東南 ア ジア研 究 10巻2号 1972年9月
ス カ ル ノ の 第 二 次 世 界 大 戦 論
土
屋
健
治 *
Sukarno'
svi
ewson Worl
dWarI
I
l)y
Ke
nj
iTs
U(二HTYA は じめ
に 本 稿 は, 流刑地 ベ ンクル ー (1
93
8
年 2
月∼1
942
年2
月)で スカ ル ノが 記 した 論文 の うち第二 次世界人
戦 に閲す る時事評 論 を考 察 す る。
1
)1
930
年 代 後半 の イ ン ドネ シアで は,オ ラ ンダ
植 民 地 政庁
に対 して独 立 を要 求 し非
協調主 義 を 唱 え る政 党 は次 々に解 散を命 ぜ られ , そ の指 導者 は相 次 い で逮 捕 流 刑 に処 せ られ て い った。 令 法面 に残 され た 政見 は, タ ム リン, ア ビクス ノ, ア ミル ・シ ャ リフデ ィンの指 導 下 で1
93
9隼5
月 各 種 政 党 の大 同団 結 を 図 り7
政 党 の合体 組 織 ガ ピ(
GAPI-Ga
bunga
n Po
l
i
t
i
k I
ndo
ne
s
i
a
,イ ン ドネ シア政 治 同
盟
) を!1・-.み 拍 した が, この ガ ピは指 導 者 間 の連 合体 と してU
_
)
性
格 が 強 くそ の活 動 もフ ォル クス ラー ド (国民 参 議会) を申心 とす る言 論 活 動 に と どま り,多 くの艮 衆 を組 織 す る こ とはで きなか った。 む しろ この時 期 は,
『プ ジ ャ ンガ ・パル』(
『新 しき詩 人』
)
を小心 とす る文芸 運 動 や タ マ ン ・シス ワ教 育運動
∽ 発展 が 苦 しくみ られ た時 期 で あ った 。 そ して艮 衆 の多 くは, 流刑
地 パ ンダ 鳥で シ ャフ リル が しみ じみ と語 った よ うに, 「ジ ョヨボ ヨ」神 話 に身 を ひた しつ つ ,や が て この地 に 日本 墨 が侵 攻 しこの他 か らオ ラ ンダ人支 配者 を 放逐 す る ことを 期 待 して いた。2)ォ ラ ンダ は ヨー ロ ッパ で戦 争 勃 発 の危 機 が迫 る と と もに, こ とに1
940年 5
月 ナチ ス ・ドイ ツが オ ラ ンダflLT:へ 侵入 しロ ン ドンに 亡命 政 権 を樹 立 して 以 来 ,植 民 地 につ いて は 現 状維 持 の方 針 を打 ち出す と と もに,連 合1--Eif側 へ の戦 争 協力を イ ン ドネ シア に要 請 して きた。 *東京大学大学院社会学研究科 1) 本論で第二次世界大戦論というのは, もっぱ らヨーロッパ大戦論のことを意味 している。 アジアと太 平洋, ことに日本については, この時期にスカルノはほとんど発言 していない。 しか し彼の関心の重良 は後にも触れるように明 らかにアジアにあった。 ただそれについては, 「スカルノの大東亜戦争 諭」と もいうべ きものを別に考究 しなければな らないであろう。2) S・Sjahrir,RenuTZganhdone∫ia,Djakarta,1947,pp.162-163.
1・.履 :スカル ノの第二次世 界大戦諭 ガ ピは もっぱ らこ
0
引用題 を め ぐって 討論 を くり返 した。 そ して,艮主主 義擁 護uj;
r
_
場 か らオ ラ ンダへの 協力を表 明 した が, それ はつ ね に <イ ン ドネ シア に国会 を > とい う要求 と一 体 にな っ て いた。 この国
会 開設要求 を オ ラ ンダ は最 後 まで受 け入 れ なか った。3)その時 , 民主主 義擁護 もウ ィル へル ミナ女 王へ の忠 誠 もス ロー ガ ンに0
)み化 し, ガ ピは フ ォル クス ラー ドで 自 らそれ と知りつつ望語 を語 りつづ けて いたC
/)で あ った。一方,20
世紀 以来
の倫理 政 策下 でlIi:_み 山 され た官 僚 層 は,もっと も親 オ ラ ンダ的 と目 され て いた に もかか わ らず ,激 しい オ ラ ンダ批 判 を行 な った。 オ ラ ンダが イ ン ドネ シア に対 して戦 争 協力を呼 びか け る際o
jス ロー ガ ンは, 「フ ァシズ ム に対 して艮 巨主義を守れ 」 とい うので あ った が, それ に対 して官僚層の最高
指導者 スタル ジ ョほ,1
9
4
0年4
月 「第三 国 の利益 を膏 して い る限 り,艮 主 か独裁 か の区別 は事実上 な くな る」 と述 べた。4) こU
jよ うな時 fg]に流刑 地 にいた スカル ノは ヨー ロ ッパU
)状況 とア ジアu
j状 況 に,)いて どu
jよ うな 発言 を して いた で あ ろ うか。 本稿 の第 Ⅰ節 で は それ を紹介 し第 H節 「まとめ」で は, 「捕 われ び と」の 言葉で スカル ノが語 った その 内容 につ いて若 十 o)考察 を して みた い。Ⅰ
ス カル ノの第二次 世界大戦 論 ベ ンクル ー時代の ほ ぼ4
年聞 ,ス カル ノは イス ラム問題 に関す る論 文 と と もに, 第二 次世界 大戦 につ いて多 くの論 文を 記 して い る。彼 の論文集 をみ ると後者 に関す る論 文 は全 部 で1
3
あ り, イス ラム に闇す る 論 文が1
9
41
年 に入 って減少す るの とは逆 に 世界大戦 に関す る 論文 は九 つ に 刷 まって い る。 彼 U)これ らo)T車齢
平論を み ると,次 の3点
が その主 要 な主張 と して と りあげ ら れ るo 第1
に現 在 の戦争 は フ ァシズ ム と民 主主 義 o)闘 い とい うイデ オ ロギ ーの争 いで はな く, 資源獲得 の闘 いで あ るO 第2
に,フ ァシズムは独占段 階 に入 った 資本主 義u
j体箱・lj的表 現 で あ る0 そ して ヒ ッ トラーは, そC
/)独裁制と滅 びつつ あ る資本主 義 を暴 力 によ って延 命 させ よ うとす る 反 隼命的 な役 割 を演 じて い るか ら,必 ず敗
退 す る。 第3
に この戦
争を通 じて英国
が イ ン ドに対 して独 立を賦 与す るか否
か は疑問
で あ る。1
9
4
0
年 に執筆 した 「イデ オ ロギーo
)闘 いで はな い」で は,この第
1 点 と 第 2点
が次 の よ うに 述 べ られ て い る。 〔いまヨーロッパで火を吹いている闘いは, イデオロギーの闘い, 主義と主義との闘いであると言われて いる。この衝突は民主主義とファシズムの衝突であり,英仏は民主主義の 立場に, ドイツはファシズムの 3)増田与 『イ ンドネシア現代史』
中央公論社,1971,ppl9ト104・4)
J
.M.Pluvier,()7′erZi,hz7,an de Ontwi朗eling der Nat/,'ona7iStZ∫CJBe Beu′egtngi7i/ndone∫iil'nde jaren 1930tot1942,'S-Gravenhage,Bar.dungJ1953,pp・146-147・東南 ア ジア研究 10巻 2号 立場 に五つ ものであ ると言われてい る。 た しか に一見 したところそ うみえ る。 これは,議会制民主主義を採 る民主主義EjIj家 と独裁制を採 るフ ァi シズム国家の戦争であ り,東洋 においてほ, 日本を除 くすべての国 々が議会制民主主義を掲 げ る英仏側 に 心を寄せてい るかのよ うに見 え る。 しか し,少 し立 ち入 って眺めれば, この戦争が イデオ ロギー とイデオ ロギーの闘い,主義 と主義 との闘 いではない ことは明 らかである。 ---い うまで もな く, ことの第一義 において. 思想 と思想の戦争, イ デオ ロギーのための戦争 とい うものは存在 しない。近代の大戦争 は30年戦争であれ80年戦争であれ,また 植民地 争奪戦 争であれ1914-18年の戦争であれ, いずれ もその木質本義 においてほ,いずれ かの思想を勝 利せ しめ るための 戦争, イデオ ロギーのための戦 争ではないO そ うではな くてそれは 賀源 (Kebetuhan一 mentah)獲得の欲望がぶつか りあ う闘いであ る。すべての戦 制 ま利益 と利益 とをめ ぐっての戦争,利害 と 利害 のまつわ る戦争で ある。 1914-18年 において, ≠軍国主義クの攻撃 にさ らされ た
≠
弱少民 族の 自決権O は,擁護 され保護 され は しなか った。≠人道
クが QL野蛮クか ら守 られ ることはなか った。 -・現 Fの戦争の状況を注視 して見 たまえ。 ドイツは F】らの主義 に奉ず るために闘 うのだ と言 われてい る。 ほん とうにそ うなのか。国家社会主義にとってポル シ ェヴ ィズム以上 に憎悪 の対象 とな るイデオ ロギ ーはない.・-.・・もちろん ヒ ッ トラーは しば しば民主主義を攻撃 してはい る。 しか し彼 はポル シ ェヴ ィズム と戦 うことこそ何 よ りの願 いで あるとしてい る。 に もかかわ らず実際に生起 した ことは何か。憎みてあま りあ る主 義 に奉 じてい るその当の国 と,彼は同盟 の締結を求めたので ある/一
方 また,英仏は民主主義を 守 るために戦 争に突入 してい ったと述べてい る。 しか し戦争勃発の前 に,数 カ月 に もわた って英仏 の外交 官は民主主義の第一の散 との問の友情を希求 して いた。すなわ ち共産主義的独裁 の ソヴ ィエ ト・ロシア と の友情を追究 していたのである。その件 について言えば,議会 主義的民主主義 と共産主義のイデオ ロギー が水 と池の ごとき ものであることは,誰 もが承知 してい る。--英仏が ソヴ ィェ トと同盟 した際には,覗 らかに, イデオ ロギーは もちこまれ は しなか った。またさ らに,イ ン ドに対 してイギ リスは民主主義を採 用 して きただろ うか。否である。イデオ ロギーはイデオ ロギー,思想 は思想 にす ぎない。国際政治 はそれ らにかかわ るものではない。国際政治 はよ り や生クの ものであ り, よ り現実的な ものである。 -・-だか ら,イデオ ロギー,主義,思想, これ らはすべて戦争を もた らす その根幹を覆 うものにはかな らない。本質を覆 う表皮 にはかな らない。 (ところで, 民主主義 は19世紀の諸産業の 自由競 争を保障す るもの と して発生 し, それを保障す る制度 と して定着 した。 しか しいま産業界 において 自由競争の時代 は終わ り,独 占的大企業が産業の各分野を支 配す るよ うにな って きた。そ してその独 占企業の時代 にふ さわ しい政治制度が必要 とされ るようにな って, ここに独 占的性格の新 しい政治制度,すなわ ちフ ァシズムが生 まれ たのであ る。だか ら,民主主義 とフ ァ イデオロギーであ り, フ ァシズムはすでに成熟 した産業 主義のイデオ ロギーであ るか ら, これ らは各々発 展 の段 階を示す もので あ る。英仏で は独 占がまだ100パーセ ン ト達成 されていないのにひきかえ, ドイツ で はすで に100パーセ ン トの独 【1滴ミ達成 されてい るのであ る.) (そのよ うな悶家同志が) いま,帖
凋争 してい る。 それ は もはや民7:」:.義対 フ ァシズムの闘いな どでは ない。---資源獲得のための闘 いであ る。〕5)(なお上記引
用又中の ( )内は引
用者 によ る大意の要約で あ る。) こ こで 言 わ れ て い る賀 源 獲 得 を め ぐる闘 い は,西
欧 列 強 に よ って ひ き お こ され,
西 欧の
歴 史 は 資 本 主 義 発 展 の 歴 史 で あ る, と ス カル ノ は 主 張 す る。 「資 源 獲 得 の た め の戦 争 」 は製 本 主 義5)Sukarno,Dibawa/iBe72deraReyolu∫i,Vol・Ⅰ,Djakarta,1959,pp・36ト368. 236
卜尻 :スカル ノの 第二次世界大戦 論 の
自
己運 動 の表 出で あ り, 民 主 主義 と フ ァシズ ム は資 本 主 義 (ス カル ノC
/)い う産 業 主 義) とい う共 通 項 で く くれ る 。そ れ ゆ え上 述 の第 1
点 ,第
2
点 の主 張 は ス カル ノ に と って は表 裏 一 体 を な す 。 それ は , ス カル ノの闇 心 が 西 欧世
界u
j全 体 に 伸 /j'られ て い た こ とを 示 す .西
欧U
)全 体 に つ い て,1
940
隼 執筆o
)「≠西欧 の 没 落o」 で ,ス カル ノ は シ ュペ ンダ ラー の 同書 の 大 筋 を 紹 介 して い る。 そU
)車
で 彼 は ,西 欧 が 没 落 す る とい う シ :Lペ ンダ ラー の 予 言 に賛 意 を 表 して は い な いO 逆 に 西 欧 にや が て 平等 な 社 会 が 実 現 され,西
欧 は新 しい 歴 史 の段 階 に入 って い くで あ ろ う と述 べ て い る。 しか し, 西 欧 が い ま 「痛 ん で い る」 とい う彼 (ス カル ノ) の 歴 史 認 識6)が こ こで 再 び く り返 し述 べ られ , 新 しい秩 序 が この動 乱 のiltか ら/_i・'.まれ る こ とを 期 待 し て い るo ス カル ノは, この 論文 uM抽i
で コー ラ ンの 次 の一 旬 を 引用 して い るQ 〔また 「我 々はナザ レび とじゃ」 と臼称す る者 どもとも我 々は契約を結んだが,彼 らは (神か ら)教 えて戴 いた ものの--・部をす -つか り忘れて しま ったので,我 らは彼 らの閲 に敵意 と憎悪 とをかき立てた。復活の 臼 まで も続 く憎 しみを。(その 日にな った ら) ア ッラー御 自ら,彼 らが どんな (悪事)をはた らいて来 たかを 一 々彼 らに説明 してきかせ姶 うであろう。(コー ランⅤ-14)〕7) そ の あ とで , ス カル ノは「西
欧u
j没 落 」 に闇 して 次u
jよ うに い うO 〔ヨー ロッパでの大戦は, いまや, ほん とうには じま った。われわれ は,≠ヨーロッパの没落Oに直面す る ことになるのか。"DerUntergElngdesAl ,endlendes"(西欧の没落) とは, シュペ ンダラーの 言葉 である。-・・・.(それ に よれば,あ らゆ る価史は,その頂点を きわめたの ちには 下降線を辿 るとい う。 そ して死滅す る。)・・・ 読者よ,私は西欧が没落す るとは信 じない。私は,未 来について,悲観論の立場 に立 たない。私 は,西 欧 に対 して も世界に対 して も悲観 主二義者ではないo私が信 じ,確信 してい るこ とは,人類はつね に前進を 続 け,向上 し繁栄 してい くということであ る。私はまた, その人類が, い くたびかは衰退す るが, それが, 歴史の終寓を意味 しているものだとは考えていない。私 は, それは,歴史進歩の上での粘 い, ちょうど, あ らゆる母が 予を塵む時の, その産みの苦 しみのよ うな ものであ ると考えている。 -私を,余 りに理想主義 者であると言わないでほ しい。私はまさに大いに現実的なのであ り,私 の両の
足
は現実の大地を しっかと踏み しめているのである。 (私 は西欧は再 び発展 してい くと思 うO 新 たな西欧社会,不平 等性 のない社会に生 まれ変わ ってい くと 考え る。冒頭の コーランの引用句は キ リス ト教 Lu.界の没落 について予言 したのではな くて, それ-の敵意 と憎 しみ とが生 まれて くることを予言 した ものである。 この予言は」にしか った。西欧が神を忘れ たところ に, それへの報 いを受 けることとな った。-=-
伸の教えに従えば,人 と人の問は上下支配の関係 はあ りう べか らざることであ り,事実原始キ リス ト教の世界は, そのような 世界であ った。神はまことに公平です べてを見通 され る方であるか ら, イスラム 世界 に存在す る不平等牲を もまた,決 してみのがす ことはない であろう。 してみ ると, キ リス ト教 世界 と同様の こと -没落の徴候- は, イ スラム世界 において も起 こ りうることであ る。ともあれ,私 は,西欧に もやがて新 しい平等の世界が実現 され ることを予想 してお り, そのいみで, シペ ユングラーの考え方 には, 反対である。)〕8) 6) 例えば彼の1933年執筆の論文,
「イ ン ドネシア独丑の達成のために」(Sukarno,DBR・pp・257-324・) 7) 井筒俊彦訳 『コーラン』 (上)岩波文庫,1964、pp・147-14H・ 8) Sukarno,少.lit.,pp.475--481. 237東 南 ア ジア研 究 lO巻2号 そ の平 等 性 が実 現 され る社 会 と は, ス カル ノが
,1
926
年 以 来 主 張 して きた 「経 済 民 主 主 義」
が 現 に機 能 して い る社 会 で あ る。1
941
年 の 「経 済 民 主 主 義 -社 会 民 主 主 義 と政 治的
民 主 主 義 」, お よ び 「フ ァシズ ム は没 落 しつ つ あ る貿 本 主 義 の 政 治 で あ り行 動 形 態 で あ る」
の二 論 文 に お い て1
93
3
年 の 論 文 「イ ン ドネ シア 独 立の達 成 のた め に」中
の 所 説 が再 論 され て い る。前 者 で は西
欧 の諸 思 想 家 (ジ ャ ン ・ジ ョレス , シ ャル ル ・フ- I)ェ他)
の 弁 説 を 引用 しつ つ , 議 会 制 民 主 主 義 が1
9
世 紀 の産 物 で あ り, プ ロ レタ リア ー トC
/)入 墨 発 fLと と もに ,経 済 的 平 等 性 が保 障 され な くな って きた こ とを 述 べ て い る。9)また,
後 者 で は,
「病 ん だ社 会 」 とい うイ メ ー ジ が 再 度 あ らわ れ て くる。 「フ ァシズ ム を 愛 す る者 は圧 制 者 の心 を持 つ 者 で あ る」 と 冒頭 に述 べ た あ と, ス カル ノ は 大 要 次 の よ うに語 る。〔
(第一次大戦以前の資本主義は,≠健康''であ ったが, それ以後の資本主義は,≠病んだo資本主義である。 その痛 い とは資本主義の危機の ことであ る。 この危機を恐慌 と名付 けることができる。 それは 1921年 と 1925年 にや って きた。若い健康な資本主義は,その一時的な痛いに耐えて さらに発展 してい くが,≠衰退〟 に向か う資本主義は年 老いた人のよ うに,長期 にわた って病みそ して完全 に回復す ることはできない。病 いは影のように資本主義についてまわ る。その痛いの根 は資本主義それ 自身の内にある。若 い資本主義は 構い癒えて ≠健康を取 り戻す''o Lか しその痛 いののちに痛 いの複合-conjunctuur- がや って くるOも衰退クに向か う資本主義においては,ある痛いの癒えない うちにすでに次の新 しい痛いがや って くる。 19世紀 、酎まよ り第一次大戦 までの 資本主義は上昇線を描 いていたがそれ 以後の資本主義は下降線を描 いている。 第一次大戦は,それ以前の資本主義の病 いの暁 乱 その結果であ った。 今 「ヨの資本主義は痛 いか ら回復す る力を もたないOそれが今 u有 しているのはただKekerasan-(暴力) -のみであ る。 これが, フ ァシズムの真髄である。 フ ァシズムは資本主義の最後の要塞である。ゆえにそれ は反革命であ る。・--)〕10) と こ ろで , ヨー ロ ッパ 戦 線 の動向につ い て ス カル ノ は, ナ チ ス ・ドイ ツ が敗 北 す る と語 って い る
。1
940
年執 筆 の 「腹 の 力 」 で , フ ァシズ ム が 独 裁 制 で あ り,そ の独 裁 制 の下 で ヒ ッ トラー は天 才 的 な宣 伝 技 術 に よ って,
民 衆 を 組 織 して い るが , や が て民 衆 が 自 らの飢 え に耐 え がた く な った と き,民 心 は ヒ ッ トラー か ら離 れ て い くと述 べ た11)ス カル ノ は,1
941
年6
月 の ドイ ツ軍 の ソ連 領 侵 入 の報 に衝 撃 を受 け, その
置 換 た だ ち に6
月23
日 と2
4
日に筆 を 執 って い る。 「ドイ ツ は ロ シア と対 決 し, ロ シア は ドイ ツ と対 決 す る」 が それ で あ り, そ の 中で 次 の よ う に述 べ て い る。 〔24時間前に,私 は ヒッ トラーがスター リンの匡Iに侵入 したことを きいた。24カ月前,私 は,Ernstlienrj の 一書を読んだ。24!f印 iJ-,即 ち1917年, ロシアの労働者 は自らの共 和国を樹立 した。その とき,やがて こ の共和国が西側か らの侵略を受 けることは必然であると私は考 えていた。だか ら,今回の事件 は私 にとっ 9) zlbid.,pp.579-588. 10)ibid.,pp.589-塙04. ll) 2'bz'd・,pp.357-360・卜屋 :スカル ノの第二次世界大戦 論 ては何 も 「新 しい事態」な どではない。 しか し,今回の事態で, この戦争は決定的 に重要な段落 に入 った のである。-(ヒッ トラーは ここに 2億の人 々を敵 とす ることにな った。 これは巨大な散である。 ヒッ トラーを去勢す る唯一の散であ る。それはナポ レオ ンの ロシア侵攻 とその結未 とを想起せ しめるものであ る。またこれは, 巨大な軍 と巨大 な人民 とを 敵に回 したことを意味す る ものであ る。 それ について ErnstHenriはこう述 べている。いつか大童のI宣伝 ビラが ドイツ上空か ら撒かれ, ドイツ人民 との連帯を呼 びかけるであろう。 ドイツ人民 と婦人は解 放と平 和を要求す るだろう。 1917年 と 1918年 におきたことと同 じことがおきるで あろう。 これ は ドイツでの内戦を呼びおこすOこれだけが ヒ ッ トラーを打倒す る唯一一の戦略であ るO ヒッ トラーはゲシュタポを持 って内外の敵を摘発 しているO しか し, ドイ ツ園内が一大刑務所 と化 して も民衆 の火の噴出を押え ることはで きない。地 下組織 と地下抵抗運動がお きて くる。) ヒッ トラー対 ス ター リン, スター リン対 ヒッ トラー。おそ らく世界史は,いまわれわれが体験 している この闘いほど巨大な閥いをかつて体験 したことはなか ったであろう。絶対主義の独裁者が, プロ レタ リア ー トの独裁 者に戦いを挑んでいるのである。 (ErnstHenriは両者の問いを五つの 段階に分 けて説明 している。 第 1段胤 まヒッ トラーが優勢である。 第2段階はス ター リンが逆 襲す る0第 3段 階はスター リンの軍が ドイツに攻蹴 生む。第 4段階は反 フ ァシ ズム大衆地下抵抗組織の活動が俄烈 となる。第5段階は ヒッ トラーが最終的にとどめを さされ,フ ァシズ ムは崩壊す る。 )--これが ErnstIIenriの指摘である。 これは正しいか否かそれは神のみぞ知 る。 ただ社会 の諸法則を知 る者 にとって, フ ァシズムが粉砕され ることは明 らかであ る。その内部の力 によってOまた, どこか知 ら ぬが,英仏か米か,いずれか知 らぬが外か らの力 によ って。ただそれは必ず,いやお うな しに崩壊す る。 太 陽がやがて夜を迎えるように,フ ァシズムは崩壊す るのであ る。〕
1
2)1
9
41
年 秋 に執筆
した 「フ ァシズ ム との 苦難 の 闘 い 」 で は,
先の 「腹 の力
」 お よ び上 に紹 介 し た 論 又 の延 長 と して ,ナ チ ス権力
が 内部 崩 壊 して い く可 能 性 を ,Er
ns
tHe
nr
i
の 説 を 再 度 紹 介 しつ つ , 述 べ て い る。13) そ れ で は , イ ン ドネ シア 自身 が フ ァシズ ム に反 対 す る の は 何 故 か 。 それ につ いて ス カル ノ は , 「イ ン ドネ シア は フ ァシズ ム と対 決 す る」
(
1
9
40
年)に お い て 次 の よ うに述 べ て い る。 〔(イ ン ドネシアの精神は,民主主義(民衆主 義)の精神である。そ して, フ ァシズムの精神は,反民主主義 の精神であるOイ ン ドネシアの精神は,ア ダッ ト- ミナ ンカバウを見よ。 ジャワ村落の合議をみよ.- に 従 う精神で,それは,≠ムフ ァカ ッ トクと ≠ム シャワラ〃を愛好す るものである。 そ して,イス ラム教 によ って も,≠ムフ ァカ ッ トOと ≠ム シャワラUは教え導かれている。・.・・・・しか るに, フ ァシズムの精神は,一 切の ことが らをただひとりの 欲望 に委ねて しま うもの,や偶人Uの精神に委ねて しま うものであ る. イ ン ドネシアの民衆のアダッ ト,われわれの魂 とフ ァシズムとは対立す るものであ る。 それについて- ッタはこう述べている。 rもちろん, 西欧デモクラシーは,イ ン ドネシアに解放を もた らしは しない。では,フ ァシズムはそれを もた らすであろうか。それが何を もた らすかは,われわれが等 し く承知 してい るところである。」)〕14)一
方 , ス カル ノ は , ヨ- ロ ッパ0
)民 主 主 義 諸 国 (連 合 国) そ れ 自身 につ い て , どの よ うに語 121 ibid.,pp.515-520. 13) i'bid.,pp.547-560. ]4)ibid.,pp.457--473. 239東南 ア ジ ア研 究 10巻 2号 って い るで あ ろ うか 。 彼 が と りあ げ るの は , イ ギ リスで あ る。 そ こで 彼 は , 連 合 国 が や が て ヒ ッ トラ- を i丁ち破 る こ とを 予 想 す る
諸
論 文を 紹 介 す る-・
方 ,英
田
が イ ン ド艮 衆 の支持 を 取 りつ け る こ と に対 して ,か な い‖裏疑 的 で あ る。1
9
41
年8月1
0
日 とい う執 筆立川
の あ る 「あ と1
0億c
j
)
味方
」 で は , 連合「
削 trJが イ ン ド中国
合わ せ て8
億 の艮 衆 を 味 方 に し う る とい うの に対 して , ネル ー を は じめ とす る イ ン ド艮 族運動の
指 導 者の 言葉を
F
J
H目して , イ ン ドレ
刃山_
;
/A.が 保 障 され な い 限 りイギ リス- の 協 力 は な され え 左 い と述 べ て い る015)そ れ で は イ ン ド自身 に ;/-.ち返 って , イ ン ドは そ の 独 立を 組 織 す る条 件 を有 して い るで あ ろ うか 。 それ につ いて ス カル ノは 「イ ギ リス は イ ン ドを 独 宜 させ るか」
(
1
9
41
年 )の車で ,イ ン ドの 抽 出 こ反 対 す る者 が そ の 反 対 論 の 根 拠 と して , イ ン ド人l′l身 の 自活 統 治 能 力 の欠 如 と, 独宜維持
能 力(
防 衛 力) の 欠 如 とい う2
点 を 指 摘 す るの に対 して , イ ン ドが 第1
点 に お いて , す で に十 分 な る能 力 を イギ リス到 来の以 前 か ら有 して い た と主 弓長して い る。16)そ の 次 に記 され た,
「イ ン ド独 立 を め ぐって - イ ン ドは侵
略 を撃
退 し う るか 」 に お い て は,第2
点 の イ ン ドの防衛 能 力 は きわ めて 高 い もの で あ る と, 次 の よ うに述
べ て い る。〔
(まず第-
-
-
にイ ン ドの位缶をみてみよ う。イ ン ドを例 えば強国の ドイツや 「日工と比較 してみ ると, ドイツ,日
本よ りも戦略的には10倍 も強い。 ドイツは陸続 きで前後左右敵 に囲続 されている。 し」本は太平洋
によ 一つ て防衛されているだけであ る。いついかな る時で も, 日本は,酉,
北,
南か らより強い激 に攻撃 され るO もちろん ドイツは 強 く日本 も強いO だが連合国のAI主CD の共同戦線はやがて ドイツとl月i:を破砕す る ことであろう。 しか るにイ ン ドを見給え。その北側,北西,北東を,イ ン ドはLLJ嶺天をつ く鋼鉄の柵によ とである。イ ン ドの もう-一一一万の境界は,イ ン 円1′:の大損である。その 大晦は何千キ ロにわた って島影 もな く, ここか ら攻撃す るのは至難の ことである, このよ うにイ ン ドの 土地 は戦田鋸畑二強国な上地である。 それノでは, 人はどうであろうかo イ ン ドには3
5
0
0
0
万 の人がいる。 それはロシアの2情
, ドイツ・
日本の2
倍,英仏の6
倍以上の数であ る。その うち1
5
0
0
0
万 人は,現 に活動力 に溢れ戦闘 に軋 えうる2
0
-
-
4
0
才の男 千人11であるO このような強固な ≠兵士の館〟
を もつ国は,
中間をおいてほかにな くイ ン ドの強 さは ここにきわまるo そこで次の問題はこの軍隊の質であ ′ytoその≠闘志〃の聞題である。 た しかに,イ ン ドの民衆は, ヨー ロッパ諸国の民衆よ りは)囲 トを愛好す る。またイ ン ド人民は,蚊を殺 すの さえ蹟蹄す る人民であると言われているD しか し,その平和を愛す る民衆が, ひとたびその国を攻撃 され,独
文を脅かされ,宗教を攻撃 され た時 には,決死の問いを遂行 しうることを, 世界史は教ている。 そのような民 蝶は,聖な る命令のゆえに聞 うのであ る。また,物質的な力の源最によってではな く,道 義 的な力の源泉によ って,あえて死 と立 ちむか う用意を しているのである。イ ン ドはそのような ≠道義の釦〟 であ り,道義の力 に溢れた舘である。
何 とその道義の力 は強固な ものであろうかo またイ ン ドは戦闘の際の知的能力 において もす ぐれている。海軍力 において も,かつてのイ ン ドは広 い イ ン ド洋をかけめ ぐり,現在 世界第三の侮軍国 とな っている日本をはるかに凌いでいたのである。 151 Z■bid., pp.541--546. 16)l'bz'd., pp.56ト568.2
4
0
十屋 :ス カル ノの第 二次世界大戦論 ・)]
'
,≠
賀源の乏 しき〟を云 々-
打 3左 らば,日本もイ タ リア もトル コもギ リシャもオ ランダも軍事強国 と はなれないはずである。 しか るにそ もそ もイ ン ドは資源の豊かな国である。 イ ン ドの独 立T.'ETj題 について,イ ン ド人 ス リこヴ ァサ ・イ ェルガルはLq26年に次のように述べてい る. ≠イ ン ドが独 立しえないfl掴‡lはひとつ としてない。 日本がすでに日立したようにイ ン ドもまた独 立し, 独歩独
行す ることができる。
〃
これが, 男らしい声,イ ン ド民衆の胸の底 か らほとば しり出て くる異の声である. このような声を発 し うる民衆は,何 としあわせな ことであろうか。)〕17)Ⅰ
Ⅰ
ま と め (1) 西 欧=
f:Tjや-a
)「
抑 缶li
-
棉.
こ
」
ベ ンクル ー時代
の スカル ノは 多 くU
)イ ス ラム論 を 記 した 。 そ れ らu
jイ ス ラム 論 は イ ン ドネ シ ア と トル コの イ ス ラム運 動 に託
して , ス カル ノの民 族 主 義 的 立場 を直
接 的 に主 張 した 。 第二 次 世 界 大戦 に 闇 適 して 同 時 期 に 記 され た 種 々の 畔 if評 論 は , それ に対 して 「間 接 話 法 」 の表 現 を と って い るo こ こで 「間 接 話 法 」 とい うの は , 形 式 と して い え ば それ らの 評 論 の ほ とん ど が 「この 問 題 に つ い て 彼 は こ う語 って い る」 とい う体 裁 で 出 き上 が って い る こ とを 意 味 す る。 フ ァシズ ム の世 界 史 的 意 味 , ヒ ッ トラー 敗 退 へ の 遣 ,イ ン ドの対 連 合 国 協 力 とそ の独 立 問 題 等 につ いて ,ス カル ノは そ の 評論 の 大 部 分 を 引用 で 埋 めて い る。 しか しこの よ うな 「間 接 話 法 」 は ス カル ノ の 大 戦 論 に 限 って 特 に踊 普な わ け で は な い01
92
6
年 の 論 文 以 来 ,彼 の 論 文 に は <西 欧思 想 展 示 主 義 > と も言 うべ き, あ れ これo
j
薄 物 か らの 引 用 糾 介 が 苦 しい 特 徴 と して み られ る。(
1
93
0
年 の 「法 廷 弁 説 」 で は そ れ が こ とに 苦 しい 。) そ れ ゆ え こ こで あ らた めて 「間 接 話 法 」を 云 々す る こ とは 当 を 得 て い な い か も知 れ な いo しか し大 戦 論 で は , それ以前
の もの と異 な って 「間接 話 法 」 の r恒 こス カル ノ 自身 は没 して お り, 多種 多量 な 引用 文 の合 い閲
か ら彼 の蝕舌
(熱 っぽ い主 張 )が ほ とば し り出 る こ とは な いO ス カル ノの 緊 張 した 心 境 を イ云え るの は , わ ず か に ヒ ッ トラ- が ソ連 邦 に 侵 入 した 時 点 で 書 か れ た 論 文 の み で あ る 。そ れ 以 外 は健 舌 とみ られ る部 分 も1
93
0
年 代 初頭
の 主張 が繰 り返 され て い る にす ぎ な い。 イ ン ドネ シア の イ ス ラム 社 会 の 後進 性 を 諭 ず る際 の切 迫 した 口調 とは ちが って , ス カル ノ の 大 戦 論 に は ヨー ロ ッパ 大戦 とい う舞 台 を 客 席 で 眺 め て い る趣 き が あ るO それ が 「間 接 話 法」の
内界 で あ る。 そ れ で は , 彼 は な ぜ 特 に ヨー ロ ッパ の戦 争 につ い て 「R郡 安話 法 」 で 語 りつ づ けた の か o い うまで もな く, ス カル ノが ヨー ロ ッパ 戦 線 の状 況 と動向
に つ い て あれ これ 眺 め や って い た 171 7'bz■d.,pp.569-577.2
4
1
東南 ア ジア研 究 10巻 2号 時 期 , イ ン ドネ シアを め ぐる国 際 状況 は 日 ご とに切 迫 して いたO 柚 民 地 政庁 は, 民 族 運 動 が 日 本 と結 び つ くの を警 戒 し
,1
941
年1
月に は タ ム リン, ス テ ィア ブデ ィ (ダ ウエ スデ ッケル ) ら を逮 捕 した。 タ ム リン逮 捕 oj得 意 に は,彼 が 日本 人 とo
j親 交 を深 めて いた こ と と並 ん で オ ラ ン ダ の敗 退 を新 聞紙 上 に掲 哉 しよ う と した こ とが あ った18)よ うに,ヨー ロ ッパ 戦 線 で の オ ラ ンダ の敗 走 と東 亜 に お け る 日本 - の 親 近 感 につ いて 公 然 と語 る こ とは禁 句 で あ った 。 それ に もか か わ らず , ベ ンクル ー時 代 ラジ オ放 送 に耳 を 傾 けつ つ ア ジアで の戦 火 が 目前 に迫 って い るの を感 じて い た1。)ス カル ノ は, 何 らか の形 で 彼 の年 来 の主 張 ,久 し く封 じ られ て いた く イ ン ドネ シア独 立 > とい うそU
)
主張 を時
事 評 論 を通 して 述 べ よ うと した。 第 二次世界 大 戦 勃 発当 時 ,オ ラ ンダ は ガど
の決議文申
にみ られ る 日治 政 府 設 IJ
r
.
a
)要 求の小
に , オ ラ ンダ の国 家 的危 機 につ け こみ , か つ 国 際 的状 況 を 利 して これ を巧 み に民 族 運 動 に有 利 に用 い よ う とす る脅 迫 的要 素 を感 じて いた。20)イ ン ドネ シア に お いて も, ス カル ノの
最 大 の教師 チ プ ト ・マ ンダ ンク スモ は流 刑 地 パ ンダ 畠 か ら, 民 主 主 義 の危 急 存 亡 の時 に オ ラ ンダ に対 して 独 立の要 求 を 突 きつ け る ことは,結 局民 主 主義 の敵 を制 す る こ とにな り, そ の よ うな 脅迫 は武士 (ク シ ャ トリア)の道 に反 す る もの で あ る と主 張 して ,彼 自身民 主 主義 擁 護 のく
r
_場 か ら, そ の年 来 の ス ロー ガ ン 「民 族 独 立 」 を お ろ して しま った021) しか しス カル ノの民 族 主 義 的_
\
T
/
-
.
1着か らい え ば,「
独
立を要 求 す る こ とが フ ァシズ ム に 手 を貸 す こ とで あ る」 とい う こ と こそ 「脅 迫 」 に は か な らなか った。 さ らに, ヨー ロ ッパ で危 い立 場 に あ るオ ラ ンダの 弱 み を衝 くこ とが脅 迫 で あ るな らば , そ の よ うな脅 迫 こそ植 民 地 民 族 の主体 的立 場 を 表 明す る もの で あ った。HSanamau s
ana,s
i
nimau s
i
ni
H e あ そ こは あ そ こを 欲 し,こ こは こ こを欲 す る'')とい う ス カル ノ の年 来 の主 張 か らす れ ば ,=s
ana"
ぐ あ そ こ〃)は彼 J''T'-・の世 界 で しか な い。 葺媒 Eの ヨー ロ ッパ で の戦 争 は, た しか に 「フ ァシズ ム と民 主主 義 の闘 い」 とい う様 相 を呈 して い る。 しか しフ ァシズ ム 対 民 主 主 義 の対 jLr_も彼 岸の1
日:界 の対 立 で しか な い。"s
i
ni
"
ぐ こ こ'')との かか わ り合 いで言 え ば, そ の対 立 もこ との本 質 にお いて は, 資 本 主 義諸 国間
の資 源獲 得 を め ぐる闘 い とな るので あ る。 「この戦 争 は イ デ オ ロギ ー の戦 争で は な い」 とい う言 葉 に は, そ の よ うな意 味 が こめ られ て い るの で あ ろ う。 ス カル ノが そ う言 った時 , 倫 理 政 策 の嫡子で あ る植 民 地 官 僚 (ス タル ジ ョ) とそ の鬼 子 で あ 18) 増 田与 前掲書,pp.100103. I())谷口五郎 『スカルノー嵐の中を行 く』朝 日新聞社,1()66,p.別.
なお 『自伝』zF」にもラジオの件がでて くるO(スカルノ,黒用木
淘訳 『スカルノ口伝』角川文庫,1969, p.187) 20)J
.
Pluvier,op.Cz't.,p.13(). 21) Z'bz●d.,p.167. 242七尾 :スカルノの第二次世界大戦論 った
独
立運 動C
))闘 L・とは, ここにほ ぼ一
冊 代 を経 て和
交 わ るこ とにな る。 先 に「
間
接話 法 」 と述 べたo
)は, ス カル ノに と って ≠あそ こ''の 出来事 が しょせん 彼 岸 の世 界で のHJl来 榊 こす ぎなか った とい うこ とを示 して い るo また, ス カル ノが 「フ ァシズ ム は刀 で あ る。 そ の刀 が い ま ヨー ロ ッパ を切 り裂 いて い る」22) とい う時,彼
に と って の第一 の関心事 は, その刀 が邪剣 で あ る とい うことよ りも, 刀 の切れ味 その もので はなか ったで あ ろ うか。 もちろん それ は邪剣 で あ る と彼 は言 う。 しか しそ の 那剣 を 破 るの は,民 iJ.主 義諸国
家 で あ るよ り も,ス カル ノの 「マル ク ス主 義」的側 面 の立場 か らみて, 植民 地民 衆 の希 望 の灯 とな って いた ソ連邦2
億 の民 衆 と ドイツ 自身 の民衆 の力 で あ る。そ して 刀 と刀 の 切 り結 ぶl
回 、ら ヨー ロ ッパ に新 しい秩序 がji:_み 出 されて くると彼 は考 え るので あ る。西欧
世界 が 「病 ん で い る」 とい う1
933
年 以来 の ス カル ノの歴史 観 が ,そ こで は再度新 た な意味 をお びて, 表現 され るこ とにな るので あ る。 (2) ア ジア につ いて ス カル ノは流 刑地 で 最 後 まで オ ラ ンダ協 力 の姿勢 を示 さなか った。1
94
・
1
年春植民 地 顧 問官 パ イベル (
Pi
j
p
er
)
に,
「親 オ ラ ンダ的論 文を記 せ ば ,ジ ャワ- の帰 還 を許 そ う」 と悠 思 され た時 に ス カル ノが答 えた の は 「私 は この誘 いの事実 を イ ン ドネ シア民族 運動 に向か って知 ら しめ よ う。 そ して ブ ン ・カ ル ノの立場
を明 らか に しよ う」 とい うことだ けで あ った。23) スカル ノが客 席 に身 を胃 いて やあそこ〟の舞台 の移 り変 りを眺 め,ときに コー ラ ンを 引用 し, と きにジ ンギ ス汗 につ いて語 りつつ24)屈折 した形 で彼 の民 族 主義 的 立場 を表 明 して いた時 に, 彼 の最 大 の関心 が太 平洋 を と りま くア ジア の動 向, ことに日本帝国の動 向 にあ った こ とは, い うまで もな い。 ス カル ノの太平 洋 - の関心 は1
92
6
年∼2
9
年 当時幾 度 か語 られて いた 。そ の中 で太 平 洋 で戦 争 が勃 発す る可能 性 につ いて,1
92
8
年 に こ う述 べて いた。 〔--・われわれは汎アジア主義に立つ。 なぜな らばこの時代はやがてわれわれを してアメ リカ, 日本,イ ギ リス等の帝国主義の巨人たちが,餌食を求め権力を求めて相闘い,太平洋で死闘を くりひろげることに なる状況の目撃者たらしめるであろうか らである。この時代は,やがてわれわれを太平洋に逆巻 く大暴風 雨の波浪のただ中-と運んでい くであろう。すでにいま風のとどろきが聞こえ始めている。欲する時には いつでも飛びかかろうと自らの牙をむきだ Lにした獅子のように,また敵を丸呑みにせんとして多 くの口 22) Sukarno.op.lit..p.472.23) BernhardI)ahm,SUKARNO and i/!eSlrugiJleI- )ndone∫ian htdepetldenrβ,CornellUniv.Press,
1969,p.213.
24) スカルノは1941年に 「アジアの大帝国 E義者ジンギス汗」を記 し,その中でジンギス汗が ヒットラー はもちろんのこと,西欧のいかなる英雄 も及びがつかない史上猿人の帝匡‖:_義者であったと述べている。
(SukaTnO,OP.citリpP.6051ilO.)
東南 ア ジア研 究 10巻2弓・ を開いている巨人 ダサム コ (ワヤ ンの登場 人物)の ように,五つの拠点,すなわち, ダッチ ・-ーバー, ハ ワイ, ツツイラ,ガム,マニラか ら,アメ リカは強固
不
抜の梅の要塞を築いて 日本を包囲 している。そ して 県木もまた,シンガポールに要塞を築いたイギ リスに従 一つて,tLfらの武器を磨 ぎすま している。 その太平洋の- りに位置 しているわが国は,それ らの巨 人の闘/
f
I・に巻き込まれ るのではあ るまいか.そ れゆえいまか らすでにわれわれはそれ-の準備を しておかなければな らないのではないか。やがて太平洋 戦争が太平洋で燃 え上が ったとして も,驚かないように してほ しい。やがてわれわれの敵同志がわが国の 近辺で,あるいはわが国土 日身で死問を くりひろげたとして も, それ-の準備がで きていないとい うこと のないよ うに したい。アジアの他の諸民族が相互に結 合 しつつ, この激動の中で 自らの態度をいかに決す べ きかを知 ったの にご、さかえ,われわれがr
JL-i,の態 度について無知でないように したい ものである。〕25)後年
「
自伝」
の中
で ス カル ノ は,
L記 の論 文を1
941年 7
月 に 記 した と述 べ て い る26)が, これ は 明 らか に被 の記 憶 ち が いで あ る. そ して そL
J)ま ちが い は,当時o
)彼 が大 坪':洋 でc
j
j戦 争 勃 発 に いか に 関 心 を払 って い た か を逆 に物 語 る もの で あ る。 そ の「自
伝
Iiで はす ぐ後 に続 けて 「私 の 希 望 や 夢 を - 左目こもた らす で あ ろ う と結 論 づ け た こ0
)戦 争」27)と言 って い る。 「希 望 や夢」と は独
17-_の 別 表 現 に は か な らな い。 た だ , そ の戦 争-の勃 発 が イ ン ドネシア の独 :lrl_と どの よ うに開 通 す るの か は,1
92
8
年 の論 文申
で は明 解 に語 られ て は い な い。1
93
()隼 の 法 廷 弁 説 で も彼 は太 平 洋 で の戦 争 勃 発 の可 能 性 につ いて 語 って い る。28)そ こで は彼 は, 戦 争 が お きた 時 , い か な る武 器 も手 に して い な い イ ン ドネ シア民 族 が ど う して独 立 を 奪 還 しえ よ うか ,と述 べ て い る, これ は ,1
93
0
年 に国 民 党 が 蜂 起 しよ う と して 謀 議 を め ぐら した と い う 政 庁 の 訴 状 に対 す る ス カル ノの
弁 明 で あ る。 25) ibzdリP.77・ ただ し, イ ン ドネシアにおいて 太平洋戦争勃発の可能性 について もっとも早 く触れたのは タン ・マ ラカ であろう。 彼は1925年 に後の スカル ノのT敷きをなす彼の見解を 『イ ン ドネ シア共和国をめざして』の 中で次のように述べている。 「・--二つの帝閃
E義諸岡問の 政治的経折的対 Ilr.が新たな戦争をひきおこす ことは否定 しえないO 連合によ って脅かされていると感 じ,そのため最強の敵 ≠ソビエ トクにかかえ こまれて しま った。資本 主義諸国の対立は, ヨーロッパ とアジアとを問わず,いつで も新 しい戦争を惹起せ しめるものである。 シンガポールの要塞 ほいま保守的な英国政肝によ って建設 されている。 また, 米 伊戟争 に対処す るた め英米蘭の 共同行動の緊密 化をめ ざして太平洋では共同演習が行なわれている。 甘木の急速な陸海即 の拡充 は, 今次の世界大戦よ りもさらに巨
人で戦懐すべき太平洋での新 たな 世界大戦中があ りうる こ とをますます確信 させ るものであ る。 (′潜,rklI仁義諸国の内で,アメ リカとH本は共同協調す る要素を持 ちえない。明 口か明後 日か この二つ の帝国 主義閏は剣を とって太平洋でその力を決せずにはおかない。 しか しH米戦争がいつ起 こるかほ, 誰 に も言えないことである。)・-・ -イ ン ドネシアにとって も, 次の ことはまだ即答することはで きない。 すなわ ち太平洋戦争において 独立を追求す る好機を得 ることができるか否か とい うことに対 しては即答 はできない。」(Tan Malaka,/7/enud/●uRepubh'/i,)JZdt,ne
∫
Z
●
a
,Kantong,1925,p.18.pp.58-60.)この中で タン ・マ ラカは, さらに戦竹の渦中で権力の〕甘ノ珊 ミ態 ともい うべ きものが発牲す ることと, シンガポール,オー ス トラ リアの 「連合国防衛線」が牛偏され た ら,イ ン ドネシアの独立 は困難 にな る ことを予想 している。 いかに も透徹 した見通 しとい うことがで きよう。
261 スカルノ (黒 Lf]訳)前掲書,p.19・3.
27) zlbz●d.,p.194.
土屋 :スカルノの第二次世界大戦論 それか ら