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Microsoft Word - 添付ー5.小笠原旅紀行.doc

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小笠原(父島)旅紀行 荒西 俊次

2019(平成31年)3月10日(日)~15日(金)5泊6日 <旅立ち> 3月10日早朝、神戸空港からSKYに乗機、 晴天の中一路羽田へ。 途中、秀麗富士が機窓から見事な姿を見せて くれた! これからの5泊6日の旅に幸先の良さ さえ感じさせる久し振りに見る、それは 見事な富士山だった。 機窓から見た富士山 SKYは羽田空港に定刻8:30無事着陸、ここからモノレールを利用して浜松町駅へ。 重いリュックを背負い徒歩で竹芝桟橋へ、岸壁の向こうではこれから1昼夜24時間の 船旅でお世話になる「おがさわら丸」の高いマストだけが垣間見える。 午前11時出帆の乗船までのしばしの時間、桟橋に着岸している「おがさわら丸」の 様子見にターミナルデッキに駆け上がり、コンテナーの積み込みに忙しい作業を現役時代 (輸出船積み業務)を想い出しながら懐かしく見入っている自分が…。 父島に向かう「おがさわら丸」は3年前 に三代目として就航した1万1千トンの 巨大な新造船、二代目は6千7百トンだっ たそうで、それに比べると外洋での航海に 安心感さえ感じさせる雄姿だった。 出航40分前頃からいよいよ乗船開始、 特2等寝台を予約していたのでプライバ シーは想像していた以上に守られると 予感され、ひとまず安心。 「おがさわら丸」 毎年一回の山歩きの山荘泊まりでは、毎度悩まされる「いびき公害」に合うことも無く、 往路・復路の航海にお陰でいずれも熟睡できたことは大きな収穫だった。

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午前11時ジャスト、大きなドラの音と共に本船はユックリゆっくりと竹芝桟橋を離岸、 いよいよ24時間の船旅が始まり、予定通りであれば翌11日午前11時に小笠原父島 二見港に着岸するまで、「おがさわら丸」と大袈裟に言えば運命を共にする船旅・航海。 「おがさわら丸」の概要(小笠原海運の資料より) 就航航路 :東京~小笠原父島(距離約1,000km) 総トン数 :11,035 トン 全長 :150m 全幅 :20.4m 旅客定員 :894 名(170 名 個室定員) 航海速力 :23.8 ノット *日本の数多くの離島航路、最大の定期船となっている 「おがさわら丸」は出港直後にレインボー ブリッジをくぐって、これから3時間程は 東京湾内を航行、船室に荷物を置いた後は 単眼鏡とカメラを持ってひたすら外部デッキ でお上りさんに変身。 お台場を過ぎると右手に羽田空港、2~3 分おきに離発着する飛行機の群れ、のどかな 神戸空港とはえらい違い、さすが東京です。 レインボーブリッジ 東京湾アクアラインの人工島を横切った辺りで、乗船前に買った握り飯をほおばり乍ら 右手の三浦半島、左手の房総半島をしばし観賞。 15時頃、右舷に伊豆大島を望見、この頃から外洋に白波が、、、そしてポツリポツリと、 嫌な予感。 この頃には既にスマホは圏外、船内の衛星テレビで低気圧接近中との予報を見て 「これはヤバい」と直感。あわよくば「おがさわら丸で満天の星空」を期待して乗船した 自分、それこそ儚い夢で雲散霧消。 右舷に見えるはずだった三宅島や八丈島も、結局は嵐の中の航海になり白波と風雨の 灰色の世界で断念。止む無く18時頃に4デッキの船内レストランで「やけ酒と1600 円のステーキ定食」で気を紛らわせ、中ジョッキからハイボールへと船の揺れと一緒に ぐびりぐびり、ローリング・ピッチングで船酔い者続出、船内レストランで食事をする人 も少なくガラ空き状態、時間を気にせずユックリできたのがせめてもの慰め。

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船内で夕食 食事後、船内通路で出会った航海士曰く「自 分はこの航路を50航海ほど経験しているが 初めての大荒れ航海です」と、お陰でベッド では赤児のように「揺りかごの中」で爆睡。 21時には就寝、翌朝5時に目覚め、いつ も通りの8時間睡眠時間、この間一度も目覚 めることなく健康そのもの、自画自賛です。 <二日目> しかし本船は相変わらず大揺れ、速度を落として航海している様子が船窓からも見て取 れ、船窓に叩きつけるような波が大荒れの海原を如実に語っています。 本来なら24時間の船旅が、速度を落として航海したため結局2時間半遅れて、11日 13時半に父島二見港岸壁に無事着岸。 予定より2時間半も遅れた着岸にも関わらず、岸壁には「お帰りなさい」・「いらっしゃ い」等々の大きな横断幕と共に、凄い出迎えの人・人、小笠原にも「おもてなし精神」が 浸透?感激する一幕でした。 大勢の出迎えの中に、ネットで「半日 戦跡ツアー」を予約していたガイドさん も、客は自分を入れて5名、集まった客 の前で「荒れた航海だったようでお疲れ 様、父島も午前中は有難い雨でした」と、 又「今日の半日戦跡ツアーは、ジャング ルの中、雨でぬかるんだ山道となります がどうしますか?、 戦跡名物ガイドの板長さん もし体調悪く日程を変えたい人は遠慮なく申し出て下さい」との説明で、自分以外の4名 が変更を希望、そこで「自分一人のガイドではお気の毒ゆえ自分も変更します」と言うと、 名物有名ガイドの板長さんが「何の遠慮ご無用、荒西さん行きましょう」と、、、結局、板 長さん運転のオンボロミニバンに一人乗り込み30分ほど山あいをドライブしジャングル の入り口に、「さあー行きましょう」のガイドさんの後ろからたった一人の客を連れて、 ぬかるんだ山道に分け入ること30分。

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あちこちに兵隊さん達が野営したと思わ れる場所では、朽ちかけている飯盒や瓶・ 食器類そして防毒マスクのようなものも。 防毒マスク? その向こうには大きな台座に備え付け られた大砲や機銃、未だに当時のその ままの姿で放置されているとは、我目 を疑うには十分過ぎるほどのインパク ト。 断崖絶壁をくりぬき、トンネルを掘り、 眼下に見える紺碧の大海原に向けた大 砲、これらは「小笠原では実戦でほと んど使用されることは無かったとガイ 朽ちかけた機関銃 ドさん。 別の急斜面・断崖に墜落したと思われる米軍機 の残骸に手で触れたとき、「やっぱりここでも戦 争があったのだッ」と心痛の声が。 帰途、板長さんに「小笠原には猛獣や猛禽類・爬虫類・マラリア感染を心配する必要は?」 とお聞きすると「昔、島民が飼っていたヤギくらいで、熊も猪も蛇もあの厄介なハチや 蚊すらいないヨ」と、板長さんが半袖でジャングルの中を無防備でガイドしている疑問が、

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この時になってやっと理解。 この旅紀行を読まれて「いつか小笠原に行こう」と思われる方々がいれば、アフリカや 東南アジアの野生動物探検とは全く違った安心感で、小笠原のジャングルに分け入ること が可能です。 戦跡探訪ツアーも終わり、板長さんにオンボ ロミニバンで今夜の宿「のあ」まで送って貰い、 チェックイン。 ここで3泊お世話になりました。 *ペンション「のあ」 ベッドと朝食だけのB&Bペンション シャワーを浴びた後、宿のご主人に街中(と言ってもこの写真にある軽のミニバンで 5分)まで送ってもらい、 戦跡ガイドの板長さんの息子さんが経営する居酒屋へ。 戦跡ガイドの板長さんにも内緒で、息子さん経営の「雨の日食堂」を選んだのは 言うまでもなく「たった一人の客を親切丁寧に、しかも大満足のガイド」をして頂いた 板長さんに申し訳なく、感謝とお詫びを兼ねての選択肢でした。 この「雨の日食堂」は、地の人達が良く集う居酒屋だったそうで、大正解! 地の方々が食するのを横目で見て、「あれと同じものをお願いします」等々見よう見真似で 注文、その内に「本土からお一人で?…」・「お仕事?」と気安く地元のおっちゃん?。 「おっちゃん達同志」が仲良くなり、おごりおごられいい雰囲気、酔いも回り赤ら顔、 別れ際には「今日はメニューに無いが、日本ではここ小笠原でしか食せない『ウミガメ』 を是非に」と、イヤー「雨の日食堂」は小笠原初日から大満足。 お勘定の際、息子さんと思しきご主人に「今日は自分一人の為に板長さんにガイドして 頂いて、今夜はやってきました」と白状すると、「親父に言っときます、喜ぶでしょう」・ 「有難うございました」、久し振りにいい気分、千鳥足で宿までの坂道をテクテク。 今回の旅も初日に大正解の夜、旅先ではいつも居酒屋を訪ね歩く独り酒、旨い酒・ 美味い料理は日本の隅々に、、、これだから海外には行けません。 よーし、小笠原で絶対「ウミガメ」を食べて帰るゾー!

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<三日目> 小笠原で初めての朝を迎えて、今回の旅の 主目的のひとつ「ホエールウオッチング」が 楽しみ。 しかし宿で朝食を摂っていると外は小雨模 様、宿のご主人が「海も少し波立っている」 と、ご主人は元外洋ヨットマンで、殊のほか 海の状況に詳しく「今日はクジラは見つけら れないかも、、、」と悲しいお言葉。 ピンクドルフィン 昼弁当を買い込み小雨降る中波止場へ、 今回予約した「ピンクドルフィン」(船体カラーがピンク・キャプテンは小柄だがポリネシ ア系小笠原人)に乗り込んだ。 客は14~5名、全員がライフジャケットを身に着け出航、湾外を出ると小型クルーズ船 は大きく波に揺られ一路クジラが現れそうな海域へ、20~30分も経つ頃イルカが船と 並走、波が荒いせいかジャンプなどせずただひたすらボートに並走、これも5分ほどでい なくなり、あとはクジラ探し。 諦めかけた2時間後、船長が遠くに「潮吹き 発見!」とマイク。 全速力で潮吹き方面に向かうと、子クジラに 付き添うように母クジラの子連れ母子クジ ラ、船長は「ラッキー・ラッキー」と叫んで います。 何故なら、子クジラは潜っても長く息が続か ないので直ぐに浮き上がり、親もそれに倣っ て短時間でブロー(潮吹き)するとのこと。 子連れ母子クジラ この時期は「ザトウクジラ」で最大でも12 ~14m,初めて間近かで見るクジラの巨大 さには驚くばかり、ボートの10M先に現れ たときはさすがに恐怖心、ボートがあの 背中に乗っかったら「ひとたまりもないな」 と恐れるほど。残念ながらブリーチ(ジャン プ)はやってくれず、フルークアップ(尾ビレ上げ)のみ、次回の楽しみに、、、

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その日の夜は、宿のご主人に勧められた居 酒屋へ送ってもらい、紹介がてら同店を一緒 に訪れたが本日「貸し切り」で断念、少し ブラブラすると「新亀入荷」の看板が、、、慌 てて暖簾をくぐりカウンターに、、、 ヤッパリ本土で食す「スッポン料理」と、 シンガポール勤務時代に再三注文した「ター トルスープ」と味は各地で様々ですが食感は 酷似。しかし日本国内でウミガメ料理を提供許可はここ小笠原のみ、自分は「ゲテモノ 食い」の趣味は決してありませんが、行く先々でここでしか「呑めないお酒」・「料理」 には直ぐに反応する癖があります。これは駄目でしょうか?? この日は小笠原ラムの世話になり痛飲、新亀を酒の肴に他の若い世代の観光客と話が 弾み、楽しい夕餉になりました。 <四日目> 小笠原の土を踏んで三日目、やっと小笠原ボニンブルーに、、、この日は「森歩き・ 自然体験・絶景ポイント」の一日ツアーを予定。天気の神様もこの日は大いに味方をして くれました。 ガイド兼運転手さんが宿泊する客を各々の宿まで迎えに来てくれます。 最初が「のあ」に泊まる自分、次に向かったのがユースホステルで4人の若者、最後に 規模は小さいが瀟洒なホテルで年齢不詳の美 しい女性一人、総勢6名のミニツアー。 10分程のドライブで本日最初の絶景ポイン ト・ウェザーステーション展望台へ。 この展望台から運良くブロー(潮吹き)して いるクジラが見えました。 一段落後、ガイドが本日の参加者に各自 自己紹介を促し、楽しい雰囲気作りをやって くれました。 写真の右4人の若者たちは、東京の大学生でゼミの仲間、一人は先のユースホステルで 一ヶ月バイトをやり、他の三人が一昨日東京から合流したと、このうちの二人は今回の 小笠原旅が卒業旅行になった、と。 一番左の美人、現在東京の通信大学の学長さんで、今回は父島・母島の役所や学校に 通信大学の紹介や営業で出張中とのこと、今日一日は天気が良いので権力を行使して? 休暇を取って参加、と。 そして驚くなかれ、、、彼女は「元塚ガール」で現役時代は男役で活躍し、神戸にも

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10年以上住んでいた、と言うではないか。 道理で一目見たとき、服装や化粧・スタイルを見て、「この人はただ物ではないな」と 直感した荒さんの眼力は、まだ衰え知らず。後述をお楽しみに、、、 この森歩きツアーは結構ハード、上記の写真は父島中央山で360度の視界、ここまで の急坂は両手両足が必要な崖もあり相当苦労しました。 但し湾には戦争時代に沈められた大きな沈船も見え素晴らしい絶景ポイント。 この他にボニンブルーの海岸で透き通った海中で魚を見つけたり、見たこともない貝殻に 驚いたり、余り期待していなかったツアーでしたが中身の濃い楽しいツアーでした。 当初、小笠原に着いた日の夜に主目的の一 つだった「スターウォッチング」が夜空の 状況悪く順延、二日目も星空は望めず、この 日やっと星空観賞可能となり急遽セッテイ ング、夕食後の「19;30集合」との連絡 が携帯に、小笠原最後の居酒屋はジックリ 腰を落ち着けて、は断念。 当地居酒屋の開店時間はそのほとんどが6 時、開店と同時に島魚割烹「丸丈」カウンター に座り込み、アカバ(アカハタ)煮付けや島寿司を肴にビール片手に独りカンパーイ! ビールから焼酎(パッションフルーツ割り)に移りかけた7時頃、なんとマー先ほどまで 一緒にツアーに参加したあの妙齢の美人が、一人で暖簾をくぐって来たではありませんか、 二人ともビックリ、自分の横の席が空いていたものですから「いいですか」と言うなり 横に、、、ここで楽しかったツアーの無事を祝って今度は二人でカンパーイ!! ここから荒さんは直前に迫ったスターウォッチングをキャンセルするか否か、、悩みに悩み 出しました。元宝塚のスターと二人っきりで居酒屋で、なんて人生で二度と経験しない ことは明々白々、しかし昨年最南端の波照間島で観た満天の星と小笠原の星空との違いは、 と思って確かめるべくはるばる小笠原へやってきた自分。 苦しくて辛い決断でした、「美女より星空」が勝ちました! 7時10分頃、これから「スターウォッチングに出かけるので失礼」と席を立つと、彼女 はキョトンとした顔で「アラッ」と言って悲しそうな(ホントかな)顔をして見送って くれました。 さて皆さんならどうしたでしょう、ある友人はこの話をしたら「お前、馬ッ鹿じゃねーか」 とお叱りの言葉、又或る人は「さすが荒さん!」と、受け取る人は人様々、これが人生 でしょうね。

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その夜の「スターウォッチング」は、感 激が薄らいだのか「波照間の星空」に軍 配! 夜遅く帰った宿の2階のベランダから 星空を眺めている自分がいました。 ペンション2階のベランダより <五日目> いよいよ小笠原最後の日、小笠原父島二見港出帆(15:30)まではフリータイムで ペンションに荷物を預け、孫たちに送る絵葉書を持って島唯一の郵便局へ、そして小笠原 ビジターセンターで歴史等々の勉強、小笠原に着いた日に最初にこのビジターセンターで 知識を得てから島巡り、が本来の姿でしょうね。 もし本紀行を読まれた方が小笠原へお出かけになる場合、是非このビジターセンターを 最初に訪問されることをお勧めします。 その後、小笠原海洋センターへ向かい大好きな海洋生物の勉強、小笠原諸島近海で見られ る全ての海洋生物がこのセンターで研究されており、最大のクジラから小さなエンゼルフ ィッシュまで見事な研究センターです。 外の小さなプールで、ウミガメに交じって先日食したアカバ(アカハタ)が、、、そして 先っぽに歯磨きブラシが括り付けられた棒があり説明看板に「ブラシをアカバの口先に静 かに持って行くと、アカバの歯磨きが出来ます!」と、これにハマってしまい何度も何匹 にもセッセといい歳をしたおっさんが「アカバの歯磨き」に精を出していました。 (注)この海洋センターは入場料フリー、ここもお勧めです。

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小笠原ラーメン?と生ビールでランチを頂 いた後 街中を散策し、お土産を物色したり 埠頭公園で休憩したりして、乗船予定の 14:50頃まで時間をつぶしました。 そして同じ「おがさわら丸」に乗船、 往路に使った船席とこれまた同じ537号5番、 荷物を置き直ちにデッキに、埠頭には着いた時以上の人出人出、その埠頭に和太鼓が並べ られターミナルデッキの屋上には「いってらしゃーい」の大旗を振っている人、それこそ 大セレモニーの準備が進められています。 デッキからそれらを眺めていると、三日間お世話に なったペンション「のあ」のおかみさんが見送りに 来てくれているのを発見、毎朝 食べきれない程の 小笠原野菜を使った美味しい朝食を作って頂き、 色々な話を聞かせてくれた優しくてフレンドリー なお人柄のおかみさん、埠頭から一生懸命自分を探 していることが分かります。 大きな声を張り上げて「ここだよー」と両手を上げながら合図をしても、和太鼓やその 他の喧噪でなかなか見つけてくれません。 やっと6階デッキに居る自分をみつけて走り寄って来てくれました。

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定刻の15:30、本船「おがさわら丸」はドラの音・和太鼓の音、そして大勢の 見送り人の「いってらっしゃーい」の声に見送られユックリ二見港岸壁を離岸。 暫くすると「待ってました!」とばかり、 噂に聞いていた大変な数のプレジャーボート が本船と並走しだし、中には和太鼓を積んで 打ち鳴らしているボートや大海原に飛び込ん でいる人も、日本人らしい心の籠った見事な 見送り風景! 湾外に出てもまだ並走するボート 本船デッキからも「ありがとうー」・「また帰って来るぞ ー」との声、人生久し振りに味わう感謝・感激の場面に なりました。 ボートから大海原にダイブ 帰りの航路も外洋に出ると生憎の天気、船上からは又もや残念ながら星空は拝めず、 衛星テレビ・読書・時折ビールで過ごして竹芝桟橋へ同じルートで神戸の自宅へ無事帰還。 元気な内に再度小笠原諸島へ、今度は父島の50キロ南に浮かぶ母島へ、そして父島から 更に南200キロに浮かぶ激戦地だった「硫黄島」を、船から見るツアーに参加して 3万(日本兵2万強・米兵7千弱)もの精霊に鎮魂の花束を海に投げ入れたい思いが 強くあります。 いずれにせよ、喜寿を一か月後に控えた自分が元気な内に、訪れたい夢の小笠原旅を パソコンを駆使して飛行機・船・宿を予約してトラブルもなく成し遂げたことは、ひとつ の成果でした。 〔 完 〕

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