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真怪

著者名(日)

井上 円了

雑誌名

井上円了選集

20

ページ

347-509

発行年

2000-04-28

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004706/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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ノ、

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1 サイズ(タテ×ヨコ)  185×125㎜ 2.ページ  総数:323  序言: 2  目録: 9  本文:312 3.刊行年月日  底本:初版 大正8年3月16日

樵雛灘

 灘㌘

耀灘

 ] ☆ ⑳

麟灘

   ン     ド 零灘籔繋素灘湊灘漂灘 穴捲∧違麟灘十病瀕貰         ジンタ  、該  蒙“菱矛︾劣 (巻頭) 4.句読点  あり。総ルビ 5.発行所  丙午出版社

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こりたる事実について説明を試みんと欲し、最近二十年間、新聞﹁雑報﹂中に散見せるものを探り、数十項を得 大正八年二月 著 者 識 347

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348        第一項 真怪有無の問答  ︵問う︶ むかしは、俗人はもちろん学者までみなことごとく、天地間には真の妖怪、真の不思議があるものと 信じていたが、今日はわずかに普通教育を終わり、ようやく人間らしくなったくらいのものまで、すべての妖 怪、不思議は迷信である、妄想であるといって、いかなる事実でも、一言半句の下に打ち消してしまうようにな ってきた。一体、人間は宇宙間に生息する一動物に過ぎぬ。進化論にては、人間と猿とは兄弟の間柄と申してお る。わが国でもむかしは、猿は人間に毛が三本足らぬとかいい伝えておる。猿よりまさること毛三本ぐらいの人       せいあ 間が、いかに知識が進んだとしても、宇宙の広大無辺なるに比較すれば、井蛙管見の類に過ぎぬ。仏経の中には  しゆい       によらい  えんがく  きようがい  そくど       しゆみせん ﹁思惟の心をもって如来、円覚の境界を測度するは、なお蛍火を取りて須弥山を焼くがごとし﹂との語がある が、われわれの知識をもって世界万類を究め尽くそうとするは、なお蛍火を集めて太陽の代わりに用いんとする にひとしきものである。されば、世地間には人知にて測り知ることのできぬものがあるべきはずで、真の妖怪も 真の不思議もありという方が当然と思う。これは決して理論ばかりではない。実際世間に起こった事実中に、い くらも不思議、不可解のものがある。しかるにその事実を無視して、ただ一概に文明の世界には不思議はないな どと断言するは、妄断もまたはなはだしといわねばならぬ。ついては、真怪の有無について、貴説いかんを承り たいと思う。

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ることが分かり、別段不思議とするほどのものでないから、仮の妖怪としなければならぬ。これに物怪と心怪と を分かち、すべて物理、化学、動物、植物等の物質的諸学によって研究する方を物怪と名づけ、心理学の研究に 属する方を心怪と名づけ、物理的、心理的の二種を分かつことにしてある。第四の真怪は、実怪中の実怪にし て、心理も物理もその力及ばず、人知以上にしてわれわれの知識に超絶せる妖怪なれば、超理的妖怪と名づけて おく。もし、仮怪を科学的とすれば真怪は哲学的である。しかも、哲学には現象と絶対との別あれば、仮怪を実 怪中の現象的妖怪と名づけ、真怪を実怪中の絶対的妖怪と名づけてもよかろうと思う。  この妖怪分類中に真怪を置く以上は、余の意見が真怪ありというの論なることは、問わずして明らかである。 ただ余は、世間にて真怪にあらざるものを真怪と定め、偽怪も誤怪も物怪も心怪も、みな真怪の待遇を受けてお るありさまである。あたかも等外も判任官も奏任官も、みな大臣の待遇を受けておると同様なれば、その資格を 判然と区分して妖怪の名分を明らかにしようというのが、余の妖怪研究に取り掛かったわけである。ついては、 およそ真怪と思わるるような事実をいちいちあげて尋問してもらいたい。余はしばらく審査官の位置に立って、 真否の判断を下してみようと思う。 350        第二項 田間に停車場を幻出せる不思議  ︵問う︶ ただいま御諭示の次第はよく分かり、ありがたく感じました。されば仰せに従い、遠慮なくおたずね 申し上げましょう。これまで見聞せる事実中には、たくさん真怪と思わるる事柄があって、どれからおたずねす       ごう ればよいか自ら惑うほどである。そのうちで取りあえず心に浮かんだことから伺いますが、今より数年前、江

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しゆう おうみ 州︹近江の国︺の東海道本線に起こった出来事が、いかにも不可解の怪事かと思わる。最初、草津駅と大津駅と       やみ の間には停車場のなかったのを、近年石山駅が新設せられた。そののち間もなく一夜深更、暗を破りて西方より 進行し来たれる汽車が、いまだ石山駅には達せぬと思うのに電灯の光を認め、停車場に相違ないと考え、急に機 関車をとどめて停車した所が全く田間であって、実際の停車場はなお先方十余丁も隔たっていたそうだ。翌朝に       たぬき なって線路を検せしに、夜中停車せし場所において狸の死体を認めたという話がある。つまり、狸の仕業にて 田間に停車場を現出せしめたに相違ない。これらは真の妖怪であろうと思うが、いかがでしょうか承りたい。  ︵答う︶ ただいまたずねられたる怪事は、果たして事実のままなるや、または実際よりもおまけをつけて大き くした話なるや分からぬけれども、もしこれを事実として見るに、余は物理的仮怪であると思う。すなわち、物 理の道理より自然に起こる現象にして、格別不思議とするほどのものでなかろう。湖水のごとき水面には、気候 と空気との関係上、水上に濃霧を起こすことがある。例えば、気候が激変して空気の温度が急に上がったような ときに、空中の水気が最も濃厚なる霧となり、その霧が深夜暗黒の場合に鏡の代用をなして、数丁隔たりたる停 車場の電灯を反映することがある。多分、石山駅の電灯が湖上の濃霧に反映したを誤認せしものかと思う。その 停車せし場所がまさしく琵琶湖に接近せる田間であるから、濃霧の作用に帰してよろしい。さなければ、水面に        ごう 映射せる電灯であろう。かく考えきたらば、毫も不思議ではない。 ︵問う︶   第三項 狐狸が汽車を停車せしめた怪事 夜中、誤認したる停車場は濃霧の反射とするも、        51          れきし      3 翌朝、線路の上に狸の礫死せしを見出だせしは不思

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議ではなかろうか。すでに今より二、三十年前、京浜の間において夜中汽車進行中、先方よりしきりに汽笛を鳴 らして、他の汽車の走り来たるを認めた話もある。その当時は鉄道が単線であったから、衝突を恐れて途中に停        きつね 車したるに、先方より汽車は来たらず、翌朝に至りて見るに、線路のそばに狐の死体が横たわっていたそうで ある。この事実より推して、前夜の汽笛は、全く狐が汽笛を鳴らしてだましたに相違ないとの評判であった。そ の後、山陽線にもこれと同様の出来事の起こったことがある。かように狸や狐の死体のあるのは不思議と思いま す。  ︵答う︶ 狐が汽笛を鳴らしたという話は、当時の新聞にて余も読んだことがある。そのときは深夜であったか       ちくこ ら、風の向きにより遠方の汽笛が非常に近く聞こえ、人をして誤認せしめたものらしい。先年、九州にて筑後川         きようりよう に架したる鉄道の橋梁を、深夜汽車の通行せざる時刻を計り、その近傍のものが橋上を渡り、中間にて近く汽 笛を聞き、臨時の発車ありしものと認め、あわてて水中に飛び込んだ話がある。しかるに、その汽笛は遠方の工 場の汽笛であって、汽車ではなかった。遠くの汽笛があまり近くに聞こえたために、この失敗を招いたのであ る。かように、夜が更けると遠い音が近く聞こゆるから、京浜線や山陽線の汽笛話は、遠方の汽笛を誤認したの          たぬき      れきし であろう。つぎに、狸や狐の蝶死話は信ずることはできぬ。もし事実とすれば、偶然の出来事と見なければな        テき り らぬ。そのわけは、もし狐狸に神変自在の作用ありて、よく汽笛や停車場を空中に現出せしめ得るならば、汽車         たお のためにひかれて艶さるるような愚を演ずるはずはない。犬や猫ですらも汽車をよけることを知っておるに、人 をばかす力ある狐狸が礫死するなどは、常識で考えてみても受け取られぬ話である。これは全く人の付会したに        ひれ 相違ない。すべて妖怪談には尾や鰭をつけていいふらすものであるから、狐狸の仕業にしたいために、ことさら 352

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一部落全く濁水に浸され、井戸の中まで浸水して、味噌も糞も一緒になり、減水の後、井戸替えをしなければ井

の薔積しておることがあって、鉱山を掘る際には、そのガスにつき当たりて発れるものがある。多分、今の井戸

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       第五項 八幡知らずの怪談       やはたし    54  ︵問う︶ 井戸の怪事については少々古伝説に属すれども、伺っておきたいことがある。それは﹁八幡知らずの 3 森﹂の話であって、昔より名高い怪談になっておる。伝説によれば、その森林の中に井戸がある。もし、人来た ってそのそばに至れば、井の中より美人現れ来たり、手を取りて井底へ引き入れてしまう。そうすると再び帰っ て来ることができぬというが、これも不思議ではありますまいか。  ︵答う︶ 八幡知らずの話はたびたび聞こえておるのみならず、その場所は東京市中より四、五里離れたる近郷 なれば、先年一度たずねて見たことがある。今でもその森は依然として残っておるが、四面に柵をめぐらして人        のぞ のふみこめぬようになっておる。それゆえに外から覗いたばかりで、中を探検せずに帰って来た。古伝説により       どくせい て想像するに、そのうちにある井戸は天然の毒井であろうと思う。すなわち、井底より自然に毒気を噴出する井 戸らしい。摂州︹摂津の国︺有馬には鳥地獄と名つくる噴泉がある。その名の起こりは、鳥が飛んでその泉上に来        たお ると、たちまち弊れて落下してしまう。よってこれを毒泉とみなし、維新前は厳重に木柵をめぐらし、人をして 決して近づかしめぬことになっていた。しかるに、明治年代になって化学的試験を行ってみたところが、純然た       びん る炭酸泉なることが分かり、毒泉にあらずして薬泉であると知れ、爾来、有馬名物として瓶に詰め、盛んに輸出 しておる。しかして、鳥が上より落ち来るのは、その泉より発する炭酸の気を呼吸するために弊るるのである。 これと同じく、八幡の森の中の井戸も、その底より強き炭酸ガスのごとき、人の呼吸に有害なる気を噴出し、そ のそばに至るものはこの毒気を吸って、井の中に艶れ込むのであろう。美人出現などは、小説的に構造したもの に相違ない。かく想定すれば、この怪事も物理的仮怪にすぎぬこととなる。

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ていたそうだ。この人は決して嘘詐りをいうようなものではないと聞いたが、これは真怪でありましょうか、

では前に申せしごとく、濃霧の作用ならんかと思う。先年﹃妖怪学講義﹄中に、オーストリアのプロッケン山

て、わざわざ見物に登る人がある。その怪影は人の影が夕日に照らされ、後峰にかかれる濃霧に映るのであるそ

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       こらいこう うだ。これと同じく月山にては、登山のものが旭日の御来迎と称して、谷間に大いなる人影が現れ、人が歩けば        56 その怪影も歩くそうである。これはすなわち、そこに立っておる人の影が旭光に投げ出されて、谷間の濃霧にう 3 つるのであろう。深山の濃霧はすこぶる濃厚であって、鏡の代用をする力がある。深山のみならず、海上にもよ くこれに似た話がある。余が千葉県の九十九里で聞いた話に、ある夏の夜、海上に大怪物が現れたといって、 人々騒ぎ立ったときに、その村の小学校長が聞き込み、自身も海浜へ出て見たそうだが、評判のごとく海上に大 いなる人影があらわれておる。自分が歩けばその怪影も歩き、わが方にて手をあぐれば、かれもまた手をあげ       ちようちん る。そのときには海を右に控え、提灯を左に持っていたが、もし提灯を右手に移すと、たちまちその怪物がな くなってしまう。よくよく検するに、その夜は海上に濃霧がかかっていたので、たやすく原因を知ることができ た。すなわち、海岸に立っておる人の影が、提灯の光で海上の濃霧にうつったことが知れたと、これを実験した          こうしゆう おうみ 校長から聞いている。江州︹近江の国︺の石山駅の幻影も、この話に照らせばなお一層疑いを解くことができる。 これらの実例に考えきたらば、相州大山の大入道は、全く登山者の影が旭光に照らされて、後方の濃霧にうつっ たものであることは疑いないと思う。暫時の後その幻影が消失したのは、濃霧の晴れたせいであろう。かく想定 しきたらば、前の話とひとしく物理的仮怪であって、真怪を去ることなお遠しといわなければならぬ。       第七項 火の玉、狐火の不思議         きつねび  てんぐ び  りゆうとう  ひ  たま  ひとだま  ︵問う︶ 世間では狐火、天狗火、竜灯、火の玉、人魂の話がたくさん伝わっておる。そのうちには、これぞ 真怪ならんかと思わるる不可解の火がある。古書に載せたるものは信を置き難しとするも、現在その事実が所々

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にあるから、ここに一昨年の﹃新潟毎日新聞﹄紙に掲載ありし、越後北蒲原郡水原在天王の、火の玉実験談だけ

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      あいて      や   らみると、対手次第で種々な芸当を演るらしい。       じきわ   58    また、天王に永く駐在しておる某巡査も、ややこれに類した苦い経験をなめたそうだ。同氏の直話によれ 3        はいけん  いか   ば、ころは明治の末ごろである。ある雨夜の晩、侃剣姿厳めしく巡回に出かけた帰途、にわかに頭の上が明   るくなったので、ハッと上を見ると、大火の玉がクルクル回っておる。﹁アア、火の玉、火の玉﹂と思わず   呼ぶやいなや、かの火の玉は二、三間の所まで肉薄し来たって、炎々たる炎はいやがうえに燃えあがってお   る恐ろしさ。自分が急げば火の玉も急ぐ、自分が止まれば火の玉も止まる。かくすること二、三回に及んだ   が、さらに去りそうにも見えず消えそうにもない。が、恐ろしくなって、われ知らず一目散に村まで駆けつ   けて、手近の農家をたたき起こして飛び込んだ。    正気に返ってみると、まだ身体のふるいはやまない。家人は不審がる。さりとて職掌柄、ありのままを話        たきび   すもきまり悪く、あまり寒くもなかったが、寒さにかこつけ、焚火に夜を明かして帰ったとのことである。       し ば た   この奇々怪々の事実に遭遇した氏は、早速新発田署へ報じた。すると間もなく、署長以下探検に来るとの通       さ た や   知があったが、いかなる都合か今に沙汰止みとなって、正体はますます疑問のうちに葬られてある。  この火の玉談などは、どうしても真の妖怪であるかと思われますが、いかん。       きつねび  ︵答う︶ 俗に不思議火と唱うるもの、例えば火の玉、狐火、竜灯のごとき、その原因まちまちにして、ある いは地中より発するガス、あるいは空中より生ずる電気、あるいは地上に接近せる流星、あるいは腐朽せる草 木、あるいは夜光を放つ魚虫、あるいは電気を発する禽獣等、種々あれば、ただ一言にて断定を下すことはでき ぬ。そのうち多くは地中より生ずる燐火、または燐化水素のごときガスである。むかしは狐火を狐の嫁取りと称

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      ちようちん      え し、多くの狐が提灯を付けて歩くと申し、画にまでかいてある妖怪はだれも信じないが、すこしく道理の分か        い き った人は、狐が口に骨をくわえてこれに息気を吹きかけると、その気が火になると唱えておる。実際これを目撃 したというものもある。しかし余は、やはりある 種のガスであろうと思う。そのわけは、狐火の発するには、 たいてい気節と地位とが一定しておる。もし狐の所為ならば、どこにも起こり、いつでもありそうなものであ る。また、日本中に狐の全くすまぬ島が多いが、その島にもかかる火を発する場所があるという点より考えて も、狐の火でないことが分かる。つまり地層の情態により、火に見ゆる一種のガスを発すべき場所があって、気 候と空気との関係上、発生するときとせざるときとがあるのと思う。今、引証せられた越後天王の火の玉は俗に ひとだま      こんばく 人魂というので、死んだ人の魂晩が火になって現れるのであると民間にて申すけれども、その説はもとより迷信 にして取るに足らぬ。人の霊魂が火であるはずはない。もし火であるならば、日本国内だけでも毎年百万ないし 二百万の人が死する割合であるが、これがみな火の玉になって現れそうなものだ。いよいよ幾百万の火の玉が出 てきたならば、電灯もランプもいらず、全国不夜城となるわけだ。これほど調法なことはなかろう。今聞いた新 聞の記事によれば、湿田とある、すなわち沼田である。むかし海の州であったに相違ない。かかる場所に多く燐 化水素のごときガスを発生するものと見えて、火の玉が出るといわるる地は、たいてい湿地または沼田である。 ゆえに、天王の火の玉はガスであろうと思う。猟師が鉄砲を放ちたればその火が消えたのは、集まりしガスが散        たらい ったのである。ただし、猟師そのものが盟とともに空中に持ち上げられたというのは、猟師の恐怖の一念より 起こせる心理作用と見なければならぬ。巡査の実験談に、われと火の玉と進退去留をともにせしことが出ておる        59        3 が、これはいずれの火の玉の場合にも起こる現象で、火の玉そのものが軽きガスの一塊なれば、人の追うと逃げ

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るとによりて、空気に多少の流動が起こり、その流動に従って火の玉も移動するのである。また、その光が炎々       60 と大きく見えたのも、己の心で大きくしたのに相違ない。よって、火の玉の妖怪も真怪の仲間入りはできぬ。  3       第八項 不知火の怪象     きつねび  ︵問う︶ 狐火や火の玉は、ただいまの御説明によりて真怪でないことは分かったが、わが国の歴史上もっと        つくし   しらぬ い も名高き大妖怪は筑紫の不知火である。今日にても毎年、天草や島原で実見することができるから、古代の妄説          ひぜん  ひ ご とはいわれぬ。すでに肥前、肥後はもと火の国と称せしが、その名は不知火より起こったと聞いておる。その実       せいゆうき 況については古今の数書に出ておるが、そのうち﹃西遊記﹄の記事を見るに、        みそか    筑紫の海に出ずる不知火は、例年七月晦日の夜なり。昔より世に名高きことにて、今も九州の地にては、   諸国よりこの夜は集まり来たりて見ることなり。    予は、かかる奇異のことのみ探らんためばかりに下れることなれば、盆後早く長崎を立ち出でて、雲仙が   だけ      そうぞう   岳に登り、それより島原に出でて、城下より舟に乗り、天草に渡り、天草の惣象といえる山の峰にて、不知       ひ ごのくにう ど   火を見物せり。まず島原にて、﹁不知火を見るは、いずれの地よろしきや﹂とたずね問うに、﹁肥後国宇土、   やつしろ  まつ   八代、松ばせの辺りの浦々よし。また、ことによく見ゆるは天草の島なり﹂というにぞ。さらば天草に渡る   べしと便船たずぬるに、辺土ゆえに便船もなければ、小さき猟船をかりて渡る。        ねずみしま       み    しま        いくしま    案内の人、指さして、﹁右なるは鼠島なり、左は大島なり、それは三つの島、これは幾島﹂と数々おし   う。げに海上三里ばかりに、いと小さく島々見ゆ。﹁不知火はいずれに出ずるや﹂と問うに、﹁島々見ゆるあ

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たり﹂という。はじめのほどは人里も遠く、いとものすごき島山なりしが、おいおいに不知火見物の人々出 で来たりて数十人に及ぶ。みな、この国より二日路、三日路をも来たりて見物する人々なり。       さ  よ  今年は例よりは残暑も強けれど︹も︺、かかる海辺の高山に、ことに空はこころよく晴れたり。小夜風︹も︺ おもむろに吹きていと涼しければ、夜の更くるも知らず、はや夜半にもなりしかど不知火のさたなし。今年          こよい はじめて見る人は、﹁今宵はいかなることそ﹂﹁不知火は出でざるや﹂﹁ただしはそらことなりや﹂など口々 にいう。予も怪しみいたりしが、八つ近きころ︵午前二時ごろ︶に、はるか向こうに波を離れて赤き色の火 〔一 ツ︺見ゆ。しばらくして、その火左右に分かれて三つになるように見えしが、それよりおいおいに出ずる        かす ほどに、海上︹わたり︺四、五里ばかりが間に百千の数をしらず。明らかなるあり幽かなるあり、きゆるあり        ちよう 燃ゆるあり、高きあり低きあり、誠にはなはだみごとにして目を驚かせり。その火の色みな赤くして、灯 ちん 燈の火を遠く望むがごとし。例えば、大阪の天神祭りをおびただしく集めて見るに異ならず。実に諸国より 来たり見るも、いたずらならず。所の人に問うに、年によりて、多きことも少しきことも定まらずとそ。今 年はすぐれて多く出でたるも、予が幸いというべし。  広き海中に出ずることなれば、天草に限らず、肥後地よりもいずれの浦にても、みなよく見ゆるなり。し かれどもいかなるわけにや、高山に登るほど多くみごとに見ゆるとて、この山なども群集せるなり。この夜 はこのあたりの者、海中に竜神の灯明を出だしたまうなりとて、恐れて渡海の船を禁ず。猟船といえども、        さむらい この一夜は乗ることなし。過ぎし年、肥後の士ひそかに小舟に乗りて、かの火の出ずる所に至り見るに、       61       3 ただその火、前後に遠くありて、わが船近くは一つも見えざりしとそ。予も今宵まのあたり見しかど、いか

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  なる火ということを知るべからず。昔の人の不知火と名づけおきしも、もっとものことと覚えし。       62    さて、夜明くるまでかくのごとくにして、旭日出ずれば、火の光漸々に薄くなりゆきて、星とともに消滅 3   す。むかし、火の前の国、火の後の国と名づけられしも、故あることなり。  この記事を見ても実に不可思議である。名前がすでに不可解の意を有しておるから、真の妖怪の中に加えては いかがでありましょうか。  ︵答う︶ 不知火は昔より名高い妖怪であるから、先年、あたかもその期節に肥前の島原に宿泊せしにつき、一 夜十二時に起きて夜明けまで海岸に立ち、海上を望んだことがある。しかし、そのときには不知火が現出しなか った。聞くに、風のあるときには現出せぬとかにて、その夜少々風があった。翌晩は一層風が強く吹いたから見 物に出なかった。むかしは竜神の所為と申したが、近年はいろいろの説が起こり、一説には海底噴火口があっ て、時期により火を噴出するというものあれども、信ずることはできぬ。また一説には、光を放つ細虫が無数発       こんせき 生する故であるというも、ある専門学者が海水を顕微鏡にかけて見たけれども、痕跡を認めぬというから、これ も信ぜられぬ。しかるに一昨年来、両度大仕掛けの探検をしたことが新聞に掲げてあったが、その結果も不得要 領で終わり、依然として知らぬ火となっておる。この探検にては漁火を誤認したもののごとく伝えられたが、余  ちくごやながわ が筑後柳川に至りし際、校長が数年前に探検した話を聞いた。これも漁火説であった。その話によるに、海中に 浅瀬があって、潮の引くときに漁村のものがタイマツを付けて、貝拾いに出ておるのであったと申しておる。し かるに余は別に一説を唱え、先年著せる﹃おばけの正体﹄の中に書いておいた。もとより、今日一般に不知火を       せいゆうき 見たといううちには、漁火や汽船の火を誤り認めるのが多かろうと思う。ただ今の﹃西遊記﹄の記事も、貝拾い

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        せいせい       せきばく  してもの寂しく凄々たるにぞ、一名寂箕を語れば、また一名も寂々たる旨を告げ、ますます寂々として、実  に生きたる心地なきに至る。折節、なにものか戸外に来たりて﹁退去せよ、退去せよ﹂としきりに告ぐる声       しせき        こんめい  すれども、題尺も弁ぜざる黒暗の雨夜なれば、いよいよ恐縮し心魂を昏迷せしが、その地より七、八間を隔        かや  てて、壮健なる同業の者両人、小屋を設けて宿せるを思い出だし、にわかに木皮に茅をつかねて火を点じ、  この光にてようやく同業のもとに着きて、九死に一生の心地してその始終を物語りしけるに、しばらくあり  て、大岳の崩れたるごとく震動す。その声山谷に響き、あたかも百千の大雷一時に墜落したるかと、四名の   きようがく  者驚愕して、この上いかなることあらんも計り難しと、終夜眠らずして東方の白むを待ちて、明くるやい       たつみ      すみがま  なや、ただちにかの場所に至り見るに、巽の方の大岳崩れ、炭竈ならびに小屋の辺りは一つの小山となり        しかばね  たり。もし、前夜ここを退去せずんば、二名の屍は万人の力を尽くし掘りうがつとも、一毛骨をも得るこ  とあたわざらんに、﹁退去せよ、退去せよ﹂と通知せしはなにものなるを知らず。かかる天変地妖の大災害  を前知するは、なんぞ人のよく及ぶところならん。つらつら案ずるに、前知したまうはこの山に鎮祭し奉る  おおやまぎ       めいじよ  いの  大山舐の神ならんと、炭焼きを業とする輩、平生この山に入るごとに、必ずこの神を信仰し、冥助を薦る。        か ろ    ふ  ゆえに猛獣、大蛇の禍害もなく、深山幽谷の一蝸盧に臥して生計をなすことを得て、ことにかくのごとき大  危難を救助したまうなり。ああ、誠敬もて神につかうれば、神は加護したまわざることなきものなるを、こ  の一項を見ても知るべきなり。予、このことを該村人に聞きつ。よって、これを四方に告ぐるなり。 右の記事が事実ならば、真に不可解と思わる。いかがでありましょうか。 ︵答う︶ その記事によれば、山神の冥助に帰してあるも、今日にては学理上説明することができる。すべて地 364

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下において大変動を起こす前に、地上の空気に異変を生じておるに相違ない。当夜に限りてもの寂しく、たえか ぬるように感じたるは、その地気に打たれたのである。しかして、﹁退去せよ﹂という命令をききこみたるは、 地下に大変動を起こす前に小震動を生じ、その響きに接したのであろう。両人とも、そこにいかねて他へ移ろう と思っておる際に、異様の響きをきき、これを﹁退去せよ﹂と誤認したものらしい。汽車に乗って機関車の走る 音をきくと、わが心の予想どおりに聞こゆるものである。品川駅なら﹁品川品川﹂と聞こえ、大森駅なら﹁大森       おうみ 大森﹂と聞こえてくる。先年、近江鉄道の株券が、全く利益の配当がないから、その汽車の響きが﹁株ただ株た       が だ﹂と聞こゆるとの評判で、余もこれに駕せしときに、確かに﹁株ただ﹂と聞き取ったことがある。これと同様 に、退去しようと思う予想をもって聞くから、地響きまでがそのとおりに聞こえたに相違ない。よってこれは、 地層内部の変動から予告を得たのである。それゆえに、かかる話は物理的妖怪にして、物理自然の道理によって 説明ができる。しかして神の霊験は、物理以外、感覚以上において、至誠の精神中に感ずるもので、モット高尚 であると余は信じておる。

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の上には木もあり草もあり、人が乗ることもできるそうだ。しかして、その島が風のないのに動き、また、風の        66 吹くときはかえって風に逆らって動くとのことだが、これは不可解である。地層、地質の中に秘密的装置のある 3 ものか、いかがでしょう。  ︵答う︶ この浮き島については、余は先年その近傍へ行ったから、ぜひ見物したいと思ったが、時間の余裕が       さ が え なくて目的を果たすことができなかった。その場所は、西村山郡寒河江町より最上川の渓間に入ること六里の山        あし よし       いかだ 間にあるはずだ。その浮き島は葦や盧の根が固まって、その上に地がかぶされたものである。ちょうど筏の上 に地を乗せたようなものだ。ただ、その島が風なきに動き、風に逆らって進むだけが妖怪である。むかしなら ば、池中に竜蛇がいて動かすのであるというであろうが、今日では、沼池の内部の地形と水流の状態によると思       ゆうしゆつ われる。すなわち、その地と水の関係にて、水中に水の流動があるらしい。その水底には必ず湧出する水があ るに相違ないから、その水が原動力となって、風の有無にかかわらず水中には流動が起こると思う。かく考えき たらば、自然的のもので、神秘的ではないことになる。       第=項 井の中に自然に籾の生ずる不思議  ︵問う︶ 物理的妖怪の方面は大体承ったが、神社仏閣にて伝えきたれる、神仏に関する霊跡、霊験についてた ずねておきたい。これに関する事柄はすこぶる多く、いちいち尋問はできぬが、二、三事項にとどめておきま       がんざんだいし       うぶゆみず す。滋賀県北江州虎姫村内に元三大師の誕生地があって、栄光山玉泉寺という寺がたっておる。堂側に産湯水と       もみ 称する井戸がある。毎年八月七日は母御の没せられし命日にて、その日には不思議にも、井戸の水の上に籾が浮

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かんでいる。その籾を拾い上げて、年の豊凶をうらなうと聞いておる。これはどういうものでありましょうか。 おるものが知らぬ間に籾を入れるのであろうと申せども、自分はこの近傍に住しておるが、だれ一人、故意にす るもののないことは保証するとのことであった。これに類した一事は、熊本県阿蘇郡北小国村宮原にもある。そ の方は籾でなく小形の円鏡が水中に現れるので、ある神社の前と記憶しておるが、小さき古池があって、水清け れば底までよく見とおされる。毎朝その水底を見るに、円鏡の現れておることとおらぬことがある。また、円鏡 の多く出ることと少なく出ることがある。これによって吉凶をトすることになっておる。これはまだ説明ができ る。その池底には小円鏡が幾個もはいっていて、下から水が少しずつ噴き出しておるようだから、一夜のうちに に入れるもの全くなしとすれば、偶然の出来事と思う。その近辺はみな農家であるから、籾を取るときに風の作

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師がシナにて投げられた独鈷がその枝に掛かったと伝えておる。今日、小学校を卒業した仲間に、かかる話を信       あが ずるものは一人もない。これらは、時代と人知とによって解釈を違えなければならぬ。昔時は神仏の徳を崇める ために、自然に神秘、奇怪を付会するようになったものである。しかるに今日は、その奇怪的着物を脱する方 が、神仏の霊徳をしてますます神妙ならしむることになる。ただ、世間に知識の程度のいたって低きものがある から、しばらく古伝説を保存するもやむをえない。これに類したる話が名高い神社仏閣にはたくさんあれど、こ こに略しておく。       がんざんだいし  もみ  要するに、元三大師の籾の話のごときは、故意にあらざれば偶然であるというのが余の説である。もし、真に 仏が物理の規則を左右する力ありとするならば、仏に祈願すれば、種をまかずに米もできそうなものだ、消毒し          ばいきん なくとも、伝染病の徽菌が消滅しそうなものだ。また、籾のごときものをもってよりも、モット高尚の霊験を現 示すべきはずである。しかるに、仏は因果の原則をもととなされておるから、決して物理の規則を破る御方でな いことは明らかである。されば、籾の霊験談は大いに矛盾しておると思う。 368        第一二項 大火の中に仏様だけ焼けずにいた不思議        あざ  ︵問う︶ 滋賀県には近年偶然起こった奇跡談がある。これもやはり北江州であって、坂田郡東黒田村字本郷法       かいじん 証寺が近年全焼にかかったとき、全部灰儘に化した中に、木像と貴重の巻物だけが、灰中にありながら全く焼け        みようご ずに残っていたということから、仏陀の冥護という評判が立った。そのときには水も掛けず、そのままにして 置いたのに、焼けなかったのは不思議に思われます。

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請して病気に効験あるは、みな心理療法と見なければならぬ。娘が母の病気の本復するよう、一心をこめて祈請        70 しておることを母が知れば、神の力で平癒すると信ずるから意志が強くなって、病気に打ち勝つことができるよ 3 うになる。これに反して娘の方は、神がわれをして代わらしめて下された以上は、われは必ずほどなく病死する であろうとの決心非常に強くなれば、死期を早めるようになる。これも心理作用である。詳細のことは拙著﹃心 理療法﹄の書中について見るがよい。        第一四項 守り札の霊験談  ︵問う︶ モー一つ、神仏についてたずねておきたいことは、神社仏閣より出だす御守り札の一事である。戦争 中に兵卒が御守りを所持せしために、負傷を免れたという話もある。また、病人が御札のおかげで病気がなおっ       できし たという話もある。そのうち特に承りたいのは水天宮の御札である。どこでも川に落ちて溺死したものの死体を 探るに、水天宮の御札を流して試みることになっておる。そうして、その札の沈んだ所を探ると必ず死体があ る。これは百発百中で実に不思議と思う。  ︵答う︶ 御守り、御札が護身になり、火事や災難よけになるということは、心理的作用の方で、これを信ずる 人には慰安の効力があるも、御守りを所持したから戦場で負傷せぬという道理はない。そのことは、だれも精細 に統計したものはない。たまたま千百人中に一人の負傷を免れることあれば、それだけを吹聴するようになって おる。また、病気のなおるというのは、余が唱うるところの慰安より生ずる心理療法である。つぎに、水天宮の 御札で溺死者の所在を知るというのは、拙著﹃おばけの正体﹄中に説明せしとおり、心理作用にあらずして物理

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いておる。やはり、その名刺の沈んだ所に死体があったそうである。余は決して神仏の霊験をむやみに否定する

っておるそうだが、それもついでに承りたい。

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論﹄を著して己の意見を発表したことがあるが、高山に登ると気象が変わりて、異様の感が起こってくる。これ より種々の想像が集まって天狗談が起こったに相違ない。しかして、画に書いた天狗の図、すなわち赤顔、高 鼻、山伏の服装をなせるものはズット後にできたもので、足利時代より始まっておる。よって余は、人にもあら       こう ず獣にもあらざる一種異様の天狗は、世になきものと断言しておいた。先年、南洋へ漫遊したとき、船中にて濠 しゆう 洲︹オーストラリア︺居住の西洋人で、その面貌のよく天狗の顔に似たものを見た。そこで、足利時代にはじめ て西洋人が日本に渡ったから、画工がこれを加味して天狗の顔を描いたに相違ないと思った。  要するに、伊東の証文も天狗にあらずして、何者かは知らざれども、人の筆に成りたることは疑いない。これ        さんろく について思い付いた話がある。余が今より二十年前、伊豆天城山麓の上河津村の一旅店に宿せしときに、その ふすま 襖の文字が一字も読むことができぬのみならず、ドコが始めでドコが終わりかも分からぬ。﹁なんぴとの書なる や﹂とたずねしに、数年前、白髪の老翁が数日間滞在中に、﹁襖を書いてやろう﹂と申して書かれたのであるが、 だれに見せても読む人がない。宿帳には鹿児島県士族と記名してあると聞いた。もしこれが五十年以前ならば、 天狗の書として取り扱われたであろうと思った。 372       第一六項 四、五百歳生きた人があるという奇談  ︵問う︶ 古来、人が信仰堅固なれば、即身成仏することができ、死しても骨肉が朽ちぬといい、また養生がよ ければ、五百歳、千歳の寿を保って仙人になるともいい、世間にミイラになっておる遺骸がある。これは即身成 仏したのであろうか。また、仙人については種々伝説があるうちに、今より十年前に、﹃読売新聞﹄の﹁妖怪地

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 ︵答う︶ 古来、律僧が穀物を断ち、木の実のみを食しておれば、即身成仏してミイラになるとの俗説は聞いて        えちこ  のぞみ  こうち おる。日本中にて余の直接に見たミイラは、越後の望の弘智法印と、山形県酒田の即仏堂のミイラだけである。       もくじき これらはみな木食して修行したということだ。生理学上でも、木食のみしたならば、死しても朽ちぬようになる 道理があろうかと思う。しかし、これが果たして即身成仏ならば、仏は木石に異ならぬものとなるが、マサカ仏 は木石ではあるまい。世間の俗説は、もとより信ずるに足らぬ。つぎに、実相寺の契悟禅師については余も若松 で聞いておるが、百歳以上ぐらいは生きていた人であろう。会津の高田町に生まれし天海僧正は、百三十何歳も 生きていたというから、この禅師も長生きした人に相違ない。しかし、四百年も五百年も生きていたというの は、他人が長生きを形容したまでと思う。ただ、数百年前の源平時代をまのあたり見たように話すのは、その人 の記憶が非常に明瞭であって、幼時書物で読んだ事柄が、まのあたり目撃した︹と︺同様に心中に浮かび出てくる のであろう。これを話す当人も、現に目撃したように感じておると見てよい。例えば、夢があまり明瞭であると きは、夢と現実とを自分で区別のできないことがあると同様だ。ゆえに、実相寺談もこれと同じく、記憶と実際        にゆうじよう とが同一になったのであろう。余がある老僧から聞いた話に、入定して昨年のことを一心に考え出し、さらに さかのぼりて一昨年のことを思い出し、だんだん順次にさかのぼると、小児のときのことまで分かるようにな り、さらにさかのぼりて、生前のことをも知れるようになると申された。これは心理作用でできぬことはあるま いと思う。もとより生前のことは、幼時よりの記憶が働いて作り上げるに相違ない。この道理に照らしてみれ ば、実相寺の話は決して不思議でなく、当たり前である。ただし、後に棺を開いて見たれば形骸がなかった一事 は、キリストの奇跡に類した話で信ずることができぬ。 374

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 この話はいかにも不思議と思うが、いかがでありましょうか。       76  ︵答う︶ その一事も、真怪をさることなお遠しである。余が幽霊の写真についてはじめて実見したのは、明治 3 十一年のことである。熊本の鎮台におる兵士が写真を写したときに、当人のそばにボンヤリ、他の兵士の姿が現 れていた。つくづく見るに、その前年、西郷戦争︹西南戦争︺のとき、同隊で戦死したものによく似ているから、 その幽霊が写ったに相違ないとの評判であった。その後たびたび実見したが、幽霊そのものには姿も形もないは        たねいた ずだ。決して写真に写るべきものでない。だんだん聞くところによるに、写真屋が前に用いた種板を十分ふいて おかぬときには、前に写した人の姿がボンヤリ写ってくることがあるそうだ。これは偶然の出来事である。ま た、他の方面から反射したる影が、写真の中に写ることもあるそうだ。これも偶然である。そのほか、写真屋が        しやくうんしよう 故意に作ることもあると聞いておる。先年、釈雲照律師が写真をとられしとき、律師の頭から光明の発してお       いきぽとけ るところが写っていた。信者はこれを見て活仏に相違ないと申したが、だんだん調べてみると、写真師が故意 に光明を付け加えたのであったとのことだ。  そのゆえに、幽霊の写真は偶然か故意かの二つであろうと思う。今の深川の幽霊談も、大抵これに準じて推量 してもらいたい。       第一八項 仙人の姿が写真にあらわれた不思議  ︵問う︶ モー一つ、写真の不思議についてたずねておきたい。それは岩手県上閉伊郡仙人峠の仙人の写真であ         まこら       し る。この頂上に仙人祠と称する小祠︹が︺あって、あるときその祠畔で写真をとったところが、仙人の姿が写っ

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い。これらの点より推量するに、茶店の主人も技師も知らざるところに、隠れたる事実があるであろうと思う。

明治三十八年発行の﹃電報新聞﹄に、左のごとき記事が掲

      77

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   一昨昨年、信州の栗葉峠という所に電信柱を設置したときである。その第百二十三号の電柱を立てる所       78   が、ちょうど一つの墓に当たった。それで、先か前かへ少し寄せて、墓を破らぬようにしようと工夫間で相 3   談したが、ナアニかまうものかと、ついにそこへ立てることにして穴を掘った。すると底から、手足一本も   不足のない人骨が現れた。ゆえに、その骨をその近傍に埋めて電柱を立て、その日の仕事を終えてみな帰宅   した。翌朝、工夫らが仕事に来て見ると、これはしたり、昨日立てた百二十三号の柱が、風も吹かぬに倒れ   ていた。工夫は不審に思いながらもまた立て直して、その日の仕事を終えて帰りかけ、そこを通るとまたま   た電柱が倒れている。工夫はますます不審に思って、その日はそのままに帰ってしまった。さて、翌朝また   その柱を立て直したが、その日の夕暮れまでには異状なく立っていたので、まず安心と帰ってしまって、そ   の翌朝、みな先を争って来て見ると、こはそもいかに、またまた地上に倒れていた。そして、その穴はチャ   ンと埋まっていた。また不思議にも、先の日骨を埋めた所に、ズボンと穴があいていた。パテナと思ってみ   なそこを掘って見ると、先の日埋めた骨がない。工夫は互いにうなずき合って電柱の穴を掘って見ると、そ   こには、先の日の白骨がチャンと入っていたのである。さすがの工夫らも薄気味悪くなったので、ついにほ   かへ電柱を立てたが、それきりなんの異状もなかったのである。  これもいかにも不思議に思われるが、いかがでありましょうか。  ︵答う︶ 新聞の記事ばかりでは解釈しかねるが、その当時の実際を探検してみなければならぬ。しかし、今日 となっては探検もできぬ。ただ、余が聞いた一話を参考に備えておこう。地名は忘れたが、ある田舎の村で、人 家を離れた所の路傍に大いなる石地蔵が立っておる。あるとき、その地蔵が向きを変え、道の方に背を向けてお

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て、朝未明に起き、人の知らざるうちに石地蔵を動かし、その向きをかえたのであったという話を聞いておる。

これは、人の好奇心より起こる怪事である。今の電柱の墓場騒ぎも、このようなことではあるまいか。決して真

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  より、一村の騒ぎとなりて、老若男女われもわれもと群がり来たりしが、いかにも地蔵の面部より血潮が流        たたり         80   れおりしかば、一同奇異の感におののき恐れ、興覚寺の住職に読経を頼みてその崇を除かんと、目下大騒 3   ぎをなしおる由なり。  ︵答う︶ この記事を見ただけではなんとも説明ができぬ。いったい、今日まだ神仏の霊験をこのくらいのもの と思っておる人があるのは、嘆かわしき次第である。石地蔵は石であって、生きておるわけではない。たとい石 をあてても鮮血などの流るるはずでないことは、小学児童にも分かりそうなものだ。もし、これを事実として見 たならば、あるいはその割れ目もその血も、前からあったのではなかろうか。もとより血といっても、そこが少 しく赤ずんだ色をしておれば、すぐに鮮血などときめてしまうから、そのもとはなんの色か分からぬ。たとえ、 前からあっても気が付かずにいて、石を投げつけてよく見たときに、はじめて発見したかも知れぬ。        ざ た  先年、栃木県のある小学校で化け物沙汰が起こり、一教室の天井に化け物の姿があらわれたということであ る。果たして、その教室の天井には化け物の姿が見えておる。しかるに、だんだん調べてみるに、ズットその以       ぞうきん 前からあった姿で、一度生徒が教室の雑巾がけをした際に、その雑巾を天井へ投げ付けた所が、跡形が残ってい たのだそうだ。それを、あるとき他の生徒が見て異様の姿に見ゆるから、化け物といい出して以来、見れば見る ほど化け物らしく見ゆるようになったそうだ。  茨城県にてもこれに類した話を聞いておる。これと同じく、前からあった割れ目と赤色を、そのときはじめて 気付いたのではなかろうか。とにかく、真怪でないことは明らかである。なんとかして、世間の神仏信仰の程度 を向上させたいと思う。

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       第一=項奥州恐山の三大不思議  ︵問う︶ 地蔵尊について、モー一つおたずねしてみたい。かかる話は観音にも薬師にもあることなれど、いま        おそれざん 地蔵の話が出たから、一を聞いて他を推知することにします。このごろ青森県の恐山に登って帰った人の話に、       さい その山上には蕎の河原があって、地蔵堂が立っておる。その近傍に人家は全くなく、これより数丁離れた所に寺 坊があり、登山の客はこの坊に宿ることになっておるそうだ。その費の河原と地蔵尊について、三つの不思議が 伝わっておる。その一は、夕刻、客が河原へ行って小石を積み上げて置くに、翌朝行って見れば、一夜のうちに       しやくじよう その石がみな崩れておる。その二は、深夜、人の静まった後に、地蔵尊の錫杖を鳴らされる音をよく聞くこと ができる。その三は、夜中雨の降った翌朝、堂内を見るに、地蔵尊に着せてある衣が、戸外で雨にあったように ぬれておる。この三大不思議だけは事実であると申したが、いかがのものでありましょうか。        む つ       さんろく  ︵答う︶ 奥州︹陸奥の国︺の恐山は名高いもので、昔より霊山としてある。余はその山麓までは行ったが、山上 へは登ったことはない。しかし話に聞いておるに、山上に極楽と地獄があるそうだ。旧南部領の人は、死なば必 ずここに至ると申して、生前に一度は必ず登山するということだ。さて、ただいま聞いた三不思議は、実験して みなければ説明は付きにくいが、余の想像にては、第 の、積んだ小石が一夜のうちに崩れるのは、雨または風 の作用で自然に崩れるのと思う。あるいは、もしその場所が池のそばならば、波が風に打ち寄せられて崩すかも          しやくじよう 分からぬ。第二の、錫杖の音は、他の音を誤認するのであろう。深夜になると遠い音が近くに聞こえ、細い声 が案外大きく聞こゆるものである。石の上に水の滴る音も、こちらより迎えて聞けば、錫杖の音にもなるもの       81       3 だ。第三の、地蔵尊の衣がぬれておるのは、山上は空気が非常に湿っておるものだが、湖畔は一層その度を増し

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て湿気が強いであろう。ことに雨夜はその湿気が非常に多くなるはずであるから、その気のために堂内の衣が雨       82 にあったようにうるおうのと思う。右は余の憶説に過ぎぬけれども、真の不思議はこのような浅薄のものであっ 3 てはならぬ。        第二二項 仏が身代わりに立たせられた事実談  ︵問う︶ 今より三十五年前、神奈川小田原町に起こった出来事が、当時の﹃明教新誌﹄に載せてあった。その 大要は、小田原町幸町に紺屋業を営める広井徳平という人がある。その家は真宗篤信者で、ときどき寺参りをし て法義を喜んでいたるが、その年五月十六日夜、檀那寺に説教があるので、自宅は雇いおける職人らに留守居を       さんけい させて、大雨を冒し親子四人連れにて参詣し、説教すんで帰らんとして寺の門を出ずると、何者か黒き物にて顔        き を包み、突然現れ出でて、刀を抜いて斬り付け、四人とも斬られ、﹁人殺し、人殺し﹂と呼びつつ近傍の家に逃 げ込み、巡査もそのことを聞いて駆け来たり。調べてみるに、四人とも無難で負傷もしておらぬ。これは仏のお まもり下されたものと信じ、早速自宅へ帰って、仏前に御礼を申し上げようと存じ、仏壇の扉をあけて見るに、       えすがた アラ不思議や、三尊の絵像に刀で切ったようなきずがついていた。これは仏が身代わりに立って下されたに相 違ないとて、一同感泣の涙にむせんだという話である。この話は前の話とは違い、霊怪不思議に思われるが、い かがお考えでありましょうか。  ︵答う︶ その話は当時聞いて小田原に行き、その家をたずねたことがあるが、実際、内仏の絵像にはきずのよ うなものが現れておる。しかし、仏が身代わりなされたと信ずることはできぬ。この絵像のきずと殺害事件とは

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にきずのつくはずはない。あるいは留守居の職人の所為なるかも計り難い。ここにその原因を断定することはで

きぬけれども、なにかその裏面に隠れたる事実が宿っておると想像ができる。もし仏様が本当におまもりなされ

たならば、凶漢の手足も身体も動かなくなって、斬り掛ける働きもできぬようになるべきである。よって、これ

へこもると、確かに天狗が姿をあらわすという不思議談を聞いたことがある。もし、その事実も御承知ならば話

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る。その三者ともに各国の一の宮にあって、神力の霊瑞不思議の証跡となっておる。そのうち備前の田植えと は、一の宮の御祭りのときに、一夜に稲苗が神力によって現出する怪事である。余の伝聞するところによるに、 この怪事は前もって人為的に設備せるものの由にて、近来は人知の進歩に応じて田植えを廃したということであ る。        ひので  これに類する仕方は西洋にもあるとみえて、数年前、京都の﹃日出新聞﹄に左の記事が掲載してあった。幸い に切り抜きを保存しておいたから、参考用としてその文を拝借しておく。    ローマ法王の最盛時代で、仏国の僧侶は名実ともにその支配に属していたときの話である。金も名誉も相   当にある一青年がP警察署に出頭し、直接署長に面会を求めて保護を願い出でた。その申し立てはこうであ   る。        はいちやく    ﹁父は私を廃嫡する様子です。私は国法に触れたこともなければ、徳義上の罪人でもない。そうかといっ   て父の命令に背いた覚えもないのですが、単に父と一緒に天主教を迷信せぬ、宣教師を尊敬せぬばかりを、   廃嫡の唯一条件としております。それから父は、単に私を不信者として機嫌を損ねとるばかりではありませ   ん。全然無神論者として悪魔のごとく忌み嫌っとる様子です。父の意向を知ったのは宅の老僕からです。老   僕はある日、父の遺言書を見たそうです。それには私を廃嫡して、遺産全部を寺に寄付すると書いてあった   そうです。一年前まで平穏無事に暮らした私の家庭も、これですっかり平和を破壊せられましたのです﹂       あいさつ    署長の挨拶はこうである。    ﹁どうも君のいうことは不明瞭な点が多いが、どうも警察が関渉する事件ではないようです。もっとも、 384

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君の立場としては気の毒な話ですが、御親父は別に法律上の無能力者でない限りは、その所有財産を勝手に 処分する権利があるので、警察力でそれを左右することは不能です。君としても少々はやまっております。        きそん いよいよ御親父の遺言書が効力を生じて、君の権利が殿損せられた場合、初めて公力に訴えて救済手段を講 じても遅くはない。とにかく今のところでは、署長として君を保護してあげるわけにはいかぬのです﹂  青年は折り返して、  ﹁警察力をかりる必要があるのです。父は詐欺にかかって私を廃嫡の決心をしたのですから、ぜひ保護を 仰がねばなりません﹂  ﹁ふん、詐欺だって、全体どうせられたんです。詳しく話してごらん﹂  ﹁実は昨夕、この件につき父と口論したのですが、父の問わず語りによると、死んだ母の亡霊が現れます。 そして地獄の苦しみを訴えた上、不信者の私を廃嫡して、遺産全部を寺へ寄付しなければ、母の亡魂は未来 えいこう 永劫、浮かぶ瀬がないと訴えるそうです。父はそれを信じきっとりますが、ばかばかしい、今の世に幽霊な ぞあってたまるものですか。父はきっと詐欺にかかっとるのです。山坊主に一杯食わされとるのです﹂  ﹁ふん、どうも山坊主の芸当らしいな。しかし君も承知のとおり、仏国はローマ法王と特別条約を結び、 天主教の坊主を特別に保護しつつあるから、確かな証拠がないと、軽々しく坊主を検挙するわけにゆかぬ。 やりそこなって無罪にでもなった日には、署長の職を棒にふらねばならぬ。わるくすると、こっちが縛られ るかも知れぬ。だから君は、確かな証拠を押さえて告訴することになさい。そのときは十分保護もします。        85        3 坊主はふん縛ってあげます﹂

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 青年は不得要領のまま警察署を引き下がる。一カ月後の夕方、青年は血相かえてまた警察に駆け込んだ。       86 今夜こそは警察力をかり、山坊主を取り押さえたいというのだ。署長はその後の様子はと聞くと、青年は乗 3 り気になって、  ﹁立派な証拠があがりました。まず第一番に、﹃母の亡霊は宅では出現せぬ。埋けてある寺の墓場に限る﹄ と父はいいます。墓場はS村にあります。母は永らく肺を病み、S村に転地療養中亡くなりましたので、そ の村に埋けたのです。つぎは、門番の話によると、父は先月来二度までも深夜、天主教のX坊主と一緒に宅 を出かけました。帰りは二度とも夜明けになったそうです。おまけに、帰宅するときの父は、非常に落胆し ている。それから三度まで母の供養をしました。今夜も父は外出しましたが、すぐそのあとから門番が、X        にせ 坊主とつれだって父が出かけたと報告しました。今夜こそ父は山坊主にだまされて、偽幽霊の母にあいに行 ったのです。私は今夜いよいよ廃嫡せられるでしょうが、この罪もない一青年が山坊主のため、財産全部を        ふびん 横領せられるを不悪と同情して下さるなら、どうか警察力をかして下さい。今夜こそ跡をつけて行けば、山    かん 坊主の好手段をあばくことができます。それとも、貴下はローマ法王の権力におそれ、このあわれな私を保 護して下さることはできませんか﹂  署長は厳然として、  ﹁仏国公民はいずれも、平等に国家の保護を受くる権利がある。不肖ながら私も警察署長の職をけがしと る以上は、できうるだけは国民の権利を擁護します。ローマ法王におそれて、国の法律を曲げるほど臆病で はありません。けれども、君がはじめの訴えによると、ただ取り留めのない感情問題のようでしたから、保

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護を否んだ次第です。しかし、今夜の申告によると十分の証拠があるから、もはや遅疑する場合ではない。 山坊主を縛ってあげます。ええと今八時ですから、まだ時刻が早い。二時間後に出直しておいでなさい。そ れから注意しておきますが、本件はもはや警察の手に渡ったのですから、君はどこまでも秘密を守らなけれ ばいかぬ。だれにも口外してはいけませんぞ﹂  夜陰に乗じて、四人乗り込んだ箱馬車はS村さして警察の門を出たのである。しかし、馬車はS村に乗り 込まなかった。村はずれの小さな森陰にひき込んだ。中から出たのは警察署長を先頭に、無神論者の青年、 それから警部補と平巡査が一人、同勢四人であったが、警官はいずれも目にたたぬよう平服をきていた。  ﹁まず、地理から研究しておかねば不便だ。まだ十一時だから、偽幽霊の出現には少々早い。その間に付 近の地理を調べておこう﹂と署長がいうがままに、四人は村はずれにある墓場をさして出かける。森の小陰       しん にあるので昼でさえさびしい所が、真夜中近いので森として、生きたものは犬の子一匹もいない。墓番は居        じよう 酒屋で飲んどるらしい。番小屋の戸には錠がおりとる。墓場の真ん中にある礼拝堂も、これまた締め切っ てあった。       やみよ  ﹁君のおふくろの墓はどれです﹂と署長は無神論者にたずねる。雲間を漏れくる星の光さえまれな闇夜な ので、さがすのに一骨折れたのであるが、やっとたずね出したところで、署長は四辺を見回して、﹁どうも        かんぼく 勝手が悪いぜ、姿を隠す灌木も見当たらない﹂  巡査は番小屋に入る工夫をして、窓ガラスの破れに古新聞をはった所を見付けだし、そこからはい込ん だ。鍵を持ち出して署長に渡したのである。 387

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 署長はすばやく部署を定める。       88  巡査が持ち出した鍵で礼拝堂の戸を開けた。署長と無神論者は中へ入る。あとは巡査に命じて、もとのと 3 おりに外から錠を下ろさした。鍵は番小屋の中にかえして、破れた窓の新聞紙も気取られぬように修復させ た。最後に、万一をおもんぱかった署長は、警部補と巡査を、墓の入り口にある溝の中に待ち伏せさしたの である。十一時半の時計が鳴ると同時に足音がしたので、署長と無神論者は礼拝堂の窓に立ち寄る。中は真 の闇なので、こちらはさとられぬようにして、山坊主の芸当が安心して見届けられた。はなはだ好都合だと 互いにうなずきあったのが、ガラリと反対の不都合をきたした。  思いがけず礼拝堂の錠をあける音がしたので、驚いた。ふたりはきわどいところを、やっとのことで祭壇       がんどう の陰にかくれる。それと同時にふたりの男が入って来た。一人は手に寵灯を提げとる。一人はいうまでもな        こうこうや く青年の父で、五十前後の好々爺が大層ふさぎ込んでおいでなさる。一人は山坊主のXで、やせてはいるが       しかめつつら 見上げるほど丈高く、がっしりとした骨組みの男だ。骨ばかりの渋面には、灰色にするどい両眼が、濃い まゆげ 眉毛の奥でぎょろりと気味悪くひかっとる。山坊主は小ろうそくを祭壇にともして、もったいそうに御経を        もくとリフ 読み上げると、迷信家の好々爺は祭壇の階段にひざまずいて、しきりと黙薦をはじめた。やがてそれが済む       ま と山坊主は、福音書と聖水撒きを捧げ奉って、もったいそうにそろりそうりと礼拝堂を出て行く。あとから は好々爺が、聖水盤と小ろうそくをこれまた捧げ奉ってついて行く。そのまたあとから、祭壇の陰をはいだ した署長と無神論者は、さとられぬようにそっと窓の下に行く。今度は無神論者の母の墓が、真正面に見下 ろされたのである。

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       とも      じゆもん  山坊主は迷信家の好々爺をお伴につれ、できるだけもったいぶって呪文を唱えながら、墓の周囲をぽつり        ほかげ ぽつりと三度回ったところで、墓前にたちどまる。ろうそくの火影に福音書をひもとき、これまたできるだ けもったいぶった声で、いいくらいの所を三行半ほど読み上げる。それから好々爺がおそるおそる捧げ奉る 聖水盤に、三度聖水撒きを突っ込んで、墓石の上に聖水をふりまいたところで、山坊・王は好々爺をつれて礼       き とさつ 拝堂の前まで引き下がる。山坊主は墓石に向かって高らかに祈縞をしていたが、その声が次第にふるえてく る。神でも乗り移ったように森厳な声となる。  最後に、天地に響き渡る大声を上げて、  ﹁姿を見せえ! 姿を見せえ! 姿を見せえ!﹂        もうろロつ と三度宣告する声の下から、墓石の陰より青白い煙とも霧ともわからぬものがたち上る、と見るまに、朦朧 たる人の影が浮かんだのであるが、青白い煙が次第にうすれゆくにつれて、白衣の亡霊がはっきりと墓石の うしろに現れ、しきりと手招きする。妻の亡霊と信じきった迷信家は、声をたてて泣き出した。  山坊主はもったいぶったところで、  ﹁その方は全体何者か?﹂  亡霊は恨めしそうな声で、  ﹁生ある間はアンナ・マリアと呼ばれた女でございますが⋮⋮﹂  ﹁自分のたずねることは、なんでも答えができるか?﹂       89       3  ﹁はい、できるだけなんなりとお答えいたします﹂

参照

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