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Vol.37 , No.1(1988)079荒井 裕明「Abhisamayalamkaya Ch. I K. 39について」

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(1)

印 度 學 佛 教 學 研 究 第37巻 第1號 昭和63年12月

Albhisamaydlamkara

Ch. I K.39に

つ い て

本 稿 は, ツ ォソ カバ が 月 称 の 『入 中論 』ル循 の注 釈 書 と して 著 述 した 『密 意 明

解 』GR中

に見 られ る 『現 観 荘 厳論 』A4Aに

関す る見 解 の考 察 を 目的 とす る。 彼

に は, 31歳 当 時 の 著 作 で あ るr善 説 金 壼 』SPhと

い うAA註

が あ る こ とが 知 ら

れ てい る。一 方, そ の 約30年 後 に著 述 され たGR中

に, 再 び, 部 分 的 で は あ る

が 滋4滋4に

関 す る言 及 が 為 され て い る1)。そ こで 注 目 した い の は, S、PhとGRと

間 に 滋Aの 解 釈 に 関す る相 違 が認 め られ る こ とで あ る の で あ る。

と ころ で, PMA第6章

は,「 声 聞 ・独 覚 の二 乗 に も, 法 無 我 理 解 が あ る」 とい

うテ ー マを 扱 って お り, GPRに

は, それ に対 す る論 難 を 排 除 す る記 述 が 見 られ る。

そ し て, そ こに取 り上 げ られ る44の3偶

(1.39, H.8, 29) に 対 す る ツ ォソ カ

バ の 解 釈 に, S.Phに は見 られ なか った 視 点 が あ る と筆 者 は考 え る の で あ る。

A

まず,

8及 び, 29に 関 し て,

A4滋4において

把 握対象 に対す る分別 を断 ち切 ることに よ り, また, 把握主体 〔

に対す る分別〕を断

ち切れ ない ことに より, また, 依 り処に よって, 独覚の道は正 し くまとめ られ ると知

るべ き で あ る。(皿.8) と, 独 覚 道 に よ っ て, 所 取 に 対 す る諦 執 とい う分 別 は 断 ち切 る こ とが で き るが, 能 取 に (a) 対 す る諦 執 は 断 ち切 る こ とが で きな い と説 か れ てお り, また, 煩 悩 と所 知 と三 つ の道 とを 捨 て去 るか ら, 声 聞 ・独 覚 ・菩 薩 達 の 清 浄 が あ る の で あ っ て, (129a-c) と, 所 取 に 対 す る諦 執 は 所 知 障 で あ る と説 か れ て い る。(G.R. f.87, 1.6-f.88, 1.2) (b) と述 べ て い る。 こ の2偶 に 関 し て, SPPh中 に 下 線 部 の の と 同 主 旨 の 記 述 が 見 られ る か ら, こ の 点 に 関 す るGRと3PPhと の 解 釈 に 相 違 は 認 め られ な い2)。 B 一 方, 1.39に 関 し て 次 の 様 に 述 べ る。 法 界 には 区 別 が 無 い か ら, 種 姓 が 異 な る とい うの は 正 し くな い。 〔しか し, そ れ を 〕 依 り処 とす る法 の相 違 に よ っ て, そ れ (種姓) の 区 別 が 述 べ られ る。(1.39) と説 か れ てい る この 〔偶 〕 に よ って, 声 聞 ・独 覚 達 に も法 性 の 理 解 が あ る こ とが 示 され (c) て い る。(GR. f.90, ll.3-4)

(2)

-405-Abhzsamayalamkara Ch.1K.39に つ い て (荒 井) (109) こ の 下 線 部(c)が, Sphに は 全 く見 ら れ ず, GRに お い て 新 た に 提 示 さ れ た 視 点 で あ る と筆 者 は 考 え る3)。 そ し て, こ の(c)か ら導 か れ る 結 論 は, 次 の 如 く で あ る4)。 そ の様 に 言 うな らば, 独 覚 に お い て真 実 の 意 味 を 理 解 す る者 が 一 人 で も存 在 す るか ら, 独 覚 は知 に対 す る諦 執 を 断 ち切 る こ とが で ぎ ない こ とに よ っ て遍 充 され な い。 声 聞 につ (d) い て も, 真 実 を理 解す る者 と しな い 者 との二 〔種 〕 と して 区別 しな けれ ぽ な らない か ら, AAに おい て も5), 小乗 に つ い て二 通 りの あ り方 が 説 か れ てい る ので, 所 取 と能 取 を 異 (e) (f) な る 実体 と して, 諦 と して執 す る こ とにつ い て, 所知 障 と示す か 示 さな い か の二 〔種 〕 が 確 定 され ね ば な らな い6)。(GR. f.92, 11.1-3)

そ こで, AとBの

内容 を 検 討 す る と, まず, (d)にお い て, 独 覚 が 能取 で あ る知

に対 す る諦 執 を 断 ち切 る こ とが 有 り得 る と述 べ て い る こ と と, の に お い て, 所 取

に対 す る諦 執 の み断 ち切 り, 能 取 に対 す る諦 執 は断 ち切 れ ない と説 か れ て い る こ

とは矛 盾 す る。 即 ち, H.8の

独 覚 の 定 義 と, 1.39か

ら導 か れ た 結論 とは一 致 し

な い。 それ を 意 図 して, ツ ォ ソ カバ は(e)の様 に述 べ る の で あ る。

次 に, (f)に示 され る 区別, 即 ち, 諦 執 を所 知 障 と規 定 す るか, 煩 悩 障 と規 定 す

るか は, 中 観 自立派 と帰 謬 派 とで見 解 が 二 分 す る重 要 な点 で あ る7)。 つ ま り, 自

立 派 は, 二 乗 に 法 無 我理 解 の あ る こ とを認 めず, それ を得 る為 に断 ち切 るべ き諦

執 を 所 知 障 と規 定す る が, 帰 謬 派 は, 二 乗 に も法 無 我 理 解 を 認 め, 諦 執 を 煩 悩 障

と規 定 す るの で あ るが, それ を踏 ま え て 言 え ば, (c)にお い て,「 声 聞 ・独 覚 達 に

も法 性 の理 解 が あ る」 と言 わ れ るの は,「 二 乗 に も法 無 我 理 解 が あ る」 とい う こ

とを 意 味 して い る こ とが 知 られ る。 従 つて, ツ ォ ソ カバ はGRに

お い て, AAに

は, Aに 示 し た 自 立 派 と, Bに 示 し た 帰 謬 派 と の 二 通 りの 見 解 が 示 され て い る と 述 べ て い る こ と に な る8)。 一 方, SPhに は, 前 述 の 如 くAと 同 主 旨 の 記 述 は 見 ら れ る が, Bの 如 き 所 説 は 見 出 し 得 な い9)。 以 上 の 考 察 の 結 果, 01?に は, A4.4.1.39に 関 し て, SPhに 見 ら れ な い 帰 謬 派 的 立 場 か ら の 解 釈 が 為 さ れ て い る こ とが 明 らか に な っ た と言 え よ う。 1) GR (f.87, 1.6-f.94, 1.1)。 長 尾 雅 人 『西 蔵 仏 教 研 究 』 に よれ ば, SPhは31才, G Rは62才 の 時 に 完 成 した と され る。p.52, 60参 照。 2) SPh(f.70, 1.3-f.73, 1.4), (f.142, 1.5-f.143, 1.3) 全 集 版Vol.26参 照。 3) こ の偶 に対 す るSPhの 記 述 は, 先 行 す るA4A諸 注 釈 書 に 従 った の み で あ る。SPh (f.445, l.3-f.450, 1.6) 全 集 版Vol.25参 照。 4) こ の結 論 の前 に, 多 少 の論 理 的 飛 躍 を感 ず る, か な り複 雑 な議 論 が 為 され て い る が, 今 は, そ の 箇処 の指 摘 の み に とど め たい。OR(f.91, 1.3-f.92, 1.1)。

(3)

-404-(110) Abhisamaydlamkara Ch. I K.39に つ い て (荒 井)

5) こ こ で は, AAの 他 に、『宝 性 論 』ROVが 意 図 され て い る。OR(f.92, 1.6-f.93, 1. 1)参 照。 6) 叫下 線 部(e), (f)ぽ, この 一 連 の 記述 に お い て, ツ ォ ン カバ に と って の 結論 部 分 と思わ れ る。 それ に対 す る彼 の二 人 の 高 弟, タル マ リ ンチ ェ ン と ケ ー ドゥプ ジ ェの 態 度 は対 照 的 で あ る。 即 ち, 前 者 のAA註 に は, そ の前 後 の文 章 が 完 全 に引 用 され 乍 ら, 下 線 部 が 意 識 的 に 省 略 され てい る と思 わ れ る。 一 方, 後 者 は, 下 線 部 の記 述 を 受 け て, そ れ に 基 い て えAAを 積 極 的 に 帰 謬 派 の 論 書 と して位 置 づ け よ うと し てい る。 7)例 えば, ツ ォ ンカ バは 『菩 提 道 次 第 論 』 の 中 で, この点 に つ い て 言及 してい る (長 尾 前 掲 書p.208)。 及 び, 松 本史 朗 「ツ ォ ソ カバ の 中観 思 想 に つ い て」 『東 洋 学 報 』 p.193, 196, 199等 参 照。 8) ツ ォ ソ カバ は, 「マ イ トレー ヤ の五 法」 の うち, こ こで は, Aを, 無 我 の教 義義に 関 して,『 大乗 荘 厳 経 論 』 『中辺 分別 論 』 『法法 性分 別 論 』 とい う唯識 派 の論 書 と は 区 別す べ き 旨を 述 べ, (GR. f.90, l 1.1-3), そ の一 方, 5)に 示 した如 く, そ の点 に 関す るAAとROVの 類 似 性 を 認 め た 上 で, 中 観 的 性 格 の 論 書 と見 徹 して い た と言 え よ う 五 法 」 に 関 す る この 様 な 受 容 の 傾 向 は, 既 に, Obermiller に ょ って報 告 され て い る。(The Doctrime of Prajndparamzita asexposed in Abhisamayalamkara of Maitreya, AC TA ORIENTALIA Vol.XI p.96 etc.)

9) Obermiller, に よれ ば, AAの 体 系 に お い て, 声 聞 は 人 無 我 の み を 理 解 し, 独 覚 は 人 無 我 と所 取 の 無 我 を 理 解 す るが, 能 取 を実 体 と考 え, 菩 薩 だ け が, 人 法 二 無 我 を 理 解 す る と規 定 され る。(前 掲 書p.16) こ の報 告 が 一 般 的 な えA理 解 を示 す とす れ ば, 本 文Bに 見 られ る記 述 は, 特 異 な 解 釈 と言 うべ きで あ ろ う。 〔テ キ ス ト〕GR:『 ツ ォ ン カバ 全 集 』(タ シル ソ ポ版) Vol. 24, SPh: 同, Vols. 25-27. <キ ー ワ ー ド> Abhisanlayalamkara, ツ ォ ン カ バ, 諦 執 (駒 沢 大 学 大 学 院)

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