.
N.
D.
0.
及 びK.
N.
U.
坂徒 と して, その後 も活動 を続 けてい る。 少数民族 の中で,連邦制崩演 の直接原因 とな ったのl は, シ ャン族 である。 ビルマ憲法 によれば,各 自治州 は,独立後10年以上経過 した場合,州議会 の三分の二以上 の賛成 と, それ に基ず く州民投票 とによ って, ど ルマ連 邦か ら離 脱 し得 る (第
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1条-2
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条) と規定 さ れてい る。 この規定 を,現実 に発動す る動 きを示 した のが, シ ャン州 で,1
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年 当時 の大統領 ウ一 ・ウ ィン マ ウンや,首相 ウ一 ・ヌが, シ ャン州の州都 タウンジ ー-飛 んで,州議会及 び州政府 に対 し,連邦 内残留 の 説得工作 を,盛 ん に行 な った。1
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年以降, シ ャン州■ の離脱 問題 が再燃 し, シ ャン州選 出国会議 員の多数を 占め るサオパ (世襲的藩主)達 の 意見 が 硬化 して き た。
一方,言語,宗教,文化,歴史等 の面 で, ビル マ族 とは別 の 社会を形成 してい るア ラカ ン,及 び, モ ン両 民族 か らも, 自治 州の設立要求が, 出されていたo こ の問題 に対 す るウ一 ・ヌの態度 は,6
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年4
月及 び5
月 に,
両民族 の担 当大臣のポス トを新設 しただ けで,憲 法1
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条 によ る根 本的解決 は,斥 け られ たっ このまま で は, ビル マ連邦 の崩潰, 分裂 とい う最悪 の事態 さ え,回避 で きない状態 にまで, おいつ め られていた。 軍 部が収拾 に乗 りだ したのほ,丁 度 この時 に当 る。 ク-デ タ-の際, 首相 ウー ・ヌ以下, 全閣僚 と共 に, ニ ャウンシ ュエ藩主故 サオ ・シ ュエ タイ (罪一代 ビル マ大統領), セイ ンニ藩主故 サオ ・ホ ンパ (シ ャ ン州元祖 当村), モー メイ藩主 サオ ・クンキオ (ウ-・ ヌ内閣元外相)等 , シ ャン州選 出の国会議 員多数が逮 捕 され たのは,連邦制擁護 の為 に他 な らない。 クーデ ター と同時 に, ネ ウィン将軍 は,革 命評議会 を結成 して,国会 の解 散, 憲法の停止を断行,現大統 領 (罪三代) ウ一 ・ウ ィンマ ウン,次期大統領 (第 四 代)予定 のサマ ・ドゥワ ・シ ンワナ ウンを も逮捕 し, 全権 を掌握 した,ビル マの議会民 主主 義 は, こう して 終 止符を うたれ た。2.
革命評議 会 とその活動 革命評議会 は,軍 の首脳 部 によ って構成 され る最高 の議 決機関であ る。 その下 で革命政府 が,執 行機関 と して の役割 を,果 して い る。評議会 は,政党政 治が果 し得 なか った難問題 の解 決 に,
精極 的 に取組み,活発 な活動 を開始 した。 第一 の 目標 「社会主義同家 の建設」を実現す る為の 措 置 と して,外同資本 の排斥,私企業の国有化 に着手 した。 ビル マ人以外 に対す る輸入 許可 の停止(
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年1
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月),全輸 出入企業 と米 の購入,配給機構 の国有化(
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年2
月1
5
日),全銀行(
2
2
行) の国有 化(2月2
3
日), ビル マ 人以外 に対す る 銀行融資の停
止 (3月2
5日)
, 外 国人医師の開業禁止 (7月1日), ビル マ経済開発 公 社の解体 と関連企業3
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社の接収(9月 7し
」)
, 仝私 企業国有化
法 の制定(
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月1
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日), タバ コ製造 企業六 社 の国有化(
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月2
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日) とい った一連 の措 置_は いず れ も, この政策 の具体化 に他 な らない。 評議会が と りあげた第二 の問題 は,議会民主主義制 度の徹底 的粉砕 と,人民民主主義制 度の確立であ る。 その手段 と して, クーデ ター当時,野党であ り, 国会 に議席 を もっていなか ったため,逮捕 を免れ たパ サバ ラ安定派 の幹部 ウー ・バ ス ウ ェ, ウー ・チ ョ-ニ ェイ ン等1
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名 の逮捕(
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3
年8月9口), 続 いて, 臨時総裁 代理 ボ ウ ・キ ンマ ウンガ レー等, 中堅 幹部18名の逮捕
(
1
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月3日), そ して, ビル マ社会主義綱領党 の創設(
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2
年6
月5
日)等が行なわれ た。 この新政党 は, 人 民民主主義の確 立,社会主義 国家建設の実現 を 目的 と す る。農民,労働者 を中核 と した組織 であ るが,実質Ti -的 には,革命評議会 の全 国-的な下部組織 とみ られ る。 評議会が手掛 けた第三 の問題 は, 国内治安 の確 立, 各種叛徒 との和平 であ る。 これ は,政党 内閣が到頭果 し得 なか った独 立以来 の最大 の難問で, この間題 が解 決 されない限 り, ビル マの飛躍的発展 は,不可能 だ と い って よい。革命評議会 は, この問題 に,杭極 的 に取 組 んだ。6
3
年4
月1
日に発表 され た特赦令 は,従来 に ない大規模 な もので, 4月 3日以降 ラングー ン, イ ン セイ ン, マ ング レー, モール メ ン等全 国38ヶ所 の刑務 所 か ら釈放 され た政治犯の数 は, 6月1
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日迄 に 4,345 人 にのぼ り, その中には,K.
N.
D.
0.
政治局 員 マ ン ・ シ ャンパ レイ,K.
N.
D.
0.
中央評議 会員 ラー ジ ャン, カ レンニ族 叛徒の 指導者 ポー ジ ョー,K.
Ⅰ
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A.
(カチ ン族叛乱軍) の指導者 コウ ・ゾーア ウン等 の大物が合 まれて い る。 特赦令 は,単 に政治犯の釈放 に止 ま らず,7月1日 迄 に投 降 した叛徒及 び脱 走兵 に対 して も,適用 され る 事 にな っていた。 この事 は,叛乱軍 に とって, かな り 大 きな動揺 を 与えた とみえ, カ レン州 コー カ レイ地方 のK.
N.
D.
0.
第六旅団の中か ら, 副 旅団
長ボ ウ ・エ - ミャイ ン以下7
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名の将兵 が,4
月3
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r],集団投 降 し て来 たのを 皮切 に,K・
N・
D・
0.
東 部師団の指
揮官 ソ ー ・チ ョ一二 ェイ ン中佐 (5月9日), ビル マ独立軍 の母胎「
3
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人 の志士 」の一人 ボ ウ ・イ ェ トゥッ ト, ボウ ・セイ ンテ ィン (元 ビル マ軍将校), ボ ウ ・イ ェマ ウンとい った 白旗共産党 の 三人 の 軍 司令官 (5月22 日), シ ャン旗 叛乱軍指導者 の 一人サ イ ン トゥンエー (シ ャン革命委員会 員),K.N.D.0.東部 コー トゥレ一 地方 委員会 書記長 ソ- ・マ ウンチ ッ ト準将 (5月25 日), 白旗共産党西 部師団長 ボウ ・ア ウンデ ィン (6 月11日)等,叛徒の司令官 クラスが,続 々と投 降 して 来 た。 革命評議会 は, 特赦令 に 次 ぐ措 置 と して, 6月11 日,武装地下活動を続 けて い る全叛乱軍 に対 して,和 平交渉の呼掛 けを行 な った, この呼掛 けは,独 立後何 回か行 なわれた政府側 の呼掛 けの中で は,最大 の もの であ る。 革命政府 情報省 は, ビル マ語, カ レン語, シ ャン 語, カチ ン語, クン語 によ るパ ンフ レッ トを300万枚 印刷 の上,該 当坂乱軍 に,夫 々送付す ると同時 に, ビ ル マ放送 を通 じて,各言語 による呼掛 けを行 な った。 一方,革命 評議会 は,全 国各地 の軍隊 に指令 を発 し, 坂乱軍か ら和平交渉 受諾 の連絡が あれば,直 ちに戦闘 を 中止す る事,使節団が現 われれ ば, その安全 を保証 す る事, 万一, 交渉が決裂 した 場合 で も, 責任 を以 て送 り返 し, 3日間 は 戦闘を 再開 しない 事等 を命 じ た 。 この呼掛 けは,予想以上 の効果 を もた らした。 6月 13日には, 白旗 ,赤旗両共産党か ら和平交渉 に応 じる 旨の回答が寄せ られ,6月25日に,赤旗共産党 の代表 使節圏 (団長チ ョ- ウ ィン大将)9名が,アキ ャブ-出て来 たのを きっかけに, コー トゥレー中央政府 (カ レン族叛乱政府) か らソー ・バ トゥン等三 名の使節が ラングー ンに (8月15日),K.Ⅰ.A.か らは ラマ- ラ リ ン以下, ドゥワ (カテ ン族 の世襲的土候) の名称を も つ 9名 の代表がバ モーに (8月29日), 白旗共 産党か らは, 中央委員会書記長 イ ェ-ボー ・テー以下六名が ラングー ンに (9月 4日), サ ライ ン (チ ン族共産党) か らは,中央委員会 員サ ライ ン ・サ ンア ウン,サ ライ ン ・クー ウ-. サ ライ ン ・チ ョ∼エー等
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名が プ ロ-ムに (9月 5日), 夫 々出て きて, 革命 評議会 との和 平交渉 を開始 した。 9月29日には,K.N.U.の総裁 マ ン ・バ ザ ン, モ ン新 国党 (モ ン族 叛徒) の総裁 ナイ ・ パル ィン, カ レンニ民族 進歩党 の書記長 ソー ・モーイ ェーが,三人一緒 に, ラング- ン- 出て きて,和平交 渉 に入 ったol0月22日には, ソー ・- ンター ター ム ェ 主席以下,パ ド一 ・ワ∼ リージ ョー,バ ド一 ・ウ ェ ト -,パ ド一 ・ブ ウァイサ等, コー トゥレ-中央政府 の 最高首脳者が,直接 ラングー ンに出て きて,革命評議 会 と交渉 を開始,続 いて10月31日には, カチ ン独立評 議会 員 ドゥワ ・ゾーダ ンの率い る K.Ⅰ.A.の代表団が 到着 した。 ビル マの前途 に, よ うや く明 るい光が さ しか けた と 見 えたの も束 の間,先ず赤旗共産党 との交渉が決裂, 続 いて11月15日に, 白旗共産党 との和平交渉 も決裂 し た。 しか し, これ ら類従 との一連 の和平交渉 は,必ず しも失敗 だ った とはいえない。冗.N.U.モ ン新 国党, カ レンニ民族進歩党三派 との交渉 は成功 した し,代表 との話 し合 いはま とま らなか った ものの,赤旗共産党 か ら, マグ ェザ ン (総裁 タキ ン ・ソーの妻), ニーニ ー ソー (タキ ン ・ソーの娘), 中央委員会 員 コ- ・チ ョ- ウ ィンの三名が, 10月26日に, 白旗共産党か ら は, 中央委員会書記長 ボ ウ ・テ ィンア ウンが,11月12 日に,夫 々投 降 して きた。 国内和平 の問題 は,徐 々に で はあ るが,解 決 の方 向へ向 ってい るといえ るのでは なか ろ うか。 クーデ タ-以降の ビル マの動 きを,表面 に現 れ た現 象だ けで 整理す るな らば, 革命評議会 の 政治 的方針 は,余 りに も過激 であ り, 内政面 で は,社会主義,人 民民主主義 とい うよ り軍 部独裁主義 であ り,外交面 に おいて ほ, 中立主義を逸脱 して,孤 立主義,閉鎖主義 的方向を辿 ってい るとい う印象 を,受 け るか も知れな い。 しか し,現実 に現われ る政治的現象 は,いずれ も その底 で,革命 評議会 の基本方針 と密接 に結 びついて お り,評議会 の基本政策 の顕現 であ る以上,今 日の ビ ル マを正確 に理解 す るには,革命評議会 の基本的政治 斑念を抜 きに して は,理解 不能 だ とい って もよい。革 命 評議会 は, 62年 4月30日に, law hlanye i:ka-unsiiwadadabawtha:ceinyaje?「ビル マの 社会主 義へ の遺」 と題 す る綱領 を発表 した。 これ は,評議 会 の基木的政治理念 の 表明であ り, 革命政府 の 諸政 策 は, いずれ も, この綱領 に基 ずいて実施 されてい る。 原文 は, 僅 か9頁 の薄 いパ ンフ レ ッ トであ るが, 「同造 り」 に対 す る革命評議会 の, 素朴 なが らも力強 い,決意を読み とる事がで きると思 う。以下, ビル マ 語版か らの本文全訳 を紹介 す る。参考 に していただ け れ ば幸 いであ る。
ビル マ の社 会 主 義へ の遺
- 国家革命評議会 の政治的信念 の公表-我 々 の 信 念 1. ビル マ連邦革命評議会 は, この世 に,人間同志 が搾取 し,不 当な利益 を貴 るよ うな有害 な経済制度が 存在 してい る限 り,全て の人 間を社会 的不幸 か ら,永 久 に解放 させ る事がで きない と信 じる。我が ビル マ連 邦 に於 て は,人間同志 の搾取 をな くし,公正な社会主 義経済制 度を確立す る事がで きた時 に こそ,初 めて, 民族 ,宗 教 の別 な く,全ての人 民 が,衣, 負 ,住 の心 配,及 び 「衣食足 らざれば,礼節 を知 らず」が如 きあ らゆ る社会 的不幸 か ら解放 されて,心身共 に健 全で, 楽 しい豊 かな新世界 に,到達 し得 ると信 じる。 か く信 じるが故 に,社会主義的社会 に,是 が非で も 到 達で きるよう,人民 と手を握 り合 って,前進 しよ う と堅 く決意 して い る。 我 々の基本理念2.
国家革命評議会 は, 自己の綱領 を実施す る場合 であれ,具体化す る場合 であれ, ビル マ国の 自然 的環 境,及 び固有 の正 しい状態を,事物 に即 して認識 評価 し,その上で得 られ た諸点 に基ずいて,発展可能 な方 法 を探索実行す る。 3. 国家革 命評議会 は, 自 らの活動を 自己批判 す る 方法 によ って,発展繁栄 を可能 な らしめ るべ く実行す る。 世 界 の諸事象 の中で,左,又 は,右- の偏 向を,数 多 く見 て きた以上,かか る左,又 は,右- の偏向 に と らわれないよ う,充分 に警戒 し回避 す る。 4. 国家革命評議会 は,如何 な る立場,如何 な る困 難 に直面 しよ うと も,全 国民 の基本 的利益 を見失 う事 がな いよ うに,時 と所 ,及 び変動 しつつあ る情勢 に応 じて,発展 を もた ら しめ得 る事 だけに,専 念す る。 5. 国家革命評議会 は,全人民 の福祉を,具体 的 に もた ら し得 るよ うな 綱領 と 手段 とを, 探索 し実行す る。 かか る探索実行 に際 して は, 国家 の別 な く,如何 な る国か らであれ,取入れ るべ き進歩 的思想 ,進歩 的 理論, 進歩 的経験等 を, 批判 的態度で 認識評価 しつ つ, ビル マ国に適応 した運営 のみを,行 な うO 社会主義経済制度 6・ 社会主義経済制度 は,多数の幸福 の為,あ らゆ る人 を含 めた多数共有 の事業を,多数の人が共 同で運 営 し,そ こか ら得 られ る利益 を,全員が,充分 に,心 ゆ くまで享受 し得 る計画原理であ る。社会主義経済制 度の意図す るところは, あ らゆ る人 に対 し,経済 的な 安定,並 びに,道徳の高揚 を図 る事 によ って,全人民 の,平和 で快適 な,新世界を樹 立す る点 にあ る。7・
従 って,社会主 義経済制度 は,人 間同志が搾取 し,利 己主義的原理を もつ如何 な る経済制度 に も,反 対 す る。 8・ 社会主義経済制 度 は,或 る集団,或 る組織,或 る階級,又 は或 る政党 の狭量な私利 の為 に奉仕す る事 な く, 国民大 多数 の人間 と しての必然 的諸欲求を満足 させ る事のみを, 目標 に,計画実行す る。 9・ 社会主義経済活動 は, 国の生産総力を,秩序正 し く配備 して,調和 の とれた発展が行 なわれ るよう, 実行す る。 生産総力 とは,全 国の地上地下 の資源,原材料,坐 産設備,蓄積 した資本,農民及 び労働者,技術者,坐 産知識,経験 並び に熟練等 を総括 した呼称 であ る。 社会主義経済活動 は,国の人 口と生産総力を合理 的 に配備 して,人民大多数の為 に,消費物資 を充分,且 つ豊富 な らしめ るべ く生産す る。人民 の生活水準 が向 上 し,購 買力が増大す るよ うに図 ると同時 に,生産活 動 を拡大せ しめ る。 かか る 方法 によ って失業をな く し,あ らゆ る人 の生計手段 を安定 な らしめ る。1
0.
社会主義計画を遂行 で きるよ うにす るには, 国 の動脈であ る生産資本 (生産活動,分配活動,運輸及 び交通活動,貿易活動等)を国有化せねばな らない。 国の生産資本を,国家や協 同組合 ,共 同組織等が所有 せね ばな らない。 これ らの所有形式 の中では, 国有 が,社会主義経済制度の根幹 であ る。 国有 とは,全人 民 の所有 であ る事を意味す る。協 同組合及 び共 同組織 の所有 とは,闇係各組織 の所有であ るにす ぎない。 し か しなが ら,全てが社会主義 国民経済計画 の体ffiljの中 において のみ運営 され るか ら, お互 いに有効 であ る。 ll.社会主義計画 に 基ずいて 経済活動を 行 な う 場 令,労働可能 な人 は全て,各人 の能 力 に応 じた仕事 に 従事せねばな らない。 得 られ た 利益 を 働 く全 ての人 が,各人 の身体,知識,勤勉 さの能力 に応 じて享受す べ きであ る。1
2.
ビルマの社 会主義社 会においては,全ての人 が 平等 ではあ り得ない。人 間 は,夫 々,身体,知識,勤勉 さが 同等 ではない。従 って異 な った能 力 に応 じて, 差異が存す るであろ う。 しか しなが ら,高す ぎる人 が それ以上高 くな り,低 す ぎる人 が それ以上低 くな るよ うな事態 は起 さない よ うに して,貧富高低 の格差が, で きるだ け小 さ くな るよ うに,正 しい方法で計画実行 せね ばな らない。 国 家 組 織 13.社会主義経済制 度の樹立 に成功す るには,社会 主 義 的民主主義 国家を組織構成せね ばな らない。社会 主義 的民主主義 国家 とは,社会主義経済制 度を基盤 と し,社会主義経済制 度を擁護 す るよ うな民主主義 国家 で あ る.社会主義的民主主義 国家を保護育成 す る人達 は,主 と して農民及 び労働者 であ り, 中間階級並 びに 多数 の幸福 を誠 実忠実 に遂行す る人達 も参加 し協 力 し て行 な うべ きで あ る。 14.世界史上,封建制 度 に反抗 した英 国革命 , アメ リカ革命, フ ランス革命等 と共 に 「人民 の統 治」 とよ ばれ る議会民主主義制 度が 出現 した。 この議会民主主 義制 度 は, それ以前 の時代 に支 配 的であ った政治制 度 と比 較すれ ば,最良 の制 度であ った。 しか しなが ら, 或 る国家 において は,議会活動 は,今 や財力 のあ る人 達 と弁舌 の達者 な人 達が,無知蒙 昧な多数 の人民 を欺 摘す る手段 と化 してい るにす ぎない。 我 が ビル マ連邦 において も,議会民主主義方式 によ って社会主義制 度を樹 立す るべ く,試行 し努力 した事 が あ る。 しか しなが ら, ビルマ国の 「議会民主主義 」 は,社会主義綱領 を実質 的 に具現 し得 なか ったばか り でな く, ビル マ 「議会民主主義 」の脆弱性,誤用,及 び人民 の政治意識 の未熟等 によ って,社会主義 の終着 点を見 失 ない, 社会主義 の 道 か ら 逸脱 させ て しま っ た。 そ して到頭 ,社会主 義経済制 度 とは反対 の方 向へ と, いつの間 にか辿 った足跡 が眺 め られ る。 故に,我が ビル マ国内において今 まで見 て きたよ う な 「議会民主主義 」 によ って は,人民 の 目指 す社会主 義 的社会-,安心 して到 達 で きるとは言 えない。 従 って,社会主義経済制度樹 立を推進す るよ うな民 主主義,社会主義経済制 度を擁護 し得 るよ うな民主主 義だ けを, ビルマ国の時 と所及 び変動 す る情勢 に応 じ て運営 して行 くべ きであ ると, 国家革命評議会 は確信 す る。 こうい った事柄 が,社会主義経済制 度の基本 的な要 素 であ る。 形態改革 の活動 15.仰 思考 の修正 我 々は,社会主義経済制 度を志 向す る場合,人 々の 誤 った考 えを,先ず最初 に,変更 させ る事が大 事であ る。 人を欺 こうとす る気持,搾取 しよ うとす る気持,遊 んで暮 そ うとす る気持,他人 の労働 の上 に寄生 しよ う とす る気持,上前 をかす めよ うとす る気持,並 びに 自 分 の利益 だ けを図 ろ うとす る考 え等 を,打破せね ばな らない。 自らの力 によ って, 自 ら真面 目に生活 しよ うとす る 気持,及 び労 働を貴 ぶ気持 が盛 んにな るよ うに教育せ ね ばな らない。 自らの力で 自らが資本 を投入 して働 か ね ばな らない よ うな労働を,不名誉 だ と考 え る愚劣 な 考 え方 を,放棄 す るよ うに説得 し,案 内 し,教育 しな ければな らない。 外部 に誇示 した見せ か けの喜捨,外部 に誇示 しよ う と見せ か けで飾 りたて た人 間関係,陰 日向のあ る偽 の 宗教行為等 を放逐 して,廉潔 な行為を行 な うよ う, あ らゆ る宗教及 び文化 的伝統 が示 して きた遺徳 に人 々が 想 いを馳せ,順守す るよ うに,各種 の正 しい方法で, 実行 しなけれ ばな らない。多数の幸福 に寄与 して初 め て,個人 の幸福 も実現す るとい う考 えが盛 んにな るよ う,教育,文学 ,芸術,及 び音楽,映画等各種 の手段 によ って遂行せね ばな らない。 回 行 政 社会主義 の終着点へ到 達す る道程 において, ビル マ 国の現在 の官僚 的行政機構 は,最大 の陸 路 であ る。 こ の古い組織 によ る限 り,社会主義 の終着点へ は,仮令 如何 な る方法 で以て して も,到 達す る事 はで きない。 従 って官僚主 義 的機構 を破壊 し,社会主義 的民主主義 行政組織再編 のため, 堅 固 な 基盤 を 薬 かね ばな らな
い。
困 軍 隊 国家 の現在の軍 隊 も,社会主義経済制度を防衛 す る 国民軍 の立場へ と,前進 させね ばな らない。 巨) 経 済 ビル マ連邦 は,経済 の面 では,未だ後進農 奴国であ る。社会主義経済制 度を樹 立 し得 るためには, 国の生 産総力が拡大発展す るよ う,図 らね ばな らない。 その 為 には,連邦 の時 と所 の状態 に密着 した各種 の生産活 動 を,計画 し建設 して行 かね ばな らない。連邦 の基幹経済活動 であ る農 業の近代化を推進す る 一一万,我 が国の国力 に通 した工業を建設 して行 く。 こ の建 設に際 して は, 国の生産総力を拡大せ しめ るよう な国民私有の経済活動 を も,適 当な限度で,政府が許 可 す る。 社会主義経済制度へ 完全 に 移行す る 場合 で あ って も,多数の幸福 を裏切 る事な く, 運 営 し得 る国民私 企 業家運 につ いて は,社会主義政府 は, これを放逐 しな いばか りで はな く,応 しい立場を与 え,手を振 り合 っ て指導 して行 くD 民 族 問 題 16・ビルマ連邦 は,沢 山の民族 が住 んでい る国であ る。従 って,全民族 の団結調和 を確立 し得て こそ初 め て, あ らゆ る民族 の福祉 を保証す る事が で きる社会主 義経済制度の樹 立が可能 なのであ る。連邦全 国民 の親 睦 と調和を図 る際, 国民 の大指導 者 ア ウンサ ン将軍が 演説 した次 の言葉 を,貞剣 に受 けと らね ばな らない。 ア ウンサ ン将軍 は, 「民族 とい うのは,利害 を共有 し,お互 に関連 し た利益 を潰み重ねて,長い歳月の問 に,同種 同族 だ と思 うよ うにな って い る人達 を,一群 にま とめて称 す るにす ぎない。人種,信仰 してい る宗教,話 して い る言語等 は,重視せ ねばな らないが,本 当は,喜 び も悲 しみ も分 ち合 い,利害得失を共 に しよ うとす る歴史 的願望 の上 に こそ,団結統一 ,愛 国心が存す るのであ る。」 と,1946年1月20日, シ ュエダ ゴン仏塔 の 中央 ひな壇 で催 された反 ファシス ト人民 自由連盟 の大会 で,演説 した。 ビルマ連邦全 国民 は,ア ウンサ ン将軍 の言葉 に 含 まれてい る意味 に従 って,新 しい愛 国心 を育成 ,実 行せね ばな らない。 社 会 問 題 17.(1)教育。 生計面で不均衡 な現 今の教育制度を , 修正 改TiEせ ねばな らない と, 国家革命評議会 は 信 じ るo従 って,生計を均衡な らしめ,道徳 の高揚を基礎 とす る新 しい教育制 度を樹 立す る。特 に,科学教 育を 推進せ しめる。 我 々の歳終 的教育 目標 は,基礎教育 を,あ らゆ る人 が修得 し得 る機会 に恵 まれ るよ うにす る事であ る。 高 等 教育 も,成績が優秀で, それ に応 しい努力をす る人 に対 して は,援助を与え,勉学 の機会 を提供す る。 回 保健及 び文化等 その他諸 々の社会 的問題 につ い て も,社会主義経済 制度が定 立 した暁には,水 面の高 ま りに伴 な う水蓮の よ うに,向上発展 させね ばな らぬ と信 じる。 向上す るよ うに図 らう。 ('l) 宗 教, 国家革命評議会 は, あ らゆ る信徒 の 白山 な信仰権 を認 め る。 団 結 前 進 18・国家革命 評議 会 は,社会主義 の終点 に向 って前 進す る際, 主 と して, 国民 の多数を 占め る農民並び に,その他 の労働者 の団結勢力 に基礎をお く。 それ以 外 に,国民 の福祉 と全 国民 の幸福 とを裏 切 らず忠 節 に 実行 して行 く人達 とも手 を振 り合 って,導 いて行 く。 19・その為に,国家革命評議会 は,形態改革 の時期 に合致 した人民 階級 の団結活動を行 な って行 く。 その 為 に応 しい政治 的団結 を組織 す る。 20・政治的団結を行 な う場 合,人民 自身が 自発 的に 参加 し得 るよ う,社会主義的民主主義教育を与 え,氏 主主義的訓練 を行 な って行 く (社会主義経済制度の枠 の中において,社会主義社会の発展 を もた らしめ得 る 民主主義 的競争が盛ん にな ると,国家革命評議会 は信 じ希望 す る)0 このような事柄 が, ビルマ連邦革命評議会 の信念及 び政策 の概要 を示 した ものであ る。 人 民 の 責 任